ぐしゃぐしゃになった、自動車事故は、結果です。結果は、見えるのです。
でも、見える結果を生み出した原因は、見えません。
それでは、原因を正すことができませんので、神は、結果を見えるようにしたのです。
原因あっての結果です。見える結果の背後には、必ず、見えない原因があるのです。
でも、幼い時は、そのことが分かりませんので、結果をいじって、物事を解決しようとするのです。
結果(幻)で、結果(幻)を、良くすることは、できないのです。
良くするには、 川下で、ゴミを拾うのではなく、川上で、ゴミを流さないようにすることです。
今、地球人類は、膨大なお金を使って、結果対処しているのです。
どんなに、結果対処しても、根本的解決にならないのに ・・・です。
では、どうすれば、悪い結果を、無くすことができるのでしょうか?
それは、 悪想念の垂れ流しをしないことです。
私たちの想念は、何でも生み出すのです。
良い思いを持てば、良い結果を・・・ 悪い思いを持てば、悪い結果を・・・ 。
どうか、想念の偉大さを知ってください。
2021.01.03
※ 神は、人類に、この地上に、美しい芸術作品を創ってもらいたくて、人類を派遣したのです。
ですから、人類には、もともと、審美の眼が備わっているのです。
審美の眼とは、神の眼のことです。
この神の眼は、どんな悪も、美しく見えるのです。
なぜなら、この宇宙に、悪など無いからです。
悪は、進化成長に必要な悪なのです。
と言うことは、悪は、善だと言うことです。
どうか、神の眼で物事を見てください。全て、良い事なのですから・・・。
※ 仇討ちを美徳としている人類の幼さ!?
報復合戦するのは、その証しでは、ありませんか?
「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい!」と、イエス様が言われたのは、報復をすれば、「原因と結果の法則」によって、裁かれることを、知って欲しかったからです。
神のメロディ「神の眼」
皆さんは、自分が、形(物・肉体)では無く、意識であることを、知識的には知っています。
でも、まだ、心の底で知っていません。
だから、何か起きると、怖れたり、心配したりするのです。
形(物・肉体)は、刻々と原子崩壊して無くなってゆくのです。
そんな、無くなる形(物・肉体)に囚われ、心が平安であるはずがありません。
今、人間が苦しんでいるのは、形(物)を得ようと、躍起になっているからです。
前述したように、私たちは、永遠に無くならない意識です。
永遠に無くならない意識は、永遠に無くならないモノを求めるべきです。
永遠に無くならないモノとは、神です。魂です。生命です。 究極的には、幸せです。
その幸せは、何が感じるのでしょうか?
形(肉体)でしょうか? 意識でしょうか?
意識ではありませんか?
ならば、意識を大切にすべきではありませんか?
何が一番大切か? もう一度、自分に問うてみてください。
2021.01.10
光のメロディ「永遠の意識」文に修正あり。
神には、姿形がありませんので、そのままでは、自分の存在を示すことができません。
存在を示すためには、何らかの方法で示さなくてはならないわけですが、手っ取り早い示し方が、想いで示す方法です。
でも、想いも、見えませんので、示せません。
そこで、神は、見える言葉を編み出したのです。
言葉は、見えないと思うでしょうが、見えるのです。レコードの溝がそうです。
想いと言葉は、最も端的な表現道具なのです。
神は、その想いと言葉を使って、この表現宇宙を創られたのです。
想いは、具体性を持った創造機なのです。
今の地球は、情報真盛りの時代です。
いいように思いますが、情報の多い社会は、幼い社会なのです。
魂が成熟してゆくと、段々と情報量が減り、言葉も少なくなってゆくのです。
その証に、理想社会は、言葉の少ない社会です。
学びの友の皆さんも、成長するに従い、言葉が少なくなってきたはずです。
では、正しい言葉の使い方を、真理に照らして考えて見ることにしましょう。
① 今、必要なことだけを話すことです。
余計なことを、多く話せば、余計なことが、多く返ってきますので、トラブルも、多くなります。
また、余計なことを、多く話せば、連想する雑念も、多くなるので、瞑想の邪魔になります。
寂しいから、言葉が多くなるのです。
寂しかったら、神の想いで、心を満たしてください。
② 飾り言葉をあまり使わないことです。
飾り言葉とは、話す前と話し終えた後に使う言葉です。
たとえば、「良い天気ですね!」とか、「今日は、寒いですね!」と言った、季語の飾り言葉、あるいは、「それでは、お元気で!」とか、「ご苦労様でした!」と言った、余韻語のことです。
使い過ぎると間が抜けてしまうし、使わなかったら間が持てないので、頃良い使い方をしてください。
でも、できるだけ、少ない方が、良いと思います。
③ おべんちゃら、おべっか、へりくだった言葉などを、あまり使わないことです。
特に、歯の浮くような褒め言葉は、厳禁です。
飾り言葉を少し使い、場を和らげたら、後は、今、必要なことだけ話すことです。
④ 押し付け語を使わないことです。
「こうしなければならない!ああしなければならない!」といった、押し付け語も使わないでください。
和やかな場を、壊してしまいます。
⑤ 否定語を使わないことです。
相手の弱みを突くような言葉や、否定語を使ってはなりません。
前向きな、建設的な、言葉を、多く使うようにしましょう。
相手の言うことが、間違っていても、その場で反論するのではなく、会議の場で、一般的な話として語るようにしましょう。
否定語は、波動を下げますので、できるだけ、使わないようにしましょう。
相手を説得したい場合は、自分の体験話しや、 堂に入った、作り話などを交えることです。
⑥ 「ありがとう!」と言う言葉を、使うことです。
「ありがとう!」と言う言葉を、できるだけ、多く、使いましょう。
皆の心を和ませます。
⑦ 褒め言葉を、うまく、使うことです。
褒め言葉を、うまく使うのも、人の心を奮い立たせます。
特に、教育の場で使えば、人を成長させることができます。
⑧ 心を込めて話すことです。
声は、大きからず・・小さからず・・、想いを伝えたい場合は、心を込めて話すことです。
2021.01.17
※「言葉は神なりき!言葉によって全ては成れり!」 と言われるように、この宇宙は、言葉によって創られたのです。
言葉は、具体性を持った(形を持った) 創造の力なのです。
言葉は、恐ろしい力を持っています。
特に、権威の持った人の言葉は、ものすごく重いです。
中でも、医者の言葉は、人の命を左右するほど、大変な力を持っているのです。
ですから、慎重に使わなくてはなりません。
神のメロディ「神は言葉なりき!」
実際に無いものは、何も生み出しません。
実際に有るモノが、何でも生み出すのです。
では、実際に有るモノとは、何でしょうか?
それは、意識です。魂です。心です。そして、想念です。
このことは、今まで、何度も言ってきたことですが、再認識してください。
想念は、何でも生み出すのです。
それも、原子核が大きくなればなるほど、スピードが増し、実現度合いが増します。
ですから、迂闊なことが、想えなくなるのです。
良い想念を持つよう、心がけましょう!
2021.01.24
※ 想念は、良いことも、悪いことも、何でも実現させます。
私たちは、そのことを、何万転生もの苦しい人生体験を通して知ったのです。
なのに、あなたは、まだ、想念を悪用するのですか?
良い想いを持ちましょう!
良い想いの一番は、神を想うことです。
神を想っている時は、悪いことが思えないのですから、二重の功徳があるのです。
このことは、くどいほど、言います。
自分が、形だと思っている限り、地球に、理想の世は、やって来ません。
今、地球では、様々な醜いことが起きていますが、これは、人間の本性を知らないからです。
肉体を、自分だと思えば、肉体の都合の良い生き方をするのは、当然です。
本当の自分は、肉体では無く、意識だ! 生命だ! 魂だ! と 知ったら、 目の色を変えて、金儲けに走ることはなくなるのです。
地球人類の1/3でも、自分の本性を知ったら、今、地球で起きている、どんな不幸も、雲散霧消してしまうのです。
ただし、その知る程度も、心の半分くらいまで落ちないと駄目です。
だから、真理の学びには、時間が要るのです。忍耐が要るのです。続ける根気が要るのです。
地球人類が、真理を学ぶようになるには、もう少し、時間が必要なようです。
でも、学びの友の皆さんは、バリバリの求道者です。
どうか、皆さんだけでも、神を想い、地球に、光を降ろしてください。
2021.01.31
光のメロディ:真理を求める人へ捧げる曲 「もう一人の自分」
今、地球では、コロナが蔓延していますが、この菌は、何処から来たのでしょうか?
ある学者は、コウモリが宿主だと言います。
ある学者は、センザンコウが宿主だと言います。
野鳥だと言う、学者もおります。
例え、そうだとして、では、宿主に棲み着いた菌は、一体、何処から来たのでしょうか?
こうなると、科学者は、お手上げです。お手上げも、当然です。
現代科学は、観測機に掛からないモノは、認めないのですから・・・。
ただ、進化論を盾にして逃げているだけです。
進化論は、偶然論なのです。偶然論が、科学と言えるでしょうか?
この謎は、観測機に頼っている限り、永久に解明できないのです。
なぜなら、この宇宙は、観測機に掛からない、波動(意識)によって、創られているからです。
最先端の科学は、こう言っています。
「宇宙は(見えるものは)、原因なき原因者の想い(意識・波動・神)から生まれた!」と・・・。
原因なき原因者とは、[X]のことです。
[X]とは、解らない、と言う意味です。
この[X]は、どんなに、科学が進歩しても、解らないのです。
解らないのですから、分からない!と、素直に認めたら良いのです。
でも、科学者は、認めようとしません。
認めたら、原因なき原因者、つまり、[X](意識・波動・神)を認めなければならなくなるからです。
数学が解けないのは、この[X]を認めないからです。
しかし、例え、認めても、解けないでしょう。
なぜなら、[X]は、無限数(無理数・円周率)だからです。
無限数を、知ることは、永久に、できないのです。
永久に、解けない数学を、解こうとするほど、愚かなことはありません。
解けなくて、良いのです。解けた途端、宇宙が消えてしまうからです。
このように、[X]は、解りようがないのです。
解りようがないから、今も、宇宙が存在できているのです。
2021.02.07
※ 科学者は、[X]を認めることが、恥だと思っているのか、頑なに認めようとしません。
しかし、[X]を認めることは、恥ではないのです。
恥どころか、偉大な科学者なのです。
なぜなら、[X]を認めなくては、宇宙の謎が解けないことを、知った科学者だからです。
学びの友の皆さんは、白衣こそ着ていませんが、真の科学者です。
なぜなら、本当に有るモノ、[X]の研究(瞑想)をしているからです。
新・光のメロディ「人類創生物語」
昔から、この世は、無常である!、浮世の世界である!、幻の世界である!、と言われてきました。
では、どうして、この世は、幻なのか? 科学的に説明しましょう!
直径1センチの棒を、くるっと回してみてください。円が描かれます。
その円周を、測ってみてください。何センチあるでしょうか?
目で測れる範囲は、ミリメートルまでですから、3.14センチまでしか、測れないでしょう。
でも、円周は、3.1415926・・・・と、永遠に、測ることができるのです。
永遠に、測ることができる、と言うことは、永遠に、測ることができない、と言うことなのです。
なぜなら、1センチが、測れないからです。
1センチを、切っていってみてください。
切っても、切っても、切り切れないはずです。
切り切れないと言うことは、1センチは、無限だと言うことです。
1センチが、無限なら、円周率も、無限ではないでしょうか?
1センチは、不確定の数字(無理数・無限数)なのです。
従って、円周率は、永久に、算出できないのです。
円周率が、不確定だと言うことは、何を意味しているのでしょうか?
それは、この世が、幻である!と言うことを意味しているのです。
表現世界が存在できるのは、不確定だからです。不完全だからです。何かが足りないからです。
ハンドルに、遊びがなかったら、運転できないように、確定したら、完全になったら、足りたら、この表現宇宙は、途端に、消えてしまうのです。
2021.02.14
光のメロディー集 「夢幻の世界」
※1センチ(長さ・空間)を、切っていってみてください。
ミリ単位なら、刃物で切ることができるでしょう。
しかし、マイクロメートル単位、あるいは、ナノメートル単位になったら、素粒子でなければ、切れなくなります。
しかし、いずれ、素粒子でも、切れなくなります。
なぜなら、1センチは、無限に細かく切れるからです。
無限に細かく切れるのは、1センチが、無限だからです。
では、1センチは、永久に、切り切れないのでしょうか?
