1は神・・○は神人・・
1は、完全です。1を横にしても、斜めにしても、逆様にしても、1は、分かります。
1は、歪みがありません。引っかかりがありません。
でも、 分数 (2・3・4・5・6・7・8・9)は、横にしたり、斜めにしたり、逆様にしたら、分からなくなります。
分数には、歪みがあり、引っかかりがあります。
1の中には、無限の数字(分数)があるのです。
無限の数字があると言うことは、無限の発展性と、無限の可能性と、無限の創造性があると言う意味です。
1の引き出し(パンドラの箱)の中は、夢と希望で満ち溢れているのです。
1の引き出しの中は、無限の宝庫なのです。
でも、1の引き出しの中にある時は、発展性や、可能性や、創造性は、潜在しています。引き出しから出た時に、その能力が発揮されるのです。
表現宇宙は、その引き出し(パンドラの箱)が開けられ、その引き出しから生まれたのです。
○も、完全です。どこから見ても、○は、分かります。
歪みがありません。引っかかりがありません。丸く収まるのが、○なのです。
1は、神なのです。
○は、神人なのです。
分数は、神の子(人間)なのです。
私たちは、1から出てきた、神の子なのです。
その神の子が、○である神人になろうとしているのです。
なぜ、このようなことを、くどくど言うのかと言いますと、人間が、神の子であることを知って欲しいからです。
どうか、自分を卑下しないでください。
私たちは、偉大な神の子なのですから・・・。
※ 神は、完全です。
神が完全である、と言うことは、この宇宙に、不完全なものは、何一つ無い!、と言うことになります。
と言うことは、人間は、完全である、と言うことです。
自分を卑下しないでください。
人間は、完全な神の分身なのですから・・・。
※ 私たちが、神の子である理由は、神と同じ意識を持っているからです。
※ 人間がいるから、神がいるのです。
また、神がいるから、人間がいるのです。
どちらもいなければ、どちらもいないのです。
※ 人間と神は、二つで一つなのです。
認める者がいなければ、認められるモノがないからです。
※ 裏だけの手もありません。表だけの手もありません。
裏と表が揃って手があるのです。
※ 神を探しに出掛ける必要はありません。
神に逢いたかったら、自分の中を探してください。
(2020年12月20日 今週の真言より)
神のメロディ「神の想い!」
2023.12.01
心の強い人は、エネルギーの強い人である!
サタン(自我・肉我)の常套手段は、人の気持ちを、萎えさせること、落ち込ませること、不安にさせること、心配させることです。
そうすれば、エネルギーが低くなるので、彼らは、活動しやすくなるのです。
これに打ち勝つには、心を強くすることです。
心を強くするには、原子核を増やすことです。
原子核が増えれば、エネルギーが強くなるので、サタンが寄って来づらくなるのです。
原子核を増やす手短な方法としては、
誰にでも出来る簡単なことです。ただ、続けることが面倒なだけです。
原子核を増やすことは、日常生活の中で、いくらでも、できるのです。
例えば、何かやる場合、
要領は、悪いかも知れませんが、要領の悪い方が、原子核を増やせるのです。
これは、小さなことと思うかも知れませんが、結構、原子核を増やすことができるのです。
病気は、心の弱い人がなりやすいのです。
気にしすぎる人、クヨクヨ考える人、心配性の人、何でも悪く受け取る人、妄念を作り上げる人などは、 病気になりやすいのです。
今、病気で苦しんでいる人は、ぜひ、心を強くしてください。
薬を飲んで癒すのは、他力ですから、根本治癒に結びつきませんが、心を強くして癒すのは、自力ですから、根本治癒に結びつくのです。
これは、肉体的な病で苦しんでいる人は、勿論、精神的な病で苦しんでいる人にも言えることです。
小さなことと思わず、やってください。
※ 私が、最近、発見したことは、単純な作業や、簡単な作業を、繰り返し行うと、宇宙エネルギーが入ってくる、と言う発見です。
それも、無心でやれば、たくさん、入ってきます。
宇宙エネルギーが入ってくれば、気持ちの良い状態で作業が出来ます。
ですから、あまり、疲れないのです。
雑念(欲・こだわり)を持ちながら、やっては、駄目です。
ただ一心に、その作業をやることだけ考え、やってください。
神は、肉体と言う媒体を通して、地上に「真・善・美」を現わしたいのです。
媒体が無心の時は、神は、媒体が使いやすいのです。
どうか、欲を捨て、無心で、今、やるべきことを、やってください。
※ 日常生活の中でも、心を強くすること(原子核を大きくすること)は、いくらでも、できます。
例えば、
いくらでも、あります。
小さなことと思うかも知れませんが、 これは、総理大臣がやる仕事と同じ効果があるのです。
やることは、簡単です。ただ、続けてやるか、やらないかだけです。
難しいのは、続けられないことです。
継続は力なりです。 是非、続けてやってください!
(2016年1月17日 今週の真言より)
2023.12.02
生き人とは?
今、どんな苦しい環境にあろうと、そんな苦しみなど、笑い飛ばしなさい。
どうせ夢幻の、ドラマの世界にしか過ぎないのですから・・・。
この世の、どんな出来ごとも、みな、消えて無くなる夢幻です。
そんな夢幻のために、心を痛めるなど愚かです。
さあ、真実のために生きましょう!
真実のために生きるとは、本当の自分に生きると言う意味です。
つまり、生命なる、神なる、自分に生きると言う意味です。
夢幻に生きている者は、死人なのです。
本当の自分に生きている者は、生き人なのです。
ぜひ、生き人になってください。
※ この宇宙で確かなモノは、自分の意識です。
この意識だけが、本当に有るモノなのです。
その意識が望んでいるモノは、真の幸せです。
幻に生きていては、一時の幸せは得られても、真の幸せは得られません。
どうか、真実のために人生を使ってください。
(2016年2月21日 今週の真言より)
掴みどころのない現象の世界!
この現象の世界は、有るようで無く、無いようで有り、無いようで有り、有るようで無い、「うなぎ」のような、掴みどころのない世界です。
それは、刻々と変化変滅し、消えてしまう世界だからです。
ゆえに、この現象の世界には、確かなものは、何一つ無いのです。
掴んでいたつもりが、いつの間にか、手からすり抜けてゆくのが、この現象の世界なのです。
と言うことは、自殺しようと悩むほどの世界ではない、と言うことです。
あなたが、今、見て感じているモノ、あなたが、今、真剣に演じているドラマ、これ、すべて、消えゆく夢幻です。
だからと言って、この世界を軽んじて良い、と言っているわけではありません。
なぜなら、この世界で演じているドラマのすべてが、永遠に尽きない、永遠に色褪せない、幸せの味付け材料になっているからです。
私が言いたいのは、そんな夢幻のために、悩まないで欲しい、と言うことです。
今、あなたが、やらねばならないことは、本当にあるモノに生きることです。
本当にあるモノとは、あなたの意識です。
あなたの意識は、永遠になくならないのです。
その意識を、永遠に尽きない、永遠に色褪せない、幸せの中に入れることが、人生の最大の目的なのです。
家族のこと、仕事のこと、この社会のことは、すべて、幸せを得るための方便です。
では、どうすれば、幸せの中に入れるか? と言うことですが、
それは、「人類の夜明2・3・4」の書の中で述べていますので、じっくりと読んでください!
※ 一番大切なのは、何なのか? 形なのか?、意識なのか?
意識ではないでしょうか・・・。
なぜなら、形は、一時の自分だけれど、意識は、永遠の自分だからです。
では、その意識が欲しているものは、何でしょうか?
それは、永遠に尽きない、永遠に色褪せない、究極の幸せです。
私たちは、形がなくても、肉体がなくても、究極の幸せがあったら、それでいいのですから・・・。意識が自分なら、当然でしょう。
人生の最大の目的は、究極の幸せの中に、自分の意識を入れることです。
あなたが、今、真剣にやっている、この世のことは、すべて、究極の幸せを得るための方便であることを、知ってください。
(2016年4月17日 今週の真言より)
2023.12.03
絶対宇宙と相対宇宙は、等価値である!
