実践が大切!
学びの友の中に、真理を学んでいれば、自覚の境界線が超えられると、勘違いしている人がおりましたが、真理が、自覚の境界線を、超えさせてくれるのではありません。
真理を、実践することによって、自覚の境界線が、超えられるのです。
真理は、あくまでも、道理を示しているだけです。
実践の伴わない真理は、単なる絵に書いたボタモチです。
それは、毎週、日曜日、キリスト教会に行って、讃美歌を歌っているようなものです。
私の本を読んで、私の動画を視聴して、金言を、毎日、確認して、満足しているのは、讃美歌を歌って、満足しているようなものなのです。
真理の実践とは、原子核を増やす、三つの方法のことを、言っているのです。
つまり、社会体験をすること、瞑想をすること、思索をすることです。
この三つの方法は、実際に、エネルギーを動かしているわけですから、間違いなく、前に進むのです。
歩くから、景色が変わるのです。座っていては、景色は変わらないのです。
景色が変わらないということは、成長していないということです。
あくまでも、自力です。自力で成してこそ、扉が開かれるのです。
私は、努力の大切さを言っているのです。
何かを成し遂げるには、努力が必要なのです。
くどいようですが、繰り返し言います。
真理が、自覚の境界線を、超えさせてくれるのではありません。
真理を、実践することによって、自覚の境界線が、超えられるのです。
くれぐれも、誤解なきように・・・。
※ 瞑想できる、有り難さ! 瞑想できる、幸せさ!
瞑想できるところまで、進化してきた自分を、どうか、褒めてやってください!
私たちは、本当に幸せなのですから・・・。
2024.02.01
世の中には、もの作りに、情熱を傾けている人たち、
或いは、お金儲けに、情熱を傾けている人たち、
また、地位や名誉や権力を得ることに、情熱を傾けている人たちがおります。
でも、その得たもの、成したものは、皆、この世のものです。
この世のものですから、どんなに、たくさん、得ても、成しても、必ず、無くなってしまいます。
また、この世に、名を残したいと言う人もおりますが、どんなに、名を残しても、その文明限りで、永遠に残るわけではないのです。
このように、この世で、得たこと、成したことは、全て、消えて無くなってしまうのです。
残すなら、絶対、消えないもの、失わないもの、無くならないものを、残しましょう!
それは、魂です。 この魂は、永遠に残るのです。
私は、この世のことに、情熱を傾けている人を、否定しているわけではありません。
ただ、瞑想する方が、原子核を、たくさん増やせるので、言っているだけです。
一般の人は、この世のことに、情熱を傾けて良いのです。
それなりに、原子核を増やすことが、できるからです。
でも、学んでいる皆さんは、もう、そんなものに、情熱を傾けてはいけないのです。
「人は、何のために生きているのか? 人生の目的は、何か?」と、問うと、大半の人は、良い家庭を築くためと言います。
中には、楽しむために生きている! 食べるために生きている! 分からない? 死ぬわけにいかないから生きている! と言う人さえいます。
なぜ、そう言う答えしか返ってこないかと言いますと、肉体が自分だと思っているからです。
肉体が自分だと思ってる人は、肉体を喜ばすことしか、考えられないのです。
学んでいる皆さんは、幸いです。人生の目的を、知ったからです。
人生の目的を、知ると知らないとでは、天地の差があるのです。
なぜなら、知った者は、人生を有意義に使えるからです。
人生を考えるメロディ「人生の目的」
2024.02.02
ある大金持ちが、こう言いました。私は、何でも手に入れることができると・・。
では、時間は、手に入れられますか? と、ある人が、質問しました。
彼は、一瞬、反論しようとしましたが、何か気づいたのか、口ごもってしまいました。
時間は、お金で買えるように思えますが、 買えないのです。
それは、意識が、買えないからです。
間(物)は、買えても、時(意識)は、買えないのです。
買えるものは、みな、偽物です。幻です。消えてしまいます。
買えないものは、本物です。真実です。絶対、消えません。
そのことを、知ってください。
私たちが使える時間は、「今」のみです。
「今」と思った瞬間、「今」は、過ぎ去ってしまいます。
でも、今は、あります。 「今」、「今」、「今」だけが、有るのです。
その「今」を使えるのは、自分の想念(意識)だけです。
その想念を使って、絶対に無くならないものを集めましょう!
さあ、今の一時、神を想いましょう!
瞑想しましょう! 瞑想しましょう! 瞑想しましょう!
「時」のあなたは、姿形がないので、自分を示すことができません。
それでは、存在意義がないので、「時」(意識・ 神 ・ 光・魂)は、「間」(物質・人間 ・影)に乗って、表現世界に出てきたのです。
でも、あなたは、「間」の中に入ることで、自分が、「間」であると、思い違いをしてしまいました。
苦しみや悲しみは、その思い違いから、生まれたのです。
あなたは、今、本当の自分を思い出すために、「間」の世界で、様々な体験をしているのです。
体験しているうちに、自分が、「間」ではなく、「時」であることに、気づくでしょう。
そうです。
あなたは、いずれ、自分が、「時」であることを、心の底で知るのです。
心の底で知った時、あなたは、「時」と「間」を併せ持った、「神人」になるのです。
この世の体験は、本当の自分「時・意識・神・光・魂」を発見する学びなのです。
旧・光のメロディ リニューアル♪ 「今という時」
2024.02.03
どんなことも、必然で起きていることを、信じてください。
起きていることだけでは、ありません。
今、あなたが思っていることも、必然なのです。
いや、過去で思っていたことも、必然で思い、必然で語り、必然で行なっていたのです。
この宇宙に、偶然は、一つもないのです。
偶然があったら、今、この宇宙は、存在していないからです。
この表現宇宙は、必然によって、生まれ、必然によって、運ばれ、必然によって、進化成長しているのです。
どうして、偶然があり得ないかと言いますと、法則によって、宇宙が支えられているからです。
あなたが、悪いことを思ったのも、悪いことを言ったのも、 悪いことをしたのも、必然です。
当然、良いことを思ったのも、良いことを言ったのも、良いことをしたのも、必然です。
あなたは、今日まで、淡々と、必然の人生を歩んできたのです。
私たちは、他人とは、離れられても、自分とは、永久に離れられないのです。
自分と、永久に離れられない理由は、「真我の自分」と「自我の自分」とは、永久に離れられないからです。
真我の自分と自我の自分は、二つで一つなのです。一つゆえに、離れられないのです。
離れられないから、自我で思ったことは、必然の思いになるのです。
私たちは、思いたい放題のことを思っていますが、その思いさえも、必然の思いなのです。
なぜなら、前述したように、真我の自分と自我の自分は、一つだからです。
