今の一時を使えるのは、想念だけである!
私が望んでいる今は、今の今です。
過去の今でも、未来の今でも、ありません。今の一時の今なのです。
しかし、その今の一時は、すぐに、過去の一時になってしまいます。
でも、すぐに、今の一時は、やってきます。
と言うことは、今の一時は、永遠に続く、今の一時である、と言うことです。
それは、今しか無い、と言う意味です。
「今・今・今・今・・・」だけが、永遠に存在する、と言う意味です。
では、その今の一時を使えるのは、何でしょうか?
それは、想念です。想念だけが、今の一時を使えるのです。
なぜなら、想念だけが、時を、なぞれるからです。
想念、以外、一時を使うことは、絶対できません。
それは、想念意識そのものが、時だからです。時は、意識なのです。
「意識」=「時」
「時」=「意識」
ですから、想念意識だけが、時を、なぞることが出来るのです。
このことだけは、知っておいてください。
では、その想念意識を使えるのは、誰でしょうか?
それは、人間なら誰でも使えます。金持ちであろうが、貧乏人であろうが、白人であろうが、黒人であろうが、男であろうが、女であろうが、大人であろうが、子供であろうが、頭が良かろうが、悪かろうが、想念は、平等に使えるのです。
では、その想念を使うのに、何か特別な技術がいるのでしょうか?
いいえ、何の技術もいりません。ただ、想えば良いだけです。
ただし、想いの内容を考え使ってください。
なぜなら、想念したことは、何でも実現するからです。
実際、私たちは、今日まで、自分の人生を、想念で作ってきたではありませんか?
しかし、地球人類は、残念なことに、そのことに、気付いていないのです。
だから、自分(想念)で、苦しみを作りながら、人のせいにしたり、偶然のせいにしたりして、嘆いているのです。
これでは、いつまで経っても、成長できません。
病気も、事故災難も、家庭内の不幸も、みな、自分の想念が作ったのです。
「想念は実現の母!」です。どうか、このことに、気付いてください。
(2017年9月24日 今週の真言より)
自分を信じる!?
どうか、自分の力を信じてください。
皆さんは、自分の力を信じないで、外側の人や物に頼り過ぎているのではありませんか?
外側の人や物に頼り過ぎると、自分の中に潜在している力を、見失ってしまうのです。
皆さんの中には、偉大な力が潜在しているのですよ!
その力を使えば、何かに頼る必要はないのです。
自分の力を信じるとは、自分の想念の力を信じる、と言う意味です。
想念の力は、絶大です。これは、神が与えてくれた、宇宙一の宝物です。
想念を使えば、あなたの欲しいモノは、何でも手に入るのです。
人生を豊かにすることもできます。神に近付くこともできます。
勿論、幸せにもなれます。
そんな、想念を持たされているのに、殆どの人は、そのことを、知らないで、生きているのです。
大金を持っていても、持っていることを、知らなければ、使えないように、偉大な想念力を持っていても、知らなければ、使えないのです。
どうか、自分の持ちモノに気付いてください。
気付けば、宝の持ち腐れにしないで済みます。
さあ、自分の中に潜在している力に、気付いてください!
気付いたら、信じて使ってください!
そうすれば、あなたは、宇宙一の豊かな者になれるのですから・・・。
※ この宇宙に、割り切れるモノは、何一つ、ありません。
それは、想念が、割り切れないからです。
割り切れないから、割り切れない(再現性のない)幸せが、味わえるのです。
でも、割り切れない不幸と、隣り合わせになっていることも、知らねばなりません。
想念は、実に不思議な生き物です。
どうか、想念を一生の研究課題にしてください。
(2017年11月12日 今週の真言より)
2023.10.01
この現象の世は、幻の世界であることは、疑いのないところです。
なぜなら、万象万物は、変化変滅し、必ず、消えて無くなるからです。
消えて無くなるのは、実際に無いからです。
その事が解かった人は、幻に生きるのではなく、真実に生きるようになります。
では、真実とは、何でしょうか?
それは、永遠に無くならないモノです。
永遠に無くならないモノとは、何でしょうか?
それは、意識です。命です。霊です。つまり、神です。
言葉は、どうでも良いのです。
永遠に無くならないモノ・・ それが、真実です。
私たちの意識は、永遠に無くなりません。
と言うことは、 私たちは、永遠の存在である、と言うことになります。
だから、私たちは、消えて無くなる幻に生きるのではなく、永遠に無くならない意識のために生きるべきなのです。
※ 世の人々は、蜃気楼は、幻だと思っています。
しかし、ダイヤモンドは、本当にあると思っています。
同じ、この世の物なのに、なぜ、そう思うのでしょうか?
それは、時間のギャップが、錯覚させているからです。
こう言うことです。
ダイヤモンドは、何億年も、形を保つことができます。
私たちの肉体も、100年くらい、形を保つことができます。
しかし、蜃気楼は、すぐに、消えて無くなります。
この時間の ギャップが、人間を錯覚に陥れているのです。
でも、人間は、このことに、気づいていないのです。
だから、物集めや、金集めや、島の取り合いや、国の取り合いをするのです。
彼らは、一体、いつまで、生きるつもりなのでしょうか?
※ 「やっと、自分の正体が分かった感じがします!」と、 学びの友の一人が言っていました。
どう分かったかと言いますと、「永遠に無くならない意識が自分である、と言うことを・・・」
素晴らしい気付きですね!
でも、その分かった状態も、今の自分の原子核の量において分かった、と言うことで、 完全に解かったわけではないのです。
なぜなら、まだ、腹の底に落ちていないからです。
見えるもの、五官で感じるものは、全て、消えて無くなってしまいます。
これは、実際には、無いからです。
でも、本当の自分は、絶対に無くなることがないのです。
それは、意識だからです。命だからです。霊だからです。
すなわち、神だからです。
このように、永遠に無くならない自分が、本当の自分なのです。
このことを、心の底で解かって欲しいと思います。
旧・光のメロディ「永遠の意識」
2023.10.02
吾真理なり!
真理とは、「不変・不動・永遠不滅」なるモノです。
何が起きようが、絶対、変わりようのないモノが、真理です。
その真理は、この宇宙に、一つしかありません。
では、その一つしか無い真理とは、何でしょうか?
それは、意識です。意識は、この宇宙に、一つしか無いのです。
意識は、絶対、無くならない「不変・不動・永遠不滅」なる真理なのです。
その意識のことを、神とか、仏とか、生命とか、キリストとか、ブッダとか、呼んでいるのです。
と言うことは、神も、真理です。仏も、真理です。生命も、真理です。キリストも、真理です。ブッダも、真理です。 (名前は、どうでも良い。)
対して、非真理とは、必ず、無くなるモノです。
どんなに、見えても、触れても、必ず、無くなるモノが、非真理です。
それは、本当に無いからです。
と言うことは、この世も、幽界も、必ず、消えてなくなりますから、非真理(幻)と言うことになります。
今、私たちは、非真理の世界にいるのです。幻の世界にいるのです。
このように、真理とは、永遠に無くならない意識です。
と言うことは、「私たちは、真理そのもの!」と言うことになりませんか?
なぜなら、私たちは、 永遠に無くならない意識を持っているからです。
そうです!
私たちは、真理そのものなのです。
「吾、真理なり!」
「吾、真理なり!」
「吾、真理なり!」
です。
※ 私たちは、真理を得るために、生まれてきたのです。
学校に行くのも、仕事をするのも、家庭を持つのも、すべて、真理を得るための方便です。
お金も、財産も、地位も、名誉も、真理を得るための方便です。
方便のために、悩み、方便のために、苦しまないでください!
どうか、真理を知ってください! 意識の自分を知ってください!
それも、頭で知るのではなく、心の底で知ってください!
心の底で知ったら、至福感に満たされます。
その人は、もう、この世の何も、欲しがらないでしょう。
※ どうして消えるの?
あなたの周りから、毎日、沢山の人たちが、消えていっています。
あなたも、いつか、必ず、消えてしまいます。
人間だけではありません。花も、木も、犬も、街も、山も、川も、海も、国も、この地球でさえも、いつか、必ず、消えてしまいます。
どうして、消えてしまうのでしょうか?
それは、本当に無いからです。
その本当に無いモノのために、どうして、命をかけてまで奪い合うのでしょうか?
本当に有るモノのために生きましょう!
本当に有るモノとは、意識です。神です。仏です。生命です。
どうか、本当に有るモノと、本当に無いモノの、識別をしてください!
(2016年11月13日 今週の真言より)
旧・光のメロディ「 新・私たちは真理である」
2023.10.03
この表現宇宙に「ああだ!こうだ!」と言える宇宙は無い!
この表現宇宙に、「ああだ! こうだ!」と言える宇宙はないのです。
なぜなら、この表現宇宙は、どこまでも、不確定な宇宙だからです。
ゆえに、普遍性もあり得ないし、再現性もあり得ないし、客観性もあり得ないのです。
ただ、その中にあって、一つだけ確かなことがあります。
それは、今、自分と思えている「意識・想い」です。
これだけは、確かに存在しているのです。
その自分と思えている意識が、どんな理解力を持ち、どんな確信に基づいて、どんな想念を使うかによって、宇宙に美醜の絵が描かれるのです。
実際に、理解力の無い人(一般人)は、誤った確信に基づいて(人間と誤解し)、誤った想念を使い、宇宙に醜い絵を描いていますし、
理解力のある人(覚者)は、正しい確信に基づいて、正しい想念を使い、宇宙に美しい絵を描いています。
これは、本当の自分を、どれほど、知っているか?
つまり、どれほど、理解力を持っているか? の違いなのです。
この宇宙は、本当の自分を知った程度によって、幸せの中身が変わるようになっているのです。
繰り返します!
この宇宙で、唯一、確かなモノは、今、自分と思えている自分の意識です。
それ以外のモノは、みな、幻です。
そのことを、知ってください!
※ この宇宙に「幸せ」があるのでは無く、人の理解力に基づいて生まれた「幸せ」があるだけです。
その「幸せ」も、理解力の成長と共に進化してゆくようになっています。
だから、私たちは、理解力を高める努力が必要なのです。
今の理解力で満足していてはいけない! と言うことです。
どうか、理解力が、「幸せ」を決定付けていることを知ってください。
そのためには、 瞑想をして、原子核を増やし、理解力を高めることです。
※ 現象に、真の幸せを見付けることができないのは、現象は、真実ではないからです。
したがって、過去世の話や、UFOの話や、幽界の話や、この世の現象の話に興味のある人は、本当の自分を見付けるのに、時間がかかるでしょう。
見えるものは、みな、幻なのです。
見えないものが、ホンモノなのです。
さあ、 瞑想して、理解力を高め、本当の自分を発見しましょう!
孤独ではない!
「真理をやり始めたら孤独になった!」と言う、学びの友がおります。
確かに、自分の理解力の中においては、孤独に感じます。
なぜなら、自分の理解したことが、人に解って貰えないからです。
でも、それは、仕方のないことなのです。
人それぞれ、理解力が違うのですから・・・。
理解力だけは、共有できないのです。自分の理解力は、自分だけのものです。
人と付け合せできないのが、理解力で得た真理なのです。
だから、誰も、自分の理解した世界の中に、入ってくることはできないのです。
この宇宙には、自分の理解した宇宙が、一つあるだけです。
その宇宙の主である自分が、孤独であるはずがありません。
いやむしろ、満ち足りております。
それは、「何もかもが、自分だ!」と、知ったからです。
※「私は、これだけのことを知っているから偉い!」と思っている人は、何も知らない人です。
この宇宙には、知るべきことが、無限にあるのです。
覚者が、偉ぶることがないのは、宇宙の奥深さを知ったからです。
知っても、知っても、知り尽くせない! 宇宙の奥深さを知った覚者は、謙虚にならざるを得ないのです。
皆さんも、どうか、謙虚になってください。
(2016年10月2日 今週の真言より)
新・光のメロディー「大宇宙」
2023.10.04
神の存在を信じる?!
