私たちは、いつでも、天使になれるし、いつでも、悪魔になれるのです。
それは、何でも作れる想念力と、何でも想える自由意思を、持っているからです。
私たちは、意識そのもの、想念そのものなのです。
意識そのもの、想念そのもの、ゆえに、私たちは、自由自在なる存在なのです。
その意識を使って、その想念を使って、自分を不自由な存在にしないでください。
2015.01.04
苦しみは、すべからく、自分を肉体人間と思うところから生じております。
自分を生命だと思えたら、すべての不幸、災難、苦しみから、逃れられるというのに、今の地球人類には、それが、分からないのです。
それは、肉体を自分だと思って、本質を自分だと思っていないからです。
本当の私たちは、本質そのものなのです。
生命は、すべての本質ですから、私たちは、生命であるということです。
どんな形も、本質がなくては、存在できないのです。
その本質が、生きて、働いているのです。形は、生きることも、働くこともできないのです。
それは、影だからです。実際に無いものだからです。
2015.01.11
「この宇宙に、一なるものしか存在してない!」という真理は、いかなるものも崩せない、絶対真理であります。
ならば、あなたは、その一なるものではないでしょうか?
なぜなら、あなたは、今、現に、存在しているからです。
その一なるものを、神と呼ぶなら、あなたは、正しく、神ではないでしょうか?
一は、神なのです。神は、一なのです。
ならば、あなたが神なのは、当然ではありませんか?
一なるものしか存在しないと言う意味は、あなたしか存在しないという意味なのです。
2015.01.18
宇宙の中心は、自分。
ドラマの主人公は、自分。
原因の発芽は、自分。
全ては、自分中心であります。
お釈迦様が言われた、「天上天下唯我独存(尊)」の本当の意味は、
天上天下(宇宙)において、唯一、自分が「尊」い存在者である、という意味ではなく、
天上天下(宇宙)において、唯一、自分しか「存」在しない、という意味なのです。
今の仏教は、誤った文字を使い、誤った解釈をしているのです。
どうか、誤解のないようにしてください。
有限宇宙においては、中心点は、一つしかありません。
でも、無限宇宙においては、中心点は、無限に存在します。
ですから、私たちは、誰でも、宇宙の中心点に立てるのです。
ゆえに、自分は、宇宙の中心なのであります。
2015.01.25
表であるためには、まず、裏でなくてはならない。裏であるためには、表でなくてはならない。
なぜなら、表は、裏なしには、表になれないし、裏は、表なしには、裏になれないからです。
すなわち、人間であるためには、まず、神でなくてはならない。神であるためには、人間でなくてはならない。
人間は、神なしに、人間になれないし、神は、人間なしに、神になれないからです。
ゆえに、人間である私は、神であるし、神である私は、人間なのであります。
それは、表と裏は、一つだからです。
つまり、人間と神は、一つだからです。
一つに境目がないから、そう言えるのです。
2015.02.01
この宇宙で、神とコンタクトの取れるのは、唯一、自分しかおりません。
なぜなら、この宇宙には、自分の外、誰もいないからです。
自分とは、神が「自」らを「分」けたのです。
自分が、自分とコンタクトを取るのです。神が、神とコンタクトを取るのです。
それが、瞑想なのであります。
神とコンタクトが取れるのは、唯一、人間しかいないのです。
なぜなら、人間だけが、瞑想できるからです。
鉱物や、植物や、動物は、瞑想ができないのです。
彼らは、想念を持っていないからです。
人間は、想念を持っているのです。
ゆえに、人間だけが、神とコンタクトが取れるのです。
2015.02.08
なぜ、自分を、無くすことが、できないのでしょうか?
それは、自分の意識を、無くすことが、できないからです。
では、なぜ、自分の意識を、無くすことが、できないのでしょうか?
それは、自分の意識の発露となっている、原因者の意識を、意識できないからです。
自分が意識できない意識を、どうして、無くすことが、できましょうか?
