おかしな社会?
今の社会は、正常でしょうか? よく、考えてみてください!
このように、挙げれば切りがないほど、人間は、おかしなことを、しているのです。
でも、誰も、おかしなことを、していると、思っていないのです。
これは、実に、恐ろしいことです。
今の地球は、 色々な面で、行き詰っています。
それは、そうでしょう!
人間だ! 肉体だ! と思ってる、地球人が、殆んどなのですから・・・。
人間だ! 肉体だ! と思っていたら、 肉体維持のために、人を押しのけてでも、物や、お金や、地位や、権力を、欲しがるのは、当然です。
見てください!
毎日のように、殺人、強盗、事件事故、病気、自然災害など、たくさんの悲劇が、起きているではありませんか?
これは、本当の自分を、知らないが故の悲劇なのです。
だから、私たちは、一日も早く、本当の自分を、知る必要があるのです。
本当の自分を知ったら、地球上から、悲劇は、一掃されるのです。
世界平和は、
科学が、もたらすのでは、ありません。
経済が、もたらすのでも、ありません。
ましてや、武器が、もたらすのでも、ありません。
人々の心が、もたらすのです。
旧・光のメロディー「平和」
2021.08.01
どうして、人間は、お金に、目の色を変えるのでしょうか?
それは、お金があれば、幸せになれる、と思うからです。
でも、本当は、不幸の要因になっているのです。
よく、考えてみてください!
争い事の殆どが、お金に、まつわるもの、ばかりでは、ありませんか?
これ、全て、お金に、目がくらんだためです。
今の社会は、お金が、あれば、何でも手に入る、社会ですから、人は、競って、お金儲けに走るわけです。
でも、そう簡単に、手に入らないのが、お金ですから、悪いことをする人も、出てくるわけです。
お金が、悪の元凶であることを、知ってください!
お金は、エネルギーの塊です。
エネルギーが、偏れば、そこに、必ず、波風が起こります。
なぜ、波風が起きるか、と言いますと、エネルギーは、均衡を保とうとするからです。
金持ち、三代続かず、と言われるのは、エネルギーは、分散を望むからです。
汗水流して働いた分のエネルギーを、頂いたら良いのです。
欲張って、たくさん欲しがるから、事件・事故・災難に、遭うのです。
エネルギー過多は、病気(糖尿病・肥満病)の要因になっているのです。
エネルギーの先取りは、不幸(事件・事故・災難)の要因になっているのです。
欲張らないでください!
エネルギーは、満遍なく、循環させなければ、ならないのですから・・・。
理想世界への誘い「⑧お金の弊害」
2021.08.02
『実験してみてください!』
意識は、エネルギーです。意識は、力です。
言葉は、その意識を、具体的に表現する道具です。
体は、その言葉を、更に、具体的に表現する道具です。
意識が、言葉を話させているのです。
意識が、体を動かしているのです。
つまり、エネルギー(力)が、言葉を話させ、エネルギー(力)が、体を動かしているのです。
もし、アスリートが、そのことを信じ、自分は、「意識である!」、「エネルギー(力)である!」と、そのことだけ、(集中して)思いながら、運動をしたら、驚くような、力が出せるでしょう。
ただし、信じなくては、だめです。
自分は、「意識である!」、「エネルギーである!」、「力である!」と、強く信じながら、運動してください。
どうか、試してみてください!
もしかしたら、とんでもない、記録が出せるかも知れません。
【やさしいこと】
「自分の意識が、無かったら、何も無い!」
こんな、やさしいこと・・簡単なこと・・ 分かりやすいこと・・は、ないのです。
世の人々は、どうして、そんな、簡単なことが、分からないのでしょうか?
2021.08.03
人間は、この肉体を持った時点で、苦しみが、与えられたようなものです。
なぜなら、肉体を持てば、苦しまねばならないからです。
では、どうして、人間は、苦しまねばならないのでしょうか?
人間が、肉体を創ったのであれば、自業自得かも知れません。
でも、この肉体は、神が創ったのです。
と言うことは、神が、人間に、苦しみを与えている、と言うことです。
では、神は、どうして、人間に、苦しい肉体を持たせたのでしょうか?
神は、人間に、肉体も、与えたけれど、自由意思も、与えているのです。
その自由意思で、苦しみも、作れるけれど、喜びも、作れるのです。
と言うことは、苦しみを作っている、人間に、責任がある、と言うことです。
確かに、そうかも、知れません。
でも、私は、神様に、文句を言いたい!
目の前に、鰹節を置かれ、食べない猫がいないように、欲望を掻き立てる、肉体を持たせ、 人間に、「食べるな!」と言うのは、酷ですと・・。
学びの友の皆さんも、そう思いませんか?
でも、神様に、文句を言ってはなりません。
神は、全能です。
全能の神が、理由なしに、そのような肉体を、持たせるわけがないからです。
持たせるには、それなりの、理由があったはずです。
では、どんな、理由でしょうか?
