汗水流して、一生懸命働いて、得たものに、リスクは、生まれません。
楽して、得たものに、リスクが、生まれるのです。
なぜなら、「エネルギー均衡の法則」が、働くからです。
宇宙は、うまく出来ているもので、バランスが崩れると、すぐに、バランスを取り戻そうとする、力(エネルギー)が、働くのです。
バランスを取り戻す姿(現象)、それが、痛みや、苦しみなのです。
だから、決して、楽して儲けようなど、邪な考え、持ってはならないのです。
今、世界中で、コロナウイルスが蔓延していますが、これも、便利・快適・ 暖衣飽食に酔い知れている、リスクであり、人類に対する、警告なのです。
真理を求めるのも、例外ではありません。
楽して、真理を得ようなど、虫が良すぎます。
苦労して、求めてこそ、得られるのです。
「楽あれば、苦あり!」は、真理なのです。
2021.07.01
【少し難しい話 】
この宇宙には、「有る」しかないのです。
「有る!有る!有る!・・・」だけが、永遠に有るのです。
でも、「有る」だけでは、有るが無いので、神は、見せかけの「無い」を創ったのです。
だから、本来、この宇宙には、「無い」は、無いのです。「有る」だけが、有るのです。
本当は、「元数1」しか無いけれど、「元数1」だけでは、「元数1」が無いので、見せかけの「分数」を創ったのです。
その「元数1」と「分数」を相対させることで、「元数1」が有るようになったのです。
このように、本当は、「有る」しか無いけれど、「無い」が無ければ、「有る」が無いので、 見せかけの「無い」を創ったのです。
だからと言って、意味の無い「無い!」ではないのです。
なぜなら、「無い」が無ければ、「有る」が無く、「有る」が無ければ、「無い」が無いからです。
すなわち、「相対」が無くては、「絶対」が無く、 「絶対」が無くては、「相対」が無いからです。
しかし、実在しているのは、「光」です。「善」です。「意識」です。「神」です。
と言うことは、「無い」と「有る」・・「相対」と「絶対」は、同等の価値がある、と言うことです。
これは、言葉の遊びのように思いますが、 宇宙を存在させている根本原理なのです。
【簡単な話】
この宇宙には、一つのモノしかないのです。
その一つのモノが、全ての現象を、生み出しているのです。
と言うことは、今、存在している、私たちは、その一つのモノである、と同時に、現象である、と言うことです。
でも、その現象は、一つのモノから生まれたのですから、一つのモノと現象は、同等の存在価値がある、と言うことです。
すなわち、
神と人間は、同等の価値がある、と言うことです。
2021.07.02
どのような人にも、魂の進化の段階において、必ず、ターニングポイントが来ます。
私も、そうでした。学びの友の皆さんも、心当たりがあるのではないでしょうか?
いつか、誰でも、同じ道筋を通るのです。
幼い頃は、心に汚れを着けていません。
しかし、社会の荒波に揉まれて行くうちに、汚れを着けてしまいます。
そうすると、不幸災難が、やってきます。
初め、その不幸災難は、自分の家族を通して、やってきます。
それでも、目覚めない時は、我が身で、不幸災難を体験します。
その時、 バチが当たった、と思うのか?
それとも、人のせいにしたり、偶然のせいにしたりするのか?
幼い魂は、人のせいにしたり、偶然のせいにしたりします。
熟した魂は、バチが当たった、と思います。
私は、バチが当たった、と思いました。
私のターニングポイントは、その時だったのです。
どのような魂も、肉体を持って生まれてくると、罪を犯してしまうものです。
これは、覚者であっても、例外ではありません。
ましてや、俗人が、罪を犯さないはずがありません。
でも、そのお陰で、ターニングポイントまで、成長できたのですから、罪を犯したことは、悪いことではなかったのです。
世の人々は、 同じ形をしているから、同じ人間だと思っています。
しかし、形は、同じでも、魂の大きさは、みな、違うのです。
魂の大きさが違う、と言うことは、同じ人間ではない、と言うことです。
同じ人間だと思うから、喧嘩し合うのです。
魂の大きさが、自覚できたら、喧嘩など、出来るわけがないのです。
なぜなら、子供相手に、喧嘩など、出来ないからです。
今の地球人は、子供と大人が、喧嘩し合っているのです。滑稽だと思いませんか?
魂の大きさを、自覚して生きることは、とても、大切です。
いずれ、地球人も、そのことに、気づくでしょう。
「聖衣」と言う洋画があります。
学びの友の皆さんには、あまり、意味がないかも知れませんが、
良かったら、息抜きに、見てください。
2021.07.03
スポーツ界では、よく、こう言うことが起こります。
デビュー出たてのアスリートが、良い成績を残すと言うことが ・・・、
これは、光のご加護があるからです。
デビュー出たてのアスリートは、心が純粋ですから、光が強くなるのです。
光が強くなると、良い方向に展開して行くので、良い成績が残せるのです。
しかし、奢りが生まれると、光が弱くなるので、悪い方向に展開して行き、成績が落ちるのです。
これは、神を求めることにおいても、同じです。
純粋な動機で、神を求めている時は、光が強くなるので、原子核が、たくさん、増えるのです。
しかし、動機が不純になると、光が弱くなるので、原子核が、あまり、増えなくなるのです。
ご利益信仰が良くないのは、動機が不純だからです。
どうか、純粋な動機で、神を求めてください 。
光のメロディー「清くありたい!」
2021.07.04
神が完全なのは、宇宙が、永遠の昔より存続してきたことが、証明しています。
もし、神が不完全なら、宇宙は、とうに、存在していないからです。
神が完全ならば、今、私たちの意識の前で起きてることは、全て、意味があって、起きてることになるでしょう。
では、どんな意味が、あるのでしょうか?
それは、「進化成長させるために起きている!」と言う、意味です。
あの、苦しかったことも、 あの、悲しかったことも、 あの、辛かったことも、みな、進化成長に必要だったから、起きたのです。
無駄なことなど、一つも無かった、と言うことです。
学びの友の皆さんなら、納得できるはずです。
繰り返します。
完全な神が、無意味なことをするわけがないのです。
完全な神が、無駄なことをさせるわけがないのです。
どうか、神を信じてください!
起きていること、全てが、進化成長に、結びついているのですから・・・。
神は、見ることも、触ることも、できません。
なのに、世の中には、真剣に、神を求めている人達がおります。
一体、何が、彼らを、そこまで、駆り立てているのでしょうか?