私たちが、永久に、神を求め続けねばならないのは、原因者の意識を、永久に、意識することが、できないからです。
つまり、私の意識を、永久に、意識することが、できないからです。
私、私、私・・・・と、私の意識を追いかけてみてください。
どこまで、追いかけても、意識の本源を、意識できないはずです。
それは、私の意識が、原因なき原因者だからであります。
2015.02.15
理解できなくては、目の前に、何があっても、見えないのです。
理解できれば、目の前に、何もなくても、観えるのです。
神は、私たちの目の前に、存在します。
でも、理解できない者には、存在していないのです。
この宇宙は、理解力の高さに比例して、観えるようになっているのです。
だから、誰もが同じ宇宙を、観ているわけではないのです。
論争してはならないのは、そのためです。
真理も、同じです。真理も、理解力の高さに比例して、観えるのです。
これが、真理の奥深いところであり、難解なところなのであります。
2015.02.22
「想念は実現の鍵です」。人の幸・不幸は、すべて、想念が鍵を握っております。
その想念を、あなたは、持っているのです。
だから、想念の使い方が問われるのです。
この世の何を知らなくても、このことだけは、知って欲しいと思います。
人生は、すべて、想念次第なのです。それは、何を想うか・・・だけなのです。
2015.03.01
他人が、自分を傷付けることは、絶対できません。
また、自分も、他人を傷付けることは、できません。
なぜなら、他人は、実在しないからです。
自分を傷付けることができるのは、唯一、実在する、自分の想念だけです。
ゆえに、自分の想念の管理が重要になってくるのです。
あなたは、普段、何を思っていますか? 良いことを思っていますか? 悪いことを思っていますか? 良く考えてみてください。
もし、苦しい人生を送っているなら、それは、悪い想念を使っているからです。
あなたの想念は、自分を不幸にすることもできるし、幸せにもしてくれるのです。
2015.03.08
すべては、我が意識の中にあり、我が意識は、すべての中にあり、ゆえに、我が意識が無くては、何も存在しないのです。
何かが存在していること自体、我が意識の存在を証明しているのです。
それは、我が意識しか無いからです。
意識は、宇宙に一つしかありません。一つしか無い意識なら、今、意識を持っている、あなたは、その一つの意識では、ありませんか?
こんな凄いことを、誰も凄いと思っていないのです。
どうか、自分の意識の凄さを知ってください。
2015.03.15
人生で最悪なのは、何もしないことです。
人生で最良なのは、何にでも挑戦することです。
「動く」ことによる利点に底がないのです。
動くことで何でも生まれ、動くことでドンドン成長し、動くことで進化できるのです。
動けば、必ず、原子核が増えるのです。
どうか、動いてください。動く者と動かない者の差は、いずれ、魂の大きさの差として、はっきり、分かる時がくるでしょう。
原子も、動いています。
空気も、動いています。
水も、動いています。
土も、動いています。
どんな生き物も、動いています。
動いていないモノなど、存在していません。
それは、動けば、成長できることを、本能的に知っているからです。
動くのが嫌だからと言って、何もしない人は、いずれ、大泣きすることでしょう。
2015.03.22
この宇宙が、無限なのは、絶対真理です。
ということは、この宇宙に、一つのモノしか無いことになるでしょう。
もし、二つも、三つも、何かがあるなら、宇宙は有限になり、無限であるという絶対真理は、崩れてしまうからです。
ならば、この宇宙には、私しか存在しないことにならないでしょうか?
なぜなら、私は、今、現に、存在しているからです。
2015.03.29
カルマを無くそうと、苦労している人がいますが、カルマは、放っておいたら、消えて無くなるのですから、あえて無くす必要はないのです。
大切なのは、カルマを無くすことではなく、新しいカルマを作らないことです。
そのためには、常に、良い思いを持つことです。
良い思いの一番は、神(生命)を想うことです。
神を想っている時は、悪いことは思えません。
悪いことを思わなければ、カルマは作られません。
こんな凄いことを、未だ、人類は、知ってないのです。
だから、人類は、苦しみに喘いでいるのです。
2015.04.05
今、現実と真実の間で、苦しんでいる人がおります。
つまり、真実を得たいが、この世のことも捨てきれない!、という人が・・・。
このような人は、良く考えて欲しいと思います。
一体、自分は、何のために、生まれてきたのか? と・・・。
この世の、何を知っても、何を掴んでも、何を得ても、みな、消えて無くなる幻です。
でも、真実は、永遠に無くならないのです。
消えて無くなるものを追い求めるのか、永遠になくならないものを追い求めるのかは、賢い、あなたなら、分かるはずです。
さあ、人生の目的は、何なのか? 思い出してください。
2015.04.12
この宇宙の最も厳格なところは、何事も、原因と結果の法則に基づいて、処断される点です。
良い原因を作れば、幸せが・・・悪い原因を作れば、不幸せが・・・。
そこに、一切、情け容赦は、ありません。
しかし、神は、一つだけ温情を示されました。
それは、心から反省し、「二度と過ちを犯さない!」と、堅く心に誓ったとき、許される温情です。
もし、その温情がなかったら、今、私たちは、地球に存在していないでしょう。
2015.04.19
宇宙は、理解力によって、進展してゆくよう、創られています。
つまり、理解力が乏しかったら、醜い世界が現れ(見え)、理解力が豊かだったら、美しい世界が現れ(見え)る、というわけです。
今、地球人類の眼前に美しい世界が存在しますが、理解力が乏しいために、それが、見えていないのです。
理解力に相応した世界が現れる、この宇宙の仕組みの素晴らしさを知ってください。
そうすれば、いかに、理解力を高めることが大切か、分かって頂けると思います。
2015.04.26
何が生きているのでしょうか?
