瞑想は、難しいものではありません。ただ、想えば良いだけです。想うことが瞑想なのです。難しいことがあるとすれば、想い続けられるかどうかだけです。この節では、人類が、これまで、行ってきた、瞑想の誤りを正し、瞑想を原点に戻したいと思います。
人生の目的は、魂を大きくすること、そして、自覚の境界線を超えることです。そのためには、どうしても、瞑想が必要なのです。
瞑想は、科学なのです。なぜなら、「原因と結果の法則」を利用しているからです。「原因と結果の法則」を利用するのは、誰でもない、自分です。そこには、自分が入っています。自分の力で成し遂げるのが科学なのです。神が、自分の想念を使って、宇宙を創ったように、私たちも、自分の想念を使って、瞑想すれば、目的を果たすことができるのです。その証に、あなたは、自分の想念を使って、人生を作ってきたではありませんか? 学校に入ったのも、そう・・会社に就職したのも、そう・・結婚したのも、そう・・すべて自分の想念を使って実現させたのです。そんな実績があるのですから、瞑想すれば、間違いなく、実現するのです。これは、神を、信じる、信じないに関係なく、やれば、誰でもできる、当たり前のことなのです。
殆どの人は、瞑想で、人生を作っていることを知りません。それは、想っていることが瞑想だと知らないからです。瞑想とは、想うことなのです。あなたは、人生を想いで作ってきたのです。
さあ、想念で人生を作ってきたように、想念で瞑想し魂を大きくしましょう。
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今、地球人類は、「人間の夢」を見ている真っ最中です。人間と言う夢を見ている限り、永遠に、人間として生き続けねばなりません。これでは、苦しみから、永遠に、抜け出すことができないのです。この人間の夢から目覚めるためには、覚醒させる瞑想が、どうしても必要なのです。
瞑想は、目覚まし時計のようなものです。神は、一日も早く、目覚めさせたくて、私たちに、瞑想と言う、目覚まし時計を与えてくれたのです。でも、私たちは、ベルが鳴っても、なかなか目覚めようとしないのです。それは、あまりにも深い眠りに陥っているためです。しかし、どんなに深い眠りに陥っていても、ベルが、うるさく鳴り続ければ、必ず、目覚める時がきます。「瞑想は技術より続けることが大切である」と言われるのは、続けなければ、せっかく目覚めかけたのに、また、深い眠りに陥ってしまうからです。
瞑想は、目覚めの切り札です。瞑想は、どんな宇宙においても、どんな階層の世界においても、行われているのです。それは、瞑想、以外、目覚めさせることができないからです。どうか、瞑想の大切さを知ってください。
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なぜ、瞑想をすると原子核が増えるのかと言いますと、「想念は実現の力」だからです。私たちの想念は、どんな波動にも、少なからず干渉できるのです。ただ、あまりにも波動が違いすぎると、干渉効果が弱くなるため、実現化されないで終わってしまう場合があるのです。でも、想えば、時間はかかっても、間違いなく、実現します。
神は、私たちに無駄なことをさせません。どんな想いも、蟻の一穴です。思い続ければ、岩をも崩します。だから、想念は、実現の母とか、実現の力とか、言われるのです。人の出した想念も、自分に影響を与えますが、自分の出した想念は、100%自分に影響を与えるのです。事実、私たちは、自分の想念で、病気や、事故や、自然災害までも、作っているではありませんか。その想念を使って、瞑想するのですから、原子核が増えないはずがないのです。
瞑想すると原子核が増えるもう一つの理由は、想念は、「退ける力」や「呼び寄せる力」を持っているからです。想念は、呼子のようなものなのです。その呼子を使えば、宇宙に遍満している、神の意識核が集まってくるのです。それも、弱く想えば少なく、強く想えば多く集まってくるのです。何一つ、難しい技術はいりません。ただ、想えば良いだけです。
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瞑想は、「原因と結果の法則」を利用した科学です。それは、「想いの力」を使ってやるのです。やるのは、想念を持った自分自身です。そこには、必ず、自分が入っています。だから、瞑想は、科学なのです。自分抜きの科学はありません。自分が自分の想念を使って原因を作り、自分が結果を受け取るのです。原因を作れば、必ず、結果が得られるのが、法則であり、科学だからです。
想ったことを「やった」わけですから、これは、実践です。「やれば」、必ず、結果がついてくるのが、原因と結果の法則ですから、瞑想すれば、必ず、実現するのです。変わらない瞑想は、嘘です。何かが、どこかが、間違っているのです。
もしかしたら、
真剣にやっていないのかも知れません。
