命 シリーズ
この宇宙は、命で満ち満ちているのです。
私たちは、その宇宙から生まれた命の子供たちです。
何が、心臓を動かしているのでしょうか?
息をさせているのは、誰でしょうか?
心臓を動かしているのも、息をさせているのも、命です。
だから、私たちは、 「命の子」と言われ、「息の子(息子)」と言われているのです。
そうです!
私たちは、命によって生かされ、命によって動かされ、 命によって働かされているのです。
人間が生きて、人間が動いて、人間が働いているのではないのです。
その証に、命のスイッチを切ってみてください。
途端に、人間は、動かなくなってしまうのです。
肉体は、命に、絶対服従なのです。
命が「こちらに来なさい!」と言ったら、 どんなに大金で命乞いをしても、帰らなければならないのです。お金で命は買えないと言うことです。
あなたは、いつ、命から、「こちらに来なさい!」と、言われるか分からないのですよ !?
ならば、悔いを残さないよう、1秒1秒、一生懸命、生きようではないでしょうか?
人間は、人は殺せても、人を生かすことはできません。
人を生かしているのは、命だからです。
どんなに、「生きたい!」と願っても叶わないのは、生殺与奪権を持っているのは、命だからです。人間は、命によって、生かされているのです。
さあ! 欲張らないで、生かされるままに、生きましょう!
医者は、よく、言います。
もう、いく日しか生きられませんよと・・・ 医者が、命を与えているのでしょうか?
命を与えているのは、命です。
命は、人間の手の届かないところにあるのです。
死ぬも、生きるも、命、任せなのです。
だから、人間は、命に対して、謙虚にならなければならないのです。
知花敏彦 講話集 ・・
2007年1月20日 「生命とは何か?肉体とは何か? 」より抜粋
2024.09.01
原因と結果の法則
真理を学んでいる人の中に、「私は何年も真理を学んでいるのに何も変わらない!」と言う人がおりますが、変わらないのは、瞑想のやり方が、間違っているか? 変わっていても、気づかないか? のどちらかだと思います。
本当に、真理を実践しているなら、変わらないはずがないのです。
なぜなら、「原因と結果の法則」は、嘘をつかないからです。
そうです。「原因と結果の法則」が、働かないことは、絶対ありません。
もし、働かなかったら、その瞬間、この宇宙が、消えてしまうからです。
この宇宙が、今日まで、延々と存続してこれたのは、原因と結果の法則が完璧に働いていたからです。
「結果と原因」は、切り離すことができないのです。
原因 = 結果
結果 = 原因 です。
あなたは、
一言足りとも、愚痴をこぼすことは、できません。
人のせいにすることも、できません。
偶然のせいにすることも、できません。
あなたに起きたことは、全て、あなたの責任です。
それは、あなたが、そう言う原因を創っていたからです。
それは、今生、記憶に無い原因による結果かも知れません。
あるいは、前世の原因による結果かも知れません。
でも、間違いなく、身から出た錆なのです。
私が、「神を想い続けなさい!」と言うのは、良い原因を創って欲しいからです。
この宇宙で、一番良い波動は、「神の想い」なのです。
神を想っている時は、一番良い原因を創っているのです。
また、神を想っている時は、悪いことが思えないわけですから、悪因を創らないで済むのです。
どうか、神を想い続けてください!
神を想い続けていたら、自己防御する必要はありません。
なぜなら、「原因と結果の法則」が、自分を守ってくれるからです。
どうして、今日まで、宇宙が存続して来られたのでしょうか?
それは、良い原因を創り続けてきたからではないでしょうか?
もし、悪い原因を創っていたなら、宇宙は、とうに存在していないでしょう。
では、誰が、今日まで、良い原因を創ってきたのでしょうか?
それは、人類です。
でも、人類が、自らの意思で、良い原因を創ったわけではありません。
「原因と結果の法則」が、良い原因を創らせたのです。
と言うことは、人類に、「原因と結果の法則」を与えた神が、良い原因を創ったと言うことになるでしょう。
人の幸不幸も、原因と結果の法則が創らせたのです。
今、幸せな人生を歩んでいる人は、原因と結果の法則によって、苦しみを体験して学び、良い原因を創るようになったからです。
今、苦しい人生を歩んでいる人は、まだ、体験から学んでおらず、悪い原因を創っているからです。
さあ! 良い原因を創り続けてゆきましょう!
2024.09.02
神シリーズ
すべては神
私も神!
あなたも神!
生きとし生けるものすべては神!
有象無象すべては神!
この宇宙に・・
神でないものは何一つありません
もし・・
神でないものが一つでもあったら、
神は・・
無限でも、完全でも、無くなってしまいます
すべてが神だから
神は無限であり、完全なのであります
【神のメロディ 「すべては神!」より抜粋。】
神は、怖れ多い存在でしょうか?
いいえ、何処にでもいる、ありふれた存在です。
この宇宙には、神しかおられないのです。
ゆえに、
空気は、神です。
水は、神です。
火は、神です。
土は、神です。
菌は、神です。
人類は、神です。
私は、神です。
あなたは、神です。
生命は、神です。
意識は、神です。
光は、神です。
力は、神です。
愛は、神です。
神は、遠くに、おられるのではないのです。
一番近い、私たちの中に、おられるのです。
ですから、神に逢いたかったら、自分の中を探れば良いのです。
「努力に勝るものなし! 」、これは、真理です。
神は、努力する者が大好きです。
なぜなら、自分を使ってくれているからです。
神は、「原因と結果の法則」、そのものなのです。
努力したら、努力した分、必ず、成長します。
これは、科学ですから、間違いありません。
知花敏彦 講話集 「神は実相の自分、人間は仮相の自分なぜ?」
2024.09.03
内側のモノと外側のものとの関係について、お話しましょう!
私たちは、今、外側の世界にいると思っていますが、同時に、内側の世界にもいるのです。
外側の世界にいる、と言う意味は、肉体の中にいる、と言う意味で、
内側の世界にいる、と言う意味は、意識の中にいる、と言う意味です。
肉体(自我)は、外側の存在で、意識(真我・魂)は、内側の存在なのです。
でも、この二つは、一緒でなければ、存在できないのです。
神は、内側のモノと外側のものとの関係を保ちながら、進化成長するよう仕組まれたのです。
内側のモノは、姿形がありませんから、体験することができません。
それでは、進化成長できないので、神は、外側のものを創り、その中に内側の意識(魂)を入れ、進化成長するよう計られたのです。
姿形のない魂が、進化成長するためには、姿形のある外側のものを通して、成長するしかないのです。
ですから、外側のものは、あくまでも、魂が成長するために必要な現象なのです。
確かに、 外側のものは、現象です。
でも、その現象の中に、学びの材料が、たくさん、隠されているのです。
例えば、今、あなたのところに、嫌な人や環境が、やって来ているとしましょう。
それは、結果が、やって来ていると言うことです。
では、その結果を連れてきたのは、誰でしょうか? あなた なのです。
あなたの意識(想念)は、原因ですから、原因者である、あなたが、嫌な人や環境を連れてきたのです。
ですから、嫌な人や環境を無くしたいと思ったら、あなたが、原因を創らないようにすることです。
そのためには、なぜ、このような、人や環境を連れてきたのか?
自分の中に、原因を突き止めることです。
原因と結果は、一つですから、原因者である、あなたが、変われば(成長すれば)、外側のものは、変わるのです。
このように、外側のものと内側のモノは、二つで一つなのです。
新・光のメロディ 「人類創生物語」
2024.09.04
神シリーズ
神
神を遠くに探してはなりません
神は、あなたの手よりも、足よりも、
近くに、おられるからです
また、神を外に探してもなりません
神は、あなたの心の中に、おられるからです
また、神を神秘化してもなりません
神は、どこにでもいる、
ありふれた、お方だからです
【旧・光のメロディ「神」より抜粋】
どうして、この世界には、争いごとが多いのでしょうか?
どうして、この世界には、病気が多いのでしょうか?
どうして、この世界では、事故や事件が起きるのでしょうか?
どうして、この世界では、自然災害が起きるのでしょうか?
それは、人間が、神を知らないからです。
神を知ったら、そのようなことは、一切、起きなくなるのです。
なぜなら、人の生き方が、全く変わってしまうからです。(社会の仕組みが、全く変わってしまう。)
では、神を知りましょう!
神とは、何でしょうか?
神は、怖れ多い存在でも、遠い存在でも、ありません。
どこにでもいる、ありふれた存在です。
なぜなら、神は、すべての全てだからです。
目に止まったもの、耳から入ってきたもの、すべてが、神だと思ってください!
思ったもの、口にしたもの、すべて、神だと思ってください!
あなたの思いは、神の思いです。
あなたの言葉は、神の言葉です。
あなたの行為は、神の行為です。
あなたの存在は、神の存在です。
今、あなたがいると言うことは、神がいると言うことです。
すべて、神ですから、全てのものを等しく愛してください!
