自分とは何者か?!
自分って、一体、誰なんでしょうか?
今、自分と思えている意識は、一体、どこから来ているのでしょうか?
この自分と思える意識は、どうして、存在しているのでしょうか?
どんなに探っても、自分の意識の正体が、解からないのです。
宇宙の謎は、自分が解からない、と言う謎なのです。
今、人類は、探査機を飛ばして、宇宙の謎を探ろうとしていますが、どんなに探っても、意味がありません。
なぜなら、見えるもの、触れるものは、全て、幻だからです。
でも、意識は、実在なのです。
だから、探るべきものは、意識です。
しかし、残念なことに、その意識の謎が、解らないのです。
何せ、自分の意識の出所が、分からないのですから・・・。
と言うことは、私たちは、永遠に、宇宙の謎を知ることができない、と言うことです。
意識・・・自分・・・神・・・ それが、宇宙の三大謎なのです。
でも、それで、良いのです。
解からなくても、幸せだけは、味わえるのですから ・・・。
この宇宙には、「一つのモノ」しかありません。
一は全体であり、全体は一なのです。その一が、自分なのです。
だから、自分の人生しか無いのです。
自分の人生しかないから、他人の成長を考える必要が無いのです。
何かエゴイストのように思えますが、自分が成長したら、他人も成長するのですから、それで、良いのです。
今、起きている苦しみは、すべて、自分が連れてきた、苦しみです。
それは、自分が成長したいから、自分が連れてきたのです。
自分に、どんな欠点があり、どんな課題を持っているか、自分が良く知っているのです。
だから、自分の成長に必要な、人を、物を、環境を、自分が用意できるのです。
なぜ、このような体験をしなければならないのか? と、不思議に思うかもしれませんが、自分が用意したのですから、無意味な体験などさせるわけがないのです。
ですから、必然の体験です。
人のために起きた出来事などありません。すべて、自分の成長のために起きた出来事です。
ですから、何か出来事が起きたら、「なぜ、起きたのか?」疑問を持つことです。
意味が発見できた時、自分が成長するのです。
私たちは、間違いなく、日々、成長しております。
なぜなら、時間の中にいるからです。時間の中にいる、と言うことは、意識の中にいる、と言うことですから、時間の中にいる限り、間違いなく、成長できるのです。
つまり、肉体を持っている限り、成長できる、と言うことです。
どうか、眠る前に、こう思ってください。
「私は、今日も成長した!」と、何度も、何度も、思ってください。
また、朝起きたら、こう思ってください。
「私は、今日も成長する!」と、何度も、何度も、思ってください。
思ったことは、必ず、実現します。想念は、実現の母です。
2023.07.01
神を認めない者は存在しない!
「神を認めない者は存在しない!」と言う、理由を説明しましょう。
神が一番に望んでいることは、自分の存在を、認めてもらうことです。
自分が自分を認めても、自分が、存在していることにならないからです。
認める者がいて、はじめて、認められる者が、存在できるのです。
認められる者が存在できないのでは、認める者が存在できないのも、道理です。
認める者=認められる者です。
認められる者=認める者です。
だから、神を認めない者は、存在しないのです。
神の存在を認められない者が、自分の存在を主張するのは、厚かましい、と言うものです。
神を存在させられない者が、自分だけ存在させようと思うのは、矛盾だからです。
人類が、万物の霊長と言われる所以は、神を認められるところまで、進化した生き物だからです。
しかし、人類の中にも、無神論者のような、神を認めない者もいます。
と言うことは、彼らは、存在しないことになるのです。
なぜなら、前述したように、神を認めない者は、存在しないからです。
人類の中にも、神を認めない者がいるわけですが、それは、まだ、そこまでの理解力を持っていないからです。
神は、自分を認めて欲しくて、人類を創ったのですから、その役割が果たせなくては、存在意味がないのです。
私が、理解力の大切さを訴えるのは、理解力が無くては、神を認めてやることが出来ないからです。
もし、この宇宙に、神を認める者がいなかったら、宇宙の存在も、神の存在も、あり得なかったでしょう。
幸いなことに、あなた達のような、神を認めてやれる者がいるから、宇宙も、神も、存在出来ているのです。
神を認めている者が、神を存在させ、認められている神が、認めている者を存在させている、と言う、相身互いの関係にあるのが、人間と神の間柄なのです。
だから、神を認めない無神論者は、存在しないことになるのです。
神を認める理解力を持った時、はじめて、この宇宙に、その者が存在するのです。
(2016年4月10日 今週の真言より)
なぜ、人は神なのか?
なぜ、人は神なのか、と言いますと、自分の意識を意識している自分が、自分の意識の中に存在するからです。
自分を意識している、意識がなければ、自分も存在しないし、何も存在しないのです。
と言うことは、その意識は、すべてを存在させている意識ではありませんか?
つまり、神意識ではないでしょうか?
自分を意識している意識が、自分の意識の中にある、と言うことは、自分が、神であると言う証明なのです。だから、人は、神なのです。
繰り返しましょう。
自分の意識を意識している意識は、神なのです。
そうでなければ、その意識は、一体、何なのか?・・誰なのか?・・よく、考えて欲しいものです。
(2015年10月11日 今週の真言より)
旧・光のメロディー「神」
2023.07.02
すべて自分の魂の成長のために起きている! パート1
皆さん! この世で起きている、どんなことも、すべて、自分の魂の成長のために起きていると、思ってください。
それは、自分しかいないからです。
自分しかいないのに、誰かのために、何かが起きますか?
もし、起きるなら、無意味なことが起きていることになり、宇宙を創造した神が無能になってしまいます。
神が創られた完全な宇宙で、そんな、無意味なことが、起こるはずがありません。
では、どうして、自分のために、起きるのでしょうか?
それは、 自分の成長に必要なことを、自分が計画して、自分が起こしているからです。
いつも言うことですが、どうして、相手がいるのですか?
自分がいるから、ではありませんか?
自分がいなかったら、相手はいないのですよ!
相手がいないどころか、何も無いし、何も起きないのですよ!
今日までの人生において、自分抜きの人生ドラマが、一つだってありましたか?
自分の人生ドラマの中には、必ず、自分が入っていたはずです。
それは、自分が、自分の人生ドラマの主役だからです。
もし、主役の自分が抜けたら(いなくなったら)、途端に、脇役(人・物・環境)も、舞台(地球・宇宙)も、みな、消えてしまうのです。
今、あなたは、前方を見ています。
前方が見えるのは、あなたの目がカメラとなり、自分の前を写しているからです。
ですから、今日まで、カメラアングルの外れた日は、一日もありません。
あなたは、今日まで、一度だって、カメラを回さない日はなかったのです。
あなたは、主役であると同時に、ドラマの原作者であり、演出者であり、監督であり、撮影技師であり、時代考証係であり、小道具係であり、照明係であり、衣装係であり、メイキャップ係だったのです。
自分がドラマの筋書きを考え、自分がドラマの舞台を設営し、自分がその舞台の上で演技してきたのです。
それは、すべて、自分の魂の成長のためです。
自分が計画して、自分がやることですから、何一つ間違いはありません。
だから、私は、この世で起きている、どんな出来事も、自分の魂の成長のために起きている、と言うのです。
人生の目的は、あくまでも、自分の魂を大きくすることです。
神の自分の目的は、それしかないのです。
(2018年4月15日 今週の真言より)
※ 宇宙は、理解力によって、進展して行くようにできております。
ですから、理解力の違いによって、無限の宇宙が展開されるのです。
「 こうだ!」と言った、決まった宇宙は無い、と言うことです。
これは、真理についても、言えることなのです。
よく、自分が気づいた真理を、人に伝えようとする人がおりますが、そんなことをしても、無駄です。
なぜなら、人それぞれ、理解力が違うからです。
その人の理解力によって気づいた真理は、その人だけの真理です。
また、真理と言うものは、言葉や文字で伝えられないのですから、自分が気づいて、自分が納得したらいいのです。
どうか、自分が気づいたことは、自分の中で納めてください。
真理は、人に押し付けることはできない! と言うことを、再認識してください 。
2023.07.03
どうして、相手がいるのですか?
