ボディーの私が、私と思っているのか?!
生命の私が、私と思っているのか?!
本当の自分を発見する手掛かりは、そこにある。
たとえ、身は、汚しても、心(魂)まで、汚してはなりません。
身は、一時の自分ですが、心(魂)は、永遠の自分だからです。
人間を不自由にするもの・・・・それは、無知という鎖錠です。
無知が暴走を生み、暴走が新たな鎖錠(法律)を生み出し、その鎖錠が人間を不自由にするのです。
人間を自由にするもの・・・・それは、知恵という鍵です。
不自由が疑問を生み、疑問が知恵をもたらし、その知恵が人間を自由にするのです。
人を変えることは、できません。
また、人を諭すことも、できません。
しかし、自分を変えることは、できます。
あなたが変われば、世界は変わります。
あなたは、あなたの世界の主だからです。
一人ひとりが、自分の世界を変えれば、黙っていても、世界は、変わるのです。
世界を変える方法は、唯一、自分の世界を変えることなのです。
外側の革命を成すより、内側の革命を成すほど、偉大な革命は、ありません!
なぜなら、外側の世界は、幻なのに対して、内側の世界は、真実だからです。
宇宙が有って、自分が有るのではありません!
自分が有って、宇宙が有るのです。
宇宙は自分であり、自分は宇宙だからです。
匠の技を知るのは、真に匠の技に近づいた者だけです。
真理を理解するのは、真に真理に近づいた者だけです。
自分を大切にする者は、全体を大切にする利他愛者です。
全体を大切にする利他愛者は、自分を大切にする者です。
自分は全体であり、全体は自分だからです。
" どんな出来事にも、必ず、意味がある!" と思って生きる者の成長は、竹林のごとし・・・。
人が人を生むなら、それは、人かもしれない。
だが、神が人を生むのだから、人は神であるはず・・・。
自身を知りましょう! さすれば、神と対面できるでありましょう。
なぜなら、神は汝自身であり、汝自身は神だからであります。
私たちは、何かして、生命(神)になるのではないのです。
何もしなくても、このままで、生命(神)なのです。
ただ、生命と想えるか、想えないか、それだけの話です。
「真理は汝を自由ならしめん!」
真理を知れば、この世のモノに囚われなくなるからです。
囚われは、不自由な状態なのです。
「逆も真なり、真も逆なり・・・」これは、真理です。
それは、真・善・美を枕とする宇宙において、完全以外無いからです。
完全の中には、悪も、不善も、不完全もないのです。
ゆえに、すべて善しです。すべて善しと言うことは、逆も、真理と言うことです。
宇宙は、掴みどころが無いのです。掴んだと思っても、スルリと抜けてゆくのが、宇宙なのです。
それは、宇宙が無限だからです。無限には、「限」界が「無」いのです。
限界が無いということは、頭打ちが無いということです。
頭打ちの無いものは、掴みようが無いのです。
2014.12.21
多は、一の表現であり、一は、多の本源です。
形は、意識の表現であり、意識は、形の本源です。
影は、光の表現であり、光は、影の本源です。
人間は、神の表現であり、神は、人間の本源です。
ゆえに、すべてのモノは、
多なるものでありながら、一なるものであり、一なるものでありながら、多なるものであり、
形あるものでありながら、意識なるものであり、意識なるものでありながら、形あるものであり、
影なるものでありながら、光なるものであり、光なるものでありながら、影なるものであり、
人間なるものでありながら、神なるものであり、神なるものでありながら、人間なるものなのであります。
2014.12.28