絶対と言う言葉は、対がない! 相手がない! と言う意味で、一を意味する言葉です。
宇宙には、その絶対宇宙が、厳然として実在しております。
その絶対宇宙は、何もかも揃っている、総合された宇宙です。
ゆえに、絶対宇宙は、無限の創造性と、無限の可能性と、無限の発展性が、秘められているのです。
この絶対宇宙は、永遠に無くならない宇宙ですから、真実の宇宙と言えるでしょう。
相対と言う言葉は、対がある! 相手がある! と言う意味で、複数を意味する言葉です。
この相対宇宙は、現れては消える、不確定な宇宙です。
ゆえに、相対宇宙は、非真実の世界、幻の世界と言えるでしょう。
相対宇宙は、現れては消える、不確定の世界ですから、存在価値が無いように思えますが、絶対宇宙と同等の存在価値を持っているのです。
なぜなら、相対宇宙がなければ、絶対宇宙の存在意味が無いからです。
この二つの宇宙は、相身互いの関係にあるのです。
相対宇宙だけでも、絶対宇宙だけでも、存在できないのです。
両宇宙の存在価値が高められるのは、相対宇宙と絶対宇宙が相俟って、中庸宇宙(対宇宙)に姿を変えた時です。
※ 「宇宙」、それは、私たちなのです。 私たちの中には、「宇宙」があるのです。
なぜならば、私たちの中に、「宇」と「宙」があるからです。
つまり、「時」と「間」があるからです。
「時」は、意識です。「間」は、空間です。
時と間が一緒になって、時間になっているのです。
つまり、「宇」と「宙」が一緒になって、「宇宙」になっているのです。
そうです!
私たちは、宇宙そのものなのです。
ですから、私たちの中を探れば、宇宙を知ることができるのです。
※ 宇宙は、意識そのものなのです。
宇宙とは、意識のことなのです。意識とは、宇宙のことなのです。
だから、私たちは、宇宙そのものなのです。
なぜなら、私たちは、意識を持っているからです。
私たちの意識が、宇宙を存在させているのです。
いや、私たちの意識が、宇宙を創っているのです。
私たちの意識がなかったら、何も存在しないのです。
よく考えてみてください !
あなたの意識がなかったら、何かあるでしょうか?
※ 私たちが星空を見ると懐かしく思うのは、自分が宇宙だったからです。
私たちは、宇宙から出てきたのです。そして、宇宙に帰るのです。
宇宙は、私たちの故郷なのです。
「吾は宇宙なり!」です。
新・光のメロディー 「大宇宙」
2023.12.04
外側から来る問題は一つもない!
皆さんは、外側から問題が来ると思っていますが、外側から来る問題なんか、一つもありません。
なぜなら、結果が原因に影響を与えることは、できないからです。
外側は、結果です。内側は、原因です。原因あっての結果なのです。
ですから、全て、内側の問題なのです。
内側の問題と言うことは、想念の問題であると言うことです。
人間の想念が、全てを創っているのです。
このことを解ってもらうまで、私は、何度も同じことを言い続けます。
「全て、内側の問題ですよ! つまり、想念の問題ですよ!」と・・・。
※「意・口・身」なのです。
先に、想い(意)があり、それが、言葉(口)になり、行為(身)になるのです。
このことから言っても、想念が問題を創ることは、理解できると思います。
でも、解っていても、想念を正しく使えないのが、私たちです。
それほど、想念のコントロールは、難しいと言うことです。
でも、本当は、想念のコントロールは、簡単なのです。
ただ、良いことを、想えばいいのですから ・・・。
良いことの一番は、神を想うことです。
私が、瞑想を勧めるのは、瞑想している時は、想念をコントロールしているからです。
知花敏彦 先生は、「瞑想によって、どんな問題も解決できますよ!」と言っておられましたが、まさに、その通りです。
※ 神様は、難しいことをしなくても、簡単に幸せになれる方法を用意してくれているのです。
それは、想念を正しく使えば良いだけです。
ただ、良いことを、想うか、想わないかだけです。
こんな、簡単な方法で、私たちは、幸せになれるのです。
※ 人類が、想念の偉大さを知れば、
このことを、科学者にも、宗教家にも、医学者にも、政治家にも、 一般人にも、知って欲しいと思います。
2023.12.05
心の空白を物やお金で埋めようとする人間!
どうして、人間は、競い合って、物やお金を集めようとするのでしょうか?
それは、心の空白を埋めたいがためです。
人間は、真実を求めているのです。
でも、その真実が、何か分からないので、この世の代替品で、心の空白を埋めているのです。
肉体が自分だと思えば、そのような生き方をするのは、仕方のないことなのです。
私も、そうだったのです。学びの友の皆さんも、そうだったのです。
だから、批判はできません。
だからと言って、そのまま放っておいたのでは、いつまでたっても、進化成長できません。
そこで、神は、この世のものを多く集めると、痛み、苦しみが、来るようにしたのです。
痛み、苦しみが、やってくれば、なぜか? と疑問を持つでしょう。
それが、進化成長させるのです。
物も、お金も、エネルギーの塊なのです。
エネルギーが偏れば、苦しみが来るようになっているのです。
大金持ちに、争いごとが多いのも、中東で、争いが絶えないのも、エネルギーが、たくさん、あるからです。
エネルギーは、集まれば、集まるほど、危険物になるのです。
どんなに、たくさんの物やお金を集めても、心が満足しないのは、物やお金は、消えて無くなる幻だからです。
永遠の心が、消えて無くなる幻を得て、満足できるわけがないのです。
心が満足できるのは、唯一、真実のみです。 つまり、神のみです。
楽しみがなくては生きていけない人類!
人間は、 どうして、楽しみを求めたがるのでしょうか?
それは、心の空白を埋めたいためです。
私たちは、常に、心の空白を埋める、何かを 探しているのです。
でも、その何かが分からない?
だから、この世の楽しみで埋めようとするのです。
この世の楽しみを得るためには、物やお金が必要ですから、誰もが躍起になって、モノやお金を集めるわけです。
自分が肉体だと思えば、そう言う生き方をするのは、仕方がないことなのです。
でも、真理を深め、本当の自分を知った人は、余り、この世の楽しみを求めなくなります。
どんなに求めても、心の空白が埋まらないことを知ったからです。
当然、物やお金集めをしなくなるでしょう。
人間は、 楽しみで、心の空白が埋まると錯覚しているのです。
しかし、どんなに埋めても、一時、埋ったような感じがするだけで、心の空白が解消するわけではないのです。
心の空白を埋められるのは、この世のモノではありません。唯一、真実のみです。
つまり、真理のみです。神のみです。
だから、私は言うのです。学びの友の皆さんは、幸せですと・・・・それは、真実を求めているからです。
一般人は、空踏みをしているのです。
学びの友の皆さんは、 実際に歩いているのです。
地球は、真実を学ぶ最良の環境なのです。
そして、あなたの周りの人たちは、真実を学ぶ最良の友なのです。
地球に感謝しましょう! 縁生の友に感謝しましょう!
真実を求めている人へ捧げるメロディ「きらめく光の世界」
2023.12.06
現象に囚われてもならないが、軽んじてもならない。
私は、今まで、必要以上に、現象を嫌ってきたように思います。
それは、現象に惑わされ、人生の目的を見失っている人たちが、あまりにも、多いからです。
でも、私は、それでも良いことに、気付かされたのです。
V字の左側にいる幼い魂は、全く、神に顔を向けません。
彼らは、肉体維持のために、毎日、物やお金集めに躍起になっています。
でも、彼らも、必ず、V字の右側に進化して来るのです。
なぜ、神に顔を向けない魂が進化するのか?