それは、魂を成長させてもらいたいからです。
苦しみの無い肉体を持たせたのでは、魂の成長が遅いのです。
だから、神様は、涙ながらに、苦しみ多い肉体を与えたのです。
これは、神の愛です。
ですから、神様に、文句を言ってはなりません 。
神は、魂の成長のために、奥の奥を読んで、やっていることなのですから・・・。
もう一つ、解かってもらいたいのは、肉体は、神の操り人形で、実存しているものではない、と言うことです。
ですから、神様からしてみたら、肉体の苦しみなど、お芝居みたいなものなのです。
こう言ったら、人間は、怒るかも知れませんが、本当の自分は、肉体では、無いのです。人間では、無いのです。魂なのです。
魂が、成長したら、それで、良いのです。
2021.08.04
人間は、肉体と心を、持っています。
肉体は、見えますが、心は、見えません。
でも、見えない心が、主人で、見える肉体は、下僕なのです。
ですから、下僕である肉体は、主人である心に、絶対服従なのです。
よく、スポーツで、こう言うことが、起こります。
心が、乱れると、体が、曲がったり、歪んだりして、技が出せない!と言ったことが ・・・。
これは、下僕である体が、主人である心に、従ったからです。
主人である心が、揺れ動けば、下僕である体は、従うしかないのです。
体操競技で、心が重視されるのは、そのためです。
心の動きが、即、体に現れる競技では、心が重視されているのです。
例えば、他の競技でも、
ゴルフで、OBを出すのも、
野球で、ピッチャーが、フォアボールを出すのも、
テニスで、安易なミスをするのも、
心が乱れたからです。
人間は、肉体が、スポーツを行ってると、思っていますが、心が、やっているのです。
だから、心の鍛錬が、必要になってくるのです。
「心技一体」と言う、格言がありますが、心と技が、一体にならなくては、相手に勝てないのです。
ただし、この世界は、相対の世界ですから、技術が同じであれば、相手より、自分の心が安定していれば、勝てるのです。
つまり、相手より、自分が良い原因を作っていたら、勝てる、と言うことです。(技術の原因と結果と、心の原因と結果の、相対関係で勝敗が決まる)
だから、やる前に、既に、勝負がついているのです。
ただ、原因が、人間の目に見えないので、どちらが勝つか、分からないだけです。
この宇宙は、見えるものと、見えないものが、一つになって、存在しているのです。
物質がある、と言うことは、 反対側に、見えないものがある、と言うこと、
見えないものがある、と言うことは、反対側に、見える物がある、と言うことです。
私たちは、今、見える肉体を持っていますが、見える肉体がある、と言うことは、反対側に、見えないものがある、と言うことです。
その、見えないものを、心と言ったり、魂と言ったり、意識と言ったり、生命と言ったり、神と言ったり、しているだけです。
見える物と、見えないものは、絶対、切り離せないのです。
見えないものがなくては、見える物があり得ないし、見える物がなくては、見えないものもあり得ないのです。
でも、本当にあるのは、見えないものです。
つまり、「心・魂・意識・ 命・神」が、実存しているのです。
新・光のメロディ 「人類創成物語」
2021.08.05
私たちの住んでいる、相対の世界には、必ず、表側と裏側があります。
表だけでは、存在できないし、裏だけでも、存在できないのです。
表がある、と言うことは、必ず、裏がある、と言うことであり、
裏がある、と言うことは、必ず、表がある、と言うことです。
裏と表が、一対になって、本当に有るものが、有るのです。
分かりやすく言えば、見えるものの反対には、必ず、見えないものが有り、見えないものの反対には、必ず、見えるものが有る、と言うことです。
私たちの思いも、同じです。
悪い思いを持てる、と言うことは、良い思いも持ってる、と言うことです。
良い思いを持ってる、と言うことは、悪い思いも持ってる、と言うことです。
良い思い、ばかりしか持てないとか、悪い思い、ばかりしか持てない、と言うことはないのです。
この相対の世界は、必ず、対になっているのです。
人間は、肉体だけではないのです。 二つで一つになっているのです。
つまり、人間の背後には、肉体を、生かし、動かし、働かしている、目に見えない、もう一つの力が、同居しているのです。
そのことが、分かれば、その理解の程度によって、驚くような能力が出てくるのです。
そうなると、アスリートであれば、何割も多く、力が出せるようになります。
いや、強く思えば、倍以上の力が出せるかも知れません。
一般の人でも、病気をしなくなります。もちろん、幸せにもなります。
どうか、 「私は、力である! 光である!」 と、強く思いながら、走り、行動し、生きてください。
驚くような変化が、体験できるでしょう!
2021.08.06
肉体が、無くなった途端、意識も、無くなってしまうなら、こんな、嬉しいことは、ありません。
なぜなら、人生で犯した罪状が、死ぬことによって、全て、消えてしまうからです。
しかし、そうはいかないのが、宇宙の仕組みなのです。
肉体が、死んでも、意識は、絶対、無くならないのです。
人生で体験した事は、一つ残らず、意識(魂)に刻まれ、永遠に引き継がれてゆくのです。
いい加減な生き方をしてならないのは、肉体は、ご破算にできても、意識(魂)は、ご破算にできないからです。
これは、素晴らしいことでありますが、 残酷なことでもあるのです。
なぜなら、意識が無くならないで欲しいと、願っている人には、有り難いけれど、意識が無くなって欲しいと、願っている人には、酷なことだからです。
意識は、絶対、無くなることがないのです。
これだけは、狂いようのない、宇宙の真理なのです。
そう言う、意識だからこそ、意識に、生きるべきなのです。
どんなに、肉体に生きても、肉体は、消えて無くなってしまうのですから・・・。
肉体は、学びのために必要な乗り物ですから、軽んじなさい、とは言いません。
でも、ボツリと浸かり過ぎてはならないのです。
何に意識を向けるかで、人生は、決まるのです。
どうか、肉体に、意識を使う時間より、意識に、意識を使う時間を、多くしてください。
私たちは、人間ではありません!、肉体ではありません!、意識なのです。
さあ! 瞑想して、意識の自分に、目覚めましょう!
そのために、私たちは、生まれてきたのですから・・・。
旧・光のメロディー「永遠の意識」
2021.08.07
私が、幽界人との仲介をしないのは、 幻と幻を繋ぎ止めても、意味がないからです。
「戯言(たわごと)」と言う、言葉がありますが、本当は、「他話事」と、書くのが、正しいのです。
なぜなら、「他(無い世界)」の「話」の「事」だからです。
幽界も、物質界も、幻の世界なのです。
そんな、幻の世界の話をしても、何の意味もないのです。
意味がない、どころか、幻の話を、すれば、するほど、幻の虜になってしまうのです。
実際に、人間は、物や、お金や、地位や、権力などの、虜になっているでは、ありませんか?
どんなに、この世のものを得ても、置いて帰らなければならないのです。
私たちは、本当にある世界の話を、すべきです。
つまり、意識の世界・・神の世界の話を、すべきです。
皆さんは、何を、得るべき、でしょうか?
見える物、でしょうか? 見えないもの、でしょうか?
この物質の世界は、見えます。幽界も、見えます。幻覚も、見えます。
見えるものは、みな、幻なのです。
幻を得たって、何の意味もないのです。
学びの友の皆さんが、得るべきものは、本当の自分を、心の底で知る、「自覚」です。
本当の自分を、心の底で知った、「自覚」は、永遠に残るのです。
残るモノに、人生を使いましょう!
そのためには、コツコツ、コツコツと、瞑想することです。
瞑想は、地味で良いのです。
地味で良い、と言う意味は、思い続けたら良い、と言う意味です。
どうか、瞑想を続けてください!
2021.08.08
真理は、求めた者にだけ、与えられるのです。求めない者には、与えられないのです。
宇宙の中心に、真理の磁石がある、と思ってください。
その真理の磁石に、一つ一つ、砂鉄が吸いついてきます。
その砂鉄の、一つ一つが、私たち求道者です。
その砂鉄は、大きくなれば、なるほど、早く、磁石に吸い付いてきます。
砂や石は、磁石に吸い付いてきません。
それは、まだ、砂鉄にまで、進化していないからです。
砂鉄になっていないものを、強引に、引き寄せようとしても、無駄です。
人に、真理を伝えようと、家庭訪問している、教団がありますが、そのようなことを、すれば、返って、反発を買うだけです。
真理を広めたい、気持ちは、分かりますが、受け取る用意の、できていない者に、与えても、無駄です。
真理は 、お金や物では、ないのですから・・・。
この宇宙は、波動で、出来ていますので、合わない波動は、反発し、合う波動は、引き寄せられるのです。
ですから、波動に、任せることです。
焦らないでください!
