「逆も真なり、真も逆なり・・・」これは、真理です。それは、真・善・美を枕とする宇宙において、完全以外無いからです。完全の中には、悪も、不善も、不完全もないのです。ゆえに、すべて善しです。すべて善しと言うことは、逆も、真理と言うことです。
宇宙は、掴みどころが無いのです。掴んだと思っても、スルリと抜けてゆくのが宇宙なのです。それは、宇宙が無限だからです。無限には「限」界が「無」いのです。限界が無いということは、頭打ちが無いということです。頭打ちの無いものは、掴みようが無いのです。
2014.12.21
多は一の表現であり、一は多の本源です。
形は意識の表現であり、意識は形の本源です。
影は光の表現であり、光は影の本源です。
人間は神の表現であり、神は人間の本源です。
ゆえに、すべてのモノは、
多なるものでありながら一なるものであり、一なるものでありながら多なるものであり、
形あるものでありながら意識なるものであり、意識なるものでありながら形あるものであり、
影なるものでありながら光なるものであり、光なるものでありながら影なるものであり、
人間なるものでありながら神なるものであり、神なるものでありながら人間なるものなのであります。
2014.12.28
私たちは、いつでも天使になれるし、いつでも悪魔になれるのです。それは、何でも作れる想念力と、何でも想える自由意思を持っているからです。私たちは、意識そのもの、想念そのものなのです。意識そのもの、想念そのもの、ゆえに、私たちは、自由自在なる存在なのです。その意識を使って、その想念を使って、自分を不自由な存在にしないでください。
2015.01.04
苦しみは、すべからく、自分を肉体人間と思うところから生じております。自分を生命だと思えたら、すべての、不幸、災難、苦しみ、から逃れられるというのに、今の地球人類には、それが分からないのです。それは、肉体を自分だと思って、本質を自分だと思っていないからです。本当の私たちは、本質そのものなのです。生命は、すべての本質ですから、私たちは、生命であるということです。
どんな形も、本質がなくては存在できないのです。その本質が、生きて、働いているのです。形は、生きることも、働くこともできないのです。それは、影だからです。実際に無いものだからです。
2015.01.11
「この宇宙に一なるものしか存在してない!」という真理は、いかなるものも崩せない絶対真理であります。ならば、あなたは、その一なるものではないでしょうか? なぜなら、あなたは、今、現に存在しているからです。その一なるものを神と呼ぶなら、あなたは、正しく神ではないでしょうか? 一は神なのです。神は一なのです。ならば、あなたが神なのは、当然ではありませんか? 一なるものしか存在しないと言う意味は、あなたしか存在しないという意味なのです。
2015.01.18
宇宙の中心は自分。ドラマの主人公は自分。原因の発芽は自分。全ては、自分中心であります。お釈迦様が言われた「天上天下唯我独存(尊)」の本当の意味は、天上天下(宇宙)において、唯一自分が「尊」い存在者であるという意味ではなく、天上天下(宇宙)において、唯一自分しか「存」在しないという意味なのです。今の仏教は、誤った文字を使い、誤った解釈をしているのです。どうか、誤解のないようにしてください。
有限宇宙においては、中心点は一つしかありません。でも無限宇宙においては、中心点は無限に存在します。ですから、私たちは、誰でも宇宙の中心点に立てるのです。ゆえに、自分は宇宙の中心なのであります。
2015.01.25
表であるためには、まず、裏でなくてはならない。裏であるためには、表でなくてはならない。なぜなら、表は裏なしには表になれないし、裏は表なしには裏になれないからです。
すなわち、人間であるためには、まず、神でなくてはならない。神であるためには、人間でなくてはならない。人間は神なしに人間になれないし、神は人間なしに神になれないからです。ゆえに、人間である私は神であるし、神である私は人間なのであります。それは、表と裏は一つだからです。つまり、人間と神は一つだからです。一つに境目がないから、そう言えるのです。
2015.02.01
この宇宙で神とコンタクトの取れるのは、唯一自分しかおりません。なぜなら、この宇宙には自分の外、誰もいないからです。自分とは、神が「自」らを「分」けたのです。自分が自分とコンタクトを取るのです。神が神とコンタクトを取るのです。それが瞑想なのであります。
神とコンタクトが取れるのは、唯一人間しかいないのです。なぜなら、人間だけが瞑想できるからです。鉱物や植物や動物は、瞑想ができないのです。彼らは、想念を持っていないからです。人間は想念を持っているのです。ゆえに、人間だけが神とコンタクトが取れるのです。
2015.02.08
なぜ、自分を無くすことができないのでしょうか? それは、自分の意識を無くすことができないからです。では、なぜ、自分の意識を無くすことができないのでしょうか?