ただし、欲望と感情が膨らむと、思いも、言葉も、行為も、自我的な苦しいものになるのです。
2024.02.04
私たちの中には、二人の自分がいるのです。
一人は、自我の自分、もう一人は、真我の自分です。
幼い頃は、自我が単独で行動しています。
しかし、魂が熟成すると、真我の自分が前面に出てきて、自我の自分と合体します。
その状態が、神人なのです。
「神人」とは、神と人間が、合体した状態なのです。
つまり、あなた(真我)と、私(自我)が、一緒になった状態なのです。
私の人生には・・
いつも、あなたが、おりました
あの、苦しかった時も・・
あの、楽しかった時も・・
あの、悔しかった時も・・
あなたが、おりました
あなたは・・
時には、諌め・・
時には、慰め・・
私を励ましてくれました
(神のメロディー「あなた(神)と共に」より抜粋)
神のメロディー 「あなた(神)と共に」
ある学びの友が、こんなことを言ってました。
「元も子もない!」 とは、「神がいなければ、人間がいない!」と言うことなのですねと・・・。
そうです。「元も子もない!」と言う言葉は、「神がいなければ、元も子もない!」が語源なのです。
神(元)がなければ、人間(子)は、存在しないのです。神は、私たちの親なのです。
何かが産まれるには、何かを生み出した親が、必ず、存在するのです。
神(意識・時)は、表現物を通してしか、地上に降りて来れません。
鉱物・植物・動物 ・人類は、その表現物です。特に、人間は、最高の表現物です。
なぜなら、人間には、自我があるからです。
人間が神を認めることで、神は存在できるのです。
だから、人間と神は、同格なのです。
全ての存在物の中には、神がおられるのです。
神が存在しなかったら、表現物は存在しないし、表現物が存在しなかったら、神は存在しないのです。
相身互いにあるのが、神と存在物との関係なのです。
どんな、偉大な神も、表現物あっての存在であることを、知ってください。
2024.02.05
ある学びの友が、 このようなことを、言っていました!
「ああ! 今の私の魂で良かったな! もし、動物から上がったばかりの魂だったら、どんなに惨めでしょう!」と・・・。
これは、幼い魂では、言えないことです。
こう言う思考を持てること自体、凄いことなのです。
もし、幼い魂が、上の世界を、少しでも、覗くことができたら、大ショックを受けることでしょう。
もしかしたら、生きていられないかも、知れません。
幸いなことに、下から上は、見えないから、彼らは、呑気に生きていられるのです。
この仕組みを作ってくれた神様の、何んと慈悲深いこと・・・ 頭が下がるばかりです。
私が絶賛するのは、理解力の高さによって、世界が進展してゆく仕組みの凄さです。
これは、驚天動地の仕組みです。
この仕組みは、どんな科学者も、理解できないでしょう。
世の人々は、この世界が、当たり前だと思って、生きています。
でも、その当たり前だと 思っている世界は、当人の理解力が生み出した世界なのです。
ですから、その人の理解力によって、見ている世界が、違ってくるのです。
低い理解力を持った人は、低度な世界を見ているのです。
高い理解力を持った人は、高度な世界を見ているのです。
ですから、もし、低い理解力を持った人が、高度な世界を、少しでも、覗き見ることができたら、その人は、多分、「私は、こんな理解力しか持っていなかったのか!」と、落胆することでしょう・・・。
でも、下から上は、見えませんから、 「私は博識者だ!」と、偉ぶっていられるのです。
良いのです。自分の理解した世界で、精いっぱい、生きたら・・・。
ただし、二つの事だけは、やってください。
そしたら、原子核が増えるので、理解力が増します。
理解力が増せば、増した分、新しい世界が見えてきます。
その理解力を持って、また、原子核を増やしてください。
増えたら、増えた分、また、新しい世界が見えてきます。
こうして、世界は、どんどん、どんどんと、高みに向かって、進展して行くのです。
神は、呑気なお方です。決して、急がせません。
どうか、マイペースで学んでください!
2019年1月26日 修善寺塾・2019年4月13日 東京塾より抜粋
2024.02.06
原因と結果の法則が、狂うことは、絶対、ありません。
もし、狂ったら、その瞬間、この宇宙は、消えて無くなってしまうからです。
宇宙が、今日まで、延々と存続してこられたのは、原因と結果の法則が、完璧に働いていたからです。
結果と原因は、絶対、切り離すことができないのです。
結果だけが起きることもなければ、原因だけが起きることもないのです。
あくまでも、原因と結果は、一つです。
ということは、あなたは、一こと足りとも、愚痴をこぼすことは、できません。
また、人のせいにすることも、できません。
なお、偶然のせいにすることも、できません。
あなたに、起きたことは、全て、あなたの責任です。
それは、あなたが、そういう原因を、作ったからです。
池に、石を投げてみてください。
波は、広がり、向こう岸に当って、投げたところに帰ってきます。
それは、原因と結果が、一つだからです。
今、あなたに、苦しいことが起きているとすれば、あなたが、悪い原因を作っていたからです。
つまり、悪い思いを持ち、悪い言葉を話し、悪い行為をしていたからです。
自分の「意・口・身」を、振り返ってみてください。
思い当たることが、あるはずです。
この宇宙で、一番良い波動は、神の想いです。
神を想っている時は、良い原因を作っていると同時に、悪い結果を消しているのです。
だから、神を想えば、安心して生きられるのです。
学びの友の最終目標は、想念のコントロールです。
難しいことは、ありません。ただ、神を想い続けたら良いだけです。
人間なら、誰にでも できる、簡単な作業です。
今、多くの人たちが、苦しんでいます。
それは、悪い原因を作っているからです。
悪い原因を作りながら、幸せを望むのは、矛盾というものなのです。
どうか、良い原因を作ってください。
そうすれば、幸せという「結果」が、与えられます。
これは、法則ですから、間違いのないことなのです。
利口な人は、法則を守って、幸せになっています。
愚かな人は、法則に逆らって、不幸せになっています。
これは、誰のせいでも、ありません。その人のせいです。
2024.02.07
この宇宙は、受け取る人の理解力によって、進展してゆくように、できております。
つまり、受け取る人の理解力が高ければ、高い宇宙が見え、受け取る人の理解力が低ければ、低い宇宙が見える、と言うことです。
宇宙は、先に有ったのでは、ありません。
また、誰かが、宇宙を作ったのでも、ありません。
人の理解力が、創ったのです。
と言うことは、理解力の差によって、宇宙が違ってくる、と言うことです。
Aチャンネルしか持っていない人は、Aチャンネルの世界しか、見られないのです。
ΑチャンネルとΒチャンネルを持っている人は、ΑチャンネルとΒチャンネルの世界が、見られるのです。
