どれだけ、良い準備をしているか、教えてくれるのが、表現の世界(結果の世界)なのです。
スポーツの素晴らしいところは、準備(結果)の尊さを、短期間で教えてくれるからです。
どちらのチームが良い準備をしていたかは、結果が教えてくれると言うわけです。
だから、スポーツの世界では、短期間で、リベンジができるのです。
では、この世界で、何を、どのように、準備したら良いのでしょうか?
それは、原因と結果の法則を守って生きることです。
一言で言えば、良心に忠実に生きることです。
そうすれば、自然と良い環境が整います。
良い環境が整えば、内側に意識を向ける時間が多く与えられます。
つまり、瞑想がしやすくなるのです。それが、準備です。
不思議なもので、欲を持ち、この世のことを追いかけている人は、この世のことが、沢山やってきます。
付き合う人も多く、物も多く、この世のやることも多くなります。
そうなれば、内側に意識を向ける時間が持てなくなります。
ですから、この世のことを追いかけている人は、準備がなかなかできないのです。(幼い魂は、それが準備だから良いのです。)
皆さんは、そうであってはなりません。
どうか、この世のことは、そこそこに・・できるだけ、内側に意識を向ける時間を多くしてください。
それは、この世のことに囚われない、生き方をしたら良いのです。
つまり、良心に忠実に生きていたら、自然と静かな時間が与えられるのです。
良い準備をするとは、そう言うことなのです。
2020.01.05
※ 宇宙エネルギーを使うにしても、神の自覚を持った人と、人間の自覚を持った人の使い方は、まるで、違うのです。
神の自覚を持った人は、霊性の進化のために、エネルギーを使います。
対して、人間の自覚を持った人は、肉欲のために、エネルギーを使うのです。
今、人類が、苦しみに喘いでいるのは、そのような使い方をしているからです。
※ 自覚の境界線を超えた人と、超えていない人の違いは、
超えた人は、常に、「自分は、神である!」と想いながら生きており、
超えていない人は、常に、「自分は、人間である!」と想いながら生きている点です。
この差は、「天と地」ほどの違いがあるのです。
なぜなら、神を想っている時は、真実を創り、人間を思っている時は、幻を作っているからです。
ここに、二人の王様がいたとしましょう。
一人は、庶民の苦しみを知らない王様、もう一人は、庶民の苦しみを知った王様・・・
どちらの王様が、庶民のための政治をするでしょうか?
苦しみを知らない者は、苦しんでいる人たちの気持ちが分からないのです。
苦しい体験のない者は、苦しみを乗り越える技を覚えないのです。
ノホホンと、一生を過ごしていたのでは、弱々しい人間になってしまうのです。
苦労の体験あればこそ、強い人間になるのです。
何でもそうですが、相対的体験を通して、尊いものを知るのです。
私たちが、相対の世界に出てくるのは、この世の様々な苦しみを体験し、強い自分を築くためです。
原子核を、大きくするためには、弱々しい自分では、できないのです。
楽ばかり、体験していたのでは、強くなれないのです。
反対のものを体験しなくては、反対のものの大切さが、解らないのです。
同じ環境にいては、決して、成長できないことを、知ってください。
2020.01.12
その純粋さは、必ず、神我に伝わります。
この世のことをやるのも、同じです。
「ただ、やってあげたいから、やってあげるのです。」
それが、純度百%の「身・口・意」の実践です。
その純度百パーセントの「身・口・意」に、笑顔を添えて、やってください。
それも、何も言わず、黙々と・・・、きっと、相手に伝わることでしょう。
2020.01.19
※ 瞑想は、自分の意識中に、潜り込むこと・・入り込むこと・・溶け込むこと・・合体すること・・。
瞑想とは、自分の意識を、認識する・・確認する・・、作業です。
※ 良い瞑想をするためには、具体的なイメージを持つ必要があります。
そして、そのイメージの中に、自分を放り込み、溶け込むようにすることです。
この宇宙が、完全である事実は、誰も、否定することはできません。
なぜなら、今、現に、宇宙が存在しているからです。
もし、宇宙が、不完全なら、今、宇宙は、存在していないのです。
今、宇宙が存在していること自体、宇宙が完全である証なのです。
ならば、今、私が存在していること自体が、完全の証ではないでしょうか?
もし、私が、不完全なら、今、私は、存在しないはずだからです。
では、なぜ、人間社会に、病気や事故災難などの不完全なモノがあるのでしょうか?
それは、人類の迷いの想念が生み出したからあるのです。
でも、人類の迷いが生み出した幻ですから、迷いが解ければ、そく、消えてしまうのです。
迷いが消えれば、消えるのは、その不完全は、本質的な不完全ではないからです。
では、人類は、どうして、迷いの想念を持つのでしょうか?
それは、自分のことを、人間だと、誤解しているからです。
人間と誤解すれば、肉体維持のために、沢山の迷いを生み出してしまうのです。
私たちが、真理を学ぶ必要があるのは、迷いから目覚め、真の自分に立ち返るためです。
あなたは、肉体ではありません。個人ではありません。人間ではありません。
完全なる、命です。宇宙です。神です。意識です。魂です。
どうか、本当の自分に目覚めてください。
2020.01.26
ある人は、こう言います。「何も悪いことをしていない幼子が、なぜ、こんな酷い目に遭わねばならないのだろう?・・・、神って無慈悲なお方だ!」と・・・。
確かに、生まれたばかりの幼子は、何も悪いことはしていません。
でも、過去世では、どうだったでしょうか?
人を、傷つけていたかも知れないのです。
人を、殺していたかも知れないのです。
人を、脅したり、騙したり、していたかも知れないのです。
その結果、今生、苦しい環境に生まれ、苦しい目に遭い、痛い目に遭い、不自由な目に遭っているのです。
本来、犯した罪は、一生の中で、精算されるようになっているのですが、余りにも、悪いことをし過ぎると、次の生にまたがって、精算せねばならなくなるのです。
それが、「原因と結果の法則」の仕組みの完璧性であり、凄さです。
記憶の無い、過去生の責任を負う必要がないと思うかも知れませんが、人には、責任はなくても、魂には、責任があるのです。
過去生の業を消すには、業の上乗せをしないことです。
つまり、現状の苦しみを、良く受け取り、人を、憎んだり、恨んだり、腹を立てたりしないことです。
一番良いのは、苦しいことが来ても、「今、過去生の業が消えているのだから、有り難いことだ!」と思うことです。
よく、自分を責める人がおりますが、自分を責めても、惨めになるだけで、何の益にもなりません。
それよりも、今、正しいことを思い、今、正しい言葉を語り、今、正しい行為をすることです。
つまり、正しい、「身・口・意」の実践をすることです。
過去生で付けた業(自分の欠点)は、今生、縁に触れると、表面に出てくるので、案外と気づくものです。
「あ!、私には、こんな悪い面があった」と・・・。
気づいたら、それで良いのです。欠点を直す必要はありません。
瞑想して、原子核が増えれば、自然と欠点は、消えてゆくのですから・・・。
2020.02.02
私が嬉しいのは、コーチを外に探しに行く必要がないと言う嬉しさです。
コーチが欲しいと思った瞬間、私のところに、コーチが来てくれるのです。
それは、ただ、思えば、良いだけです。
必要なものは、一番身近に、おいてくれているのです。これが、神の愛です。
コーチは、外にいるのではありません。自分の中にいるのです。
何と有り難いことでしょう。
コーチとは、真我(神我)のことです。
2020.02.09
※ 自分のアングルの中で、自分の人生が、展開してゆきます。
これは、自分が、主役であり、自分しかいないからです。
自分しかいないと知った人が、宇宙に、探査機を、飛ばすでしょうか?
「なぜ、私が、法を説かねばならないのだろう? 法を説く役割は、私でなくてもいいはずなのに?!」、でも、これも、自分の進化成長のために、自分が計画してきたことなのです。
そうなのです。私が、私に、法を説いて、私を成長させようとしているのです。
学んでいる皆さんは、私のダシみたいな存在なのです。ごめんなさい!