それは、自分の意識の発露となっている、原因者の意識を意識できないからです。自分が意識できない意識を、どうして無くすことができましょうか?
私たちが、永久に神を求め続けねばならないのは、原因者の意識を永久に意識することができないからです。つまり、私の意識を永久に意識することができないからです。
私、私、私・・・・と、私の意識を追いかけてみてください。どこまで追いかけても意識の本源を意識できないはずです。それは、私の意識が、原因なき原因者だからであります。
2015.02.15
理解できなくては、目の前に何があっても見えないのです。理解できれば目の前に何もなくても観えるのです。
神は、私たちの目の前に存在します。でも、理解できない者には存在していないのです。この宇宙は、理解力の高さに比例して観えるようになっているのです。だから、誰もが同じ宇宙を観ているわけではないのです。論争してはならないのは、そのためです。真理も同じです。真理も理解力の高さに比例して観えるのです。これが真理の奥深いところであり、難解なところなのであります。
2015.02.22
「想念は、実現の鍵です。」人の幸・不幸は、すべて想念が鍵を握っております。その想念を、あなたは持っているのです。だから、想念の使い方が問われるのです。この世の何を知らなくても、このことだけは知って欲しいと思います。
人生は、すべて想念次第なのです。それは、何を想うか・・・だけなのです。
2015.03.01
他人が自分を傷付けることは絶対できません。また、自分も他人を傷付けることはできません。なぜなら、他人は、実在しないからです。自分を傷付けることができるのは、唯一、実在する自分の想念だけです。ゆえに、自分の想念の管理が重要になってくるのです。
あなたは、普段、何を思っていますか? 良いことを思っていますか? 悪いことを思っていますか? 良く考えてみてください。もし、苦しい人生を送っているなら、それは悪い想念を使っているからです。あなたの想念は、自分を不幸にすることもできるし、幸せにもしてくれるのです。
2015.03.08
すべては我が意識の中にあり、我が意識はすべての中にあり、ゆえに、我が意識が無くては、何も存在しないのです。何かが存在していること自体、我が意識の存在を証明しているのです。それは、我が意識しか無いからです。
意識は、宇宙に一つしかありません。一つしか無い意識なら、今、意識を持っているあなたは、その一つの意識ではありませんか? こんな凄いことを、誰も凄いと思っていないのです。どうか、自分の意識の凄さを知ってください。
2015.03.15
人生で最悪なのは、何もしないことです。人生で最良なのは、何にでも挑戦することです。「動く」ことによる利点に底がないのです。動くことで何でも生まれ、動くことでドンドン成長し、動くことで進化できるのです。動けば、必ず、原子核が増えるのです。どうか、動いてください。動く者と動かない者の差は、いずれ、魂の大きさの差として、はっきり分かる時がくるでしょう。
原子も動いています。
空気も動いています。
水も動いています。
土も動いています。
どんな生き物も動いています。
動いていないモノなど存在していません。それは、動けば成長できることを本能的に知っているからです。動くのが嫌だからと言って何もしない人は、いずれ、大泣きすることでしょう。
2015.03.22
この宇宙が無限なのは、絶対真理です。ということは、この宇宙に一つのモノしか無いことになるでしょう。もし、二つも三つも何かがあるなら、宇宙は有限になり、無限であるという絶対真理は崩れてしまうからです。ならば、この宇宙には、私しか存在しないことにならないでしょうか? なぜなら、私は、今、現に、存在しているからです。
2015.03.29
カルマを無くそうと苦労している人がいますが、カルマは放っておいたら消えて無くなるのですから、あえて、無くす必要はないのです。大切なのは、カルマを無くすことではなく、新しいカルマを作らないことです。そのためには、常に、良い思いを持つことです。
良い思いの一番は、神(生命)を想うことです。神を想っている時は、悪いことは思えません。悪いことを思わなければ、カルマは作られません。こんな凄いことを、未だ、人類は、知ってないのです。だから、人類は、苦しみに喘いでいるのです。
2015.04.05
今、現実と真実の間で苦しんでいる人がおります。つまり、真実を得たいが、この世のことも捨てきれない!、という人が・・・。このような人は、良く考えて欲しいと思います。一体、自分は何のために生まれてきたのか?と・・・。
この世の、何を知っても、何を掴んでも、何を得ても、みな、消えて無くなる幻です。でも、真実は、永遠に無くならないのです。消えて無くなるものを追い求めるのか、永遠になくならないものを追い求めるのかは、賢いあなたなら分かるはずです。
さあ、人生の目的は何なのか? 思い出してください。
2015.04.12
この宇宙の最も厳格なところは、何事も原因と結果の法則に基づいて処断される点です。良い原因を作れば幸せが・・・悪い原因を作れば不幸せが・・・。そこに、一切、情け容赦はありません。しかし、神は、一つだけ温情を示されました。それは、心から反省し「二度と過ちを犯さない!」と堅く心に誓ったとき、許される温情です。もし、その温情がなかったら、今、私たちは地球に存在していないでしょう。
2015.04.19
宇宙は、理解力によって進展してゆくよう創られています。つまり、理解力が乏しかったら醜い世界が現れ(見え)、理解力が豊かだったら美しい世界が現れ(見え)るというわけです。今、地球人類の眼前に美しい世界が存在しますが、理解力が乏しいために、それが見えていないのです。
理解力に相応した世界が現れる、この宇宙の仕組みの素晴らしさを知ってください。そうすれば、いかに理解力を高めることが大切か、分かって頂けると思います。
2015.04.26
何が生きているのでしょうか?
