どなたも意識というものを持っていまして、私達はいろいろの意識があると思っていますけれども、いろいろの意識があるんじゃなくて、いろいろの意識の仕方があるんだということを、いつも話しておりますけれども。表面意識だとか潜在意識だとか、ということをよく言いますけれども。表面意識とは何か。潜在意識とは何か。ということをよく、気を付けていただきたいと思います。或いは、物質的な意識とか、霊的な意識とかとよく言いますけれども、意識とは何かということでございますね。意識とは何かということです。よく意識という言葉を、よく使いますけれども。或いは、神意識だとか普遍意識だとか、宇宙意識だとか、で、そういう様々な意識があるんじゃなくて、様々な意識の仕方があるということを、よく理解していただけばいいと思いますね。宇宙には、普遍意識という神意識というその一つの意識しかないんですけれども、私達は様々な意識の仕方をあるわけです。すなわち表面意識とは何かというと、表面を意識している自分と。内在意識とは何かというと、内側を意識している自分というものがあると言うことなんですね。で、私達というのは、意識しているところに自分が居るのであると。例えば、私達が外を意識している時には、私達は外に居りますし、内側を意識している時には、私達は内側に居るわけです。だから私達は、思っている通りの者であって、それ以上の者でも以下の者でもないと言うことなんですね。で普遍的自分というのは、自分が普遍的でこの宇宙に遍満する。そのー、普遍的なものであるということを、じっと意識している時には、自分はその実際に普遍的なんですね。あー、自分は個人だという、人間だという人間意識、人間だと思っている時には、皆さん人間世界に居りますし、自分は大霊そのものだとこう思っている時、意識している時は、その大霊の世界に居るわけです。で、だから皆さん方は、大霊の世界に居ることも、この地上界を意識している時には、地上界に居ることも出来る。だからこの知花というものは、この世をその三次元的なこの物質の世界というのを意識している時に、知花はここに居りますし、内側の世界を意識している時、知花は内側の世界に居るんですね。すなわち、出入りが自由ということ。出入りが自由という意味は、内を意識することも外を意識することも、自由自在という意味なんですね。これを、観自在、無碍自在と普通言いますけれども。それは全部、意識で決めているわけです。で、私達は目が覚めますと、どうしてもこの三次元というものを、表面という物質の世界を意識していきますね。で、これを表面意識と普通、言っているわけです。しかし私達は、常にこの、ここは、その目に見える世界というは、写しの世界ですから、で、私達は、常に写しの世界だけを生きて、あのー、意識して生きていたとするならば、これを何と言ってるかというと、自我意識と言います。本来の意識じゃないですね。本来の意識は、表面だけが本来の意識じゃなくて、総計されたものが、意識ですから。意識は部分意識というものがあるんじゃなくて、いつも私が潜在意識と表面意識とを説明しますけれども、ここは潜在ですね。表面。表面意識と潜在意識の区切りはありませんよと、いつも言うわけですね。で、お釈迦様は、見えないモノと見えるモノとは1つと言ったんです。すなわち、このー、色即是空空即是色と言いまして、現れているものと、現れていないものとは一体であるということ。今、人間は、何を意識しているかというと、現れている部分だけを意識しているんですね。すなわち、表面だけを意識して生きていると。これを名付けて、表面意識と言っているわけです。しかし、その潜在意識と表面意識との区切りというのは、どこにもないんです。だから区切られた意識というのは、どこにも存在しないんですね。あなた方が勝手に部分的な部分、局部を局部分部分を意識しているだけであると。で、全面的な意識というのは、表面意識と潜在意識との一体感です。一体感ですね。で、皆さん方、内観という言葉をよく使いますね。内観。内観とは何かというと、内側を意識している状態を内観。内側を見ている時は、内観ですね。で、外側を見ている時は何かというと、外観と言っていますね。外観。外を観ると。大体人間はね、外を見て生きてるんですね。だからお釈迦様は、外を観るな、内を見よと言ったんです。内を見た時、偉大なものがありますよと。これを潜在能力と、皆さん言ってるんですね。潜在能力。で、表面の能力というのは、表面の世界は、普通、人間は何かと言うと、10%と言っているんです。で、潜在能力を、普通90%と普通言っているわけですね。で、神の意識とは何かと言うと、10%と、この90%とプラスされたもの。すなわち100%の意識。で、これを完全意識と言っているんですね。神意識と言っているわけです。しかし皆さん方、どうしてもその自己限定。夕べも話しましたけれども、自己限定してしまって、その自己限定とは何かというと、表面の部分だけを意識していることを、もう完全に自己限定なんですね。だから、それは自我というんです。偽我というんです。本来の私達の意識というのは、この個人意識じゃなくて、10%の表面意識と90%のその潜在意識とがプラスされた、合わすと100%の意識になりますね。これを名付けて、普遍意識、宇宙意識、無限意識と言うんです。で、私達が、この無限の無限能力を、この世に顕現する為には、10%の自我意識で100%の能力が出せますでしょうかということなんですね。で、意識の拡大というのを、皆さんよく言いますね。意識の拡大というのは、すなわち10%の意識が、90%の潜在意識を認めて、そして10%と90%の意識が、アルファーされたとき、これは完全意識ですから、完全意識そのものは、神意識、神意識は宇宙意識、普遍意識と言われているものなんですね。だから、自分が普遍的であると、無限であると言うことを意識している時には、普遍の世界、無限の世界に自分というのは存在するわけですね。