人を助けることは、絶対できません。このことは、学びの友の皆さんに、強く言っておきます。
本人が体験して、魂を大きくし、自分の過ちに気づいて、自分を助けるしか無いのです。人助けは、回り道をさせるだけです。
この宇宙は、他力で成長するようにはできていないのです。
なぜなら、体験なしに成長できないからです。
例えば、人の苦しみを取ってあげたとしましょう! その人は、苦しい体験の学びをしていないわけですから、来生、また、同じ苦しみを体験させられるのです。
未熟な魂には、埋めるべき穴(課題)が、沢山あるのです。その課題を他人が奪っては、穴が埋まっていないので魂の進化が遅れるのです。それは、人助けではなく、人を虐めたことになるのです。
「手を伸ばせば、溺れている人を助けられるのに、放っておけと言うのですか? 」と、あなたは、反論するかも知れません。 いいえ、助けてあげてください。
なぜなら、肉体を失っては、学びができなくなるからです。私は、肉体のことを言っているのではないのです。魂のことを言っているのです。
でも、死ぬべきにして死ぬ人は、助けあげても、いずれ、死ぬのですから、危険を犯してまで、助けることはないのです。勿論、簡単に助けられるのなら、助けてあげてください。
でも、命を張ってまで助けるのは、中庸から外れている助け方です。
このように言うのは、真理を学んでいる皆さんだからです。
一般の人は、身を犠牲にして助けても良いのです。
なぜなら、その時、助けようと思ったのは、必然の思いであり、そこに、学ぶべき教材があったからです。
体験だけが、魂を進化成長させるのです。「体験なしに成長は無い!」ことを知ってください。
2020年1月1日 更新
※ アドバイスを望んだら、アドバイスしてあげてください。
でも、人のアドバイスに従ったように見えても、最終的には、自分の思い通りに生きているのです。私たちは、自分の思い通りにしか生きられないのです。
でも、アドバイスのチャンスが与えられているなら、アドバイスしてあげてください。与えられたチャンスは、必然だからです。
でも、アドバイスしても、疎まれるのが落ちです。
よく、知ったふりをして、御託を並べる人がおりますが、この宇宙は、解らないことだらけなのです。今、知ったと言うのは、宇宙のほんの一部を知っただけで、全部を知ったわけではないのです。それは、そうでしょう。宇宙は、無限なのですから・・・。
無限を知ることなど、永遠にできないのです。しかも、心の底で知らなくては、その一部さえも、知ったことにはならないのです。
ましてや、あなたが知った世界は、上面の世界ですから、意味がないのです。心の底で知ってこそ、つまり、自覚してこそ、本当に知ったことになるのです。
講釈、能書き、道理、心得、説明、そんな御託では、意味がないのです。「ああそうか!」と自覚ができて、はじめて、自分のものとなるのです。
自分のものとなると言う意味は、自分が変わると言う意味です。自分がそのものになるという意味です。
つまり、自分が、宇宙そのもの、神そのものになる、と言う意味です。
2020年1月15日 更新
※ 永遠に、「真理を・宇宙を・神を・本当の自分を・知ることができない!」と、公言した人は、少し知った人です。
「真理を・宇宙を・神を・本当の自分を知った!」と、公言する人は、何も知らない人です。
知りながら、何も言わない人は、深く知った人です。
※ 自我は、一時、存在する幻で、真実そのものではありません。
真実は、永遠に無くならない、真我(神我)です。
でも、自我がなければ、真我も無いし、真我が無ければ、当然、自我も無いわけですから、どちらも、大切な意識なのです。
この表現宇宙が、夢幻だと知った覚者は、自分の意識を楽しいところに置くことを常としています。
どんなモノを見ても、どんな物を触っても、どんなモノを聴いても、どんな物を味わっても、どんな匂いを嗅いでも幻ですから、そんな幻を追いかけても何の意味もないのです。いやかえって、様々な妄想を作り、心を汚すだけです。
私たちの意識は、常に穏やかな状態でありたいのです。楽しい状態でありたいのです。喜びの状態でありたいのです。 つまり、幸せの状態でありたいのです。
ですから、この世の物が、幻だと知った者は、幻を追いかけてはならないのです。
とは言っても、肉体を持って生きている限り、この世の物を無視して生きるわけにはゆきません。ある程度認め、ある程度の真剣さを持って生きねばなりません。
ある程度の真剣さを持ってとは、真心を込めてやりなさい! 真心を持って生きなさい! と言う意味です。いい加減に生きては、原子核が増えないからです。