チャンネル数が、多ければ、多いほど、たくさんの世界が、見られるということです。
視野の広い人とは、チャンネル数を、多く持っている人のことです。
視野の狭い人とは、チャンネル数を、少なく持っている人のことです。
だから、チャンネル数の少ない人と多い人では、話題を共有し合うことは、できないのです。
魂の熟成度によって、理解力が違ってきます。
ですから、真理を学んでいる人たちの見ている世界と、一般人が見ている世界とは、違うのです。
理解力の高い人は、高度な世界のモノを、見ています。
理解力の低い人は、低度な世界のものを、見ています。
今、お金儲けに躍起になってる人は、理解力が低いので、消えて無くなる物を、求めているのです。
真理を学んでいる人たちは、理解力が高いので、永遠に無くならない真理を、求めているのです 。
一階に住んでる人は、自分の庭しか、見えないのです。
五階に住んでる人は、街が、見えるのです。
十階に住んでる人は、遠くの山が、見えるのです。
魂の熟成度によって、見ているモノが違う、と言うことです。
2024.02.08
神を想う時間と、この世のことを思う時間の比率は、魂の熟成度によって、違ってきます。
幼い魂は、この世のことを思う時間が多く、熟した魂は、神を想う時間が多いのです。
なぜ、そうなるかと言いますと、幼い魂は、この世の体験を多くする必要があり、熟した魂は、あまり、この世の体験をする必要がないからです。
世の中には、お金儲けに、時間をかけている人たちが、たくさん、おりますが、その人たちは、お金があれば、たくさん、体験できるからです。
でも、この世の体験を、ほぼ終えた魂は、あまり、お金集めに、時間をかける、必要がなくなるのです。
学びの友の皆さんは、一般人より、余暇が持てるはずです。
その余暇を、神を想うことに、使ってください。
私たちの肉体は、想念に、従順にできています。
それほど、想念の力は、偉大だと言うことです。
その想念の力を、次のように、利用してみてください。
もし、痛いことや、苦しいことが、来たら、「思わない! 思わない! 思わない!」と、三度、思ってください。 痛みも、苦しみも、半減するはずです。
次のような試みも、やってみてください。
もし、心が、落ち込んだり、暗くなったり 、 イライラしたり、苦しかったら、次のように思ってください。
「心が、安らぎと平安に、満たされますように!
心が、安らぎと平安に、満たされますように!
心が、安らぎと平安に、満たされますように!」
と、三度、思ってください。
心が、安らぐはずです。
一番わかりやすい体験は、くしゃみが出そうになったり、あくびが出そうになった時に、「思わない! 思わない! 思わない!」と、思うことです。
くしゃみも、あくびも、引っ込むはずです。
試しに、やってみてください。
何か苦しいことが、来たら、これは、以前、自分が作った原因が、消えている姿だから、「良いことだ! 良いことだ! 良いことだ!」と思い、決して、苦しみを掴まないことです。
作った原因は、必ず、消えるようになっているのです。
掴むから、再び、業を作ってしまうのです。
今、来ている苦しみは、業の消えている姿だから、「有り難いことだ!」と、良く受け取ることです。
2024.02.09
真実とは、何でしょうか?
それは、不変、不動、永遠不滅、絶対に無くならないモノのことを言います。
では、この宇宙に、真実は、どういう形で、存在するのでしょうか?
それは、意識として、存在するのです。
私たちは、意識を持っています。
意識を持っている、ということは、真実を持っている、ということです。
しかし、その意識は、見えないのです。
だから、真実も、見えないのです。
でも、私たちは、いつも、真実を、見ているのです。
ただ、気づいていないだけです。
・・こういうことです・・
今、あなたは、見えるものを、見ています。
目をつぶってみてください。 途端に、何も、見えなくなります。
いや、見えなくなったのでなく、真実が、見えるようになったのです。
見えないモノが真実ですから、目をつぶった途端、真実を、見ていることになるのです。
あなたの意識がなかったら、見えるものも、見えないモノも、消えてしまうのです。
なぜなら、あなたの意識が、見えるものも、見えないモノも、作っているからです。
真実とは、絶対に見えない、絶対に無くならない、私たちの意識だったのです。
真実は、見えませんが、現実(幻)は、見えるのです。
見えるが、ゆえに、殆んどの人が、現実を、真実だと、誤解して、生きているのです。
これでは、真実を、発見することが、できません。
では、どうすれば、真実を、発見することが、できるのでしょうか?
簡単です。目をつぶったら、良いのです。
目をつぶったら、何も見えなくなります。
見えないモノが、真実ですから、目をつぶった途端、真実が、発見できたのです。
私たちは、目を開けたら、現実の中におり、目を閉じたら、真実の中にいるのです。
ということは、私たちは、目を開けていても、目をつぶっていても、いつも、真実の中にいる、ということです。
瞑想は、目をつぶってします。
それは、真実を見て、真実を意識している状態なのです。
ですから、原子核を増やすことができるのです。
どうか、
瞑想してください!
瞑想してください!
瞑想してください!
2024.02.10
人生の厳しさは、魂が、熟成すれば、するほど、身にしみて、感じるものです。
私の人生を振り返ってみても、楽しかった時より、苦しかった時の方が、印象深く思い出されます。
私の人生の大半は、悲しみや苦しみの連続でした。
しかし、そう言う体験あったればこそ、真理に、目覚めることが、できたのですから、悲しみや苦しみは、単なる、悲しみや苦しみでは、なかったのです。
そうです。
悲しみや苦しみの向こうに、必ず、希望の光が、輝いているのです。
人間は、厳しい体験を通して、成長してゆくのです。
ですから、悲しい体験も、苦しい体験も、決して、悪いことではないのです。
今は、分からないかもしれませんが、いずれ、分かる時が来ます。
その時、あなたは、今日までの人生に感謝できるでしょう。
私は、それを体験した一人です。
あの時代は、あの時代で、精いっぱい、生きていたのですから・・・。
旧光のメロディー「 悲しみの向こうに」
2024.02.11
昔から、よく、「徳を積みなさい!」と言われますが、徳を積むとは、どういう意味なのでしょうか?
徳を積むとは、施しをする、善行を成す、愛を与える、すなわち、世のため、人のためになることをする、という意味です。
言い換えれば、エネルギーを、先出しすることです。
エネルギーを、先出しすれば、穴が開くので、開いた穴に、エネルギーが、返ってくるのです。
世の人々は、先に貰おうとします。
しかし、先に貰えば、いつか、必ず、返さなければならなくなるのです。
生まれたばかりの赤ちゃんが、何も悪いことをしていないのに、どうして、苦しい目に遭うのでしょうか?