どうして、相手がいるのですか?・・・それは、自分がいるからではありませんか?
認識者である自分がいるから、認識される相手がいるのではありませんか?
認める自分がいなかったら、認められる相手はいないのです。
この話を、宇宙に置き換えて考えてみましょう。
どうして、宇宙があるのですか?・・・それは、自分がいるからではありませんか?
認識者である自分がいるから、認識される宇宙があるのではありませんか?
認める自分がいなかったら、認められる宇宙はないのです。
と言うことは、相手は・・宇宙は・・自分が創っている、と言うことです。
こんな分かり切ったことを、人間は、気付いていないのです。
だから、相手を、憎んだり、恨んだりして、戦争までするのです。
憎んだり、恨んだりしている、相手は、自分が創った相手なのです。
と言うよりも、相手は、自分自身なのです。
なぜなら、認めている自分が、認められている相手の中にいるからです。
それは、認めている自分が、相手を創っている素材だからです。
なぜ、素材なのかと言いますと、認識している意識そのものが素材だからです。
意識 = モノの素材なのです。
認めている自分の意識(素材)が、認められる相手になっているのです。
だから、相手の中に、自分がいることになるのです。
つまり、自分が、相手を創っていることになり、相手は、自分になるのです。
「いや、自分がいなくても、他に認識者がいるのだから、相手はいるはずだ!」と、あなたは、反論するかも知れません。
でも、それは、客観的見方ではありませんか?
主観者である自分が、客観的見方ができるわけがないのです。
例え、できたとしても(できるわけがないが)、自分がいなかったら、どうして、そのことが分かるのですか?
どこまでも、主観的見方しかできないのです。
なぜなら、この宇宙には、自分しかいないからです。
※ ある学びの友から、次のようなメールをいただきました。
「理解力って、波動なんですね!! 3月11日の動画の52分30秒あたりなんですが・・・ 私に向って、『わかるよね!?』と、かとうさんが言っているところがあるのですが・・・この時、私は、すごくわかっていたのです。
でも、今、動画を見ても、その時のわかった!という感覚がありません。
それ以外にも、いくつも、あれ? ここのところ、直に、かとうさんから聞いていた時は、すごくわかって感動していたのに、今は何だかわからないのです。
理解力って、本当に波動なんですね!!
波動が落ちると理解力が落ち、わからなくなるのですね・・・」 と・・・。
宇宙は、すべて、波動で創られています。
その波動は、エネルギーでもあり、知恵でもあるのです。
だから、波動が高くなれば、分からないことが解るようになり、波動が落ちると、解っていたことが分からなくなるのです。
このことに気づく学びの友は、なかなかいません。
あなたは、また一歩、成長しましたね。嬉しいことです。
(2018年3月18日 今週の真言より)
2023.07.04
動きなさい!
真理に目覚めた途端に、積極的な人になるのは、潜在していた神の本能が、働き出したからです。
真理に目覚めた人は、なぜか知らないけれど、動きたくなるのです。
これは、動けば、原子核が増えることを、本能的に知っているからです。
この宇宙は、動けば動くほど、進化成長するよう創られているのです。
その証拠に、宇宙の運行や、自然界の働きや、生物の動きを、見てください。
星雲も、恒星も、惑星も、彗星も、空気も、水も、土も、菌も、虫も、鳥も、魚も、どんな生き物も、みな、動いています。
それも、楽しく、ウキウキと・・・、自我はなくても、彼らは、動けば、原子核が増えることを、本能的に知っているからです。
自我のないモノでさえ、そうなのですから、真理に目覚めた者が、動くようになるのは、当然でしょう。
でも、人間の中には、動くのを嫌っている者がおります。
これは、動くことの重要さを、知らないからです。
知らなければ、どうしても、楽な生き方を、選んでしまうのです。
一万円持っていても、持っていることを、知らなければ、使えないのです。
パソコンを持っていても、使い方を、知らなければ、使えないのです。
「無知こそ最大の罪!」と言われるのは、知らなければ、原因を創ろうとしないからです。
でも、学びの友の皆さんは、原子核を増やす方法を知ったのです。
それも、絶対、間違いない方法を・・・。
なのに、皆さんは、どうして、真剣にやろうとしないのですか?
まだ、信じられないのですか?
やって嘘なら、引き返したらいいではありませんか?
やりもしないで、嘘だと決めつけるのは、賢い人とは言えません。
どうか、積極的な人になってください。
「犬も歩けば棒に当たる!」の諺を信じ、ぜひ、動いてください。
動いて(体験して)、損することなど、絶対ないのですから・・・。
※「犬も歩けば棒に当たる」の諺は、犬も、フラフラと歩いていれば、棒に当たって転ぶと言う意味です。
しかし、転んだら、必ず、何かを掴んで、起き上がるのです。
何かを掴むとは、体験すると言う意味です。
体験は、間違いなく、人を成長させるのです。
だから、諺は、「フラフラでもいいから動きなさい!」と言っているのです。
(2017年9月3日 今週の真言より)
神は能動的!
神は、能動的な存在です。良いと思ったら、すぐに行動に移すのが、神です。
私たちは、神の子ですから、神と同じように、能動的にならねばなりません。
ウジウジしていては、原子核を増やすチャンスを逸してしまいます。
それどころか、一般人にも遅れを取ってしまいます。
どうか、積極的な行動をする人になってください。
良いと思ったことを、直ぐに行動を起こせば、原子核が自乗的に増えるのです。
これは、神が創ってくれた素晴らしい仕組みです。
学びの友の皆さんが、スピードアップして原子核が増えるのは、そのためです。
たとえ、積極的にやって、失敗したように見えても、それは、成功のための失敗ですから、成功なのです。
だから、積極的にやれば、必ず、進化成長するのです。
どうか、行動的な人になってください。
行動的な人は、 早く、大きく、成長します。
それは・・向こうへ帰ったら、はっきりと分かります。
とは言っても、やはり、中庸は、守ってください。
いくら、積極的が良いからと言っても、人の家に、土足で、ヅカヅカと入るようなことはしないでください。
求道者は、常識人でなくてはなりません。
どうか、自分の原子核の量に見合った中庸を守ってください。
※ 学びの友のやるべきことは、瞑想することです。
クヨクヨ考える暇があるなら・・悩む暇があるなら・・心配する暇があるなら・・瞑想することです。
すべて、瞑想が解決してくれます。
瞑想の何と!有難いこと・・ 瞑想をするようになった人は、幸せな人です。
(2019年4月14日 今週の真言より)
※ この宇宙には、自分しかいないのです。
自分しかいないのですから、自分でやるしかないのです。
人を頼っていては、そこ止まりです。
自分の足で登らない限り、山頂には到達しない、と言うことです。
この宇宙は、自力前提の宇宙なのです。
なぜなら、原因と結果の法則が、宇宙を支配しているからです。
ですから、やれば、やった分、結果がついてくるのです。
人を頼ってならないのは、原因を創らないからです。
厳しい言い方かもしれませんが、甘えていては、何も成し遂げることができません。
どうか、自力でなしてください。
それが、この宇宙のしきたりなのですから・・・。
2023.07.05
祟りなど無い!
