困難を乗り越えた時、無上の幸福感を感じるのは、神の子ゆえでしょうか?
また、この世の幸せを、心から酔えないのも、神の子ゆえでしょうか?
神と言う言葉は、どうでも良いのです。 神の中身を、心の底で知れば良いのです。
心の底で知ったら、それでも! あれでも! これでも! そのものでも! 良いのです。
そのものの中に、神の側面が、たくさん含まっていたら、それで、良いのです。
神の側面を深く知ったら、言葉さえ要らなくなるのです。
すなわち・・、
で、良いのです。
ただし、頭に、「我」、「吾」、「私」は、付けてください。
それが、瞑想です。
神のメロディ「真・善・美は神様の心」
2024.04.01
よく、真理を学んでいるからと言って、特別な思いで生きようとする人がいますが、特別な思いで生きる必要はないのです。
なぜなら、自我(自分)の思い通りに生き、ここまで、成長してこれたからです。
失敗のように思えた人生は、成長に必要な失敗だったのです。
神は完全です。完全な神が、 失敗する思いを持たせるわけがないし、失敗する言葉を話させるわけがないし、失敗する行為をさせるわけがないのです。
今日までの、あなたの「意・口・身」は、必然の思いであり、 必然の言葉であり、必然の行為だったのです。
だから、今日までの人生は、全て、良かったのです。
ただし、二つのことは、やってください。
後は、自我(自分)の思い通りに生きたら良いのです。
いつも言う事ですが、私たちの中には、二人の自分がいるのです。
一人は、自我の自分です。もう一人は、真我の自分です。
自我の自分は、肉体の都合の良い思いを持ちますから、どうしても、慾望のままに、感情のままに、生きてしまうのです。
そうすると、痛い・苦しいが、やってきます。
でも、その痛い・苦しいが、魂を成長させるわけですから、自我の思いで生きたことは、成功なのです。
その成功に繋げているのが、真我の自分なのです。
二人は、どこまでも、一緒なのです。
神の絆奏曲 6番「私」
2024.04.02
罪にさいなまれ
ノイローゼになる人がいますが
それは・・
罪の所在が、わからないからです
罪は・・
作った、あなたの中に、あるのですから
あなたが、許せば
罪は、消えてなくなるのです
(旧・光のメロディ「許し」の曲より)
世の中には、いつまでも、自分を許さない人がおりますが、これほど、罪なことはないのです。
なぜなら、自分の心を汚すと同時に、神の心を汚すことになるからです。
私たちの心の中には、「人の心」と「神の心」が、同居しているのです。
大切なのは、「もう二度と悪いことをしません!」と、心から反省することです。
心から反省したら、罪の清算が終わったのですから、許されたのです。
真理を学んでいると、自分に対して厳しくなるものですが、余り、厳し過ぎてもいけないのです。
どうか、中庸を守ってください!
自分に厳しくなれば、人に対しても、厳しくなるものです。
でも、一般人は、あなたより、ずーと、未熟な魂なのですから、厳しく当たっては、可哀想です。
どうか、寛容の心を持って、付き合ってください !
人を諭しても、聞き入れてくれるものではありません。
そう言う人には、一生懸命やっている、自分の後ろ姿を見せることです。
そこまで来ている魂なら、あなたの後ろ姿を見て、変わるでしょう!
そこまで来てない魂なら、変わらないでしょう!
それで、良いのです。
「一生懸命やっている後ろ姿を見せる!」と言う意味は、何の成算も入ってない、純粋な後ろ姿を見せる、と言う意味です。
当てつけがましい思いが、少しでも入っていたら、不純です。
ただ、純粋に、一生懸命やっている姿を見せることです。
いや、見せるのでは、当てつけがましくなりますので、本人が見てしまうと言う、後ろ姿です。
分かってもらえるでしょうか?!
旧・光のメロディ「許し」
2024.04.03
人間は、生まれながらにして、幸せに出来ているのです。
なぜなら、想念を持っているからです。
ただし、この想念は、良く使えば、宝の山になり、悪く使えば、ボタ山になる、二面性を持っているのです。
人類は、今、悪く使って、ボタ山を作っているのです。
これは、真理を知らないからです。
でも、学びの友の皆さんは、真理を知ったのですから、想念を良く使って、幸せになってください。
一番良い想いは、「神」です。これ以上の良い想いはありません。
「想念が全てを創っている !」・・皆さんは、まだ、疑っているのですか?
人類は、試されているのです。いかに、想念を良く使えるようになるか?!・・・。
幼い頃は、想念の使い方が下手なのです。
人生体験を積み成長すれば、想念の使い方が上手になるのです。
進化のバロメーターは、想念を良く使っているか? 悪く使っているか? で、分かるのです。
原子核が増えれば、上手に、想念が、使えるようになるのです。
どうか、原子核を増やし、想念を、上手に、使えるようになってください !
幸せの青い鳥は、どこか遠くに、いるのではありません。
一番近い、私たちの想念の中に、いるのです。
旧・光のメロディ「幸せ」
2024.04.04
分数「1」を、探って行くと、永遠に、解明できないことが、分ってきます。
なぜ、解明できないかと言いますと、分数「1」は、不確定の存在だからです。
分数「1」を、切っていってみてください! 無限に切れるはずです。
無限に切れると言うことは、分数「1」は、不確定である、と言うことです。
分数「1」が、不確定である、と言うことは、この表現世界も、不確定である、と言うことになります。
なぜなら、分数「1」の親である、元数「1」によって作られた世界だからです。
あなたは、今、宇宙のどこに住んでいるか、分かりますか?
あなたは、今、地球のどこに住んでいるか、分かりますか?
あなたは、今、日本のどこに住んでいるか、分かりますか?
あなたが持っている、200平方メートルの土地は、 本当に、200平方メートルあるのでしょうか?
全て、不確定なのです。
そんな、不確定の世界で、欲を募らせて生きて、どうなのでしょうか?
私たちは、不確定の世界(おおよその世界)で、生きているのです。
だから、私は、 五十歩百歩で生きたら良い!と言うのです。
解明できない分数「1」を探るのは、無駄だと思うかも知れませんが、無駄ではないのです。
なぜなら、分数「1」が、不確定だと分ったら、表現世界も、不確定だと分かるので、不確定の世界に、囚われなくなるからです。
この表現世界は、幻の世界なのです。
蜃気楼のように、フワフワ浮いている、夢のような世界なのです。
あなたの持っている土地の面積は、確定されたものではないのです。
あなたの居る場所は、確定された場所ではないのです。
そう言う不確定な世界だと分ったら、私たちは、どのように生きたら良いのでしょうか ? 争い合うことですか? 仲良くすることですか?
