私たちは、
必然の下に、生まれ、
必然の下に、生かされ、
必然の下に、動かされ、
必然の下に、働かされているのです。
この宇宙に、偶然と言うものは、一つも無いのです。
もし、偶然があるなら、今、宇宙は、存在していないからです。
よく、考えてみてください!
あなたは、偶然に生まれ、偶然に死ぬのでしょうか?
また、偶然に病気になり、偶然に老いるのでしょうか?
もし、偶然になるなら、あなたは、身を守る必要はありません。
どんなに、身を守っても、偶然に老い、偶然に病気になり、偶然に死ぬのですから・・・。
世の人々は、偶然を信じながら、栄養剤を飲んだり、健康体操などして、身を守っていますが、これは、矛盾と言うものです。
なぜ、偶然を信じている人が、暴飲暴食を謹んだり、深酒に注意したり、睡眠時間に気を使ったりするのでしょうか?
それは、乱暴に体を使ったら、体の秩序が乱れ、病気になると思っているからではありませんか?
と言うことは、必然を認めている(秩序を認めている・法則を認めている)と言うことではありませんか?
そうです。世の人々は、偶然を信じながら、必然に生きているのです。
病気になるのも、老いるのも、背後に、そうさせる「力」があるからです。
その「力」は、偶然からは、生まれないのです。
もし、偶然から、「力」が生まれるなら、宇宙は、今、存在していないでしょう。
今日まで、宇宙が、延々と存続してこれたのは、「力」は、必然から生まれたからです。
「力」は、必然そのもの、法則そのもの、秩序そのものなのです。
これは、当たり前のことなのです。
当たり前は、偶然なのでしょうか? 必然なのでしょうか?
よく、考えてみてください!
私たちの身体には、抗体が生まれたり、自然治癒力が働いたりする、不思議な「力」が存在します。
この「力」は、偶然から生まれた、「力」なのでしょうか? 必然から生まれた、「力」なのでしょうか ?
必然から生まれた、「力」なのです。
なぜなら、この「力」を生み出した知恵者が、背後に存在するからです。
その存在者を、私は、神と呼んだり、生命と呼んだり、意識と呼んだり、X と呼んだり、しているのです。
その知恵者は、計画を持ち、目的を持っているのです。
と言うことは、「力」は、必然によって生まれた、と言うことです。
偶然には、計画も、目的も、無いからです。
地球の科学者たちは、必然の「力」を認めませんが、進化した星の科学者たちは、必然の「力」を認めています。
彼らは、法則 (秩序) が、宇宙を支配していることを、知っているからです。
しかし、彼らも、必然の「力」が、何なのか? どこから来ているのか? 解っていません。
でも、そのような「力」が有ることは、認めているのです。それで、良いのです。
なぜなら、宇宙は、解らないことだらけだからです。
進化した星の科学者たちは、そのことを、理解しているのです。
地球の科学者たちは、そのことが、まだ、理解できない段階なのです。
2021.06.01
人間が髭を生やす理由は、三通りあると思います。
私が、ヒゲを生やしている理由は、三番目です。
男性なら、三日に一度は、ヒゲを剃らなければなりません。
でも、ヒゲを生やしていたら、剃る必要がありません。伸びたら、ちょちょっと、ハサミで整えればいいだけです。
私は、ヒゲを剃る時間を、瞑想に当てたいのです。
社会に出て働いている人は、身だしなみは大切ですから、 髭を剃らなくてはならないでしょう。
でも、私は、働きに出ていないので、あんまり、身だしなみを気にしなくていいのです。
では、神は、なぜ、動物には、髭を生えさせないようにして、人間には、髭を生えさせるようにしたのでしょうか?
考えてみてください!
私が、なぜ、このような、話をするのかも、考えてみてください!
自然界の生き物たちは、生かされるままに、生きています。あるがままに、生きています。
それが、一番、調和の取れた生き方だからです。
しかし、人間はどうでしょう! 好き勝手に、生きています!
見てください! 人間が作ったもので、美しいものが、一つでも、あるでしょうか?
例えば、街並みを見てください! 建物を見てください! 実に、醜いです。
それは、動機が、不純だからです。
「人に良く見られたい! 偉く見せたい! お金儲けしたい!」 そんな、不純な動機で、美しいものが、作れるわけがないのです。
完全な神が、この表現世界を創られたわけですから、全て、完全に創られているはずです。
その完全に創られている表現世界を、人間の欲で変えるのは、神に逆らうことになるのです。
自然のままが、一番いいのです。自然のままが、一番幸せなのです。
どうか、生かされるままに、生きてください! その方が、気楽です。
表現世界は、思い(意)を表現する場ですから、その人が、どんな思い(意)を持っているかは、表現を見れば、分かります。
そこで、神は、私たちに、三つの表現道具を与えてくれました。
それが、「意・口・身」です。
この「意・口・身」は、魂の熟成度を測るバロメーターにもなっているのです。
「意」は、見えませんから、魂の熟成度を見分けるのは難しいです。
でも、「 口と身」を見れば分ります。
言葉では・・・
話の内容、話し方などから、見分けることができます。
身では・・・
着る物や、身に付ける物や、身を飾る物(刺青・ 髪・ 爪・ 化粧・ 香水など)や、乗り物や、住んでいる家などで、見分けることができます。
同類の魂は、言葉も、身も、似たような表現をするのです。
ですから、表現を見たら、魂の熟成度が分かるのです。
どんなに、繕っても、繕い切れるものではありません。
神は、このように、表現の仕方で、魂の成熟度が分かるようにしてくれているのです。
真実を求めている人に捧げるメロディ「限りなく美しく」
2021.06.02
人類は、「生・老・病・死」を恐れていますが、この宇宙に「生・老・病・死」というものはありません。特に、死というものはありません。
死は、生につながり、生は、死につながっているのです。
もし、死があるなら、終わりがあることになり、この宇宙は、永久に、閉ざされてしまうでしょう。
死と生の繰り返しは、「循環の法則」の一側面なのです。
循環しているから、永遠に生き長らえるのです。
確かに、形(肉体)には、死があるように見えます。
でも、これは、循環している姿であって、死ではないのです。
形(肉体)に、死が無いなら、当然、意識にも、死が無いでしょう。
なぜなら、形を生み出し生かしているのは、意識だからです。
だから、私は、この宇宙に、死は無いと言うのです。
死を恐れてはなりません。
形(肉体)の死は、喜ぶべき変化なのです。
それは、自由に向かって解放されるからです。
私たちには、二つの永遠の生があるのです。
形の永遠の生は、私たちの考えているような生ではないかも知れませんが、形は、永遠に持ち続けるのです。
意識の永遠の生は、魂の生です。
この魂は、どんどん、どんどんと、拡大し、宇宙大になっていくのです。
宇宙には、終わりが無いのです。
終わりが無いがゆえに、二つの生にも、終わりが無いのです。
2021.06.03
これは、真理を知らないからです。
この宇宙には、自分しかいないのです。
自分しかいないのですから、自分を変えたら良いのです。
なぜなら、自分を変えたら、外側も変わるからです。
なぜ、嫌なものを、見せられたと思いますか?
