2014年8月9日 東京勉強会 (全再生時間:2時間57分03秒)
はい、じゃぁ、皆さんこんにちわ! あの、台風というのは偏りですよね。ハッキリ言って、気圧が低いわけでしょう。普通は均等なエネルギー状態になってなきゃなんないのが、一部分だけ気圧が少なくなってるわけですよね。ということは、エネルギーが普通の状態より少ないということだよね。高気圧っていうのは、エネルギーが高い状態だよね。だから、当然エネルギーの高いところから低いところに流れる。気圧が低いということは、それだけエネルギーが低いということだから、物質的ということだよね。気圧が高いということは、エネルギーが高いということだから、霊的ということだよね。天気が悪いのは低気圧だから、腰が痛いとか、頭が重いとか、古傷が痛むといったことが起きるわけですよ。これは結局ね、物質に偏った状態なんよ。エネルギー低くなると、病気の状態が起こるんよね。皆さん病気になるのは、エネルギーが低いからなんですよ。エネルギーが低ければ、腐り出すのよね。あのー、魚とか肉とかね、ラップに包んだり冷蔵庫に入れたりするでしょう。あれは結局、エネルギーを外に出さないためにするんよ。空気が入ったら腐ると言ってるけど、逆なんですよ。エネルギーが出て行かないように、ラップで包むんですよ。酸素が逃げないように冷蔵庫で凍らせたり、ラップで包み込むわけよ。酸素というのは、あくまでもねエネルギーだからね。だから、科学者が言ってるのは逆なんよ。あのー、この世の常識には、あべこべなことが結構多いよね。
病気になるのは、それだけ体内エネルギーが少ないということよ。あのー、赤ちゃんがなんで体温が高いかっていったら、エネルギーが高いからなんですよ。赤ちゃんの時は、天と結びついてるからエネルギーが入って来やすいんだよね。赤ちゃんというのは、本当に元気だよね。だから、赤ちゃんのとこ行ったら、みんな元気もらって返ってくるんよね。でも、老人ホーム行ったら逆なんよ。老人の方っちゅうのは、エネルギーが低くなってるから・・・。だからよく言うよねえ、年取ったら臭くなるって・・・。でも、エネルギーの入り方にみな違いがあるから、一概には言えない部分あるけど・・・。要するに、エネルギーが低くなってくると腐りだすんですよ。だから病気になるんですよ。エネルギーが高いということは、元気になるということ・・・。若い人達が元気なのは、まだ天と結びついているからなんよね。しかし、だんだんだんだんと社会に染まって物質人間になると、みんなエネルギーが低下していく。今の人類っていうのは、年取れば年取るほど物質化してエネルギーが低くなっていくんよ。病気が多いというのは、物質に偏るからですよね。本当はね、死ぬまで元気なんですよ。病気になって病院のベットで死ぬというのは、エネルギーの低い地球だからで、これはちょっと異常な星なんですよ。地球では、病院のベッドで死ぬのが当たり前だよね。あのー、病院の中でもね、産婦人科っていうのはエネルギーが高いんですよ。だから、産婦人科で働いている看護婦さんや医者は、結構元気なんですよ。ところが老人を扱う病棟とか、ガン患者の病棟で働いている看護婦さんや医者は大変なんですよ。エネルギーを吸い取られるわけだから・・・。だから、病院に勤めるんだったら、産婦人科に勤めた方がいいかもね。病院に見舞いに行くと、エネルギーを取られて帰ってくるよね。なんか知らんけど、病院から帰ってくると疲れるよね。反対に結婚式場に行くと、もうみんな楽しいエネルギーを出してるから元気になって帰ってくる。例えば野球でも、自分が応援しているチームが勝つとものすごく元気になり、負けるとものすごく疲れて帰ってくる。これ、エネルギーの多い少ないの状態なのよね。スポーツというのは、全部エネルギーによって勝負決まってるんよ。勝つのは、エネルギーが相手より高いからなの。面白いもんでね、ボールというのは、エネルギーの高いところに都合のいいように転がっていくんですよ。私、時々スポーツ観るんだけど、これがよく分るんよ。あっ!、これはこうなると思うと、その通りになるの・・・。不思議なもんよ。あのねー、競馬なんかもね、この馬相当いいとこ行くと思うと、その通りになるんよ。要するに、その馬から光が、(エネルギーが)出てるのが見えるんよね。相撲でもそうよ。やはり、エネルギーの高い方が勝つんですよ。面白いもんで、光ってるな、輝いてるな、と思う方が勝つんよね。これはね、家庭においても社会においても言えること。あのー、不幸な家庭というのは、ものすごくエネルギーが低いの。私の目から見たら、その家庭が暗く見えるの・・・。幸せな家庭っていうのは、家から光が出てるのね。あのー、進化した星に行くとねえ、それが極端に現われるようになるんよね。要するに、波動が高くなると、極端にそれが現われるようになるんよ。まあ、これはあくまでも現象だから、こんな話あまりしたくないんけど・・要するにエネルギーの高い低いが、幸不幸にも関係してるということなんですよ。この社会の全てが、エネルギーに関係してるんですよ。宇宙エネルギーていうのは、均等に存在しているから、本当は平等に受け取れるんだけど、物質に偏るとどうしても低くなっちゃうの。
こうやって両の手を合わせるでしょう。左は陰で右は陽だよね。合わせると、真ん中から必ず光が出るんですよ。陰と陽がぶつかるとスパークするようになっている。ここにいる人達がやったら、一般の人達より多く光が出てきますよ。私達が肉体を持ってこの地上界に降りてくるのは、エネルギーをスパークさせるためなんだから・・。天のエネルギーは、媒体がなくちゃ下ろせないんですよ。その下ろす媒体となってるのが、私達なんですよ。エネルギーをスパークさせるために、私たちは肉体持ってるわけだけど、今の私たちは陰に偏りすぎてるから、余りエネルギーが出てないんですよ。陰と陽のバランスが取れたときに、素晴らしい光が出るようになってるんだけど、今の私たちは、人間! 人間! 人間!って、人間に傾いてるから、どうしてもエネルギが低いんですよ。エネルギーを高めるためには、神の方に意識を持っていくことですよ。だから、人間という思いをできるだけ持たないことなんですよね。神という思い持って瞑想すると、そその人は光ってくる。みな人間だと思ってるから、光が全然出てないんですよ。ところが瞑想して、「吾神なり! 吾生命なり! 吾大霊なり! 吾光なり! 」の意識を持つと、媒体となってエネルギーを降ろすことが出来るんですよ。これ、目に見えんから信じられないかもしらんけど、間違いなくエネルギーを下ろすことが出来るんよね。ここにいる人達は、理解力があるわけだからぜひやって欲しい。世の人々は、朝から晩まで24時間物質の夢を見てるんよね。だから、みな闇人間なんですよ。でも、意味はあるんよ。進化の段階においては、物質に生きなきゃなんないそういう時期もあるんよ。それでエネルギーを低下させ苦しむわけだけど、そこからいろいろと学ぶことがあるから、それはそれでいいんだけれどもね・・・。でもここにいる人達は、宇宙の仕組みを知ったんだから、そんな生き方をしてはならないよね。自分が神であり、生命であるっていう自分の本性を知ったわけだから、できるだけ多く神を想うことだよね。これはね、自分も成長するけれど、世の中に対しても貢献できるよね。神を想えば、光が出るわけだから、世に貢献できるよね。物質人間として人生終わるか、神に近づいて一生終わるかでは、死ぬ時に天地の差が出るよね。殆どの人が、物質人間として終わってしまう。まあ、それでも無駄ではないんよ。神は完全だから意味はあるんだけれども、進化としては少ないよね。まあ、それも進化の歩みの一つだから、それはそれでいいわけだけども、ここにいる真理を知った者はね、できるだけ成長して帰るべきだよね。成長して帰るっていうことは、魂を、原子核を、増やして帰るっていうことだからね。
原子核を増やす方法は、今まで三つ言ってましたよね。1番目は、瞑想ですよね。2番目は、思索をすること。3番目は、これは日々の生活の中で誰でも原子核を増やしてることだけど、社会体験ですよね。あのー、私達の肉体というのはね、原子核を集めるように創られてるんですよ。たとえば、肉体動かすときにね、決意して決心して動かしてるでしょう。とくに嫌なことをするときには、ものすごい決心がいるよね。そん時には、ものすごく原子核が増えるんよね。この肉体っていうのはね、怠けるのが好きなんですよ。この肉体っていうのは、ハッキリ言ってサタンなんですよ。その怠ける肉体を動かすためには、強い意志が必要なんですよ。肉体っていうのは重くて、不自由でしょう。移動させるにはそれだけ、強い決心がいるんですよ。だから、この肉体を持ってること自体が原子核を増やすんよね。あのー、スポーツ選手っていうのは、沢山走らされるよね。走るには強い決心がいるわけだから、スポーツ選手はそれだけ原子核増やしてるわけですよ。
あのー、私の兄貴というのはね、ものすごく腰が重いの。親父に用事言われてもなかなか腰を上げようとしない。だから、よーく怒られてたんよ。私はね、腰が軽いの。なんか知らないけど、腰が軽いの。そしてね、嫌なことを先にやりたがる性格なんよ。それはね、命令じゃなくてもやるんよね。自分で何かをしなきゃなんないと思ったら、パッとしちゃうんよね。後に伸ばさないの。あの皆さん、思った時が、一番良い時なんよ。あー、今電話かけなきゃと思ったその時が、かけ時なの。あー、何かしなきゃなんないと思ったその時が、一番いい時なの。ところが腰の重い人は、それを逃しちゃうのね。だから、原子核増やせないわけよ。肉体って煩わしいことを嫌がるんよね。でもそれをやることによって、原子核が増えるようになってるんよ。神様っちゅうのは、実にうまく造ってあるよ。魂の成熟度によって、肉体の使い方が違ってくるんだから・・・。まあ、兄貴はね。自分の体を動かすことが、ものすごく不得意なの。これは、まだ魂が幼いからなんよね。なぜ浮浪者になるかっていったら、身体を動かしたくないから・・・何も仕事したくないから・・・。なんせ体を動かすことが嫌いなんよ。動物から人間に進化したばかりの魂ちゅうのは、そうなんよ。でも、彼らは彼らでちゃんと別な忍耐力をつけるんよね。それぞれの段階によって、学んでいるものがみな違うんよね。私達もそうだったんよ。もう、肉体動かすのが嫌で嫌でね・・・。世の中には、親の脛かじって生きている人が結構いるよね。50過ぎてもまだ親の脛をかじっている人が・・・。私の近くにもいるんよ。それだけ肉体を動かすことが嫌なんよね。それが、この肉というサタンなんよね。だから、このサタンに勝つのが大変なんよね。殆どの人が、この肉に負けちゃってるんよ。サタンに負けちゃってるんよ。だから、やるべきことをやらないで一生を終える人が結構多いのね。神様はね、この不自由な肉体をわざわざ与えてくれてるんよね。魂の成長のために・・・。私達に不自由な肉体を持たせたということは、原子核を増やすチャンスを与えてるちゅうことになんよね。たとえばね、皆さんも体験あると思うけど、トイレ掃除するの嫌がるでしょう。でもそれがね、一番、原子核増えるんよ。この原子核を増やす作業は、一般の人達もやってるんよ。彼らも、私達と同じく原子核増やしてんのよ。原子核を増やす1番目の方法については、私達と一般の人達と変わらないんよね。ただ、自覚しているか自覚していないかによっては違ってくるんよ。一般の人達は自覚していないから、嫌なことから逃げるけれど、私達は逃げないよね。だから当然、原子核の増える量が違ってくるよね。