神が、自負してることが、 たった一つあります。
それは、自我人間を創ったことです。
これは、神にとって、凄いことなのです。
なぜなら、自我人間が出来るまで、自分の存在が無かったからです。
自我人間が、自分を認め、初めて、自分が存在できるようになったのです。
神と人間の関係は、切っても、切っても、切り離せない関係にあるのです。
人間がいなかったら、神が存在しないし、神が存在しなかったら、人間も存在しないのです。
神と人間は、光と影の関係にあるのです。
影は、光がなくては、存在できません。
また、光も、光だけでは、存在できないのです。
このように、光と影は・・神と人間は・・相身互いの関係にあるのです。
それほど、人間は、神にとって掛け替えのない存在なのです。
2024.09.05
原因と結果の法則
結果だけ有って、原因が無いと言うことは、絶対、ありません。
結果と原因は、絶対、切り離せないのです。
もし、今、あなたに、良い結果が来ているとしたら、あなたが、良い原因を創っていたからです。
反対に、悪い結果が来ているとしたら、あなたが、悪い原因を創っていたからです。
原因と結果の法則は、一直線上に働くのです。
それを、端的に表しているのが、星の光です。
地球には、今、たくさんの星から光が届いています。
光が届いている状態は、結果です。
と言うことは、その背後に、必ず、原因があるはずです。
では、その原因を創ったのは、誰でしょうか?
それは、光を受け取っている、地球人類です。
地球人類が、原因を創り、地球人類が、結果を受け取っているのです。
光を放っている星と受け取っている星の間には、必ず、「因果関係」が成立しているのです。
無関係のところから、星の光が届くわけがないからです。
なぜなら、原因と結果は、切り離せないからです。
今、あなたは、花を見せられております。それは、結果です。
見せられている結果があると言うことは、必ず、見せている原因があるのです。
その原因は、見せられている本人です。
なぜなら、原因(見せている人)と、結果(見せられている人)は、切り離せないからです。
今、あなたの所に、嫌な結果が来ていると言うことは、あなたが、嫌な原因を創っていたからです。
人が創った原因が、自分のところに帰って来ることもないし、自分が創った原因が、人の所に帰って行くこともないのです。
次のような説明をしたら、なお、解りやすいかもしれません。
自分が相手を認めているから、相手が存在するのです。
自分が認めなかったら、相手は存在しないのです。
自分が光を認めているから、光が存在するのです。
自分が花を認めているから、花が存在するのです。
認めている自分がいなかったら、認められている、光も、花も、存在しないのです。
認めている人間がいなかったら、神が存在しないのと理屈は同じです。
認めている自分が、宇宙を創っているのです。
宇宙が、先にあったわけではないのです。
光が、先にあったわけではないのです。
花が、先にあったわけではないのです。
神が、先にあったわけではないのです。
自分が認めて、初めて、宇宙が生まれ、光が生まれ、花が生まれ、神が生まれたのです。
このことは、何度言っても、言い過ぎることはありません。
なぜなら、何度も、何度も、自分に言い聞かせて、腹の底まで落とすまでは、解かったことにはならないからです。
客観的な見方をしたら、どうしても、心が暗くなってしまいます。
なぜなら、自分が犯した罪を、痛みや苦しみで償っていると言う、ネガティブな見方になるからです。
でも、主観的見方をしたら、自分の成長のために、自分が嫌なことを連れてきたと言う、ポジティブな見方ができます。
どちらの見方が良いかと言えば、それは、主観的な見方です。
心を暗くしなくて済むのですからね・・・。
でも、どちらの見方をしても、結果は同じなのです。
ただ、客観的見方をしたら、心が暗くなってしまいますので、出来るだけ主観的な見方をしてください。
とは言っても、 痛みや苦しみを前にして、ポジティブになりなさいと言うのは、酷かも知れません。特に、一般人には、酷だと思います。
でも、学びの友の皆さんなら、出来ると思います。
どうか、 ポジティブな想いを持ってください。
ポジティブな想いの一番は、神を想うことです。
神を想っている時は、悪いことが思えません。何よりも、原子核が増えます。
原子核が増えれば、自分が成長します。
自分が成長すれば、成長した分、嫌な人や環境が、遠ざかって行きます。
それは、もう、その環境で学ぶ必要がなくなったからです。
大ジャンプを望んではいけません。左足を出して、右足を出して、また、左足を出して、右足を出して、一段一段、階段を上って行くことです。
左足は、苦しい体験です。右足は、喜びです。
私たちは、闇と光を体験しながら、成長して行くのです。
2024.09.06
今、宇宙(1)が有ると言うことは、 永遠の過去にも、宇宙(1)が有ったし、永遠の未来にも、宇宙(1)が有る、と言う証しなのです。
なにせ、今、1(宇宙)が有るのですから、否定のしようがありません。
この論理を、他のものに、当てはめてみましょう!
今、「私」が有ると言うことは、「私」が1で有ると言うことであり、「私」は、永遠の過去にも有ったし、永遠の未来にも有る、と言う証しなのです。
今、「あなた」が有ると言うことは、「あなた」が(1)であると言うことであり、「あなた」は、永遠の過去にも有ったし、永遠の未来にも有る、と言う証しなのです。
今、「地球」が有ると言うことは、「地球」が(1)であると言うことであり、 「地球」は、永遠の過去にも有ったし、永遠の未来にも有る、と言う証しなのです。
何せ、今、「私」が、「あなた」が、「地球」が、有るのですから、否定のしようがありません。
(1)が有るから、全てがあるのです。
なぜなら、全ては、(1)から生まれたからです。
その(1)は、無限であり、無限は、(1)なのです。
だから、(1)の中に無限が有り、無限の中に(1)が有る、と言えるのです。
このように、(1)から全てのものが生まれ、全てのものは、無限から生まれたのです。
2024.09.07
動くことの大切さは、これまで、何度も言ってきたことですが、再度、確認しておきましょう。
この表現世界で、動いていないものなど、一つもありません。
石も、動いています。
植物も、動いています。
動物も、動いています。
勿論、人間も、動いています。
動けば、出会いが生まれ、様々なドラマが生まれます。
そのドラマの体験が、魂を大きくしてくれるのです。
でも、動くためには、想念が必要です。体が勝手に動くことはないからです。
ああ、動かそう! こう、動かそう! と、想念するから、体が動くのです。
だから、「想念は実現の母」と言われるのです。
生き物は、動いたものに、目や耳を傾けます。
耳や目は、センサーのような働きをしているのです。
しかし、耳や目を通して、実際に情報を受け取るのは、意識です。
受け取った意識は、受け取った情報に対して、何らかの反応を示します。
その反応は、鉱物や植物や動物は、背後の神が行います。
でも、人間は、自由意思を持っていますので、自分の想念を動かして行うのです。
では、想念を動かすと、どうして、原子核が増えるのでしょうか?
それは、想念が、エネルギーを集めるからです。
エネルギーそのものが、意識の核(原子核)ですから、 想念を集中させる(動かす)ことによって、原子核を増やすことができるのです。
それも、強く想えば、思うほど、多く増やすことができるのです。
私たちは、普段、色々なことを思っていますが、色々なことを思っている時は、エネルギーが分散しているので、実現力が弱いのです。
実現力を強めるためには、想いを一点に集中させ、エネルギーを強める必要があるのです。
瞑想で、集中が必要なのは、そのためです。
「体験は、宝!!」と言われるのは、動けば、たくさん出会いが生まれ、 たくさん体験できるからです。
たくさん体験できれば、原子核が増えるのです。
なぜなら、「犬も歩けば、棒に当たる!」からです。
この諺は、棒に当たって、こけた犬は、必ず、何かを掴んで起き上がるので、それだけ成長する、と言う意味なのです。
私たちは、物質界でも、原子核を増やすことができますが、幽界でも、増やすことができるのです。
いや、夢の中でも、幻覚の中でも、原子核を増やすことができるのです。
それは、想念を動かすからです。
想念を動かすことが、いかに、大切か?、分かって頂けたと思います。
真理を求める気持ちが萎えてしまう! 瞑想がしたくない!
こう言う気持ちになるのは、サタンに、やられているからです。
では、サタンに、やられないためには、どうすれば、良いでしょうか?
それは、体を動かし、汗を流すことです。
汗を流せば、波動が上がるので、サタンに、やられづらくなるのです。
ジョギングをするのも良いでしょう!、体操をするのも良いでしょう!
体を動かした後、風呂に入って、汗を流してください。気持ちが晴ればれします。
一番大敵なのは、気持を落ち込ませることです。
気持ちを落ち込ませると、悪い波動が同調してきて、ますます、神に顔を向けたくなくなるのです。
体を動かすことほど、大切なことはありません。
どうか、サタンに負けないよう、体を動かしてください 。
知花俊彦 先生は、よく、こう言われました。
「思っている通りのもので、それ以上でも以下でもないのですよ!」と・・・。
そうなのです。
私たちの想念は、思った通りのものを実現させる、偉大な力を持っているのです。
ならば、その想念を使って、良いものを実現させましょう!
この宇宙を、3つに分けてみましょう!
物質界は、幻の世界です。
幽霊界も、幻の世界です。
神霊界は、真実の世界(実在界)です。
物質界を意識すると、物質界の影響を受けます。
幽霊界を意識すると、幽霊界の影響を受けます。
学びの友の皆さんは、物質界や幽霊界から、卒業しなければならない魂ですから、一番波動の高い、神霊界を意識しなくてはなりません。
どうか、神霊界を意識(瞑想)してください。
それは、神(皆さんのマントラ)を、想えばいいだけです。
2024.09.08
神シリーズ
神の光
「神は光なり!」と言われるように、神は、光そのものなのです。
また、その神は、意識そのものでもあるのです。
ですから、「神」と、「意識」と、「光」は 、同じモノだと思ってください。
と言うことは、同じ意識を持っている、私たちは、神の子であり、光の子である、と言うことになります。
そうです!