それは、自分の中に、その嫌なものがあるからです。
それに、気づいて欲しくて、自分が、自分に嫌なものを見せたのです。
ですから、自分の中に嫌なものが無くなったら、そんな、嫌なものは、見せられなくなるのです。
それは、もう、学び終わり、見せる必要が無くなったからです。
このように、自分が成長したら(自分が変わったら)、黙っていても、外側が変わるのです。
だから、自分を変えることだけ、考えたら、良いのです。
どうしたら、自分を変えることが、できるのでしょうか?
何か難しいことを覚える、必要があるのでしょうか?
何か修行する、必要があるのでしょうか?
いいえ、
二つのことを、すればいいのです。
この二つのことを、やっていれば、いつのまにか、自分が変わるのです。
焦ることは、ありません。日々、やるべきことを、やってください。
そして、瞑想をしてください 。
そうすれば、あなたは、間違いなく、変わります。
2021.06.04
人間って、何でしょうか?
国って、何でしょうか?
日本って、何でしょうか?
肉体が、人間なのでしょうか?
国会議事堂が、国なのでしょうか?
日本列島が、日本なのでしょうか?
いいえ、違います。
では、どんな条件が揃ったら、人間になり、国になり、日本になるのでしょうか?
この問いに、答えられる人は、学びの友の皆さん以外、いないと思います。
私たちは、人間がいる、 国がある、日本がある、と思っていますが、それは、形を見て有ると思っているだけです。
なぜなら、人間も、国も、日本も、形に付けられた名前であって、本当に有るものではないからです。
どんな条件も、名前なのです。
例えば、
なぜなら、国も、人間も、皆、消えて無くなるからです。
消えて無くなるのは、本当に有るものではないからです。
では、どう言うものが、国であり、どう言うものが、人間なのでしょうか?
それは、本当に有るものが、国であり、本当に有るものが、人間なのです。
では、本当に有るものとは、何でしょうか?
本当に有るものとは、形(名前)の背後に存在している、意識(神・主観者)です。
意識(神・ 主観者)は、外側のものを作って、外側のものに名前を付けないと、自分が存在できないのです。
だから、自分の意識(想念)で、外側のものを作ったのです。
私たちは、名前(形)を、本当に有ると、思い違いしているのです。
私たちは、これまで、たくさんの苦しみを、体験してきました。
また、今も、苦しみを、体験しています。
それは、形(名前)を、本当にあると思って、自分の宇宙に入れるからです。
形(名前)は、幻ですから、受け取らなかったら、自分の宇宙を、汚すことはないのです。
でも、五感があるから、どうしても、受け取ってしまうのです。
でも、それで、良かったのです。
なぜなら、 本当にあると思うから、真剣に学べ、原子核を大きくすることができるからです。
外側のものに、名前を付けて、はじめて、意識(神・主観者)は、存在できるのです。
原子・菌・虫・ 鉱物・植物・動物・人間・国・地球・太陽系・銀河系・大宇宙・大大宇宙・大大大宇宙・・・と、果てしなく、外側に、名前を付け続けることで、たった一つの意識( 神・主観者)は、永遠に存在できるのです。
2021.06.05
皆さんは、何を信じて生きていますか?
お金ですか?、物ですか?、地位や名誉や権力ですか?
それが、永遠に有るのだったら、私は、それを、信じて、生きて良いと思うのです。
でも、そんなものは、一時では、ありませんか?
一時のものを信じて、心が休まると思いますか?
学びの友の皆さんは、本物と偽物を見分ける目を養った熟した魂です。
それは、何万転生も、苦難の人生を、歩んできた成果です。
ですから、皆さんは、もう、偽物に騙されることはありません。
どうか、自分を信じてください!
今、学んでる真理を信じてください!
自分を信じないで、何を信じると言うのですか?
私たちは、何でしょうか? 人間ですか?、肉体ですか?
先日、皆既月食がありました。みな、興味津々で、夜空を眺めていました。
なぜ、人間は、天体ショーに、興味を持つのでしょうか?
それは、私たちが、宇宙子だからです。私たちは、宇宙から生まれたのです。
だから、宇宙が、懐かしいのです。
今は、信じられないかも知れませんが、いずれ、信じられる時が来ます。
その時は、もう、嬉しくて、嬉しくて、たまりません。
ただ、ただ、嬉しいのです!
これは、体験者が言うのですから、間違いありません。
楽しみですね!
原子核を大きくしましょう!、魂を大きくしましょう !
私たちは、そのために、生まれてきたのですから・・・。
「夏の夜空」
2021.06.06
神の愛は、半端ではないのです。
神の愛は、海よりも、深く、山よりも、大きいのです。
その愛は、あまりにも、緻密で、深くて、大きくて、言葉や文字で、表しようがありません。
なぜ、そう言えるのか、と言いますと、どんな事の中にも、進化成長へ導いてくれている、意図が感じられるからです。
そうです!
自分の人生を、振り返ってみてください!
きっと、私の言っていることが、分かると思います。
どうか、神の愛の「深さ、大きさ」を知ってください!
どうか、神の愛の「緻密さ」を知ってください!
知れば、神に頭を垂れざるを得ないでしょう!