でも、あなたの主観宇宙から見たら、あなたが、そうしたのです。
私は、あなた達のダシみたいな存在なのです。
2020.2.16
魂の幼い時期は、どうしても、物質的な興味を持つものです。
ですから、V字の左側の時期は、物集めに奔走するのです。
物集めに奔走すれば、物集めのクセが付くわけですが、これが、人間になって、一番目に付けるクセです。
物で満足できなくなった魂は、次に、地位や、名誉や、権力を、求めるようになるわけですが、これが、二番目につけるクセです。
物や、地位や、名誉や、権力集めに、奔走する間に、憎しみや、恨みや、怒りや、嫉みや、妬みなどのクセを付けます。
このクセは、感情と欲望に、プラスされますので、ますます、悪いクセは、厚みを増してゆきます。
この状態が、何千転生、何万転生と続くと、厚い悪業となるのです。
人には、108つの煩悩があると言われますが、数知れない煩悩を持っているのが、人間なのです。
このように、私たちは、人生において、様々な煩悩をつけ、苦しみの中を歩んでいくわけですが、その苦しみが、疑問をもたせるのです。
物質的な虚しさを知った魂が、次に追い求めるのは、神です。
つまり、V字の進化図の右側に入るのです。
右側に入ると、宇宙の色々な仕組みを知りますので、あまり、この世の癖をつけなくなります。
さらに、進化してゆくと、苦しみは、過去に付けたクセが、もたらしていることを知りますので、この世のクセを取ろうと思うようになります。
このように、人生は、クセをつけ、その癖を取る歴史と言ってよいのです。
幼い魂は、何も知りませんので、好き放題に、やんちゃなことをします。
つまり、泥道で遊びたいのです。泥道で遊べば、当然、泥まみれになるでしょう。
泥をつけることを、癖をつける、つまり、業をつける、と言うのです。
人生の前半は、泥をつけ、後半は、泥を落とすことに、人生を使うのです。
命生も、同じです。
魂の幼い時期は、沢山の癖をつけ、魂が熟してくると、クセを取るようになるのです。
幼い時期は、波動が荒いので、一旦、クセを付けたら、なかなか、取れません。
でも、進化し、波動が精妙になってくると、たとえ、癖がついても、すぐに、取ることができるのです。
2020.02.23
※ 人間は、様々なクセを持っています。
例えば、食べグセ、セックスグセ、ギャンブルグセ、酒グセ、万引きグセ、など、数え上げたら限りがないほどの癖を持っています。
この癖を取るのは、容易ではありません。
だから人は、何万転生も輪廻して、クセを取りに来るのですが、でも、わざわざ、癖をつけるには、付ける意味があるのです。
それは、強い魂に育てるためです。
神は、人を荒野に出して、様々な体験をさせ、強くしようとしているのです。
温室育ちの花では、すぐに、枯れてしまうからです。
付いた癖を取る作業自体が、魂を大きくするのです。
※ 毎年、流行っている、インフルエンザの感染率は、コロナウイルスより、何倍も高いのですよ。また、死んでいる人も、多いのですよ。
それなのに、何故、コロナウイルスという種類の風邪だけに、大騒ぎするのでしょうか? 騒げば、騒ぐほど、広まるというのに。
なぜ、騒げば、広まるかは、真理を学んでいる皆さんは、ご存知のはずです。
想念は実現の母です。
この社会で使われている、戯言(たわごと)の字の読み方は、「ざれごと」と言う読み方をしなければなりません。
なぜなら、本当の戯言(たわごと)の字は、「他話事」と書かねばならないからです。
戯言(ざれごと)の意味は、ふざけた話し、不真面目な話し、と言う意味ですが、「他話事」の意味は、世間話、この世の話、という意味です。
自他という言葉がありますが、「自」とは、自分のこと・内界のこと・意識の世界のことです。「他」とは、他人のこと・外界のこと・物質の世界のことなのです。
ですから、「他話事」の「他」とは、無い世界・幻の世界の話と言うことですので、あまり、「他話事」を話してはならないのです。
2020.03.01
※ どうして、時間があるのですか?
それは、あなたの意識があるからでは、ありませんか?
と言うことは、あなたが、時間を作っていることになりませんか?
あなたの意識がなかったら、時間どころか、宇宙さえ、ないのですよ!
と言うことは、あなたは、人間ではなく、意識ではありませんか。
そうです。あなたは、意識なのです。時間なのです。
※ どうして、コップがあるのですか?
それは、あなたの意識が、コップを認めているからでは、ありませんか?
と言うことは、あなたが、コップを作っている、と言うことです。
あなたが、認めなければ、コップどころか、あなたさえも、いないのですから・・・。
と言うことは、あなたは、意識では、ありませんか?
神がおられる本源宇宙は、絶対宇宙とも言い、完全な宇宙です。
でも、その宇宙は、右偏りの宇宙なのです。
それでは、真の完全宇宙とは言えないのです。
なぜなら、体験のない宇宙だからです。
神は、それを知り、左偏りの表現宇宙を創られたのです。
私たちは、今、左偏りの表現宇宙で、様々な不完全を体験し、真の完全宇宙を創ろうとしているのです。
真の完全宇宙を創るには、どうしても、不完全な表現宇宙が必要なのです。
何もない、何も見えない、何も感じない、無波動の絶対宇宙は、偏った宇宙なのです。
同様に、沢山の物がある、沢山の物が見える、沢山の物が感じる、波動の粗い表現宇宙も、偏った宇宙なのです。
この二つの偏りのある宇宙で体験し、偏りのない中庸の宇宙で生きるようになった者こそ、神人なのです。
初めから、中庸など、無かったのです。初めは、偏りから、始まったのです。
その偏りは、絶対宇宙の中にあったのです。
神は、右偏りを解消させるために、左偏りの表現宇宙を創ったのです。
最初から、中庸宇宙があるなら、表現宇宙など、創る必要はなかったのです。
手の表も裏も、偏った状態です。手の表を知り、裏を知り、真ん中を知った状態が、本当に手を知った状態なのです。
本当の手を知るには、形で知るのではなく、理解力で知ると言うことです。
中庸宇宙を知るのも、同じです。
形の表現宇宙と形の無い絶対宇宙を、理解力で知って、はじめて、中庸宇宙を知ったことになるのです。
2020.03.08
この宇宙には、たった1つの仕事があるだけです。
その仕事とは、原子核を大きくし、自覚の境界線を越えるという仕事です。
この仕事以外、仕事は、ありません。
ただし、この仕事をするためには、肉体が必要ですから、肉体を維持する方便的な仕事が必要になってきます。
今、私たちが、社会に出て、仕事をしているのは、方便としての仕事なのです。
自給自足で、肉体維持ができれば、本当は、外に出て働く必要はないのです。
大昔は、そうしていたのです。
肉体を維持することが、仕事ですから、
自分の肉体のケアをすること、全てが、仕事なのです。
原始時代は、その仕事を自給自足という形でやっていたのです。
でも、それでは、時間が足りないので、仕事を皆で分担し、余裕の時間を持てるようにしたのが、今の社会の仕組みなのです。
このように、仕事の始まりは、自分の肉体を維持することだったのです。
私たちは、外に仕事があると思っていますが、本当は、身近に仕事があったのです。
心身を健全に維持するためには、スポーツや芸術なども、必要でしょう。
でも、今の社会では、そのスポーツや芸術さえも、仕事になってしまったのです。
それは、金儲けが、最優先になってしまったからです。
仕事で悩んでいる人は、仕事の本来の目的を考えてください。
仕事で悩むことは、なくなると思います。
2020.03.15
※ 流行り病を信じれば、信じる心が、流行り病を蔓延させ、
生命力を信じれば、信じる心が 流行り病を沈静化させる。
すべて、信じる心次第です。
甘いスイカを食べたかったら、塩を付けて食べれば味わえます。
何でもそうですが、反対のものが、強ければ、正対のものも、強くなるのです。
この宇宙の仕組は、ギャップ体験によって、進化するようになっているのです。
私たちは、日々、ギャップ体験を通して、成長しているのです。
それは、あまり、体験したくないものばかりです。
でも、逃げても、逃げおうせるものではありません。
なぜなら、自分が、そうし向けているからです。
自分の課題は、自分が、良く知っているのです。
良く知っているから、確実な方法を持ってきて、成長させようとしているのです。
ですから、苦しいからと言って、人を憎んではなりません。
その人は、自分が、連れてきたのですから・・。
良い事と悪い事のギャップは、間違いなく、人を成長させます。
なぜなら、ギャップが、激しければ、激しいほど、気づけるからです。
段差のない電車に乗るより、段差のある電車に乗る方が、意識するのです。
意識するから、成長できるのです。
無意識からは、何も得られないことを、知ってください!。
つまり、ギャップの無いところでは、成長できないことを、知ってください。
2020.03.22
※ 光の無い状態が、病気なのです。
ですから、病気に、なりたくなかったら、自分が光ることです。
光るには、神を想うことです。
つまり、皆さんのマントラを想うことです。
それも、想い 続けることです。
そうすれば、絶対、病気になることはありません 。
宇宙には、主観的見方と客観的見方があります。
今の私たちの立場から見たら、主観的見方は、裏です。客観的見方は、表です。
でも、対等です。同格です。どちらが無くても、どちらも無いからです。
どちらが無くても、宇宙は、無いからです。
裏と表がなくては、手は、ありません。
相対と絶対がなくては、宇宙は、無いのです。
では、どちらが、実在でしょうか? どちらも、実在なのです。
つまり、対等だということです。同格だということです。
だから、この世を否定してはならないのです。
いい加減な生き方をしてはならない、と言うことです。
