2016年1月16日 大阪塾 (全再生時間:1時間57分52秒)
はい、皆さんこんにちは。皆さんお寒い中、こうやって集まってくれてありがとう! あの、実にうまく出来てるもんでねえ。この、神が創られたこの表現世界というのは、私達の原子核を増やすように増やすようにね創られてんのね。よーく皆さん考えてご覧ね。大体さあ、春夏秋冬ある自体が、そう思わない? ねえ。地球は20何度ちょっと傾いてるんでしょ。ということは、太陽さんに向かってこう傾いてるわけだから、春夏秋冬あるよねえ。まあ、夏は暑い。冬は寒い。まあ、ちょうどいい時もあるけれども・・・まあ、丁度いい時も置いとかなかったら、困るからねえ・・・そこらへんも考えて用意してくれたんだもんね。だって、寒い時にはやはりここに来ることも、結構勇気いるよねえ。もちろん夏の暑い時もそうだけど・・・。その勇気いること自体が、原子核を増やすわけでしょう。来ようと決心させること自体が、原子核が増えるわけでしょ。実にうまく作ってあると思わない。ましてや自分の中に、サタンがいるんだからねえ。ここに来らせないようにと、足引っ張るサタンがいるんだからね。それに勝ってなおかつ、寒い気候に勝ってくるということは、相当やはり勇気いるよねえ。なんでもそうなんだけども、何か目的を果たそうと思う時にはね。必ず目的を果たすための決心がいるよね。やろうと思う決心がね。それが、すんなり来られるようじゃ、そんなに決心いらないよねえ。でも、寒いとか暑いとか、何か障害物あればねえ、それを乗り越えようという気持ちを持つことは、やはり結構勇気いるよねえ。だか、原子核が増えるんだよね。この仕組み自体が、ものすごく素晴らしいと思わない。こういう仕組み作ったこと自体がねえ。赤道付近だったら気候が大体同じようなもんだから、そう勇気も要らないかもしらんけれども、緯度の高いところに行ったら、暑い寒いの温度差があるから勇気いるよね。で、そういうところに文明が栄えてるよね。まあ今回は、西洋の方から文明が来たけども・・・、あの、機械文明は西洋から来たんだけども、東洋文明っちゅうのも、ものすごく意味あるんよ。西洋文明では得られない、そこではものすごい緻密的な深い精神文明が起きてるよねえ。本当は、西洋文明と東洋文明が融合した調和の取れた文明がいいんだけれど、今は東洋文明が西洋文明に流されちゃって、完全に物質文明になっちゃったよね。つまり機械文明にね・・・。あのー皆さんね、機械文明の時代と原始文明の時代と、どっちが原子核が増えると思います? 魂が大きくなると思います? よく考えてみてね。確かにあれよねえ、物質文明や機械文明になったら、便利快適爽快な環境が与えられるよね。もちろん、スピードアップもしていくよねえ。だから、この肉体を維持する上では、物質文明がいいように思うでしょ。ねえ、どこ行くにも車に乗ったり、電車に乗ったり行けるわけだから・・・。昔はね、てくてく歩くか、まあ、駕籠か馬ぐらいだよね。それを考えたら、便利ということでは物質文明の方がいいように思うでしょ。だってさあ、洗濯物する場合でもさ、機械にポーンと入れちゃって、あとはボタン一つで仕上がるんだからねえ。最近では、洗濯機もますます便利になってきてるでしょ。まあ私も、洗濯機で洗濯しているわけだけど、最後干すぐらいだもんね。ところが昔は違う、ゴシゴシだもんね。うちの母親なんか、あんな北海道の寒いところでよ、子供7人だから全部で9人よ。9人の洗濯物をゴシゴシでやってたんよ。洗濯。板で。昔々ね。まだ洗濯機が出る前だからね。そりゃもうね。そうだったよね。でもその当時それで、別に当たり前だと思ってたんでしょ。ねえ。でも、寒い時よ。北海道なんて本当にもー、今は30度ったら、ねえ。まあ、あまりならないみたいだけど、昔はもう、しょっちゅう30度。マイナス30度。そこでよ。朝起きるのもね。まあ、北海道はねえ、皆さん知らないかもしらないけどもね。夜中は火炊かないんよ。昔、昔。今はどうか知らないよ。私達が育った時にはね。あのー、昼間だけ石炭炊いて、あっためる。家の中。ところが、寝るときには全部消すんだもん。だ。朝大変よ。マイナス30度。氷こんな厚くなるんでしょ。そんなとこよ。したら石炭に火をつけて、部屋あっためること自体が、ものすごい苦労がいったんよ。それをまあ、一番やったのが母親だよねえ。お母さんが、もーまず最初に起きるから。そらー、相当ね勇気いったと思うよねえ。起きること自体。私達も。早く起きなさいってよく言われたもん。出るの、もーね、布団から出るの嫌でね。でもまあ、勇気を持って出てね、やったもんだけども。顔洗うのも、こんこんこんってあれよ。こんな厚い。もうすでに、割ってあったけれども。母親が割ってくれてたけど、それでも冷たい水よ。それで洗うんだからね。ということは、やはり、今の文明人で、ガスでボーンってあったかい水が出て、こうやってやるのとは、相当決心いるよ。すごい気持ちいるよね。私ね、思うんですよ。機械文明、物質文明で便利になるでしょ。ということは、やはりそういう面でもね、えー、原子核の増やし方っちゅうのは出来ないよねえ。当然。だから、私の母親は、相当大きくして返ってるはずよ。原子核。あのね。これ今日、改めてまた言うけれどもねえ。例えばよ。あの。まあ両手にものを持ってね、冷蔵庫を、まあ冷蔵庫から物を取り出すよねえ。両手にものを取り出したら、手、空いてないから、お尻かなんかで、ゴーンとこう、ドア閉めるよね。ねえ。もうそれが普通やってると思うよみんな。殆ど。私思うんよ。それを、一旦置いて、で、戸を閉めに行く。この動作。これ自体がね、原子核増やすわけよ結局。便利ということはそういうことだと思わない。そらーもー、そんなこと融通効かないやつだって言われるかもしれないよ。例えばよ。足元にあるものをね、避ける場合、足で蹴るやん。ね。しゃがんで、手で避けるの。これね、簡単に考えるけどもね、みんな物質に意識あるんよ。冷蔵庫さんもね、手で閉められるのと、お尻でこうやられるのとでは、気分的に違うよ。いやいや。これ冗談じゃないよ。みんなしたって、学んでるんだもん。私達を見て学んでるんよ。原子核は。これね、わかんないの。今の人類は。これ、ちっちゃいことよ。もちろん。ちっちゃなことかもしらんけどね、全部原子覚えて帰るんだもん。私達の傍にいるっちゅー原子は、これ、ものすごく勉強してるんよ。だから言うでしょ。利口に、あー、せー、あー、進化してきた動物っちゅうのは、人間界の近くに置かれますよっていうやん。犬猫、ね。まああのー、馬でもそうだよねえ。だんだんだんだんと成長してきた魂、大きくなったら、身近に置かれるやない。そこで学べるから。あのね、なんで鉱物でも進化したものはね、あのー、進化したもの程、人間に使われるじゃない。ダイヤモンドでも、首飾り耳飾り、あれここで体験してんだもん。人間の近くにいればいる程、体験できるんだもん。でしょう。山奥にいる鉱物や植物は、人間と遠いから人間の波動を受けないもん。だから、進化度が遅いわね。だから、身近にいる生き物さんというのはね、結構、高度っちゅうことよ。ただその中でも、いろいろ意味あるわけよ。例えば、えーと、カラスとかすずめさんっちゅうのはね、あれよ。ハトさんは高度なんよ。あのー、鳥の仲間でも。あのー、人間界から離れて遠いところに、山のてっぺんにいる方が、やはり、魂的に低いんよね。そしたら、牛とかブタとか鶏は、高度なんかって言うでしょ。これもちゃんと意味あんよ。これは人間に使われるために、つまり、あの、食肉とか卵とか使われるためにね、あのー、牛さんも鶏も置かれてる。これはちょっと違うんよ。本当の高度な魂っちゅうのは猫とか。あのー、あれだよね。犬とか。馬さんとかねやはり、そのー。魂的な成長のために近くに置かれることは別にあるわけよ。だから、そういうことになったら、カラスさんちゅーのは、とか、雀さんちゅーのは、高度だっちゅーこと。前にも私言ってたよね。カラスっていうのは、なんで、カアカア鳴くとか。私、結構、カラスのこと言ってたよね。ものすごくカラスというのはね、ものすごい、あれよ、魂的には成長してるんよ。あのー、あれも。雀さんも。カラスさんが、一番最初に鳴く、朝告げるのカラスよ。で、一番夕方告げるのもカラス。朝、カアって鳴いて、私達起こしてるよ。皆さん知らないかもしらんけど。鶏が起こすんじゃないよ。カラスが一番最初起こすんよ。して、一番最後にカラスがカアと鳴いて帰るんよ。雀さんもそうなんよ。全部意味あるの。まあ、これはちょっとあれ、飛んじゃったけれどもね。要するに原子核増やすということから、ちょっとそっちに行っちゃったけどね。なんせ側に。私達がなんせね。一番側にあるものというのは、一番ね、あのー、人間界に一番側にあるというのは、成長、あのー、うん、するから、成長したいからだよね。成長したいから側に来てるっちゅうことなんだよね。だからここら辺のこの机になってる原子、あの、机を形とってる、原子なんかもね、あのー、学んでるわけよ。成長してるわけよ。だから一番学んでんのは、私達の肉体を造ってる原子だよね。これはもう、あれだもんねえ。直接、こう、まあ肌で触れるぐらいに近いわけだから。これは、ここで体験して帰ってるわけ。原資に戻ってるわけね。だから、あのー、まあ、今の私達、今の物質文明においてね、いろいろと便利なことで、えー、私達、便利便利って、便利さを体験してるけれどもね、あのーあれよ、ねえ、結局は、あのー、魂の進化ということから比べたら、文明も原始時代もね、あまり変わんないの。それだけ見たら確かに原子時代の方が、あのーあれよ、魂を成長させてるように思うかもしらんけど、他にあるんよ。別にまた違う部分があるよね。原始時代では、成長出来ない魂の成長出来ない部分ね。要するに魂っちゅうのは、満遍なく進化していかなきゃなんないようになっているわけだけど、ある部分をこう先取りして成長させるっちゅうことも起きるわけよね。だから、私達はね、あのー、まあ、何百万年も、こー、人間として生きてきたよね。そん中において進化してきたでしょ。そん中において、文明時代と原始時代とか、まあその途中の時代も何回も体験してんの。これは満遍なく、埋めるため。その時代で、やはりね、その文明途中の状態で埋めるべきねいろんなことがあるんよね。それを、体験して通ってきてるんよ。で今私達がここに、文明時代に生きてるということは、やはりこの文明時代で、あのー、学ぶべきことがあるから、この時代を選んで生まれてきてるっちゅうこともあるわけよ。