私が嬉しいのは、この宇宙が、きっちりとした法の下に、管理運営されている点です。
この表現宇宙に、
ですから、法に従順に生きたら、お金をかけて、自分を守る必要がないのです。
なぜなら、法則が、自分を守ってくれるからです。
神様は、何と素晴らしい仕組みを、創ってくれたことでしょう!
神様って、本当に、すごいです。
神様は、無限の先の先を読んで、私たちを、進化成長へ運んでくれているのです。
その計画は、それは、それは、完璧です。
それを知ったら、もう、神様に逆らうことはできません。
ただ、ただ、神様に頭を垂れるだけです。
神様に逆らっても、無駄です。痛い目に遭うだけです。
痛い目に遭いたくなかったら、神様に従順に生きることです。
そしたら、神様は、私たちを、行くべきところへ運んでくれます。
私たちが、やるべきことは、人事を尽くすこと・・ つまり、今、やるべきことを、精いっぱい、やることです。
何が起きても、嫌だなっ!て、思わないでください。
嫌だなって、思うこと自体、神様を信じないことになるのですから・・・、
神様は、嫌なことの中に、進化成長を織り込んでいるのです。
さあ! 嫌なことがきたら、成長できるチャンスだと思い、果敢に挑戦してください 。
ただし、中庸の見極めはしてください。
2024.01.01
「思わなかったら、何も生まれない!」
「思ったことは、何でも生まれる!」
この二つの言葉を、私は、全人類に言いたいと思います。
特に、科学者には、声を大にして言いたいと思います。
思いが、何でも実現させるのです。
「意・口・身」です。
この宇宙は、思いが全てなのです。
その思いを、私たちは、持っているのですから、私たちは、何でも実現させることができるのです。
科学者が、この事を知り、 全人類に周知させることができたら、今、起きてる、諸々の不幸は、無くなってしまうでしょう。
それほど、想念の力は、偉大なのです。
一人でも多くの人が、このことを知って欲しいと思います。
学びの友の中に、「真理を知らなかった方が、幸せだったのではないか?」と、思っている人がいるかも知れません。本当に、そうでしょうか?
もし、真理から離れたら、あなたは、今以上に、苦しむでしょう。
なぜなら、あなたは、真実を知るために、生れてきたからです。
諦めましょう!
あなたは、「真理を知るのが苦しい!」と、思えるところまで成長した魂なのですから・・・。
あなたが、やるべきことは、今、やれることを、精いっぱいやること・・、
そして、できるだけ、瞑想をすることです。
そのように生きていれば、必ず、「真理を知って良かった!」と、思える日が、やってくるでしょう。
2024.01.02
私たちの意識は、神と同じ一本の意識の糸です。
糸の下に意識を持っていけば、人間意識になり、上に持っていけば、神意識になるだけです。
幸せになりたかったら、意識を、常に上に持っていくことです。
それは、何処へ行く必要も、お金をかける必要も、誰を頼る必要も、ないのです。
自分が、自分の意識の中で、やればいいだけです。
無くなるもののことを、考えることほど、愚かなことは、ありません。
なぜなら、無くなるものは、幻だからです。
幻のことを考え、何が得られると言うのでしょうか? 時間の無駄です。
時間の無駄どころか、不幸を呼び込んでしまいます。
そんな愚かなことを、今、全人類が、やっているのです。
人間は、自分で生きていると思っていますが、本当に、自分で生きているのでしょうか?
あなたの心臓は、あなたが、動かしているのでしょうか?
食べた物は、あなたが、消化させているのでしょうか?
爪や髪の毛は、あなたが、作ったのでしょうか?
人間は、生きているのではなく、生かされているのです。生命によって・・・。
2024.01.03
私たちは、孤独ではありません。
なぜなら、自分の中に、無限の自分が存在するからです。
そう言えるのは 、私は、いつも、無限の自分と交わっているからです。
無限の自分の中に、自分が居るのです。
これは、現象の世界においても同じです。
全てのものの中に、自分がいるのです。
ですから、私は、 孤独ではないのです。
自分の中に、自我の自分と、真我の自分の、二人の自分がいるのです。
その二人の自分は、切っても、切れない、間柄なのです。
どちらが無くても、どちらも無いのです。
でも、本当の自分を、見つけようとしても、隠れていて、見つけられないのです。
なぜか? それは、真我の自分は、無限だからです。
しかし、その隠れて見えない真我の自分と、自我の自分がタッグを組んで、幸せの国に向かうのです。
新・光のメロディ「二人の自分」
あなたが、いなければ、 私は、いません。
私が、いなければ、 あなたも、いません。
あなたと私は、どこまでも、一緒なのです。
あなたは、私であり、 私は、あなた だからです。
神が、いなければ、 私は、いません。
私が、いなければ、 神も、いません 。
神と私は、どこまでも、一緒なのです。
神は、私であり、 私は、神だからです。
2024.01.04
神の正体は、永遠に分かりません。
でも、神が何を意図しているかは、表現宇宙を見れば、分かります。
ご覧なさい!
一糸乱れず運行を続ける星々を・・・、 美しく光り輝いている大宇宙を・・・。
実に、見事です。
神は、大宇宙に、真善美を輝かせようとしているのです。
と言うことは、地球人類も、真善美に適ったものを創らなければならない、と言うことです。
でも、今の地球人類は、醜いものを作っています。
それは、自分が何なのか知らないからです。
残念なことですが、肉体を自分だと思っている限り、真善美を輝かせることはできないのです。
この宇宙は、目には見えないけれど、意図と意思を持った存在者によって、導かれております。
その存在者は、私たちの中にも、全てのモノの中にも、おられるのです。
宇宙そのものが、意図と意思を持った存在者なのです。
その存在者は、全てのモノを、真善美へ運んでおります。
ですから、真善美に逆らうようなことをすれば、必ず、苦しみが、やってくるのです。
今、人類が苦しんでいるのは、逆らうようなことをしているからです。
でも、いつか、必ず、過ちに気づきます。
美しい絵は、いっぺんには、できないのです。
少しずつ、少しずつ、美しい絵になってゆくのです。
2024.01.05
神(意識)を知るには、どうしたら、いいのでしょうか?