今、目の前にある、やるべきことを、一生懸命、やりましょう。
それが、生きている、と言う意味なのです。
神様は、難しいことをしなさい、とは言っておられないのです。
今できることを、やりなさい、と言っているだけです。
ただし、真心を込めて、やってください。
でなければ、原子核が、余り、増えないからです。
人生の目的は、あくまでも、魂を大きくすることです。
そのために、客観的世界が用意されたのですから・・。
2020.03.29
エネルギー均衡の法則を厳守しましょう。
エネルギーは、出した分、入ってくるようになっているのです。
出しもせず、貰うのは、エネルギー均衡の法則から言って、不自然です。
自分が出したエネルギーより、多くエネルギーを貰おうとするのは、欲です。
だから、
宝くじが当たったからと言って、喜んではならないのです。
株で儲けたからと言って、喜んではならないのです。
親の財産を貰ったからと言って、喜んではならないのです。
出しもしないエネルギーを貰えば、いつか、必ず、返さなければならなくなるのです。
この宇宙が、延々と存続してこられたのは、エネルギー均衡の法則が、どこまでも、貫かれていたからです。
ですから、貰うにしても、エネルギー収支を考えた上で貰ってください。
2020.04.05
※「思ってる通りのもの、それ以上でも、以下でもない!」
まさに、その通りで、私達の想念は、何でも作ってしまうのです。
病気を思えば、病気を・・、事故災難を思えば、事故災難を・・、
それほど、私たちの想念は、偉大な力を持っているのです。
次々と敵を倒して(殺して)いく、コンピューター ゲームがあるようですが、これほど、恐ろしい想念の使い方はありません。
これを放置していたら、人類社会は、破滅してしまうでしょう。
私は、地球人類に、想念の 凄さを知ってほしいのです・・でも、それが、できない!。なんと、歯がゆいことでしょう。
せめて、学んでる皆さんだけでも、良い想念を持つよう、心掛けてください。
創造主は、創造することで、存在できているのです。
「創造主は、創造することで、存在できている」と言う意味は、
創造主(自分)が創った相手から、創造主(自分)を認めてもらうことで、創造主(自分)が存在できている、と言う意味です。
自分が、自分を認めては、存在している、と言えないからです。
私たちも、同じです。真我の自分が、自我の自分を創造し、その自我の自分から、真我の自分を認めてもらうことによって、真我の自分が存在できるのです。
この方法、以外、自分を存在させることはできないのです。
あなたは、自分を、直接、見たことがありますか? 見たことがないはずです。
自分を認めるには、自分を客観的に見られる、もう一人の自分を作るしかないのです。
だから、どうしても、私たちは、二人の自分が必要なのです。
2020.04.12
※ 最高の幸せは、仕事をしている時です。
それは、 人生の目的を、果たそうとしているからです 。
また、自分のためであると同時に、世のため、人のためにも、なっているからです。
必然の要素に、永遠性が有ります。
永遠の宇宙だから、必然なのです。必然だから、永遠の宇宙なのです。
宇宙は、永遠の昔から存在していたし、今も存在しているし、今後も永遠に存在し続けます。
それは、必然が(完全が)、宇宙を支配しているからです。
今、宇宙が存在しているのは、必然(完全)だからです。
必然(完全)でなければ、今、宇宙は存在していないのです。
どうして、必然(完全)でなければ、宇宙は存在できないのかと言いますと、必然が完全を生み、必然が完全を支えているからです。
もし、偶然があるなら、この宇宙は、一瞬たりとも、存在できません。
偶然は、不完全から生まれ、必然は、完全から生まれるのです。
言い換えれば、不完全は、偶然から生まれ、完全は、必然から生まれるのです。
この宇宙は、必然によって支えられ、必然によって運ばれ、必然によって存在させられているのです。
必然によって運ばれているがゆえに、宇宙は、永続できるのです。
その必然を支えているのは、宇宙意識です。
宇宙意識は、意志と意思と意図を持ち、きっちりとした計画の基に、宇宙に、絵を描いているのです。
永続している宇宙の背後に、この宇宙意識のあることを知ってください。
2020.04.19
※ 私が「否定語を使ってはならない!」と言うのは、使えば、「無い不善を、無い悪を、無い偶然を」、認めてしまうからです。
必然の宇宙において、悪など、あるわけがないのです。
どうか、肯定語を使ってください。
すべて必然で、良いことなのですから・・・。
※ あなたは、原子核の量の思いしか持てないのです。
しかし、その思いによって、今の人生があるわけですから、それは、良かったことで、それは、必然です。
この宇宙には、一本の意識の糸しかありません。
一本の意識の上の方は、無限に続いている、精妙な、神の世界です。
下の方は、波動の鈍重な、物質の世界です。
でも、同じ一本の意識の糸であることは、間違いありません。
科学者(化学者)は、その糸の横の研究をしているのです。
確かに、物質の世界においては、横の研究も、必要かも知れません。
肉体を持っている限り、物質の恩恵に授からなくては、生活できないからです。
でも、その恩恵は、この世限りのモノです。
私たちは、永遠の生命ですから、永遠の恩恵に授からなくては、意味が無いのです。
この世の様々な物は、その意識の糸によって生み出されたものです。
一つ一つの意識は、点ですから、一本の糸とは言えません。
一本の糸にするためには、糸に長さを持たせなくてはならないのです。
ですから、意識の糸には、必ず、長さがあるのです。
この糸を、雑念に、置き換えてみてください。
雑念は、点の糸なのです。雑念とは、筋書きのないドラマです。
雑念には、何の目的もないからです。
確かに、雑念でも、モノは生み出します。
でも、雑念の殆どは、この世のことですから、雑念によって作られたモノは、必ず、消えてしまうのです。
これでは、想念の無駄遣いです。
神の思いは、どうでしょうか?
そこには、筋書きが有り、目的が有ります。
ですから、神の思いは、永遠のものを生み出すのです。
2020.4.26
外側が有ると思っている客観視と、外側が無いと思っている客観視とでは、意識の中身が、全く違ってきます。
どう違うかと言いますと、外側が有ると思っている客観視のBの意識は、ネガティブなのです。
対して、外側が無いと思っている客観視のAの意識は、ポジティブなのです。
つまり、Bの意識は、暗く、苦しく、Aの意識は、明るく、楽しいのです。
自我であっても、外側が無いと思える客観視ができれば、幸せな気分になれるのです。
自覚の境界線を越えたら、どうして、幸せになれるのかが、このことからも、分かります。
自覚の境界線を超えた者は、主観的な立場に立て、楽しい見方ができるようになるからです。
永遠に尽きない、永遠に色褪せない、幸せの正体は、主観的立場に立って、物事が見られ、考えられるところから、生まれた、幸せなのです。
客観的立場に立つと、進化成長が、「原因と結果の法則」に依存するため、ネガティブにさせますが、主観的立場に立つと、進化成長が、「計画」によることが解るので、ポジティブにさせるのです。
どうか、主観的立場から、物事が見られるようになってください。
そうすれば、ポジティブな考えしか浮かばないので、サタンに、やられることはありません。
2020.05.03
※ 地球に・・
この謎が解けたら、神が、どういう存在かも、解るでしょう。
神は、姿形がありませんから、神を知ることができません。
何の表現も取っていないモノは、認識できないからです。
つまり、たとえ、神が、存在していたとしても、認識されないモノは、存在しないことになるのです。
認識できないモノは、たとえ、存在していても、存在しないことと、同じなのです。
存在させるためには、認識してもらえる、何かを創り、その何かから、認識してもらうしかないのです。神は、その何かとして、人間を創られたのです。
何かが、存在していても、認識されなかったら、存在していることにならないわけですから、どうしても、認識者が必要なのです。
認識者の存在しない、宇宙は、存在できないのです。
認識者の存在しない、神は、存在できないのです。
だから、宇宙が存在していた時には、既に、人間は存在していたし、神が存在していた時には、既に、人間は存在していたのです。
2020.05.10
※ 見える物は、見えないモノの存在を教えてくれている、大切な存在です。
私たちは、見える物がなかったら、見えないモノの存在が分からないのです。
見える物があるから、見えないモノがあり、見えないモノがあるから、見える物があるのです。
言い方を換えれば、影があるから、光の存在が分かるのです。
私たちは、影がなかったら、光の存在が分からないのです。
影があるから、光があり、光があるから、影があるのです。
人間は、神の存在を教えてくれている、大切な存在です。
人間がいなかったら、神の存在はないのです。
人間がいるから、神がおり、神がいるから、人間がいるのです。
と言うことは、人間は、神であり、神は、人間である、と言うことです。
だから、堂々と、私は、神である、と宣言したらいいのです。
神の自覚を得るには、 この事を、何度も、何度も、自分の心の中に刻む必要があるのです。
直感とは、先に結論が得られた状態です。なぜか分からないけれど、先に結論が分かってしまうのです。
その分かった状態とは、「この結論は絶対間違いない!」と確信の得た状態なのです。
なぜ、確信が得られるのかの理由 (理屈・理論・原理) は、あとで、ゆっくり、埋めてゆけば良いのです。
それは、進化成長する道すがら、自然に埋まってゆきますので、心配することはありません。
では、なぜ、先に結論が分かってしまうのでしょうか?