一般の人には、神の愛の深さは、分らないかも知れません。
でも、学びの友の皆さんだけは、分かってあげてください。
分かってあげる人がいなかったら、神は、可哀そうです。
神の愛は、峻厳な愛です。 厳しい愛です。
それは、神の愛そのものが、法則だからです。
法則は、絶対、許さないのです。
悪いことをしたら、 苦しみに遭いなさい!、と言う、厳しい愛です。
でも、それでは、あまりにも、厳し過ぎます。
苦しい愛は、私は、好きではありません。
私は、人情と神の愛を、プラスして、二で割った、愛情が好きなのです。
だからと言って、私は、甘やかしの愛も、嫌いです。
甘やかしの愛は、進化成長の妨げになるからです。
対して、厳しい愛は、進化成長を促します。
私たちは、この二つの愛から、中庸の愛を、学ばなければならないのです。
「愛の温もり」の曲を見てください! 実に、素晴らしい曲です。
この曲を創ってくれた、神に、感謝します。
また、この曲を降ろしてくれた、光の天使にも、感謝します。
2021.06.07
どんなことも、肯定してください!
どんなことも、良く受け取ってください!
なぜなら、神は、完全だからです。
神が完全である、と言うことは、この宇宙に、否定すべきことは、一つも無い!、と言うことです。
もし、否定すべきことが、一つでもあるなら、神は、完全でなくなってしまいます。
そんな、神がいるわけないのですから、どんな事も、肯定することです。どんな事も、良く受け取ることです。
繰り返します。
神は、完全です。 神は、完璧です。
神が完全である、と言うことは、この宇宙に、無駄なことは、一つも無い、と言うことです。
私たちが、やっていることも、無駄なことは、一つも無い、と言うことです。
例え、それが、肉体を破壊するようなことでも・・です。
なぜなら、どんなことも、進化成長に繋がっているからです。
私たちは、自我で、色々と悪いことを思います。
そして、苦しいことを引き寄せます。
でも、その悪い思いさえも、肯定すべきことなのです。
なぜなら、全て、進化成長の道に繋がっているからです。
だから、自我で歩んできた人生も、全て、良かった、と言うことです。
今日まで歩んできた人生を、後悔しては なりません!
全て、良い人生だったのですから ・・・・。
私たちが、思ったこと、語ったこと、行ったことは、全て、必然だったのです。
必然、と言うことは、良かった、と言うことです。
だから、自分の人生、後悔することはないのです 。
肯定する、と言うことは、認める、と言うことです。受け入れる、と言うことです。
神が完全ならば、当然でしょう!
この宇宙に、「否定語」は、無いのです。
どんな事も、「善し!」、「良し!」、「好し!」、です。
この思いは、神の完全性が、信じられれば、信じられるほど、強まるのです。
また、これは、魂の進化に比例して生まれる、納得度であり、確信度でもあるのです。
2021.06.08
ある学びの友が、こんなことを言っていました。
「今日から、全て肯定的な受け取り方をし、肯定的な生き方をしよう!」と・・・。
彼は、気づいたのです。
「完全な神が創られた宇宙に、否定することなど、あるはずがない!」と・・・。
肯定的に受け取れば、肯定的なものが生まれます。
否定的に受け取れば、否定的なものが生まれます。
否定は、闇ですから、否定すれば、不幸災難がやってきます。
肯定は、光ですから、 肯定すれば、良いことがやってきます。
それは、思いが、そうさせるのです。
どうか、肯定的な思いを持ってください!
そうすれば、あなたの側に、闇がやってくることはありません。
人間は、どうして、否定したがるのでしょうか? どうして、悪く思いたがるのでしょうか?
それは、長い輪廻転生において、たくさんの、痛い目や苦しい目に、遭ってきたからです。
たくさん、痛い目や苦しい目に、遭えば、どうしても、否定的な思いを持つ業(癖)を作ってしまうのです。
人間は、外側から、不幸災難が、やってくると思っていますから、人のせいにしたり、偶然のせいにしたりしますが、不幸災難が、外側から、やってくることはありません。
自分の否定的な思いや、ネガティブな思いが、不幸災難を呼び寄せたのです。
どうか、肯定的な思いを持ってください! 全て、良く受け取ってください!
神は、この宇宙に、良いことしか創っていないのですから・・・。
神が創られた、この宇宙は、光り輝いているのです。
ですから、悪い事など、一つもないのです。
しかし、人間社会には、悪しき事が、たくさん、あります。 何故でしょうか?
それは、ネガティブな想念を持つ人が、多いからです。
いつも言う事ですが、「想念は実現の母!」です。
想念は、良い事も、悪い事も、作るのです。
これは、私の体験からして、絶対、間違いありません。
どうか、良く受け取ってください!
そうすれば、驚くような人生体験の変化を、見ることができるでしょう!
2021.06.09
人間が、神である理由は、この宇宙が、必然によって創られ、必然によって運ばれてきたからです。
必然は、なるべきにしてなる、と言う意味で、そこには、法則が働いているのです。
法則は、意思と意図がなければ、生まれませんので、必然の背後には、意思と意図を持った存在者がいるのです。
その、意思と意図を持った存在を、神と呼んでいるのです。
だから、必然によって創られた人間は、神なのです。
私たちが、心から喜べるのは、必然の世界でのみです。
偶然の世界で、心から喜べることは、絶対、ありません。
なぜなら、偶然で得たものは、偶然で失うからです。
偶然で失うものは、努力で、防御できないのです。
ですから、どんなに得ても、不安で、心から喜べないのです。
しかし、必然で得たものは、必然で失うことはあっても、偶然で失うことがないから、安心なのです。
なぜなら、必然で失うものは、努力によって、防御できるからです。
世の人々は、どうして、一生懸命、働くのでしょうか?
それは、働いた分、収入が得られるからではないでしょうか?
と言うことは、必然に生きている、と言うことです。
つまり、「原因と結果の法則」に生きている、と言うことです。
でも、世の人々は、必然に生きていることに、気づいていないのです。
「原因と結果の法則」 に支配されている、この世界に、偶然は、絶対、あり得ないのです。
あり得ないのに、一生懸命、働いている、世の人々 ・・・、
何と、矛盾に満ちたことを、やっているのでしょうか?
でも、それで、良いのです。
一生懸命、やった分、進化成長できるのですから・・・。
神は、偶然を信じようが、必然を信じようが、一生懸命、やった分、進化成長できるようにしてくれているのです。
何と神は、慈悲深いのでしょうか!