想いを分散させているのかも知れません。
時間が短いのかも知れません。
でも、どんなやり方であっても、それなりの原因を作っているわけですから、それなりの結果は得られるのです。その意味では、どんな瞑想も無駄になってないと言うことです。さあ!、やれば、必ず、結果が得られることを信じ、瞑想を続けましょう。良いのです。バタバタ泳ぎで・・・バタバタ泳いでいれば、いつか、必ず、泳げるようになるのですから・・・。
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原子核を大きくする方法が、三つあります。
一つ目の社会体験は、家庭生活の中で、学校生活の中で、会社勤めの中で、すでに、皆さんは、やっております。
二つ目の瞑想は、神(マントラ)を想うことです。想うことが瞑想なのです。
三つ目の思索は、疑問を自問自答する作業です。これは、原子核が増えれば、自然と自分から教わります。
この原子核を増やす三つの方法は、すべて自分頼りです。誰も手伝ってくれません。それだけに、熱意と、真剣さと、努力が、必要です。自分は、どれほどの熱意と真剣さを持って真理を求めているか? どれほど、努力しているか? 一度、自分に問うてみてください。揺るぎない気持ちで求めれば、必ず、結果は得られます。やれば、成るは、宇宙の法則「原因と結果の法則」です。法則を信じ、やってください。
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この宇宙には、神の意識核が無限に遍満しております。その意識核を集めるのが、人生の目的です。方法は、三つあります。
1つは、肉体を維持するために必要なやるべきことを、真心を込めてやることです。つまり、家庭でやるべきこと、学校でやるべきこと、社会でやるべきことを、真心を込めてやることです。それも、厭なことが来ても逃げないでやることです。勿論、わざわざ厭なことを貰いに行く必要はありません。来たら、逃げないでやることです。魂は、厭なことをすればするほど、大きくなるようになっているからです。
2つは、瞑想をすることです。つまり、神(マントラ)を想うことです。難しい技術はいりません。「ただ、自分のマントラを(神・生命・光・大霊・無限など)を想い続けるだけです。」それは、歩いていても、電車に乗っていても、風呂に入っていてもできます。考えない仕事なら、仕事しながらでもできます。家庭の主婦なら、掃除している時も、料理している時もできます。勿論、座って集中してやれたら最高です。
3つは、思索をすることです。この思索は、魂が大きくなるに従い、自分から教わります。それまでは、疑問に思ったことを自分の心に問いかけることだけしておいてください。
1も、2も、3も、難しい理論や技術などいりません。ただ、素直にやること、それも、無欲でやることです。無欲の純度が、高ければ、高いほど、天に繋がります。一番大切なのは、続けることです。
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瞑想の「瞑」の右辺の「冥」は、見えないと言う意味です。ですから、見えないモノを「想う」ことが瞑想になります。
私の恩師である知花先生は、「想っている通りのモノで、それ以上でも、以下でもない!」と、おっしゃって、おられましたが、正に、その通りで、見えないモノを想えば、見えないモノが実現し、見える物を想えば、見える物が実現するのです。つまり、人間と想えば、人間になり、神と想えば、神になるのです。なるのではなく、元々、人間は、神ですから、神に戻るだけです。何かして、神になるのではなく、今、そのままにして、神なのです。それは、私たちの意識そのものが、神意識だからです。ただ、そう思えないから、神に戻れないだけです。それは、気の遠くなる年月、人間と誤解して生きてきたからです。その誤解を解くには、どうしても、瞑想が必要なのです。
瞑想とは、誤解を解く作業のことなのです。つまり、人間意識を神意識に戻す作業が瞑想なのです。どうか、瞑想し、神の自覚を深めてください。やれば、必ず、誤解が解けます。
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想念を分散させていては、凹レンズで太陽の光を分散させているようなものですから、火が付きません。想念を一箇所に集めれば、凸レンズで太陽の光を集めた状態になるので、火が付くのです。火が付くと言う意味は、原子核が増えると言う意味です。
瞑想は、特別なことのように思いますが、一般人も、毎日、やっているありふれたことなのです。ただし、一般人の瞑想は、「この世のことを想い、この世のことを実現させている」のですから、あまり意味がありません。対して、皆さんの瞑想は、「神を想い、原子核を増やしている」のですから、大いに意味があるのです。幻を、どんなに実現させても無くなってしまいますが、増やした原子核は、永遠に無くならないのです。このように、一般人の瞑想と学びの友の瞑想は、天と地の開きがあるのです。