で、外側の見える世界だけを意識している時には、10%の、その僅かの表面の意識で、我々は存在しているわけです。で、あなたは表面を意識することも可能ですし、内側の意識を意識することも可能ですね。あなた方が内側というものを意識している時には、あなたは内側に居りますし、外側を意識している時には外側に居るというだけの違いなんです。しかし皆さん方は、今どこを意識して生きているかということですよ。外側ですね。すなわち見える世界ですね。色の世界。この見える表面で現れている部分だけ、この部分だけに、人間は生きてしまっているわけです。それじゃ、能力が出せるはずがありませんよ。どうです。表面意識の10%の認識で、全能力が出ますか?出ませんねえ。あなたが拒んでるんですよ。神は皆、無限供給と言われまして、無限の知恵と無限の力とが全てに与えられていますけれども、人間が勝手に、この部分意識というものを作ってしまって、自分を自己限定してしまって、で、小さな10%の意識で、皆さんも日常生活するようになってるわけですね。で、無限の知恵と力とを得る為には、私達はどうすればいいかというと、内観せねばならないんです。外観では、神の力を顕現することは出来ないんですね。だから私達は、常にこの内側を見つめて。内側を見ますと、その神の世界、すなわち、意識の世界には、内外がないということ。この、海の上に浮いている氷山でさえも、上辺に出ている氷山と潜伏している氷山との境目がありますか?区切りがありますか?ないですね。10%の意識があったり、90%の認識があったりするんじゃないんです。だから、意識というものには区切りがないですから、意識は初めから普遍的なんです。無限大なんです。その無限大の意識を、私達が勝手にその外側という表面の世界だけを意識して、生きるようになってるんですね。それが本当に、皆さん方が、外、お釈迦様が言われた外を観るな内を観よと。今、人間は、みんな外を見て生きていますけれども。内側を見ますと、そこには偉大な力、すなわち、人柱力。神の力が潜伏しているわけです。これを潜在能力と皆さん、或いは超能力と皆さん言ってますね。超能力の開発とか、潜在能力の開発というものは、表面意識で皆さん潜在能力を開発出来ますでしょうか?えへへへへ!あなた方がねえ、あのー、無限の力と知恵を得る為には、自分が無限でなければならないんです。有限なるものが、どうして無限なる知恵と力を持つことが出来ましょうかということですね。だから大きなものを包むには、大きな風呂敷を持ってこなくちゃならない。それは寛大な心と。心とは何かというと、器なんですね。この器の事を、皆さん方、魂と呼んだりしていますね。で、器の大きい人を、寛大な魂と言っています。すなわち、器の小さい人を、小さな魂と呼んでいるんですね。すなわち、皆さん、意識が拡大されますと器が大きくなります。自分は個人意識だというのは器の小さい人。小さな魂。ね。器が小さいですね。その器は、小さくすることも出来、大きくすることも出来る。どうです?小さな器に無限大のモノが入りますか?入りませんね。で、皆さん方、無限能力を自分のモノとする為には、皆さんの視野と意識を、宇宙大にまで拡大せねばならないですね。それは意識を通して、瞑想を通して、せねばならない。表面を意識している自分と、内側を意識する、表面意識と内側の潜在意識とは一つなんだなと。すなわち、霊肉一体。天地一体。色心不二。色即是空の意味が分りましたならば、見える世界と見えない世界とは1つ何だなと言うことが分りますと、あなた方、見える世界と見えない世界と区切って物事を判断してるんですね。それを外観と言います。或いは、外念と言います。その外観や外念で生きていながら、潜在能力を開発したいとか、こんな事を言ったところで、それは潜在能力は出てもきませんし、現れもいたしません。だから、常に私達が、その全面的に総合的に物事を観ると。部分的にものを観ることじゃなくて、部分的意識をすることじゃなくて、ね。見えない世界と見える世界と一つにして物を観る。考える。そしてその意識が、この表面意識と潜在意識とを一体化ならしめて、あー、見える世界も見えない世界も無限宇宙、宇宙大なんだなっと、あなた方の思ったとき、そして、そういう意識を起こした時、皆さん宇宙意識です。無限意識ですね。で、そういう意識状態を誰が拡大出来ますか、意識は?誰が?小さくしているのは誰ですか?自分ですね。だから、あなたが個人的な意識を持っていながら、全力。すなわち、全能。それが皆さんを通して、現れるということは絶対にありえないということであると言うことなんですね。今いろいろの企業グループが、潜在能力開発、潜在能力を開発して企業が儲けようと、一生懸命そのセミナーとか、何ラーか分りませんけれども、やってるグループがおりますけれども、意味が、教えてる先生が、潜在能力が何であるか分らないんですね。だからそんなことで、潜在能力が開発された試しもありませんし、それはねえ、意識のあり方如何なんです。ね。だから、神意識と人間意識というものがあるんじゃないんですよ。あなた方は勝手に、自分は人間だと思っているだけ。じゃあ、人間の意識と宇宙に遍満する普遍意識と意識が違うんですか?人間だと思っているあなたと、神だと思う人と、その意識は別々の意識ですか?一つの意識ですか?あなたが勝手にね、自分のことを人間だということを意識している。これを人間意識というです。あなたは自分で自分を、人間だという意識を持っています。あなた方とこの知花の違いは、何かというと、私、この知花は、表面の意識と潜在意識とは同一のモノであるという意識を持ってるんですね。これが意識の拡大というものなんです。あなた方は、外側という見える世界を意識していますし、この知花は見える世界と見えない世界と、総計したものを見ているんですね。