神(意識)は、単独では、表現世界に、降りて来られません。
何かの表現物を通してしか、降りて来られないのです。
と言うことは、表現物の中には、みな、神がおられる、と言うことです。
神は、全ての全て、有りて有るものです。
この表現世界に存在する、全てのものは、神の化身です。
ですから、神を知りたければ、表現物を知れば良いのです。
つまり、人間を知れば良いのです。
神を知る、こんな簡単な方法があったのです。
「神は、全ての全て、有りて有るもの」とは、「自分は、全ての全て、有りて有るもの」と言う意味です。
すなわち・・
全て、神である、と言う意味です。
その神を知るには、自分の意識の中に潜ればいいのです。
いかに、自分が神であると思えるかが、 勝負です。
心の底で思えるようになったら 、自分が変わります。変性変容が起きるのです。
確かなもの・・・
この宇宙に、確かなものがあるとしたら、
それは、たった一つ・・自分の魂(意識)だけです。
この自分の魂(意識)だけは、絶対に無くならない、確かなものです。
あなたが、確実にできることは、自分の魂を大きくすることだけです。
外側のものを、どんなに、成長させたいと思っても、できません。
なぜなら、外側のものは、みな、幻だからです。
やれないことを、やるのではなく、やれることを、やってください。
2024.01.06
暗い所に、ゴキブリやネズミが、発生するように、暗い人の心の中に、病気は、発生します。
病気は、光の無い状態なのです。
どうか、「光り人」になってください!
それは、想念を明るく使ったらなれるのです。
神を否定する者は、光を否定するものです。
その者のところには、闇が・・病気が・・事故災難が・・訪れます。
神を肯定してください 。神を想うだけでいいのです。
想った瞬間から、あなたの人生は、変わります。
人が、苦しみながら、生きる意味は、原子核を増やし、成長するためです。
苦しいことが、やってきたら、 この苦しみは、自分を大きくしてくれる、と思ってください。
2024.01.07
私たちは、思えます。どうして、思えるのでしょうか?
思わさせているものがいるから、 思えるのではないでしょうか?
では、思わさせているものって、何でしょうか?
それは、真我(神我)です。
真我が思わさせているから、自我が思えるのです。
本来、思いは、一つしかないのですが、今の地球人類は、自我と真我が乖離しているため、二つの思いに、分かれているのです。
でも、自覚の境界線を超えたら、自我と真我が、一つになるので、思いは、一つになるのです。
自我の思いが勝っている時には、欲望的で感情的な思いが、強く湧いてきます。
真我の思いが勝っている時には、理性的で知性的な思いが、強く湧いてきます。
殆んどの人は、自我の思いが勝っているために、欲望的で感情的な生き方をしているのです。
思えている自我は、後で結果です。思わさせている真我は、先で原因です。
でも、結果が強い力を持つと、結果と原因は、一つになり、どちらが先で、どちらが後か、分からなくなるのです。
一般人の思いは、そういう状態なのです。
しかし、原子核が増え、自覚の境界線を超えれば、思えている自分と、思わさせている自分は、一つになります。
一つになった状態を 自覚の境界線を超えた人、つまり、神人と言っているのです 。
2024.01.08
私たちは、「思っている通りのもので、それ、以上でも、以下でもない!」のです。
つまり、人間と思えば、人間になり、神と思えば、神になるのです。
思いそのものが、神ですから、思えば、創造の力によって、そのものになるのです。
そのものになれるのは、思わせている意識が、理念・ビジョン・光・力・素材など、創造の全てを備えているからです。
人間は、神と同じ意識を持っているのですから、神と同じように思えば、何にでもなれるのです。
空気と想えば、空気になり、
水と想えば、水になり、
土と想えば、土になり、
植物と想えば、植物になり、
動物と想えば、動物になり、
人間と想えば、人間になるのです。
思っている通りのもので、それ、以上でも、以下でもないということは、幸せと思ったら、幸せになるし、不幸と思ったら、不幸になるということです。
ただし、この物質世界は、波動が粗いので、思っても、すぐには、実現しません。
でも、幽界のように、精妙な波動の世界では、思ったら、即、実現するのです。
神が、自分の思いによって、宇宙を創造し、宇宙そのものになったように、神は、自分の思いによって、人間を創造し、人間そのものになったのです。
だから、私たちは、神なのです。
思っている通りのもので、それ、以上でも、以下でもないならば、神を思おうではありませんか?
神を想うのに、1円のお金もかかりません。どこへ行く必要もありません。
また、神を想っている時には、他の事が思えませんから、業を作りません。
勿論、原子核が増えます。
このように、神を想えば、良いことばかりが起きるのです。
御利益を望んではいけませんが、そういう功徳があることを、心の片隅にでも持っていたら、励みになるでしょう。
2024.01.09
確かなものとは、何か?
それは、永遠に変わらないもの・・永遠に無くならないもの・・、
それを、真理とも言い、神とも言い、原子核(魂)とも言います。
この世のどんな物を得ても、必ず、無くなる、不確かなものです。
しかし、原子核(神・魂)は、絶対、無くならない、確かなものです。
確かなものを、得るべきか? 不確かなものを、得るべきか?
