宇宙には、神が放射した意識の核が無数に浮遊しております。でも、その意識核は希薄なため、自分が何なのか記憶を失っているのです。そこで、意識核は、記憶を蘇らせるために本能的に集まってくるわけですが、その一定量集まった意識核の塊を魂と呼んでいるのです。
この節では、魂とは、どのようなものか? 探ってみることにしましょう。
神は、相対宇宙(表現宇宙)を創るに当たり、自分の意識を「意識核」として放射しました。その意識核の集合体が、いわゆる、個々の魂(原子核・生命核)と言われるモノです。この相対宇宙には、そのような魂が無限に存在するのです。その魂は、様々な形の中に入って体験を深めドンドンと成長してゆくわけですが、どんなに成長しても、一つの寛大な魂から離れることはありません。
つまり、
「一つの寛大な魂の中に個々の魂が存在し、個々の魂の中に一つの寛大な魂が存在するのです。」
ですから、この宇宙には、無限数の個々の魂が存在すると同時に、寛大な魂が一つ存在することになるわけです。(唐傘の図を参照)
個別の魂は、形の中に入ることによって、個別の心を生み出します。その個別の心は、さらに、想念を生み出します。そして、その想念が引き寄せた環境で体験を深め成長してゆくのです。このように、神の意識から生まれた魂は、心を生み出し、想念を生み出し、想念が引き寄せた環境で体験を積みドンドンと成長してゆくのです。
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前述したように、神は、自分の意識核を無限に放出して、表現宇宙を創造しました。しかし、放出した意識核は、いずれ、回収しなくてはなりません。でも、神、自らが回収するとなると、大変な手間が掛かります。そこで、手間を省くために、神は、自動的に集まる「親和力」と言う仕組みを意識核の中に組み込んだのです。こうすれば、放っておいても、神の中に意識核が戻ってゆきます。神は、実にうまい仕組みを創られたものと感心します。
この仕組みは、地球上において、色々なところで応用されております。例えば、土の中の養分は、草や、木や、稲や、野菜が集めてくれます。台所の小さなゴミは、ゴキブリが食べて集めてくれます。部屋の中のダニは、蜘蛛が食べて集めてくれます。「食物連鎖・生態ピラミット」も、この仕組みが応用されています。科学者は、この仕組みを「エントロピーの法則」と言っておりますが、瞑想によって、原子核を集めるのも、この仕組を応用したものなのです。
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魂の進化は、次のような手順で行われています。
第一段階・・神の意識核が放射されます。
↓
第二段階・・神の意識核が集積され、鉱物の魂へと進化を遂げます。
↓
第三段階・・更に意識核が集積され、鉱物の魂から植物の魂へと進化を遂げます。
↓
第四段階・・更に意識核が集積され、植物の魂から動物の魂へと進化を遂げます。
↓
第五段階・・更に意識核が集積され、動物の魂から人類の魂へと進化を遂げます。
鉱物の魂は、数十億年の時をかけ、植物に進化します。その植物の魂は、更に十数億年の時をかけ、動物に進化します。動物に進化した魂は、更に数億年の時をかけ、人類に進化します。人類に進化すると自我を持つわけですが、これが、「自我の境界線を超えた」と言い、宇宙における大きな節目の一つです。自我を持った人類は、更に、第二の節目である、自覚の境界線を目指して、魂を大きくしてゆきます。第二の節目である、自覚の境界線を超えた人を「神人」と言いますが、これが、求道者の大きな目標です。この第二の節目を超えるまでの期間は、わずか、数百万年です。第一の節目達成までに数十億年の時を要したことを考えれば、第二の節目達成までの期間が、いかに早いか分かって頂けると思います。
第一の節目・・鉱物→植物→動物→自我を持つ人類へと進化・・・約数十億年の年月を要する。
第二の節目・・人類→神人へと進化・・・約数百万年の年月を要する。
このように、人類に進化した以降の魂は、想像を絶するスピードで進化を遂げてゆくのです。でも、これも、まだ、序の口です。自覚の境界線を超えた後の進化の道程は、途方もなく長いのです。長いどころか、どんなに進んでも終着点のない進化の道程なのです。なぜなら、宇宙は、無限だからです。