どうして、人は、悪いことをするのでしょうか?
それは、「神などいない!」と思っているからではないでしょうか?
神がいると信じている人は、悪いことができません。
なぜなら、神に見られていると思うからです。
でも、神がいると信じている人でも、心の底から信じているかどうかは、疑わしいのです。
では、疑いを晴らすために、神が存在している証しの一端を示しましょう!
これが、神が存在している一番の証しです。
これも、神が存在している証しの一つです。
これも、神が存在している証しの一つです。
これも、神が存在している証しの一つです。
これも、神が存在している証しの一つです。
これも、神が存在している証しの一つです。
神が存在している証しは、無限に存在します。
どうか、神の存在を信じてください!
神は、間違いなく、存在しているのですから・・・。
真の神信者とは?
神の心憎いところは、神の存在を疑問視させるところです。
例えば、
動物たちの醜い弱肉強食の姿を、見せたり、
助けに行った人が、電車に轢かれるのを、見せたり、
幼い子が、津波に呑み込まれるのを、見せたりします。
それを見せられた人は、「神も仏もないものか!」と、思うでしょう。
しかし、どんな悲惨なことを見せられても、神を信じなければならないのです。
真の神信者とは、「どんな悲惨なことが起こっても、これには、何か理由があるはずだ! 神は、決して、間違ったことはなされない!」と、どこまでも、神を信じる人です。
学びの友の皆さんなら、何を見せられても、信じられると思います。
なぜなら、どんな悲惨なことも、原因と結果の法則に基づいて起きていることを、知っているからです。
しかし、一般人には、それが、理解できないので、「 神などいるものか!」と、神を否定するのです。
どうか、何が起こっても、神を信じてください!
※ 神を讃えようにも、讃える言葉が見つかりません。
それほど、神は、凄い存在なのです。
神を、知れば、知るほど、その凄さに頭が下がります。
もう・・
万歳です!
降参するしかありません!
白旗を上げるしかありません!
それほど、神は、凄い存在なのです。
どうか、神に従順に生きてください!
従順に生きていたら、神は、決して、悪いようにしないのですから・・・。
神は、私たちの親なのですから、当然です。
何が起きても、神を信じてください!
神をトコトン信じてください!
神の絆奏曲5番・・「神を信じる」
2023.10.05
運命を創っているのは自分の想念である!
運命とは、「命」を「運ぶ」と書きます。
命を運んでいるのは、誰でもありません。自分の想念です。
良い想念を使えば、運命は良くなります。悪い想念を使えば、運命は悪くなります。
なぜ、そのようなことが起きるかと言いますと、良い想念は、光を呼び、悪い想念は、闇を呼ぶからです。
事実、人類は、悪い想念を使って、病気や、事件や、事故や、自然災害などを、呼び寄せているではありませんか?
これは、悪い想念が、悪しきことを実現させている、分かりやすい実証例なのです。
運命を好転させたいと思うなら、どうか、良い想念を使うよう心掛けてください。
※ 私は、最近、よく、想念のお話をしますが、それは、想念ほど頼もしく、また、恐ろしいモノはないからです。
人生は、想念次第なのです。いや、魂の進化は、想念次第なのです。
それほど、想念は偉大なのです。
どうか、良い想念を使うよう心掛けてください。
そうすれば、もう、あなたの運命は、保証されたも同然です。
※ 命は、永遠です。
ですから、運命は、命の永遠の歴史を通して、考えなくてはなりません。
今生の運命は、前世の運命を背負っているのです。
前世の運命は、前々世の運命を背負っているのです。
前々世の運命は、その前の世の運命を背負っているのです。
だから、アナログ的な運命の見方が、必要になるのです。
今生、運命が良いからと言って、喜んでいてはなりません。
今の自分の一刻一刻の想念が、運命を決めている、と言う、自覚を持って、想念を使ってください。
(2017年5月7日 今週の真言より)
肉体を出ることを最大の喜びとしなさい!
老いることを憂いている人に、或いは、死ぬことを恐れている人に、私は、言いたいと思います。
老いることは良いことだ、死ぬことは良いことだと・・・。
どうでしょう? カゴの中の鳥は、幸せですか? 苦しいのではありませんか?
私たちは、カゴの中の鳥のように、不自由な肉体の中に、何十年間も閉じ込められ生きてきたのです。
老いる と言うことは、死ぬ と言うことは、その肉体から開放され、自由になる と言うことです。
どうか、老いることを、死ぬことを、恐れないでください。むしろ、喜んでください。
だからと言って、自殺はしないでください。
なぜなら、計画を途中放棄して帰ることになるからです。
それでは、生まれてきた意味がありません。
どうか、計画を全うして帰ってください。
計画を全うして帰るとは、寿命が来る日まで、「一生懸命、生きなさい!」と言う意味です。
真理を学んでいる皆さんは、二つのことを、一生懸命、やってください。
年のはじめに、「おめでとうございます!」と言うのは、帰る日が近づいて、「おめでたい!」と言う意味です。
どうか、老いることを、死ぬことを、悪いことだと思わないでください。
(2018年6月17日 今週の真言より)
2023.10.06
自分の意識を感じている自分って何なの?
自分の意識を感じている自分がいます。
その自分って、一体、何でしょうか?
それは、本当の自分ではありませんか?
つまり、神我の自分ではありませんか?
その自分が無かったら、自分を意識できないのです。
と言うことは、自分は存在できない、と言うことです。
自分の意識が、自分の意識を存在させているのです。
つまり、自我の意識が、神我(真我)の意識を存在させているのです。
それは、同じ一つの意識だからです。
神我(真我)意識があるから、自我意識があり、自我意識があるから、神我意識があるのです。
今、私たちは、一つしか無い意識を、二つの意識に分けているのです。
それは、肉体を自分だと思っているからです。
繰り返します。
自我意識もあって、神我(真我)意識もあるわけではないのです。
あるのは、神我意識のみです。
この神我意識だけは、絶対無くならない意識なのです。
自分の意識を消せないのは、自分の意識が、永遠に実在する、神我(真我)意識だからです。
どうか、自分と思える、自分の意識の不可思議さを、探ってください。
※ この宇宙で確かなのは、自分しかいない、と言う事実です。
だから、自分でやるしか無いのです。
他人を当てにしてならないのは、他人は、いないからです。
他人は、外側の世界の実際に無いモノです。
自分は、内側の世界の実際にあるモノです。
他人は実在しないが、自分は実在するのです。
外側の電車を待っていても来ないのは、外側の電車は、実在しないからです。
来ない電車を待つことほど、苦しいことはありません。
どうか、来ない電車を当てにせず、自分の足で歩いてください。
(2018年3月11日 今週の真言より)
どうして、相手がいるのですか?
どうして、相手がいるのですか?・・・それは、自分がいるからではありませんか?
認識者である自分がいるから、認識される相手がいるのではありませんか?
認める自分がいなかったら、認められる相手はいないのですよ!
この話を、宇宙に置き換えて考えてみましょう。
どうして、宇宙があるのですか? それは、自分がいるからではありませんか?
認識者である自分がいるから、認識される宇宙があるのではありませんか?
認める自分がいなかったら、認められる宇宙はないのですよ!
と言うことは、「相手」は、「宇宙」は、自分が創っている、と言うことです。
こんな分かり切ったことを、人間は、気付いていないのです。
だから、相手を、憎んだり、恨んだりして、戦争までするのです。
憎んだり、恨んだりしている相手は、自分が創った相手なのです。
と言うよりも、相手は、自分自身なのです。
なぜなら、認めている自分が、認められている相手の中にいるからです。
それは、認めている自分が、認められている相手を創っている素材だからです。
なぜ、素材かと言いますと、認識している意識そのものが、モノの素材だからです。
認めている自分の意識(素材)が、認められる相手になっているのです。
だから、相手の中に自分がいることになるのです。
つまり、自分が、相手を創っていることになり、相手は、自分になるのです。
「いや、自分がいなくても、他に認識者がいるのだから、相手はいるはずだ!」と、あなたは、反論するかも知れません。
でも、自分がいなかったら、そのことを、どうして、知ることができるのですか?
どこまでも、主観的見方しかできないのです。
なぜなら、この宇宙には、自分しかいないからです。
※ ある学びの友から、次のようなメールをいただきました。
「理解力って、波動なんですね!! 3月11日の動画の52分30秒あたりなんですが・・・ 私に向って、『わかるよね!?』と、かとうさんが言っているところがあるのですが・・・ この時、私は、すごく、わかった感じがしていたのです。
でも、今、動画を見ても、その時のわかった!と言う感覚がありません。
それ以外にも、いくつも、あれ? ここのところ、かとうさんから、直に聞いていた時は、すごく、わかった感じがしていたのに、今は、何だかわからない・・・。
理解力って、本当に波動なんですね!!
波動が落ちると、わからなくなるんですね・・・・。」と・・・。
宇宙は、すべて波動で創られています。
その波動は、エネルギーでもあり、知恵でもあるのです。
だから、波動が高くなり、エネルギーが高くなれば、分からないことが、解るようになるのです。
この学びの友は、一歩、成長しましたね! 嬉しいことです。
(2018年3月18日 今週の真言より)
今、地球人類は、痛い苦しいが多い人生を歩んでおります。
幼い理解力のもとに生活しているのですから、痛い苦しいが多い人生になるのは、当然でしょう。
でも、これは、決して、悪いことではないのです。
なぜなら、痛い苦しいが多いほど、早く進化成長できるからです。
と言うことは、放っておいたら良い、と言うことです。
放っておくこと・・・ これ以上の良薬は、ありません。
全て、理解力です。
2023.10.07
神の完全性!
この物質世界(表現世界・相対世界)は、片方は、満足させられても、もう片方は、満足させられない、世界なのです。
なぜなら、同一空間に、2物が同居できないからです。
ここに、一軒の空き家があったとしましょう。
その家に、二人の人がやってきて住もうとしましたが、小さな家なので二人は住めません。
そこで、家の奪い合いになりました。
力のない者は、負けて、寒空に追い出され、
力のある者は、勝って、家でぬくぬく過ごすことができました。
それが、この物質の世界なのです。
でも、そのような世界だから成長できるのですから、有り難い世界なのです。
良いものばかりの世界なら、私たちは、ひ弱に育ってしまうでしょう。
神が完全なのは、悪が・・不完全が・・不幸が・・苦しみが・・進化成長に結びつくよう、仕組まれたからです。
※ ある政治家は、万民に良いと思って、ある政策を実施しました。
でも、その政策を実施したために、都合の悪い人たちが出てきました。
しかし、反対に、旧来の政策で苦しんでいた人たちは、都合が良くなったと喜んでいます。
万民に良い政策など、この世にはないのです。
でも、それで良いのです。
なぜなら、万民に良い政策なら、進化成長できないからです。
この世界で、うかつに、良し悪しを口にできないのは、都合の良い人と都合の悪い人がいるからです。
立場が変われば、善が悪になり、悪が善になるのが、人間社会(表現世界・相対世界)なのです。
※ この世で、罪を犯さない人など、一人もいないのです。
誰でも、心で悪いことを思い、罪を作っているのです。
ですから、悪を犯したからと言って、人を責めてはならないのです。
誰も、人を責める資格など無いのです。
(2019年9月29日 今週の真言より)
神のメロディ「神は完全」
2023.10.08
出家とは?