賢い、あなたなら、分ってもらえるはずです。
人生を考えるメロディー「確かなもの」
人が死ぬのは、100%、間違いないことです。
なのに、どうして、人は、たくさんの物を、欲しがるのでしょうか?
それは、「本当の自分は、永遠に死なない!」と言うことを、本能的に知っているからではないでしょうか?
死んでお終いだと、本当に思ったら、たくさんの物を、欲しがるわけがないのです。
自分の影を踏むことは、絶対できません。でも、相手の影を踏むことは、できます。
自分を知ることは、絶対できません。でも、相手を知ることは、できます。
他人の影を踏むことによって、自分の影を踏むことができる。
相手を知ることによって、自分を知ることができる。
この仕組みの、何と素晴らしいこと・・ 全能の神ならでの仕組みです。
2024.01.10
神は、人類に、必要以上の五感を与えておりません。
必要なものが見え、必要なものが聞こえるようにしてくれているのです。
犬の鼻は、微妙な匂いも嗅ぎわけることができる、と言います。
猫は、幽霊が見える、と言います。
霊能者も、幽霊が見えたり、声が聞こえたりする、と言います。
もし、そのような、目や、耳や、鼻を、持たされたら、私たちは、まともに、生きられるでしょうか?
何かが見えるから、何かが聞こえるから、意識が高いのではないのです。
意識の高い人は、何も見えない、何も聞こえない、常識人です。
どうか、常識人でいてください。
この世は、夢幻です。 幽界も、夢幻です。 幻覚も、夢幻です。
五感で感じるものは、全て、夢幻なのです。
あなたは、毎日、夢幻を見ているのです。
見過ぎて、もう飽き飽きしてるのでは、ありませんか?
なのに、まだ、見足りないのですか?
見えないことが、幸いなのです。
聞こえないことが、幸いなのです。
私たちに、必要なのは、幸せです。
本当の幸せは、見えたり、聞こえたり、するものではないのです。
見えるものは、幻です。 見えないものは、真実です。
私たちは、毎日、幻を見ているのです。
これでは、幻に惑わされてしまいます。
なぜ、瞑想が必要かと言いますと、真実を思い続ければ、幻に惑わされないようになるからです。
出来るだけ、真実を見る(思う)ようにしてください。
真実を見るには、目をつぶることです。
目をつぶると、何も見えなくなりますが、それが真実を見ていることになるのです。
目をつぶってください ! 見えないものが見えます。
その見えないものが、自分だと思ってください!
私は、見えないものだ!
私は、見えないものだ!
私は、見えないものだ!
これが、瞑想です 。
神とか、生命とか、意識とか、光とかを、マントラにしている人が多いと思いますが、「私は、見えないものだ!」も、マントラの一つなのです。
2024.01.11
意識が無かったら、どんなに幸せでしょうか!
何せ、 苦しいことも、悲しいことも、痛いことも、体験しないですむのですからね!
勿論、楽しいことも、嬉しいことも、体験できませんが・・・。
しかし、 幸いなことに?・・(残念なことかも知れません?・・)
意識は、絶対に、無くすことは、できないのです。
なぜなら、意識は、人(肉体)に属するものでなく、宇宙に属するものだからです。
第一、意識が無かったら、「意識が無かったら、どんなに幸せか?」 と言うことさえ、思えないのですから・・・。
このように、意識は、絶対に、無くすことが、できないのです。
ならば、意識を、どうすべきでしょうか?
幸せの中に、置くべきでしょう!
それは、 想念のコントロールによって、できるのです。
「想念が人生の全てを牛耳っている!」、と言っても、過言ではないほど、私たちの想念は、偉大なのです。
このことを、学んでいる皆さんに、もう少し深く知ってもらいたいのです。
一般の人は、良いのです。苦しむことで、魂を成長させることができるのですから、想いたい放題のことを思っても・・・。
でも、皆さんは、もう、そこを通り過ぎた、魂なのです。
皆さんの最終的学びは、想念のコントロールです。
2024.01.12
私たちは、今日まで、欲望のコントロールと、感情のコントロールと、最終目標である、想念のコントロールの、勉強をやってきました。
欲望と感情のコントロールは、おおよそ、学び終えました。
でも、想念のコントロールは、なかなか、難しいのです。
なぜなら、 雑念が湧くような脳を、持たされているからです。
でも、これは、神の愛なのです。
神は、人類に、 二つの特別な脳を与えてくださいました。
一つ目の雑念が湧く脳が必要なのは、飛んでいる雑念を集めるところに、瞑想の意義があるからです。
二つ目の脳が必要なのは、業を作らないようにするためです。
神を思っている時は、 この世のことが思えないので、業を作らないで済むのです。
この脳の特性を利用し、想念のコントロールをしましょう。
2024.01.13
私たちは、一体、何を知るべきでしょうか?
見えるものでしょうか? 見えないモノでしょうか?
見えないモノを、知るべきです。
なぜなら、見えないモノが、真実だからです。
しかし、見えないモノは、隠されていて、知ることができません。
では、どうしたら、知ることができるのでしょうか?
それは、人間を知ればいいのです。
なぜなら、人間は、見えないモノによって創られているからです。
と言っても、完全に知ることはできません。
人間を深く知った分の、見えないモノが、知れるだけです。
「人間を深く知った分」という意味は、形を深く知る、という意味ではありません。
人間を、生かし、動かし、働かしている、見えない正体を深く知る、という意味です。
人間を、生かしている、見えない正体とは、何でしょうか?