じゃあ、どっちが視野が狭いんですか?視野が狭いということは、どういうことかというと、見える世界だけを見てるんですね。色の世界だけを。しかし、この知花はそうではないです。見える世界と見えない世界は1つだと。ね。一つじゃありませんか?氷山は見えている氷山と、海の中に沈んでいる氷山とは違う、そこに区切りはありますか?お釈迦様の言われた色心不二というのは、見えるモノと見えないものは1つですよっと。その色心不二の意味が分れば、見えるモノと見えないモノとが分離してないということが分ると思います。すなわち表面意識と潜在意識とは、離れて存在しているんじゃないです。どうです?表面意識と潜在意識は1つですか?離れて存在していますか?どうでしょう?見えないモノを意識する意識と、見えるモノだけを意識する意識と、別々の意識ですか?同一の意識ですか?どうでしょう皆さん?それが理解出来なければ、その普遍意識という意味、宇宙意識という、無限意識というのは、理解出来ませんよ。分りますね。お釈迦様はそのことを知って居られたんだなと思いますね。それを知って居られて、あの偉大な能力を顕現なされたわけですね。どういう能力を顕現されたかというと、今までの人間というのは10%の精々小さな力しか顕現出来ないんですけれども、釈迦様もイエス様も、この潜在した能力と表面に現れてる意識とが一体であるということを普遍意識、宇宙意識になることによって、宇宙力を顕現された。人柱力を顕現されたということになるわけですね。それは皆さん方がどうすれば、じゃ、それが現われるようになるかと言いますと、多く意識することによって。もう絶対に、自分の意識が宇宙大であるということを疑わない。皆さんも疑っています。ここでお話を聞きながらも、疑っているということです。だからそれを疑わない。本当の視野の拡大というのは、この見える世界だけを観ることじゃなくて。皆さんは今、見える世界だけを見ています。あなた方、見える世界と見えない世界と総計したものを見ることですよ。これが本当の意味に於いての内観なんです。ね。今まで内観道場というのは沢山ございますけれども、内観道場というと、いやー、お父さんについて内観しなさい。お兄さんについて内観しなさい。旦那さんについて内観。これ外観ですよね。内観じゃありませんよね。どうです?お姉さんやお父さんは内観ですか?外観ですか?外観ですね。だから内観とは何かというと、見えない世界を意識すること。分りますね。見える世界は外ですから。外なるものを意識さして、どうして内観でしょうかと言いたいんですね。私は内観を終わりました。とんでもない、外観を終わったんですよね。だから、お釈迦様の言う内観というものは、外側のお姉さんやお父さんやそんなものを意識させることが、内観じゃない。お姉さんやお父さんや旦那さんは、どうです?内側ですか?外側ですか?外側でしょ。そんなものはね、何にもならないんですよ。内観でもないんですよ。外観なんて、全くの外観なんですね。本当の内観というのは、その潜在的なもの、すなわち、その見えない世界を意識することが内観なんですね。内側を意識することが内観であって、外側を意識することが内観じゃないです。ね。それは反省です。外側のこと。お父さんについて、お兄さんについて、これは反省であって、内観ではない。反省瞑想であって、内観瞑想だと錯覚を起こす人が非常に多いんですね。だから皆さん方、どうです、見えるモノと見えないモノと離れて存在していると思いますか?色即是空、空即是色ですよ。決して見える世界と見えない世界は、分離して存在してるんじゃないんです。一体として存在してる。分りますね。だから、私はいつも言うわけです。生命というものは必ず見えるモノだけにあるんじゃないですよと。生命は、色の世界にも空の世界にも、遍満しているんですよと。なぜそう言えるかというと、その普遍意識でものを観るからですよ。ね。私が勝手に造ったもんじゃないんです。ね。実際に実在するわけです。空の世界にも色の世界にも、生命は遍満している。であるがゆえに、無限生命だということが言える。もし生命が存在しないところがあったならば、色の世界だけに生命が存在するならば、無限生命になりますか?無限生命になりませんね。宇宙生命にもなりませんね。生命というものは空の世界にも色の世界にも全宇宙を包容し、全宇宙に遍満してるというのが、宇宙生命なんです。その宇宙生命との一体感、宇宙生命そのものだという意識を起こすことが、宇宙との一体感。すなわち、意識の拡大です。だからお釈迦様は、宇宙即我、我即宇宙と言われたんですね。それが本当の意味においての内観です。ね。内観です。だから、外を見るな内を見よっと。見える世界と見えない世界は1つですよと言われたんですね。別ですよと言われたんですか?一つですよと言われたんですか?お釈迦様はねえ、色即是空、空即是色。色は即、空なり。空は即、色なり。色と空とは1つですよと教えたんですね。で、イエス様は何を教えたかと言うと、天地一体と言ったんです。ね。天とは見えないモノ。地とは見えるモノ。見えないモノ。ね。見えない空と、見える色とが、一体ですよと。天地一体ですよと言ったんですね。見える世界を皆さん方は地上界と言っています。見えない世界を天国と言っています。で、皆さん方は見えない世界を意識することによって、肉を持ちながらにして、天に住むことが出来るんですね。どうです。皆さん方は必ず、表面だけを意識するように出来てる意識ですか?見えない世界を意識出来ないんですか?皆さん方は?出来ます?出来ません?だから、あなたは見える世界を意識している時には、見える世界に居りますし、見えない世界を意識している時には見えない世界にあなたは居るんです。意味が分るかな。それが分らなければ、到底、今生は、成仏することは無理だろうと。だから今、天に居らぬ者は、死んでも天に居らないというのは、その意味なんですよ。