砂や石も、いつか、砂鉄になるのですから、それまで、待つことです。
砂鉄になり、波動が合ってくれば、向こうから、やってきます。
あくまでも、「求めよ!、さらば、与えられん」です。
光の音声
真実はひとつ
第1章 馨りを嗅ぐ
(2)求道の旅 その①
2021.08.09
この世界には、矛盾や不合理なことが、たくさん、あります。
でも、その矛盾や不合理なことを、何とも思わない人が、殆んどなのです。
それほど、判断力が乏しい、と言うことでしょうか?
でも、これは、原子核が少ないためですから、その人のせいではありません。(輪廻転生の数が少ないだけ)
あなたは、最近、当たり前だと、思っていたことが、おかしいと、思うようになったのではありませんか?
それは、原子核が増え、理解力が増したからです。
原子核が増えると、今まで、当たり前だと、思っていたことが、疑問に、思えてくるのです。
例えば、8月1日の金言に書いてある 「おかしな社会 」を、もう一度、読んでみてください。
昔は、当たり前だと、思っていたことが、今は、おかしいと、思えるはずです。
原子核が増えると、判断力が増すので、今まで、気づかなかったことが、気づくようになるのです。
これは、瞑想の効果です。
どうか、これからも、瞑想を続けてください。
今、以上に、社会の疑問や矛盾が、見えてくると思います。
私たちは、白い服こそ、着ていませんが、科学者なのです。
私たちは、見えない世界の研究をしているのです。
道具は、想いです。
想いを使って、瞑想すれば、原子核が増えるので、賢くなるのです。
賢くなると、判断力が増し、理解力が高まるので、人間社会の矛盾や疑問・・さらに、自然の謎や、宇宙の謎が、解ってくるのです。
瞑想を無駄だと、絶対、思わないでください!
瞑想こそ、宇宙の謎を解く鍵なのです。
どうか、瞑想を続けてください!
2021.08.10
想いグセ、と言うものは、実に、根深いもので、取ろうと思っても、なかなか、取れるものではありません。
特に、人間グセ、と言うものは、鍋に、こびりついた、ススのように、なかなか、取れません。
でも、私たちは、幸いなことに、想いグセを取る方法を、教わりました。
その方法は、「瞑想」です。
瞑想は、人間グセを取る、最良の方法なのです。
それは、ただ、
「吾、神なり!」
「吾、光なり!」
「吾、意識なり!」
「吾、生命なり!」
と、自分のマントラを想うだけです。
やることは、簡単です。でも、やり続けることが、大変なのです。
ですから、根気が要ります。忍耐が要ります。
大変かもしれませんが、どうか、瞑想を続けてください。
続ければ、必ず、効果が現れます。
世の中には、難しい学問をして、悟ろうとしている、人たちがおります。
また、難行苦行をして、悟ろうとしている、人たちがおります。
しかし、神は、難しいことをして、悟りなさい!とは、一言も、言っていないのです。
むしろ、簡単に、悟れますよ!と、言ってくれているのです。
神が、我が子に、難しいことをさせると、思いますか?
やることは、簡単です。
マントラを想い続ける、瞑想をすれば、良いだけですから・・・。
それは、子供でも、老人でも、女性でも、 体の不自由な人でも、できることです。
難しいことがあるとすれば、信じて、真剣に、やるか、やらないか? 続けられるか、続けられないかです。
悟りを、難しく考えないでください!
同じことを、繰り返すこと ・・繰り返すこと・・繰り返すことです。
光の音声
真実はひとつ
第1章 馨りを嗅ぐ
(2)求道の旅 その②
2021.08.11
どうして、人間は、心配したり、恐怖したり、悩んだり、するのでしょうか?
それは、神を信じられないからです。
神を信じられない、と言うことは、神は、法則ですから、法則が信じられない、と言うことです。
法則が信じられないのは、偶然を信じているからです。
偶然を信じている人は、いつ、何が起こるか、分からないので、心配したり、恐怖したり、悩んだり、するのです。
しかし、神を信じ、法則を信じ、この宇宙が、必然によって、運ばれていることを信じている人は、安心して、生きられるのです。
でも、信じているだけでは、ダメです。法則を守った上での話です。
法則を守っていたら、法則が、自分を守ってくれますので、安心して、生きられるのです。
人類は、安心したい、と言っていますが、法則を守らず、安心したい、と言うのは、虫が良すぎる、と言うものです。
神を信じ、法則を信じ、全てを神に委ねられる人ほど、幸せな人は、おりません。
どうか、神を信じてください! 法則を信じてください! 本当の自分を信じてください!
神は、美しい表現宇宙を、創ろうと思い立ちました。
でも、神は、姿形がありませんので、創ろうと思っても、創れません。
そこで、神は、自分の手足となって働いてくれる、人類を、創ったのです。
ですから、人類は、神の代弁代行者なのです。
しかし、今の人類は、神の代弁代行者であることを、忘れているのです。
ですから、人類は、神の想いとは、似ても、似つかぬ、醜い表現をしているのです。
人類が、神の代弁代行者となるためには、まず、神の存在を認めなくてはなりません。
そして、自分が、神の代弁代行者であることを、信じなくてはなりません。
神を信じないで、神の代弁代行者に、なれるわけがないからです。
では、どうしたら、神の代弁代行者に、なれるのでしょうか?
それは、原子核を、ある一定量まで、大きくすることです。
原子核が、一定量まで、大きくなると、自分が、神の子であることを、思い出すのです。
でも、人類の殆んどは、まだ、その量まで、達していないのです。
今、地球上で、神の代弁代行者になれるのは、学びの友の皆さん達だけです。
どうか、神の「意」を、表現してあげてください!
神の絆奏曲「幸いなる者」
2021.08.12
世界の平和は、どうしたら、得られるのでしょうか?
自分の心の平和は、どうしたら、得られるのでしょうか?
外に出て、何かしなければ、得られないのでしょうか?