それは、「あそこに素晴らしい宝物が有りますよ!」と、先に教えられなくては、宝物を取りに行く気にならないからです。
目的物を見せれば、努力して、取りに行こうと思うのです。
人生は、真っ暗闇の中を歩いてゆくようなものですから、先に光を見せなくては、夜道を歩いてゆく気になれないのです。
だから、神は、やる気にさせるために、目標物を、先に見せるのです。
この直感力は、主観者のみに与えられた特権です。
人間に、直感が与えられているのは、人間は、実在する主観者だからです。
今は、ただ、原子核の量が少なく、客観的見方しかできないから、直感が使えないだけです。
2020.05.17
※ 科学者は、「原因と結果の法則」は、認めませんが、物理の法則である「作用と反作用の法則」は、認めています。(ニュートンの第三法則・・・作用と反作用は、同一線上で起こり、大きさが等しく、向きは反対である)
今、人類が脅かされている、コロナウイルスの蔓延は、「悪い反作用」です。
と言うことは、人類は、何か「悪い作用」をしたと言うことです。
でも、人類は、そのことに、気づいていないのです。
ですから、どんなに、口先で、「頑張ろう!」と言ったところで、「悪い作用」を無くさない限り、災事は、無くならないのです。
例え、小手先で何かやって、一時、収まったとしても、 原因を無くさない限り、また、同じことが起こるのです。(これまで、何度も、奇病が蔓延している)
では、人類は、どのような原因を作り、コロナウイルスの蔓延と言う、結果を招いたのでしょうか?
それは、欲望を膨らませ、極度に物質文明を繁栄させたからです。
本当に生きるに必要な物質文明なら、許されるのです。
でも、欲をくすぐって繁栄する物質文明は、自然環境(ウイルスも、自然環境の一部)が、許さないのです。
誤解して欲しくないのは、今、人類が受けている苦しみは、自分が作ったのです。誰かが与えた、苦しみではないのです。(作用と反作用は、同一線上で起きる)
だから、誰も、恨めないのです。その事に、気づいて欲しいと思います。
※「原因と結果の法則」と「作用と反作用の法則」は、同じ法則である。
自我で、真実を知ることはできません。
真実を知ることができるのは、真我のみです。
なぜなら、自我は、結果体だからです。結果体が、真実を知ることはできないのです。
真我になって、初めて、真実を知ることができるのです。
真我は、万能です。 何でも、知っているのです。
ですから、答えが欲しかったら、真我に質問することです。
自分に、質問しなさいというのは、自分の中に、真我がおられるからです。
つまり、主観者がおられるからです。
でも、主観者からでは、主観者に質問できないのです。
質問は、客観的立場に立った、自我にしかできないのです。
だから、私たちは、客観的立場に立てる人間になって、真我の自分に、質問しようとしているのです。
2020.05.24
《偏りへの警告》
人類は、これまで、 お金を偏らせ、 物を偏らせ、生活を偏らせてきました。
そのために、心の均衡が崩れ、自然環境の均衡が崩れ、病気や自然災害が増えているのです。
コロナウイルスは、そういう偏りに対する、警告なのです。
つまり、コロナウイルスは、人類に、分散を命じているのです。
心が曲がると、口も曲がるし、技も曲がるし、ボールも曲がるし、手塩にかけて作った野菜も曲がるし、世話をした花や木も曲がるし、飼っている犬も凶暴になるのです。
すべて、心の表現です。
今のスポーツ選手は、誰も、自分の心が曲げていると思っていません。微妙な心の動きが、すべてのスポーツ競技に、現れているのです。
勝敗は、すべて、心の動きです。
体が、やっているのでは、有りません。心が、やっているのです。
その事を知る時代が、刻々と近づいています。
2020.05.31
※ 人類は、今日まで、欲望をエネルギー源として、資本主義経済を拡大してきました。その結果、病気や自然災害が増えたのです。
病気や自然災害は、人類の欲望に対する、警告なのです。
でも、人類は、そのことに、気づいていないのです。
このまま、欲望を放置していては、地球は、破壊されてしまうでしょう。
今、地球は、人類に、経済の見直しを迫っているのです。(コロナウイルスの蔓延を通して・・・)
果たして、人類は、欲望を抑え、経済を縮小させるでしょうか?
それとも、欲望を膨らませ、経済を拡大してゆくでしょうか?
今、人類は、試されているのです。
昔から、何事にも、「拘ってはならない! 囚われてはならない!」と、言われてきましたが、なぜでしょうか?
この表現世界に、ホンモノは、何一つありません。
この表現世界は、幻の世界だからです。
幻の世界に、「こう、すべきだ! ああ、すべきだ!」と、確定したモノなどないのです。どんなモノも、一時の存在で、すぐに、消えてゆく、幻です。
折り紙で「騙し船」がありますが、この表現世界は、騙し船のようなモノなのです。
こちらを、掴んでいたと思っていたのが、いつの間にか、別な所を、掴まされているのが、この表現世界なのです。
いいではありませんか? どんな学校に入っても、どんな職業に就いても、どんな国に住んでも、どんな家に住んでも、肉体が、維持できれば、良いのですから・・・。
何事も、囚われたり、拘ったりしてはならないのは、この世は、刻々と変化してゆく、無常の世界だからです。
どんなに、お金や、地位や、名誉や権力を持っていても、いつまでも、持っていられるものではないのです。そんな、無くなるモノのために、悩むなど、愚かです。
永遠の意識の持ち主が、幻に、囚われたり、拘わったりすれば、苦しくなるのは、当然です。
拘るなら、囚われるなら、永遠に無くならないモノにしてください。
永遠に無くならないモノとは、意識です。神です。生命です。本当の自分です。
2020.06.07
※[神のみぞ知る!]とは、[神だけが知っている!]と言う意味ではありません。
[神、以外、何も知りません!]と言う意味です。
神は、全てのすべて、有りてあるものです。
神は、全ての本質であり、存在の根源です。
神なくして、どんなものも、存在しないのです。
ゆえに、人間は、神です。[人間即神・神即人間]です。
どうか、自分が神であることを、心の底で知ってください。
※ 神のメロディー集[神の絵巻物]を見てください。
そこに、神が集約されてあります。
更に、新・光のメロディー集[想念瞑想]を見てください。
瞑想の原点に、戻れるでしょう。
真理をやっているからと言って、現代医療を否定してはなりません。
どうしても、痛み、苦しみが、消えないなら、現代医療にかかってください。
ただし、痛みや苦しみが消えたら、後は、病気のことは、一切、忘れてください。
現象(痛み、苦しみ)は、業の消えている姿ですから、「良いことだ! 有り難いことだ!」と思うことです。
実際に、痛み、苦しみは、良いことなのです。
なぜなら、悪い在庫品の無くなっている状態だからです。
掴んで離さないから、いつまでも、悪い在庫品がなくならないのです。
放っておくことです。そうすれば、いずれ、悪い在庫品はなくなります。
つまり、健全・健康になるのです。
私たちの本性は、完全無欠の、神ですから、生命ですから、意識ですから、光ですから、そんな、病気(現象・影・幻)に、やられることなど無いのです。
恐れて、闇を作るから、病気になるのです。だから、恐れないことです。
悪いことには、一切、かかわらないことです。
見るもの、聴くもの、触るもの、臭うもの、味わうもの、どんなモノも良く受け取り、悪いことは、想わないことです。
本来、病気は、自分の成長に必要で起きているのですから、それを、防御するのは、矛盾なのです。
自分で、自分の成長を、止めているようなものです。
防御するのではなく、自分の欠点や課題が何かを見つけ、その欠点を、課題を、無くすことによって、病に報いることです。
その事に気づけば、病気は治ります。
2020.06.14
※ 神の法則を信じ、神の法則に生きている人は、何も思い煩うことはありません。
なぜなら、法則が、守ってくれるからです。
つまり、[原因と結果の法則]が、守ってくれるからです。
と心配する人がいますが、神の法則に生きていれば、必要な食べ物は与えられます。病気にもなりません。事故災難にも遭いません。
神の法則とは、[原因と結果の法則]のことです。
その[原因と結果の法則]は、 自分の想念が働かせるのです。
だから、良い想いを持てば、良いことを引寄せるし、悪い想いを持てば、悪いことを引寄せるのです。
どうか、良い想念を使って、良い原因を作ってください!
