2016年1月9日 東京塾 (全再生時間:1時間59分28秒)
はい、そしたら、こんにちは皆さん。年末から年始にかけて、こう、みんなこう、社会の人達は、結構浮かれ気分でいるでしょ。あのー、この期間というのはね、波動がどうしても落ちるんですよ。これ皆さん体験していないかな?ちょっと瞑想がしづらいということない?私のところもね、山の上まで感じるもん。やはりね、どうしても波動が落ちるんですよ。この時期はね。なのにこうやって皆さん集まってくれるということはね。まあ、あのー、私達、真理求めてる人は、正月も年末も関係ないんですよ。ということは、これはあくまでも、人間界の区切りだからね。まあ、あのー、地球がこう自転して、太陽の周りを回って、まあこれ、人間が決めた1年であるし。1日であるし。まあ正月も何も、全部決めているわけだからね。これは、自然は関係ないんよね。でも、とりあえずは、まあ、人間界の一つのけじめ、決まりとしてそういうことやっているわけだから、それはやはり、私達人間。とりあえず人間として生きているわけだから、それに従って生きなきゃなんないんだよね。あのー、まあこうやって皆さんが勉強会集まってますよね。これは大変良いこと。これは、本当に素晴らしいことなんですけど。あのー、一番ね学んでいるのは私なんですよ。ハッキリ言って。うふふふ!あのー、こんなこと言っちゃ、ちょっとあれですけど。私が理解していること。皆さんが理解してる。まあ、理解度ですよね。理解度っちゅうのはやはり、それぞれ違うんですよ。理解度が違うから、こういうことも言えるんですよ。私ね、この、まあ、ビデオ撮ってるよね。で、私ね、時々見るんですよ。自分って、自分って言って、この形の自分をね。あのー、私はこう自分で言っていながら、自分で勉強してるんですよ。いつも言いますよね。自分で勉強しているということを言いますよね。そうなんですよ。私が言っていることを、これで見ててね、色んな気づきが起きるんですよ。そん時にわかんないことで、後で見て、気づきが起きる。ということは、その気づきの程度というのは、理解度によって違うわけだから、ということは、まあ私が一番、学んでるっちゅうことになるわけですよね。こんなことを言ったらちょっとおこがましい。だからねえ、私ももの凄くいいことだと思うんですよ。真理というのはねえ、これ知識じゃないんですよ。これはねえ、深く知れば知るほどねえ、なるほどと思うんですよ。真理というのは知識じゃないんですよね。あくまでも自分の心の底に落としたモノが知識だからね。知識じゃなくて、あのー、理解力に結びついて、気づきに結びつくわけですよ。心の底に落とさないやつは、ここで止まってるやつは、それでお終いなんですよ。なんでかったら、やっぱり実感に結びつかないから。私達はここでね、学んでるのは実感する為だもんね。自分が神である実感をする為でしょ。自分が神であるという知識は皆さん、もうすでに、本を読んで知っているわけですよ。でも知識じゃもう、絵に描いたぼた餅。何の味も何もない。これはやはり、自分の心の底に落とさんかったら、つまり、実感出来るようにならんかったらね、自分は変わんないんですよ。ここはねえ変わる所ですからねえ。いつも言うように。拝んで、何かをくださいっちゅうところじゃないんですよ。自分が変わんないと、意味がない勉強会なんですよ。ハッキリ言って。これは間違いなく変化が起きる。私が言っていることは、科学的なことを言っているわけだから。間違いなく変化が起きるんですよ。変化が起きないモノは、これはもう、実際言って、やってないということですよ。この私言っていることは、科学だからね。原因と結果の法則を言っているわけだから、やれば必ず結果がついてくるようになってるんですよ。それが変わんないと言うことは、自分がやってないと言うことなんですよ。ハッキリ言って。まあ、ここで学んでいる人達がね、いろいろ変化が起きているということを言ってくれるの嬉しいことですね。これは実際、その科学を実践して、つまり原因を造ったから結果が生まれたということですからね。だからもう、他のそのねえ、まあここは勿論宗教じゃないですよ。科学を教える場だからね。でも他の宗教で、悪くはなっても、良くはならないっちゅうのは、自分を入れてないからですよ。いつも言うように科学というのは、自分が入っていないと駄目なんですよそこに。これは自分主体の宇宙だから。分るねえ。これはもういつも言うことだもんね。自分抜きの宇宙ってありえないんですよ。なんか知らんけど、他人ごとに考えて、そんなことじゃないんですよ。私達は、全員自分が主役なんですよ。自分の宇宙しかないんだから。ね。だから科学だって。そこには自分が全部入ってるんですよ。皆さん、いつも言うでしょ。このアングルは一生変わってないじゃない。ね。自分がこう向こう向けて写し撮りしてるわけでしょ。自分がやっているわけよ結局。自分がいなかったら全部消えちゃうんよ前のもの。全て消えちゃうでしょ。ということは、自分が主観宇宙である証拠だよね。私ね、今日ね、ちょっと言いたいことは、私達が何で神なのか。これをもうちょっとね、ハッキリさせたいんですよ。科学的に。知識じゃないからね。私達は科学を学んで、科学を実践するわけだから。それは私達が神ですよということを、深い深い心の底で知ること。知って実感することですよね。これ今日もう一度ね、なんで人間は神なのか。ハッキリさせたいと思うんですよ。あのー、こないだ安齋さん私にメールくれてましたよね。自分の気づいたこと。ね。その中で、まあここまで安齋さんが気づいたらもう、皆さんにお話しなきゃなんないなということで、今日、話をしようと思うんですけどね。まあ安齋さんは自分の、なんかところに、そのハエ?ハエかなんか大きな居たと。それが見えなくなった。消えてなくなったと。ね。これは、やはりテレポーション的なことが起こってるんじゃないかと言うことで、あのー、気づいたということを言ってましたよね。私がね、もーそうなんですけれども。まあこれは、皆さん体験している人もいるんですよ。なんでこんなこと言うかったらね、これ現象の話ですよ。だけど、現象の話というのが結びついてるんですよ。私達が神の子であるというところに。だから言うわけですよ。私は現象の話はしませんからね。いつも。それは全部神に結びついていることに対しての現象を言っているわけですよね。今までもね。あのー、私もねえ、いつだったか、何ヶ月か前にねえ、まあ自分の家でね、もう本当にこのぐらいのね、あのー、ムカデを見たんですよ。ね。あれあれ、ムカデこんなところになんで入ってきたのか?って、まあそん時、思ったよね。まあムカデってあんまり気持ちのいいもんじゃないよね。でも私の目から見たら、まあ、いつも言うように、全ては1つだからね。本質は1つで、ムカデさんも私達と本質的には変わんないわけだから。何だけども。やはり、あんまり気持ちのいいもんじゃないよね。で、私はね、こう見てたんよ。そしたら、まあ、私の部屋に来た人分るかもしらんけれども、私のところ、小さいところですよね。で、あのー、テレビの影に消えちゃったわけよ。ね。あれあんなところに居たらちょっと、やはりねえ、あのー、環境が違うから。ムカデさんはムカデさんの環境が必要。私は私の環境が必要。お互いに環境は守らなきゃなんない。これは、あのー、当然この地球上に生きている人達は、全部これ環境というのは、必要なんですよ。その魂にとって必要な場があるわけだから。やはり、まずいですよねえ。そこに一緒に寝泊まりしてたんじゃ。あのね、猫とか犬とかで、寝泊まりしている人もいるでしょう。あれもね、ちゃんと意味はあるんだけど、あれは区別しなくちゃならないことも事実なんよ。まあこれはまた、なんか横に入りそうだからやめといてもね。要するに、ムカデさんがそこに居たと。したら、まあ、後で出してやろうかなっと思っていながらも、ちょっと気になるから、探したらいないんですよ。本当に僅か、数十秒の間にいなくなったんですよ。ね。あの皆さんね。これねえ今の人類は、殆どの人が分かんないと思う。これは科学者も勿論こんなこと信じないんだけども。あのー、動物界でね、何で死骸がないの?これだけのね、沢山の動物達いますよ。鳥さんもね。あのー、死骸って滅多に見た事ないでしょ。あれ死骸が見えると言うのは、ちゃんと意味があるんですよ。人間の目に見せるということは。これはね。まああのー、そのー、唯物的な、要するに地球においての概念ね。あのー、物質的な概念があるわけですよ。その人達の目には映らないようにしてあるんですよ。ところが私達みたいにある程度、そのー、唯心的な目で見る人の前にはね、そういうこと見せる事あるんですよ。まあ皆さん、不思議に思うことあるでしょ。沢山の動物達がいるのに、沢山の死骸が残ってなきゃなんないのが、ないでしょ。特にその、ジャングルとか何かったら、殆ど見られない。あのー、知花先生が、まあ、南米に行ってて、ジャングルで生活していた時にね、全然死骸ちゅうのがね見ないんだって。あれだけの動物達がいるのに。ね。なんで見えなくなるの。死骸って残らないの?私達の町の中で、犬が車にひかれて死骸が残ったとか、カラスがまあ電気の電線に乗ってなんか感電して、下に落ちて死んだとか。ねえ、いろいろとこう一般の人達には、死骸が見えるよねえ。ところが、私達の目の届かないところ。まあ人間界からちょっと離れたところでは、あのー、勿論私達の前では見せないけれども、殆ど死骸ちゅうのは見えないでしょ。あのね、二つの死に方があるんですよ。自然界には。まあこれは、私が初めてこんなこというんだけどね。あのー、まあ、これは、安齋さんがそういう発見したから私が言うわけよ。これが神に結びついてるっちゅうことを言いたいから。あのー、普通はね、魂が抜けて死体が残るんですよ。これが普通の死に方。今の地球上の一般的な死に方。ね。これはね。その死骸の中には電子が残ってるんですよね。魂が抜けて、普通の状態。要するに原子だよね。原子の状態だよね。電子があるということは、原子状態でしょ。ところがもう一つの死に方があるんですよ。電子だけが抜ける。電子が抜けるんですよ。電子が抜けると、形が消えちゃうんですよ。そん時に、一緒に魂も出るんですよ。そういう死に方と二通りあるよね。私達は、この人間として死ぬ時は、魂が抜けて逝きますよねえ。そして後で腐りだすよねえ。これはもう当然、魂が抜けると、身体を支配出来ないから、当然死ぬよねえ。だから普通の状態で腐っていって、あのー、要するに、大気に還元されるわけよ。