私たちは、神意識から別れた、光の子どもたちなのです。
ただ、今の私たちは、長い間、人間として生きてきたために、光の子の記憶を失っているのです。
ですから、私たちは、記憶を呼び戻すために、瞑想しなければならないのです。
瞑想とは・・
吾、光なり!
吾、光なり!
吾、光なり!
と、想い続けるだけです。
瞑想を続ければ、必ず、記憶を蘇らせることができます。
断っておきますが、人間が、瞑想するのではありません。神の子が、瞑想するのです。
遠い星から、今、地球に、光が届いています。
光は、意識ですから、 光が届いていると言うことは、意識が届いていると言うことになります。
では、その意識は、誰の意識なのでしょうか?
どんな意味を含み持った、意識なのでしょうか?
それは、受け取った人の意識です。
なぜなら、宇宙には、たった一つの意識しか無いからです。
たった一つの意識しか無い、と言うことは、その遠い星から届いている光(意識)は、 受け取った人の意識である、と言うことです。
つまり、見ている、私や、あなたや、地球人類の意識である、と言うことです。
たった一つの意識しか無いのですから、そう言うことになりませんか?
これは、 当たり前のことなのです。
なぜなら、見ている人と、光との間には、既に因果関係が成立しているからです。
それは、前述したように、一つの意識しかないからです。
神の連想曲「神の光」
2024.09.09
完全を実現するには、どうすれば、良いのでしょうか?
それは、「一」の本性を深く理解し、思いと言葉で、実現させることです。
この宇宙は、完全なる「一」で、出来ているのです。
その完全なる「一」は、宇宙に、たった一つしかありません。
すべてのモノは、そのたった一つの「一(本質)」で出来ているのです。
そのたった一つの「一(本質)」を、神と呼んだり、意識と呼んだり、命と呼んだり、光と呼んだり、しているだけです。
この「一」は、必ず、「形」と、「対」になっているのです。
例えば、鳥の形があるとしたら、鳥の形の背後には、この「一」が、必ず、張り付いているのです。
「形」と「一」とは、絶対、切り離せないのです。
「形」と「一」は、二つで一つなのです。
この「一」の最も凄いところは、完全である、と言う点です。
何一つ、欠陥が無いのです。
と言うことは、対になっている「形」も、完全である、と言うことになります。
私たちの肉体も、「一」で出来ているわけですから、本来、私たちの肉体も、完全であるはずなのです。
しかし、人間界には、病人が、たくさん、おります。なぜでしょうか?
それは、肉体を自分だと思っているからです。
肉体を自分だと思えば、肉体は、か弱く出来ていますから、壊れたり、病になったりしてしまうのです。
もし、自分が「完全なる一である!」と 心の底で思えたら、肉体は、健全・健康を保つことができるのです。
例え、病んでいても、思った途端、病気は、治ってしまうのです。
肉体の背後に張り付いている「一」は、完全ですから、肉体が完全なのは、当然なのです。
どれだけ、「自分は、一だから、完全である!」と思えるかです。
このように、完全を実現するには、思いと言葉を、利用すれば良いのです。
そのためには、「一」を深く理解し、「一」の完全性を信じることです。
人間は、その「一」で、出来ているのです。
ですから、本来、人間は、完全なはずなのです。
その完全を崩しているのは、ネガティブな想念なのです。
繰り返します!
人間は、「一」なのです。
いかに、そう思えるかが、完全を実現できる鍵です。
「一」の完全性を試せる、一番簡単な方法は、
自分が害されることは、絶対、ありません。
なぜなら、自分が、自分を害することは、あり得ないからです。
知花敏彦 講話集「一元論とは何か?二元論とは何か?」
2024.09.10
世の中には、自殺したいくらい、悩んでいる人がおりますが、どうして、そこまで、悩むのでしょうか?
それは、この世界が、本当に有ると、思っているからです。
この世界は、時々刻々と姿を変えてゆく、無常の世界です。
そんな世界に、心を寄せていては、悩みが尽きることはないのです。
要するに、五官で感じるものは、みな、夢幻だと思ってください!
夢幻の世界の問題は、夢幻の世界で解決できるのですから、「山より大きな猪は出ない!」と言う、おおらかな、気持ちで、生きてください 。
そうすれば、あまり、悩まないで済みます。
学びの友の皆さんの中に、悩みを抱えている人がいるようなので、一言、注意しておきます。
本当に有るモノは、見えないのです。
本当に無い物は、見えるのです。
ならば、見えないモノを、追い求めるべきではありませんか?
賢い人は、そうします。
なぜなら、どんなに、見えるものを得ても、無くなってしまうからです。
私が言いたいのは、無くなるものに囚われて、苦しんではならない!と言うことです。
あなたの意識が、無くなるなら、無くなるものを追い求めても、仕方ないでしょうが、
あなたの意識は、永遠に無くならないのですから、永遠に無くならないものを追い求めるべきなのです。
多くの人が、悩み苦しんでいるのは、無くなるものを追い求めているからです。
どうか、永遠に無くならないものを追い求めてください!
では、永遠に無くならないモノとは、何でしょうか?
それは、
それ以外は、すべて、夢幻です。
あなたは、肉体では、無いのです。人間では、無いのです。誰の誰べえでは、無いのです。
あなたは、永遠に生き通す、意識なのです。
あなたの肉体は、一時必要な、意識の乗り物なのです。
一時必要な、肉体ですから、 そこそこの、お金や物があれば、良いのです。
がむしゃらに、お金を稼ぐ必要はありません。
がむしゃらに、働く必要はありません。
クビにならない程度、働いてください。
とは言っても、真心を込めて、働いてください。
気持ちが、楽になったのではありませんか?
2024.09.11
どうでしょう!? 皆さんは、 肉体を持って生きていることが、楽しいですか?
楽しいことより、苦しいことの方が、多いのではありませんか?
ならば、1日も早く、肉体から、卒業しようではありませんか?
では、どうすれば、肉体から、卒業できるのでしょうか?
それは、原子核を大きくし、自覚の境界線を超えることです。
本当の自分は、肉体では無いのです。人間では無いのです。意識なのです。
でも、どうしても、肉体が、自分だと思えて、仕方がないのです。
それは、気の遠くなる年月、肉体を、自分だと思って生きてきたからです。
この迷いから、目覚めるためには、どうしても、瞑想が必要なのです。
瞑想とは・・
吾、意識なり!
吾、意識なり!
吾、意識なり!
と、想い続けることです。
想い続けていれば、少しずつ、「自分は意識である!」と、想えるようになってきます。
確かに、想い続けるには、根気はいります。
でも、続けなければ、目覚めることができないのです。
さあ!、根気よく、「吾、意識なり!」と、想い続けましょう!
そして、「もう二度と肉体を持ちたくない!」と、思える、自分になりましょう!
どうして、私たちには、 転生輪廻が、必要なのでしょうか?
それは、自分の本性を、心の底で知るには、繰り返すことが必要だからです。
学びの友の皆さんは、体験して、気づいていると思いますが、波動の高い時は、自分が意識であることを、何となく解った気分になります。
でも、波動が下がると、解らなくなってしまいます。
それほど、自覚と言うのは、移ろいやすいのです。
だから、私は、「繰り返しなさい!」と言うのです。
「寄せては返す波のように」という言い方をするのも、自覚は、強まったり、弱まったり、するからです。
繰り返すことを、嫌ってはいけません。
同じ動画を、何度も、何度も、見てください!
同じ文を、何度も、何度も、読んでください!
真の求道者は、繰り返すことを、厭わない人です。
私たちの本性は、意識なのです。
その意識は、実に、不思議なのです。
自分の意識があるから、相手が認められるのです。
自分の意識があるから、自分が分かるのです。
と言うことは、自分の意識が、認めているものを創っている、と言うことです。
そうです。
私たちは、自分の意識で、自分を創り、家族を創り、周りのものを創り、地球を創り、宇宙まで創っているのです。
私たちの意識がなければ、何も生まれないし、何も始まらないのです。
勿論、苦しみも、体験しなくて済みます。
だから、私は、意識の無くなることを願った時代があるのです。
しかし、どんなに、無くしたいと思っても、無くす方法が、見つかりませんでした。
そこで、私は、無くせないなら、意識を、どうすべきか、考えました。
結論は、その意識を、幸せの中に留め置くことでした。
意識の不思議なところは、どんなに、探っても、解らないことです。
解らないから、無くすことが、できなかったわけですが、解らなくて、良いのです。
そう言う、意識であると、腹の底で想えたら、肉体から、卒業できるからです。
意識の研究をしている人たちが、真の科学者です。
ですから、学びの友の皆さんのような、瞑想をしている人たちが、真の科学者です。
意識の研究は、物質科学では、できないのです。
科学とは、本当にあるモノを研究する学問です。
それは、見える物の研究ではありません。見えないモノの研究です。
ですから、
顕微鏡は、いりません。
白い服も、いりません。
お金も、いりません。
どこへ行く必要も、ありません。
唯一、必要なのは、自分の意識だけです。
どうか、瞑想をしてください !
2024.09.12
命 シリーズ
生命とは、何でしょうか?