形でしょうか・・・?
意識(生命)でしょうか・・・?
形が生きることはありません。意識(生命)が生きているのです。なぜなら、形は消えて無くなりますが、意識は永遠に無くなることがないからです。あなたは、消えて無くなるカゲロウや蜃気楼を、生きているというのですか?
あなたの肉体が無くなっても、意識は永遠に無くなることはないのです。どうか、思い違いしないでください。
2015.05.03
※ 後戻りできない私たち
もし、サタンに惑わされ心が折れそうになったら、光のメロディー集「私は負けない!」を見てください。私たちはもう、後戻りできないのですから・・・。
この道を疑るということは、最初に、この道を選んだ自分の眼力を疑るということです。自分を信じないで、一体、あなたは何を信じるというのですか?
巧妙なサタンの手口に気付いてください! あなたの思いのように見せかける、サタンの思いに気付いてください!
2015.05.10
現実と真実の間で苦しんでいる学びの友人がおります。でも、その苦しみは、熟した魂の勲章だと思ったらいいでしょう。ご覧なさい、現実(幻)に生きている人の何と多いことか・・・。彼らは、すぐに消える虚しい宝物を集めているのですよ。それに比べ、永遠の宝物を追い求めている、あなたは、何と幸せなことか・・・。
あなたの追い求めている宝物は、この世の宝物の無限倍の価値があるのですよ。無限倍ですよ。しかも、この宝物を手にしたら、あなたは、永遠に苦しみに晒されないですむのです。それほど、今、あなたが追い求めている宝物は、価値があるのです。だから、私は言うのです。”あなたは幸せ者ですよ!” と・・・。確かに、今は苦しいかもしれません。でも、そんな苦しみに負けないで、永遠の宝物を追い求めましょう。その宝物を手に入れた時、あなたは、「ああ、私は、やっていて良かった!」と感嘆の声を上げることでしょう。
2015.05.17
騙されたと思って神を想い続けてください! 間違いなく神に近づくことを、私は保証します。なぜなら、神を想っている時は、悪いことを想えないからです。悪いことを想わなければ、良い環境が与えられますから、なおいっそう神を想うことができるでしょう。そうなれば、雪だるま式に原子核が増えますので、急ピッチで神に近づくことができるのです。偉大なことを成し遂げるには、それ相応の苦しみが伴うものです。楽して宝物を得た人など一人もいないのです。何事も辛抱が必要です。特に真理の探求には、根気が必要なのです。
どうか、騙されたと思って神を想い続けてください。きっと感謝できる時がやって来ます。
2015.05.24
理解力は意識して高められるものではありません。でも、原子核(魂)は、意識して大きくすることができます。社会体験によって・・・、瞑想によって・・・、思索によって・・・。
原子核を大きくすれば自然と理解力が高められますから、ますます原子核が大きくなるのです。意識して原子核を大きくすることが先か? 理解力を高めるのが先か? もうお解りでしょう。まずは原子核を大きくすることです。原子核を大きくすれば、理解力も高められ、かつ自分の欠点も自然と無くなるのですから、これは一挙両得なのです。
神は、簡単に理解力をつける方法を用意してくれているのです。それは、原子核を増やせば良いだけです。ただ、私たちが、難しくしているだけです。このことを知ってください。
2015.05.31
この宇宙は、完全な神の意識によって創られ、完全な神の意識によって差配されています。それゆえに、この宇宙に、不幸・災難・病気という不完全なものは存在しないのです。今、地球に様々な悪しきことが起きているのは、人類のネガティブな想念が作った不幸で、神が作った不幸ではないのです。
皆さんは、地球で起きている不幸を他人事のように言っていますが、皆さんの悪しき想念が加担して起きているのですよ。皆さんは、いつも何を思っていますか? 良いことを思っていますか? 悪いことを思っていますか? 殆どの人が、ネガティブなことを思っているのではありませんか。これでは、地球は、たまったものではありません。どうか、自分の不幸を、社会の不幸を、地球の不幸を人のせいにしないでください。もし、人類が良い想念を持つようになったら、地球は、そく、理想の世界になるでしょう。
人類が健全な想いを持つようになったら、地球に不幸災難など起きようが無い!ということに気付いてください。
2015.06.07
こうして、少しずつ、幸せの殿堂が築かれてゆくのです。
幸せは、誰かが与えてくれるのではありません。自分が自分に与えるのです。
2015.06.14
偽りのあなたは偽りしか語れず、真実のあなたは真実しか語れないのです。では、どうすれば、真実が語れるようになるでしょうか?