それは、「信じる心」です。
「信じる者は、幸いなり! その者は、神の国を見るであろう!」と、イエス様が言われたように、神を信じられる人は、本当に、幸せな人です 。
どうか、神を求め続けてください!
いつか、きっと、「良かったな!」と、思える時が来るでしょう。
私が、その一人です。
2021.07.05
人間は、悪いことを、「悪!」と、決めつけますが 、悪い事がなかったら、成長できるでしょうか?
ゴキブリがいるから、綺麗にしようと思うのです。
蚊やハエがいるから、綺麗にしようと思うのです。
病気があるから、病気にならないよう、気をつけるのです。
ならば、ゴキブリや、蚊や、ハエや、病気は、「悪」なのでしょうか?
いいえ、必要「悪」です。いや、必要「善」です。
人間が、進化成長するためには、相対的な「悪」が、必要なのです。
と言う事は、良い事は、良い事ではない!、と言う事にもなります。
なぜなら、良い事に酔い知れていたら、人間は、堕落してしまうからです。
神が、どうして、「悪」を創られたのか?、お分かりになったと思います 。
温室育ちでは、強くなれないのです。厳しい雨風に晒されてこそ、強くなれるのです。
だから、神は、涙ながらに、「峻厳な愛」を、人間に与えているのです。
どうか、今の痛い苦しいは、「自分を成長させるために必要な愛の贈り物である!」と、良く受け取ってください 。
そのように、受け取ったら、痛みや苦しみは、半減するでしょう。
悪い事が、悪い事で終わらないのは、また、良い事が、良い事で終わらないのは、私たちの意識(命)が、永遠だからです。
有限の意識(命)なら、悪い事で終わる場合も、良い事で終わる場合も、あるかも知れませんが、私たちの意識は、永遠ですから、悪い事と良い事は、永遠に、繰り返されるのです。
「光と闇」が、永遠に、繰り返されるようにです。
この宇宙は、繰り返すことによって、進化成長できるようになっているのです。
ですから、宇宙には、退化が、無いのです。留まりも、無いのです。
進化成長だけが、有るのです。
これは、意識(命)が・・・、
無限だからです。
永遠だからです。
宇宙が・・・、
無限だからです。
永遠だからです。
すなわち、私たちが・・・、
無限だからです。
永遠だからです。
新・光のメロディ「愛の道」
2021.07.06
この宇宙は、相対と絶対が、対になって、存在しています。
相対がなければ、絶対がありません。絶対がなければ、相対がありません。
と言うことは、人間がいなければ、神がいないし、神がいなければ、人間も存在しない、と言うことです。
神(絶対・意識)と人間(相対・物質)は、切り離せないのです。
どちらが無くても、どちらも無いのです。
だから、私は、この宇宙は、平等に、できている、と言うのです。
でも、実在しているのは、
ですから、無い「相対」に惑わされ、「絶対」が動いたら、それは、実在したことになるのです。
つまり、無い物質に惑わされ、意識(心)が動いたら、実在したことになるのです。
この世は、幻です。私たちの五官で感じているものは、全て、存在しないものです。
でも、その存在しない幻に、心が惑わされたら、幻は、存在したことになるのです。
瞑想は、真実感を濃くし、現実感を薄めてくれます。
現実感が薄まれば、心を痛めなくなります。そうなると、心配しなくなります。
この世の事に、惑わされなくなります。
瞑想をしている、学びの友の皆さんは、知らないうちに、そうなっています。
自覚していないかも、知れませんが、間違いなく、そうなっています。
これは、私が、保証します。
どうか、瞑想を続けてください !
2021.07.07
病気と言うものは、実に不可解です。
例えば、
同じ肉体構造をしている人間なのに、どうして、このような差が出るのでしょうか?
これは、心が関係していると、考えなければ、解けない謎です。
そうです!
全て、心(想念)が、関与しているのです。
その証拠は、たくさん、ありますが、 例えば・・
第一、 人間社会で争いごとが絶えないのは、 人を、憎んだり、恨んだりし合っているからでは、ありませんか?
地球の温暖化が進んだのも、欲望を膨らませたからでは、ありませんか?
こんなに、はっきりした、証拠があるのに、未だに、人類は、気づいていないのです。
これまで、人類は、膨大な研究費をかけ、病気の原因を探ってきましたが、まだ、はっきりとした、原因が、掴めていません。
それは、人間の心(想念)を、研究していないからです。
病気の原因は、全て、人類の「身・口・意」の誤用から、生まれたのです。
ですから、「身・口・意」を、正さない限り、病気は、無くならないのです。
病気は、見えないものから、生まれたのですから、見えないものを、研究しなくては、 原因を掴むことは、できないのです。
見えないものとは、意識です。想念です。心です。
科学者も、医学者も、見えない心を、研究して欲しいと思います。
どうして、人間社会には、不可解な病気が、たくさん、有るのでしょうか?
それは、病気が、不可解で あれば あるほど、人間は、疑問を持つようになるからです。
神は、疑問を持ってもらうために、人類に、不可解な病気を、与えたのです。
そのことに、気づくまでは、万能の薬も、完全な治療方法も、発見できないでしょう!
真の科学は、 物質科学と精神科学が、融合した、法科学でなくてはなりません。
物質科学は、片手落ちの幼い科学なのです。
なぜなら、見える結果だけ研究し、見えない原因を研究しないからです。
それは、手の「表」だけを認め、「裏」を認めないようなものです。
「手」は、表と裏が揃って、「手」になるのです。
真の科学は、見えない原因を探る科学でなくてはなりません。
見えるものは、すべて、結果です。
どんなに、幻(結果)を、研究しても、真実 (原因)は、発見できないのです。
2021.07.08
【 少し難しい話】
「私」が、存在できるのは、造り主である意識が、有るからです。
造り主である意識が、無かったら、「私」は、存在しないのです。
今、「私」と思えている「私」は、造り主である意識によって、創られた、「架空の私」なのです。
造り主である意識は、実在ですが、「架空の私」は、実在しないのです。
でも、「架空の私」がいなければ、造り主である意識は、存在できないのですから、造り主である意識と「架空の私」は、同等の価値があるのです。
造り主である意識が、「架空の私」を創り、その「架空の私」に、認められることによって、 造り主である意識が、存在できている・・何とも、皮肉な話です。
意識が有るから、意識が有るのです。意識が無かったら、意識は無いのです。
認める意識が、無かったら、認められる意識は、無いからです。
と言うことは、認める意識と認められる意識は、一つである、と言うことです。
この宇宙に、意識は、一つしかないけれど、二つに分けなかったら、意識が認められないので、二つに分けたのです。
だから、意識は、二つあるようで一つであり、一つあるようで二つある、と言うことになるのです。
つまり、自我の意識があるから、真我の意識があり、真我の意識があるから、自我意識がある、と言うことになるのです。
意識を存在させるためには、意識が必要であり、
その、意識を存在させるためには、また、意識が必要であり、
その、意識を存在させるためには、また、意識が必要でありと・・・、
この話しは、永遠に続くのです。
それが、原因無き原因の起源なのです。
卵が先か? 鶏が先か? の話しと、同じです。
要するに、原因が無い、と言うことは、宇宙は、解らない、と言うことです。
意識が、解らないから、宇宙が、解らないのです。
意識が、解らないから、神が、解らないのです。
意識が、解らないから、本当の自分が、解らないのです。
でも、解らないから、宇宙が存在でき、神が存在でき、本当の自分が存在できるのですから、解らないで、良いのです。
【簡単な話】
自分の意識があるから、自分が存在できるのです。
自分の意識が無かったら、自分は勿論、お父さんも、お母さんも、妻も、子供も、 大工さんも、電気屋さんも、水道屋さんも、誰も、存在できないのです。
認める自分の意識が無かったら、「何も無い!」と言う、こんな、単純で、簡単な話、どうして、科学者が、解らないのでしょうか?