今、多くの人たちが、物や、お金や、地位や名誉を求めて、真剣に生きています。真剣に生きることは、原子核を増やすので良いことですが、それを目的にすると、真の目的を見失ってしまうのです。物や、お金や、地位や名誉は、幻です。
つまり、この世のモノは、すべて、幻です。
幽界も、幻です。
夢も、幻です。
幻覚も、幻です。
蜃気楼も、幻です。
柳の木を幽霊と間違えたのも、幻です。
五感で感じるのは、みな、幻なのです。
そんな、幻に囚われて、自分の心を汚すなど、愚かです。
神が望むのは(意識が望むのは)、波立たない静けさです。静けさの中に、光が生まれ、安らぎが生まれ、喜びが生まれるのです。
どうか、心を鎮めてください。
心を鎮めるためには、良いことを思うことです。良いことを語ることです。良いことをすることです。
良いことの一番は、神(マントラ)を思い、語り、神の望む行為をすることです。
2020年2月1日 更新
現実の世界から、真実の世界へ抜け出す作業が、瞑想です。
でも、真実へ抜け出させないよう、邪魔してくるモノがあります。
見える物が、その邪魔モノです。
聞こえる物が、その邪魔モノです。
味わえる物が、その邪魔モノです。
臭える物が、その邪魔モノです。
肌で感じる物が、その邪魔モノです。
この五感が、真実へ抜け出させないよう邪魔してくるのです。
この邪魔な五感に打ち勝つのは、容易なことではありません。
でも、お釈迦様やイエス様が、打ち勝ったように、皆さんも、打ち勝たねばなりません。何も難しいことはありません。瞑想すれば、良いのですから・・・。社会体験すれば、良いのですから・・・難しいことがあるとすれば、やり続ける根気です。
私たちは、一日も早く、現実の世界から、真実の世界へ抜け出さねばならないのです。
そのためには、自分は、「神であった! 宇宙であった! 意識であった! 」と、心の底で思える意識状態にならねばなりません。
確かに、この意識状態になるのは、難しいかも知れませんが、瞑想し、原子核が有る一定量、集まれば、自動的に思えるようになります。
そうなったら、真実の世界へ抜け出すことができます。焦ることはありません。着実に一歩一歩、進むことです。
つまり、日々、二つのことを、やることです。
2020年2月15日 更新
表現宇宙は、細胞分裂方式によって創られました。
つまり、元数1が、分数2に、分数2が、分数4に、分数4が、分数8に、分数8が、分数16に、と言った、ネズミ算式に分裂し出来上がったのです。
一つ一つ増えていったのでは、永遠の時が、かかったでしょうが、ネズミ算式に増えていったので、今のような宇宙が出来上がったのです。
この原理は、無限の核が一つの核に集約されることにも使われているのです。
つまり、一人の人が、二人の人を悟らせる、二人の人が、四人の人を悟らせる、四人の人が、八人の人を悟らせる、と言った、自乗の悟りによって、宇宙は、収斂してゆくのです。
2020年3月1日 更新
私が、神に頭を垂れる理由は、
第一に、
第二に、
第三に、
第四に、
そして最後に、
愛を与えれば、愛が帰ってきます。
憎しみを与えれば、憎しみが帰ってきます。
優しくすれば、優しくされます。
虐めれば、虐められます。
この仕組は、決して、狂うことはありません。それも、平等にです。
でも、その体験が、魂を成長させるのです。
それは、そうでしょう! すべては、我が子なのですから・・・。
2020年3月15日 更新
よく、人の顔の表情を百面相に例えますが、神は、百面相どころか、無限面相を持っているのです。
なぜなら、宇宙には、無限の角度があるからです。
その神の表情は、面白いことに、角度を変えて見れば、微妙に変わってくるのです。
と言うことは、無限の角度を持つ無限宇宙では、神の顔の全部を見ることは、永遠にできないと言うことです。
でも、角度を変えて多く見れば、神の面相が、はっきりとしてくることは、間違いありません。
つまり、神の側面を、多く知れば、知った分、神の正体が、はっきりしてくるのです。
しかし、それでも、薄っすらと、何となく、ボヤッーと、です。
それが、無限面相を持つ(無限の側面を持つ)、神の深遠なところなのです。
ですから、私たちは、永遠に、はっきりとした、神の顔を見ることは、できないのです。
でも、それだから、楽しみなのです。
2020年4月1日 更新
※ 宇宙には、無限の角度があるのです。
無限の角度があるから、無限の角度から探れて、無限の気付きが起きるのです。
無限だから楽しいのです。
※ 以前、私は、今の地球は、腐敗が進んでると言いました。
なぜ、腐敗が進んでいるかと言いますと、空気の汚れ、水の汚れ、土の汚れが、進んでいるからです。もちろん、その原因は、人類にあります。
どうして、不衛生の場所に、菌や、蚊や、ハエや、ゴキブリや、ネズミなどが、発生するのでしょうか?