何度も言うように、瞑想には、何の秘訣もありません。また、何の技術もいりません。ただ、「神を想う」だけです。ただし、想うことは、単純でも、想い続けることが難しいのです。なぜなら、思い続けるには、根気がいるからです。根気の「根」は「源」と言う意味で、根気の「気」は「エネルギー」と言う意味ですが、エネルギーの源につながるためには、集中力が必要なので大変なのです。でも、原因を作れば、結果が得られる(原子核が増える)ようになっているのですから、瞑想の仕組みは、実に、うまくできているのです。
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マントラとは、何でしょうか? マントラとは、神の側面を含み持った言葉のことです。例えば、「命・光・エネルギー・愛・無限・永遠・1・○・善・本質」なども、神の側面を持った言葉です。神の側面は、無限にありますから、マントラは、無限にあることになります。マントラは、神の自覚を深めるための誘導語なのです。誘導語ですから、できるだけ、神の深みを持ったマントラを選んでください。できたら、あなたの得意とするマントラを一つ作ってください。
断っておきますが、マントラが原子核を増やしてくれるのではありません。マントラの中に込められた思いの深味が、原子核を増やしてくれるのです。よく、マントラを「真言」として使う宗教がありますが、マントラそのものには、何の力も、神秘も、ありません。真言と言う文字に騙されないでください。
マントラは、誘導語ですから、呼び水のようなものなのです。井戸の底にある水(神)を、呼び水を入れて引き上げようと言うわけです。ですから、マントラの中に、どれほど神の深みを持たせられるかが勝負です。その意味では、「神の深みを持った抽象語ならどんな言葉でもマントラになるのです。」すべてを神だと想えるようになった人は、「これ」でも、「それ」でも、「あれ」でも、マントラとして使えるのです。「私」が神だと想えるようになった人は、「私」をマントラとして使って良いのです。
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瞑想で一番大切なのは、波動を高めることです。高めるためには、誘導語として、どうしても、波動の高い言葉・・つまり、マントラが必要なのです。波動の高い言葉は、抽象的な言葉です。抽象的な言葉は、具体性がないため、意識が拡大しやすいので波動が高まるのです。霊も・・生命も・・法則も・・愛も・・本質も・・一も・・○も・・光も・・エネルギーも・・波動の高い抽象的な言葉です。他にも抽象的な言葉は沢山ありますが、すべて、マントラとして使えます。ただし、マントラの中に神の側面を含め持たせなくては意味がありません。
例えば、「本質」をマントラとして使ったとしましょう。その場合、「吾は本質なり!」のマントラの中に神の側面が入っていなくてはならないのです。それも、強く入っていれば、入っているほど、神の自覚が高まるのです。本質は、具体性の無い抽象的な言葉ですが、どんなモノも、本質で出来ていると言う理解力を持ち、その本質は、神であると思えれば、神の自覚が高まるのです。人間も、神の本質で出来ておりますから、人間と言う名前も、マントラとして使えます。でも、人間と言う名は、私たちの意識の中に、すでに、肉体(物質)としての概念が出来上がっていますから、マントラとして使うには、弱いのです。しかし、心の底で「人間は神である!」と思えるようになった人なら、人間の名も、マントラとして使えるのです。思いの中身が大切なのです。ですから、どんなモノも、神の化身だと、心の底で思えるようになったら、もう、マントラはいりません。無言の想いが、マントラになるからです。つまり、「吾・・・なり!」で良くなるのです。
なぜ、抽象的言葉がマントラとして使えるか、理由が分かったと思います。どうか、瞑想に、意識の拡大しやすい抽象的な言葉を使ってください。
マントラを想うことは、
歩いていても出来ます。
料理をしながらでも出来ます。
電車に乗っていても出来ます。
車を運転していても出来ます。
風呂に入っていても出来ます。
マントラを想えば、心が落ち着きます。心が穏やかになります。気持ちが明るくなります。どうか、あなたの得意とする、マントラを想い続けてください。必ず、変化が起きます。
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瞑想は、ご利益を得るためにやるのではありません。原子核を増やすためにやるのです。でも、何も手応えがなくては、力が入らないでしょうから、瞑想の効果について述べたいと思います。