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「体験は宝!」と言われるのは、体験だけが魂を大きくしてくれるからです。鉱物や、植物や、動物が、進化するに従い人間の身近に寄ってくるのは、体験したいためです。例えば、鉱物は、建築用材として、機械用材として、食用材として、薬用材として使われます。植物は、環境用材として、観賞用材として、薬用材として、食用材として使われます。動物は、畜力として、食材として、ペットとして使われます。彼らは、美しく装ったり、香ばしい匂いを放ったり、色々と便利な性質を備えたりしますが、それは、「人間に使われるよう誘っている」のです。人間の波動を浴びれば、急速に魂が進化することを本能的に知っているからです。彼らには、自我がありませんが、ちゃんとした知恵を持っているのです。
このように、鉱物も、植物も、動物も、みな、体験を通して進化成長してきたのです。私たちも、気の遠くなる年月、体験して魂を大きくしてきたのです。
どうか、体験を嫌がらないでください。多く体験すればするほど、魂は大きくなるのですから・・・。
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人類は、誰でも、いつか、必ず、自分の本性を見抜かなければなりません。つまり、自分が、「意識であった! 生命であった! 神であった! 魂であった!」ことを、心の底で見抜かねばならないのです。この心の底で見抜いた状態を「悟り」と言われているわけですが、私は、「自覚の境界線を超えた」と言っております。この自覚の境界線を超えるためには、悟りのピラミット図に書かれてあるようなプロセスを経なければならないのです。
魂の進化には、悟りのピラミットに示されているような・・
の6段階のプロセスがあるのです。言い方を変えれば、
の6段階のプロセスがあるのです。それはそれは、何十億年もの時をかけた気の遠くなる厳しい体験の旅です。学びの友の皆さんは、今日まで、その厳しい体験の旅をしてきたのです。その魂の苦労は、いかほどだったでしょうか? 魂の苦労に報いるためにも、これからも、真理を学び、魂を大きくしてゆきましょう。
もし、学びの気持ちが萎えたら、この悟りのピラミット図を見て、気持を奮い立たせてください。きっと、「しゃきっ!」とするはずです。
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「進化」と言えば、ダーウインの進化論を思い出す人がいると思いますが、あの進化論は間違っています。はっきり言って、形は絶対進化しません。進化しているように見える形の変化は、「順応化・適応化・対応化」なのです。砂漠地帯に住んでいる人のまつ毛が長く伸びるのも、空気の悪い所に住んでいる人の鼻毛が長く伸びるのも、運動すると筋肉がつくのも、順応化・適応化・対応化なのです。
「進化」とは、「進」んで「化」ると書きますが、「進」むとは、動くと言う意味ですから、「動」いて「化」るのが進化の意味なのです。では、何が「動」いて、何が「化」るのでしょうか? それは、意識核が「魂」に化けるのです。神が作られた形は、完全ですから、進化しません。進化するのは、形の中に宿っている魂の方です。神が放射した意識核は、宇宙に無限数浮遊しているわけですが、その核を、私たちは、集めねばならないのです。その集める作業が、社会体験であり、瞑想なのです。
社会体験は、体を動かさなければできません。瞑想も、想念を動かさなくてはできません。宇宙の仕組みは、動けば、魂が大きくなるように出来ているのです。このように、魂が大きくなることを「進化」したと言うのです。
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進化の節目には、次のような節目があります。
第1、神の意識核が放射され時空(表現宇宙)が生まれた時点の節目・・
第2、意識核が集まり鉱物(星)として姿を取った時点の節目・・
第3、鉱物(星)の上に植物が誕生した時点の節目・・
第4、動物として姿を取った時点の節目・・
第5、人類として自我を持った時点の節目・・
第6、自覚の境界線を超え、神人になった時点の節目・・
このように、魂の進化には、6つの節目があるわけですが、私たちが、当面、目指さなければならない節目は、6番目の節目です。鉱物や、植物や、動物となった段階では、自我は持っていません。しかし、人類になった段階では、自我は持っています。この自我を持った段階を、「自我の境界線を超えた」と言い、進化の大きな節目の一つです。今の地球人類は、この節目を超えた段階にいるわけですが、更に、意識核を集め、「自覚の境界線を超え、神人」にならねばならないのです。この本を読んでいる皆さんは、その超える寸前にきている魂です。