祟りなどありません。祟りと言うのは、死んで迷っている人たちが、生きている人たちの悪想念に乗じて、憑く現象のことです。
私は、妻と娘の骨を砕いて、山や川に散骨しました。
妻の親がいましたし、私の母親も生きておりましたから、手前上、墓も作りましたし、仏壇も買いました。
でも、親たちが死んだ時点で、墓も、仏壇も、取り壊しました。
その後、一度も、お参りしていません。それで、祟られましたでしょうか?
よく、仏壇やお墓に大金をかけたり、死んだ人を懐かしがり、仏壇の前でブツブツお話をしたり、お経を上げたりする人がおりますが、これは、魂にとって、大迷惑なのです。
お坊さんや霊能者は、「祖先の霊が守ってくれるから、お墓や仏壇を大切にしなさい!」と言いますが、とんでもありません。
本当に、祖先の霊が守ってくれるなら、
どうして、仏壇のロウソクの火で、火事になるのでしょうか?
どうして、お墓参りの行き帰りに、交通事故に遭うのでしょうか?
おかしいでは、ありませんか?
頼み事をしに、霊能者の所や、お寺や、神社などに、行かないことです。
特に、心の不安定な時には、行かないことです。危険です。
そんな、時間があるのなら、 瞑想することです。
真理を知った賢い人なら、そうすると思います。
※ 仏教では、「人が死んだら仏様になるのですよ!」と言います。
ならば、仏と神とは、同じですから、「神様になるのですよ!」と言っても、良いはずです。
と言うことは、諺の「触らぬ神に祟りなし!」の意味は、仏と関わらなければ、祟りを受けることはない、つまり、死んだ人と関わらなければ、祟りを受けることはない、と言うことになるのです。
迷った死人は、この世に、執着を持っていますので、関わると、これ幸いとばかりに、人に憑いて悪さをするのです。
神社仏閣にお参りに行ったり、霊能者の所に行ったり、オカルト教団に入った人が、精神的におかしくなるのは、迷った死人と関わりを持ったからです。
どうか、死んだ人と関わりを持たないでください。
と言うより、忘れてください。
忘れた方が、彼らのためになるのですから・・・。
※ よく、「ついているとか、ついていないとか」、「運が、良かったとか、悪かったとか」言いますが、「つきって・運って」、何でしょうか?
「つきとか・運とか」言うのは、光(エネルギー)が、強いか、弱いか、のことなのです。
光が強ければ、良いことが起こり、光が弱ければ、悪いことが起こるのです。
その光の強弱は、すべて、想念が、やっているのです。
また、「リズムが、良いとか悪いとか、流れが、良いとか悪いとか」言いますが、これも、光(エネルギー)が、強いか、弱いか、のことなのです。
ネガティブな想念を持つと、光(エネルギー)が、弱くなるため、悪いことが起きるのです。
人生を良くしたかったら、光(エネルギー)を、強くしてください。
それは、明るい想念を持つことで出来るのです。
想念次第です!
想念次第です!
想念次第です!
このことは、何度言っても、言い過ぎることはありません。
(2018年4月22日 今週の真言より)
サタンは味方!
闇が、濃くなればなるほど、光は、強くなるのです。
つまり、サタンが、悪さをすればするほど、私たちは、強くなるのです。
だから、私は、サタンは味方だと言うのです。
神が創られた完全な宇宙に、悪が悪で終わることは、無いのです。
もし、悪が悪で終わるなら、神は、完全でなくなってしまいます。
悪の背後には、必ず、善が控えているのです。
このことを、サタンが知ったら、サタンは、悪さをしなくなるでしょう。
でも、サタンは、このことを知りませんので、悪さをしては、自分たちの居場所を、増やそうとしているのです。
悪さをすればするほど、自分たちの居場所が無くなると言うのに・・・です。
「サタンよ! 生き残りたかったら、大人しくしていなさい !」 と、私は言ってやりたいです。
でも、 言っては駄目です。内緒にしておいてください!
もし、このことを知って、サタンが悪さをしなくなったら、私たちは、強くなれないのですから・・・。
私たちが、成長するためには、サタンは、必要な存在なのです。
かと言って、サタンに、やられ過ぎてもなりません。上手に付き合いましょう !
(2019年8月25日 今週の真言より)
光のお話集「ムゲンの人生」
2023.07.06
あなたが、もし、この真理に疑問を持っているとしたら、そんな考え捨ててください!
なぜなら、今、あなたが、この真理を学んでいること自体が、本物の真理であることを証明しているからです。
永い転生において、あなたは、この真理に巡り逢えるまで、どれほど、苦難の人生を歩んできたと思いますか?
それは、それは、大変な、苦難の人生を歩んできたのですよ!
そして、ついに、この真理に巡り逢えたのです。
もし、この真理がマガイモノなら、 これまでのあなたの人生は、失敗の人生になるのです。
でも、安心してください!
神が創られた、この宇宙に、失敗など無いのですから・・・、
なぜなら、次の数式が、失敗の無いことを、証明してくれているからです。
この数式は、神に失敗はないと言う数式です。
つまり、あなたに失敗が無いと言う数式なのです。
なぜなら、今、あなたが、真理を学んでいるからです。
今、あなたが、真理を学んでいなかったら、失敗でしょう。
でも、その失敗も、失敗ではないのです。
なぜなら、どんな黒石も、いつか、必ず、白石になるからです。
私が、どんな宗教をやっている人も、いつか、必ず、この真理に巡り逢えるのですから良いことです、と言うのは、この数式が保証してくれているからです。
どうか、今、述べた意味の深さを知ってください!・・・。
さあ、この真理を選んだ自分の眼力を信じ、これからも、求道の志を貫いてください。
勉強会に来て、私の話を聴いている時は、波動が高いので、やる気になりますが、家に帰って、波動が落ちると、どうしても、やる気を削がれてしまうものです。
ですから、できるなら、直に、お話を聴いて欲しいのですが、そうもいきません。
その人たちは、その分、真理に、時間をかけて欲しいと思います。
何せ! 外にも内にも、あなたたちを惑わすサタンがいるのですから・・・。
そうです。
私たちの中には、二人の自分がいるのです。
一人は、自我の自分(サタンの自分・ 肉体の自分)、
もう一人は、真我の自分(神なる自分)です。
本当は、真我の自分しかいないのですが、悪的波動にやられると、サタンが頭をもたげ、邪魔をしてくるのです。
それも、光が、強くなればなるほど、闇も、強くなるため、より、サタンが活発化するのです。
知花先生は、良く、こうおっしゃっておられました。
「サタンに、やられなかったら、悟るのは、案外簡単なのですよ!」と・・・。
それほど、サタンは、大敵なのです。
何せ、自我の思いを、真我の思いにさせられてしまうのですから・・・。
それも、気づかないほど、巧妙な思いにして・・・。
でも、そんな、サタンに、負けてはなりません 。
確かに、真理を得るのは、難しいです。でも、難しいから価値があるのです。
もし、簡単に、真理が得られるなら、とっくに、地球は、平和な世界になっていたでしょう。
簡単に得られないから、今もって、争い多い世界になっているのです。
でも、いつまでも、そんな地球にしておいてはなりません。
一日も早く、サタンに脅えることのない地球にしたいものです。
それは、まだ、原子核が少なかったからです。
原子核が少なければ、幼いことを考え、幼い話をし、幼い行為をするのです。
でも、幼さゆえの過ちですから、自分を責めないでください!