この宇宙に、偶然が無いのは、今、宇宙が存在している、事実があるからです。
もし、偶然があるなら、今、宇宙は存在していないでしょう。
今、宇宙が存在していられるのも、今、私たちが存在していられるのも、必然の法則があるからです。
私たちは、
息をさせている力、考えさせている力、歩かせている力は、偶然から、生まれたのでしょうか?
いいえ、力は、必然から、生まれたのです。
なぜなら、 力には、意思と意図があるからです。
力に、意思と意図があるのは、力そのものが、神だからです。
その力によって、生まれた、人間は、間違いなく、神なのです。
私が、必然の話をするのは、人間が、神であることを、知って欲しいからです。
2021.06.10
私たちは、真理を追い求めて、何万回と言う、輪廻転生を繰り返してきました。
ある時は、国々を巡って・・、ある時は、山野を巡って・・、
でも、なかなか、本物の真理に、巡り合うことができませんでした。
でも、歯を食いしばり、今日まで、求道の旅を続けてきたのです。
そして、今生、ついに、本物の真理に、巡り合えたのです。
このチャンス、絶対、逃してはなりません。
逃せば、あなたは、向こうへ帰って、大泣きすることでしょう!
私は、いつも、言います。
神様は、一番大切なものを、一番近くに置いてくれていると ・・・。
そうです。真理は、一番近い、私たちの心の中にあったのです。
ですから、遠くに探しに行く、必要はなかったのです。
嬉しいでは、ありませんか?!
何よりも大切な真理が、一番近くに、あったのですから・・・後は、やるだけです!
どうか、今、やるべきことを、真心を込めて、やってください!
そして、神を想い続けてください!
きっと、自覚の境界線を、超えることができるでしょう !
何が、大切なのでしょうか?
物やお金でしょうか? 地位や名誉や権力でしょうか?
そんなものは、この世限りのものです。
私たちが、求めるべきものは、永久になくならない、真理です。
それは、どこか遠くに行く必要もありません。お金もかかりません。 誰にも邪魔されません。自分の家にいて、自分の自由意志で求められるのです。
神は、誰にでも、簡単に、真理が得られるようにしてくれているのです 。
宗教に入る、必要もありません。
難しい本を読む、必要もありません。
難行苦行も、必要ありません。
偶像を拝む、必要もありません。
賛美歌を唄う、必要もありません。
お経を詠む、必要もありません。
神の側面を深く知り、ただ、神を想い続けていたら、良いだけです。
明るく、明るく、朗らかに ・・
何事も、良く受け取り・・
神を想い!、光を想い!
今、やるべきことを・・
精いっぱいやって、生きましょう!
2021.06.11
人間と自分との関係を、考えてみましょう?
人間は、形があるので、分かります。
でも、自分には、形が無いので、分からないのです。
人間は、単なる形ですから、人間が生きることはないのです。
人間を生かしている、何かがあるのです。
では、人間を生かしている、何かとは、何でしょうか?
それが、自分なのです。
その自分は、意識なのです。力なのです。エネルギーなのです。
それを、神と呼んでいるだけです。
その神が、自らを分け、人間を創ったのです。
ですから、私たちは、神の分身なのです。
でも、殆んどの人が、自分のことを、人間だと思っているのです。
これが、不幸の原因なのです。
肉体が自分なら、肉体は、死んでしまいますから、自分は、死ぬことになります。
死ぬ自分が、自分なのでしょうか?
神は、そんな、虚しい自分を、創られたのでしょうか?
もし、死ぬ自分が、自分なら、どんな生き方をしたって良いのです。
人の物を盗もうが、人を傷つけようが・・・どうせ、自分は、消えて無くなってしまうのですから・・・。
そうではないのです。
自分は、永遠に、死なないのです。
肉体は、単なる自分の乗り物に過ぎないのです。
このことは、今まで、何度も言ってきたことですが、なぜ、何度も言うのかと言いますと、くどいほど、言い聞かせなくては、腹の底に落ちないからです。
腹の底に落ちない限り、どうしても、人間として生きてしまうのです。
それでは、いつまでたっても、人間を卒業できないのです。
皆さんの腹の底に落ちるまで、私は、これからも、くどいほど、言い続けるでしょう。
人間は、単なる名前です。名前が、実在であるはずがありません。
人間の背後には、 実在する「自分」が、いるのです。
その自分が、物を考え、肉体を動かしているのです。
今日まで、人生を歩ましてきたのは、肉体では無く、「自分」だったのです。
もう一度、自分について、考えてみてください 。
自分とは、
自分とは、
自分とは、そう言う存在なのです。
人間は、「自分」の乗り物である、と言うことを、心の底で知ってください!
心の底で知れば、あなたは、変わります。
2021.06.12
私たちは、天から地に降りてきた、「神の子」です。
どうして、天から地に降りてきたか、と言いますと、天にいたのでは、「神の自分」が解らないからです。
天から地に降りてきて、色々な体験をすることによって、「神の自分」を知るのです 。
天知る
地知る
我知る
人知る
と言う、諺がありますが、この諺の意味を一言で言えば、「地の自分を知ることによって、天の自分を知る!」と言う意味なのです。
絶対原子は、単体では、地上界に、降りて来ることはできません。
ですから、絶対原子は、反原子と原子に乗って、降りてきたのです。
神は、姿形もなければ、言葉もありませんので、地上に、美しい絵を描きたくても、できないのです。
そこで、神は、自分の代弁代行役として、人間を創り、地上に遣わしたのです。
でも、人間は、自分が神であることを、忘れているのです。
ですから、今、人類は、神の望みとは、似ても似つかぬ、醜い絵を描いているのです。
でも、地上界で、色々な体験を積んでいくうちに、やがて、自分が神であることを知ります。
その時、地上界に、美しい絵が描かれることになるのです。
人には、勝てても、自分に勝つことは、絶対、できません。
なぜなら、自分は、無限だからです。無限に、勝てる人など、いるわけがないのです。
人に勝って、増長している人は、何も、分っていない人です。
人に勝っても、謙虚な人は、宇宙の無限性が分かった人です。
どうか、謙虚になってください!
学びの友の皆さんなら、私の言わんとしていることを、解っていただけると思います。
2021.06.13
神が完全である理由は、この宇宙に、悪いものが、一つも無いからです。
もし、一つでも、悪いものがあるなら、神は、完全でなくなってしまいます。
そんな、神がいるわけありませんから、この宇宙に、悪いものは、一つも無いのです。
悪いものが、一つも無い、と言うことは、否定するものが、一つも無い、と言うことです。
そうです。
この宇宙に、何一つ、否定するものが無いのです。
全て、良し! 全て、好し! 全て、善し! です。
完全な神は、完全しか知りませんので、否定するものが創れないのです。
では、どうして、地球に、悪いものが、たくさん、あるのでしょうか?