それは、意識です。
では、その意識は、何なのでしょうか? 何処から、生まれたのでしょうか?
それが、解らないのです。
その解らない意識を、人間は、持っています。
と言うことは、人間は、解らない存在である、と言うことです。
人間は、意識そのものなのです。
形も、意識から生まれ、
魂も、意識から生まれ、
心も、意識から生まれ、
想念も、意識から生まれたからです。
それだけ分かっていながら、意識の正体が解らないのです。
何とも不思議だと思いませんか?
2024.01.14
人間は、創られたものです。
創られたものは、造り主に従順でなくてはなりません。
従順であれば、幸せに生きられるようになっているからです。
私が嬉しいのは、そのことなのです。
法則は、完全です。ゆえに、偶然は、ありません。
「悪いことをして、良いことが返ることがない !」
「良いことをして、悪いことが返ることがない!」
この法則の完全性があるから、私たちは、安心して生きられるのです。
このことを、一般の人にも、知って欲しいと思います。
知ったら、どれほど、安心して生きられることでしょう?・・・。
それでも、心が、ざわめく時は、次のように思ってください 。
「心が、安らぎと、平安で、満たされますように!」
「心が、安らぎと、平安で、満たされますように!」
「心が、安らぎと、平安で、満たされますように!」
と、 三度ほど、思ってください!
きっと、心が、安らぐことでしょう!
光のメロディー 「神を想う!」
2024.01.15
神は、探っても、探っても、知ることはできません。
なぜ、知ることができないかと言いますと、神には、姿形がないからです。
その知りようのない神のことを、仏と呼んだり、意識と呼んだり、光と呼んだり、生命と呼んだり、しているだけです。
知りようのない神ではありますが、畏れ多い存在でもありません。
なぜなら、神は、どこにでも、おられるからです。
空気も、水も、土も、菌も、虫も、植物も、動物も、人間も、全て、神です。
神は、私たちの親なのです。
その親に、そっぽを向いている人の多いこと・・何と親不孝なのでしょうか!
真理を学んでる、私たちだけでも、神に顔を向けましょう。
私が存在してると、思えるのは、私と思える意識があるからです。
私の意識がなかったら、たとえ、私がいても、私は、いないのです。
私の意識が、私を存在させているのです。
と言うことは、私は、神ではありませんか?
なぜなら、神は、意識そのものだからです。
本当に、大事なものは、隠れて、見えないのです。
大事でないものは、あからさまに、見えるのです。
なぜ、神は、そのような仕組みを創られたかと言いますと、真理に目覚めて欲しいからです。
人は、大事なものが、目の前から消えると、大ショックを受けます。
その大ショックが、神に顔を向けさすのです。
人の死は、真理を求める、きっかけになるのです。
2024.01.16
あなたは、先ほどまで、一体、何を考えていたでしょうか?
今、何を考えているでしょうか ?
そして、これから、何を考えるのでしょうか?
この世のことでしょうか? 神のことでしょうか?
この世のことを考るなら、あなたは、死人になります。
神のことを考えるなら、あなたは、生人になります。
なぜなら、この世のことは、幻で、神のことは、真実だからです。
あなたは、死人になりたいのですか? 生人になりたいのですか?
それは、自分がいるからではないでしょうか?
それは、自分がいるからではないでしょうか?
それは、自分がいるからではないでしょうか?
それは、自分がいるからではないでしょうか?
この問答は、いつまで続くのでしょうか?
人は、有るもののことを思っているのでしょうか? 無いもののことを思っているのでしょうか?
殆んどの人が、無いもののことを思っているのです。
無いもののことを思っている人は、想念を無駄に使っているのです。
有るもののことを思ってる人は、想念を有益に使っているのです。
学んでいる皆さんだけでも、想念を有益に使ってください!
有るものとは、神(皆さんのマントラ)です。
どうか・・、
神を想い続けてください!
神を想い続けてください!
神を想い続けてください!
2024.01.17
真剣に神を求めていたら、何も思い煩うことはありません。
神は、必ず、良きように計らってくれます。
「真剣に神を求めていたら!」と言う意味は、「法則に従順に生きたら!」と言う意味です。
「法則に従順に生きたら!」と言う意味は、「良い想念を持って生きたら!」と言う意味です。
悪想念を持ちながら、幸せになりたいと願うのは、虫が良すぎる、と言うものです。
難しいことをする必要はないのです。ただ、良いことを想えばいいだけです。
良い想いの一番は、神を想うことです。それは、瞑想をしたら良い、と言うことです。
神に従順に生きましょう!
私たちの中に、神が、おられるのですから、神が、何でも、ご存知なのは、当然です。
なのに、私たちは、悪いことを想い、悪い言葉を使い、悪い行為をします。
自分の前で悪いことをするのですから、裁かれないはずはないのです。
私たちは、何かして、幸せになるのではないのです。
「身口意」を正せば、幸せになれるのです。
すなわち、良い想いを持ち、良い言葉を使い、良い行為をすれば、幸せになれるのです。
神に従順に生きましょう! とは、そう言う意味なのです。
神を真剣に求めているのに、「悪いことが起きた」と言う人がおります。
それは、生半可に神を求めていたか?、過去世の業が消えている姿か? の、どちらかです。
生半可に神を求めていた、と言う意味は、いい加減な想念の使い方をしていた、と言う意味です。
過去世の業が消えている場合は、「これは、業が消えているのだから、良いことだ!」と思い、決して、業を掴まないことです。
掴んで、苦しめば、新たな業を作ることになります。
痛み・苦しみは、業の消えている姿ですから、放っておいたらいいのです。
どうしても、気になる場合は、神を想うことです。
神を想っていたら、他の事は、考えられないのですから、業を作らないで済むのです。
2024.01.18
肉体が想念を生み出すなら、肉体を自分だと思っても、仕方がないでしょう。
でも、想念を生み出しているのは、意識なのです。
なぜなら、意識が魂を生み出し、魂が心を生み出し、心が想念を生み出しているからです。
意識が自分で、肉体は、単なる意識の乗り物に過ぎないのです。
ならば、何を大切にすべきでしょうか? 意識ではないでしょうか?