それは、過去世において、エネルギーを、先取りしていたからです。
今、強制労働をさせられている人も、過去世において、エネルギーを、先取りしていた(遊んでいた)からです。
エネルギーは、必ず、均衡を保つようになっているのです。
ですから、幸せになりたかったら、エネルギーを、先に出すことです。
そうしたら、必ず、エネルギーは、返ってきます。
プラス マイナス ゼロ になるのが、エネルギー均衡の法則なのです。
良い原因を作りましょう!
良い原因を作るということは、徳を積むということです。
それは、思いと、言葉と、行為で、積むことが、できるのです。
一番手短な、徳を積む方法は、神を想うことです。
神を想っている時は、宇宙一の徳を、積んでいることになるのです。
なぜなら、神の思いは、自分を浄化し、周りを浄化し、地球を浄化し、宇宙を浄化するからです。
これほど、良い原因を作っていることはありません。
どうか、「私は、今、徳を積んでいる!」と思いながら、瞑想してください。
私たちは、裸で、産まれてきたのです。
ですから、裸で、帰らなければならないのです。
持って帰れるのは、魂だけです。
しかし、世の人々は、持って帰れないものを、躍起になって集めているのです。
どんなに集めても、置いて帰らなければならないのに・・です。
でも、大きくした原子核は、間違いなく、持って帰れるのです。
持って帰れないものを、集めるのか?
持って帰れるものを、集めるのか?
賢い皆さんなら、分かって頂けると思います。
2024.02.12
「瞑想って、スポーツなんですね!」という、学びの友がいました。
そうです!
瞑想は、スポーツなのです。
通常のスポーツは、体を動かします。
瞑想のスポーツは、頭を動かすのです。
しかし、通常のスポーツも、瞑想のスポーツも、共通性があるのです。
通常のスポーツは、頭は「静」で、体は「動」でなくてはなりません。
瞑想のスポーツは、頭は「動」で、体は「静」でなくてはなりません。
頭が「静」と言う意味は、 雑念を持たないという意味です。
頭が「動」 という意味は、想いを一点に動かす・・つまり、集中させるという意味です。
通常のスポーツも、瞑想のスポーツも、「静」と「動」を、コントロールすることで、良い結果が得られるのです。
瞑想は、スポーツである!と、気楽に考え、やってください。
楽しくできると思います。
良いことを思ったら、良いことが返ってきます。
悪いことを思ったら、悪いことが 返ってきます。
この「因果の法則」の働きは、完璧なのです。
学びの友の皆さんは、毎日、瞑想していると思いますが、何よりも、「神を想う瞑想」が、宇宙で一番良い原因を作っているのです。
ですから、間違いなく、良い結果が帰ってくるのです。
もう一つ、瞑想をしている時は、宇宙に徳を積んでいるのです。
なぜなら、宇宙で一番良いエネルギーを放出しているからです。
その想いは、宇宙を浄化しながら、巡り巡って、あなたの所に、良い果実を持って帰ってきます。
どうか、そのことを信じ、瞑想を続けてください。
2024.02.13
傲慢にも、人間は、自分で生きている、と思っています。
とんでもない! 私たちは、神に生かされているのです。
私たちの幸不幸は、神の手中にあるのです。
でも、その神は、私たちと一体ですから、私たちが、幸不幸を握っている、と言っても良いのです。
人間は、想念を持ち、自由意思を持っています。
それは、神の分身だからです。
しかし、神の分身だと、気付かなければ、人間としての生き方しか、できないのです。
今、地球上で、 戦争・事件・事故・病気・自然災害など、たくさんの不幸が起こっているのは、自分の本性を知らないからです。
「無知は最大の罪である!」と言われますが、正に、その通りです。
でも、いずれ、人類は、己の本性に気付く時がきます。
それまで、待ちましょう!!
確かに、今の地球では、醜いことが、多々、起きています。
でも、それは、仕方がないことなのです。
完全なる神は、人類を、どう進化させるか、綿密な計画を立て、その計画を着実に実行しています。
ですから、今、どんなに、ぐしゃぐしゃな絵であろうと、いずれ、素晴らしい絵になるのです。
でも、その計画が、私たちの目には、見えないのです。
だから、どうしても、神を疑ってしまうのです。
どうか、神を信じ、今、できることを、精いっぱいやって、待ちましょう。
完成の暁には、素晴らしい絵になるのですから・・・。
2024.02.14
この宇宙には、たった一つの「力」が、あるだけです。
その力のことを、神と呼んだり、命と呼んだり、意識と呼んだり、しているだけです。
神は、力なのです。
ですから、神を知ろうと思ったら、力を知れば良いのです。
神には、色々な側面があるわけですが、その側面の一つが力なのです。
この宇宙は、
神の力によって、生まれ、
神の力によって、生かされ、
神の力によって、動かされ、
神の力によって、働かされているのです。
思いも、言葉も、行為も、すべて、神の力によるのです。
その神の力を、一番分かりやすく表現しているのが、人間なのです。
ですから、人間は、神の代弁代行者と言われるのです。
どうか、「神」を、「力」と、置き換えてください。
この宇宙が、解らない?
神が、解らない?
本当の自分が、解らない?、のは・・「1」が、解らないからです。
これまで、述べてきたように、「1」は、切っても、切っても、永遠に切れるのです。
永遠に切れる、と言うことは、「1 」は、無限である、と言うことです。
無限であるがゆえに、「1」を 知ることは、永久にできないのです。
「1」が知れないがゆえに、神も、宇宙も、本当の自分も、知ることができないのです。
でも、それで、良いのです。
知ったら、宇宙も、神も、自分も、消えてしまうからです。
「1を知ることは、永久にできない! 」と言うことは、何を意味しているのでしょうか?
それは、「1」で創られている、この表現宇宙は、幻である、と言うことを、意味しているのです。
幻ゆえに、宇宙は、いつか、必ず、消えてしまうのです。
宇宙が消えるくらいですから、私たちの肉体が消えるのは、当然です。
しかし、消えると分かりながら、お金や、物や、地位や権力を、集めている人が、大勢いるのです。
何と! 矛盾に満ちたことをしているのでしょうか?
人生の目的は、お金や、物や、地位や権力を、集めることではありません。
魂を、大きくすることです。
さあ!
今、やるべきことを、精いっぱい、やってください!
そして、瞑想してください!