あなた方は、どうしてこのちっぽけな、見える世界だけを意識するんだろうかと。本来の意識は、その見えるモノと見えないモノと総計した、普遍的なものであるにもかかわらず、皆さん方は今日も1日、外という表面だけを意識して生きるんですか?勿体ない、勿体ない、勿体ない。そんな勿体ないことを、しないでください。ね。無限の富というのは、私達が無限大の意識に拡大して初めて、無限の富という、永遠の富というのが、皆さんのモノとなるんですね。神は無限供給と言いまして、ね。無限供給と言いまして、その全体、全知全能ですから、偉大な力、偉大な知恵は宇宙に遍満してるんですよ。あなたが勝手に部分的に、この知恵を自己限定し、力を自己限定して、私には力がない、私には能力がない。なぜこの無限能力、無限の力を、無限の知恵を、あなたが勝手に自己限定するんですか?じゃあ、その無限能力そのものが拒んでいるんですか?あなたが、無限能力を拒んでいるんですか?どっちでしょう?どっち?えへへへへ!神様がこの者には少し与えようと言ってるんですか?皆さん自身の中に、ちゃんと、今ですよ!今ですよ!今、無限能力は顕現されているんですよ。無限の知恵も顕現されてるんですよ。これを認めるか認めないだけが、あるだけなんですよ。あなた方、疑ってます。ね。疑ってます。神の知恵が、どこかで区切られていると思いますか?ね。もし、この知恵が区切られてた知恵があるとしたら、全知ではありません。知恵は区切られていますか?あなたの知恵、私の知恵と区切られていると思いますか?知恵は全宇宙を包容し、全宇宙に遍満してるんですよ。その無限の知恵の中に今、私達は居り、その無限の知恵は私達の中にあるんですよ。であるがゆえに、神は無限の供給者です。お分りいただけますかな?だから、全知全能の中に我々は居り、全知全能は我々の中に居ると。ね。それを認める。それを意識する。ことによって、私達は全知全能をこの世に顕現することが出来る。すなわち、神我顕現ですね。神我顕現。どうです。神の世界に内とか外というのがありますか?宇宙。無限宇宙そのものが神です。宇宙に外とか、外なる宇宙とか、内なる宇宙というのがありますか?あります?じゃあ、神の世界に、内外はあるんですか?ないですね。あなたが勝手に内外を、意識しているだけなんです。ね。外を意識している意識と、内側を意識している意識とは同一の意識であって、ね。違う意識じゃないんですね。だから皆さん方は外を意識している意識と、内側を意識する意識。潜在意識と表面意識とが一つだということ。すなわち総計された、見える世界と見えない世界が、一体となって存在してるということを、意識の拡大、視野の拡大なんです。あなた方は視野を狭くしちゃなりません。意識を小さくしちゃなりません。だから、いかにこの無限のものを、無限の富と言いますけれども、永遠の富と言いますけれども。これを皆さん持っていながら、持ってないと思ってるんですね。皆さん方、偉大な知恵と力と持っていながら、私には無いという意識を持ってますから、だからあなたは、思っている通りの者であって、それ以上の者でも、以下の者でもない。ね。そうすると偉大な知恵と力を得る為には、自分が全知全能の中に留まり、全知全能が我が中に留まりたもうというこの意識を持つことによって、その意識を使えるようになりますし、えー、その、必要ならば、その場に現れてくると。これが本当の意味においての潜在能力の開発ですね。だから皆さん方は、外側だけを見て潜在能力は絶対に開発出来ませんよ。表面意識で、どうして潜在能力が働きましょうかと言いたいんですよ。あなた方は内側を信じないで、外側だけを信じてる。これを、盲信というんです。狂信というんです。あなた方は外側だけを信じて、内側の見えない世界を、ね。あなた方は見えない世界なくして、見える世界は存在すると思いますか?じゃ、言います。この宇宙は、見えない存在であると同時に、見える存在じゃありませんか?宇宙は見えるモノだけで、存在してるんですか?どうです?えへへへへ!だから、世の中ってのは、非常に厄介なことで、ちっぽけな物事しか考えることは出来ない。判断が出来ない。いかに視野が狭く、いかに知識を、その、えー、意識を狭くしているかということが分りますね。それは皆さん方には、本当に知っていただきたいと言う思いで、あの手この手で皆さん方に、あのー、伝えていますけれども。中々ね、この外に縛られたものを、見えるモノに完全に支配されたものを、何とこれの理解のすることの難しさ。その難しいということは、私も知ってます。なぜそれから、その見えるモノへの執着から解放されて、見えるモノと、見えないモノとが一つですよという、素直な心にならないんだろう。私は素直ですという人がおります。とんでもない。何を素直だと言ってるんだと。見える世界だけに支配されて、見える世界だけを意識している者に、どうして素直な人間がおりましょうか。というんですね。素直って、どう書きます?「そっちょく」と書きますよ。ね。素というのは、「もと」ですよ。分りますね。だから、皆さん方は、えー、素直という字を読んだことありますかな?素直というのは、これは「もと」ですよ。「もと」に直接繋がっている。私達はこの色というものはねえ、見えないモノが素で。これ、「元素」とか「味の素」とかよく言いますけれども、そんな「素」を知らない人間、原点を知らない、根源を知らない、根元というものは、見えるモノが根元ですか?見えないモノが根元ですか?見えないモノが根元ですよねえ。見えないモノに、直接繋がっていることを素直というんですよ。あなた方、見えるモノに、糸の切れた凧のようなものなんですよ。あなたは、この見えるモノの背後には必ず、見えないモノがあるということを知らねばなりませんね。見えるモノが見えないモノから離れて存在出来ないということは、今実験が出来るんですよ。ね。