どんなに、たくさん、お金や物を得ても、消えてしまう、不確定な世界なのですよ!
あなたの肉体さえも、消えてしまう、不確定な世界なのですよ!
このことを知ったら、今まで、いかに、愚かな争いをしていたか? 恥ずかしくなると思います。
これまで、表現宇宙が、延々と存続してこれたのは、不確定の宇宙だからです。
もし、確定された宇宙なら、この表現宇宙は、とうの昔に、消滅していたでしょう。
ハンドルは、遊びがあるから、運転できるのです。固定されていたら、運転できないのです。
コンピューターで、円周率が何桁まで出せるか、競っているようですが、どんなに演算しても、永遠に、弾き出せないのです。
それは、分数「1」が、不確定だからです。
2024.04.05
この表現世界は、相対の世界です。
なぜ、相対の世界が必要かと言いますと、一つだけでは、一つが解らないからです。
二つに別れて、初めて、一つが解かるのです。
ですから、私たちは、 相手のいる、相対の世界に出てきて、一なる自分を知ろうとしているのです。
一人で、ジャングルで瞑想していて、成長できるでしょうか?
一人で、洞窟の中で瞑想していて、悟れるでしょうか?
一人では、成長できないし、悟れないのです。
白だけでは、白が分からないのです。
右だけでは、右が分からないのです。
黒があり、左があるから、白が分かり、右が分かるのです。
ジャングルの植物や動物たちは、自分の欠点を教えてくれないし、洞窟で瞑想しても、自分の欠点を教えてくれないのです。
人が、相手が、自分の欠点を教えてくれるのです。
確かに、この表現世界には、嫌な人が、たくさんいます。
でも、その嫌な人が、自分の欠点を気づかせてくれるのですから、その人たちは、先生なのです。
そう思えれば、嫌な人も、良い人に、見えてくるでしょう。
殆んどの宗教では、輪廻転生の話をします。
でも、私は、余り、輪廻転生の話はしません。
輪廻転生の話しをしても、余り、意味がないからです。
私たちは、いつまでも、形の世界( 物質界・ 幽界)に、止まっていてはならないのです。
一日も早く、意識の世界、真実の世界に、帰らなければならないのです。
そのためには、原子核を大きくする必要があるのです。
私は、その原子核を大きくする方法を説いているのです。
2024.04.06
私たちは、何のために、生まれてきたのでしょうか?
家庭を持つためでしょうか?、
偉くなるためでしょうか?、
お金儲けするためでしょうか?、
いいえ、魂を大きくするために、生まれてきたのです。
これ以外、人生目的は、ありません。
では、魂を大きくするためには、どうしたら良いのでしょうか?
それは、一に、社会体験、二に、瞑想をする事です。
なぜ、社会体験が必要かと言いますと、魂は、嫌なことや、煩わしいことを、すれば、するほど、大きくなるように出来ているからです。
だから、私は、嫌なことや、煩わしいことが、やってきても、逃げてはいけませんよ!と言うのです。
今の社会には、嫌なことや、煩わしいことが、たくさん、ありますが、これは、魂の成長にとって、必要なのです。
私の人生を振り返っても、嫌なことが、たくさん、ありました。
でも、私は、逃げませんでした。逃げるどころか、嫌なことを、先にやろうとさえしました。
嫌なことをやった後の、あの清々しさ! あの爽快感! が、たまらなかったからです。
皆さんも、そんな体験あるのではありませんか?
どうか、嫌なことがやってきても、逃げないでやってください。
そしたら、間違いなく、魂が大きくなります。
これは、私の体験から言って、間違いありません 。
これは、 これまで、何度も述べてきたことですが、再認識してください!
何が本当に有るもので、何が本当に無いものでしょうか?
学びの友の皆さんには、釈迦に説法でしょうが、一般の人たちは、毎日、無いもののために、生きているのです。
悔いを残さないためにも、本当に有るもののために、生きましょう!
本当に有るものとは・・・、
神です。
意識です。
本当の自分です。
2024.04.07
グー・チョキ・パー・の三すくみが、この宇宙の実態です。
どう言うことかと言いますと、
「パー」は、「チョキ」に、勝てません。
「チョキ」は、「グー」に、勝てません。
「グー」は、「パー」に、勝てません。
逆に、
「パー」は、「グー」に、勝てます。
「グー」は、「チョキ」に、勝てます。
「チョキ」は、「パー」に、勝てます。
この三すくみが、宇宙を存在させているのです。
「パー」とは、本源の神のことです。
「チョキ」とは、神人のことです。
「グー」 とは、人間のことです。
神は、人間がいなくては、存在できません。
人間は、神がいなくては、存在できません。
神人は、人間と神がいなくては、存在できません。
この三者が、互いに存在させ合っているのです。
と言うことは、人間は、神と肩を並べる、凄い存在だと言うことです。
この相対の世界は、相手がいる世界です。
どうして、相対の世界が創られたかと言いますと、自分の欠点を相手が教えてくれるからです。自分一人では、成長が少ないのです。
人の振り見て我が振り直せる、世界だから、私たちは、大きく成長できるのです。
確かに、この相対の世界には、異色な人たちが、たくさん、おります。
ですから、その人たちと、仲睦まじくやっていくのは、大変です。
でも、苦労すれば、苦労するほど、魂は、成長してゆくのですから、有り難いことなのです。
どうか、何事も良く受け取ってください。
2024.04.08
自我人間の考えることなんて、皆、同じです。
誰もが、お金が欲しいのです。物が欲しいのです。地位や名誉や財が欲しいのです。
これは、肉体が自分だと思ってる限り、仕方のないことです。
私も、そうだったのです。
でも、私は、そこから抜け出すことができたのです。
それは、真理を知ったからです。
真理を知った人と知らない人の生き方は、天地の差が出来るのです。
まだ、まだ、変化が起きますが、真理を実践するようになると、 今までとは違う自分に変わるのです 。
本当の自分に目覚めた人を、「覚者」と言います。
彼らは、自分が意識であることを、腹の底で知った人たちです。
何か特別な人たちのように思いますが、誰でも覚者になれるのです。
学びの友の皆さんは、その寸前まで来た魂です。
原子核を、もう一個、集めたら、自覚の境界線を超えられる可能性のある魂です。
そう言う思いを持って、瞑想してください。毎日が、楽しいです!