その当時は、その当時で、精いっぱいやって、生きていたのですから・・・、
でも、今のあなたは、違っております。
なぜなら、当時より、原子核が増えているからです。
「一日の長」と言われるのは、「時間は原子核なり!」だからです。
人を成長させようと思っても、できませんが、時間は、人を成長させてくれるのです。
それが、分かった人は、人を責めないし、自分も責めないでしょう。
私たちが、やるべきこと・・それは、今、やれることを、精いっぱい、やることです。
今、やれる事とは、社会体験と瞑想です。
光のお話集「ムゲンの学び」
2023.07.07
瞑想の仕組み
瞑想の仕組みの根底にあるのは、私たちが持っている想念です。
この想念は、神の意識から生まれたモノですから、神と同じ創造力が付与されているのです。
「想念は実現の母」と言われるのも、想念したことは、何でも実現するからです。
その想念の力を利用して、成し遂げようというのが、瞑想なのです。
私たちは、常に、何かを思っています。思わないでいる人は、一人もいません。
私たちは、何も思えないでいられないように、できているのです。
と言うことは、常に、瞑想している、と言うことです。
瞑想とは、想うことなのです。何か想っている時は、瞑想をしているのです。
と言うことは、瞑想していない人は、一人もいない、と言うことです。
皆さんは、毎秒・毎秒、瞑想しているのです。
ただ、私たちは、そのことに、気付いていないだけです。
今の今だけが実在です。その今を感じられるのは、意識を持っているからです。
その意識は、 魂を生み出し、心を生み出し、想念を生み出し、
その想念が、物事を成就させているのです。
私たちは、今日まで 、その想念を使って、人生を創ってきたのです。
事実、私たちは、
学校に入りたいと想って、入ったではありませんか?
お金を儲けたいと想って、お金を儲けたではありませんか?
自動車が欲しいと想って、自動車を手に入れたではありませんか?
伴侶が欲しいと想って、結婚したではありませんか?
このように、私たちは、想念(瞑想)によって、何でも得てきたのです。
ならば、神を想って、神の自覚を得ることも、できるのではないでしょうか?
想った事は、何でも実現するのが、想念の力です。
私たちは、その想念を持っているのですから、それを、利用しないでは、もったいないです。
さあ、瞑想し、神の自覚を得ましょう!
※ この地球で、真の瞑想をしている人は、殆どいません。
それは、瞑想の意味を知らないからです。
瞑想は、「無・空」になること、ではありません。
また、気持ち良くなること、でもありません。
「私は本当に神なんだ!」と、心の底で知った状態です。
ですから、言葉や文字で、伝えられないのです。
今は、解らなくても、結構です。ただ、神を想い続けてください。
きっと「 これが、自覚か!」と、解る時がきます。
※ 私たちは、何と幸せなのでしょう!
なぜなら、瞑想できるからです。
鉱物や、植物や、動物は、瞑想できません。
でも、私たちは、瞑想できます。
これは、凄いことなのです。
どうか、瞑想できるところまで進化してきた、自分を、褒めてやってください。
(2017年4月30日 今週の真言より)
神そのものと成って瞑想せよ!
外側のものを意識している状態は、実際に無い幻を作っている状態です。
なぜなら、意識は、何でも創ってしまうからです。
とは言っても、五感がある限り、どうしても、外側のものを意識してしまいます。
では、どうすれば、 外側のものから、意識を離すことができるのでしょうか?
それは、意識を内側に集中させることです。
意識を内側に集中させる、簡単な方法は、背中の奥の奥の一点に意識を置くことです。
背中の奥の奥の一点に意識を置くと、次第に、外側のものが消え、肉体感覚さえもなくなります。
どうして、そのようなことが、起きるかと言いますと、実在しないものは、意識しなければ、消えて無くなる、仕組みになっているからです。
外側のものは、一時、描かれた絵のようなものですから、意識しなければ、消えてしまうのです。
私たちは、外側のものが実在していると、誤解しているのです。
それは、五感があるためです。
五感が、実在しているような誤解を生んでいるのです。
実在しているのは、自分の意識だけです。
その実在している意識に、意識を集中させるのが、瞑想なのです。
意識が、意識を、意識するのが、瞑想なのです。
意識そのものが、神ですから、神が、神を、意識するのが、瞑想なのです。
このことを、知花先生は、次のように、おっしゃっておられました。
「神を礼拝するには、己が神そのものと成って、礼拝せよ!」と・・・。
「神なる自分が、神そのものに成って、神を瞑想しなさい!」と言うわけです。
「神そのものに成って!」と言う意味は、神の自覚を持ってという意味です。
※ 瞑想は、想念力を利用しています。
想念は、何でも実現させる力を持っているからです。
そこには、
何もいりません。
言葉も、要りません。
特別な場所も、要りません。
形も、作法も、要りません。
ただ、想えば良いだけです。
(2017年1月29日 今週の真言より)
新・光のメロディー「想念瞑想」
2023.07.08
社会体験と瞑想は両輪である!
世の中には、 社会から逃避して、瞑想だけしている人がおりますが、それでは、決して、自覚の境界線を超えることができません。
なぜなら、片輪で走っているからです。
両輪で走ってこそ、自覚の境界線を超えることができるのです。
原子核を増やす方法は、二つあるのです。
社会体験で、原子核を増やす方法は、北風に立ち向かうようなものですから、厳しいのです。
瞑想で、原子核を増やす方法は、太陽に照らされるようなものですから、楽なのです。(実際は厳しい。)
しかし、瞑想には、強い意思と強い心が、必要です。
強い意思と強い心は、社会体験してこそ培われるのですから、社会から逃避している人は、片輪の弱い人なのです。
と言うことは、満足に瞑想ができない、と言うことです。
だから、瞑想だけで、自覚の境界線を超えようとしても、無理なのです。
両輪揃って、真の瞑想ができることを知ってください。
一秒一秒が瞑想である!
瞑想とは、単純に、想うことです。意識することです。
と言うことは、私たちは、毎日、瞑想していることになります。
そうです!
私たちは、毎日、瞑想しているのです。
ただし、この世のことを想う瞑想では、原子核を増やすことができません。
なぜなら、この世のものは、実在しないからです。
真の瞑想は、実在するモノを想うことです。
実在するモノとは、神のことです。
だから、神を想えば、原子核が増えるのです。
「瞑想とは、想うことである!」・・・それも、 「一秒一秒が瞑想である!」と言うことを、再認識してください。
5分間、霊性でありなさい!
知花先生は、「5分間、霊性でありなさい!」と言われました。
この5分間、霊性でありなさい、と言う意味は、一秒一秒を積み重ねて、5分間になったら良い、と言う意味なのです。
5分間、雑念なしに瞑想できる人など、いないのです。
でも、1秒ならできます。1秒できたら、2秒できます。2秒できたら、3秒できます。3秒できたら、5秒できると思います。その合計が、5分間になったら良いのです。
よく、「私は瞑想できない!」と、自分を責める人がいますが、想念は、雑念が沸きやすいようにできているのですから、自分を責めないことです。
本格的な瞑想は、自覚の境界線を超えてからです。
それまでは、「1秒できたら、それで良い!」と思って、1秒に集中してください。
そう思ったら、気楽に瞑想できると思います。
2023.07.09
「今」を正しく生きることの大切さ!