出家した、仏門に入った、と言う人がいますが、外側だけ人間を捨てても、内側の人間を捨てない限り、「出家した! 仏門に入った!」とは言わないのです。
外側の格好などは、どうでもいいのです。
本当の出家人とは、この世の欲と情と柵を捨て去った人のことで、それは、家を出なくてもなれるのです。
格好だけの出家人にならないでください!
中身のない出家人にならないでください!
普段の生活の中で、常に、神に意識を向けている、本当の出家人になってください!
(2015年11月29日 今週の真言より)
最後の審判
キリスト教で言われている「最後の審判」とは、世の終わりに、魂の選別がなされると言うことらしいですが、世の終わりなど無いですから、信じてはなりません。
例え、一時、それらしきことがあったにしても、誰かが選別するのではなく、自分自身がするのです。
と言っても、皆さんは、すでに、自分の理解力で、ニセモノとホンモノを選別し、ここに来たのですから、改めてする必要はないのです。
本屋さんに、行ってごらんなさい!
精神世界の本や宗教の本が、ところ狭しと並べられています。
また、インターネットでも、そのたぐいの情報が飛び交っております。
その中からホンモノを選ぶのは、砂浜に落としたコンタクトレンズを探すくらい難しいでしょう。
なぜなら、殆どが自我で書かれた、ニセモノの本だからです。
皆さんは、その中から、私の本を選んだわけですから、それは、それは、大変な選別をしてきたわけです。
これは、自分を大いに褒めてやって欲しいと同時に、その苦労に報いるためにも、ぜひ、真理を自分のモノにして帰ってください。
これは、外側の選別だけではなく、内側の選別にも言えることなのです。
すなわち、自我(サタン)と真我との選別です。
ぜひ、外も内も間違いのない選別をしてください。
(2016年3月13日 今週の真言より)
学びの友に言いたいこと!
この7つの事を、疑らないで、素直に、根気よく、やり続けてください。
何の変化が起きなくても、一生、やり続けてください。
やり続ければ、間違いなく、大きな成果を得て帰れるでしょう。
(2016年5月8日 今週の真言より)
「外側は内側の反映・・・だから、外側を変える必要はない!、内側を変えれば、 黙っていても、外側は変わるのだから・・・。」
この意味の深さは、 山よりも高く、海よりも深しです。
この意味を、地球人類が、心の半分ぐらいでも理解したら、 即、平和な星になるでしょう!
外側とは、現象の世界のこと・・・ 内側とは、意識の世界のことです。
要するに、想念(内側)を変えれば、世界(外側)は変わると言うことです。
2023.10.09
「神」を想い続けていれば、どんな問題も解決する!
「神」を想い続けていれば、どんな問題も解決するのです。
こんな、簡単な問題解決方法があったのです。
人間は、難しく考え過ぎなのです。
何か難しいことをしなければ、問題解決出来ないと思っているのです。
人生は、想念次第で、どうにでもなるのです。
良く考えてみてください。今まで、何が人生を作ってきたと思いますか?
肉親ですか? 隣人ですか? 学校ですか? 会社ですか? お金ですか? 地位や名誉ですか? 社会ですか? 国ですか?
すべて、自分の想念が、作ってきたのではありませんか?
旅行に行きたいと想い、旅行に行ったのです。
自動車が欲しいと想い、自動車を手に入れたのです。
嫁さんが欲しいと想い、嫁さんを手に入れたのです。
病気も、事故も、自然災害も、みな、自分の想念が作ったのです。
「私は、そんな不幸など作った覚えがない!」と言うかも知れませんが、チラチラと思う、憎しみや、恨みや、怒りや、心配や、恐怖、などの想いが不幸を作ったのです。
チラチラと思っただけでも、作るのです。
それは、神と同じ想念を持っているからです。
自分の想念で、不幸を作ったのであれば、幸せも、自分の想念で作れるはずです。
それは、良い想念を持てば、問題解決する、と言う意味なのです。
良い想いの一番は、神を想うことです。
神を想っていれば、あなたの人生は、間違いなく、良い方向へ変わって行きます。
それだけではありません。
神を想い続けていれば、
地球を浄化することもできるし、
自分の業(欠点)を無くすこともできるし、
何よりも、原子核を大きくすることができるのです。
どうか、良い想念を使ってください!
人生は、想念次第なのですから・・・。
(2017年3月12日 今週の真言より)
何も思わなかったら、何も生まれない!
苦しいことがやってくると、殆どの人が、その苦しみに負けて、業の上塗りをしてしまいます。
これでは、いつまでたっても、苦しみから抜け出せません。
では、業の上塗りをしないためには、どうすれば良いのでしょうか?
皆さんは、まだ、自分の想いの凄さを知りません。
皆さんの想いは、何でも作るのです。何でも生み出すのです。何でも成就させるのです。想いほど、恐ろしく、また、頼もしいモノはないのです。
こう言っても、なかなか、信じられないと思いますが、信じてください!
今の自分の想いが、即、人生に関わってくるのです。
※「何も想わなかったら、何も生まれない!」
この言葉が、どれほど深い意味を持っているか、知ってください。
私が、何を言わんとしているのか、解りますか?
私は、今、凄いことを言っているのですよ!
私は、皆さんに、今、宇宙一の宝物を与えようとしているのですよ!
繰り返し言います。
「何も想わなかったら、何も生まれない!」
どうか、この意味の深さを知ってください!
※私たちは、一時も、何も想わないではいられないのです。
想わないでいられないなら、何を想うべきですか?
言うまでもないですよね! 良いことを想ったらいいのです。
それは、お金もかからない! 何処へ行く必要もない! いつでも、手軽に思えるのです。
こんな、「幸せ」製造機は、他に無いのです。
(2017年8月13日 今週の真言より)
2023.10.10
何が幸せをくれるのか?
私たちは、いつでも、幸せにもなれるし、いつでも、不幸せにもなれるのです。
それは、何でも創れる想念力と、何でも想える自由意思を持っているからです。
私たちは、意識そのもの、想念そのもの、なのです。
意識そのもの、想念そのもの、ゆえに、私たちは、良い想念を持てば、幸せになれるのです。
その意識を使って、その想念を使って、どうか、幸せになってください!
神とコンタクトを取る!?
この宇宙で、神とコンタクトが取れるのは、唯一、自分の意識しかありません。
なぜなら、この宇宙には、自分の意識以外、何も無いからです。
自分とは、神が「自」らを「分」けたのです。
ゆえに、自分の意識で、神とコンタクトが取れるのです。
コンタクトを取る方法は、瞑想です。
神とコンタクトが取れるのは、唯一、人間しかいないのです。
なぜなら、人間だけが、想念を持っているからです。
鉱物や、植物や、動物が、瞑想できないのは、想念を持っていないからです。
(2015年2月8日 今週の真言より)
想念は実現の鍵
「想念は実現の鍵です。」 人の「幸・不幸」は、想念が握っているのです。
その想念を、あなたは、持っているのですから、想念を正しく使えば、幸せになれるのです。
では、どのような想念を使えば、幸せになれるのでしょうか?
簡単です。良いことを想えばいいのです。
良いことの一番は、神を想うことです。
人生は、すべて、想念次第なのです。
それは、何を想うか・・・だけなのです。
金持ちにならなくてもいいのです。
有名人にならなくてもいいのです。
権力者にならなくてもいいのです。
想念を上手に使えば、あなたは、幸せになれるのです。
簡単に幸せになれる、こんな方法があったのです。
(2015年3月1日 今週の真言より)
2023.10.11
出を重視しよう!
「出入り」と言う言葉はあっても、「入出」と言う言葉はありません。
「出発」と言う言葉はあっても、「発出」と言う言葉はありません。
「呼吸」と言う言葉はあっても、「吸呼」と言う言葉はありません。
何でもそうですが、先に出があり、後で入りがあるのです。
電車でも、エレベーターでも、先に人が出て、後で人が乗るのです。
そのことを知っている熟した魂は、「出」を重視します。
知らない未熟な魂は、「入」を重視します。
だから、未熟な魂は、台所をきれいにし、トイレをきれいにしないのです。
また、物を多く集めようとするのです。
物を多く集めれば、当然、ゴミを多く出すでしょう。
ゴミの多い社会が、幼い社会だと言われるのは、幼い魂は、物をたくさん集めるからです。
それは、心が満たされていないからです。
心に空白を抱えている幼い魂は、物を多く集めたがるのです。
宇宙の整然とした働きを、ご覧なさい!
エネルギー均衡の法則によって、見事にバランスが取られています。
人間社会は、どうでしょうか?
エネルギーの収支バランスが大きく崩れています。
その良い証しが、病気・事件・事故・自然災害などの多発です。
物質文明が進めば、エネルギーが低くなるため、災厄が多くなるのです。
これは、思いの使い方も同じです。
私たちは、どんな思いを出し、どんな言葉を出し、どんな行為をしているでしょうか?
出した思い、出した言葉、出した行為には、必ず、回答(結果)が返ってくるのです。
良い思い、良い言葉、良い行為には、良い結果が、
悪い思い、悪い言葉、悪い行為には、悪い結果が・・・。
これは、一ミリの狂いもありません。
今、人間が苦しんでいるのは、悪い思い、悪い言葉、悪い行為を出しているからです。
苦しい人生にしたくなかったら、「出すもの」を良くしてください。
つまり、良い思い、良い言葉、良い行為を出してください。
その人は、幸せな人生を歩むことが、出来るでしょう。
(2017年5月14日 今週の真言より)
原因なき原因者
なぜ、自分を無くすことが、できないのでしょうか?
それは、自分の意識を無くすことが、できないからです。
では、なぜ、自分の意識を無くすことが、できないのでしょうか?
それは、自分の意識の発露となっている、原因者の意識が、意識できないからです。
自分が意識できない意識を、どうして、無くすことができましょうか?
私たちが、永久に、神を求め続けねばならないのは、原因者の意識を、永久に、捕まえることが、できないからです。
つまり、私の意識を、永久に、捕まえることが、できないからです。
私、私、私・・・・と、私の意識を追いかけてみてください。
どんなに追いかけても、私の意識の源が、分からないはずです。
それは、私の意識が、原因なき原因者だからです。
(2015年2月15日 今週の真言より)
神の恩情
この宇宙の最も厳格なところは、何事も、原因と結果の法則に基づいて、処断される点です。
良い原因を作れば、幸せが・・・悪い原因を作れば、不幸せが・・・。
そこに、一切、情け容赦はありません。
しかし、神は、一つだけ、温情を示されました。
それは、心から反省し、「二度と過ちを犯さない!」と、堅く心に誓ったら、許される温情です。
もし、その温情がなかったら、今、私たちは、地球に存在していないでしょう。
(2015年4月19日 今週の真言より)
2023.10.12
良い想念を使って黒字にしよう!