間違いなく、魂は、大きくなります。
神の絆奏曲 「知ることのできない神」
2024.02.15
冷蔵庫を動かしているのは、何でしょうか?
見えない電気(エネルギー)ではないでしょうか?
では、人間を動かしているのは、何なんでしょうか?
見えない意識ではないでしょうか?(意識は、エネルギーでもある)
では、その意識は、脳が生み出したのでしょうか?
いいえ、神が生み出したのです。
この宇宙には、たった一つの神意識があり、そのたった一つの神意識が、人間を生み出し、生かし、動かし、働かしているのです。
人間には、二つの側面があります。
【肉体の側面】
氷が水になり、水が空気になっても、本質的に変わらないように、
肉体が死んで、水になり、水が原子に帰っても、本質的には、何も変わらないのです。
【意識(魂)の側面】
肉体から意識が離れ、別の次元で、別な体を持っても、本質的には、何も変わらないのです。
このように、形に変化が起きても、本質的には、何も変わらないのです。
もし、科学者が、肉体が無くなっても、意識は、別な次元で生きている!と言うことを、認めるようになったら、地球は、大きく変わるでしょう。
2024.02.16
私たちは、肉体を持つと、どうしても、黒石を置いてしまう(罪を犯す)のです。
覚者でも、目覚めるまでは、黒石を置くのですから、私たちが、黒石を置くのは、仕方のないことなのです。
黒石を置けば、必ず、痛み・苦しみが、やってきますが、その、痛み・苦しみも、決して、悪いことではないのです。
なぜなら、魂を成長させるには、痛み・苦しみが、必要だからです。
今、苦しいからと言って、悲観的にならないでください。
この苦しみは、進化成長に必要な体験だと、良く受け取り、自分を励ましてください。
【罪とは・・想いの罪、言葉の罪、行いの罪です。】
どんな人も、生まれた時、すでに、白石が置かれているのです。
でも、人間は、肉体を持ってしまうと、どうしても、黒石を置いてしまう(罪を犯す)のです。
殆んどの人は、一生、黒石を置き続けて終わります。
学んでいる皆さんでも、これまで、黒石を置き続けてきたのです。
でも、落胆しないでください!
例え、一生、黒石を置き続け帰ったとしても、いつの生にか、必ず、真理に目覚める時がきます。
その時、今まで置いた黒い石は、全て、白石に置き変わってしまうのです。
いつでも、逆転可能なのが、求道の旅なのです。
オセロゲームは、そのことを、教えてくれているのです。
では、どうしたら、黒石を白石に、置き変えることができるのか?、教えましょう!
簡単です。 「意・口・身」を、正しく使えば良いのです。
よく、人生を占いに託す人がいますが、人生を良くするのは、自分の想念です。
良い原因を作ったら、良い結果が、やってくるのです。
つまり、良い想念を使ったら、良いことが、やってくるのです。
これは、神の愛です。
どうか、神の愛を信じられる人になってください!
【意→想い 口→言葉 身→行為】
神のメロディ「神の愛に抱かれている私たち」
2024.02.17
「気」とは、宇宙エネルギーのことです。
その「気」は、私たちの周りに、遍満して有るのです。
しかし、遍満して有っても、「気」の使い方を知らなければ、使えないのです。
では、どうすれば、「気」を使うことが、できるのでしょうか?
簡単です。 想念を使えば良いのです。
実際に、皆さんは、想念を使って、人生を作ってきたではありませんか?
事故災難も、病気も、自分の想念で作ったのです。
ただ、気づいていないだけです。
このように言っても、信じてもらえないでしょうが、これは、間違いないことなのです。
では、信じてもらうために、「想念」に「気」が従う、実例を、あげましょう!
意識して、体(手足)を、ゆっくり、動かしてみてください。
体(手足)の動きに沿った、気の流れが感じられると思います。
気の流れが感じられた人は、気持ちが良くなるはずです。
中国で、よく、行われている太極拳は、「気のエネルギー」を利用した運動なのです。
一度、試しにやってみてください。 心身ともに、爽やかになります。
健康のためにも良いので、お勧めします。
もう一つ、指先に意識を持って行ってみてください。
指先が、ピリピリするはずです。
ピリピリした指で、空中に「○」を思いながら描いてみてください。
「神」という字を思いながら書いても、結構です。
指先のピリピリが、強くなるはずです。
このピリピリが、宇宙エネルギーなのです。
宇宙エネルギーは、地場・空間を清めてくれます。
気落ちした時、やってみてください。
気持ちが、晴れ晴れするはずです。
これも、気の働きの体験です。
「気」は、想念で、いくらでも、動かすことができるのです。
想念そのものが、気そのものだからです。
つまり、宇宙エネルギーそのものだからです。
瞑想は、想念が、宇宙エネルギーを集めるという、原理を利用しているのです。
「気」の使い方には、二通りの使い方があります。
どちらも、同じ、「気」を使っているのですが、結果は、全く違うのです。
外側のものに「気」を使えば、外側のものが作られます。
でも、外側のものは、幻ですから、「気」の無駄遣いになります。
しかし、内側のものに「気」を使ってみてください。
魂と言う、永遠の財産が得られます。
「気」は、想念が、動かすのですから、「気」と想念を、同じ(一つ)と思って結構です。
2024.02.18
私が、声を大にして言いたいことは、 「悪い原因を作らないようにして欲しい!」と言うことです。
宇宙は、原因と結果の法則によって、秩序立てられているのです。
その法則は、完璧です。
完璧ですから、悪い原因を作れば、悪い結果がやってきます。 良い原因を作れば、良い結果がやってきます。
これは、絶対、間違いないことなのです。
ならば、良い原因を作ろうではありませんか?
私は、「何か、特別なことをしなさい!」と言っているのではないのです。
誰にでもできる、「簡単なことをしなさい!」と言っているだけです。
それは、お金もかかりません。どこへ行く、必要もありません。ただ、良い思いを持つだけです。
皆さんは、
何かにつけて、心配します。
何かにつけて、ネガティブなことを考えます。
何かにつけて、余計なことを考えます。
それが、苦しい人生にしているのです。
どうか、良いことを思ってください。
良い思いの1番は、「神の想い!」です。
神を想っている時は、悪いことは思えないわけですから、原子核を増やし、悪い原因を作らないと言う、二重の徳を積んでいることになるのです。
2024.02.19
幼い魂は、「重厚長大」のものを好みます。
熟した魂は、「軽薄短小」のものを好みます。
どうして、そうなるのかと言いますと、幼い魂は、波動が低いため、重いものを好み、熟した魂は、波動が高いため、軽いものを好むからです。
雲を見てください!