じゃどうすれば実験が出来るかというと、あなたの鼻と口を押さえてください。見えるモノと見えないモノと離れているかということですよ。どうです?何分間離れること出来ます?見えるモノが見えないモノから?どうです?鼻と口を押さえても、皆さん存在するんですか?しませんよね!しませんね。強制じゃありませんよ。します?しません?えへへへへ!あなた方はねえ、もし水の中に頭を突っ込まれたら、見えるモノが欲しいんですか?見えないモノが欲しいんですか?何が欲しい?海の中に頭を突っ込む。水の中に突っ込まれたら?見えないモノが欲しいはずですよ。だから、決して私達はねえ、見えるモノは見えないモノから離れて存在してるんじゃないんですよ。だから、見えないモノと見えるモノとは一つという意味なんですよ。それが、色即是空、空即是色という意味なんですけども。色心不二という掛け軸をあげて、豪邸を作って、掛けてる、その色心不二の意味の分らないのを、なぜ掛けてあるんだろうと思う場合がよくありますね。その色心不二というのは、文字を書いたり掛けたりすることが大切ですか?色心不二というものは、何かというと、色心不二というものは、どういう意味なのかということを、知る為にあるんです。掛け軸で掲げて、美しいねえ、いい文字ですねえという為にあるんじゃないんですねえ。その色心不二という意味が分らないのに、いい言葉ですねという人がおります。これはちょっと、クレージーだと思いますね。いい掛け軸を掛けていますね。意味が分るんだろうか?色心不二というのは、色心不二というのは、色という世界と空の世界とは1つですよという意味なんですよ。不二ですからね。だから、皆さん方も本当にこの意識の拡大、視野の拡大というのが、見える世界と見えない世界が一つで、大宇宙を構成している。無限宇宙を構成しているということが分るようになったら、その色心不二という意味が分かってらっしゃいます。そうすると、皆さんの意識はもう、色の意識だけじゃなくて、空の意識と合計されていますから、そうすると完全意識。すなわち、10%の意識と90%の意識が一つになっておりますから、100%の意識。これが神意識というものなんです。どうです。神意識は10%の意識ですか90%の意識ですか?100%ですね。これを完全意識と言うんです。じゃ、皆さんの意識は、今、完全ですか?不完全ですか?どうです?表面だけを意識しているのに、どうしてあなたの意識は完全ですか?見える世界だけを意識している意識がどうして完全ですか?全くの不完全ですよ。そうでしょ。怒ってはいませんよ。怒ってはいませんけれども、歯がゆくて、なぜそれを知ろうとしないんだろう。真剣にならないんだろうという思いが、そういう言葉がちょっと大きめになりますので、ご勘弁いただきたい。これも一つの愛なんです。なぜ知らないんだろう、なぜ理解出来ないんだろう、と思うと、ついつい声がこういう高まる場合もありますので、ご勘弁いただきたいと思いますね。皆さん方ねえ、本当に今ねえ、皆さん方は日常生活で見える世界だけを意識してる。表面だけを意識している。勿体ないですよ。だから、皆さん、お休みになる前か、或いは朝か、その平生、仕事している時はどうしてもその外側という見える世界だけを意識するように人間生きてますので、朝のこの一時でもいいですから、その見える世界と見えない世界と一つにして総計した視野を拡大させ、意識を拡大されるものの見方を、意識の仕方をしたらどうかと言いたいんですねえ。だから、見える世界と見えない世界とは、一つですよといつも私は言うわけです。というのと、色心不二というのと、違うのでしょうか?違います?色心不二というのと、見える世界と見えない世界は1つですよという意味と、違うんですか?違いませんね。だから、今の宗教というのは、あの世がありこの世がありと言います。どうです?あの世とこの世の境目があるんですか?今の宗教家が言っているあの世というのは、見えない空の事を言ってます。ね。この世とは、この見える世界のことを言ってます。じゃ、見えるこの世と見えないあの世との境目があるんですか?あの世があり、この世があるんですか?二つの世があるんですか?二つの意識があるんですか?ね。二つで一つと。色心不二。ですよ。その仏教の言われた、お釈迦様の言われた、色心不二を理解しない坊主が居るがゆえに、あの世だこの世だ。お経を上げなければ成仏しない。何しなければならない。とんでもない!その分らないことが、一つであることが分らないことが、不成仏になることなんですよ。だから坊主さんも、絶対成仏しませんよ。すると思う?坊主さんは成仏します?しません?迷っている者がどうして、迷っている者を諭すことが出来ますか?真理を知らぬ者がどうして、仏を知らぬ者がどうして、仏を教えることが出来ますか?仏教とはどう書きます?仏の教えと書きますよ。仏を知らない者が、どうして仏を教えることが出来ますかと言いたいんですね。仏教とは仏の教えと書きますでしょ。そうでしょ。じゃ坊主さんは仏を知っていますか?聞いてみてください。お寺に行って。仏って何ですかって。ね。色心不二とは何ですかと聞いてみてください。それが分かっていなければ、不完全意識ですよ。すなわち、外念ですよ。ね。まあ、そんなことではねえ、神は教えることは出来ないと思います。で、神は全体者です。無限者です。これが神で、あれが神だとは言わないと思います。全てが神だと言われると思いますね。だから、神というものは説明出来ませんよと。なぜかというと、神は無限だと。無限なる神をどうして説明が出来ましょうかと言う坊主さんが居られましたら、その坊主さんは仏教です。本当の仏の教えをしています。そこに行ったら、お経を挙げなさいとか、お布施をしなさいとか言うお坊さんがいたら、これは偽物。全くの偽物だと思います。あなたは、お布施をしたら救われるんですか?お布施をすることによって、皆さん救われるんですか?