いいえ、無限の意識でなら、切ることができます。
しかし、無限の意識でも、1センチを確定させることはできません。
なぜなら、前述したように、1センチは、無限だからです。
無限が確定したら、無限が有限になってしまいます。
そんな、おかしな事があるわけありません。
1センチが、無限に細かく切れる、と言うことは、この表現世界にある、どんなものも、無限に細かく切れると言う証しなのです。
と言うことは、この世界に、確定されたものは、一つも無い!、と言うことになります。
つまり、「この世は、幻である!」と言うことを意味するのです。
素粒子に、ゆらぎがあるのは、1センチ(長さ・空間)が、切り切れない無限だからです。
物質を、絶対零度で凍結しても、振動が止まらないのも、瞑想して、細胞が振動してくるのも、ゆらいでいるからです。
ゆらいでいるのは、この世が、不確定だからです。
つまり、この世界が、幻だからです。
この世が、幻である、と言う証拠は、まだ、あります。
あなたは、今、宇宙のどこにいるのか、知っていますか? 知らないはずです。
いや、分からないはずです。
なぜなら、地球の位置が、不確定だからです。
ただ、人間が、光のスピード(今の地球人類の意識の高さによる、光のスピードは、秒速30万km・・、人類の意識が変われば、光のスピードも変わる)で、起点を作って、宇宙のここにいる、地球のここにいる、日本のここにいる、と思っているだけです。
どうして、地球の位置が、不確定かと言いますと、無限空間の中に存在しているからです。
無限空間の中で、どうして、位置を確定することができましょうか?
無限の中にいるということは、幻の中にいるということなのです。
だから、この世は、幻だと言うのです。
有限の世界にいても、幻・・無限の世界にいても、幻・・私たちは、永久に、幻の世界から出られないのです。
でも、それでいいのです。
永遠に尽きない! 永遠に色褪せない! 幸せが手に入ったら良いのですから・・・。
人間には、二つの側面があります。
では、物質的側面の人間は、何処から生まれたのでしょうか?
結論を先に言いましょう。「X」から生まれたのです。
私たちの肉体は、物質です。その物質は、現代科学では、分子や、原子や、クォークなどの素粒子から生まれたことになっています。
では、その素粒子は、何処から生まれたのでしょうか?
こうなると、現代科学は、お手上げです。
はっきり言って、解らないモノから、生まれたのです。
解らないモノですから、「X」と名前を付けましょう。
では、その「X」 は、何から生まれたのでしょうか?
解らない「XX」から生まれたのです。
では、その解らない「XX」 は、何から生まれたのでしょうか?
解らない「ΧΧΧ」から生まれたのです。
では、その解らない「ΧΧΧ」は、何から生まれたのでしょうか ?
この話は、永遠に続くのです。
永遠に続くと言うことは、永遠に解らないと言うことです。
「X」は、永久に解らないのです。
と言うことは、 物質人間は、永久に解らないと言うことです。
では、もう一つの側面である、 人間の意識は、何処から生まれたのでしょうか?
「私!私!私!・・・」と、自分の意識を探っていってみてください。
意識の出所が、分かりますか?
どんなに、探っていっても、分からないはずです。
このように、物質人間も、意識人間も、解らない「X」なのです。
では、「X」を知る手がかりはないのでしょうか?、あります。
私たちは、意識を持っています。
この意識が、「X」を知る、唯一の手がかりなのです 。
私たちは、自分が認識できます。色々なものが認識できます。
それは、意識を持っているからです。
意識が無かったら、 自分は、おろか、 友達も、家族も、花も、虫も、地球も、宇宙も、存在しないのです。
と言うことは、私たちの意識が、全てのものを創っていることになります。
と言うことは、私たちは、創造主であると言うことです。
「X」の正体は、解らないけれど、人間の意識によって、全てのものが創られていることは、分かったと思います。
このように、人間は、「X」なのです。
2021.02.21
※ 現代医学では、私たちの意識は、脳が生み出していることになっております。
それが、事実なら、肉体が死んだら、意識も、無くなるはずです。
でも、肉体が死んでも、意識は、無くなりません。
なぜ、そう言えるのかと言いますと、意識が無くならない証拠は、沢山ありますが、意識が無くなる証拠は、どこにもないからです。
と言うことは、意識は、肉体に属するものでないことになります。
すなわち、私たちは、死なない、と言うことになります。
肉体は、単なる、意識の乗り物に過ぎないのです。
私たちは、姿形が無くなっても、ちゃんと意識を持って、別な次元で、生きているのです。
私たちの心は、常に揺れ動いています。
揺れ動いている限り、正しい肉体表現ができません。
なぜなら・・肉体は、心に絶対服従だからです。
では、どうしたら、不動心(無心)を作ることができるでしょうか?
それは、ボケ脳を作ることです。
ボケ脳は、次のような方法で、作ることができます。
まず、抽象的な言葉を一つ選びます。
例えば、「神」とか、「意識」とか、「無限」とか、「永遠」とか、「光」とか、「生命」とか・・、抽象的な言葉なら、何でも結構です。
選んだら、その言葉を紙に書いて壁に貼り付け、例えば、「神」の言葉を使うとすれば、「神・神・神・神・・・」と、「神」を一心に想い続けます。
最初は、5分から始め、 次第に、10分、15分、30分と時間を伸ばします。
最初は、色々な雑念が湧くでしょうが、気にせず、想い続けてください。
雑念が少なくなったら、目を閉じ、更に、神を想い続けます。
思い続けているうちに、神の想いしか浮かばなくなります。
浮かばなくなったら、神の想いを止めてください。
ポカッとした、意識の空白が生まれるはずです。
それが、ボケ脳です。
勿論、再び、雑念が湧いてきますが、1年ぐらい続けていると、ボケ脳が作られます。
ボケ脳が作られると、エネルギーが入ってくるので、疲れなくなります。事故災難に遭いづらくなります。他にも、様々な、ご利益があります。
でも、ご利益を望んで、やってはいけません。
ボケ脳を作るのに、一円のお金もかかりません。どこへ行く必要もありません。自分の家でやれます。ただ、根気が要ります。
ボケ脳を作る瞑想と、真理の瞑想との違いは、想いの中身です。
ボケ脳を作る瞑想は、単に「神!神!神!神!・・・」と想い続ければいいだけで、神の中身が要らないのです。
しかし、真理の瞑想は、中身が必要なのです。
つまり、「神」の側面を、たくさん含め持った、想いが必要なのです。
学びの友の皆さんは、神の側面を、たくさん、深く、知っておりますので、想い続けるだけでいいのです。
向こうへ帰って、悔やまないように、一生の仕事としてやってください!
2021.02.28
「いかに信じることが大切か?」と言うことについて、お話ししたいと思います。
世の中に、信仰心を持たない人は、一人もいません。
誰もが、何らかの信仰心を持って生きています。
例えば、
信仰していると言う意味は、信じている、と言う意味・・、頼っている、と言う意味・・です。
人間は、何かを信仰していなくては、不安で生きられない生き物なのです。
大半の人は、その不安を、物やお金で、解消しようとします。
でも、いくら、手に入れても、不安は、解消されません。
そこで、今度は、地位や名誉や権力で、解消しようとします。
しかし、それでも、不安は、解消されません。
そのうちに、気づきます。
この世のものでは、不安は、解消されない! 、と言うことを・・・。
気づいた人は、目に見えないものを、探し始めます。
人間は、「信じる」ことによって、生きられる、生き物なのです。
あなたが、
信じているからです。
もし、
と疑ったら、安心して生きられるでしょうか?
私たちは、曲がりなりにも、信じているから、安心して生きられるのです。
「曲がりなりにも」という言い方をするのは、心から信じられるものが、この世には、無いからです。
実際に、あなたは、信じていた、人や物に、裏切られたことは、ありませんか?
法律が変わり、世代交代が進み、人は生まれ、人は死に、世の中は、目まぐるしく、変わってゆきます。
この世は、そういう、世界なのです。
そのことを知った人は、本当に信じられるモノを、信仰するようになります。
つまり、皆さんのように、神を信仰するようになるのです。
しかし、心から、神を信じられるようになるのは、容易ではありません。
なぜなら、神は、目に見えない存在だからです。
でも、信じてください。
神は、決して、私たちを、裏切りません。
私は、体験者だから、そのように言えるのです。
私が信じているように、皆さんも、次の三つのことを信じてください 。
2021.03.07
光のメロディー 「神」
科学者は、死後の世界のあることを、認めようとしません。
勿論、過去世があることなど、考えようともしません。
でも、不思議だと思いませんか? 過去世が無かったら、どうして、次のような悲劇が起きるのでしょうか ?
例えば、生まれたばかりの赤ちゃんが、 津波に呑み込まれたり、自動車事故に遭ったり、不自由な体で生まれたりしています。
赤ちゃんは、何も悪いことをしていません。
なのに、どうして、そんな目に遭うのでしょうか?
偶然に起きたのでしょうか ?
偶然に起きることは、絶対ないのです。
なぜなら、この表現宇宙は、「原因と結果の法則」に、支配されているからです。
過去世で、悪い原因を作っていたから、今世で、悲惨な出来事に遭ったのです。
「目には目を歯には歯を!」とか、「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい!」と言う言葉がありますが、これは「原因と結果の法則」のことを言っているのです。
あなたは、偶然に生まれ、偶然に死んで行くのですか?
あなたの人生は、サイコロ任せなのですか?
そうではないのです。
きっちりとした原因と結果の法則の下に、生まれ、生かされ、 動かされ、働らかせられているのです。
その原因を作っているのは、 あなたの想念なのです。
神が創られた、「原因と結果の法則」を信じてください!
更に、想念の偉大さを信じてください!
2021.03.14
ここまで来た皆さんは、どんなことが起きても、神を信じてください。
神は、理由なしに苦しみを与えることは、絶対ないのですから・・・ 。
神は、法則なのです。
その法則(原因と結果の法則)は、完全なのです。
完全と言うことは、どんな、痛みも、苦しみも、意味あって、起きている、と言うことです。
どんな意味かと言いますと、全て、進化成長に結びついている、と言う意味です。
神は、無駄なことを、何一つなされないのです。
でも、わざわざ、痛み、苦しみを、もらいに行く必要はありません。
法則に、従順に生きたら、穏やかに生きられるのですから ・・・。
法則に、逆らって生きるから、痛み、苦しみが、やってくるのです。
悪い原因を作らなかったら、悪い結果が、やってくるわけがないのです。
なぜなら、原因と結果は、一直線上に、現れるからです。
他人が作った原因が、自分の所に帰ってくることはないし、
自分が作った原因が、他人の所に帰ってくることはないのです。
この完全な法則が、宇宙を差配しているから、宇宙は、これまで、延々と、存続してこれたし、これからも、延々と、存続して行けるのです。
世の人々は、悪い思いを持ちながら、幸せを願っていますが、悪い原因を作りながら、良い結果を望むのは、矛盾と言うものです。
幸せが欲しかったら、良い原因(良い思いを持つ)を、作ることです。
原因である、想念は、見えませんが、結果は、見えるのです。
私たちが、成長できるのは、結果が見えるからです。
この、素晴らしい法則を創ってくれた、神様に、感謝しましょう!
2021.03.21
神の心憎いところは、神の存在に、疑問を持たせるところです。
例えば、
実に、残酷です。
ですから、それを見せられた人は、「神も、仏も、いるものか!」と、思うでしょう。
しかし、どんな悲惨なものを、見せられても、神を信じなければならないのです。
真の神信者とは、「どんなことが起こっても、これには、何か理由があるはずだ!、神は、決して、間違ったことはなされない!」と、どこまでも、神を信じる人です。
弱肉強食も、電車に轢かれた人も、津波で呑み込まれた幼い子も、原因と結果の法則に基づいて起きたのです。
しかし、一般人には、それが、解らないのです。
だから、神を、憎んだり、恨んだり、するのです。
でも、学びの友の皆さんは、どこまでも、神を信じてください!