まあ土に戻って、大気に還元されて、原子は昔の元の状態の原子で、あのー、浮遊するわけよ。空間にね。そういうようにして、私達の死骸ちゅうのは、無くなっていくよね。まあ要するに、腐るということは、色んな菌とか虫たちが、関与しているわけよ。途中で。して腐らすわけだから。で、腐敗させて、要するにあのー、原子に戻すわけだからね。元の状態。ところが、もう一つの死に方っちゅうのは、電子が抜けるんですよ。そしたらね、原子核というのがねえ、電子と結びついて初めて形が出来るわけでしょ。電子だけ抜けたらねえ、原子核はエネルギー状態になっちゃうんですよ。だから、見えなくなっちゃうんですよ。そういう状態でね、まあ安齋さんのも私のも、いなくなったっちゅうことですよ。だからそれは死んだと言ったら死んだし、ね。何でこれがね、神に結びつくかと思うかもしんないよね。あのー、この地球上ではねえ、科学者っちゅうのはねえ、生き物、まあ物だよね。私達は、鉱物、植物、動物、人間は全部生き物と言ってますよねえ。科学者っちゅうのは、鉱物は生き物と言わないよねえ。なんせ動いているものを、息してるもの?ね。そういうものを生き物というわけよね。ところがね、私達は、鉱物も生き物だと言うよねえ。その生き物というのは、まあ生き物にしてもいいよ。まあ科学者の言っていることを、まああのー、ちょっと譲って、それもまあ、鉱物抜けててもいいけども、しても、鉱物入れないとちょっと話が進まないから、やはり入れなきゃなんないんだけれども、あのー、なんで私達はね、誕生してくるの?誕生?誕生と死についてね、ちょっと考えてみたら面白い発見あるよね。あのー、私達は、まあ、人間の場合は卵子と精子が結びついて肉体が生まれてくる。ね。まあ、この自然界っちゅうのは、あれだよね。やはり、まあ植物でも雌しべと雄しべ。動物界でもそういうようなことあるよね。要するに種だよ。元の種。種がなかったら、生まれてこないっちゅうことになってるわけよ。この地球上では。これが一般の科学者の言うこと。何か生まれるには必ず種がありますよって言っているわけ、彼らは。うん。そうかもしらん。今の常識では。私達の概念というのは、そういうものの積み重ねによって、みんな植え付けられてきているわけよ。だから誕生。何か生まれるには必ず種が必要だっちゅーことになってるわけよ。ね。そしたらよ。最初の種どっから生まれたの?ねえ。例えば今、種によって花が生まれたとしようか。その種は、その前に親がいるよねえ。親の種が。それはその親の種は、また親の種がいるよねえ。最初はどっから生まれたの?したら。これ科学者は考えないの。いやー、自然発生説っていうこと言う馬鹿な科学者がいるの。自然発生説っちゅーの。したら自然発生説は、自然発生説をさせている力はどっからきてるの?したら。そうでしょ。そこまで考えないよね。それで面白いんよ。突然変異とかって言いだすんよ。進化論。もうどうにもならなくなると、そういうこと言いだすの。突然変異でなったとか、自然発生説でなったとかと言ってね。じゃあ、突然変異をならしてる力はどこから来てるの?したら。地球で最初燃えてたんよ。もうそれはもう、そこにはもう、種もなんにもないよね。何千度だから。何千度じゃないよね。相当なあれから、最初の段階ではなっているわけでしょ。そしたらどっからその種出てきたの?その燃えている中から。したら科学者はね、いやあ、宇宙から胞子が飛んで来たっちゅうのね。胞子という言い方するんよ。今度は。ね。それが種だっちゅーの。したら、その宇宙、胞子はどっからきたの?その。これだっておんなじよ。宇宙はもう最初のビックバンでは、あれでしょ。そんなものないんでしょ。これみんなね、そこで科学者っちゅうのはもう、絶対それ、なんでかったら、それを認めたら神を認めざるを得なくなるから。そうでしょ。したら、その力は何ですかって私が言うのは、その力のことを言っているわけよ。その偶然に発生にしたって、何にしたって、その力がなかったら成りようがないじゃない。その力はどっから来てるの?そう言ったら科学者困っちゃうわけよ。もうそれ以上科学者は言いようがないの。今そこで止まってるんよ。科学者同士はそれで納得してるんよ。私達は納得出来ないよねえ。その力は一体なんなのっていうよねえ。私達はそれを神ということで、まあ、私達は、分かってる。まあ神でなくてもいいわけよ。生命力でも、エネルギーでも、光でも、要するに大元だよね。創造主だよね。それがなかったら、この宇宙なんか出来っこないわけでしょ。最初に創ったのは。したらこの宇宙は、何から出来たの一体。最初。それを科学者、絶対そんなこと解明出来ないでしょ。今の科学者。私達人間というのも、結局はその見えないモノから生まれてきたんでしょ。そういうことを追求していったら。したら、その見えないモノは何なの?見えないモノでもいいわけよ。それを私達は、たまたま神と言っているだけ。神というのは馴染んでいるから。名前としては。だから私は堂々と、神から人間になったんだよっと言うわけよ。つまり、見えないモノから、見える人間になったんだよっと言うわけよ。だから人間は神である。つまり人間は見えないモノであると私言うわけよ。だから見えないモノが皆さんの中にあるから、見えるモノになってるんでしょ。だもんねえ。そしたら私達見えないモノじゃない。地球の概念がね、全部ね、要するに、種とか、要するに目に見えるモノね、そのー、認めないんよ。だから今こんな社会になっているわけよ。もう大変でしょ。今の世界。見てご覧。一つとして良いものある?これを、そこが原因になってるんよ。見えないものを認めないからこんな社会になってるんよ。もうここに居る人だったらみんな分かってるよね。なんで宗教戦争起こるの?なんでこんな社会が出来るの?これは見えないモノが本当にそこから全部生まれてるっちゅうことが分かったら、こんな社会にならないよ。つまり、そういうものを認めたら、今のような生き方が出来ないんだもん人間は。人類は。そうでしょう。目に見えない世界が私達の背後にあるということが分かったら、その見えないモノっちゅうの何かったら、原因だから。そうでしょ。原因を認めたら結果を認めざるを得ないから。今の人達はね、結果だけは分かっているわけよ。でもその結果は、どっからきているのか、追求しようとしないんだもん。だから、いい加減な生き方になるわけどうしても。これ、原因追求したらね、恐ろしくてとんでもないよ。そんなもう、いい加減な生き方出来ないよ。人殺しなんか出来ると思う?原因が分かったら。この宇宙っちゅうのは、原因と結果の法則によってなってんでしょ。それは、私達、唯心論者は、分かっているよね。だから、やはり正しい生き方しようと思うやん。唯物的な人達は、偶然なんだから、全て。ね。偶然になっていると思うんだから。偶然だったら、ねえ。今あれよ、あのー、隕石に撃たれても、偶然なんだから。これ仕方がないよね。そしたら偶然的な生き方するやん。したら、悪いことどうしてもするよ。でも必然だってわかったら、恐ろしくて出来ると思う。悪いこと。ね。ここが一番今の社会のね、根本の、あのー、要するに、こういう悪しき世界が生まれている、根本原因なんよ。見えないモノを認めないっちゅうことから来てんよ。私の言っていることね、なんかおかしいこと言ってる?これ科学者に言ったら、科学者もう、詰まってまって、もうなんにも言えないよ。私の言っていることを聞いて、反発しようと思ったって、反発出来ないよ。絶対出来るわけがない。もう普通の脳を持っていたら。人間的脳でもいいわ。私達は、直感、右脳のやつを今取り入れて、色んな表現をしようとしているわけよね。実際、左脳では今まで地球に降りてきた、知識化されたモノを左脳で覚えて、それを言葉にして話しているだけだから。これじゃ、もー、限定されたモノ。現れた結果だけを組み合わせて言っているわけだから。もの凄い、狭いんよ。範囲としては。宇宙を知るためには。ところが私達、右脳から来てるのはね、無限のところから来てるんだから。そうでしょ。だから、ハッキリ言って、必要なものは全部右脳から入ってくるよね。まあ私達の理解力に応じて、入ってくるものは決まっているから、ね。だからもう、何でも入ってくるわけじゃないよ。私も入ってくるのは、今に必要なものだけ入ってきているわけ。私がこんなこと知りたいと思って、なんか知識的欲望を膨らませてよ、求めたって、絶対に降りてこないの。私は何回もやっているの、実験。ところが必要なものは降りてくるの。これは地球ではないことでも。地球では全く知識化されていないことでも、降りてくるんよ。これは必要な場合。だから、全くね、その、したからあれでしょ、この地球上に色んな発明発見があるやん。あれ人間の脳から生まれてるんじゃないよ。これはもう、ここに居る人だったら分かってるよね。もう実に、私はちょっとね、まあいつも、この話になると興奮気味になるよね。なんでかったら、余りにも幼稚すぎるから、科学者たちが。これがねえ、もうちょっとね、あれだよねえ、見えないモノをね、研究してくれたらよ、こんな社会になってないの。もー、醜い争いしてるよ。殺人、強盗、爆弾テロ、何々、沢山起きてるやん。それは結局ね、そういう科学者の、科学者ということ自体が、あのー、左脳でしょ。で、この社会牛耳っている人達、みんな左脳じゃない。東大出とか、何大出とか、もう有名な大学出の人達が牛耳っている社会よ。それが唯物主義だもん、全部。見えるモノしか認めないんだもん。その人達は。見えないモノを認めたら、全て変わっちゃうのこの社会。それを認めない人達が牛耳っている社会だから、いつまで経ったって進化しないわけよ。私達は見えないモノを本当に信じてるよね。実際さあ、見えるモノっちゅうのは、幻だっちゅーことが、どうして分らないのか、不思議で仕方がないの。これは。見えるモノは、この五感で感じることだけでしょ。あるレベルのものだけが見えるようになってるんでしょ。その見えないモノのほうが多いちゅうことを、ここに居る人だったら、こんなもん常識だよね。ハッキリ言って。科学者全然違うんだから。目に見えるモノしか研究しないんだから。それも波動ってったら、無限にあるんよ。この宇宙の波動は。もうこれは無限よ。その僅か一部分の波動の見える部分だけを、科学者たち研究して、あるって言っているわけよ。無いモノのほう、その、見えないモノのほうが多いのに。ね。こんなね、幼稚な人達が、牛耳っているの。社会をね。だから、今の地球では色んな、事件、事故、災害。災害もそうなんでしょ。結局、自然災害もそうでしょ。