2015年6月13日 東京勉強会 (全再生時間:1時間59分02秒)
あのー、まあ、このビデオをね、あのー、最初はあれなんだよね。公開するために撮り始めたんじゃないんですよね。えーと、まあ私の話しを、えー、本にね、まあ将来して貰えたら、ということで、まあ、残しておこうということから、始まったんですよね。だから、今まではね、ハッキリ言って、もう髪はボサボサ。字も無茶苦茶。別に、みんなに観てもらおうと思わないから、なんか知らないけど、あのー、多く話したいということがあったんで、結構な早口になってる部分あるよね。だから、これで見たらね、私もね、なんせ今回ねえ、あのーまあ、観るようになった理由があるんだけど、自分で1回も観た事なかったんですよ。今まで。何年間もやっててね。で、あのー、姉が観たいというもので、長沢さんから姉の所に送ってもらったんだよね。これをね。そん時にね、えーとー、ビデオの、そのー、なんちゅうかなあ、型番?に合うDVDを送ってもらったんだけれども、姉の所に送ったやつがね、観られないよね。どんな機械使っても観られないっちゅうの。不思議なんだけども、まあ、仕方がない。観られないから。そしたらもう、返してちょうだいって。で、私のところに送って貰ったのね。で、私、初めて観たの。そん時。ということは、やはり、必然だったっちゅうこと。観て、あれ、これはね、みんなに公開すべきだと、そん時思ったんですよ。それまでは、そんな公開しようと思ってなかったの。ということは、結局ね、そんなルートを通ってね、公開させられるような、結局、意味があるって私いつも言いますよね。必ず、意味がある。その意味の、あれがわかったんです。中身がね。結局、公開したらいいですよ。私ねえ、皆さんよりね、ビデオを観て勉強してるんですよ。ハッキリ言って。私はこうやって喋っている時、まあ、自我で喋っている時は、記憶はあるんだけど、いざ真理の話に入ったら、全然記憶が無いんですよ。私、こんなことを喋ったことないと思いながら、観てるんですよ。本当に記憶全くないんですよ。これだけはね、皆さんに分かってもらおうと思っても、分かって貰えないことかも知らんけれども。本当にね、不思議なの。したら、誰かが喋ってんのを、私が聴いているという。全然、客観的というかね。第三者的に観て、あっ、これはね、やはり観てもらった方がいいなと思ったんですよ。私、そん中から、沢山勉強してるんですよ。自分の喋った、自分たって、あれだからねえ。喋ってんのは、違うわけだから。まあ、同じですよ。皆さんと同じ神の子だから。皆さんも、そっから降りてきてるんだけど、人間の言葉に変換しちゃって、どうしても波動落としてるだけであって。私は、まあ、あのー、幸いなことに、それを、うん、できるだけ波動落とさないように、喋れるようになったもんだから、あー、まあ、天から降りてきたモノを、できるだけ純粋に下に卸すようにできて、その御陰でね、結局、私自身も学べるんですよ。だから、私は思うんですけれどもね、一番、私が学んでるんじゃないかと思うんですよ。見ながら。つくづく、そう思ってるんですよね。あのー、今日、始めてこられた方ね。あの-、ちょっと意識のねえ転換をして欲しいんですよ。あのー、私の本を見て、で、納得されたんですよね。納得されてこようと思ったんですよね。でなかったら、こようと思わないもんね。だから、納得されたということは、私が書いている本の内容が、理解できたということですよね。理解できたということは、どういうことかというと、まあハッキリ言って、それだけの理解力を持っている魂であるということが、言えるわけですよね。これはねえ、ちょっとまあ、こう、増長慢になりなさいというわけじゃないんですけれど、あのー、普通の人達よりは、魂的には上であるという自覚を持って欲しいんですよ。自覚を持つことによって、あのー、これから社会体験。まあ、いろんな人とのつき合いの中においてね、対応の仕方変わってくんですよ。今までは、同じ目線で、同じ肩のどっから、えー、見ながら、同じ人間と思ってつき合いしてきたはずですよね。だから、時々は、ぶつかり合いもあったかもしれない。腹立つこともねえ、この野郎と、憎らしいと思ったこともあるもしれない。それは同じ目線で、あのー、まあ、えー、対人関係においても、同じ目線においてつき合ってたからですよね。ところが、自分は全然違うんだと。全然違うということ。これね、ハッキリ言って、一般の人とあなたの魂は、もう天地の差があるんですよ。この私の書いている本が理解できる人っちゅうのは、本当に少ないんですよ。確かに、知識的には読むんですよ。みんな。読むけれども、ここにこようと思う程、理解持ってる人、いないっちゅうことなんですよ。ここはもう、私はインターネットを出して、6年程、文を発表してるんですけど、わずか。東京と大阪合わせても今、30人前後ぐらいかな。っていうことは、ねぇ、一億二千万人以上いる、日本の人口のわずか。もう、パーセンテージで言ったら、もう、本当に少ないですよね。それだけしか理解できないんですよ。ということは、それだけ差があるということの、証明なんですよ。ねえ、あのー、これ、いつも言うことなんですけれどもね。大きな宗教団体は、数が多いですよね。もう、あのー、大多数で占めてるのが、大きな宗教ですよねえ。まあ、団体という形でありますよね。これは、沢山行くということは、どういうことかわかりますよね。だって、理解力の少ない人が数多いんだから。そしたらどうしても、大きな宗教ってことは、そういう人達が行くわけだから、当然、数が多くなるよねえ。これは、あのー、分りますよね。理屈で言ったって。この地球が、逆三角形だったら別ですよ。本当に、幼稚な人がここにいるんだったら、ここに来る人は多くの宗教、えー、何といいますか、信者を抱えてますよね。当然。理解力が沢山ある人がある。これが、この星とした、星とした場合ね。この星は、こちらの方が大多数が、大多数が。っで、こちらの人は、これはもう、あれ、うーん、熟した魂。これは、幼い魂。今の私達はハッキリ言って、こっちは幼い魂。今の地球の、これは例えば、R星として。こっちは、ね、同じあれだ。まー、これは地球として。今の地球の状況はこうですよね。これはもう、認めますよね。なんでかったら、喧嘩してる人ばっかり。戦争やってるし。ねえ。社会においても、諍い。もう毎日犯罪。そんな星が、の人達が、ね。これその、熟した魂の星だって、言えませんよね。幼い魂だから、そういうことをやる人、多いんだもんね。街歩いててご覧。みんな。何やってると思ったら、この世のこと。それも、えー、できるだけ多く金儲けて、したい。ねー。なんせ遊びたい。そういう人達ばっかりが、今地球にいるんでしょ。っていうことは、大多数がそういう幼い魂であるから、こういうことになるわけよ。だからあなたが、結局、ここにいる。私達のここの来てる魂っちゅうのは、ハッキリ言って、もうこの地球上で奇跡に等しいぐらいの、熟した魂しか集まんないんですよ。なんでか。理解できないから。ということは、ここに、頂点にいるんですよ。一般の人達はここですよね。したら、天地の差があるんですよ。天地の差。これはもう、ちょっとね、利口な人だったら、分るよね。ここにいる人達はそんな事考えないよ。逆に、逆。自分たちが愚かだなんて思ってないわけだから。そんなことは考えないよね。わー、私が一番偉いんだと思ってる人が、殆どだからね。この社会では。特に、えー、あのー、大臣やってるような、ねえ、そういう人達。例えばあれだよね、大学教授とか、要するに、今の社会の上層部の支配層だよね。というのは、結局みんなね、幼いということなんですよ。これをまずね、知って欲しいんですよ。そしたら、もう喧嘩、今日からしないよ。あんたはもう、絶対、諍い起こさんわ。なんでかったら、幼い子供だもん。相手。幼い子供に、喧嘩する人いないよ。あー、こんなこと言っても、幼いんだからね。って、許すよ。でね、増長慢に絶対にならないの。そこまで来た人は。中間、中途半端な人は、増長慢になる。ちょっと、なんかかじった人は。ね。でもここまで深く知った人はね、絶対、増長慢にならん。なんでかったら、なんでかったら、法則知ってるから。法則知ってるからね、法則を犯すようなことを絶対しない。だから、今日からもう。ここからもう。今からもう変わっちゃった。そういう、意識の転換をして欲しいんですよ。そしたらね、家族とのつき合い、友人関係、ね、もちろん会社関係も。つき合い方が、全然変わってきますよ。大人の目線でね、何でも見られるように。そしたらね、例えばよ。今まで、嫌な事、部下に押し付けたとしようか。まあ、これ、後で言いますけどね。でも、結構自分でやるようになる。して、あのー、部下に対して、あのー、幼い子だから、ね、ある程度、許してあげるということも、という気持ちも、余裕っていうのかな、も生まれますよね。当然。今まではもう、腹立てたことが、これは幼いんだから仕方がない。ただね、こういうことは言えるわけよ。幼い魂は、幼い魂の成長をさせてやる。もし、あなたが上にいたらよ。義務があるわけよ。だから。全部自分が引き受けて、自分が引き受けたら、自分が成長するからいいんだけれども、それじゃちょっとワガママだから。ね。その人の幼い魂にあった、仕事を与えた、あげるっちゅうような、そのー、分別ができるようになってくるのね。そういうことも含めてよ。あのー、変わってくる。絶対変わってきますよ。あなたが変わんなかったら、要するに、それだけ理解してないっちゅうこと。私の聴いてる話を、理解して持って返ってないっちゅうことになるんよ。絶対にね。あれ、あの子。あの人、変わったねえ最近。って言われるような人になりますから。変わんなかったら、私、ここで教えてることは科学なんですよ。全部、自分が入ってるんですよ。他力じゃない、自力なんですよ。ということは、ね、自分が変わることになるんですよ。これをやれば。これが化学なんですよね。絶対変わります。これはもう保証します。それは信じますよね。でね、あの今日、合点がゆくって、こう書いてますよね。あのー、普通ね、あの今のお話の中でも、えー、私の書いた本が納得したということは、要するに、合点がいったからここに来たんですよ。