自我の人間が考えても解らないことが、この宇宙には沢山あるんですよ。こんなに良いことをやってるのに、何でこういう苦しいことが起こるんだ!、と言ったことが・・・。でも先を見たら、その苦しいことがものすごく良いことだったっちゅうことが分るんよ。私達が肉体持って生まれてくる人生の目的っちゅうのは、あくまでも原子核増やすためなの。魂の成長以外ないんだから。忙しそうに街を歩いている人が沢山いるけれど、みんな何のために生きてんのかな? って思うんよね。皆んな一生懸命生きてるよ。もう、涙ぐましい程にね。毎日、毎日、学校行って勉強したり、会社へ行って働いたり、いろんな事してるよね。でも、果たしてどれだけの人が、人生の目的を知って生きてるかっちゅうこと。殆どの人が、ただただ肉を維持するため、家族を養うため、にしか生きてないよね。それがもー、99、999%以上の人たちの人生よ・・・。人生の目的ちゅのを知らないまま、一生を終えてしまっている人が多いよね。だから、ここにいる人達は全く異質なんよ。だから、少ないんよね。もし、人生の目的を知ったらね、全然生き方変わってくるんよ。原子核を増やそう、魂を成長させよう、という生き方になるよ。でも100人が100人とも、肉体を維持するため、家族を養うために人生を歩んでんよね。まあ、そんな人生の中においても、さっき言ったように決心して生きてるわけだから、みんな成長していることは成長しているんよ。だから、無駄な人生ではないよね。無駄な人生ではないけれども、自覚してやっている人とは違うよね。だから自覚して、できるだけ原子核増やして帰った方が得よね、だって、誰でも通らなきゃなんない道だもん。私達がこうやって学んでることは、誰でも通らなきゃなんない道なんよ。あなたたちは、そこに乗っちゃったんだから、せっかく乗ったんだから、できるだけ原子核増やして帰った方がいいよねえ。あのー、ある人からこんなメールきてるんよね。「私はもう人間に生まれて来たくないんです。何とかしてください!」って・・・。それは、ここにいる皆んなもそうだと思うよ。もう、人間なんか生まれて来たくないはずだよ。ここまで、宇宙の仕組み知ったらね。こんなもう重くて、不自由な肉体に生まれて来たくないよねえ。本当の私達は、自由自在の意識体、生命体なんだから・・・。そういう生き方したいよねえ。でも、肉体を持ってこの世に生まれてこなかったら、原子核増やせないんだもん。そのために、肉体持って生まれてきたんでしょう。そしたら、できるだけ原子核多くして帰った方がいいよねえ。せっかく肉体持って生まれてきたんだから。これはねえ、もー、間違いないことなんよ。そのために、生まれてきてんだから・・・。あのー先日、悪業によって大変な苦しみを受けていて、その業を滅するために今セラピーを受けてるっていうメール入ってきたんよね。私の人生は、業を無くすためにあるんでしょうか? 私は孤独だって・・・そういうメールがきたの。確かに、今生の業というのは責任持たなくちゃなんないよ。でも、よく考えて見てね。過去世の業というのは、その人が作ったの? 今生の罪は、それに気づいて反省をして、無くさなきゃなんないことは確かよね。だけど、記憶のない昔の業まで、どうしてその人が責任取らなければなんの。昔作った人の罪は、その人には関係ないんでしょう。そうだよね。今生犯した罪は反省して取ったら、それでいいんでしょう。昔の人の罪まで、どうして引き受ける必要があるの。それは、魂が引き受けるんでしょう。昔の人の魂も、今の人の魂も同じ魂だから当然だよね。でも、過去世の罪までその人が背負う必要はないんよ。その人は勘違いしてんよ。だからその人は、ものすごい苦しいんよ。そうじゃないよねえ。昔の誰かさんの罪を、その人が負う必要あるの? 魂は、責任負う必要あるよ。だから、魂は苦しんでんだからそれはそれでいいよねえ。だからハッキリ言って、魂に任かしたらいいよ。まだ神の自覚がないわけだから・・・。そうでしょう。自分がね。神であるという自覚を持った段階においては、すべて責任があるんよ。でも、自我の段階においては、今生の誰々さんの罪じゃないんだもん。そこで、苦しむ必要ないんよね。皆さんだってそうよ。だから、昔のそんな業なんか放っといたらいいよ。ハッキリ言って・・。そんな昔の罪まで背負う必要ないよ。確かに、業、業、業っていうよ。私は業を背負ってきたから、この業を滅するためにこんな苦しい目にあってるってね。でも、とんでもない話よ。私達がやるべきことは、今与えられた環境の中で精一杯のことをやることなんよ。今日まで苦しんできたんでしょう。40何歳とか言ってたけど、その年になるまで苦しんできたんだから、もう業は消えていってるんよ。どうしてまた掴むの・・・どうか自分を許してください。あのー、許しという歌の中であるでしょう。自分を許しなさいって・・・。あのー、結構多いんよ。罪を掴んでいる人が・・・。放さない人が・・・。反省したら、もうそれで忘れたらいいの。反省したときに、すべて罪の精算終わったんだから・・・。なのに、なんで掴む必要あるの。昔のものまでも・・・。今生の罪を反省した人でも、まだ掴んでんのよね。私がそうだったんよね。私が過ちに気づいて反省たんよね。ハッキリ言って、もう重箱の隅のゴミまで精算するぐらいの反省したんよ。それでも気がすまないもんだから、キリスト教会にまで行って懺悔したんよね。本当は、反省したらそれで罪の精算終わってるんよ。ところがね、自分を許さないの。いつまでも掴んで離さないの。だから苦しいんよね。それは罪の所在が分からないから・・・。罪は自分の中にあるんだから、自分が反省して取ったら、それで罪の精算は終わったんよ。それは、自分が神だからなんよね。そうでしょう。神の前で清算したら、もう罪は綺麗になくなるの。あのねー、これだけは言っとくけど、殺人を犯したどんな凶悪犯でもね、心から反省したらもう真っ白に綺麗になっちゃうんよ。一点の曇りもなくなっちゃうんよ。だってね、もともと私たちの心は、神の心なんだから・・。神の心は、真っ白なんだから。神の心に付けた汚れは、人間と思って付けたもんでしょう。その人間が反省したら、その時点で罪は全部消えるの。これがね、神の素晴らしいとこなんよ。例えば、何十人も殺した凶悪犯でも心から悔いたら、その時点で一般の人以上に綺麗になっちゃうよ。だったら、どうしてその人を死刑台に上げなきゃなんないの。これねー、すごく罪なんよね。人が人を殺すちゅうことはね、ものすごい罪なんよ。人が人を殺す権利あると思う? 自我人間が自我人間を殺すって、とんでもない話よ。もしかしたら、殺す人が殺される人よりも重い罪を持ってるかもしれないよ。心の中の罪は、外側からは分からないんだから・・・。死刑を決める裁判長の心の中、どんな状態か分ると思う? 死刑を宣告する裁判長の方が、死刑囚の心より汚いかもしれないんよ。罪はね、子と子の関係じゃなくて、親と子の関係なんよ。だってね。親と子が、原因と結果の関係なんだから・・。結果と結果の関係じゃないんよ。親は原因だよね。子は結果だよね。原因がなかったら、どうして結果が生まれるの。どうして、子が子に罰を与える権利があるの。罰を与える権利は、親にしか無いんよ。あくまでも親と子の関係だもん。そうでしょう。子が悪いことをしたら、原因と結果の法則だから、親と子の関係だから、人が罰を与えなくたって、法則が罰を与えてくれるんよ。わざわざ人間が罰を与える必要ないということよ。親と子の関係っちゅうのは、そういうことよ。今人間がやってるのは、子と子との関係でやってるんよね。子が子に罰与えてんだもん。おかしいと思わん? 結果が結果に、罰を与えてるみたいなもん。原因と結果の関係なんだから、その子が悪いことをしたら、それは原因と結果の法則で罰が与えられるんだから、それを待ってたらいいんでしょう。そしたら、人間がわざわざ罰を加えることないんよ。人間が罰を与えるちゅうことは、二重の罰を与えるっちゅうことよ。そうだよね。この社会では、二重の罰、三重の罰までも与えてるんよ。たとえば悪いことをしたら、まず原因と結果の法則によって罰が与えられ、人間の法律によって罰が与えられ、なおかつ自分の良心によって罰が与えられるの。もちろん、それはそれで意味があるんよ。いつも言うように、こういう世界を造ったのも意味があるわけだから。それはそれでいいんだけれども、ここにいる人達はね、この社会の矛盾というのを知っておく必要あるよね。理解力のある魂においては、そこまで知っとかんと駄目よ。どれだけ冤罪で苦しんでいる人がいるか。もちろん、その冤罪になった人にも意味はあるんよ。でも、冤罪によって殺された人が沢山いるんよね。人が人を裁けないというのは、そこなんよ。人間は罪を犯すから・・。分かんないんだもんね。そうでしょう。この人が殺人犯したかどうか分かんないのに、状況判断によって死刑にまでさせるんだからね。これはね、ここにいる人だけが知っといてくれたらいいんだけど。今の社会では、それでもいいんよ。なんでかったらね。冤罪で罪を着せられるのも、原因と結果の法則が働いているせいなんだから・・・。罪を犯してないのに殺人犯にさせられるのは、その人なりに原因を作ってるからなんよ。つまり、逆の体験させられてるっちゅうことよ。その人は、ある人生において、罪の無い人を殺してたかもしれないわけよ。その逆のことを今生体験させられているっちゅうことよ。神が無意味なことはしないということは、そういうことなんだけれども、これは理解力のある魂だけ知っておいたらいいと思う。この社会では、親と子の関係(原因と結果の関係)なのに、子と子の関係(結果と結果の関係)にしてしまってることが多いんよね。私達は原因を追求して、原因を正していかなきゃなんないんよね。だからねえ、「過去世の業を消滅するために今生あるんだ! 」なんてことを信じてはならないの。これねえ、罪の所在を知らないからだよね。過去世の業は、ちゃんと魂が背負ってるんだからね。今私たちがすべきことは、今の環境の中で出来ることを精一杯やることよ。だから私は、「今あなたの環境で出来ることは何ですか?」って問うんよね。それは、人生の目的を遂行することでしょう。自分が神であるっていうことをできるだけ深く知って帰ることが、人生の大目的だもんね。それで少しでも神に近づくこと出来たら、過去を変えたことになるよ。魂においては、過去・現在・未来というのはね、ずーっとアナログ的に繋がっているからね。その人の肉体の人生は、その人生だけだけれども、魂(生命核)の人生は、ずーっと繋がっているよね。そーして、魂が苦しんで少しずつ進化してきたわけだよね。だから、魂に背負って貰ったらいいんよ。記憶もない昔の責任を負う必要などないの。今の人生だけ、責任を持ったらいいんよ。私たちは、今やるべきことをやること。そういう返事あげたんだけど、その人ものすごくホッとしているはずよ。昔のことまで責任負うなんて、ちょっとおかしいと思わない? 多くの宗教が、それをやってるんよ。そんなこと、神様させると思う? そんな仕組み作ると思う?今の宗教ではね、あなたは業が深い、業が深い、業が深い、って言って苦しめてんよ。それもね、無茶苦茶なこと言ってんよ。こうしたら業が取れるからって何かをやらせたり、いろんなモノを買わせたり・・・ある宗教では、この花瓶を買ったら業が取れるからって、何百万もの花瓶を買わせたりしてるんよね。でも分からない人は、そういう詐欺に引っかかっても、ありがたいと思ってるんよ。ここにいる人は、そんなことに誤魔化されることはないよね。ここまで知った人は、理解力あるから・・・。