「言葉・肉体」は、見える世界に属するものです。
「意識」は、見えない世界に属するものです。
「言葉・肉体」は、見えないモノから生まれたのです。
だから、見えない「意識」が、実在で、「言葉・肉体」は、非実在なのです。
人生は、「意識」の自分を知るためにあるのです。
意識の自分を知るためには、何度も、何度も、輪廻転生を繰り返し、原子核を大きくする必要があるのです。
私たちは、その真っ最中にあるのです。
人生の扉・・・
赤ちゃんの誕生! それは、人生の扉が、開かれた瞬間です。
人の死! それは、人生の扉が、閉じられた瞬間です。
産まれた赤ちゃんを見る度に、私は、思うのです。
この赤ちゃんは、これから、どんな人生を、歩んでいくのだろうか?と・・・。
また、死んでゆく老人を見る度に、
この老人は、今日まで、どんな人生を、歩んできたのだろうか?と・・・。
皆さんは、今日まで、どんな人生を、歩んできましたか?
そして、今後、どんな人生を、歩んでゆくのですか?
せっかくの人生・・悔いのない人生を、歩みたいものです。
『人生の扉』
2024.01.19
人類の歴史を振り返ってみると、数千年間は、人力や畜力による、ソフトな文明でした。
ハードな機械文明が発達したのは、わずか 4・5 百年前からです。
特に、この100年間に至っては、右肩上りで、物質文明が発達しています。
人類は、今の勢いで、物質文明が発達すると、思っているようですが、そんなことは、ありません。
なぜなら、心をないがしろにした物質文明は、必ず、崩壊するようになっているからです。
私は、ネガティブで、言っているのではありません。むしろ、ポジティブで、言っているのです。
新しいものを作るには、古いものを壊さなければならないからです。
要するに、スクラップ アンド ビルド です。
精神文明が起るには、物質文明が壊れなければならない! ということです。
今の地球の現状を見ると、いつ、文明崩壊が起きても、おかしくありません。
それは、今日、やって来るかもしれません。明日、やって来るかもしれません。
誰にも、分からないのです。それほど、切羽詰まっているのです。
ですから、いつ、文明崩壊が、やってきても良いように、心の準備をしておかなければなりません。
毎日、多くの人たちが、死んで行っておりますが、一人一人の死が、文明崩壊なのです。
地震や津波で死んだ人は、地球の最後の日が来たと、思っているかもしれません。
死んでゆく人には、状況が分からないのです。
学んでいる皆さんだから言うのですが、 肉体の死を恐れてはなりません。
むしろ、喜んでください! 肉の牢獄から出られるのですから・・・。
この世は、夢幻の世界です。肉体の死は、夢から醒めた状態なのです。
私たちの意識は、永遠に、死ぬことがないのですから、安心して、真我に、任せたら良いのです。
私たちは、一体、何処に行くのでしょうか?
人類は、一体、何処に行くのでしょうか?
心配いりません。神は、ちゃんと、行くべきところに、運んでくれます。
神の計画は、万全です。
だからと言って、何もしないで良いと、言っているわけではありません。
今、やれることを、精いっぱい、やることです。
今、やれることとは、
そして、時間の許す限り、真心をもって、瞑想をすることです。
光のメロディ「人類は何処ヘ行く」
どうか、地球のために、瞑想してください!!
2024.01.20
宇宙には、たくさんの星が輝いています。明るく輝いている光は、恒星です。
その恒星の周りには、惑星や衛星などが回っています。
人類が住んでいるのは、この惑星です。
エイリアンによって侵略される映画がありますが、UFOが飛ばせるようになった星人は、他の星を侵略するようなことはしません。
それどころか、幼い星の人たちを、温かく見守ってくれています。
地球も、見守られています。
彼らは、全ての人類が、同じ兄妹姉妹であることを知っているからです。
彼らは、神を認め、意識を認め、魂を認め、想念の偉大さを認めています。
その星の科学は、物質科学ではありません。意識科学です。
また、経済も、資本主義経済ではありません。人の善意を動力源とした、奉仕経済です。お金がありませんから、欲を募らす人は、一人もおりません。
ですから、皆、仲良く暮らしております。
今、地球人類は、経済成長! 経済成長!と、経済成長に躍起になっておりますが、経済が成長すれば、幸せな人が多くなるはずなのに、逆に、不幸せな人が多くなっております。
これ全て、資本主義経済の欠陥から生まれた不幸なのです。
人類は、いつになったら、そのことに、気付くのでしょうか?
私は、理想の経済システム(奉仕経済)を、インターネットで発表していますが、もし、その経済が採用されたら、一切の不幸は、無くなってしまうでしょう。
夜空に輝いている星だけが、星ではないのです。意識核一つ一つが、星なのです。
と言うことは、
鉱物も、星です。
植物も、星です。
動物も、星です。
人間も、星です。
意識核で創られている、全てのものが、星なのです。
私たちは、いずれ、実際に、星の中に入って、輝く存在になるのです。
どうか、地球のために、瞑想してください!