私たちは、「今」を感じています。
この「今」が有る事実は、誰も否定できないでしょう。
私が何よりも、「今が大切です!」と言うのは、「今」しか無いからです。
つまり、「今」が原因点だからです。
と言うことは、「今」は、永遠に有り続ける、と言うことです。
これは、
この数式が証明してくれているのです。
この数式が成り立つのは、原因と結果の法則が、宇宙を支配しているからです。
こう言うことです。
「今」が有るのは、過去にも「今」が有ったからです。
過去の「今」(原因)なしに、「今」(結果)は、有り得ないわけですから、当然でしょう。
と言うことは、次の未来にも、次の次の未来にも、いや、永遠の未来に、「今」が有ることになります。
これは、過去・現在・未来が、今の一点の中にあるから言えることなのです。
これを、因果の法則の「三位一体」と言います。
しかし、三位一体ではありますが、今しか実在しないのです。
なぜなら、前述したように、今が原因点だからです。
では、この「今」を、「あなた」に、置き換えてみましょう。
今、「あなた」がいる、と言うことは、過去に、「あなた」がいたからです。
と言うことは、次の未来にも、次の次の未来にも、いや、永遠の未来に、「あなた」がいることになります。
これは、今、「あなた」が存在しているからです。
このように、「あなた」は、永遠に有り続けるのです。
永遠に有り続けるがゆえに、今を正しく生きなければならないのです。
今を正しく生きなければ、過去を悲惨な過去にし、未来も悲惨な未来にしてしまうからです。
過去は、変えられないと思っていますが、今を正しく生きれば、変えられるのです。
なぜ、変えられるかと言いますと、今、正しく生きられるのは、過去の学びの成果だからです。
と言うことは、 今、正しく生きることで、悪い過去は、良い過去に変わってしまう、と言うことです。
反対に、今、正しく生きられないのは、過去で学ばなかったからですから、その過去は、悲惨な過去で終わってしまうのです。
と言うことは、未来も、悲惨な未来が待っている、と言うことです。
今、正しく生きることが、いかに大切か、これで、分かっていただけたと思います。
「今、何かが有る!」、「今、何かが起きている!」と言うことは、過去で、その原因を創っていたからです。
これは、良いことも、悪いことも、同じです。
今が未来を作っているわけですから、今、正しく生きることが、どれほど大切か? と言うことです。
今を正しく生きれば、あなたは、間違いなく、幸せになれるのです。
「今を正しく生きれば!」と言う意味は、「今、良い想念を持って生きれば!」と言う意味です。
これは、因果の法則が、保証してくれるので、間違いありません。
さあ、法則を信じ、今、良い想念を持って生きましょう!
※ どんな良いことも、悪く受け取れば、悪くなるのです。
どんな悪いことも、良く受け取れば、良くなるのです。
それは、受け取り側が創るからです。
実在しているのは、受け取り側だから、そう言えるのです。
肯定の中に、悪は無いのです。否定の中に、悪があるのです。
ならば、どちらに生きた方が賢いでしょうか?
あなたは、肯定人ですか? それとも、否定人ですか?・・・。
(2016年7月10日 今週の真言より)
2023.07.10
「生」と「死」の捉え方が、階層によって変わってきます。
例えば、この世では、死ぬと、悲しがります。
でも、幽界では、死ぬと、 「おめでとう!」と言って喜びます。
この世と、あの世とは、逆なのです。
でも、幽界においても、階層によって捉え方が違っています。
低い階層では、幽界を去り、肉体に入る時は、悲しがります。
うんと低い階層では、そんなことも考えません。
でも、高い階層では、反対に、喜んで送り出してくれるのです。
このように、死の概念は、階層によって千差万別なのです。
全て、理解力です。理解力が、生と死の概念を変えるのです。
この宇宙は、「原因と結果の法則」によって、秩序立てられています。
私たちは、その「原因と結果の法則」の中に生かされているのです。
ですから、「原因と結果の法則」を上手に使えば、私たちは、幸せになれるのです。
「やればなる!」 、それが「原因と結果の法則」の原理です。
その「原因と結果の法則」を操れるのは、私たちの想念なのです。
唯一、私たちの想念だけが、「原因と結果の法則」を操れるのです。
良い原因を創れば、良い結果が生まれます。
悪い原因を創れば、悪い結果が生まれます。
単純です。完全です。絶対、間違えることがありません。
私は、この想念の偉大さを、科学者に知って欲しいのです。
想念の偉大さが理解されれば、今、地球上で起きている不幸災難は、一掃されるのです。
何も難しいことは無いのです。想念を正しく使ったらいいだけです。
ですから、自力です。外側の力は、何もいらないのです。全て、自分で出来ることなのです。
私たちの住んでいる、この表現世界は、現象の世界と言われ、現れては消えてゆく、無常の世界です。
その世界においては、何が起きても、おかしくないのです。
今、地球上で常識と言われていることも、明日、どう変わるか分からないのが、この表現世界なのです。
「こうだ!」と確定したものが無いのが、この表現世界だと言うことです。
ですから、「明日、何が起きても不思議ではない!」と思いながら生きてください。
今、悩み苦しんでる人たちが、たくさん、おります。
中には、苦しみに耐えかねて、自殺する人までおります。
なぜ、そこまでするのかと言いますと、この世界が本当にあると思っているからです。
要するに、真理を知らないから、そのような、愚かなことをするのです。
繰り返します!
この世界は、明日、どうなるか分からない世界なのです。
例えば、どんなに、たくさん、お金を持っていても、明日、使えなくなるかも知れないのです。
優秀な企業も、世界情勢が変われば、倒産するかも知れないのです。
反対に、倒産しそうな企業も、明日、優秀な企業に変わるかもしれないのです。
そんな世界なのですから、何が起きても、そう、深刻になることはないのです。
大切なのは、真理を知ることです。
真理を知れば、何が本物で、何が偽物か、分かります。
そうしたら、この世のことで、悩み苦しむことがなくなるのです。
2023.07.11
私たちは日々成長している
学んでいる皆さんの中に、過去に、自我の思いでやったことを、悔やんでいる人がいるようですが、悔やまないでください!
自我の思いでやった、どんなことも、進化成長に繋がっているのですから・・・。
私たちは、時間の中にいるのですから、 時々刻々と成長しているのです。
ましてや、真理を学んでいる皆さんは、瞑想をしているわけですから、今の自我の思いは、昔より、格段の差で高度になっているはずです。
確かに、過去、幼い自我の思いによって、苦しい体験をしたかも知れません。
でも、その苦しい体験が、真理に顔を向けさせたのですから、それは、良かったのです。
過去のことを悔やんで、自分の宇宙を汚すことほど、大損なことはありません。
どうか、そんな愚かなことはしないでください。
私だって、幼い頃は、くだらない思いを持ち、くだらないことをしたのです。
でも、それが、今の自分に成長させたのですから、その過去は、良かったのです。
神は、完全です。その完全な神が、無駄なことをさせるわけがないのです。
あなたが過去に置いた黒石は、今、真理を学んでいることで、すべて、白石に変わったのです。
大切なのは、過去を悔やむことではなく、今をどう生きるかです。
※ 過去を悔やんでいる人たちは、苦しみを作っています。
また、未来を憂いている人たちも、苦しみを作っています。
今、真実に生きている人たちだけが、幸せを創っているのです。
ですから、今、真理に生きている人は、生き人です。
過去や未来に生きている人は、死に人です。
死に人にならないでください!・・・。
(2018年7月8日 今週の真言より)
人間は、不思議な生き物で、楽しみが無くては、生きてゆけないように出来ています。
私の若い頃を振り返って見ても、週末になると、楽しみを求めて、繁華街を、さ迷っていました。
よく、「良い週末を!」と言う人がいますが、これは、「週末を楽しんでください!」と言う意味なのでしょう。
多くの人が、週末になると、遊園地に行ったり、映画を見に行ったり、旅行に行ったりするのは、楽しみが欲しいからです。
では、神は、どうして、そのような、人間を創ったのでしょうか?