「いくら瞑想をしても手応えがない!」と、嘆いている、あなたに、私は、言いたい、「あなたは、今、間違いなく、良い原因を創っている!」と、言うことを・・・。
原因を創れば、必ず、結果は、やってきます。
やれば、必ず、実現するのが、原因と結果の法則の完全性なのです。
これは、絶対、間違いないことです。
あなたは、今日まで、自分の想念で、自分の人生を創ってきました。
今、その結果を得ているのです。
その意味では、今の生活状況 (環境)は、今日まで生きてきた、あなたの人生の総決算です。もしかしたら、赤字になっているかも知れません。
でも、赤字になっていても、その結果を見て、人生の舵を切り直すことが出来るのですから、有り難いことなのです。
さあ、想念の偉大さを信じ、宇宙の法則の完璧さを信じ、神の完全性を信じ、想念を良く使って、人生を黒字にしましょう。
黒字にする一番の方法は、神を想うことです。つまり、瞑想することです。
さあ、瞑想して、黒字の人生にしましょう!
(2015年7月12日 今週の真言より)
私たちは偉大な宝物を持っている!
私たちが持っている、唯一の財産は、想念です。
この財産は、どんな宝物よりも価値があるのです。
なぜなら、思い次第で、何でも手に入れることができるからです。
覚者が、「私たちは、すでに救われている!」と言うのは、想念を良い事に使えば、幸せになれるからです。
しかし、残念なことに、多くの人が、想念を悪用し、苦しんでいるのです。
幸せが欲しかったら、良いことを思い、悪いことは、一切、思わないことです。
良い思いの一番は、神を想うことです。
神を想えば、自分の欠点が無くなります。過去の業が無くなります。さらに、原子核が増えます。
このように、神を想えば、 三重もの功徳があるのです。
どうか、想念を宝の持ち腐れにしないでください。
※ 多くの人間は、幸せが欲しくて、お金や物を追い求めていますが、幸せは、すでに与えられているのです。想念と言う、幸福創造機が・・・。
想念は、何でも創る力を持っているのです。
良いことを想えば、良いことが、悪いことを想えば、悪いことが創られるのです。
人間が苦しんでいるのは、想念の使い方が下手だからです。
心配している時、人を憎んでいる時、愚痴を言っている時、つまり、ネガティブなことを想っている時は、不幸を創っているのです。
なぜ、そのことが、分からないのでしょうか?
それは、想念が、目に見えないからです。
でも、目に見えなくても、間違いなく、想念によって、良いことも、悪いことも、創っているのです。
苦しい! 苦しい! と言っている人は、想念を悪用していることに、気付いてください。
(2015年8月23日 今週の真言より)
私たちが住んでいる、この表現世界は、波動が粗いので、想ったことが、すぐ、現象化されないのです。
でも、幽界は、波動が精妙なので、想ったことが、すぐに、現象化されるのです。
ですから、私たちは、この世界にいる間に、正しい想念の使い方を覚えておく必要があるのです。
どうか、肉体ある間に、良い想念を使う、訓練をしておいてください!
一番良い想念は、神(皆さんのマントラ)を想うことです。
2023.10.13
自分が自分を傷付ける
他人が、自分を傷付けることは、絶対、できません。
また、自分も、他人を傷付けることは、できません。
なぜなら、他人は、実在しないからです。
自分を傷付けることができるのは、唯一、実在する自分の想念だけです。
ゆえに、自分の想念の管理が、重要になってくるのです。
あなたは、普段、何を思っていますか?
良いことを思っていますか? 悪いことを思っていますか?
良く考えてみてください。
あなたが、もし、苦しい人生を送っているとしたら、それは、悪い想念を使っているからです。
あなたの想念は、自分を不幸にすることもできるし、幸せにすることもできるのです。
(2015年3月8日 今週の真言より)
他人事ではない!
この表現宇宙は、完全な神の意識によって創られています。
それゆえに、本来、この宇宙に、不幸・災難・病気などは、無いのです。
今、地球に、様々な悪しきことが起きているのは、私たち一人一人が、悪想念を使っているからです。
ですから、地球で起きている、不幸、災難を、他人事のように言わないでください!
皆さんは、常に、何を思っていますか?
良いことを思っていますか? 悪いことを思っていますか?
殆どの人が、ネガティブなことを、思っているのではありませんか?
私たちの想念は、良いことも、悪いことも、何でも実現させるのです。
想念は、創造機なのです。
どうか、良い想念を使ってください!
もし、多くの人が、良い想念を使うようになったら、地球は、そく、理想世界になるでしょう。
2023.10.14
肯定の宇宙!
この宇宙は、「何でも有り!」の宇宙なのです。
否定するものは、何一つ無いのです。
全て、肯定で片付けられるのが、この宇宙なのです。
この宇宙には、「無い! ダメ! いいえ! ✕!」 と言う言葉は、無いのです。
「有る! 良い! はい! ○!」と言う言葉だけ、有るのです。
もし、否定語が有るなら、今、宇宙は、存在していないからです。
これは、真実の宇宙における定理です。
この宇宙には、悪いことは、一つも無いのです。
全て良し! 全て善し! 全て好し! です。
良い事しかないから、この宇宙は、今日まで存続してこれたし、これからも存続してゆけるのです。
もし、悪いことがあるなら、この宇宙は、とっくに、存在していないでしょう!
それは、
永遠に、宇宙が有る、と言う意味です。
永遠に、神が有る、と言う意味です。
永遠に、私が有る、と言う意味です。
だから、私たちは、永遠の幸せに浸れるのです。
※ この表現世界は、「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」の世界なのです。
つまり、山坂のある世界なのです。
楽だけがあったのでは、成長できないからです。
いや、私は、苦しい体験をしたくないから、意識を消して欲しいと言っても、あなたの意識は、絶対に無くすことはできないのです。
なぜなら、あなたは、意識そのものだからです。
ならば、仕方ありません! 苦楽を体験しようではありませんか!
苦楽を体験した、その先には、幸せが待っているのですから・・・。
※ この相対宇宙には、一方だけはないのです。必ず、反対のものがあるのです。
なぜなら、一方だけでは、進化成長できないからです。
考えてみてください!
楽をしたいからと言って、体を動かさなかったら、 体が弱くなってしまうのではありませんか?
餡も、練れば、練るほど、ツヤが出るのではありませんか?
鉄も、叩けば、叩くほど、強靭になるのではありませんか?
私たちの心も、嫌なことを、体験すれば、するほど、強くなるのです。
どうか、嫌なものから逃げないでください!
※ 失敗は、成功の基です。 失敗なしに成功した人は、一人もいません。
何でもそうですが 、苦しい体験をしてこそ、成長できるのです。
ですから、苦しいからと言って、逃げていてはいけません。
苦しいことを、わざわざ、貰いに行きなさい、と言っているわけではありません。
苦しいことがやってきたら、逃げないでやりなさい! と言っているのです。
嫌なことがやって来たら、これは、自分が成長できるチャンスだと思って、果敢に挑戦してください!
2023.10.15
自分が有って、宇宙が有る!
何かが有って、自分があるのではありません。
自分が有って、何かが有るのです。
何かは自分であり、自分は何かだからです。
宇宙が有って、自分が有るのではありません!
自分が有って、宇宙が有るのです。
宇宙は自分であり、自分は宇宙だからです。
(2014年10月26日 今週の真言より)
宇宙の中心は自分
宇宙の中心は、自分。
ドラマの主人公は、自分。
原因の発芽は、自分。
全ては、自分中心です。
お釈迦様が言われた「天上天下唯我独存(尊)」の本当の意味は、
天上天下(宇宙)において、唯一、自分が「尊」い存在者であると言う意味ではなく、
天上天下(宇宙)において、唯一、自分しか「存」在しないという意味なのです。
今の仏教は、誤った文字を使い、誤った解釈をしているのです。
どうか、誤解のないようにしてください。
有限宇宙においては、中心点は、一つしかありません。
でも、無限宇宙においては、中心点は、無限に存在します。
ですから、私たちは、誰でも、宇宙の中心点に立てるのです。
ゆえに、自分は、宇宙の中心なのです。
(2015年1月25日 今週の真言より)
瞑想におけるマントラの必要性!
私は、昔、手動のポンプで、井戸から水を汲み上げたことがありました。
その時、最初に、呼び水が必要でした。井戸の底にある水を汲み上げるには、 呼び水として、上から水を入れてやる必要があるのです。
瞑想も、同じように、上(顕在意識)から呼び水を入れてやる必要があるのです。
神の意識は、私たちの意識の深いところに潜在しております。
その意識を、上にある顕在意識まで昇らせるには、マントラと言う呼び水が必要なのです。
マントラを想い続けると、潜在している神意識と顕在意識がつながり、神の自覚を得ることができるのです。
そのマントラは、神の色々な側面を含み持った言葉が有効です。
例えば、神は、意識であり、エネルギーであり、光であり、生命であり、愛であり、無限であり、永遠であり、一 であり、丸です。
この他にも、たくさんの神の側面があるわけですが、その中から、得意とするマントラを一つ選んで使ってください。
2023.10.16
神の媒体となる!
神は、常に、自分の手足となって働いてくれる媒体を探しております。
鉱物・植物・動物は、「我」がありませんので、素直に、神の媒体となって働いてくれております。
しかし、人間は、「我」がありますので、なかなか、神の媒体となって働いてくれないのです。
ですから、神は、使いたくても、使えないのです。
では、どうすれば、神の媒体となれるのでしょうか?
よく、神の媒体になりたいと言って、色々と難しいことをする人がおりますが、難しいことをしなくても、簡単に、神の媒体になれる方法があるのです。
その方法を教えましょう!
まずは、神の存在を信じることです。
信じたら、常に、神に思いを向けることです。
一番大切なのは、何を行うにも、神と一緒に行っている、と思いながら行うことです。
例えば、絵を書いている時、曲を演奏している時、料理している時、掃除している時、会社で仕事をしている時、「自我の自分」と「真我の自分」が、一緒になってやっていると思いながらやることです。
これは、瞑想についても、言えることなのです。
つまり、自我の自分と真我の自分が、一緒になって、「吾神なり!」と合想することです。
そのように瞑想していると、気持ちの良い状態が起こります。
また、細胞が震えたり、光に覆われたりします。
これは、神と合体した時に起こる現象です。
このように、二人の自分が一緒にやっていると思いながらやれば、人間以上の技を出すことができるのです。
それは、元々、自我と真我は、一つだからです。
日常生活においても、「二人の自分が一緒に生きている! 動いている! 働いている!」と思いながら生きてください!
神は、自分を表現したくて、ウズウズしております。
ですから、神は、いつも、媒体となってくれる人を探しているのです。
しかし、人間は、なかなか、神に顔を向けてくれません。
ですから、神は、仕方なく、痛い目に遭わせるのです。
幼い魂は、人のせいにして腹を立てますが、熟した魂は、バチが当たったと思います。
バチが当たったと思った時、波動が上がるのです。
そうすると、媒体として使えるようになるのです。
神に使ってもらいたいなら、常に、神を想い続けてください。
想い続けていたら、必ず、神は、使ってくれます。
ただし、不純な動機で、思ってはなりません。
純に、「神のために身を捧げたい!」と言う動機で、思い続けてください。
必ず、神は、使ってくれます。
その使われ方は、自我では分からないかも知れません。
でも、間違いなく、神に貢献しております。
このことは、原子核が増えれば、分かるようになるでしょう!