それは、自分のためにもなるのですから・・・
新・光のメロディ「私は星」
2024.01.21
今の世界の現状を見てください!
毎日、殺人、強盗、事故、病気、自殺、自然災害などが、頻発しています。
国際間の紛争も多くなっています。各地で内戦も続いております。
独裁者が、国民を武力で押さえつける国も多くなっています。
経済的にも、貧富の差が広がり、庶民の不満が噴出しています。
加えて、コロナウイルスの蔓延によって、人々の苛立ちは、最高点に達しています。
今、地球の現状は、病気で言えば、癌の末期状態にあると言っても過言ではないでしょう。・・ 今のままで進めば、人類は、どうなってしまうでしょうか?
光のメロディ「地球の願い」
地球環境の汚染が進んでいます。人心の荒廃が進んでいます。
どちらも、資本主義経済が抱える欠点なのです。
資本主義経済は、成長を続けなければ、やっていけない仕組みですから、どうしても、人の欲望を刺激しなければなりません。
人の欲望を刺激すれば、経済は拡大するでしょうが、地球環境の汚染が進むし、人心の荒廃も進むでしょう。
北極圏では、氷が、どんどん、解けています。
シベリアの永久凍土が解け出し、陥没が起きています。
気象異常が、どんどん、拡大しています。
森林火災が、あちら、こちらで、起きています。
地震も、頻繁しています。
このまま進めば、地球は、大変なことになってしまうでしょう。
光のメロディ「地球は泣いている」
どうか、地球のために瞑想してください!!
2024.01.22
神は、姿形がないので、見ることも、触ることも、できません。
でも、見たいと思ったら、「真・善・美」を通して、見ることができるのです。
真なるもの・・ 善なるもの ・・美しいものは・・ 間違いなく、神の化身なのです。
しかし、偽なるもの、悪なるもの、醜なるものも、神の化身です。
なぜなら、光と闇は、二つで一つだからです。
私たちは、毎日、神を見ているのです。いいえ、いつも、神を見ているのです。
なぜなら、全てのモノの中に、神が、おられるからです。
山も神です。海も神です。砂漠も神です。空気も神です。水も神です。火も神です。あらゆるものが、神なのです。
あなたの妻(夫)の中にも、親の中にも、子の中にも、神が、おられるのです。
私たちは、そこら中に、神を見ているのです。
2024.01.23
『神』
神って、本当にいるのでしょうか?と、あなたは、言います。
でも、間違いなく、神って、いるのです。
なぜなら、今、あなたが、いること自体、神がいる証明になっているからです。
神が、あなたに、なっているのです。
神が、あなたの妻(夫)に、なっているのです。
神が、あなたの子供に、なっているのです。
好きな人も、嫌いな人も、神の化身です。この事実を知ってください。
神を否定する人は、自分を否定する人です。
神を否定する人は、自分の妻(夫)を否定する人です。
神を否定する人は、自分の子供を否定する人です。
そんな、愚かな人に、ならないでください!
神のメロディ「あなたは神!」
神とは、何でしょうか? 永遠に、解らないのが、神なのです。
なぜ、解らないのでしょうか?
それは、見ることも、触ることも、できないからです。
しかし、神が、何を望んでいるかは、解ります。
どんな、望みかと言いますと、この宇宙を「真・善・美」で飾ることです。
私たちが、安心して生きられるのは、宇宙が 「真・善・美」で飾られているからです。
ですから、この宇宙には、何一つ、偽りも、 不善も、醜いものも、無いのです。
こんな、嬉しいことが、ありましょうか?!
あなたが、「真・善・美」に寄り添って生きたら、何も思い煩うことはありません。
安心です。安泰です。ちゃんと、行くべきところに、運んでくれます。
行くべきところとは、天国です。そのことを、疑ってはなりません。
なぜ、疑ってはならないかと言いますと、神の心は、広く、大きいからです。
神は、自分を信じない者であっても、天国に連れていってくれるのです。
ましてや、神を信じている、あなたが、天国に連れていってもらえないはずが、ありません。
この宇宙は、「グー、チョキ、パー」の三すくみで、出来ております。
グーは、パーに勝てません。
チョキは、グーに勝てません。
パーは、チョキに勝てません。
グーも、チョキも、パー も、単独では、存在できないのです。
三つ揃って、存在できるのです。
つまり、人間と、神人と、神が、揃って、三者が存在できる、と言うことです。
三位(身)一体 は、宇宙の基本の姿なのです。
2024.01.24
私たちは、光の世界から出てきた、光の子です。
ゆえに、いつか、光の世界に帰らねばなりません。
帰るためには、出来るだけ、原子核を、大きくしなければならないわけですが、それは、瞑想によって、できるのです。
瞑想を強めてゆくと、自分が光ってきますが、その光は、ピカッ!と光る、光ではありません。明るい光です。爽やかな光です。気持ちの良い光です。
ピカッと光る光は、物質界の光です。ギラギラと光る光は、幽界の光です。
どちらも、粗い現象の光です。
しかし、瞑想で体験する光は、精妙な真実の光です。
私たちは、真実の光に覆われて、光の世界に帰るのです。
明るいところの、好きな人になってください。
光は、善です。正義です。完全です。万能です。
ですから、光が多ければ、悪いことの起きようがないのです。
私たちは、光の世界から出てきた、光の子なのです。
光の子ゆえに、本来、悪いことが起きるわけがないのです。
でも、私たちは、人間と誤解することによって、光を閉ざし、自ら苦しみを招いているのです。
どうか、自分は、光の子であると思ってください。
そして、常に、明るいこと、良いこと、肯定的なこと、ポジティブなことを、思うようにしてください。
そうすれば、一切、悪いことは、やってきません。
どうか、想念を上手に使ってください!