ね。っちゅうことはどういうことかったらね。あのー、納得したということは自分が、あーそうか、なるほどって言って、合点がゆくっちゅーね。昔から。この合点がゆくっちゅーのは、自分の中にある点が合わさったときに、合点がゆくっちゅーんですよ。点が合わさった時に。ああ、もうちょっと綺麗に書かんとダメね。今日からそうすると言ったんだから。合点がゆくなんですよね。合点がゆく。みんなね、勘違いしてんの。私は、あの人から素晴らしい教えを受けましたって言うよね。もう私は納得したと。これはねえ、あの人はすごい事言ってる。とんでもない話。あなたが素晴らしいから、あれよ、あなたから得たから、素晴らしかったんよ。結局は、自分の中にこれがなかったら、こっちの話は入んないんですよ。合点がゆかない。ということは、あなたがこういうものを、過去世において、作ってたっちゅうことよね。納得できるだけの、うん、それだけの理解力を、過去世において作ってたということ。して、私の話聞いて、あ、なるほど。つまり、これが入ってきたときに、合わさったわけでしょ。ここで。こう合わさるから、合点がいったわけでしょ。ということは、自分が知ってた。自分がすでに持ってたということだから、相手から貰ったんじゃないんですよ。例えば今日、私のお話聞いて、ああー、なるほど合点がいったと思うのは、違うんですよ。私が与えたんじゃないんですよ。あなたの中にあったから、合点がいって自分のものになったっちゅうことですよ。だから、あくまでも自分の、自分の宇宙しかないから、そうなるんですよ。あなたに、もし、これなかったら、合点が行きます?でしょ。あくまでも、なんぼ外から素晴らしいことが入ってきたって、自分の中にないものは合わさんないよ。これがあったから、合わさったんですよ。ね。これは、どういうことかったらね。こういうことなんですよ。こっちはね、ハッキリ言って、幻なんですよ。幻。こっちが真実。ただし、この幻というのはね、あのー、神が表現宇宙を作るときに、私達ここにいるのは、表現宇宙ですよね。表現宇宙っちゅうのは、沢山のものがあって、ってそのー、いろんなその、えー、要するに、このー、えー、地球、118だったかな。今。あのー、原子番号があって。その原子番号を元にして、いろんな物質が作られてますよね。その物質を元にして、文字や言葉ができて、要するに、知識的なものは、そっから生まれてんですよ。その知識というのは、この世の幻の世界の知識なんですよ。で、知識だからこれ自体では、ハッキリ言ってまだ、知識では自分のものになってないんですよ。知識を貰っただけでは。これを、知識を知恵に変えるには、自分が変えなきゃなんないんですよ。これがこの人の、この真実の世界の人の、体験なんですよ。体験したモノでないと、絶対その人のものにならないんですよ。例えば、ここに何かあんのも、全然もー、今までこの地球上にないものをね、ポンっと持ってきた、これなんですかって聞かれたらね、わかんないよ。誰も。これを分るのは、これをね、触って、舐めて、叩いて、いろんな事して、体験して、ああ、これはこういうもんだってわかって、みんな初めてそのものの中身を知ってくんですよ。つまり、自分のものになるんですよ。だからね、みんなね、体験から、この合点の受ける皿ができてんですよ。体験しないもの、絶対、あの、そういう皿にならないんですよ。受け皿に。だから体験が必要だって、私が言うんですよ。いつも言うのは体験。体験なしに、ハッキリ言って、悟った人、一人もいない。この体験というのはね、これ五感を伴うんですよね。今の地球の人類の五感。五感で体験するんですよ。こう触ったりね。見たり聞いたりいろんな五感を通して、体験して自分のものにすんですよ。これはね。これが、ハッキリ言って、えー、気づき、自覚に結びつくんですよね。こっから来たモノはあくまでも、まあ、あのー、自分の体験したモノを、うー、まあ、どう言っていいんかな、どう表現していいんかな。うーん。体験を、納得するための、外的な知識というか、まあ、そういう表現、当てはまるかどうか知らんけど、こっから来るものは、これ自体は幻だから、自分のものになってないんだけど、これが来て合わさった時に、あっ、そーかって納得する、一つのあれになるよね。きっかけをつくってるっちゅうことかな。これは。でもそれは、あくまでも自分の中になかったら、そういうこと起こりえないっちゅうことで。したら、なんちゅうんかな。教えてくれた人が偉いんじゃなくて、教えられた。教えられて、納得した人が偉いっちゅうことなんですよ。それまで過去世において一生懸命体験して、自分の中にそういう、えー、ものを積み重ねてきたから、今生、こういうことに会った時に、なるほどと合点がいったわけですからね。だから自分、自分が偉いというか、なんでかったらね。自分しかいないんですよ。この宇宙は。これ今日、こんなこと言って、急にね、分るかどうかわかんないけど、自分の宇宙しかないから、こういうことが起こるっちゅうことなんですよ。まあ、まあ、合点がゆくという事のその意味。それからもう一つね。合点がゆくっちゅーのわね、私達ここに今人間として肉体持ってる。地にいるんですよね。ここにいるんですよ。私達の本性は、天にいた者が、今、地に降りて、地を体験してんですよ。で、こん時に、地に降りてきたとろに、記憶が失ってるんですよ。記憶を失っているもんだから、この地にいる人間というものは、記憶を蘇らそうと思って、まあ、私の本に書いてあるように、原子核を集めて集めて記憶を元に戻そう。で、今集めてるわけですよね。で、ここの境界線。集めて集めて集めて、こっちから来たものが今度こっちに帰るわけですよね。天に向かって帰るわけですけど。この記憶を失ったものを、原子核を集めて集めて魂を大きくして、この境界線をどんどん超えてくんですけれども、その途中でね、記憶を蘇らせる時に、いろんな気づきが起きるんですよね。原子核が多く集まれば、集まれば、それだけその意識的にはものすごく、あのー、いろんなことを知ってくわけですよね。知ってくということは、その都度ね、ここでね、あのー、気づきが起きるんですよ。これが気づき。高度になってくんですよね。上に行けば行く程。こっちに登れば登る程。だから、地の者が、天を知ってくっちゅーことですよね。だから、合点がゆくんですよ。地の者が、合点がゆくんですよ。気づきが起きるたんびに。だから合点がゆくって、この合点という、この字も合ってんですよ。これはハッキリ言って、あのー、あれですよねえ。真理を求めていくときには、天を知っていくんですよ。少しずつ少しずつ。そういう意味の合点がゆくっちゅー。これは、あれよ。地球にはない言葉よ。私が創ったんだけどね。あのー、前にも言ったよね。こじつけでいいんですよ。いつも言うでしょ。なんでかったら、神を知ればいいんだから。どんなこじつけであったって、神を知れば、こじつけでなくなる。これは前のね、あのー、動画を観て貰ったら分るかも知らんけど。あのー、こじつけって言うけど、こじつけじゃないよ。本当は。あのー、またそんなこと言ったら、だいぶ遠回りしちゃうから、あれだけど。とりあえずは、合点がゆくという意味のね、二つあるということ。一つは、自分の中にあったものと、外側にあったものが合わさった時に、納得し、それを合点がゆくと。もう一つは、天と地が、まあ、地が天を知ってくんですけどね。一つずつ合わさってくんですよ。自分が成長すれば原子核が集まるから。その都度、合点がいって上に行くようになってんですよ。だから二つの合点があると思ったらいいかもしれないよね。あのー。これが悟りのピラミッドなんですよね。これが悟りのピラミッドで、私達はまずね、知ることから始まるんですよ。そして、その知識を元にいろんなことを体験するよね。体験すると、知恵が生まれますよね。で、この知恵がね、理解力を産んでんですよね。でっ、この理解力がいろんなもの沢山集まることによってね、は、そーかって、気づきが起きるんですよ。気づきがまた沢山集まって、今度はね、自覚に至るんですよ。これは、あのー、この自覚というのは、いつも言うんですけど、自覚の元になる。これの元になってるモノがね。これは、こういうもんなんですよ。これが詰み重なって、自覚に至るんですよ。私が自覚という、ここで言ってんのは、神の自覚のことを言ってんですよね。私達が体験して、知って体験しているもののすべてが、神の自覚を得るためなんですよ。この地球上に、いろんな知ることもありますよね。て、それをもとに体験してますよね。いろいろね。全然、神と関係ないように思うかも知らんけど、全部、神を知るための知識であり、体験なんですよ。全部、この自覚に、神の自覚に向かうのに必要で、こういうものを私達は積み重ねてきてるんですよね。で、ここまできた、理解力のあった人っちゅうのは、それだけ過去世において、いろんな体験豊富な人っちゅうことですよね。だから、あのー、魂が幼いからって幼い魂が悪いわけじゃないんですよねえ。あくまでも、体験不足なだけですよね。それは生まれた時期が違うから。だから、あなたが生まれた時期は、一般の人よりずっと古いから、それだけ理解力を持つようになっただけであって、特別になったわけじゃないよね。この、神の公平性、悟りの公平性っちゅうのはそうなんですよ。必ず同時期に生まれた魂は、同時期に悟りに至るようになってんですよ。これが神の公平性であって、どんな途中で、あのー、人生体験違ってても、最終的には、同時期、ボーンと悟りに至るように出来てるんですよ。神が我が子をそんなね、お前は先に、お前は後にちゅうこと絶対しない。途中の段階はあるんよ。そらー、途中で怠ける者もいるわけだから。そん時には、ねえ怠けて他の人が追い越していくことあるよねえ。でも、その人は後でまた、一生懸命走るんよ。怠けた人はね、やはり途中で走らなきゃなんないよねえ。で、また途中でね、怠けるんよ。