学びの友の皆さんは、解かっていただけると思います。
2021.07.09
私たちは、この地球と言う惑星で、日々、厳しい人生体験をさせられています。
昨日も、厳しい一日でした。
今日も、厳しい一日でした。
明日も、また、厳しい一日が、やってくるかも知れません。
でも、その、厳しい一日一日が、私たちを、成長させてくれるのです。
神のなされることは、完全です。神は、絶対、無駄なことをさせません。
人の目に、失敗に見えることでも、それは、失敗ではなく、成功なのです。
なぜなら、傷を負った皮膚が強くなるように、失敗した者ほど、強くなるからです。
体験は、宝です。どんな苦しい体験も、どんな厭な体験も、どんな辛い体験も、みな、進化成長に必要なのです。
昨日よりも、今日・・今日よりも、明日・・ 明日よりも、明後日・・体験した分、間違いなく、成長するのです。
今日も、厳しい一日だったけれども、必ず、成長している。そう、自分に言い聞かせ、生きてください 。
どうしても、心が落ち着かない時には、星空を見てください。
美しい星々が、あなたの心を癒してくれるでしょう!
夜空を仰ぎ見ると、青い星や、赤い星や、黄色い星など、たくさんの星々が、輝いています。その星々を見ていると、なぜか、郷愁の思いが湧いてきます。
これは、私だけでしょうか?
皆さんも、そうだと思います。
それは、私たちが、宇宙から生まれた、宇宙子だからです。
時々、星空を見てください! 何とも言えない、幸福感に満たされると思います。
人生を考えるメロディ「星の願い!」
2021.07.10
NHKで、地球温暖化についての特番を流しておりましたが、そこで話していることと言えば、国際間の取り決めの話とか、技術的話しとか、経済的な話しとか、結果対処の話ばかりで、原因対処の話は、一つもしていないのです。
これでは、原因を良くしないのですから 、地球の温暖化が止まるわけがありません。
地球の温暖化が進んだのは、極度に発達した物質文明のせいです。
物質文明を発達させたのは、人の欲望ですから、人の心(想念)を良くしなくては、地球の温暖化は、抑えられないのです。
でも 、そんな話しをする、科学者も、政治家も、一人もおりません。
想念が、全てです。
地球環境を良くするのも、人間社会を良くするのも、全て、想念次第なのです。
そのことに、気づくまで、地球の温暖化は、止まらないでしょう。
私の願い!
それは、想念を良くすれば、どんな問題も解決する、と言うこと・・・。
でも、このような話をしても、誰も、信じてくれないのです。
でも、私は、言い続けます。
想念を良くすれば、全てが良くなると・・・。
2021.07.11
人生の目的を、考えてみましょう!
私たちは、何のために、生まれてきたのでしょうか?
肉体を楽しませるためでしょうか?
お金や、物や、地位や、名誉や、権力を得るためでしょうか?
博識者になるためでしょうか?
いいえ、
私たちは、本当の自分を知るために、生まれてきたのです。
なぜなら、本当の自分を知れば、真の幸せを手にすることができるからです。
学びの友の皆さんのように、成熟した魂は、物質界や幽界の色褪せる幸せでは、満足できないのです。
皆さんは、永遠に尽きない! 永遠に色褪せない! 幸せが欲しいのです。
でも、その幸せを得るためには、たくさんの人生体験が必要なのです。
だから、皆さんは、気の遠くなる年月、輪廻転生を繰り返してきたのです。
繰り返します。
人生の目的、それは、魂を大きくすることです。
それ以外の目的は、ありません。
学びの友の皆さんに、お願いしたいこと ・・、
それは、「悪いことを思わないようにして欲しい!」と言う願いです。
そのためには、神を想い続けることです。
神を想い続けていたら、同時に、二つの事が思えませんから、悪い業を作りません。原子核も増えます。一挙両得なのです 。
神を想うことは・・、
歩いていても、出来ます。
電車に乗っていても、出来ます。
風呂に入っていても、出来ます。
料理していても、出来ます。
どうか、神を想い続けてください! 必ず、原子核が増えます。
これは、私が保証するのではなく、法則が保証してくれるのですから、間違いありません。
人生を考えるメロディ「人生の目的」
2021.07.12
この宇宙には、「有る!有る!有る!・・・」だけが、永遠に有り続けるのです。
「無い!」は、無いのです。
なぜ、有るしかないか、と言いますと、意識が、永遠に無くならないからです。
永遠の意識が有る限り、「有る!」は、有り続けるのです。
しかし、「有る!」と言う証明を、誰がしてくれるのでしょうか?
有るが有るを認めても、有ることの証明になりません。
何かに、誰かに、「有る!」を認めてもらえて、「有る!」が、有ることになるのです。
ですから、「有る!」は、「無い!」を創るしかなかったのです。
これが、「有る神」と「無い人間」の関係なのです。
「有る」を、誰が証明してくれるのでしょうか?
意識を持っている、私たちでは、ありませんか?
