人間が突然変異や偶然を信じている限り、私達はいつまでも同じ進化の階段で足踏みしていなければなりません。なぜなら、人間が偶然に生まれ、偶然に病気になり、偶然に事故を起こし、偶然に死ぬなら、どんな生き方をしようと同じだからです。そこに倫理も、道徳も、宗教も、正義も、向上心も、努力も、何も必要ありません。今の社会が混迷に喘いでいるのは、多くの人が偶然を信じて生きているからです。でも神は、そんな野放図な宇宙をお創りになりませんでした。
宇宙には偶然も、突発的なことも無いのです。すべて必然です。それも、原因に見合った結果の伴う必然があるだけです。原因に見合った結果の伴う必然があるという意味は、そこに法則性があり、法則を差配している意志があるということです。そうです。この宇宙には、ちゃんとした秩序があり、計画性があり、目的があるのです。
・秩序がある
もし宇宙が偶然に運行しているなら、宇宙の存続は有り得なかったでしょう。 きっちりとした秩序の下に運航されてきたから、今までも存続してこれたし、これからも存続できるのです。その秩序を束ねてきたのが、宇宙の法則です。(この宇宙の法則は、宇宙生命の意志と意思そのものである。)
特に因果の法則は、人類の生き方に厳しい制約を与えてきました。この世に様々な苦しみや悲しみがあるのは、正にその法則によるもので、これまで間借りなりにも人類が存続してこれたのは、この法則が人類の生き方に制約をかけてきたからです。もし、この法則が無かったら、人類はとうに滅びていたことでしょう。
・計画性がある
宇宙は二つの計画を持っています。
一つは創造の計画、もう一つは進化の計画です。
1、創造の計画
表現宇宙の創造は、次のような計画の意図を持って行われています。
その計画指令は、大きな意志から中位の意志へ、中位の意志から下位の意志へ、下位の意志から微意の意志へ順次降ろされ、この表現宇宙に美しい絵を描くことになっているのです。人類はその初歩の、微位な創造を任せられているのです。(人類は、この地上界に理想の世を築く役割を担っている。)この表現宇宙に無駄な物が存在しないのは、この意志が目的に沿ってどこまでも貫かれているからです。
2、進化の計画
宇宙生命は表現宇宙を創造するにあたって、自ら意識核を放射し時空を生み出しました。その段階で意識が希薄になったわけですが、その希薄になった意識を濃縮し(進化させ)、元の生命意識に帰すことが計画の目的なのです。鉱物から植物へ、植物から動物へ、動物から人間へと進化を遂げてきたのは、みなその目的に沿ったもので、やがて人類は計画を全うし宇宙意識の中に帰ることでありましょう。
(今人類は微位な意識段階にあるが、やがて微位の意識段階を卒業し、小位の意識段階へ進化を遂げることになる。その後さらに小位の意識段階から中位の意識段階へ、中位の意識段階から大位の意識段階へと進化を遂げ、最終目的である宇宙意識に帰ることになる。)
このように宇宙は着々と進化計画を進めてきたわけですが、これを支えてきたのが二つの循環の法則です。一つは表現宇宙内における循環の法則、もう一つは絶対宇宙と表現宇宙にまたがる循環の法則です。この二つの法則に支えられ、表現宇宙と絶対宇宙の目的が達成されるよう計画されているのです。
・目的がある
では、そのように計画を推進している宇宙生命は、最終的に何を目指しているのでしょうか?。
それは究極の幸せです。
人間は、誰もが幸せを求めています。これは宇宙生命とて同じです。ただ宇宙生命の幸せは、自ら永遠の命を持つがゆえに永遠の幸せが必要で、これが一時的な幸せを求めたがる人間との違いです。でも、幸せを求める思いは同じなのです。
宇宙に秩序があり、計画性があり、目的があるということが理解できましたでしょうか?。人類が正しく生きるためには、宇宙が何を意図しているか知らねばなりません。知れば、個人が目指す方向性も、社会が目指す方向性も、国家が目指す方向性も、人類が目指す方向性も、必ず見えてくるはずです。
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火の洗礼には二つの意味合いがあります。一つは、人間一人ひとりが霊的自覚を高め自らを浄化すること、もう一つは、地球自らが自らを焼き清め浄化することです。
地球において水の洗礼は度々行われてきましたが、火の洗礼はまだ数回しか行われておりません。水の洗礼は文明のやり直しですが、火の洗礼は魂のやり直しなのです。といっても、全部が全部やり直しさせられるわけではありません。
このように火の洗礼は、選別のことなのです。聖書で謳われている最後の審判とは、この選別のことをいっているのです。このままでは、いつ火の洗礼を受けるか分かりません。火の洗礼を受けたくなければ、自力で浄化することです。そのためには、
波動が上がれば、黙っていても地球の波動は上がります。つまり、地球は浄化されるのです。
このように人類の波動が上がれば、地球自らが自らを焼き清める必要がなくなるので、火の洗礼は回避されるのです。