それは、自分が真実だと自覚することです。あなたは、もともと真実なる者なのです。ただ、今は誤解してニセモノだと思っているだけです。真実なる者だから、誤解が解ければ真実なる者に変われるのです。地が石なら、どんなに泥を取ってもダイヤモンドに変われません。地がダイヤモンドだから、泥を落とせばダイヤモンドに変われるのです。地が神だから、人間の泥を落とせば神に変われるのです。変わったら、自然と真実を語るようになるのです。
私がそうなのです。私は、ただ、瞑想によって人間の泥を落としただけです。人間を神にしたわけではないのです。神に戻っただけです。それは、もともと神だったからです。皆さんも、今、そのままで神なのです。これから神になるのではないのです。「もともと神だから神に戻れる」、と言う私の言葉を信じてください。
2015.06.21
自分が、真理(神)そのものであると知った者は、もう、外側に真理(神)を探し歩くことはないでしょう。しかし、知らない者は、知るまで、外側に真理(神)を探し歩くことでしょう。
チルチルミチルは、幸せの青い鳥を探しに旅に出ましたが、どんなに探し回っても幸せの青い鳥は見つかりませんでした。ガッカリして家に帰ってきたチルチルミチルは、ふとしたことから、自分の中に幸せの青い鳥を見つけます。
この童話が示唆しているのは、「外側から真理は得られない!」ということです。幸せの青い鳥は、つまり、真理は、外にあるのではありません。自分の中にあるのです。外に真理を探している人は、チルチルミチルの話を思い起こして欲しいものです。
2015.06.28
この宇宙は、理解力によって進展してゆくようにできています。だから、理解力の乏しい者は、今以上の高い宇宙は望めないのです。では、その者は、今の宇宙のままで甘んじなければならないのでしょうか? いいえ、そんなことはありません。神は、どんな者にも進化の術を与えています。
では、その術とは?・・・、
なぜ、それほど信じることが大切かといいますと、信じなければ実践しようと思わないからです。実践しなければ原子核が増えないわけですから、自分が変わらないのです。変わらなければ、真理を追求する気持ちが涌きませんから、今のレベル止まりになってしまうのです。
実践すれば原子核が増えます。原子核が増えれば理解力が高まります、理解力が高まれば、そのレベルの宇宙が眼前に展開してきます。そうなれば、真理を疑ることはなくなりますから、ますます実践しようという気持ちになるのです。だから、私は、「信じることが大切である」というのです。
ただし、信じる前に、その真理の真偽をトコトン吟味してください。吟味して吟味して確信が得られたら、以後、一切、疑わないで信じることです。そして何よりも、信じた自分を信じることです。
2015.07.05
“いくら瞑想をしても手応えがない!”と嘆いているあなたに私はいいたい、「あなたは今、間違いなく良い原因を作っている!」ということを・・・。原因を作れば、必ず、結果はやってきます。やれば、必ず、実現するのが、宇宙の完全性なのです。これは、因果の法則からして、絶対間違いないことです。
あなたは、今日まで、自分の想念で自分の人生を作ってきました。今、その結果を得ているのです。ですから、その結果は、今日まで生きてきた、あなたの人生の総決算です。もしかしたら、赤字になっているかも知れません。あるいは、黒字になっているかも知れません。どちらにしても、その結果は、あなたの想念が生み出した成績です。でも、その成績を見て、人生行路の舵を切り直すことが出来るのです。これは、有り難いことです。
さあ、想念の偉大さを信じ、宇宙の法則の完璧さを信じ、神の完全性を信じ、想念を良く使って人生を黒字にしましょう。黒字にする一番の方法は、神を想うことです。瞑想することです。さあ、瞑想を続けましょう!
2015.07.12
あなたが、どんなに言い逃れしようと思っても、言い逃れできるものではありません。あなたが、どんなに誤魔化そうと思っても、誤魔化せるものではありません。なぜなら、あなたの胸の内(心内)を本当のあなた(良心・神)が知らないはずがないからです。誤魔化した分、良心が苦しむだけです。
苦しみたくなかったら、良心に忠実に生きましょう。どんなに課題を先送りしても、いつか、必ず、越えねばならない課題なのですから・・・。ならば、早く課題を克服した方が気楽ではありませんか?