昔の事はもう忘れたらいいの。これからの人生が大切なんだからね。そのためには、今の今を真実に生きること。今を真実に生きれば、絶対に変わるはずなんよ。過去世に拘わらないこと。だから、反省も1回したらいいんよ。いつまでも掴んでいたらね、キリスト教会行ってまた懺悔しなきゃならなくなるよ。私みたいに・・・。キリスト教で懺悔しなくても良かったんよ。皆さん知ってる? 恥ずかしいよ。自我人間の前で、白状するんだから。それも、恥ずかしいこと全部告白するんよ。そんなことまでする必要あると思う。私は、無知だったからそうしたんだけど。気が済まなかったから・・。罪の所在が分らんかったから・・。いつまでも、罪を掴んで離さなかったんだもん。苦しいよね。自分を許さないという罪を作ってんだもん。許されるわけないよねえ。いつまでも、自分で掴んでんだから・・・。あのー、許しという曲ね。あれ、何度も聴いてちょうだい。あの曲には、そういう意味が含まされてんだから。一度反省し罪を精算しちゃったら、もう苦しまないこと。今やることだけやること。なんでかったらね、今まで自分が犯した罪というのは、実際にあるもんと違うんだから・・。そうでしょう。実際にあるもんだったら、何したって取れないよ。罪が実在だったら、どんなことしたって取れません。罪というのは実在じゃないんだもん。現象の世界のみあるんでしょう。それは幻よ。幻だったら、放っとけばエネルギー与えないわけだから、自然と消えてっちゃうんよ。ただただ、今の自分の環境の中において、日々目的に適った生き方してたらいいわけよ。要するに神を想い、神に生きたらいいわけよ。そしたら、昔付けた業は、黙ってても消えてしまうの。本当は反省しなくたっていいんよ。私は反省しちゃったけどね。あれなんよね。元々罪なんて無いんだから、反省しなくたっていいんよ。迷いが作った罪でしょう。そんなものは元々ないんだから、放っといたら消えてってしまうものだから。そう言ったら、こういうこと言うよね。いや、悪い思いを宇宙空間に発していたから、その悪い思いは宇宙空間に残っているはずだから、必ずその報いは受けるってね・・・。確かに、原因と結果の法則によって報いはあるんよ。でも、ちゃんと神様はうまくしてあるんよ。過去世の罪というのはねえ、今を正しく生きることで変えられるんよ。確かに原因と結果の法則が働くから、自分の悪想念を放った報いは必ずくるんよ。・・・。でもそれはねえ、今正しく生きていれば消えてしまうんよね。自分が光ってるから・・・。今、曇り付けている人には降りてくるんよ。確かに・・・。でも、自分が光ってたら光で消されちゃうんよ。原因と結果の法則からいったら、そんなことはないって言うかもしんないけど、自分が光ってたら闇っちゅうのは入ってこれないんだもん。だから、今の生き方が大切になるんよね。今正しく生きれば、罪の償いをしてることになるんよ。確かに、原因と結果の法則は必ず降りてくるよ。でも、それは神の法則によって消されるようになってるんよ。その消し方っちゅーのは、どう言ってんかなあ・・・気がつかない消し方されてるんよね。私はそれをね、じっくりと探求したいと思ってるのよ。消し方、消され方をね。でも自分が光ってるわけだから、闇が入ってこれないことは確かなんよ。過去世で悪いことしながらね、反省もしないでまた悪い事してるから、痛い目にあってるわけよ。闇と闇が同調するわけだから、増幅されて大変な痛い目にあうわけよ。でも、今光ってたらどうなると思う。言うまでもないよね。私ね、神の偉大さをまたまたそれで教えられたんよ。目に見えないから分かんないよね。どういう形で降りてくるか分かんないんよね。神を信じられないよね。私だってね、どこまで神を信じてるかっちゅうのは、自分自身でも分かんないの。それ程、神を信じることの難しさ。最近はしなくなったけど、昔は自動車に鍵をかけたよ。自分の家でもね、鍵をかけたよ。今は全然かけないんだけどね。でも、癖でかけることあるんよ。それはね、やはりねえ、どっかで神を信じてないからよ。本当に神を信じてたらね、光の中に闇は絶対に入ってこれないんだから、そんな心配しないよ。泥棒に遭うということは、闇を持ってるからなんよ。私は北海道にいた時もね、鍵はかけない方だったんよ。でも、うちの兄貴はものすごく神経質でね、鍵をかけまくってたんよ。かけまくっていた兄の方が何回も泥棒に入られて、私んところは泥棒入ってこないの。これ光と闇の関係よ。結局は信じるか信じないか、神を信じるか信じないかでしょう。神を信じていたら、原因と結果の法則も信じているはずだから、そんなこともしなくなるんよ。
トコトン神を信じて欲しいんよ。本当に神を信じられたらねえ、もー、本当に自分を守る必要なくなっちゃうんよ。どうして守る必要はあるの? 人間だと思うから守ろうとするんよ。神だったら、どうして守る必要があるの? 皆んな神でしょう。強盗している人も殺人してる人も皆んな神よ。皆んなに神が居るんだから。その強盗している人や殺人している人は、ものすごく闇が深いんでしょう。神を信じてるということは、光を信じているわけでしょう。だから、闇が光に入ることないんよ。明かりが点いているところに闇が入ってきた試しある? これがねえ、体験しないと分かんないんよね。これがねえ、どうしても信じられないんよね。私も最初信じられないかったんよ。知花先生に教えを受けていた頃でも、信じられなかったんよ。ところがある時にね、体験させられたの。それも2回も体験させられたの。光の中に闇が入ってこれないっちゅう体験をね。自動車を運転している時にね、させられたの。あのねー、磁石あるでしょう。磁石は、SとSだったら反発するよねえ。SとNだったら引っ付き合うでしょう。あれと同じことが起きるんよ。自分が光ってたらね、闇が近づいてきたら自分が避けるか、向こうが避けるかするんよ。面白いよ。これは、多分体験しなさいということで、体験させられたのかもしらんけどね。私ね、息子と一緒に車に乗って富士山を見に行ったのね。山路で息子と話しながら運転してて、前の車が急に止まったことに気づかなかったんよね。ぶつかる寸前はっと気が付いたんだけど、普通だったらぶつかってるんよ。ところが、おかしいんよ。私の車が、ひょんと横に飛び出たんよ。こんなことあると思う? 私あの時ね、あー!っと思ったんよ。これが闇と光の関係だなと思ったの。これを体験させるために、そうさせられたんと思うよ。もちろん、その瞬間ブレーキ踏んでたかもしれないよ。だから、ブレーキによって左に飛び出したのかもしらんよ。だから、物理の法則が働いてぶつからなかったのかもしれないよ。でも、後でよーく考えてみたらね、これは光と闇の関係をしらしめるために体験させられたと思った。まだその頃は、光と闇の関係を疑ってたから・・・。その前に同じことがあったんよ、北海道の帯広でね。そん時は、気がつかんかったんよ。気がつかないから、もう一回体験させられたんだと思うんだよね。闇と光は絶対ぶつかり合うことない、だから光っててくださいって体験させられたんよね。光ってたらね、交通事故に遭うことは絶対に無い。これだけは言っとく。その証拠に、昔会社任せられていた時に、光と闇の体験をいろいろとさせられてるんよ。前の社長がやってた時は、仕事取るためにヤクザまで絡んできたぐらいだから波動がよくないよね。だから、もう倒産寸前までいったよんね。社長が亡くなった後、私が会社を引き継いだんだけど、私が真理に則ってやりだすとね、もー交通事故も無くなったし仕事も順調に行きだしたんよ。その前までは、従業員がよく交通事故を起こしたんよね。ある時は、ヤクザの乗った車にぶつかってね、私は京橋のマンションまで謝りに行ったことあるんよ。もう一つはねえ、奈良のえーと、朝鮮人が住んでいる部落があるんよ。その朝鮮人の子供2人を、うちの社員がはねちゃってね、そこに謝りに行ったんだけど、それはもー大変よ。そんなことがね、もうしょっちゅう起こってたんよ。前の社長の時代は・・・。その頃私は総務部長やってたからねえ、仕事上謝りに行かなきゃなんな。そらーもー大変・・・。ところが、私が方針変えてやりだしたら、不思議と働く人達も変わっちゃうんよね。良い人が集まってくるんよ。そうするとね、交通事故も起きなくなってきて、1年足らずで黒字になったんよね。それほどね、光と闇との関係っちゅうのはね、程極端に現れるんよ。それは、原因を良くしたから結果が良くなったということで、この原因と結果の法則は間違いなく現われるんよ。これは、私が体験させられてることだから間違いないのね、たった1年足らずでよ。毎週ね、標語を作ってね、黒板に貼るんよ。心を重視した経営を、社員に浸透させるためにね。そうするとね、だんだんだんだんと会社の中変わっていくんよね。不思議なもんよ。これ、私が体験してることだから言えること。ぜひ信じて欲しい。これは闇と光との関係よ。絶対、光の中には闇は入って来れないんだから・・・。そしたら、神に逆らった生き方できる?
神を信じれば信じる程ね、吾神なりの瞑想の一言が違ってくるんよ。瞑想というのは、あくまでも自分が神であるという思いを深めることよね。それにはね、神の厚みを深く知ることよ。神とはどういうものであるかっていう、厚み深みを知ることによって、「吾神なり!」の瞑想の自覚が違ってくるんよ。神を心から信じられるということは、神の中身を大分知ったと言うことよね。私は今まで、神について色々な言葉で言ってるよね。それが知識じゃなくて、だんだんだんだんと自分の心の底に浸透して行けば、神の厚みが増した、神の深さが増した、っていうことなんよね。そうすると、「吾神なり!」の一言が違うんよ。これはね、原子核の増える量が違うんよね。利口になりましょうよ。せっかく肉体持って生まれてきて、せっかくこういう学びの道に入ったんだから・・。この人生をね、無駄にしないようにしましょうよ。これはねえ、奇跡に等しいんよ。皆さんここまで来るのに、どれだけ苦労したと思う? どれだけ苦労して苦労して、この道に入ってきたと思う? ぜっかくこの道に入ったんだから、できるだけ原子核増やして帰ろうよ。でも、無理はしないでね。私がいつも言うように、今の自分の環境で、できるだけのことを精一杯したらいい。それでいいんよ。それで十分よ。
人生の目的は、原子核を増やすことよ。そのために生まれてきたんだから・・・。確かにこの社会で生きていると、家族との付き合いもあるし、会社での付き合いもあるし、いろんな人との付き合いもあるよねえ、そん中で真理を求めるちゅうのは本当に大変よね。それはよく分るんよ。だから、家族と不和を起こすようなことまでして、やんなさいとは言わないよ。今のできる範囲内でいいからやんなさいと言ってるだけ・・・。でなくても、外へ出たらサタンばっかりだもんね。いろんな誘惑あるよね。だから、みんな負けちゃう。負けないでやる人なんて本当に少ない。あのー、「私は負けない!」という曲ね。あの曲見るたんびにね、私本当に涙出てくるの。それ程みんなね、大変な人生を送ってんよ。負けないように、負けないように、がんばって来てんよね。ああー、もう今日は瞑想なんかしたくない。ああー、もう神なんかどうでもいい。こんな気持になることだってあるはずよ。それでも、今日まで何とかやってきたんでしょう。そらー、もー、負けないようにやってきているはずよ。でも、時々負けてしまうよね。それ程、外側の世界は惑わすんよね。でも、肉体脱いで帰る時にね、ああー、私の人生はいい人生だったと思って帰るか、いやー、もうちょっとやったら良かったって帰るか、それとも、全然やらないで悔やんで帰るか。みんないつか肉体脱ぐんでしょう。ハッキリ言って、もうみんな人生半分以上いってるんでしょう。先が見えてる人もいるよね。鈴木さんや私みたいにねえ。皆さん、後何十年生きられるの? その何十年をね、この幻の世界に生きて、一体何が得するの? 何を得たって、何を見たって、何を知ったって、みんな幻でしょう。でも殆どの人が、この幻を本当にあると思っているんよね。見えて触れるから・・・。私、街を歩いているとねえ、聞こえてくる音がねえ、何かふわんわんっと反響するようなね、なんか、この世にいるような状態でないの。あのー昔私はね、よく霊夢って観たんだけどね。もーそれと同じなんよ。霊夢ってみなさん、見たことないかもしらんけど、それはそれは総天然色シネマスコープだよねえ。ものすごくハッキリ見えるんよ。でも、この世界と何も変わんないよ。でも、それは現実よ。幻よ。あのねー、現実と真実について、更新集に載せようと思ったんだけどね。現実と真実の見分けができていない人が多いんよね。ここにいる人は、解ってるんよ。でも一般の人は、現実と真実を全然知っていない。この世界が真実だと思ってるんよ。この社会では、現実という言葉自体が真実という言葉に置き換わってんだもん。今の一般の人達は、そうでしょう。現実と言ったら、実際にあるものだと思っている。現実よ! 現れてるモノよ! 現れてるモノということは、幻ということじゃない? だって、現れてるモノは消えるんだから・・。消えるということは、幻ということでしょう。そしたら、夢と何が違うの? 幽界となに違うの? 