他にも、色々な効果が得られますが、余り、囚われてはなりません。変化を気にせず、純粋な動機を持って瞑想してください。純粋な動機とは、何も要求しない瞑想です。瞑想したいからするのです。神を思いたいから想うのです。
難しい技術はいりません。ただ、ただ、幼子のように、素直に神を想うことです。神のみを想い、神のみを考え、神のみを意識することです。
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私たちは、常に、動く想念を持っています。一見、厄介な想念だと思うかも知れませんが、想念が動くから、瞑想に価値が生まれるのです。想念が動かなかったら、集中できるでしょうが、それでは、原子核が増えないのです。動く想念を一箇所に集める想いの強さと多さが、原子核を増やすわけですから、想念は動いて良いのです。
瞑想は、「動」と「静」の組み合わせによって成り立っているのです。瞑想している時は、想念は「動」で、体は「静」でなくてはなりません。つまり、想念が一箇所に動いて集まっている状態が、瞑想なのです。想念が一箇所に動いて集まれば、体の方は、静かになります。瞑想する時、「背中の奥の奥に意識を持ってゆきなさい!」と言うのは、意識を体から離せば、体は、「静」になるからです。体が静になれば、想念を一箇所に集中させやすくなるのです。
反対に運動している時は、体は「動」で、想念は「静」でなくてはなりません。想念が動いていては、鍛錬し、体に刻み込んだ技が、正しく発揮されないからです。
このように、瞑想は、想念の「動」と肉体の「静」の組み合わせによって成り立っているのです。
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過去のことを、懐かしがったり、悔やんだり、未来のことを、憂いたり、心配したりしていては、今の大切な時間を無駄にしてしまいます。お金の無駄遣いは、一時の損ですが、時間の無駄遣いは、永遠の損なのです。時間は、宝です。その時間を使えるのは、あなたの想いです。あなたの想いだけが、時間を使って創造できるのです。では、何を想い、何を創造するのでしょうか? それは、実際に有るものを想い、実際に有るものを創造するのです。つまり、神を想い、神を創造するのです。
想うことが瞑想なのです。想っている時は、永遠に無くならない原子核を創造しているのです。その想いは、いつでも、どこでも、自由に使えます。誰に邪魔されることもありません。すべて、あなたの意思次第です。
この世のことを想う時は、躊躇してください。でも、神を想う時は、躊躇しないでください。「今、神を想おう!」と思った時が、瞑想の最良の時なのです。今、神を想えば、雪だるま式に原子核が増えます。思って増えた原子核は、決して減りません。増える一方です。さあ、今の一時を有効に使って、神を想いましょう。それも、多く、強く、集中して想いましょう。
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私たちの想念は、常に、アチラ、コチラに飛んでいます。その状態は、エネルギーが分散している状態なのです。分散しているエネルギーは、実現力が弱いのです。でも、数多く想えば、実現しやすくなるので、数多く想うことは、大切なのです。私たちは、今日まで、その想念を使って人生を作ってきたのです。その仕組みを、瞑想に利用しようと言うわけです。瞑想は、分散している想いを一つに纏める作業なのです。一つに纏めれば、エネルギーが強くなるので原子核が増えるのです。
私たちは、今日まで、想念を使って欲しい物を手に入れてきたのです。お金も、欲しいと想い手に入れました。車も、欲しいと想い手に入れました。家も、欲しいと想い手に入れました。欲しいと想わないで手に入れたモノは、一つもありません。ならば、神を欲しいと想えば、神だって手に入れられるはずです。
想念を「多く使って、実現力を高め」、想念を「強く使って、実現力を高め」ましょう! それが、瞑想のコツです。さあ、神を欲してください。神を想ってください。間違いなく、原子核を増やすことが出来ます。
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近年、家に閉じこもっている人が多くなっているようですが、これでは、体も、心も、弱くなってしまいます。健康な人は、良く、体を動かします。不健康な人は、あまり、体を動かしません。体を動かせば、想念も動くので、健康になるばかりではなく、原子核も増えるのです。
いつも思うことですが、子供は、どうして、忙しく動くのでしょうか? アリさんも、どうして、忙しく動くのでしょうか? 私は、止まっているアリさんを、見たことがありません。子供やアリさんに限らず、どんな生き物も、みな、動いています。彼らは、動けば、原子核が増えることを、本能的に知っているからです。
では、なぜ、体を動かせば、原子核が増えるのでしょうか?