いいえ、そんなことは、ありません。
家にいて、簡単に、得られるのです。
なぜなら、平和は、自分の想念上の問題だからです。
想念は、何でも、作るのです。喜びも、苦しみも・・・平和も、戦争も・・・ です。
世界の平和も、自分の心の平和も、外側は関係ないのです。
関係するのは、自分の想念です。
自分の想念を、上手に使ったら、 心の平和も、世界の平和も、得られるのです。
この宇宙には、受け取り人しかいないのです。相手は、自分が創った、相手なのです。
ですから、相手が、何かを仕掛けてくることはありません。
自分が、相手に、何かを仕掛けさせるのです。
その仕掛けさせた、何かを、「どのように、受け取り? どのように、処理するか?」その勉強をさせられているのです。
自分の欠点や、克服しなければならない課題は、全て、真我が、知っているのです。
真我は、その課題を、相手を通して、自分に与え、自分の成長に、つなげようとしているのです。
要するに、自分がドラマを作り、自分がドラマを演じ、自分が成長しようとしているわけです。
他人は、関係ない! 外側は、関係ない! 全て、自分次第だと言うことです 。
このように、自分が、どのような受け取り方をし、どのような対処の仕方をするかで、外側の平和も、心の平和も、決まるのです。
光のメロディー「心の平和」
2021.08.13
世の人々は、 人生の最優先事項を、物や、金や、地位や、権力などに置いておりますが、どんなに得ても、そんなものは、消えて無くなる幻です。
私たちは、そんな虚しいものを得るために、生れてきたのではありません。
求道者の最優先事項は、神を求めることです。
ただし、神を求めるためには、 肉体維持は、欠かせませんので、肉体維持を、最優先順位に挙げてください。
でも、あまり、重要視し過ぎると、本来の目的を見失ってしまいますので、五十歩百歩に止めておいてください。
真に重要視すべきは、神を求めることです。
求道者の目的は、それ以外ないのですから・・・。
求道は、感謝から始まるのです。
次に・・
光の音声
真実はひとつ
第1章 馨りを嗅ぐ
(2)求道の旅 №3
2021.08.14
私たちの住んでいる、表現世界(この世・ 現象界)は、原子が、離合集散して、一時、形を取っている世界です。
幽界(あの世・現象界)も、反原子が、離合集散して、一時、形を取っている世界です。
ただし、幽界の原子は、反原子ですから、離合集散のスピードが違うため、思った瞬間、形が変わってしまうのです。
反原子は、それだけ、精妙である(波動が高い)と言うことです。
しかし、幻の世界であることには、変わりがないのです。
人間は、実際にある世界だと思って、心を痛めていますが、どちらも、幻の世界ですから、 そう、心を痛めなくても良いのです。
私たちの目には、10の14乗ヘルツ前後の世界しか見えません。
でも、この表現宇宙には、波動の違う世界が、無限に存在するのです。
その波動の違う世界には、その波動に合った、生命体が、生きているのです。
「その波動に合った」と言う意味は、その波動の理解力を持った、と言う意味で、
この表現宇宙は、理解力の高さによって、住む世界が違っているのです。
この表現宇宙には、地球人類が、思いもつかない、SFの世界が広がっているのです。
つまり、この表現宇宙は、「お伽の国」そのものなのです。
「お伽の国」とは、 「人」が「加」えた「国」と書きますが、正に字の通りで、人間の想念が作った、夢想の世界なのです。
なぜ、夢想の世界かと言いますと、人の想念によって、何でも作れる、世界だからです。
お伽の国ですから、何が起きても、そう、深刻になることはないのです。
光の音声「真美の不思議な体験」
2021.08.15
今、私が存在していることは、今、「一」がある、と言う状態であり、
今、「一」がある、と言う状態は、この「一」は、永久に無くならない、と言うことです。
と言うことは、私は、永久に無くならない、と言うことです。
そうです。私は、永遠の存在なのです。
では、永遠の存在である、私は、一体、何者なのでしょうか?
それが、解らないのです。
でも、私が、意識であることだけは、解るのです。
なぜなら、私の意識が、私を、認めているからです。
では、その意識は、どこから、生まれたのでしょうか? 解らないのです。
意識の出所が、分からない、と言うことは、誕生歴が、分からない、と言うことですから、私は、永遠に解らない、と言うことです。
でも、それで、良いのです。私が解ったら、私は消えてしまうからです。
私が、永遠である為には、私が、解らなくて良いのです。
解る、と言うことは、有限である、と言う意味ですから、有限である限り、消えなければならないのです。
解らない、と言うことは、無限である、と言う意味ですから、永遠である限り、消えることはないのです。
だから、私が、解らなくて、良いのです。
解ったら、有限になり、消えて無くならなければならないからです。
解って、もらえたでしょうか?
1しか無い! 一つしか無い!、と言うことは、1は、一つは、無くなりようがない!、と言うことです。
裏返せば、1を認めている、自分(私)も、無くなりようが無い!、と言うことです。
自分(私)が、いなければ、1を、一つを、認めてやれないからです。
それは、1は、一つは、自分(私)である!、と言う意味です。
心配しないでください!
あなたは、絶対、無くなりようがないのですから・・・。
2021.08.16
この宇宙には、たくさんの何かが、あるように思えます。
でも、その人が、意識した「モノ」しかないのです。
つまり、 その人が、意識した「宇宙」しかないのです。
意識されないものは、どんなに、目の前に有っても、無いのです。
例え、意識されても 、理解力によって、見ている中身が違うのです。
ですから、一人一人、同じものを見ているようで、同じものを見ていないのです。
この宇宙には、「 こうだ!」と、確定した宇宙がないのです。
それは、 一人一人の意識の高さが、違っているからです。
一人一人が、宇宙の主です。
一人一人が、唯我独存(尊)です。
この宇宙に、偶然は、無いのです。
なぜ、偶然が無いか、と言いますと、今、私が存在している、事実があるからです。
もし、偶然があるなら、今、私は、存在していないのです。
なぜなら、偶然からは、何も生まれないからです。
偶然に、生まれたのでしょうか ?
必然とは、秩序がある、と言うことであり、意味がある、と言うことです。
偶然とは、秩序が無い、と言うことであり、意味が無い、と言うことです。
意味があるから、生まれてくるのです。
空気も、水も、土も、菌も、虫も、花も、鶏も、犬も、人間も、必要あって、生まれてきたのです。
菌一つ無くても、地球は、存在できないのです。
ましてや、あなたが、いかに、地球にとって、掛け替えのない存在か?・・・。
あなたは、必然の存在です。
どうか、必然に寄り添って、生きてください!