木の切り株を熊と見間違えてるのと何が違うの。そうでしょう。あのねー、空想家や夢想家のいっているのと何が違うの? 詐欺師が嘘言っているのと何が違うの? この世の中の出来ごとは、みな幻だもんね。この世の中には、滅茶苦茶な話している詐欺師が沢山いるじゃない。それと何が違うの? それこそ麻薬やってよ、虫が這いずる体験している現実と何が違うの? 全部現実よ! 幻よ! この世界の現象は全部幻よ! 「寒い!暑い!痒い!」という感覚があるから、真実のように感じてるだけでしょう。でもね、この感覚自体が幻なんだからね。一般の人達は、それを真実だと思ってるんよね。この世界が、真実だと思ってるの。だから、もう命がけで働いたり、勉強したりしてる。東大出たって何になるの? 何を学んでも、そんなもの消えちゃうんでしょう。この世限りの知識よ。ところが私達が学んでることは、永遠のものでしょう。違う? 自分が生命であると心の底で思えた途端、この世が幻だっちゅーことが解るんだから・・・。自覚の境界線越えたらね、今まで何でこんなこと一生懸命やってきたんだと思って、もう笑っちゃうよ。自覚の境界線越えた途端に、夢から覚めるんだもんねえ。何億円持とうと、どんなダイヤモンド持とうと、みな夢でしょう。あの世に持って帰れるの? 夢の中の出来ごとよ。そう、この世は一晩泊まるホテルにいるようなもの。どんだけ宝物集めたってね、明日になったらそのホテルからいなくなるんよ。みんな消えちゃうんよ。実際にあなた達は、毎日見てるじゃない、消えていってる人たちを・・・。あの人達、何か持って帰ってる? 持って帰ってないよねえ。でも、それを皆がやってんだもんね。奪い合って、殺しあって、やってんだから。真実だと思うから、そんなことをするんよね。だから私は、真実と現実の見極めをして欲しいって言うんよ。あのね、ハッキリ言って意識の世界っちゅうのはね、無茶苦茶な世界なんよ。だって、意識って何でも思えるんでしょう? 何でも思えるっちゅうことは、何でも作れるっちゅうことよ。この世の中の人はね、意識でみんな滅茶苦茶なモノを作ってんよ。この世界では、想った途端に原子が集まってきて、想ったモノを作るんよ。ただこの世界は波動が荒いから、想ったモノがすぐに現れないけど。見えないところでは、原子が組み合わされて実際に作られてるんよ。精妙な世界へ帰ってご覧、思った瞬間原子が組み合わされてモノが作られるから・・・。ということは、意識の世界は無茶苦茶な世界っちゅうことよ。だから、意識のコントロールが大切になってくるんよね。想念のコントロールだよね。この世では悪いことを想ってもすぐに現れないから、何も影響ないと思っているだろうけど、見えないところで間違いなく作られてるんよ。だからイエス様は、「汝姦淫するなかれ!」っていったわけよ。思ったことと行ったことは、同等なんだもん。今の地球人類はそのことを知らないから、悪いことを好き放題に想ってる。だから見てご覧、最近なんでこうなの。豪雨、豪雨、豪雨よ! 雷は鳴るしね。台風は来るし、地震は起こるし、飛行機は落ちるしね、これみんな人類の悪想念のせいよ。全部人類の悪想念が作ってるんよ。想念は見えないから、自分のせいにしないだけ。ハッキリ言って、全部想念のせいなんよ。ここにいる人達は、そんな悪いこと思わないかもしらんけど、世の中の人は、もう一日中悪いことを思ってんだもん。もしもよ、想ったことがパッーとすぐに現れたら、もう大変よ。この世の中地獄になっちゃうよ。だから、向こうには地獄があるんよ。ハッキリした地獄が・・・。悪い想念を持った人達が、そういう地獄の世界を作ってるんだから。それは、想念の恐ろしさを知らないから・・・何もわかんないから・・・。もうその世界では、毎日殺しあってんよ。殺しても死なないのに殺しあってんの。鉄砲打ち合って、まだ戦争やってるんだから・・・。それほど私達の想念というは、すごいっちゅうことなの。勿論、良い想念を持てば良いことが起きるんだから、良い想念を持つことだよね。だから、想念のコントロールが必要になるんよ。この肉を持っている間に、できるだけ想念のコントロールできるようしておきましょうね。そうしたら、素晴らしい世界へ帰れるからね。
帰るといっても、私達は8層の体持ってるわけだから、いっぺんに神の世界に帰るわけにはいかないんよね。一つずつ脱いで、その体に相応した形の世界に行くから、そこでやはりモノを作るんよね。肉体脱いですぐに本源に帰るならいいけど、そういうわけにいかないでしょう。だからとりあえずは、今の体にあった想念の持ち方を勉強しておきましょうよ。あのねえ、想念の勉強なんだけどね。あの皆さんは人の前で恥をかくと、恥ずかしいと思うでしょう。でもそれは、この宇宙の仕組みを知らないから恥ずかしいと思うんよね。確かに、裸のまま人の前に出たら、恥ずかしいって思うよね。でも、自分が鏡の前で自分の裸見て、恥ずかしいと思う? 恥ずかしいっちゅうのは、自他の思いがあるから恥ずかしいんでしょう。自分を別な自分としてるから、恥ずかしいって思うんよ。ハッキリ言ってこの世界には、自分しかいないんよ。この形の世界には沢山の人いるから、恥ずかしいと思うんよね。でもその形作っている本質は、一つしか無いんよ。だから、すべて自分なんよ。すべて自分だったら、自分の前でなんで恥ずかしいの? そこなんよね。そう思えるところまで行くのが大変なんよね。人前で何か失敗すると、ものすごく恥じるでしょう。恥じいったって、いつまでも自分の心に持ってるよね。でも、全然恥じることないんよ。だって、自分の前で恥かくことないんだもん。どれだけ他人が自分だと思えるかなんよね。自分と他人の距離が遠ければ遠い程、自他の感覚があるんよ。自分と他人の距離が近くなれば近くなるほど、自他の感覚が無くなるんよね。他人が自分と思えるようになってきたら、だんだんだんだん恥いること無くなってくるよね。だから、他人をどれだけ自分と思えるようになるか、という訓練をしておくことも大切だよね。自他の感覚があるから諍いが起きるんでしょう。理想社会で争いが少なくなるというのは、自他の感覚がなくなってきているからなんよね。他人と自分との溝が、だんだんと埋まってくるからなんよね。相手が自分に近くなってくると、諍いっちゅうのは起きないよね。今の地球人類っちゅーのは、他人と自分との距離が余りにも遠すぎるんよね。だから、どうしても敵対しちゃうのんよね。自分は他人よ!、他人は自分よ! 他人っていないということが、どれだけ分るかなんよね。だって、全部同じ神が宿ってんだもん。生命が宿ってんだもん。それは自分だよね。あの光のメロデーの中でも歌ってるよ。全部自分の現れだもんね。自分というのは、この宇宙を創造している本質そのものだよね。いつも言うことなんだけど、ここにモノがあるということは、このモノを私達が認識してるからだもんね。このモノを認識して、はじめてこのモノは存在できるんでしょう。あなたの意識が認識しなかったら、これは存在しないよね。認識している意識がなかったら、モノというのは存在できないよね。あなたの意識があるから、宇宙があるんでしょう。その意識している認識者が、モノを作ってるわけよ。ここにモノがあるということは、そのモノを存在させている認識者が、そのモノの中にいるっちゅーことよ。モノと本質は切り離せないんだもん。したって、本質は一つしかないから・・・。モノがそこにあると認識できるのは、そこに自分がそのモノとなっているからでしょう。自分という本質が、そのモノになっているということよね。自他がないというのは、そこなんよ。自分が認めているから、そのモノがあるんでしょう。自分が認めなかったら、そのモノありえないんよ。認めてるということは、そこに自分がいるということよ。自分という本質が、そのモノを作ってるんだから・・・。ならば、どうして自他があるの? これをね、心の底で知って欲しいんよ。知ったら、自他の感覚がだんだんだんだんと狭まってくるよ。今何かを見てるということは、そこに自分がいるっていうことよ。私が斎藤さん見てるということは、斎藤さんの中に私がいるていうことよ。だって、私がいなかったら斎藤さんっていないんだから。私という本質が、斎藤さん成ってるわけんだから。私が沢田さんを見て沢田さんがいると思えるのは、私が沢田さんを認めてるからだもんね。私が認めてるということは、認めてる私の本質が沢田さんの中にいて、沢田さんを作ってるっちゅうことよ。私が、そこにいてるっちゅーことよ。私という本質がいるから、沢田さんがあるんよ。私という本質がいなかったら、沢田さんなんかいないんだもん。なんでかったら、本質は一つしかないんだから。私という本質が、沢田さんを作ってるんでしょう。そしたら、私と沢田さん何が違うの? そこには、一つの本質しかないんでしょう? 本質は一つしかないんだから、鈴木さんは私よ、私は鈴木さんよ。鈴木さんの中に私がいるんだもん。したって、私がいなかったら鈴木さんってありえないんだから・・・。だって、私が鈴木さんの中にいて鈴木さんを作ってんだもん。私という本質が、鈴木さんを作ってるんだもん。私が鈴木さんの中にいなかったら、鈴木さんっていう形はないんでしょう? そうだよね。その形を認めてるということは、その形を作ってるってことになるよね。私が認めてるということは、私が作ってるっちゅうことよ。全部、作ってるっちゅうことよ。宇宙を認めてるんだもん。宇宙を認めているちゅうことは、私が宇宙を造ってるっちゅうことじゃない。私という本質が認めなかったら、宇宙なんか無いんだから・・・。したって、そうでしょう。宇宙があるということは、私という本質がその宇宙になってるから、宇宙があるわけでしょう。そしたら、宇宙と私と何が違うの? ということよ。自他がないというのは、そういうことなんよね。一つの本質しかないから、私と他人は一つなわけよ。つまり、他人はいないわけよ。一つのものしかないということは、全部私だっちゅーことよ。だから、天上天下唯我独存(尊)って言うわけよ。全部自分が認識して造ってんだもん。認識者がいなかったら、認識されるモノなどないんだもん。そうだよねえ。認識する者がいるから、認識されるモノがあるんだもん。そうでしょう。私が認識しなかったら、そんなものどうしてあるの? ていうことは、認識者と認識されるモノは同じっていうことよ。つまり、一つということよね。この一つということを、どこまで心の底で知るかなんよね。頭では分るんよ。でもそれを、どこまで心の底で解るかということなんよね。それを私は言いたいわけよ。ガラスとコップのことも、同じことを言ってんだけどね。一つのものしかないということは、全部一つのものであるということよ。その一つのものが私だということは、私の他何もないっちゅうことよ。ならば唯我独尊じゃない? 私がいなかったら何もありえないでしょう。認める私がいなかったら、認められるモノがどうしてあるの? それを心の底で知った途端に、細胞が震えてくるんよ。自分が光ってくるんよ。それは、そのものになっちゃったから・・・。理解できちゃったから・・・。これが理解できないうちはね、そういう現象が起きないんよね。心の底で解ってないから・・解った途端にね、ブルーンって細胞が震えてきてね、自分が光りだすの。そのものになっちゃうんよ。そう、そのものなんよ。私たちは、そのものなんよ。自分ですべて作ってんよ。自分の意識が、すべて作ってるんよ。自分の認識が、そのものを存在させてるんよ。ということは、自分が本質であり、自分が神であるっちゅうことなんよ。これが頭で解るか、心の底で解るか、なんよね。それを心の底で解って欲しくて、同じことをクドクドというわけよ。これはもう、今後もおんなじこと言うよ。心の底で受けとめて貰わなかったら、変性変容起が起きないんだもん。これが心の底で解った途端、原子核がボーンと増えるよ。