2015.07.19
一を知るには、多を知るしか無い!
多を知るには、一を知るしか無い!
絶対を知るには、相対を知るしか無い!
相対を知るには、絶対を知るしか無い!
神を知るには、人間を知るしか無い!
人間を知るには、神を知るしか無い!
多はニセモノです。相対はニセモノです。人間はニセモノです。この宇宙は、偽物を知って、本物を知るように出来ているのです。
2015.07.26
一人ひとりが受ける結果は、一人ひとりが作る原因と寸分も違いません。投げたボールは、必ず、投げ返されるのです。良いボールを投げれば良いボールが、悪いボールを投げれば悪いボールが・・・それも、強ければ強いように、弱ければ弱いように・・・。この因果の法則から逃れる事は絶対できないのです。だから、私は、法則を知って欲しい!、信じて欲しい!、守って欲しい!、と願うのです。ボールを投げるなら、良いボールを強く投げてください。
2015.08.02
今、あなたが苦しんでいるのは、自分の意識の中に様々な悪しき情報を入れるからです。自分の意識の中に悪しき情報を入れなければ、あなたに苦しみは無いのです。それは、あなたが天上天下唯我独存(尊)の主であり、主観宇宙の主だからです。
この宇宙、に真に存在するのは、
それ以外、真に存在しているものはありません。
2015.08.09
平和は外側に作るのではありません。内側に創るのです。なぜなら、内側(原因)の想念が、外側(結果)の世界を創るからです。内と外は一つです。原因と結果は一つです。良い結果が欲しかったら、良い原因を作ることです。それは、想念を持っている当人にしかできないのです。想念は原因です。平和は結果です。
平和は外側の結果次元のモノです。想念は内側の原因次元のモノです。外側のモノは内側のモノが創るのですから、内側の想念を良くすれば何もしなくても平和は訪れるのです。それを知らないから人間は、一生懸命 外側のモノで平和を作ろうとするのです。 結果で結果は良くすることは、絶対できません。原因である想念が、結果を良くするのです。つまり、想念が平和を創るのです。
どうか、内側の想念が平和を創ることを知ってください。
2015.08.16
私たちが持っている唯一の財産は、想念です。この財産は、どんな宝物よりも価値があるのです。なぜなら、思い次第で何でも手に入れることができるからです。覚者が「人はすでに救われている!」と言うのは、この想念を良い事に使えば、みな、幸せになれるからです。しかし、残念なことに、人は、その想念を悪用し苦しんでいるのです。
幸せが欲しかったら、想念のコントロールを上手にすることです。つまり、良いことを思い、悪いことは思わないことです。良い思いの一番は、神を想うことです。神を想えば、良いことがやって来ます。それは、自分の欠点が無くなるという良いことです。さらに、過去の業が無くなるという良いことです。そして、一番良いことは、原子核が増えるという良いことです。どうか、想念を宝の持ち腐れにしないでください。
2015.08.23
※ 人間は、幸せのためにお金や物や地位や名誉を追い求めていますが、幸せは、すでに、与えられているのです。なぜなら、すでに、想念という偉大な宝物が与えられているからです。想念は、何でも生み出す力を持っているのです。良いことを想えば良いことが・・・、悪いことを想えば悪いことが・・・人間が苦しんでいるのは、この想念の使い方が下手だからです。心配している時、人を憎んでいる時、愚痴を言っている時、つまり、ネガティブなことを想っている時は、すでに、不幸を作っているのです。
なぜ、そのことが分からないのか? それは、想念が見えないからです。でも、見えなくても、間違いなく良いことも悪いことも作っているのです。事実、今、人間は、苦しんでいるではありませんか!?・・・その苦しみは、想念を悪用した結果なのです。苦しい! 苦しい! と言っている人は、自分の想念を悪用していることに気付いてください。
何が生きているのでしょうか? 形が生きているのでしょうか? 意識が生きているのでしょうか? 私たちは、形が生きていると思っていますが、形が生きることができるのでしょうか? 形は、単なる意識の乗り物ですから、形が生きることはありません。生きているのは、あくまでも、意識です。冷蔵庫が形のない電気によって働かされていることを知れば、私の言っていることが理解できるでしょう。
形は、あくまでも、見えない意識の表現媒体です。どんなモノも、見えない意識によって、生き、動き、働かされているのです。そのことが心の底で理解できたら、もう、形に(肉体に)囚われることはなくなるでしょう。
2015.08.30
井の中の蛙は、目覚めて外に飛び出しても、また、井の中の蛙です。また、目覚めて外に飛び出しても、また、井の中の蛙です。私たちは、永遠に、井の中の蛙なのです。なぜなら、宇宙には、知るべきことが無限にあるからです。でも、その井の中で体験したことは、決して無駄にはなっていないのです。それは、どんな体験も、すべて、究極の幸せの泉の中に引き継がれているからです。
宇宙の外には、絶対出られないのです。宇宙は、無限だからです。だから、無限のものを知ろうと思っても無駄骨なのです。知るのではなく、実感することです。実感すれば、もう、何も知る必要がなくなるのです。それは、幸せを掴んだからです。