それは、地球人類が、不完全を認めているからです。
つまり、悪を認めているからです。
でも、それは、人間が悪く受け取るから、悪になるのであって、良く受け取れば、良くなる悪なのです。
なぜなら、どんな悪も、進化成長の肥やしになっているからです。
完全なる神が創られた、この宇宙に、本質的な悪など、一つもないのです。
受け取り方、次第で、良くも、悪くもなる、悪なのです。
どんな事も、良く受け取る、癖を付けてください!
それが、想念のコントロールの学びです。
神が完全なのは、次のようなことで、証明できます。
① 神が創られた、この宇宙が、今、存在している事が、そうです。
神が創られた、私たちが、今、存在している事が、そうです。
もし、不完全があるなら、今、宇宙は、存在していません。
私たちも、今、存在していません。
② 神が完全である、と言う、極めつきの理由は、今、私と思えている意識があるからです。
この意識がなかったら、思えないのです。
思えること自体が、神の完全性を示しているのです。
③ 神が完全である、嬉しい証は、誰でも、必ず、自覚の境界線を超えられる、と言う保証があるからです。
④ 神が完全である、証しは、 この宇宙に、秩序があるからです。
秩序がある、と言うことは、法則がある、と言うことであり、
その法則は、完璧なのです。
⑤ 神が完全なのは、神そのものが、幸せそのものだからです。
つまり、神の側面である、一も、丸も、光も、エネルギーも、愛も、意識も、生命も、全て、幸せ、そのものだからです。
今、あなたは、苦しいかもしれません。悲しいかもしれません。辛いかもしれません。
しかし、それは、全て、進化成長の糧となっているのです。
あなたは、必ず、成長します。
それも、苦しければ、苦しいほど、悲しければ、悲しいほど、辛ければ、辛いほど・・・。
神の愛を、信じてください! 神の完全性を、信じてください!
神のメロディー 「神は完全」
2021.06.14
魂にも、色々と段階があります。
分かりやすく、三段階に、分けて考えてみましょう。
一段階の魂は、見える世界の話をします。 これは、科学者に、当てはまります。
二段階の魂は、幽界の話をします。 これは、宗教家に、当てはまります。
三段階の魂は、見えない世界の話をします。 これが、私たちです。
「物質」の話をするのが、科学者で、
「水」の話をするのが、宗教家で、
「空気」の話をするのが、私たちなのです。
物質は、一番、波動が鈍重です。
水は、物質に次いで、波動が鈍重です。
空気が、一番、精妙なのです。
鈍重な波動は、下にあります。精妙な波動は、上にあります。
と言うことは、「下の話」をする人は、未熟な魂であり、「上の話」をする人は、 熟した魂である、と言うことです。
「下の話」とは、女のこと・・、肉体のこと・・、この世のことです。
「上の話」とは、宇宙のこと・・、天のこと・・、神のこと・・、本当の自分のことです。
動物から人間になったばかりの魂は、物質を追い求めて行動します。
物質は、目や肌で感じられる、一番、分かりやすいものだからです。
でも、どんなに、物質を得ても、心は満たされません。
そこで、心を満たしてくれそうな、地位や、名誉や、権力を、求めるようになります。
でも、それでも、心は満たされません。
そこで、宗教や、哲学を、求めてゆくようになるのです。
学びの友の皆さんは、もう、それさえも、卒業した、魂です。
どうか、「自分は、そう言う魂なのだ!」と、自覚しながら生きてください!
決して、道を踏み外すことはないでしょう!
2021.06.15
皆さんは、何のために、生まれてきたのでしょうか?
この世のものを、得るためでしょうか? それとも、真実を、得るためでしょうか?
人生の目的を、よく、考えてみてください 。
皆さんは、真実を得るために、生まれてきたのです。
では、何が、真実なのでしょうか?
見えて、聞こえて、触れて、味わえて、臭えるものが、真実なのでしょうか?
もし、それが、真実なら、絶対に、無くならないはずです。
でも、五官で感じるものは、みな、消えて無くなってしまうのです。
消えて無くなるものが、真実であるはずがありません。
真実は、自分の意識です。
この意識だけは、絶対に、無くならないのです。
なぜ、無くならないかと言いますと、自分の意識が無くなったら、宇宙が無くなってしまうからです。
宇宙は、絶対、無くならないのですから、自分の意識も、絶対に、無くならないのです。
学びの友の皆さんは、その事を知ったのです。
知っても、まだ、消えて無くなるものを、追いかけるのですか?
私は、この世のものを、無視しなさい!、とは言いません。
でも、この世のものは、肉体が維持できるだけ、あったら、良いのです。
もう一度、 何のために、生まれてきたのか?
考えてみてください!
私が、お願いしたいことは、皆さんのマントラを、できるだけ多く、想って欲しい、と言う願いです。
皆さんが、自分のマントラを、想っている時は、この世の事が思えません。
この世の事を、思わなければ、悪い業を、作らないわけですから、三重の功徳が得られるのです。
どうか、出来うる限り、瞑想してください!
それが、私の願いです。
2021.06.16
あなたと共に生きる、幸せ・・
あなたと共に生きる、嬉しさ・・
私の人生には
いつも、あなたが、おりました
あの、苦しかった時にも
あの、楽しかった時にも
あの、辛かった時にも
あなたが、おりました
どんな窮地に立たされた時も
あなたは、決して、私を見放しませんでした
曲「あなた(神)と共に」の詩の一部分です。
学びの友の皆さん!、寂しがらないでください!、私たちは、一人ではないのです。
いつも、もう一人の自分と、生きてきたのです。
これからも、永遠に、生きてゆくのです。
今日まで、苦しいことが、あったかも知れません。
これからも、あるかも知れません。
でも、どうか、めげないでください。
あなたは、一人ではないのですから・・・。
真我と自我は、タッグを組んで、幸せの国に向かって、歩んでゆくのです。
新・光のメロディ「あなた(神)と共に」
2021.06.17
実在とは、何でしょうか? 非実在とは、何でしょうか?