今日の常識では、姿形が有り、柔らかく、動いているものを、生き物と言っているようですが、姿形が無くても、柔らかく無くても、意識を持っているものは、みな、生き物なのです。
生きていますから、当然、脈を打っています。呼吸をしています。動いています。
この宇宙には、そのような生き物が、無限に存在しているのです。
学校の先生は、石は生きていないと言いますが、石も生きているのです。
なぜなら、石を形作っている原子(素粒子)が、 意識を持ち、脈を打ち、呼吸をし、動いているからです。
意識を持っているものは、みな、生き物だと言うのは、意識が、全てのモノの素材になっているからです。
この宇宙には、その意識が、たった一つ有るだけなのです。
そのたった一つの意識が、全ての生き物の素材になっているのですから、どんな生き物も、兄弟姉妹なのです。
宇宙には、その一つの意識が、満ち満ちているのです。
と言うことは、宇宙は、生命で、満ち満ちている、と言うことです。
このように、生命は、人類が考えているようなものではないのです。
どうか、これまでの常識を捨ててください。
これは、生命の話に限ったことではありません。
政治・経済・教育・社会常識など、全てに当てはまることなのです。
どうか、正しい常識の目を持って、世の中を見てください。
新しい発見が、あると思います 。
「命知らず!」という言葉がありますが、「死を恐れない!」と言う意味ではありません。自分が、命であることを知らない人を、命知らずと言うのです。
私たちは、肉体では、無いのです。人間では、無いのです。命なのです。
その命が、ものを考え、行動指令を出し、肉体を生かしているのです。
その命は、姿形がないので、見えません。
でも、その姿形の無い命が、姿形の有る物の背後に張り付いて、姿形のある物を生かしてるのです。
命が、張り付いていなかったら、姿形が保てないし、生きられないのです。
命と無縁のものなど、この宇宙に、一つも存在しないのです。
命を大切にしましょう!
知花敏彦 講話集 「生命とは何か?肉体とは何か?」
2024.09.13
仮相(現象)に、差別は、無いのです。仮相に、上下は、無いのです。
どんな仮相も、同じ仮相ですから、みな、平等です。
ですから、幽界も、夢も、この世も、同じ仮相と思ってください。
確かに、この現象の世界は、痛い、痒い、寒い、暑い、を感じる世界ですから、本当にあるように思えます。
でも、どんなに、本当にあるように思えても、五感にかかるものは、みな、現象なのです。
ですから、何が起こっても、余り、心を痛めないことです。
私たちは、この現象の世界で、いかに、心の揺れを少なくするか、今、勉強している、真っ最中なのです 。
実に、この宇宙は、うまくできているもので、理解力の高さによって、見えてくるものが違ってくるのです。
例えば、
1の 理解力を持っている人は、1の段階の世界が見えてくるし、
5の理解力を持っている人は、5の段階の世界が見えてくるし、
10の理解力を持っている人は、10の段階の世界が見えてくるのです。
私が、理解力によって、宇宙が進展していくと言うのは、 理解力によって、見えてくるモノが違ってくるからです。
現象に惑わされなくなるためには、理解力を高めるしかないのです。
高めれば、偽物と本物の識別ができるようになるので、心の揺れを少なくすることが出来るのです。
「沈黙は金なり!」の諺には 、二つの意味があるのです。
私は、よく、理解力が、宇宙を進展させてゆく、という言い方をしますが、この意味の深さは、言葉や文字で伝えることができないのです。
ですから、詳しく説明して欲しいと懇願されても、黙っているしかないのです。
私たちは、同じ世界を見ているようで、見ていないのです。
それは、人それぞれ、理解力が違っているからです。
例え、言葉や文字を巧みに使って、説明したとしても、その人の理解力に相応した中身しか、受け取れないのです。
ですから、私は、学びの友の皆さんに、「真理の話をし合っても、誤解を招くだけですよ!」と言うのです。
どんなに、目の前に何かがあっても、理解できなくては、見えないし、例え、見えても、理解力に相応したものしか、見えないのです。
※ 学びの友の皆さんの中に、現象に惑わされ、心を痛めている人がいるようですので、 一言、助言しておきます。
前述したように、私たちの五感にかかるものは、全て、消えてしまう、幻なのです。
時間が経てば、状況が変わってしまう、夢幻の世界なのです。
そんな、幻に、心を痛めてはいけません。
本当の自分は、現象に何の影響も受けない存在なのです。
あなたは、肉体では無いのです。人間では無いのです。
あなたは、意識なのです。
その意識は、永遠に無くなることがないのです。
と言うことは、あなたは、永遠に無くならない、と言うことです。
ですから、安心して、生きてください。
今、あなたが、やるべきことは、社会体験をして、瞑想をして、原子核を大きくすることです。
原子核を大きくして、理解力を高めれば、現象に惑わされない自分になります。
どうか、瞑想を続けてください!
2024.09.14
この表現宇宙は、「真・善・美」で飾られています。
「真・善・美」で飾られているから、今日まで、延々と存続して来られたのです。
表現世界は、心を映し出す鏡なのです。
心が美しければ、美しい世界が映し出され、心が醜くければ、醜い世界が映し出されるのです。
今、地球上に、醜い世界が映し出されているのは、そこに存在する人類の心が醜いからです。
では、どうすれば、地球人の心を美しくすることが、できるでしょうか?
それは、「真・善・美(真理)」を学ぶことです。
私たちは、「真・善・美」を学んで、心を磨き、1日も早く、地球に理想の世を創らなければならないのです。
それは、物や、お金や、地位や、権力からでは、生まれないのです。
美しい心から、生まれるのです。
だから、私は、「真・善・美」の大切さを説くのです。
まずは、学びの友の皆さんが率先して、美しい心を養ってください。
「良いことをしなさい!」と言ってるのでは、ありません。
「良い想念を持ってください!」と言っているのです。
つまり、「瞑想してください!」と言っているのです。
私たちが、できること ・・ 人を成長させることでは、ありません。自分を成長させることです。
これだけは、確実に、できるのです。
どうか、瞑想して、自分を成長させてください!
この世界には、賢人会と言うのがあるようですが、「賢人」とは、どのような人を、指して、言うのでしょうか?
頭の良い人を、指して、言うのでしょうか?
処世術に長けた人を、指して、言うのでしょうか?
いいえ! 本当の自分を知った人を、指して、賢人と言うのです。
地球で、賢人と言われている、どんな人も、本当の自分を知っていません。
みな、肉体を、自分だと思っているのです。
肉体は、必ず、消えて無くなってしまうのです。
無くなる肉体を、自分だと思っている人が、賢人と言えるでしょうか?
学びの友の皆さんは、本当の自分が、「意識である」ことを、知っております。
ですから、皆さんこそが、賢人なのです。
自負しなさいとは言いませんが、それほど、あなた達は、素晴らしい魂なのです。
賢い人とは、次のような人です。
これ、すべて、内側の問題です。外側とは、一切、関係ありません。
自分が、どれほど当てはまるか、確かめてみてください。
旧・光のメロディー「賢い者」
2024.09.15
私たちは、内側の存在なのです。
内側の存在である、と言うことは、神の中にいる、と言うことです。
私たちは、五感の刺激を受けているため、外側にいるように思いますが、私たちは、常に、内側にいるのです。
なぜなら、この宇宙には、たった一つのモノしか存在しないからです。
たった一つのモノしか存在しない、と言うことは、内側しか無い、と言うことなのです。
今、私たちは、その、たった一つのモノの中に存在しているのです。
と言うことは、私たちは、その、たった一つのものである!と言うことです。
つまり、神である、と言うことなのです。
私が、「神を想い続けてください!」と言うのは、良い原因を創って欲しいからです。
この宇宙で、一番良い波動は、「神の想い」なのです。
神を想っている時は、一番良い原因を創っていることになるのです。
さらに、神を想っている時は、悪いことを思えないわけですから、二重の功徳があるのです。
「良い準備をしなさい!」と言う意味は、「良い原因を創りなさい!」と言う意味なのです。
神を想っている時は、 良い準備をしている時なのです。
どうか、神を想い続けてください! 安心して生きられます。
それは、「原因と結果の法則」が、守ってくれるからです。
この宇宙が、今日まで、存続して来られたのは、良い原因を創り続けてきたからです。
これが、宇宙が完全である証しなのです。
もし、不完全な原因を創っていたら、宇宙は、とっくに、存在していないでしょう。
同じように、私たちも、良い原因を創り続けてきたから、今日まで、無事、存続して来られたのです。
良い原因を創り続けてゆかねばならない理由は、私たちの意識が、永遠に無くならないからです。
永遠に無くならない意識は、 永遠に無くならない幸せの中にいなければ、存在できないのです。
どうか、良い原因を創り続けてください!
それは、難しいことでは、ありません。ただ、神を想い続けたら良いだけです。
神を想い続けている時は、幸せの中にいる時なのです。
2024.09.16
何度、真理を学んでも、学び過ぎと言うことはありません。
なぜなら、何度も、何度も、叩き込まなければ、自覚が深まらないからです。
私たちが、求めているものは、知識ではありません。神の自覚です。
自覚を深めるためには、繰り返し学ぶことが必要なのです。
ここでも、繰り返し、学びましょう!
この宇宙には、たった一つの意識(神)が、存在しております。
しかし、意識(神)には、姿形がありませんので、そのままでは、存在意味がありません。
そこで、意識(神)は、自分の分身を外側に創り、その分身から、自分を認めてもらうことにしたのです。
まず、意識(神)は、意識核を放射しました。
その、意識核が集まって、魂となりました。
その、魂が、 鉱物・植物・動物の形に入って体験し、自我を持つ、人類にまで、進化したのです。
自我を持った段階で、人類は、 神と肩を並べる立場になったのです。
つまり、自分を、相手を、宇宙を、神を、認識できる立場になったのです。
では、自我を持ち、神を認めてやれる立場になった、人類は、宇宙において、どう言う意味を持つ、存在になったのでしょうか?