2023.10.17
私の独り言
自分って、どれほど、不可思議な存在なのだろうか?
どれほど、神秘的な存在なのだろうか?
何せ、自分の正体が、全く、分からないのである。
自分の素性も、生歴も、能力も、可能性も、発展性も、何が出来るのか、出来ないのかも、全く、分からないのである。
今の自分に分かっていること、と言えば、
これくらいのことしか、分からないのである。
それでは、心配ではないのか? 心細くないのか? と思うかも知れないが、そんな思いは、一切ないのである。
反対に、分からないことの方が、嬉しいのだ。
なぜなら、夢があるからである。
「私・私・私・・・・」と、どんなに探っていっても掴めない自分の意識・・・何と楽しいではないか? 何と嬉しいではないか?・・・私のこの気持ち、分かって頂けるだろうか?
※ 有限は、苦しいのである。無限は、楽しいのである。
頭打ちのない、届かない、底のない、無限の自分を探る旅は、究極の幸せである。
(2018年1月28日 今週の真言より)
自分の意識を感じている自分って何なの?
自分の意識を感じている自分がいます。
その自分って、一体、何でしょうか?
それは、本当の自分ではありませんか?
つまり、神なる自分ではありませんか?
その自分が無かったら、自分を意識できないのです。
と言うことは、自分は、存在できない、と言うことです。
自分の意識が、自分の意識を存在させているのです。
つまり、自我の意識が、神我(真我)意識を存在させているのです。
それは、同じ一つの意識だからです。
神我意識があるから、自我意識があり、自我意識があるから、神我意識があるのです。
今、私たちは、一つしか無い意識を、二つの意識に分けているのです。
それは、肉体を自分だと思っているからです。
繰り返します。
自我意識もあって、神我(真我)意識も有るわけではないのです。
有るのは、神我意識だけです。
この神我意識だけは、絶対、無くなりようがないのです。
自分の意識が無くせないのは、自分の意識が永遠に実在する、神我(真我)意識だからです。
どうか、自分と思える自分の意識の不可思議さを探ってください。
※ この宇宙で確かなのは、自分しかいない、と言う事実です。
だから、自分でやるしか無いのです。
他人(私)を当てにしてならないのは、他人はいないからです。
他人は、外側の世界の無いモノです。
自分は、内側の世界の有るモノです。
他人は、実在しないのです。
自分は、実在するのです。
外側の電車を待っていても来ないのは、外側の電車は、実在しないからです。
来ない電車を待つことほど、苦しいことはありません。
どうか、来ない電車を当てにせず、自分の足で歩いてください。
(2018年3月11日 今週の真言より)
私が解らない!?
「私は意識です!」・・と、堂々と言えるのは、今、私と思えている意識を持っているからです。
でも、意識は、見えませんから、私の意識の正体が解らないのです。
解りません?
私が解らない?
私が解らない?
私が解らない?
解らない尽くめの私です。
でも、それで良いのです。
もし、私が解ったら、私(自分)が消えてしまうからです。
私たちは、永遠に解らない私(自分)と一緒に、永遠に生きてゆくのです。
※ 続けることの大切さを知らない人は、真理を知らない人です。
繰り返すことの嫌いな人は、幼い魂の持ち主です。
※ 神の別名は、「不明」です。神は、不明なのです。
不明なモノに、「神」と名付けただけです。
ならば、不明な私の意識は、神ではないでしょうか?
そうです。
不明な私の意識は、「不明な神」なのです。
※ 神を深く知ると、もう・・神に降参するしかありません。
なぜなら、神に逆らっても、勝てないことが分かるからです。
まさに、「バンザイです!」 、「お手上げです!」 、白旗を揚げるしかありません。
神を知らない人は、痛い・苦しいと言いながら、神に手向かっています。
手向かえば、手向かうほど、苦しくなると言うのに、・・・です。
それも、魂(原子核)が成熟するまでは、仕方のないことなのです。
(2019年8月18日 今週の真言より)
2023.10.18
幻である証拠
私たちは、毎日、人の死を、見せられています。
また、日々、世の中の状況が変わってゆくのも、見せられています。
にもかかわらず、全員が全員、この世界が本当にあると思って生きています。
なぜでしょうか?
それは、五感が、本当にある世界のように、見せかけているからです。
人が死んだり、世の中の状況が変わるのは、この世が幻である証拠なのです。
本当にある世界なら、人が死ぬこともないし、世の中の状況が変わることもないのです。
でも、殆どの人が、そのことに、気付いていないのです。
この世が幻の世界なら、五十歩百歩の生き方をしたらいいのではありませんか?
どんなに苦労して、この世の物を集めても、死んだら、みな、置いて帰らねばならないのですから・・・。
だからと言って、「いい加減な生き方をしなさい!」 と言っているわけではありません。
何事も、真心を込めてやってください。
なぜなら、真心を込めてやれば、魂を大きくすることができるからです。
人生の目的は、魂を大きくすることなのです。
この世の諸々のことは、魂を大きくするための方便なのです。
その方便のために、時間を百歩使い、魂を大きくする目的のために、五十歩しか使わない、そんな愚かなことをしないでください。
煩わしさから開放されよう!
真理を学ぶようになると、この世が幻だと言うことを知りますので、五十歩百歩の生き方をするようになります。
五十歩百歩の生き方をするようになると、煩わしさが、少なくなるのです。
私の体験を、お話しましょう!
私は、今、車を持っていません。車を持たなくなると、免許を更新する必要がありません。車庫も必要ありません。車検も必要ありません。自動車保険も入る必要ありません。自動車税も払う必要がありません。
他にも、道路状況のこと、通行料のこと、天候のことなど、一切、考えなくて良くなります。
と言うことは、それだけ、煩わしさから開放される、と言うことです。
車を持たなくなっただけでも、これだけ、煩わしさから解放されるのですから、人生万端、五十歩百歩の生き方をしたら、どれほど、煩わしさから開放されることでしょう!
一般の人は、煩わしさを多く体験して成長する必要がありますが、
学びの友の皆さんは、そんな時代は終わったのですから、できるだけ、煩わしさから開放されましょう !。
煩わしいことが、少なくなると、時間が余るようになりますがら、瞑想の時間が多く持てるようになるのです。
※ この世のことは、五十歩でやってください。
でも、原子核を増やすこと(瞑想)は、百歩でやってください。
どうか、方便のために、百歩使わないようにしてください!
2023.10.19
現実と真実の違い!
この宇宙には、ホンモノらしき顔をしているニセモノと、ニセモノらしき顔をしているホンモノが、存在します。
つまり、見えるニセモノと、見えないホンモノが、存在するのです。
この宇宙は、対になっているのです。二つで一つなのです。
二つで一つですが、どちらかがホンモノで、どちらかがニセモノなのです。
ニセモノは、実際に無い現実です。ホンモノは、実際に有る真実です。
ニセモノの現実は、見えるのです。ホンモノの真実は、見えないのです。
つまり、「見える・聞こえる・触れる・味わえる・臭えるモノ」は、すべて、幻なのです。
なぜなら、肉体に付属する五感そのものが、幻だからです。
幻の五感で、幻を見聞きしても、それは、幻にしか過ぎないのです。
もし、五感にかかるモノが永遠に無くならないなら、私は、五感にかかるモノを追い求めなさいと言います。
でも、五感にかかるモノは、一時、存在しているだけで、いつか、必ず、無くなってしまうのです。
無くなるモノを追いかけ、心が満足するはずがありません。
真実(真理)とは、何でしょうか?
現実(非真理)とは、何でしょうか?
真実とは、永遠に無くならないモノ、現実とは、必ず、無くなってしまうモノです。
何千億年・何兆億年存在しようと、無くなるモノは、真実ではないのです。
宇宙の無限時間での一兆億年など、一瞬です。
ましてや、私たちの住んでいる地球は、どんなに長く存在しても、数百億年程度です。
その地球における人類の文明も、せいぜい、数万年維持できれば、良い方です。
更に、今の地球人類の寿命は、どんなに維持できても、百数十年程度です。
その百数十年程度の命を守ろうとして、競い、闘い、奪い、戦争までしているのが、地球人類なのです。
それは、真実と現実の見分けが、できていないからです。
この表現宇宙は、幻なのです。
地球も、幻です。
幽界も、幻です。
夢も、幻です。
幻覚も、幻です。
詐欺師の言葉も、幻です。
柳を幽霊と見間違ったのも、幻です。
蜃気楼も、幻です。
UFOも、幻です。
物質化現象も、幻です。
この世の現象は、すべて、幻なのです。
幻の世界で起きていることは、すべて、幻なのです。
私たちは、生まれて死ぬまで、いや、死んだ後も、幻の中で生きて行くのです。
そして、また、幻の中に生まれ、幻の中で生き、幻の世界に帰って行くのです。
あなたは、こんな幻の輪廻を、いつまで繰り返すつもりですか?
幻の中で味わう幸せは、一時です。必ず、色褪せ、無くなってしまいます。
あなたは、そんな一時の幸せで、満足できますか?
永遠の私たちは、永遠の幸せを掴まなくては、満足できないはずです。
その永遠の幸せは、真実を知れば、得られるのです。
どうか、真実を知ってください。
そうすれば、幻の輪廻から抜け出し、「永遠に尽きない! 永遠に色褪せない!」、幸せを掴むことができるのですから・・・。
※ 二兎追うものは、一兎も得ず・・虻蜂取らず・・この二つの諺を持ち出すまでもなく、二つのものを追いかけては、一つも得ることはできません。
ですから、まずは、形の世界の様子を知りましょう。
その後、見えない世界の様子を知れば良いのです。
(2019年7月28日 今週の真言より)
旧・光のメロディー「夢幻の世界」
2023.10.20
私(自分)しかいない!
全てが、私(自分)なのです。
この、大宇宙、大自然、鉱物、植物、動物、人間、全てが、私なのです。
空気、水、土、全てが、私なのです。
創造物の全てが、私なのです。
なぜなら、私が、全ての創造物を創り、その中に居るからです。
私は、全てのすべて有りてあるものです。
私に、恨み言を言う人も、罵声を浴びせる人も、嫉妬する人も、みな、私なのです。
私の中に、私が居るのです。
あなたの中に、私が居るのです。
すべてのモノの中に、私が居るのです。
その私が、何事も、行っているのです。
だから、すべて、私の責任です。
痛みの中に、私が居るのです。
苦しみの中に、私が居るのです。
悲しみの中に、私が居るのです。
勿論、感動の中にも、喜びの中にも、幸せの中にも、私は居るのです。
私は、何でも自由に創造できるのです。何処にでも自由に行けるのです。
その私には、誕生がないのです。だから、死もないのです。
私は、生き通しの存在です。永遠不滅の存在です。無限なる存在です。
私には、限界が無いのです。
だから、私は、自由です。自由なるがゆえに、完全なのです。
私には、失敗は無いのです。
たとえ、失敗に見えても、それは、成功のための失敗ですから、成功なのです。
と言うことは、私は、どこまでも、完全である、と言うことです。
それは、今、私が存在していることが証明しているのです。
私のいない時は、無いのです。
私のいない宇宙は、無いのです。
私抜きの宇宙など、無いのです。
私抜きのドラマなど、無いのです。
私の中の私です。
私の内の私です。
私しかいないのです。
(2016年11月27日 今週の真言より)
皆さんは、名作家であり、名演出家であり、名監督であり、 名演技者です!