いつも言うんだけど、私達人類の見えない想念によって、災害起きてんだもんね。これも見えないモノよ。ところが、今の科学者たちは、人類の想念によって、自然災害が起こってるなんて絶対に認めないんだもん。だから、結果対処ばかりじゃない。見えないモノが原因だと分ったら、原因対処するよ。したらどこに注ぎ込む、予算?えー!あれ堤防を高くするのに使うの?堤防を高くするのは結果対処でしょ。人の心を直したら、そんなもんいらないんだもん。1メートルでいいんだもん、ハッキリ言って。それが分かんないわけよね。あのー、あれだよね。まあこれは、こんなこと言っちゃったらさ、何で人間が神なのかっちゅうこと、ほかにその、そっちのほうに行っちゃうから、元に戻らんとなんないけれどもね。あのー、私達のその、人間という存在だよね。存在考えた時にね、あのー、まあ今言ったように、見えないモノから生まれてきてるっちゅうことは、ここに居る人分かっているわけだけど。もうそんな唯物的な話を言ったって、もう、ここの人達には必要ないかもしらんけど、でも、実感としては受け取ってないよね。まだ。私達は、神から、見えないモノから生まれたよと言うことは知ったんよ。これはもう、今言ったことからも言っても、あのー、もう分るよね。今日言ったことで、また確信いったでしょ。ね。要するに、死に方も二つあるということからも、また確信いったんと違う?私達はそんなもんじゃないよということだよね。まあこれ人間だってさ。ハッキリ言ってね、そういう死に方出来るわけよ。ある星ではそういう死に方やっているところもあるのよ。地球では、あのー、今の概念においては、やはりそういう死に方させないと、腐らせて原子に返す方法をとらないと、今の地球人類の前では、あのー、やはり、要するにあれなのよねえ。おかしな学びになっちゃうんよ。今の私の言ったことが取り入れられちゃったら。今の幼い人類には、中ではよ。だから仕方がないから、そういう死に方するわけだけどね。そういう、そのー、要するに、今までの私達の常識だよね。常識を変えなきゃなんないということは、起きてくるわけよ。その常識を変えることによって、もうあれだもんねえ。やはり、生き方自体が変わってくるようになるからね。今のような概念の下に、それを常識として、社会で、社会生活をしていたら、こんな同じような、こんな争いの多い社会にならざるをえなくなっちゃうのね。でもそれも、学びの過程において必要だからこう言うような、今の社会における概念も、神は許しているわけよ。まあここから始まなかったら、進化出来ないからね。最初に私の言っていることを、入っちゃったら、絶対心が出来ないわけよ。なんでかったら、体験がなくなっちゃうから。だから、仕方がないわけだけどね。まあここに居る人達にね、結局自分が神であるっちゅうことを、そのー、自覚を持って貰うために、私がいつも色んな神の側面を言っているよね。私が神の側面をいろいろとそのー、思索の中で述べるというのはね、あくまでも、神というものはどういうものか。神の側面を深く深く知って欲しくて言っているわけですよ。なんでかったら、神の側面を深く知れば知るほど、自覚が強まるから。自覚でしょ。私達が持つべきものは。知識じゃないもん。ね。知識を元にして、気づきが起きて、自覚に結びつくわけだから。だから私は、知識的なことも言うよ。言うけれども、それはあくまでも、神の側面を深く知って欲しくて言うわけよね。そうすると、吾神なりのマントラの深さ、厚さ、重さが違ってくるから。だからそういうことを言って、思索、思索って勧めるのそれなんよね。知識を植えつけているわけじゃないよ。知識を植えつけるんだったらもう、本当に、もうここで学ぶたんびに、知識の事、話すわ。そんなこと話したって、それだけじゃ駄目だからね。神の自覚を得ることに必要だから、その部分だけを話てるんだもん。前にも言ったよねえ。神は丸であるとか。ね。1であるとか。ねえ。私であるとか。無限。ね。愛、光、エネルギー。ねえ。色んな側面を言っているよねえ。それはあくまでも神の自覚を深めて欲しいために言ってるんだもんね。だから、思索をしてくださいって言うわけだもんね。だから今日もちょっと言ったことも、本当は思索して欲しかったわけよ。なんで死骸も残さないの?ということも、本当は思索の中に入れて欲しかったわけだけれども、もう気づいた人がいるからね、そういうお話をしたわけだけれどもね。なんせ、私が一番大切にしているのはね、なんせ、自覚して欲しいということだもん。これしかないんだから。自覚したらもう何もいらなくなるんよ。何も知る必要もなくなるんよ。なんにもいらなくなるの。自覚した途端にもう、一切の知識、それから勿論、物や、そんなもん当然いらないよね。何にも知る必要もなくなるし、得る必要も無くなっちゃうんだもん。なんでかったら、自覚した途端に幸せの中に入るから。そうでしょ。幸せが欲しいんだもんねえ。私達が欲しいのは何が欲しいの?物や金や知識?じゃないよねえ。幸せだけが欲しいんだもん。それは、自覚が得られたら、そこに入っちゃうんだから。だから私はそれだけを願っているわけでしょ。自覚を得ることだけが。まあこれは、ものすごい難しいことだよね。自覚を得ることほど難しいことはないわけだけども。でも私は、三つの方法で言っているもん。この三つの方法をやれば、ちゃんと自覚の境界線を越えられるんだとハッキリ言っているじゃない。簡単にやれることそれも。ね。本当に真剣になってやったらよ。その代わり。この自覚を得る方法というのは、これしかないんだもんしたって。これが神が残してくれた、私達に与えてくれた、もう最大の、あのー、一番手短っちゅーかなぁ。そういうような方法だもんね。だから、あのー、私は、声を大にしていつも言うわけよ。まあ初めて来た人にも、いつも言うのはそれだよね。なんせ原子核を増やして欲しい。魂を大きくして欲しい。そのためには、この三つの方法でやれば出来るんだもん。これは科学だから。やれば絶対原因を造っているわけだから。結果が生まれるよね。それは今生、超えられるかどうかは、自覚の境界線を超えるかどうかは、保証はしないよ。でも、間違いなく原子核増える。魂が大きくなるっちゅうことは、これはみんな証明していることだもんね。私自身がね、大体、毎月毎月大きくなってるんだから。それは自分の光の量で分るの。先月、博多で、駅を降りたら、いつも皆さん迎えてくれるのね。そしたらその日に限って、もの凄くね、もうちょっと今までとは感じたことの無い波動が伝わってきたの。あれおかしいなと思いながら、その時、まあ話をしたんだけどね。私あとで自分に問いかけてみたら、やはり、原子核の量が増えてるんよ。自分自身が変化してるのね。やはり。だから違うんよね。毎月毎月、光の量が違うもんやはり。これはそういう証拠よ。私が自分で実体験して言うことだから間違いないことよ。ね。これは皆さんより理解力が多いから。うふふふ!結局は、いつも言うようにスピードアップって言ってるやん。進化というのは、段々段々スピードアップしますよって言ってるよね。つまり、進化した人ほどスピードアップしていくようになってるの。だから、私は皆さんより一番学んでるっていうのはそこなんよ。だから私が一番お金払わなくちゃなんないんよ。この場代。場所代、本当は。だからいつもと同じように皆さんとお金払ってるよ。でもこれじゃ私はちょっと、あのー、あれかもしらんよね。不平等かもしらんぐらい、私は自分学んでるもん。大きくなってる。それほど原子核増やすこと出来ますよっちゅう実証よ。だから皆さんもやって欲しいんよ。一体ね、何が皆さん必要なの?誰かから良く見られたいの?自尊心守りたいからなの?そんなもの人の目でしょう。無いモノよ。それは外の世界だから。自分の魂大きくなったらそれでいいんでしょ。何を恥ずかしがろうと、自分がね、例えば一億二千万人の前でさ、裸になってみんなから笑われようが、いいんよそんなこと。自分の原子核さえ増やせたら。もし私がみんなの前でさ、まあ森さんでもね、裸になってみんなの前で踊って頂戴って、それで原子核増えるんだったらあなたやるよ。絶対やるよ。私だってね、例えば南米に行って、そこに行っただけで自覚が持てるなら、私今からでも行くよ。もう、歩いて。それほど大切なもんなんよ。この自覚というのは。ね。自分を良く見せたいの?自尊心守りたいの?そんなことどうでもいいじゃない。自分の宇宙しかないのに。あのねー、皆さんみんなね、外側の影響を受けてるの。ああー、誰かがあんなこと言ってる。自分の噂を何か言って、悪いことを言っているようにとっちゃうの。外のものの影響を受けているわけよ。全員が。もう外は無いんよ。それがみんな外の影響で、自分の宇宙を汚してるの。どうでもいいじゃない。人から何を言われようが。どうしようが。無いんだからそんなもの。これが分かんないよね。まだ外側にあると思ってるの。これがね、中々そのー、難しいところなんよ勿論。これ、私達夢見てるのよ。今。夢の世界にいるんよ。目覚めてないわけよ。自分が神であるっちゅうことに。知識では分かってるの。でもまだ、目覚めてない状態。目覚めるために、私は三つの方法をやって頂戴って言ってるもん。そしたら、ね。目覚めたら、自分しかいないっちゅうことが分るんだもんしたって。まあね、初めて来てこんな話を聞いたらね、もうちょっと戸惑うかもしらんけど。これだけは間違いないことなんだもん。主観宇宙しかないんだもんしたって。これがねえ凄いことなんよ。こういう主観宇宙を一人一人に持たしてるっちゅう、神の凄さ。一人一人に尊厳を持たしてるんよ。自分の宇宙。尊厳持たしてるんよ。その人にとってはその人の宇宙しかないから。したってその人の宇宙でいいんだもん。それだけがあったら。そうじゃない。外の宇宙、関係あるの?これが中々分かんないところだよねえ。だからね。本やなんかに書けないんよ。私の言っていることは。これが書いて伝えられるんだったら、こんなに楽なことないの。覚者がどうして苦労してきたと思う?沢山の覚者。まあ地球上に出てきているよ。出てきたよ。今まででもね。残ってないじゃないそんなこと。全然。これ知識じゃないから。人のね、あれに植えつけること出来ないんだもん。それぞれの心の中で、体験することだから。人それぞれが。人それぞれの宇宙しかないからよ。これは。だから私の言っていることがね、絶対これは本にもなんにも出来ないの。こんなこと言ったって。例えば、載せたにしたって、読んでる人が分かんないんだもん。いつの間にか抜けちゃうの。お釈迦様でも、イエス様でも、私と同じこと言ってたんよ。