真理を悟ることによって救われるんですか?どうです?天国も金次第ですか?えへへへへ!天国は、金次第じゃありませんよ。だから、私達はいかにこの、騙されているかと。騙す者があれば、騙される者もおる。だから、世の中というものは本当に神というものを無理解のままで、騙され騙されたり、この繰り返し繰り返しで生活しているということが言えますね。皆さん方は天国も地獄も、自らの意識次第だということです。誰も決めていません。あなた以外には。あなたは天国に住む事も地獄に住む事も、あなた次第。表面を意識することも、内側を意識することも、それを総計することも、誰次第ですか?自分次第ですね。だから、あなた方は、今までこの表面という見える世界だけを意識していることから解放されて、その見える意識と見えない潜在意識とが、一つであるということに一心を集中することが、完全意識になる秘訣なんです。分りますね。外念でものを捉えちゃいけません。外念の物差しでものを見たら、どうです。木下先生。10%の物差しで、物を計ったらどうなります?完全に計れます?だから外念でものを見て、理屈をつけるなと私は言うんですね。大きなものを計るには、大きな物差しを持ってこなくちゃならないんですよ。10センチしかないもので、1メートルのモノを計ることは出来ないんです。今、世の中は、10センチの物差しで、1メートルのモノを計ろうとしてるようなもんだと。だからそこに、誤謬が出てくるわけです。差が出てくるわけです。計算が合うはずがありません。だから、私達は、本当にこの無限大のモノを計るには、無限大の物差しを持ってこなくちゃならないんです。このちっぽけな、1センチや2センチのこの個人意識で、宇宙大のモノを計ろうとする人がいるんですね。だからこれがドグマになって、計れるものでもありませんし、それが様々な誤った伝え方をされている訳です。世の中って恐ろしいと思います。だから皆さん方、もっともっと冷静になって物を見たり、考えたりしていただければなと思うんですけどね。それはあなたの外念で、いろいろなことを考えることは正しくはありません。あなたの総計した意識で物を考えることが正しいことだと思います。どうです?表面意識の10%で物事を考えることと、この10%と潜在意識と総計されたもので、物事を考えることと、どちらが正しいものの考え方ですか?10%の意識で考えることですか?今皆さん方は、何10%の意識で物事を考え、判断しようとしていますか?表面意識という外側の意識で判断しようとしますね。そうすると正しいですか?正しい判断になります?なりませんよ。あなたが本当の正しい判断というのは、見えるモノと見えないモノとを総計して、その普遍意識になって初めて、物を正しく見ることが出来、想うことが出来、語ることが出来る訳です。そして正しく生活することが出来る。これが内観でなくて何でしょうかと言いたいのですね。内観とは、内観の出来ている人であるならば、見えないモノと見えるモノが一つであるというはずです。ね。表面意識で物事を判断させないと思います。ね。だから私達は、この見える世界から内側の世界。だから自分というものは、思っている通りの者であって、それ以上の者にも以下の者にもなれないという意味が、今なら分りますね。見えるモノだけを意識していて、どうしてあなたが見えないモノになれましょうかと言いたいんですよ。成れませんよね。あなたが物質を意識していながら、どうして霊界に居れましょうかと言いたいんです。だからあなた方は、自分というものは、自分が意識しているところに自分が居るのであるという意味が、今ならお分りいただけますね。無限宇宙に居ることが、居りたいと思うならば、普遍意識にまで自分の意識を、空の世界と色の世界は1つだと、これは無限大だという、その無限意識にまで自分の意識を拡大して、物を見聞き出来るようになりましたら、大したもんです。だから、意識を拡大するも意識を小さくするも、誰次第でしょうか?誰次第?あなたの意識は、誰があなたの意識を小さくしています。神様が?あなたが?まあ、指を指して、みんなに指しているんですよ。えへへへへ!みんなに指しているんであって、個人的に指摘しているんじゃありません。どうでしょう。あなたの意識は誰が拡大もし、小さくすること出来ます?これが自由意思という意味ですよ。ね。皆さん方には自由意思が与えられています。小さくすることも、表面だけを意識して生きることも、全体を意識して生きることも出来ます。じゃ、あなたは表面だけを意識して生きたら、得をするんですか?損するんですか?はあ?損をしますね。こんな大きな損失はないですよ。これほど大きな損失はない。あなた方は人から100円騙されても怒るけれども、自分で大きな損失をすることに、どうして怒らないんですか。そうでしょ。こんな大きな損失を見逃して、いや100円だ、1,000円だ、そんな騙された、なんだと言って、怒り狂うけれども、宇宙大のモノを、宇宙無限の知恵と力とを、掴み損なっても、なぜ怒らないんですか?1,000円や、2,000円や損することと、無限の知恵と力とを得ないで損することと、どちらが大きいですか?どっちが大きいですか?あなたは1,000円、2,000円が大切ですか?無限のその知恵と力とを損失することが、惜しいことじゃありませんか?惜しいよね、勿体ないよね。勿体ない。与えられてるんですよ。今。あるんですよ。なぜ使わない?と言いたいんですね。なぜ使わないということは、なぜ意識しないという意味ですよ。だから、意識しなければ、その力は出てこない。分りますね。認めないでは、現れようがない。あなたが100億持っても、100億思ってると認めなければ、その100億を使えないのと一緒。あなたは無限の知恵と力を持っていながら、無限の知恵と力を持ってないと思ったら、使いようがない。一緒ですね。持っていますね。