それは、あなたたちは、不衛生なものを、たくさん出してますよ!という、自然界からの警告なのです。
目には、見えませんが、空気中には、たくさんの菌が浮遊しているのです。
その菌たちは、空気が汚れれば、活動が活発化するのです。水が汚れても、同じように、水中の菌たちの活動が活発化します。土が汚れても、同じです。
汚れたら、汚れたぶん、菌や虫たちが多く発生し、そして、活発化し、人類に警告してくるのです。
人類は、菌や虫たちを嫌いますが、彼らは、人類のために、一生懸命、働いてくれてるのです。人類は、未だに、そのことに気づいていないのです 。
水や空気や土が、汚れるのは、人類の心が、汚れているからです。
良い家に、住みたい!
良い車に、乗りたい!
美味しいものを、たらふく食べたい!
この欲望が、人の心の汚れであり、地球環境の汚れなのです。
今、人類は 、コロナウイルスの蔓延によって、苦しんでいますが、これは、自然界が、人の心の汚れを教えてくれている、現象の一つなのです。
そのことに、1日も早く、気づいて欲しいと思います。
自分の意識の正体は、分からないけど、自分の意識がある事実は、否定できません。
何せ、自分の意識が、自分の意識を感じているのですから・・・この分からない自分の意識は、一体、何なのでしょうか? でも、分からない???・・・ 永遠に分からない???・・・ 分からないから、自分の意識に、神と言う名を付けるしかないのです。
(神とは、分からないモノにつけられた、代名詞です。)
神が、永遠の謎であるように、自分の意識も、永遠の謎なのです。
その永遠の謎の「自分を・神を」探ってゆく旅が、悟りの旅なのです。
2020年4月15日 更新
※ 科学者は、神の名を嫌います。それは、研究しても、分らないからです。
でも、分からないモノを研究するのが、科学者の役目ではありませんか?
しかし、科学者は、分からないモノを宗教に任せ、逃げているのです。
神の名が嫌いなら、分からないモノに、Xと言う名を付け、研究したら良いのです。
地球で、Xの研究をし始めたら、地球人類は、間違いなく、成長するでしょう。
鉱物・植物・動物の体験によって、原子核が大きくなるとか、原子そのものが進化すると言った言葉は、客観から生まれた表現です。
主観からは、そんな言葉は、生まれません。
なぜなら、大きくする必要が無いからです。すべて整っているのが、主観の世界だからです。進化完了の完全世界が、主観の世界だからです。
そこには、何もないのです。ただ、私と言う主観の意識があるだけです。
その主観意識が、何かを感じたら、それは、もう、客観の世界です。
主観意識が、何を見ても、何を感じても、客観の世界なのです。
主観意識には、自分を現す手立てがありません。何も表現できないのが、主観意識だからです。
それは、私・私・私・・・と、辿っていっても、絶対に掴めないのが、主観の発信元(源)だからです。
その発信元が、どうなっているのか、何を考えているのか、何を感じているのか、どんな思惑を持っているかは、絶対に分からないのです。
絶対に、掴みようがない、分かりようがないのは、そもそも、主観意識は、表現の範疇にないからです。
つまり、意識が意識だけだったら、存在の範疇にないのです。
存在の範疇にないものを現そうと言う考えは、矛盾です。
「主観とは、現せないもの、表現できないもの、」と、定義することさえできないのが、主観なのです。何の対象物にもならないのが、主観なのです。
ですから、主観と言う言葉が使えないのです。主観と言ったら、もう、それは、対象物だからです。対象物として扱うことができないのが、主観なのです。
主観と言ったら、もう、主観ではなくなってしまうのですから・・・だから、主観の話は、永遠にできないのです。ただ、黙っているしかないのが、主観なのです。
でも、主観意識は、厳然として実在しているのです。
では、実在している主観意識が実在していると、分からす方法が、何かあるでしょうか? ありません。ただ、実在していると主観意識が解ったら、それで良いのです。主観者が、そう思えたら、それで良いのです。
主観だけが実在し、それだけが真実ではあるけど、その主観を「この主観だけが、真実ですよ」って言おうと思ったら、客観的な言い方になるのですから、黙っているしかないのです。
2020年5月1日 更新
※ 意識に慣れが生じると、意識に抗体が生まれます。
それによって、ウイルスの活動が抑えられます。
ウイルス菌は、明るい心の人の中には住めません。
ですから、常に、明るく、朗らかな心を持つことです。
夏になると、太陽光線が強くなりますが、これも、ウイルスを抑える効果を、もたらします。辛いもの、しょっぱいもの、これも、ウイルス菌の繁殖を抑えます。
ウイルス菌は、清いモノの中には、繁殖しません。
ですから、空気が清く、水が清く、土が清ければ、ウイルス菌は、生まれないのです 。
空気を汚し、水を汚し、土を汚しているのは、汚れた人の心ですから、人の心が清ければ、ウイルス菌は、生まれないのです 。
ネガティブな心を持っている人のところに菌が入ると繁殖します。
ポジティブな心を持っている人の中に菌が入ると余り繁殖しません。
重症になる人とならない人がいるのは、そのためです 。
生命力が強いと、菌は繁殖しません。生命力が弱いと、菌は繁殖します。
これは、エネルギーの強弱に関係するので、当然のことです 。
色々な条件が重なって現象が生まれるので、一概に言えませんが、おおよそ、こう言う要因が絡み合って病気のうねりが進むのです。
人口密集地に、病気が広がるのは、物理的に言って当然ですが、“自分は意識である! 自分は光である!” と言う、自覚を持っていれば、密集地にいても、恐れることはありません 。
どうか、“私は、意識である! 意識である! 意識である! 私は、光である! 光である! 光である!” と、常に想ってください。
※ 経済活動が抑えられると、空気が綺麗になるので、ウイルスの活動が鈍ります。
今、地球は、経済活動がストップしているため、少しずつ、空気が綺麗になっています。でも、いつまで、経済活動が抑えられるでしょうか?