2024.04.09
実在とは、何でしょうか? 非実在とは、何でしょうか?
実在が分かれば、非実在も分かると思いますので、実在について考えてみましょう!
実在とは、不変・不動・永遠不滅・絶対無くならないものです。
私たちの目で見て、肌で感じられるものは、全て、無くなってしまいますので、非実在です。
分かりやすく言えば、実在とは、見えないものです。非実在とは、見えるものです。
意識は、見えませんから、実在です。肉体は、見えますから、非実在です。
と言うことは、肉体と意識を持っている、私たちは、非実在であると同時に、実在である、と言うことです。
見えるものは、全て、消えてしまいます。見えないものは、絶対、消えません。
だから、見えるものは、夢幻で、見えないものが、絶対実在だと言うのです。
と言うことは、私たちは、毎日、夢幻を見ていることになります。
それも、これも、全て、夢幻です。
そんな夢幻に、心を痛めたり、惑わされたりしてはいけません。
さあ!、一日も早く、原子核を大きくし、幻の世界から卒業しましょう!
幻の価値に拘って、悩んだり、腹を立てたりするのは、大損です。
なぜなら、肉体を破壊してしまうからです。
価値は、人間界にだけあるのです。それも、人間のご都合主義によって作り上げた、条件が変われば、コロコロと変わってしまう、価値です。
何十億円もする絵画があるようですが、その値段は、何処から生まれたのでしょうか? 誰が作ったのでしょうか?
奉仕社会には、価値はないのです。あるとしたら、平等な価値があるだけです。
幻の世界で価値に拘って心を痛める、そんな愚かなことをしてはなりません。
利口な人は、価値を平等にみなします。
そうすれば、心を揺れ動かすことはありません。
心が穏やかであれば、事故、災難、病気になることはないのです。
どうか、幻のために、心を痛めないでください。
2024.04.10
あなたと共に生きる幸せ・・
あなたと共に生きる嬉しさ・・
私の人生には
いつも、あなたがおりました
あの苦しかった時にも
あの楽しかった時にも
あの辛かった時にも
あなたがおりました
どんな窮地に立たされた時も
あなたは、決して、私を見放しませんでした
曲「あなた(神)と共に」の詩の一部分です。
学びの友の皆さん! 寂しがらないでください!
私たちは、一人ではないのです。
いつも、もう一人の自分と、生きてきたのです。
これからも、永遠に、生きてゆくのです。
今日まで、苦しいことが、あったかも知れません。
これからも、あるかも知れません。
でも、どうか、めげないでください 。
あなたは、一人ではないのですから・・・。
真我と自我は、タッグを組んで、幸せの国に向かって歩んでゆくのです。
新・光のメロディ「あなた(神)と共に」
2024.04.11
皆さんは、何のために生まれてきたのでしょうか?
この世のものを、得るためでしょうか? それとも、真実を、得るためでしょうか?
人生の目的を、よく、考えてみてください。
皆さんは、真実を得るために、生まれてきたのです。
では、何が真実なのでしょうか?
見えて、聞こえて、触れて、味わえて、臭えるものが、真実なのでしょうか?
もし、それが、真実なら、絶対に、無くならないはずです。
でも、五官で感じるものは、みな、消えて無くなってしまうのです。
消えて無くなるものが、真実であるはずがありません。
真実は、自分の意識です。この意識だけは、絶対に、無くならないのです。
なぜ、無くならないかと言いますと、自分の意識が無くなったら、宇宙が無くなってしまうからです。
宇宙は、絶対、無くならないのですから、自分の意識も、絶対に、無くならないのです。
学びの友の皆さんは、その事を知ったのです。
知っても、まだ、消えて無くなるものを、追いかけるのですか?
私は、この世のものを、無視しなさい! とは言いません。
でも、この世のものは、肉体が維持できるだけあったら良いのです。
もう一度、 何のために生まれてきたのか? 考えてみてください!
私が、お願いしたいことは、皆さんのマントラを、できるだけ多く、想って欲しいと言う願いです。
皆さんが、自分のマントラを想っている時は、この世の事が思えません。
この世の事を思わなければ、悪い業を作らないわけですから、三重の功徳が得られるのです。
どうか、出来うる限り、瞑想してください!
それが、私の願いです。
2024.04.12
魂にも、色々と段階があります。分かりやすく、三段階に分けて考えてみましょう。
「物質」の話をするのが、科学者で、
「水」の話をするのが、宗教家で、
「空気」の話をするのが、私たちなのです。
物質は、一番、波動が鈍重です。
水は、物質に次いで、波動が鈍重です。
空気が、一番、精妙なのです。
鈍重な波動は、下にあります。精妙な波動は、上にあります。
と言うことは、「下の話」をする人は、未熟な魂であり、「上の話」をする人は、 熟した魂である、と言うことです。
「下の話」とは、女のこと・・、肉体のこと・・、この世のことです。
「上の話」とは、宇宙のこと・・、天のこと・・、神のこと・・、本当の自分のことです。
動物から、人間になったばかりの魂は、物質を追い求めて行動します。
物質は、目や肌で感じられる、一番分かりやすいものだからです。
でも、どんなに、物質を得ても、心は満たされません。
そこで、心を満たしてくれそうな、地位や、名誉や、権力を、求めるようになります。
でも、それでも、心は満たされません。
そこで、宗教や、哲学を、求めてゆくようになるのです。
学びの友の皆さんは、もう、それさえも、卒業した魂です。
どうか、「自分は、そう言う魂なのだ!」と、自覚しながら生きてください!
決して、道を踏み外すことはないでしょう!
2024.04.13
神が完全である理由は、この宇宙に、悪いものが、一つも無いからです。
もし、一つでも、悪いものがあるなら、神は、完全でなくなってしまいます。
そんな、神がいるわけありませんから、この宇宙に、悪いものは、一つも無いのです。
悪いものが、一つも無いと言うことは、否定するものが、一つも無いと言うことです。
そうです。
この宇宙に、何一つ、否定するものが、無いのです。
全て良し! 全て好し! 全て善し! です。
完全な神は、完全しか知りませんので、否定するものが創れないのです。
では、どうして、地球に、悪いものが、たくさん、あるのでしょうか?