持っているなら、私達は、それを惜しみなく世の為、人の為に使いましょうやと言いたいんですね。持ってるんでしょ?まだ疑う?疑うから出てこないんですよ。まだ疑ってますよ皆さん。信じていませんよ。全知全能の神が、自分の中に居るということを信じているならば、心の底からそれを信じているならば、現れると思います。なぜ現れないかと、疑っているからです。半信半疑でしょ。こういう話を聞いて、まだ疑っているでしょう。それを皆さん、なぜ疑うというのは、その意味なんです。まだ疑ってますよ。ね。それはまだまだ、その概念から皆さん方が抜けきれてないからです。じゃあ、そうする為には、本当に疑わない自分になる為には、どうすればいいかというと、常に皆さん方が、表面意識と潜在意識を一体にならしめて、その自分の意識を拡大し、視野を拡大して、そこへの一心を統一することによって、なるほどな、なるほどな、なるほどなと、納得のいくようなことが起こるわけです。ね。だから皆さん方は、瞑想は必要。瞑想ということは、瞑想は内観ですか?外観ですか?うふふふふ!内観と外観と、その瞑想している時は、皆さんは外を見てるんですか内を見てるんですか?どうです?じゃ、瞑想と内観と何が違います?ん?内観せよというのと、瞑想せよというのと何が違います?違いますか?瞑想と内観と?違いませんよね。あなた方は言葉に躓いているんです。文字に躓いているんです。いや違うんだ。何が違うんだと言いたいんです。じゃ、説明しろと私は言いたいんですね。違うんだと理屈っぽい人がおったら。そんな意味も分らない、文字の意味も分らないようなもの。瞑想と内観と違うんだ、えー。と言ったところで、違いませんよ。だから世の中ってね、文字は書いたり読んだりするもんだと思ってる。文字は書いたり読んだりする為にあるんじゃないんです。その意味をよく理解する為にあるんです。それを、絵に描いたぼた餅というんです。書いたり読んだりしてるだけそれならば。そうですよね。書いたり読んだりしているだけでは、その文字の意味は働きませんよ。絵に描いたぼた餅というのはそんなもんなんですよ。我々は、文字というものは書いたり読んだり言ったりする為にあるんじゃなくて、その文字を理解する為に文字はあります。もし理解が出来てなければ皆さん、書いたことにならない。読んだことにならない。言ったことにならないんです。見て見ず、聞いて聞かず。ね。言って言わずです。だから、世の中というのは、いろいろの文字を読みます。書きます。分りません。だから厄介なもので、それを無知の世界と言いますけれども。無知というのは、意味の分らない世界ということなんですね。だから私達は今、無知の中にボツリと浸かっているんじゃなかろうかと思いますよ。なぜ無知かというと、表面という外側の小さな意識で生きているからです。その表面の意識と、潜在意識とが一つであるという偉大な意識になれば、その無知から、全てから解放されるわけです。なぜこの知花が、この日本の文字は勉強もしてないのに意味が分かり、漢字が書けたり読んだり、出来るんだろうかと。と言いますと、なぜ?あなた方は一生懸命、大学も出たかもしれない。この知花は、全くのもー、勉強嫌いで、勉強しておりません。ね。だから小学卒でありながら、なぜ分るんだろうと。えー、皆さん方も本当にこの潜在能力というものが出て来れば、ね。そりゃ簡単ですよ。意味も分りますし、文字も書けますし、読めますし、それはなぜかというと、知花とあなた方の違いは、何も違わない。ただ違うだけは、あなた方は表面という表面意識だけを意識して生きていることと、この知花は表面の意識と潜在意識と一つであるという意識を持っているだけなんです。それだけの違いなんです。何か別に違うところがあると思います?違わ、なぁんにも違いませんよ。あなた方は見える世界だけを意識しています。この知花は、見える世界と見えない世界が、一つであるということを、意識しています。じゃ、どこに違いがあるんですか?あなた方は、見える世界だけを意識するように、出来てるんですか?全体を意識することは出来ないんですか?出来ますよね。じゃあ、瞑想は不要ですか?必要ですか?瞑想を通してのみしか、全体を見ることは出来ませんね。肉の目で全体を見ることが出来るんですか?出来ませんね。だから肉の目と肉の耳、感化を沈黙、潜らして、心の世界で、心の目でモノを見る。なるほどね。見えない世界も見える世界も一つなんだな。ああ大いなる一体なんだなということが分るんですね。だから皆さん方は今、本当に瞑想というものを、内を見る、内観する時間が少ないんじゃなかろうか。瞑想の時間が少ないんじゃなかろうか。外を見る時間に、表面意識だけに無我夢中になって、全体を見る目を皆さん、閉ざされてるのじゃなかろうかと思います。ね。あなた方は、見える世界だけを見て生きてるのなら、皆さん方、明盲です。本当の目の開かれている人であるならば、見える世界と見えない世界を一つにしてみるはずです。これを一つ目というんです。二つ目じゃないんです。一つ目。一つ目になる為には、見える世界と見えない世界とを、総計してものを見なくちゃなりませんね。また、見える世界と見えない世界は、離れ離れで存在してるんじゃないんです。一体として存在してるということを、見なくちゃなりませんね。霊肉一体です。だから、私達は、色即是空、空即是色を、もっと徹底して学び、徹底して意識するようにならればなりません。今日も1日皆さんはどこを意識して生きていきます。外側だけ?総計したものの見方で生きる?どうでしょう?勿体ないけれども、皆さん方は、視野が狭くて、見える世界だけを見て、ちっぽけなもので意識で生きるんだろうかというと、勿体なくて勿体なくてしょうがないということです。だから皆さん方は、本当に瞑想を通して、見える世界と見えない世界とを眺めなければなりません。見つめなければなりません。これが本当の意味においての内観です。