快楽は、私達の心を乱します。特に極端な快楽は、心の大敵です。しかし殆どの人が、この快楽にのめり込んでしまいます。極端な快楽は苦の対極にありますから、必ず反作用の波が押し寄せてくるのです。薬の副作用や麻薬の禁断症状などは、その典型的例といって良いでしょう。たしかに早期の回復と、大きな喜びを味わうことはできます。でも中庸を旨とする宇宙は、必ずバランスを取り戻そうとしますので、どうしても苦しみの反動がやってくるのです。
私達が求める喜びは極端な快楽では無く、静かな喜びで無くてはなりません。なぜなら、五感を刺激して得る興奮の快楽は一時ですが、心の弦を震わせて得る静かな喜びは永続するからです。ですから一旦、心の喜びを体験した者は、肉の快楽にのめり込むことはなくなるのです。
たしかに極端な快楽は魅力的です。私たちを虜にしてしまいます。でも極端な快楽を貪り続ければ、必ず苦しみに代わってしまうのが中庸の性です。それは先ほどもいったように、苦の対極にあるからです。対極にあるものは必ず中心(中庸)に戻ろうとしますので、どうしても苦しみの反動がやってくるのです。
とはいっても、進化の歩みの中で肉の快楽を体験しなければならない時期もあるのです。それは、ニセモノとホンモノの見分けがつかない幼い時期です。昔からいわれてきた[飲み・打つ・買う]の三欲は、肉欲を克服するため誰もが通らねばならない道だったのです。でもその空しさを知った暁は、もうそんなものに思いを寄せないことです。
成長するためには、誰でも三欲の体験が必要なのです。だから今、三欲に溺れているからといって、その人を卑下しないで下さい。かっては、自分だってそうだったのですから・・・。
罪を憎んで人を憎まず、すなわち、肉を憎んで人を憎まずです。
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