一生懸命やってた人は、途中で怠けることも起きてきて、こうやりながら、結局は、最終的に、同時期に着くようになってんですよ。だから私達は、別に特別じゃないんですよ。ただ、早く生まれただけ。魂的に早く生まれただけ。これを知ってくださいね。そしたら、うん、自分、増長慢になることもないし。で、なおかつ、幼い魂に対してのね、うん、あのー、寛容の心が本当に持てるようになるからね。これはあのー、これからね、今日こっから出てったら、絶対、あのー、意識ちゅーんかな、今までの見方が変わってくるはず。何を見てても。あの人この人全部。来る人みんな見ててもね。変わってくるんですよ。見方が全然違ってくる。だから、あのーもー、何か人から、幼い子から何かこう、ね、問題、あのー、起こされてもそんなにね、腹を立てなくなるというかな、大きな目で見てあげられるようになるはず。間違いなくこれは。変化しない。あのー、教えというのは、偽物。絶対変化するように、神はすべてね、創られてんですよ。それは、あれですよ。自分が入ってないとだめなんですよ。あくまでも。拝んでちゃだめなんですよ。いつも言うけど、卵に、孵ってくださいって拝んでるのが宗教。普通の。私達は抱くんですよ。自分の力。抱いて卵を孵す。それが科学的生き方なんですよ。だから、自分がしなかったらだめですよ。よくあのー、私のところにメールしてくる人がね、いるんですけどね。あのー、要するに、今の自分の境遇が苦しいから何とかしたいって言うんだけど、それは自分が創ったもんだから、自分でその境遇を良くするしかないんですよね。これは自力ですよね。私はしたら、厳しいこと言うよ。自分でやりなさいって。これ、私はそうしかいませんよ。助けてあげますなんて、絶対言いませんよ。よく、いろんな宗教で助けてあげるからって、よく言うよねえ。で、こんな壺を買ったら、えー、あのー、御利益があるからって壺買わしてみたりね。宝石持たしてぶら下げる。あんなのみんなそうよ。これを付けたら運命良くなりますよ。あれ全部他力でしょ。あれが科学だと思います?ねえ、おかしいよね。自分なんにもしないで、のほほんとしててよ、どうして、あのー、いい境遇になるわけないでしょ。何でも努力なしに、なし得ないよねえ。だから私ねえ、努力という言葉が一番好きなんですよ。努力ちゅう言葉が一番好きなの。お母さんが子供を産むとき、努力するよね。だからあれだよねえ、あのー、努力ということのね、この大切さはね、私、あのー、いつも言うんですけど、何かを生むためには必ず努力しなきゃなんないよ。生む努力。そのために地球には、この努力という言葉があるんですよ。もし、努力のいらない星だったら、こんな言葉生まれないよ。科学ということは、必ず自分の力がそこに入ってないと、なんないということなんですよ。だからぜひ、科学的な人になって欲しいんですよ。これが、まあ要するに、今日、知って欲しいのは、こういう段階を追って私達は、悟りの頂点に向かってね、こういうその、工程を踏んでいくということを、知って欲しいんですよね。だから、まず私達は知ることから始まるよね。知って、知って、体験して、そして、その体験の中から、あのー、一つ言いたいのは、この気づくためにはね、これ先程言ったように、自分が発見するしかないんですよ。自分の中にすでにあるんですよ。過去世において、沢山の体験した基礎が全部あるんですよ。だから、自分に問いかけて自分の中から回答を得ることが必要なんですよね。外からは絶対得られません。よくあのー、外側に自分は悟りたいから、あのー、外側に出てっていろんな本を買って読んだり、人の話を聞いたり、行きますよね。あれ外側から得られないんですよ。ここで私話したことでも、そうですよ。私の話したことから、悟りに入るっちゅうことはありえないんですよ。あくまでも自分の中に、居られるわけだから神が。すべてご存知の神が居られるわけだから、その神から自分が得るしかないんですよ。だからそのやり方っちゅうんかな、方法は、私の体験からお話する事できるけれども、やるのはあくまでも自分なんですよ。ぜひそれね。これねあのー、どうせあれでしょう。この世のことを、これから何十年か生きる間に、このの事、沢山、物集めたり、まあ、地位や名誉を得たって、肉体脱いだとき全部、あれでしょ、この世に全部残して帰るんだもんね。そしたら永遠に持ち帰るもの、ねえ、持って返った方がいいよね。それが、自分の原子核を魂を大きくすることなんだから。この魂を大きくする方法を私は教えてんですよ。ぜひ、そういうものを持ち帰って欲しいんですよね。この世の物を持ち帰ったって、全然何も意味ない。て言うよりも、消えてしまうものだからね。この世の物は全部。よくさあー言うでしょう。三途の川渡る時に、ね、川のところに沢山のね、宝石やお金は全部、あのー、川の中にね、みんな置いてかなきゃなんないちゅーような、そんな話聞いたことあるでしょ。三途の川は、物を持って渡れないんですよ。自分が裸で渡るしかないんですよ。でないと、溺れてしまうんですよ。沢山のものを持ってれば。だから、そういう言い方をしてるんですよね。実際はこの世の物は持ち帰れないということですよね。うん。まあ、あのー、私達が最終的に神に帰る。私達は神から出てきて、神に帰るようになってるんですよね。あたしたちの本質そのもの。本性そのものが、神なんですよ。神の本質そのものが、私達になってるわけですから。私達は神なんですよね。間違いなく。神という本質が、この宇宙にたった一つあるだけなんですよ。何が、確実なものは何かと聞かれたら、神の本質だと思ったらいいんですよ。この宇宙にあるのは、たった一つの神の本質しかないんですよ。その神の本質が、いろんな形にわかれて、いろんなものを創ってるだけ。でもその中に宿ってるのは神なんですよね。神の本質なんです。だから私達は、神の子。すべて神の子ですよ。鉱物、植物、動物、人間。全部神の子ですよね。神の本質によって創られてるわけですから。当然、神ですよね。ただ、長いこと自分は人間という思い生きてきたから、どうしても人間から抜け出せないでいるんですよ。そらそうだよねえ。いつまでも、もう長い年月かけて人間をやってきてるっちゅうことは、人間癖を付けてるわけですから。その人間癖をとるっちゅうのは、大変な作業ですよねえ。それを取る作業が、瞑想なんですよ。今まで、人間という瞑想してたわけですよ。ハッキリ言って。だから神だという、逆の瞑想しなきゃなんないんですよ。これは別に難しいことじゃないんですよ。今まで人間になったのに、難しいことしてました?ねえ、いつの間にか人間になったんだもんねえ。だから、同じですよ。逆のことをやればいいんですよ。神を多く思えば思う程、神に戻る。元々神だから。私達は元々ダイヤモンドなんですよ。それにちょっと泥がついて、人間の泥がついて、人間だって錯覚してるだけ。だから、その泥を取っちゃえばダイヤモンドだもんね。これはあれよ、唯物主義者もみんな同じですよ。ただ唯物主義者の泥は余りにも厚くついてる。このここにいる人は、結構取ってきてるんですよ。過去世において。だから、あともうちょっと取ればいいんですよ。その取り方をもうちょっと、ね、具体的に説明しているだけであって。元々人間ていないんだから。この宇宙に形は沢山ありますよね。形が沢山あるということは、見分けをつけるために、名前を付けなかったらなんなかったわけですよね。鳩だ、犬だ、猫だ。人間でも誰々さんて名前付けてますよね。それは見分けるために仕方がない、で、付けた名前であって。その名前がその人じゃないんですよね。その形の区別をするための名前だから。ねえ。おかしいでしょ?区別するために付けた名前を自分だと思っちゃったんだから。錯覚しちゃったんよ。これ、鉱物、植物、動物、人間て、四つだったら、まだ、ましだったかもしらんけど。人間にまた誰々さんって名前付けちゃったから、なお複雑になっちゃって、いつの間にか人間であるって、雁字搦めに、もう催眠術にかかっちゃったようなもんだよね。それを取るのは、逆な催眠術かければいいわけですからね。これは簡単なこと。世の中ではいろんな瞑想やってますよねえ。あの瞑想は何でやってるかって、その瞑想する意味もわかんないでやってんですから。ただ気持ちがよくなる。ね。無空になる。て言う瞑想しか教えてないよ。無空になって何なのそれ。自分が神なのに、神の自覚を持たんかったら意味ないでしょ。したら神という自覚を持つには、自分が神であるっちゅうことを、自分の中に持ち込めばいいんだもん。どんどんどんどん。それが瞑想でしょ。そしたら、難しい面倒な事いらないでしょ。私は神である。私は神である。自分に言い聞かせるばいいんだから。こんな簡単なことないよねえ。難しい集中して、無空になるなんてあんなことしてね。それだけだったらまだましだけど、滝に打たれたり、山野を駆け巡ったり、ねー、火の前で何だか、わーっとやってるでしょいろいろ。あれ何になります。あんなことやって。ちょっと利口な人だったら分るよね。山野を巡って悟れるんだったら、スポーツ選手みんな悟ってますよ。ねえ。要するに、意識状態ということが分らないんですよ。形じゃないんですよ。こんなことして、瞑想することじゃないんですよ。ね。火の前で、わーっとやって、あの、文言唱えて、ね、その文言さえね意味わかんないでやってるんですよ彼らは。私がいつも言うのは、南無阿弥陀仏。ね。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏ってやってますよ。あのー、天理教でもやってますよ。ポコポコポコポコっとね。あれね、本当に意味を知りながらやるんだったら、まだマシなんですよ。ただ形だけやってそれで満足してるだけ。あくまでも意識状態なんですよ。私達は、意識だから。私達の本性は意識だからね。その意識が、人間と錯覚しただけなんだからね。その錯覚を取ればいいんだから。だから、その取る方法は、何回も何回も自分は神であると思うしかないんですよ。だから技術的なことは何もいらない。ただ、私がいつも言うように、できるだけ時間を多くかけて欲しいんですよ。