神を讃えようにも、讃える言葉が見つかりません。
それほど、神は、凄い存在なのです。
神を、知れば、知るほど、その凄さに、頭が下がります。
もう、万歳です!
降参するしかありません!
白旗を上げるしかありません !
それほど、神は、凄い存在なのです。
どうか、神に、従順に生きてください !
決して、神は、悪いようにしないのですから・・・。
それは、そうです。
神は、私たちの親なのですから・・・。
何が起きても、神を信じてください!
神を、トコトン、信じてください!
神の伴奏曲 5番「神を信じる」
光が、人生に影響を及ぼしている事を、誰も知りません。
実際に、光が、影響を及ぼしている例は、スポーツを見れば良く分かります。
よく、サッカー競技で、良い時間帯とか、悪い時間帯とか、言われますが、
良い時間帯と言うのは、ボールが、味方の都合の良い方へ、転がる時です。
悪い時間帯と言うのは、ボールが、味方の都合の悪い方へ、転がる時です。
どうして、そのようなことが起きるかと言いますと、心の明るさが、関係しているからです。
つまり、気勢が上がり、選手の心が明るくなると、味方の都合の良い方に、ボールが転がりだし、気勢がそがれ、選手の心が暗くなると、味方の都合の悪い方に、ボールが転がってゆくのです。
ハットトリックが生まれるのも、明るくなった選手のところに、都合のいいボールが転がってゆくからです。
アウェイゲームとホームゲームの勝率が違うのも、選手の心や応援団の心の明るさが、関係しているからです。
ゴルフ競技でも、一旦、気持ちが暗くなると、OBになったり、デボットに捕まったり、バンカーの縁に捕まったりします。
バレーボールやバスケットボールでも、選手の心が明るくなると、ボールが、良い方に、良い方に、転がってゆき、心が暗くなると、悪い方に、悪い方に、転がってゆきます。
だから、悪い流れを断ち切るために、タイムをかけたり、選手交代したりするわけです。
勿論、選手の技量や相対的な力量が関係しますので、勝敗全てに結びつくとは言えませんが、心の明るさが、勝敗に関係していることは、間違いないのです。
スポーツだけではありません。よく、ギャンブルで、ツキが有るとか、無いとか、言われますが、あれも、心の明るさが、関係しているのです。
例えば、パチンコで、一度入り出すと、連続して入るようになったり、麻雀で、連続して上がれるようになったりするのも、心の明るさが、関係しているからです。
人生における、事故、災難、病気も、同じです。
人を、恨んだり、憎んだり、怒ったり、心配したり、恐怖するなどのネガティブな思いを持つと、光を閉ざすので、事故、災難、病気になりやすいのです。
私が、体を動かしなさいと言うのは、体を動かしたら、心が明るくなるので、悪いことが寄って来ずらくなるからです。
百鬼夜行と言って、深夜に、事件や事故が多発するのも、光が関係しているからです。
良いことが続けば、良いことが続く、悪いことが続けば、悪いことが続くのも、スポーツの連勝連敗と同じように、人の心の明るさが、関係しているのです。
「 泣きっ面に蜂!」の諺は、真理なのです。
2021.03.28
「全て主観者がやっている!」と言う確信を深めるための体験を、私は、毎日させられております。
例えば、ある行動を取ろうと思った時、 主観者は、私が行動をとりやすい環境を用意してくれます。
例えば、
自分が主観者であると言う確信を深めるために、自分が、そう言う場面(環境)を用意するのです。
でも、なかなか、確信が深められません。
だから、何度も、体験させるのです。
と言うことは、不自由で汚い肉体も、嫌なコロナウイルスも、駄々をこねるトランプさんも、全て、私が用意したと言うことです。
私の意識の前で起きている、全ての事象は、私が作ったのです。
これは、間違いない事なのです。
この宇宙は、唯我独存(尊)の宇宙なのです。
この宇宙には、主観者の私しかいないのです。
私が、作家であり、演出家であり、監督であり、映写技師であり、主役であり、脇役であり、小道具係であり、照明係です。
私しかいないのですから、私がやるしかないのです。
これが、宇宙の実態なのです。
これを、心の底で知るのは、容易なことではありません。
でも、知識的にでも良いですから、「そういう、宇宙なのか?」ということだけ知っておいてください。
2021.04.04
※ 幼い魂は、無秩序から学ぶ必要があるので、偶然と思える体験をさせられます。
魂が熟してゆくと、秩序から学ぶ必要があるので、必然と思える体験をさせられます。
幼い魂は、偶然(無秩序)と思える中でしか、学べないのです。
でも、魂が熟成してゆくと、必然 (秩序)の中で、学べるようになるのです。
偶然 (無秩序)から学べる、と言う意味は、痛い、苦しい体験から学べる、と言う意味です。
必然(秩序)から学べる、と言う意味は、穏やかな体験から学べる、と言う意味です。
この宇宙は、魂の成長に比例して、苦楽の体験の比率が変わってゆくようになっているのです。
今の地球は、一昔前より、事件・事故・自然災害・病気などが、多くなっています。
どうして、こうも、悪しきことが、多くなったのでしょうか?
それは、人類が、悪想念を放っているからです。
でも、人類は、そのことに、少しも、気づいていないのです。
人類は、何か悪いことが起こると、結果をいじって、良くしようとします。
例えば、
それで、病気が、地震が、自動車事故が、無くなったでしょうか?
いいえ、一向に、無くなりません。
当然です。原因を良くしないで、どうして、結果が良くなるでしょうか?
アスリートは、負けたら、原因を良くしようと、一生懸命に、鍛錬します。
だから、短期間で、リベンジできるのです。
政治家も、企業家も、科学者も、教育者も、一般人も、アスリートのように、一生懸命、 鍛錬(想念の研究)して、リベンジして欲しいものです。
世の人々は、 何か災害が起こると、「頑張ろう!」と声かけしたり、災害を忘れてはならないと、語り部になる人がいます。
でも、そんなことをして、どうして、災害が無くなるでしょうか?
反って、災害が増えるだけです。
思うこと、語ることは、望むことだからです。
過去の苦しかったことは、忘れることです。
今、私たちが、やるべきことは、良い原因を作ること(良い想念を持つこと)です。
もし、人類が、悪想念を持たなくなったら、社会は、目に見えて良くなるでしょう。
私の言っていることが、間違っているか、どうか、試してもらいたいものです。
2021.04.11
この宇宙には、たった一つの意識があるだけです。
その、たった一つしかない意識を、私たちは、持っているのです。
でも、その意識が、
何処から生まれたのか??、
何処から来たのか??、
何なのか??、
どんな存在なのか??、
全く、分からないのです。
分かっていることは、「自分の意識しか無い!」ということだけです。
自分の意識しか無い! ということは、何を意味するのでしょうか?
それは、自分が、神であることを、意味するのです。
なぜなら、私たちと同じ意識を、神は、持っているからです。
神と同じ意識を持っていることが、私たちが、「神である!」証しなのです。
この宇宙には、一つのモノ(意識)しかないのです。
一つのモノしかないということは、自分しかいないということですから、自分は、間違いなく、神なのです。
2021.04.18
※ 自分の意識が分からないのは、神が解らないからです。
神が解らないのは、自分の意識が分からないからです。
この宇宙は、
解らないモノによって、創られ、
解らないモノによって、生かされ、
解らないモノによって、動かされ、
解らないモノによって、働かされているのです。
解らないものずくめが、この宇宙なのです。
私たちは、いつも、自分の手を見ています。
でも、本当の手は、見ていないのです。
確かに、私たちは、表の手は、見ています。また、裏の手も、見ています。
でも、それは、上っ面の手を見ているだけで、本当の手は、見ていないのです。
本当の手は、理解力でしか、見えないのです。
同じように、私たちは、形の人間は、見ていますが、本当の人間は、見ていないのです。
本当の人間を見るには、理解力で、見るしかないのです。
では、本当の人間を、理解力で、見てみましょう!
学んでいる皆さんなら、見ることができるはずです。
私たちは、一です。
一とは、 意識です。 時です。生命です。すなわち、神です。
名前は、どうでも良いのです。
この宇宙には、たった一つの一があるだけです。
しかし、その一には、姿形がありません。
ですから、自分の存在を示すことができないのです。
自分の存在を示すには、何らかの形の中に入るしかないのです。
そこで、一は、人間を創り、人間の中に入ったのです。
私たちの肉体は、一が、幻の世界を見聞するために創られた乗り物です。
しかし、長いこと、人間の乗り物に乗っているうちに、一が、人間だと錯覚してしまったのです。
一が、錯覚したと言うことは 、私たちが、錯覚したと言うことです。
この錯覚を解くためには、どうしたら、良いのでしょうか?
それは、 自分が、一であることを、自覚するしかありません。
しかし、そのためには、全てのものが、一で出来ていることを、心の深いところで、理解する必要があるのです。
一が、全ての形を取っているのです。
菌も、虫も、花も、犬も、人間も、一の現れです。
特に、自我を持った人間は、一の代表格です。
その代表格である人間に、一は、瞑想と言う、錯覚を取る技術を与えたのです。
難しいことはありません。また、何の不思議もありません。
錯覚を取るには、「私は一である! 私は一である! 私は一である!」と想い続けることだけです。
一が、私であるということは、全ては、私であるということになります。
なぜなら、この宇宙には、一しかないからです。
一が、一に戻るだけです。
一に戻るためには、瞑想が必要なのです。
瞑想は、「私は一(神)である!」と想い続けることです。
どうか、瞑想してください!
それは、自分のためにも、地球のためにも、宇宙のためにもなるのですから・・・。
2021.04.25
この意味の深さは、海よりも深く、宇宙よりも大きいのです。
誰もが、同じものを、見ているつもりですが、理解力の高さによって、見ている中身が違っているのです。
だから、理解力の乏しい、地球人類は、矛盾多い社会で、何の疑問も持たず生活していられるのです。
もし、一瞬でも、高い理解力を持ち、上の世界を見ることができたら、恐らく、落胆して生きてゆけないでしょう。
私たちは、
いかに、理解力が大切か、分かろうというものです。
私たちは、見える世界で生きてきたために、見えない世界のことが考えられないのです。
私たちは、目で見て、耳で聞いて、肌で触って、匂いを嗅いで、舌で味わって、物が有ると思っています。
でも、五感で有ると思ったものは、全部、幻なのです。
なぜなら、五感(肉体)そのものが、幻だからです。
私たちの肉体は、幻を見聞するために作られた、意識の乗り物なのです。
私たちは、意識なのです。
その意識が、肉体という乗り物によって、今、この幻の世界を見聞しているのです。
2021.05.02
※ この宇宙には、目に見えない世界が、無限に存在するのです。
その世界を見るには、理解力で観るしかないのです。
なぜなら、五感を超越している世界だからです。
この宇宙は、理解した世界だけが、存在するのです。
理解した宇宙だけが、存在するのです。
だから、私は、「理解力によって、宇宙は進展してゆく」という言い方をするのです。
相対的概念は、この表現世界にだけある概念です。
私たちは、相対的体験を通して、 本当に有るモノを、知ろうとしているのです。
意識の世界の中においては、
大きい、小さいも、
長い、短いも、
厚い、薄いも、
重い、軽いも、
速い、遅いも、
ないのです。
そこに有るのは、本当に有るモノだけです。
本当に有るモノとは、相対的概念を通して理解した意識です。
すなわち、神人です。
どうして、 大きい、小さいが、生まれるのでしょうか?
どうして、速い、遅いが、生まれるのでしょうか?
どうして、重い、軽いが、生まれるのでしょうか?
同じ、大きさ同士、同じ、スピード同士、同じ、重さ同士では、
段差がないので、本当に有るモノが、発見できないのです。
段差が有るから、本当に有るモノが、発見できるのです。
この表現宇宙は、相対的概念力(理解力)によって、生まれる、幻の世界なのです。
それも、認知者が理解できて、初めて、生まれる世界です。
認識者が理解できなかったら、存在していても、存在していないのです。
だから、審判員である認識者は、絶対、必要なのです。
人間は、その審判員なのです。
ただし、人間が存在するためには、相対的な相手が必要です。
つまり、別な自分を作って、相対させる必要があるのです。
だから、神は、自我人間を作ったのです。
自我人間ができて、初めて、神が生まれたのです。
それまでは、神は、いなかったのです。
しかし、神は、初めから、いたわけですから、人間も、初めから、いたのです。
真理とは、永遠不滅・完全無欠・不変不動・絶対無くならないモノのことを言います。
ということは、神は、真理そのものであるということです。
なぜなら、神は、永遠不滅・完全無欠・不変不動・絶対に無くならないからです。
ということは、私たちも、真理であると言うことです。
なぜなら、私たちは、神の分身だからです。
そうなのです!