魂の進化の節目は、自覚の境界線を超えた後も控えておりますが、それは、神が無限ゆえに、無限に控えている節目です。無限宇宙には、無限の節目があることを知ってください。
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動物から人間に進化したばかりの幼い魂は、真理に顔を向けようとしません。この季節を冬(暗黒)の時代と言い、真理に対して眠っている状態です。でも、いつまでも眠っているわけではありません。やがて、目覚めの春がやってきます。暗闇の中で眠っていた魂が、春の陽射しを受けて目を覚ますのです。目覚めた魂は、宇宙に目を向けるようになります。神秘的なモノに興味を持つようになります。哲学を学ぶようになります。宗教に入るようになります。これが、求道の幕開けです。
夏の時代は、真理を深く知る季節です。知った知識を基に、社会体験を積みます。瞑想をします。思索をします。社会体験も、瞑想も、思索も、原子核を大きくしますから、魂がドンドンと成長します。
やがて、実りの秋がやってきます。社会体験をし、瞑想をし、思索をすると、色々な気付きが起きます。気づきが起きれば、理解力が高まります。理解力が高まれば、自覚が強まります。自覚を強めること!・・これが、秋の収穫です。自覚を深めたその先に、「自覚の境界線」が待っているのです。
目覚めの行程は、このように、「冬の季節・・春の季節・・夏の季節・・秋の季節・・」を経て、自覚の境界線に近づくのです。「目覚めの春から」そく「目覚めの秋に」行くわけにはゆかないのは、途中の体験が必要だからです。
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V字の進化図を見てください。
V字の左側に位置する魂は、神を認めない幼い魂です。彼らは、物珍しいので、どうしても、「物の虜」になるのです。しかし、どんなに物を得ても、心は満足しません。そこで、満足させてくれそうな、「権力や、地位や、名誉」などを追い求めるようになるのです。でも、それを得ても、心は一向に満足しません。そんな魂も、時間の中で進化しているので、やがて、「心を満たしてくれるモノが、他にあるのではないか?」と疑問を持つようになります。ここが、暗黒の時代から光明の時代に入るターニングポイントです。
光明の時代に入った魂は、「目に見えない何かが人生に関わっているのではないだろうか? もしかしたら、神って存在するのではないか?」と、疑問を持つようになります。これが、神を求める時代の幕開けです。宗教遍歴が始まります。あの宗教・・この宗教・・色々な宗教を渡り歩きます。でも、ホンモノの真理に出会えるのは、僅かな人たちだけです。皆さんのように、ホンモノの真理と出会えた人は、幸運です。奇跡に等しいと言って良いかも知れません。でも、幸運でも、奇跡でもありません。過去世で努力していた成果です。努力していたから巡り会えたのです。
学びの友の皆さんは、V字の右側の最上位に位置する魂です。その皆さんが目指すモノは、神の実感です。神の自覚です。
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求道者の目的は、ただ一つ。神の自覚を得ることです。そのためには、魂を熟成させなくてはなりません。
魂が熟成すれば・・
そうなると、宇宙の心(神の心)に添った生き方ができるようになりますので、自然と真理の得やすい環境が整います。環境が整えば、瞑想がしやすくなりますから、原子核を大きく増やすことができます。原子核が大きくなれば、理解力が増しますので、様々な気付きや発見が生まれます。その気付きや発見の積み重ねが、自覚の境界線を超えさせてくれるのです。
どうか、神の自覚を得ることを、唯一の目的とし、真理を求め続けてください。
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地球には、動物から人類に進化したばかりの魂や、自覚の境界線を超える寸前まで進化した魂など、様々な段階の魂が混在しております。私たちは、その魂たちと同じ空間で生きていますので、どうしても、トラブルに巻き込まれることが多くなるのです。幼い魂は、トラブって学ぶわけですから、それで良いのですが、皆さんのような熟した魂は、もう、トラブル必要はありません。どうか、学んでいる皆さんは、魂の段階を意識して生きてください。
幼い魂か?、熟した魂か?、見分けるコツを教えましょう!