形でしょうか・・・? 意識(生命)でしょうか・・・?
形が生きることはありません。意識(生命)が生きているのです。
なぜなら、形は、消えて無くなりますが、意識は、永遠に、無くなることがないからです。
あなたは、消えて無くなる、カゲロウや蜃気楼を、生きているというのですか?
あなたの肉体が無くなっても、意識は、永遠に、無くなることはないのです。
どうか、思い違いしないでください。
2015.05.03
※ 後戻りできない、私たち
もし、サタンに惑わされ、心が折れそうになったら、光のメロディー集「私は負けない!」を、見てください。
私たちは、もう、後戻りできないのですから・・・。
この道を疑るということは、最初に、この道を選んだ自分の眼力を疑るということです。
自分を信じないで、一体、あなたは、何を信じるというのですか?
巧妙なサタンの手口に、気付いてください!
あなたの思いのように見せかける、サタンの思いに、気付いてください!
2015.05.10
現実と真実の間で、苦しんでいる、学びの友人がおります。
でも、その苦しみは、熟した魂の勲章だと思ったらいいでしょう。
ご覧なさい、現実(幻)に生きている人の何と多いことか・・・。
彼らは、すぐに消える、虚しい宝物を集めているのですよ。
それに比べ、永遠の宝物を追い求めている、あなたは、何と幸せなことか・・・。
あなたの追い求めている宝物は、この世の宝物の無限倍の価値があるのですよ。無限倍ですよ。
しかも、この宝物を手にしたら、あなたは、永遠に苦しみに晒されないですむのです。
それほど、今、あなたが追い求めている宝物は、価値があるのです。
だから、私は、言うのです。”あなたは、幸せ者ですよ!”と・・・。
確かに、今は、苦しいかもしれません。
でも、そんな苦しみに負けないで、永遠の宝物を追い求めましょう。
その宝物を手に入れた時、あなたは、「ああ、私は、やっていて良かった!」と感嘆の声を上げることでしょう。
2015.05.17
騙されたと思って、神を想い続けてください!
間違いなく、神に近づくことを、私は、保証します。
なぜなら、神を想っている時は、悪いことを想えないからです。
悪いことを想わなければ、良い環境が与えられますから、なおいっそう、神を想うことができるでしょう。
そうなれば、雪だるま式に、原子核が増えますので、急ピッチで、神に近づくことができるのです。
偉大なことを成し遂げるには、それ相応の苦しみが伴うものです。
楽して宝物を得た人など、一人もいないのです。何事も、辛抱が必要です。
特に、真理の探求には、根気が必要なのです。
どうか、騙されたと思って、神を想い続けてください。
きっと、感謝できる時が、やって来ます。
2015.05.24
理解力は、意識して、高められるものではありません。
でも、原子核(魂)は、意識して、大きくすることができます。
原子核を大きくすれば、自然と理解力が高められますから、ますます、原子核が大きくなるのです。
意識して原子核を大きくすることが先か? 理解力を高めるのが先か? もう、お解りでしょう。まずは、原子核を大きくすることです。
原子核を大きくすれば、理解力も高められ、かつ、自分の欠点も、自然と無くなるのですから、これは、一挙両得なのです。
神は、簡単に理解力をつける方法を、用意してくれているのです。
それは、原子核を増やせば良いだけです。
ただ、私たちが、難しくしているだけです。
このことを、知ってください。
2015.05.31
この宇宙は、完全な神の意識によって創られ、完全な神の意識によって差配されています。
それゆえに、この宇宙に、不幸・災難・病気という、不完全なものは、存在しないのです。
今、地球に、様々な悪しきことが起きているのは、人類のネガティブな想念が作った不幸で、神が作った不幸ではないのです。
皆さんは、地球で起きている不幸を、他人事のように言っていますが、皆さんの悪しき想念が加担して起きているのですよ。
皆さんは、いつも、何を思っていますか? 良いことを思っていますか? 悪いことを思っていますか?
殆どの人が、ネガティブなことを、思っているのではありませんか。
これでは、地球は、たまったものではありません。
どうか、自分の不幸を、社会の不幸を、地球の不幸を、人のせいにしないでください。
もし、人類が、良い想念を持つようになったら、地球は、そく、理想の世界になるでしょう。
人類が、健全な想いを持つようになったら、地球に、不幸・災難など、起きようが無い!ということに、気付いてください。
2015.06.07
こうして、少しずつ、幸せの殿堂が築かれてゆくのです。
幸せは、誰かが与えてくれるのではありません。自分が自分に与えるのです。
2015.06.14
偽りのあなたは、偽りしか語れず、真実のあなたは、真実しか語れないのです。
では、どうすれば、真実が語れるようになるでしょうか?