そうすれば、もう、思い煩うことはありません。
くよくよ、悪いことを考えることが、一番、良くないのです。
悪いことを考えないようにするためには、神を想うことです。
つまり、瞑想することです。
私は、今の自分の思い通りに生きたら良いと言います。
それは、必然だからです。
必然と言うことは、その、思い、言葉、行動は、良いと言うことです。
なぜなら、必然は、進化成長に結びついているからです。
今の自分の思い通りに生きたら良いと言うのは、その思いによって生じた痛い目(結果)を見ることで、その思いの過ちに、気づくことができるからです。
自分で、痛い目に遭わせ、痛い目によって、過ちに気づくことで、成長できるのです。
その痛い目を、自分が防御しては、成長の妨げになりますから、防御は矛盾だと、私は言うのです。
当然です。自分の成長のために、自分が痛い目に遭わせているのに、それを、自分が防御しては、折角の痛い目が無駄になってしまうからです。
今、様々な病気の治療法が研究されていますが、それは、防御の方法を研究しているようなものです。
病気は、成長に必要で、人間が用意したのですから、それを、人間が取るのは、矛盾と言うものなのです。
でも、それさえも、成長に結びついているのですから、良いのです。
なぜなら、神は、完全だからです。
どうか、神の配慮の完璧さを理解できる人になってください。
2020.06.21
※[人事を尽くして、天命を待つ! ]とは、 今、自分がやれることを、精一杯やった後は、神に委ねなさい!、と言う意味です。
精一杯やった、と言うことは、精一杯の原因を作った、と言うことですから、当然、精一杯やったことに対する結果が付いてくるはずです。
結果は、自分が、どれだけ、精一杯やったかを教えてくれているのですから、どんな結果になろうと、感謝しなければならないのです。
私たちは、自分の本性を知るために、生まれてきたのです。
それは、痛い目に遭わないと、知ることができないのです。
病気は、そのためにあるのですから、そのことに気付くまでは、万能の薬は、発見されないでしょう。
今、人類がやっている、病気の治療法は、心が変われば、病気は治りますよと言う、逆治療法なのです。
自分のネガティブな心が、病気を作ったにも関わらず、人間は、外側の何かが、誰かが、病気にしたと思って、外側から治そうとしているのです。
病気になるメカニズムは、こうです。
病気の原因は、自分の悪想念です。心配、恐怖、怒り、憎しみ、恨み、誹り、妬みなどの悪想念が、体の細胞の生命力を狂わし、病気にしているのです。
一旦、病気になり、痛みや苦しみが来れば、その痛みや苦しみによって、更に、心がネガティブになるため、ますます、病気を悪化させてしまうのです。
そうなると、先にネガティブな思いを取る必要があり、それを、外的治療法を施し、痛みや苦しみを取っているのが、今の治療法なのです。
痛みや苦しみが取れれば、不安が解消されますから、生命力が働きだし、治るのです。
これを、逆治療法と言って、今の医療が、やっている治療法なのです。
これは、発展途上の幼い魂には、必要な治療法なのです。
つまり、真理で、自分を変えることのできない、地球人類に、必要な治療法なのです。
ですから、今の人類は、逆治療法を使って、病気を治すことが許されているのです。
神は、病気の治療法に、二つの選択肢を与えてくれているのです。
だから、真理をやっているからと言って、現代医療にかからないのは、神の選択肢を否定することになるのです。
真理を選ぶか、現代医療を選ぶかは、今の自分の思いに従って、選択をしてください。
心から、神を信じられる人は、真理によって治せます。
でも、そのような人は、この地球にはいません。
ですから、今の地球人類では、心を安心させる、逆治療法が必要なのです。
また、それで、病気を治しても、良いのです。
2020.06.28
「恐れてはいけない!」
※ 神の光を放ってる皆さんが、どうして、コロナウイルスを恐れるのでしょうか?
コロナウイルスは、闇(幻)なのです。
闇(幻)は、光の中に入ってこれないのです。
どうか、光を放ってください。
光を放っていれば、何も恐れることはありません。
光るには、神を想うことです。瞑想することです。
皆さんは、 試されているのです。
「私は、真理を実践しているのに、苦しみが無くならない!」と言う人がおりますが、それは、まだ、悪想念を使っているからです。
苦しみは、業の消えている姿ですから、悪想念の上塗りさえしなければ、苦しみは無くなってゆくのです。
でも、苦しいことが来ると、どうしても、また、苦しい想念を持ってしまいます。
それが、いつまでも、苦しみの無くならない理由です。
悪想念を使わないためには、外側の現象に負けない、強い心を築く必要があります。
難しいかも知れませんが、どうか、強い心を育ててください。
強い心を育てる方法は、
2020.07.05
※ 私たちは、今日まで、必然の道を歩んできたのです。
でも、自我の私たちには、その道が、良い道だったのか、悪い道だったのか、分かりません。
だから、どうしても、疑ってしまうのです。
でも、その道は、間違っていなかったのです。
なぜなら、その道を歩んできたお陰で、今の自分があるからです。
この宇宙に、間違った道などないのです。全て、良い道です。
どうか、神を信じ、これからも、目の前にある道を歩んでください。
百%清く有りたいと思うことは良いことです。でもその考え方は表現宇宙における考え方で、意識の世界においての清さは、無限%でなくてはならないのです。なぜなら、意識の世界に限界は無いからです。やりたいからやるのです。してあげたいからしてあげるのです。何か目的を持ってしてあげることは、してあげたら終わりです。これでは、有限のしてあげたいことになります。本当の清さの中には、目的がないのです。ただ、やりたいからやるのです。ただ、してあげたいからしてあげるのです。この場合の動機には目的がないのです。目的がないから清さが無限%なのです。
2020.07.12
※ 法則の中に、偶然はありません。無法則の中に、偶然が あるのです。 でも宇宙は、法則によって支えられているのですから、 この宇宙に偶然はあり得ないのです。
同様に、法則の中に純粋があるのです。
なぜなら、純粋は、1だからです。法則は、1だからです。
リズムが悪いとか、テンポが悪いとか、言われますが、なぜ、良いリズムや良いテンポが、必要なのでしょうか?
それは、リズムが悪ければ、エネルギーの流れを、悪くしてしまうからです。
エネルギーの流れが悪くなれば、悪いことが起きるのです。
反対に、リズムが良ければ、エネルギーの流れが良くなり、良いことが起きるのです。
当然です。エネルギーは、光ですから、エネルギーの流れが悪ければ、光が弱まって、悪いことが起き、エネルギーの流れが良ければ、光が強まって、良いことが起きるのです。
光の強弱によって、良し悪しが、決まるのです。
光は、神、そのものだからです。
エネルギーの流れを良くする方法は、
簡単に言えば、明るい事を思い、明るい事を語り、明るい行為をする事です。
2020.07.19
※ 暗い所にいると、欲望や感情の動きが激しくなります。
暗い所にいると、病気になりやすいし、事故災難にも遭いやすくなります。
暗い所にいると、ミスを犯すことが多くなります。
暗い所にいると、気が滅入ったり、 心配したり、恐怖したりします。
暗い所に長期間いると、嘘をついたり、人を騙したりしたくなります。
暗い所に長期間いると、幻視幻聴が起こりやすくなります。
昼間の怪我より、夜の怪我の方が治りづらいのも、
秋から冬にかけて、うつ病になりやすいのも、
春から夏にかけて、躁病になりやすいのも、
光の多い少ないが、関係しているのです。
暗い所は、光の少ない状態です。
光が少なければ、悪いことが、起こりやすくなるのです。
光は、私たちの人生に、大変重要な役割を果たして いるのです。
どうか、光を呼び寄せてください。
呼び寄せる方法は、神を想うことです。 つまり、瞑想することです。
皆さんは、どれほど、自分のことを知っておりますか?
「私は、自分のことを、良く知っておりますよ!」という人がおりますが、それは、肉体の自分を知っているのであって、本当の自分を知っているわけではないのです。
皆さんは「自分! 自分!」と言っていますが、自分って何ですか?
自分とは、神が、「自らを」、「分けた」、自分の事なのですよ!
その自分は、見えないし、触れないのです。
幽体のことを、言っているのではありません。
意識・魂・心・生命、つまり、神のことを、言っているのです。
その自分は、永遠に知ることのできない、自分です。
なぜなら、神は、永遠に知ることができないからです。
私たちは、永遠に知ることのできない、神の自分を探す旅を、永遠に続けて行くのです。
どうして、そのような旅を、続けなければならないか、と言いますと、旅を続ける途中の体験が、自分を進化成長させるからです。
自分探しの旅は、原子核を増やす旅なのです。
原子核が、増えれば、増えた分、神の神秘が、宇宙の神秘が、自分の神秘が、解るようになるのです。そうすれば、解った分の幸せが得られるのです。
自分探しの旅は、幸せを得る旅なのです。
それも、永遠に尽きない、永遠に色あせない、幸せを得る旅です。
2020.07.26
※ 自分の想念の偉大さを信じ、神(マントラ)を想い続けてください!