それは、地球人類が、不完全を認めているからです。
つまり、悪を認めているからです。
でも、それは、人間が、悪く受け取るから、悪になるのであって、良く受け取れば、良くなる悪なのです。
なぜなら、どんな悪も、進化成長の肥やしになっているからです。
完全なる神が創られたこの宇宙に、本質的な悪など、一つもないのです。
受け取り方 次第で、良くも、悪くもなる、悪なのです。
どんな事も、良く受け取る、癖を付けてください!
それが、想念のコントロールの学びです。
神が完全なのは、次のようなことで、証明できます。
① 神が創られた、この宇宙が、今、存在している事が、そうです。
神が創られた、私たちが、今、存在している事が、そうです。
もし、不完全があるなら、今、宇宙は、存在していません。
私たちも、今、存在していません。
② 神が完全であると言う、極めつきの理由は、今、私と思えている意識があるからです。
この意識がなかったら、思えないのです。
思えること自体が、神の完全性を示しているのです。
③ 神が完全である嬉しい証は、誰でも、必ず、自覚の境界線を超えられると言う、保証があるからです。
④ 神が完全である証しは、 この宇宙に、秩序があるからです。
秩序があると言うことは、法則があると言うことであり、その法則は、完璧なのです。
⑤ 神が完全なのは、神そのものが、幸せそのものだからです。
つまり、神の側面である、一も、丸も、光も、エネルギーも、愛も、意識も、生命も、全て、幸せ、そのものだからです。
今、あなたは、苦しいかもしれません。悲しいかもしれません。辛いかもしれません。
しかし、それは、全て、進化成長の糧となっているのです。
あなたは、必ず、成長します。それも、苦しければ、苦しいほど、悲しければ、悲しいほど、辛ければ、辛いほど・・・。
神の愛を信じてください! 神の完全性を信じてください!
神のメロディー 「神は完全」
2024.04.14
私たちは、天から地に降りてきた、「神の子」です。
どうして、天から地に降りてきたか、と言いますと、天にいたのでは、「神の自分」が解らないからです。
天から地に降りてきて、色々な体験をすることによって、「神の自分」を知るのです 。
と言う、諺がありますが、この諺の意味を一言で言えば、「地の自分を知ることによって、天の自分を知る!」と言う意味なのです。
絶対原子は、単体では、地上界に降りて来ることは、できません。
ですから、絶対原子は、反原子と原子に乗って降りてきたのです。
神は、姿形もなければ、言葉もありませんので、地上に、美しい絵を描きたくても、できないのです。
そこで、神は、自分の代弁代行役として、人間を創り、地上に遣わしたのです。
でも、人間は、自分が神であることを忘れているのです。
ですから、今、人類は、神の望みとは、似ても似つかぬ、醜い絵を描いているのです。
でも、地上界で、色々な体験を積んでいくうちに、やがて、自分が神であることを知ります。
その時、地上界に、美しい絵が描かれることになるのです 。
人には勝てても、自分に勝つことは、絶対できません。
なぜなら、自分は、無限だからです。無限に勝てる人など、いるわけがないのです。
人に勝って、増長している人は、何も分っていない人です。
人に勝っても、謙虚な人は、宇宙の無限性が、分かった人です。
どうか、謙虚になってください!
学びの友の皆さんなら、私の言わんとしていることを、解っていただけると思います。
2024.04.15
人間と自分との関係を、考えてみましょう?
人間は、形があるので、分かります。
でも、自分には、形が無いので、分からないのです。
人間は、単なる形ですから、人間が生きることはないのです。
人間を生かしている、何かが、あるのです。
では、人間を生かしている、何かとは、何でしょうか?
それが、自分なのです。
その自分は、意識なのです。力なのです。エネルギーなのです。
それを、神と呼んでいるだけです。
その神が、自らを分け、人間を創ったのです。
ですから、私たちは、神の分身なのです。
でも、殆んどの人が、自分のことを、人間だと思っているのです。
これが、不幸の原因なのです。
肉体が、自分なら、肉体は、死んでしまいますから、自分は、死ぬことになります。
死ぬ自分が、自分なのでしょうか?
神は、そんな虚しい自分を、創られたのでしょうか?
もし、死ぬ自分が、自分なら、どんな生き方をしたって良いのです。
人の物を盗もうが、人を傷つけようが・・・どうせ、自分は、消えて無くなってしまうのですから・・・そうでは、ないのです。
自分は、永遠に死なないのです。肉体は、単なる自分の乗り物に過ぎないのです。
このことは、今まで、何度も言ってきたことですが、なぜ、何度も言うのかと言いますと、くどいほど、言い聞かせなくては、腹の底に落ちないからです。
腹の底に落ちない限り、どうしても、人間として生きてしまうのです。
それでは、いつまでたっても、人間を卒業できないのです。
皆さんの腹の底に落ちるまで、私は、これからも、くどいほど、言い続けるでしょう。
人間は、単なる名前です。名前が、実在であるはずがありません。
人間の背後には、 実在する「自分」が、いるのです。
その自分が、物を考え、肉体を動かしているのです。
今日まで、人生を歩ましてきたのは、肉体では無く、「自分」だったのです。
もう一度、自分について、考えてみてください 。
自分とは、
自分とは、
自分とは、そう言う存在なのです。
人間は、「自分」の乗り物である、と言うことを、心の底で知ってください !
心の底で知れば、あなたは、変わります。
魂の成熟度は、理解力の高さで知ることができる。
1の魂の成熟度の人は、1の理解力しか 持っていません。
5の魂の成熟度の人は、5の理解力を持っています。
10の魂の成熟度の人は、10の理解力を持っています。
ですから、 学びの友の皆さんの間においても、理解力は、微妙に違っています。
真理のお話をしてはならないと言うのは、魂の成熟度によって、理解力が、皆、違うからです。
話をするなら、奉仕社会の話をしてください。
これなら、いくら話しても結構です。楽しいです!
2024.04.16
私たちは、真理を追い求めて、何万回と言う、輪廻転生を繰り返してきました。
ある時は、国々を巡って・・、ある時は、山野を巡って・・、 でも、なかなか、本物の真理に、巡り合うことが、できませんでした。
でも、歯を食いしばり、今日まで、求道の旅を続けてきたのです。
そして、今生、ついに、本物の真理に巡り合えたのです。
このチャンス、絶対、逃してはなりません。
逃せば、あなたは、向こうへ帰って、大泣きすることでしょう!
私は、いつも、言います。
神様は、一番大切なものを、一番近くに置いてくれていると ・・・、
そうです。 真理は、一番近い、私たちの心の中にあったのです。
ですから、遠くに探しに行く、必要はなかったのです。
嬉しいでは、ありませんか?!