それは、自分が真実だと、自覚することです。
あなたは、もともと、真実なる者なのです。
ただ、今は、誤解して、ニセモノだと思っているだけです。
真実なる者だから、誤解が解ければ、真実なる者に変われるのです。
地が石なら、どんなに泥を取っても、ダイヤモンドに変われません。
地がダイヤモンドだから、泥を落とせば、ダイヤモンドに変われるのです。
地が神だから、人間の泥を落とせば、神に変われるのです。
変わったら、自然と真実を語るようになるのです。
私が、そうなのです。私は、ただ、瞑想によって、人間の泥を落としただけです。
人間を、神にしたわけではないのです。神に戻っただけです。
それは、もともと、神だったからです。
皆さんも、今、そのままで、神なのです。これから、神になるのではないのです。
「もともと、神だから、神に戻れる」と言う、私の言葉を信じてください。
2015.06.21
自分が、真理(神)そのものであると、知った者は、もう、外側に真理(神)を探し歩くことはないでしょう。
しかし、知らない者は、知るまで、外側に真理(神)を探し歩くことでしょう。
チルチルミチルは、幸せの青い鳥を探しに旅に出ましたが、どんなに探し回っても、幸せの青い鳥は、見つかりませんでした。ガッカリして、家に帰ってきたチルチルミチルは、ふとしたことから、自分の中に、幸せの青い鳥を見つけます。
この童話が示唆しているのは、「外側から真理は得られない!」ということです。
幸せの青い鳥は、つまり、真理は、外にあるのではありません。自分の中にあるのです。
外に真理を探している人は、チルチルミチルの話を、思い起こして欲しいものです。
2015.06.28
この宇宙は、理解力によって進展してゆくようにできています。
だから、理解力の乏しい者は、今以上の高い宇宙は、望めないのです。
では、その者は、今の宇宙のままで、甘んじなければ、ならないのでしょうか?
いいえ、そんなことは、ありません。
神は、どんな者にも、進化の術を与えています。
では、その術とは?・・・、
なぜ、それほど、信じることが、大切かといいますと、信じなければ、実践しようと思わないからです。
実践しなければ、原子核が増えないわけですから、自分が変わらないのです。
変わらなければ、真理を追求する気持ちが涌きませんから、今のレベル止まりになってしまうのです。
実践すれば、原子核が増えます。
原子核が増えれば、理解力が高まります。
理解力が高まれば、そのレベルの宇宙が、眼前に展開してきます。
そうなれば、真理を疑ることは、なくなりますから、ますます、実践しようという気持ちになるのです。
だから、私は、「信じることが、大切である。」というのです。
ただし、信じる前に、その真理の真偽を、トコトン吟味してください。
吟味して、吟味して、確信が得られたら、以後、一切、疑わないで信じることです。
そして、何よりも、信じた自分を、信じることです。
2015.07.05
“いくら、瞑想をしても、手応えがない!”と嘆いている、あなたに、私は、言いたい、「あなたは、今、間違いなく、良い原因を作っている!」ということを・・・。
原因を作れば、必ず、結果は、やってきます。
やれば、必ず、実現するのが、宇宙の完全性なのです。
これは、因果の法則からして、絶対、間違いないことです。
あなたは、今日まで、自分の想念で、自分の人生を作ってきました。
今、その結果を、得ているのです。
ですから、その結果は、今日まで生きてきた、あなたの人生の総決算です。
もしかしたら、赤字になっているかも知れません。
あるいは、黒字になっているかも知れません。
どちらにしても、その結果は、あなたの想念が生み出した成績です。
でも、その成績を見て、人生行路の舵を切り直すことが出来るのです。
これは、有り難いことです。
さあ、想念の偉大さを信じ、宇宙の法則の完璧さを信じ、神の完全性を信じ、想念を良く使って、人生を黒字にしましょう。
黒字にする一番の方法は、神を想うことです。瞑想をすることです。
さあ、瞑想を続けましょう!
2015.07.12
あなたが、どんなに言い逃れしようと思っても、言い逃れできるものではありません。
あなたが、どんなに誤魔化そうと思っても、誤魔化せるものではありません。
なぜなら、あなたの胸の内(心内)を、本当のあなた(良心・神)が、知らないはずがないからです。誤魔化した分、良心が苦しむだけです。
苦しみたくなかったら、良心に忠実に生きましょう。
どんなに、課題を先送りしても、いつか、必ず、越えねばならない課題なのですから・・・。
ならば、早く課題を克服した方が、気楽ではありませんか?
2015.07.19
一を知るには、多を知るしか無い!
多を知るには、一を知るしか無い!
絶対を知るには、相対を知るしか無い!
相対を知るには、絶対を知るしか無い!
神を知るには、人間を知るしか無い!
人間を知るには、神を知るしか無い!