それは、物質的な生き方をしても(現象に生きても)、原子核が増える仕組になっているからです。
私は良く言います。「原因を良くしなければ、結果は良くなりませんよ!」と・・・。
つまり、「どんなに川下でゴミ拾いしても、川は綺麗になりませんよ! 」と・・・。
確かに、人の心(魂)を成長させなくては、根本的解決にはなりません。
でも、よく考えてみてください。原因と結果は、離れていないのです。
離れていない、と言うことは、互いに影響しあっている、と言うことです。
と言うことは、結果をいじって、原因に影響を与えることができる、と言うことです。
それは、結果の中に、原因があるからです。
つまり、描かれた絵の中に、画家の思いがあるからです。
だから、絵を見て、画家の思いを汲み取れた人は、感動するのです。
これは、汗水流して、ゴミ拾いしている人たちの姿を見たら、ゴミを捨てている人の心に影響を与えられるのと同じです。
真剣に平和を叫んでデモしている人たちの姿を見たら、好戦的な人たちの心に影響を与えられるのと同じです。
私が、「人類の夜明」の書を手書きして欲しいと願っているのも、同じ可能性を信じてのことです。
結果は、結果だけで終わっていないのです。
文字は、文字だけで終わっていないのです。
文字(結果)の中に、原因者の思いがあるのです。
その思いは、文字を書くことで、汲み取ることができるのです。
言葉は、神の思いが、響き(音)として、形に現れたものです。
同様に、文字も、神の思いが、形として現れたものです。
つまり、「身・・・行為」と「口・・・言葉」と「意・・・思い」は、一つなのです。
一つゆえに、文字から、思いを汲み取ることができるのです。
この物質世界も、幽界も、神の思いが、形として現れた夢幻の世界です。
でも、今、私たちは、その夢幻の世界で学んで、目覚めようとしているではありませんか?
実際に、目覚めた先輩たちが、沢山いるのです。
それは、結果で原因を変えられたと言う証拠です。
もし、夢幻の世界から、何も学べないなら、私たちは、永久に、目覚めることはできないでしょう。
と言うことは、V字の左側にいる幼い魂は、永遠に、V字の右側に来られない、と言うことです。
そんな無慈悲な宇宙を、神が創られるわけありません。
ですから、文字も、言葉も、単なる文字や言葉ではないのです。
つまり、現象は、単なる現象ではないのです。
神は、現象の世界(結果の世界)からでも、成長できるようにしてくれているのです。
だから、私は、現象を軽んじてはならないと言うのです。
だからと言って、皆さんに、ゴミを拾いに行きなさい! デモをしに行きなさい! とは言いません。
そんな時間があるなら、原因を良くすることに、時間を使ってください。
つまり、瞑想して、原子核を増やすことに、時間を使ってください。
客観的見方しかできない、一般人は、外側に生きても(川下でゴミを拾ったり、デモをしたりしても)、仕方ありませんが、主観的見方ができるようになった、皆さんは、内側に生きるべきです。
つまり、瞑想して、原子核を増やすべきです。
それが、熟した魂の生き方です。
※ 現象の世界(結果の世界)は、意識の世界(原因の世界)を知るための教室ですから、学び終えたら、直ちに、上の学年に進むべきです。
懐かしがっていては、留年してしまいます。
※ 夢から目覚めたと思っても・・それは、夢です。
その夢から目覚めたと思っても・・それも、また、夢です。
また、その夢から目覚めたと思っても、それも、また、また、夢です。
私たちは、永遠に、夢を見続けてゆくのです。
でも、これは、喜ぶべきことなのです。
なぜなら、その夢の中においても、原子核を増やしていくことができるからです。
また、その見続ける夢も 、苦しみ多い夢から、楽しみ多い夢に、変わってゆくのです。
それが、進化です。
(2018年5月13日 今週の真言より)
私の独り言 パート4 ・・私が嬉しいこと
あなたの前で、何かが起きた!
それは、誰のために、起きたのですか? 何のために、起きたのですか?
それは、自分の進化成長のために、起きたのではありませんか?
自分の意識の前で起きたことは、すべて、自分の進化成長のために、起きた必然なのです。
未だかつて、自分の意識以外の前で、何かが起きたことはないのです。
自分の意識の前でしか、起きようがないのは、自分が認識して、はじめて、起きるからです。
それは、自分が、主観の主(創造主)だからです。
だから、起こっているのじゃない!、自分が起こしているのです。
見せられているのじゃない!、自分が見せているのです。
私が、嬉しいのは、どんなことも、私(自分)の進化成長のために起きている、と言う、必然です。
※ 宇宙も、地球も、社会も、家族も、恋人も、私(自分)の進化成長のために、存在し、私(自分)の進化成長のために、生まれてきたのです。
こんな、嬉しいことが、ありましょうか・・・。
(2018年9月9日 今週の真言より)
2023.12.07
自分が理解した独自の世界があるだけである!
人それぞれ、独自の世界観を持っています。
同じ世界観を持っている人は、一人もいません。
なぜなら、その人の理解力によって、世界観が違ってくるからです。
と言うことは、世界は、外側にあるのではなく、その人が理解した思いの中にあることになるでしょう。
世界観は、見方によって、客観的世界観と主観的世界観に別れます。
客観的世界観で見た場合は、外側に波動の違う世界が無数に存在し、そこには、相手が存在します。
相手が存在しますので、そこには、利害関係が発生し、争いごとが起こります。
その体験から、自分が成長します。
これは、「原因と結果の法則」が成長させるのです。
主観的世界観で見た場合、その世界に存在するものは、すべて、自分の進化成長に都合の良いものばかりになります。
なぜなら、自分の進化成長に必要な「物・人・環境」を、自分が用意するからです。
当然、そこで起きたことは、みな、自分が起こさせたことです。
自分が計画し、自分が進化成長させるのです。
客観的世界観における進化成長と、主観的世界観における進化成長は、同じなのです。
※ 外側に世界があるように見えますが、それは、誤解なのです。
なぜなら、自分しか存在しないからです。
客観的世界があると思っている人は、自分の想念で、客観的世界を創ってしまうのです。
その客観的世界は、今の自分の理解力が創った、自分独自の世界なのです。
客観的世界観を持っている人も、理解力が増せば、今、見て、感じている、世界は消えて、新たな世界が、見えてくるようになります。
それも、理解力が増した分の高度な世界が、見えてくるようになります。
しかし、それも、本当にある世界ではないのです。
自分の理解力が創った、独自の世界なのです。
このように、世界は、外側にあるのではなく、自分の理解力が創った、内側の世界があるだけなのです。
このことは、自覚の境界線を超えなくては、解らないかも知れませんが、 世界とは、そう言うものである、と言うことだけ、知っておいてください。
※ ある学びの友の気づきを、ご紹介しましょう。
【人間は、嫌な形をしているからゴキブリを殺します。
と言うことは、人間は、神を殺しているって言うこと・・・?
虫の知らせとは、神のお告げみたいな意味ですよね。
だから、ゴキブリの虫(真我)さんは、「この汚い所を掃除しなさい!」と、お告げをしてくれているのですね・・・。
人間は、真我の思いが分からないから、代わりに、ゴキブリさんが気づかせるしかない!ってことですね。
形のキレイなもの、キタナイもの、全て真我の思いの現れだったのですね!・・・なんと凄い仕組みでしょう!!
地球上の表現物が、これほどまでに歪曲して表現されねばならない理由は、地球人類の魂が未熟で過ちに気づけないからなのですね!
見るからに嫌な形のゴキブリを見せることで掃除させる・・・歪曲したやり方だけど、未熟な魂には、そう言う方法でしか、気づかせることができないのですね! 納得です!!】
2023.12.08
人生は命生に刻まれてゆく!
肉体を持って生きることは、実に厳しいです。
肉体の誘惑に打ち勝つ厳しさ、痛い・苦しい感覚に打ち勝つ厳しさ・・・老いれば、老いるほど、実感させられるものです。
しかし、この肉体があるからこそ、今日まで、成長してこられたのですから、肉体は、ありがたい、神様からの贈り物です。
肉体の一生一生の「人生」は、点です。
その点が繋がって、「命生」になっているのです。
一生一生の「人生の点」は、その生、限りですが、命生は、永遠に引き継がれて行くのです。(一生一生の人生体験は、魂に刻まれ、成長してゆく。)
だから、どんな泣き笑いの人生も、無駄にはなっていない、と言うことです。
一般の人には、分かって頂けないかも知れませんが、学びの友の皆さんなら、分かって頂けると思います。
肉体人生に、感謝しましょう!