経済が縮小すれば、コロナウイルスも縮小するのです。
神は、姿形のない感覚にかからない存在ですから、神を知ることはできません。
では、神を知ることを、諦めるしかないのでしょうか?
いいえ、神は、次のような考えを持って、自分を知ってもらおうとしているのです。
一つは・・・まず、神を神秘的な存在にし、その存在に、神の名を付けさせ、その名によって、神を知らしめようと言う方法です。
そのためには、神を偉大な存在に仕立て上げなくてはなりません。
だから、神は、壮大な宇宙や自然を創造し、「神とは、このように、すごい存在なのですよ!」と、私たちに見せつけているのです。
もう一つは、人間に、神と同じ想念を与え、様々な想念の体験をさせることによって、「あなたたちも、私と同じ想念を持っているのですよ!」と、想念の偉大さを通して、神の存在を教えているのです。
これは、神の苦肉の策です。
でも、その苦肉の策に、人間を陥れなければ、神を認めてもらうことができないのが、この不可思議な宇宙なのです。
2020年5月15日 更新
※ 地球では、色の識別のできない人を、色弱者とか、色盲人とか、言っております。
なぜ、地球には、そのような人がいるのでしょうか? (地球に色盲の人は、3%から5%いると言われています)
この世の物には、みな、色が付いています。 色が付いているから、見えるのです。色が付いてなければ、見えないのです。
私達は、その色を見て、物の存在を認識しているのです。
しかし、その見える物(色)の反対には、見えないモノ(空)があるのです。
お釈迦様は、こう言われました。〔色即是空・空即是色〕と・・・ すなわち、物質は、空に外ならず、空は、物質に外ならずと!
私たちは、見える物(色)を通して、見えないモノ(空)の存在を知らなければならないのです。
しかし、今の人類は、 全く、そのことを知らないのです。と言うことは、地球人類は、全員、色盲人であると言うことです。
神は、色盲人のために、補色と言う現象を与えてくださいました。
赤をじっと見て、視点を横にずらすと、青が見えます。
黒をじっと見て、視点を横にずらすと、白が見えます。
補色は、赤の背後には、青があり、黒の背後には、白がある、と言うことを教えてくれているのです。
この補色の意味を深く理解すると、人間の背後に、神がいることが解るのです。
人間は、見える物(色)です。神は、見えないモノ(空)です。
人間をじっと見ていると、補色である神が見えるようになるのです。
だから、私たちは、毎日、見える人間を見て、見えない神を知ろうとしているのです。
補色は、神を知るために必要な道具なのです。
私たちが肉体を持って生まれてくるのは、不動心を築くためです。
現象に心が惑わされなくなった状態が、不動心なのです。
でも、なかなか、そのような心の状態になれません。これは、肉体に備わっている五感が、現象を本物のように見せるからです。
本当の自分は、(意識・魂 ・心)です。その本源は、絶対動かない神です。
私たちは、自分の心が、絶対不動の神であるという自覚を持つまで、現象の世界に出てこなければならないのです。
現象の世界で惑わされているうちに、やがて、不動の心が築き上げられます。
皆さんが、日々、体験している出来事は、みな、現象です。
悩んだり、心配したり、恐怖する、価値のない現象(幻)です。
どうか、現象に惑わされない不動の心を築いてください!・・・。
2020年6月1日 更新
※ これまで、何度も言ってきましたが、私たちは、「思っている通りのもの! それ以上でも以下でもない!」のです。
私たちは、自分の想念で何でも作ってしまうのです。
この世のことに想念を使えば、この世のことが作られます。
神に想念を使えば、原子核が増えます。
どうか、想念を永遠に残るものに使ってください。
自我にとって都合の良いことは、真我にとって都合の悪いことです。
真我にとって都合の良いことは、自我にとって都合の悪いことです。
自分に都合の良いことは、相手にとって都合の悪いものです。
相手にとって都合の良いものは、自分にとって都合の悪いものです。
これは、相対世界では、止む得ぬことで、また、それで良いのです。
相手の損得と自分の損得を体験することによって、成長できるからです。
損得関係を体験する内に、損得のないことを知ります。
なぜなら、外側の相手が自分だということが分かるからです。
そうなったら、どちらが、損しても、得しても、良いわけですから、損得に拘らなくなるのです。
意識の世界においては、損得はありません。意識は、一つしか無いからです。
自我も、真我も、一つですから、表面上、都合の良い悪いがあるように見えても、深部では、一つにつながっているのですから、全て、都合の良いことなのです。
2020年6月15日 更新
※「 主導権を握っているのは、想念を持っている、あなたです。」
あなたは、想念を持っています。その想念を使って、あなたは、相手を創り、世界を創り、宇宙を創り、自分の人生まで創っているのです。
般若心経を書いてる人に、功徳があると言われるのも、道を極めてる人に、功徳があると言われるのも、やっていること自体に、功徳がなくても、悪い想念を持たないことが、功徳を生み出しているからです。
これは、神秘ではなく、 あくまでも、[原因と結果の法則]によるのです。
働いている人と、家でゴロゴロしている人と、どちらが幸せになると思いますか? 言わずもがなですよね!