多は、ニセモノです。相対は、ニセモノです。人間は、ニセモノです。
この宇宙は、偽物を知って、本物を知るように、出来ているのです。
2015.07.26
一人ひとりが、受ける結果は、一人ひとりが、創る原因と、寸分も違いません。
投げたボールは、必ず、投げ返されるのです。
良いボールを投げれば、良いボールが、悪いボールを投げれば、悪いボールが・・・、
それも、強ければ、強いように、弱ければ、弱いように・・・。
この因果の法則から逃れる事は、絶対できないのです。
だから、私は、「法則を、知って欲しい!、信じて欲しい!、守って欲しい!」と願うのです。
ボールを投げるなら、良いボールを強く投げてください。
2015.08.02
今、あなたが、苦しんでいるのは、自分の意識の中に、様々な悪しき情報を入れるからです。
自分の意識の中に、悪しき情報を入れなければ、あなたに、苦しみは、無いのです。
それは、あなたが、天上天下 唯我独存(尊)の主であり、主観宇宙の主だからです。
この宇宙に、真に存在するのは、
それ以外、真に存在しているものは、ありません。
2015.08.09
平和は、外側に作るのではありません。内側に創るのです。
なぜなら、内側の想念(原因)が、外側の世界(結果)を創るからです。
内と外は、一つです。原因と結果は、一つです。
良い結果が欲しかったら、良い原因を作ることです。
それは、想念を持っている当人にしか、できないのです。
想念は、原因です。平和は、結果です。
平和は、外側の結果次元のモノです。想念は、内側の原因次元のモノです。
外側のモノは、内側のモノが創るのですから、内側の想念を良くすれば、何もしなくても、平和は訪れるのです。
それを知らないから、人間は、一生懸命、外側のモノで平和を作ろうとするのです。
結果で、結果を良くすることは、絶対できません。
原因である想念が、結果を良くするのです。
つまり、想念が、平和を創るのです。
どうか、内側の想念が、平和を創ることを、知ってください。
2015.08.16
私たちが持っている、唯一の財産は、想念です。
この財産は、どんな宝物よりも、価値があるのです。
なぜなら、思い次第で、何でも手に入れることが、できるからです。
覚者が、「人は、すでに救われている!」と言うのは、この想念を、良い事に使えば、みな、幸せになれるからです。
しかし、残念なことに、人は、その想念を悪用し、苦しんでいるのです。
幸せが欲しかったら、想念のコントロールを上手にすることです。
つまり、良いことを思い、悪いことは、思わないことです。
良い思いの一番は、神を想うことです。神を想えば、良いことが、やって来ます。
それは、自分の欠点が無くなるという良いことです。
さらに、過去の業が無くなるという良いことです。
そして、一番良いことは、原子核が増えるという良いことです。
どうか、想念を、宝の持ち腐れにしないでください。
2015.08.23
※ 人間は、幸せのために、お金や、物や、地位や名誉を、追い求めていますが、幸せは、すでに、与えられているのです。
なぜなら、すでに、想念という偉大な宝物が、与えられているからです。
想念は、何でも生み出す力を持っているのです。
良いことを想えば、良いことが・・・、悪いことを想えば、悪いことが・・・。
人間が、苦しんでいるのは、この想念の使い方が下手だからです。
心配している時、人を憎んでいる時、愚痴を言っている時、つまり、ネガティブなことを想っている時は、すでに、不幸を作っているのです。
なぜ、そのことが分からないのか? それは、想念が見えないからです。
でも、見えなくても、間違いなく、良いことも、悪いことも、作っているのです。
事実、今、人間は、苦しんでいるでは、ありませんか!?・・・その苦しみは、想念を悪用した結果なのです。
苦しい! 苦しい! と言っている人は、自分の想念を悪用していることに、気付いてください。
何が生きているのでしょうか? 形が生きているのでしょうか? 意識が生きているのでしょうか?
私たちは、形が生きていると思っていますが、形が生きることができるのでしょうか?