もう一つ、面白い見分け方があります。
世の中には、声の大きい人がおりますが、その人は、幼い魂の持ち主だと思ってください。熟した魂は、寡黙です。何が起きてもあまり騒ぎません。また、起きたことを人のせいにしません。この世が騒がしいのは、幼い魂が多いからです。このような魂は、V字の左側に位置する魂だと思って間違いありません。
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魂のレベルを意識して生きることは、とても大切です。なぜなら、自分の心(宇宙)を汚さないですむからです。前述したように、この地球には、早く生まれた魂もあれば、遅く生まれた魂もあるのです。でも、今の地球人類は、そのことを全く認めようとしないのです。今の社会を見てください。毎日のように争い事が起きています。これは、「みな、同じ人間だと思って生きているからです。」 同じ人間と思えば、どうしても、トラブルを起こすのです。当然、相手を許すこともできません。でも、魂のレベルを認め合って生きたら、トラブルを起こすこともなければ、許すこともできるのです。
どうでしょう! 大人が幼い子と張り合うと思いますか? 大人が幼い子と争い合うと思いますか? 幼い子に何かされても、許してやれるはずです。でも、地球人類は、魂のレベルを認めないので、どうしても、トラブルを起こすのです。これは、仕方のないことかも知れませんが、せめて、学びの友の皆さんだけでも、「魂のレベルを意識して生きてください。」そうすれば、自分の心(宇宙)を汚さないですみます。学びの友の皆さんは、それができる魂です。
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眠っていては、生きているとは言えません。一番大切なことは、目覚めることです。目覚めなくては、真理を求めようとも、探そうともしないからです。私たちが肉体を持って生まれてきた目的は、あくまでも、「本当の自分に目覚める」ためです。
神は、眠っている人を起こすために、四つのショック療法を用意されました。
それは、
「生きる苦しみ」
「老いる苦しみ」
「病む苦しみ」
「死ぬ苦しみ」
の四つの療法です。生きる苦しみは、この厳しい社会で誰もが体験していることですが、それを目覚めの薬にする人は殆どいません。神は、それを見越して、「老いる苦しみ・病む苦しみ・死ぬ苦しみ」の三つのショック療法を用意したのです。特に、死は、強烈なショックを与え深い疑問をもたせます。
死のショック療法もさることながら、病む苦しみは、目覚めには、効果的なショック療法です。人は、どうして、病気になるのか? この疑問は、年を取り、体が衰えれば、衰えるほど、膨み、また、膨らめば、膨らむほど、目覚めも早まるのです。
神が用意した、「生きる苦しみ」、「老いる苦しみ」、「病む苦しみ」、「死ぬ苦しみ」の四苦は、神様からの愛の贈り物だと思ってください。そのように、良く受け取れば、業を深めることはありません。
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目明き人には、第一段階の目明き人と第二段階の目明き人がおります。
第一段階の目明き人とは、
「物の外形を、五感を通して見ている人のことです。」
私たちは、通常、目で見て見えていると思っていますが、それでは、本当に見えているとは言えないのです。理解ができて、はじめて、見えていると言えるのです。理解できないものは(納得できないものは)、ただ、網膜に写っているだけで、実際には、見えていないのです。だから、赤ちゃんは、なめたり、しゃぶったり、触ったり、匂いを嗅いだり、叩いたりして、理解しようとしているのです。今、私たちが、納得して見ている物も、すべて、体験して、理解した物ばかりです。ですから、一度も見たことのない物は、見ていても、実際に見ているとは言えないのです。このように、第一段階の目明き人とは、五感で体験し、理解を深めた人のことを言うのです。
第二段階の目明き人とは、
「物の本質を、理解力を通して観ている人のことです。」