必然に寄り添って生きる、と言う意味は、 どんな厭なことも、どんな苦しいことも、全て、進化成長に結びついている!、と良く受け取って生きることが、必然に寄り添って生きる、と言う意味です。
神は、完全です。
神が、完全である限り、起きている、どんなことも、必然であり、それは、全て、進化成長に結びついている、と言うことです。
2021.08.17
この宇宙は、光(エネルギー)で、満ち満ちています。
しかし、そのままの状態では、光(エネルギー)を、利用することができません。
利用するためには、光(エネルギー)を、強めなければなりません。
光(エネルギー)を、強めることが、出来るのは、唯一、私たちの想念です。
想念によって、光(エネルギー)を、どのようにでも、操作できるのです。
例えば、
想念で、光(エネルギー)を、呼び寄せたり、放射したり、強めたり、弱めたり、出来るのです。
想念の働きが、端的に見られるのが、「丸」と言う、図形です。
「丸」は、神の一側面なのです。
想念で、「丸」を描けば、気持ちが良くなります。心が安定します。心が穏やかになります。
心が苛立ったり、落ち着かない時は、想念で、「丸」を描いてみてください。
心が安定します。
想念で、光(エネルギー)を、操ることが出来ます。
光は、想念に、従順なのです。
良い想いを持てば、光が強くなります。
悪い想いを持てば、光が弱くなります。
ですから、光が強くなれば、良いことが起きるし、光が弱くなれば、悪いことが起きるのです。事故・災難・病気は、光の無い状態なのです。
災厄に見舞われたくなかったら、想念を良く使ってください。
それは、神を想うことで、出来るのです。
常に、神を想っている、学びの友の皆さんは、 何一つ、怖れることはありません。
なぜなら、 光(エネルギー)が、強くなっているからです。
光の中に、闇は、入ってこれないのです。
どうか、歩いている時も、電車に乗っている時も、料理をしている時も、お風呂に入っている時も、神を想ってください。
明るく、明るく、朗らかに・・
何事も良く受け取り・・
神を想い・・、光を想い・・
日々、生きてください!
2021.08.18
全能の神は、宇宙の隅々まで、知り尽くしており、神は、その知り尽くした情報を、常に、人類に送ってくれております。
ただし、その情報は、能力に比例した情報しか、受け取れないようになっているのです。
例えば、10の能力しか、持っていない人は、10の情報しか、受け取れないのです。
100の能力を、持っている人は、100の情報が、受け取れるのです。
神は、地球に向けて、無限の情報を送ってくれているのですが、未熟な地球人類は、物質的な、それも、僅かな情報しか、受け取っていないのです。
だから、争い多い世界になっているのです。
情報の種類は、2種類、あります。
内側から与えられる情報は、己の心に問いかけて得る、思索の情報です。
外側から与えられる情報は、表現世界に存在している、物質から得る情報です。
しかし、いずれの情報も、魂の熟成度に比例して、与えられるようになっていますので、未熟な魂は、低度な情報しか、受け取れないし、熟した魂は、高度な情報が、受け取れるわけです。
何か、不公平のように思いますが、これこそが、宇宙の公平性なのです。
宇宙が、これまで、延々と存続してこれたのは、この仕組みが、どこまでも、行き届いていたからです。
もし、未熟な魂が、高度な情報を受け取れたら、宇宙を破壊してしまうでしょう。
核爆弾の情報は、神が、人類に、必要あって与えた、ギリギリの情報なのです。
意味があって、与えたのですから、決して、悪いことではなかったのです。
このように神は、魂の成熟度に応じて、情報を与えているのです。
宇宙には、無限の情報が、飛び交っています。
でも、無限の情報を、受け取ることは、永久に、できないでしょう。
なぜなら、無限の情報を、受け取れる、器の持ち主は、この表現宇宙には、存在しないからです。
どんなに、人類が賢くても、有限の存在ですから、有限の情報しか、受け取れないのです。
でも、近づくことは、できるのです。
どうか、原子核を大きくして、高度な情報を、受け取ってください。
高度な情報を、受け取れば、高度な生き方が、できるようになります。
当然、幸せも、高度なものが、得られるでしょう。
今、地球人類は、この世の情報を、たくさん受け取って、たくさん体験しています。(対人関係の量も含めて)
それは、たくさん体験して、たくさん学ぶ、必要があるからです。
魂が成熟して行けば、段々と、この世の情報を、受け取らなくなります。
それは、この世の学びが、終わりに、近づいたからです。
この宇宙は、うまく出来ているもので、学び終えれば、与えられる情報が、少なくなってゆくのです。
今、自分は、どの程度の魂なのか? 情報の量によって、判断してください。
2021.08.19
人間は、心を持っています。
鉱物・植物・動物は、心を持っていません。
心は、人間にだけ与えられた、「器」なのです。
「器」ですから、大きくなったり、小さくなったり、いびつになったり、丸くなったり、変化します。
外側の現象に、どう、反応するかで、心「器」は、変化するのです。
その心の大元は、意識です。
すなわち、神の意識が、魂を生み、魂が、心を生み出しているのです。
しかし、その心は、人間の形を持たなくては、生まれないのです。
心は、人間の形から生まれた、唯一不二の「器」なのです。
ですから、心は、一生限りです。
新しい体を持って生まれてくる度に、心が、刷新されるのです。
魂は、命格を創り、心は、人格を作ります。
魂が創った命格は、永遠に持ち続けますが、心が作った人格は、その生、限りで、消えてしまうのです 。
どうして、人間は、苦しまねばならないのでしょうか?
それは、心を持っているからです。
心は、外側の現象に反応して、想念を生み出します。
悪く反応すれば、悪い思いを生み出し、良く反応すれば、良い思いを生み出します。
つまり、良いことを思えば、良いことを作り、悪いことを思えば、悪いことを作るのです。
想念は、 何でも創る、諸刃の剣なのです。
今、地球人類の殆んどが、その想念を、悪い事に使っているのです。
悪い事に使っているから、 原因と結果の法則によって、悪いことが起きているのです。
想念の影響は、それだけでは、ありません。
地球の周りには、悪い波動が漂っていて、 同じ波動を持った人に、同調してきて、悪さをするのです。
これが、憑依霊現象と言われているもので、人間が苦しんでいる、もう一つの理由なのです。
想念は、心(器)が、生み出すわけですが、
心(器)が大きければ、良い想念を生み出します。
心(器)が小さければ、悪い想念を生み出します。
これは、魂の成熟度 (原子核の量)が、関係しているのです。
魂が小さいと、たくさん体験する、必要があるので、どうしても、悪想念を放ってしまうのです。
悪想念を放てば、トラブルが多く生まれますので、体験も多くなるのです。
体験すれば、原子核が増えるのが、宇宙の仕組みですから、魂は、自我に働きかけて、悪想念を放つようにするのです。
自我は、そのことを、知らないで、悪想念を放っているのです。
新・光のメロディー「心」
2021.08.20
よく、第一人称とか、第二人称とか、第三人称とか、言われますが、 この人称とは、どう言う意味なのでしょうか?