想念を上手に使う一番の方法は、瞑想することです。
2024.01.25
人間(自我人間)と言うものは、実に厄介なもので、肉体を甘やかせると、トコトン、肉体は、甘えるのです。
人間は、肉体を、可愛がりたい!、楽しませたい!、保存したい!、と言う欲望が、ものすごく、強いのです。
それは、仕方がないとしても、それを、逆手にとって、人間を堕落させる、目に見えない存在に、注意しなければならないのです。
毎日、おいしいものを食べ、享楽に耽ってみてください!
一体、人間は、どうなってしまうでしょうか? 堕落してしまうでしょう!
なぜなら、下層の幽界の波動と合致してしまうからです。
一旦、合致すると、そこから抜け出すのは、容易ではありません。
近年、地球では、その波動の影響を受けている人が、 多くなっているのです。
麻雀・パチンコ・競馬・ 競艇・カジノなど、ギャンブルに、のめり込んでいる人、夜の街を徘徊している人、ゲーム機に夢中になっている人、何もしないで家に閉じこもってる人、など、皆、その部類です。
人間は、厳しい体験をしてこそ、成長するようになっているのです。
なのに、楽しいもの、楽なもの、享楽ばかりに耽っていては、人間は、堕落してしまうのです。
私が、便利・快適・スピードアップを目指す、機械文明を良く思わないのは、そのためです。
私の子供の頃は、鉛筆をナイフで削っていました。
今は、自動鉛筆削り器の中に、押し込むだけです。
火を起こすにも、昔は、苦労したものです。
今は、ボタン一つで、火をつけることができます。
確かに、ナイフで、指を怪我することもありました。 煙りで、むせることもありました。
でも、その体験が、人を成長させてくれるのです。
楽!楽!楽! では、バカ人間になってしまうのです。
便利、快適、スピードアップ を求める文明は、白痴人間を作っているようなものなのです。
そんな、手練手管に乗ってはなりません。
学んでる皆さんだけでも、そのことに、気づいてください。
(GAFAと言われる、巨大IT企業や情報関連企業が、なぜ、巨大化しているか考えてみてください! 機械文明が、諸刃の剣であることも知ってください!)
私たちは、ギャンブルをしたり、スポーツを見に行ったり、外国旅行に行ったり、温泉地や観光地に行ったり、遊園地に行ったり、お酒を飲みに行ったり、美味しいものを食べに行ったり、観劇会に行ったり、テレビを見たり、スポーツカーを乗り回したり、コンピューター ゲームをしたりして、楽しんでいます。
なぜ、人間は、楽しみたいのでしょうか?
それは、心の虚しさを、晴らしたいためです。
幸せが欲しいためと、言ってもいいかも知れません。
でも、そう言うものからでは、真の幸せは、得られないのです。
なぜなら、幸せは、外側のもの (便利・快適・娯楽・快楽・ お金・物)が、与えてくれるのではなく、内側のモノ(心)が、与えてくれるからです。
人間は、外側の何かが、幸せを与えてくれると誤解していますが、外側のものは、本当に有るものではないのです。
だから、いくら得ても、心が満足しないのです。
でも、内側のモノは、本当に有るモノですから、心が満足するのです。
2024.01.26
基本的な「衣・食・住」の需要には、限界があります。
資本主義経済は、成長しなければ、やっていけない仕組みですから、何としても需要の喚起が必要になります。
そこに、狙いをつけたのが、人の欲望と感情を煽る手口です。
欲望と感情には、限界がありませんから、 刺激すれば、いくらでも、需要を拡大させることができるのです。
例えば、
今、人類は、便利快適を目指す産業( AI 電気産業・娯楽産業・観光産業・ΙΤ 産業、など)を、どんどん、拡大させております。
多くの人は、その誘いに乗って、お金を使っております。
これは、遊びボケさせる手口で、実に恐ろしいことなのです。
人間と言うものは、楽な方に、楽な方に、楽しい方に、楽しい方に、誘われやすいのです。
美味しいものを、見せれば、むしゃぶりつくように、食べたがるのが、人間なのです。
一旦、欲望と感情に火がつくと、手がつけられないのが、人間なのです。
どうでしょう!
毎日、楽なもの、楽しいものに、浸っていたら、堕落してしまいませんか?
この手口に、気づいている人は、殆んどいません。
気が付いた時には、人類総白痴化していることでしょう。
いや、それ以前に、人類は、滅びていることでしょう。
「衣・食・住」が満たされた後に、人間が求めるものは、楽しみです。
殆んどの人間は、その楽しみを、外側の物的なものに、求めています。
何か良いように思いますが、外側の物的な楽しみは、すぐに、飽きてしまうのです。
ですから、ますます、濃い楽しみを、追い求めるようになるのです。
その点、内側の楽しみは、穏やかな楽しみですから、永続するのです。
どうして、人間は、外側の物的な楽しみを、求めたがるのでしょうか?
それは、人生の目的を、知らないからです。
人生の目的を知った人は、内側の静かな楽しみを、求めることでしょう。
2024.01.27
愛の履き違いをしている人の、何と多いことでしょうか?
世の人々は、優しくすることが、楽させることが、愛だと思っています。
しかし、本当に、優しくすることが、楽させることが、愛なのでしょうか?
本当の愛って、その人を、弱い人間にすることでしょうか?、強い人間にすることでしょうか? 強い人間にすることですね!