私たちは、真理の塊なのです。
だから、外に、真理を探しに行く必要はないのです。
真理を知りたかったら、自分を探ればいいのです。
2021.05.09
皆さんは、今まで、一度だって、自分で自分を、写したことがありますか?
いつも、自分の映写機で、自分以外のものを、写していたのじゃありませんか?
当然です。
撮す自分と、撮される自分の二役は、できないのですから・・・。
だから、一度だって、映写機の前に、自分が現れたことがなかったのです。
と言うことは、自分は、主役だと言うことです。
なのに、皆さんは、脇役だと思って、オドオドして、生きているのです。
胸を張って、堂々と、生きてください!
あなたは、永久に、主役の座から降りることはないのですから ・・・。
あなたの人生は、あなたが、あなたのために用意したのです。
あなたの前に登場した人物は、全て、あなたが連れてきた脇役です。
時代背景も、時代考証も、小道具も、 台詞も、全て、あなたが用意したのです。
あなたは、あなたの人生映画の総監督なのです。
あなたは、主観宇宙の主なのです。
自分が認めるから、外側のモノがあるのです。
妻も、子も、地球も、宇宙も、神も、自分さえも、 自分が認めるからあるのです。
ですから、悪びれることなく、堂々と、主役として生きてください!
2021.05.16
※ 一体、自分って、何なのでしょうか?
もし、肉体を自分と言うなら、切った爪も、自分ではないでしょうか?、切った髪の毛も、自分ではないでしょうか?
切る前は、自分で、切った後は、自分で無くなるのでしょうか?
皆さんは、時々、自分を捨てているのです。ゴミとして ・・。
でも、誰も、捨てていると、思っていないのです。
次のようなことも、疑問の一つです。
もし、肉体を自分と言うなら、痩せた肉の自分は、どこに、消えたのでしょうか?
また、太った肉の自分は、どこから、来たのでしょうか?
よく、事故や戦争で、手足を失う人がいますが、その手足が自分なら、自分を失ったことになるのではないでしょうか?
でも、誰も、自分を失ったとは、思っていないのです。
こう言うこともあります。
手足が腐ってきて、手足を切り落とさなければ、命が危ない! と言われた場合、誰もが、手足を切り落とします。
これは、肉体が自分で無いことを、魂が知っているからです。
前述した事を深く考える人は、誰もいないのです。
学びの友の皆さんだけでも、深く考えてみてください。
くすくすと、笑いが、こみ上げてくると思います。
神は、想念によって、この表現宇宙を創られました。
それと、同じ想念を、私たちも、持っているのです。
と言うことは、想念を上手に使えば、地球に、理想の世を作ることも、夢ではないと言うことです。
想念は、何でも作ることができます。何でも破壊することができます。何でもコントロールすることができます。
例えば・・・
このように、私たちの想念は、偉大な力を秘めているのです。
この想念の偉大さを、何としても、地球人類に知って欲しいと思います。
想念は、目に見えません。肌にも感じられません。
ですから、なかなか、想念の偉大さが、感じられないのです。
感じられないがゆえに、想念を悪用してしまうのです。
想念をないがしろにしていては、私たちは、苦しみから逃れられないのです。
さあ!、想念を上手にコントロールしましょう!
私たちは、想念のコントロールができるまで、輪廻転生の旅を続けなければならないのです。
私たちは、その旅を、何万回も、続けてきたのです。
何と! 遠い旅路なのでしょうか?
何と! 根気のいる旅路なのでしょうか?
2021.05.23
表現の順番は、「意・口・身」です。
最初に、思いがあり、次に、言葉があり、最後に、行為があるのです。
ですから、想いが悪ければ、言葉も、行為も、悪くなり、思いが良ければ、言葉も、行為も、良くなるのです。これは、当たり前のことです。
でも、人間は、そのことを、知らないのです。
だから、想いたい放題のことを思い、言いたい放題のことを言い、行いたい放題のことを行なっては、痛い目に遭っているのです。
なぜ、そのようなことが起きるかと言いますと、思いが、光を、強くしたり、弱くしたり、するからです。
思いが良ければ、光が強くなるのです。
思いが悪ければ、光が弱くなるのです。
光が強くなれば、良いことが起き、光が弱くなれば、悪いことが起きるのです。
光は、私たちの思いに、従順なのです。
私たちの思いと光は、同じ神から生まれたからです。
私たちが、そうであるように、光も、意識を持ち、意思を持ち、善悪の判断力を持ち、計画性を持ち、創造力を持っているのです。
ネガティブな想いを持てば、即座に、光が弱くなり、
ポジティブな想いを持てば、即座に、光が強くなります。
肯定的な想いを持てば、即座に、光が強くなり、
否定的な想いを持てば、即座に、光が弱くなります。
この宇宙は、 ポジティブに、肯定的に、創られているのです。
ですから、人類の悪想念で汚さない限り、この宇宙は、光り輝いているのです。
私は、最近、「想念! 想念! 想念!」と、想念の話をすることが多くなりました。
それは、想念の偉大さを、より深く知ったからです。
どうか、想念の凄さを知ってください!
2021.05.30
神は、私たちに、想念を与えてくださいました。
この想念が与えられた時点で、私たちは、神と同等の存在になったのです。
なぜなら、神を認めてあげられる立場になったからです。
私たちは、形を見て、人間だと誤解していますが、私たちの本性は、想念なのです。
その想念は、光でもあるのです。
なぜなら、想念の大元である意識そのものが、光だからです。
意識を集中すれば、光ってくるのは、そのためです。
このように、
意識 = 想念 = 光 なのです。
その光は、全て、良き方向に導いてくれます。
光は、万能なのです。
その光は、私たちの想念によって、強めたり、弱めたり、できます。
良い事を想っている時は、光は、強くなります。
悪い事を想っている時は、光は、弱くなります。
光を想えば、悪しきものは 、一切、寄って来ないのです。
それが、光の性質であり、光の効果なのです。
もし、今、あなたに、災いが降りかかっているとしたら、それは、光を閉ざしているからです。つまり、ネガティブな想念を放っているからです。
どうか、良い想念を放ってください!
そうすれば、あなたは、幸せになれます。
2021.06.06
※ 光は、どこから、来るのでしょうか?
外側から来るのでしょうか?、内側から来るので しょうか?
光は、内側から来るのです。
つまり、自分の思いから来るのです。
ですから、光を強めたかったら、良い思いを持つことです。
良い思いの一番は、神を想うことです。
どうか、神を想い、光を強めてください。
そしたら、あなたの人生は、万々歳です。
※ 光は、万能です。
光が強ければ、良い方向に転がります。
光が弱ければ、悪い方向に転がります。
光には、
知恵があるのです。
意思があるのです。
意図があるのです。
計画性があるのです。
その光を呼び寄せられるのは、唯一、私たちの想念です。
人間は、誰もが、自分で生きていると思っています。
髪の毛一本、爪一つ、作れないのに・・です。
人間は、何と傲慢なんでしょうか!
人間は、生きているのではなく、生かされているのです。
何によって? ・・それは、解からないものによって、生かされているのです。
解からないのです。
その解からない存在を、神と呼んでるだけです。
神と呼ぶのが嫌いなら、
力でも、良いのです。
エネルギーでも、良いのです。
X でも、良いのです。
言葉は、どうでも、良いのです。
その解からない X が 、全ての存在物を、生み出し、生かし、動かし、働かせているのです。
自分で生きていると、傲慢でいる限り、人類は、苦難に喘がねばならないでしょう!
2021.06.13
※ 私たちは、解からない存在なのです。
なぜなら、自分の意識が、解からないからです。
その解からない意識に、神と名を付けたのです。
ですから、私たちは、間違いなく、神なのです。
神と言うのが、恐れ多いなら、
「神の子」でも、結構です。
「意識の子」でも、結構です。
解からないのですから、「解からない子」でも、結構です。
なぜ、「子」と言うのか?
それは、まだ、大人になっていないからです。
しかし、肉体も、魂も、 神の素材で創られているし、子は、いずれ、親になるのですから、「私は神である!」と言っても、良いのです。
今は、へりくだって、「子」と言っているだけです。
人間と想っている人の傲慢さは、醜いのです。
でも、神と想っている人の傲慢さは、微笑ましいのです。
光のメロディ「 あなたは神!」
神は、原因なき原因者です。
この表現宇宙は、原因なき原因者である、神によって、創られたのです。
ですから、どんなに、宇宙の起源を探っても、解らないのです。
当然です。
原因が無いわけですから、解るはずがないのです。
解らなくても、良いのです。
なぜなら、解ったら、宇宙が消えてしまうからです。
でも、原因を創らなかったら、宇宙が始まらないわけですから、原因なき原因者を認めなければならないのです 。
私たちは、人から危害を加えられると、人を責めます。
でも、人を責めてはならないのです。
なぜなら、あなたに危害を加えたのは、人では無く、原因無き原因者だからです。
つまり、神だからです。
神を責めるなど、とんでもないことです。
危害を加えた人は、原因無き原因者から、原因を引き継いでいるのですから、責められないのです。
これは、もの凄く難しい真理ですので、解ってもらえないかも知れませんが、そう言うものか? と言うことだけは、知っておいてください。
2021.06.20
※ 人間は、実際に、無いものです。
神は、実際に、有るものです。
この真理を前提に、人間と神について、考えてみましょう。
今、私たちは、肉体を持って存在しています。
でも、この肉体は、消えてしまうので、無いものです。
でも、この肉体は、原因(神)から生まれたのですから、有ることになります。
なぜなら、原因と結果は、一つだからです。
一つと言うことは、結果は原因であり、原因は結果である、と言うことになります。
だから、肉体は神であり、神は肉体である、と言うことになるのです。
これが、人間が、神であると言う証なのです。
「便利・快適・スピードアップ」が、良いと思っている人たちは、魂の幼い人たちです。
魂の幼い人たちは、たくさん、体験する必要があるので、「便利・快適・スピードアップ」を望むのです。
でも、皆さんのように、魂の熟成した人たちは、「穏やか、安定、ゆっくりしたスピード」を、望むのです。
確かに、スピードアップすれば、経済が活性化されますので、経済成長に繋がるかも知れません。
でも、それは、
何事も、行き過ぎると、危険になるのです。
中庸を、守りたいものです。
今、リニア新幹線の工事がストップしているようですが、何か意味があるのではないでしょうか?
この際、リニア新幹線について、考えてみてください。
今、人類は、「便利・快適・スピードアップ」に、酔いしれていますが、いつまでも、酔いしれていられるでしょうか? 必ず、痛い目に遭う時がきます。
いいえ、もう、すでに、痛い目の一つに遭っているのです。
でも、人類は、そのことに、まだ、気づいていないのです。
2021.06.27
地球においては、地表より、遠ければ、遠いほど、波動が精妙になり、地表に、近ければ、近いほど、波動が鈍重になるようになっております。
それは、上方は、エネルギーが高く、下方は、エネルギーが低いことを意味します。
このことは、エネルギーの低い、黒雲は、下に浮かび、エネルギーの高い、白雲は、上に浮かぶのを見ても分かるでしょう。
どうして、山城を作ると思いますか?