ですから、今、人間社会で言われている、人称の意味とは、全く、違うのです。
宇宙には、本来、第一人称の神しか存在しないのですが、表現宇宙においては、神から分かれた、無数の形が存在していますので、第二人称とか、第三人称と言う、言葉が生まれたのです。
この宇宙には、「一つ」のモノしか無いのです。
その「一つ」のモノを、神と呼び、「私」と呼び、「自分」と呼んでいるのです。
神が、「自」らを「分」けた相手を、「自分」と呼んでいるのです。
人間が、「自分」と言うのは、自分が、神であることを、本能的に知っているからです。
この宇宙には、本来、第一人称の呼び名(神)しか無いのですが、 区別をつけるために、第二人称の名前が生まれたのです。
ですから、全ての名前は、神の別名なのです。
いや!、言葉一つ一つが、神の別名なのです。
空気も、水も、土も、微生物も、虫も、花も、木も、鳥も、馬も、人間も、みな、神の別名です。
「あ」も、「い」も、「う」も、「え」も、「お」も、全て、神の別名です。
「 神は言葉なりき!」なのです。
「一つのモノしか無い!」とは、そういうことなのです。
この第一人称である神も、第二人称である人間も、第三人称である神人も、相身互いの関係にあるのです。
なぜなら、第一人称である神は、第二人称である人間がいなければ、存在できません。
また、第二人称の人間は、第一人称の神に創ってもらわなければ、存在できません。
第三人称の神人は、第二人称の人間が、第一人称の神の自覚ができて、初めて生まれる存在です。
このように、この宇宙は、三すくみの関係によって存在している、不思議な宇宙なのです。
でも、実際に存在しているのは、第一人称の神のみです。
光の音声
人類の夜明け3 真実はひとつ
第2章 余韻を聴く
2021.08.21
この表現宇宙には、三身(位)一体となったものが、存在しております。
地球人類は、物質が、電子と中性子と原子核の組合せで出来ていることを、発見しました。
石炭の使い方や、石油の使い方や、ガスの使い方も、覚えました。
また、氷と水が、空気から出来ていることも、学びました。
しかし、人間が、肉体と、幽体と、魂で、出来ていることを、まだ、知りません。
ましてや、人間が、神であることなど、夢にも思っていません。
でも、この世の体験(三身一体の体験を含め)を、積んでゆくうちに、人間が、神であることを、知るようになるのです。
私たちは、いたずらに、この世の体験をしているのではありません。
今日、体験した、つまらない体験も、驚きの体験も、感動の体験も、辛い苦しい体験も、嬉しい楽しい体験も、全て、進化成長に押し上げてくれているのです。
1日の終わりに・・、
「今日も、貴重な体験をさせて頂きまして、ありがとうございました!」と、感謝して、床に着きましょう!
2021.08.22
この宇宙には、たった一つの本質が、あるだけです。
私たちの周りにある、全ての物は、その一つの本質によって、生まれたのです。
一つの本質から、生まれたのですから、鉱物・植物・動物・人間は、みな、同じ、兄弟姉妹です。
その一つの本質を、神とも呼び、霊とも呼び、意識とも呼び、生命とも呼び、光とも呼び、エネルギーとも呼んでいるのです。
名前は、違いますが、みな、同じ、本質です。
その本質は、意識を持ち、意思を持ち、計画性を持っている、知恵者です。
その知恵者は、この宇宙を 、「真・善・美」に、導いております。
「真・善・美」に、導かれている、宇宙だからこそ、これまで、延々と存続してこれたのです。
人類は、本質の子ですから、 「真・善・美」に沿った、生き方をしなければなりません。
どうでしょう? 今、地球人類は、そのような、生き方をしているでしょうか?
この宇宙には、たった一つの存在者しかいないのです。
そのたった一つの存在者を、神と呼んでいるのです。
神は、一様なのです。
その一様の神が、「自」らを「分」けたのが、「自分」です。
自分は、一様の神の分身なのです。
一様の神の分身ですから、自分で、自分を成長させるしかないのです。
ですから、他人に、責任を負わせることはできません。全て、自分の責任です。
他人に、責任を負わせることができない理由は、他人は、自分だからです。
全て、自作自演の、ひとり芝居です。
自分が筋書きを書き、自分が筋書き通りの演技をし、成長しているのです。
自分が、自分を成長させる、この仕組みの素晴らしさ!
何て、神は、偉大なのでしょうか?
自分は、「一」なのです。 「神」なのです。「生命」なのです。
でも、なかなか、そう想えない・・・知識では思えても、心の底で想えない・・・。
心の底で想えた状態を、自覚したと言うわけですが、 この自覚することが、なかなか、難しいのです。
どうして、自覚が大切かと言いますと、心の底で想えなくては、自分が変わらないからです。
心の底に落とすには、繰り返し、想うことが、大切なのです。
繰り返し、想えば、知識が思想化され、自覚に近いものになるのです。
その想う作業が、瞑想なのです。
どうか、 繰り返し、繰り返し、瞑想してください。
学びの友の皆さんは、 もう一歩で、自覚の境界線を超えられる魂なのですから・・・。
2021.08.23
いつも言うことですが、自分が認識して、初めて、外側のものが生まれるのです。
先に、外側があって、後で、内側が生まれるのではないのです。
先に、内側があって、後で、外側が生まれるのです。
あくまでも、外側は、内側の反映なのです。
自分の意識が、全てのものを、創っているのです。
ならば、わざわざ、外側のものを、変えに行く、必要はないでしょう。
内側を変えたら、外側が変わるのですから・・・。
このことが、分かったら、世の中を変えようと、デモに行くような事は、しなくなるでしょう。
内側が、決定したら、外側のものに、執着を抱かなくなります。
内側が、あやふやだから、外側のものを、頼るようになるのです。
多くの求道者が、真理を求めて、インドに行ったり、ヒマラヤに行ったりしております。
また、滝行をしたり、山谷を巡ったりしております。
内側が、あやふやだから、そのようなことをするのです。
内側が、ホンモノだと、確信した人は、外側に、出て行くようなことはしません。
意識を、内側に向けます。
さあ! 内側を決定させてください!
内側を決定させるとは、自分の意識が、全てのものを創っている、と言う、確信を深めること・・そして、その意識に、思いを集中させることです。
内側を決定させるとは、「自分の中に、神がおられる!」と言う、確信を深めることです。
自分の中に、神がいると分かれば、外に、神を探しに行く必要はありません。
いつでも、神とコンタクトが取れるし、神から必要なものが受け取れます。
神と自分とは、いつも、一緒なのです。一番近くにいるのが、神なのです。
自分と神は、一度だって、離れたことがないのです。
どうか、 神と仲良くしてください。
仲良くすれば、するほど、神と自分との一体感が高まります。
神と仲良くするとは、瞑想することです。
瞑想することです!