形は、単なる意識の乗り物ですから、形が生きることはありません。
生きているのは、あくまでも、意識です。
冷蔵庫が、形のない電気によって、働かされていることを知れば、私の言っていることが、理解できるでしょう。
形は、あくまでも、見えない意識の表現媒体です。
どんなモノも、見えない意識によって、生き、動き、働かされているのです。
そのことが、心の底で理解できたら、もう、形に(肉体に)、囚われることはなくなるでしょう。
2015.08.30
井の中の蛙は、目覚めて、外に飛び出しても、また、井の中の蛙です。
また、目覚めて、外に飛び出しても、また、井の中の蛙です。
私たちは、永遠に、井の中の蛙なのです。
なぜなら、宇宙には、知るべきことが、無限にあるからです。
でも、その井の中で体験したことは、決して無駄にはなっていないのです。
それは、どんな体験も、すべて、究極の幸せの泉の中に引き継がれているからです。
宇宙の外には、絶対出られないのです。宇宙は、無限だからです。
だから、無限のものを知ろうと思っても、無駄骨なのです。知るのではなく、実感することです。実感すれば、もう、何も知る必要がなくなるのです。
それは、幸せを掴んだからです。
2015.09.06
一なるモノが、一なるモノを知ることができないのは、一なるモノの中に居ては、一なるモノが、分からないからです。
すなわち、自分の中に居ては、自分が分からないからです。
一なるモノが、一なるモノを知るには、一なるモノが、別モノになって、知るしかないのです。
だから、一なる神は、人間に化身して(別モノになって)、自分を知ろうとしているのです。
その中に居ては、その中のことが分からないのは、霊太陽の中に居ては、霊太陽が見られないからです。
つまり、自分の中に居て、自分は見られないからです。
あなたは、自分を、直接、見たことありますか? 無いはずです。外に出て、はじめて、自分が見られるのです。
だから、私たちは、この表現世界に出てきて、絶対世界を知ろうとしているのです。
つまり、人間になって、神を知ろうとしているのです。
2015.09.13
この意味を心の底で知った人は、もう、外に真理を求め歩くようなことはなくなるでしょうし、もう、外のものを、何も欲しがらなくなるでしょう。
なぜなら、欲しいものは、何でも、自分の中から得られるからです。
理解力のない人は、そのモノが、目に見え、耳に聞こえ、肌で感じられても、無いのです。
理解力のある人は、そのモノが、目に見えなくても、耳に聞こえなくても、肌で感じられなくても、有るのです。
この宇宙は、理解力によって、いくらでも、開けてくるのです。
この意味の深さを、どうか、知ってください。
2015.09.20
神の本性は、陽ですから、明るくて積極的な人は、神に近い人なのです。
反対に、暗くて消極的な人は、神に遠い人なのです。
神に近い人は、積極的に、原子核を増やそうとしますので、成長が早いのです。
しかし、神に遠い人は、あまり、増やそうとしないので、成長が遅いのです。
私が、行動的な人になって欲しいと願うのは、動けば、必ず、原子核が増えるからです。
大自然を見てください。水も、空気も、鉱物も、植物も、動物も、微生物も、原子も、動いています。動いていないモノなど、無いのです。
それは、みな、成長したいからです。どうか、あなたも、動いてください。
人生の目的は、本当の自分を知ることです。
つまり、自分が神であることを知ることです。
私たちは、そのために、わざわざ、生まれてきたのです。
なのに、目的を果たさないで帰っては、無駄な人生になってしまいます。
ぜひ、動いてください。積極的な人になってください。行動的な人になって、神を求めてください。
2015.09.27
孫悟空が、お釈迦様の手の平から、出ようと試みましたが、どんなことをしても、出られなかったという話は、法則の外には、絶対、出られないという、比喩的な話なのです。
なぜ、法則の外に出られないかと言いますと、外に出ようとすれば、五感の警報装置が働き、塗炭の苦しみが与えられるからです。
この宇宙は、原因と結果の法則で固められているのです。その牙城は、いかなるものも崩すことができないのです。
もし、崩そうとすれば、痛い目に遭うのが落ちだからです。
宇宙が、今日まで、整然と運行してこられたのは、この法則によって、秩序立てられてきたからです。
もし、この法則がなかったら、一秒として、宇宙は、存在できなかったでしょう。
法則に逆らうなど、アリが、戦車に立ち向かうようなものです。
どうか、法則を守りましょう。
法則を守れば、穏やかに生きられるのですから・・・。
2015.10.04
なぜ、人は、神なのかと言いますと、自分の意識を意識している自分が、自分の中に存在するからです。
自分を意識している意識がなければ、自分も存在しないし、何も存在しないのです。
ということは、その意識は、すべてを存在させている意識ではありませんか?
つまり、神意識ではないでしょうか?
自分を意識している意識が、自分の中にあるということは、自分が、神である、と言う証明なのです。だから、人は、神なのです。
繰り返しましょう。
自分の意識を意識している意識は、神なのです。
そうでなければ、その意識は、一体、誰なのか?・・よく、考えて欲しいものです。
2015.10.11
総合されたモノのままでは、総合されたモノを、知ることはできないのです。
総合されたモノから離れてこそ、総合されたモノを、知ることができるのです。
つまり、元数1が、様々な分数になることで、自分が、元数1であることを、知るのです。白光が、様々な色になることで、自分が、白光であることを、知るのです。
すなわち、神が、様々な形になることで、自分が、神であることを、知るのです。
神は、そのために、自分を分け、人間を創造したのです。
自分とは、神が「自」らを「分」けたのです。
だから、人間は、神なのであります。
分けられたモノの中には、必ず、分けたモノが入っているのです。
分数の中には、必ず、元数1が入っている、
様々な色の中には、必ず、白光が入っている、
人間の中には、必ず、神が入っている、ということであります。
2015.10.18
※ 外側の者に、何を言われようと、気にすることはありません。
外側の者は、実在しないからです。
なぜ、実在しない者の言葉に、惑わされなければならないのでしょうか?、
なぜ、実在しない者のために、心を痛めねばならないのでしょうか?