皆さんは、サタンにやられることを、脅威に思っているようですが、サタンに打ち勝ったら、原子核が増えるのですから、チャンスだと思ってください。
でも、殆どの人が、サタンに負け、折角のチャンスを潰しています。
これでは、サタンの思うツボです。
サタンとは、弱い自分のことです。
サタンに負けた、と言うことは、弱い自分に負けた、と言うことです。
どうか、弱い自分に負けないでください。強い気持ちで、弱い自分(サタン)を退けてください。
それでも、負けそうになったら、光のメロディー集「私は負けない!」を見て、心を奮い立たせてください。
もし、サタンに心が乱されたら、次の想いによって、退けてください。
「私の心は、今、平安と安らぎで満たされている!」と、三度、繰り返す。
「私の心は、今、光で満たされている!」と、三度、繰り返す。
「光! 光! 光!・・・神! 神! 神!・・・」と、想い続けるのも、効果的でしょう。
2020.08.02
※ どうして、 “お陰様” と言うのでしょうか?
お陰様とは、私たちを、陰で生かしてくれている[生命・ エネルギー ・神]のことです。
「お陰様」がいなかったら、私たちの存在は、無いのです。
どうか、神様を深く知ってください!
神のメロディ集 神の絵巻物
よく、人のことを気遣う人がおりますが、なぜ、気遣うのでしょうか?
それは、自分が気遣って欲しいからです。
では、なぜ、自分を気遣って欲しいのでしょうか?
それは、今の自分の立場や環境を良くしたいからです。
この心理状態は、自己保存欲から生まれたもので、人間の弱い部分と言えるかも知れません。
確かに、気遣わないより、気遣う方が、良いに決まっています。
なぜなら、人の気持ちを考え生きられる魂だからです。
未熟な魂は、人の気持ちなど、全く、考えないのですから・・・。
でも、気遣いも、程々にしてください。
「気」とは、エネルギーのことですから、気遣い過ぎると、エネルギーを多く使うことになり、エネルギー不足を起こすのです。つまり、疲れるのです。
何ごとでも、そうですが、過ぎることは、良くないのです。
どうか、気遣いも、程々に、生きてください。
原子核が増えれば、気遣う気持ちも、少なくなります。
と言うより、自然体で生きられるようになります。
2020.08.09
※ 幼い魂は、
人の態度を気にします。
世間体を気にします。
人のことを詮索します。
※ 幼い魂ほど、先々のことを考えます。
幼い魂ほど、おしゃべりをします。
幼い魂ほど、無駄なことをします。
熟した魂は、
今、必要なことだけを考え、
今、必要な事を話し、
今、必要なことだけします。
※ 神は、いつも、あなたと共におります。
どうか、真剣に、神を求め続けてください。
神のメロディー集〔あなた(神)と共に〕
瞑想のうまく出来ない人は、次のような瞑想方法も試してみたら良いかも知れません。
それは、五感を利用した瞑想方法です。
1、一つの見えるモノに意識を向ける方法
浮いている雲を見つめ、その雲が、次第に消えてゆく様をイメージしてください。
見えなくなってゆく雲の先に、見えない神を、イメージするのです。
2、一つの音に意識を向ける方法
澄んだ音に、意識を向けてください。
例えば、鐘の音、川のせせらぎの音、寄せては返す、海の音、鈴虫の音、そよ風の音など、心穏やかになる音なら、何でも構いません。
音を聴きながら、次第に、音の背後にある、無音を、意識で感じてください。
3、一つの臭いに意識を向ける方法
香ばしい匂い、線香の匂い、甘い匂いなど、心穏やかになる臭いを嗅ぎながら、その臭いの奥に、無臭の臭いを、意識で感じてください。
4、一つの味に意識を向ける方法
あなたの好きな味を、まず、舌で味わってください。
できたら、少しずつ溶けてなくなるような食材を選んで使ってください。
濃い味から、段々と薄い味に変わる様を、意識しましょう。
そして、最後には、無味を、意識で感じてください。
5、一箇所の肌の感触に意識を向ける方法
自分の身体の一箇所を、強く刺激してください。
後は、刺激が去るのを、意識で感じ、最後には、無感触の中に、意識を入れてください。
この五感を利用した瞑想方法は、具体的で、分かりやすいと思いますので、初心者の方は、大いに利用してください。
五感の一つに、意識を向けている時は、妄念(雑念)は、抱けません。
想念は、実現の母ですから、妄念を抱かなければ、悪い業は作らないのです。
でも、学びの皆さんは、こんな、まどろこしいことをする、必要はありません。
どうか、直接、神を意識する瞑想をしてください。
あなたの思いそのものが、神につながっているのですから、五感を通して、神につながる迂回方法は、必要ありません。この方法は、あくまでも、初心者向けです。
神を想っている時は、悪いことは思えません。
そうすれば、業の上塗りはしないし、原子核は増えるし、一挙両得です。
2020.08.16
《疑問を持つこと》
※ 自分の意識の前で起きたことは、どんな嫌なことであっても、意味があって起きたのですから、“なぜ、こんな嫌なことが、起きたのか?”と、疑問を持ってください。
その時は、解らなくても 、いつか、必ず、解かる時が来ます 。
過去のことを、とやかく、思ってはなりません。
未来のことを、とやかく、思ってもなりません。
また、今のことを、とやかく、悩んでもなりません。
今、やるべきことだけ思って、生きてください。
今、思うことだけ思って、生きてください。
今、話すべきことだけ話して、生きてください。
今、行うべきことだけ行って、生きてください。
今、やるべき事とは、家事のこと、仕事のこと、そして、瞑想をすることです。
この二つを、やっていれば、あなたの人生は、万全です。
なぜなら、真実の積み木を、積み上げているからです。
この世のことは、みな、幻の積み木なのです。
余計なことを考えている時は、幻の積み木を積み上げているのです。
そんな、無駄なことはしないでください。
余計なことを考えないためには、瞑想することです。
瞑想すれば、万全だと、私が言うのは、瞑想している時は、余計なことが考えられないからです。
利口な人は、今の今を、瞑想に使っています。
どうか、利口な人になってください。
2020.08.23
幸せって、言葉や文字で表わせますか?
幸せを、人に伝えられますか?
当人が、幸せだと思ったら、それが、幸せではありませんか?
と言うことは、誰も、幸せに、上下は付けられない、と言うことです。
ということは、幸せは、平等だと言うことです。
ただし、原子核が増え、理解力が増せば、増した分の高度な幸せが、味わえるのは、確かです。
なぜなら、神は、私たちを、進化成長へ運んでくれているからです。
進化成長した分、高度な幸せが、味わえるのは、当然でしょう!。
進化成長しても、同じ幸せで、留まっているのなら、何のために、原子核を増やしているのですか?
あくまでも、幸せのための、進化成長ではありませんか?
そうでなければ、神は、私たちに、無駄なことをさせていることになります。
全能の神が、そんな無駄なことをさせるはずがありません。
進化成長した分、間違いなく、幸せは、高度になってゆくのです。
これだけは、断言しておきます。
ただし、幸せを、人と比べることが出来ない点は、同じです。
だから、みな、意欲を持って進化の旅が続けられるのです。
2020.08.30
2018年5月12日 東京塾 (真・善・美)
神のメロディ 真・善・美は神様の心
一は、なぜ無限なのでしょうか ?
それは、宇宙には、無限宇宙が、一つあるだけだからです。
もし、宇宙が、二つも、三つも、あるなら、宇宙は、有限になってしまい、宇宙は、一瞬たりとも、存在できないでしょう。
ただし、一のままでは、何も生まれないので、神は、一を分けて、分数と幻数を生み出し、表現宇宙を創造したのです。
だから、分数と幻数で創られた、表現宇宙は、変化変滅を繰り返す、無常の世界なのです。
例えて言えば、分数や幻数は、海に浮いている、泡のような存在なのです。
その泡が、どんなに姿を変えても、海であることに変わりがないように、一がどんなに姿を変えても、一であることに変わりはないのです。
だから、あなたは、一なのです。私は、一なのです。万象万物、すべて、一なのです。
私たちは、表面を見れば、有限の存在ですが、奥を見れば、無限の存在なのです。
すなわち、表面を見れば、人間ですが、奥を見れば、神人なのです。
神人は、無限の存在だからです。
このことが、心の底で解ったら、あなたは、すべてのものを、兄妹姉妹のごとく、愛せるようになるでしょう。
2020.09.06
今、1が有ると言うことは、永遠に、1は有り続けねばならないのです。
なぜなら、今、1が有ると言う結果を生み出した原因が無ければ、今の1は、あり得ないからです。
こう言うことです。
今、1が有ると言うことは、1を生み出した原因が、その前に、必ず、無くてはなりません。
また、その原因を生み出した原因が、その前になくてはなりません。
そして、また、その原因を生み出した原因が、その前に無くてはならないことになり、これが、永遠に続く、原因無き原因の正体です。
この1を、「あなた」に、置き換えてみましょう。
今、あなたがいると言うことは、今のあなたを生み出した原因が、その前になくてはなりません。
また、その原因を生み出した原因が、その前になくてはなりません。
そして、また、その原因を生み出した原因が、その前になくてはならないことになり、あなたは、永遠に、いることになるのです。
2020.09.13
幸せだけでは、幸せは、分からないのですよ!
不幸せだけでは、不幸せは、分からないのですよ!