皆さんの今日までの人生ドラマは、自分が筋書を書き、自分が演出をし、自分が監督をし、自分自身が演じてきたのです。
この学びの場に来る筋書きを書いたのも、皆さん自身です。
だから、皆さんは、名作家であり、名演出家であり、名監督であり、名演技者であると言うのです。
自作自演の人生ドラマです。
そのドラマの内容は、みな、進化成長に結びついているのです。
だから、苦しい人生だったからと言って、失敗だと思わないでください。
失敗どころか、大成功です。
なぜなら、苦しい人生が、今のあなたにしたからです。
※ 人生は、夢幻です。あなたは、今、夢幻の中で、「泣き笑いしながら・・それも、必死になって・・」生きているのです。
でも、その夢幻の人生が、あなたを成長させてくれるのです。
※ あなたが生まれてきたのは、結婚するためでも、子供を設けるためでも、金持ちになるためでも、名を挙げるためでも、ありません。
本当の自分を知るために、生まれてきたのです。
どんなに、この世の宝物を得ても、この世限りです。
でも、自分を知った宝物は、永遠なのです。
どうか、本当の自分を知って帰ってください!
※ 何事も、自分の思い通りに生きたらいいのです。
なぜなら、自分の思い通りに生きて、今の自分があるからです。
だから、これからも、同じように、自分の思い通りに生きたらいいのです。
たとえ、それが、失敗のように見えても、成功のための失敗ですから、失敗ではないのです。
今は、解らないかも知れませんが、いつか、必ず、解かる時がくるでしょう!
(2019年9月8日 今週の真言より)
2023.10.21
すべて必然!すべて良いこと!?
世の中には、不幸災難に見舞われ、苦しんでいる人たちが、大勢おります。
確かに、見た目には、可愛そうに見えるでしょう。
でも、不幸災難は、決して、悪いことではないのです。
このことは、真理を学んでいる人の前で言えることで、一般人の前で言ったら怒られますので気を付けてください。
では、なぜ、不幸災難が悪いことではないのか?
少し難しいかも知れませんが、理由を述べたいと思います。
その前に、私たちは、永遠に生き通す、意識です。生命です。魂です。
このことを前提に読んでください。
なぜ、不幸災難が起きたのでしょうか?
それは、意識させる必要があったから起きたのです。
意識されないで何かが起きることは、絶対ないのです。
ここに、注目してください。
仮に、意識されないで不幸災難が起きたとしましょう。
では、それは、誰のために、何のために、起きたのでしょうか?
意識されないで起きたことに、意味があるでしょうか?
また、意識されないで起きたことは、起きたことになるでしょうか?
認める者がいなければ、認められる何かが、起きようがないのです。
と言うことは、人のいないところ(意識しない)で、何か(不幸災難)が起きることは、絶対あり得ない、と言うことです。
ならば、意識の前で起きたことは、すべて、意味ある必然だと言うことになります。
起きたことの意味を知って欲しくて、意識の前で起きたのですから、必然です。
では、起きたことに、どんな意味があるのでしょうか?
それは、意識に疑問を持ってもらいたくて起きたのです。
自分の意識の前で起きれば、なぜ、こんな事が起きたのか? と疑問を持ちます。
疑問を持てば、疑問を解こうとするでしょう!
解ければ、意識は、進化成長できるのです。
私たちは、進化成長するために、意識させられているのです。
だから、不幸災難は、悪いことではないのです。
これまで、私たちは、沢山の不幸災難を体験して、ここまで、進化成長してきたのです。
※ どうして、意識の前でしか起きないのでしょうか?
それは、意識されて、はじめて、起きたことになるからです。
意識されなくては、起きていても、起きていないのです。
起きたのは、意識が存在していたからです。
その起きたことは、意識に何らかの影響(疑念・不審・疑惑・疑問・訝しさ)を与えるのです。
影響を与えると言うことは、意味があったと言うことです。
では、どんな意味があったのでしょうか?
それは、影響を受けた意識は、すべて、進化成長して行くと言う意味です。
疑問を持った意識は、疑問の謎解きをするので、必ず、進化成長するのです。
(2018年7月15日 今週の真言より)
必然! パート2
私たちは、よく、「偶然に起きた」とか、「必然に起きた」とか、言いますが、意味を理解して言っているでしょうか?
では、偶然と必然の意味を、文字から解き明かして見たいと思います。
偶然の「偶」と言う字の意味は、「無茶苦茶・思いがけず・当たりばったり・計らずも・たまたま・計画性が無い・無法則」と言う意味です。
必然の「必」は、「必ず・きっと・間違いなく・確かに・きっちりと・ぜひとも・揺るがず・有法則」と言う意味です。
「然」と言う字の意味は、「起きる・成る・流れ・道・方向・力・動き・働き」と言う意味ですから、
通して解釈すれば、「偶然」とは、「無茶苦茶に起きる・思いがけなく起きる・当たりばったりに起きる・計らずも起きる・たまたま起きる・計画性もなく起きる・無法則に起きる」と言う意味になります。
それに対して、必然とは、「必ず起きる・きっと起きる・間違いなく起きる・確かに起きる・きっちりと起きる・揺るがず起きる・法則どおり起きる」と言う意味になります。
この宇宙は、きっちりとした、「必然の法則」の下に管理されているので、偶然などあるわけがないのです。
もし、偶然があるなら、今、宇宙は、存在していません。
今、あなたは、存在していません。
今、宇宙が存在し、今、あなたが存在していること自体、「必然の法則」によって管理されている証拠なのです。
法則とは、秩序を意味しますから、どんなことも、必然で起きているのです。
つまり、成るべきにして起きているのです。
神は、「必然の法則」によって、私たちを進化成長させようとしているのです。
だから、「悪いことを思ったから、悪いことを語ったから、悪いことをしたから」と言って、自分を責めてはなりません。
必然で思い、必然で語り、必然で行なった、良いことなのですから・・・。
この宇宙には、間違いも、失敗も、悪いことも、無いのです。
なぜなら、進化成長に結びついている、間違いであり、失敗であり、悪いことだからです。
と言うことは、あなたが、思った悪いことも、語った悪いことも、 行なった悪いことも、良いことだと言うことです。
※ なぜ、起きたことが、必然なのか?
それは、自分しかいないからです。
自分しかいないのですから、何かを起こそうと思ったら、自分で起こすしかありません。
自分が起こそうと思って起こしたのですから、必然なのは、当たり前です。
(2019年3月17日 今週の真言より)
必然! パート3
死ぬと分かっているのに、人は、どうして、生まれてくるのでしょうか?
それは、何か、学ぶべきこと・・やるべきこと・・が、あるからではないでしょうか?
では、学ぶべきこと、やるべきこと、とは、何でしょうか?
それは、自分の本性を知ること、そして、原子核を増やすことです。
これは、表現宇宙では、必然事項となっていますから、死ぬと分かりながら生まれてくるのです。
必然には、意味があるのです。
それは、「どんなことも、進化成長のために起きている!」と言う意味です。
進化成長のために起きている必然ですから、どんなことも、良いことなのです。
例えば、
「事故に遭った、病気になった、人に騙された」ことも・・
「頭に鳩の糞が落ちてきた、ズボンに泥水をかけられた、石につまずいた」ことも・・
「悪いことを思った、悪いことを語った、悪いことをした」ことも・・
「悩んだ、心配した、恐怖した」ことも・・
みな、良いことなのです。
どんなに無意味と思えることも、悪いと思えることも、みな、進化成長に結びついているからです。
今は、解らなくても、自覚の境界線を超えれば、解ります。
※「死ぬと分かっているのに、どうして、勉強しなければならないのか?
死ぬと分かっているのに、どうして、働かねばならないのか?
死ぬと分かっているのに、どうして、道徳や、倫理や、法律を、守らねばならないのか?」と、あなたは、思うかも知れませんが、
それは、あなたを成長させるために必要な必然だからです。
※ この宇宙に、進化はあっても、退化はないのです。
もし、退化があるなら、神は、無能になってしまうからです。
神は、完全です。全能です。
その神が、退化するような仕組みを創るわけがないのです。
ですから、どんなことも、進化成長に結びついていると思ってください。
※
(2019年3月24日 今週の真言より)
2023.10.22
なぜ、努力が必要なのでしょうか?
それは、「原因と結果の法則」が、事を成就させるからです。
家で何もしないでいる人は、原因を創っていませんから、何も得られません。
外に出て何かしている人は、何かしていると言う、原因を創っていますから、必ず、結果として何かが得られます。
例え、その何かが、くだらない原因から生まれた、くだらない結果であったとしてもです。
真理を求めて努力している人は、原因を創っているわけですから、必ず、何らかの形で真理が得られます。
私が「真理を得る努力をしてください!」と言うのは、努力すれば、努力した分の結果が、必ず、得られるからです。
努力なしに、何かを成し得た人は、この宇宙に、一人もおりません。
何事も、努力してこそ得られるのです。
ですから、ただ、手を合わせて神頼みしている人は、何も得ることができないのです。
世の人々は、この世の全ての事象が、原因と結果の法則によって起きていることを知らないのです。
原因なしに、結果が起きることは、絶対ないのです。
それも、良い原因には、良い結果が、悪い原因には、悪い結果が・・・ 多ければ、多く、少なければ、少なく ・・・です。
その原因を創っているのは、私たちの想念なのです。
良い結果が得たかったら、良い想念を持つことです。
それも、多く得たかったら、良い想念を多く持つ努力をすることです。
これは、誰にも邪魔されないで、出来ることなのです。
どうか、原因と結果の法則を信じ、努力して、良い原因を多く創ってください !
つまり、努力して、良い想念を多く持ってください!
努力は、絶対、裏切らないのですから・・・。
つまり、原因と結果の法則は、絶対、裏切らないのですから・・・。
※ 努力の「努」とは、「女」に「又」に「力」と書きます。
お産のことを言っているわけですが、この字は、「何かを産むには、努力が必要ですよ!」と言っているのです。
努力は、科学なのです。
私が怠け者を嫌うのは、科学が利用できないからです。
つまり、「原因と結果の法則」が利用できないからです。
努力をした分、必ず、良い結果が与えられます。
これは、「原因と結果の法則」が保証してくれるのですから、間違いありません。
どうか、努力を惜しまないでください!
※ 向上心を持つ理由が、二つあります。
一つは、この世のものを得たいと言う欲望からくる向上心です。
もう一つは、魂を大きくしたいと言う欲望からくる向上心です。
魂の未熟な者は、この世の物を、たくさん得たい欲望が、向上心を旺盛にします。
でも、目的が達せられると、途端に、向上心が薄れてしまいます。
要するに、ある程度、お金や、物や、地位が得られ、その上に安住してしまうと、向上心が保てなくなるのです。
魂の熟した者は、魂を大きくしたい欲望が、向上心を旺盛にします。
この向上心は、尽きることがありません。
なぜなら、 魂を大きくすることに、終わりがないからです。
この世の物は、有限ですから、どんなに、向上心をかき立てても、限度がありますが、真理は、無限ですから、いくらでも、向上心をかき立てることができるのです。
※ 私は、努力することが、大好きです。
なぜ、大好きかと言いますと、努力した後、見えるものが違ってくるからです。
努力すれば、良い原因を創るわけですから、必ず、良い結果がやってくるのです。
それも、多く努力すれば、多く・・・ 少なく努力すれば、少なく・・・です。
何を言いたいかと言いますと ・・・「努力して瞑想をしてください!」と言っているのです。
瞑想したら、原子核が大きくなります。
原子核が大きくなったら、理解力が増します。
そうすると、今まで気づかなかったことに、気づくようになり、更に、理解力が高まるのです。
理解力が高まると、見えるもの、受け取るものが、今までと違ってくるのです。
こんな楽しいことは、ないのではありませんか?