戦いになった場合、エネルギーの高い所の方が、有利だからです。
例えば、敵に向かって、石や材木を、投げ落とすことができます。
矢や槍も、上から下に向かって放てば、威力が増します。
これは、「エネルギー」の有利性(位置エネルギー)を示す、一例です。
スポーツにおいても、エネルギーの有利性を感じることができます。
一番、分りやすいのが、マラソン競技です。
風上に向かって走れば、苦しいです。風下に向かって走れば、楽です。
このエネルギーの有利性は、意識にも、影響を与えているのです。
宇宙飛行士が、地上に帰ってくると、意識が変わる、と言われるのは、高いエネルギーの影響を受けたからです。
つまり、成層圏や宇宙圏は、地上より、ずっと、エネルギーが高いのです。
幸せも、エネルギーが、関係しているのです。
エネルギーが、高ければ、幸せになるのです。
エネルギーが、低ければ、不幸せになるのです。
このように、エネルギーは、私たちの生活に、人生に、大きな影響を与えているのです。
2021.07.04
※ エネルギーは、私たちの想念で、どうにでも、操作できるのです。
エネルギーを、強くしたかったら、神を強く想ったら良いのです。
幸せになりたかったら、神を強く想ったら良いのです。
こんな、簡単なことはないのです。
宇宙に、出て行かなくても、自分の中で、エネルギーを、強めたり、弱めたり、できるのです。
神の愛を感じませんか?・・・。
学びの友の皆さんは、そう言う、神の愛を感じられる、魂なのです。
まず、神が放射した意識核が集まって、鉱物になりました。
さらに、集まって、集まって、植物になりました。
さらに、集まって、集まって、動物になりました。
さらに、集まって、集まって、人間になったのです。
人間に なると、自我が生まれます。
自我が生まれると、自分が、何なのか、解るようになります。
この段階が、一つの節目です。
今の地球人類は、その段階にいるのです。
学びの友の皆さんたちは、次の節目に向かって進んでいる、魂です。
つまり、 第二の節目である、自覚の境界線に向かって進んでいる、魂なのです。
そこまで来た、魂は、自我の自分と真我の自分の見分けが、少し出来るようになります。
つまり、良心の囁きが、聴こえるようになるのです。
ですから、愚かな生き方が、できなくなります。
しかし、一般の人たちは、見分けがつかないので、自我丸出しの生き方をしているのです。
魂の大きさを、自覚して生きることは、とても、大切です。
なぜなら、愚かな争いをしなくなるからです。
魂の熟した者が、どうして、子供相手に、争いをしますか?、と言うことです。
地球人の殆んどが、同じ人間の形をしているから、同じ人間だと、思っているのです。
でも、人それぞれ、魂の熟成度が違うのです。
今日、人間になったばかりの魂もあれば、何百万年前に、人間になった、魂もあるのです。
そのことを、知らないから、魂の幼い指導者を選ぶのです。
その指導者が、政治をするのですから、良い社会になるわけがないのです 。
進化した星の人たちは、魂の成熟した人を、指導者に選んでいます。
だから、その星は、平和なのです。
面白いもので、魂が大きくなると、知恵が増します。判断力が増します。理解力が増します。先の見通しが、少し利くようになります。
これは、神の意識核一つ一つが、知恵の塊だからです。
私たちは、その意識核を、相当数、集めてきたのです。
だから、自分を認め、家族を認め、宇宙を認め、神っているのかな?、と思えるところまで、進化してこれたのです。
どうか、これからも、神の意識核を集めてください!
ますます、知恵が増し、理解力が増し、先見の明も増すことでしょう!
それは、お金もかかりません。どこに行く、必要もありません。
自分の家で、自分の心の中で、出来るのです。
2021.07.11
絶対宇宙を知るには、相対宇宙を知るしかありません。
つまり、神を知るには、人間を知るしかないのです。
神は、全く姿形がないので、知るにも、知りようがないのです。
でも、神の分身である人間は、姿形がありますから、人間を知れば、神を知ることができるのです。
よく、考えてみてください。この表現世界は、全て、相対的になっています。
例えば、
私たちは、一つでは、真実が分らないのです。
相対させることによって、段差を付けることによって、真実を発見することができるのです。
宇宙には、二つの宇宙があるのです。
一つは、見える宇宙です。
この見える宇宙は、別名、相対宇宙とも言います。
もう一つは、見えない宇宙です。
この見えない宇宙は、別名、絶対宇宙とも言います 。
見える宇宙は、目で見ることができますが、見えない宇宙は、目で見ることができません。 何で見るのかと言いますと、意識で観るのです。
意識で観る、と言う意味は、理解力で観る、と言う意味です。
見えない宇宙は、形が無いため、意識で観るしかないのです。
意識が、「あーそうか!」と理解した時、観たと言うのです。
見えないものを、理解力で見る・・ これが、 いわゆる、理解眼と言われるものです。
では、理解眼を持つには、どうすれば、良いのでしょうか?
それは、難しいことではありません。次の二つのことを、やれば、良いのです。
この二つのことを、やれば、原子核が増えるので、自然と、理解眼が持てるようになるのです。
2021.07.18
自分の肉体を維持するだけなら、たくさんのお金は要りません。
世の中には、一国を賄えるほどのお金を持っている人たちがいますが、その人たちは、人生の目的が分かっていないから、たくさんのお金を持ちたがるのです。
あなたは、
クジラのような身体を持っているのでしょうか?
クジラのような胃を持っているのでしょうか?
二メートルそこそこの空間があったら、寝られるのではありませんか?
どんぶり一杯の食べ物があれば、お腹が満たせるのではありませんか?
着るものだって、そんなに、大きなものは要らないはずです。
だったら、そんなに、お金は要らないと思います。
覚者は、言っています。
「鳥は、家族の食べる分の餌しか運んできません。もし、欲張って運んだら、飛べなくなってしまうからです」と・・・。
人間も、欲張って、たくさんの物を運んだら、躓いて転んでしまうのです。
必要以上の物を持っては、いけないのです。 持てるだけの物を持つことです。
そうしたら、人と争うことも、躓いて転ぶこともない のです。
たくさんの物を持ったって、どうせ、置いて帰らなければならないのですから・・・。
2021.07.25
※ 私たちの背後には、真我(神)が、おられるのです。
その真我は、この者は、真剣に、神を求めているだろうか?、やるべきことを、やっているだろうか?、努力しているのだろうか?、全部、ご存知なのです。
何事も、努力なしに、成し遂げられることはありません。
人を頼ってならないのは、原因を作らないでは、結果は、得られないからです。
どうか、人事を尽くしてください。今、やれることを、精いっぱい、やってください。
学びの友の皆さんが、今、やるべきこととは、瞑想することです。
意識は、審判員のようなものです。
審判員が認めて、何もかもが、生まれるのです。
どんなに、何かが存在していても、審判員である意識が認めなければ、そのモノは、存在しないのです。
なぜかと言いますと、認める意識がなかったら、認められるモノが、存在できないからです。
どんなモノも、認められて、初めて、存在できるのです。
どうして、自分が分かるのですか?
自分の意識が、自分を認めるから、分かるのではありませんか?
自分を含め、全てのモノは、自分の意識が認めて、初めて、存在するのです。
先に、モノがあるのではないのです。自分の意識が先にあって、その意識が認めて、初めて、モノが存在できるのです。
と言うことは、自分の意識が、モノを創っている、と言うことです。
こんな、当たり前なことはないのです。
認められているモノは、結果です。認めている意識は、原因です。
結果が、先にあるわけがありません。原因あっての結果です。
原因者が認めて、初めて、結果が生まれるのです。
ただし、原因と結果は、一直線上にあるので、どちらが無くても、どちらも無いのです。と言うことは、結果と原因は、同格だと言うことです。
「原因者を、存在させるためには、結果が、存在しなければならない!
結果を、存在させるためには、 原因者が、存在しなければならない!」
このように、原因と結果は、相身互いの関係にあるのです。
2021.08.01
学びの友の皆さんに言いたいのですが、自分が、コロナにかからないからと言って、マスクをしないで、外に出てはなりません。
私は、外に出る時には、マスクをして出ます。
また、不要不急の外出も、控えています。
私も、緊急事態宣言は、守っているのです。
私たちは、今、地球社会で、生きているのですから、地球社会のルールは、守らなければなりません。「郷に入れば郷に従い!です。」
真理を学んでいる者で、あれば、あるほど、常識人であってください。
私は、選挙にも行きますし、自治会の規則も守っています。
どうか、社会のルールを守りながら、真理を求め続けてください。
なぜ人間は、一番になりたがるのでしょうか?
アスリートも、政治家も、 企業家も、技術者も、学生さんも、みな、一番を目指しています。
この一番になりたがる心理状態は、一から出てきた、一の子だからです。
私たちは、一が懐かしいのです。一の故郷に、帰りたいのです。
つまり、一なる神の故郷に、帰りたいのです。
なぜ、人間は、金(きん)が好きなのでしょうか?
それは、私たちの故郷が、金色に輝く、光の世界だからです。
魂は、一が尊いこと・・、金が尊いこと・・を知っているのです。
だから、一番になりたがるし、金が好きなのです。
これは、自分が、一の子である証拠なのです。
すなわち、自分が、神の子である証拠なのです。
2021.08.08
私たちは、 神の意識核を集め、鉱物・植物・動物・人間へと、進化してきました。
でも、今の地球人類は、まだ、動物的習性から、抜け出せていないのです。
ごらんなさい!、多くの人が、動物的な生き方をしているではありませんか?
私たちは、人間では無いのです。肉体では無いのです。
私たちは、神なのです。霊なのです。魂なのです。意識なのです。生命なのです。
私が、本当の自分を知って欲しいと願うのは、本当の自分を知れば、生き方が変わるからです。
私たちは、一体、何のために、生まれてきたのでしょうか?
この世の物や、お金や、地位や、権力を、得るためでしょうか? いいえ、違います。
私たちは、 本当の自分を知り、霊性の進化を遂げるために、生まれてきたのです。
どうか、そのために、生きてください!
私たちは、自分で生きているのではないのです。
私たちは、生かされているのです。
神によって・・魂によって・・意識によって・・生命によって・・です。
もし、自分で生きているなら、病気になることはないでしょう!
例え、病気になっても、自分で治すことができるでしょう。
例え、指を切り落としても、自分で新しい指に取り換えることができるでしょう。
私たちは、心臓も動かせないし、爪一つ、毛一本、作ることもできないのです。
なのに、自分で生きているとは、余りにも、傲慢すぎます。
どうか、謙虚になってください!
私たちは、生かされているのですから・・・。
2021.08.15
人間は、どうして、瞑想できるのでしょうか?
それは、想念を持っているからです。
鉱物や、植物や、動物が、瞑想できないのは、想念を持っていないからです。
瞑想は、人間にだけ与えられた特権なのです。
神が、人間に、想念を持たせたのは、人間は、もともと、神だからです。
でも、今の地球人類は、自分が神であることを忘れているのです。
忘れているだけですから、瞑想をすれば、記憶を取り戻すことができるのです。
瞑想は、単純です。何の理屈も、何の技術もいりません。
子供でもできる、簡単な作業です。ただ、神を想えば良いだけです。
さあ、瞑想して、本当の自分を思い出しましょう!
ある宗教では、団体で、瞑想しております。
インドでは、ジャングルや、洞窟の中で、瞑想している人がおります。
お坊さんは、座禅を組んで、瞑想をしております。
いいえ、瞑想は、何処にいても、出来るのです。
なぜなら、瞑想は、想いの中でやることだからです。
ならば、外に出て行く必要も、団体でやる必要も、ないのではありませんか?
外に出かければ、お金もかかりますし、移動には、リスク(交通事故・ガソリンの消費・地球環境を汚す、等)も、伴います。
自分の家なら、お金もかかりませんし、移動のリスクも、伴いません。
誰にも、邪魔もされませんので、落ち着いて、瞑想できます。
さあ、一番近い、自分の家で、瞑想しましょう。
神は、必要なもの(環境も)を、一番近くに、置いてくれているのですから・・・。
神が、神の瞑想をするのです。
なぜなら、瞑想している自分が、神だからです。
「吾神なり!」の瞑想は、自分が、神だからできるのです。
自分が、神でなかったら、「吾神なり!」の瞑想が、できるわけがないのです。
なぜなら、嘘を付くことになるからです。
人間は、「吾神なり!」と、本当の事を言っているのです。
どうして、人間だけが、瞑想できると思いますか?
それは、人間が、神だからでは、ありませんか?