これね、ちょっと考えて欲しいと思うんだよね。あのー、そいじゃ文明時代は一体何をね、進化させる事できるんかということをね。あのー、まあ一つ、言うとしたら、対人関係がね、文明時代って、こういう文明時代には、人口が必ず多くなるようになっているわけだからね。そしたら、対人関係が複雑になってくるんよ。今だったらさ、インターネットで、ね。こう、知らない人とも通信できるし、携帯電話もあるから、ね。いろんな人と数多く交信できるよね。そこにおいてやはり、いろんな人とのつき合いが、多くできるじゃない。昔だったらやはり、自分の家族とか、隣近所とか、まあ近くの人達ぐらいなもんだよね。今はもう、沢山の人達と交際しようと思ったらできるよね。そっから、そういう面では学べるよね。だから、あのー、昔よりは、そういう面では昔よりは学んでるっちゅうことだから。だから、学び方よね。中身。うーん。実質というか、うん。埋めるべきものの、中身が違ってきてるということであって、どっちが良い悪いとはいえないよね。うん。対人関係においていろんな、痛い目にあって、大きく学べることもあるわけでしょ。それこそ今見てご覧、もー、えー、人に騙されて、お金取られてる人、結構いるよ。もちろん、あのー、こんな時代だから、ねえ、泥棒に入ったりさ、こないだみたいに事故で、車でね、あんなになることもあるでしょ。なんせ、危険なあれが、昔よりは、多いと思うよね。昔は、交通事故ってなかったもん。駕籠で事故起きるなんてことないもんね。今はもう、やはり、車に乗ってるから、事故起きるよねえ。だからそこで学ぶことも沢山あるよねえ。学び方が違うよね。中身もね。なんせ、あのー、人とのつき合いが多くなるとか、そういう文明の力に、の中で生きると、あのー、その人の学ぶべき中身が、全然違ってくるよねえ。だから、昔は、例えば、あれだよね。家族関係で深く学ぶとか言うことはあったかもしらんよ確かに。今はもう家族関係ったって良く外にみんな出て行くから、そこで学ぶことが昔よりは少ない。昔はもう、殆ど家の中に家族が、ね。あのー、つき合いするわけだから。そういう学びの中身だよね。は、違ってきてるはずだけど。だからそういうことを考えるとね、相対的に考えたら、相対的じゃないねえ、まあ、相対的という言葉が当てはまるかどうか知らんけど、まあ、どっちが良い悪いとはいえないわけよ。でもさっき言ったように、こういう文明の力の中で生きながら、自分の体を使って、多く使ってやるということであったら、結局、二重に学べるっちゅうことでしょ。それ私、あのー、自覚して欲しいんですよ。あ、文明の力だから、楽な方って言う風には、できるだけとって欲しくないんですよ。文明の力の中で学んでいる、対人関係で学ぶことは、もちろん学ぶ、すごく学べるわけでしょ。なおかつ、その、体を動かすことで学んで欲しいと思うんですよ。こう、あのー、横着にならない。あのーね。ちょっと面倒かもしらんけど、体をいちいち動かして、やるということをね、あのー、体を動かすとね、なんで原子核増えるか。あのー、体を動かすということは、宇宙エネルギーを取り入れるわけよ。まああの、ちょっと形は変わってる。酸素を多くするよね。こう体を動かすと、呼吸量が多くなるんだよね。ちゅーことは、酸素を多く取り入れるっちゅうことよ。っちゅうことは、エネルギーが高くなるっちゅうことよ。あの皆さんね。なんで、風邪ひくと思います。みんなねえ。なんか、1年に一遍ひかなかったら、気が済まないっちゅー人いるよねえ。もうそろそろ、風邪の時期だなあ、なんちゃってね。まあ、そういう想念で、なることもあるよ。もちろんね。でも、なんでなると思います。夏場、風邪っちゅうのは少ないよ。秋から冬にかけて、風邪多いよねえ。風邪流行るよねえ。これ分るよねえ。夏場だって太陽さんの光当たってるじゃん。エネルギー沢山入ってきてるじゃん。冬場はやはり、太陽が斜めから来てるから、エネルギーが少ないよね。太陽の裏側には霊太陽があるんだから。そっから来てるわけよ。私達のその、エネルギーの元だもんね。だから、アレでしょ。ジョギングするということは、酸素を多く取り入れるわけでしょ。その酸素自体がエネルギーだからね。体があったかくなるよ。したら。ね。だからあれよ。あのねー、こういうことがあるのね。運動選手で、体を動かしてる時はね、風邪ってひかないよ。ポッと、こう、緩めた時に風邪ひくの。これはね、あのー、その体動かすということも、あのー、意味があるわけだけれども、結局ね、これもエネルギー関係してるの。気が張るって言うやん。気を張っている時には、風邪引きづらいって言うじゃん。気っちゅうのは、エネルギーのことだから。ね。エネルギーを張ってる時。つまり、そのー、緊張している時。気が張ってる時は、壁ができるわけよ。エネルギーの壁が。だから、絶対そんなもの入ってこれないの。まあもちろん、病気ちゅうのは無いんだよ。自分で作ってんだけど。今の現代風に言ってもよ。ぼけっと、ちょっと気が緩んだときに、やられるのね。あれはエネルギーの壁が、バリアー作ってないから結局。だから、全部エネルギー関係しているわけよ。だからできるだけね、エネルギーを多く使うような生き方をすべきなんよ。だからいつも言うやん。大体サタンにやられてる人っちゅうのは、体動かすことが嫌いな人。あれはそうなんよ。結局。エネルギーを高めないから。だからエネルギーを高めるためにはね、やはり体を動かすことが一番いいの。これはね、私ね、あのー、もう本当に、こう、全員に言いたいの。人類全員に。ここに学んでいる人には特に言いたいよね。今みんな、増やしたい増やしたい思ってるやん。そしたら、少しでも増やす方法ないかって考えるよね。そのちいちゃなこと。ね。こう、あれでしょ。腰を下ろして取るっていうこと自体が、億劫じゃない。厄介でしょ。でも、こうしてやること自体が、原子核増えるんだもん。ね。しゃがむ。ね。あのー、あれでしょ。昔の女性の方はさあ、ね。まあその。商人はどうだったか知らんけど。武家の女性の方ったら、いちいち戸を閉める場合でも、腰、あの、座って、開けて、また入って、また、こっち行って、座るやん。あの、膝ついてやるやん。あれ結構厄介だよねえ。でも、ああいうこと自体がね、原子核増やすんよ。ちっちゃいことかもしらんけど。なんせね、体を動かせば原子核増えるようになってんだもん。これは神様もう、じつに上手い仕組みを造ってくれてるんよ。だから、アレだよねえ。あの、何にも億劫がらないでやること。やるたんびに原子核増えると思うの。そしたらね、気運が変わるんよ。気っちゅうのはエネルギーでしょ。エネルギーの運び方が違ってくるの。全部、原子核増やすように増やすようにしてくるんよ。これもね、私のように瞑想をして、原子核を増やすことも、もちろん、これは凄いことなんよ。これは、一番増えるということは、増えるんだけど、なかなか瞑想はしづらいでしょ。そしたらね、そういうことでも、原子核集めるんだもん。だってそっから始まったんだもん。最初から瞑想なんて、人類始まったわけじゃないよ。昔わかんない時代には。最初に悟った方っちゅうのはね、結局、まあ、そういうことから、その普段の中から、原子核を増やしたわけよ。行動の中から。そして、大きくなるよねえ少し原子核が。そしたら自然の中に、散らばられてる神の、うん、神が、あのー、自然の中に居られるわけ、そっから発見したわけよ。で悟ったわけよ。だから一番最初っちゅうのは、自分の行動から原子核を集めたっちゅうこと。これ、もう、これ見逃してはいけないよ絶対。だから、子供さんでも何でもね、できるだけ、体動かせることさせるべき。だからね、行動力のある人っちゅうのはね、あんまり不良にならないよね。不良っちゅうのは、結構、何もやらないでいる人が多いよ。よーく考えてご覧、行動力のある人ってねえ、だから、スポーツマンってあんまり不良いないでしょ。あの人達は、毎日、体動かしてんだもん。だからエネルギーを高めているから、そういうサタンが入りづらいわけよ。エネルギーが入るっちゅうことは、自分のエネルギーの壁が出来ているわけだから、そこにそういうサタンが、まともに入りづらいよ。これ皆さんもう一度ね、これあのー、自分のその、心の中でね、そういうものを、こう、うーん、あのー、作って欲しいと思う。そういうその、あれよねえ。再確認。して欲しいと。これはしたって、自分自身で、すぐできることなの。ねえ。自分がやろうと思ったらできることなのこれは。そして、その、手短か。誰も関係しないよ。自分で、やれるんだから。だから私がね、あのー、サタンにやられない方法として書いてるよねえ。沢山項目の中に、はじめ、やられてる人は、まず家の中のね、掃除から始めなさいと。それから、外へ出て散歩することをやりなさいと。ちょっとできるようになったら、ジョギングしなさいと。で、汗をかくようになったら、大丈夫ですよって言ってたでしょ。そうなんよ。だからあの、あのーこの間ちょっとある方に言ったけど、ねえ、家の中で、要するに外に仕事に出なくなった人、家の中にいる人で、家の中でやること、やる気になったら沢山あるよ。掃除から、窓ガラス拭きからねえ、便所掃除、風呂場の掃除。それはもう、やる気になったら、なんぼでもあるよね。体、動かす事っちゅうのは。私はもう、魂を大きくする方法をね、というものをね、もうちょっとこう、一般的に、みんなに分りやすい方法で、ということをちょっと考えてるのね。結局、今までずっとしてきたことなんよ。事をやんなさいっちゅー。ただ文明になったら、文明時代になったらね、そういうものを疎かにしちゃうんよね。だからって、洗濯板で洗濯しなさいとは言わないよ。今のその環境の中で、やれることだけやんなさいっちゅうことであって、例えば今言ったように、あれよね。うん。あのー、冷蔵庫を閉めるんだって、これは心がけひとつ一つだよね。掃除するんだってそうよ。掃除する時でもね、あのー、あまり合理的にしなくてもいいよ。そういう意味で言ったら。ちょっと遠回りになることでも良いわけよ。あのー、私は、毎日、散歩してんだけどね。散歩する理由はもちろん足腰ね、あの、瞑想ばかりしていると、弱るから、やっているわけだけども、結構ね、散歩する時にね、あのー、わざわざ、あのー、こう、あのーどういうんかな、散歩でもきついところを選ぶんよね。坂道。まあ坂道ちゅうのは当然、坂道上がったら降りるのもあるから。