本当の意味においての内観ですね。だから今、外観というのは、形の世界だけを見て、そこに支配されている人が、何と多いことかということです。まあ、皆さん方も本当の意識したところに自分が居ると言う意味が、今お分りいただけましたね。外を意識するものは、外に居るし、全体を意識するものは、全体なる普遍なるものの中に居りますし、それはあなた自らの意識次第だと思いますね。宇宙意識になれば、宇宙に遍満する、まあなんだ、私と宇宙とは一体じゃなかろうかと。私と神とは一体じゃなかろうかと。というこの宇宙意識そのものになりましたならば、神意識そのものであるはずです。あなた方は、なぜ神意識にならないかというと、部分的な意識を持っているからです。神意識とは、見える世界と見えない世界とが一つであるという状態、100%の意識状態を、完全意識、神意識というんです。すなわち普遍意識です。宇宙意識です。宇宙には、色、見える世界と見えない世界が存在していると思います。一体として存在していると思います。ね。見える世界と見えない世界は分離しておりません。おります?おります?おりませんよね。だからあなた方、見える世界をこの世と言ってるし、見えない世界をあの世と言っているだけなんです。じゃ、あの世とこの世とは離れて存在しています?一体ですよね。そういう離れているという、別々に存在しているという分離感が、あなた方はその真実の世界という、霊の世界を見失わせているんです。その原因は何にあるかというと、宗教家にあります。宗教家が長い間、目盲の指導者が、大繁盛したからであると。ね。今の宗教家たちはみんな、分離感でモノを説きます。モノを見ます。正しいですか?正しくないですか?お釈迦様の正しく見るという八正道は、二つあると見なさいという意味ですか?見えるモノと見えないモノが一つですよということを、見なさいという意味ですか?どうです?あの世があってね、この世があってねという、坊主さんは一つ目ですか、二つ目ですか?二つ目ですよね。そうすると目開きですか、目盲ですか。その2つ目の人間のことを、目盲の指導者というんですよ。ね。二つあるんじゃないんです。二つで一つですよ。見えるモノと見えないモノとは、1つですよという意味です。見えるモノは、見えないモノから絶対に離れることは出来ないんです。ね。それが、この世はあの世から離れて存在することが出来ますか?出来ませんよ。色は空から、絶対に離れることは出来ないんです。表裏一体なんです。その事にハッキリ皆さん方が理解ができれば、強く理解の出来た人は、強い意志を持つことが出来ます。半信半疑の人は、浅い信仰です。だから、皆さん方も徹底して学び、徹底してそれを理解していく必要があります。厳しい言葉ではありますけれども、何回も同じことを繰り返し繰り返し、言うことによって、また聞くことによって、それが皆さん方も徐々に徐々に、理解が出来るようになります。初めての方には非常に厳しいかな、分りにくいかなと思いますけれども、ぜひこれをご理解していただきたいと思います。色と空とは絶対に離れることは出来ない。色と空とが絶対に離れることが出来なかったならば、表面意識と潜在意識は絶対に離れて存在しないことになります。そうすると100%の意識、完全意識というのが自分の中にあるというのが、分りいただけるのじゃなかろうかと思いますね。だから皆さん方は、見える世界だけを意識しないでください。たまには、見える世界と見えない世界は1つだなという、自分の視野を意識を宇宙大にまで、無限大にまで瞑想を通し、内観を通して拡大していただきたいと思います。だから、多く瞑想しなさいと。皆さん方、多く外を見すぎています。外を意識しすぎています。ね。あなた方、外だけを見て、外だけを意識して、神意識まで到達すると思いますか?思いませんか?今のような状態で?神意識とは何かというと、表面意識と潜在意識とが総計された状態を神意識というんですよ。表面意識で神意識になるはずがありませんよ。部分意識しか持ってませんから、神の知恵と力とが、皆さんを通して現れることはないだろうと言うことです。神の知恵と力とを得たいならば、今のように表面だけを意識することですか?見える世界と見えない世界とを総計して100%の完全意識を意識することが、神意識なんですね。お分りいただけますね。だから皆さん方は、本当に目をつぶって頂いて、あー、見える世界と見えない世界とは一体なんだなと、色即是空、色心不二とはこの意味かと言うことをね、実感せねばならないですね。身をもって。出来るんですよ。簡単ですよ。やろうと思えば。ああー、なるほどね。そのとき皆さん方の視野は、宇宙大にまで拡大され、意識は拡大されてますね。これが神意識です。ね。神意識ですよ。だからその状態を、常に持つように、私達は多く瞑想して、そういう意識状態で生活をしましたならば、ね。燦然と私達は、神の知恵と力とが、日常生活の中に現れてくるのじゃなかろうかと思いますね。そうですね。だから皆さん方は、神の知恵と力とを得るのは、誰次第でもなくて、己次第だということが言えると思います。意識次第だと思います。それを疑わずに、神を受け入れたものという意味です。ぜひ、こういうことを皆さん方がハッキリ理解が出来まして、えー、そのこれを意識することよりも、寝たほうがマシだとか、映画でも観たほうがマシだとか、遊びに行った方がいいんだとか、というようなことがありましたら、勿体ない、勿体ない。もう完全にその人は、今生はその神意識になることはないだろうと。表面意識で生涯を終わるだろうと言うことですね。だから私達は、部分的に意識である表面意識だけで、生涯を終わりませんように、その部分的を意識している意識と、全体を意識する意識とが、一つになりますように、お祈りしながら、今日の、意識したところに自分はおるというご説明を、終わらしていただきたいと思います。どうもありがとうございました。