これは、進化成長に関係しているのです。
楽しむためには、想念と体を動かさねばなりませんが、この二つを動かせば、必ず、原子核が増えるのです。
苦しいことをするより、楽しいことをする方が、頭も、体も、動かしやすいですから、神は、楽しみながら、原子核を増やせるようにしたのです。
このような仕組みを創った神は、知恵者だと思います。
何せ! 楽しみながら、原子核が増やせるのですから・・・。
でも、私は、どんなに楽しんでも、心から楽しめませんでした。何故でしょうか?
2023.07.12
自我で生きたら良い!
よく、「自我丸出し!」とか、「自我人間だから仕方がないよ!」など、と、自我を悪く言う人がおりますが、これは、自我の意味を知らない人の言う言葉です。
自我は、決して、悪いものではありません。いやむしろ、必要不可欠なものです。
なぜなら、自我が無くては、自分の存在が無いからです。
自我とは・・・
自分を認め、相手を認めている意識の事です。
つまり・・
妻子の存在を認めている意識の事です。
地球の存在を認めている意識の事です。
宇宙の存在を認めている意識の事です。
相手が認められるのは、自我があるからです。
自分を認める自我があればこそ、自分の存在があり、相手の存在があるのです。
これは、当たり前のことであって、何の不思議もありません。
あなたは、今日まで、自我の思いに寄り添って生きてきました。
自我の思いに寄り添って生きてきたがゆえに、苦しかったことが、たくさん、あったのです。
でも、それが、真理に繋がったのですから、自我の思いに寄り添って生きてきたことは、良かったのです。
そうです!
私たちは、どうしても、自我の欲望のままに生きてしまうのです。
でも、これは、神が許している、必然の行為ですから、恥じることはないのです。
ですから、自我のままに生きたからと言って、自分を責めないでください。
良いのです。どうか、自我の思いに寄り添って生きてください。
ただし、次の2つのことだけは、やってください。
この二つのことをやっていれば、原子核が増えるので、自我の思いが、真我の思いに近づいてゆきます。
そうすれば、これまで以上に、原子核を増やせるでしょう。
神は、私たちに、出来ないことをしなさいとは言っていません。出来ることをしなさいと言っているのです。それが、自然な生き方だからです。
「人生の道」の曲を観て、今日まで歩んできた、自分の人生を振り返ってみてください。
きっと、「私の歩んできた人生は、間違い無かった!」と思えるでしょう!
(2017年7月16日 今週の真言より)
昨日の金言で述べている、神は、楽しみながら、原子核を増やせるようにしてくれているのに、なぜ、私は、心から楽しめなかったのか? と言うことについて、続きを述べたいと思います。
それは、現象の楽しみ(この世の幸せ)では、魂が満足しなかったからです。
魂は、心の幸せが欲しいのです。つまり、瞑想の幸せが欲しいのです。
私たちが、楽しみを求める本当の理由は、心の空白を埋めたいからなのです。
しかし、それは、同時に、原子核を増やすことにもなるわけですから、私たちが、楽しみを求めたがるのは、当然のことなのです 。
なぜ、人間は、楽しみを求めたがるのか?
そして、どうして、私は、心から楽しめなかったのか? 理由が分かったと思います。
外側の世界には、派手な楽しみが、たくさん、ありますので、どうしても、現象の楽しみを求めてしまいます。
でも、魂が熟成してくると、内側の楽しみを求めるようになるのです。
内側の楽しみとは、瞑想から得る、楽しみです。
幼い魂は、外側に楽しみを多く求め、それで、満足します。
でも、魂が熟してくると、外側の楽しみでは満足できなくなり、内側の楽しみを求めるようになるのです。
これは、自然に、そうなるのですから、真理をやってるからと言って、無理に楽しみを避けてはなりません。
今のあなたの原子核の量における、中庸の楽しみ方をしてください。
真実を求めている人へ捧げる曲「人生の道」
2023.07.13
何が幸せをくれるのか?
この世の物・お金・地位・名誉・権力が、幸せを与えてくれるのではありません。
また、誰かが、幸せを与えてくれるのでもありません。
また、この宇宙の何処かに、幸せの場所があるのでもありません。
ましてや、肉体が、幸せを与えてくれるのでもありません。
自分の想念が、幸せを与え、自分の心が、幸せを受け取るのです。
誰も想念を重要視しようとしませんが、想念ほど偉大なものはないのです。
それは、良い想念を持つか? 悪い想念を持つか? 次第なのです。
幸せになりたかったら、ぜひ、良い想念を持ってください!
(2015年11月15日 今週の真言より)
何が幸せを受け取るのか?
私たちが望んでいるものは、何でしょうか?
それは、幸せではないでしょうか?
その幸せを得るためには、形から、見える物から、現象から、離れなくてはなりません。
なぜなら、見えるもの、聞こえるもの、感じるもの、つまり、現象は、みな、幻だからです。
幻を得て、どうして、幸せになれるでしょうか?
しかし、私たちは、気の遠くなる年月、見える世界で生きてきたために、どうしても、現象に興味を持ち、どうしても、見えるものを追いかけてしまうのです。
この世のものを、追いかければ、追いかけるほど、幸せから遠のいてしまうのです。
なぜなら、外側の物が幸せを与えてくれると、誤解してしまうからです。
幸せを受け取るのは、何でしょうか?
外側の肉体でしょうか? 内側の心でしょうか? 内側の心です。
と言うことは、大切にすべきモノは、内側の心である、と言うことになります。
幸せは観えない!
世の人々は、お金や、宝石や、美術品などを、欲しがります。
なぜ、欲しがるのかと言いますと、得れば、幸せになれると思っているからです。
でも、どうでしょう? 本当に幸せになれるでしょうか?
世の中には、大金持ちが、たくさんおりますが、彼らは、本当に幸せでしょうか?
幸せかどうかは、外からでは分からないのです。
それは、前述したように、幸せは、心の状態だからです。
だから、私は言うのです。大切にすべきものは、お金や物ではなく、心であると・・・。
そうです!
心は、この世のものを、どんなに得ても、満足しないのです。
なぜなら、心は、真実が欲しいからです。
では、真実とは、何でしょうか?
それは、神です。本当の自分です。
心は、知っているのです。
幸せは、見える物の中にあるのではなく、観えないモノの中にあることを・・・。
幸せは、観えないのです。神は、観えないのです。本当の自分は、観えないのです。
心は、その観えないモノと接触した時に、幸せになるのです。
幸せは、見える物の中にあるのではなく、観えないモノの中にあることを、知ってください!
どんな物の中にも幸せがある!
見えないモノは、幸せの大元です。
なぜなら、見えないモノは、神だからです。神は、幸せそのものなのです。
その見えないモノは、見える物と一対になって存在しています。
と言うことは、見える物の中に、見えないモノが有る、と言うことです。
つまり、神がある、と言うことです。
言い換えれば、幸せがある、と言うことです。
私たちの肉体の中にも、この地球上に存在する、全ての物の中にも、神がおられるのです。
と言うことは、どんな物も、幸せを持っている、と言うことです。
なのに、私たちは、なぜ、幸せになれないのでしょうか?
それは、表を見て、奥を観ていないからです。
物の表面は、波動の低いのです。物の奥は、波動の高いのです。
ですから、表面を見ていては、幸せになれないのです。
幸せになりたかったら、物の奥を「観て」ください。
なぜ、「観て」と言う字を使ったかと言いますと、 心で観て欲しいからです。
つまり、理解力で観て欲しいからです。
どんな物も、神で創られているのですから、どんな物も、幸せを持っているのです。
ただ、その自覚がないから、幸せになれないだけです。
と言う自覚を高めてください! 高まった分、幸せになれます。
2023.07.14
意識は幸せがあればいい!