それは、働いている人は、仕事に集中しているので、悪い想いは持てませんが、家でゴロゴロしている人は、暇なので、色々な、悪い想いを持つからです。
人生の主導権を握っているのは、想念を持っている、あなたです。
どうか、想念を良く使ってください 。
そうすれば、あなたの人生は、万々歳です。
皆さんは、日々、何に生きておりますか? 意識に生きていますか? 肉体に生きていますか? 全員が全員、肉体に生きているのではありませんか?
肉体に生きれば、物が入ります。お金が入ります。地位や名誉や権力が入ります。
それを得るためには、肉体も、精神も、酷使しなければなりません。常に、心配、恐怖に悩まねばなりません。そうなると、心穏やかに生きられません。
でも、意識に生きてみてください。何もいらないので、苦労がいりません。
意識に生きるには、自分の本性が意識であることを、心の底で自覚しなくてはなりません。
そのためには、瞑想が必要なのです。
瞑想は、根気がいります。集中力が必要です。努力も必要です。
だから、私たちは、忍耐力や、集中力や、向上心を、養うために、肉を持って、この荒野に出てきたのです。
この世で成していることは、すべて、瞑想に必要な下地を作るための方便です。
方便ですから、余り悩むことはないのです。
この事を知った上で、日々、生きてください。穏やかに、生きられるはずです。
2020年7月1日 更新
※ 殆どの人が、神の存在を否定します。特に、科学者は、ガチガチの唯物論者です。
その唯物論者である科学者は、この世を真実だと思っています。
真実だと思っているから、この世の物を研究するのです。
でも、どんなに研究しても、この世の物は、必ず、消えて無くなってしまうのです。
では、消えて無くなると知りながら、なぜ、消えて無くなる物を研究するのでしょうか?
それは、消えて無くなる物の背後に、無くならないモノ(意識)があることを、薄々感じているからです。
と言うことは、唯物論者は、唯心論者であると言うことです 。
しかし、唯物論者は、そのことに、気づいていないのです。
そして、相も変わらず、“神などいない!”と、嘯くのです。
見える物の背後には、必ず、見えない意識(真実)があるのです。
その見えない意識(真実)は、永遠に無くなることはないのです。
この事実を、再認識しましょう!
世の中には、「心配・恐怖・怒り・憎しみ・恨み」などで、自分の心を汚している人がおりますが、それは、真理を知らないからです。
一番大切なのは、自分の心を汚さないことなのです。
なぜなら、外側の物は、幻ですが、内側の心は、本当に有るものだからです。
幻は、一時ですが、心は、永遠なのです。
その永遠の心を、一時の幻で汚すことほど、罪なことはないのです。
なぜなら、心は、自分の心でありながら、神の心でもあるからです。
神の心を汚すほど、罪なことは、無いのです。
この宇宙には、たった一つの心があるだけです。
その一つの心は、無限の心に分かれているのです。
でも、本源の一つの心につながっている、心なのです。
一であり、多なのが、心なのです。
自分の心しか無いように見えているけれど、それは、沢山あるし、また、一つの心なのです。
傘の絵を思い出してください。傘の頂点は、一つです。
でも、傘には、沢山の枝があるのです。
2020年7月15日 更新
※ この地球を救えるのは、 瞑想できる、皆さんだけです。
皆さんは、光の戦士なのです。
皆さんが、神を想っている時は、自分の原子核を増やしていると同時に、地球を浄化しているのです。
神を想っていれば、コロナウイルスも、事故災難も、寄ってくることはできません。
なぜなら、光の中に、闇は、入ってこれないからです。
どうか、歩いている時も、電車に乗っている時も、車に乗っている時も、買い物している時も、仕事をしている時も、家に居ている時も、神を想ってください。
こう言う時だからこそ、なお、瞑想が必要なのです。
瞑想を軽んじてはなりません。
私たちが求めるべきことは、本当に有るモノを知ることです。
本当に有るモノを知るには、相反するものを作らなくてはできません。
一つでは、本当に有るモノを知ることができないからです。
相反するモノを対比させ、はじめて、本当に有るモノを知ることができるのです。
だから、私たちは、自分の意識の中においても、相反するものを作らねばならないのです。
真は、偽と・・善は、悪と・・美は、醜と、相対させて、はじめて、生まれるのです。
真も、善も、美も、一つだけでは、無いのです。
だから、偽や、悪や、醜が、必要なのです。
必要だということは、それらのモノは、みな、良いモノであるということです。
繰り返します。
相反するものがあって、はじめて、二つの存在が明確になるのです。
でも、これで、終わっては、成長がありません。
二つのものを、対比させ、そこから、本当に有るものを発見しなくてはならないのです。
本当の有るものとは、右でも、左でもない、真ん中にあるモノです。
つまり、神でも、人間でもない、本当に有る「神人」です。
このことを、知るために、この宇宙には、相反するものが、置かれているのです。
2020年8月1日 更新
※ あなたを、護ってくれるのは、銃でもありません。 頑丈な建物でもありません。 エアーバックでもありません。薬でも医者でもありません。
あなたを、護ってくれるのは、あなたの想念です。
神(マントラ)を、想い続けてください! 瞑想してください !