それは、人類と神の思いが持てる、神人と言われる、存在になったのです。
意識(神)の目的が、達成された瞬間です。
形の進化と、魂の進化とは、比例しているのです。
未熟な魂の時代には、単純な形の中に入り、単純な体験をします。
魂が成熟すると、 優れた形の中に入り、複雑な体験をするようになります。
優れた形の中でも、最も優秀なのが、人類の形です。
しかし、どんなに、優秀な形でも、単なる魂の表現媒体にしか過ぎないのです。
しかし、その形に囚われ、自分を見失ってしまったのが、今の地球人類なのです。
ですから、殆んどの人が、外形(容姿・お金・権力・地位・名声、など)を追い求めております。争い事が絶えないのは、そのためです。
学びの友の皆さんは、何が大切で、何が大切でないか、知った魂です。
だから、一般の人たちと、違うのです。
2024.09.17
この宇宙は、相対的に創られています。
なぜ、神は、そのような、世界を、創られたのでしょうか?
それは、一つの中にいては、一つが解らないからです。
何かを知るためには、反対のものを持ってきて、比較させて、知るしかないのです。
つまり、光を知るためには、闇を持ってきて、比較させて、知るしかないのです。
光の中にいては、光が分からないのです。
闇の中にいては、闇が分からないのです。
遅い人と速い人が、一緒に走って、初めて、速さが分かるのです。
一人で走っていては、速いか、遅いか、分からないのです。
これは、「自分だけでは、自分が解らない!」、「神だけでは、神が解らない!」と言う説明になっているのです。
このことは、今まで、何度も、言ってきたことですが、再認識してください!
相対の世界は、「真・善・美」の学びの道場になっているのです。
つまり、
「真」は、「偽」を、体験しなければ、解らない・・
「善」は、「悪」を、体験しなければ、解らない・・
「美」は、「醜」を、体験しなければ、解らない・・
だから、私たちは、この相対の世界に、肉体を持って、生まれてきたのです。
なぜ、肉体を持たなければならないか、と言いますと、肉体を持つと、欲望と感情を膨らませ、「偽」や「悪」や「醜」を、作ってしまうからです。
でも、作ることは、決して、悪いことではないのです。
なぜなら、 作らなければ、「真」と「善」と「美」の尊さの体験ができないからです。
ですから、どうしても、肉体を持って生まれてくることは、必要なのです。
肉体がなくては、私たちは、進化成長できないのです。
私たちは、肉体を持つことによって、痛みや、苦しみを、体験します。
また、心地よさも、体験します。
この、相反する体験が、魂を進化成長させるのです。
ですから、この世界には、相反するものが、たくさん、用意されているのです。
例えば、
この世界に、姿形の違いや、能力の違いがあるのは、両方体験しなければ、何が良くて、何が悪いか、分からないからです。
ですから、ある生では、醜い姿形や低い能力を持って、生まれて来ます。
ある生では、美しい姿形や高い能力を持って、生まれて来ます。
魂を成長させるためには、ギャップ体験が必要なので、わざわざ、そう言う学びをするのです。
勿論、その背後には、原因と結果の法則が、絡んでいるわけですが、魂の成長面だけ捉えたら、原因と結果の法則など、気にする必要などないのです。
なぜなら、どんなに、痛み苦しんでも、魂さえ、成長したら、良いからです。
このように言ったら、 一般の人たちは、怒るでしょうね?・・、
でも、学びの友の皆さんなら、解って頂けると思います。
体験は、宝なのです。
体験を積んで、成長すれば、苦しいことを、作らなくなるのです。
ですから、今、苦しいからと言って、絶望しないでください。
今、痛み苦しみを、体験している人は、良い積み木を積んでいる、と思ってください。
反対に、楽ばかり、体験している人は、悪い積み木を積んでいる、と思ってください。
2024.09.18
どんな、悲しいことも・・苦しいことも・・ 魂の糧にしましょう!
神は、無駄なことをさせないのですから・・・。
肉体を持って、生きている限り、悲しいことや、苦しいことから、逃れられないのです。
でも、その、悲しいこと、苦しいことが、私たちを、成長させてくれるのですから、それは、良いことなのです。
悪いことを、そのまま、悪く受け取ってしまったら、単なる、悪いことで終わってしまうのです。
でも、悪いことが、自分を成長させてくれる、と思ったら、その悪いことは、良いことになるのです。
どう受け取るかで、良くも、悪くもなる、と言うことです。
神が創られた宇宙に、成長のための悪いことは、あっても、悪いことで終わる、悪いことは、一つもないのです。
どうか、神を信じてください! この宇宙の完全性を信じてください!
今、あなたに、起きている、どんなことも、全て、あなたの成長の糧になっているのですから・・・。
人生には、苦しみが、つきものですが、でも、喜びもあるのです。
「私は、苦しみたくない! 喜びだけ欲しい!」と言う人がおりますが、そう言うわけにはいかないのです。
なぜなら、魂の成長には、喜びの体験も、苦しみの体験も、両方必要だからです。
これは、痛し痒しで、仕方がないのです。
肉体を、「悪」と決めつけないでください! むしろ、「善」だと思ってください!
肉体がなかったら、私たちは、進化成長できないのですから・・・。
私たちの肉体には、五感がありますが、この五感が、起点作りに役立っているのです。
もし、五感がなかったら、自分を認識することができません。
それでは、自我を持つことができないのです。
自我がなければ、起点が無いわけですから、相手を認識することができません。宇宙を認識することができません。神を認識することができません。
また、何かを知ろうと思っても、何も知ることができません。
それでは、存在していても、存在意味がないのです。
幸いなことに、私たちは、自我を持っております。
だから、自分を認め、家族を認め、 宇宙を認めてやれるのです。
これは、素晴らしい事なのです。
でも、今の地球人類は、そのことを、知らないのです。
はっきり言って、地球人類は、自分の正体を知っておりません。
だから、苦しみに喘いでいるのです。
では、知りましょう!
私たちは、肉体ではありません。人間ではありません。意識そのものです。
肉体は、地からの借り物で、いずれ、消えて無くなってしまいます。
でも、意識は、永遠に無くならないのです。
その永遠に無くならない、意識こそが、本当の自分なのです。
この事が分かれば、肉体に執着することが、少なくなります。
と言うことは、苦しみも、少なくなる、と言うことです。
旧・光のメロディー「悲しみの向こうに」
知花敏彦 講話集「神我は天、自我は地、なぜ?①」
2024.09.19
この宇宙には、有限なるものと、無限なるものがあります。
有限なるものは、必ず、消えて無くなりますから、絶望です。
無限なるものは、永遠に、無くなりませんから、希望です。
あなたは、絶望が欲しいのですか?、希望が欲しいのですか?
賢い人は、希望に向かって進みます。
愚かな人は、絶望に向かって進みます。
どうして、愚かな人は、絶望に向かって、進みたがるのでしょうか?
それは、 絶望なるものは、欲望をそそる、華やかなもの(お金・物・地位・権力)だからです。
華やかなものは、愚かな人には、人気があるのです。
しかし、希望なるものは、目に見えず、肌で感じられない、地味なものですから、人気がないのです。
しかし、人気のないものの方が、価値が高いのです。
どうか、永久に無くならない!、永遠に失わない! 無限なるもの、希望なるもの、地味なものを、追い求めてください。
それが、賢い人の生き方です。
私たちは、1秒先、どうなるか分からない、不安な人生を歩んでおります。
ですから、その不安を、少しでも解消したくて、お金や、物や、地位や、名誉や、権力を、手に入れたがるのです。
それは、 目に見え、肌で感じられる、分かりやすいものだからです。
でも、それは、いつか、必ず、無くなってしまうものです。
ですから、どんなに持っても、心が休まらないのです。
お金持ちや権力者が、枕を高くして寝れないのは、そのためです。
この世のものは、どんなものも、一時のものです。
そのことが、分かった人は、一時のものを、追い求めなくなります。
彼らが求めるものは、永遠に無くならないモノです。
宗教や、哲学や、科学を、学ぶようになった人は、そのことが、分かった人です。
魂が、少しずつ成熟してくると、何が心を満たしてくれるか? 薄々、分かってくるのです。
でも、まだ、はっきりとは、分かりませんから、まずは、趣味を持つようになります。
例えば、絵を描いたり・・写真を撮ったり・・彫刻をしたり・・茶碗作りをしたり・・聖地の巡礼をしたり・・ボランティア活動をするのも、そうです。
彼らは、その趣味を、生き甲斐にします。
確かに、一時、生き甲斐を感じます。
でも、何か、心の片隅に、満足できない、空白があるのです。
殆んどの人は、その疑問を解決しないまま、一生を終えてしまうのです。
でも、 これは、決して、悪いことではないのです。
なぜなら、趣味を生き甲斐にしている人は、真理の戸口近くまで来ているからです。
人間は、不思議な生き物で、いつも、何かを探しています。
探し物が何か、分からないけれど、探していなければ、心が落ち着かないのです。
ですから、趣味を持ったり、山に登ったり、星空を見たり、お寺参りをしたりするのです。
そうしているうちに、学びの友の皆さんのように、真理に出会うのです。
人生を考えるメロディ・人生の応援歌「希望」
2024.09.20
神が完全なのは、永遠の昔より、宇宙が存続してきたことが、証明しています。
もし、神が不完全なら、今、宇宙は、存在していないでしょう。
今、宇宙が存在している、と言うことは、宇宙を創られた神が、完全だからです。
また、神が完全ならば、起きている、どんなことも、必然で起きていることになるでしょう。
もし、偶然で起きるなら、先の見通しのきかない、無能な神に、なってしまうからです。
そうです!