私たちの意識が認めて、「有る!」は、有ることになるのです。
と言うことは、私たちは、永遠に有り続けなければならない、と言うことです。
認めてやれる、私たちがいなければ、「有る」ことができないからです。
前述したことは、なかなか、解らないと思いますが、解らなくて、結構です。
原子核が増えれば、自然と解るようになるのですから・・・。
そうなるためには、原子核を増やすことです。
これまで、私たちは、人間と思いながら、生きてきました。
それは、人間の瞑想をしてきた、と言うことです。
だから、人間に目覚めてしまったのです。
今の私たちは、人間に目覚めた状態でいるのです。
この誤った目覚めから、抜け出るためには、本当の自分を、思い続けなければならないのです。
本当の自分とは、神ですから、神を、想い続けなければならないのです。
私たちは、何百万年の間、「人間だ! 人間だ!」と思い続け、人間になったのです。
と言うことは、「神だ! 神だ!」と思い続けたら、神に戻れる、と言うことです。
2021.07.13
「神は凄い! 神は偉大だ!」と、私が言うのは、何もかも、人類のために用意してくれているからです。 第一に、地球が、そうです。
地球には、
空気・水・土があります。
木・石炭・石油・ガス・レアメタルなど、たくさんの資源があります。
鉱物・植物・動物など、様々な生き物がおります。
これ全て、人類のために用意された、神の贈り物です。
もし、これらのものが無かったら、人類は、一分足りとも、生きてゆけないでしょう。
私が一番感心するのは、 馬や、ラクダや、象や、牛などが、人類に使われやすいように作られている点です。
馬の背も、ラクダの背も、象の背も、人間が乗りやすいようにできています。
彼らは、人間に、従順に従い、時には、乗り物の役割を果たし たり、時には、畑を耕したり、木材を運んだりして、人間の為に働いてくれています。
また、馬や、牛や、ヤギや、羊や、豚は、乳や、卵や、羊毛や、肉などを、人間のために提供してくれています。
この他にも、山の幸や、海の幸や、陸の幸などの食べ物を、人間のために提供してくれています。
このように、全て、人類のために用意されているのです。
なんと、有難いことでしょう!
私が声を大にして言いたいのは、神を真剣に求めて欲しい、と言うことです。
神を真剣に求めたら、神は、絶対、悪いようにはしません。
確かに、この世界には、 苦しいことや、辛いことや、悲しいことが、たくさん、あります。
ですから、「神も、仏も、いるものか!」と、思いたくなるのも、無理はありません。
でも、信じて欲しいのです。
どんな、苦しいことも、 辛いことも、悲しいことも、必ず、進化成長の糧になっている、と言うことを ・・・。
神に顔を向けないから、痛い目や、苦しい目に、遭うのです。
でも、それは、人間が悪いことをするから、原因と結果の法則によって、裁かれているだけで、神が罰を与えているわけではないのです。
何も変わらないからと言って、諦めないでください。
もしかしたら、あなたの真剣さを、神が試しているのかも知れません。
真剣さが、本物だと分ったら、神は、何か、ご褒美をくれるかも知れません。
ご褒美をあてにしてはなりませんが、どうか、何の変化が起きなくても、神を求め続けてください! 必ず、成果が現れます。
これは、体験者が言うのですから、間違いありません。
2021.07.14
一体、私たちは、何のために、生まれてきたのでしょうか?
この世の何かを、知るためでしょうか?
この世の何かを、得るためでしょうか?
いいえ・・そんなものは、みな、消えて無くなる幻です。
幻を、知ったって、得たって、何の意味もないのです。
私たちは、本当の自分を知るために、生まれてきたのです。
それも、腹の底で知るために・・・です。
腹の底で知ったら、自分が変わるのです。
私の教えが難しいのは、「腹の底に落とさなければ意味が無い!」と言うからです。
ただ、知識を得るだけなら、私の本を読んだら良いです。
でも、それでは、自分が変わらないのです。
自分を変えるためには、何度も、何度も、「自分は、魂である! 意識である! 光である! 神である!」と、想い続けなければならないのです。
想い続ければ、必ず、自覚の境界線を超えることができます。
私たちは、そのために、生まれてきたのです。
人生において、一生懸命になれるものを、持つことは、大切です。
なぜなら、一生懸命になれるものを、持たない人は、根無し草のような、フラフラした人生を、送らなければならないからです。
何でも良いですから、一生懸命になれるものを、最低一つ、持つことです。
それは、 スポーツでも、良いのです。音楽でも、良いのです。絵でも、良いのです。宗教でも、良いのです。
なぜなら、一生懸命になれるものに生きたら、原子核が増えるからです。
でも、学びの友の皆さんは、そんなものに、一生懸命になっては、人生に悔いを残すでしょう。
学びの友の皆さんは、神を求めることに、一生懸命になってください !
2021.07.15
瞑想で、一番大切なのは、 実感の伴った神を想うことです。
そのためには、神の側面を、深く、たくさん、知ることです。
神の側面を、深く、たくさん、知れば知るほど、マントラの深みが増し、神の自覚が持てるようになるからです。
確かに、神は、見えません。触ることもできません。
ですから、神を知る事が、難しいように思いますが、本当は、神を知る事ほど、簡単なことはないのです。
なぜなら、
自分が、神だからです。
妻子が、神だからです。
あなたの周りにある、全てのものが、神だからです。
ただ 、神だと思えないだけです。
あなたは、神を吸い、神を食べ、神を飲み、神を吐き出し、神を排泄しているのです。
あなたは、一秒一秒、神と共に生活しているのです。
と言うことは、あなたは、何でしょうか?
意識では、ありませんか?
こんな簡単な事、どうして、解らないのでしょうか?
あなたの意識が無かったら、あなたも、親も、子も、妻も、地球も、宇宙も、何も無いのです。
あなたの意識が、全てを存在させているのです。
2021.07.16
皆さんは、苦しい人生が、好きですか? 楽しい人生が、好きですか?
楽しい人生が、好きですよね!
では、楽しい人生を送るためには、どうすれば、良いのでしょうか?
簡単です。それは、良い思いを持つことです。
良い思いを持ったら、良い言葉が出ます。良い行為になります。
そしたら、良い人生になるのです。
良い思いを持つ、と言う事は、良い原因を作る、と言うことですから、「原因と結果の法則」によって、良い結果が生まれるのは、当然なのです。
世の人々は、いつも、「苦しい! 苦しい!」と言って、嘆いています。
あたかも、誰かに、苦しみが与えられたかのように・・・、
誰も、苦しみなど、与えていないのです。与えているのは、自分です。
それは、悪く受け取るからです。悪く受け取って、妄念を抱くから、苦しいのです。
良く受け取ったら、苦しいどころか、楽しくなるのです。
しかし、分かっていても、止められない! また、悪く思ってしまう・・・ 。
これは、あなた だけでは、ないのです。
私を含め、全人類が、同じことを、やっているのです。
ですから、自分を責めてはいけません。
でも、できるだけ、悪いことは、思わないことです。
「自分を苦しめているのは、誰でもない! 自分の想念である!」 と言う、戒めの言葉を噛み締めてください!