全部抜けちゃってんだもん。で、理解出来ないから。こんなこと言ったって分かんないよね。私の言っていること、今、言っていることがね。理解出来ないよね。でも、やはり私達は神なんだから。ね。実感をね、自分で体験して、神に戻る必要があるんだもんね。元々神から出てきたわけだから。そうでしょ。私達の親はそこでしょ。確かに今は、こう、分化した、こう、個別のまあ、魂として、分けられてるよねえ。だから別に思うよねえ。どうしても。五感があって、意識が引っ張られているから。今そこの、本源にいる意識が、ここに引っ張られているからどうしてもこれが自分だと思えて仕方がない。でも、そこにいるんだもん。本源。皆さんも同じところにいる。私と同じところにいるんだもん。本源、そうでしょ。でもどうしてもこれに引っ張られちゃうから、これが自分だと思えて仕方がないから、人間だっていう一般の人達はそう思っているのね。まあここの人も、知識では神だと思っているけれども、まだ人間だと思ってるの。まだ目覚めていない状態ね。だから、もう、仕方がないけれども、でも、実際にそこにいるんだもん。本源に。これはたった一つしかないわけでしょ。神は一様だから。ねえ。えーと、一様の神っちゅうのは、光のメロディー集、この前出したよね。私のあのねー、藤島さんが造ってくれている曲に合わせて、私は文、載せているでしょ。あの文の中に、全部同じこと言ってるんよ。神を知って欲しくて、全部そうよ。神の自覚を得るために、全部必要な言葉入れてんよ。あの中に。だから、あれを何回も何回も聞いて欲しいし、私の勿論、私の本も全部そうなんだけどもね。皆さんね、その本を読んで、1回きりで終わったらもうそれまでの人。その人の理解力に応じて、なんぼでもあの本から汲み取れるんよ。その人が成長した分、ついてくるようになってんだもん。だからね。1年に何回も読んだという人がね、そういう人はものすごい良く知っている人。で、その人は、そのたんびに、したって気づき起きて、その人理解力増してるもん。ある人から聞いてるけど。読めば読むほど自分が大きくなっているちゅうの、その人言ってるもん、実際。そういうもんだもん。真理ってそういうもんじゃない。真理って知識?真理っちゅうのは、無限よ。なんでかったら、この宇宙は知ることが無限に存在するから。だから永遠に悟れないという、私が言うのは、それよ。この宇宙が無限だからよ。神が無限だからよ。知識は無限よ。知ることが無限にあるんだもん。それをみんなね、自分がちょっと知ったからって、もー、こんなになっちゃってね、知識で終わっちゃってる人が殆ど。それじゃ駄目なんよ。実感に結びつかない知識なんて、もうそんなもん、どうでもいい。ハッキリ言って。違うんだもんしたって。自分の理解力が増せば、この宇宙が段々段々分かってくるんだもん。そういう風に出来てるんだから。それは神が無限だから。この宇宙が無限だから。知ることが無限だから。だからね、知る者は語らず。語る者は知らずなんよ。本当はそうなんよ。だから、覚者になったらもう、しゃべらないやん。私なんか全然しゃべんないよ。こうやってお話する時はしゃべるよ。知花先生見てご覧。もうもう、みんなの前ではよくしゃべるよ。その講演では。でも、一旦講演から出ちゃったら、全然しゃべらないよ。個人的なお話なんか全然しないよ。この世の事の話、しないよ。私もそうなの。もう真理の話はするよ。でもそれ以外はしないよ。だって、無い話だもん。この世の話は。そうでしょ。これをよく知って欲しいんだよね。まあ、あれだよね。また元に戻らなきゃなんないけど。なんせ私達は、神である。神であるということの自覚をどうしたら得られるか。それも本当に追求して追求して行った時にね、あのーあれよ、私が三つの方法言っているでしょ。これはお釈迦様もイエス様も言ってたんよ。届いてないだけで。この三つの方法は永遠の昔から、あのー、覚者のそのー、どう言うんかなあ。教えの中に入ってたんよ。瞑想だけが残ってる。とりあえず。何となく残ってる。その瞑想も訳の分らない瞑想として。まあこれから、ね。その三つの方法をね。これいつも言うことだけども。これはもう、なんで私が何回も同じこと言うかと言ったらねえ、あれなんよ。この真理というのはね、その時の波動の状態によって、受け取れるね、その時には、なんか分かってるような気分になるんよ。でもね、波動が落ちてね普段の生活に戻ったらね、忘れちゃうんよ。これ分るでしょう。同じことを私言っているのに、忘れてるでしょう。凄く。もう長沢さんにもよく言うのはね。おんなじこと言ってるのに忘れるの。そういうもんなんよ。真理っちゅうのは。これは何回も何回も何回も何回も。もー。覚者だって同じ学んでるんだもん。同じことを。境界線越えた人も、おんなじこと学んでるんよ。それほど、この真理っちゅうのは、深く深く深すぎて、忘れちゃうの。そん時に分かってるっちゅうことは、分かってる状態っちゅうのは、保持出来ないんだもん。したって。これ私がね、境界線を越えて行ったり来たりしたっていうのはそれなんよ。ああ、あの、あの神の状態。ああー、そー、私は神だったんだぁって心の底で思った状態っちゅうのは、維持出来ないんだから。したから。だから難しいわけよ。知って終わりだったら、こんな楽なことない。じゃないんだもん。実感というのはね、薄れたり、なんかしながら段々段々根づいていくものだから。だから難しいんよ。これは私がこんなことをね、体験者じゃないと言えないよ。まあどちらにしたって、ねえ。色んなその、こういう実感を得るためにはさ、そういうこともくぐってこなくちゃなんないわけだから。あのー、それはそれで体験の一つだから、良いことは良いわけよ。そういう体験しながら、ああ、真理というものはそういうものかということも、知る必要があるからね。まあこの三つの方法は、いつも言うことだけどもね。一つは社会体験だもんね。この社会体験ちゅうのは、もう地球人類全員が今やっていることだもんね。朝起きてから、ね。働きに出て、夜帰ってきて寝るまで、全部この社会体験の中に原子核を増やすことが出来ている。もう社会体験そのものが、やはり私達は、あれだもんねえ。この肉体を動かして社会体験をしなくちゃなんないわけだから、これはどうしても肉体を動かすということは、そこにやはり決意決心が伴うものだから、必ず、あの、アレだもんねえ、そのー、原子核増えざるをえないもんねえ。はい、歯を磨きますったらもー、すでに、そこに決心いるわけでしょ。決意が。もう自覚しないでやっててもね、心の底で、やはりやろうと思うわけだから。やろうと思わないで、手は動かないよ。なんでもそう。やろうと思った時には原子核が増えるようになってるんだから。これが、神が造られたものすごい仕組みなんよ。したから、家に居て何もしないでね、親の脛をかじっている人よりは、外へ出て色んな嫌な仕事して、それも嫌なことであればあるほど、決意して、決心決意がいるから、原子核は沢山増えるようになっているのね。だからここに来た人が変わると言うのはそれなんよ。ここに来た人達は逃げなくなるもん。嫌なことから。これだけはね。もう、私が言えること。今までは嫌な事逃げてたよね。でもここに来た人達っちゅうのは、絶対逃げない。原子核増えるのに、そんな得するものをさぁ、放り投げる人はいないよ。だから違うって言うわけよ。なんせ、体を動かすこと自体が、原子核増やすんだもん。結構、重いよねえ。億劫だよね。朝起きるんだって、寒い時には中々起きづらいよ。ね。それでも、よーしと思って起きるんでしょ。それだけでも原子核増えてるじゃない。だから、神様というのは実に上手く造ってある。なんでね、春夏秋冬はあるの?これもね、あのねー、私が神に頭を垂れるというのはね、知れば知るほどね、神ちゅうの原子核増えるようにしてくれてるんだもん。全てにおいて。皆さんね、四季があるやん。ね。何で、3、えーとー、なんや?地球のあのー、こう、太陽に向かって角度ついてるよね。あれ、23.4か、34度か?何度か傾いてるね。今ちょっと出てこないけれども、傾いているよねえ。あれ、四季作るためでしょ。結局は。うまい具合に出来ていると思わん。ねえ。何で?地球は自転してるの?昼と夜と作るためでしょ。これも人間臭いと思わん?私がいつも神って人間臭いねえって言うやん。なんせ人間に都合がいいように、進化しやすいように、全部作ってくれてんの。だから神は凄いって言うの。そこに人間臭さが入ってない?四季を造ればね、暑い寒いあるよねえ。まあ丁度いいもあるよねえ。そしたら、やはり体動かすときにね、寒い時にとか暑いときに動かす時にやはり、それだけの決心いるもんねえ。これが年がら年中、ね。そんな春みたいなところだったら、全然違うよ。楽だから。夜と昼もそうだよ。こういうメリハリつけなかったら、あれよ。生活っちゅうのは、もう、それこそ、あれだよねえ。ちょっと言葉出てこないけど。のんべんだらりになっちゃうよ。全部、原子核増やすため。実に人間臭いと思わん?これはみんなの原子核を増やすためにそういう仕組み造ってんだもん。いつも言うけれどもね。あれよ。欲を持つと、ね。必ず欲に対し、必ず力を持つと、まあ得ること出来るんよ。想念使うから。あの皆さんね、お金集めするよねえ。お金を得たいと思うよねえ。それは、自分の想念で、つまり欲だよね。欲を持って、その想念で、念を持つよねえ。あのー、要するにこういう、お金儲けしたいなんかっちゅう、当然、想念から出てくるもんでしょ。念を持つよ、念を強く持つよ。だから金儲けする人ほど、念の強い人って昔から言われているやん。まあ執着を持つ人って言うことかもしらんけどね。我々から言ったら。念の強さがあるよね。儲けたいという念の強さ。だから、アレだよね。あのー、あまりその欲の持たない人は、お金儲けの下手な人になっちゃうよね。これもね、結局あれなんよね。良いように考えたらね、原子核を増やすことに結びついてんよ。欲を持って、そういうものを得るということになれば、相当決意いるよ。何にでも。一つの会社やるにも。一つの企業を起こすにも。相当なやはり、決意がいるし、お金をそこに投資しなきゃなんないってなったら、やはり相当なやはり決意いるよ。全てそれ、原子核を増やすことに結びついていない?だから私は、泥棒、何もしないで家に親の脛をかじっている人よりもね、外に出て、泥棒でも悪事やっている人のほうが、原子核増えますよっていうのは、そのこと言っているわけよ。だって、原子核増やすには善悪関係ないわけだからね。よーしっと言って、体動かす事についてくるのが原子核だから。だから、アレだよね。