法則通り展開されてゆく宇宙!
この世で起きている、すべての事象は、法則どおり、寸分の狂いもなく、展開されて行きます。
そこに、一切の偶然も、奇跡も、例外も、ありません。
ただ、法則どおりに、粛々と進められて行くだけです。
ですから、法則どおり、生きていれば、私たちに、苦しみはないのです。
情け容赦なく、法則どおり、展開してゆく宇宙は、まさに、神の峻厳な愛の現れです。
冷たいように思えますが、それが、一番、間違いのない、進化の方法だからです。
もし、人間のように、情をかけたら、宇宙の進化は、大きく遅れてしまうでしょう。
とは言っても、神は、一つだけ、恩情を示されました。
それは、「二度と罪を犯さない!」と、堅く心に誓った時に許される恩情です。
神は、ご存じです。「肉体を持っている限り、罪を犯すのは仕方がない!」と・・・。
だから、神は、悔改めた者に、恩情を示されたのです。(反省・懺悔)
私たちが、安心して生きられる、一番の方法は、「原因と結果の法則」を守ることです。
具体的には、良い想いを持ち続けることです。
法則どおり生きていたら、保険に入る必要はありません。セキュリティにお金をかける必要もありません。法則が守ってくれます。
これほど、完全なセキュリティはないのです。
どうか、法則に違わない生き方をしてください!
※ 今、あなたの人生に、何か問題があるとしたら、それは、今生、克服しなければならない、課題の一つだと思ってください。
確かに、辛いかもしれません。苦しいかもしれません。
でも、神は、決して、乗り越えられない課題は与えません。
一般の人たちは、人生の目的も知らないで、ただ、肉体維持のために、漫然と生きております。
でも、それでさえ、成長しているのです。
何もしなくても、息しているだけで、課題を克服している、と言う意味です。
肉体そのものが、厳しい課題の一つだからです。
ただし、一般人と違って、学びの友の皆さんは、漫然と生きていてはいけません。
次の二つのことだけは、やってください。
※ 学びの友の皆さんは、一般人と違って、積極的に課題を克服して行かねばならない魂です。
そのためには、社会体験と瞑想は、必須事項です。
社会体験は、すでにやっておりますので、何も言うことはありません。
一つ付け加えるとすれば、何をやるにしても、真心を込めてやることです。
瞑想は、神を心の深いところで想うことですが、これは、やり続けることです。
この二つのことを、やっていれば、あなたの魂は、間違いなく、成長します。
魂が成長した分、 意識状態が、少しずつ変わってきます。
また、環境も変わってきます。
変化は、顕在意識では感じられないかも知れませんが、魂は、ちゃんと知っております。
ですから、何も変化が起きないからと言って、諦めないでください。
二つのことを、やり続けていれば、間違いなく、変化が起きてきます。
これは、「原因と結果の法則」が保証してくれるのですから、間違いありません。
2023.12.09
認めてやれる者だけが、原因者になれる!
「何かを認めてやれる者だけが、原因者になれるのです。」、だから、神は、表現宇宙を創造し、それを認めることで、原因者になろうとしているのです。
と言うことは、今、人間が表現宇宙を認めていると言うことは、人間は、原因者である証ではないでしょうか?
つまり、人間が、神である証ではないでしょうか?
私たちが、存在できるのは、結果を認めて原因者になれる意識を持っているからです。
と言うことは、自分の意識が、宇宙を(何かを)認めた時、すでに、原因者になっている、と言うことです。
原因の原因は、意識される前の状態です。
しかし、意識される前の状態は、存在の範疇にないので、何の意味もありません。
だから、自ら、幻を創造して、幻を認め、原因なき原因者になろうとしているのです。
それは、永遠に幻を認め続けなければ、永遠の自分を維持できないからです。
「認められる者がいなくては、原因者になれない!、つまり、認められる者がいるから、原因者になれる!(認める者が存在できる!)」と言うのは、実に滑稽な話ではないでしょうか?
自己完結型の道場
あなたの出したモノは、どんなモノであろうと、必ず、あなたのところに返ってくるのが、宇宙の法則(原因と結果の法則と、エネルギー均衡の法則)の仕組みです。
世の人々は、人から憎しみを受けたと言って腹を立てますが、それは、自分が出していたからです。
「私は、そんな憎しみを出した覚えはない!」と言いますが、原因を出していない人の所に、結果が返ってくるわけがないのですから、間違いなく、自分が出していたのです。
「お~い!」と出した山彦は、必ず、「お~い!」と返ってくるのです。
つまり、憎しみの「お~い!」と出した山彦は、憎しみの「お~い!」と言う山彦となって返ってくるのです。
自分の中にないモノが出せない理由は、自分の倉庫にない在庫品は、出しようがないからです。
人の欠点は、気づいても、自分の欠点は、なかなか、気づかないものです。
だから、気づかせるために、自分の欠点を、人の欠点として見せられるのです。
もし、あなたが、人の欠点を見せられ、嫌な気分になったら、それは、自分の欠点を見せられ、嫌な気分になったと思ってください。
そのように思えれば、欠点を気づかせてくれた相手にも、宇宙の法則にも、感謝できるでしょう。
「人の振りみて、我が振り直せる!」仕組みは、自分を成長させてくれる、有り難い仕組みです。
でも、これは、誰かが仕組んだのではなく、自分が仕組んだのです。
「自分で鏡を作り、その鏡に自分の姿を写して、自分の欠点を見つけ、その欠点を修正し、自分が成長してゆく」、この表現世界は、正に自己完結型の有り難い学習道場です。
※「ありがとう!」と出した言葉が、「バカヤロウ!」とは返ってきません。
山彦は、正直です。「原因と結果の法則」は、正直です。
良い原因を創って、悪い結果がやってくることはないのです。
人のせいにしないでください!、全て、自分が原因者です。
自分あっての相手なのです。
自分あっての宇宙なのです。
自分あっての神なのです。
自分抜きで、何も起きないことを、知ってください!
2023.12.10
幻の話をしても意味が無い!
よく、幽界の話を聞きたがる人がいますが、意識の高さ(理解力の高さ)によって進展してゆく、階層の宇宙のことを、どうして、お話できるでしょうか?
オレンジ色と黄色との間には、無限の色があるのですよ!
ドとレの間には、無限の音があるのですよ!
同様に、表現宇宙にも、無限の階層があるのですよ!
その無限の階層の話を、どうして、出来るでしょうか?・・・。
私たちが、知るべきことは、そんな幻の世界の話ではなく、真実の世界の話ではないでしょうか?・・・。
自分の宇宙しか無いと知った者(唯我独尊(存)の意味を知った者)は、もう、幽界の話や、過去世の話や、物質化現象の話や、UFOの話などはしないでしょう。
なぜなら、実在しない幻の話をしても、何の意味も無いからです。
この宇宙で、本当に存在するのは、真実の宇宙(自分の宇宙)だけです。
なのに、幻の話に惑わされるとは、どういう、了見なのか?
よく、自省してほしいものです。
(2016年2月14日 今週の真言より)
気楽に生きよう!
世の人々は、悩み多い人生を送っていますが、この世は、夢幻の世界なのですよ!
あなたに、起きている、どんな出来事も、時間がくれば、事情が変わってしまうのです。
もし、今、あなたに、死にたいほどの悩み事があるなら、そんな悩み事など、笑い飛ばしてしまいなさい! どうせ、夢幻なのですから・・・。
そうです! この世は、あなたが、悩むほど、価値のある世界では無いのです。
それよりも、せっかく、夢幻の世界に出てきたのですから、楽しんでください。
あなたは、「今夜は、楽しい夢を見よう!」と思って、床についたことはありませんか? 日々の人生も、そうしたら良いのです。
ただし、夢を真剣に楽しんではなりません。
真剣に楽しんでは、ミイラ取りがミイラになってしまいます。
夢幻だと自覚した上で、楽しんでください。
考えてみると、神は、実に、うまい方法で、私たちを目覚めさそうとしています。
夢の中で真理の勉強をさせ、目覚めさそうとしているのですからね。
これは、神ならでの見事な覚醒法です。実に、ありがたいことです。
※ 例え、あなたに、罪深い過去があったとしても、それは、真理に目覚めるために必要な過去だったのです。
罪を犯さない人など、一人もいないのです。自分を責めないでください。
どんな苦しい過去も、みな、自分の成長に必要だったのですから・・・。
※ 自分の思い通りに生きてください。
それが、必然であり、良いことなのですから・・・。
その証拠に、今日まで、自分の思い通りに生きてきて、真理に、つながったではありませんか?