繰り返すよね。見えてるということは、認識してるということは、認識してる者が、そのモノの中にそのモノとなっているからなんよね。そうだよねえ。一つの本質しかないんだったら、その一つの本質が、全部のモノを現すしかないんじゃない? 一つの本質しかないんだったら、その一つの本質が、そのモノになるしかないんじゃない? 神が人間になるには、神がそのモノになるしかないんじゃない? 神という本質が、そのモノになるしかないんだもん。したって、一つの神の本質しかないんだから・・・。屁理屈言う人いるんよね。いや、物が先にあるからあなたが認識できるんだって・・・。その屁理屈はね、自我の目で見るからなんよ。唯物学者はね、モノが先にあるから認識できるって言うんよね。それじゃ、結果が先にあったわけ? 先に原因がなかったら、結果ってありえないよ。これが、唯物学者とお話しても分かんない点。唯物学者は絶対これが解らない。どんなに知能指数が300あっても解かんないの。物が先にあるから認識できる、というようなものの見方しかできないの。それは一点から見てないから・・・。そういうものの見方というのは、分離された人の目から見てるからなんよ。私の言ってること解るかな? もしかしたら、解らないかもしれない。私は、一点から見てるんだから・・・。絶対なる、本質なる、神の目から見てるんだもんね。もしそうなら、原因者である神が後でできたの? そうでしょう。ここにいる皆さんは、頭では分かってるんよ。でも、心の底では解ってない。ぜひ、解って欲しいんですよ。だから、何度も何度も言うわけよ。これからも多分言うでしょうね。あっそうか! そこに自分がいるんだと思った途端に、ブーンっと細胞震えるよ。自分が光ってくるよ。本質がなかったら、形はありえないでしょう。形が先にあるという事ありえる ? 本質という原因者がなかったら、形という結果者がいるの? 絶対ありえないでしょう。子が親より先に生まれるの? 必ず先に親がいるんでしょう。先に原因者がいるんだよねえ。その原因者が私たちよ。神よ。その神である原因者が、認識することによってすべてのものを創ってるんよね。そこには、たった一つのものがあるだけ。私は、たった一つのものを知って欲しくて、同じこと言うんよね。これを心の底で知ったらね、もう何にも知る必要ないの。本当よ。これを知ったら、もう、本もいらない、誰の話も聞く必要もない、私の話も聞く必要なくなっちゃうの。だって、そのものになったから・・・。そのものになったら、そのものから聞いたらいいんだから、外から聞く必要なくなるの。その人は原因者だから・・・。もう何にもいらないし、何も知る必要なくなるの。外から聞くというのは、結果から聞くっていうことよ。外側のものはすべて結果から・・・。だから私はね、外に真理を探し求めてならないと言ってるわけよ。外から何を持ってきたって、自分の宇宙を知ることできないよ。どんな本を読んだって、どんな偉大な覚者を連れてきたって、自分の宇宙を知ることできないよ。だって、自分の宇宙は、自分しか管理できないんだから。そうでしょう。人任せにできるもんじゃないんだから・・。自分の宇宙は、自分だけのもんよ。唯我独存(尊)の宇宙だから・・・。なのに、外に何を探しに行くのって私は言いたいわけよ。このことが心から分かったらね、もう外に真理を探しに行かないよ。分らないから外に探しに行くんよ。まだ外側に何かあると思って・・・。外から何か知ることできると思って、外にまた出かけるわけよ。自分の宇宙は、自分しか管理できないんだもん。だって、自分の宇宙の管理でるのは自分だけなんだから・・・。認識させることができるのは、自分しかいないんだもん。だからこれを知ったら、もう何も知る必要なくなるの。これを知った途端にね、ものすごく幸せな状態になるの。この真実を知った途端に、ものすごい幸福感がわくんよ。これは、入った者でないと分かんない幸福感だよね。だって、天上天下唯我独(存)尊の自分になっちゃったんだから・・。こんな凄いことないと思うよ。もー、どう表現していいか分かんない。どっぷりと幸せの中に浸れるのよね。その幸せの中に入っちゃったら、もうこの世の中の幸せなんか興味なくなるよ。
たった一つの神のこと、この一つの神のことを知って欲しいんですよ。それを知ったら、自他がなくなっちゃうよ。それも、理解力によって違ってくるわけだけどね。今、急にそうなりなさいって言っるわけじゃないの、理解力を付けなさい、理解力を付けたらだんだんだんだん自他の溝が埋まってきて、神と親密になるっていうわけよ。どういう親密になるかは、人ぞれぞれの理解力によって違うけど、なんせ、だんだんだんだん神と自分が近くなっていくっちゅうことよ。そうなると「吾神なり!」の瞑想の一言が、ますます自覚を持てるようになってくる。あの本はね、何回読んだっていいんよ。神を知るために、1を知るために、書いた本なんだからね。皆さん、何回読んだってまだ解ってないはずよ。解ってたら、今私が言ってること解るはずだもん。皆んな1回読んで、それでお終いにしてるはずよ。あの本には、宇宙について、1について、神について、私について、いろんな含み持たせて書いてあるんよね。もし地球人類が神のことを心の底でわかったらね、素晴らしい世界になっちゃうよ。もう、理想社会をとっ越しちゃってね・・・。たった一つのこと、たった一つの神のことが解らかないために、人類は戦争しているんよ。本当は、単純で簡単なことなんだけど、それがなかなか解らない。覚者はね、このたった一つの神のことを教えるためにが降りてくるんよね。覚者は、神をいろんな切り口から話してるだけ。お釈迦様も、イエス様も、知花先生も、みんな同じことを言ってんの。一つのことを知って欲しくて言ってんのよ。いろんな角度から光を当ててね。たった一つのことを、知って欲しいために・・・。一つのことを知ったら、自分が神であるって堂々と言えるようになるんだもん。だって、本当に一つのものしかないんだから。この一つのものがなかったら、自分ってありえないんでしょう。今の私という意識が、何なのって考えて欲しいんよ。今、私って思えるんでしょう? その私が、その自分が、神なんよ。そうでしょう。でなかったら、私と思えないんだから・・。どれだけ深く私と思えるか? なんよね。私が神だと思えたら、変性変容が起きるんよね。自分が神だと思えたら、本当に自分が変わるんよ。私が神なんよ。あなたが神なんよ。私しかいないんだから・・・。あなたしかいないんだから・・・。でも、皆んな自分のことを人間だと思ってるよね。よく考えてね。私って思えること自体が、神の証拠じゃないの? したって、私と思えなかったら何もないんだから・・。そうでしょう? 私がなかったら何もないんでしょう? 私しかないと思えたら、もうこんな話する必要もないんよ。すべて私から始まってんだもん。「アオーム・アイアム・アーメン・私(あたし)」からこの宇宙始まったんでしょう。これを知って欲しくて神は、第一声に「私(あーたーし)」って発声したんよね。アオームだよね、アイアムだよね、私を知って欲しくて・・・。私は神なんだから、神は私なんだから・・・。「私は神なんだ!」「私は神なんだ!」私は神なんだ!」という思いをどれだけ重ねられるか。どこまで神に接近できるか? この言い方は、多分これからも何度も話すでしょうね。まあ特に今日はね、新しい人来てないからこんな話ばっかになっちゃうよね。新しい人来た時には、違う話になるんよ。今日ここに来てる人は、もうこれしかないんだもんね。この話しかないんだから・・・。これを知るために、皆さん生まれてきたし、ここに集まったんだから・・・。私を知るために、たった一つの私を知るために・・・。だんだんだんだんと、一つの私を深く知るようになってきたら、自他の感覚がなくなってくるんよ。そうすると、恥ずかしいということも無くなってくる。だって、恥かいたっていいじゃない。自分の前だもの・・・。みんな裸で飛び回ってたっていいんよ。だって、ハッキリ言って彼らは幻よ。自我人間の言うこと、気にしないこと・・・。みんなそうなんよ。自分の心の中に曇りを作るのは、自我人間の言うことをあまりにも気にするから・・・。全部、自分が曇り作っちゃってんだもん。自分と他人が別だと思うから、諍いごと作っちゃうの。あの人はこんなこと思ってるんじゃないって、勝手に自分で想像したりしてね。自分で妄念を作らないこと・・・。皆さん、どうして言い争いするの? 単純に自分の言いたい事を端的にポッと述べたら、どうして言い争いが起きるの?
お互い今言いたいことを素直に述べ合うこと。端的に、一つのことを・・・。ごちゃごちゃごちゃごちゃと、飾り付けないこと・・・。人とお話する時に、今こういうことを伝えたいなと思ったら、単純にそれだけ言ったらいいだけ。それをね、あの人はこんなこと考えるんじゃないか、だからこういう言い方しなきゃなんないなって、また自分で考えて作っちゃうの。そうするとね、その受け取った人がまたその受け取ったことをまた考えて複雑にしちゃう。そうするとなお複雑になっちゃうの。だから、色々な衝突が起きちゃうんよ。単純に考えて欲しい。
あのねー、自分と他人との間の溝がなくなってくるとね、相手の言いたい事や知りたいことがわかっちゃうの。あのー、覚者がどうして言葉少なくなると思います? だって、伝えたいことだけ伝えるんだもん。どうして、そこに諍いが起きるの? 知花先生はね、真理のことは沢山お話するよ。でも、自我人間とお茶を飲んでる時はね、あまり話したがらないよ。この世の中にはねえ、いろんな柵みがあるよねえ。しきたりとか慣習とか・・。そういうものに囚われて話すとね、ますます物事がこんがらがっちゃうんよ。受け取った人は受け取った人で、それをまた自分なりに考えてね、いろんな妄想を付け加えてしまう。慣習などいろんなもの付けてね、だから、ますます分ら無くなっちゃうんよ。本当に伝えたいことだけ単純に伝えて欲しいんよ。それでいいから。そしたらね、時間が短くて済むし、なおかつ分るんよ。単純な方が不思議に・・・。右脳はものすごく単純よ。伝えたいことだけ直感でポンっと下ろしてくるの。そこに、ごちゃごちゃごちゃごちゃとしたものは絶対絡まない。右から下りた直感というモノは、ものすごく単純よ。でも、右脳で受け取ったモノは言葉や文字がないから、それでは表現することが出来ないから、それを左脳で変換するわけでしょう。そうすると左脳というのは、この世界に作られた文字や言葉を組み合わせるわけだから、ものすごく表現するの難しくなっちゃうの。いろんな誤解も生まれちゃうんよね。だから、真理を正確に下ろすことがものすごく難しくなるよね。私の書いてる本は、精一杯単純にして易しく書いてるでしょう。だから私の本を読んで、ものすごく分りやすいっていう人が多いんよね。ところが左脳の人は、ものすごい難しいっていうの。先日もね、「もうちょっと単純に簡素に書いてくれたらいいんですけど」ってメールくれる人いるんよ。これ以上どうして出来るの? 左脳の人には、複雑で分かんないんだね。でも、これ以上易しく書ける? 上から降りて来た、臭いとか、馨りとか、響きとか、できるだけなくならないように変換したのがこの本だよね。あのーね、一つの言葉の中にね、もの凄い思いがこもってんよ。だから私の本を、1回読んで終わらせないで欲しいの。自分が成長したらね、成長した分の理解力が生まれるんよ。そうすると、深く分るようになってるんよ。同じことを言ってても、聞いてる人の理解力によって、みんな受け取り方が違ってるんよ。ここにいる人でもよ。この地球では、皆んなおんなじ形して、おんなじ人間のような形してるよ。でも、みんな違うんよ。理解力が違うから・・・。だから、それぞれ受け取っている内容が違ってるんよ。したって、違う階から見てるんだから・・・。同じ景色を見てるつもりでも、理解力が違うから違う景色を見てるんだもん。理解力が違えば、受け取る内容がみんな違ってくるんよ。でもまあ、それでいいわけだけどね。皆んな、それぞれの理解力によって気づきが起きればいいんだからね。私の言っていることが理解できるようになると、気づきが起きてくる。そうすると、一歩上の理解力がつくんよね。そうして、一歩、一歩、成長してゆくんよ。だから、1年前に理解していた内容と、理解力が増した今の内容と違ってくるんよ。