良い人生にしたいなら、良い思いを持てば、良いのです。
こんな、単純で、簡単なことはないのです。
神は、「外に、幸せを求めなさい!」とは言っていないのです。
「自分の中に、幸せを求めなさい!」と言っているのです。
それは、良い思いを持てば、良いだけです。
神は、決して、難しいことをして、幸せになりなさい!、とは言っていないのです。
小学生でも、できる、簡単なことをして、幸せになりなさい!、と言っているのです。
どんなに、宝くじに、当たっても 、どんなに、事件事故に、遭っても、 皆、消えてしまう、幻(現象)です。
この世界は、必ず、消えて無くなる、現象の世界なのです。
そんな、現象に惑わされ、心を痛めることほど、愚かなことはないのです。
なぜなら、「無いもの」に、「有るもの」が、惑わされることほど、滑稽なことはないからです。
現象は、幻です。実際には、無いのです。
そんな、無いものに、心が惑わされて、どうなるのでしょうか?
よく、考えて見てください!
今、あなたが、悩んでいること、苦しんでいること、悲しんでいることは、本当に有ることですか? 全て、現象ですよ!
どうか、本当に有るもの と、本当に無いもの の、見極めをしてください!
本当に有るもの、それは、自分の心です。意識です。魂です。本当の自分です。
2021.07.17
私たちの意識は、 エレベーターのように 、上がったり、下がったりします。
下がった時は、自我が膨れている時です。
上がった時は、真我が膨れている時です。
学んでいる皆さんでも、自我が膨れた時は、一般人と何も変わらない、思いを持ち、言葉を吐き、行為をするのです。
その時には、真理を否定し、神を否定し、本当の自分を否定し、真理を話している、私さえ、憎むようになります。
そうなった時の、対処方法を教えましょう!
まず、家の周りをジョギングして、少し汗を出してください。
終わったら、風呂に入って、汗を流してください 。
そしたら、少し波動が上ります。
波動が上がったら、私のホームページを見てください。(できたら、私の動画を見てください。)
そして、さらに、波動が上がったら、瞑想に入ってください 。
そうしたら、元に戻ることができます。
地球の周りには、 迷った人の波動が取り巻いていて、何かと言うと関与してきます。
その波動に負けないためには、常に、神に思いを向けることです。
今後、ますます、関与を強めてくると思いますが、神を想い続けて(瞑想して)、邪悪な波動を退けてください!
どうか、自分のためにも、地球のためにも、瞑想してください。
明るく、明るく、朗らかに・・
何事も良く受け取り・・
神を想い・・、光を想い・・
日々、生きましょう!
2021.07.18
エネルギーは、単なるエネルギーではないのです。
知恵を持ったエネルギーです。 力を持ったエネルギーです。
そのエネルギーが、私たちの中に、想念と言う形であるのです。
ですから、私たちは、エネルギーを、どうにでも、操作できるのです。
人間が、瞑想できるのは、想念を持っているからです。
鉱物や、植物や、動物は、瞑想ができません。
それは、想念を持っていないからです。
瞑想は、人間にだけ与えられた、特権なのです。
瞑想とは、想念によって、エネルギーを集める作業のことです。
想念によって、エネルギーが集まると、理解力が高まります。
理解力が高まると、自分がエネルギーである、と言う、自覚が生まれるのです。
エネルギーは、神そのものですから、自分が神である、と言う、自覚が生まれるのです。
私たちは、どうして、自分が分かるのでしょうか?
どうして、何かが理解できるのでしょうか?
科学者は、脳が理解する、と言います。
でも、脳は、単なる物質ですから、脳が理解することはないのです。
この「理解できる!」、「分かる!」のは、あくまでも、エネルギーの量によるのです。
瞑想して、エネルギーが高まると、不思議なことに、分からないことが、解かってくるのです。
これは、エネルギーそのものが、知恵だからです。
私の言っていることが、一般人に分からないのは、エネルギーの量が少ないからです。
エネルギーが、少なければ、どんなに、頭をひねって考えても、解らないのです。
論争しても、無駄なのは、エネルギーの少ない人に言っても、解からないからです。
論争する時間があるなら、瞑想して、エネルギーを高めることです。
原因と結果の法則は、相互に働いているのです。
私が犯した罪は、私が償わなければならない、と言うこと・・・。
相手が作った罪は、相手が償わなければならない、と言うこと・・・。
例えば、私が、相手を痛めつけたとしましょう!
私が、相手を痛めつけるには、痛めつけられる原因を、相手が作っていたはずです。
原因なしに、相手を痛めつけるはずがないからです。
でも、相手を痛めつける原因を作ったわけですから、お返しとして、私が痛い目に遭うのは、当然です。
原因と結果の法則は、一直線上に働くのですから、一方的な悪は無い、と言うことです。
つまり、 私が、相手を痛めつけるには、私の中に、痛めつける原因があった、と言うことであり、相手が痛めつけられるには、相手の中に、痛めつけられる原因があったから、痛めつけられた、と言うことです。
これは、お互い様だと言うことです。
だから、あまり、自分を責めてはいけないのです。
2021.07.19
「人事を尽くして天命を待つ!」ことです。
人事を尽さないでは、決して、救われません。
人間のやれることを、精いっぱい、やって、どうにもならなくなったら、後は、神に委ねる、それが、正しい生き方だと思います。
ですから、
行動することです。何もしないで、何かを得ようなど、虫が良すぎる、と言うものです。
まずは、人間が、神に近づくことです。 そうしたら、神は、近づいてくれます。
知花先生は、言っていました。
「 人間が、一歩近づけば、神は、百歩も近づいてくれると・・・」
人事を尽くす、と言うことは、良い原因を作る、と言うことですから、 良い結果が生まれるのは、当然なのです。
これは、神が、良い結果を与えてくれるのではなく、法則が、与えてくれるのですから、科学的です。
宗教は、科学的でなくてはならないのです。
人事を尽くす、具体的な行動は、
この二つのことを、やっていたら、間違いなく、天に近づくことができます。
どうか、人事を尽くして、天命を待ってください!
「ポセイドンアドベンチャー」と言う、映画があります。
この映画は、「人事を尽くして天命を待つ!」ことを教えている物語です。
学びの指針になるかも知れませんので、よろしかったら、見てください。
2021.07.20
一体、私たちは、何が、欲しいのでしょうか?