それは、
体を動かせば、想念が動きます。
想念が動けば、エネルギーが動きます。
エネルギーが動けば、原子核が増えるのです。
神の意識核は、エネルギーそのものなのです。
アスリートは、沢山、体を動かしていますので、沢山、原子核を増やしているのです。学びの友の皆さんは、過去世で、沢山、スポーツをやり、原子核を増やしてきた魂なのです。
私たちの体は、少々、乱暴に使っても壊れないように出来ています。これは、「沢山、体を動かし、原子核を増やしなさい!」と言う神様のご配慮なのです。その意味では、家に閉じこもって、何もしない人は、神に逆らっていることになるでしょう。さあ! 神様の配慮に報いるためにも、大いに、体を動かし、原子核を増やしましょう!
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学びの友の皆さんは、もう少しで、自覚の境界線を超えられる所まで来た、優秀な魂です。
自覚の境界線を超えれば、
「私は、神である!」
「宇宙である!」
「意識である!」
と、心の底で思えるようになるのです。でも、この意識状態は、当人だけが味わう特別な意識状態ですから、誰にも解ってもらうことはできません。勿論、言葉や文字で伝えることもできません。何せ、「自覚」と言う言葉の意味さえ伝えられないのですから・・・。
「自覚」という文字の意味は、「自」らに「覚」める、つまり、「神の自分」に目覚めると言う意味ですが、これは、言葉上の意味で、目覚めた意識状態は、本人しか解らないのです。食べた味は、食べた本人にしか解らないように、自覚の味も、本人しか解らないのです。ですから、本人だけが頂けるご褒美です。このご褒美を貰うためには、魂(原子核・生命核)を大きくするしかないのです。それも、自分でやるしかないのです。
原子核が大きくなれば、「私は、神であった!」、「魂であった!」、「 生命であった!」、「意識であった!」と、自動的に思えるようになるのです。それまでは、よだれを垂らして待つしかないでしょう。
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自覚とは、心の底で、「私は神である!」「宇宙である!」「意識である!」と、想えた状態です。この自覚の味わいは、「これが最後だ!」と言った終わりのある味わいでは無いのです。味わったその先に、新たな味わいが待っているのです。つまり、自覚した先に、更なる、深い自覚が待っているのです。
100の原子核の量には、100の自覚の深味が・・
1,000の原子核の量には、1,000の自覚の深味が・・
10,000の原子核の量には、10,000の自覚の深味が・・
今の私の「自覚の深味」は、今の私の原子核の量に応じた深味です。この自覚の深味は、原子核が増えればドンドンと増すのです。それは、神が無限だからです。宇宙が無限だからです。ですから、私たちは、原子核(魂)を大きくする旅を永遠に続けるしかないのです。
確かに、厳しい旅ですが、決して、苦しい旅ではありません。いや、むしろ喜び多い旅です。なぜなら、「自覚が深まった分、幸せというご褒美が頂けるからです。」
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自問自答は、一長一短に出来ない難しさがあります。でも、原子核が増えてくれば、自然と出来るようになります。それまでは、疑問が湧いてきた時だけ、自分に問うてみてください。そのコツを、お伝えしましょう。
真実は、外側(表現世界)にあるのではなく、内側(意識の世界・自分の心の中)にあります。ですから、自分の心に疑問を投げかければ、自分の中から答えが返ってきます。
ただし、次のような質問は避けてください。
・突飛でもない質問をしないことです。
・興味本位の質問をしないことです。
・今の自分に本当に必要な質問だけすることです。
そうすれば、一服して、寛いでいる時とか、お風呂に入って、ゆったりとしている時とか、朝、起きがけのボーッとしている時に、ひらめきとして返ってきます。でも、最初は、その、ひらめきが、自我からきたものか、神我からかきたものか、見分けがつかないかも知れません。でも、諦めず、やり続けてください。段々と見分けが付くようになります。何でもそうですが、体験なしに身に付くことはありません。ぜひ、挑戦してみてください。
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