これからも、そのように生きたら良いのです。
ただし、社会体験と瞑想だけは、やってください。
それを、やらなくては、本末転倒になってしまいます。
(2018年5月20日 今週の真言より)
2023.12.11
外側の物が内側のモノを進化成長させている!
外側のモノは、
どんなに、美しく見えても、
どんなに、醜く見えても、
どんなに、楽しく見えても、
どんなに、苦しく見えても、
どんなに、心地良く感じても、
どんなに、痛く感じても、
現象ですから、みな、幻です。
でも、その幻によって、心がダメージを受ければ、みな、真実になるのです。
柳の木を幽霊と見間違えて、心臓がドキッとした時、柳の木は、真実になるのです。
木の切り株をクマと見間違えて、心臓がドキッとした時、木の切り株は、真実になるのです。
このように、現象であっても、心がダメージを受けた時、現象は、真実になるのです。
私たちは、五感を持っているため、どうしても、外側の現象の影響を受けてしまうのです。
でも、これは、決して、悪いことではないのです。
なぜなら、外側の現象のお蔭で、進化成長できるからです。
現象を軽んじてはならないと言うのは、外側の物が、内側のモノ(魂・心)を、進化成長させるからです。
現象だからと言って、病気を軽んじないでください!
必要なら、病院に行き、薬も飲み、手術も受けることです。
特に、重い外傷は、外科的治療は必要です。
「私は、真理を学んでいるから、医者にかからない!」と言う人は、真理を、生半可に、かじった人です。
どうか、「現象と真実」は、同等の重みがあることを知ってください。
※ 確かに、現象を軽んじてはなりませんが、現象に惑わされ過ぎてもならないのです。
特に、ここまで、魂の大きくなった皆さんは、現象など、笑い飛ばしてしまいなさい。
何せ、私たちは、外側の影響を受けない、神なのですから・・、
「自分は、神である!」と、心の深いところで想えたら、病気などは、もう、他人事です。神の世界に、病気など無いからです。
あなたは、無限の生命力を持った、神なのですよ!
ですから、病気になど、絶対ならないのです。
※ 悪い想いは、持たないことです。
想念は、実現の母ですから、悪い想いを持ったら、悪いことが実現するのです。
いつも、良い想いを持ってください。
良い想いの一番は、神(あなたのマントラ)です。
良い想いを持っている時は、悪い想いは持てません。
良い人生にする秘訣は、常に、神を想い続けることです。
(2019年8月11日 今週の真言より)
※ 世の中では、よく、こう言うことが起こります。
悪いことが起きれば、立て続けに悪いことが起き、良いことが起きれば、立て続けに良いことが起きる! と言ったことが・・・。
特に、スポーツ競技では、連勝連敗がつきものです。
なぜ、このようなことが起きるかと言いますと、 明るい想念は、光を呼び込むため、良いことが起き、その良いことが、さらに、明るい気持ちにさせるため、また、また、良い事が起きる、と言った、良い循環を生み出すのです。
スポーツ競技は、それが、すぐに結果として現れるため、分かりやすいのです。
私たちの普段の生活の中においても、こう言うことは、常に起こっているのです。
どうか、良い想いを常に持つよう、心がけてください。
そしたら、あなたに、悪いことは、寄ってきません。
良い想いの一番は、神を想うことです。
明るく、明るく、朗らかに ・・
何事も 、良く受け取り・・
神を想い、光を想い・・
日々、生きましょう!
2023.12.12
言葉の使い方
言うことは、自由だからと言って、何でも言って良いわけではないのです。
この宇宙には、守らねばならない言葉のルールがあるのです。
どんなルールかと言いますと、
「できるだけ、波動の低い言葉は語らない!」と言うルールです。
おべんちゃらを言いなさいとは言いませんが、できるだけ、気分の良くなる言葉を使うことです。その方が、お互いのためです。
人の言葉は、神の言葉と同じ威力があるのですから、よくよく、注意して、語らねばならないのです。
どうか、人を嫌な気分にさせるような、波動の低い言葉は、語らないでください。
※ 人を言葉で諭したい気持ちは分かりますが、人を言葉で諭すことはできません。
人を諭すことができるのは、唯一、体験による「原因と結果」の法則です。
体験だけが、人を諭すことができるのです。
※ 言葉は、恐ろしくもあり、素晴らしくもあります。
良い言葉を使えば、良いことが・・悪い言葉を使えば、悪いことが・・・。
言葉の使い方一つで、人生を、良くも、悪くも、できるのです。
どうか、言葉の偉大さを、知ってください。
※ 「沈黙は金」と言う、格言がありますが、学びを深めている皆さんは、できるだけ、沈黙を守ってください。喋りすぎると、見透かされますよ!
「身・口・意」の正しい使い方
「身・口・意」を正しく使いなさい!と、覚者が、クドいほど言うのは、見える表現世界で、学んでおかなくては、意識の世界へ帰って、苦労するからです。
「意」は、見えませんが、「身と口」は、見えるのです。
つまり、「思・想」いは、見えませんが、「言葉や文字」は、見えるのです。
見えない「想」いが、見える「身と口」によって、表現されるのが、この表現世界なのです。
私たちは、生まれた時から、両親から、言葉の使い方を教わります。
また、学校で、文字や絵の書き方を教わります。
でも、思いは、誰に教わらなくても使えます。思いは、万国共通なのです。いや、宇宙共通なのです。
言葉や文字は、「星によって」、「国によって」、「人種によって」、違うので、いちいち、覚えねばなりませんが、思いは、宇宙共通ですから、学ぶ必要がないのです。
意識の世界では、テレパシーを使っているため、想いを、何か(言葉や文字)に表わす必要がありません。
想ったら、そく、相手に伝わるのです。それも、寸分、狂わず、相手に伝わるのです。
だから、意識の世界では、うかつなことは、想えないのです。
今、私たちは、言葉や文字を使って、コミュニケーションを取っていますが、たとえ、悪い言葉や文字を使っても、相手に伝える前に、訂正できます。
でも、意識の世界は、思った瞬間に、相手に伝わるので、訂正できないのです。
ですから、表現世界にいる間に、悪い想いを持たないよう、訓練する必要があるのです。
それは、「身・口・意」を正しく使えるようにすることで、可能なのです。
(2019年10月20日 今週の真言より)
神メロディー「神は言葉なりき」
2023.12.13
時間とは?
時間の「時」とは、意識のこと・・エネルギーのこと・・です。
時間の「間」とは、空間のこと・・物質(肉体人間)のことです。
この「時」と「間」は、切り離しては存在できません。
二つが一つに合わさって、初めて、「時間」が、生まれるのです。
つまり、時空が、宇宙が、生まれるのです。
ですから、時間は、表現宇宙にだけ存在する、特殊なものと言っていいでしょう。
このように、時間とは、 物質と意識が一体になったものなのです。
ですから、肉体(間)を持ち、意識(時)を持っている、私たちは、時間そのものなのです。
ゆえに、人間は、小宇宙と呼ばれているのです。
時間の中にいると言うことは、体験の中にいると言うこと!
私たちは、間違いなく、成長しております。
なぜなら、時間の中にいるからです。
時間の中にいると言うことは、体験の中にいると言うことです。
体験すれば、必ず、成長するようになっているのです。
「時」と「間」のある、表現世界では、 たくさんの物語が生まれるのです。
その物語りにおける体験は、ことごとく、私たちを成長させてくれるのです。
だから、私たちは、厳しい表現宇宙に、わざわざ、肉体を持って生まれてくるのです。
健気だとは、思いませんか?