あのねー、こんお話したって、一般の人全然わかんないよ。同じことしか書いてないのに、これ以上何を知ることがあるかって言うんよね。それは左脳の人だから・・・。左脳と右脳を平等に使えるようにならなければなんないよね。陰と陽が、完全調和されないとならないから・・。私がなんで辞典を覚えさせられたかっていうと、左脳を活発化するために覚えさせられたんよ。人類の夜明1を書く前に、辞典を覚えさせられたんよね。もう毎日、辞典から字を覚えたんよ。左脳使ってね、結構難しい漢字でもね。将来使う必要があるということで、覚えさせられたんよね。その時は分からなかったんよ。だから、左脳も使えて右脳も使えたら一番いいんよ。本当は、右脳ばかりだったらこの世の文字や言葉に表現出来ないの。だから、左脳は必要なことは必要なんよね。だから、右脳もあるけれども左脳もあるんよね。要するにバランスだからね。中心に引き寄せるのが愛だからね。全部そうなんよ。この宇宙っちゅうのは、全部中心に引き寄せようとしてんよ。愛の真ん中に・・・。偏っちゃったら光がでないんだから。さっきも言ったように、真ん中に来た時に光がスパークするようになってんだから。だから、左脳を無視するっちゅーこともいけないわけよ。左脳と右脳と一緒に使って初めて、この宇宙の全体像が明らかにされるんだもん。右脳だけで、どうして話出来るの? 言葉や文字にしなかったら、話せないんでしょう。つまり、この世の言葉や文字にしなかったら、話せないんだもんね。この世の言葉や文字っちゅうのは、左脳で作られてんでしょう。みんな学校で勉強してるじゃない左脳使って。私は不得意だけどね。私はね、この左脳使うのものすごく不得意だったんよ。要するに、学校の勉強ちゅーのは不得意だったの。だからね、私は何でこんなに頭悪いんかなって、思っていた時期があったんよ。でも、頭が悪いんじゃなかった。この世のしょうもないことを覚えさせないために、嫌ってたんよね。確かに、真理を学ぶときには邪魔になるよね。この世のいろんな事が、頭の中に入っていたらね。神というのは本当に中庸よ。愛なんよ。真ん中に引き寄せるように、引き寄せるように、してくれてるんよ。だから、あんまりお金を貯めてはいけないんよね。偏っちゃうから。物質に偏っちゃうから。ガスボンベ背負ってるみたいにエネルギーが固まって、危険物になるからね。だから、エネルギーはできるだけ中庸の状態にしておくべきなんよね。今みんな、保険かけてる人もいると思うけどね。例えば保険かけて、誰かが亡くなってお金が一時入ってきたとしようか。自分が出した相応のエネルギーが入ってくるんだったらいいんだけど、一時的に沢山のエネルギーが入ってくると、バランスが崩れるわけだから、そのバランスを戻すために必ず何かが起こるの。これは、今生で起こるかどうかは分かんないよ。だから宝くじで当たった人は、私はものすごく幸せな人生送りましたって、死ぬ人いるかもしれないよね。でも来世見てごらん。その人は大変よ。バランスを取り戻さなきゃなんないわけだから、そしたらね、魂どういう境遇に置くと思う? 前に言ったように、浦幌町であの当時百万円の宝くじ当たった人いたんよ。うわーって喜んでたその人の家が燃えちゃったの。バランスが取れちゃったから、それで良かったわけよ。あの当時の百万円たら、もう家一軒立つくらいのお金よ。うちの家がねえ、確かあの頃50万円くらいで建った時代だったんよ。だから、その当時の宝くじの百万円たら結構のお金なんよ。でも家が燃えちゃった。まあ、それはそれでバランスがとれたっちゅうことよ。私の本の中に麻雀のこと書いてあるよね。私が麻雀をやると、はじめは勝ったり負けたりしてるけど、最後になると必ずプラマイ0になるんよね。不思議に・・・。それで私は、疑問を持ったんよ。なんでプラマイ0になるんかって?・・・。で、追求していた結果、エネルギー均衡の法則が働いてることが分かったんよ。だから、人を騙して沢山の金儲けしたって、必ず取られるっていうこと、逆なことさせられるていうことよ。必ず均衡保つようになってるんだもん。だから、宝くじは罪作りよ。まあそれ自体意味はあるんだけどね。でもやはり罪作りよ。必ずゼロになるようになってるんだから・・・。そうでなかったら、この宇宙壊れちゃうんだから。この宇宙は均衡がとれてるから、永遠に続いてるんでしょう。もし偏りが出来てご覧、もうこの宇宙は破壊されちゃうよ。神は完璧なんだから、絶対善なんだから、絶対完全なんだから。そこに、良い悪いていうことはないの。必ず中庸で、真ん中で、とどまるように出来てんだから。それを知ったら、偏らない生き方をすることよ。知らないうちはいいんよ。うんと偏って偏って苦しんだらいいんよ。でも知ちゃったらね、そんなことにエネルギー費やさないこと・・・。だって私達は、寒さをしのげたらいいんでしょう。お腹いっぱい食べられたらいいんでしょう。こうやって大の字に寝られたらそれ以上何がいるの? そうでしょう。持てば持つ程、波風が立つんだもん。だって、宇宙の法則っちゅうのは、そういう風に出来てんでしょう。だからね、エネルギーの偏ったところでは、いつでも戦争やってるじゃない。金持ちの家では、いつも波風が起こってるよ。結局ね、エネルギーっちゅうのは、分散させられるようになってるんよ。神は愛だから・・・。神の愛が分散を命じるんよね。だから、エネルギーが1ヶ所に留まることは絶対ないんよね。例えば、三菱とか住友とか昔から引き継いで来てる大財閥も、今はもう名前だけ引き継がれてるだけよ。実際に引き継いできた子孫は、今殆ど財産はないはずよ。エネルギーの分散を命じられて、必ず均衡を保つようになってんだもん。それは、この宇宙のそういう仕組みを知って欲しいからなんよね。真ん中を知ったら、神を知ることが出来るようになってんだもん。できるだけ真ん中の生き方、中庸・中道の生き方をしなさい。お釈迦様が中道を教えたのはそういう意味よね。偏ったら必ず苦しみきますよ。これはもう、エネルギー均衡の法則がそうさせるからね。真ん中を知るために、神を知るために、今私達はこの偏った世界で生きているわけですよ。この相対の世界は偏ってるよね。偏りの世界だから、色いろんなことを学べるんよね。この偏りの世界に出てこないとね、偏りの過ちが分からないんよね。神の世界は、中庸の世界だからね。真ん中の世界だからね。そこにいたんじゃ分からないから、この偏りの表現世界・物質の世界で、私達は毎日偏りの生活体験をしてるんよね。この偏りの世界で生きてたら疑問がわくんよ。なんで私は不幸なんだろう? なんで私は病気になるんだろう? 病気もね、全部偏りから来てんでしょう。病気というのは、真理を学ばせるためになくてならないもの。だから、この世から絶対病気がなくなることはないんよ。どれだけ医学が進歩したって、この地球上から病気は無くなんないよ。医学が進歩してるていうけど、これは機械が進歩しているだけ・・。ハッキリ言って医学は低下してるんよ。直感が衰えてるわけだから・・・。直感が衰えているてことは、右脳が衰えてるてことよ。だから、人類が病気から中庸の大切を学ばない限りは、いつまで経ったって病気なくなんないよ。なんか今、エボラ出血病が流行ってきてんでしょう。今までもいろんな病気流行ってきたよね。病気の流行ちゅうのはねえ、時代背景があって実に興味深いんよ!・・・。例えばペストの流行った時期はね、身分の差がはっきりしていて、貧しい人は虐げられていた。だから、スラム街に住む人達の環境は極端に不衛生だった。だから、ペストなどの病気が流行ったわけよ。エイズが流行りだしたのもそうよ。性の暴走が激しくなった時代背景から生まれた病気よ。いつも私は思うんだけど、その時代に必要な病気が現われるようになってんの。もうこれねえ、この時代にこんな病気が流行った。みんな意味があるの。なるほど、神っちゅーのは完璧だなあって、つくづく感心させられるんよね。神っちゅうのは、実に人間臭いんよ。でも、それに人間は気づいていないんよね。みんな、偶然に病気になったと思っている。本当はね、病気になったら恥ずかしいと思わなきゃなんないんよ。自分の生き方に対しての警鐘だもん。ところが今の人達は、私は病気になりましたって宣伝してるよね。「かわいそうに!」と思って貰いたいから・・・。同情されたいんよね。で、同情する方もね、同情することがいいことだと思ってる。もー、全く逆なんよね。逆さまの世界よね。この世界は・・・。何が正しくて何が正しくないか、全く知らないんよ。何が本物で何が偽物か、全く解ってないんよ。よく考えてみてね。見えるものは全部偽物。五感で感じられるものは全部偽物。私達はこの五感で生きてる間、苦しまなきゃなんないんよ。私達の肉体というのは、確かに原子核を増やすために必要なんだけれどもね、囚われ過ぎると本末転倒になってしまうんよね。勿論、成長のために囚われる時期があってもいいんよ。でもここまで来た人は、五感から受けるものは全部幻だと受け取らないとね。あのー、だんだんだんだんと理解力が増せばね、そうなるんよ。五感に感じるものに執着しなくなってくるんよね。見えるもの、聞こえるもの、味わえるもの、臭えるもの、五感に感じるものを、だんだんだんだんと囚われなくなってくるんよね。それは、本当の自分が前面にだんだんだんだん出てきたから・・・。本当の自分というのは、目に見えないよね。五感で感じられないよね。五感で感じられないものが、本当の自分だから。前にも言ったけれども、今私達が見ているものというのは、表面にピントあわしてるでしょう。写真に撮るときも、被写体の表面にピント合わせるよね。ピントを表面に合わせるっちゅうことは、モノを認識してるわけよ。それは、この物質世界を見るために、この肉眼を使っていることになるんよ。ところが私達の目は、無限大に観られるようになってるの。これは無限のモノを見るためなんよね。私達の目はね、無限大も観られるんよ。ピントをずらせば・・・。皆さんは、いつも表面を見るでしょう。表面見ちゃいけないの。自分の目を無限大に拡大してください。ブーンと・・・。つまり、焦点を合わせないの。無限大に合わせてください。ブーンと・・・目をつぶってもできるよね。目を開けてもできるよね。焦点を無限大に合わせればいいんだから・・・。それは、本質を見ていることになるの。つまり、ボケッと見たらいいっちゅうこと。ピントを合わせると、表面しか見えないよ。ボケーッと見たら、無限大に焦点が拡大するから、真実を見てることになるんよね。勿論、目をつぶっても同じことよ。ボケーッと無限を観るようにしたら、気持ちがいいはずよ。ボケーッと見てご覧、気持ちがいいはずよ。それは真実を観ている証拠よ。私は昔から、ボケーッとすることが好きだったんよね。なぜか知らないけど、ボケーッとしていたかったの。だって、ボケーッとしていた方が気持ちがいいもん。これはどういうことかと言ったら、この世の中から向こうの世界に意識を向けたっちゅうことなんよ。向こうの世界は、ボケーッとした世界だから。だって焦点の無い世界だもん。向こうは、無限だから。意識の世界は無限でしょう。だから無限の世界に意識を合わすっちゅうことは、それだけ真実の世界に近づいたわけだから、気持ちがいい状態が起こるんよ。町を歩いていてもね、焦点合わしたら疲れるんよ。字を見ると疲れるでしょう。本を読むと字にピントを合わせるわけだから、疲れるよね。まあ、本を読むのにボケーッとする必要はないけれども。でも、あれよね。歩いてる時にできるだけ表面を見ないで、ボケーッと見ていた方がいいよね。そうすれば心眼を開らくコツが掴めるから・・・。あのー、モノの奥を見るということは、理解力を持ってみなきゃなんないわけよね。理解力を持って観るということは、神の中身を理解するっちゅうことなんだよね。理解出来るようになってくると、一部分が見えるんじゃなくて、全体が、奥が、観えるようになってくるの。ようするに、無限大のものが観えるようになってくるんよね。足触って、尻尾触って、鼻触って、象とはこんなもんだよ!って言ってんのが一般人だからね。私達は全体を見なきゃなんない。ボケーッとして・・・。