何よりも大切な真理が、一番近くにあったのですから・・・後は、やるだけです!
どうか、 今、やるべきことを、真心を込めて、やってください!
そして、神を想い続けてください!
きっと、自覚の境界線を超えることが、できるでしょう !
何が大切なのでしょうか? 物やお金でしょうか? 地位や名誉や権力でしょうか?
そんなものは、この世限りのものです。
私たちが、求めるべきものは、永久になくならない、真理です。
それは、どこか遠くに行く必要もありません。お金もかかりません。 誰にも邪魔されません。自分の家にいて、自分の自由意志で、求められるのです。
神は、誰にでも、簡単に、真理が得られるようにしてくれているのです 。
宗教に入る、必要もありません。
難しい本を読む、必要もありません。
難行苦行も、必要ありません。
偶像を拝む、必要もありません。
賛美歌を唄う、必要もありません。
お経を詠む、必要もありません。
神の側面を深く知り、ただ、神を想い続けていたら良いだけです。
明るく、明るく、朗らかに ・・
何事も良く受け取り・・
神を想い!、光を想い!
今、やるべきことを・・
精いっぱいやって、生きましょう!
2024.04.17
人間が、神である理由は、この宇宙が、必然によって創られ、必然によって運ばれてきたからです。
必然は、なるべきにしてなる、と言う意味で、そこには、法則が働いているのです。
法則は、意思と意図がなければ、生まれませんので、必然の背後には、意思と意図を持った存在者が、いるのです。
その意思と意図を持った存在を、神と呼んでいるのです。
だから、必然によって創られた人間は、神なのです。
私たちが、心から喜べるのは、必然の世界でのみです。
偶然の世界で、心から喜べることは、絶対ありません。
なぜなら、偶然で得たものは、偶然で失うからです。
偶然で失うものは、努力で防御できないのです。
ですから、どんなに得ても不安で、心から喜べないのです。
しかし、必然で得たものは、必然で失うことはあっても、偶然で失うことがないから、安心なのです。
なぜなら、必然で失うものは、努力によって防御できるからです。
世の人々は、どうして、一生懸命、働くのでしょうか?
それは、働いた分、収入が得られるからではないでしょうか?
と言うことは、必然に生きている、と言うことです。
つまり、「原因と結果の法則」に生きている、と言うことです。
でも、世の人々は、必然に生きていることに、気づいていないのです。
「原因と結果の法則」 に支配されている、この世界に、偶然は、絶対、あり得ないのです。
あり得ないのに、一生懸命、働いている、世の人々 ・・・何と矛盾に満ちたことを、やっているのでしょうか?
でも、それで良いのです。 一生懸命やった分、進化成長できるのですから・・・。
神は、偶然を信じようが、必然を信じようが、一生懸命やった分、進化成長できるようにしてくれているのです。
何と神は、慈悲深いのでしょうか!
この宇宙に、偶然が無いのは、今、宇宙が存在している事実があるからです。
もし、偶然があるなら、今、宇宙は、存在していないでしょう。
今、宇宙が存在していられるのも、今、私たちが存在していられるのも、必然の法則があるからです。
私たちは、
息をさせている力、考えさせている力、歩かせている力は、偶然から生まれたのでしょうか?
いいえ、力は、必然から生まれたのです。
なぜなら、 力には、意思と意図があるからです。
力に、意思と意図があるのは、力そのものが、神だからです。
その力によって生まれた人間は、間違いなく、神なのです。
私が、必然の話をするのは、人間が神であることを、知って欲しいからです。
2024.04.18
ある学びの友が、こんなことを、言っていました。
「今日から、全て肯定的な受け取り方をし、肯定的な生き方をしよう!」と・・・。
彼は、気づいたのです。
「完全な神が創られた宇宙に、否定することなど、あるはずがない!」と・・・。
肯定的に受け取れば、肯定的なものが、生まれます。
否定的に受け取れば、否定的なものが、生まれます。
否定は、闇ですから、否定すれば、不幸災難が、やってきます。
肯定は、光ですから、 肯定すれば、良いことが、やってきます。
それは、思いが、そうさせるのです。
どうか、肯定的な思いを持ってください!
そうすれば、あなたの側に、闇が、やってくることはありません。
人間は、どうして、否定したがるのでしょうか?
どうして、悪く思いたがるのでしょうか?
それは、長い輪廻転生において、たくさんの痛い目や苦しい目に遭ってきたからです。
たくさん、痛い目や苦しい目に遭えば、どうしても、否定的な思いを持つ業(癖)を、作ってしまうのです。
人間は、外側から、不幸災難が、やってくると、思っていますから、人のせいにしたり、偶然のせいにしたりしますが、不幸災難が、外側から、やってくることは、ありません。
自分の否定的な思いや、ネガティブな思いが、不幸災難を、呼び寄せたのです。
どうか、肯定的な思いを持ってください! 全て、良く受け取ってください!
神は、この宇宙に、良いことしか創っていないのですから・・・。
神が創られた、この宇宙は、光り輝いているのです。
ですから、悪い事など、一つもないのです。
しかし、人間社会には、悪しき事が、たくさん、あります。 何故でしょうか?
それは、ネガティブな想念を持つ人が多いからです。
いつも言う事ですが、「想念は実現の母!」です。
想念は、良い事も、悪い事も、作るのです。
これは、私の体験からして、絶対、間違いありません。
どうか、良く受け取ってください!
そうすれば、驚くような人生体験の変化を、見ることが、できるでしょう!
2024.04.19
どんなことも、肯定してください!
どんなことも、良く受け取ってください!
なぜなら、神は、完全だからです。
神が、完全であると言うことは、この宇宙に、否定すべきことは、一つも無い! と言うことです。
もし、否定すべきことが、一つでもあるなら、神は、完全でなくなってしまいます。
そんな、神がいるわけないのですから、どんな事も、肯定することです。どんな事も、良く受け取ることです。
繰り返します。
神は、完全です。 神は、完璧です。
神が、完全であると言うことは、この宇宙に、無駄なことは、一つも無いと言うことです。
私たちが、やっていることも、無駄なことは、一つも無いと言うことです。
例え、それが、肉体を破壊するようなことでも・・です。
なぜなら、どんなことも、進化成長に繋がっているからです。
私たちは、自我で、色々と悪いことを思います。
そして、苦しいことを引き寄せます。
でも、その悪い思いさえも、肯定すべきことなのです。
なぜなら、全て、進化成長の道に繋がっているからです。
だから、自我で歩んできた人生も、全て、良かったと言うことです。
今日まで、歩んできた人生を、後悔しては なりません!