だって、人間になったのは人間の時間をかけたわけだから。多く。だから、逆のことをすればいいわけだもんね。これは別に不思議でないよ。いつも言うんだけど、えー、渥美清わね。渥美清が寅さん役やって、寅さん、寅さんいったら、いつの間にか寅さんになってしまうんよ。それと同じように、人間、人間ってやってたら、人間になってしまって、人間という思いが波動を下げてるんだから。自分の能力を、失わさせてしまったの。人間と言ったら物質ですよね。この肉体。これは実際に無いものですよ。人間だと思って物質だと思っている限りはね、あれですよ。物質の力、能力しか出てきませんよ。私達の本性は、意識体、エネルギー体。素晴らしい力を持ってるんですよ。このエネルギー体は。エネルギーは。それを想念という形で、私達は今、使ってるんですよ。私達には意識ありますよね。誰でも意識持ってますでしょ。その意識を、元にして想念を創ってるんですよね。つまり思いを創ってんですよ。その元は意識ですからね。その意識を、力を利用して自分で想念を作って、その想念を、物質の方、人間の方に使ってんですよ。想念はね、本当に実現の母なんですよ。想念をどう使うかだけ。これね、今、私、あのー、今、あのー、いろいろ更新集とか、今週の真言とかって、あのー、載せてますけどね。最近、私、想念のことをよーく書くようになってるはずなんですよ。この想念がね、ものすごくね大切なんですよ。想念次第なんですよ。すべて。病気も。社会のいろんな事件事故。災害も全部。想念の結果なんですよ。だから私ね、想念について、ものすごくね最近書いてるんですよ。ぜひ、知って欲しいんですよ。想念の偉大さ。私達が動くの、これあれでしょ。自分の思いによって動いてんでしょ。勝手に体動くことないもんね。その元ったら、原因たら、想念だもんね。したら、今の人間それやってます?原因を、想念が自分の体を動かしてるっちゅうこと考えてる人いるのかなっと思うくらい。何か行動に移すには、まず思いが先に立つよね。だから私、いつでも言うんですよね。これはあのー、アレだから。こっち側。まず思いが先ですよね。で言葉にしますよね。で行動に移しますよね。だから元々は、私達の思いから発してるんでしょ。この社会もすべてそうですよね。何か思って、いろんなもの作ってるもんね。勝手にものが作られることないわけだから。だから、この想いをものすごく大切にして欲しいんですよ。ていうことは、人生すべて思い次第ということですよ。自分の人生を良くしたかったら、この想いを良くしたらいいんだもん。こんな簡単なことはないのに、なかなか分かって貰えないんですよ。沢山の人が私のところに、こないだも電話きて、あの、苦しいということでね、何とかして方法ないですか。自分の想念が、自分、今の、苦しくしてんだから、自分の想念を変えるしかないですよ。だから想念の使い方を教えてあげてるんですよ。でも、なかなかその想念を、コントロール出来ない人が多いんですよ。殆どの人が24時間、自分の想念を何に使ってるかと言ったら、この世のこと。それも、あれですよ。物を得ることとか、地位を得ることとか、ねえ、それこそもう、あのー、まあ、家族の幸せとか、社会の幸せ、いろんな幸せを持ってるかもしらんけど、その幸せを思ってること、家族そのものが消えてしまうもんだから、つまり、想念をすべてこの世の消える物に使ってんですよ。財産も消える、地位も消える、名誉も家族も消える。もちろん、地球だって消えるんですからね。そこに想念を使っている人が殆ど100%。だから、この想念をどう使うかなんですよ。そしたら、その想念というのは何でも、生み出すんですから。そしたら、髪を生み出すように使ったらどうです。神は生み出すもんじゃないんだよ。もうすでにあるもんだから。ただ神を、から、神を忘れているだけだから、忘れない、記憶を戻すためには、その想念を利用したらいいんですよ。私は神であるという、想念を使ったらいいんですよ。それを使えば使えば使う程、だんだんだんだん、神に近づいてくる。なんでかったら、吾神なりの想念は、原子核を増やすように出来てるんですよ。この宇宙は。エネルギーを集めるんですよ。だから、だんだんだんだん、神の自覚が生まれてくるんですよ。それに、その想念を使って欲しいんですよ。これはもう知った限りはね、出来たらこの想念を無駄なことに使って欲しくないんですよ。この世のことを思ってる時は、その人はハッキリ言って、死人なんですよ。この世はないから。このないことに、想念を、ある想念をないことに使ってる人は、死人なんですよ、ハッキリ言って。その人が生きる人になるには、本当にあるものに、意識を向けなきゃなんないんですよ。本当にあるものは、今言ったように、神。宇宙。ね。生命。まあこれは言葉は、あの。このいつも言うんですけれど、神という。神という言葉が神を表してるんじゃないですよ。これの、沢山の側面があるんですよね。神の側面。これいつも言うことなんですけど、神というのは、愛であり、光であり、あれであり、生命であり、無限であり、これはあくまでも、神の属性というか、神の、えー、いろんなあれだよね。うーん、側面。いろんな側面が集まって、神というものを。まあ、これは字だけどもね。神というもの自体で神を知ることは出来ないんですよ。いろんなものに分解して見なきゃなんないんですよ。でないと、神の厚さ深さがわかんないんですよ。これが一番瞑想に必要なことなんですよ。私はいつも言うように、自動車を自動車だけ外面見ただけじゃ、自動車の全体像分りませんよと。分解して、いろんな部品を知ることによって、車というものは何だかという事を、自分の心の中に培われるわけでしょ。神も同じなんですよ。神というのは何かということ。まず、自分でいろいろと追求してって、これは神の属性というのは沢山あるんですよ。いろんな。これはエネルギーでもあるわけですからね。1なるもの。総合されたもの。そのいろんな側面合わさったものが神ですから。こういうことを知ることによって、神の一言が、重く、深く、厚くなってくるから。私の本を何回も読んで欲しいっちゅうのはね、このいろんなその側面を、知識じゃなくて、この、自分の心の底で、知って欲しいから言うんですよね。そしたら、神に対する中身が、厚く、重く、深くなるから。まああのー、後で瞑想の事も、ちょっと触れるたいと思うんですけど。そのー、神を想うことだからね。瞑想というのは。簡単に言ったら、瞑想とは神想うことですからね。この神を思うときに、神のいろんな沢山、神の側面を知った思いで吾神なりの瞑想して欲しいんですよね。だから、これそれぞれがマントラになるんですよね。全部これマントラに使えるんですよ。真理というのは、言葉や文字で伝えられないんですよね。私はいつもおんなじことしか言わないんですよ。言う事がないから。もし真理を本当に伝えるとなったら無口でいるしかないんですよ。神は、神を知るということは、神って何かったら、見えもせず、聞こえもせず、触れもせず、味わいもせずね、臭いもかも、全く五感で感じられないものが神だから、神をどうして表すの。言葉に出来ないよ。言葉や文字に。そしたら、ねえ、たまっているしかなくなっちゃうの。でもやはり、神を何とかして知って欲しいわけだから、まあ、知識的な文字や言葉を使って、何とかお話して、知って欲しいと思って言っているわけだから、お話することは同じになるよね。当然ねえ。全然別物だったら、毎回違う言葉が出てくるかも知らんけど。一つの神を知って貰うことだから、そしたら、どーしても同じ表現になるよね。ただ、あのーを私の述べてる言葉の中に、込められてる思いというのはね、その都度、違うということだけは知って欲しいんですよね。これは、あのー、この場において必要な思いで喋ってるんですよね。だから、あのー、多分同じ事聞いててもね、その人が理解力が上がれば、上がった分のなんちゅうかなあ、いろんなことがね、えー、まあ気づくことにも繋がるし、自覚を押し上げることにも繋がるはずなんですよ。だから、アレですよねえ、ああー、一回聞いたからこれでいいということじゃないんですよ。これがねえ、真理の難しいところなんですよ。求道者というのはね、ものすごく根気がいるんですよ。で、素直さが必要なんですよ。もうここに来るね。ということは、ここに来るまではね、いいんですよ。疑って疑問もって。ね。大いに疑って疑問を持って、本物を掴むまでは。それで、掴んだらね後は素直に、あのー、要するに求めていくこと。だから、自分の自分を信じられるかどうかなんですよ。自分がそれだけの理解力があるかないかというのはね、これ、結局は過去世においていろんな体験して積み重ねてきた。あのー、いろんなその成果が、今ここで試されるんですよね。偽物掴むか、本物掴むかなんですよ。本物掴んだかどうかっていうのは、自分で見極めるしかないんですよ。ということは自分を信じるしかないということですよ。一旦、あ、これは本物だと思ったら、自分を信じるしかないんですよ。まあここにこられて、あのー離れていく方もいるけれどね。ということは、離れて行った人は、結局は、自分が信じられなかった。自分が求めてきたものが、これが本物だと思えなかったということですよね。っちゅうことは自分を、自分の、そのー、見極める目がなかったっちゅうことになるわけよ。そういうことですよね。まあこれは、他の宗教でも言えるから、いいことなんですよ。他の宗教で、結局、疑問を持っ、そこで見極めて、あ、これは偽物だと思って、本物を求めていくわけだから。いいことなんですよ。でも、最終点に来た人は、それ以上のものないから、離れようがないんですよ。ハッキリ言って。これを知って欲しいだけなんですよ。私は。まあこれからね、大いに真理を探求して欲しいんですよ。これからねえ、もー、あなたのような若さだったら、まだまだ時間あるから、人生をかけてね探求して行って欲しいんですよ。そして、自分が絶対これだというもの、これは絶対間違いないというものをね掴んだら、ぜひ、離さないようにして欲しいんですよ。だからここに来て、納得しなかったら離れていっていいんですよ。