物が、欲しいのでしょうか?
お金が、欲しいのでしょうか?
地位や、名誉や、権力が、欲しいのでしょうか?
いいえ、幸せだけが、欲しいのです。
だからと言って、幸せしか無い世界にいたのでは、幸せではありません。
幸せになるためには、不幸せが必要なのです。
この宇宙は、相対的にできているのです。
幸せも、不幸せがあるから、幸せがあるのです。
このように、相反するものが、互いに、相手を際立たせているのです。
ですから、一つしか無い世界には、一つは無いのです。
私たちは、二つある世界に出てきて、一つを知ろうとしているのです。
幸せしか無い世界にいたのでは、幸せが無い、と言うのは、いつも、心地良い処にいたのでは、心地良いか、どうか、分からなくなってしまう、と言うことです。
つまり、幸せしか無い処にいたのでは、幸せか、どうか、分からなくなってしまう、と言うことです。
それでは、不幸せだと言うことです。
幸せしか無い世界で生きている人は 、幸せの知らない人なのです。
幸せの知らない人・・こんな、悲しいことは、ないでしょう!
私は、思いました。
神が完全であるならば、幸せしか無い世界を、作るはずがないと・・・、
また、不幸せしか無い世界も、作るはずがないと・・・。
そうです。
完全な神であるならば、不幸せと幸せのある世界を作るでしょう。
と言うことは、 私たちの住んでいる地球は、完全な世界だと言うことです。
なぜなら、地球には、たくさんの不幸せがあり、たくさんの幸せがあるからです。
あなたは、その地球に住んでいるのですから、「私は、なぜ、不幸せなのだ!」と、嘆かないでください!
あなたは、今、幸せの中にいるのですから ・・・。
この世界に、リスクが有るのは、幸せを得るためには、仕方がないことなのです。
幸せと不幸せを、体験しなければ、幸せが味わえないからです。
光ばかりでは、光はないのです。光と闇が有るから、光が有るのです。
私が、光と闇が、一対になっている、と言うのは、一つでは、一つが存在できないからです。
つまり、この地球に、幸せと不幸せが有るのは、幸せだけでは、幸せになれないからです。
2021.07.21
神は、完全ですから、神がなされることに、意味の無いことは、一つもありません。
どんな良いことにも、どんな悪いことにも、必ず、意味があるのです。
例えば、災害が起きたとしましょう!
その災害で、たくさんの人が傷つき、たくさんの人が死にました。
なぜ、起きたのか? 原因を追究します。
例えば、原因が人による場合は、その人を罰します。原因が分からない場合は、偶然で処理してしまいます。
勿論、二度と起きないよう、物理的な処理は行われます。
でも、今の社会は、それで、終わりなのです。
この処理方法は、結果対処ですから、いずれ、再び、災害が起きるのです。
災害の背後には、必ず、 「意」、「想い」、つまり、原因があるのです。
ですから、想いを正さない限り、同じ災害が起きるのです。
神は、そのことに、気づきなさい! と言って、何度も、災害を与えるのです。
いや、神が与えるのではなく、「原因と結果の法則」が与えるのです。
一般の人は、理解できないと思いますが、学びの友の皆さんは、理解してやってください。
でなければ、神が可哀想です。
なぜ、神が可哀想なのか? 学びの友の皆さんなら、お分かり頂けると思います。
「原因と結果の法則」は、神が創られた、宇宙の法則です。
神が創られた法則ですから、法則そのものが、神なのです。
この法則は、万全です。完全です。一つの欠陥もありません。
そう言う法則が、宇宙を差配しているのですから、私たちは、法則に、従順に生きるべきなのです。
しかし、人間は、好き勝手な生き方をします。
だから、痛い目に遭うわけですが、しかし、何度、痛い目に遭っても、気づかないのです。
これは、人間に自由意志があるからですが、どんなに自由意志があっても、法則の外で生きることはできないのです。
と言うことは、自分で生きることはできない、と言うことです。
私たちは、神に生かされているのです。
私たちは、生きているのでは無く、神の力によって、神の恵みによって、神の法則によって、生かされているのです。
生かされていることに、気づきましょう!
「生きていること自体に、意味があるのですよ!」と、私が言うのは、生きていれば、必ず、進化成長できるからです。
なぜ、生きていれば、進化成長できるか、と言いますと、時間の中にいるからです。
生きている、と言うことは、時間の中にいる、と言うことなのです。
私たちは、肉体を持っていますが、同時に、意識も持っているのです。
この肉体は、「間」なのです。意識は、「時」なのです。
と言うことは、 私たちは、「時間」そのものだと言うことです。
「時」は、エネルギーですから、肉体(間)は、一秒一秒、エネルギーに晒されていることになります。
エネルギーに晒されれば、原子核が増えるようになっているのです。
だから、生きているだけで、進化成長できるのです。
何と、思いやりのある、神なのでしょうか? 神に感謝しましょう!
神の賛歌・・「思いやりのある神」
2021.07.22
「1」は、無限です。永遠です。完全です。
「1」は、全てのすべて、有りて有るものです。
大宇宙の存在物は、全て、この「1」から、生まれたのです。
だから、「1」を知れば、全てを知ることができるのです。
「1」とは、神のことなのです。
神が、宇宙を創造し、全てのモノを生み出しているのです。
表現宇宙も、地球も、鉱物も、植物も、動物も、人間も、みな、神の創造物なのです。
だから、私たちは、「1」の子であり、神の子なのです。
人生の目的は、自分が、「1」から生まれた、「1」の子である、つまり、「神」から生まれた、「神の子」であることを、知ることです。
それも、心の底で知ることです。
最終的には、変性変容が起きるところまで、神を深く知ることです。
オリンピック旗は、人類の統合を、五色の輪に託した、シンボルです。
基本色の一つである「白色」は、天を意味し、「心」を表しています。
基本色である、もう一つの「黒色」は、地を意味し、「物質」を表しています。
三原色の「赤色」は、物質科学を意味し、「黄色」は、精神科学を意味し、「緑色」は、自然科学を意味しております。
いずれも、バランスを取れば、素晴らしい世界が実現すると言う、願いが込められております。
本来、一つの色を、五色に分けるのは、仲間意識を作り、争いの要因となるので、好ましくないのですが、そうしなければ、一つの色から生まれた同胞だと、気づいてもらえないので、天は、リスク犯してまで、色分けされたのです。
要するに、天は、姿形は違っても、本性において、人類は、一つなのですよ!、同胞なのですよ!、同じ兄妹姉妹なのですよ!、と言うことに、気づいてもらいたいのです。
人類は、やがて、そのことに、気づきます。
その時こそ、私が提示した、理想の世が、現実のものとなるのです。
【人類の夜明2のコラムより抜粋】
(地球には、白色人種、黄色人種、赤色人種、黒色人種、緑色人種、の5種類の人種が存在している )
2021.07.23
神は、この宇宙に、「真・善・美」を表現したいのです。
でも、神は、姿形がありませんので、表現したくても、できないのです。
そこで、神は、自分の代弁代行者として、人間を創られたのです。
ですから、人間には、神の思いを表現する、使命があるのです。
では、私たちは、どうすれば、使命を全うすることができるのでしょうか?