2015.09.06
一なるモノが一なるモノを知ることができないのは、一なるモノの中に居ては、一なるモノが分からないからです。すなわち、自分の中に居ては自分が分からないからです。一なるモノが一なるモノを知るには、一なるモノが別モノになって知るしかないのです。だから、一なる神は人間に化身して(別モノになって)、自分を知ろうとしているのです。
その中に居ては、その中のことが分からないのは、霊太陽の中に居ては霊太陽が見られないからです。つまり、自分の中に居て自分は見られないからです。あなたは、自分を 直接 見たことありますか? 無いはずです。外に出て、はじめて自分が見られるのです。だから、私たちは、この表現世界に出てきて、絶対世界を知ろうとしているのです。つまり、人間になって、神を知ろうとしているのです。
2015.09.13
この意味を心の底で知った人は、もう、外に真理を求め歩くようなことはなくなるでしょうし、もう、外のものを何も欲しがらなくなるでしょう。なぜなら、欲しいものは何でも自分の中から得られるからです。
理解力のない人は、そのモノが、目に見え、耳に聞こえ、肌で感じられても、無いのです。理解力のある人は、そのモノが、目に見えなくても、耳に聞こえなくても、肌で感じられなくても、有るのです。この宇宙は、理解力によっていくらでも開けてくるのです。この意味の深さを、どうか知ってください。
2015.09.20
神の本性は陽ですから、明るくて積極的な人は、神に近い人なのです。反対に、暗くて消極的な人は、神に遠い人なのです。神に近い人は、積極的に原子核を増やそうとしますので成長が早いです。しかし、神に遠い人は、あまり増やそうとしないので成長が遅いのです。
私が行動的な人になって欲しいと願うのは、動けば、必ず、原子核が増えるからです。大自然を見てください。水も、空気も、鉱物も、植物も、動物も、微生物も、原子も、動いています。動いていないモノなど無いのです。それは、みな、成長したいからです。どうか、あなたも動いてください。
人生の目的は、本当の自分を知ることです。つまり、自分が神であることを知ることです。私たちは、そのために、わざわざ生まれてきたのです。なのに目的を果たさないで帰っては、無駄な人生になってしまいます。ぜひ、動いてください。積極的な人になってください。行動的な人になって神を求めてください。
2015.09.27
孫悟空が、お釈迦様の手の平から出ようと試みましたが、どんなことをしても出られなかったという話は、法則の外には、絶対出られないという比喩的な話なのです。なぜ、法則の外に出られないかと言いますと、外に出ようとすれば、五感の警報装置が働き、塗炭の苦しみが与えられるからです。
この宇宙は、原因と結果の法則で固められているのです。その牙城は、いかなるものも崩すことができないのです。もし、崩そうとすれば、痛い目に遭うのが落ちだからです。宇宙が、今日まで、整然と運行してこられたのは、この法則によって秩序立てられてきたからです。もし、この法則がなかったら、一秒として、宇宙は存在できなかったでしょう。法則に逆らうなど、アリが戦車に立ち向かうようなものです。どうか、法則を守りましょう。法則を守れば、穏やかに生きられるのですから・・・。
2015.10.04
なぜ、人は神なのかと言いますと、自分の意識を意識している自分が、自分の中に存在するからです。自分を意識している意識がなければ、自分も存在しないし、何も存在しないのです。ということは、その意識は、すべてを存在させている意識ではありませんか? つまり、神意識ではないでしょうか? 自分を意識している意識が、自分の中にあるということは、自分が神であると言う証明なのです。だから、人は、神なのです。
繰り返しましょう。
自分の意識を意識している意識は、神なのです。そうでなければ、その意識は、一体、誰なのか?・・よく考えて欲しいものです。
2015.10.11
総合されたモノのままでは、総合されたモノを知ることはできないのです。総合されたモノから離れてこそ、総合されたモノを知ることができるのです。つまり、元数1が様々な分数になることで、自分が元数1であることを知るのです。白光が様々な色になることで、自分が白光であることを知るのです。すなわち、神が様々な形になることで、自分が神であることを知るのです。神は、そのために、自分を分け人間を創造したのです。自分とは、神が「自」らを「分」けたのです。だから、人間は、神なのであります。
分けられたモノの中には、必ず、分けたモノが入っているのです。分数の中には、必ず、元数1が入っている、様々な色の中には、必ず、白光が入っている、人間の中には、必ず、神が入っている、ということであります。
2015.10.18
※ 外側の者に何を言われようと、気にすることはありません。外側の者は実在しないからです。なぜ、実在しない者の言葉に惑わされなければならないのでしょうか?、なぜ、実在しない者のために心を痛めねばならないのでしょうか? それは、まだ、真理が解っていないからではありませんか?