白だけでは、白は、分からないのですよ!
苦楽の苦は、苦だけの中には、無いのですよ!
苦楽の楽は、楽だけの中には、無いのですよ!
なぜ、神は、人間を創られたのですか?
神だけでは、神が、解らないからではありませんか?
あなたは、あなただけでは、あなたが、解らないのです。
もう一人のあなたを連れてきて、はじめて、あなたが、存在するのです。
何事も、二つで一つです。二つのものがなくては、一つのものが解らないのです。
だから、神は、一つのものを、二つに分けて、一つのものを知ろうとしているのです。
2020.09.20
「意識の謎」
あなたは、意識が無くなった後のことを、
考えられる人ですか?
考えられない人ですか?
動画 想念瞑想
なぜ、瞑想は、科学なのでしょうか?
それは、原因を作れば、必ず、結果が伴うと言う、「因果の法則」を利用しているからです。
その因果の法則を利用するのは、誰でもない、自分なのです。
瞑想が科学であると言うのは、自分が、瞑想するからです。
つまり、自分を、因果の法則の中に、関与させるからです。
自分が、関与しない科学は、科学では無いのです。
なぜなら、自分しか、原因を作れないからです。
つまり、自分の瞑想によって、原因を作り、結果を、自分の中に積むことができるからです。
自分が、自分の想いを使って、瞑想するわけですから、自分の中に、結果が積まれるのは、当然でしょう。だから、瞑想すれば、自分が変わるのです。
変わらない瞑想は、嘘です。何かが、どこかが、間違っているのです。
もしかしたら、形に囚われ、想念を正しく使っていないのかも知れません。
あるいは、急ぎ過ぎなのかも知れません。
あるいは、結果が欲しくて、集中できていないのかも知れません。
つまり、想いを分散させているのかも知れません。
でも、想いを使って、やっていれば、必ず、結果は、やってきます。
例え、あなたの望む結果は、得られなくても、それに近い結果は、必ず、得られます。
例えば、集中力が付きます。忍耐力が付きます。真理の縁を結ぶ、布石が打たれます。
瞑想は、因果の法則を利用した、科学ですから、やれば、必ず、何らかの痕跡を残すのです。
神は、決して、無駄なことはさせません。
あなたの瞑想は、いつか、必ず、花開きます。
それを信じて、瞑想をやり続けてください。
2020.09.27
※ 瞑想する前に、次のような、強い意志を持ってやってください。
一分間と言うのは、あくまでも、理想です。一秒でも、二秒でも、五秒でも、結構です。
※ 喜びも、苦しみも、幸せも、不幸も、全て、自分の想念の作品です。
想念を正しく使いましょう!
一番いいのは、神を想うことです
日本語には、沢山の「気」という漢字が使われています。
日本の漢字は、真理を表している、と言われていますが、気と言う字を、探ぐってゆくと、沢山の真理が発見できます。
「気」とは、エネルギーのことです。
ですから、「気」を、エネルギーに置き換え解釈してみてください。
色々な、発見ができると思います。
気が、サバサバするとは・・・、エネルギーが、サバサバする、という意味です。
つまり、サバサバした、エネルギー状態である、という意味です。
気が揉めるとは・・・エネルギーが、揉める、という意味です。
つまり、エネルギーが、揉めている状態、ゴタゴタしている状態、争っている状態、という意味になります。
気が焼けるとは・・・エネルギーが、焼けている、という意味です。
つまり、エネルギーが、消失している状態です。
自分なりに、解釈し、自分なりに、満足してください。
それで、あなたの原子核が増えるのです。
2020.10.04
※ 良い想いを持とう! 良い想いを持てば、 光が良いようにしてくれます。
良い想いの一番は、[神!]を、想うことです。
良い想いの二番は、[ありがとう!]を、想うことです。
新・光のメロディ[ありがとうは魔法の言葉]
神は、外側に、幻の世界を創られました。その世界は、実際には、無いのです。
でも、自我の私たちは、実際に有るような錯覚に陥って、苦しんでいます。
神は、無いものを、有るように、見せかけて、私たちを、騙しているのです。
でも、騙されることによって、色々と体験でき、その体験から、気付き、学び、成長するのですから、騙されることは、良いことなのです。
自我が、真我に、騙されながら、成長してゆくのが、神が創られた進化の仕組みです。
これも、必然の教育手段なのです。
2020.10.11
※「偶然で起きた不幸は、嫌なことですが、必然で起きた不幸は、嬉しいことですね!」と、ある学びの友が言っていました。
でも、必然の不幸しか無いのですから、すべて、嬉しい不幸なのです。
この世の知識は、肉体ある間だけ、必要なものですから、ー時、脳に刻まれたら、それで、いいのです。
でも、真理は、違います。
真理は、永遠性のものですから、魂に、深く刻み込む、必要があるのです。
深く刻み込むためには、何度も、何度も、学ぶ、必要があるのです。
私が、「繰り返しなさい! 」と、くどくど、言うのは、繰り返さなくては、魂の中に、定着しないからです。
どうか、繰り返すことの大切さを、知ってください。
それは、ただ、神(マントラ)を、想い続けるだけでいいのです。
私に、欲しいものは、一つも、ありません。
なぜなら、 欲しいもの(真理)を、すでに、手に入れたからです。
皆さんも、是非、手に入れてください。
2020.10.18
私と思える意識を持ったモノは、神なのです。
なぜなら、自分自身を認識できるからです。
ただし、意識があっても、自分を認識できないものは、神そのものではありません。
鉱物や、植物や、動物は、神の分身ではありますが、自分を認識できないので、神そのものではないのです。
自我を持ったモノだけが、神そのものなのです。
だから、人間は、神そのものなのです。
ただし、その人間も、神の自覚を持たないうちは、神そのものではありません。
神の自覚を持って、はじめて、神そのものといえるのです。
神の自覚とは、腹の底で、「私は、神であった!」と、思えた状態です。
これは、体験した当人しかわからない、意識状態です。
ですから、これ以上、言いようがありません。
ただ、自我を持った、私たちには、神に戻る資格が有るのだと言う事を、知ってください。
それは、難しいことでは有りません。
「自分は、神であると!」、いつも、想っていることです。
想いは、必ず、実現させます。
どうか、想い続けてください!
2020.10.25
自分が、真に存在するようになるのは、神を[自覚]した時です。
それまでは、自分は、存在していないのです。
光のメロディ 「自覚」
[いのちの歌]
魂が成長し、自分の意識の拡大が進めば、進んだ分の宇宙が進展してゆきます。
今まで知らなかった宇宙が、眼前に現れるのです。
眼前に現れる、と言う意味は、見えるとか、聞こえるとか、感じられるとか、言う意味ではありません。理解が深まる、と言う意味です。
つまり、意識の拡大が進めば、これまで、理解していた宇宙の内容が、新しい宇宙の内容に取って代わられるのです。
小さな宇宙から、大きな宇宙になる、あるいは、幸せの拡大が進む、と言った方が解りやすいかも知れません。
無限宇宙の奥の深さは、想像できるものでは有りません。
無限の奥の有る宇宙を、どうして、想像できるでしょうか?