人が何を言おうが、自分が幸せだったら良いのです。
こう言うと、「エゴイストだ!」 と思うかも知れませんが、自分は全体であり、全体は自分ですから、自分が幸せだったら、それで、良いのです。
このことは、真理を深く知った人なら、解って頂けると思います。
私たちは、意識そのものなのです。
その意識は、宇宙に一つしかありません。
一つしか無い、と言うことは、私たちは、宇宙そのものである、と言うことです。
では、その意識は、何を欲しているのでしょうか?
物でしょうか?、お金でしょうか?、地位や名誉や権力でしょうか?
いいえ、幸せだけが欲しいのです。
私たちの心は、幸せになることを欲しているのです。
世の人々は、幸せが欲しくて、躍起になって、この世のものを追いかけていますが、そんなものが無くても、幸せになれるのです。
なぜなら、幸せは、肉体が感じるのではなく、意識が感じるからです。
意識は、間違いなく、実在しています。幸せも、間違いなく、実在しています。
でも、この世の物は、実在していません。
ですから、実在している意識は、実在している幸せを欲するのです。
その幸せは、誰かが与えてくれるのでも、何かが与えてくれるのでも、ありません。
自分が、自分に与えるのです。
では、どのようにして、自分に与えるのでしょうか?
それは、自分が、「意識そのものである!」と、心の底で思えた時、自動的に与えられるのです。
ですから、理解力を高めることが、どうしても、必要なのです。
どうか、自分が意識である、と言う、理解力を高めてください。
理解力が高まれば、高まった分、幸福感も、高まります。
その幸福感の高まりは、全宇宙に波及して行きます。
それは、前述したように、宇宙そのものが、自分だからです。
あなたは、何が欲しいのですか?
幸せだけが、欲しいのではありませんか?
その幸せは、外から得られますか? いいえ、決して、外からは得られません。
自分が、自分に与えるのです。自分を理解することによって・・・。
つまり、神を理解することによって・・・。
自分は、意識そのものなのです。神そのものなのです。
どうか、瞑想して、原子核を増やしてください。
原子数が増えれば、理解力が高まります。
理解力が高まった分、宇宙の謎が解ります。
解かった分、幸せになれるのです。
※ 肉体が、あなたではありません。意識が、あなたなのです。
肉体は、意識の乗り物なのです。・・この理解力です・・。
この理解が心の底でなされれば、幸せになれるのです。
意識は、いつか、必ず、肉体から離れるのです。
その意識が持って帰れるのは、原子核(魂)だけです。理解力だけです。
お金や、物や、地位や、権力は、持って帰れないのです。
(2017年2月5日 今週の真言より)
旧・光のメロディー「幸せ」
2023.07.15
私たちの 目の前には、たくさんの道が広がっております。
ですから、「あの道がいいのか?・・この道がいいのか ?・・」 と迷ってしまいます。
でも、その道を、私たちは、今日まで、決断して選んできたのです。
自我が決断したのでしょうか?、真我が決断したのでしょうか?
真我が決断したのです。
なぜなら、意識は、一つしかないからです。
この宇宙には、一本の意識の糸があるだけです。
糸の上の意識を使えば、真我の意識になり、
糸の下の意識を使えば、自我の意識になるのです。
多くの人たちは、下の意識を使って、苦しんでいるのです。
でも、それで、良いのです。苦しみが、魂を成長させるのですから・・・。
私たちは、苦しみを体験しながら、 少しずつ、意識の糸の上の方に、昇って、上ってゆくのです。
自我が決断した人生の行き先が、どうなるかは、真我は、すべて、知っているのです。
知って、その道を歩ませているのですから、自我が選んだ道は、真我が選んだことになるのです。
と言うことは、どんな、苦しい道も、良い道だと言うことです。
ですから、「とんでもない道を選んだ!」と、愚痴をこぼさないことです。
全能の真我(神)は、進化成長に必要なシナリオを書いてくれているのです。
でも、そのシナリオの中身は、自我は分からないのです。
分からないから、シナリオ通りの人生を、歩んで行くのです。
失敗も、成功も、苦しみも、喜びも、シナリオ通りです。
それが、進化成長の道に結びついているからです。
自我がやるべきことは、今、自分ができることを、精一杯やることです。
それが、シナリオ通り進んでいることになるのですから・・・。
宇宙は、法則によって、秩序立てられています。
法則を犯せば、痛み・苦しみが、やってくるのです。
痛み・苦しみが来るから、気が付くのです。
「自分は、法則を犯しているのではないか?」と・・・。
宇宙が、これまで、延々と存続して来れたのは、法則によって守られてきたからです。
それは、どんな 生き物の中にも、五感が備わっているからです。
五感が法則を守らすからです。
私たちにも、五感が備わっています。
この五感は、法則を犯さないための、安全灯のようなものなのです。
五感があるから、間違った道を修正できるのです。
だから、五感は、人生の道案内人です。
真我が書いたシナリオは、この法則と五感を、上手に利用しているのです。
どうか、法則を犯さないでください!
法則を犯さない限り、痛み・苦しみは、やってきません。
と言うより、法則が自分を守ってくれます。
ですから、自己防御する必要はありません。
どうか、法則を信じ、今、自分が出来ることを、精いっぱいやって生きてください!
それが、真我が書いたシナリオなのです。
2023.07.16
子供の手本になろう!
あなたは、子供の生活態度が悪いと怒りますが、あなたの生活態度は、どうでしょうか?
子供に尊敬されるような、生活態度をしていますか?
親の態度が悪くて、どうして、子供を怒ることができましょうか?
「いや、私は良い親です!」と、あなたは、言うかも知れません。
でも、あなたの心の中は、どうでしょうか? 良い思いを持っていますか?
どんなに、表面上で繕っても、思いは、繕えるものではないのです。
思ったことは、必ず、顔や態度に表れるのですから・・・。
子供は、常に、親の姿を追いかけているものです。
子供の頃の私がそうでした。私は、尊敬できる親の姿を見たかったのです。
家の恥を晒すようですが、私の父と母は、毎日のように、喧嘩していました。
それを見せられた、私の心は、どれほど、傷ついたことでしょうか?
子供が悪いのは、親のせいだと思ってください。
もし、今生、原因が見出だせなかったら、過去世の原因が、今、結果として現れていると思ってください。
「原因と結果の法則」は、絶対、間違いないのですから・・・。
※ 子供に文句を言っても、反発をかうだけです。
それよりも、子供の手本になることを、黙々とやることです。
子供は、親の背中を見て、育ってゆくのですから・・・。
どうか、子供の手本となるような、親になってください。
そうすれば、子供は、きっと、親を見習ってくれるでしょう。
(2018年3月4日 今週の真言より)
世間には 、子供を、自分の持ち物のように思っている、親がおりますが、とんでもありません。親と子は、対等です。
なぜなら、互いに学び合うために、親子の縁を結んだからです。
親は子を通して学び、子は親を通して学ぶのです。
ただし、親は、この世に、先に出てきましたから、この世の知識は、豊富です。
子供は、後に出てきましたから、この世の知識は、あまり持っていません。
ですから、魂に差があっても、子供の頃は、親の言うことを聞かなくてはなりません。
世間には、子供を、「情」のみで育てている、親がおりますが、私は、「愛情」で育てて欲しいと思うのです。
甘やかしの「情」で育てては、弱い人間にしてしまうからです。
かと言って、「愛」のみで育ててもいけません。
なぜなら、冷たい人間にしてしまうからです。
私は、「情」と「愛」を、プラスして、二で割った、「愛情」で育てて欲しいと思うのです。
ちなみに、「情」とは、人の情け心です。
見た目、美しいですが、これを使い過ぎると、進化を遅めるのです。
「愛」とは、 神の法則の心です。
これは、進化を早めます。
一見、良さそうに思いますが、法則ですから、一カケラの情もないのです。
これでは、あまりにも、冷た過ぎます。
だから、私は、「情」と「愛」を、プラスして、二で割った、「愛情」を使って欲しいと思うのです。
2023.07.17
避けて通れない道
学びの友の中で、このようなことを言う人がおりました。
「真理を知らない時は、そこそこ、楽しく生きられたけど、真理を知ってからは、楽しく生きられなくなった!」と・・・。
その気持ち、私にも、良く分かります。
私にも、そういう時代があったのですから・・・。
悩むほど苦しかったら、止めても良いのですよ! でも、止められますか?