人生の目的は、唯一、真理を学ぶことです。真理を学んで原子核を増やせば、目が開かれます。どうか、真理を学んでください。
真善美で固められている宇宙に、不完全なものは、一つも無いのです。不完全なものが、一つも無いということは、悪なるものは、一つも無いということです。だから、そこには、人を、恨むことも、憎むことも、怒ることも、あり得ないし、事件も、事故も、災害も、病気も、あり得ないのです。あるように見えている、それらの悪は、すべて人の迷いから生まれた幻で、実際にあるものではないからです。実際にある悪なら無くなることはありませんが、実際にない悪だから、人の迷いが解ければ、消えてなくなるのです。だから、この宇宙に、悪人は一人もいないのです。いるのは、善人ばかりです。だから、人を、憎んでも、恨んでもならないのです。
世の悪を見て、憤慨したり、嘆いたり、嫌な気分になるのは、自分の中に、まだ、悪があるからです。自分の中に悪がある内は、どうしても悪が見えるのです。世の悪は、そのことを気付かせてくれているのです。だから、私は、悪に目を背けるのではなく、自分の中にある悪を無くす努力をすべきだと言うのです。
神が創られた完全なる宇宙に、本質的な悪があるわけがないのです。悪は、善を知らしめるためにある悪ですから、それは、悪ではなく善なのです。善の中にいては善の尊さは分からないのです。悪の苦味を知ればこそ、善の尊さを知ることができるのです。
悪の本質を心の底で理解できた人は、悪を見なくなるのです。それは、自分の中に、もう、悪が無くなったからです。神の目を備えた人とは、悪が見えなくなった人のことを言うのです。
2015.10.25
“宇宙に一つのモノしか無い!” という言葉には、とても深い意味が込められているのです。では、どんな深い意味が込められているのでしょうか?
一つのモノしか無いことを端的に言えば、“自分しかい無い!” という意味になります。なぜなら、今、現に、自分は存在しているからです。一つのモノしか無いなら、今、現に、存在している自分は、その一つのモノなのは当然でしょう。ということは、この世に沢山のモノが存在していますが、それは、すべて一つのモノであるということになり、その沢山のモノは、自分であるということになります。一つのモノしか無いならば、自分もその一つのモノであるわけですから、すべてのモノが自分なのは当然です。
このように、現に、今、存在している、あなたは、すべての全てです。ということは、あなたは、神であるということです。なぜなら、神は、すべての全てだからです。
2015.11.01
私は、常々、“外側に意識を向けるのではなく、内側に意識を向けて欲しい ” と言っていますが、その重要さを知る者は少ないのです。外側の世界(物質世界・幽界)は、幻の世界です。そんな、幻の世界に意識を向けても、そこからは、何も得られないのです。得られるとしたら、闇だけ、虚しさだけ、迷いだけ、苦しみだけです。
それに比べ、内側の世界(光の世界・意識の世界)は、真実の世界です。すなわち、エネルギーに満ち溢れた世界、光に満ち溢れた世界、幸せに満ち溢れた世界です。そこに意識を向ければ、エネルギーが、光が、知恵が、喜びが、入ってくるのです。だから、私は、内側に意識を向けて欲しいと願うのです。
どうか、本当にある真実の世界に意識を向けてください。内側に意識を向けると言う意味は、瞑想をするという意味です。
2015.11.08
この世の物・お金・地位・名誉・権力が、幸せを与えてくれるのではありません。また、誰かが幸せを与えてくれるのでもありません。また、この宇宙の何処かに幸せの場所があるのでもありません。ましてや、肉体が幸せを与えるのでも、受け取るのでもありません。自分の想念が幸せを与え、自分の心が幸せを受け取るのです。
誰も、想念を重要視しようとしませんが、想念ほど偉大なモノはないのです。
あなたの人生は、想念が握っているのです。
あなたの運命は、想念が握っているのです。
あなたの健康は、想念が握っているのです。
あなたの幸せは、想念が握っているのです。
それは、良い想念を持つのか? 悪い想念を持つのか? 次第なのです。
宇宙一の幸せ者になりたかったら、ぜひ、良い想念を持ってほしいものです。
2015.11.15
自己完結型の宇宙には、一様の存在者しかおりません。一様の存在者しかいないなら、今、現に存在している人間は、その一様の存在者なのは当然でしょう。その一様の存在者を神と呼ぶなら、「人間が神である!」というのも、また、当然ではありませんか?