自分が納得して、これは間違いないと思ったら、出来たら素直にそれを求め続けて欲しいんですよ。私は、あのー、ここに引き止めるつもりもないし。これはその人のやはり、あのー、理解力によってこれからも、真理を求めていかんきゃなんない人だから、その人達を束縛するようなことは絶対してはいけないからね。その人が疑問に思って、あ、これは偽物だと思ったら、本物を求めて行ったらいいんですよ。そういう、だからここは、来るもの拒まず去るもの追わずなんですよ。だから、それは私は、あのー、思うのは、その人が本当にそこまでいった人だったらね、続けられるんですよ。これはあれですよね。ハッキリ言って、自分を信じられた人。これ以上のものないということが信じられた人は、もう揺るがないよね。自分を信じられなかったら駄目。でしょ。そのためには、過去世においていろいろ体験してきた、ものが基礎になってるわけだから、もし信じられなかったら、その基礎が、崩れちゃうんよ。全部。その基礎の上に築かれて、やっとここまで来たんだもんね。ここまで来てそれが違ったら、今まで作ってきた基礎、なんだったっちゅうことになるよ。そうでしょ。長い転生においてよ、どれほど苦労してきたと思います。それで築いてきたんだもん。ずーっと。でやっとその基礎を元に、本物掴んだんだもん。と思ったんでしょ。本物かどうかは、私は言わないよ。でも、本物だと思ったんでしょ。もしそれが違ったら、どうなる。ねえ、築いた基礎が、崩れちゃうよ土台が。そんな虚しいこと、悲惨よそれは。絶対、まあ私が、私の体験から、言えることは、これ以上の真理はないっちゅうことを言いたいわけ。どう考えたってないでしょ。もう相当考えたはずよ。何年もかかって。いろんなとっから、突っついて、突っついてやったはずでしょ。でも、これ以上のことないってわかったんでしょ。だから、きてんだもんねえ。それは私が体験しているからだよ。なんでかったら、変化が起きるから。変性変容が起きるから。間違い、間違いだったらおきようがないじゃない。そうでしょ。私は自分で変性変容を体験して、なおかつ、ね、神の意図というものを分ったからね、これ以上のこともないということも分かったわけよ。私が本の中で書いてる、宇宙の創成物語。ね。アレのあれは、本当に神の意図をわかった者でないと書けないよ。あれを書いてる人います?この世の中に。地球上に。あれは神の意図がわかった人じゃないと書けないんだもん。その立場になった人でないと。でも私は、完全だとは言わないよ。私の知ったことなんて、僅かよハッキリ言って。この宇宙は永遠に知ること出来ないんだから。そうでしょ。無限なんだから。無限を知る事できると思う?だから私の知ったことも、一部。途中の段階をただ私が、自分の体験から、ただ述べているだけ。神が有限だったら、この宇宙が有限だったら、知ることが有限だったら、どうなると思うこの宇宙。不完全よ。あ、これで終わりました。知りました。悟りました。で終わったらその宇宙は有限よ。そんな宇宙だったらどうなるの。不完全でしょ。知っても知っても知り尽くせない宇宙だから完全なんよ。神を知っちゃったら、有限よ。そんなにみすぼらしい神っているうぅ?知られる神って。おかしいよね。それ分るねえ。分るって。すごいことよこれ。だから私達は、もう永遠に、求道の旅を続けていかなきゃなんないのよ。だから、素晴らしいんよ。いつも言うように。求道の旅というのは、苦しい旅じゃないんだもん。したって。ねえ。もうこれはおんなじこと言うんだけどね。おんなじことしか言うことないんだから仕方がないよねえ。ここに、いつも言うようだけど、これ唐傘。私達は唐傘の絵の、こう別れたみたいなもの。ここから、出てきたんだからね。ここから出てきて、こっちに帰るのは間違いない。これがあの、Bさんだったらね、これがAさんだったら、出てきてまたこっちに戻ってくるのは、これは、当たり前のこと。故郷に帰るのは、当たり前のこと。ただし、心故郷っちゅうのは、もう、永遠に帰れない故郷。私のあの、光のメロディー集に故郷に帰ろうってあれだよね。ありますよね。うん。あれは、あれよ。ああーいう書き方しないと、曲にならないし、文にならないから、ああーいう書き方してるけど、私達は永遠に故郷に帰れないんよ。ただし、ここに自覚の境界線があったとしたら、ここまでは、これはもちろんこっちから上がってきたわけだよね。鉱物、植物、動物、人間て上がってきたわけだからね。成長してきたわけだから。でやっと、ここまで、今ここにいる人達は、この辺にいるんですよ。一般の人達は、ここよまだ。ここまで来たわけですよ。ここまでが苦しいんですよ。私達は今、沢山苦しみ持ってるよね。これは自分が人間だと思ってるから。まあここが自我の境界線だとしようかね。ここ。自我の境界線を超えたのが人間だからね。自我を持ってなかったら宇宙、神というものを求めようとしないわけだから、ね。動物や鉱物や植物だったら、自我がないから植物が、えー、神を求めているということは、絶対ありえないわけだからね。人間という自覚を持つところまで自我が出来た私達が、神を求めるんであって、ところが、まだ、人間だと思っていて、神だとは思えない状態が私達ですよね。そういう状態のときが一番苦しいんですよ。あの、自我の境界線を超えて、まあ要するに、人間になったばかりの人間というのは、この五感、肉体でいろんな苦しい体験をして覚えて行くんですよ。だんだんだんだん上に行くにしたがって、精神的苦しみを体験、肉体的苦しみよりも、精神的苦しみを体験して、この自覚の境界線に近づいていくんですよ。今は、神を求めよという思いと、まだ人間から離れられないという思いがあるんですよ。そこの間で葛藤があって、苦しんでる人が多いんですよ。このここに来てる人達。大阪にいる人達も、みんな、神になりきれない。人間を捨てきれない。そこでね、ぶつかり合って、要するに、あれですよね。聖戦というのはそれなんですよ。自分の中にある、あのー、サタンという肉感情。これが、どうしても神を求めさせないようにするわけだから。それに打ち勝つ勇気。意思の強さというのはものすごいいるんですよ。今日帰ったらね。これをね、自分の目の前に貼って欲しいんですよ。あのー、ここにいる時は、よし、やろー。みんな思うんですよ。波動が高められてるから。でも、何日かして、家に帰ったら何日かして、もう辞めよう。そんなのやったって、どうせ人生楽しく生きようなんて思うような、サタンが来るんですよ。それを、見破らんとね。これからやればやる程ね、巧妙にね、足引っ張るようになりますよ。自我がサタンが。そのためには、見破る。見破ったら弱いんですよ。面白いんよ。これ一つの例だけど。私が、例えばよ。あのー、一番あれなの。体調悪くさせるんですよ。ね。サタンにものすごくやられた時はね、体調悪くなるんですよ。で、それが分らないんですよそん時には。気づかない。なんでか分らないけど体調おかしいな。もちろん気持ちも落ち込むよね。そういう時に。それが、付目なんですよ。気持ちを落ち込ませるために、肉体的にねいろんなその、あのー、あれだよね。痛い目に合わせるとか、させるんですよ。それを見破ったら、あ、なんだこれはサタンだ。見破った途端にね、私の場合はね、足の方から抜けてくんですよ。すーっと。そうするとね、あのー、どっかおかしかった体調が良くなんですよ。これ今はそういうことなくなった。昔ね。やっている頃によくあったんですよ。これはもうねえ、まあ私は、ちゅうことはなんでかったらね、上の方にはこれないんですよ。真理やってるから。下の方は、まだ、要するに、波動が下は低いから、下の方から入って、下から抜けてくんですよね。面白いもんですよ。これ体験したらいいと思うんだけどね。見破ったらでてけって言ったらね、すーっとしたから出てくんですよ。面白い体験するんよ。昔からよくあるよねえ。イエス様でも、お釈迦様でも、サタンにやられたっちゅうお話ありますよね。あれ本当なんよ。あれは周りの波動が同調してくるから。その波動が入ってくる。これね、巧妙だから。気を付けてないと。いつの間にかやられるんよ。で、暗くさせるの要するに。一番暗くさせるのはやはり、体調悪くさせること。体調悪くなったら、暗くなるでしょ。どうしても。それが付け目なんだから。だから、できるだけね、やはり、あのー、まあ、できるだけっちゅうより、神を思っていたら、そういうこと、起こんないわけだけれどもね。まあ起こんないっちゅったら語弊があるけれどもね。なんでかったらね、こっちが光れば向こうの闇も強くなっちゃう。だから、いろんな手を使ってくるのね。今後ね。今日、こんなこと最初に来た人をに言うのは、それだけの知って貰える人だから言うんだと思うよ。多分。これ実にね、あのー、あれですよ。これを知っておいたらね、あのーこー、見分けることできるから。ぜひ、これ貼っておいてくださいね。で、今の話ですけどもね。こっからずーっと私達は、これからもー、永遠の旅ですよねえ。ここ永遠の旅。永遠の旅を続けてくんですよ。あー、藤島さん、あー、あのーこないだ頂いた曲ね、宇宙の旅人っちゅう名前にしたからね。で、あれもー、一応出来上がったから、送るようにするからね。あれに合わした曲、文がねうまいこと合ったから。私達はね、永遠の旅人なの。ただし、こっから上は喜びだけ。っちゅうことは、喜びが永遠に続くっちゅうことなのよ。ここは、有限よ。ここは苦しいよね。苦しいけど、たかが百万年ぐらい。いや数百万年ぐらい。多くても、そうだねえ。4~5百万年ぐらいかな。でもここは永遠だからね。この喜びは。この喜びというのは、どれ程の喜びかっちゅーのはね、私が知っている喜びでさえ、もうすごいんだから。それはもう上行ったらどれだけの喜びかっちゅうことよ。これはね、ここの境界線越えないと、体験出来ないんですよ。ここを超えちゃったらね、もうね、こっちの喜びなんか、もうもう、見向きもしなくなるよ。くだらんくて。もうつまんないの。人間が求めている喜びなんか。つまんないつまんない。でなくても、もう、大分つまんなくなってきているはずよ。