どうか、努力して瞑想してください!
2023.10.23
相手関係を知ること!
皆さんは、どうして、恐怖するのでしょうか?
どうして、心配するのでしょうか? どうして、悩むのでしょうか?
それは、この世界が、本当にあると思うからです。
この世は、現象の世界です。実際には無い世界です。
でも、頭では、そう思えても、心の底では、そう思えません。
心の底で思えるようになるためには、相手関係のことを深く知る必要があるのです。
では、知りましょう!
それは、自分の意識が認めるから、あるのではありませんか?
自分の意識が認めなければ、何も存在しないのです。
と言うことは、自分の意識が、相手を・・世界を・・宇宙を・・神さえも、創っていることになります。
このことを、腹の底で知って欲しいと思います。
何か難しいことをして、知るのではありません。
原子核が増えれば、自然と、知ってゆくのです。
そのためには、次の二つのことを、やらねばなりません!
この二つのことをやれば、少しずつ原子核が増えます。
原子核が増えれば、増えた分、現実感が薄れ、心配事や悩み事が、少なくなってゆくのです。
何も難しいことをする必要はありません。お金もかかりません。どこへ行く必要もありません。
二つのことを実践すれば、そうなってゆくのです。
どうか、相手関係を、できるだけ、心の深いところで知ってください。
※ この宇宙は、一つだけでは、成り立たない宇宙です。
二つあって、成り立っている宇宙なのです。
つまり、相対と絶対があって、成り立っている宇宙なのです。
相対させなければ、何も分からない!、何も生まれない!、何も存在しない!、宇宙なのです。
つまり、相手がいるから、自分が分かるのです。自我があるから、神我が存在するのです。
一つでは、何も分からない!、何も生まれない!、何も存在しない!、と言うことです。
※ 一つだけで、何かが存在するでしょうか?
光だけで、何かが存在するでしょうか?
鏡の無い世界がありました。
その世界の人たちは、自分を一度も見たことがないのです。
ですから、その世界の人たちは、自分のことを全く知らないのです。
自分って、一体、何だろうか? 考えても、考えても、分かりません。
ある日、あるところから、鏡が寄贈されました。
そこで、やっと、自分を知ることができたのです。
鏡とは、相対世界のことです。
鏡が寄贈されたと言うことは、世界が二つできたと言うことです。
絶対世界だけでは、絶対世界は分からないのです。
相対世界ができて、初めて、絶対世界が分かるのです。
つまり、自我の自分ができて、初めて、神我の自分が分かるのです。
2023.10.24
全ては想念の反映!
最近、家に閉じこもっている人が多くなっているようですが、彼らの想っている事と言えば、心配・恐怖・怒り・恨み・憎み、など、 殆どが、悪い想いばかりです。
それも、ありもしない妄想を描いているのです。
何もしないで家にいれば、そんな妄想しか持たないのです。
悪いことを想っていれば、悪い波動が同調してきて、精神的にも、肉体的にも、不健康になるのです。
ですから、家に閉じこもっている人で、健康的な人は、一人もおりません。
外で働いている人は、妄想を描く暇がないので、精神的にも、肉体的にも、健康なのです。
ただし、外で働いている人も、妄想を描いたら、悪い波動にやられてしまいますので、気を付けなければなりません。
想念は、何でも実現させる偉大な力を持っているのです。
賢い人は、その想念を良いことに使って、幸せになっています。
愚かな人は、悪いことに使って、不幸せになっています。
人の「幸・不幸」は、想念次第だと言うことです。
※ 念仏行を勧めている宗教がありますが、これには、一理あるのです。
例えば、普段、悪いことばかり想っている人も、「南無阿弥陀仏!」とか、「南無妙法蓮華経!」の題目を唱えている時は、悪いことは想えませんので、悪いことを引き寄せないのです。
これは、題目の文言に、神秘力があるのではなく、唱えている時は、悪いことを想えない(業を作らない)から、悪いことが起こらないだけです。
その意味では、「ありがとう!」の想いでも、「嬉しいな!」、「楽しいな!」の想いでも、良い想いなら何でも良いのです。
※ 私が、神を想いなさいと言うのは、神を想っている時は、悪い想いが持てないからです。
特に、学びの友の皆さんは、神の概念が深く厚くなっていますから、神を想えば、間違いなく、原子核が増え、かつ、業を作らないと言う、二重の功徳が得られるのです。
※ 社会を、良くするも、悪くするも、人類の想念次第です。
もし、地球人類が良い想念を使うようになったら、地球に理想社会が誕生するのも、夢でないでしょう!
私は、このことを、全人類に訴えたいと思います。
これは、宗教でも、何でもありません。
良いことを想えば、良いことが返ってくる。
悪いことを想えば、悪いことが返ってくる。
これは、科学です。つまり、「原因と結果の法則」の働きです。
※ 私の願いは、想念の偉大さを、教育の場で教えて欲しいと言う願いです。
もし、その教育が浸透していけば、もう、犯罪防止に、お金をかける必要も、防衛費に、お金をかける必要も、医療費に、お金をかける必要も、なくなるでしょう。
嘘だと思うなら、やってみることです。
やってダメでも、元々ではありませんか?
これは、誰にも迷惑がかからないし、何一つ、損をしないのですから・・・。
※
全て、人類の想念の反映なのです。
※ 世の乱れを嘆く必要はありません。
自分が成長したら、そんな、厭なものは、見なくなるのですから・・・。
厭なものを、見なくなると言う意味には、二つの意味があります。
一つは、厭なものは、成長のための、厭なものだから、厭なものに見えないと言う意味です。
もう一つは、自分が成長したら、もう、そんな、厭な世界に、生まれてこないので、見ないと言う意味です。
(2018年9月23日 今週の真言より)
2023.10.25
想念の使い方次第!
この宇宙には、本当に有るモノだけが、有るのです。
その本当に有るモノには、何の色も着いていないのです。
良く使えば、白になり、悪く使えば、黒になるだけです。
つまり、良く使えば、幸せになり、悪く使えば、不幸せになるだけです。
どう使うかで、白(良く)にも、黒(悪く)にも、変化すると言うわけです。
では、本当に有るモノとは、何でしょうか?
本当に有るモノとは、「意識」です。
その「意識」には、善悪のレッテルが貼ってないのです。
使い方次第で、善にもなり、悪にもなる、「意識」なのです。
その「意識」が、想念と言う形で、人類に与えられているのです。
ですから、人類は、その想念力を使って、何でも創れるのです。
良いモノも・・・悪いモノも・・・それも、自由意思で・・・。
それだけ、神は、人類の意思を尊重していると言うわけです。
だから、想念の使い方が、重要になってくるのです。
今、人類が苦しみに喘いでいるのは、想念を悪用しているからです。
つまり、想念の使い方が下手だからです。
あなたが持っている想念は、料理に使えば、善になり、人殺しに使えば、悪になる、諸刃の剣のようなものなのです。
どうか、想念を正しく使ってください。
使い方次第で、幸せにもなり、不幸せにもなるのですから・・・。
※ 「人事を尽くして、天命を待つとは」・・・、今、自分がやれることを、精いっぱいやって、後は、法則(神)に委ねて待つと言う意味です。
人事を尽くした結果は、人が与えるのではありません。
寸分も間違わない、「原因と結果の法則」が与えるのです。
人事を尽くす武器は、己の想念です。
どうか、良い想念を使って、良い結果を呼び寄せてください!
※ 「真剣に・純粋に」、神を求めている人を、神は放っておきません。
なぜなら、「原因と結果の法則」が、放っておかないからです。
思えば、成るのです。語れば、成るのです。 為せば、成るのです。
原因を創れば、必ず、結果が与えられるのです。
どうか、人生をかけて、真剣に、神を求めてください。(原因を創ってください。)
「原因と結果の法則」が、きっと、望みを叶えてくれるでしょう!
(2018年12月2日 今週の真言より)
想っている通りのもので、それ以上でも、以下でもない!
この言葉の意味の深さを知ってください!
想念は、何でも創るのです。
その何でも創る想念を、私たちは、持たされているのです。
ですから、その想念を正しく使えば、幸せになれるのです。
これは、お金や、物や、地位や権力にも関係ないし、利害や損得にも関係ないのです。
ただ、自分が、どういう想いを持つかだけです。
2023.10.26
神は我が子に出来ないことをさせるわけがない!
私が一番感心するのは、神は、難しいことをさせて、悟らせようとしていない点です。
「ただ、神を想い続けなさい!、そうすれば、神の自覚が得られますよ!」と、言っているだけです。
全能の神が、出来ないことをさせるわけがないのです。
もし、難しいことをしなければ悟れないなら、神は、全能で無くなってしまいます。
全能の神なら、子供でも、老人でも、女でも、男でも、頭の良い人でも、悪い人でも、貧しい国の人でも、豊かな国の人でも、悟れるようにしてくれているはずです。
そうです! 悟るのに、難しい理論も、技も、何も要らないのです。
今の今、ただ、神を想うだけです。
ただ、続けるか! 続けないか!、やるか! やらないか! だけです。
しかし、殆どの人が、途中で止めてしまうのです。
それでは、果実が得られるわけがないのです。
「継続は力なり!」です。何も変化が起きないからと言って、諦めないでください!
さあ、 続けましょう!
※ 昨日は、実在しません。明日も、実在しません。
「今の今」だけが、実在するのです。
その「今の今」の実在を使って、神を想い続ければ、間違いなく、神の自覚が得られるのです。
神は、自覚を得られる、こんな簡単な方法を用意してくれているのです。
これは、我が子を愛するがゆえの、神の計らいです。
さあ、「今の今」神を想い続けましょう!
※ 「神が我が子に出来ないことをさせるわけがない!」と言うのは、私たちの日々の生活においても言えることなのです。
神は、私たちに、難しい生き方をしなさい、とは言っていないのです。
自分の思い通りの生き方をしなさい!、と言っているだけです。
例え、それで、おかしなことになったとしても、それは、必然ですから、決して、失敗ではないのです。
なぜなら、おかしなことは、良いことにつながっているからです。
どんな道も、大道につながっているのです。
「人生の道」を見てください。
あなたの選んだ道は、みな、正しかったのですから・・・。
(2016年8月21日 今週の真言より)
真実を求める人へ捧げる曲「人生の道」
2023.10.27
トリックに引っかかっている神の子!
今、地球上には、70億人を越す人類が存在していますが、その全員が、神のトリックに引っかかっております。
つまり、現実の世界(幻の世界・幻の肉体)を、真実だと思い違いしているのです。
なぜでしょうか?
それは、真実と現実の見分けができていないからです。
では、神は、どうして、そのようなトリックに引っ掛けたのでしょうか?
それは、トリックに引っ掛けなければ、真剣に生きようとしないからです。
どうでしょう!
幻の世界だと分かった者が、真剣に生きようとするでしょうか?