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自分の家の二階に、下宿人を住まわせていたとしましょう。もしその下宿人がだらしない人で、いつも部屋を汚していたらあなたはどうしますか?。「部屋をきれいに使って下さい!」と注意するでしょう。しかし、いくら注意してもいうことを聞いてくれなかったら、出て行ってもらうか、自分で部屋を掃除するか、どちらかを選択するでしょう。地球だって同じことをするはずです。
これまで地球は人類に、何度も何度も警告を発してきました。しかし、人類は、一向に改めようとしません。さあ、一体、地球はどうするでしょうか?。
追い出しにかかるでしょうか?、それとも大掃除をするでしょうか?、・・・。大掃除とは、ご破算のことです。つまり、一から文明のやり直しをさせられるという意味です。そうされる前に、何とかしたいものです。
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「人の自由意志は犯せない!」これは宇宙のしきたりであります。いくら美しい景色を見せたいからといって、無理やり人を連れて行くわけにはいきません。その人にとっては素晴らしくても、すべての人に素晴らしいとは限らないからです。理想世界が次のステップだとしても、全人類がその世界に連れ込まれるとは限らないのはそのためです。
人それぞれ好みが違います。興奮好きな者もいれば、静かさを好む者もいます。おしゃべり好きな者もいれば、寡黙な者もいます。物欲の強い者もいれば、精神的なものを好む者もいます。このように好みの違う者全員を、精神的喜びを旨とする世界へ連れ込むことが果たして幸せかどうか?。もし、強引に手を下したとすれば、おそらく、一年もしない内に狂った者が出てくるでしょう。だから、自由な棲み分けが必要なのであります。
環境は自らが選ぶ、これが自由を尊ぶ宇宙のしきたりであります。
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宇宙は、人類にどのように生きなければならないかを、「真」と「善」と「美」を通して教えようとしています。
「真」
宇宙は、
真実を貫き通しています。
揺るがぬ法則の下にあります。
「善」
宇宙は、
絶対善、絶対正義を貫き通しております。
一切のしがらみを超越しております。
まっすぐな動機に基づいて働いています。
純朴・純粋そのものです。
清心・誠心・聖心そのものです。
「美」
宇宙は、
高いエネルギーを、分け隔てなく放出しております。
全ての創造物に、均衡・平安・安寧と、久遠の喜びを与えております。
宇宙の運航がバランス良くなされる心配りがなされています。
表現宇宙におけるドラマが、より喜び多いものとなるよう、より高度なものとなるよう、より美しいものとなるよう、心配りがなされています。
このように宇宙は、一思一念の中に、一姿一形の中に、一挙一動の中に、真と善と美を織り込みながらより高い調和を目指しているのです。ですから人類は、その宇宙の意思を受け継ぎ、この地球上に理想の世を築かねばならないのです。
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環境問題と向き合うとき、一番気を付けねばならない点は、本当に必要かどうかの見極めです。自然物は偶然に置かれているのではありません。微生物一個、虫一匹、花一輪、石ころ一つ、その物がその場所にどうしても必要だから置かれているのです。なのに人類は、自分達の欲望を満たすために、勝手に生き物を移動させたり、殺したり、破壊したりしています。
人類は、地球上のすべての生き物を進化させる使命を持っていますので、使命に適うことなら何をしても許されて良いでしょう。しかし、本当に必要あってやっているのでしょうか?。金儲けのため、欲望を満足させるため、遊びのためにやっていないでしょうか?。
自然は必要に迫られた時以外、破壊しません。殺しません。腹一杯の時は、大好物が目の前にいても食べようとしません。人間は吐いてでも食べようとします。何と恐ろしいことでしょう。
神様は美しい地球を私達にお与え下さいました。その美しい地球を汚したのは人の心です。その心を放っておき、小手先で何をやっても良くなるわけはないのです。人の心が地球環境を悪くしたのであれば、良くするのも人の心です。さあ、源流を清めましょう!。人の心を清めましょう!。本当の自分を知れば、欲望も、遊び心も無くなり、黙っていても地球環境は良くなるのですから・・・。
-378-
誰が地球を汚したのでしょうか?。鉱物でしょうか?。植物でしょうか?。動物でしょうか?。人間でしょうか?。人間ですね。では、地球から人間を無くしたら、地球は息を吹き返すのではないでしょうか?。これが私の持論であり結論です。といって私は、人間を抹殺しなさいといっているわけではありません。「自我人間」を無くしましょう!、といっているのです。つまり、人間と思い違いしている人達に生命の自覚を持ってもらい、生命として生きてもらうのです。