何をやっても、何か心からね喜べない。虚しい。という事起こってきてるはずよ。それはやはり成長した証だもんね。一般の人見てご覧。もう毎日酒飲み行って、えー、何か楽しい事やりに行ってるよ。旅行に行ったり、ゴルフしたりしてるよ。あれはあれでいいんよ。まだそこで、学ぶ必要があるからやるんだから。それはいいんだけども。彼らもいつかは気づく時が来る。何やっても虚しいということを知らせる時が来るよね。そこ、もー、ここに来ている人達は体験してきちゃってるから、他に来れ以上のもの、何かあるはずだって思って来てるはずなんよ。それがそうなんよ。この喜びというのはね、もうもうずっと続くんよ。これがもし途中、有限だったらば、喜びも有限よ。幸せも。そんな宇宙だったらぞっとしない。でしょう。私だったら、そんなもー、宇宙行きたくないよ。あ、もーあれが見えてる。あれ以上の幸せないんだなんて思ったら、近づいてったら、もーねー、修学旅行で、もー、あー、ね、最初の頃は、1日目は、まあ、楽しいよね。4泊5日だって、4泊目ぐらいになってきたら、なんかもう先が見えてきたら、なんか寂しくなるもんねえ。あれと同じこと。先が見えたらね、本当に虚しくなっちゃうの。なんでかっちゅーと、私達の意識は無限、いや永遠だから。私達の意識は、永遠なんですよ。絶対なくなりようがない。その意識っちゅうのはね、飽きるんよ。必ず飽きる。だから、この幸せがね、高度んなってくっちゅうのはそこなんですよ。飽きるから。だから素晴らしいんだよね。飽きなかったらそこ止まりになっちゃうもん。ね。だから私達がね、今、何だかんだ言って苦しんでるけどね、これ仕方がないんだ。私は思ったよ。自分がね、自覚の境界線を超えた時に最初に思ったことはね、なんでこんな宇宙を創らんきゃなんなかったのかね。こんな苦しみ多い宇宙をね。この表現の世界をね。なんで創らなきゃならなかったの。神様。ね。問うたよ。問うて、疑問を投げかけて投げかけて、自分の中から返ってきた答えっちゅうのはね、これしかないという答え。この方法しかないっちゅうこと。神が、ね。自分を今のままで、あ、幸せな状態だという状態で、神がね、いられると思います。自分だけが?自分しか存在しない。ね。自分だけが、自分の存在を知っていて、一体何になるの?あー、幸せだと思ったって、その幸せは自分しか知らないんじゃないの。もちろん、その幸せというのは今言ったようにね、色褪せる幸せであり、それこそあれだよねえ、そんな色褪せる幸せであり、なおかつ、あれだよねえ、そこが有限であったらね、そんな幸せは、もちろん欲しくないし、そしたら、どういうふうにしたら、永遠の幸せが得られるか、色褪せない幸せが得られるかということ考えたら、私のあの創成物語に書いてる方法しかないんですよね。あれしか。ね。だから、その立場になって、うん。考えられる。その時に、私は、もうこれ以上のことは、これ以外の方法はないというのがわかったんですよ。それで納得したんですよ。本当のこと言ったらね、この意識を全部失わせてくれたら一番いいんですよ。もう何もかも何もない状態。意識も何もない状態だったらどんなに楽だか、ねえ。楽だかって考えることもないんだから。もー。だよねえ。それが一番良い方法なんだろうけど。それが一番の神の弱み。ハッキリ言ったら。そうだよね。それができるんだったら、もちろん、こんな宇宙なんか、とっくにもう、最初から作らないよ。意識を無くすことができるんだったら。これが無くすことが出来ないからこういう宇宙を創るしかなかったんだからね。でわかった。そのことが。それが一番ね。それ以上のものがないということが。うん。私は納得その時したんよね。まああのー、それも自覚の境界線越えたらね、分りますからね。うん。だからあのー、ぜひ、あのー超えて欲しいけれども。ただ、その超えるのがね、いつ超えるかっちゅうことは保証出来ないからね。これは、歩き続けるしかないんですよ。あのー、本当にね、一歩、一歩、一歩、一歩。ものすごく、この真理の探求っちゅうのはね、一歩、一歩なんですよ。これ一足飛びに行かないのがね、神は気長なお方だから、いつまでやんなさいということは絶対言わないし、で、なおかつ一足飛びに行けるもんでもないんですよ。本当にね、もう一歩、一歩しか行くこと出来ないの。私ねせっかちなんですよ。昔からせっかち。だいたい真理を求めている人っちゅうのは、せっかちな人多いよね。だから私一足飛びで行きたかったの。だから私は、えー、あの、商業高校だったんだけど、ね、普通は七級とか6級とかそろばんでも、取っていくのにね、それ飛ばしちゃって、最初から3級とか2級とか挑戦するよんね。落第するよね。それが、なんかせっかちなんよね、私ね。本当にせっかち。だから、結局は、また同じ事やるんでしょ。受かるためにはやはり、また戻って、学ばなきゃならないもんね。それが繰り返し繰り返しやってるわけ。ね。それがじっくりじっくり最初から行かないよね。どうしても先に来たがるの。このせっかちな性格はね。それやはり駄目なんよね。じっくりじっくり一段一段ね、こう、登っていくしかないんだわ。この宇宙は。本当に、悟りの道っちゅうのはね、本当に長い長い長い長いしね。本当にね、根気のいる旅。それ以外ね、やはり到達出来ないようになってるんよ。そういう風にこの宇宙作ってあんのね。もちろんあれだよね。あのー、やり方はあるんよ。昇り方にはいろいろ工夫して昇る方法はあっても。やはり、一歩、一歩しか行けないようになってるのね。だから、欲張んないで。一番必要なのは根気。あのー、集中力。ね。向上心。緻密さ。あのー、何にでも負けない勇気。サタンに負けない勇気だよね。だから私達が社会生活してるすべては、そのためなのよね。この社会において学んでることは、どんな、ね、政治、経済、文化、科学、スポーツ、芸術、全部含めても、全部、そういうものを培うために、私達はそういう社会体験が必要なのよね。スポーツやることも、忍耐力つけるのに必要だもんね。それこそ、版掘りもそうよね。集中力をつけるために必要でしょ。何もかにもが、この社会でやっているすべての事が悟りのど、悟りに至るための道具なんですよ。必要な道具なんですよ。全部が全部100%、神を知るためなんですよ。これ。つまり、悟るためにそれだけの忍耐力が必要だっちゅーこと。集中力も必要だっちゅーこと。だから、あのー、ここに来てる人はね、大体、もう克服してきてるんですよ。忍耐力とか集中力、だいたいね結構いいところやってきてんよ。だからね、案外、我慢強いはずよ。みんな。ここに来てる人は。私がね、そうなの。ものすごく我慢強かったの。これだけは、ちょっと自慢できる。でね、繰り返すことが嫌いじゃないの。繰り返すことがね、何か知らんけど繰り返すことやるのね。下手だと言ったら下手なんよ。合理的でないったら、合理的でないんだけどね。なんか繰り返すことをね、あんまり嫌わなかった。っていうことは、過去世でいろいろと苦労してきたんだと思うよ。皆さんもそうだと思うよ。ここまで来るにはね、それだけのいろんな基礎的な学びをしてこないと、ここに来れないんだもの。したって。だからね、可能性があるって、私が言うの、そこなんよ。すでに基礎を築いちゃってるから。だからあれだよね。私が言うのは、知識というのはね、知識を得てる、体験してるということは、まああのー、基礎を築いているみたいなもん。建物の。そして、あのアレだよね。知って、えー、それを元にして、うーん、要するに探求し始めるわけだけどね。そこにおいて、あれだよね。うーん、あっそうか。ごめんなさい。ちょっとね。なんか言ってはいけないんだって。なんだろう。ごめんなさいね。まあそれはあくまでも、この建物の基礎作りのことを、まあ言おうとしていたわけだけれどもね。要するに、私達はそういうような基礎を、こう、築き上げてやっとここまで来た魂だからね。だから、アレだよね。まあ、あの埋めるところはまだあっても、相当埋めてきてるはずなんよね。いつも言うように、丸。の丸。まん丸になるのに、私達は人生体験沢山してきてるんですよ。このまん丸になるにはね、この中に埋める部分があるんですよ。沢山。沢山埋めていかんとなんない。これを沢山埋めてかなきゃなんないんですよ。これは、あの、ここを不得意な人。ね。残している。ここを残してきた人。或いはここを残してきた人。ここを残してきた人。おんなじじゃないんですよ。皆さん。自分の転生において、やはりねえ、得意なものから埋めてくんですよ。そして不得意なもの、案外残すんよね。どうしてもね。これはあのー、社内時はそうなの。だんだんだんだん成長してくるとね、この不得意なものを、埋だすんだけどね。でも、これを埋めてって、まん丸になって初めて、この境界線を越えられるようになってるんですよ。ただし、全部埋まってなくてもいいんですよ。これは。私も不得意なものまだ、埋まってないものあるですよ。知花先生だって埋まってない部分、お釈迦様もイエス様も埋まってない部分もあるんよ。それは、今埋めてんですから。向こう行っても。全部埋まるということはね、果たしてあるかなと思うくらい。それほどね、ものすごくね、もちろんあれだよねえ。このあの宇宙というのは、知るべきことが無限に存在するわけだから。知るべきことが無限に存在するっちゅうことは、体験することが無限に存在するっちゅうことよ。ちゅうことは、体験することが無限に存在するっちゅうことは、ね、理解することも、気づくことも、自覚することも、無限に存在するっちゅうことよ。それをいっぺんになんか、ここの肉を持ってる時なんか埋められないよ。ここの境界線、ね、超えるまでの量は埋めなきゃなんない。これがいつも言ってんの。原子核の量を言ってるわけよね。ある人は10の85万乗×78個って言ってるよね。それだけの量を集めなかったら、境界線越えれないって。でもね、そっから先もあるわけだからね。無限に続くわけだから。その間これを埋めてくわけですよ。不得意な部分をね。ちゅうことは、どういうことかったら、この宇宙っちゅうのは、ハッキリ言って、永遠に知ることが出来ない。掴むことが出来ない。ね。