実在が分かれば、非実在も分かると思いますので、実在について、考えてみましょう!
実在とは、不変・不動・永遠不滅・絶対無くならないものです。
私たちの目で見て、肌で感じられるものは、全て、無くなってしまいますので、非実在です。
分かりやすく言えば、実在とは、見えないものです。非実在とは、見えるものです。
意識は、見えませんから、実在です。
肉体は、見えますから、非実在です。
と言うことは、肉体と意識を持っている、私たちは、非実在であると同時に、実在である、と言うことです。
見えるものは、全て、消えてしまいます。見えないものは、絶対、消えません。
だから、見えるものは、夢幻で、見えないものが、絶対実在だと言うのです。
と言うことは、私たちは、毎日、夢幻を見ていることになります。
それも、これも、全て、夢幻です。
そんな、夢幻に、心を痛めたり、惑わされたり、してはいけません。
さあ! 一日も早く、原子核を大きくし、幻の世界から、卒業しましょう!
幻の価値に拘って、悩んだり、腹を立てたりするのは、大損です。
なぜなら、肉体を破壊してしまうからです。
価値は、人間界にだけ、あるのです。それも、人間のご都合主義によって作り上げた、条件が変われば、コロコロと変わってしまう価値です。
何十億円もする絵画があるようですが、その値段は、何処から生まれたのでしょうか? 誰が作ったのでしょうか?
奉仕社会には、価値は、ないのです。あるとしたら、平等な価値が、あるだけです。
幻の世界で、価値に拘って、心を痛める、そんな愚かなことをしてはなりません。
利口な人は、価値を、平等にみなします。
そうすれば、心を揺れ動かすことは、ありません。
心が、穏やかであれば、事故・災難・病気に、なることはないのです。
どうか、幻のために、心を痛めないでください。
2021.06.18
自我人間の考えることなんて、皆、同じです。
誰もが、お金が欲しいのです。物が欲しいのです。地位や、名誉や、財が欲しいのです。
これは、肉体が自分だと思ってる限り、仕方のないことです。
私も、そうだったのです。
でも、私は、そこから抜け出すことができたのです。
それは、真理を知ったからです。
真理を知った人と知らない人の生き方は、天地の差が出来るのです。
まだ、まだ、変化が起きますが、真理を実践するようになると、 今までとは違う自分に変わるのです。
本当の自分に、目覚めた人を、「覚者」と言います。
彼らは、自分が意識であることを、腹の底で知った人たちです。
何か、特別な人たちのように思いますが、誰でも、覚者になれるのです。
学びの友の皆さんは、その寸前まで来た魂です。
原子核を、もう一個集めたら、自覚の境界線を超えられる可能性のある魂です。
そう言う思いを持って、瞑想してください。
毎日が、楽しいです!
2021.06.19
グー・チョキ・パー・の三すくみが、この宇宙の実態です。
どう言うことか、と言いますと、
パーは、チョキに勝てません。
チョキは、グーに勝てません。
グーは、パーに勝てません。
逆に、
パーは、グーに勝てます。
グーは、チョキに勝てます。
チョキは、パーに勝てます。
この三すくみが、宇宙を存在させているのです。
パーとは、本源の神のことです。
チョキとは、神人のことです。
グー とは、人間のことです。
神は、人間がいなくては、存在できません。
人間は、神がいなくては、存在できません。
神人は、人間と神がいなくては、存在できません。
この三者が、互いに存在させ合っているのです。
と言うことは、人間は、神と肩を並べる、凄い存在だと言うことです。
この相対の世界は、相手がいる世界です。
どうして、相対の世界が創られたか、と言いますと、自分の欠点を、相手が教えてくれるからです。
自分一人では、成長が、少ないのです。
人の振り見て、我が振り直せる、世界だから、私たちは、大きく成長できるのです。
確かに、この相対の世界には、異色な人たちが、たくさん、おります。
ですから、その人たちと、仲睦まじく、やっていくのは、大変です。
でも、苦労すれば、苦労するほど、魂は、成長してゆくのですから、有り難いことなのです。
どうか、何事も良く受け取ってください。
2021.06.20
私たちは、何のために、生まれてきたのでしょうか?
家庭を持つため、でしょうか?
偉くなるため、でしょうか?
お金儲けするため、でしょうか?
いいえ、魂を大きくするために、生まれてきたのです。
これ以外、人生目的は、ありません。
では、魂を大きくするためには、どうしたら、良いのでしょうか?
それは、一に、社会体験、二に、瞑想をする事です。
なぜ、社会体験が、必要かと言いますと、魂は、嫌なことや、煩わしいことを、すれば、するほど、大きくなるように、出来ているからです。
だから、私は、嫌なことや、煩わしいことが、やってきても、逃げてはいけませんよ!と言うのです。
今の社会には、嫌なことや、煩わしいことが、たくさん、ありますが、これは、魂の成長にとって、必要なのです。
私の人生を振り返っても、嫌なことが、たくさん、ありました。
でも、私は、逃げませんでした。
逃げるどころか、嫌なことを、先に、やろうとさえしました。
嫌なことを、やった後の、あの清々しさ! あの爽快感! が、たまらなかったからです。
皆さんも、そんな、体験が、あるのでは、ありませんか?
どうか、嫌なことが、やってきても、逃げないで、やってください。
そしたら、間違いなく、魂が大きくなります。
これは、私の体験から言って、間違いありません 。
これは、 これまで、何度も述べてきたことですが、再認識してください!
何が、本当に、有るもので、何が、本当に、無いものでしょうか?
学びの友の皆さんには、釈迦に説法でしょうが、一般の人たちは、毎日、無いもののために、生きているのです。
悔いを残さないためにも、本当に有るもののために、生きましょう !
本当に有るものとは・・・
神です。
意識です。
本当の自分です。
2021.06.21
この表現世界は、相対の世界です。
なぜ、相対の世界が、必要かと言いますと、一つだけでは、一つが解らないからです。
二つに別れて、初めて、一つが解かるのです。
ですから、私たちは、 相手のいる、相対の世界に出てきて、一なる自分を知ろうとしているのです。
一人で、ジャングルで、瞑想していて、成長できるでしょうか?
一人で、洞窟の中で、瞑想していて、悟れるでしょうか?