それが、一番の安全装置なのです。
神の存在を認めれば、二度と過ちを犯さなくなります。
反省すれば、心の曇りが取れ、二度と過ちを犯さないようになります。
自分の中に原因を見出そうとしますので、早く成長できるのです。
その人は、他人の痛みを自分の事として受け取れるようになりますので、思いやりが深くなります。
このように、バチが当たったと思える人は、自分を戒め、他人を許し、反省する心を持ちますので、早く成長できるのです。
だから、バチが当たったと思える人は、幸い人なのです。
2020年8月15日 更新
※ 人を陥れ、自分が陥れないはずがないのです。
なぜなら、人は、自分であり、自分は、人だからです。
人を陥れる計画をしている人は、自分の目の前で、人を陥れる計画をしているのです。
これは、愚かな人がする、滑稽な話しです。
その人は、誰も知らないと思って計画しているのでしょうが、裁判官の前で計画をしているのですから、見え見えなのです。
今人類の寿命は、100年、そこそこですが、神は、そんな僅かな寿命を与えていません。
宇宙の法則を知り、想念を正しく使ったら、何万年も生きられる、頑健な体を与えているのです。地球人類が、短命なのは、想念の使い方が下手だからです。
私たちの身体は、動けば、動くほど、気が充実し、元気になるよう創られているのです。
不元気にしているのは、人類が作った誤った概念と、その概念を信じた弱気の想念です。
肉体は、サタンなのです。サタンは、怠け者なのです。肉体を動かしたくないのです。楽をしたいのです。
サタンに負け、弱気になると、エネルギーが入って来なくなるので、ますます、体を動かしたくなくなるのです。
サタンは、原子核が増やされては、自分の居場所が無くなるので動かないよう邪魔してくるのです。そんな、サタンの策略に、負けないでください。
弱気に、負けないでください。気持ちを強く持って、サタンを退けてください。
あなたの身体は、チョットやソットで、音を上げるような身体ではないのですから・・・あなたの気弱な思いが、身体を弱くしているのです。
何事も、気持ちの持ちようです。気持ちを強く持てば、身体は、元気になるのです。
どうか、弱気を誘うサタンに負けないでください。
2020年9月1日 更新
サタンに、やられやすい人とは、一言で言って、心の弱い人です。
具体的には、
心を強くするには、嫌なことから、逃げないことです。煩わしいことから、逃げないことです。身体を多く動かし、汗をかくことです。
それは、難しいことではありません。肉体を維持する上で、当面、やらなければならないことを、やれば良いだけですから・・・。
それには、強い意志と勇気がいるでしょうが、でも、原子核が増えると思えば、やれるものです。
そうです。私たちは、原子核(魂)を大きくするために生まれてきたのです。
その目的の前に、少々の苦難など、どうってことありません。
ぜひ、原子核を大きくして帰ってください。
人生は、そのためにあるのですから・・・。
2020年9月15日 更新
※ 私たちは、霊性の進化を遂げて帰らねばなりません。
その為には、この表現世界で、様々な体験をして、強い霊にならねばなりません。
この表現世界で、何をなしたかが、大切なのではなく、どれほど、強くなったかが、大切なのです。
動画[私は星]
当たり前になっていて、疑問を持たないかもしれませんが、皆さんは、今の地球が、まともだと思いますか?
毎日のように、殺人があり、自殺があり、テロがあり、事故があり、自然災害が起きています。
テレビニュースの殆どは、悪いことばかりです。良いニュースなど、見たことがありません。
無理もありません。テレビで放映されるドラマの殆どが、殺人事件を扱う刑事モノや、殺し合う時代劇や、西部劇など、凶悪なモノばかりなのですから・・・そんな、ドラマを見て、まともな子が育つと思いますか?