ね。プラマイ0なんよ。うん。プラマイ0は0だけど、意識してやるようにしてるのね。あのー、何でもそうだけどね。あれだよね。リスクっちゅうのはあるよね。あのー、リスクというのは、プラマイ0になってるからね。前にも言ったように、楽しい思いには結構苦しい思いがついてくるということであって。必ず0になるように。エネルギー0になるようになってるわけだから。この宇宙はね。必ず均衡保てるようになってるわけだから。だからリスクというのは必ず、辛い面と良い面等あるわけよ。まあそれを意識してやるということが大切なんですよ。みんなね、意識しないでやってしまうのね。やはり意識するのとしないのでは、原子核の量が違ってくるからね。まあ、あのー、なんでもそうだけど、簡単に得られるものは益が少ない。やはり、ちょっと苦労してやる方が、益が多いっちゅうことは確か。そういう風に作ってあるから。苦しいということは、苦楽だよね。苦があれば楽あり。昔から苦があれば楽ありって言うやん。苦しいことをやったら、必ず楽がついてくるっちゅうこと。これはもう、神のエネルギーの0ということを言っても、当然なんよね。この均衡に保つということは、必ずそういう風に出来ているわけよ。だから、楽な方ばかり使っていたら、やはり、いつか必ず大きく苦しみが与えられる。だから今生、親の脛かじって生きて一生終わった人は、必ず来世ないし、再来世には、それのお返しがあるということだから。だからできるだけ、体を動かして外へ出て、やるべきことをやる。今ね、私達は肉体を維持しなくちゃなんないもん。肉体を維持するために、今の世の中では、働かなきゃなんないもんね。それを、親の脛をかじってたんならね、そらーもー、倍返しあるかもしれないよね。お返りが。そらー、今楽かもしらんけど。その苦しみは必ずくるもん。その苦しみが結局、みんな味わってんよ。生まれて、ね。何でこんな目に遭わないんだ。いや、遭わなきゃなんないんだって言っている人は、結局、今返ってきてるっちゅうことよ。今生、そらー、何もそらー、あれだけれども。それは来世のツケが、来世じゃなくて前世のツケがきてるっちゅうことだもんね。だからそんな、やはり、どうせ、やらなきゃなんないんだったら、ね。やはり逃げないでやるべきだよね。それが原子核を増やすわけだからね。だから、できるだけ、うん。そういう面でも、原子核を増やして欲しいと思うよね。あのー、まあこれは、いつも三つの方法を言うよね。中の一つの社会体験っちゅう中に入るわけだけどね。あの社会体験というのは、一番身近なものから出来ますよっていうこと。私は言っているわけよ。別に、働きに出て、外でそういう、あのー、体験しなくても、家の中でも出来ますよっちゅうことを言ってるよね。それは文明には関係ないですよっていうことなわけだけれども、でも、中身が違う、質が違うんですよっちゅうことは、知って欲しいからね。なんせ、プラマイ0になるんだから。何でも。だから、物質文明豊かな時の原子核を増やす量であろう、原子核を増やす量と、原始時代の原子核を増やす量とは、同じですよ。ただ中身がね。学ぶ中身が違いますよ。原子核の、そのねえ、大きくするにはいろんな部分があるわけだからねえ。いろんな部分を大きくしなくちゃなんないわけだから。だから、そういう文明時代に埋める必要がある。原始時代に埋める必要がある。中身が全然違ってくるから、どういう時代においてもやはりこれは間違いないわけだけども。そしてまたそういう、えー、いろんな文明を通ってきてるわけだよね。そして埋めてきてるっちゅうことよ。こう、魂を全体的にこう、バランスよく埋めてきてるっちゅうことよね。その文明の中身によって。なんせ私達は、ね。刻々、刻々と、あれだよね。こう、時が過ぎ去っていくわけでしょ。その中において、もう間違いなく原子核増やすように出来てるんですよ。あの、原子核の、あのー、あれでしょう。時間ということを考えてみたらいいよね。時間というのは、これは意識が時空を生み出してるんだけど、この意識自体はエネルギーだから。だから、エネルギーが熟成させるんですよ。時間が熟成させるんですよ。結局。よくあれだよね。時間の問題だって言うやん。あれはエネルギーの問題だっちゅうことなんよ。エネルギーが熟成させるんですよ。だから私達はその、時間の中において、いろんなあれよね。あのー、体験をしながらね、そしてその時間が、要するに体験の、長引かせてみたり、短くしてみたりしてるわけだから。そこにおいて、あのーあれよ、ね。要するに、時間が熟成させてるということにもなるわけよね。私達、体験というのは、この、時間の中でしているやん。ね。だから、時間が熟成させているということも言えるわけよ。なんせ私達の意識そのものが、時空を造っているわけだから。そしてその、時間空間というのは、エネルギーの流れであり、エネルギーの濃さ薄さ、そういうものでも、影響出てくるわけだからね。そういう、あのー、体験の中で原子核を、うん、増やすようにうまく作られてるということ。これだけは、あのー、神も一つのあれよね。本当に人間臭い部分でもあるよね。いかに人間を私達を、成長させてあげようか、原子核を増やしてあげようかということによって、いろんなね、こう、自然の仕組み作ってきてるわけだからね。まあ私達は、今、自分は誰の誰べーであると、今思えてるよね。あのー、こないだ、ちょっと東京で言ったんですけども、私達は原子核どんどんどんどん大きくしていって、自我を持つようになった。自分は誰々であるというところまで進化した。その自分は、誰々と思えるところまで進化してきたということは、これものすごくね、一番これ、神が望んでいたことなんですよ。鉱物や植物や動物は、自分は誰々とは思えてないもんね。私は石であるとは思えないよ。私は木であるとは思ってないよ。私は猫であるとは思ってないよ。でも人間は、私は人間である。誰の誰ベーである。ね。あっ、宇宙がある。神はいるのかな?とこまで思えるようになってきたやん。これがものすごいことなんよね。ここまで来るのが。で、皆さんね、こないだ東京でちょっと質問あったんで、そのお話したんだけども。一体、この自分というのはね、自分というのは、今は自分と思えているよねえ。これが自分と思えてるよねえ。この自分という思いがね、例えば自覚の境界線を越えたらね、どうなるんだろうという疑問をね、素朴な疑問。こないだ持ったんよね。東京のある方がね。皆さんもそれを思わない。今、一生懸命原子核を集めて、自分と思えるところまで来たやん。私は誰の誰ベーって言う。ところまで来たでしょ。この自分は、一体、自覚の境界線を越えたらね、どうなるんだろうと思わない?この自分というのは、確かに自覚の境界線を超えて、この肉体を持たなくなったら、ね。これ自分。肉体もって、肉体に誰の誰べーという名前がついているから、これが自分だと思えるんでしょ。もしこれがなくなってよ、ね。例えば、あのー、この下に着ている次の体、それも形があるから、ね。形が。名前がついていなくても、形があるから、この形が自分であると思えるよね。まだ、まだそこでも。で、その下にまだ体持ってるよね。で、その体も、体があるうちは自分だと思えるよねえ。もしよ、体がなくなった状態、意識状態になったときには、どういう自分という、この自分をどういうふうな自分と思えてるかっちゅうことよね。あのー、神は形がないよね。姿形ないよね。だから神としては、自分って思えないんですよ。形がないから。これよーく考えてみてね。形がもたないと、自分という思いが持てないの。神は、自分の意識を分けて、自らを分けてって自分って言ってるでしょ、自ら分けて形を造ったんよ。形を造ったら、その形に入っているものが、その形をみて自分って言える。ところが形がないときは、どうして自分と思えるの。確かにその石さんになった段階では、自我がないよねえ。だから、私は石だと思っていない。木さんも、自分は木であると思ってないよ。猫さんも猫だとは思ってないよ。でも人間になったら、形があるから自分と思えるじゃない。これが自分と思えるじゃない。ね。この自分というのは、今は人間の形してるから自分と思えるよね。もしよ、これが脱いで、本当に進化して、意識状態になって、例えば太陽さんの真ん中に入ったとしようか。太陽さんに入ったとしようか。そしたら太陽さんを自分だと思えるよね。太陽が体だと思えば。そしたらよ、今人間で自分と思っている自分と、太陽さんに入っている自分と何が変わる?これを言いたいの私は。例えば、まだまだ大きくなって宇宙を、この表現宇宙よ、絶対宇宙のことじゃないよ。絶対宇宙は形がない宇宙だから。表現宇宙は星々があって、ねえ。銀河があって、ねえ、そこでは彗星が飛んでいたり、いろんな星々があるよね。そこの自分になっても、それを自分だと思うよね。形があるから。そしたらよ、その時の自分と思ってる自分と、今人間の中に入っている自分と思っている自分と、何が変わる?何も変わんないっちゅうことよ。確かにその、誰の誰べーの自分じゃないよ。で、誰の誰べーが、えー、あのー、進化した誰の誰べーの理解力の自分じゃないよ。大きな体を持つようになったら、理解力が進むわけだから、理解力、もちろんいろんな能力が違ってくるよね。人間の自分と思っている時の能力と、理解力とは違うよね。だから、その自分になったら、宇宙を作れるぐらいの能力を持った、そして理解力を持った自分になるわけよ。ただ、自分は変わんないっちゅうことを、私言いたいわけ。皆さん、自分がなくなると思うかもしれないけどね、自分というのは絶対なくなんないっちゅうことよ。永遠に。だから安心して欲しいんですよ。その自分という中身は違うよ。大きな自分であると思える自分。小さな自分であると思える自分。の自分は違うよ。つまり、自分は大宇宙であると思っている自分と、人間であると思っている自分の中身が違うけど、自分と思ってる自分は、変わんないっちゅうこと。これ、みんなね、その、心配してんよ。自分がなくなるんじゃないかと思ってるわけ。例えばよ、海水の一滴を自分だと思っていたものが、海水の中に入るよね。海水が自分だと思えるよ。何が違うの。私達、今、この小っちゃい中にいるけど、これが大きなものになったって、自分は自分じゃない。変わんないじゃない。このこと、言ってるわけよ。私はね。だから、心配しなくていいよって、私は東京でも言ったわけよ。なんか知らんけど、この自分、誰の誰べーの自分がなくなったら、なんか自分がなくなるんじゃないかって、心配しちゃうんよね。