そうすると全体像が見えてくる、宇宙が見えてくるんよね。宇宙っちゅうのは、無限だからね。あの歌の中にも、神というのはこういうもんですよって、分解して書いてあるよね。神って、無限であり、永遠であり、完全であり、絶対善だってね・・・。でも神というのは、永遠に知ることが出来ないんよ。知ることは出来ないけど、神の全体像を知って貰うとより深い神の側面が解ってくるんよ。つまり、神は無限である。完全である。絶対善である。愛である。という側面を知って貰う。これ全部神の属性であり、神そのものだからね。だから神というものは、何でも表現出来る。愛でも表現出来るし、無限にでも表現出来るし、完全でも表現出来るんよね。これらは、神の属性だからね。神を知るためにいろんな言葉を集めただけで、本来神は一つのもんなんよ。それを神という一つの言葉にして表現しているだけなんよ。これも、あれも、それも、みな同じ神なんよね。私も神よ。一つのものよ。無限のものよ。永遠のものよ。完全なるものよ。絶対善なるものよ。私の正体は、神の属性であり皆さんの属性なんよね。そうするとね。ああ、自分はそうなんだと言う思いが、だんだんだんだん深くなってきて、「吾神なり! 吾生命なり! 吾光なり! 吾無限なり!」というマントラの一言がね、本当に実感として受け取れるようになってくるから・・・。それも、神を信じられるようになればなるほどね、だんだんだんだんと、深く受け取れるようになってくるからね。なんせ神と親しくすることなんよね。私たちは、瞑想! 瞑想! って言うけども、瞑想っちゅうのは、そんなに集中して出来るもんじゃないんだから。だからね。何の中にも神を観るようにしたら、それが瞑想になるんよ。家庭を持ってる人達ちゅうのは、そんなに集中して出来ないよ。周りに人がいるので出来ないでしょう。そん時にはね、何んの中にも神を見たらいいんよ。花を見ても、子供を見ても、その中に神を観たらいいんよね。何かやってる時でも、神がやってると思ったらいい。要するに、神と親しくすることが瞑想なんよ。今私達がやるべきことは、神と親しくすること。それは、集中して「吾神なり!」ということだけでなくてもいいわけよ。その「吾神なり!」の集中しなきゃなんないのは、自覚の境界線越えてからよ。自覚の境界線越えたら誰でも、集中してやるようになるんよ。神の思いを忘れたくないから・・・。今の段階ではね、神と親しくすることを心がけたらいいんよ。一般人みたいに外に意識を向けたら駄目よ。できるだけ神と親しくなること、それは神を想うことだよね。だから、歩いていっても自分は神だと思い、子供も神だと思い、妻も神だと思い、なんでも神だと思えるようにしていくことが、神と親しくなるということだから・・。
思索も忘れてはならないよね。思索とは、疑問を自分に問いかけること。その疑問の答えが返ってきたときには、必ず原子核が増えるからね。それと、社会体験だよね。普段の生活の中で、いろんな人と付き合いあるよね。そうすると、嫌なこともあるよねえ。その嫌なことをやることによって、原子核が増えるんだから。勿論一般の人達も、日々社会体験して原子核は自覚なしに増やしてるよ。でも、学んでいる人達よりは少ないんよね。学んでいる人達は、自覚して社会体験しているから、一般人よりは増やしている。それに学びの友は、瞑想やってるんだもんね。瞑想やってるっていうのは、集中して瞑想やってることばかり言ってるんじゃないよ。神を意識してるとき、何にでも神を見てるときは、瞑想してることになるんよ。何かやってるときも、神がやってると思ってる時は瞑想だからね。それと、何か疑問に思い、その疑問を自分に問いかけ自分から回答を得た時は、原子核が増える。つまり、社会体験と瞑想と思索の三つをやれば、原子核が増えることになってる。この三つをやって向こうへ帰ったらね、みんなによくやったねえって迎えられるよ。でも、それをやっている人は、今の地球では少ないんよね。ここで学んでいる皆さんは、地球では一番の先駆者なんだからぜひやって欲しい。これから地球は、神を大々的に知らしめていく時代に入るんよ。今はまだ、「私は神だ!」って言ったら、キチガイ扱いされるよね。でも最近は、私の本も出てるし、知花先生の本も出てるし、他の方の書いてる本にも、結構神ということを著すようになってきてるよね。それは、思想化の第一歩なんよ。これから、神の思想化されていく時代になるからね。そして100年か200年後にはね、学校で神について勉強出来るようになるんよ。私達は、その先駆者なんだからね。そのためには、自分が神であるっていうことを、ある程度実感出来るところまでなっていて欲しいよね。そういう人達が、次の時代にバトンタッチしてゆく必要があるんよね。なんせ、少しずつ、少しずつ、だからね。いっぺんに神の地球になることはない。まだ相当な時間がかかるはずよ。「もうすぐ神の国は来ますよ!」という言い方はするけれど、それは宇宙時間だからね。今日、明日、そんな世界が来るというわけではないんよ。でも、そういう先駆者がいなかったら、そして引き継いでいく人がいなかったら、真理の火が途絶えちゃったら大変だから・・・。だから、皆さんに責任があると私は思うんよね。だって、今の地球では理解出来る人が少ないんだから、理解出来る人にがんばって貰わんかったらどうするのっていいたいわけよ。本当に少ないよね。もうちょっと多いかなって、私は思っていたけど、本当に少ない・・・。なんせ、自分が神であるという自覚を持つことは至難の業なんだから・・・。
自分が神であると思えるようになるには、できるだけ深く神の中身を知る必要があるし、理解する必要があるんですね。 私は1から出てきたものですよ、神から出てきたものですよ、ということを心の底で知って欲しいんよ。自分がいなかったら、すべてありえない。何もありえない。自分が主観者であって、主人公なんよね。皆さんは、いつも自分の前を映してるじゃない。こうやって・・・。これ、不思議だと思わない? 私はいつでも思うんだけどね、自分の目の前のモノしか映し出してないじゃない。なのに、なんで自分が主役じゃないの? これ、私主役の物語でしょう。みんなそれぞれ主役でしょう。主観宇宙持ってるんでしょう。あなたの、どこかから映されたことないでしょう。自分のこっちから見えてるものだけが、あるんでしょう。それが自分の世界を生み出しているのよね。今こう、映写機で映してドラマを作ってるみたいなもんよね。こう映してるじゃないの。これ不思議に思わない? 自分がトイレ入っているとき、沢山の人入ってくる? 自分が主人公よ。いつも自分が主体よ。自分しかいないんよ。カメラアングル全部こうよ。ということは、どういうことかというと、自分が全てのものを作っているということよ。なぜ気がつかないのかって思うんですよね。大の科学者たちが・・・?。
あのね。この肉体が亡くなっても終わりじゃないんよ。人生は、ずっと続くんよ。そうでしょう。終わりだったら、この肉体だけのドラマ、それだけの世界よ。それだけの宇宙よ。でも違うんだもんね。これは永遠に続くんだもん。私の主役のドラマは永遠に続くんよ。そうでしょう。主役が入れ替わることは、絶対に無いんだから・・。自分の宇宙は、ずーっと続くんでしょう。そしたら、自分は神じゃない? したって、自分主役の宇宙しかないんだから・・。自分からみたら、自分しかないんだから、そうでしょう? みんなそれぞれ宇宙を持ってるわけよ。持ってるわけだけども主観だから、その人の宇宙しかないんよ。主観者から見たら、その主観者の宇宙しかないじゃない。主観ちゅうことは、その人の宇宙しかないっちゅうことよ。それが、素晴らしいことなんよね。神がこの宇宙の仕組みを創られた一番凄いところは、そこなんよ。全員に主観宇宙を持たせているということが・・・。こんな凄いことないと思わん? 全部に与えてくれてるんでしょう? その人の宇宙は、その人のものだもん。ハッキリ言って、どうにでも出来るっちゅうことよ。あのねー、人に私の宇宙が汚されてると言うけど、違うんよ。自分の宇宙なんか、誰も汚すこと出来ないよ。これ勘違いしないでね。自分の宇宙の中に、誰か入ってこれると思う?自分で勝手に汚してるんよ。そうでしょう。人が汚すことなんか絶対できない。自分の宇宙の中に人が入ってくることなど絶対できない。私の心の中に誰か入ってこれる? ということは、自分しかいないっていうことじゃない? お釈迦様が天上天下唯我独尊って言った意味が、これで解るでしょう。これをどれだけ深く解って貰えるか? 全部自分主体よ。自分がいなかったら、なんにも始まんないよ。原因がなかったら、結果の世界はないよ。私達が見ているこの世界っちゅうのは、全部結果よ。この結果の世界っちゅうのは幻よ。原因が自分でしょう。この原因者が神だからね・・。この原因者がいなかったら、何にもありえないでしょう? 原因者が消えちゃってご覧、結果体はすべて消えちゃうんだから・・。ということは、全部自分が作ってるということよ。自分が主役で自分が神だから・・・。それが私よ! これを心の底でどこまで知るかなんよね。私がいなかったら、妻も子もいないんよ。そうでしょう。でも、どうしても肉体が自分だと思うから、私の言ってることが腑に落ちないんよね。あーそうかっていうところに、落ちないよね。どうしても、まだこの肉体が自分だと思えるから、そこに落ちないんよ。つまり、表面に現れている形を自分だと、どうしても思えるから、一点の自分のところに帰れないんよね。一点の自分から見られないんよね。だから、どうしてもその実感が湧かないんよ。形が別れてるから・・・。まだ別れた形の自分から、私の言ったこと理解しようとしているから・・・。原点に戻って欲しいんよ。出て来た1から見て欲しいんよ、元数1から見て欲しいんよ。今私たちね、分数で物事を考えているんよ。分数の私から、見て考えてるんよ。元数の1から見て欲しいんよ。そこには自分しかいない、本当の自分しかいないんよ。神の自分しかいないんよ。そこの自分に帰ったとき初めて、「ああそうか!」って解るんよ。どうしても、まだ形の世界からしか見られない。まあ、これも徐々に徐々に理解力を深めてゆくしかないけれどね。「自分とは何か?」って、よく考えているうちにね、あっそうか、自分とは1なるもの、大宇宙そのもの、神なる者だったんだって思えるようになる。思えた途端に、自分が光り出すんよね。そうなったとき、変性変容が起きてくるからね。これはもう間違いなく誰でもなるんよ。