人間は、当たり前の「宣言」をしているだけなのです。
どうか、堂々と、「吾神なり!」の瞑想を・・宣言を・・してください。
2021.08.22
新・光のメロディー「想念瞑想」
宇宙には、二つの宇宙があるのです。
見える宇宙は、望遠鏡で見ることができますが、見えない宇宙は、見ることができません。
何で見るのかと言いますと、意識で観るのです。
意識で見ると言う意味は、理解力で見ると言う意味です。
見えない宇宙は、姿形が無いのですから、意識で観るしかないのです。
意識が、「あーそうか!」と納得した時、観たと言うのです。
これが、理解眼と言われるものです。
見えない内宇宙は、意識の世界です。生命の世界とも、神の世界とも、言います。
言葉は違っても、同じ世界です。
この世界には、何もありません。何一つ表現されない世界なのです。
それでは、存在意味がありませんので、内宇宙は、自分の存在を誇示するために、見える外宇宙を創ることにしたのです。
内宇宙は、自分の意識核を放射し、見える外宇宙を創りました。
そこには、たくさんの波動の違う世界が存在します。
その世界は、内宇宙の想いが具体化された世界ですから、目的があり、意味があります。
ですから、その世界を探れば、内宇宙を知ることができるのです。
しかし、見える世界は、必ず、消えてしまう、無常の世界です。
無常の世界ですから、そこには、真実なるものは、一つもありません。
まるで、蜃気楼のような、ふわふわとした、幻の世界です。
しかし、その蜃気楼のような、ふわふわした、幻の世界の中に、内宇宙の謎が隠されているのです。
ですから、私たちが、住んでいる、幻の世界(物質界・幽界)は、とても、大切な世界なわけです。
今、地球の科学者たちは、物質の謎を探っていますが、それは、内宇宙を知るためなのです。
でも、そのことに、気づいている科学者は、皆無です。
2021.08.29
新・光のメロディー 「大宇宙」
私たちは、今、意識を持っています。これは、間違いのないことです。
なぜなら、今、自分を認識できるからです。
自分が認識できるのは、意識があるからです。
意識がなかったら、自分を認識できないのです。
その意識の性質を、考えてみましょう!
私たちの意識は、同じ状態のモノを認識していると、飽きてしまうのです。
意識は、常に、変化を求めているのです。
その意味では、変化が、意識を存在させていると言って良いでしょう。
と言うことは、変化が無かったら、意識は、存在しないと言うことです。
これが、私たちの住んでいる表現世界が、無常の世界でなければならない理由です。
意識を、意識していると、光ってきます。
それは、意識が、光である、と言う証拠なのです。
愛とは、バランスのことですから、意識は、中庸を保っている、と言うことです。
私たちが、永遠なのは、私たちの意識が、永遠に失わないからです。
意識を無限大に解放してみてください!
どこまでも、拡大してゆくでしょう。
これは、私たちの意識が、無限だからです。
この宇宙が、今日まで、延々と存続してこれたのは、意識が、完全だったからです。
もし、意識が、不完全だったら、とっくに、この宇宙は、存在していないでしょう。
意識が、力であるがゆえに、何でも創造することができ、何でも壊すことができるのです。
それは、善悪にも、情けにも、関係なくです。
それも、強く思えば 強く、弱く思えば 弱く、速く思えば 速く、遅く思えば 遅く ・・です。
この伝達力は 、同じ波動と同調して届くようになっているのです。
それも、瞬時に届ける力を持っているのです。
私たちが、計画を立て、色々なことができるのは、意識そのものが、知恵を持っているからです。
この宇宙の始まりは、意識の誕生によって始まったのです。
意識が誕生し、その意識が、宇宙を創造したのです。
ですから、意識の誕生が、宇宙の誕生なのです。
では、その意識は、いつ、生まれたのでしょうか?
それは、 永遠の昔から存在していたのです。
と言うことは、意識は、永遠の昔から存在していたし、宇宙は、永遠の昔から存在していた、と言うことになります。
これは、宇宙の最も不思議な部分なのです。
意識は、認識できる意識がなくては、存在できないのです。
と言うことは、意識が二つ有ることになります。
認識するものがいなかったら、認識されるものがないのです。
しかし、意識は、一つしかないのです。
と言うことは、認識されるものと、認識するものは、一つの意識である、と言うことです。
これが、神と人間との関係なのです。
人間が、神を認識して、初めて、神が生まれるのです。
人間が、宇宙を認識して、初めて、宇宙が生まれるのです。
と言うことは、人間と神は一つであり、人間と宇宙は一つである、と言うことです。
つまり、 同じモノである、と言うことです。
さて、意識について、考えてきましたが、解かったことは、
と言うことは、人間は、神であり、宇宙である、と言うことです。
2021.09.05
神は、完全です 。これだけは、疑いのない、事実です。
なぜなら、今、私たちが存在していることと、今、宇宙が存在していることが、神が完全である証だからです。
もし、神が不完全なら、今、私たちは、存在していないでしょうし、宇宙も、存在していないでしょう。
神が完全である、他の理由は、この宇宙で起きていることは、全て、意味があって、起きている、と言うことです。
では、どんな、意味があって、起きているのでしょうか?
それは、進化成長に向かって、起きているのです。
神の目的は、あくまでも、私たちを、進化成長させるためなのです。
それ以外、神の目的は、ないのです。
あの日、あの嫌な人に出会ったのも、昨日、自動車事故に遭ったのも、今日、病気になったのも、進化成長に必要だから、起きたのです。
もし、神が、意味のないことを起こすなら、神は、不完全になってしまいます。
そんな、神は、あり得ないわけですから、この宇宙で起きていることは、全て、必然で起きている、と言うことです。
必然で起きている、裏には、目的があり、意図があり、それは、秩序と法則のもとに、起きていると、言うことです。
神 = 必然 = 意味 = 意図 = 法則・・ 進化成長へ
これが、神の目的なのです。
必然の必然たるべき配慮は、その魂の進化成長に、必要な肉体を持たせて誕生させる、と言う、真我の計画です。
これは、見事、と言う外ありません。
例えば、
挙げれば、キリがありませんが、全て、その人物の将来設計に合わせて、真我が、計算ずくで、そのような身体を持たせて誕生させたのです。
これは、 原子核が増え、理解力が、高まれば、高まるほど、唖然とさせられます。
その唖然とさせられた一人が、私です。
計画するのは、真我です。神です。
でも、自我は、その計画内容を知りません。
ですから、肉体の好むような生き方をし、栄冠と挫折、喜びと悲しみ、など、波乱万丈の人生を送ります。
しかし、あまりにも、波風が大きいため、なぜ、こんな体で生まれたのか?! と、疑問を持つようになります。考えます。学びの友なら、思索します。
そして、気付きます。
「 そうか!、進化成長に必要な肉体だったんだ !」と・・・。
魂の幼い時期には、そのことに、気づきません。
学びの友の皆さんのように、魂が熟成してくると、気づきます。
「 なるほどー、そうか!」と・・・、
こうして、魂が、成長して行くのです。
これが、魂の進化の仕組みです。
2021.09.12
私たちが、学んでいる真理は、あまりにも、凄すぎて、どう、言葉に表現して良いか分かりません。
何せ!、私の観ているものを、観て、理解して、欲しいのです。
と言っても、これ、ばっかりは、どうすることも、できません。
皆さん、一人一人が、原子核を増やし、観てもらうしかないのです。
どうか、原子核を増やし、理解力を高めてください。
いずれ、私の言っていることが解る時が来ます。
私が望むこと ・・・それは、真理を求め続けて欲しい、と言うことです。
2021.09.19
【学びの友の皆さんの、確認のための動画】
以前、見た、この動画の深みと、今日、見る、動画の深みを、比較してみてください。
きっと、深みが、違うと思います。
長いですけれども、最初から、最後まで、見てください!
奉仕社会とは、 一人ひとりの労働力が、結集し、社会全体の財産になった社会のことです。
つまり、 一人一人の労働力と言う財産が集まって、社会全体の財産になり、社会全体の財産が、一人ひとりの財産になった社会です。
海水の一滴一滴が結集して、海全体の力になり、海全体の力が、海水、一滴一滴の力になるようなものです。
このように、奉仕社会では、一人ひとりの労働力が、社会を動かす原動力になっているのです。
それは、強制ではありません。
国民、一人ひとりが、納得の上で、自らの労働力を、無償提供しているのです。
労働力が無償であれば、生活必需品が無償になるのは、当然でしょう。
ですから、奉仕世界では、自由収得制度が、採用されているのです。(お金が使われていない。)
自分が働いて作ったものを、自分が使うのは、当然だからです。
このように、奉仕社会では、自由収得制度が、採用されているわけですが、その制度が維持できるのは、奉仕労働者、一人一人が、良心に生きているからです。(お金の代わりをしているのは、良心。)
これが、労働本位制を採用している、奉仕社会の素晴らしいところです。
奉仕労働力を循環させれば、お金など、いらない、と言うことです。
奉仕社会で、最も問われるのは、奉仕労働者の仕事ぶりです。
奉仕社会における、労働者の仕事ぶりは、職人根性丸出しの仕事ぶりです。
彼らは、良い物が出来るまで、とことん、仕事に打ち込むのです。
当然、そこには、工夫があり、熱意があり、情熱があります。
ですから、出来上がった品々は、見事なものばかりです。
共産主義における、労働者の仕事ぶりは、 ただ、1日、無事に仕事が終われば良い!と言った、無気力ぶりです。
そこには、真心が込められていません。
ですから、粗悪品が、多く作られたのです。
共産主義が崩壊したのは、当然だったのです。
皆さんも、体験していると思いますが、機械で握ったおにぎりより、お母さんが握ったおにぎりの方が、美味しかったはずです。
この表現世界は、神の思いと言葉によって、創られましたので、全ての物の中には、神の思いと言葉が、入っているのです。
大自然を見てください! 見事なまでに、調和が取れています。
それは、神の思いと言葉が、大自然の中に、そのまま、表現されているからです。
人間も、真心を込めて、物作りをしたら、 素晴らしい波動の物が出来上がるでしょう。
しかし、残念なことに、儲けなければならない、今の社会では、材料も、時間も、手間も、多くかけられないので、 波動の高いものが、作られないのです。
儲ける必要のない奉仕社会では、材料も、時間も、手間も、いくらでも、かけられるので、 波動の高いものが、作られるのです。
全ての物の背後には、神の意識があるのです。
ですから、自然界の物は、波動が良いのです。
でも、今、人類が作っている物は、波動の低いものばかりです。
それは、欲望が絡んでいるからです。
そのために、地球全体の波動が、落ちています。
ですから、物が、腐りやすいし、壊れやすいのです。
害虫が増えるのも、悪玉菌が増えるのも、ウイルスが増えるのも、地球全体の波動が落ちているからです。
どうして、コロナウイルスが、発生したのでしょうか?
どうして、鳥インフルエンザや、トンコレラや、 狂牛病が発生したのでしょうか?
そんな、病気、昔、あったでしょうか?
もし、人類が、真心を込めて、物作りをしたら、もう、不幸災難は、一切、起きなくなるでしょう。
真心を込めて、と言う意味は、 想念を良く使ったら、と言う意味です。
そのためには、欲を捨てることです。
ねばならない、と言う、拘りを捨てることです。
とことん、良い品物を作りたい!、と言う、職人根性で、物作りをすることです。
2021.09.26
人間とは何か? Part1
人間には、二つの側面があります。
では、物質的側面の人間は、何処から、生まれたのでしょうか?
結論を先に言いましょう。「Χ」から、生まれたのです。
私たちの肉体は、物質です。
その物質は、現代科学では、分子や、原子や、クォークなどの素粒子から、生まれたことになっています。
では、その素粒子は、何処から、生まれたのでしょうか?
こうなると、現代科学は、お手上げです。
はっきり言って、素粒子は、解らないモノから、生まれたのです。
解らないモノですから、「X」と名を付けましょう。
では、その「X」 は、何から、生まれたのでしょうか?
解らない「XX」から、生まれたのです。
では、その解らない「XX」 は、何から、生まれたのでしょうか?
解らない「ΧΧΧ」から、生まれたのです。
では、その解らない「ΧΧΧ」は、何から、生まれたのでしょうか?