その自分の中身がわかんないから。なんか分るでしょ。自分っちゅうのは、永遠になくなんない自分であるっちゅうことよ。ただ理解力が増すし、ね、能力が増す。だから、いろんなものを作れる自分になるっちゅうことよ。今したって、人間と思いながら、物作ってるじゃない、小っちゃいのは。結構。と同じように、自分が作るっちゅうことよ。宇宙を。だから、何も自分という自分は、変わらないっちゅうこと。だから素晴らしいと思わない!ねえ。何も変わんないよ。自分って。ちょっと分りづらいでしょ。分りづらいから、ちょっとそこまで納得いかないかもしらんけど、失うこともないっちゅうこと。自分というのは。それは、原子核の量によってね、大きさによって理解力が違ってくる。想像能力が違ってくる。可能性が全然違ってくるっちゅうこと。だけが違うだけであって。自分の原子核の量についてくるっちゅうこと。その自分の大きな自分が、ついてくるっちゅうこと。まあこれで、少しは、東京の方もちょっとは理解出来てない部分はあったからね。こう最後に言おうかなと思ってきたんだけども。あれだよね。ここにいる神。神っちゅうのは、自分って言えないんですよ。分けてないから。私なんですよね。この段階では、神は私なんですよ。これを分けたんだもんね。自分を。そして、石になり、ねえ。木になり、犬になり、人間になり。自分を、神が自分を分けた段階においては、この石というのは、もちろん神の分身なんだけども、自我がない状態だから、この石は自分のことを、石だとは思えない状態。木も、神の分身ではあるけれども、私は木であると思えない状態。犬さんも。人間になって初めて、自分は人間であると、思えるようになった状態で、結局、自我が出来たわけですよ。これはね。自我が生まれた。この自我が生まれた状態が、ここで、こっから以降、ズーと続くっちゅうことよ。自我の状態が。太陽に入っても、私は太陽だと思えるんだから。大宇宙になっても、私は大宇宙だと思えるんだから。この自我というのは、ずっと続くっちゅうことよ。永遠に。永遠に自我が持ち続けるっちゅうことよ。でなかったら、自分と思えないもん。ここは、自我ということはでは言い表しようがないよね。ここでは。私は、私ということはわかってるわけよ。当然。ここではね。でも、私というその、そのー、私がわかんない。私の中にいるから。私が。これを分けて、この私がこの私を見ることによって、この私が分るわけだよ。だから、この私では、私がわかんないんよ。だって、自我がないから。ここでは自我がないよ。したって、姿形、何もないんだもん。何もないものを、自分だとは思えないよ。さっき言ったように、分けないと、形を持たないと、自分だと思えないよ。だから、自分を分けて、この分けた自分から、私を見てもらおうとしてるわけでしょ。でも、私達はどんなに進化してもここに帰れないんだもん。いつも言うように。私達は、人間体験して、自分という自我を持つことによって、今、神の、神に帰ろうとはしてるけど、この神には絶対、元の神には絶対帰れない。帰っちゃったら、したって、自我がない自分になっちゃう。元に戻っちゃうもん。だから、中庸の神ということを、私は言ってるわけよ。人間の体験。この神が人間を体験することによって、中庸の私、神を、に、帰ってくっちゅうことなんよ。これは、永遠に到達出来ない、中庸の神に、帰ってくっちゅうことなのよね。まあこれはあのー、自分が失わないということ知るには、こういうことを知らなかったら、あのー、私の説明、ちょっと分かんないからね。こういうような説明の仕方するんだけども。分かって貰える人は、分かって貰えると思うんだけどもね。こういう説明をしたこと。ここでは、1の中には1がわかんないから、多にして、多くのものを造って、その多くのものから、自分を見てもらおうと思って、多くの物の中に結局、人間のような自我を持つものを造って、その自我を持つものが、結局、中庸の私達を、に戻ってくということ。だから、ある人は言うんだよね。(この先は動画編集でカットされた模様)
あのー、あれだよね。私がね、一番学んでるの。ハッキリ言って。私いつも自分でね、こうやってお話しているやつ見ながらね。自分が一番学んでんのね。本当に。いろんな発見、気づきがあるの。だから、私が一番学んでるって、いつも言うよね。あのー、一番、神が望んでいることは、この宇宙全体としての、あのー、あれだよね。要するに、進化を願ってるわけだよね。で、進化を願うということは、一人一人が最終的には、要するに、神に戻るわけよ。中庸の神だからね。中庸の神に戻ることを、願っているわけだよね。で、あれだよねえ。あのー、要するに、原子核集める方法いろいろ神は私達に与えて、その中庸の宇宙に戻るように仕組んでるわけだよね。で、その中において、やはり、スピードアップしてくって言ってるや。いつも。進化はね。そしたらね。あの、要するに、理解力がある人が、先行ってるわけだから、そしたら、その先に行ってる人の方が、理解力あるわけだから、学びの成果が大きいよねえ。要するに、雪だるま式に、増えてくわけだから。そしたら、その人が一番学んでることになるんじゃない。でしょ。ちゅうことは、私より先に行ってる、例えば、お釈迦様がそうだとしたら、お釈迦様の方がスピードアップして学んでるっちゅうことよ。だんだんだんだんと先に行ってる人の方が、もー、要するに、学びの度合いが違ってくる。ものすごく学んでるっちゅうこと。ね。でありながら、私がこうやってお話するなかにおいて、皆さんにも、その提供してるよね。あのー、こー、お互いに学ぼうと思って、私は自分で学んで1人では1人しゃべりが出来ないから、ね。1人でもいたら、その人とお話することによって、あの、出てくるわけよ。要するに。そのー、あのー、真理の言葉が。で、それによって自分が学べるわけだから。だから私は、あのー、博多でも、これから1人でもいきますよって、言い出したの、それなんよね。私が、気づかされたんよね。やはり一番学んでいるの誰なのって言われたわけよ。したら、自分じゃないの。そうしたら、なんで5人しか集まらなくって、やらないというのって、んなことも返ってきたよね。1人でもいたら、それはお話すべきじゃない。て言う思いが沸いてきたんよね。したって、一番学んでるのは、私だから。まあ、で、そういう風に、しようかなと思って、あのー、まあ、博多はこれから毎月しようと決めたんよね。まあ、ただし、あの、やはり、お金がかかるから、だから、あの、その、その工面しなくちゃなんない。でもそれは、幸いなことに大阪の人達、こうやって毎月千円出してくれてる。東京の方も千円出してくれてる。だから結構、余るよね。結構ったって、そんなに沢山余るわけじゃないよ。でもそれが、博多と大阪との間のね、新幹線代なるから、それで助かっているわけよね。でなかったら、私が年金で今、大阪、東京とねえ。やってるわけだ。それが年金で出来なくなったら、せっかくやろうと思っても、出来なくなるじゃん。だから、例えばこれで北海道やってくれってったら、また困っちゃうけどね。困っちゃうから、また考えなきゃなんないけど。今んところは、とりあえずは、皆さんの御陰でね、あのー、博多も出来るようになったっちゅうことで、うん。これは本当に、ありがたいことなんよね。まあこれは、変な話になっちゃったけど、あれですよねえ。何せ、宇宙、神は一様しかいない。この宇宙は一つしかないわけですよ。ね。その宇宙っちゅうのは、もう、その一様の宇宙が、進化することだけが願ってんだから。これ私達、今、分身として別れてるよねえ。でも、みんな一様の神なんだから。形見れば分身で、別々に見えるけれども、みんな一様の神よ。一様の自分よ。本当言ったら、中庸の自分なんよ。だから、何にも変わってないよね。形見るから、誰の誰べーって名前あって、なんか違うように思ってるけれども、みんな一つ。だから、その一つの宇宙が進化すればいいんでしょ。ね。今、地球人類は、今、あの、ねえ、いろいろとこう、体験しながら成長してるよねえ。これは地球だけじゃなくて、大宇宙全体に、もー、無限の地球みたいなところがあるわけだ。これも全部、一つの宇宙を進化させるためなの。だから、人事じゃないよね。全部自分のことなんよね。これはもう今の、あのー、人類は分らないから、なんかこう勝手にやってる。お前たちやってるっちゅうに思うかもしらんけど、そうじゃないよね。一つの宇宙を進化させるための、一つの、これはあれだもんね。学びの場だもん。だから、人事のように思わないで欲しいんですよね。結局、私が進化したら、みんなも進化するもん。宇宙が進化するから。当然。だから、一人一人が進化したら、それだけみんなのためになってるっちゅうことね。なんせ、この宇宙は一つだからね。一様だからね。私達は、神の分身として形は持ってるけれども、一つなんだもん。一つから出てきたんだもん。だから、私達は、そのひとつに帰るために、今、いろんなことを学んでいるわけであって、なんか、ぜひその、本当に自分のことのように考えて欲しいんですよ。これ、今、形持ってるからね。なんかねえ、あのー、どうしてもその、宇宙と思えないんですよ。自分が。一つのものと思えないんですよ。だから、なんか他人ごとに思えちゃうのね。でも、だんだんだんだん進化のレベルが上がってって、原子核の量が集まってくるとね、もうすべてが、自分が関わってるというというのがね、分かってくるんですよ。何一つ、自分の関わりがないところはないんですよ。これがね、心の底でだんだんだんだん分かってくるからね。そしたらね、自分のことのように考えられるようになるからね。学んでいてても。この学びが人事でないっちゅうことが分かってくるから。全宇宙のための、学びだっちゅうことがわかってくるから。本当にそうなんですよ。自分が理解力が増して成長すれば、この宇宙の成長のためになってるっちゅうこと。本当に間違いないことなんよ。それを、こう見せるわけにいかないから、あれだけれども。まあ、このねえ。神という存在というのは、ハッキリ言って、神が神を知ることが出来ないんですよ。1が1を知る事が出来ないんですよ。絶対。私が私を知ること出来ないんですよ。私を分けないと。神が分けないと。これがね、神のね、本当に、痛し痒しのところなんですよ。自分を分けて、そして客観的に自分をみる以外、自分を知ること出来ないから、こういうような宇宙を創るしかなかったんですよ。