でも、もう、そろそろ、肉体から卒業したいものです。
つまり、「間」から卒業したいものです。
※ 今、私たちは、「今と言う時」を感じています。
でも、この時は、肉体が感じているのではなく、意識が感じているのです。
そうです。
時を感じられるのは、時をなぞれる、意識だけです。
意識が無くては、時は無いのです。
私が、時は意識であると言うのは、意識だけが時を感じることができるからです。
時=意識です。意識=時です。
人間が、「時間」であると言うのも、 私たちは、意識(時)と肉体(間)を持っているからです。
だから、時間を持つ人間だけが、瞑想できるのです。
旧・光のメロディー「時」
2023.12.14
運命は外からやってくるのではない!
運命とは、「命」を「運」ぶ、と書きますが、命を運ぶのは、誰でもありません。
自分の「身・口・意」です。
誰かが運命を運んでくれることは、絶対ないのです。
ですから、自力です。
外から、幸せがやって来ると、思ってはなりません。
誰かが、自覚の境界線を超えさせてくれると、思ってはなりません。
幸せも、悟りも、運命も、自分の努力で勝ち取ってください!
真理を学んでいるから、自覚の境界線が超えられるわけではない!!
学びの友の中に、真理を学んでいれば、自覚の境界線が超えられると、誤解している人がおりますが、真理が、自覚の境界線を超えさせてくれるのではありません。
真理を理解し、実践することによって、自覚の境界線が超えられるのです。
真理は、あくまでも、道理を示しているだけです。
理解と実践の伴わない真理は、単なる絵に書いたボタモチです。
それは、毎週、日曜日、キリスト教会に行って、賛美歌を歌っているようなものです。
私の本を読んで・・私の話を聴いて・・満足しているのは、賛美歌を歌って、満足しているようなものです。
真理の実践とは、原子核を増やす、三つの方法のことを言っているのです。
つまり、社会体験をすること、瞑想をすること、思索をすることです。
この三つの方法は、実際に、エネルギーを動かしているわけですから、間違いなく、前に進むのです。
歩くから、景色が変わるのです。座っていては、景色は変わらないのです。
景色が変わらない、と言うことは、成長していない、と言うことです。
あくまでも、自力です。自力で成してこそ、扉が開かれるのです。
私は、努力の大切さを、言っているのです。
何かを成し遂げるには、努力が必要なのです。
※ 繰り返します。
真理が、自覚の境界線を、超えさせてくれるのではありません。
真理を理解し、実践することによって、自覚の境界線が、超えられるのです。
それは、自力です。
外側のものを拝んでいては、自覚の境界線を、超えることはできません。
くれぐれも、誤解なきように・・・。
※ 瞑想できる有り難さ! 瞑想できることの幸せさ!
どうか、瞑想できるところまで進化してきた、自分を褒めてやってください!
私たちは、本当に幸せなのですから・・・。
(2017年4月2日 今週の真言より)
※ 自分なりに工夫して、瞑想をしてください!
意識は、宇宙に一つしかありません。
自我意識もあって、神意識もあるわけではないのです。
自我意識と神意識は、繋がっているのです。
その自我意識を、自分なりに工夫して、神意識まで引き上げてください。
引き上げる方法を、私は、背中の奥の奥の一点に意識を置いて下さい!、という言い方をしているのです。
これは、皆さん自身で、工夫して、やってみてください!
旧・光のメロディー「縁生の友たちよ!」
2023.12.15
私たちが学んでる真理は、それは、それは、凄い学びなのです。
この真理を理解できる人は、地球では、ほんの僅かしかいないのです。
ですから、皆さん、誇りを持って学んで ください!
良いのです。誰に解ってもらえなくても・・・、
あなたが、理解し、あなたが、成長したら、良いのですから・・・、
あなたが、成長したら、宇宙も、成長するのです。
なぜなら、個は全体であり、全体は個だからです。
私たちが、学ぶべきことは、自分が「宇宙である! 神である! 意識である!」と、自覚することです。
自覚は、自分から得るのですから、自力です。
だから、ここの学びは、難しいのです。
でも、やることは、簡単です。
二つのことを、やれば良いのですから・・・
二つのこと・・・それは 、社会体験と瞑想です。
学びの要点は、意識について、学ぶことです。
意識は、見えませんから、理解するのは、容易ではありません。
でも、意識は、自分が持っているのですから、自分の意識を探れば良いのです。
自分は、意識です。意識は、宇宙です。宇宙は、自分です。
だから、自分の意識を探れば、宇宙を知ることができるのです。
どうか、自分の意識を探ってください!
きっと、宇宙の謎に迫ることができるでしょう!
2023.12.16
科学者は、偶然を信じていますが、本当に、偶然で物が生まれ、偶然で物事が起きるのでしょうか?
これは、偶然の産物でしょうか?
あなたは、偶然に生まれ、偶然に死ぬのでしょうか?
あなたの人生は、偶然で進むのでしょうか?
もし、偶然があるのなら、どんな生き方をしたっていいのです。
人を騙そうが、人のものを奪おうが・・・。
しかし、この宇宙は、きっちりとした法則(必然)によって、管理されているのです。
ですから、悪いことをしてはならないのです。
悪いことをしたら、必ず、痛い目に遭うからです。
見えない何かが、心臓を動かしているのではないでしょうか?
見えないエネルギーが、車を動かしているのではないでしょうか?
見えないモノから、産まれてくるのではないでしょうか?。
見えるものを、生み出し、生かし、動かし、働かしているのは、見えないモノなのです。
私たちは、見えないモノによって、生かされ、 動かされ、働かされているのです。
その見えないものを、「 X 」とか、「神」とか、「意識」とか、言っているだけです。
見えないモノの研究をするようになったら、地球人類は、大きく飛躍するでしょう。
2023.12.17
魂が成熟してゆくと、この世のどんな楽しみも、心から楽しめなくなります。
なぜでしょうか?
それは、瞑想の楽しさを知ったからです。神を想う瞑想の楽しさは、格別です。
なぜなら、実在している楽しさだからです。
しかし、この世の楽しみは、実在しない楽しみですから、どんなに楽しんでも、心から楽しめないのです。
良い準備をしましょう!
「良い準備をしましょう!」とは、「良い想念を使いましょう!」と言う意味です。
良い想念を使っている時は、良い原因を作っているわけですから、良い準備をしていることになるのです。
想念は、誰でも持っています。いつでも、使えます。誰の邪魔もされません。
これほど、手軽で、ありふれたものはありません。
しかし、これほど、恐ろしいものもないのです。
想念は、ありふれたものであり、恐ろしいものであり、偉大なものなのです。
2023.12.18
瞑想する前に、次のように、決心してください。
そうすれば、雑念なく、瞑想できると思います。
「マントラ以外、想わない! 想わない! 想わない!」と、強く決心すること。
途中、雑念が湧いたら、「マントラ以外、想わない! 想わない! 想わない!」と、再決心すること。
瞑想は、1に想うこと!、2に想うこと!、3に想うこと! です。
(マントラとは、神・意識・生命・愛・無限など、皆さんの得意とする、マントラのことです。)
繰り返し言いますが、瞑想とは、想うことです。
私たちは、一刻一刻、一日一日 、毎週毎週、毎月毎月、毎年毎年 、瞑想をしているのです。
あなたの、これまでの人生は、瞑想によって作ってきたのです。
そんな実績があるのですから、マントラを想い続ければ、間違いなく、自覚の境界線を超えることができるのです。
皆さんは、すでに、マントラの側面を、たくさん知ってますので、マントラを想うだけで良いのです。
瞑想を難しく考えないでください!
瞑想が難しいとすれば、継続できない点かも知れません。
でも、気持ちを奮い立たせて、瞑想を続けてください。
続けてください!
続けてください!
続けてください!