全て、良い人生だったのですから ・・・。
私たちが、思ったこと、語ったこと、行ったことは、全て、必然だったのです。
必然と言うことは、良かったと言うことです。
だから、自分の人生、後悔することはないのです 。
肯定すると言うことは、認めると言うことです。受け入れると言うことです。
神が完全ならば、当然でしょう!
この宇宙に、「否定語」は、無いのです。
どんな事も、「善し!」、「良し!」、「好し!」です。
この思いは、神の完全性が、信じられれば、信じられるほど、強まるのです。
また、これは、魂の進化に比例して生まれる、納得度であり、確信度でもあるのです。
人生を考えるメロディ:「秋の顔」 作曲:藤島美雪
2024.04.20
神の愛は、半端ではないのです。
神の愛は、海よりも深く、山よりも大きいのです。
その愛は、あまりにも、緻密で、深くて、大きくて、言葉や文字で表しようがありません。
なぜ、そう言えるのかと言いますと、どんな事の中にも、進化成長へ導いてくれている、意図が感じられるからです。
そうです!
自分の人生を、振り返ってみてください!
きっと、私の言っていることが、分かると思います。
どうか、神の愛の「深さ、大きさ」を知ってください!
どうか、神の愛の「緻密さ」を知ってください!
知れば、神に頭を垂れざるを得ないでしょう!
一般の人には、神の愛の深さは、分らないかも知れません。
でも、学びの友の皆さんだけは、分かってあげてください。
分かってあげる人がいなかったら、神は、可哀そうです。
神の愛は、峻厳な愛です。 厳しい愛です。
それは、神の愛そのものが、法則だからです。法則は、絶対、許さないのです。
悪いことをしたら、 苦しみに遭いなさい!と言う、厳しい愛です。
でも、それでは、あまりにも、厳し過ぎます。
苦しい愛は、私は、好きではありません。
私は、人情と神の愛をプラスして、二で割った、愛情が好きなのです。
だからと言って、私は、甘やかしの愛も、嫌いです。
甘やかしの愛は、進化成長の妨げになるからです。
対して、厳しい愛は、進化成長を促します。
私たちは、この二つの愛から、中庸の愛を、学ばなければならないのです。
「愛の温もり」の曲を見てください! 実に素晴らしい曲です。
この曲を創ってくれた、神に感謝します。
また、この曲を降ろしてくれた、光の天使にも、感謝します。
2024.04.21
皆さんは、何を信じて生きていますか?
お金ですか?、物ですか?、地位や名誉や権力ですか?
それが永遠に有るのだったら、私は、それを信じて生きて良いと思うのです。
でも、そんなものは、一時ではありませんか?
一時のものを信じて、心が休まると思いますか?
学びの友の皆さんは、本物と偽物を見分ける目を養った、熟した魂です。
それは、何万転生も、苦難の人生を歩んできた成果です。
ですから、皆さんは、もう、偽物に騙されることはありません。
どうか、自分を信じてください! 今、学んでる真理を信じてください!
自分を信じないで、何を信じると言うのですか?
私たちは、何でしょうか? 人間ですか?、肉体ですか?
先日、皆既月食がありました。みな、興味津々で、夜空を眺めていました。
なぜ、人間は、天体ショーに興味を持つのでしょうか?
それは、私たちが、宇宙子だからです。私たちは、宇宙から生まれたのです。
だから、宇宙が懐かしいのです。
今は、信じられないかも知れませんが、いずれ、信じられる時が来ます。
その時は、もう、嬉しくて、嬉しくて、たまりません。ただ、ただ、嬉しいのです!
これは、体験者が言うのですから、間違いありません。
楽しみですね!
原子核を大きくしましょう! 魂を大きくしましょう !
私たちは、そのために、生まれてきたのですから・・・。
光の写真集「春の夜空 瞑想用」
2024.04.22
人間って、何でしょうか?
国って、何でしょうか?
日本って、何でしょうか?
肉体が、人間なのでしょうか?
国会議事堂が、国なのでしょうか?
日本列島が、日本なのでしょうか?
いいえ、違います。
では、どんな条件が揃ったら、人間になり、国になり、日本になるのでしょうか?
この問いに答えられる人は、学びの友の皆さん以外、いないと思います。
私たちは、人間がいる、 国がある、日本がある、と思っていますが、それは、形を見て有ると思っているだけです。
なぜなら、人間も、国も、日本も、形に付けられた名前であって、本当に有るものではないからです。どんな条件も、名前なのです。
例えば、国と言うのは、 国土があり、国民がおり、家があり、町があり、工場があり、コンビニがあり、駅があり、電車があり、自動車があり、 山があり、川があり、湖がありと、色々と国の条件を並べても、それは、皆、名前であって、国ではないのです。
人間も、 顔があり、手足があり、心臓があり、肺があり、髪の毛があり、爪がありと、人間の条件を並べても、それは、皆、名前であって、人間ではないのです。
なぜなら、国も、人間も、皆、消えて無くなるからです。
消えて無くなるのは、本当に有るものではないからです。
では、どう言うものが、国であり、どう言うものが、人間なのでしょうか?
それは、本当に有るものが、国であり、本当に有るものが、人間なのです。
では、本当に有るものとは、何でしょうか?
本当に有るものとは、形(名前)の背後に存在している、意識(神・主観者)です。
意識(神・ 主観者)は、外側のものを作って、外側のものに名前を付けないと、自分が存在できないのです。
だから、自分の意識(想念)で、外側のものを作ったのです。
私たちは、名前(形)を本当に有ると思い違いしているのです。
私たちは、これまで、たくさんの苦しみを体験してきました。
また、今も、苦しみを体験しています。
それは、形(名前)を、本当にあると思って、自分の宇宙に、入れるからです。
形(名前)は、幻ですから、受け取らなかったら、自分の宇宙を、汚すことはないのです。
でも、五感があるから、どうしても、受け取ってしまうのです。
でも、それで、良かったのです。
なぜなら、 本当にあると思うから、真剣に学べ、原子核を大きくすることができるからです。
外側のものに名前を付けて、はじめて、意識(神・主観者)は、存在できるのです。
原子・菌・虫・ 鉱物・植物・動物・人間・国・地球・太陽系・銀河系・大宇宙・大大宇宙・大大大宇宙・・・と、果てしなく、外側に名前を付け続けることで、たった一つの意識( 神・主観者)は、永遠に存在できるのです。
2024.04.23
これは、真理を、知らないからです。
この宇宙には、自分しかいないのです。
自分しかいないのですから、自分を変えたら良いのです。
なぜなら、自分を変えたら、外側も変わるからです。
なぜ、嫌なものを見せられたと思いますか?