この話は、永遠に、堂々巡りをします。
永遠に堂々巡りをする、と言うことは、永久に解らない、と言うことです。
「Χ」は、永久に解らないのです。
と言うことは、物質人間も、永久に解らない、と言うことです。
では、もう一つの側面である人間の意識は、何処から、生まれたのでしょうか?
「私!私!私!・・・」と、自分の意識を、追いかけていってみてください。
意識の出所が、分かりますか?
どんなに、追いかけていっても、解らないはずです。
このように、物質人間も、意識人間も、解らない「X」なのです。
では、「X」を知る手がかりはないのでしょうか? あります。
先ほど、意識の出所が、分からない、と言いましたが、この意識が、「Χ」を知る、唯一の手がかりなのです 。
私たちは、自分が、認識できます。色々なものが、認識できます。
それは、意識を持っているからです。
意識が無かったら、 自分はおろか、 友達も、家族も、花も、虫も、地球も、宇宙も、認識できません。
と言うことは、私たちの意識が、全てのものを、創っていることになります。
ならば、私たちは、創造主ではないでしょうか?
「X」 の正体は、解らないけれど、人間の意識によって、全てのものが、創られていることは、分かったと思います。
現代医学では、私たちの意識は、脳が生み出していることになっています。
それが、事実なら、肉体が死んだら、意識も無くなってしまうのではないでしょうか?。
でも、肉体が死んでも、意識は、無くなりません。
なぜなら、意識が無くならない証拠は、沢山ありますが、意識が無くなる証拠は、どこにもないからです。
と言うことは、意識は、肉体が生み出したものではない! と言うことになります。
すなわち、私たちは、死なないと言うことです。
肉体は、単なる、意識の乗り物に過ぎないのです。
私たちは、姿形が無くなっても、ちゃんと意識を持って、別な次元で、生きているのです。
人間とは、このように、意識なのです。
意識が、人間を、生かし、動かし、働かせているのです。
2021.10.03
瞑想で、一番大切なのは、「吾」と言う言葉を使うことです。
例えば、「神」を瞑想する場合、「吾神なり!」の「吾」を、頭につけて瞑想してください。
なぜかと言いますと、「吾」を付けねば、誰が、神だか分からないからです。
それでは、自覚が、生まれないのです。
神の中にいては、神が解らないのです。
一の中にいては、一が解らないのです。
自分の中にいては、自分が分からないのです。
霊太陽の中にいたら、霊太陽が見られないのです。
外に出て、外から見なければ、見られないのです 。
ここで言っている、「吾」とは、外側の自我の「吾」のことです。
自我の「吾」が、神ですよ! と宣言するのです。
「吾」と思った状態は、外側に出た状態なのです。
外側の「吾」が、真我の「吾」と、一体となって、「吾神なり!」 と思うことで、自覚が生まれるのです。
「神」と言う思いは、一つの中にいる状態です。
「吾」と思った途端、もう一人の自分が、出来るのです。
つまり、自我なる自分と、神我なる自分が、出来るのです。
二人の自分に、分けなければ、神なる「吾」は、解らないのです。
絶対の中にいては、絶対が解らないのです。
相対的自分が、絶対的自分を意識することによって、自覚が生まれるのです。
だから、どうしても、二人の自分を、創らなければならないのです。
鉄道マニアが、よく、電車の写真を撮っておりますが、電車に乗っていては(内側にいては)、電車を撮すことが出来ないのです。
神を撮す場合も(自覚するにも)、同じで、神の中にいては、神を撮すことができないのです。
外に出て、人間となって、初めて、神を撮すことができるのです。
感動(自覚)は、ギャップが、あれば、あるほど、強まるのです。
つまり、厳しい人間体験を、すれば、するほど、神の自覚が強まるのです。
だから、私たちは、人間の体を纏って、厳しい表現世界に出てきたのです。
ギャップのない世界に、感動(自覚)が、生まれないことを、知ってください。
2021.10.10
どうして、表現の世界には、「時間」があるのでしょうか?
それは、人間の正体を知ってもらうためです。
この「時」と「間」は、二つで一つなのです。
「時」だけでも、存在できないし、「間」だけでも、存在できないのです。
「時」と「間」が、一対になって、「時間」が存在できるのです。
人間も同じなのです。
肉体は、「間」で、意識は、「時」なのです。
人間は、肉体(間)と意識(時)が、一対になって、存在しているのです。
このことを、神と人間に、置き換えてみてください。
つまり、人間を「間」として考え、神を「時」として考えてみてください。
「人間」と「神」が、一対となって、存在していることが解るでしょう。
「間」が無くては、「時」が無く、「時」が無くては、「間」が無いのです。
「人間」が無くては、「神」が無く、「神」が無くては、「人間」が無いのです。
要するに、どちらがなくても、どちらも無いと言うことです。
このように、表現の世界に、「時間」が存在するのは、人間と神の関係を知り、本当の自分を発見するためなのです。
今の地球人類は、まだ、「時間」を知る段階まで、進化していないのです。
つまり、「神」を知る段階まで、進化していないのです。
地球人類が、「時間」が理解できるようになったら、「神」も理解できるようになるでしょう!
それまでは、神の喧嘩(宗教戦争)をし続けるでしょう!
2021.10.17
この地球には、四季があります。
どうして、この地球には、四季があるのでしょうか?
それは、メリハリがなくては、意識が飽きてしまうからです。
私たちが、進化成長するためには、メリハリが必要なのです。
メリハリの一つに、夜と昼がありますが、どうして、夜と昼があるのでしょうか?
これも、進化成長に、必要だからです。
神様 は、昼間は、体をたくさん動かして働きなさい!、夜は、体を休めて静かに思索しなさい! 瞑想しなさい! と言うわけで、昼と夜とを与えてくれたのです。
地球は、人類にとって、無くてはならない、貴重な環境です。
その環境は、
時には、厳しい課題を与え、
時には、優しい課題を与え、
時には、諌め、
時には、嗜め、
時には、奮い立たせ、
成長へ、成長へと、運んでくれています。
「嫌だ! 助けてくれ!」と、泣き叫んでも、容赦しません。
環境は、峻厳な愛、そのものなのです。
今まで、与えられた人生環境も、今、与えられている人生環境も、これから、与えられるであろう人生環境も、全て、進化成長に必要な環境です。
それは、自分の中におられる、神(真我)が、 全て、用意したのです。
あなたの中には、神がおられるのです。
その神は、先々を読んで、必要な環境を与えてくれているのです。
神様に感謝しましょう!
2021.10.24
※ 私が、一番好きな季節は、秋です。
私にとって、季節の晩秋と、人生の晩秋とが、重なるからです。
美しい虫たちの鳴き声は、私たちの心を和ましてくれます。
秋の夜長は、静かな思索へと誘い込んでくれます。
一体、秋は、私たちに、何を問いかけているのでしょうか?
未熟な頃の人類は、自我の思いで、好き勝手な生き方をします。
当然、痛みや、苦しみを、体験するでしょう。
しかし、その体験を通して成長して行くのですから、自我の思いで生きて良いのです。
面白いもので、進化成長するに伴い、自我の思いが、真我の想いに、変わってくるのです。
また、自我の言葉も、真我の言葉に、変わってくるのです。
生き方も、本人は、気付きませんが、真我の生き方に、変わってくるのです。
原子核が増えてくると、自然と、そうなるのです。
今の地球人類は、その途中なのです。
人間は、人の言うことを気にしたり、人の行動を気にしたりしますが、それは、外側が、本当にあると思っているからです。
外側は、幻なのです。
人の言うことも、行動も、蜃気楼のようなものなのです。
ですから、人のことを、余り、気にしないことです。
気にすれば、気にするほど、心を乱し、自分の想念で、悪いものを作ってしまいます。
人前で、良い格好をしても、意味がないのです。
なぜなら、 前述したように、外側は、存在しないからです。
大切なのは、真我の前で、正直であることです。
私たちは、神なのです。
なぜ、神なのかと言いますと、意識を持っているからです。
よろしいですか?
意識を持っていること自体が、神の証なのです。
自分の意識が無かったら、何も無いのです。
それは、自分の意識が、全てのものを創っているからです。
その意識の持ち主が、人間であろうはずがありません。
繰り返します。
私たちは、人間ではありません。神です。
神と言うのが、怖れ多いなら、創造主と言っても、構いません。生命と言っても、構いません。エネルギーと言っても、構いません。
言葉は、どうあれ、私たちは、間違いなく、神なのです。
全て、あなたの意識あっての物種なのです。
どうか、自分が、神であることを、認めてください! 信じてください!
誰が、何と言おうと、あなたは、間違いなく、神なのですから・・・。
2021.10.31
神のメロディー 神連想曲一番・・「神を探す旅人」
知花敏彦 講演会 「神は実相の自分人間は仮相対の自分・・なぜ?」
絶対実在とは、何でしょうか?
非実在とは、何でしょうか?
これを、言葉や文字で説明するのは、非常に困難です。
でも、あえて、挑戦してみましょう。
実在とは、
ですから、言葉や文字で説明することは、出来ません。
言葉や文字にした段階で、非実在になってしまうからです。
実在であるためには、言葉や文字にしてはならないのです。
「絶対実在」と言う文字が、何を意味しているかと言いますと、「対が無い実在」と言う意味です。
「対が無い!」とは、「一」しか無い、と言う意味で、 表現のできないものです。
絶対実在の世界には、何も無いのです。
有るのは、「時」だけです。
「時」とは、意識のことですから、意識だけがある世界です。
しかも、その意識は、無想念の状態なのです。
ですから、絶対実在の世界では、ドラマが生まれないのです。
非実在とは、
その世界では、様々な、ドラマが、生まれます。
でも、その世界は、必ず、消えて無くなる、世界です。
と言うことは、 夢幻の世界だと言うことです。
でも、その非実在の背後には、実在が存在しているのです。
ゆえに、一時の幻ではありますが、非実在が存在できるのです。
また、実在も、非実在が存在しているがゆえに、存在できるのです。
実在と非実在は、相身互いの関係にある、と言うことです。
「どちらが無くても、どちらも無い!」と言うことです。
真実(実在)と現実(非実在)は、どう、違うのでしょうか?
真実とは、実際に存在している、と言う意味です。
現実とは、実際に存在していない、と言う意味です。
実際に存在しているモノは、見えません。
見えないモノは、絶対、無くなりませんから、真実(実在)です。
実際に存在していない物は、見えます。
見える物は、無くなりますから、現実(非実在)なのです。
神は、見えません。
見えないものは、真実ですから、神は、実在しているのです。
人間は、見えます。
見えるものは、現実ですから、人間は、非実在なのです。
2021.11.07
アスリートたちは、 メダルを取りたい 一心で、一生懸命、技や精神を磨いています。
彼らは、見るからに、輝いています。
それは、メダルを取ると言う、大目的があるからです。
でも、考えてみてください!
例え、地球で一番のアスリートになっても、それは、有限の世界の話しですから、メダルを取った途端、目的を失い、輝きを失ってしまうのです。
もし、宇宙一のアスリートと戦うなら、相手は、無限ですから、永遠に輝きを失わないでしょう。
真理も、同じなのです。
頭で知って終わる、有限な真理なら、 誰が、真理を求めるでしょうか?
永遠に得られない、無限の真理だから、私たちは、モチベーションを下げることなく、求め続けられるのです。
そのことを知った、熟した魂は、努力を怠りません。
それは、戦う相手が、 無限の自分であることを、知っているからです。
無限の自分に勝つことほど、難しいことはありません。
無限の自分に勝つためには、
無限の努力がいるからです。
無限の忍耐力がいるからです。
無限の意志の強さがいるからです。
2021.11.14
神は、間違いなく、存在します。
なぜ、そう言えるのかと言いますと、私たちが、存在しているからです。
理由は、こうです。
神は見えませんので、神が存在していると言っても、証拠がありません。
そこで、神は、見える人間に化身して、証拠を見せたのです。
と言うことは、人間は、神そのものである、と言うことです。
これ以上の証拠が、あるでしょうか?
