私達は意識を持ち意識を使っているにもかかわらず、意識が何で、どこから生まれ、どのような性質を持ち、どのような働きをしているか、全く知らないまま生きています。専門家である医学者や生物学者でさえ、意識の正体を掴み切れないでいるのですから、一般人が解らないのも当然です。
現代科学の常識では、意識は脳が生み出していることになっています。ものを考え、思い、記憶し、ボディーを動かしているのは、みな脳がやっているというのです。そのような考えを持っているから、脳が死ねば意識が無くなると思い、人間は肉体ある限りのものであると結論付けてしまうのです。本当の自分を知るキーポイントは、意識が何なのかに着目しその謎を解くことです。意識を知った者は自分を知り、宇宙を知った者であるといわれるくらい、意識の解明は欠かせないのです。では意識とは何でしょうか?。
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意識とは存在の思いです。存在の心です。「何」かを感じられる思いです。「私」と想える思いです。思うにはエネルギーが必要ですから、意識はエネルギー(力)でもあるわけです。
そのエネルギーは生命ですから、意識は生命そのものなのです。その意識的エネルギーが宇宙に遍満しておりますので、宇宙は意識の海といって良いわけです。そうです。宇宙は意識(生命)の海なのです。その意識の海の中に、銀河も、星々も、地球も、私達も存在しているのですから、「すべての物は意識の中に存在し、意識はすべての物の中に存在している!」、といういい方ができるのです。なぜ、すべての物の中に意識が存在しているかといいますと、意識はすべての物を形造っている素材(本質)そのものだからです。
意識 = 素材 = 生命(エネルギー)なのです。
あなたの意識、私の意識など、沢山の意識があるように見えますが、意識は宇宙に一つしか無いのです。人間が、自分は「人間だ!、個人だ!、誰の誰べえだ!」と誤解することによって、一つの意識を沢山の意識に分けてしまったのです。しかし、個々の意識はもともと一つの意識から出たものですから、個々の意識を遡れば一つの意識に収まってしまうわけです。
意識はすべての創造物の本源にして本質であり、生命の源泉です。その意識は、知恵と、力と、光を、己の表現道具として持ち、大宇宙を包容し差配していますので、意識そのものが宇宙そのものであり、生命そのものといって良いのです。宇宙は意識と意志をも持った一匹の生き物なのです。その生き物の細胞一つ一つが私達ですから、私達は生命そのものであり、大宇宙そのものといって良いのです。その意識が人間の中に宿れば、人間には五感という感覚器官があるため、どうしてもボディーを自分と誤認し、自分を人間にしてしまうのです。ボディーと誤認すれば人間として生きるのは当然で、今、私達は宇宙生命でありながら人間と思い違いし生きているのです。
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意識を次のような例えで考えたら分かりやすいかも知れません。
役所はそのままでは抽象的な存在です。役所が具体的な活動をするためには、手足となって働いてくれる窓口が必要です。戸籍係や、清掃係や、公園係や、福祉係などの窓口は、その手足の役割を果たしているのです。宇宙生命も同じように、手足となる鉱物や植物や動物や人間などの窓口を作ったのです。窓口の役割はみな違いますが、宇宙生命の一部であり役所の1部所であることは間違いありません。もし、その窓口が単なる一窓口だと思っていたら、一窓口としての対応はできても、役所全体の対応はできないでしょう。市民から苦情がきても、「私は戸籍係だから外の係のことなど知りません!」と突っぱねるかも知れません。人間も、私は太郎だ花子だと思っていたら、個人としての役割は果たせても、全体(生命)の役割は果たせないでしょう。今人間は、これと似た状態で生きているのです。全体を意識していないから、窓口と窓口が敵対するような戦争が起きているのです。一つの体の中で、心臓と肺が喧嘩しているようなものです。もし、一つ一つの窓口が、私は役所なのだと自覚できたら、きっと仲良くできるはずです。
では、なぜ沢山の意識があるように見えるのでしょうか?。それは個人個人に、五官という個別化された感覚器官があるためです。その感覚器官が自我を作り、その自我が窓口を自分と思うことによって、意識を個別化してしまったのです。本当は宇宙生命(役所)なのに、人間(窓口)を自分だと思い違いすることで、全体意識を個別化してしまったというわけです。
人間は宇宙生命の表現媒体であって、実在しているものではありません。あくまでも人間は、宇宙生命の一窓口です。実在しない窓口に独自の意識があるわけがないのです。