私たちは、言葉を持っています。手足を持っています。
その言葉と手足を使って、「真・善・美」を、表現してあげれば、良いのです。
そのためには、正しい思いを持ち、正しい言葉を話し、正しい行為をすることです。
しかし、今、人類は、 事件・事故・病気・戦争・環境破壊など、醜い表現をしています。
これでは、使命を全うしている、とは言えません。
せめて、学びの友の皆さんだけでも、良い表現をしてあげましょう!
宇宙は、「真・善・美」の下にあります。
ですから、本来、この宇宙に、偽りや、不善や、醜いモノが、はびこることは、ありません。
今、人間界に、悪が、はびこっているのは、人間が、悪想念を放っているからです。
それは、神と同じ想念力を持っているから、できることなのです。
それほど、人間の想念は、偉大な力を持っている、と言うことです。
どうか、想念の偉大さを、知ってください。
そして、その偉大な想念を、良いことに使ってください。
そうすれば、地球は、素晴らしい星になるのですから ・・・。
全て、人類の想念次第です。
2021.07.24
真理を学んでいるからと言って、肩苦しい生き方は、しないでください!
自分の思い通りに、生きたら良いのです。
テレビを、見たかったら、見たら良いのです。
映画を、見に行きたかったら、見に行ったら良いのです。
旅行に行きたかったら、 旅行に行ったら良いのです。
美味しいものを、食べに行きたかったら、食べに行ったら良いのです。
真理を学んでいるから、こう言う生き方を、しなければならない!、と言った、肩苦しい生き方は、しないでください。
どんなに、背伸びしても、自分の思い通りの生き方しか、できないのですから・・・。
神は、人間臭いのですから、私たちも、人間臭くて良いのです。
ただし、次のことだけは、守ってください。
この三つを、やっていたら、あなたは、間違いなく、人生の目的を達成することができます。
どうか、楽しく、真理を学んでください。
私たちは、何のために、生まれてきたのでしょうか?
この世の物を、集めるためでしょうか?
地位や、名誉や、権力を、得るためでしょうか?
いいえ、本当の自分を知るために、生まれてきたのです。
本当の自分を知るためには、前述した、三つのことは、欠かせないのです。
私たちが、やるべきことは、前述した、三つのことは、やることです。
そして、後は、神に委ねることです。
そしたら、神は、決して、悪いようにはしません。
「お父さん!」と、顔を向けた我が子を、親(神)が、ほったらかしにすると、思いますか?
ネガティブなことを考え、ネガティブのことをするから ・・原因と結果の法則によって、痛い目に、遭うのです。
神を信じてください!
真剣に、神を求めてください!
私は、「人事を尽くして、天命を待つ!」・・この言葉が大好きです。
私が、ここまで、成長してこれたのは、この言葉を大切にしてきたからです。
つまり、努力してきたからです。
「人事を尽くして、天命を待つ!」 この姿勢を貫いてください!
2021.07.25
あなたは、これまで、散々、厭なものを、見せられました。 散々、嫌なことを、聞かされました。
でも、それは、あなたの中にある、厭なものを、見せられ、あなたの中にある、嫌なことを、聞かされたのです。
それは、あなたが、あなたに、必要だから、見せたのです。
自分の欠点に、気づいてもらいたくて ・・。
人の振り見て、我が振り直せる、この表現世界に、感謝しましょう!
私たちは、「身・口・意」を、正さなければならないのです。
最初に、あるのは、意です。それが、言葉になり、行為になるのです。
ですから、正しい思いを持つことが、大切なのです。
正しい思いを持てば、正しい言葉になり、正しい行為になるからです。
嫌なものを、見せられるのは、自分の意(思い)の中に、その、嫌なものが、あるからです。
自分の中にないものは、見せられないのです。
だから、私たちは、人の振り見て、我が振り直せるのです。
それは、自分の「意」を、見せられてるようなものなのです。
あなたが、悪を許さないのは、あなたの中に、同じ、悪があるからです。
その悪が、自分の進化成長に、必要な悪だと、思えた時 、あなたは、悪を許せるようになるのです。
なぜなら、 あなたの中に、悪を憎む思いが、無くなったからです。
2021.07.26
肉に負けては、ダメです。
肉は、甘やかせれば、甘やかせるほど、つけ上がってきます。
肉体と言うのは、
怠け者なのです。
楽をしたがるのです。
甘えたがるのです。
辛いことが嫌いなのです。
ケチなのです。
ケチなくせに、強欲なのです。その強欲は、限りがないのです。
美味しい物を、食べたがるし、
きらびやかな物を、着たがるし、
豪邸を、欲しがるし、
良い車を、欲しがるし、
心地良いものを、欲しがるし、
手に負えないのです。
そんな、肉に、負けないでください。
もし、欲望が膨らんだら、強い気持ちで、退けてください。
ただし、中庸は、守ってください。
今のあなたの原子核においての中庸であれば、 少々の欲望は、良いのですから・・・。
何せ、肉体は、
ちょっと暑ければ、暑いと騒ぎ、
ちょっと寒いと、寒いと騒ぎ、
ちょっと痛いと、痛いと騒ぐのです。
真の勝者とは、肉の欲望に打ち勝った人のことです。
ムラムラと、欲望が湧いてきたら、瞑想をして、退けてください。
私たちの肉体は、生かされているのです。
ですから、肉体は、自分では、何もできないのです。
肉体を動かしているのは、意識です。生命です。すなわち、神です。
神が、肉体の中に入って、生かし、動かし、働かせているのです。
ですから、本来、肉体は、神に従順でなければならないのです。
しかし、肉体は、 好き勝手に生きようとします。これが、自我です。
自分に勝つとは、自我に勝つことを、言うのです。
自我に勝った者だけが、真の勝者と、言えるのです。
旧・光のメロディ「私は負けない!」
2021.07.27
私たちが住んでいる地球は、はっきり言って、幻の世界なのです。
時々刻々と変化する、無常の世界なのです。
無常の世界ですから、そこで起きたことに、本当は、悩むことも、心を痛めることも、ないのです。
見てください! 毎日、たくさんの人たちが、死んで行っているではありませんか?