それは、まだ、真理が解っていないからではありませんか?
人生の目的は、唯一つ、真理を学ぶことです。
真理を学んで、原子核を増やせば、目が開かれます。
どうか、真理を学んでください。
「真・善・美」で固められている宇宙に、不完全なものは、一つも無いのです。
不完全なものが、一つも無いということは、悪なるものは、一つも無いということです。
だから、そこには、人を恨むことも、憎むことも、怒ることも、あり得ないし、事件も、事故も、災害も、病気も、あり得ないのです。
あるように見えている、それらの悪は、すべて、人の迷いから生まれた幻で、実際にあるものではないからです。
実際にある悪なら、無くなることはありませんが、実際にない悪だから、人の迷いが解ければ、消えてなくなるのです。
だから、この宇宙に、悪人は、一人もいないのです。いるのは、善人ばかりです。
だから、人を、憎んでも、恨んでも、ならないのです。
世の悪を見て、憤慨したり、嘆いたり、嫌な気分になるのは、自分の中に、まだ、悪があるからです。
自分の中に、悪がある内は、どうしても、悪が見えるのです。
世の悪は、そのことを、気付かせてくれているのです。
だから、私は、悪に目を背けるのではなく、自分の中にある悪を無くす努力をすべきだと言うのです。
神が創られた完全なる宇宙に、本質的な悪があるわけがないのです。
悪は、善を知らしめるためにある悪ですから、それは、悪ではなく、善なのです。
善の中にいては、善の尊さは分からないのです。
悪の苦味を知ればこそ、善の尊さを知ることができるのです。
悪の本質を心の底で理解できた人は、悪を見なくなるのです。
それは、自分の中に、もう、悪が無くなったからです。
神の目を備えた人とは、悪が見えなくなった人のことを言うのです。
2015.10.25
“宇宙に一つのモノしか無い!”という言葉には、とても深い意味が込められているのです。
では、どんな深い意味が込められているのでしょうか?
一つのモノしか無いことを端的に言えば、“自分しかい無い!”という意味になります。
なぜなら、今、現に、自分は、存在しているからです。
一つのモノしか無いなら、今、現に、存在している自分は、その一つのモノなのは、当然でしょう。
ということは、この世に、沢山のモノが存在していますが、それは、すべて、一つのモノであるということになり、その沢山のモノは、自分であるということになります。
一つのモノしか無いならば、自分も、その一つのモノであるわけですから、すべてのモノが、自分なのは、当然です。
このように、現に、今、存在している、あなたは、すべての全てです。
ということは、あなたは、神であるということです。
なぜなら、神は、すべての全てだからです。
2015.11.01
私は、常々、“外側に意識を向けるのではなく、内側に意識を向けて欲しい ”、と言っていますが、その重要さを、知る者は、少ないのです。
外側の世界(物質世界・幽界)は、幻の世界です。
そんな、幻の世界に意識を向けても、そこからは、何も得られないのです。
得られるとしたら、闇だけ、虚しさだけ、迷いだけ、苦しみだけです。
それに比べ、内側の世界(光の世界・意識の世界)は、真実の世界です。
すなわち、エネルギーに満ち溢れた世界、光に満ち溢れた世界、幸せに満ち溢れた世界です。
そこに、意識を向ければ、エネルギーが、光が、知恵が、喜びが、入ってくるのです。
だから、私は、内側に意識を向けて欲しいと願うのです。
どうか、本当にある真実の世界に、意識を向けてください。
内側に意識を向ける、と言う意味は、瞑想をする、という意味です。
2015.11.08
この世の物・お金・地位・名誉・権力が、幸せを与えてくれるのではありません。
また、誰かが、幸せを与えてくれるのでもありません。
また、この宇宙の何処かに、幸せの場所があるのでもありません。
ましてや、肉体が幸せを、与えるのでも、受け取るのでも、ありません。
自分の想念が、幸せを与え、自分の心が、幸せを受け取るのです。
誰も、想念を重要視しようとしませんが、想念ほど、偉大なモノはないのです。
それは、良い想念を持つのか? 悪い想念を持つのか? 次第なのです。
宇宙一の幸せ者になりたかったら、ぜひ、良い想念を持ってほしいものです。
2015.11.15
自己完結型の宇宙には、一様の存在者しかおりません。一様の存在者しかいないなら、今、現に、存在している人間は、その一様の存在者なのは、当然でしょう。
その一様の存在者を、神と呼ぶなら、「人間が神である!」というのも、また、当然ではありませんか?