だから神だけだったら、何にもこの宇宙は起こりえなかったわけだね。もう、何ひとつ、もー、無空の状態。この宇宙は何にも起こりえなかった。神だけだったら。だから、神はそれじゃ、存在してても存在意味がないから、自分を分けたわけだよね。この表現宇宙を造ったの。表現宇宙を造って初めて、神の存在が明らかになるわけだから。だから、神が人間を創られたということは、人間は神であるっちゅうことよね。神が認めなかったら、だって、いや、人間が認めなかったら、神ってないんだもん。私は神であるったって、認めるものがあったら神っていないんだもん。認める人間がいて初めて、あっ、神がいるって認めて初めて、神の存在っちゅうの生まれるんだから。これね、深く知って欲しいんです。だから、神と人間は本当に同等、価値が。私達は、ものすごい価値があるっちゅうことよ。神を認めてやられる私達が、ものすごい神と同じ同等の価値があるっちゅうことよ。これ凄いことなんですよ。私達がいなかったら、神っていないんだもん。私達が認めなかったら、神っていたっていないじゃない。認められないんだから。あのー、ね。いつも言うように、白の中にいたら、白いっちゅーのは分かんないよ。黒があって、初めて白があるんだから。白だけだったら、白っちゅうことはありえないじゃない。何でも相対させないと、その絶対っちゅうのは分かんないもん。したって。絶対っちゅうのは、絶対だけでは存在出来ないんだもん。したって。相対があるから、絶対が生まれたんだからね。だから、絶対が相対を生み出したんじゃなくて、相対が絶対を生み出したと言ってもいいぐらい。最初はそらー、絶対しかないから、絶対が生み出したっちゅうことになるかもしらんけども。でも、なかったらこっちがなかったら、絶対っちゅうのがありえなかったら、相対が絶対を生み出したって言ってもいいじゃない、そんなの。それ程、相対っちゅうの必要だっちゅーこと。人間ちゅうのは、必要だっちゅーこと。人間がいなかったら、もー、神なんか、もー、そんなもの、もー。あはははは!無きに等しい。でもそれだったらね、ここがまたあれなんだよね。そういうことであって、絶対と相対を、あのー、そういうことで認めあったんじゃね、本当の本物が、どっかどこへあんのっちゅうことになんの、本物が。これ、ものすごく深い真理だからね。ちょっと、今日言っていいかどうか分かんないけどね。あれでしょ、今言ったように、人間がいなかったら、神が存在がありえない。ね。神が存在するために、人間が必要なんだから、これは、どっちも存在してないようなもんよ。ハッキリ言って。この状態では。そこで真ん中が必要になってくんの。つまりどっちも体験している、人間的神、神人。中庸の神が必要になってくるの。これで、ものすごく神の深さわかったんじゃない。どっちもあり得ないわけよ。一つだったら。こら分る?ねえ。分るよねえ。一つだったら何もあり得ないっちゅうこと。この宇宙はありえないっちゅうこと。でも、二つ創ったけども、ね。結局は、一つがもう一つ創ったわけだからね。だから、もう一つもこっちがなかったらないわけだから、意味ないんよもー。そこでは。そうしたら、その2つを知った中庸の自分を、そこに創るしかないんよ。そっから見たら、全部があるわけ、どっちもあるわけよ。だから、中庸の宇宙に私達は、ずーっと進化していって、永遠に届かないかもしらんけど、届かないからいいんだもんね。届いたら、どっちかになっちゃうんだから。これ、もー、本当にややこしいと言ったらややこしいような。あれよねえ。なんかこう、理論になっちゃうけどね。だから私達は、永遠に尽きない、永遠に色褪せない幸せを求めて、中庸の神を、ずーっと永遠に、旅していくっちゅうのを、私が言うのはそこなんよね。だから、そういう中庸の宇宙になったっちゅうことは、どっちも分かったっちゅうことなんよ。神の完全、もー、絶対宇宙の神も、今度、相対宇宙の人間の神も、知ったっちゅうことなんよね。だから、真ん中の神に、で、永遠に幸せなものを求めていけるっちゅうこと。なんよね。ああ、分かって貰えたね。そうなんよ。だから、私の言っていることがね、最初からそれは言っていたけども。神に永久に帰ることはない。中庸に戻るということが、結局は絶対と相対っちゅうのはね、これは本当にあるもんではないということ。本当にあるものは、中庸の宇宙である。中庸の神であるっちゅうこと。だからさ、小と大は、これこれこれも同じことなんよ。これも、今を知るためにあんよ。小は、大があって小になるんだもんね。大は小があって大になるんだもんね。そこにあるのは、小でも大でもないんよ。本当にあるものだけ。そういう、小や大を生み出した、本当にあるものだけがあるっちゅうこと。1と多はね、1は、1が多を生み出したよね。多というのは、あれでしょ。まあ、1から多が生み出されたんだけども、多というのは、あくまでも1の分身として生まれて、実際にあるもんじゃないもんね。で、この1も、多がなかったら、ないわけだから。実際にあるもんじゃないの。だから、真ん中の丸、つまり中庸だもんね。それだけが実際にあるっていうことになるわけよ。そうなんよ。永遠に埋められないものがあるって、前に言ったよねえ。不確定の世界。それがそうなんよ。確定しちゃったらもう、これはもうないのと同じだから。不確定もそうなんよ。ね。その両方の真ん中に行った時に、本物が現われる。つまり、実際にあるもの。だから私達はね、これから進化していく。ね。進化していくとね、神に帰るのでもないの。ね。中庸の神に帰っていくっちゅうことは、自我を持って行くっちゅうこと。だからさっきも、あのー、言っていることに、当てはまってくるの。絶対、自我というのはね、失わないっちゅうこと。どっちも知っているわけだから。でしょう。こっち、こっちはもう、自我がないんだから。自分を知ること出来るわけないじゃない。こっちは自分という自我が出来たから、知ること出来て、この神を知る事出来たんでしょ。だから、両方の真ん中の知った自分、つまり神、神人だよね。神人だよ。神と人。だから神人よ。だから神人が本当の、存在するものということになるわけよ。これね、今日これ知ったよねえ。まだまだ神の厚みが増したんよ。神の側面が。だから、吾神なりって言った時にね、中庸の神に、バーとっこう、集約されるそういう思いになったら、全然違ってくるの。その自覚の深さが。したから、吾神なりというマントラでいいんだけど、その吾神なりのマントラの神が、中庸の神という事の神にして欲しいんですよ。これから。だから、そのものという言葉を、この前も使ったけれども。そのものったら、ズー、それを含まさった、そのもの。なんせ神の側面というのはね、厚く、重く、深くだんだんだんだんね、あのー、してって欲しいし、なってきてるはずなんよ。私がこうやってお話するなかにおいて。だから、単なる口先だけの吾神なりじゃ、なくなってきてるはずよ。これね、本当にね、中庸の神をね、知って欲しいんですよ。なんせ、今、私達はこの形が自分だと思えて仕方がない。まだ、そっから出っしきれてない。でも、この形というのは、自分というものを表現するために必要な形だから、この自分という存在を存在たらしめるために、私達は今、この形を通して、今、知ろうとしている。本当の自分。中庸の自分を知ろうとしている。そのためには、この自我の誰べーというのが必要なんですよ。どうしても。だから、やはり自分を知るというこの中庸の神、中庸の宇宙、つまり神人。神人を知るためには、それだけの理解力を高めなきゃなんない。そうするために、やはり、三つの方法で原子核を増やすしかないんですよね。で、その三つの方法の原子核の増やし方が、私は一番手短な方法、もう普段の生活の中で、やって欲しい。もうこれしかね、まあもちろん、瞑想は当然しなきゃなんないわけだからね。だから、あの私達は、普段の生活の中で細かいことかもしらないけれども、それをやるということ。あのね、私が体験することだけどね。してることなんだけど、私自身がね、進化してるって言うよねえ。毎月進化してるっちゅうよねえ。私ね、なんか知らないけどね、毎月毎月ね、その、身の回りの細かいことがね、結構するようになってんの。なんか知らないけど。昔は、結構置いといたもんでもね、置いとかなくなって、すぐにやるようになっちゃったの。それが、なんか知らないけどね。なんで、あーなるんか知らないけどね、原子核の量増えてるっちゅうことなんよねえ。だから、私皆さんに言いたいの。億劫がらないでね、もう身近なこと、やるべきことをすぐぱっとやるようにしてったら、癖付けるんよ。そしたら、心が強くなんの。本当に心強くなるよ。そらーあれよ、あのー、あんな寒いところだから、結構朝起きるんでも、あれよ、やはり、昔、北海道にいた時でもやってたけど、まあ勇気いるよね。朝でも私はもう、水でいつも顔を洗うんだけど、あそこは冷たいよ。でもね、自分の心が強くなっていくことが分るんよ。何か知らんけど。結構、それがね、なんか自分の成長になっているな。目に見えないけども、なんかそんな感じするよね。それ皆さんもね、ぜひ真似してやってみたらどう。本当に細かいこと。私は原子核増えないどうしたらいいって思っている人だったら、特にやって欲しいわ。瞑想もあまり出来ない。でも、これは出来るもん。やる気になったら。これは、会社においてもそうよ。職場においてもそうよ。もう細かいことかもしらんよ。例えば、ゴミを捨てに行くとかね。掃除するとか。お茶を入れるとか。何かする。そんなことの中にも、なんぼでも自分強く出来るよ。私ねえ、それがね、なんか知らんけどね、神様は一番それに原子核増やすようにしてくれてるような気がしてならないの。この、したって、四季だってそうなの。創ってくれたじゃない。なんせ、原子核を増やしやすいように、したって、してくれてるもん全部。いつも言うよねえ。親兄弟、最初にこう、私達が、あのー、原子核を増やすために、学びの相手として用意してくれてるやん。これを考えて欲しいんですよ。気安くこう付き合えるから、言いたいこと言いあって、喧嘩しあって、原子核増やせるのね。この仕組みもそう思わない。で、ちょっとそこで、学びが成長した人は、隣近所とのつき合いの中で、また喧嘩しあって、ね。また仲良くなって成長してく。ね。今の人類そうやってるよね。日本国の中で、みんないろいろ学びやってるよね。でも、隣国との、やってるやんいろいろ。近いから。