サタンにやられると、体動かしたくなくなるのはそれなんよ。自我が膨らんでくると。ね。あのー、怠け者のサタンに憑かれると、結局は、体動かさないようになるから、だから、私は外に出て働きなさいっていうわけよ。そしたらサタンに勝てますよって言うわけよね。これも、まあ、こういうところで学んでいる人達はね、それに気をつけながらやっているはずだからね。本当にもう、サタンとの戦いっちゅうのはもう、熾烈よ。もう真理を知って、自分が成長すれば成長するほど、このサタンが憑いてくるからね。だからもう自分が光ってくれば、闇も強くなる。だからもう大変なことは大変だよね。まああのー、そういうことであれだよね。要するに原子核を増やすには、社会体験というのはこれはもう欠かせ無いこと。あのー、まあ、出来たらね、自分の環境に、えー、嫌なことが現れたら、逃げないでやって欲しい。これは私いつも言うことだけど。一番あのー、手短に増やせるからね。これはもう、あのー、技術とかなんかいらないからね。すでに生まれた時からやっていることだから。だからこれは、その通りやって欲しいのね。ただそこに自覚だけ入れて、自覚してやって欲しいっちゅうことだけは、私言いたいよね。で、もうひとつ2番目は、ハッキリ言って瞑想だよね。この瞑想というのは、昔から言われているように、あれだよねえ。あのー、昔から言われてるように、昔から言われているようにちゅうのは、すでに間違ってきちゃったんだけれども、本当に昔から言われていることは、あれなんよね。神と親しくすること。最初にね、お釈迦様でもイエス様でも難しいこと言って無いよ。なんせ、神と親しくなってくださいっちゅうことから始めなさいって言ってんよ。無空になりなさいなんて教えて無いよ。お釈迦様もイエス様も。無空になるということは、それ何なの。一体?無空になって神を思えるの?何も思わないことが無空なんでしょ。したら、何も得られないことを求めなさいって言ってるの?したら?瞑想で?そうでしょ。無空っちゅうのは、何も求めないんだもんね。私言っているの、神を求めなさいって言っているの。したら、神を意識することじゃない。それが無空を意識してどうなんの?だよねえ?何にも求めなさいっちゅうこと?それ?そうじゃないでしょ。実際、実在しているものを、私達は求めようとしているんだもんね。その実在しているものっちゅうのは、神でしょ。したら、実在しているものの思いを持つしかないじゃない。それが瞑想なんよ。何も難しいことじゃないよね。ただ神を想うだけ。四六時中、神を想えばいいだけ。本当は。でもそれが難しいから、私は、普段の生活の中でね、何かやっている時も、神がやってるんですよ。歩いている時も神がやっているんですよ。ね。掃除している時も神がやっているんですと思いながら、神と親しく何なさいと言っているだけであって、確かにね、座って目をつぶって神を想い続けるって言う、これに越したことはないよ。出来たら。でも中々出来ないでしょう。雑念湧いて。まあこの地球上で、えー、あのー、雑念なく瞑想やっている人っちゅうのは、一人もいないよ。覚者含め。それほど、瞑想っちゅうのは、難しいんよ。5分間霊性になりなさいって知花先生言ってるでしょ。出来ると思う?絶対出来ない。それでいいの。いいから、神と親しくなる時間を多くしたら良いんですよ。そしたらコツがつかめるから。そしてなおかつ、吾神なりと言っている、マントラの思いがね、さっき言ったように、思索することによって、厚く、重くなってきたでしょ。だから、一般の人達がね。最初に、一般の人達ちゅう、最初にだね。最初に、吾神なりと知識的に思ったのと、ここで色んなことを神の側面を学んでね、吾神なりと思った時では、全然違ってきてるっちゅうことを言いたいわけ。だから、神と親しくなる。吾神なりと歩きながら思っていることでも、昔と違うっちゅうこと私言いたいの。昔、最初の頃の吾神なりと、色んな神を知って、神が厚くなった時の吾神なりというのと、違ってるっちゅうことを言いたいんよ。これは間違いなく違ってんよ。だから思索して欲しいんよ。神の色んな側面をね。そしたら、自分で気づいた分、神が大きくなってるじゃない。そしたら吾神なりが、違ってきてるんよ。これ。そん時には色んな思索したことが入るから、そん中に。吾神なりの中に。これがね、念仏と違うんよ。念仏でもいいわけよ。南無阿弥陀仏って、あれも瞑想だから。でも、南無阿弥陀仏っちゅうのは、口先だけだもん。意味知らないで南無阿弥陀仏言ってるんだもん。ただ唱えばいいですよって、あれ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ってやってるだけよ。そこの中身が何にもないんだもん。それでは、同じことなんよ。吾神なりも。吾神なり、吾神なりと口先で言ったって、念仏と同じ。その中に神のいろいろな側面を含まさった吾神なりでなくては駄目ですよって言っているわけよ。これが一番大切なことなの。したって。それとまあ要するに、数多くだよね。数多くやると言うことだよね。もうこれ以上、私が瞑想で言う事ないの。知花先生だって、瞑想についてなんて、言わなかったよ。したって、言えることじゃないもん。瞑想っちゅうのは。その人その人の心の中でやることだから。そうでしょ。どうして教える事。私の体験を、どうして、言葉や文字でね、そのー、皆さんの心の中に植えつけること出来る?私の体験談を。体験したことを。体験談は話せても、でしょ。みんなそれぞれの宇宙の中で、自分で作るしかないじゃない。だから、瞑想なんて教え様がないんよ。だから、瞑想なんかね、お金取ってる人っちゅうのは、以ての外よ。色んな高い金出して、取ってる瞑想家いるよ。どうして教えられるの?その人その人の宇宙の中のことよ。でしょ。それは知らないから瞑想を。だから瞑想っちゅうのはね、どうしようもないんよこれだけは。本人がやるしかないから。だから私がこういうやり方しましたよって言うことだけ言っているだけ。その一つとしては、やはりね。私達は五感によって、意識を前方に引っ張られているよねえ。引っ張られているから、どうしてもこの肉体が瞑想しちゃうんよ。ね。吾神なりというのも、なんか口先だけでの瞑想になってしまうよね。中身が含まさったにしたって、どうしてもこう、肉体感覚の近いところで言うんよね。だから、私は背中の奥の奥の奥の奥に意識を潜らせなさいっていう言い方するよねえ。もうそれしか、言いようがないわけだけどね。だから私はその一つとして、意識を飛ばすことをまずやって見なさいとか、まあこれは言うよねえ。あのー、あのビルに意識を飛ばしなさい。雲に意識を飛ばしなさい。ね。それが出来たら、自分の奥に意識飛ばせる。自分の意識の奥に、意識の奥と言うか、そのー、自分のイメージしたところにね、飛ばせるでしょ。だから、そういう言い方するよね。でも、それ以上の言い方出来ないじゃん。ね。だって、それしかないんだもん。そこにいる本当の自分が、吾神なりって瞑想するんだよ。これは言っているよねえ。ここの自我の私が、吾神なりじゃないよ。そこの奥にいる自分が吾神なりという瞑想しなきゃなんないんだよ。これはそういう言い方しているから、まあそれ以上の言い方出来ないわけだけどもね。まあ、それでいいんだけど。それを続けるしかない。そしたら自分でコツ掴むから。このコツのね掴み方っちゅうのは、もうやるしかないっちゅうこと。なんでもいいから、バタバタ泳いだら、泳げるようになるから。やること。一番大切なのは続けること。私が一番言いたいのは、続けること。もうこれがね、もう求道者の一番やって欲しいこと。神を自覚するっちゅうことは、続けることしか言いようがない。ところが出来ないよね。続けることっちゅうのがね。みんな途中で諦めてしまって、何も変化が起きないから。せめてね、私は3年やって欲しいと思うよ。続けて欲しいと思うよ。3年やって自分が変わんないようだったら、どっかやり方が間違ってる。必ず変化が起きるから。これは私もう、保証するわ。したってさ、お釈迦様でも6年間やったんよ。ジャングルにこもって。瞑想したんよ。イエス様だって10年ぐらいやってるんよ。知花先生だってやってるんよ。そのぐらい。それほど、根気が必要なんだもん。瞑想。まあ瞑想と言うか、神を求める作業。なのに1年も経たないのに、いやあ、数ヶ月よ。もう辞めちゃうんだから。そして他に探し求める。本を探し求めて。ね。そんなところから得られるわけないじゃない。本から得られるんだったら、みんな悟ってなきゃなんないよ。ハッキリ言って。ね。お金持ちで、高い書物に、なんかものすごい高い書物あるよ。私、大阪のねえ、あのー、まあいつも、あのー、バス降りたところにね、近くにあるよ。古書。そこに行くとね、こんな厚いね、もう宗教書があるのね。何万円もする。ね。そんなもんで得られるんだったら、お金持ちと、ね。それこそ本を読み漁る人は、みんな悟ってなきゃなんないよ。あれ、宗教学校の人みんな悟ってるの?あそこ出た人?何年間も大学出てるよ。学問で得られるもんなの?お釈迦様、学問、学校行ったの?自力でしょ。全部。外から得られないっちゅうことの証明じゃないそれは。ねえ。本から得られないちゅう証明よ。確かに最初の段階では、知識的にね、そこに入るまでの案内書はいるよね。でもその道に乗ったら、あとは自分でやるしかないじゃない。ね。最初の取っ掛かりは必要かもしらんよ。それは。それ以後は、自分の足で歩くしかないんだもん。その足というのはね、やはり歩いてみて、ね。そして、その坂の勾配とか、色んなことを覚えて行くんでしょ。歩かないと分かんないじゃない。どれだけの坂があるかとか、どこまでの道幅があるとか。歩いてみて初めて分るんだもんね。ああここに、何か障害物があるとかね。座ってて、何か得られる?だから私歩きなさいって言うの。歩けば必ず色んな体験出来るもん。瞑想も体験。なんでもそうよね。体験なしに何か得られた人いない。もう、そういうその、最初に目覚めた人っちゅうのは、全部自分で発見したんだもん。この自然界に、大宇宙に、神を知る材料、神はもう沢山入れているわけでしょ。最初の覚者さんちゅうの、誰からも教わらなかったんだもん。そういう神の、この宇宙に隠された、神という大元だよねえ。神の大元っちゅうんか、神を知りなさいと言って、色んな材料を置いた中から発見したんだもん。私達はとりあえずはそこまで行く、この開拓、そこまでの開拓は必要ないよね。あのー、とりあえず、道が着けてくれた先人たちがいるから。だから、最初に開拓した人達よりは楽に来れてるわけよ。でも、歩くのはおんなじ。