想像できなくて、良いのです。
今の私たちは、想像できないほど、宇宙が奥深い、と言うことだけ、知っておいてください。
2020.11.01
※ 自分にとって、不都合なことは、魂にとっては、都合の良いことなのです。
反対に、自分にとって、都合の良いことは、魂にとって、不都合なことです。
闇を体験し、魂は、熟成してゆくのです。
どうか、闇を嫌わないでください。
闇が来たら、魂が大きくなるチャンスだと思って、果敢に、闇を乗り越えてください。
計画通り、原子核が集まれば、不必要な苦しいことは、起きなくなります。
それは、一度、解いた問題を、二度、与える必要が無くなったからです。
一生懸命、と言う言葉の意味を考えてみましょう。
「一」とは、神のことです。
「生」は、生きる、という意味です。
「懸」とは、掛ける、捧げる、没頭する、打ち込む、熱中する、と言う意味です。
「命」とは、ここでは、自分のことです。
通して解釈すると、「自分の命を神のために捧げて生きる」、「神のために熱中して生きる」、という意味になります。
今の社会で使われている、「一生懸命」は、「この世のことに熱中して生きる」と言う意味ですが、本当の意味は、「神のために熱中して生きる」ことなのです。
つまり、常に、神を想い、生きることなのです。
2020.11.08
※ 神は、愛しい我が子に、できない事を、要求する事は、絶対ありません。
[できることを、やりなさい!]と言っているだけです。
できること、とは、 今を精一杯生きること、そして、神を想い続けることです。
できることを、精一杯やって生きていたら、 神は、私たちを、必ず、良いようにしてくれます。
さあ! 二つのことを、精一杯やって、あとは、神に委ねましょう。
神は、必ず、いいようにしてくれます。
人を罵る言葉に、「性根の腐ったやつ!」とか、「 根性のないやつ!」と言う言葉がありますが、この「性根」とは、「魂」のことを言うのです。
潜在意識の深いところにあるのが、魂ですが、未熟な魂は、根が座っていないのです。
いつも、フラフラしています。
心配症です。
いつも、オドオドしています。
何かにつけて、悪いことを思います。
考え方に、まとまりがありません。
ですから、直ぐに、人の言うことに流されてしまうのです。
これは、この世の体験数が、少ないからです。
この世の体験を多くすると、肝が座ってくるのです。
体験は、宝です。体験ほど、大切なことはありません。
どうか、体験を嫌わないでください。
どんな体験も、魂を成長させてくれるのですから・・・。
2020.11.15
※ 人生とは、体験を通して、成長してゆく、人の生き様です。
この宇宙には、たった一つの意識があるだけです。
その一つの意識を、神とか、仏だとか、 生命だとか、宇宙だとか、言っているだけです。
その意識を、私たちは、持っているのですから、私たちは、神なのです。仏なのです。 生命なのです。 宇宙なのです 。
どうか、自分を、小さな人間にしないでください。
私たちの意識を、一本の糸に、例えて見ましょう。
糸の下の部分を、自分だと思えば、人間意識になり、上の部分を、自分だと思えば、神意識になるだけです。
一本の糸に、境目はないのですから、下であろうと、上であろうと、同じ意識なのは、当然でしょう。
このように、私たちの意識は、神意識なのです。
ただ、形を見て、人間だと、思い違いしているだけです。
2020.11.22
※ 意識は、諸刃の剣です。
なぜなら、何を想うかで、幸せにもなり、不幸にもなるからです。
※ 今あなたには、意識が有ります。
今、意識が有ると言うのは、結果ですから、結果を生み出した原因が、必ず、あるはずです。
では、原因を探してみてください。
・・・幾ら探しても、見つからないはずです。
なぜなら、あなたの意識は、永遠の昔からあったからです。
と言うことは、 あなたの意識は、原因なき原因だと言うことです。
[永遠の意識]
時間の「時」とは、
実際に有るモノのことです。
時間の「間」とは、
実際に無いモノのことです。
「時」は、陰陽で言えば、右側の陽に属するモノ、「間」は、左側の陰に属するモノです。
「時」は、能動的なモノです。「間」は、受動的なモノです。
右側に属するモノの代表は、絶対宇宙であり、神であり、意識です。
左側に属するモノの代表は、相対宇宙であり、人間であり、物質です。
時間とは、右側と左側が、一体になった状態なのです。
つまり、神と人間が、一つになった状態・・意識と肉体が、一つになった状態・・ですから、私たちは、「時間」の産物なのです。
私たちの中に、「時」と「間」が、存在するのです。
つまり、神と人間が、存在するのです。
でも、今の私たちは、人間だけが、突出し、神が、隠されているのです。
今の人間は、物質が、闇が、受動的なモノが、突出し、意識が、光が、能動的なモノが、隠されているのです。要するに、陰に傾いている状態なのです。
ですから、一日も早く、バランスを取り戻さなくてはならないのです。
バランスが取り戻された時、私たちは、神人、と呼ばれるようになるのです。
バランスを取り戻すには 、すべての存在物を、自分と見ることです 。
相手は、自分です。自分は、相手です。
心の半分ぐらい、そう思えた時、相手は、変わります。
それは、自分の宇宙が、変わったからです。
2020.11.29
※ 自分の宇宙が、変われば、外側の宇宙も、変わります。
なぜなら、外側の宇宙を創っているのは、自分の意識だからです。
外側は、自分の意識の反映なのです。
だから、自分が変われば、相手が変わるのです。
これは、この宇宙が、自己完結型宇宙である、と言う証拠なのです。
心温まるお話 「言葉が宇宙を変えた!!」
私たちは、今、自分の意識を感じています。これは、意識そのものが、自分(私たち)だからです。
でも、その意識の自分を掴む事は、永遠にできないのです。
どんなに、「私・私・私・・・・自分・自分・自分・・・」と追いかけても、自分の意識を掴むことはできないのです。
それは、自分の意識の源が解らないからです。源が解らないのは、原因が解らないからです。
どうして、意識が存在するのか?、 どこから、意識が生まれてくるのか?、それが、解らないからです。
と言うことは、意識は、原因無き原因者だと言うことです。
つまり、神だと言うことです。
そうです。神は、意識なのです。 意識は、神なのです。
神は・・、意識は・・、原因無き原因者なのです。
自分の意識が掴めない、と言うことは、 永遠に、意識の正体が掴めない、と言うことです。
でも、自分の意識を、意識上では、接触することができます。
源は、掴めないけれど、接触は、できるのです。
なぜなら、意識は、宇宙に一つしか無いからです。
いつも言うように、この宇宙には、たった一つの意識の糸があるだけです。
それも、無限に連らなる、一本の意識の糸があるだけです。
その一本の意識の糸には、境目がないのです。
つまり、自分の意識と神の意識とには、境目が無いのです。
だから、自分の意識は、神の意識になり、神の意識は、自分の意識になるのです。
その一本の意識の糸は、無限の奥に連らなっているので、探っても、探っても、意識の源に、辿り着くことができないのです。
自分の意識を追いかけても、永遠に掴めないのは、意識の源が、無限の彼方にあるからです。
2020.12.06
※ 命が、生き通しの存在である証拠は、沢山ありますが、
命が、死ぬ(消えてしまう)証拠は、どこにもないのです。
・・命が生き通しの存在である証拠・・
「意識」が、永遠だからです。
「宇宙」が、永遠だからです。
「時」が、永遠だからです。
「私たち」が、永遠だからです。
私たちは、今、実際に存在してます。
今、存在していると言うことは、
永遠の昔にも、存在していたし、
永遠の未来にも、存在すると言う意味なのです。
皆さんは、一体、何のために、生まれてきたのですか?
この世の、何をやっても、何を得ても、みな、消えてしまう、幻なのですよ!
そんな、幻に、大切な人生を使うなんて、愚かです。
一般の人たちは、仕方がありません。
でも、皆さんのような、熟した魂は、そうであってはならないのです。
どうか、永遠に失わない、魂を大きくすることに、人生を使ってください。
魂を大きくするには、 次の 二つのことを、やることです。
この二つのことを、やれば、間違いなく、魂を大きくすることができます。
何を優先させるべきか?
無くなる、物を得ることか?、無くならない、魂を得ることか?
よくよく、考えてみてください。
2020.12.13
※「自分の想念が全てを創っている!」と言う確信が得られるまで、瞑想してください。
光のメロディ「人生」
1は、完全です。1を横にしても、斜めにしても、逆様にしても、1は、分かります。
1は、歪みがありません。引っかかりがありません。
でも、 分数 (2・3・4・5・6・7・8・9)は、横にしたり、斜めにしたり、逆様にしたら、分からなくなります。 分数には、歪みがあり、引っかかりがあります。
1の中には、すべての数字が含まれています。無限の数字があるのです。
無限の数字がある、と言うことは、無限の発展性と、無限の可能性と、無限の創造性がある、と言う意味です。
1の引き出し(パンドラの箱)の中は、希望で満ち溢れているのです。
だから、1の引き出しの中は、無限の宝庫なのです。
でも、1の引き出しの中にある時は、発展性や、可能性や、創造性などの能力は、潜在しています。
引き出しから、出させた時に、はじめて、能力が発揮されるのです。
表現宇宙は、その引き出しが、開けられ、その引き出しから、生まれたのです。
○も、完全です。どこから見ても、○は、分かります。歪みがありません。引っかかりがありません。丸く収まるのが、○なのです。
私たちは、1から出てきた、神の子なのです。
その神の子が、○である神人になろうとしているのです。
なぜ、このようなことを、くどくど言うのかと言いますと、私たちが、神の子であることを、自覚して欲しいからです。
どうか、自分を卑下しないでください。
私たちは、神と同じ価値を持つ、偉大な存在なのですから・・・。
2020.12.20
※ 私たちが、神である理由は、私たちが、人間だからです。
と言うことは、人間である、私たちは、間違いなく、神である、と言うことです。
※ 神を探しに出掛ける必要はありません。
神に逢いたかったら、自分の中を探してください。
神のメロディ「神を探す旅人」
神の世界は、「無味」の世界です。
「無味」とは、味が無い、と言う意味ではありません。
無限の味があると言う意味です。
無限の味がある状態は、無味の状態なのです。
無味から分離した時、はじめて、味が生まれるのです。
無味の中にいては、何の味の体験もできません。
そこで、神は、無味を分け、様々な味を生み出したのです。
その様々な味の世界が、私たちが住んでいる表現世界なのです。
ですから、この表現世界には、沢山の味(物)があるのです。
今、私たちは、この表現世界で、沢山の味(物)を体験し、無味(神)を知ろうとしているのです。
神人とは、沢山の味(物)を体験し、無味(神)を心の底で知った人のことです。
2020.12.27
神のメロディ「神の連想曲 8番 神人」