続ければ、「原因と結果の法則」が、必ず、実りをもたらしてくれます。
2019年7月28日 修善寺塾・2019年7月21日 大阪塾より抜粋
2023.12.19
自由な意識の私が、どうして、窮屈な人間の中に、入らなければならないのでしょうか? 気がついたら、人間の中に、入っていたのです。
人間の中に入るなど、望んだ覚えがないのに・・です。
一体、誰が、こんな、おせっかいなことをしたのでしょうか?
私は、おせっかい焼きを知りたくて、自分の意識を探りました。
でも、どんなに探っても、おせっかい焼きが、分からないのです。
でも、探っていくうちに、気づきました。
おせっかい焼きは、原因無き原因者だと言うことを・・・。
私の存在は、結果です。結果が有ると言うことは、必ず、原因が有るはずです。
でも、私は、永遠の昔から存在していたのですから、生まれたことが無いのです。
生まれたことが無い、と言うことは、死んだことも無い、と言うことです。
生まれたことも、死んだことも、無いならば、原因があるはずがありません。
このように、私を創った、おせっかい焼きは、原因無き原因者だったのです。
その原因無き原因者を、神と呼んでいるのです。
神を否定する者は、自分を否定する愚か者です。
そんな、愚か者にならないでください!
意識を一本の糸で、例えると、糸の上の方の意識は、神の精妙な意識です。下の方の意識は、自我人間の粗い意識です。
同じ意識ではありますが、波動に大きな違いがあるのです。
ですから、神の精妙な意識で、自我人間の粗い意識を切ることができても、自我人間の粗い意識で、神の精妙な意識を切ることができないのです。
「切る」と言う意味は、介入や移入ができる、と言う意味です。
病気は、自我人間の粗い意識が、細胞意識に介入することによって起きているのです。
人間の近くで飼っている動物達が病気になるのも、自我人間の粗い意識が移入することによって起きているのです。
このことは、上から下は見えるが、下から上は見えない、と言う例えで、分かってもらえると思います。
2023.12.20
意識の独り言
私が分からない! どこから、生まれたのかも、いつ、生まれたのかも、分からない!
気が付いたら、私がいたのです。
私が分からない迷子の自分・・どんなに探っても、分からない自分・・ 私って、一体、何なのでしょうか?
唯一、分かっていることは、意識を持っていることだけです。
どんなに探っても、知ることのできない自分・・ 何と歯がゆいことでしょう!
でも、探ってゆくうちに、私は、気づきました。
自分を知る必要がないことを ・・・自分を知ったら、自分が消えてしまうからです。
私は、諦めました。
今の私の望みは、自分を知ることではなく、幸せを得ることです。
幸せが得られたら、もう、何もいらないからです。
でも、せめて、分からない自分に名前を付けましょう!
分からないのですから 、
「 X 」と 名付けましょうか?
「神」と名付けましょうか?
「生命」と名付けましょうか?
「意識」と名付けましょうか?
いいのです。それでも!、あれでも!、これでも!、分からない自分でも!
私とは、そういう存在なのです。
意識の独り言 その2
自由な意識の私が、どうして、窮屈な人間の中に入らなければならないのでしょうか?
気がついたら、人間の中に入っていたのです。
人間の中に入るなど、望んだ覚えがないのに・・です。
一体、誰が、こんな、おせっかいなことをしたのでしょうか?
私は、おせっかい焼きを知りたくて、自分の意識を探りました。
でも、どんなに探っても、おせっかい焼きが、分からないのです。
でも、探っていくうちに、気づきました。
おせっかい焼きは、原因無き原因者だと言うことを・・・。
私の存在は、結果です。結果が有ると言うことは、必ず、原因が有るはずです。
でも、私は、永遠の昔から存在していたのですから、生まれたことが無いのです。
生まれたことが無い、と言うことは、死んだことも無い、と言うことです。
生まれたことも、死んだことも、無いならば、原因があるはずがありません。
このように、私を創った、おせっかい焼きは、原因無き原因者だったのです。
その原因無き原因者を、神と呼んでいるのです。
神を否定する者は、自分を否定する愚か者です。
そんな、愚か者にならないでください!
意識を一本の糸で例えると、糸の上の方の意識は、神の精妙な意識です。下の方の意識は、自我人間の粗い意識です。
同じ意識ではありますが、波動に大きな違いがあるのです。
ですから、神の精妙な意識で、自我人間の粗い意識を、切ることができても、自我人間の粗い意識で、神の精妙な意識を、切ることができないのです。
「切る」と言う意味は、介入や移入ができる、と言う意味です。
病気は、自我人間の粗い意識が、細胞意識に介入することによって起きているのです。
人間の近くで飼っている動物達が、病気になるのも、自我人間の粗い意識が、移入することによって起きているのです。
このことは、上から下は見えるが、下から上は見えない、と言う例えで、分かってもらえると思います。
2023.12.21
コップと言うのは、ガラスが形を取ったものに、コップと言う名前を付けただけで、実際にあるのは、コップではなく、ガラスです。
しかし、私たちは、「コップ! コップ!」と呼んでいるうちに、いつのまにか、コップがあるような、錯覚に陥ってしまったのです。
人間と言うのは、 意識が形を取ったものに、人間と言う名前を付けただけで、 実際に存在しているのは、人間ではなく、意識です。
しかし、私たちは、「人間! 人間!」と呼んでるうちに、いつのまにか、人間が存在しているような、錯覚に陥ってしまったのです。
名前そのものには、実体が無いのです。
実体がない、と言うことは、名前は、幻である、と言うことです。
恐ろしいのは、その幻である名前を呼んでいるうちに、名前が実在する、錯覚に陥ってしまうことです。
私たちは、人間がいるような、錯覚に陥っているのです。
しかし、実際に存在しているのは、人間ではなく、意識なのです。
意識が、人間の形を取っているだけです。
私たちは、名前に惑わされ、人間が存在していると、錯覚させられているのです。
肉体の本質(素材)は、意識です。
肉体は、意識によって創られているのです。意識の塊と言ってもいいかもしれません。
その意識の塊である肉体に、「肉体」あるいは「人間」と言う名前をつけたのです。
その、人間とか、肉体と言う、名前に惑わされ、本当の自分を見失ってしまったのが、私たちなのです。
人間も、肉体も、名前です。名前ですから、実体がないのです。
私たちの本質は、あくまでも、意識です。
ですから、私たちは、自分のことを「意識である!」と思わなければならないのです。
2023.12.22
神の意識は、一つです。
その一つの意識によって、魂が生まれ、心が生まれ、想念が生まれたのです。
と言うことは、本来なら、私たちの言葉は、神の言葉であるはずです。
でも、神の自覚がなければ、どうしても、波動の粗い、人間の言葉になってしまうのです。
人間の自覚を持って話した言葉は、波動が粗いのです。
神の自覚を持って話した言葉は、波動が精妙なのです。
それは、ただ、人間と想っているか?、神と想っているか? で、そうなるのです。
神の自覚を持てば、即、神の言葉になるのです。
神の波動の籠った文を言葉にする時、自我が入っていない場合は、神の言葉そのものになります。だから、その言葉は、気持ちが良いのです。
機械が喋った言葉が気持ち良いのは、自我が入っていないからです。
私の書いた真理を、言葉にしてみてください! 気持ちが良いでしょうか?
私の動画を見て、気持ち良くなった人、あるいは、眠気を催すようになった人は、神の波動に近い人です。
身口意・・・意口身です。
神は、表現媒体を通して、自分の想い(望み)を、実現させようとしているのです。
どうか、神の表現媒体になってください!
2023.12.23
神(意識)を知るには、どうしたら、いいのでしょうか?