黒い重い雲は、下に下がります。 白い軽い雲は、上に上がります。
これは、魂の進化度を表しているのです。
魂の進化が、そうであるように、文明の進化も、幼い星は、重厚長大の文明を好み、熟した星は、軽薄短小の文明を好むのです。
地球は、どうでしょうか?
私たちは、重厚長大のものを、持つ必要はないのです。
なぜなら、百年足らずで、この世を、去らねばならないからです。
私たちが、持つべきものは、いつでも、置いて帰れる、軽薄短小のものです。
「重厚長大」のものを作るのに、どれだけの資源と、どれだけのエネルギーと、どれだけの手間がいるでしょうか?
環境保全が叫ばれている、今日、 私たちは、できるだけ、軽薄短小のものを使うべきだと思います。
だからと言って、軽薄短小のものに買い替えなさい! と言っているわけではありません。今、有るものは、使い切ってください。
この表現世界は、類は類を呼ぶ法則によって、秩序立てられています。
例えば、
釣り好きな人は、釣り好きな人たちが、集まってきます。
お酒好きな人は、お酒好きな人たちが、集まってきます。
ギャンブル好きな人は、ギャンブル好きな人たちが、集まってきます。
私たちは、いつのまにか、同じ波動を持った人たちと、交わって、生活しているのです。
よく、泥棒に入られるのではないか? 自動車事故に遭うのではないか? と、心配する人がいますが、自分が良い波動を出していたら、そんな心配はいらないのです。
また、世の中には、雷に打たれたり、看板が落ちて死ぬ人がいますが、その人は、波動の同調によって、死ぬべきにして、死んだのです。
良い波動を出していたら、絶対、そんな目に遭いません。
波動は、絶対、嘘をつきません。
もし、あなたの側に、良くない人がいるなら、あなたの波動が良くないからだと思ってください。
安心して生きたかったら、常に、良い波動を出すことです。
良い波動の一番は、神を想うことです。
2024.02.20
コロナは、なぜ、蔓延しているのでしょうか?
神は、意味のない事をなされないわけですから、蔓延するには、何か理由があるはずです。
では、どんな理由が、あるのでしょうか?
一言で言えば、 便利・快適・暖衣・飽食に酔いしれている物質文明に、ストップをかけなさいと言う警告です。
このように言うと、「私たちから、楽しみを奪うのか! それでは、生きている甲斐がない!」と 怒るかも知れませんが、良く考えてみてください。
一時の楽しみを得たいがために、
地球を、人の住めない星にして、良いのでしょうか?
病人の多い地球にして、良いのでしょうか?
争いごとの多い地球にして、良いのでしょうか?
物質文明が発達すれば、人の心が荒むのです。
人の心が荒めば、争いごとが多くなるし、病人も増えるのです。
「楽しみを奪うのか!」と怒る人は、楽しみを、誤解して、受け取っているからです。
楽しみは、外側にだけあるのでしょうか? いいえ、内側にもあるのです。
私は、家族と一緒に、トランプ遊びをしていた時の方が、旅行した時よりも、楽しかったです。
ディズニーランドに行った時よりも 、近所の子供達と石蹴りや、縄跳びや、 鬼ごっこや、かくれんぼをして、遊んでいた時の方が、楽しかったです。
お金を使わなくても、遠くに出かけなくても、いくらでも、楽しむことは、できるのです 。
また、楽しみに執着するのは、人生の目的を知らないからです。
一体、私たちは、何のために、生まれてきたのでしょうか?
遊び呆けるためですか? 便利快適に酔い知れるためですか?
いいえ! 私たちは、本当の自分を知るために、生まれてきたのです。
人生の目的を知らないから、便利快適に酔いしれ、娯楽に酔いしれるのです。
コロナが蔓延しているのは、人生の目的が何なのか? じっくり考えなさい! と言う警告なのです。
資本主義経済は、悪を助長させる仕組みです。
この経済に、しがみついている限り、人類に、明るい未来はないでしょう!
なぜなら、資本主義経済は、成長を続けなければ、やってゆけない仕組みだからです。
経済を成長させるためには、人々の欲望を刺激しなければなりません。
欲望が刺激されれば、どうしても、人心の荒廃が進むのです。
そうなると、様々な争い事も生まれます。病気も増えます。
当然、地球環境も、悪化するでしょう。
鳥インフルエンザの蔓延も、コロナウイルスの蔓延も、原因は、資本主義経済にある! と言うことに、気づいてください!
2024.02.21
今、地球には、70数億人の人類が、生存しております。
その70数億人の人たちは、地球が、野蛮な星だと、思っているでしょうか?
おそらく、地球ほど、素晴しい星はない! と、思っているでしょう。
でも、考えてみてください!
毎日、報道されるニュースの殆んどは、眉をひそめたくなるもの、ばかりではありませんか?
おぞましいもの、ばかりです。
地球人は、麻痺してしまって、何の疑いも持たないようですが、地球には、次のような、おかしな遊びがあります。
地球には、
更に、おかしいのは、
地球では、
私たちは、こんな野蛮な星に生きているのですよ! ゾーッとしませんか?
今まで地球上で、どれだけの戦争が起き、どれだけの人が戦死し、どれだけの人が手足を奪われ、どれだけの街が破壊され、どれだけの戦争孤児が生まれたでしょうか?
こんな酷い目に遭っていると言うのに、人間は、未だに、戦争を止めようとしないのです。
「戦争からは、平和は得られない!」と言うことを、知ったはずなのに、未だに懲りないで、軍備の増強を図っている、愚かな人間たち ・・・ 何と哀れなのでしょうか?
一体、世界中で、年間、どれだけの軍事費が、使われているでしょうか?
その軍事費を、心の教育に使ったら、どれほど、世界は、良くなることでしょうか?
でも、仕方ありません。
濁った水の好きな魚は、清い水の中に、棲むのは嫌なのでしょうから ・・・。
良い原因を、創ってみてください。 良い結果が、やってきます。
悪い原因を、作ってみてください。 悪い結果が、やってきます。
これは、原因と結果の法則から言って、当然のことなのです。
ですから、私は、常日頃から、少しでも良い原因を作りたいと、心がけているのです。
例えば、エレベーターに乗る時も、一人で乗るのではなく、できるだけ、多くの人と乗るよう、心がけています。
また、電気も、水も、できるだけ、無駄遣いしないよう、心がけています。
「 一人で、そんなことやっても!」と、思うかもしれませんが、一人一人の心がけが、地球環境を良くするのです。
人の宇宙のことは、考えなくて良いのです。
自分の宇宙のことだけ、考えてください!