瞑想することです!
瞑想することです!
私は、これからも、同じ事を、何度も言うでしょう!
2021.08.24
自分探しの旅 Part1
自分とは、何でしょうか? さあ!、自分を探ってみてください!
自分には、二つの自分が存在します。
根源の自分は、一つですが、 今は、二つの自分に、分かれているのです。
なぜ、二つに分かれたか、と言いますと、
自我の自分が、いなければ、真我の自分は、存在しないし、
真我の自分が、いなければ、自我の自分が、存在しないからです。
真我が、自我を創り、自我が、真我を認め、互いに存在させているのが、真我と自我の関係なのです。
認識している自分と、認識されている自分は、一つなのです。
でも、一つでは、自分が認識できないので、真我の自分が、二つに分けたのです。
でも、そのことは、自我の自分は、解っていないのです。
人間の面白いところは、「自分が何なのか?」知らないで、生きていることです。
この世で、自分を知っている人は、ただの一人も、いないのです。
知っているのは、肉体のことだけです。
いや、肉体のことでさえ、完全に知っていないのです。
そんな、人間が、博識者だと、自負するのですから、実に、滑稽です。
トンと分からないのが、自分なのです。
その、トンと分からない自分を、私たちは、知ってゆかねばならないのです。
なぜなら、幸せが、欲しいからです。
それも、永遠に尽きない! 永遠に色褪せない! 幸せが、欲しいからです。
では、どうしたら、自分を知ることが、出来るのでしょうか?
それは、原子核を大きくして、理解力を高めることです。
そのためには、社会体験と瞑想が、どうしても、必要なのです。
自分の意識は、実に、不可思議な存在です。
どんなに、自分の意識を探っていっても、掴めないのです。
自分の意識の出所が、分からないのです。
一体、この意識は、どこから、来ているのでしょうか?
どうか、「自分!自分!自分!自分!・・・私!私!私!私!・・・」と、
自分の意識を、追いかけて行ってみてください。
楽しいです! 飽きないです! 気持ちが良いです!
どうして、楽しいのか? どうして、飽きないのか? どうして、気持ちが良いのか?
それは、自分の意識が、神に通じているからです。
学びの友の皆さんなら、私の言っていることが、分かって頂けると思います。
光の音声
人類の夜明け3 真実はひとつ
第1章 馨りを嗅ぐ
2021.08.25
自分探しの旅 Part2
確かなことが、一つだけあります。
それは、「自分は、永遠に生きていかなければならない!」と言うことです。
なぜなら、「自分の命」は、永遠に無くならないからです。
永遠に無くならない、「命の自分」は、 永遠に生きなければならない、運命にあるのです。
と言うことは、自分探しの旅は、永遠に続けなければならない、と言うことです。
自分とは、「命」なのです。
なぜなら、「命」は、自分と思える意識を持っているからです。
自分が、「命」であり、「意識」であることを、はっきり、させておきたいと思います。
では、命とは、何でしょうか? 解らないのです。
ただ、命を、次の言葉に、置き換えることはできます。
例えば、
すなわち、命は、神です。
しかし、別の言葉に、置き換えても、 命が、何なのか、解らないのです。
いたずらに、解らないものを、増やしただけです。
でも、解らなくても、私たちは、自分探しの旅を、続けなければならないのです。
奥の奥に、探している、真我の自分が、いることは、分かるのですが、どんなに、追いかけても、捕まえることができないのです。
近づいたと思った瞬間、真我の自分は、逃げてゆくのです。
追いかけても、追いかけても、逃げ水のように、捕まえることのできない、真我の自分・・・何と! もどかしいのでしょうか?
自分の影を、永久に踏めないように、真我の自分を、捕まえることも、永久にできないのです。
それは、自分が、一つだからです。
自分が、自分を、踏めるわけがありません。
でも、踏む努力は、しなければならないのです。
努力すれば、原子核が増え、理解力が増すからです。
光の音声
人類の夜明け3 真実はひとつ
第1章 馨を嗅ぐ
2021.08.26
自分探しの旅 Part3
真我の自分を探っても、永遠に解りません。
でも、その真我の自分から、宇宙の一部を、教わることができるのです。
自分に、疑問を問いかけてみてください!
真我の自分が、回答してくれます。それも、完璧な回答をしてくれます。
なぜ、完璧な回答をしてくれるかと言いますと、真我の自分は、全能の神だからです。
自我の自分の回答なら、間違いがあるかもしれませんが、
真我の自分が回答してくれるのですから、間違いないのです。
しかし、その回答は、今の自分に必要なものだけです。
興味本位なものは、回答してくれません。
自分を失うことは、絶対、ありません。
自分は、永遠に、消えることはないのです。
もし、自分が消えたら、
家族が、消えるからです。
あなたが、消えるからです。
地球が、消えるからです。
宇宙が、消えるからです。
私たちは、今、人間の体に、入っていますが、
以前、
鉱物の中に、入っていた時代があったのです。
植物の中に、入っていた時代があったのです。
動物の中に、入っていた時代があったのです。
しかし、その時代でも、自分は変わりませんでした。
今後も、別な形に、入ってゆくでしょうが、自分は変わらないのです。
変わるとすれば、 形を変えるごとに、利口な自分になっている点です。
利口な自分になれば、なるほど、大きな体を纏うようになるのです。
例えば、
惑星の中に、入ったり、
恒星の中に、入ったり、
太陽系の中心に、入ったり、
小宇宙の中心に、入ったり、
大宇宙の中心に、入ったり、
どんどんと、自分を拡大してゆくのです。
でも、自分は変わらないのです。
どうか、楽しみにしていてください 。
でも、そのためには、瞑想して、原子核を増やさなくてはなりません。
これだけは、どんなに、姿形を変えても、やらなければならない、必須作業です。
高度な星の魂も、高い次元の魂も、みな、瞑想しているのです。
瞑想は、魂が、進化すれば、するほど、必須作業になるのです。
どうか、瞑想してください!
光の音声
人類の夜明け3 真実はひとつ
第1章 馨りを嗅ぐ
2021.08.27
私たちの中には、二人の自分がいるのです。
でも、幼い時には、真我の自分が、潜在しているのです。
ですから、自我の欲望のままに、生きます。
魂が成長してくると、真我の自分が、少しずつ、前面に出てきて、自我の自分を、律するようになります。
つまり、自我の自分を、諌めたり、諭したり、するようになるのです。
これが、自我と真我の聖戦の始まりです。
初めは、悪いことをし続けます。
真我は、やむなく、警告として、痛みや、苦しみを、与えます。
でも、自我は、なかなか、警告を聞きません。
仕方なく、真我は、もう一段、強い、痛みや、苦しみを、与えます。
さすがの自我も、「バチが当たった!」と、思うようになります。
そこが、ターニングポイントです。
「バチが当たった!」と、思うようになった自我は、以降、良心に、生きるようになります。
これは、私の体験談ですが、学びの友の皆さんも、同じような体験をしているのではないでしょうか?