近いから喧嘩しあえるの。すぐに。でも、あれよ。やはり、仲良く出来るのも近いところからよ。結局、それ勉強して、成長してると思うんよ。これも仕組みやない。神が創ってくれた。そう考えるとね、もちろん病気もそうなんよね。病気が、私一番だっていうのはそうなんよね。だから、私はそういう仕組みを創ってくれた神が、ね、望んでいることは、結構難しいことじゃないと思うんよ。もう、普段の生活のちっちゃなことから、学びなさいということのように思えて仕方がない。その方が、原子核増えるんじゃないかなと思うくらい。小っちゃいこと。そしたら当然、あれよね。家族の中でも、あれよ。あのー、争いごと起こんなくなるよ。みんな私がやる、いえ、私がやりますって言い出したら。ね。家族の中でそれこそ、やること取り合いになったら、悪くなる?良くなっても悪くならないよ。あのー、私の家庭はこんなに苦しいんです苦しいんですって言ってる人達、よーく考えて欲しいと思うの。まあ、私が小さい頃考えたら、そうなんだけどね。仕事、弟に押し付けたりしたもんよ。嫌な仕事は。弟はもう泣いて、しないから、仕方なく私やりに行った事、何回もあるけどもね。やっぱり、下の者に押し付けたがるよね。嫌なことを。これ、うまく出来てると思わない。やったモノが大きくなってるよ。したけど。一番うちの上の兄貴なんかも、絶対。朝は起きるの遅いし、何回言われても起きないしね。で、もう父親にあれやれ、これやれたって、なかなかやらない。腰が重い腰が重いと言われていた。結構そういうことだと思うよ。小っちゃなことかもしらんけどね。嫌なことをやっていくことによって、なんか手短に原子核集められるような気がするの。そしたらなんか普段の生活、なんか楽しくならない?まあこれは、自分がこれだけやれば、原子核が増えるんだと思えば、なんか知らんけどやれるようになるよ。私、今日ちょっと言ったね。つまんない事よ。こう、しゃがんで紙、拾いなさいとか。なんかっちゅうことも、本当に小っちゃいことかもしらんけど。私したけど、これを、なんか知らんけど全員に言いたいぐらい。その方が、原子核増えますよって、言いたいぐらい。私自身が。なんか最近そうなのよ。結構、もーねー、もー、なんかやりたがるの。まあもちろん、瞑想をね、してる時は、あれだけどね。そう。確かに瞑想は必要なことは必要よ。もうこの瞑想というのはね、ある、そのー、うん、この瞑想の話にね、入るけれどもね、まあ、今日、私、あのー、バスに乗りながら、なんせ7時間半ぐらいかかるのね。向こうからバスずーっと乗ってくんの。して、やはり揺れるよね。揺れるし、足も痛くなるよ。普通だったらね。私は乗ってから、着くまで瞑想。ずっと。そしたらねえ、ものすごい気持ちがいいんよ。そこに入って欲しいんよみんな。そこに入ったらねえ、もう瞑想程、楽しいものなくなるよ。もうね、ふぁーんとした光に包まれてね、ものすごい気持ちがいいの。息吸ってんのも、ものすごい気持ちがいいの。もう全然よ。まだ、何十時間いたっておんなじだわ。あれなら。ほんとに気持ちがいいよ。そこは、神の居場所に意識を置けるようになってからなんよ。皆さんの中に居られるよね、神が。当然、出てきたんだから。神から出てきて、分身として出てきて、原子核があるわけだ。この原子核そのものが、神の集まったモノだからね。そうでしょ。それが多くなったら、境界線越えるだけの話で。今はまだそこまでいってないけれども、あるんだから。そこに、意識を置けたらいいんだもん。そうでしょ。私は、そこに意識を置けるようになっただけ。皆さんと違うのは。それを、自覚の境界線越えたって言うかもしらんよね。まあ、あのー、本当に神だと思える自覚に入ったわけだけど、これは、確かなんだけど、要するにそこにおけるということ自体が、一つの節目に達したっちゅうことなんよ。そこにね、意識をポッと置けるようになって欲しいんよ。早く。そしたら、ものすごく気持ちがいいの。これはねえもー、体験者じゃないと分らない。これは、多分あれだよねえ。今の瞑想やっている人達は、もう今ねえ、日本に沢山、瞑想団体あるよ。でも多分、そんな瞑想していないと思う。そこに、置けるようになって欲しいんですよ。それはやはり、いつも言うように背中の、奥の奥の奥の奥のっちゅう言い方しか、出来ないけれども、出来ないけれども、そこにねえ、やはり、あれなんよねえ。コツを掴んで、置けるようになったらね、なんせあれだわ。もう瞑想が楽しくて仕方がなくなる。もちろんあれだよねえ。そこに、そうやって入ったら、食べなくてもよくなるし、眠らなくてもよくなるし、病気はしなくなる。ということなんだけどね。あのね、病気というのはね、まあいつも言うけれども、気のない状態。気というのはエネルギーのことだ。気のない状態が病気なんだよ。これはもう間違いない。さっき言ったように、あれでしょ。インフルエンザなんかにかかったりするのも、エネルギーが落ちてるからなるの。だから、夏にはならないじゃない。だから、エネルギーが集まったら、病気にならないっちゅう証明なんよ。したら、どうすれば一番いいかったら、まあ、原子核を増やすことだけれども、瞑想することなんよね。瞑想している時ちゅうのは、エネルギーが集まってくるから、もー、体が熱くなってくるぐらいだからね。そうすると、光の中に闇が入ってこれないから、病気になりようがないんよ、これ。これはもう科学的。だから、そこに、なんせ意識を置けるようになって欲しいよね。まあ、原子核の量によって、だんだんだんだんコツを掴んで、そこに置けるようになるわけだから、原子核を増やすことは、これは一番大切なことだよね。今、言ってるように、小っちゃいことかもしらんけど、集めてゆく。そして、わけわかんないでもいいから、瞑想する。ということやってるうちに、そこに入ることが出来るようになるから。居場所。必ずね、越智さんね。根気よくやって。間違いなくそういうところに置けるようになるから。そしたら、自分が光りだすの。そしたら、もー気持ちがいいんよ。ものすごく気持ちがいいんだから。そこにずっと浸かっていたいような状態。これはもう、間違いない。私が体験していることだから。ぜひそこに入って。これはもう、誰でも可能性があるわけだもん。だって、みんな神の子だもん。原子核を持ってんだから。ただ、多いか少ないかだけの話だからね。これあのー、あれだよね。本当に、体験して欲しいんだよね。何かね、特別な方法があるんだったら、本当に教えてあげたいけれども、これだけは、特別な方法ないからなあ。自分でやるしかないしね。うん。ただ皆さんは、着実にそこに進んでいることは間違いないよ。日々の社会体験。瞑想もね。まあ、あのー、バタバタでもいいからやっているはずだからね。だから一般の人から見たらね、全然違う原子核の量、増えてるんよ。間違いないからこれは。私が保証します。あのねー、皆さんねえ、今、自覚がないで、吾神なりと言ってるつもりかもしらんけど、違うよ。特にここにね来て、学んでいる人達というのは、知らない間に神が厚くなって重くなって深くなってんだもん。だから吾神なりって、何も自分は現象起きないって思うかもしらんけど、間違いなく起きてんよ。なんでかったら私ね、バスん中でね、本当にあれよ。バスの中だからやはり動くし、隣近所でいろいろお話してるよ。ね。もう、うるさいよ。それにガタガタ動くわけだから。でも、吾神なりと思っている時にはね、もう光るんだもん。したって。その、深く入ってないよ。私は。深く入ってなくても、あれだけ気持ちよくなるんだから。だから皆さんも、分かんないけどなってるっちゅうことよ。これは。それも、1年前の自分よりは、絶対深くなってる。これを信じて欲しいんですよ。現象としては、何も見えない何も感じないかもしらんけど、間違いなく進んでるから。私だって本当よ。上面で思っているくらいの瞑想しかしてないよ。出来ないよ。ああーいう、こんな状態ではやはり。それはもう、やれば出来るよ。もうずっと入りこめば出来るけど、そこまではしないよね。あのー、あれなんよね。結局、あのー、環境ということになってくるわけだけどね。結局どんな環境でも、やはりそこに入り込めるような、集中の仕方が必要なことは必要なんよね。だからこんなんなっていようが、どんなんなっていようが、そこにばあっと集中出来るようになったらいいわけよ。でもね、なかなか出来るもんじゃないよ。どんな覚者であっても、なかなか出来ないよ。やはり、環境に惑わされるもん。でもいいんよ。上っ面でもいいから神に意識を向けて吾神なりと言った時にはね、自分が光るんだもん。気持ちよくなるんだから。だから皆さんだって絶対、バタバタでもやっててもね、昔と違う瞑想の効果というのが現れているはずよ。ぜひ、信じてちょうだい。絶対、間違いないから。なんせやり続けること。やって欲しいんですよ、続けて欲しいんですよ。私が一番言いたいのはね、やり続けることなんですよ。やり続けていたらね、原因作ってるわけだもん。したら、必ず結果が生まれる。原因と結果の法則というのは、絶対なんだから。特に、吾神なりと思って原因作ってる時には、吾人間なりと思えないんだもん。同時に二つのこと思えないんだから。今までは、人間のことばっか、人間社会のことばっか、考えていた。でも、吾神なりという瞑想し始めたらね、その瞑想している何時間は、吾人間なりという、人間社会のことを考えないで済むもの。したら、それだけ原因なくしているということなの。悪い原因を。したら、原因と結果の法則で、ちゃんと出てくるじゃない。いいことが。これはもう、科学的法則だから。間違いないこと。だから、何も起こんなくてもいいから、吾神なりのね、瞑想を続けて欲しいんよ。ぜひ続けて欲しい。これだけは。そしたら、絶対違うから。それもね、根気よく。この肉を脱ぐまで。脱ぐまで続けて欲しい。そしたら、絶対その成果は、向こうに帰ったとき分るから。無駄なことっちゅうのは、絶対ありえない。これは私、保証するわ。だって、科学だもん。原因と結果の法則だもん。やってて現れないっちゅうことないんだから。したって、皆さん考えてご覧。今、もー、いろんな病気や事故事件起きてるよ。みんな、こないだでも、バス事故起きた人達だって、あの人達だって別にね、悪いことそんなに沢山思ってなかったかもしれない。いや、沢山じゃなくて、どういうんかなあ。年がら年中よ。その、人を憎んだり恨んだり、怒ったり、それこそちょっと人間として、どういうんかなあ。