止まりは死、行きっ切りは野放図です。循環してこそ完全です。この宇宙が完全なのは、すべてのものが循環しているからです。私達は循環の中で生かされ、動かされ、働かされ、永遠の命を得ているのです。
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宇宙は循環の働きによって永遠と完全を得ているわけですが、この循環の働きは地球上においても至るところで見られる現象です。水の循環、大気の循環、エネルギーの循環をはじめ、菌類の循環、昆虫類の循環、渡り鳥の循環、魚介類の循環、野生動物の循環など、生きとし生ける物のすべてが、循環運動によって命を支えているのです。
たとえば、野生動物は餌を求めて転々と移動しています。それも盲滅法に移動しているのではありません。本能に導かれ、促迫に導かれ、移動するべきにして移動しているのです。彼らは、すべての生き物が循環していることを本能的に知っているため、自分も循環していれば必ず餌に出会えるという確信のもとに移動しているのです。その出会いも、必要な時期に必要な数だけ、それも生命力の弱いものと強いものが出会うよう仕組まれているのです。だから地球の生態系は、常にバランスが保たれているのです。このように一つの例をとってみても、循環の働きの素晴らしさが分かります。もし循環の一つでも錆ついたら、たちまち地球は大混乱に陥ることでしょう。こういうことを考えてみて下さい。
もし、食べて出さなかったらどうなるでしょう?。息を吸って吐かなかったらどうなるでしょう?。死を招きますね。死は宇宙にふさわしくありません。だから常に循環しているのです。地球が生き永らえるのも、海中において、地中において、地上において、空中において、循環しているからです。
人間も大昔は、豊かな土地を転々と移動しながら生活していました。遊牧民や焼畑農民の中にその名残がみられます。しかし人間は賢かったので、自分達が移動するのでは無く、物を循環させることで糧を得る方法を見付けたのです。それが農業です。牧畜です。漁業です。昔の漁民は、海産物を陸に上げ農産物と交換することで糧を得ていましたし、農民も町民から糞尿を買い取り肥料にすることで豊穣を手にしていました。これも循環を応用した人間の知恵です。人間は無意識のうちに、海の幸(海のエネルギー)と、田の幸(陸のエネルギー)と、山の幸(山のエネルギー)を循環させる媒介役を果たしていたわけです。このように循環は、生き物にとって大切な命の拠りどころになっているのです。
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人間社会も、経済の循環が生活の拠りどころとなっております。その主役を担っているのがお金です。お金の回転が良ければ良いほど経済が活性化するのは、お金はエネルギーの塊だからです。エネルギーは、流れが良ければ良いほど活性化するのです。私達は労働力を投入しお金を稼ぎますが、その稼いだお金は生活を支える一方、一部は投資され物やサービスに姿を変えます。この時点でエネルギーは物やサービスに移動するわけですが、その物は消費され再び私達の生活を支えることになります。消費された物は最終的に大気に還元されるわけですが、どんなに姿を変えてもエネルギーは無くなっていないのです。エネルギー不滅の法則に支えられ、次の出番をジッと待っているのです。
このように、労働力→お金→投資→生産→消費→労働力の経済循環が人間社会を支えているわけですが、それは同時に資源(エネルギー)を循環させ、地球を進化させる役割も果たしているのです。つまり地球と人類は、相互依存を通して互いに進化の道を歩んでおり、人間はそれを生活手段として経済を営む中で無意識の内に行っているのです。その意味では、地球資源を全く使わないことも良くないし、無駄な食いつぶしも良くないのです。今、地球環境がおかしくなっているのは、経済活動が旺盛過ぎてバランスを崩しているからです。
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「使命」とは、「命」に「使える」と書くように、私達は生命から遣わされた「命の使い人」です。役割は三つあります。一つは地のエネルギーを循環させる役割で、これは経済活動によって果たすことができます。二つは天のエネルギーを地に降ろす役割で、これは宇宙の謎を解明すること(真実を知ること・悟ること)で果たすことができます。地のエネルギーを動かすことを横の循環といい、天のエネルギーを動かすことを縦の循環といい、この縦横の循環をバランス良く行うことで、地上に理想の世を築くことができるのです。三つ目の役割は、因縁をつなぐ役割です。これは、一つ目の役割と二つ目の役割を補完する目的があります。
私達がこの世に誕生するに当たっては、想像を絶する人と人との因縁のからみつきがあります。いや人間だけではありません。すべての生き物とのからみつきがあるのです。それも無限に広がるからみつきです。
たとえば、あなたが誰かと結婚したとしましょう。この縁のからみは、単に夫婦間だけに止まらず、夫婦の縁者達やその縁者達が可愛がっている鉱物や植物やペットなどにも及び、様々な学びのチャンスを与えてくれるのです。
こういうことです。
あなたの夫(妻)と結んだ縁は、あなたの夫の親族とのつながりを生み、その親族の親しい人とのつながりを生み、さらに飼っている犬や猫や小鳥などとのつながりを生むでしょう。その縁は今度は結ばれる縁として、夫(妻)と自分の親族とのつながりを生み、自分の親族と親しい人達とのつながりを生み、さらにそれらの人達の可愛がっている生き物とのつながりを生むでしょう。そして、そこで演じられるドラマの影響は、良くも悪くも巡り巡って自分のところに帰ってくるのです。このように、縁も循環しているのです。
ドミノ倒しというゲームがありますが、私達はドミノの一つ一つなのです。ドミノ一つ無くてもドミノ倒しが完成されないように、どの生き物がいなくても因縁の役割は果たされないのです。因縁の役割の完結こそ、計画してきたこの世の学びの完成なのです。多くの因縁の友が、この世の学びを完成させてくれるのです。だから、醜いからといって虫を嫌ってはならないし、無闇に殺してもならないのです。嫌いな微生物も虫も、私達を成長させてくれる因縁の友です。嫌っているあの人もこの人も、私達を成長させてくれる因縁の友です。それを知ったら、何も嫌えないし、何も憎めないはずです。その意味では、この世に不必要なものは何一つ無いことになります。
"私の使命が分からない!"という人がおりますが、そこにいて縁を結ぶことが、その人の使命なのです。
このように人間には、いや、すべての生き物には、天と地のエネルギーを循環させ、さらに因縁の循環を助ける役割があるのです。循環の大切さが分かってもらえたでしょうか?。
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