その先人たちが歩いたとおんなじ。これだけは変わんないんだから。だから、ちょっとだけ楽なだけで、歩く苦労はおんなじよ。だから大変なのよね。まああのー、人間が神であるということをね、まあここまで三つの方法を言ったのは、まあねえ。やはり初めて来られた方はさあ、やはり、実践して欲しいから。実践したら自分が変わるでしょ。変わったら、あ、本当だ。これやってみようかって、続けようと思う気持ちになるもん。だから、なんせ私はこの三つの方法を実践して欲しいんですよ。実践して、ぜひ変わって欲しい。本気になるの、そっからでもいいかもしらん。もしかしたら。なんせ、あれだもんねえ。心の中の出来事だから、本当にもう、僅かでしょ。変わるったって本当にもう、知らない変化っちゅうのもある。それほどの、その僅かの、あのー、変化だからね。でもね、その変化が分かってくるんよ。やればやるほど。なんか知らんけどね。違う自分を発見するんよ。ああー、成長してきているなあという、なんかねえ実感出来るよ。なんせ続けて欲しいと思う。これはもう私は、初めて来られた方にぜひ言いたい事があるんよね。これは、これやんなさいっちゅうことだけ。やってみて、いいじゃない。嘘だったって、それで損するわけじゃないんだから。なんかお金損する?まあ、ここの場代はあれかもしらんけど、僅かよ。ね。それよりも、あれよ。やってみてそして、その人生をね、最後に、この肉体を脱ぐ時に、果たして私は成長していたのかな、ね。そこで分かんなくてもいいと思うわ。脱いだら分かるから。あのー、皆さんね。自分が出てきたとこ分る?今生、肉体持ってくるときに、ね。例えば4階から出てきたとしようか。ね。そん時に出てきた時に分かってたとしようか。ね。そこで、まあそこでって、今生学ぶよね。学んで原子核増やすよね。そしたらね。帰った時にね、違う階に行くんよ。その成長した人はよ。そこで分るの初めて。それまで分かんないよ。まあ、分る人もいるよ。もの凄い原子核を増やした人は、実際肉体を持っていながら分るよ。当然、変性変容が起きるんだから。そうでしょ。これはもう変性変容が起きた時には、間違いなく節目だから。いつも言うように、水を入れていた桶から、水が溢れた状態になる。なった時が、節目だから。溢れたら分るじゃない。入れている最中は分らなくても。だから、変性変容が起きるまでやって欲しいんよ。そしたら、ものすごいもう、まあもー、変性変容が起きたらそれがそうだから。もうそれでいいんだけどもね。でも、その変性変容が起きなくても、結構分るんよ。近づいたら。そこまで行って、今生終わるということは、ものすごい素晴らしいことだと思うよ。超えられなくても。あのー、あれだよねえ。近くに行くとねえ、やはりねえ、自分が光ってくることが分るんだけどねえ。細胞がブーンと震える状態も分かってくるんだけどねえ。まあ、体験している人いるわけだからねえ。学んでいる人の中で。そういう体験してる人いるわけだから。そういうその、これなくてもそういう近くに行けば、そういう変性変容は体験出来るし、自分の環境が変わるとか、ね。自分の意識状態が今まで理解出来なかったことが理解出来るようになるとか。やはりあれよ、その人の性質性格も変わるとかと言うことも、起きてくるよ。まあそういう変化が起きれば、一番分りやすいから、やる気にもなるけれどもね、例え、何にも変化が起きなくても、やって帰って損することはないって私は言うから。これだけはもう、本当に言っておく。科学だから。やった分必ず原因、やった分、結果がついてくるから。もしこれが嘘だったらね、神の原因と結果の法則が嘘だっちゅーことになっちゃうよ。これはもう絶対、この原因と結果の法則だけは、もう、間違いないことなんだから。だからやった分、絶対に何かの形で残るんだから。だからぜひやって欲しいんよ。やらないで、疑って、一生終えて、いいんよそれでも。どうぞどうぞ。そういう一生過ごしたかったら、過ごしてくれていいよ。でも、本当に自分を変えたいんだったらね、何も起きなくても、現象起きなくても、変化が起きなくても、やり続けること。そしたら、向こうに帰ったら分るから。その結果が。だからね、素直な人が、もう真理求める人、一番大切なのは、素直さっちゅうのはそれなんよ。求める前はね、疑って疑って疑って疑ってかかって欲しいんよ。真理。本当にそれが正しい真理なのかどうか、疑って疑って疑ってとことん疑って欲しいんよ。そして、自分がこれが間違いないと思ったら、後は信じること。素直になる。まあこれはもう、あれだよね。ここに来ている人は、過去世において、色んな疑いを持って宗教遍歴してきた人が殆どだから、ここに来たということは、もう疑ってないんよ。それだけの体験してるから。もうそこまで疑っちゃったの。疑いきれないほど疑っちゃって、もうこれ以上疑いないってここに来たんだから。ねえ、森さんねえ。もう、これ疑ったら何があるって言いたいよねえ。それほど深く確信しちゃったもんね。ただ、それが、素直でない人はね、どうしても疑問持つよね。この科学、原因と結果の法則。これ以外にないんよ。原因と結果の法則。陰陽の法則だよね。この十字の法則だよね。この法則は、もう間違いない法則だから。これにしたがって生きてきたら、間違いなく自分の原子核を大きくなって、向こうに帰れるっちゅうことですよ。若い人は、中々ね、この肉を維持していかなきゃなんないから、社会体験必要だよねえ。で、社会で色んなことを学ぶ。学ぶって、社会で色んなことを揉まれるうちに、色んな誘惑あるし、この肉体自体が、誘惑するからね。だから真理を求めていくっちゅうのは、本当に大変。これはもう若い人に、私いつも言うことなんだけど、これがもしよ、一生続けられたら凄いこと。私はそう願いたいけれども、途中で人生の荒波に揉まれて、色んな惑わされて、この社会の中にまた埋没していって、真理からちょっと遠ざかっても、これ仕方がない。これだけはもう私は、その人批判出来ない。それほど難しいんだもん。肉が若いうちは。だってやはり、体験していないことが多いから。この世の中で体験する、やはり、あるもんねえ。勿論、あれよね。結婚もそうだし、家庭でいい家庭を造るとか、子供さん設けるとか、色んなやはり社会体験っちゅうの若い人達、まだして無いわけだから。それを除けてよ、真理1本でっちゅうのは本当に難しいこと。だからここに来る人っちゅうの、結構、40過ぎの人が多いでしょ。とりあえずは社会で体験して、色んな疑問が湧いたりして、湧いてねここに来る人が多いよね。もう、私とか鈴木さんみたいな歳になったら、もう殆どの社会体験ねえ、終わっているから、もう腰据えられるよ。ドシッと。何が来たって、そんなもの揺らがなくなっている。だって社会体験して、全て虚しい事知っちゃってるから。ところが若い人達は、まだ体験して無いから、この世の中でまだ楽しいことが沢山あるし、それを体験して無い人というのは、それはやはり、もうふらふらふらふら、惑わされるよ。特に、この肉欲があるわけだからね。もうこのサタンっちゅうのは、どこまでも足引っ張ろうとするの。自分が真理やればやろうと思うほど、サタンが強くなって足引っ張るの。強く。だからそれに打ち勝って、こういう学びするっちゅうことがどれほどね、難しいか。これ私も良く分るんよ。これはねえ、もう、本当に、だから私は、あのー、続けて欲しいってこっちからこうねえ、お願いするようなこと出来ない。もうそれはやれたら、こんな最高のことないよ。自分の大体若い時考えたら、20代30代の全般だったらもう、遊び呆けてたんだから。そうでしょう。この世のことに。そういう人が、ここに来て学んでいる人によ、そういうものを捨ててね、真理一本で行きなさいなんて、とてもじゃないけど言えない。だから、まあ、片手間でいいからって私言いたいぐらい。とりあえずはもう、ちょっとでもいいから、あのー、掴みながら、片手間でやりながら、まあ人間社会の、そういう社会で生きててもいいと思う。まあその中においてもね、原子核は増えているわけだから。社会体験する中で増えているわけだからね。だから一般の人達とは違うから。だからあの、まあ出来たら、出来る範囲でやって欲しい。これだけは、まあ、お願いしたいよね。出来る範囲でいいからね。やれたら最高よ。そらー。まあそうなったら、その人相当な魂だけどもねー。そんな魂なんちゅうのまずいないと思う。ハッキリ言って。私が体験しているもん。本当にね、やはり39まで、私はもう溺れてたからね。この世の中にね。でも、そっからでもやれるんだから。これは実証しているわけよ。そうでしょ。そっからでも遅くないっちゅうことを、私が実証しているみたいなもんよ。知花先生、見てご覧。お酒は飲む。タバコは吸う。ね。5人の子供を持ってんよ。それでも成れるんよ。自覚の境界線越えられるんよ。したら皆さん、越えられないことないじゃない。まあその代わり、私は痛い目に遭ってるよ。もう妻は亡くしてるし、子供も亡くしてるし、会社はおかしくなって、色んな苦しい体験はしてるよ。それを通らなかったら、目覚めなかったから。皆さんそこまでしないでも来ているということは、凄いよね。ハッキリ言って。私から見たらもう、奇跡に等しいわ。そういう体験、苦しい体験しないでここに来てるということは、もうそれは凄いと思う。そしたら間違いなく、自覚の境界線越えられるよ。そこまで凄い魂なんだから。そうでしょ。私は40歳からやってよ、でも、一応自覚の境界線、自分なりに実感得たわけだからね。まあ、あの体験っちゅうの、もう、言葉で言えない体験だけれども、本当に神だって言う、そのー、心の底から実感に入ったからね。それは出来たということよ。そっからでも。その代わり、私は毎日9時間以上瞑想していたんだから。その頃からもう。まあそういう環境に自分を置いたから出来たんだよ。またそれも、ちゃんと意味があるわけよ。そういう環境を持てたっちゅうことも、意味あるわけよ。毎日9時間やってたわけよ瞑想を。その代わり。でも、そこまでしなくても大丈夫。時間があるわけだしね。まだね。まあ、何でもそうだけど、努力。私が努力というのが好きなのはね。努力という字が好きなのはね。そうなんよ。努力なしでは成しえないんよ。何でもやはり、努力が伴って、努力が伴うということは、努力をするということは原因造ってるわけだもん。原因造ったら結果が現われるんだもんね。それがこれが、この宇宙の神が造られた、一番素晴らしい法則だからね。ぜひ私は努力はして貰いたいと思うよね。今の自分の出来る範囲内でいいから。今の環境の中で、精一杯のことを努力するということは、私ぜひやって欲しいと思うよね。