自分の宇宙を良くしたら、全ての宇宙が良くなるのですから・・・・ 。
2024.02.22
原因あっての結果です。
原因を良くすれば、結果は、必ず、良くなります。
原因が悪ければ、結果は、必ず、悪くなります。
この原因と結果の法則は、間違いないのです。
ですから、幸せになりたいと思ったら、原因を良くすることです。
今、人類は、川下を、一生懸命、浄めようとしているのです。
川上である、心を清めれば、何もしなくても、川下が浄められるというのに、人類は、それを、知らないのです。
でも、川下を浄める行為も、決して、無駄ではないのです。
なぜなら、一生懸命、浄めている川下の人の心が、川上で汚している人の心に、いつか、通じるからです。
つまり、川上の人たちは、川下で、一生懸命、浄めている人たちの姿を見て、心を打たれるでしょう。
心打たれた、川上の人たちは、汚さないよう、心がけるようになるでしょう。
これは、結果が原因を良くした事例です。
これは、薬を飲んでる人にも、通じる話しなのです。
薬には、特異な波動があります。
その波動は、一時的に、痛みや苦しみを、和らげるのです。
そうすると、心が安心します。 心が安心すると、病気が治るのです。
心が病気を作っていたのですから、心が安心すると、病気は治るのは、原因と結果の法則からして、当然なのです。
サプリメントを飲んで効く人がおりますが、それは、信じた自分の心が効かしたのです。
いかに、心が、肉体に影響を与えているか、分かって頂けると思います。
想い(心)が、病を、作るのです。 思いが、健康も、作るのです。
想念は、実現の母だからです。
私が存在するから、全てのものが存在するのです。
私が存在しなければ、何も存在しないのです。
なぜなら、私の想いが、私を創り、私の想いが、全てのものを創っているからです。
私が存在するとは、そういうことなのです。
私あっての存在であることを、知ってください。
2024.02.23
「まっ平」は、無いのです。
デコとボコが合わさったものが、「まっ平」になっているだけです。
また、 単独での「デコも、ボコも」、無いのです。
1の中に、元々、デコとボコが、備わっているのです。
1が、1だけでないのと同じです。
無数が、無数だけでないのと同じです。
1と無数が合わさったのが、1なのです。
デコとボコを、もう少し、分かりやすく、説明しましょう。
この世の中には、損得というものがあります。
それは、他人がいる世界にのみある概念です。
しかし、一人しかいない世界では、損得の概念は、生まれないのです。
こういうことです。
他人がいる世界には、他人のポケットと、自分のポケットの、二つのポケットがあることになります。
その世界では、自分のポケットから、他人のポケットに、お金が移動したら、損したことになります。
反対に、他人のポケットから、自分のポケットに、お金が移動したら、得したことになります。
でも、一人しかいなかったら、例え、ポケットが二つあって、右のポケットから、左のポケットに、お金が移動しても、左のポケットから、右のポケットに、お金が移動しても、自分のポケットの中を行き来しただけですから、損したことにも、得したことにも、ならないのです。
この世の中には、勝敗というものがあります。
これも、他人がいるから、生まれる概念です。
世の人々は、勝った、負けたと、一喜一憂していますが、本当は、勝った人も、負けた人も、いないのです。
勝った人は、必ず、負けているのです。負けた人は、必ず、勝っているのです。
得した人は、必ず、損しているのです。損した人は、必ず、得しているのです。
一つの中には、勝った 負けたも、得した 損したも、無いのです。
要するに、一つしかない世界では、デコも、ボコも、ない、と言うことです。
損得と勝敗を、別な角度から、考えてみましょう!
勝った人がいる、ということは、負けた人がいる、ということです。
得した人がいる、ということは、損した人がいる、ということです。
勝った人は、奢って、努力を怠ります。
負けた人は、悔しいので、一生懸命、努力します。
そうすると、次の勝負で、逆転することが起こります。
得した人は、奢って、努力を怠ります。
損した人は、一生懸命、損を取り返そうと、努力します。
こうして、勝った 負けた、得した 損したを、繰り返しながら、人は、成長してゆくのです。
これは、エネルギー均衡の法則が、人の心の中でも働いているから、起きる現象なのです。
この仕組みを創られた神の凄さ・・・ 頭が下がるばかりです。
さらに、一つを、別角度から、見てみましょう!
物質の世界では、物を刃物で切って、分けることができます。
しかし、水と空気は、分けることができません。
例え、切っても、すぐに、埋まってしまいます。
水も、空気も、一つだからです。
物質の世界では、自分と他人とが離れて見えますので、一つにはなれないのです。
でも、水(幽界)は、 物質世界より、自由性がありますので、完全とまでいかなくても、一つになれるのです。
空気(神界)は、自由性が一段と高いので、完全に、一つになれるのです。
私たちは、物質界で不自由な体験をし、自由の大切さを覚えてゆくのです。
『学びの友の皆さんに、お願い!!』
地球のためにも、自分のためにも、
今日から、少しだけ、瞑想時間を多くしてください !
2024.02.24
今、多くの人たちが、病気を恐れ、老いを恐れ、死を恐れ、また、日々の生活に悩みながら、生きています。
なぜ、そのような人生を、送っているのでしょうか?
はっきり言って、それは、肉体を自分だと思っているからです。
肉体を自分だと思っている限り、「生・老・病・死」を、恐れるのは、当然なのです。
学んでいる皆さんは、どうでしょうか?
まだ、「生・老・病・死」を、恐れていますか ?
例え、恐れていても、恐れは、少ないと思います。
なぜなら、本当の自分を知ったからです。知っただけでも、恐怖は、半減するのです。
しかし、恐怖を、完全に無くすためには、「自分は、魂である! 命である! 意識である! 神である!」と言う思いを、腹の底まで落とさなくてはなりません。
どうか、
真理を求め続けてください !
瞑想を続けてください!
そして、 「生・老・病・死」を、恐れない、自分になってください!
人生の目的って、一体、何でしょうか?
それは、本当の自分を知ることです。
殆んどの人は、本当の自分を知らないで、生きています。
だから、「生・老・病・死」を、恐れるのです。
もし、本当の自分に目覚めたら、「生・老・病・死」の恐怖から解放されるでしょう。
でも、それは、人間と思ってる限り、不可能なのです。
だから、私たちは、本当の自分を知る、必要があるのです。
では、本当の自分を知りましょう?