私達は人間がいると思っていますが、人間などどこにもいないのです。生命が人間の中で生きているだけです。人間は、人間の皮をかぶった生命なのです。人間の形をした生命なのです。私達は思い違いし、人間だと思っているだけです。だから、何も、生命に生きることを不思議がることはないのです。ただ、生命と思えるか思えないかだけの話です。
生命の自覚を持った人は、我欲が無くなりますので、足ることを知るようになります。また自他の隔たりが無くなりますので、争い事を起こさなくなります。すべてを自分として見られるようになりますので、地球を自分の如く愛せるようになります。そうなれば、黙っていても地球環境は良くなります。地球を汚していた人間がいなくなったのですから当然です。
さあ、地球を「生命人間」ばかりにしましょう!。
-379-
神は地球上にバランスを取る使者を送りました。その使者とは、陰と陽の一対となった無数の菌達です。人間は菌達を毛嫌いしますが、彼らは地球環境に無くてはならない、大切なセンサーの役割を果たしているのです。
陰の菌達は、破壊・崩壊・腐敗の方に働きます。陽の菌達は、建設・維持・蘇生の方に働きます。その菌達がバランスが取れている時は、何の悪さもしないのです。しかし人間が物質に偏ると、陰の菌の方が勝つようになり、様々な災いをもたらすようになるのです。今、地球環境がおかしくなっているのも、奇病が蔓延しているのも、陰の菌の働きが強くなっているからです。でも、これは、決して悪いことではないのです。
苦しいから人間は疑問を持ち、解決しようと務めるようになるのです。だから、人間を苦しめる菌達は、悪ではなく善です。もし、このセンサーを殺したら、より危険な方向へ進むことになり、取り返しのつかない事態になるでしょう。菌を殺すということは、警報器を取り外すようなものですから、地球は無防備になり、大惨事を招くことになるのです。
この地球上では無数の菌達が、大気の中で、大地の中で、水の中で、あらゆる生き物の中で、バランスを取りあって健全を維持しているのです。ですから、菌を殺すのではなく、バランスを取ってやることが大切なのです。それには、まず、人間自らがバランスを取らねばなりません。すなわち、偏り過ぎている物欲を正常な状態にまで回復させることです。私が本当の自分を知って欲しいと願うのは、人間と思っている限り物欲から離れられないからです。
これまで人類は、幾度となく文明崩壊の憂き目を見てきましたが、もう同じ轍を踏んではなりません。さあ菌達の警告に謙虚に耳を傾けましょう。
-380-
地球は、今、何を思っているでしょうか?。多分、"人類よ目覚めよ!"と思っているでしょう。
今人類は物に溺れ、完全に我を見失っています。この状態が続けば、間違い無く大きな悲劇を生み出すでしょう。でも、そうなっては大変なので、地球は今人類に様々な警告を発しています。それが奇病であり、動・鉱・植物の暴走であり、菌達の暴走であり、異常気象であり、火山や地震です。
微生物から動・植・鉱物に至るまで、人間意識に連動して働くようになっているのが、地球の生態系の仕組です。(万物の霊長である人間は、物質的にも意識的にもすべての生き物を導く役割を持っている。)その人間意識が物質に偏ると、彼らも追従して偏った働きをするため、様々な災いが顕在化してくるのです。奇病も異常気象も火山も地震も、連鎖的に起きている人災です。連鎖的という意味は、自然界の生き物たちは、最微から最大まで連鎖的につながっているため、最微に狂いが生じれば最大まで狂うようになるのです。要するに微生物は、大気の中で、水の中で、土の中で、あらゆる生き物の中で連鎖的つながりを持って働いているため、微生物が狂えば、大気を狂わし、水を狂わし、土を狂わし、生き物を狂わし、最終的に地球をも狂わすことになるのです。この地球上で、つながっていない生き物など一つも無いのです。どんな生き物も、みな連綿としたつながりを保ちながら、助け合い、補い合い、維持し合って生きているのです。その最も基本的な部分にいる微生物が狂えば、地球が狂うのは当たり前なのです。
この宇宙に意識は一つしかありません。どんな生き物も、一つの意識でつながっているのです。だから万物の霊長である人間の意識が偏れば、大気の働きが偏り、水の働きが偏り、土の働きが偏り、生き物の働きが偏り、地球の働きが偏るのは当然なのです。
局地的日照り、局地的猛暑、局地的冷夏、局地的厳寒、局地的豪雨、台風・竜巻・噴火・地震など、この偏りが何を意味しているのか、富の偏りとも考え合わせ、もうそろそろ人類は気付いて良いころです。
さあ、局地的異常が全世界に拡大する前に、何とかしましょう!。それは人間にしかできないのです。
地球は、今、思っています。
あなた達が地球を狂わしたのですから、あなた達の手で取り戻しなさい!、と・・・・。
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