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意識が一つしかない裏付けは、宇宙が永遠に存続してきた事実が証明しております。もし沢山の意識があるなら、宇宙はとうに消滅していたはずだからです。なぜなら、あなた私のあるところには、必ず敵対するものが生まれるからです。幸い一つの意識しか無いから、ぶつかりあうことなく存続してこれたのです。その一つしかない意識が、鉱物にも、植物にも、動物にも、人間にも、宿っているのです。一つしかない意識だから、分けることも区切ることもできないのです。あなたが使っている意識も、私が使っている意識も、鉱物・植物・動物が使っている意識も、同一の意識です。このすべての意識が同一の意識であると自覚することが、とても大切なことなのです。もしすべての人類が、同一の意識で生かされている兄弟姉妹だと知ったら、決して争い事など起こさないでしょう。しかし残念なことに人間は、同じ意識を持ち同じ意識を使っているにもかかわらず、一人一人の意識が別モノだと考えているのです。
生命意識もあって、人間意識もあるわけではないのです。大宇宙を意識している意識も、個人を意識している意識も、同じ一つの意識です。意識は意識している通りのもので、それ以上のものでもそれ以下のものでもないのです。人間と思えばそく人間意識になるし、生命と思えばそく生命意識になるだけです。ただ何と思っているか?、それだけのことなのです。思える力そのものが意識だからです。
繰り返します。
宇宙には、誰々の意識という区切られた意識はありません。ただ一つの無限意識・普遍意識・絶対意識・宇宙意識があるだけです。その意識を勝手に小さく区切って使っているのが人間なのです。宇宙を自分と思えばそく宇宙意識になるし、人間を自分と思えばそく人間意識になるだけです。そこには自覚の問題があるだけで、仕分けされた意識があるわけではないのです。ただ意識を天(生命)に置くか?、地(人間)に置くか?、それだけの話です。
今、生命と思っている私も、人間と思い違いしている私も、同じ意識の私です。私が二ついるわけでは無いのです。どんな意識も、一つの意識から生まれたのですから、一つの私がいるだけなのです。
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では意識は、誰が生み出したのでしょうか?。いつ、どこから、生み出されたのでしょうか?。いいえ、意識は誰が生み出したのでも、いつどこから生み出されたのでもありません。初めなき始めより、この宇宙に唯一の意識としてあったのです。ならば私達の意識も、その唯一の宇宙意識ではありませんか?。でも私達は、自分の意識を宇宙意識だと思っておりません。形を自分だと思い違いし、どうしても人間意識にしてしまうのです。無理もありません。私達は気の遠くなる年月、人間として生きてきたのですからね・・・。でも私達は、初めからそうだったわけではありません。もともと宇宙生命の自覚を持つ意識だったのです。その意識が表現の世界に出るに当たり、記憶を失ってしまったのです。なぜ記憶を失ったかについては後に詳しく述べますが、失わねばならない理由はこうでした。
この表現世界は、ドラマを通して生命核(魂)を成長させるために用意された舞台です。その生命核が生命の記憶を持ったまま舞台に立ち、真剣な芝居ができるでしょうか?。同じ私が同じ私相手に、真剣な芝居ができるわけがありません。真剣に芝居できなければ、その舞台にどんな意味があるでしょうか?。恨み、憎しみ、怒り、悲しい、楽しい、うれしい、この真剣なドラマを通してこそ、私達は成長できるのです。だから宇宙生命は私達の記憶を消し、客観的に芝居できる環境を与えたのです。だからといって、私達の意識が宇宙意識である事実に変わりはありません。ただ、失った記憶を手繰り寄せる体験に、大きな意味があるのです。
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繰り返します。宇宙には無限大の意識が一つあるだけです。その無限大の意識を個人と思うことによって、小さな意識に区切ってしまったのが私達です。意識を区切れば当然、エネルギーも、知恵も、光も、小さく区切ってしまうでしょう。なぜなら、エネルギーも、知恵も、光も、意識の大きさに沿うようできているからです。
良く個々の魂があるといわれますが、本来、宇宙には寛大な魂が一つあるだけです。ただ私達が意識を小さく使うことで、寛大な魂を個別の小さな魂にしてしまったのです。本当は宇宙大の魂なのに、人間と錯覚することで小さな魂にしてしまっているのです。意識を限定しなければ無限大の自分になれるのに、意識を限定してしまったために、個人の小さな自分にしてしまったわけです。
この地球上に争いが絶えないのは、意識を小さく区切って、「あなた・私」の限定意識を作っているからです。あなた私があれば、人より多くの物を持ちたがるのは当然ですから、どうしても争い事が起きるのです。争わないためには、みな同じ意識であることを知ってもらうしかないのです。だから意識の正体を知ることは、とても大切なことなのです。といっても、言葉や文字で理解してもらえないのが意識(生命)です。したがって、この難問をいかに解決してゆくかが、今後、理想の世を築く大きな鍵となるでしょう。
ボディーの私が私と思っているのか!?。 別な私(エネルギーの私)が私と思っているのか!?。本当の自分を発見する手掛かりは、そこにある。
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