私たちは、
永遠に、生き通す・・
永遠に、老いない・・
永遠に、病気にならない・・
永遠に、死なない・・
魂です。
命です。
意識です。
神です。
2024.02.25
よく、私は、神は人間臭いですよ! と言います。
それは、人間と同じ考えを持って、 現象界を差配しているからです。
危険なことをしたら、警告を与えます。
悪いことをしたら、罰を与えます。
良いことをしたら、幸せを与えます。
何も、人間と変わらないのです。
でも、一つだけ、人間と違うところがあります。
それは、愛です。
人間の愛は、情愛です。甘やかしの愛です。人をダメにする愛です。
でも、神の愛は、峻厳な愛です。
「悪いことをしたら、痛い目に遭いなさい!」と言うのが、神の愛です。
神の愛は、「原因と結果の法則」そのものだからです。
この愛は、確かに、人を成長させます。
でも、私は、そういう、冷たい愛は、好きではありません。
私は、神の愛と人間の情愛をプラスし、二で割った、神人の「愛情」が好きです。
世の中には、「私は、成功者である!」と、豪語する人がいますが、彼らは、本当に成功者なのでしょうか?
いいえ、私から言わせたら、失敗者です。
なぜなら、この世限りのもの(お金や地位や名誉や権力)を、集めているからです。
どんなに、この世のものを集めても、あの世まで、持ち帰ることはできないのです。
真の成功者とは、永遠に無くならない魂を大きくする人です。
2024.02.26
私たちの住んでいる地球には、人間が住めるよう、素晴らしい環境が、用意されています。
その環境の中に、たくさんの種類の、植物や、菌や、虫や、小動物や、中動物や、大動物たちが、生きています。
勿論、海も、山も、湖も、川も、砂漠も、存在しています。
これらの環境は、全て、人類の進化成長のために、用意されたものなのです。
彼らは、人類の進化成長のために、夜も、昼も、寒い時も、暑い時も、働いてくれているのです。
人類の目から見たら、一見、逆さまな働きをしているように、見えることがありますが、よく、観察してみると、それさえも、全て、進化成長に結びついているのです。
例えば、人間は、バイ菌や害虫を嫌っていますが、 彼らがいなかったら、人間は、清潔感を保とうとするでしょうか?
また、自然界には、毒物が存在しますが、 毒物がなかったら、人間は、判別をつける知恵を持つことができるでしょうか?
地球に良いものばかりしかなかったら、人間は、何の疑問も持たない、バカ人間に、なってしまうのです。
このように、自然の猛威も、厳しい季節も、厳しい環境も、みな、人類を進化成長させるために用意された、自然界からの愛の贈り物なのです。
「逆も真なり!」とは、厳しいことは・・、辛いことは・・、苦しいことは・・、全て、進化成長に結びついている、良いことだ!、と言う意味なのです。
と言うことは、 「暖衣飽食・快適・ 快楽 」 の裏返しの意味は、何か?
考えてみてください!
本当は、宗教など、必要ないのです。
どうして、宗教が必要になったかと言いますと、 科学者たちが、見えない世界の研究を、宗教家たちに任せてしまったからです。
もし、科学者たちが、真剣に、見えない世界のことを研究し始めたら、宗教など、いらなくなるのです。
そうしたら、宗教戦争もなくなるし、宗教で苦しむ人もいなくなるでしょう。
国が後押しをして、1日も早く、見えない世界のことを研究して欲しいと思います。
「秋の夜空」
2024.02.27
自分とは、何でしょうか? 肉体でしょうか?
肉体は、必ず、朽ち果ててしまいます。
朽ち果てる肉体が、自分でしょうか? そうではないのです。
私たちは、永遠に生き通す、生命なのです。意識なのです。神なのです。
名前は、どうでも良いのです。
その生命が、「自」らを「分」けたのです。
だから、私たちは、「自分」と言うようになったのです。
その自分は、どんな形に入ろうと、少しも変わらないのです。
石に入っても、自分です。
花に入っても、自分です。
犬に入っても、自分です。
地球に入っても、自分です。
私たちは、進化成長するに従って、大きな形の中に入ってゆくのです。
今の私たちは、人間と言う形に入っている、生命なのです。
人生は、一生限りです。
でも、命生は、永遠の生なのです。
永遠の生を刻みながら、進化成長してゆくのが、自分と言う生命なのです。
この表現宇宙は、一時たりとも、停滞することはありません。
一刻一刻、進化成長への道を歩んでいるのです。
それは、幸せの階段を、一歩一歩、上がっているようなものです。
なぜなら、一歩、成長すれば、一歩、幸せがついてくるからです。
私たちは、何のために、生まれてきたのでしょうか?
肉体を喜ばすために、生まれてきたのでしょうか?
いいえ、そうではないのです。
本当の自分を知るために、生まれてきたのです。
つまり、 自分が生命であることを知るために、生まれてきたのです。
それも、心の底で知るために・・・。
それには、次の二つのことをやることです。
社会体験は、誰でも、やっています。
瞑想は、難しいように思いますが、 自分のマントラを想うだけでいいのです。
難しいとすれば、続けることでしょうか?
どうか、二つのことをやって、本当の自分を、心の底で知ってください。
吾、生命なり!
吾、生命なり!
吾、生命なり!
2024.02.28
真理は、いつの時代にも、どんな人種にも、 どこの国にも、平等に降されています。
ただ、その真理を、理解できる人が、いるか、どうかです。
真理は、ありふれたものですから、何処にでも、あるのです。
大宇宙の中にも、大自然の中にも、原子の中にも、人間の中にも、・・・。
ただ、それを、受け取る能力が、あるか、ないかです。
どんなに、目の前に真理があっても、受け取る能力がなかったら、その真理は、無いのです。
また、いくら受け取っても、その真理を使わなかったら、宝の持ち腐れで終わってしまうのです。
大切なのは、ただ、真理を知ることではなく、知った真理を実践し、自分を変えることです。
それには、努力が要ります。継続する忍耐力が要ります。 集中力も要ります。
今の自分は、どうなのか?、確かめてみてください!
これまで、私は、宇宙は、理解力によって、進展してゆく!、と言ってきました。
これは、言葉上ではなく、 本当に、そうなのです。
先に宇宙が有ったのではないのです。その人の理解力が、生み出した宇宙なのです。
“ 宇宙が有る! ” と、科学者は言いますが、その宇宙は、有ったのではなく、理解者が創ったのです。
もし、先に宇宙があったなら、結果が先にあることになり、「原因と結果の法則」が、逆さまになってしまいます。
そうなったら、宇宙は、めちゃくちゃです。
「原因と結果の法則」が、間違いないから、宇宙は、今日まで、存続してこれたのです。
理解者は、原因者です。 理解された宇宙は、結果です。
ですから、理解者が、宇宙を創っていることになるのです。
2024.02.29