それは、自分の中に、その嫌なものがあるからです。
それに、気づいて欲しくて、自分が、自分に、嫌なものを見せたのです。
ですから、自分の中に、嫌なものが無くなったら、そんな、嫌なものは、見せられなくなるのです。
それは、もう、学び終わり、見せる必要が無くなったからです。
このように、自分が成長したら(自分が変わったら)、黙っていても、外側が変わるのです。
だから、自分を変えることだけ、考えたら良いのです。
どうしたら、自分を変えることが、できるのでしょうか?
何か難しいことを覚える、必要があるのでしょうか?
何か修行する、必要があるのでしょうか?
いいえ、
二つのことを、すればいいのです。
この二つのことを、やっていれば、いつのまにか、自分が変わるのです。
焦ることは、ありません。日々、やるべきことを、やってください。
そして、瞑想をしてください 。
そうすれば、あなたは、間違いなく、変わります。
2024.04.24
人類は、「生・老・病・死」を恐れていますが、 この宇宙に「生・老・病・死」というものは、ありません。
特に、死というものは、ありません。
死は、生につながり、生は、死につながっているのです。
もし、死があるなら、終わりがあることになり、この宇宙は、永久に閉ざされてしまうでしょう。
死と生の繰り返しは、「循環の法則」の一側面なのです。
循環しているから、永遠に、生き長らえるのです。
確かに、形(肉体)には、死があるように見えます。
でも、これは、循環している姿であって、死ではないのです。
形(肉体)に、死が無いなら、当然、意識にも、死が無いでしょう。
なぜなら、形を生み出し、生かしているのは、意識だからです。
だから、私は、この宇宙に、死は無いと言うのです。死を恐れてはなりません。
形(肉体)の死は、喜ぶべき変化なのです。
それは、自由に向かって、解放されるからです。
私たちには、二つの永遠の生があるのです。
形の永遠の生は、私たちの考えているような、生ではないかも知れませんが、形は、永遠に、持ち続けるのです。
意識の永遠の生は、魂の生です。
この魂は、どんどん、どんどんと、拡大し、宇宙大になっていくのです。
宇宙には、終わりが無いのです。
終わりが無いがゆえに、二つの生にも、終わりが無いのです。
2024.04.25
人間が髭を生やす理由は、三通りあると思います。
私が、ヒゲを生やしている理由は、三番目です。
男性なら、三日に一度は、ヒゲを剃らなければなりません。
でも、ヒゲを生やしていたら、剃る必要がありません。
伸びたら、ちょちょっと、ハサミで整えればいいだけです。
私は、ヒゲを剃る時間を、瞑想に当てたいのです。
社会に出て働いている人は、身だしなみは大切ですから、 髭を剃らなくてはならないでしょう。
でも、私は、働きに出ていないので、あんまり、身だしなみを、気にしなくていいのです。
では、神は、なぜ、動物には、髭を生えさせないようにして、人間には、髭を生えさせるようにしたのでしょうか? 考えてみてください!
私が、なぜ、このような話をするのかも、考えてみてください!
自然界の生き物たちは、生かされるままに生きています。あるがままに生きています。
それが、一番、調和の取れた生き方だからです。
しかし、人間は、どうでしょう! 好き勝手に生きています!
見てください! 人間が作ったもので、美しいものが、一つでもあるでしょうか?
例えば、街並みを見てください!、建物を見てください!、実に醜いです。
それは、動機が不純だからです。「人に良く見られたい! 偉く見せたい! お金儲けしたい!」 そんな、不純な動機で、美しいものが作れるわけがないのです。
完全な神が、この表現世界を創られたわけですから、全て、完全に創られているはずです。
その完全に創られている表現世界を、人間の欲で変えるのは、神に逆らうことになるのです。
自然のままが、一番いいのです。自然のままが、一番幸せなのです。
どうか、生かされるままに生きてください! その方が、気楽です。
表現世界は、思い(意)を表現する場ですから、その人が、どんな思い(意)を持っているかは、表現を見れば分かります。
そこで、神は、私たちに、三つの表現道具を与えてくれました。
それが、「意・口・身」です。
この「意・口・身」は、魂の熟成度を測る、バロメーターにもなっているのです。
「意」は、見えませんから、魂の熟成度を見分けるのは、難しいです。
でも、「 口と身」を見れば分ります。
言葉では・・・
話の内容、話し方などから、見分けることができます。
身では・・・
着る物や、身に付ける物や、身を飾る物(刺青・ 髪・ 爪・ 化粧・ 香水など)や、乗り物や、住んでいる家などで、見分けることができます。
同類の魂は、言葉も、身も、似たような表現をするのです。
ですから、表現を見たら、魂の熟成度が分かるのです。
どんなに、繕っても、繕い切れるものではありません。
神は、このように、表現の仕方で、魂の成熟度が分かるようにしてくれているのです。
真実を求めている人に捧げるメロディ「限りなく美しく」
2024.04.26
私たちは、この地球と言う惑星で、日々、厳しい人生体験をさせられています。
昨日も、厳しい一日でした。
今日も、厳しい一日でした。
明日も、また、厳しい一日が、やってくるかも知れません。
でも、その厳しい一日一日が、私たちを成長させてくれるのです。
神のなされることは、完全です。
神は、絶対、無駄なことをさせません。
人の目に、失敗に見えることでも、それは、失敗ではなく、成功なのです。
なぜなら、傷を負った皮膚が強くなるように、失敗した者ほど、強くなるからです。
体験は、宝です。どんな苦しい体験も、どんな厭な体験も、どんな辛い体験も、みな、進化成長に必要なのです。
昨日よりも、今日・・今日よりも、明日・・ 明日よりも、明後日・・体験した分、間違いなく、成長するのです。
今日も、厳しい一日だったけれども、必ず、成長している。
そう、自分に言い聞かせ、生きてください 。
どうしても、心が落ち着かない時には、星空を見てください。
美しい星々が、あなたの心を癒してくれるでしょう!