皆さんは、私はAである、私はBである、私はCである、と思っているけど、皆さんは今ここにいるんよ。みんな、個別の自分を自分だと思ってるんよね。そして、個別の自分が共通の宇宙を見てるような状態にいるわけよ。でも理解力によってみんな違うんよ。人それぞれ理解力が違うから、共通の宇宙というのはありえないんよ。今私たちは、物質的な共通の宇宙を見てるよね。だから、この人もこの人もこの人もこの人も、自分の理解力によってこういう宇宙だよって言うけれど、皆んな違うんよ。よく考えてね。この私というのは、ここに今いるんよ。このAの私も、このBの私も、このCの私も、全部私と同じところにいるんよ。私はここからモノを見てるの。そうすると一つだよね。これは元数1だよ。これらは分数だから、1,2、3、4、5、6、7の状態で宇宙を見ているわけ・・・。でもここで、見なきゃなんないっちゅうことよ。これはもう、どう表現したらいいのかな? 確かにこのAさんの宇宙は、この共通の宇宙を観てるから、共通の宇宙が有るように観えるよね、でも、それぞれの主観宇宙しかないわけよ。だからこのAさんは、このBさんの宇宙の中には入ってこれないよね。このBさんも、このAさんの宇宙には入ってこれないよね。皆んなそれぞれ主観宇宙持ってるわけよ。確かに客観的に見たらね、それぞれの宇宙があるように見えるんよね。でもその人から見たら、その人の宇宙しかないよね。主観で見るわけだから。そうでしょう。意識というのは、一つしかないんだけど、今、肉体を自分だと思っている人には、肉体に引っ張られた意識があるから、どうしても一つの意識を分離してしまうんよね。この分離した意識を、ここの一つの意識に返さなくちゃなんないんよ。この一つの意識にしたら、ここからしか見ないわけだから、ABCDEの宇宙が、全部自分の宇宙になるわけよ。そうしたらね、この宇宙の中に、私しかいないということが理解出来るようになるはず。そしたら、この人も、この人も、この人も、みなこの私になっちゃうんよ。一つの本質が、モノを作ってるんでしょう? この宇宙を作ってるんでしょう? そしたら、この人はこの人じゃない? そうだよねえ。分離しないで欲しいっちゅうことよ。一つの本質しかないということは、この本質もこの本質もこの本質も、私の本質と同じだから、みな私になってしまう。だから、みな私ですよっていうことよ。私の本質と同じだから、すべては私ですよっていうことよ。これはもう、理解してもらうしかないよね。これ以上説明のしようがないよね。これが心の底で思えた途端に、ここのものになるわけだからね。つまり、子が父を知ったとき、父は子を通して現れるわけよ。子が父を知ったとき、子は父のようなものになるということなんよね。だから、これが知らないうちは、子は子のままでいるわけよ。子が父を知ったとき、父は子そのものになるちゅうこと。つまり、子を通して父が現れるということよ。だから、これとこれとは一つになるわけよ。元々子というのは、表現の世界に出てくるために、父が自分を分けたんだから元々は私だよね。それを客観的に私を見んがために、ここに出てきて、ここから今、この私を知ろうとしてるわけね。ここからこの私を見なかったら、私という存在を客観的に認めて貰えないわけでしょう。私が私の意識を持ったままで、私がこの私を見たって意味がないよねえ。ここから客観的に見るために人間作ったわけだから・・。ところが人間はいつの間にか、自分が人間だと思うようになっちゃったんで、こことここを分離してしまった。でも、それを今知ろうとして、知って欲しいっちゅーことを言ってるわけ。私は人間として今、こう形はあるけれども、違うんだよ。私はこれなんだよ。つまり本質がおんなじだから。ということを知って欲しくて。神は分けられたんよ。こんなこういう表現の世界を、作らなかった理由というのは、何回も述べてるからね。だから私が、私の前でね恥ずかしがることないの。これが全部、私だということを、ここで知ちゃったら、ここの私は恥ずかしいことないよね。これは全部違うとそれぞれ思ってるから、恥ずかしいと思うわけ。ところが、ここの私が、ここの私だと思ったら、この私は全部自分だから恥ずかしいことなくなるよね。だから自他があるということは、分けているということよ。この自他が分けちゃってる。まあもちろん、分ける必要があって分けたけれども、今私達は、自他を一緒にしなきゃなんない時期に来てるの。それだけの学びが深まっているからね。この自分と他人を一つに元に戻さなくちゃなんない。そういうような、まあ、進化を遂げてきた人達ばかりだからね。これを知って、わーそうか、私はこれだったんだ。思った途端に、細胞が震えるし、内的光が見えるっちゅうことなんよね。今でもそうなんだけれどもね。ただ分けちゃってるから、この肉体がどうしても意識を引っ張っちゃって、個人と思わせちゃってるわけだからね。これを、あのー、本当の私だと思えるようにね、なって欲しい。それがなかなか、頭では分るよね。こういうこともね。理論では分るけれども、実際心の底ではなかなか分らない。だから、ここに一つしかないということ。一つしかない。一つということ、どこまで知るかなんよね。これは他の世界。これは一の世界だよね。一の世界。これは他の世界。結局これが相対の世界。これは絶対の世界。相対と絶対が、合わさって一つの丸になってる。一つの丸。相対と絶対が一つになって、ここに宇宙が生まれる。絶対を知るためには、相対を知らなきゃ絶対を知ることが出来ない。一を知るためには、多を知らなかったら、一を知ることが出来ない。本当の自分を知るためには、人間としてこの多の世界に出てこなかったら、本当の自分を知ることは出来ない。だから、私達は今この多の世界に出てきて、自分が一であるということを学んでいるんですよね。一つという事。一というものは、一の中にいては一を知ることは絶対出来ない。私の中に私がいてたんじゃ、私を知ることが出来ない。客観的に分けて、外側から見なかったら、知ること出来ないんよ。自分を分けるということ、神が自分を分けたということは、本当の自分を知って欲しいために分けたんでしょう。自分を知るためには、自分を客観的に外から見なかったら解らないよね。外側から認めなくては、自分の存在というのがあっても無きに等しいわけだからね。そのために私達は、外の世界に出てきて人間として今、存在させられているわけだからね。同じことしか言わないけれども、その同じことを日々自分の中に問うて、少しずつでもいいから理解力を付けて貰って、原子核を増やして欲しいんですよね。だから私の言っていることを、自分の中に質問してみたらいいと思うんですよね。何回も何回も質問してみたらいいと思うんです。そしてこの宇宙というものは、自分なしにはありえないんだ!、自分がすべてを作り上げてるんだ!、と自覚することなんよね。自分なしの宇宙は考えられないし、自分なしの世界はありえないし、全部自分の意識でやっているということを、できるだけ心の深いところで知って欲しいんですよね。それを知ることによって、疑問だったことも解けると思うしね。何もかも自分なしにはありえないんだ、自分が主役の宇宙だからってね・・・。表現というのは、ものすごく難しくてね。どうしたら分かって貰えるかということなんよね。でも、少しずつ分かって貰えてると思うんだよね。それだけ、原子核が増えていることは確かなんよ。間違いなく増えてるから・・・。どれだけ増えたかは、向こうへ帰ったとき分るからね。まあ、できるだけ今生自覚の境界線を超えて欲しいんだけどね。それはもう、自動的だからね。ある量原子核が増えたら、自覚が持ってるんだもん。あーそうか、自分は神だったんだ! 宇宙だったんだ!、本当にそう思えるんだから・・・。思えたらね、ここから見られるようになるから・・・。自分の思いと神の思いと、区分けが出来なくなってくるっていうか? これをどっちの立場になって、どういうふうに伝えたら一番良いかということなんだけど・・・。どっちの立場にもなって伝えられるということは、自我でもあり真我でもあるわけだからできるんだよね。自我と真我の境目ないんだから・・・。神の意識しかないけれども、神の意識だけでは表現出来ないから、自我意識を持って地球の言葉で今語ってるんでしょう。だから、自我でもあり真我でもなかったらいけないってことよ。真我意識状態になっちゃったら、もう話せないよね。自我がなかったら話せないんだから・・・。覚者になったら自我がなくなるて言ってる人いるけど、とんでもない話よ。自我がなかったら、表現出来ないんだもん。だったら、この世界になんのために出て来たのっていうことになるよね。表現するために出てきたんでしょう。だったら、この世界の言葉や文字を覚えなきゃなんないよね。自分という個性もできるのが当たり前じゃない。そこでいろんなことを体験した記憶が、真我になったら消えちゃうの? そんなことないよね。記憶は絶対失わないんよ。だから、自我と真我は持っているということよ。みんな誰でも持ってるっちゅうことよ。ただ、どっちが強く前に出てるかだけの話よ。みんな同じ神なんだから、みんな真我を持ってるんだから・・・。、自我と真我との比率が、覚者は真我のほうがちょっと多いだけ・・・。それだけのことよ。50パーセント超えてるか、越えてないかだけよ。一般人の殆どは、まだ超えていないけど、ここに来てる人は50%近いんだから。50%越えたら、境界線越えたっちゅうことよ。ハッキリ言って、人間から卒業したっちゅうことよ。皆さんは、もう人間として生きるのが嫌で嫌で、過去世においても、今生においても、真理を追求してきたんだよね。でなかったら、ここに来てないよ。もう人間ちゅうのを卒業したいんよね。先日も、こんなメールきてたんよね。もう私は、人間に生まれてきたくありません。どうしたらいいんでしょうかってね。ここに来てない人でも、やはりそういう魂の叫びちゅーのあるんよね。だからここにいる人達なんかは、みなそう思っているはず。人間なんかに生まれて来たくないと思ってるはずよ。私もそうだけれどもね。もし生まれてくるとしたら、地球以外の星に生まれてきたい。もう、こんな争い多い地球はゴメンだよね。皆さん、ここを卒業しましょうよ。この地球はね、落第生が送られて来たとこだから。もうそろそろ私達は、この地球を卒業出来るはずよ。僅かの数しかいないけれども。あのねー、この宇宙は、ちゃんと生け簀に移されるようになってるの。成長した魚はね、同じ生け簀にはいられないよね。だから、進化した星に移されるんよ。そこにみんなで行きましょうよ。素晴らしい星に・・・。もう、毎日あくせく働きゃなんない星なんか卒業しましょうよ。進化した星には、労働力っていう言葉なんかないんよ。「労働力」・・・苦労する働きってあるの? この地球にだけにある言葉よ。「苦労」する「働」きなんて、ありえないんよ。なんでかったらね、動くことが働く事が楽しく出来てるのがこの宇宙なんだから・・・。なんでかったら、私達は動いて働く事によって成長出来るようになってるんだから・・・。成長するのが楽しみだと思わない? ところが地球は違うんだよね。動いて働く事は、苦しいと思ってるんだもん。だから、労働力なんていう言葉が出来てるわけよ。これは地球にだけある言葉よ。本当は楽しいんよ。楽動力なんよ。そういう星に行きましょうよ。そしたらもー、毎日アクセく働かんでもいいし、しょうもない勉強しなくてもいいしね。本当に楽しい世界なんよ。そういう世界が、この銀河系宇宙だけでも750億個ぐらいあるって言われてるんだから。そういう星に行きましょうよ。もう、こんなところに居たくないでしょう。沢山よねー。
皆さんは、生きるということを勘違いしてるんよ。この形を持って生きることを、生きると思ってるの。地球人は、みんな形がなかったら生きてると思ってないの。これとんでもない話なんよ。生きるというのは、意識で生きることが生きるという意味なんよ。形がないのが生きるんよ。形がなかったら、どれだけ自由だと思う? 形があったら、形に閉じ込められ不自由でしょう? なんで人間が「自由!自由!」って自由を求めるかって言ったら、本能的に知ってるからなんよ。意識の自分の自由さを・・・本当の自分の自由さを・・・。魂の自分の自由さを・・・。だから人間は「自由!自由!自由!」って自由を求めるの。自由で戦争するぐらいだからね。それ程自由っちゅうのは、魂にとってなくてならないものなんよね。形がなかったら、自由が謳歌できるんだもん。肉体離脱してご覧、自由に動けるんよ。本当はね、こん苦しい肉体の中に入る必要ないの。本当のあなた達は、自由な生命体よ。意識体よ。その意識体は、形に入る必要ないんよ。生きるということは、意識が生きるということなんよ。形の中で生きることが、生きるという意味じゃない。地球人は、形があって生きると思ってんの。勘違いしてるんよ。意識が生きることが、生きることなんよ。その方が自由性があるから。それだけ楽しいっちゅうことなの。この肉体移動するの大変よね。風呂に入れなきゃなんないし、食べさせなきゃなんないし、化粧もしなきゃなんないしね。意識は、化粧する必要ないんだから。意識というものはね、無限に表現できるんよ。もし意識が有限だったら、宇宙は有限になっちゃうもん。表現が有限になっちゃうんだもん。そうでしょう。意識には限界がないの。意識は無限なの。無限の表現が出来るから素晴らしいんよね。そこに私達は入っていくんよ。進化して行くんよ。私達は、進化の旅を続けていく魂だからね。だから、無駄な人生は歩まないようにしましょうね。無理しなくていいから・・・。今与えられた環境の中で精一杯のことをやればいいんよ。
時間が来たようなので、ここまでにしましょうか。どうも今日はありがとうございました。