一様の存在者が、何かを生み出すには、その一様の存在者が、そのモノになるしかないでしょう。
なぜなら、自分の他に、そのモノになってもらえる者は、いないからです。
また、自分しかいないなら、自分が産みだしたモノを成長させるには、自分で成長させるしかないでしょう。
また、自分しかいないなら、自分で生み出したモノを終わらせるのも、自分でやるしかないでしょう。
人間は、一様の神が産み出した自分自身です。
つまり、1が1を産みだした自分自身です。
この事実は、否定できません。
自己完結型宇宙は、元数1を肯定し、一様の神を肯定し、さらに、人間が、神であることを肯定しているのです。
一様の存在者しかいないとは、そう言う意味なのです。
2015.11.22
出家した、仏門に入った、という人がいますが、外側だけ人間を捨てても、内側の人間を捨てない限り、「出家した!、仏門に入った!」とは言わないのです。
外側の格好などは、どうでもいいのです。本当の出家人とは、この世の、しがらみや、欲や、情を、捨て去った人のことで、それは、家を出なくてもなれるのです。
格好だけの出家人にならないでください。
中身のない出家人にならないでください。
普段の生活の中で、常に、神に意識を向ける出家人になってください。
2015.11.29
この宇宙で確かなことは、結果を生み出すことのできる者のみが、「原因なき原因者」になれるという真実です。
結果を生み出せない者が、どうして、「原因なき原因者」になれるでしょうか?
結果を生み出せないのは、原因者としての能力が無いからです。
神は、結果を生み出せる偉大な能力を持った存在者ですが、私たちも、結果を生み出せる偉大な存在者なのです。
それは、結果を生み出せる偉大な想念力を持っているからです。
偉大な想念力を持っている、私たちは、原因なき原因者と呼ばれるに相応しい存在者なのです。
ただし、今の私たちは、原子核の量が少ないため、小さな結果しか生み出せない、発展途上の「原因なき原因者」です。
でも、原子核の量が多くなった暁には、神に近い原因なき原因者、すなわち、神人になれるのです。
2015.12.06
神が、モノを創る場合、神が、そのモノになるしかないのです。
つまり、原因者である、神、自らが、結果体である、そのモノになるしかないのです。
なぜなら、この宇宙に、神の他は、何も無いからです。
結果と原因のどちらが先か? という論争が無意味なのは、結果体と原因者は、同じモノだからです。
結果体と原因者が、同じモノだと深く思えたら、どちらが先でも良くなるのです。
私は、よく、意識がモノを生み出している、という言い方をしますが、原因者である神と、結果であるモノが、同じ神ならば、モノが意識を生み出している、と言っても、何も不思議でもないでしょう。
なぜなら、原因者(神)だけでは、原因なき原因者なる資格が無いからです。
結果の生み出せない原因者など無意味です。結果を生み出してこそ、原因者の存在価値が生まれてくるのです。
だから、私は、結果体と原因者は、同等の価値があるというのです。
ならば、結果体(人間)が、原因者(神)を生み出している、といっても言い過ぎではないでしょう。
「結果をいじって、原因を変える」(逆も真なり)の現代医療も、頷けるというものです。
結果体が、結果体を生み出せない無能さは分かっていますが、結果体がなくては、原因者の存在も無意味なのですから、やはり、結果体と原因者は、同等の価値があるのです。
2015.12.13
原因は、見えずとも、結果は、必ず、見えます。形として、現象として、痛みとして・・・苦しみとして・・・悲しみとして・・・。喜びとして・・・幸せとして・・・。
だから、私たちは、結果を見て反省し、襟を正す(原因を正す)ことができるのです。
これが、神の法の素晴らしいところであります。
痛みや、苦しみは、業の消えてゆく姿ですから、放っておけばいいのです。
掴んで離さないから、いつまでも、苦しみが無くならないのです。
「ああ、今、業が、消えている! 消えている!、苦しみよ、ありがとう!」と、感謝の思いで包み込んでください。そうすれば、どんな苦しみも癒えます。
大切なのは、苦しいからといって、業の上塗りをしないことです。
2015.12.20
意識を意識している、もう一つの意識があります。
その意識は、一体、誰なのでしょうか?
その意識は、未だかって、一度も、自分から離れたことのない意識です。
その意識こそ、神であり、本当の自分ではないでしょうか?
そう・・・意識を意識している意識、その意識が、本当の自分なのです。
つまり、神なる自分なのです。
だから、
意識を意識している自分を見ること・・・
意識を意識している自分を感じること・・・
意識を意識している自分を想うこと・・・
意識を意識している自分に生きること・・・
意識を意識している時は、本当に生きていることになるのです。
それは、実在している、確かなものを意識しているからです。
つまり、神を意識しているからです。
さあ、神を意識してください。神を瞑想してください。
2015.12.27