今の地球人は、事件・事故・災害が起きることが、当たり前だと思うほど、麻痺してしまっているのです。それほど、地球は、野蛮な星だと言うことです。
2020年10月1日 更新
※ 原因と結果の法則は、 天罰の法則でもあります。
今、人類は、[痛い、苦しい!]を体験していますが、これは、人類自らが、自らを罰している、天罰なのです。
なぜなら、人類そのものが、天であり、法則そのものだからです。
神のメロディ [何を見ても神!]
真理をやっている人の中に、無理に今の環境から出たがる人がおりますが、「無理」はいけません。
なぜなら、「無理」とは、「理」が「無」いと言う意味ですから、「理」の「無」いことをすれば、必ず、お返しがくるからです。
無理をしなくても、原子核が増えれば、自然と学びやすい環境が与えられるのですから、それまで、二つのことをやって、待ったら良いのです。
どうか、背伸びせず、自然な真理の求め方をしてください。
神は、自然体で、楽しく、真理を求められるようにしてくれているのです。
だからと言って、現状に甘え、何もしないでいては、何も得られません。
私が、二つのことをやりながら、環境の変化を待ちなさい、と言うのは、努力してこそ、得られるからです。
つまり、
「真心を込めて、今、やるべきことをやる!」
「真心を込めて、瞑想する!」
この二つは、原因を作っているわけですから、必ず、結果が得られるのです。
何もしないで祈っている人は、科学人ではありません。
真の求道者は、科学人です。
どうか、科学的生き方をしてください。
2020年10月15日 更新
人生は、点・・・
命生は、線・・・
いのち(命)は 、閉じることはない! いのちの歌
自我が備えている審美の目は、独善的見方です。
真我が備えている審美の目は、総善的見方です。
独善的見方とは、「独りよがりの見方、自分だけの見方」という意味ですが、総善的見方は、「無限の見方、あらゆる角度から見た見方、どんなものにも当てはまる見方、一と無限の見方 」と言う意味で、宇宙のあらゆる意識が納得できる見方なのです。
と言っても、意識は、一つであり、無限ですから、本源の意識が備えている見方でもあるのです。
本源の意識が備えている審美の目、すなわち、神が備えている審美の目です。
神の目から見られるようになった人は、自然の美しさが、最高傑作品だと思えるのです。
自我の目から見ている人は、人間が化粧した美しさが、最高傑作品だと思えるのです。
でも、人間が作った美しさは、波動が低く、神が作った美しさは、波動が高いのです。
なのに、それに逆らい化粧している人は、最高傑作品に文句をつけている人です。
幼い魂は、身を飾ります。熟した魂は、身を飾りません。
だから、宝石で身を飾っている人や、勲章で身を飾っている人は、幼い魂なのです。
また、そのような飾り付けをした人を高く評価している社会は、幼い社会なのです。
どんなに、この世のものを飾っても、空しい飾り付けで終わってしまうのです。
なぜなら、この世の飾り付けは、みな、消えてしまうからです。
飾るなら、永遠に無くならない魂を飾ってください。
2020年11月1日 更新
宇宙の謎は、永遠に解りません。
でも、それで良いのです。解ったら、こんなつまらない宇宙はないからです。
宇宙は、無限です。永遠です。そんな宇宙を知ろうと思う方が、おかしいのです。
神を永遠に知ることができないように、宇宙も永遠に知ることができないのです。
私たちが、知るべきことは、ただ一つ・・本当の自分を知ることです。
でも、本当の自分を知ることも、永遠にできないのです。
なぜなら、本当の自分は、宇宙だからです。神だからです。
自分の意識を、「私、私、私・・・・」と、追いかけて行ってみてください。
どこまで追いかけて行っても、掴めないはずです。
それは、私たちの意識が、原因無き原因だからです。
原因無き原因と言うことは、私たちの意識は、神だと言うことです。
神だから、「私」を永遠に知ることができないのです。
でも、がっかりしないでください。本当の自分を知れないでも、幸せが掴めたら、それで良いのですから・・・。
どうでしょう・・・
難しいことを、たくさん知って、幸せになれますか?
お金や物を、多く得て、幸せになれますか?
地位や名誉や権力を得て、幸せになれますか?