一様の存在者が何かを生み出すには、その一様の存在者がそのモノになるしかないでしょう。なぜなら、自分の他にそのモノになってもらえる者はいないからです。また、自分しかいないなら、自分が産みだしたモノを成長させるには、自分で成長させるしかないでしょう。また、自分しかいないなら、自分で生み出したモノを終わらせるのも、自分でやるしかないでしょう。
人間は、一様の神が産み出した自分自身です。つまり、1が1を産みだした自分自身です。この事実は否定できません。自己完結型宇宙は、元数1を肯定し、一様の神を肯定し、さらに、人間が神であることを肯定しているのです。一様の存在者しかいないとは、そう言う意味なのです。
2015.11.22
出家した、仏門に入った、という人がいますが、外側だけ人間を捨てても、内側の人間を捨てない限り、「出家した!、仏門に入った!」とは言わないのです。外側の格好などは、どうでもいいのです。本当の出家人とは、この世のしがらみや欲や情を捨て去った人のことで、それは、家を出なくてもなれるのです。
格好だけの出家人にならないでください。中身のない出家人にならないでください。普段の生活の中で、常に、神に意識を向ける出家人になってください。
2015.11.29
この宇宙で確かなことは、結果を生み出すことのできる者のみが「原因なき原因者」になれるという真実です。結果を生み出せない者が、どうして「原因なき原因者」になれるでしょうか? 結果を生み出せないのは、原因者としての能力が無いからです。
神は、結果を生み出せる偉大な能力を持った存在者ですが、私たちも、結果を生み出せる偉大な存在者なのです。それは、結果を生み出せる偉大な想念力を持っているからです。偉大な想念力を持っている私たちは、原因なき原因者と呼ばれるに相応しい存在者なのです。ただし、今の私たちは、原子核の量が少ないため、小さな結果しか生み出せない発展途上の「原因なき原因者」です。でも、原子核の量が多くなった暁には、神に近い原因なき原因者、すなわち、神人になれるのです。
2015.12.06
神が、モノを創る場合、神が、そのモノになるしかないのです。つまり、原因者である、神、自らが、結果体である、そのモノになるしかないのです。なぜなら、この宇宙に、神の他は何も無いからです。結果と原因のどちらが先か?という論争が無意味なのは、結果体と原因者は同じモノだからです。結果体と原因者が同じモノだと深く思えたら、どちらが先でも良くなるのです。
私は、よく、意識がモノを生み出しているという言い方をしますが、原因者である神と結果であるモノが同じ神ならば、モノが意識を生み出していると言っても何も不思議でもないでしょう。なぜなら、原因者(神)だけでは、原因なき原因者なる資格が無いからです。結果の生み出せない原因者など無意味です。結果を生み出してこそ、原因者の存在価値が生まれてくるのです。だから、私は、結果体と原因者は同等の価値があるというのです。ならば、結果体(人間)が原因者(神)を生み出している、といっても言い過ぎではないでしょう。「結果をいじって原因を変える」(逆も真なり)の現代医療も、頷けるというものです。
結果体が結果体を生み出せない、無能さは分かっていますが、結果体がなくては、原因者の存在も無意味なのですから、やはり、結果体と原因者は同等の価値があるのです。
2015.12.13
原因は、見えずとも、結果は、必ず、見えます。形として、現象として、痛みとして・・・苦しみとして、悲しみとして、喜びとして、幸せとして・・・。だから、私たちは、結果を見て反省し襟を正す(原因を正す)ことができるのです。これが、神の法の素晴らしいところであります。痛みや苦しみは、業の消えてゆく姿ですから、放おっておけばいいのです。掴んで離さないから、いつまでも、苦しみが無くならないのです。
「ああ、今、業が、消えている! 消えている! 苦しみよ、ありがとう!」と感謝の思いで包み込んでください。そうすれば、どんな苦しみも癒えます。大切なのは、苦しいからといって業の上塗りをしないことです。
2015.12.20
意識を意識している、もう一つの意識があります。その意識は、一体、誰なのでしょうか? その意識は、未だかって、一度も自分から離れたことのない意識です。その意識こそ、神であり、本当の自分ではないでしょうか? そう・・・意識を意識している意識、その意識が本当の自分なのです。つまり、神なる自分なのです。
だから、
意識を意識している自分を見ること・・・
意識を意識している自分を感じること・・・
意識を意識している自分を想うこと・・・
意識を意識している自分に生きること・・・
意識を意識している時は、本当に生きていることになるのです。それは、実在している確かなものを意識しているからです。つまり、神を意識しているからです。さあ、神を意識してください。神を瞑想してください。
2015.12.27