今、私たちの意識の前で起きていることは、全て、必然で起きているのです。
それも、意味があって、起きているのです。
どんな意味があるのか、と言いますと、どんな出来事も、進化成長させてくれている、と言う意味です。
これが・・宇宙の完全性であり、神の完全性なのです。
今、起きていることに、どんな意味があるのか?と、考えながら、生きてください。
神は、無意味なことは、起こさないのですから・・・。
そうです。起きていることには、必ず、意味があるはずです。
でも、どんな意味があるかは、自我では、分からないかも知れません。
分からなくて、良いのです。
ただ、「なぜ、起きたのか?」と言う、疑問だけは、持ってください。
いつか、必ず、分かる時が来ます。
私たちの中には、神がおられるのです。その神は、全てを、ご存知なのです。
あなたが、何を思っているのか? 何が欲しいのか?、 全て、ご存知です。
分かっていて、思い通りにさせているのです。
なぜなら、どんな思いを持っても、進化成長の方に向かっているからです。
ですから、自分の思い通りの生き方をしてください!
「こんな生き方で、良かったのか?」と、心配する必要はありません。
もし、間違っていたら、痛み、苦しみが、警告してくれます。
その時、方向転換したら、良いのです。
それも、自分の思い通り、やったら、良いのです。
さあ! 今、やるべき事を、精いっぱい、やって、生きましょう!
私たちは、信じられるから、生きてゆけるのです。
もし、信じられなかったら、水も飲めないし、食べ物も食べられないでしょう!
安全だと、信じているから、口に入れられるのです。
マンホールの上を、平気で、歩けるのも、
橋の上を、平気で、渡れるのも、
看板の下を、平気で、歩けるのも、
落ちないと、信じているからです。
あなたは、寒空の下で、バスを待ったことは、ありませんか?
それは、時間割を、信じていたからでは、ありませんか?
こんなに、この世のことが、信じられるのに、どうして、人間は、神が信じられないのでしょうか?
信じないならまだしも、神の存在さえ、認めないのです。
しかし、どんなに、神を信じなくても、私たちは、神に、生かされているのです。
人間は、事故に遭うのではないか?、災害に遭うのではないか?、病気になるのではないか? と、常に、不安な気持ちで、生きていますが、マンホールの上を平気で歩ける者が、どうして、そのような、不安を、持つのでしょうか?
それは、神を、信じられないからです。
神は、決して、悪いようにはしないのです。
なぜなら、悪いことなど、ないからです。
悪いことは、進化成長に繋がっている、悪いことなのです。
神を、トコトン、信じてください!
例え、手足を、もぎ取られても、信じてください!
そこまで、信じられたら、もう、心配、恐怖は、無くなるでしょう!
神のメロディ「神は完全」
2024.09.21
「少し難しい話」
私たちは、今、肉体を持って生きていますが、この肉体の他に、たくさんの形体を持っているのです。
私たちは、その形体を、進化成長してゆく度に、一枚一枚、脱いでゆくのです。
つまり、鈍重な形体から、精妙な形体へ移行し、波動の高い世界へ昇って行くのです。
それは、永久に続くのです。
でも、本当の私たちは、形体ではないわけですから、一日も早く、幽界を通り過ぎ、神の世界まで、昇って ゆかなければならないのです。
そのために、今、私たちは、原子核を大きくしているのです。
いつも言うことですが、人生の目的は、二つあるのです。
この二つは、社会体験と瞑想をすることによって、成し遂げることができるわけですが、それには、根気がいります。努力がいります。
でも、焦ることはありません。 神様は、「いつまでに、やりなさい!」とは、言っていないからです。
ただ、怠っていては、成し遂げられません。
今、やれることを、精いっぱい、やることです。
そうすれば、必ず、成就されます。
本当の私たちは、形に関係のない、意識そのものですから、肉体から解放されたら、 誰の意識でもない、無碍自在の「普遍意識・無限意識」に、なれるはずなのです。
しかし、私たちは、この肉体の下に、たくさんの形を持っているため、解放されても、そのような、意識状態になれないのです。でも、それで、良いのです。
なぜかと言いますと、形を持たなければ、本源の意識に吸収され、自我意識が消えてしまうからです。形あっての自我意識なのです。
自我意識が無ければ、自分が認められません。相手が認められません。神が認められません。宇宙が認められません。
それでは、自分は、おろか、表現宇宙さえ、消えてしまうのです。
ですから、どうしても、自我意識は、必要なのです。
神は、一様です。 神が一様と言うことは、神の他に何も無い、と言うことですから、神は、自分で、宇宙を創り、人間を創り、自作自演のドラマを創るしかないのです。
私たちも、同じなのです。
この宇宙は、すべて、自力で成り立っているのです。
ですから、原子核を大きくするのも、自力です。理想社会を築き上げるのも、自力です。
それは、自分の想念で、何でも創れるから、出来ることなのです。
これは、「想念で、外側の世界を変えられる」と言う意味もありますが、「想念で、原子核を大きくすれば、自分の世界を変えることが出来る」と言う意味でもあるのです。
つまり、原子核を大きくすれば、外側が変わらなくても、自分の見方・捉え方・感じ方・考え方が、変わるため、以前、見ていた世界と、全く違う世界が見えてくる、と言うことです。
これは、自分の理解力によって、宇宙が進展していくことを考えれば、当たり前のことなのです。
だから、私は、「外側を変える必要はない! 内側を変えたら良い! 自分を変えたら良い!」と言うのです。
一人一人の想念を良くすれば、その集まりである社会は、黙っていても良くなる、と言うのは、客観的見方ですが、客観的見方と主観的見方の整合性が調った時、つまり、原因と結果の法則と、主観者の計画がマッチした時、本当に、外側の世界が変わるのです。
これは、とても、理解しづらいことですが、信じてください!
人を変えることはできませんが、自分は変えられるのです。
それは、想念を持っているからです。
でも、そのことが分かるまでは、気の遠くなる転生と、気の遠くなる人生体験が、必要なのです。
それは、原子核を増やさなければならないからです。
原子核が増えれば、理解力が増すために、想念の使い方が上手になるのです。
そうなると、想念で、内側も、外側も、変えることが、出来るようになるのです。
では、「その証拠を見せろ!」と言われるかも知れませんが、見せられるものではないのです。
なぜなら、 内側のもの(想念)を、人に見せることなどできないからです。
見たいなら、理解力で、見ることです。
このように言っても、今は、解らないかも知れませんが、原子核が増えれば、解るようになります。
それまでは、信じてもらうしかないでしょう!
2024.09.22
私たちは、鉱物、植物、動物、人間と、進化を遂げてきました。
その間、どれだけの時が、必要だったことでしょう。
私たちは、今まで、何十億年と言う、時をかけ、魂を大きくしてきたのです。
しかし、残念なことに、その間に、たくさんの煩悩を着けてしまいました。
良い煩悩なら、良いのですが、殆んどが、悪い煩悩です。
ですから、私たちは、今、苦しんでいるわけです。
でも、うまく、できているもので、煩悩が極限まで来ると、「バチが当たった!」と、気づかされるのです。
それが、人生のターニングポイントです。
そこから、 勝負の人生が始まるのです。
私たちは、煩悩を取るために、生まれてきた、と言っていいくらい、日々、煩悩を消す作業に、明け暮れているのです。
しかし、凝り固まっているために、なかなか、消すことが出来ないのです。
でも、本当は、消す必要がないのです。
なぜなら、原子核を増やせば、自然と、煩悩は、消えてゆくからです。
自分の欠点を、直そうと思っても、直せるものではありません。
それよりも、 原子核を大きくすれば、神の性質に近づいていくわけですから、自然と、自分の欠点は、消えてゆくのです。
苦しみは、神様が、与えたわけではないのです。
「原因と結果の法則」によって、自分が与えた、苦しみなのです。
でも、神様が創られた法則ですから、神様が、苦しみを与えた、とも言えるのです。
人類が進化成長するためには、苦しみの体験が必要なのです。
ですから、苦しみを、悪と、決めつけてはいけません。
進化成長のための苦しみですから、良いことだと思ってください。
そう思えば、ポジティブな気持になれますから、苦しみも、乗り越えられるでしょう。
今まで、人のせいにしていた、苦しみも、人のせいにしなくなるでしょうから、人を恨むこともなくなるでしょう。
「原因と結果の法則」は、神が創られたわけですが、その法則を使っているのは、人類の想念なのです。
人類の想念が、良し悪しを作り、人類の想念が、良し悪しを解決させているのです。
それほど、想念は、偉大な力を持っている、と言うことです。
ですから、よほど、注意して、想念を使わなくてはならないのです。
2024.09.23
何度も言いますが、私たちは、人間ではありません。意識です。生命です。神です。
呼び名は、どうでもよいのです。
本当の自分は、見えないのです。触れないのです。掴めないのです。
そのことを、腹の底で知ってほしいと思います。
そのために、私たちは、生まれてきたのですから・・・。
学校に入って、一番に教えねばならないことは、文字を教えることでも、算数を教えることでもありません。
「私たちは、神である! 自分は、神である!」と言うことを、教えることです。
なぜ、自分は神なのかは、上学年で、少しずつ、教えたらいいのです。
幼い頃から、神教育を行ったら、良い子ばかりになるでしょう!