なれないはずです。
それは、本当の幸せは、外側にないからです。
本当の幸せは、内側、つまり、自分の心の中にあるのです。
どうか、本当の自分を知ってください。
2020年11月15日 更新
※ あなたは、これまで、散々、人の悪口を聞かされました。
でも、それは、人の悪口を聞かされたのではなく、あなたの悪口(悪い所)を聞かされたのです。
新・光のメロディ「愛の道」
この世には、「背信」という言葉が有りますが、この「背信」の本当の文字は、「背神」なのです。
神を信じない人、あるいは、神に背いている人を、背神というのです。
あなたは、過去、神に背いて生きてきたかも知れません。
でも、過去の背信(背神)を悔やんで、自分を責めても、何の得にもなりません。
大切なのは、自分を責めることではなく、今の今、真剣に神を求めることです。
今、真剣に神を求めれば、過去の背神の罪は、許されるのです。
ただし、不純な動機で、神を求めてはなりません。
つまり、背神の過去から抜け出したいから、神を求めるのではなく、心底、神を求めたいから求める、純粋な動機で、神を求めることです。
過去を、クヨクヨ、悔やむことほど、愚かなことはありません。
今の一時を神に使う、賢い人になってください。
2020年12月1日 更新
※ 世の人々は、自業自得を、悪と決めつけていますが、自業自得は、決して、悪いことではないのです。
たしかに、痛い目に遭う部分だけ見たら、悪いようにみえるかも知れません。
でも、この宇宙は、裏と表を体験しながら、成長するようになっているわけですから、決して、悪いことではないのです。
つまり、自分が作った悪い原因によって、自分が痛い目に合い、目覚めるからです。
神は、完全です。その完全な神が、自業自得を、悪にするはずがありません。
自業自得の中に、神の愛が込められていることを知ってください。
※ 十字の法則とは、縦の線と横の線が交差した宇宙の法則です。
縦の線は、原因と結果の法則を示し、横の線は、陰と陽の法則を示しています。
縦の原因と結果の法則は、見えない想念の世界の秩序を保つための法則で、横の陰と陽の法則は、見える物質世界の秩序を保つために必要な法則です。
「背信(背神)行為」
神を信じない人、あるいは、神に背いて生きている人を、背神者と呼びます。
どうでしょう? あなたは、神に従順に生きていますか?
神に従順に生きるとは、良心に・・ 法則に・・忠実に生きると言う意味です。
今、多くの人達が苦しんでいるのは、背神行為をしているからです。
つまり、神(良心・ 法則)に 逆らって生きているからです。
神に従順に生きていたら、 神は、必ず、良きようにしてくれます。
どうか、背神者にならないでください。
神に・・良心に・・ 法則に・・ 忠実に生きてください。
そうすれば、あなたの人生は、万々歳です。
賢い人は、決して、神に逆らう生き方はしません 。
※ 私たちは、毎日、事故・災難・病気を見せられています。
なぜ、見せられるのでしょうか?
それは、「良心(神・法則)に 忠実に生きなさい!」と言う、
自分に対する、戒めのメッセージなのです。
外側で起きてる不幸を、 他人事と思わないでください。
見せられる度に、自分を戒めてください。
「神に生きる!!」
物質文明が発達し、「衣・食・住」が満たされると、人類は、極度な娯楽や快楽を求めるようになります。
なぜ、極度な娯楽や快楽を求めるようになるかと言いますと、真の幸せが欲しいからです。
しかし、真の幸せは、娯楽や快楽からは、得られません。
なぜなら、この世の娯楽や快楽は、飽きてしまうからです。
ですから、飽きないように、娯楽や快楽は、どんどんと味の濃いものにエスカレートしてゆきます。
すなわち、物質文明は、快楽快適を目指して、極度に発達してゆくのです。
追従するように、観光産業や娯楽産業などの経済が拡大します。
しかし、観光産業や娯楽産業の拡大は、地球環境を蝕むだけでなく、人の心まで蝕んで(堕落させて) しまうのです。
今、地球人類は、その道を辿っているのです。その行く先が、どうなるかは、推して知るべしでしょう。
人類が、どうして、このような道を辿るかと言いますと、人生の目的が分からないからです。
私たちは、娯楽や快楽を得るために、生まれてきたのではないのです。
本当の自分を知るために、生まれてきたのです。
本当の自分を知ったら、外側の幸せなど、見向きもしなくなります。
地球人類は、このことに、気づくまで、娯楽や快楽を貪り続けてゆくことでしょう。
2020年12月15日 更新
※ 人類が、娯楽や快楽を求めるのは、心の空虚を埋めたいためです。
でも、どんなに、楽しんでも、埋まりません。
なぜなら、偽物(この世の物)で、本物(意識・ 魂・ 心)を満足させることなどできないからです。
地球人類は、自分の心が、何を欲しているのか、分かっていないのです。
だから、代替品(娯楽や快楽)で、心の虚しさを埋めようとするのです。
一時は、埋まるかもしれません。でも、それは、一時です。
楽しみが、悪いと言っているのではありません。 ゆき過ぎの楽しみは、地球環境を汚し、人を堕落させる、と言っているのです。ほどほどの楽しみは、いいのです。
※ 想念の堕落(悪用)が、 病気・事故・災難を招いていることを知ってください。
※ 真の幸せは、外にはありません。 あるのは、模造品です。
それは、一時の幸せです。
真の幸せは、内側にあるのです。
光のメロディ「幸せ」