いい加減な生き方しかできないはずです。
それでは、進化成長できないのです。
進化成長するためには、真剣に生きられる、幻の世界と幻の肉体が、どうしても、必要なのです。
※ 神の子は、自我を持ち、自由意志を持っている、賢い魂ですから、少々のトリックでは騙されないのです。
だから、神は、トリックに引っかかるような肉体を持たせ、幻の世界に放り込んだのです。
これは、人類を進化成長させるための、神の苦肉の策なのです。
今、地球上で、このトリックを見破っているのは、覚者だけです。
学びの友の皆さんは、見破る寸前まで来ている魂です。
一般人は、 まだまだ、時がかかるでしょうが、いずれ、トリックを見破る時が来ます。
どんな魂も、必ず、自分の正体を知る時が来るのです。
(2018年1月14日 今週の真言より)
※ この世が真実であり、自分が肉体であると思うと、肉体維持のために、一生懸命、働かなければなりません。
でも、この世が幻であり、自分は肉体で無く、「生命である!」、「意識である!」、「魂である!」、と思えるようになると、質素な生き方をするようになるので、一生懸命、働かなくても良くなるのです。
いかに、トリックから抜け出せるかです。
そのためには、原子核を増やし、「この世は、幻である!」、「肉体は、幻である!」と言う、実感を深めることです。
※ 人間であれば、誰でも脾臓を持っているわけですが、これが、神の子の証しなのです。
神の自覚が深まれば、その脾臓から、宇宙エネルギーを取り入れることができるようになるのです。
できるだけ、腹式呼吸をしながら、瞑想してください !(あまり囚われてもならない!)
脾臓から、宇宙エネルギーが入ってくるでしょう!
そうなれば、お腹が空きません。疲れません。病気にもなりません。食料不足が起きても、どんな病気が蔓延しても、心配する必要がありません。
原子核を増やし、一日も早く、トリックから抜け出してください!
2023.10.28
絶対真理を支える絶対真理
この宇宙には、「たった一つの神しか存在しません。」 これは、絶対真理です。
この絶対真理を念頭に、何かが存在するための絶対条件を、考えてみましょう。
何かが存在するためには、その何かを認めてくれる認識者が、絶対必要です。
すなわち、神が存在するためには、神を認めてくれる認識者が、絶対必要です。
この絶対条件も、真理です。
なぜなら、認めてくれるモノが存在しなくては、認められるモノは存在できないからです。
でも、良く考えてみてください!
「この宇宙には、たった一つの神しか存在しない!」と言う、絶対真理があるならば、神を認めてくれる認識者が、他に存在できるはずがありません。
もし、他に認識者が存在するなら、「この宇宙には、たった一つの神しか存在しない!」と言う、真理は、崩れ去ってしまうからです。
これは、神にとって、実に困ったことです。
なぜなら、前述したように、神が存在するためには、神を認めてくれる認識者が、絶対必要だからです。
神は、悩んだ末、次のような、苦肉の策をあみだしました。
それは、自分の分身を創り、その分身から、自分を認めてもらう、と言う方法です。
そのためには、分身に、自分と同じ能力を持たせ、かつ、客観的立場に立たせ、それも、神の記憶を持ったままでは意味が無いので、分身から記憶を奪う必要がありました。
そう言うわけで、神は、自分と同じ能力を持つ人間を創り、その人間から記憶を奪って、客観的立場にし、表現宇宙に送り出したのです。
その時点で、神と人間は、同等の立場になったのです。
人が、なぜ、神なのか?
それは、神と同じ能力を持つ認識者だからです。
人が存在しなくては、神が存在できない! 神が存在しなくては、人が存在できない!
この相身互いの関係にあるのが、神と人なのです。
だから、私は、「人と神は、対等である!」と言うのです。
これが、絶対真理を支える絶対真理の必要な理由です。
(2016年5月29日 今週の真言より)
幼い子もいずれ大人になる
無いモノが、無いモノを生み出すことは、絶対できません。
無いモノは、有るモノが、生み出すのです。
では、無いモノを生み出すことのできる人間は、有るモノと言うことになるでしょう。
何せ、人間は、ビル・自動車・飛行機・コンピューター・戦争・病気・悩み・苦しみなど、沢山の無いモノを作っているのですから・・・。
では、有るモノとは、何でしょうか? それは、神です。
と言うことは、人間は、神である、と言うことになります。
でも、人間が、神であるならば、戦争や、病気や、悩みや、苦しみなどを、作るでしょうか?・・・。
それは、肉体を自分だと思い違いしている、未熟な神の子だからです。
自分が肉体人間だと思えば、どうしても、苦しいものを作ってしまうのです。
しかし、幼い子も、大人になり、神に目覚めれば、美しいモノを創るようになるのです。
地球人類は、その途上にあるのです。
(2016年1月3日 今週の真言より)
2023.10.29
悪は無い! 不完全も無い!
「真・善・美」で固められている宇宙に、不完全なものは、一つもありません。
不完全なものが、一つも無いと言うことは、悪なるものは、一つも無いと言うことです。
だから、そこには、恨む人も、憎む人も、怒る人も、あり得ないし、事件も、事故も、災害も、病気も、あり得ないのです。
あるように見えている悪は、すべて、人の迷いが生み出した幻です。
もし、実際にある悪なら、決して、無くなることはありません。
実際にない悪だから、人の迷いが解ければ、消えて無くなるのです。
だから、この宇宙に、悪人は、一人もいないのです。
いるのは、善人ばかりです。
世の悪を見て、憤慨したり、嘆いたり、嫌な気分になるのは、自分の中に、まだ、悪があるからです。
自分の中に、悪があるうちは、どうしても、悪が見えるのです。
世の悪は、そのことを気付かせてくれる、先生です。
だから、世の悪を恨んではなりません。悪に目を背けるのではなく、自分の中にある悪を見詰め、その悪を無くす努力をすべきです。
神が創られた完全なる宇宙に、本質的な悪があるわけがないのです。
今、人類が見ている悪は、善の尊さを知る方便の悪ですから、それは、善なのです。
善の中にいては、善の尊さは分からないのです。
悪の苦味を知ればこそ、善の尊さが分かるのです。
ですから、悪の本質を理解できた人は、悪を見なくなるのです。
それは、自分の中に、もう、悪が無くなったからです。
神の目を備えた人とは、悪が見えなくなった人のことを言うのです。
(2015年10月25日 今週の真言より)
迷惑!?
世の人々は、「迷惑」を、悪と考えていますが、本当に、「迷惑」は、悪でしょうか?
迷惑と言う意味は、「迷わせ惑わせる」と言う意味ですから、字の意味だけ考えたら、悪かも知れません。
でも、迷惑をかけられたことで、色々と体験できるのですから、それは、悪いことではないのです。
だから、「人に迷惑をかけて良い!」と言っているわけではありません。
迷惑を、自分の成長に、つなげて欲しいと言っているのです。
あなたは、自分を成長させたくて、迷惑をかける人を連れてきたのです。
ならば、迷惑をかけてくれた人は、恩人ではありませんか?
実際に、あなたは、これまで、迷惑をかけられたことで、成長してきたのですから・・・。
このことは、主観宇宙の仕組みを知った人なら、分かって頂けるはずです。
何でも良く受け取ってください!
厭(嫌)なことは、自分を成長させてくれる、肥やしなのですから・・・。
※ 悪人を嫌っているうちは、未熟です。
悪人に、感謝できるようになったら、成熟です。
厭(嫌)なことを、嫌っているうちは、未熟です。
厭(嫌)ことに、感謝できるようになったら、成熟です。
実際に、あなたは、 嫌なことを乗り越えることによって、ここまで、成長してこれたのですから・・・ 。
※ 嫌なことをされたのは、あなたが、嫌なことをしていたからです。
あなたが、嫌なエネルギーを出していたから、嫌なエネルギーが入ってきたのです。そのことに、気付いたら、成長です。
迷惑なことが、迷惑でないのは、成長できるからです。
嫌なことが、嫌なことでないのは、成長できるからです。
※ エネルギーは、出した分、入るようになっているのです。
出しもしないで、エネルギーを貰おうとするのは、欲です。
欲のエネルギーを貰ったら、いつか、必ず、返さなければならなくなります。
痛みとして・・・苦しみとして・・・。
ギャンブルほど、大損なことはないのです。気をつけたいものです。
(2018年4月8日 今週の真言より)
明るく、明るく、朗らかに・・
何事も良く受け取り・・
神を想い、光を想い・・
精いっぱい、生きましょう !!
2023.10.30
無限なる私たち!
無限とは、限界がないという意味です。 つまり、果てがないということです。
そのことを前提に、神のこと・・私たちのこと・・を考えてみましょう!
神は、無限なる存在です。
なぜ、神が無限の存在かと言いますと、意識そのものが、神であり、その意識が、無限だからです。
私たちは、その神の意識から別れた、意識の子供たちです。
ですから、私たちも、無限の存在なのです。
よく、考えてみてください!
私たちの持っている意識は、自由自在に使うことができます。
また、無限に拡大することができます。何一つ縛られることはありません。
ですから、意識の自分は、自由な存在なのです。
でも、地球人類は、不自由な生き方をしております。
それは、 肉体を自分だと思っているからです。
肉体は、意識の乗り物であり、本当の自分ではありません。
なぜなら、意識が抜ければ、肉体は、消えて無くなってしまうからです。
消えて無くなる肉体が、自分であるはずがありません。
本当の自分は、肉体の中に存在している意識です。
意識ゆえに、私たちは、無限の存在なのです。
どうか、意識の自分に目覚めてください!
目覚めたら、苦しみのない、自由自在な自分になれるのですから ・・・。
無限は絶対真理!
この宇宙が無限なのは、絶対真理です。
と言うことは、 この宇宙には、「一つのモノしか無い!」と言うことになるでしょう!
もし、二つも、三つも、何かがあるなら、宇宙は、有限になり、無限であるという、絶対真理は、崩れ去ってしまうからです。
宇宙が無限である、と言うことは、私たちは、無限である、と言うことになります。
なぜなら、今、現に、私たちは、存在しているからです。
今、現に、私たちが、存在していると言うことは、一である、という証拠です。
その一は、無限ですから、私たちは、間違いなく、無限なのです。
※ 無限が、どれほど凄いことか? 心の底で知ってください!
心の底で知ったら、あなたは、唖然とするでしょう!
もし、有限なら、この宇宙は、一瞬にして、消滅してしまうでしょう。
勿論、神も存在しません。私たちも存在しません。幸せも存在しません。何もかも存在しなくなるのです。
無限と言うのは、限定されない状態です。
有限と言うのは、限定された状態です。
限定されないものは、生きているのです。
限定されているものは、死んでいるのです。
死んでいる宇宙に、神がいるわけがありません。私たちがいるわけがありません。幸せがあるわけがありません。
生きているから、宇宙があり、神がおり、私たちがおり、幸せがあるのです。
この意味の深さを知ってください。
※ 有限のものは、無限から生まれるのです。
無いものは、無限から生まれるのです。
消えるものは、無限から生まれるのです。
だから、人間は、無限から生まれたのです。
と言っても、
宇宙は、生まれることがありません。もともと、存在していたのです。
神は、生まれることがありません。もともと、存在していたのです。
私たちは、生まれることがありません。もともと、存在していたのです。
宇宙も、神も、私たちも、無限の昔から、存在していたのです。
※ 有限のものは、有限のものから、生まれることはありません。
ですから、本来、この世に、病気などないのです。事故災難もないのです。
病気を作っているのも、事故災難を作っているのも、人の想いです。
人の想いは、無限だからです。
2023.10.31