あってはならないような、思いばっかりだしてたわけじゃないよ。でも、くよくよ考えたり、ね。心配したり、ね。まあときには、ちょっと怒ったり、時にはあれだよねえ、うん。人に騙そうと思ったことがあるかも。その小っちゃい積み重ねが、ああいう事故を呼んでるっちゅうことよ。あの小っちゃい思い込みが全部。したって、小っちゃい悪い思い込みが今の地球にしてるじゃない。もうしょっちゅう、地震起こってるじゃない。そらー、中にはものすごく思って、きつい思いしてる人もいるよ。でも、きつい思いだけじゃないよ。小っちゃな思いが積み重なって、もう震度5になるようなもの。昨日だって、一昨日だってあったでしょ。二つ続けて。もう事件、事故、毎日やん。あれは、小っちゃい思いの積み重ねよ。したら、小っちゃい思いの積み重ねの吾神で、なるじゃない。そういうことなってんだったら。これ証明じゃない。悪いこともなるんだったら、いいこともなるはずよ。そうだよねえ。原因と結果の法則だから。そしたら、越智さんが、吾神なりの小っちゃいと思ってても、それ小っちゃいと思っちゃうの。小っちゃいことじゃないよ。その積み重ねがどれだけ、大きなものになるかっちゅうことよ。その証明が悪いことで起こってるじゃない、実際。ね。だから、私は信じて欲しいって言うの。私は何も悪いこと思っていないのに、病気になったって言うの。違うんよ。しょっちゅう悪いことの、小っちゃな悪いこと思ってるっちゅうこと。もう心配するんじゃない。みんな。ね。あっ、明日雪降ったらって、ぱっと思うんじゃない。あっ、花粉が飛ぶ。思うんじゃない。あっ、誰かとね、あの人あんなこと言った。また、パッと思う。その小っちゃい積み重ねが、大きな病気にして、大きな事故事件にしてるっちゅうことよ。そしたら、小っちゃい思いでもいいから、吾神なりと思ったことがなるということの証明じゃない。そうでしょう。だから、馬鹿にしないで欲しいっちゅうの。瞑想を。いいんよ。もうバタバタで泳いでいいんよ。やってれば。したって、これは消えることないんだから。思ったことは、いつも言うでしょ。思ったことは必ず、原子核集めてるじゃない。りんご創るんよ。ね。そらー、例えば、ねえ。絵里ちゃんが、朝から晩までよ、一生かかってリンゴ思ったら、りんご、ボーンと出てくるかもしれないよ。それは念の弱さによって、今はね、地球の波動が荒いから、そういう状態にならないけども、それを、小っちゃい思いでもいいから、神を思っててご覧。絶対神が集まってくるよ。原子核が。これほどね、これが生きてるっちゅうことよ。正しく生きてるっちゅうことよ。この世のことを思ってる時は、死んでんだもん。だって、悪いモノを生み出してんだから。何も思わなくても死んでるんよ。何も思わなかったら、何も生まれないもん。神を思っている時は、絶対に生まれるんだから。だから、殆どが人類全員が、無駄な想念使ってるっちゅうこと。全員が全員。私は何も持ってませんって言っても、その思ってないことが悪よ、ハッキリいって。思ってないことないよねえ。必ず、何か思ってるもんねえ。悪いことそれも。そう言いながらさあ、何も現れないっていうのみんな。悪いことは現れてんの知ってて、まあ知らないかもしらんけど。一般人の場合は分らなくても。でもここにいる人、分るよね。だから、あまり悪いこと思わなくなったんじゃない。だから、平和になってくるわけよ。だんだんだんだんと。私なんか、悪いこと一つも思わないもん。だから、悪い事が現れようがないもん。原因作ってないんだから。いっつも神のこと思ってるから、神が顕れるわけよ。光がもう、現われるわけよ。それは小さい大きいということはあるかもしらんけど、やってること自体は、何も変わんないっちゅうこと、皆さんと。小っちゃいからって、絶対そのあれよ、あのー、小っちゃいことだって言ってやらなかったら、あれよ、その時間無駄にしてるっちゅうことよ。その人生は。間違いないから。造ってるから。ぜひ、思ってちょうだい。だから、思ってる時は悪いこと思えないんでしょ。これね、やっててご覧、絶対ね、結果としてね、何か変化起きるよ。悪いことを思わない。なおかつ、神を思えば。神を持っている時は、悪いこと思えないんだもん。そしたらその分、いいこと現われるよ。絶対だから。これはもう私、声を大にして言いたい。原因と結果の法則は、間違いないんだから。これはしたから、今言ったように、事件事故病気で見させられてるじゃないみんな。ねえ。だから、あれよね。幸せ。まあ要するに、人生において、幸不幸を造ってんのは、想念のコントロールというのがね。そうなんよね。結局ね、自分の思いがみんな自分を不幸にしてんだもん。運命だよね。命を運ぶ。運命というのは命を運ぶよね。その命を運ぶのは何なの?想念よ全部。想念が命を運んでるんよ。それを、あれだよね。想念をいい方に使ったら、運命もいい方に行くに決まってるじゃない。命が運ばれていくんだから。いい方向に。悪いこと思ったら、運命は悪い方向にいくもん。つまり、悪い方に運ばれていくわけだから。想念によってね。だから、人生を良くしたいと思ったらね、この想念次第なの。想念がすべて運んでいくんだから。偶然なんちゅうこと、絶対ありえないんだから。全部、自分のせい。自分の想念のせい。他人の責任には絶対して欲しくない。この想念程、偉大なことないんだもん、したって。これがもー、科学的に立証されたらね、一遍に、その星は理想社会になっちゃうよね。想念の、想念次第だっちゅうことが分っただけでも違うよ。私達がね、なんでね、不安恐怖、ね、悪いことしか思えないの。お母さんよく考えてみてね。これは長年の癖なんよ。これも業なんよ、結局。長い間人間やってた時に、こういろんな体験があるから、こんな時にこんなことがあった、またなるんじゃないかとかね。こういう時にこんなことがあった、またなるんじゃないか。もう心配しちゃうんよ。その昔の体験から。魂が知ってるんだもん。そういう体験や体験知ってる。ね。それはやはり、知らなかったから。想念の使い方が知らなかったから、想念悪く使ってて、そういう状態になったんよ。それがね、魂に刻まれてんよ。だから、それがあるもんだから、もー、悪いことしか思えないんよ。もう、良いこと思う人っちゅうの殆どいないよ。今の人類。それは昔から、何万転生もしてきた中に於いて、癖なんよ。思い癖っちゅうやつ。これを打ち消すっちゅうのは、大変だよね。思い癖を。良くするっちゅうのは。でも、1回断ち切らんと駄目なんよ。思い癖を。思い癖を立ち切る方法が、瞑想なんよ。だから、瞑想っちゅうのはね、原子核を集めるよ、もちろん。でも、思い癖を立ち切る一番の方法でもあるわけよ。したってねえ、もう皆さんね、私のそこに入って欲しいんよ。そんなこと思えないよ。その中に入っちゃったら。もー、光の中に入って気持ち良い状態で、この世の悪いこと思えると思う。もーもーもー、本当に、楽しいことしか思わんよ、思うとしても。まあ、吾神なりと思ってるから、楽しいことさえ思えないけどね。二つ思えないから。私は神である、吾神なりって思ってる時は、本当にもー、本当に幸せ。早く皆さんそこに入ってよ。それは悪い思いを持たなくなってきたらそうなれるから。なんせ、想念のコントロールをぜひして欲しいんよ。ここまで来た人は。欲望のコントロール、感情のコントロール、やってきたんだもんここまで。何とか、もー、克服出来る近くまで来てる、この二つは。でも想念のコントロールだけは、どうしても出来ないんよ、まだ。長年長年付けた癖があるから。悪い思い癖だよね。これを何とかねえ、気づかないんよ。そう思っている時、気づかないでしょ。いつの間にか、あっと気づいたら、こんなこと思ってたと思うでしょ。気づかないで思っちゃうんよ。だから、それを気づくように、うん。だから私はね、見破るって書くっちゅうのは、そこなんよ。このこと言ってんだ。サタンに勝つ勝たないっちゅうのは、自分の思いに勝つ勝たないっちゅうことなんだから。そうでしょ。見破るって書いてたらね、自分が悪いこと思ってたことがね、あっと気がつくんよ。だから、それをベタベタ貼っとけばいいんよ。自分の部屋に。したって、そうでしょ。もうしょっちゅう思うでしょう、悪いこと。だから目につく、玄関開けたらパッと、見破る。ね。部屋に入って戸を開けたら、見破る。そしたら、その都度、気―、つくやん。それやって。ぜひ。これからもーねー。今後の人生すべてそれにかけてちょうだい。想念を良く持つことに。もう、ぜひやって欲しい。これなんだからね。サタンっちゅうのは。悪いこと思うことがサタンなんでしょ。それに同調してくんだもん。周りの悪い波動が。だから自殺したり、事件事故、起きるわけでしょ。これ全部、想念だもん。したって。想念全部、ね。外の想念が、自分の想念に関与してきてることだから。だから膨らむわけよ。だから、自分の想念をまず正すこと。そしたら、そういうものが入ってこなくなるからね。共鳴しなくなってきたら、ね。思わなくなるから。思っても、小っちゃい思いで済むようになるかもしらんから。もう今日からね、貼っておきなさい。これに尽きるよ。したけど、本当にこれに尽きるよ。私はみんなに言いたい。みんなこう学んでる人でも、殆どが悪いことしか思わないんだから。だからもうぜひ、見えるところに見破るって貼って欲しいんよ。見破るって見た途端に、あっ、想念って思ったらいいんよ。そうでしょ。そうだ。見破ると想念と一緒にして、書いといたらいいかもしらん。ねえ。そう並べてね。見破る、あっ、想念だ。したら今、何を思ってたかなって思ったらいい。あっ、なんだ、孫のこと思ってたとかね。なんせ、この世のこと思ってる時は、悪いこと思ってんだもん。そうでしょ。だって、この世のことは幻の世界でしょ。幻の世界っちゅうことは、10の5乗ヘルツくらい前後の、物質の世界の話よ。途端に、ボーンと落ちるんよ、そこまで。波動が。この世のことを思っただけでよ。神を思ってご覧。ボーンっと一兆八千億ヘルツまで上がるから。まあ中身によるから。いっぺんにそこまで行けたらいいんだけどね。でなくても、まず何億ヘルツまで上がるよ。いっぺんに。言っとくわ。これに尽きると思うわ。あー、今日は私良いこと言った。ぜひみんなやって。見破る、想念。で、常に想念をコントロールする。別に面倒じゃないじゃない。神を思えばいいんだから。お父さん何々やってください。はい、やりますよってやりだしたら、もー、神を思ってるんでしょ。返事はしなきゃなんないもんね。