そりゃそうだよね無限だから。だから、さっきもねー、言ったように、この宇宙は素晴らしいわけですよ。もー、掴んでも掴んでも、ぬるりぬるりと抜けてくようなものが、宇宙なんよね。悟り。本当の。うなぎのように掴んでもね掴んでもね掴みきれないんよ。次から次とね、知るべきことが出てくるのね。で、その知るべきことを知るたんびに、自分が成長していく。つまり波動的に言ったら、波動が精妙になっていくんですよ。つまり上に昇ってくの。軽い物は上に行くでしょ。だから私達は、徐々に徐々に軽くなって上に行ってると思ってもいいんですよね。それは、自分の波動を上げることによって、上に上がってく。訳ですから。そのためには、いろんな体験をしながら行かなきゃなんない。その体験というのは、肉の体験だけじゃなくて、肉を脱いでからも体験してくっちゅうことですよね。この体験というのはねえ、あれですよね。瞑想の中においてね、さっきも言ったように、瞑想し、自分の中に、疑問を投げかけて、返ってくること。それは、これからずっと続くんよ。なんでかったら、私達の意識の奥の奥には、当然、神が居られるわけですよね。その神というの、もちろん掴みどころの無い神だけれども、もうそこにはすべてのものがあるわけですよ。そのすべてのものは、私達は自分の中から得るしかない。つまり、自分の中に神が居られるから、自分の中から得るしかない。だから、永遠に自分に問いかけてって自分から得るっきゃなんないんですよ。得た段階において、波動が上がっていって、もーここを越えた段階のことを言ってるわけよ。ここを超えていったら、結局は、形の世界で、あのー、得ることは無くなるわけだから。そうすると、意識の、どーいうんかな。うーん。中で体験すること。あのー、意識、私達は五感が、肉体的五感が、五感だと思ってるけどそうじゃないんですよね。意識の五感があるんですよね。これはもう。意識の五感っちゅうのは、これは永遠に持ち続ける五感なんです。それも、精妙になればなる程、その五感の中身が違ってくるんですよ。だから、私達は幸せが体験できるんですよ。何もなかったら、絶対幸せっちゅーの体験出来ないんですよ。それは五感と言っても、五感という言葉自体がすでに、あのー、違うかも知らんよね。私達が考えている五感とは。でもそういう、五感。何かを通さんかったら、意識っちゅうのはね、何かを通さんかったら、そういう体験出来ないようになってんですよ。だからね、これ形があってないという、みたいなもんなんですよ。ハッキリ言ってね。これもー、だから宇宙は、ヌルヌルっていうのは、そこなんですよ。あると思えばあるんですよ。無いと思えば無い。まあ形というその概念自体がもうすでに私達とは違う概念になっちゃってるね。そこまでいっちゃったらね。だから、それを知ることさえも出来ないぐらいの、要するに掴みどころの無いものが、宇宙なんですよ。だから楽しいよね。私の今知っている段階においてさえ、こうヌルヌルしているわけだから、それが永遠に続くわけよ。掴みどころがないからまあ、いいわけよ。掴んじゃったら終わりだからもう。有限だからねハッキリ言って。だから、アレですよね。楽しいといえば楽しいよね。また楽しい事しかないんだから。ここへ超えちゃったら、苦しいことっちゅうのはあるー?なんで苦しいことがないかったら、知っちゃたから。法則を。ここを超える人っちゅうのは、法則を知った人でないと越えられないんだから。そうでしょ。この宇宙の法則っちゅうのは、あくまでもこの秩序を保つためにあるんだから。この下の部分を。現象の世界の秩序を保つために、法則があるわけだから。もう超えちゃったら、まあ法則をしちゃったから超えたわけだから、でしょう。だからもうそういう法則というのは、必要なくなるんよ。そのどう言ってんかな。その。うーん。秩序を保つための法則ったらいいのかな。でも、そこに一つだけある法則があるのね。法則とは言えないんだけど、これは。これが、ここを超えてからの法則っちゅうのはね、これはねどこまでいったってね、これついて回るの。真善美だけは。この下の法則は、原因と結果の法則と陰陽の法則とかね、まあ、あのー、物質的に言ったら、あれ、慣性の法則とか、類は類を呼ぶ法則とかね、いろいろあるよねえ。あれはこの下の段階で、克服したらもういらなくなるのね。ここを超えちゃったら。あとは、この真善美を守り通すというか、そういう法則があるわけ。この真善美というのが、無限だから。そうなんよ。ここの世界有限の世界でしょ。有限の世界を秩序を保つためには、有限の法則が、有限でも有限と言ったら有限、その中の法則といえば、有限の法則といえば、そうかもしらんけどね。でも、知っちゃったら、この法則、無限の法則を守るようになってくの。その意識体、生命体。要するに、あれだよね。悟って上に行ってる神の分身。意識体。私達は。これは絶対永遠に続くんよ。なんでかったら、真も善も美もね、これは、この善と言ったら、ね。この地球上にとか考えてる、現象の世界である、善と思うかもしらんけど、そうじゃないんよ。この善も違ってくるんよ。善の考え方も。これはねえ、これいい出したらね、大変なことになるよね。ものすごくあるの。美は美。そうだよね当然。美しいっちゅうのは、もう、きりがないよね。真と言うのも、これは、真というのもこれは、きりがないよね。この善だけはね、なんか有限に思うでしょ。じゃないの。だからこの三つというのは、永遠に私達は永遠に進化していく途中において、あのー、どういうんかな、私達が、えー、こう掴んでいくべきもの。発見してゆくべきもの。学んでいくべきものは、この真善美なんよ。すんごいあれだね。今日はちょっと、あのー、一歩前に進んだよね。高度になったよね。真善美というのは、その曲の中にね、書いてあるよね。宇宙の、模範を示す宇宙の中にね。あれは、一つの柱だよね。この宇宙が、宇宙に貫かれている柱だよね。この柱っちゅうのは、無限に貫かれて行くわけよ。それがなかったら宇宙壊れちゃうんだから。それから外れるから、今の地球においても痛い目にあってるじゃない。もちろんこの、真というのは、これは、もちろん法則も含んでいるよねえ。その、因果の法則も原因と結果の法則もそれの、この真を発揮するためにそれが必要だからね。貫かれているわけだよね。その柱の一本の柱は、真善美で貫かれているの。これはもう、永遠に続くということよ。まあ、あのー、私達が、あのー、最終的に、うーん、神の自覚を持つ。神の自覚を持つことによって、人間という、この幻から出られる。私達が今、一生懸命生きてるのは、みんな幻だもんね。本当に、街に出たら、ね、一生懸命みんな急ぎ足で、ね、歩いてるよ。一体みんな何を求めて生きてるのかなって思うよね。私、時々ね。みんな幻に生きてるんだもん。ね。物を得るため、お金を得るため、地位名誉を得るため、家族を幸せにしたい、ね。この世の事に全部、あれでしょ。自分の人生使ってるでしょ。まあそれは、それで段階的に、私達もそうしてきたから、わけだからいいわけだけども、ここまで来た人は、その人生目的を変えなくちゃなんないよね。だって、そんなつまんない、わかっちゃったんだから、したって。わかんないうちは仕方がないよ。分るために、そういうことやってるわけだから。それは、悪じゃなくて善だよね。いいことだよね。でも私達は、そこを卒業したんだから、そしたら、ねえ、本当の目的に向かって、進むべきじゃない。私は一般の人にはこんなこと言わないよ。だって、この社会の中で沢山学ぶことがあるわけだから。そっからここに来なさいって私。だから私んとこに来る若い人がいるよね。瞑想を教えてくださいとか。真理を求めて求めたくて、私は、ねえ、仕事をしないでもいいからというような、まあ、それだけの、どっか親の脛かじる収入があるんだかもしらんけれども、私は言うよ。今やらなきゃなんないことは、外に出て、人生体験することですよって、私は言うのね。それは魂にもよるんよ、もちろん。魂の熟成度によるから。でも私が、あのー、言ってる人は、私の目から見たら、人生体験が必要だからね、外に出て、人生体験しなさいって私は言うのね。でも、40歳越えたら、私が40歳だったからね。40歳越えたらね、この社会のいろんな甘い、もう、辛いも粋も分かっちゃうよね。そしたら、この人生、この社会って何かとか、人生って何かとか疑問を持つよね。そっから入ってくるんよ。普通は。だから、彼女みたいなの不思議なんよね。普通はありえないよね。やはり人生体験して、甘いも粋も分かってね、人生の虚しさを知ってね、入ってくるのが、普通。でも、やはり魂の熟成度によるわけだから、一概には言えないよね。お釈迦様だって29歳。で、あのー、ね。それこそ家を飛び出したんでしょ。悟りを、悟りたいためにね。あれよやはり、聖者の中にはもー、幼い時から自分の正体を知って、生まれてくる人もいるからね。体験なしで行く人もいるわけよ。でも、普通は大体40歳が、あのー私の体験から言って、40歳前後なんよ。こういうところに入ってくんのは。だから多いでしょ。40歳前後の人がね。大阪でも結構多いでしょ。その間に人生体験してね、やはり、疑問に思うんよ。その頃の歳になったら。したって、あれだよね。やはり、痛い目を見てなかったら、ね。その疑問は、普通持たないからね。でもやはり、あれだよね。特殊な魂も、いないとはいえないよ。そういう聖者もいるわけだからね。まあ、あの、私が、あの、自分の体験から、望むことは、この世の事で何を得たって虚しいっちゅうこと。どんな事を知ったって得たって虚しいっちゅうこと。みんな消えるもんであるっちゅうこと。地球で名を残したって、ね。消えちゃうんでしょ。そう。私、前に名前のこと言ってたよね。名前というのはね、この有限の世界、物質の世界において、区別するために必要で付けられた名前だよね。名前っちゅうのは本当は、一つしかないんだよね。神という名前しか。本当はみんな、神、神、神、神って付けたらいいんよ。でも、神、神、神じゃ、区別すること出来ないから、誰ベーって付けただけなんでしょ。だけど、その誰べーって区別した名前に溺れちゃったんだもん。