自分探しの旅とは、「神」を探す旅です。
なぜなら、自分は、「神」だからです。
自分探しの旅は、次のような過程を踏んで行われます。
初めは、外側に、「神」を探しに行きます。
哲学を学びます。宗教を渡り歩きます。覚者を探し歩きます。
しかし、いくら探しても、見つかりません。そのうちに、気づきます。
外側(他力)を探しても、無駄だと言うことが・・・ 、
気づいた求道者は、内側(自力)に、神を探し始めます。
瞑想を始めます。思索を始めます。
苦心惨憺の末、ついに、「神」の自覚を得ます。
学びの友の皆さんは、その寸前まで来た、魂です。
どうか、 自分探しの旅を続けてください。
そして、「神」の自覚を得てください。
自覚したら、変性変容が起きます。
それが、自分探しの旅の、とりあえずの終着駅です。
真実を求めている人へ捧げるメロディー 「もう一人の自分」
光の音声
人類の夜明3 真実はひとつ
第1章 馨りを嗅ぐ
2021.08.28
私たちは、 一人一人、チャンネルを持っています。
でも、持っている、チャンネル数は、人、それぞれ、違うのです。
原子核の少ない人は、少ないチャンネル数を・・、
原子核の多い人は、多いチャンネル数を持っているのです。
原子核が増えれば、自動的に、チャンネル数は増えるわけですから、今まで、見えなかった世界が、見えてくるのです。
つまり、チャンネル数が増えた分、宇宙の謎が解ってくる、と言うことです。
あなたは、最近、この世の矛盾や疑問が、たくさん、見えるようになったのでは、ありませんか?
それは、チャンネル数が、増えたからです。
これからも、どんどん、原子核を増やして、理解力を高めてください。
今、以上に、この世の矛盾や疑問が、見えてくるでしょう。
当然、宇宙の深みも、見えてくるでしょう。
魂の進化に、ターニングポイント、と言うものがあります。
魂の幼い時期は、唯物的な路線を歩みます。
当然、心に、悩みや不安を、抱えます。痛みや、苦しみも、多く体験するでしょう。
しかし、何度か体験しているうちに、疑問を持つようになります。
なぜ、心が休まらないのだろうか?
なぜ、痛みや、苦しみが、無くならないのだろうか? と・・、
疑問を深めるうちに、気づきます。
心を休めてくれるのは、お金や物ではなく、心である、と言うことが ・・・。
それが、ターニングポイントです。
左側の路線から、右側の路線へ、切り替わった瞬間です。
魂の進化にとって、このターニングポイントは、とても、大切です。
私が、そうであったように、学びの友の皆さんも、そこを通って、唯心的路線に入ってきたのです。
2021.08.29
この表現宇宙を、ご覧ください !
見事なまでに、調和がとれています。
それは、神が、「真・善・美」を、基本にして、宇宙を創造されたからです。
星々を、見てください!
どの星も、丸い形をしております。軌道も、円と楕円を、描いております。
自然界も、丸と楕円と左右対称が、基調になっております。
それが、気持ちが良いからです。楽しいからです。美しいからです。
人間社会は、どうでしょう!?
経済においても、
政治においても、
科学においても、
教育においても、
芸術においても、
音楽においても、
スポーツにおいても、
アンバランスなものが、まかり通っています。
街造りに至っては、目を覆いたくなるほどです。
建物の向き・高さ・色・形・道路の配置など、めちゃくちゃです。
どうして、人間は、「真・善・美」 から、離れたことをするのでしょうか?
それは、欲望が絡んでいるからです。偽善が絡んでいるからです。
どうでしょう!?
あなたは、 アンバランスなものを見て、楽しいですか?、気持ちが良いですか?
その、反対な、はずです。
アンバランスなものを見て、楽しいと思う人など、一人もいないのです。
なぜなら、私たちの中に、「真・善・美」の基準があるからです。
私たちは、アンバランスなものを見て、喜んではならないし、奨励してもならないのです。
むしろ、過ちに、気づかなければならないのです。
気づかなければ、反省しないからです。
反省しなければ、直そうとしません。
それでは、成長しないのです。
私が、何を言いたいのか、学びの友の皆さんなら、解って頂けると思います。
旧・光のメロディー 「美芸」
2021.08.30
どんぐり ころころ どんぐりこ
おいけに はまって さあたいへん
どじょうが でてきて こんにちわ
ぼっちゃん いっしょに あそびましょう
どんぐり ころころ よろこんで
しばらく いっしょに あそんだが
やっぱり おやまが こいしいと
ないては どじょうを こまらせた
幼い魂が、この世に、生まれてきました。
何の苦労も知らない、幼い魂が、不自由で、苦労の多い物質の世界に、生まれてきたわけですから、さあ! 大変です。
幼い魂は、途方に暮れてしまいます。
そこに、サタンが現れ、「坊ちゃん、この世は、楽しいのですよ! 一緒に遊びましょう!」と誘惑します。
サタンの誘惑に負けた、幼い魂は、人間として、この世の物と、戯れて生きるようになります。
戯れているうちに、自分が魂であることを、忘れてしまったのです。
人間として生きれば、苦難が訪れるのは、当然ですから、
彼は、悩み苦しみます。
でも、その悩み苦しみが、魂を目覚めさせるのです。
やがて、魂は、目覚めます。「自分は、人間では無く、魂なんだ!」と・・・、
目覚めた魂は、「故郷に帰りたい!」と、サタンを困らせるようになります。
坊ちゃんの時代は、 惑わして、この世に留めておくとことができても、魂が成長してくると、どんなに、惑わしても、留めておくことができなくなるのです。
私たちの魂は、神の意識核で出来ていますので、どんなに、泥(人間)に、まみれていても、いつか、目覚める時が来るのです。ただ、長い間、泥に、まみれていたために、人間グセを取る、瞑想が、必要になってくるのです。
一般人は、仕方ないにしても、学びの友の皆さんは、もう、この世の物に惑わされてはいけません。外側の物は、どんなに、艶やかでも、幻です。
そんな物に惑わされて、人生の目的を忘れてはなりません。
私たちは、楽しむために、生まれてきたのではないのです。
魂を大きくするために、生まれてきたのです。
どうか、外側の物(サタン)に、負けないでください!
負けないためにも、瞑想してください! 私の動画を見てください!
2021.08.31