無理をしなさいとは言わないから。苦しい真理の追いかけ方は、求め方は、これはやはり、どっか間違ってるから。これだけは私言っとくよ。苦しいんだったらやめなさい。苦しくなく出来る範囲でいいから。神様っちゅうのは、気長な緒方なんだから。別にいつまで悟りなさいっちゅうこと無いんでしょ。そういう決まりないんだもんこの宇宙は。考えてご覧。この地球が誕生して48億年近くなっているわけでしょ。ね。一体悟った人どれだけいたの?地球人類。まあ地球人類たって、他の星からも来てるわけだけどね。もう、未だに、もう、今地球で70数億人?ね。殆どが、もう、唯物的よ。この地球の圏内で約600兆?600億ぐらいかな。っていう、まあ、要するに、人間になったばかりの魂がいるって言われてるよね。僅かよ。したから。地球では。だからその先駆者を行っているわけよ、私達は。最終的には全員が、自覚の境界線越えなくちゃなんないよ。でも、今、僅か。本当。僅か。でも、その先頭に立っているのが、ここに来ている人達だから。私思うんだけどね。私の書いてることが分るんだもんね。理解出来るんだもんね。本当に凄いこと。その知識で分るっていうことだけども、ここに来るにはね、知識だけでは来れないんよ。知識をある程度越えた人しか来れないようになってるの。あの本は。まあ1回読んで、知識で終わる人は、あれなんだけどね。ここに来るぐらいの人はっちゅうこと言っているわけよ。何かねえ、違うもの受け取っているの。その人は。普通の知識で得た人とは、違う読み方っちゅうか、心のところから落としてるの。でなかったらね、本当に魂を揺さぶられて来ようと思わないよ。絶対何か揺さぶられてるはずよ。一般の人達とはちょっと違う本の読み方しているはずなんよ。まあこれは、ある人のね、お話なんだけどね。その人、私が最初に書いたね、コピーしたやつを、ね。まあ、人類の夜明の、あのー、2のね。まあ、ハッキリ言って私が最初書いたやつを、まあ、こう、ワープロ打ったやつがね、それのコピーしたやつを、なんか貰って、それを見た時に、もう、これだと思って、私の山奥まで来たんだから。何かね、違うんよ。読み方、中身が。そういう人いると思う。絶対違ってるはずだ。読んで、ああ、これはいいなっていうものじゃないんよ。それより深いもの受け取ってんよ。その人は。でなかったら、来ると思う?誰の誰べーだか分かんない人が書いた、コピーをよ、読んでよ、うわー、感動してね、山奥まで来る?違うんよ。理解力の中身が。そういうもんよ。それほど真理っちゅうのはね、まあ魂の、そのー、その求めて行く人の、あのー、要するに魂の遍歴において、自分の中にこう築き上げてきた理解力っちゅうのは違うんよ。だから私、ここに来てる人は凄いって言うことは、いつも言うわけよ。だから少ないわけでしょ。ね。もう6年間流しているわけよ。でも僅か数十名よ。数十人でしょ。来て、ね。まあ、離れていく人もいるからね。でも僅か。それほど難しいんよ。この私の、その、書いていることの、その、知識のちょっと奥のほうに込められているものが。本当は、あの本で、無限を知るんよ。知れるぐらいのものあるんよ。なんでかったら、真理は無限だから。私達がさあ、今、知花先生の元で学んでいた人は、よく分ると思うんだけどね。何で何回聞いてもね、味が出てくるの?飽きないの?これをよく考えて欲しいんよね。真理というのは、そういうもんじゃないから。これが分るぐらいまで来ている人の魂たっちゅうことよ。結局。もーねー、私が、いつもその、ね。ここに来ている人達は、全然違うんですよっていうのは、そういう自覚を持ってね、生きて欲しいからなの。そういう自覚を持ったらね、疎かにしないんよ。ちょっとやそっとのサタンにやられないんよ。やはりあれだよね。違うんだよ。相当ね、もう、転々と遍歴してきて、苦しい目に遭ってるんよ。魂。ここまで来ている魂は。何より、何が大切かっちゅうことを分かってるんよ。この世の何よりも、一番大切なことが何かっちゅうことが分かっているから、ね。そういうものに出会うと、もう、必死になって飛びついてくるの。だから数が少ないよね。当然ね。まあちょっと、ね。話を元に戻さんと。なんせ私達は、神であるという。ね。確証をね、まだまだ深くして欲しいんですよ。皆さんね。形があるということは、必ず本質があるよねえ。本質がなくて形があるっちゅうこと、絶対ありえないでしょ。本質は原因だから。形は結果だから。人間の形があるということは、人間を形作っている本質があるのね。そこに必ず。本質がその形を造ってんだん。そうでしょ。そしたら、それが原因でしょ。原因が結果を産んでるんだもんね。そしたら、結果があるっちゅうことは、そこに原因があるということでしょ。結果の中には原因が入ってるっちゅうことよ。でしょ。その結果というのが、私達、人間の形だよね。で、本質というのが、何。この本質というモノが分かったら、この結果というモノも分るよねえ。当然。私がこの本質のことを神と言っているのは、ね。色んなことを私が知って、人間の形をして、そこに形作っている本質は神ですよって私が言うのは、それを知っているからなんよ。神というのは、全ての本質なんよ。全て作られているモノの中には、神の本質があるわけよ。そしたら、人間という形が今在る。自分が人間と思ってるよねえ。今ねえ。人間と思えるでしょ。ねえ。この形があるわけだから。したら、そこに何があるの?本質があるんでしょ。そしたら、その本質というのは何?今言ったように、神が全ての本質なんでしょ。したら、自分は何で神じゃないの?そうでしょ。形と本質は1つなんだから。形と原因、原因と結果は離せないんだから。これは。したら、結果の中には原因があるっちゅうことじゃない。人間の中には神があるっちゅうことじゃない。そうでしょ。だから私はね、結果を造れるものだけが、原因者になれるって、この間、書いたよねえ。あのー、今週の真言に。そうでしょ。結果を造れるものだけが、原因者になれるの。そうでしょ。したら、この結果造れる者というのは、原因者っちゅうことでしょ。したら、その原因者は、神なんだから。したら、その結果者は誰?神じゃない。あのー、今週の真言、もうちょっと深く知って欲しいんよ。私達はしたって、これ自体もそうだよ。これ結果体よねえ。そしたら、ここの中に原因者が入ってるよね、必ず。それが今言ったように、原因者というのは必ず、神なんだから、今言ったように、神は全ての本質なんだから。そしたら必ず、神がいるっちゅうことだよ。だから、私達は、神であるっちゅうことだよね。で、その、結果を造れる事を私達やってるやん。例えば、物を作ってるやん。これは物を作ったという結果でしょ。ねえ。この結果は今言ったように、原因者だけが造れるんでしょ。そしたら私達、原因者じゃない。したら神が、私達作った原因者と、私がこの結果を造った原因者と何が違うの?そうでしょ。何かを造れるということは、これは神であるっちゅう証じゃない?そうでしょう。結果を造ってんだから。私達が。まあ今は人間と言っているよねえ。人間が作っているわけよ。したら、それは原因者でしょ。したら、その原因者の元は神なんでしょ。神が原因者になっているわけだ。その原因者が、モノを作ってるっちゅうことは、結果を造っている私達は、原因者でしょ。つまり神じゃない。ねえ。これは何かちょっと、なんかこうねえ、こう、途中に入れちゃったから分りづらいかもしらんけど、でも、これはね、三段論法みたいなもんでね。実際そうじゃない。結果造れる者だけが、原因者なんだから。原因無き原因者よ。これ。この原因無き原因者っちゅうのも、これ、もの凄い意味があるわけよ。原因無き原因者ってどういうことか分る?これまた今度ね、来週か再来週かに、今週の真言に載せるかもしらんけどね。原因無き原因者ということの意味の深さが、中々分かんない。まあ、そこまで言ったら今日ちょっとね、あのー、高度すぎるから言わないけど、要するに私達が存在していると言うことは、結果が存在してるということは、必ず原因者がそこにいるっちゅうことなんよ。ね。これはもう、あのー、いつでも言うことだよねえ。お花があるということは、ね。そのお花の、お花があるということは、自分が花を認めてんだもん。つまり結果を認めてるんでしょ。ね。したら、結果を認めてるっちゅうことは、その結果体の中に必ず原因者がいるっちゅうことになるじゃない。今言っているように、結果を造っているものしか、原因者に成れないんだから。したら、お花作っているわけでしょ。私が認めてるっちゅうことは、造ってるっちゅうことでしょ。したら、そん中に自分がいるっちゅうことだもんね。ちゅうことは、自分が本質であるということでしょう。だから、本質は神なんだから、神であるっちゅうことでしょ。こう、三段論法みたいに言わなかったら、言った方が分りやすいっちゅうか、自覚に結びやすいから言うわけよ。こういう言い方。なんせね、そういうような思索が必要なんよ。そうするとね、納得出来るんよ。自分の中で。何回もこういうことやってみる必要があるんよ。ガラスというのは、いや、コップというのは、ガラスという素材がコップという形を取ったモノに、コップという名前をつけたんでしょ。そしたら、コップはガラスじゃない。ガラスがそのものに成ったんだったら、それはガラスじゃない。コップじゃないじゃない。コップというのは名前だけだもん。知花先生がこれをずーっと言い続けたのはね、結局誰も分かんないから。知花先生亡くなるまで、誰も分かんないんだもんしたって。でしょ。コップというモノは、名前だけだもんしたって。その本質が、本当にあるモノじゃない。その本当にあるモノったら、ガラスなんでしょ。したらガラスじゃない、それ。形は。それなのにコップ、コップって名前に溺れちゃったの。みんな。神が人間になったんでしょ。人間という形は、これ形に名前つけただけじゃない。人間って。その素材は、神じゃない。神が形を取ったモノに、人間と名前をつけたんだから。そしたらどうして私達は、人間なの?神じゃない。これの、これと同じこと言っているわけよ。これが心の底で分かった途端に、うわー!私は神だった。その自覚の境界線越えられるの。もうそれこそもう、バーン!っと細胞震えて、自分が光り出すの。それが心の底に落ちないでしょ。みんな。知識では分かってんよ。当たり前のこと。こんなこと小学生でも分りますよって、知花先生に食ってかかった人いたんよ。知花先生はそん時、もう、悲しがったよ。分かんないの。その人にはね。