みんな。まあその前に人間って言う、植物、動物、鉱物という区分しちゃったよね。その段階ですでにわけちゃったんよ。なおかつ、人間になって個別の名前も付けられて。だから二つ、もう、名前に溺れちゃってんよ。それなのに、なんで名前つけるのって私言うわけよ。例えば、えー、空海とか、えー、なんか偉そうなの付けてる人いるよねえ。今のあれでもいるよ。結構。その宗教やってる人。いろんな名前の付けちゃってる人。一つでいい名前を、沢山なんで付けなきゃ。また、迷うよ。それこそ。私はそれを言いたくて、あの、名前の事、ちょっと言ったわけよ。名前というのは、ひとつあればいいの。もしあれだったら、ね、神の子Aさん、神の子Bさんでいいんよ。番号ふったっていいんよ。あなたは神のA1ですよ。神の2ですよ。それでもいいんよ。その方がね、惑わされないから。この形を、誰の誰ベーさんってつけられたらね、誰べーさんになっちゃうんよ。ね、なおかつ、ペンネームを設けたり、それこそ、いろんなね、その、空海とか天海とかなんかつけて、偉ぶっている人いるよね。あれは結局、ますます迷うことになっちゃうわけよ。それは、いい格好したいから、そうなるわけよね。だから私は、自分の名前を一生通しなさいって、知花先生でも釈迦さまでもイエス様でも、自分の名前で一生通したんよ。ね。偉い名前つけたのは、後の人がつけたんだから。だから悟った人で、自分の名前をねなんか変えてやってる人、1人もいないよ。この地球上で悟った人で今まで地球に出てきた人。誰かがつけただけで、その弟子達が、自分を偉ぶらせたいから。自分の師匠が偉かったら、自分が偉くなるわけだから。後でつけたのが、そういうお弟子さんがつけただけであって、お釈迦様は自分が仏陀だなんて、ね、つけないよ。そんなこと。イエス様だって、キリストなんかつけないよ。あれは後でつけたんよ。知花先生でもそうでしょ。知花敏彦で一生通したじゃない。名前を、この名前を前に言ってたから今日はちょっと。ね。この話をしたんだけどね。要するに私達は、神なんだから。神という名前ひとつだけあったらいいだけ。ね。それは自分だけでいいんよ。まあ人が見分けするためにつけた名前だから、あのー、置いといていいんだけどね。ただ、自分が神という名前に、だけ持って欲しいんよ。だけ、思って欲しいんよ。自分が誰ベーということを思わないで欲しいんよ。思ったら結局、人間にしちゃうんだもん。だから私は、鏡、見ないんだもん。そしたらなんかついてるかもしらんよ。まあ、ここに来るときは、ちょっと、チラッと見てきたけどね。普段、鏡、全然見ないの。見たらね、これが自分だと思うよ。だから私ね。最近ね。自分のことをね。もー、形だと思えなくなっちゃってんよ。もう、ずっと意識体だと思ってるからね。私は大霊、霊っということを、自分だと思って瞑想してきているから、霊としか、霊というのは光だから、光としか思えなくなっちゃってんの。あのコップとガラスがそうでしょ。ねえ。名前つけたために、コップだと思うようになっちゃったんだもん。そうでしょ。あれ、ガラスだもんね本質。私達の本質は、神だもんね。したら、神である神であるって本質を思ってたら、もー、本質しか思えなくなるよ。ところが、コップという名前をつけちゃったから、横につけちゃったから、もうどうしてもみんな全員これなんですかって言ったら、コップって言うよ。誰でも。あれガラスだよ。ガラスとしか思えないんだもん。したって。本当よ。私、本当にガラスとしか思えないの。あれ。私は神だってしか思えないの。霊だってしか思えないの。名前というのは紛らわしいの。だから私は名前を、あまりこだわってならないというのはそこ。あの。自分、自分見たことないでしょ。鏡や写真では見ても。自分を実際に見た人って、一人もいないよ。この世の中で。どーして見られる、自分のこと。そうでしょ。全体像を見た人って1人もいないよ。自分はね、神が自らを分けたんだから、自分って言うでしょ。その自分というのはね、あれだよねえ、あの姿形じゃないんよ。本当の自分は。この形で再見られないのに、姿形の無い自分、どうして見られるの?そうでしょ。そしたら神困っちゃうよ。ハッキリ言って。どーしても、自分を見たいんよ。だから、神は自分を分けたの。自らを分けて自分。その自らを分けたものから、自分を見て欲しいの。神を。だから、私達を創ったんじゃない。この人間。外に出して。ね。だから出来たら、その名前を神に戻して欲しいんよ。だから、改名ってあるでしょ。改める名前というのは、あれは神に戻しなさいっちゅー、あれは、改名っちゅーのは、なんか知らんけど、いろんなもの付けるよねえ。亡くなったら。またつけのそんな名前。おかしいと思わない。お金取って。それも。改名っちゅーのは、神に改め、改めるじゃない。命。改名ってそうでしょ。改名か、そうか。改命。そーなんよ。改める名前じゃないの。命。私達の本性、命だから。命に改めなさい。つまり、神に改めなさいちゅうて、改名って、本当は。ところが、今日では改命を、こっちの改名にしちゃってね、で、うちの母親でもそうよ。えー、あのー、ねえ。改名つけたら何万円も取られるんよ。この一字は、尊い字だから何万円もしますからって取られたよ。だからね、そこでさえも、惑わされてるんよ。人間みんな。そこから離れなきゃなんないわけ。なのに、宗教というのはね、人間人間にこう押し付けて、人間を押し付けているわけよ。私こないだびっくりしたんよね。ある宗教の人が私のところに来てね、死んだらおしまいです。骨になるんでしょ。っていうんよ。私の本を読んだって言うんだけど、読んでないよねえ。読んだら、んなこと、来るわけないよねえ。びっくりしちゃってえー!っで、何何宗教やってんよ。したらこの宗教団体みんなそうなのって思いたくなっちゃう。その人が理解力なくて、ここまで学んでなかったから、そんなこと言ったのかもしらんからね。まあ、そこの宗教全体はそうは思わんけれども。何しに来たのって思うでしょ。あれなんよね。家柄や、あの、その、家のなんて言うかなあ、相続。家名。家名を守るためのね、今、家名をみんな、ないがしろにされて、私ものすごく苦しんでんだけどね、家名を守る何かいい方法ないですかとかね、そんな質問してくるんよね。そのためにわざわざ来る?びっくりしちゃったよね。開いた口ふさがないよねえ。だからもう、言いようがないよ、もー。して、ねー、真理の話出来ないしねえ。そんな人には。だからそういうもんよ。私達がね、北海道でね、あるお坊さんがね、人間って死んだらおしまいですよって言うんよ。お坊さんも。それがね、知識ではわかってる人がいるんだけど、結構そういうまだ地球なんだね。私達から見たらもう、不思議だよね。この肉体ある限りが人生だと思ってんよみんな。不思議だと思わない。意識がなくなると思うんだね。この肉体が十分だと思ったら、肉体が意識をつくり出すと思うから、肉体がなくなったら意識がなくなると思うんだね。ここにいる人達それ思えるぅ!なんかキチガイだと思うでしょ。私達から見たら。そしたら、何のために生まれてきたの?そんな人生一体なんなの?肉体がなくなる人生、それでお仕舞いだったら、何する必要があるのその人生?もう好き放題、死ぬまで生きたらいいじゃないもー。悪いことして。悪い事したって、そこでお終いなんだから。いいことしたってお終いなんだから。そうでしょ。その人達にとっては。そしたら、ねえ、わざわざ一生懸命働いてよ、お金儲けする必要も、泥棒やって金儲けて楽に一生暮らしたらいいよ。それが出来ないのはね、今この人間社会でね、法律ってあるでしょ。あれ、法律を作ってる人のね、あの人達は、人間が永遠であるということを、本能的に知ってるんよ。だから、ああーいう法律作るんよ。全く偶然の社会だったら、法律も何もいらないよ。守る必要ないんだもん。したって。めちゃくちゃでいいんよ。もー。喧嘩しあって、殺しあっていいんよ。そういう社会だったら。したって、どうせなくなるんだもん。そうでしょ。ただね、あの人達がね、まあ、唯物的な人が言うのはね、その私達のところに、こないだ来た人が言うのはね、確かに死んだらお終いだけれども、子孫がいるからというのよ。その人は。だから、家名というのもね、大切にしたがってるんよね。だからその子孫にね、何かを残したいというのね。だから全く、考え方が違うんよ。唯物的な考え方から、子孫を大切にするっちゅうことを。だから、今の唯物主義者は、そうなんよね。でも、唯物主義者でもね、本能的には知ってるんよ。だから、偶然を認めながら、必然の罰則を与えてるじゃない。これね、よーくね、私の本に書いてあるから、見て欲しいんだけど。あの人達がね、法律作ってる人も、うん。まあ政治家もみんなそうなんだけどね。偶然をもう、絶対偶然だと思ってるんだけれども、必然があると思ってるのよやはり。心の底で。だからね。罰則があるの。守らす法があるの。なんで私がこういうこと言うか分るでしょ。もし偶然だったら、全部、偶然に責任とってもらわなきゃならないんだもん。その人を罰することありえないよ。でしょ。だからね。みんなね。私は唯物的だって言ってても、唯心的なの。なんでかったら、神の心を持ってるから。まあ今日はもう時間になったからここまでにしときますけどね。あのー、いいんよ。大丈夫よ。うん。あのー、あのねー。泣いてても何しても関係ないの。それはね、五感が発達してきてるから、結局、五感に、あのー、どういうんかなあ、五感がそういう風な態度に表させるわけよ。どうしても。これは例えばよ。猫とか犬とか、五感があるでしょ。そこに何か持って、猫に例えば、カツオブシ持っていったら、食べるよ。あれと同じようなもの。五感はそれが表面に出てきたら、それが強くなるわけよ。でも、魂は奥でちゃんと観てるんよ。心配いらないから。うん。この五感が人間の自我を作ってるんだから。だから五感が出てきたということは、自我が出始めてることだから、ものすごいいいことなの。で、魂もちゃんと知ってるんよ。そうよ。別に何もそんないらないから。心配。では今日はね。ここまでね。どうもありがとうございました。