一人では、成長できないし、悟れないのです。
白だけでは、白が分からないのです。
右だけでは、右が分からないのです。
黒があり、左があるから、白が分かり、右が分かるのです。
ジャングルの植物や動物たちは、自分の欠点を教えてくれないし、
洞窟で、瞑想しても、自分の欠点を教えてくれないのです。
人が、相手が、自分の欠点を教えてくれるのです。
確かに、この表現世界には、嫌な人が、たくさんいます。
でも、その嫌な人が、自分の欠点を、気づかせてくれるのですから、その人たちは、先生なのです。
そう思えれば、嫌な人も、良い人に、見えてくるでしょう。
殆んどの宗教では、輪廻転生の話をします。
でも、私は、余り、輪廻転生の話はしません。
輪廻転生の話しをしても、余り、意味がないからです。
私たちは、いつまでも、形の世界(物質界・ 幽界)に止まっていてはならないのです。
一日も早く、意識の世界、真実の世界に、帰らなければならないのです。
そのためには、原子核を大きくする、必要があるのです。
私は、その原子核を大きくする方法を、説いているのです。
2021.06.22
分数「1」を、探って行くと、永遠に、解明できないことが、分ってきます。
なぜ、解明できないか、と言いますと、分数「1」は、不確定の存在だからです。
分数「1」を、切っていってみてください! 無限に切れるはずです。
無限に切れる、と言うことは、分数「1」は、不確定である、と言うことです。
分数「1」が、不確定である、と言うことは、この表現世界も、不確定である、と言うことになります。
なぜなら、分数「1」の親である、元数「1」によって作られた世界だからです。
あなたは、今、宇宙のどこに住んでいるか、分かりますか?
あなたは、今、地球のどこに住んでいるか、分かりますか?
あなたは、今、日本のどこに住んでいるか、分かりますか?
あなたが、持っている、200平方メートルの土地は、 本当に、200平方メートルあるのでしょうか?
全て、不確定なのです。
そんな、不確定の世界で、欲を募らせて生きて、どうなのでしょうか?
私たちは、不確定の世界(おおよその世界)で、生きているのです。
だから、私は、 五十歩百歩で、生きたら良い!と言うのです。
解明できない、分数「1」を探るのは、無駄だと思うかも知れませんが、無駄ではないのです。
なぜなら、分数「1」が、不確定だと分ったら、表現世界も、不確定だと分かるので、不確定の世界に、囚われなくなるからです。
この表現世界は、幻の世界なのです。
蜃気楼のように、フラフラ浮いている、夢のような世界なのです。
あなたの持っている土地の面積は、確定されたものではないのです。
あなたの居る場所は、確定された場所ではないのです。
そう言う、不確定な世界だと分ったら、私たちは、どのように、生きたら、良いのでしょうか ?
争い合うことですか?、仲良くすることですか?
どんなに、たくさん、お金や物を得ても、消えてしまう、不確定な世界なのですよ!
あなたの肉体さえも、消えてしまう、不確定な世界なのですよ!
このことを知ったら、今まで、いかに、愚かな争いをしていたか? 恥ずかしくなると思います。
これまで、表現宇宙が、延々と存続してこれたのは、不確定の宇宙だからです。
もし、確定された宇宙なら、この表現宇宙は、とうの昔に、消滅していたでしょう。
ハンドルは、遊びがあるから、運転できるのです。固定されていたら、運転できないのです。
コンピューターで、円周率が、何桁まで出せるか、競っているようですが、どんなに、演算しても、永遠に、弾き出せないのです。
それは、分数「1」が、不確定だからです。
2021.06.23
人間は、生まれながらにして、幸せに出来ているのです。
なぜなら、想念を持っているからです。
ただし、この想念は、良く使えば、宝の山になり、悪く使えば、ボタ山になる、二面性を持っているのです。
人類は、今、悪く使って、ボタ山を作っているのです。
これは、真理を、知らないからです。
でも、学びの友の皆さんは、真理を知ったのですから、想念を良く使って、幸せになってください。
一番良い想いは、「神」です。これ以上の良い想いはありません。
「想念が全てを創っている !」・・皆さんは、まだ、疑っているのですか?
人類は、試されているのです。いかに、想念を良く使えるようになるか?!・・・。
幼い頃は、想念の使い方が、下手なのです。
人生体験を積み、成長すれば、想念の使い方が、上手になるのです。
進化のバロメーターは、想念を、良く使っているか?、悪く使っているか?で分かるのです。
原子核が増えれば、上手に想念が使えるようになるのです。
どうか、原子核を増やし、想念を上手に使えるようになってください!
幸せの青い鳥は、どこか、遠くにいるのではありません。一番近い、私たちの想念の中にいるのです。
旧・光のメロディ「幸せ」
2021.06.24
罪にさいなまれ
ノイローゼになる人がいますが
それは・・
罪の所在がわからないからです
罪は・・
作ったあなたの中にあるのですから
あなたが許せば
罪は消えてなくなるのです
(旧・光のメロディ「許し」の曲より)
世の中には、いつまでも、自分を許さない人がおりますが、これほど、罪なことはないのです。
なぜなら、自分の心を汚すと、同時に、神の心を汚すことになるからです。
私たちの心の中には、「人の心」と「神の心」が、同居しているのです。
大切なのは、「もう二度と悪いことをしません!」と、心から反省することです。
心から反省したら、罪の清算が終わったのですから、許されたのです。
真理を学んでいると、自分に対して、厳しくなるものですが、余り、厳し過ぎても、いけないのです。
どうか、中庸を、守ってください!
自分に、厳しくなれば、人に対しても、厳しくなるものです。
でも、一般人は、あなたより、ずーと、未熟な魂なのですから、厳しく当たっては、可哀想です。
どうか、寛容の心を持って、付き合ってください!
人を諭しても、聞き入れてくれるものではありません。
そう言う人には、一生懸命、やっている、自分の後ろ姿を見せることです。
そこまで、来ている、魂なら、あなたの後ろ姿を見て、変わるでしょう!
そこまで、来てない、魂なら、変わらないでしょう!
それで、良いのです。
「一生懸命やっている後ろ姿を見せる!」と言う意味は、何の成算も入ってない、純粋な後ろ姿を見せる、と言う意味です。
当てつけがましい思いが、少しでも、入っていたら、不純です。
ただ、純粋に、一生懸命やっている姿を、見せることです。
いや、見せるのでは、当てつけがましくなりますので、本人が、見てしまう、と言う、後ろ姿です。
分かってもらえるでしょうか?!