あなたの、おばあさんは?、おじいさんは? あの有名人は?
山だって、川だって、刻々と変化しているのです。
一時も、同じ状態でいられないのが、この幻の世界なのです。
幻ですから、惑わされてはならないのです。
では、幻に、惑わされないためには、どうしたら、良いのでしょうか?
それは、真理を、知ることです。それも、心の底で、知ることです。
心の底で知ったら、真実と現実(幻)の区別がつくようになるので、惑わされなくなるのです。
どうか、幻のために、悩まないでください!、心を痛めないでください!
明日になれば、状況が変わってしまう、幻の世界なのですから・・・。
世の中には、うつ病で、苦しんでいる、人たちが、たくさんいます。
どうして、そのような、病気に、なるのでしょうか?
それは、憑依幽霊の仕業なのです。
地球の周りには、迷った幽霊が、たくさん、浮遊しており、その幽霊と同調すると、うつ病に、なってしまうのです。
今、世界中で、人殺しや自殺など、たくさんの悲劇が起きていますが、その殆んどが、憑依霊によるものなのです。
では、どうしたら、憑依霊から、逃れられるのでしょうか?
それは、「身・口・意」を正すことです。
正しい思いを持ち、正しい言葉を話し、正しい行為をすれば、そのような、憑依霊に、憑かれることはありません。
学びの友の皆さんは、そのような、幽霊に、憑かれることはないと思いますが、もし、憑かれたと思ったら、私のホームページを見てください。私の動画を見てください。
一番良いのは、瞑想をすることです。
鉱物・植物・動物しかいなかった、大昔には、地球の周りに、憑依霊など、浮遊していなかったのです。
人類が誕生し、自我を持つようになってから、憑依幽霊が増えていったのです。
でも、これは、人類が進化する過程において、仕方のない事なのです。
なぜなら、憑依幽霊に、打ち勝つことで、私たちは、成長できるからです。
憑依幽霊も、進化の過程には、必要だと言うことです。
人類が、進化成長していけば、地球に、憑依幽霊は、存在しなくなります。
2021.07.28
自分がいなかったら、何も無い!
こんな 、当たり前な、真理は、無いのです。
あなたが、いなかったら、何か有りますか?
例え、何か有ったとしても、認める自分がいなかったら、それは、無いのです。
例え、有ったとしても、と言う、例えはないのですから、自分が、すべてを創っているのです。
自分の抜きの宇宙は、あり得ないのです。
これだけは、動かし難い、事実なのです。
と言うことは、今、宇宙が有るわけですから、その宇宙は、自分である、と言うことになります。
自分がいなかったら、宇宙は無い! 宇宙がなかったら、自分は無い!
これは、自分と宇宙が、一つだからです。
「唯我独尊!」が、あなた、なのです。
あなた抜きの宇宙は、あり得ないし、また、宇宙抜きのあなたも、あり得ないのです。
そのことを、心の底で、知ってください。
この宇宙は、相対的に創られているのです。
一つでは、 この宇宙は、存在できないのです。
相手あっての宇宙です。相手あっての自分です。
また、自分あっての宇宙です。自分あっての相手です。
相手がいなければ、何も始まらないのです。
あなたは、相手なしに、卓球ができますか?
あなたは、相手なしに、相撲が取れますか?
例え、壁にボールをぶつけて、一人で卓球しようとしても、壁も相手ですから、相手なしには、卓球は、できないのです。
片手で、あなたは、ネクタイが締められますか?
一人では、何もできない、一人では、成長できないことを、知ってください。
2021.07.29
本源の意識の世界は、幸せいっぱいの世界です。
でも、本源の意識世界には、不幸せが無いので、幸せを味わっていても、幸せだと思えないのです。
幸せを味わっていても、幸せだと思えない!?
こんな、不幸せなことが、あるでしょうか?
そうです。不幸せを知らない意識は、幸せには、なれないのです。
だから、意識は、不幸せを体験するために、人間の中に入って、この表現世界に、出てきたのです。
人間は、意識の乗り物なのです。
意識は、今、この人間という乗り物に乗って、不幸せを体験している、真っ最中なのです。
幸せを、味わうために ・・・。
この宇宙は、「真・善・美」で満たされている、素晴らしい世界です。
でも、その世界に、ずっといたのでは、「真・善・美」の有難みが分からないのです。
そこで、意識は、「真・善・美」の有難みを知るために、「偽・悪・醜」の、たくさん有る、この表現世界に、人間の体を借りて、出てきたのです。
今の地球人類は、本当の自分を見失っている、状態なのです。
つまり、 肉体が、自分だと思っている、状態なのです。
肉体が、自分だと思えば、どうしても、「真・善・美」から離れ、「偽・悪・醜」に傾いてしまうのです。
でも、「真・善・美」を知るためには、「 偽・悪・醜」の体験が、必要なのです。
だから、人類(意識)は、今、「偽・悪・醜」を体験して、「真・善・美 」を知ろうとしているのです。
光のメロディ「幸せ」
2021.07.30
「体験は宝ですよ!」と、私は言います。
そうです。 体験は、宝なのです。
私たちは、これまで、どれほど、苦しい体験をしてきたことでしょう。
でも、その体験が、魂を大きくしてくれたのです。
みな、魂を大きくしてくれているのです。
特に、苦しい体験で、あれば、あるほど、成長させてくれるのです。
神は、無駄な体験をさせるわけがないのです。
ですから、今、苦しいからと言って、自暴自棄にならないでください。
いつか、必ず、あの苦しい体験があったから、今の自分があるのだ! と思える時がきます。
何が、体験しているのでしょうか?
肉体でしょうか?、魂でしょうか? 魂が体験しているのです。
肉体は、魂の乗り物ですから、肉体が体験しても、意味がないのです。
永遠に生き通す、魂が体験してこそ、意味があるのです。
その魂は、肉体(五感)を通さなければ、納得できる、体験が、できないのです。
なぜなら、具体性がないからです。
だから、魂は、五官を備えた肉体の中に入ってきたのです。
その体験も、一度や、二度では、ダメなのです。
何度も、何度も、体験しなくては、魂に根付かないのです。
ですから、これまで、同じような体験を、何度もしてきたのです。
これからも、同じような体験をするかも知れません。
でも、嫌がってはなりません。必要だから、させられるのですから・・・
旧・光のメロディー「体験」
2021.07.31