これがもーねー、自覚の境界線超える、うん、これが分かったら超えたっちゅうことになるわけだから。もう最後の最後にそれは、分かんなかったんだろうね。みんなね。その、この、心の意識状態。境地というモノが、いかに微妙だかっちゅーこと。私達のその、意識の中の、そのー、世界だよね。これが腑に落ちる落ちないというのが、ものすごい微妙なんよ。それが段々段々ね、薄皮1枚になってくるの。いつも言うように。なんかねえ、掴めそうになってくるんよ。なんか手で、そのー、まだね、まあ、靴の上から、こうなぞっている状態が、今度、靴下になってくるんよ。なんか、掴めそうになってくるの。そして、靴下取っちゃったら、直につかめるっちゅうようなもん。そういう状態になるんよ。私の言っていること、何となく分るでしょ。なんか、掴めない、その厚い物が何枚も上にあるっちゅうこと。でも、何となく分るでしょ。それがね、靴下くらいになるとね、掴めるようになってくるの。私そうだったんだもん。自覚の境界線超える手前の時にね、掴めそうになるの。そしてついに掴んじゃうの。そしてポーンと上げた時に、うわぁ神だったっちゅーその、思いに入れるの。うん。これは体験して欲しいよ。もう体験者じゃないと、こんなこと言えないよ。これね、もう本当、そん時には、もう、あの喜び。ね。これがずーっと続くんよ。節目、節目があるから。なんせ、自分が神であるっちゅうことをね、如何に思えるようになるかなんだから。これしかないんだから。なんにもいらないんよ。皆さんに必要なのは、ただそれだけなんよ。そしたらそこに入ったら、全部終わり。終わりということないよ。いつも言うように、その幸福感というのは、永遠だから。でもとりあえずは、一つの節目にたどり着いたっちゅうことなんよ。それだけが必要なの。後は何にもいらない。だからこの地球上で私達が出てきて、何を学んでったか。これだけだもん。これを知りたい為に、肉体持ってくるんだから。この社会は全て、その知る為の方便なんだから。政治、経済、科学、教育、文化、色んなこと全部、これを知る為の方便なんだから。この社会に出てきて、色んなことを体験しないと、そこまでいけないから、そういう社会の中で今体験しているだけであって、これみんな方便よ。人生の目的っちゅうのは、今言ったことだけだから。神の自覚に入ることだけなんだから。入ったらなんにもいらなくなるんじゃない、したって。幸せに入れるんだから。私達が今社会で色んなことをやっているのはねえ、いい、よく考えてよ。幸せが欲しい為じゃない。お金が欲しい為?地位や名誉が欲しい為?これは方便だもんねえ。お金や地位や名誉があったら、幸せになれると思うから、みんなそれを求めてるんでしょ。方便よ。実際必要なのは、自分が神の自覚に入ることだけよ。ねえ。私がこれを声を大にして言うのはね、こうやって言っても分かって無いから。分ったつもりしてんよ。でも、分かって無いよ。だからあれだよね。あのー、山に登るとか、旅行したいとか、骨董品集めしたいとか、夜のネオン街を徘徊したいとか、女性を求めるとか、全部これを得る為よ。神の自覚を得る為よ。彼らは、分かんないんよ。何を得ていいか。何かを得られないでいられないから、そういうもの求めて、代替品を求めて歩いてんだもん。そうでしょ。代替品がいらなくなったら、こんなもの虚しいモノよ。みんな。つまり神の自覚を、得たら、得ることわかっちゃったら、これが全部、代替品っちゅうこと分るわけだから、もうこんなものに見向きもしなくなっちゃうよ。分かんないときは、仕方がないんよ。もう、骨董品集めしたり、宝石求めたり、化粧をしたり、ファッション、ね。それも全部そうなんよ。心の空白を埋めたいんだもんしたって。本当の幸せが欲しいんだもん。でも、まあ、したから、それを得られたら空白埋まると思うから、まあ、代替品でとりあえずは満足するわけだよ。でも段々魂が成長してきたら、そんな代替品で、ね。そういう、幸せに入れないということが分かってくるんよ。段々段々、魂が熟成すれば。だから宗教に入ったり、色んなことを求めるようになるわけでしょ。で、ついにはここに来るわけ。だからここに来た人は、こんな代替品はどうでもよくなっている人ばっかり。ここまで来た人は。わかっちゃったから。みんなそうよ。世の中で何か求めてるよねえ。あれ全部、本当の幸せが欲しい為よ。神の自覚に入りたい為なんよ。それが分かんないよねえ。その魂の幼い時には。まあそれはもう、途中だからね。それでいいわけよ。なんせこの世の中で、痛い苦しい悲しいって体験した中において、本物を見つけるようになるわけだから。要するに、唯物的なものから唯心的なものにいく為には、痛い苦しいというのが必要だから。だから病気があるし、事件、事故、災害があるわけよ。それは全部こっち、神のほうに目を向けさせる為。それがなかったら、目を向けないじゃない。苦しい思い、体験がなかったら、疑問を持たないもんしたって。だから、そういうものがあるわけよ。世の中には、痛い苦しい、ね。そういう悲しいことが沢山ある。でもそれは、神の自覚を得る為に必要な、まあ、あれだよね。その成長過程において、どうしても必要な、通らなきゃなんない道なの。だから、仕方がないよね。だから私は、いつもテレビを見て、思うわけよ。ね。確かに、痛い、悲しい、苦しいやってるよ。でもあの中から、目が覚めるんだもん。唯物的なことから、唯心的なことに行くようになるんだもん。仕方がない。まあここに来ている人達は、それがみんな分かっているからね。だから、あのー、私の言っていること、よくわかって貰えると思うけれども。これもしたからあれだよね。神が造られた、この、進化の階段を上って行く一つ一つに必要なこと。私達の最初の頃は、ね。神の意識核が放射されて、希薄になったから、自分が何か分かんなくなっちゃったのね。自分が何かを、なんだろう、なんだろう、なんだろう。その為には、原子核を集める必要があると言うことが分かって、まあそれは分かってと言うよりも、神が組み込んだ親和力によってね、集まってきたわけよね。そして鉱物になって、また集めて集めて、植物になって、また集めて集めて、動物になって、で、やっと、集めて集めて、人間という自覚が得るところまで来たんだもん。ね。私達は今、人間だと思えてるやん。あ、誰の誰べーっと思えてるやん。宇宙があると思えてるやん。ここまで来るのにどれだけかかったと思います?自我を持つところまで。鉱物、植物、動物は自我がないよ。自分というモノを分かって無いよ。しかし私達は、自分というモノを分るようになったじゃない。それはそう言う、神の意識核を集めて集めて大きくしてきたからだもんね。で、ついには、あっ、私は人間である。誰の誰べーである。あっ、宇宙がある。神っているのかなっというところまで進化してきたよね。ところがここに来た人は、神っているって言うところまで確信が出来た人達が集まっている。一般の人は、どうなんか、神っているのかなっていうところまで。まあ要するに、進化の一番下のほうだよね。そして、今痛い目に遭って、疑問を持って神を追求する、しようとしている。まあ途中の人もいるよ。当然、途中の段階の人もいるよ。そういう人達は、宗教遍歴したり、哲学を求めたり、色んなことをしはじめているよね。唯物的な人は、まだ肉体維持だけで、奔走している。もうこれのために、一生費やしちゃって。でも少し魂が熟成してきたら、結局あれだもんね。そういう疑問を持つようになるわけだから。それで、神を求めるようになってくる。そういう、あのー、進化の魂が今地球上に沢山いると言うことだよね。その、一番底辺にいるのは、やはりまだ、神を求めていない。神なんかいるものかって言う人ばっかり。それで進化するに従って、やはり、なんでこんなことが起こるんだろうとかね、何でこんな不思議なことがあるんだろうとか、色んなことが疑問をもって、こう宇宙の謎というモノを追求していくようになるのね。そしてついには神に到達するんよね。神というのが、ああーいるんだなっちゅーところまで行くんよね。科学者というのは、全然もう神というモノを否定している。もう一番下のほうって言っていいぐらい。でもそういう人達も、やはりいつか疑問を持つよ。で、科学を求めるようになるよね。だから、あれだもんねえ。アインシュタインが言ってたよねえ。この宇宙というのは、神を認めなかったらね、理解させること出来ないと。ついには万歳したんだもん。アインシュタイン。もー、理詰め、理詰めでいってもだめ。無いモノ。さっき言った見えない世界を認めない限りは、この表現宇宙の謎を解くことは出来ませんよっちゅうところまで、アインシュタイン行っちゃったんよ。ついに。科学者もみんなそうなるんよ。数学者もそうなの。そういうもの、数学者は捨ててんだもんしたって。それを省かなかったら、数学成り立たんから。この宇宙。今のその表現宇宙の、ここの数学だよ。結局。この宇宙は絶対、埋まらないんだから。絶対。埋まらない部分は神が埋めてくれるんだから。そうでしょ。だからその埋まらない部分を神が埋めない限りは、成り立たないんだもん、この表現宇宙は。前にも言ったよねえ。円周率が絶対決定出来ないのは、埋められない部分があるからだもん。つまり、ねえ。動くから。要するに隙間があるから。確定出来ないから。だからこの表現宇宙っちゅうのは、こういう形で維持出来ているわけよ勿論。確定したら消えるんだから。その時点で。でも科学者っちゅうのはそれが分らないから、その埋められない部分は置いてあるんよ。それを宗教にまかしちゃってんよ。ね。もう逃げてるっちゅうみたいなもん。それで、私はこんなんであるってね、あれよ。天狗になって、ノーベル賞貰っているわけよ。分かんないのにね。まあそれはそれで、いいわけだけどね。そこを通っていくわけだから。なんせ、私達、自覚を得るということは、最終目的で、どんなものも方便だっちゅうことを知って欲しいんですよ。全て方便。だから、それだけが得られたらいいわけ。だから皆さんっちゅうのは、直線コース歩いてるわけよ。今も全ての人がね、山の裾野で、ウロウロウロウロして、真理求めている状態。わけ分かんない。手探り状態。ここに来た人は、もうその線に乗っちゃって、もう一直線にもう、上に向かって行こうとしている人達。これはもう凄いことよ。でさえも、また、途中でまた、やるわけだけどね。ウロウロするわけだけどね。でも、ここに居る裾野の人達とは違う。ここの人達は、もうわけが分かんないんだから。だから皆さんがいかに凄いかっちゅうことを、もう一度自覚して欲しいよ。まあ、もう時間があれだね。一応ここで終わりましょうか。それじゃあ、どうも。