神(意識)は、単独では、表現世界に降りて来られません。
何かの表現物を通してしか、降りて来られないのです。
と言うことは、表現物の中には、みな、神がおられる、と言うことです。
神は、全ての全て、有りて有るものです。
この表現世界に存在する、全てのものは、神の化身です。
ですから、神を知りたければ、表現物を知れば良いのです。
つまり、人間を知れば良いのです。
神を知る、こんな簡単な方法があったのです。
「神は、全ての全て、有りて有るもの」とは、「自分は、全ての全て、有りて有るもの」と言う意味です。
すなわち・・
全て、神である、と言う意味です。
その神を知るには、自分の意識の中に潜ればいいのです。
いかに、自分が神であると思えるかが、勝負です。
心の底で思えるようになったら、自分が変わります。変性変容が起きるのです。
確かなもの・・・
この宇宙に、確かなものがあるとしたら、
それは、たった一つ・・自分の魂(意識)だけです。
この自分の魂(意識)だけは、絶対に無くならない、確かなものです。
あなたが、確実に、できることは、自分の魂を大きくすることだけです。
外側のものを、どんなに成長させたいと思っても、できません。
なぜなら、外側のものは、みな、幻だからです。
やれないことを、やるのではなく、やれることを、やってください。
2023.12.24
暗い所に、ゴキブリやネズミが発生するように、暗い人の心の中に、病気は、発生します。
病気は、光の無い状態なのです。
どうか、「光り人」になってください!
それは、想念を明るく使ったらなれるのです。
神を否定する者は、光を否定するものです。
その者のところには、闇が・・病気が・・事故災難が・・訪れます。
神を肯定してください 。神を想うだけでいいのです。
想った瞬間から、あなたの人生は、変わります。
人が、苦しみながら生きる意味は、原子核を増やし、成長するためです。
苦しいことが、やってきたら、 この苦しみは、自分を大きくしてくれる、と思ってください。
2023.12.25
私たちは、意識の世界から出てきた、意識の子です。
私たちには、闇がないのです。
なぜなら、意識は、光だからです。 闇を作っているのは、人間と思う誤解です。
あなたの意識なしに、
今朝は、ありましたか?
今の一秒は、ありますか?
今日は、ありますか?
明日は、ありますか?
あなたの意識がなかったら、何もないのです。
これは、主観的見方です。でも、主観的見方は、真実です。
憎い人がいます。
嫌な人がいます。
尊敬できる人がいます。
好きな人がいます。
コロナに怯えています。
地震に怯えています。
これは、客観的見方です。この客観的見方は、幻なのです。
今、全人類が、客観的見方をして、泣き笑いしているのです。
でも、今の地球人類は、それで、いいのです。
なぜなら、客観的見方をしているうちに、真実に目覚めることが、できるからです。
2023.12.26
同じ、あなたは、いません。
それは、時間の中にいて、一刻一刻、進化しているからです。
昨日のあなたと、今日のあなたは、違う、あなた、なのです。
同じ、太陽(神)を、見ているのでは、ありません。
また、同じ、月(人間)を、見ているのでも、ありません。
毎日、違う、太陽と月を、見ているのです。
なぜなら、 見ている、あなたは、時々刻々と進化しているからです。
人の欠点を見て、その人を嫌ってはなりません。
なぜなら、その人は、自分の欠点を見せてくれた、恩人だからです。
人の振り見て、我が振り直せる、相対の世界に感謝しましょう。
2023.12.27
許す者は、許されます。許さない者は、許されません。
同じ波動が同調して、現象を生むからです。
知った者は、罪を犯しません。知らない者は、罪を犯します。
「無知が最大の罪である!」と言われる、由縁です。
留まる水は、腐ります。流れる水は、腐りません。空気も、同じです。
エネルギーは、常に、動いているからです。
動くことが、いかに大切か、分かろうと言うものです。
(2021年1月1日 金言より)
許す者は、許され、許さない者は、許されないのは、「原因と結果の法則」が働いているからです。
壁にボールをぶつけたら、必ず、返ってくるのです。
許すと言うボールを投げたのですから、許されると言うボールが返ってくるのは、当たり前の事なのです。
その法則は、想念が引き寄せるのです。想念は、エネルギーなのです。
「原因と結果の法則」は、エネルギーによって支えられているのです。
知った者は、罪を犯しません。知らない者は、罪を犯します。
だから、「無知は最大の罪である!」と言われるのです。
でも、知っても、罪を犯す人がいるのです。
それは、まだ、人生体験が足りないからです。
私たちは、この身で、痛い目を、たくさん体験し、少しずつ、罪を犯さなくなるのです。
それまでは、何度も、何度も、同じことをやって、痛い目にあうのです。
「留まる水が腐り、流れる水が腐らない」のは、空気が腐敗を止めるからです。
流れている水は、空気を吸い込むのです。
止まっている水は、空気を吸い込まないのです。
空気(エネルギー)は、浄化力を持っているのです。
何日も部屋を空けていると、部屋の空気が臭くなってきますが、それは、空気の流れが無かったからです。
人が住んでいると、空気が動くのです。その空気が、浄化してくれるのです。
空き家が、古びてしまうのは、人が、空気を動かさないからです。
私たちの肉体も、同じなのです。
体を動かしていると、体の中で、エネルギーが動くのです。
体を動かしていないと、体の中で、エネルギーが動かないのです。
だから、動いている人は、健康になり、動かさない人は、不健康になるのです。
これは、機械類も同じで、時計も、車も、放置して動かさなかったら、錆び付いて寿命が短くなるのです。
2023.12.28
この現象の世界に、安住の地などありません。
唯一、自分の思いの中にだけ、安住の地があるのです。
自分の思いの中にだけある、と言う意味は、神の想いの中にだけある、と言う意味です。
現象の世界は、どんなに美しくても、みな、消えてしまう幻です。
消えてしまう世界に、安住の地があるわけがありません。
どうか、自分の思いの中に、安住の地を求めてください!
それは、お金もかかりません。何処へ行く必要もありません。時間もかかりません。
思いを、神に向けたらいいだけです。
私は、本当に嬉しくてたまりません。
嬉しくてたまらないのは、神を信じ、神に生きたら、何一つ、憂えることも、悩むことも、ないことを、知ったからです。
神に、従順に生きていたら、神は、すべて、良きように計らってくれます。
この神に対する信頼感は、原子核が、増えれば、増えるほど、強まります。
さあ!、原子核を増やしましょう!
2023.12.29
ここまで来た、皆さんは、何も思い煩うことは、ありません。
ただ、瞑想し、原子核を増やせば良いのです。
増やしたら、理解力が増すので、行くべき道が見えてきます。
それに従って、素直に生きたら良いのです。
難しいことは、ありません。
今、やるべきことを、精いっぱい、やること・・ そして、瞑想を続けることです。
続けることです!
続けることです!
続けることです!
この世は、無常の世界です。
見えているもの・・・
聴こえているもの・・・
感じているもの・・
全て、幻です。
幻ですから、とやかく考えることは、何一つないのです。
あなたが、やるべきことは、今を精いっぱい生きること・・ そして、瞑想をすることです。
明るく、明るく、朗らかに・・
何事も良く受け取り・・
神を想い・・光を想い・・
日々、生きましょう!
2023.12.30
真我の望みを実現するためには、自我の手助けなしには、できません。
では、真我は、どのような、手助けを、望んでいるのでしょうか?
望みは、二つあります。
私たちは、この二つの望みを、実現させるために、生きているわけですが、自我が膨らんでしまうと、どうしても、肉体に都合の良い生き方をしてしまいます。
でも、案ずることはありません。どんな生き方をしていても、真我の望みに叶った生き方になっているのですから・・・。
今、地球上には、痛みや苦しみが、たくさん、あります。
でも、その痛みや苦しみは、真我の望みを叶えるために、どうしても、必要なことなのです。
しかし、自我には、それが、単なる苦しみや痛みにしか、見えません。
だから、人を恨み、世を恨み、時代を恨み、中には、神まで恨む人も出てくるのです。
でも、その痛みや苦しみが、進化成長に必要だと解る時が来ます。
学びの友の皆さんは、それが解った魂です。
存在していれば、必ず、進化成長してゆくのが、宇宙の仕組みです。
この仕組みの凄さは、筆舌に尽くしがたいです。
ただ、息しているだけで良いのです。
ただ、瞬きしているだけで良いのです。
どんなに、足手まといになっていても、生きていれば、必ず、進化成長してゆけるのです。
神様、ありがとう!
真我の自分よ、ありがとう!
2023.12.31