旧・光のメロディ「許し」
2021.06.25
よく、真理を学んでいるからと言って、特別な思いで生きようとする人がいますが、特別な思いで生きる必要はないのです。
なぜなら、自我(自分)の思い通りに生き、ここまで、成長してこれたからです。
失敗のように思えた人生は、成長に必要な失敗だったのです。
神は、完全です。完全な神が、 失敗する思いを持たせるわけがないし、失敗する言葉を話させるわけがないし、失敗する行為をさせるわけがないのです。
今日までの、あなたの「意・口・身」は、必然の思いであり、 必然の言葉であり、必然の行為だったのです。
だから、今日までの人生は、全て、良かったのです。
ただし、二つのことは、やってください。
後は、自我(自分)の思い通りに生きたら良いのです。
いつも、言う事ですが、私たちの中には、二人の自分がいるのです。
自我の自分は、肉体の都合の良い思いを持ちますから、どうしても、慾望のままに、感情のままに、生きてしまうのです。
そうすると、痛い苦しいが、やってきます。
でも、その、痛い苦しいが、魂を成長させるわけですから、自我の思いで生きたことは、成功なのです。
その成功に繋げているのが、真我の自分なのです。
二人は、どこまでも、一緒なのです。
神の絆奏曲 6番「私」
2021.06.26
困難を乗り越えた時、無上の幸福感を感じるのは、神の子ゆえでしょうか?
また、この世の幸せを、心から酔えないのも、神の子ゆえでしょうか?
神と言う言葉は、どうでも、良いのです。
神の中身を、心の底で、知れば、良いのです。
心の底で、知ったら、それでも! あれでも! これでも! そのものでも! 良いのです。
我、そのものなり!
我、そのものなり!
我、そのものなり!
そのものの中に、神の側面が、たくさん含まっていたら、それで良いのです。
神の側面を、深く知ったら、言葉さえ、要らなくなるのです。
すなわち・・
我、なり!
我、なり!
我、なり!
で、良いのです。
ただし、頭に、「我」、「吾」、「私」は、付けてください。
それが、瞑想です。
2021.06.27
私が、嬉しいのは、この宇宙には、退化はない・・進化成長しかない・・と言う、宇宙の仕組みの素晴らしさです。
もし、退化があり、幼い頃の体験を再びするなら、こんな悲惨なことはありません。
幼い頃の終わった体験を、もう二度とする必要がないから、私は、嬉しいのです。
これから体験することは、今まで体験したことのない、高度な体験だと思います。
つまり、緻密な体験、 精妙な体験、大きな体験、分厚い体験、奥深い体験、だと思います。それを考えると、ウキウキします。
学びの友の皆さんは、そこまできた、魂です。
どうか、「進化成長しか無い!」と言う、神の愛に応えてください。
それは・・、
瞑想することです!
瞑想することです!
瞑想することです!
この宇宙には、 二種類の冒険と開拓があります。
一つは、 現象の世界の冒険と開拓です。
これは、この世の冒険と開拓ですから、残るものではありません。
もう一つの冒険と開拓は、真実の世界の冒険と開拓ですから、永遠に残るものです。
私たちは、後者の冒険と開拓をしたいものです。
それは、社会体験と、瞑想と、思索で、出来るのです。
2021.06.28
私が、信じてもらいたいのは、 次の二つのことです。
この二つが信じられたら、あなたの心は、平安に満たされるでしょう。
1、想念は何でも実現させる
想念が何でも実現させる、証拠は・・
全て、自分の想念が、実現させたのです。
そんな、実績があるのですから、想念の偉大さが、信じられるはずです。
2、神は完全である
神が完全である、証拠は、
すなわち、全て、良いことである、と言うことです。
極め付きは、
ただ、それが、いかに、信じられるかです。
信じられたら、もう、何も心配することはありません。
私が、神に頭を垂れるのは、この二つを、実体験し、確信を持ったからです。
皆さんも、体験し、確信を持ったら、きっと、神に頭を垂れることでしょう!
世の中には、排除できるものと、排除できないものがあります。
内側のものは、排除できます。外側のものは、排除できません。
なぜなら、内側のものは、本当に有り、外側のものは、本当に無いからです。
本当に無いものを、排除できるわけがありません。
本当に無いものを、排除したかったら、無視することです。
外側のものを、有ると思うから、有るのです。無いと思ったら、無いのです。
内側のものとは、何でしょうか? 外側のものとは、何でしょうか?
内側のものとは、自分の想念です。外側のものとは、現象です。
自分の想念は、本当に有るものですから、思い次第で、排除できるのです。
しかし、現象は、無いものですから、排除できないのです。
だから、「無視しなさい!」と言うのです。
「想念は実現の母!」です。
受け取るから、有るのです。受け取らなかったら、無いのです。
2021.06.29
この地球には、たくさんの宗教があります。
どうして、たくさんの宗教があるのでしょうか?
たくさんの宗教がある、と言うことは、 たくさんの神がいる、と言うことになりませんか?
現に、どこの宗教も、独自の神を持っています。おかしいと、思いませんか?
神って、沢山いるのでしょうか?
神って、一体、何なのでしょうか?
神は、全ての本質なのです。
その本質は、たった一つしかないのです。
たった一つの本質が、様々な形になっているだけです。
ですから、 鉱物も、植物も、動物も、全て、神の分身です。
当然、人間も、神の分身です。
私たちは、そのことを、知るために、生まれてきたのです。
私たちは、自分が神であることを、知るために、生まれてきたのです。
でも、知っただけでは、ダメなのです。
神の自覚を持つところまで、信仰を深めねばなりません。
自覚を持てば、自分が変わるのです。変性変容が起きるのです。
だから、ここの学びは、難しいのです。
でも、やることは、簡単です。神を想い続けたら、良いのですか ら・・・、
ただ、続けられるか?、続けられないか?、だけです。
一般の宗教をやっている人は、まだ、神を知る段階まで、来ていないのです。
つまり、まだ、神門まで、来ていないのです。
でも、学びの友の皆さんは、すでに、神門を、くぐり抜けたのです。
後は、二つのことをやり、自覚を深めるだけです。
どうか、瞑想を続けてください!
2021.06.30