いじめも、登校拒否も、無くなるでしょう!
子供たちは、目を輝かして、机に座ることでしょう!
学校へ行くのが、楽しくなるでしょう!
この肝心な教育をしないで、どうして、平和な社会が、望めましょうか?
見てください!
今の親御さんは、幼稚園の頃から、塾に通わせたり、英語を教えたり、頭に、いっぱい、知識を詰め込もうとしています。
知識を詰め込めば、良い人間になるのでしょうか?
いいえ、知識を詰め込めば、詰め込むほど、冷たい人間になってしまうのです。
子供の頃は、外に出して、天真爛漫に遊ばせることです。
この世の知識を、いくら、頭に詰め込んでも、肉体が無くなれば、失ってしまうのです。
でも、魂に刻んだものは、永遠に失うことがないのです。
この表現世界は、実に、リアルに、できています。
ですから、どうしても、本当にある世界だと、惑わされてしまうのです。
しかし、どんなに、リアルでも、 この表現世界は、魂の成長のために用意された、見掛けの世界です。
では、どうして、神は、そのような世界を、用意されたのでしょうか?
それは、本当に有るように見せかけなくては、真剣に生きようとしないからです。
真剣に生きなければ、進化成長できないのです。
私たちは、トリックに引っかかっているのです。
私たちの肉体そのものが、トリックに引っかける道具なのです。
殆んどの人は、そのトリックに引っかかり、一生を終えているのです。
私を含め、学びの友の皆さんも、つい最近まで、そのトリックに引っかかっていたのです。
でも、私たちは、トリックを見破ったのです。
本当にあるモノ、それは、神です。意識です。生命です。
それが、本当の私たちなのです。
しかし、残念なことに、地球人類の殆んどが、まだ、そのことに、気付いていないのです。
だから、肉体維持のために、躍起になって、お金や、物や、地位や、権力を、追い求めているのです。
優先順位の一番は、真理を学んで、魂を大きくすることです。
この世のことは、二の次で、いいのです。
この世は、結果の世界です。
原因は、私たちの、心(想念)の中にあるのです。
ですから、結果の世界を良くしたいと思ったら、原因である、私たちの心を良くすればいいのです。
どんなに、川下でゴミ拾いをしても、 川上でゴミを流していたのでは、いつまでたっても、川は、綺麗にならないのです。
原因あっての結果です。結果あっての原因ではないのです。
だから、「結果を軽んじて良い!」と言っているわけではありません。
結果も、大切なのです。
なぜなら、結果と原因は、一つだからです。
原因が結果を生み、その結果が原因に影響を与えるわけですから、どちらも、同じくらい、大切なのです。
私は、心の大切さを、説いているのです。
学びの友の皆さんは、そのことを、理解してくれていると思います。
2024.09.24
私たちは、見える手を見て、手があると思っていますが、その状態では、まだ、手がないのです。
手の全体像を理解した時に、初めて、手が生まれるのです。
こう言うことです。
手には、表と裏がありますが、表の手を見て、これが、手だと思っている人には、まだ、手はありません。
また、裏の手を見て、これが、手だと思っている人にも、まだ、手はありません。
手の全体像を見て、「手とは、こう言うものだ!」と、理解した時に、本当の手が生まれるのです。
この「理解した時」と言う意味は、見える手を理解し、更に、見えない手を理解した時、と言う意味です。
手には、見える手と、見えない手が、あるのです。
これは、宇宙を理解する場合も、同じなのです。
この宇宙は、表現宇宙と絶対宇宙が、対になって存在しているのです。
表現宇宙は、見えますが、絶対宇宙は、見えないのです。
その、見える表現宇宙は、見えない絶対宇宙が支え、見えない絶対宇宙は、見える表現宇宙が支えているのです。
ですから、表現宇宙だけでも、絶対宇宙だけでも、宇宙は、存在できないのです。
二つの宇宙が、互いに支え合いながら、存在し合っている、と言うことです。
つまり、表現宇宙と絶対宇宙は、相身互いの関係にある、と言うことです。
本当に有る手が、手の全体像が、理解された時に、生まれたように、
本当に有る宇宙も、表現宇宙と絶対宇宙の全体像が、理解された時に、生まれるのです。
本当に有る神人も、人間と神の全体像が、理解された時に、生まれるのです。
私は、これまで、理解と言うことについて、何度も、お話してきましたが、 ここでも、同じことを、お話しましょう。
この宇宙は、人の理解度によって、開かれてくるのです。
理解度の低い人は、幼い宇宙が、開かれてきます。
理解度の高い人は、成熟した宇宙が、開かれてきます。
「こうだ !」と言う、確定した宇宙は無い、と言うことです。
このことを、理解させるのは、容易でありません。
今、話していることも、理解度によって、違ってくるのですから・・・。
真理も、同じです。
理解の高さによって、受け取る中身が違ってくるのです。
だから、私は、真理のお話をし合っても、意味がない、と言うのです。
2024.09.25
神様は、一番大切なものを、私たちの身近に置いてくれています。
「空気・水・土・労働力」が、そうです。
でも、それよりも、近くに置いてくれているのが、「肉体」です。
いや、それよりも、もっと、近くに置いてくれているのが、「魂」です。「心」です。「想念」です。
それは、一番必要だからです。
しかし、人間は、一番必要なものを、無視し、あまり必要でない、金やダイヤモンドなどを、追い求めています。
金やダイヤモンドなど、無くたって、私たちは、生きていけるのです。
でも、空気や水が、無かったら、生きてゆけないのです。
それどころか、魂や、心や、想念が、無かったら、あなた、そのものが、存在できないのです。
よく、考えてみてください!
どうして、生きるに必要なものは、身近にあり、手軽に入手できるのでしょうか?
また、どうして、生きるに必要でないものは、遠くにあり、入手困難なのでしょうか?
それは、何が大切で、何が大切でないか?、気づいてもらうため、ではないでしょうか?
人生の目的は、何でしょうか? よく、考えてみてください。
私たちは、本当の自分を知るために、生まれてきたのです。
これ以外の人生目的は、無いのです。
しかし、殆んどの人たちは、お金や、物や、地位や、権力を、追い求めています。
なぜでしょうか?
それは、人生目的が、目に見えないから、ではないでしょうか?
幼い時分には、五感に、かからないものは、追い求めようとしないのです。
それは、本当に有ると思えないからです。
だから、どうしても、五感に、かかるものを、追い求めるのです。
でも、人生体験をして、大人になってくると、人生の目的が、少しずつ、見えてくるのです。
人生において、本当の自分を知ることほど、大切なことはありません。
なぜなら、時間を無駄にしないからです。人生ドラマを無駄にしないからです。
どうか、本当の自分を知ってください!
間違いなく、充実した人生を送れるでしょう!
私たちの本性は、神なのです。意識なのです。生命なのです。魂なのです。
人間では、無いのです。肉体では、無いのです。
肉体は、必ず、消えて無くなってしまうのです。
でも、神は、意識は、生命は、魂は、永遠に無くならないのです。
私たちの中には、真我の自分と、自我の自分の、二人の自分がいるのです。
しかし、真我の自分は、潜在しているため、どうしても、自我の自分で、生きてしまうのです。
でも、どんなに、自我の自分で生きようと、真我の自分と、今日まで、共に生きてきたのです。
真我の自分は、この宇宙で、一番近しい仲なのです。
肉親よりも、夫婦よりも、一番近しい仲が、真我の自分なのです。
その自分と、永遠の昔から、歩き続けてきたし、これからも、永遠に、歩き続けるのです。
永遠にです・・・。
新・光のメロディ「あなた(神)と共に」
2024.09.26
魂の構造を探ってみましょう!
神の意識核は、全ての本質(原子核)です。
本質ですから、肉体にもなり、魂にもなり得るのです。
肉体が、朽ちる(死ぬ)と、肉体を構成していた原子核は、体験した記憶を持って、宇宙に浮遊し、いつか、縁に導かれて、再び、形を構成します。
その原子核は、何度となく、形との出入りを繰り返しながら、進化します。
進化した原子核は、やがて、魂の中に組み込まれるようになります。
一方、魂そのものは、肉体が朽ちると、幽界に帰ります。
幽界に帰り、地上の垢を取ると、再び、肉体の中に入って、次なる人生を歩むようになります。
このように、魂は、幾度となく、転生輪廻を繰り返しながら、 少しずつ成長して行くのです。
魂は、神の意識核で構成されていますから、神そのもの、と言っても良いのです。
でも、神から分かれた、子供たちですから、精霊とか、神の子とか、呼ぶべきでしょう。
一旦、親から分離した意識核は、本源の意識核とは、合体できないのです。
つまり、一旦、出てきた神の子は、永遠に、神の子であり続けなければならないのです。
でも、それで、良いのです。
ただ、出世魚のように、成長する度に、呼び名が、鉱物→植物→動物→人類→神人 へと変わるだけです。
想念の構造を探ってみましょう!