なぜ、物の本質を観ることが大切かと言いますと、形は、消えて無くなる幻ですが、本質は、永遠に無くならない真実だからです。形(幻)を、目で見ている人は、第一段階の目明き人で、真実を、理解力で観ている人は、第二段階の目明き人なのです。今、人類社会に争い事が多いのは、第一段階の目明き人の方が圧倒的に多いからです。第一段階の目明き人では、平和な社会は作れないのです。
幻の形を見ている状態は、「見る」なのです。真実の本質を見ている状態は、「観る」なのです。地球に真の平和をもたらすためには、「見る」人から、「観る」人に変わらねばならないのです。本質を心底で理解できるようになると、自分を、本質として観られ、本質として生きられるようになるので、争い事の起こさない人になるのです。
今日の教育の一番の問題点は、「原因(本質)」を教えないで、「結果(形・物)」ばかり教えている点です。そんな知識をいくら頭に詰め込んでも、正しい行動につながらないのです。教えるべきことは、真の目明き人になる「原因・真実・真理」です。
良く心眼を使いなさいと言いますが、これは、理解眼のことを言っているのです。つまり、物の本質が理解できるようになると、見えないモノが観えるようになってくるのです。お釈迦様が言っていた「正見」とは、「肉眼で物を見るのではなく、理解力で物の本質を観なさい!」と言う意味だったのです。
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魂の望みは・・、
では、どうして魂は、それを望むのでしょうか?
神は、姿形がありませんので、五感にかかりません。また、神は、総合されたものですから、何の性質もありません。しかし、神は、全能です。万能です。完全です。途轍もない能力を持っています。無限の発展性と可能性と創造性を秘めています。私たちは、その神から出てきた魂ですから、同じ能力を秘めているのです。その能力は、魂の成長に比例して出てくるのです。
魂が1から14を望むのは、そこに向かえば、神に近づけることを知っているからです。自我人間が望んでいるモノは、魂の望みと逆行するものなのです。それでは、神に近づくどころか、遠ざかってしまうのです。どうか、魂が望んでいる方向へ進んでください。そうすれば、ドンドン魂が大きくなります。
魂を大きくすることが、求道者の旅の目的です。神が望んでいるのは、唯一 魂を大きくすることなのです。
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ここで復習しましょう。
神は、この表現宇宙を創るに当たり、自分の意識核を無限に放出しました。無限に放出した意識核は、いつか、必ず、元の核に戻さねばなりません。でも、それを、神、自らが行うとなれば、大変な労力と時間が必要になります。そこで、神は、労力と時間を省くために、一つひとつの意識核の中に、自動的に集まる仕組みを組み込んだのです。人類が、今、原子核を集めているのは、その仕組みの働きによるものです。しかし、人類が、どんなに一生懸命集めても、無限の核を集めることは、永久にできません。当然です。無限のモノは、集められないからです。人類が、どんなに核を集めても集め切れないのは、無限宇宙の中に、核が無限に存在するからです。でも、その集め切れない無限の核を、人類は集めて行かねばならないのです。苦しそうに見えますが、楽しいことなのです。なぜなら、「集めた分のご褒美が頂けるからです。集めた分のご褒美とは、「幸せ」のことです。」
確かに、意識核を集める旅は、終着駅のない永遠の旅です。でも、自覚の境界線を超えた魂は、それを承知で永遠の旅を続けているのです。それは、無限に存在する核が、宇宙を永遠に存続させていることを知っているからです。私たちが、「永遠に尽きない、永遠に色褪せない」幸せが頂けるのも、宇宙が無限であり、意識核が無限だからです。宇宙とは・・魂とは・・そういう存在なのです。
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