見える物は、すべて、見えない神の化身なのです。
見えない神が、見える物に化身したのですから、見える物が、神なのは、当然です。
私たちは、神に囲まれて生活しているのです。
と言うよりも、神と共に生きているのです。
この肉体そのものが、神だからです。
神は見えない、と言いましたが、本当は、見えるのです。
なぜなら、結果が見えるからです。
結果が見える、と言うことは、原因が見える、と言うことなのです。
目で見える、と言う意味ではありません。
原因である、想念のあり方が、見える、と言う意味です。
次のように考えたら、なお、解りやすいかもしれません。
この表現世界は、想いが生み出している世界です。想いは、見えません。
それは、原因だからです。原因は、見えないのです。
でも、現れた結果は、見えるのです。
結果が見える、と言うことは、原因が見える、と言うことになるのです。
なぜなら、原因と結果は、切り離せないからです。
原因と結果は、裏と表の関係にあるのです。
裏は、見えないのです。表は、見えるのです。
「見える表を見て、見えない裏を知りなさい!」と言うことなのです。
もし、結果が見えなかったら、原因を探ろうとしないので、私たちは、成長できないでしょう!
幸いなことに、結果が見えるから、私たちは、原因を良くしようと、努力し、成長できるのです。
それは、原因が見える、と言うことなのです。
つまり、神が見える、と言うことなのです。
見えない神は、すべての本質なのです。
見えている物の中に、必ず、見えない本質が存在するのです。
本質がなくては、形は生まれないのです。
その本質は、この宇宙に、たった一つしかないのです。
その、たった一つの本質が、様々な形になっているのです。
その本質を、神と言っているのです。
その本質なる神が、人間の中に存在しているのですから、人間は、神そのものなのです。
鉱物・植物・動物・人間・すべてが、神と言えるのは、同じ、一つの本質で創られているからです。
この宇宙には、神、以外、存在しないのです。
2021.11.21
神のメロディ 「あなたは神」
人生の目的は、本当の自分を知ることです。
これは、実に、単純な目的です。
でも、その単純な目的を知るためには、気の遠くなるような時が必要なのです。
なぜかと言いますと、本当の自分を知るためには、魂を大きくする必要があり、その魂を大きくするためには、気の遠くなる人生体験が必要だからです。
この表現世界は、「現」「実」の「世界」と書くように、「現れた物の世界」なのです。
現れた物の世界ですから、幻の世界なのです。
でも、リアルに、できていますから、誰もが、本当にある世界だと、誤解してしまうのです。
殆んどの人は、 幻の世界だと思わないで、一生を終えてしまうわけですが、中には、疑問を持つ人が出てきます。
それは、「生・老・病・死」に対する疑問です。
人間は、病気になり、年を取り、必ず、死んでしまう?・・ 必ず、死んでしまうのに、どうして、生まれてくるのだろう?
一体、人間って、死んだら、お仕舞いなのだろうか?
もし、そうなら、何を集めても、無駄ではないのか?
疑問は、疑問を呼び、「自分は、肉体なんだろうか?、人間なのだろうか?」と言う疑問に発展していきます。
その疑問を解くために、哲学を学ぶようになります。 宗教を学ぶようになります。
学んでいくうちに、気付きます。
自分は、肉体ではなく、意識である、と言うことを・・・ 。
しかし、地球人類の殆んどは、まだ、そのことに、気付いていないのです。
だから、肉体維持のために、躍起になって、お金や、物や、地位や、権力を、追い求めているのです。
学びの友の皆さんは、自分の正体を知った人達です。
何と! 幸せなのでしょうか?
2021.11.28
この宇宙には、自分しかいないのです。
なぜなら、「1」しかないからです。
「1」しかない、と言うことは、自分しかいない、と言うことなのです。
これは、間違いないことなのです。
世の中には、真理を、普及させようと、聖書を持って、家庭訪問している、人たちがおりますが、人を成長させる必要はないのです。
なぜなら、今も言ったように、自分しかいないからです。「1」しかないからです。
「1」しかない、と言うことは、自分を成長させたら良い、と言うことなのです。
自分が成長したら、 全ての人たちが、「1」だから、成長するのです。
神は、何と凄い宇宙を創られたことでしょうか?
外側の宇宙には、たくさんの惑星が存在しますが、実際には、無いのです。
なぜなら、内側の宇宙を知るために創られた、仮相の宇宙だからです。
これは、人類の存在も、同じことなのです。
人類も、神を知るために創られた、仮相の存在なのです。
いつも言うことですが、一つの中にいては、一つが分からないのです。
だから、相対宇宙を創って、そこから、絶対宇宙を知ろうとしているのです。
幸せも、同じことなのです。
幸せの中にいては、幸せが分からないのです。
だから、私たちは、不幸せ多い世界に出てきて、幸せの尊さを知ろうとしているのです。
このような宇宙を創った神を、あなたは、どう思いますか?
何と! ややこしい宇宙を創ったものだ? と、蔑みますか?
どうか、神を信じてください!
これ以外に、永遠に尽きない!、永遠に色褪せない!、幸せを得る方法が、無かったのですから・・・。
学びの友の皆さんなら、きっと、解って頂けると思います。
それだけ、熟した魂だからです。
2021.12.05
私たちは、自分の思った通りの生き方しかできないのです。
でも、それで、いいのです。それは、必然だからです。
この宇宙に、偶然は、ないのです。
あなたが、想ったこと、語ったこと、行為をしたこと、すべて、必然なのです。
その必然は、すべて、進化成長に結びついている、必然なのです。
ですから、あなたが、想ったこと、語ったこと、行為をしたことを、悔やんではなりません。
ただ、一つ言いたいのは、
自分に問い掛けてみてください!
どのような思いが、湧いてくるでしょうか?
問い掛けた後に、湧いてきた思いは、必然ですから、その思い通り、生きてください!
神は、この宇宙を、完全に創られました。
完全に創られた宇宙に、悪いことが、あるはずがないのです。
なぜなら、悪いと思われることは、全て、良い事に繋がっている(進化成長に結びついている)からです。
肉体を持って生きている限り、迷うのは、仕方がないのです。
でも、その迷いも、必然ですから、良いことなのです。
今、自分ができることを、精いっぱい、やってください!
それで、良いのです。
神様は、出来ないことを、やりなさいとは、言っていないのです。
私が、望むこと・・それは、瞑想を続けて欲しい、と言うことです。
これは、真実に生きていることになるのです。
この世のことは、すべて、幻です。そう、心を痛めることは、無いのです。
今、宇宙が存在していること自体、必然だからです。
もし、偶然があるなら、今、宇宙は、存在していないのです。
もし、偶然があるなら、今、あなたは、存在していないのです。
今、あなたが、存在している、と言うことは、必然だからです。
自分の思い通りの生き方をしてください!
実際、自分の思い通りの生き方しか、できないのです。
あなたが、思ったこと、語ったこと、行ったことに、責任を持つことはないのです。
なぜなら、責任は、神様が、取ってくれるからです。
原因と結果の法則によって・・・。
原因と結果の法則によって、苦しむのは、幻の自分なのです。人形の自分なのです。
このことは、理解できないと思いますが、今は、理解できなくても、結構です。
今、あなたが、すべきことは、瞑想をして、原子核を増やすことです。
そうすれば、私の言っていることが、解る時がきます。
それまでは、私の言っていることを、信じてください!
2021.12.12
私たちの本性は、意識です。
本当の自分とは、意識なのです。
この意識は、一体、何が欲しいのでしょうか?
お金や、物や、地位や、権力が欲しいのでしょうか?
いいえ! 幸せが、欲しいのです。
なぜなら、現象から、幸せが得られないことを、意識は、知っているからです。
では、どうしたら、現象以外のものから、幸せが得られるのでしょうか?
それは、不幸せを知れば、良いのです。
不思議なもので、不幸せを知らない意識は、どんなに、幸せの中にいても、幸せだと思えないのです。
幸せだと、思えるためには、不幸せの体験が、必要なのです。
美しいものしか、知らない者は、美しいものが、分からないのです。
醜いものしか、知らない者は、醜いものが、分からないのです。
相対的な体験をして、美しいか、醜いか、分かるのです。
一つの中にいては、一つが分からない、と言うことです。
だから、意識は、不幸せを体験し、幸せが何かを知ろうとしているのです。
不幸せが何か知った時、初めて、意識は、幸せの中に入れるのです。
これが、宇宙の奇妙な仕組みなのです。
本源の神は、完全ですから、真の幸せを、味わっているはずです。
「味わっているはず!」と言う言い方をするのは、誰も、根源の神の幸せを、知らないからです。
でも、本当に、神は、真の幸せを、味わっているのでしょうか?
これは、実に、懐疑的です。
なぜなら、幸せの中にいては、幸せが分からないはずだからです。
だから、神は、自分の分身を創って、不幸せを味わおうとしているのではないでしょうか?
そうです。
神は、幸せを味わうために、自分の分身である、人類に、不幸せを体験させているのです。
ところが、地球人類は、自分が体験した不幸せの味を、まだ、神に報告できていないのです。
それは、まだ、神の自覚が得られていないからです。
神の自覚が得られ、神人になって、初めて、神に報告ができるのです。
どうか、瞑想して、原子核を増やしてください。
原子核を増やす方法は、社会体験と瞑想しかありません。
これには、根気がいります。時間がかかります。
でも、是非、神の自覚を得て、不幸せの味が、どのようなものか?、神に報告してやってください!
神は、首を長くして、待っているはずです。
2021.12.19
それは、自分の意識が、有るからです。
もし、自分の意識が、無かったら、自分も、宇宙も、妻や子も、存在しないのです。
これは、自分の意識が、全てのものを創っている、と言う証拠なのです。
では、その意識は、
分からないのです。
でも、分からなくても、自分の意識は、永遠の過去から、今日まで、延々と続いてきたのです。
未だかつて、自分の意識が失われたことは、一度も、無かったのです。
多分、これからも、永遠に、無いでしょう!
なぜ、そう断言できるかと言いますと、今、自分が存在している事実があるからです。
でも、意識には、形がありませんので、そのままでは、存在意味が有りません。
そこで、意識は、自分の存在を示す為に、肉体の中に入ってきたのです。
しかし、長いこと、肉体の中に入っているうちに、自分が意識であることを、忘れてしまったのです。
地球人類の殆んどが、今、そういう状態にあるのです。
肉体は、あくまでも、意識の表現媒体であって、本当の自分ではありません。
本当の自分は、意識です。
いかに、地球人類が、その事を知るかです。
知る人が、多くなれば、地球は、平和になって行くでしょう。
その日の来るのが、待ち遠しいです。
あなたは、今、肉体に付けられた名前の「誰の誰べい!」を、自分だと思っています。
もし、
花に、自我があったら、花を、自分だと思うでしょう!
犬に、自我があったら、犬を、自分だと思うでしょう!
ミミズに、自我があったら、ミミズを、自分だと思うでしょう!
地球に、自我があったら、地球を、自分だと思うでしょう!
宇宙に、自我があったら、宇宙を、自分だと思うでしょう!
何を言いたいのかと言いますと、形が変わっても、自分は変わらない、と言うことを言いたいのです。
自分の意識は、どこから、生まれたのでしょうか?
自分の意識の源は、何なのでしょうか ?
私は、そのことを知りたくて、「私!私!私!私!」と、私の意識を探って行きました。
でも、どんなに探っても、解かりませんでした。
結論は、私の意識は、永遠に解からない、と言うことでした。
だから、私は、「X」なのです。
この宇宙は、解らないずくめなのです。
何一つ、解っているものが無いのが、この宇宙なのです。
でも、せめて、「X」の一部だけでも、知りたいものです。
では、「X」の一部を知るためには、どうすれば、良いのでしょうか?
それには、起点を作らなければなりません。
起点を作ることによって、初めて、客観的見方ができるようになるからです。
外側(客観者)から見なければ、内側(主観者)は、解からないのです。
一つの中にいては、一つが解からないのです。
一つを、二つに分け、起点を作って、初めて、相手を探れるのです。
その起点が、自我を持った人間なのです。自我人間は、起点なのです。
私は、これまで、同じことを、何度も言ってきました。
これからも、同じことを、何度も言うでしょう。
真理と言うものは、繰り返し、繰り返しが、必要だからです。
繰り返しているうちに、少しずつ、根付くのです。
それが、真理と言うものなのです。
私は、これからも、同じ事を、何度も言うでしょう!
2021.12.26