神は、自らの意識核を放出し、表現宇宙を創りましたが、この意識核は、物の本質にもなり、魂の本質にもなっているのです。
その魂が、心を作り、その心が、想念を生み出したのです。
ですから、想念は、神の「意識核」と「魂」と「心」の三者の顔を持った存在、と言って良いでしょう。
また、神の意識核は、エネルギーそのものですから、想念も、エネルギーそのもの、と言って良いでしょう。
ですから、想念によって、何でも作れるし、何でも動かせるし、何でも働かせることができるのです。
もし、人間の脳が、想念を生み出すのだったら、何も作れないし、何も動かせないし、何も働かせることができないでしょう。
なぜなら、生体(脳)エネルギーは、僅かな力しか持っていないからです。
人類が、今日のような、文明が作れたのは、神と同じエネルギーを、想念によって、利用できたからです。
私が、一番に願うこと・・、
それは、全人類に、想念の偉大さを知って欲しい!、と言うこと・・、
そして、その想念を、上手に使って欲しい!、と言うことです。
本来、魂と言うものは、一つの肉体に、一つの魂が、専属として入っており、二つの魂が、入ることはありません。
でも、あまりにも、波動を落とし過ぎると、別な魂に乗っ取られる場合があるのです。
それが、憑依現象と言われるものです。
憑依されると、専属の魂に変わって、別な魂が、肉体を操るようになるのです。
そうなると、人格が、全く、変わってしまうのです。
最近、凶悪な犯罪が増えていますが、これは、全て、憑依によるものです。
コロナの影響で、今後、ますます、狂った人が多くなると思いますが、全て、憑依現象だと思ってください。
学びの友の皆さんは、そのことを自覚し 、出来るだけ多く、瞑想してください。
2024.09.27
本当に有るモノと、本当に無いものを、見分ける方法を、教えましょう!
本当に有るモノは、
本当に無いものは、
これが、本当に有るモノと、本当に無いものを、見分ける方法です。
両方を知る、必要はありません。
一方を知ったら、反対のものが、もう一方ですから、一方だけ知ったらいいのです。
どうして、本当に無いものは、騒ぐのでしょうか?
それは、自分が、あやふやな存在だからです。
あやふやなものは、忘れられるのが、恐ろしいので、騒ぐのです。
また、本当に無いものは、自分で、エネルギーが作れないので、騒いで、誰かから、エネルギーを貰おうとするのです。
本当に無いものは、エネルギーが閉ざされると、消えてしまうので、いつも、ビクビク、オドオド、しているのです。
では、どうして、本当に有るモノは、静かなのでしょうか?
それは、確かな存在だからです。
絶対、無くならない存在だからです。
自分自身で、エネルギーが創れるからです。
ですから、騒ぐ必要がないのです。
本当に有るモノと、本当に無いものが、見分けられるようになると、
例え、
肉体が、痛い、苦しいと、騒いでも、
人が、大声を上げて、騒いでも、
台風や地震が、騒いでも、
あまり、動じなくなるのです。要するに、不動心が築かれるのです。
外側のものを「見て、聞いて」、心が、ざわめくうちは、まだ、この世のものが、本当に有ると思っているからです。
私は、若い時、夜の街を、徘徊したことがありました。
どうして、そのようなことをしたかと言いますと、心の虚しさを、埋めたいためです。
でも、その当時は、そのことが、分からず、徘徊していたのです。
誰もが、心の空白を、埋めたいのです。
ですから、酒を飲みに出かけたり、旅行に出かけたり、山に登ったりするのです。
でも、幾ら、そのようなことをしても、心の空白は、埋まりません。
ですから、ますます、外側の何かに、夢中になるのです。
何が本当に有るモノで、何が本当に無いものか、分かったら、外側の何かに、夢中になることはありません。
だから、真理を学ぶ、必要があるのです。
私たちは、 真理を学ぶために、生まれてきたのです。
でも、幼い時代には、そのことが、分からないのです。
だから、代替品で、心の空白を、埋めようとするのです。
人生を考えるメロディ「確かなもの」
人生の応援歌「涙の色」
2024.09.28
原子核が増えると、 エネルギーが強くなると同時に、神を信じる力も強まってきます。
なぜなら、理解力が高まるからです。エネルギーは、理解力を高めるのです。
理解力が高まれば、宇宙の色々なことが、分かってくるので、分かった分、神が信じられるようになるのです。
肉体は、走れば、息が切れるし、ぶつければ、青アザができるし、何かあると、直ぐに、病気になってしまいます。
ですから、「肉体って、か弱いものだ!」と、誰でも、思ってしまうのです。
でも、表面は、か弱くても、本質は、頑健なのです。
なぜなら、肉体を形作っている本質が、頑健だからです。
本質は、神なのです。神は、完全ですから、本質も、完全なのです。
その本質で創られている肉体が、か弱い、はずがないのです。
事実、肉体は、何万年も、生きられるように、出来ています。
今の地球では、100年足らずしか、生きられませんが、それは、人類が、想念の上手な使い方を、知らないからです。
想念は、何でも創る力を、持っているのです。何でも壊す力を、持っているのです。
想念は、万能なのです。
その万能の力を、人間は、悪いことに使っているのです。
それは、真理を、知らないからです。
真理を知れば、原子核を、大きくすることができます。
原子核が、大きくなれば、理解力が増します。
理解力が増せば、神の存在が信じられるようになります。
神の存在が信じられるようになれば、想念の力が信じられるようになります。
そうなれば、想念を上手に使えるようになるのです。
つまり、 前向きな、肯定的な、ポジティブな、想いが持てるようになるのです。
そうなると、肉体も、頑健になるし、人生も、良い方向に展開してゆくのです。
想念を上手に使う、学びの場が、地球なのです。
その学校には、色々な生き物たちが、存在しています。
その生き物たちは、多様な生き様を見せます。
その多様な生き様を見せる、生き物たちと、戯れることによって、想念が上手に使えるようになるのです。特に、人類は、かっこうの学びの相手です。
その相手は、嫌なことを、言ったり、したり、します。
それを見て、想念が、動きます。
どう動くか? それが、学びなのです。
私たちは、毎日、相手を通して、想念の使い方を学んでいるのです。
2024.09.29
肉体は、もともと、完全なる神の本質で、出来ていますので、病気などになることはないのです。
病気になるのは、人間が、自分の悪想念で、肉体を弱くしているからです。
もし、「自分の肉体は、神の本質で出来ているから、頑健である! 」と言う想いが持てれば、想いの強さに比例して、肉体も強くなるでしょう。
それは、想念は、何でも実現させる力を持っているからです。
人間は、肉体を、偶然の産物だと思っております。神が創られたと思っていません。
ですから、か弱い肉体だと思ってしまうのです。
確かに、肉体は、外から見れば、か弱く見えます。
でも、内側を見てください! 無限の生命力に満たされているのです。
それは、神が宿っているからです。
そのことが、信じられたら、死ぬまで、病気になどならないでしょう。
いかに、神が信じられるかです。
よく、宗教では、「信じる者は救われる!」と言いますが、神が救ってくれるのではありません。想いの力が救ってくれるのです。
想念を、正しく使ってください。間違いなく、良い方向に、人生が転換して行きます。
「絶対、病気にならない!」と言う想いが強ければ、病気にもなりません。
この「想いの力」をアスリートが利用したら、今の何倍もの成績が残せるでしょう!
「想」「念」「力」です。「想」いの「力」です。「念」の「力」です。
「想念力」 は、何でも成就させるのです。
では、想念を、どのように、正しく使ったら、良いのでしょうか?
それは、良い思いを、持ち続けることです。
つまり、
要するに、ポジティブな思いを、持ち続けることです。
一番良い思いは、神を想うことです。
幸せになるか? 不幸になるか? は、想念の使い方次第なのです。
宗教など、必要ないのです。道徳教育など、必要ないのです。
規則も、法律も、必要ないのです。
必要なのは、正しい想念を持つことだけです。
そうすれば、
軍隊も、いりません。
警察官も、いりません。
裁判官も、いりません。
刑務所も、いりません。
医者も、いらなくなります。
薬も、いらなくなります。
病院も、いらなくなります。
経済の仕組みも、変わるでしょう。
なぜなら、お金がいらなくなるからです。理想社会の到来です。
このように、想念の正しい使い方を、覚えたら、私たちは、何を持っていなくても、幸せになれるのです。
幸せは、外側から来るのではありません。内側から来るのです。
ですから、自力です。
皆さんは、何が、ものを考えさせ、何が、言葉を話させ、何が、行動させていると思いますか?
脳ですか? 舌ですか? 手足ですか? いいえ、想念です。
(神の意識核が、魂を生み、その魂が、心を生み、その心が、想念を生み出している)
と言うことは、想念次第で、どうにでもなる、と言うことです。
正しい想念を持てば、自然災害も、事故も、病気も、無くなります。
家庭の不和も、隣人との不和も、社会の不和も、民族間の不和も、国家間の不和も、一切なくなります。
そうなるためには、まず、想念の力を信じることです。
そして、いかに、正しく想念を使えるようになるかです。
そうです。
想念の力を信じ、想念を正しく使うようになれば、家庭も、社会も、世界も、救われるのです。
「信じる者は、救われる!」とは、「想念の力を信じる者は、救われる!」と言う意味です。
それは、自力です。他人は、一切、関係ありません。
なぜなら、想念は、自分の持ち物だからです。
その意味では、一人一人が、人生の、社会の、世界の、責任者です。
人のことを、とやかく言う人がいますが、人に言う前に、自分が、どのような、想念を使っているか?、顧みてください!
どうか、想念の偉大さを知ってください!
どうか、想念を正しく使って ください!
2024.09.30