夜空を仰ぎ見ると、青い星や、赤い星や、黄色い星など、たくさんの星々が輝いています。
その星々を見ていると、なぜか、郷愁の思いが湧いてきます。
これは、私だけでしょうか?
皆さんも、そうだと思います。
それは、私たちが、宇宙から生まれた、宇宙子だからです。
時々、星空を見てください! 何とも言えない、幸福感に満たされると思います。
人生を考えるメロディ「星の願い!」
2024.04.27
【少し難しい話】
「私」が、存在できるのは、造り主である意識が有るからです。
造り主である意識が無かったら、「私」は、存在しないのです。
今、「私」と思えている「私」は、造り主である意識によって創られた「架空の私」なのです。
造り主である意識は、実在ですが、「架空の私」は、実在しないのです。
でも、「架空の私」がいなければ、造り主である意識は、存在できないのですから、造り主である意識と「架空の私」は、同等の価値があるのです。
造り主である意識が、「架空の私」を創り、その「架空の私」に認められることによって、 造り主である意識が存在できている・・何とも皮肉な話です。
意識が有るから、意識が有るのです。意識が無かったら、意識は無いのです。
認める意識が無かったら、認められる意識は、無いからです。
と言うことは、認める意識と認められる意識は、一つである、と言うことです。
この宇宙に、意識は、一つしかないけれど、二つに分けなかったら、意識が認められないので、二つに分けたのです。
だから、意識は、二つあるようで一つであり、一つあるようで二つある、と言うことになるのです。
つまり、自我の意識があるから、真我の意識があり、真我の意識があるから、自我意識がある、と言うことになるのです。
意識を存在させるためには、意識が必要であり、その意識を存在させるためには、また、意識が必要であり、その意識を存在させるためには、また、意識が必要であり、と・・・、 この話しは、永遠に続くのです。
それが、原因無き原因の起源なのです。卵が先か? 鶏が先か? の話しと同じです。
要するに、原因が無いと言うことは、宇宙は、解らないと言うことです。
意識が解らないから、宇宙が解らないのです。
意識が解らないから、神が解らないのです。
意識が解らないから、本当の自分が解らないのです。
でも、解らないから、宇宙が存在でき、神が存在でき、本当の自分が存在できるのですから、解らないで良いのです。
【簡単な話】
自分の意識があるから、自分が存在できるのです。
自分の意識が無かったら、自分は勿論、お父さんも、お母さんも、妻も、子供も、 大工さんも、電気屋さんも、水道屋さんも、誰も、存在できないのです。
認める自分の意識が無かったら、「何も無い!」と言う、こんな単純で簡単な話、どうして、科学者が解らないのでしょうか?
学びの友の皆さんは、解かっていただけると思います。
2024.04.28
病気と言うものは、実に、不可解です。
例えば、
同じ肉体構造をしている人間なのに、どうして、このような、差が出るのでしょうか?
これは、心が関係していると考えなければ、解けない謎です。
そうです! 全て、心(想念)が関与しているのです。
その証拠は、たくさん、ありますが、 例えば・・、
自然界の動物たちに、病気がなく、人間界で飼っている動物たちに、病気があるのは、人間の悪想念が関与しているからです。
「気持ちが、たるんでいるから、風邪を引くんだ!」と、昔の人たちは、よく、言いましたが、その通りです。
緊張感を持っていたら、風邪なんか引きません。
弱気、 心配、恐怖、妄想などの悪想念が、病気にしているのです。
第一、 人間社会で争いごとが絶えないのは、 人を、憎んだり、恨んだりし合っているからでは、ありませんか?
地球の温暖化が進んだのも、欲望を膨らませたからでは、ありませんか?
こんなに、はっきりした証拠があるのに、未だに、人類は、気づいていないのです。
これまで、人類は、膨大な研究費をかけ、病気の原因を探ってきましたが、まだ、はっきりとした原因が掴めていません。
それは、人間の心(想念)を研究していないからです。
病気の原因は、全て、人類の「身・口・意」の誤用から生まれたのです。
ですから、「身・口・意」を正さない限り、病気は、無くならないのです。
病気は、見えないものから生まれたのですから、見えないものを研究しなくては、 原因を掴むことはできないのです。
見えないものとは、意識です。想念です。心です。
科学者も、医学者も、見えない心を研究して欲しいと思います。
どうして、人間社会には、不可解な病気が、たくさん、有るのでしょうか?
それは、病気が、不可解であればあるほど、人間は、疑問を持つようになるからです。
神は、疑問を持ってもらうために、人類に、不可解な病気を与えたのです。
そのことに、気づくまでは、万能の薬も、完全な治療方法も、発見できないでしょう!
真の科学は、 物質科学と精神科学が融合した、法科学でなくてはなりません。
物質科学は、片手落ちの幼い科学なのです。
なぜなら、見える結果だけ研究し、見えない原因を研究しないからです。
それは、手の「表」だけを認め、「裏」を認めないようなものです。
「手」は、表と裏が揃って、「手」になるのです。
真の科学は、見えない原因を探る科学でなくてはなりません。
見えるものは、すべて、結果です。
どんなに、幻(結果)を研究しても、真実 (原因)は、発見できないのです。
2024.04.29
この宇宙は、相対と絶対が、対になって存在しています。
相対がなければ、絶対がありません。絶対がなければ、相対がありません。
と言うことは、人間がいなければ、神がいないし、神がいなければ、人間も存在しない、と言うことです。
神(絶対・意識)と、人間(相対・物質)は、切り離せないのです。
どちらが無くても、どちらも無いのです。
だから、私は、この宇宙は、平等にできている、と言うのです。
でも、実在しているのは、
ですから、無い「相対」に惑わされ、「絶対」が動いたら、それは、実在したことになるのです。
つまり、無い物質に惑わされ、意識(心)が動いたら、実在したことになるのです。
この世は、幻です。
私たちの五官で感じているものは、全て、存在しないものです。
でも、その存在しない幻に、心が惑わされたら、幻は、存在したことになるのです。
瞑想は、真実感を濃くし、現実感を薄めてくれます。
現実感が薄まれば、心を痛めなくなります。
そうなると、心配しなくなります。この世の事に惑わされなくなります。
瞑想をしている、学びの友の皆さんは、知らないうちに、そうなっています。
自覚していないかも知れませんが、間違いなく、そうなっています。
これは、私が、保証します。
どうか、瞑想を続けてください !
2024.04.30