鉄は、打てば、打つほど、強くなるのです。
アンは、練れば、練るほど、ツヤが出るのです。
人間も、厳しければ、厳しいほど、強くなるのです。
勿論、行き過ぎては、肉体を壊してしまうので、中庸を見極めながら、愛のムチを振わなければなりませんが、明らかに過保護と思われる愛は、避けなければならないのです。
愛の大元は、意です。 でも、意は見えません。
ですから、自分が、どれだけ愛しているかは、言葉と行為で示すしかありません。
その意味では、言葉と行為は、愛を現す道具と言って良いでしょう。
ですから、「愛」を「真心」に置き換えてください。
自分の中には、二人の自分がいるのです。
一人は、自我の自分・・、もう一人は、真我の自分です。
自我の自分は、真我の自分を、愛さなければなりません。
また、真我の自分は、自我の自分を、愛さなければなりません。
二人の自分が愛し合うことによって、真ん中の自分、すなわち、神人が誕生するのです。
愛とは、陰と陽の結合です。 女と男の結合です。メスとオスの結合です。めしべとおしべの結合です。結合すれば、そこに、必ず、子供が生まれます。
なぜ、子供が生まれるかというと、子供が生まれなかったら、愛し合っているか、どうか、分からないからです。
「神人」の誕生は、人間と神が愛し合った、結果なのです。
すなわち、人間が神を想い続けた(瞑想を続けた)、結果なのです。
あなたは、どれだけ、神を愛していますか?
まだ、神人が誕生していないなら、
それは、愛不足だからです。(瞑想時間が、少ないからです。)
2018年5月26日・2019年11月24日 修善寺塾より抜粋
2024.01.28
世の人々は、楽しみたいからと言って、 大金をはたいて、外国旅行に出かけますが、楽しみって、お金をかけ、外国に行かなければ、得られないのでしょうか?
そんなことはないと思います。楽しみは、場所や、お金に、関係ないのです。
なぜなら、楽しみは、心で感じるものだからです。
神は、一番必要な、空気や、水や、土や、労働力を、近くに置いてくれているように、楽しみも、一番近くに、手軽に、得られるようにしてくれているのです。
私は、昔、よく、家族皆で、トランプ遊びなどをしたものです。
私は、家族で楽しんだ時の方が、社員旅行した時よりも、楽しかったです。
家庭の中で、楽しめることが、たくさん、あるのに、人は、どうして、外に、楽しみを、求めたがるのでしょうか?
現代人は、楽しみを、誤解して受け取っているのではないでしょうか?
一度、楽しみについて、考えて欲しいと思います。
私は、いつも、不思議に思うのですが、どうして、外飲外食しなければならないのでしょうか? 家でも飲めるし、家でも食べられるのです。
いつから、外飲外食する習慣が、生まれたのでしょうか?
例え、外に楽しみを求めるにしても、外国まで行く必要があるでしょうか?
日本でも楽しむところは、たくさん、あるのです。
いや、それよりも、家庭の中で楽しめることが、たくさん、あるのです。
現代人は、楽しみを、誤解して受け取っているように、思えて、仕方ないのです。
これも、経済成長を目論む、資本主義経済の罠に、嵌っているせいでしょうか?
2024.01.29
今の社会を見てください。 病気を筆頭に、戦争・テロ・事故・自然災害など、悪しきことが、たくさん、起きています。
これは、偶然で起きているのでしょうか? 必然で起きているのでしょうか?
起きるべきにして、起きているのです。
なぜなら、多くの人が、悪想念を放っているからです。
悪い原因(悪想念)を作りながら、良い社会が、やってくるわけがないのです。
良い社会を作りたかったら、良い原因を作ることです。
つまり、川下を綺麗にしたかったら、川上(原因)を綺麗にすることです。
今、人類は、膨大な、お金をかけて、川下(結果)を綺麗にしようとしているのです。
私の言ってることは、犬の遠吠えにしか過ぎないかも知れませんが、私は、何度も言います。想念を良くしたら、全て解決できる、と言うことを・・・。
人類は、欲望を刺激し、経済成長を目論んでいますが、それは、滅亡の道を歩いているようなものなのです。
なぜなら、欲望を刺激して発展する経済は、人の心を汚すだけでなく、地球環境をも汚すからです。
今の社会を見てください!
また、
空気が、水が、土が、汚れると言うことは、毒を吸い、毒を飲み、毒を食べているようなものなのです。これでは、病気が増えても、仕方ありません。
人類は、どうして、そのことに、気づかないのでしょうか?
欲望を押し通し、我がままを押し通し、人類の棲めない星にするのか?
それとも、少しだけ欲望を抑え、少しだけ我慢をし、 美しい地球を残すのか?
これは、ひとえに、人類の生き様にかかっているのです。
学んでいる皆さんだけでも、どうか、瞑想してください。
2024.01.30
よく、出し惜しみして、失敗する人がいますが、その人は、「今」の使い方の下手な人です。
例えば、
なども、この類いでしょう。
明日、あるかどうか、分からないのですよ!
なのに、明日に生きる人たちの、何と多いこと・・・。
あなたに、明日、生きている、保証がありますか?
あなたに、明日、地球がある、保証がありますか?
無いのです。
ならば、今、最善のことを、やるべきではないでしょうか?
今、やれば、二乗になって、原子核が増えてゆくのです。
もう一つ、精魂込めてやれば、 実力以上の力が発揮できるのです。
それは、宇宙エネルギーが入ってくるからです。
私たちは、「今」にしか生きられないのです。
未来に生きた人は、未だかつて、一人もいないのです。
ですから、「今」、最善の努力をすることです。
どうか、「今」の使い方の上手な人になってください 。
2019年7月28日 修善寺塾・2017年6月10日 東京塾より抜粋
2024.01.31