無視出来ないからね。聞いて、ね、この世のことは、やらなきゃなんないよ、もちろん、肉体を持って、家族と一緒にいるうちはね。でも、やろうと思ったら、自分がやりだしたら、その時に、神を思えないことないよ。よほど頭考えることじゃない限り。これは1人でいたって、なお出来るよ。一日中そう思ってご覧、神を。思うだけでいいんだから。集中いらないんだから。したって皆さん、悪いこと集中して悪いこと思ってる?ねえ。ちょこちょこちょこちょこっと思ってたやつが、積み重なって、病気になったり事故おこしてるんでしょ。だから、ちょこちょこちょこっと集まった神で、成れるじゃない。でしょ。ちょこちょこちょこちょこが大切なんよ。だから、そんなねもー、小っちゃいことだと思わないこと。神をちょっと思った神は、ものすごい事だと思って欲しいんよ。それの積み重ねだから。あー、今日はいいこと言ったわ。これ全員にやって欲しいわ。ちょこちょこちょこは集めて欲しい。そしたら集中してやる必要ないじゃない。実際そうなっているんだもん、悪いことは。ちょこちょこちょこの集まりが、悪いことになってるんだもん。完全なる証明でしょ。したら、ちょこちょこちょこの神を、集めたらいいじゃない。そんなねえ素晴らしいこと、だよ。今日。ねえ。これ誰が言わしてる。ねえ。アハハハハ。本当よ。そしたら、ますますやる気になるよ。だってさ、あなた達、一体どんな人生送りたいの?何のために生まれてきたの?もー、神の本性を知って、神に帰るためでしょ。そしたら、この世のこと、何、必要あるのそんなもの。幻のこと。そんなことなんで思うの。悪いことしか起きないこと、どうして思うの。そして苦しんでんの。あのー、ねえ。ある人がね、私はあのー、あれよねえ。お母さんに対しても、もー、良いことをしないできたと。ここまでの人生においてね。あのー、要するにあれよね。お母さん孝行をしなかったっちゅーことなんよね。そしてね、そのことについて、ものすごく自分の心を痛めつけてるの。もう、本当にもー、大変自分をね、痛めつけてる。そういうメール頂いたのね。まあ、ある人はお父さんとか。お爺さんとか。兄弟でも。ね。いろんなメール頂いてんだけどね。私は本当に悪い弟でしたとかね。悪い妻でしたとか。悪い夫でしたとか。悪い子でしたとかって、自分をね。いじめてるの。そんなことを、自分のいじめてるっちゅうことは、結局、今言ったように、ちょこちょこちょこちょこ、悪いこと集めてるっちゅうことよ。だから、もー、もー苦しい。だから当然あれよ。そこで何か起こるよ。悪いことが。自分で自分をいじめてるんだもん。その人は。私達は自由よ。想うことは。どうにでも思えるんよ。但しね、あれだよね。やはり、私達の中に神が居られるから。良心があるから。良心を犯すようなことをしたら苦しいよね。どうしても。で、自分を、なんちゅうんか、そういうその、良心を犯したことによって、苦しむよね。だから、自分で自分を苦しめてるわけよ。それは、何にも意味ないんよ。そこに何が必要かったら、その良心が納得する、動機を入れてあげたらいいよ。動機を。私は確かにね、自分の子供をいじめましたと。まあ、今、沢山あるよね。いじめや何かでもね。いじめましたって、その子が亡くなったあとのね、その亡くなった子のために、もー、もー、もー、もー、悔やんで悔やんでね、もー、真っ暗な人生にしてるの。もう、仏壇に手を合わして、そらーもう、反省懺悔、より、自分のやったことに対しての悔やみだよね。悔やみがあってあって、もーね、自分を許されないんよ。許さないよね。でも、そんなことして何の得あるの。これからも続くんでしょう、その人の人生。そうした、そのやったことに対してね、確かに反省は一時的に必要だったかもしれない。でも、それをいつまでも掴んでたらいけないよね。だから、許すためにはね。自分の良心が納得するためには、動機を与えてやればいいの。そこに。それによって、自分が学べたんだから、そのことによって学べたっちゅうことは、もー、最高の贈り物。確かに悪いことをしてしまって、そういう痛みを来たわけよ。ね。それによって学んでるよ。その人は。もう二度とこれからこんなことは絶対しないって、いうことで反省もしてるわけだからね。そしたら反省したということは、もうそこで次の精算は終わってるんよ。なのに、いつまでも掴んでんの、罪を。そしたら、自分の宇宙汚してるっちゅうことよ。つまり悪いことの想念をずっと持ち続けてるっちゅうことよ。それが一体なんの得があるの。だって、自分の宇宙しかないんだもん。いつも言うように。そらー、外側からいろんなね、そういうものの影響を受けたわけだから、あの、まあ外側は、本当はないんだけれども、それを自分の良心の、良心っちゅうかね、自分の過ちに於いて、そういう外側を造って、それによって自分苦しんでるわけだからね。外からの影響、ものすごい受けてるわけだけれども、でも本当は、それはないわけだから、まあこれは真理知ってったら、それがわかったら、そんなこと、そういうこと思わなくなるんだけど、まだ真理知らない間は、外側のモノがどうしても自分の宇宙汚すよね。でも、それを汚して誰か得する人いる。死んだ人だって、そんな思いを持って毎日を生きてるの見たら、悲しむよ。その人は自分の罪を離さないんだもん。いつまでも。許すこと。自分を。自分が成長したらいいんだもん。これは成長のためと思ってね、自分が成長させるために、あのー、時間くれてんよ。後の人生。だったら、それを境にね、自分を成長させる方に持ってったらどう。っちゅうことは、神を求めることに、つまり真理を求めるようにしてったらどうなの。それが賢い人の生き方だし、その人のね、いじめた人のためのでもあるわけよ。っちゅうことは自分が成長したら、宇宙が成長するんでしょ。進化するんでしょ。したら、全員のためになることだもん。それが、くよくよくよくよって、自分をいじめてたらさ、悪いこと作ってるんだもん、そこで。そしたら、この宇宙を悪くしてるっちゅうことよ。二重の罪を犯すことに、なっちゃうじゃない。だから私はね、そういうメールくれる人に言いたいよね。もう、そんな自分をいじめちゃいけないよと。反省したら、それで罪の精算終わったんだから、あとは自分の原子核を増やす人生にしてちょうだいって、私言いたいよ。これがやはりあれだよね。知ってる人と、知らない人の差なんだから。まあ、知ってても、そっから抜け出せない人いるわけよ。もう本当に苦しくて、自分のやったことに対しての罪というのがね、どうしても自分を苦しめる。でも、この理屈を知って欲しいんですよ。そういう苦しみにあったということは、ね。その苦しい中から、必ず得てるということ。して、そういう苦しんで死んだ人も、そっから必ず何か掴んで帰ってるわけだから、悪いことじゃないっちゅうことをね。まあこれは、いつも言うことだけれども、原因と結果の法則だから、一方的はないわけだからね。苦しみに合わされた人は、自分が以前苦しみを誰かに追わしていて、苦しみに合わされてんだから、だからこの苦しいことは発見するための苦しいことだから、良いことだと思ってね。すべてそうなの、裏返しだからね。苦しいということは、苦しいことをしたから、苦しいことさせられてんだもん。で、苦しくて死んだ人も、そう。その苦しめられたのは、自分が前に苦しいことしてたから、苦しめられたんだから。まあ、こういう理屈を知ったら、なおあれだよね。自分をいじめなくなるからね。まあこれはもう、ずっと私言ってることだからね。だから、これは知ったか、知らないかによって、その人の心の中、大分変わってくるよね。つまり罪の所在を、ハッキリさせる。つまり、悪いことっちゅうことはないんだっちゅうこと。悪いことはいいことに結びついてるっちゅうことをね、そこで発見したらね、そこで、自分の心の中をね、そういう曇りをつけないで済むからね。ぜひそういうことを、まあ、あのー、そういうメールくれる人いるからね。なんせ自分の想念が全部作ってるっちゅうこと。私は言いたいの。だから、そういう人であればある程ね、私は言いたい。今の今を、神を思ってください。神を思っている時は悪いこと思えないんだ。この世のこと思えないんだから、そうしたら、神のちょっと僅かな口先だけかもしらないけど、その積み重ね。プラス、プラス、プラスだからね。それが必ずいいことに現われるから、私は、その、小っちゃいことかもしらんけど、口先だけの神でもいいから、思って欲しい、想念を使って欲しい。そしたら、なんせ悪いこと思えないんだから。神様というのは、完璧だからね。神は完全完璧よ。ということは、小っちゃいことも、全部意味があるっちゅうことなんよ。ということよ。小っちゃいこと。例えばよ、あのーあれよ、ねえ。今、私達が何か、思った、何かやったちゅうことは、何も残んない、消えるんだったら、それ神が完全だっと言える?本当にちょっと、あっ、雨降ってきた。と思った事も、全部アカシックレコードに刻まれるんよ。私達の思いというのは、もう絶対なくなんないんだから。影響を与えないことないんだから。小っちゃいかもしらんよ。でも、その小っちゃいことが、全部プラスされていってんよ。して、現象として現れてくるんだ。でなかったら、神不完全よ。なんかやったことが、何も現象起きないのだったら、それは神が不完全っちゅー証拠よ。どんなことでも、自分の、自分が、自分が神なんだから、自分の中で思ったっちゅうことは、神が思ったっちゅうことよ。ということは、その思った神は一体、何のためにそういうこと思ったの?意味がないの?そんな神だったら、もう不完全の神よ。だからね、小っちゃいことであろうと、全部、自分の責任と思って。そしたら、悪いこと思えないよ。もーねーこの、自分が神であるということは、そこまで、責任持たされてるっちゅうことなんよ。それも神が完全だから。すべて、何らかの意味に繋がってるということだから。そこに抜けることはないの、何も。すべて、この宇宙の何かの糧になっているっちゅうこと。ぜひそういう風にね、思って。つまんない事だと思わないこと。だからなお、ヤル気になることも出来るわけよ。ああ、小っちゃいことだけれどもこれは絶対何かの影響を与えてる。何か意味あると思ってやってご覧。そしたら、ものすごくやる気になるよ。それは、もういいことを想うこと。その良いことを想う、やる気になって欲しいと思うんですよ。とりあえずそしたら、ここであれしましょうか。ね。じゃ、どうもありがとうございました。