ここまで、成熟した魂は、止めたら、かえって、苦しくなるはずです。
真理の道だけは、絶対、避けて通れないのです。
なぜなら、我が家に帰る道は、一本道しかないからです。
ならば、せっかく、道(真理)に出会ったのですから、前に進んだ方が、利口ではないでしょうか?
世の中には、ホンモノの道を探して、ウロウロしている魂が、沢山いるのです。
それに比べたら、ホンモノの道に出会った、あなたは、何と幸せなことでしょう?
それは、過去生において、布石を打っていたからです。
今生も、布石を打っておきましょう。
どんな魂も、いつか、必ず、自覚の境界線を超えねばならないのが、定めです。
避けて通れる道でないことを、知ってください。
※ 私は思うのです。
「肉体って、か弱いなあ!」
「肉体って、汚いなあ!」
だから、せめて、
心だけでも、強くなりたい! ・・、
心だけでも、美しくなりたい! と・・・。
(2018年11月4日 今週の真言より)
高度になる学び
変化が起きた時、疑問に思ってください。
どれほど、成長したか、神は、試しているのかも知れません。
また、こうも、考えてください。
新たな変化は、「真剣に真理を求めていますか?」と言う、問いかけかも知れません。
ここまで成長した、皆さんは、もう、片手間で真理を求める時代は、終わったのです。
神は、「真剣に求めなさい !」と言っているのかも知れません。
とは言っても、魂の計画は、みな、それぞれ、違うのですから、全員に当てはまるとは、限りません。
でも、神我の自分に聞けば、どんな意味のある変化か、分かると思います。
「この度の変化は、どんな意味があるのか? 今の求め方でいいのか?」、一度、神我に問うてみてください。
私たちは、日々、惰性で過ごすことが多いため、現状で満足してしまうのです。
だから、神は、マンネリを打破させるために、刺激を与えるのです。
変化の刺激は、自分を見つめ直す、良い機会なのです。
魂が成長すると、学びの内容が、高度になることを、知ってください!
※ 喜びの強さも、悲しみの強さも、感動の強さも、魂の熟成度に比例するように変わってきます。
魂が、さらに、成熟すれば、今の喜びも、悲しみも、感動も、まだまだ、高度なものになるでしょう。
これは、誇って良いことです。
このような仕組を創られた神に、感謝しましょう!
(2019年4月7日 今週の真言より)
私が、一番感心するのは、 この表現宇宙が、単純に創られている点です。
単純に作られている理由は、この表現宇宙に存在する、どんなものも、たった一つのモノで創られているからです。
ならば、私たちは、神ではないでしょうか?
そうです・・私たちは、神なのです。
でも、殆んどの人たちは、自分が神だとは、思っていないのです。
いいえ、思えないのです。
それは、まだ、原子核の量が、少ないからです。
原子核を大きくするためには 、二つのことを、やることです。
一つは、社会体験・・ もう一つは、瞑想をすることです。
このことは、今まで、何度も言ってきたことですが、これからも、何度も言います。
なぜなら、繰り返すことが、必要だからです。
神の自覚を得ることほど、難しいことはありません。
よく、「この自覚の深まりは、絶対忘れない!」と言う人がいますが、どうでしょう? その自覚の深まりは、いつまで、保たれますでしょうか ??
自覚と言うものは、寄せては返す波のように、深まったり、弱まったり、するのです。
ですから、一喜一憂してはなりません。やり続けることです。
根気よく、やり続ければ、必ず、根付きます。
どうか、
瞑想してください!
瞑想してください!
瞑想してください!
2023.07.18
何を求めるべきか?
今、現実と真実の間で、苦しんでいる人がおります。
つまり、真実を得たいが、この世のことも捨てきれない!、と言う人が・・・。
このような人は、良く考えて欲しいと思います。
一体、自分は、何のために、生まれてきたのか? と・・・。
この世の、何を知っても、何を掴んでも、何を得ても、みな、消えて無くなる、幻なのです。
でも、真実は、永遠に無くならない、ホンモノなのです。
消えて無くなる物を追い求めるのか、永遠に無くならないモノを追い求めるのかは、賢い、あなたなら、分かるはずです。
さあ、人生の目的は、何なのか? 思い出してください。
(2015年4月12日 今週の真言より)
自分のための人生である
この宇宙は、一つです。一つは全体であり、全体は一つなのです。
その一つが、自分なのです。
だから、誰のための人生でもありません。すべて、自分のための人生です。
ですから、他人の成長を考える必要はないのです。自分だけ成長したら良いのです。
自分が成長したら、すべてのものが成長するからです。
今、起きている出来事は、自分の成長のために起きているのです。
だから、私は言うのです。
苦しいからと言って、人のせいにしては、なりませんよ! と ・・・。
すべて、自分が連れてきたのです。それは、自分が成長したいからです。
自分に、どんな欠点があり、どんな課題を克服しなければならないかは、自分が良く知っているのです。
だから、自分の成長に必要な、人を、物を、環境を、自分が用意して、連れてくるのです。
この宇宙は、自分の成長のために、自分が用意した、学びの舞台なのです。
自分が用意した舞台ですから、その舞台に登場する、人も、物も、環境も、全部、自分が用意したのです。
人のための人生ではなく、すべて、自分のための人生であることを、知ってください。
※ 私たちは、間違いなく、日々刻々と成長しております。
さあ! 眠る前に、こう思ってください。
「私は、今日も成長した! 私は、今日も成長した! 私は、今日も成長した!」と・・・。
翌朝、起きたら、こう思ってください。
「私は、今日も成長する! 私は、今日も成長する! 私は、今日も成長する!」と・・・。
思ったことは、必ず、実現します。
それは、時間の中に居るからです。
時間の中に居る限り、私たちは、間違いなく、成長するのです。
(2016年10月9日 今週の真言より)
イエス様は言われました。「与えよ、さらば、与えられん!」と・・・ 。
私たちは、
お尻を綺麗にするより、顔の方を綺麗にしようとします。
トイレを綺麗にするより、台所の方を綺麗にしようとします。
裏玄関を綺麗にするより、表玄関の方を綺麗にしようとします。
これでは、エネルギーの循環が止まるので、不衛生になってしまうのです。
「出入」と言う言葉はあっても、「入出」と言う言葉はありません。
「出発」と言う言葉はあっても、 「発出」と言う言葉はありません。
日本の言葉は、実に、真理を現わしています。
この言葉は、「先に、凹を作らなくては、凸が入って来ませんよ!」と言うことを、教えているのです。
つまり、「先に、エネルギーを出さなくては、エネルギーが入ってきませんよ!」と言うことを、教えているのです。
どうか、先に、出してください。 必ず、与えられます。
2023.07.19
原子核が増えた証し
神は、見えません。
でも、見えない神が信じられてこそ、はじめて、真の信仰者と言えるのです。
病に犯されていた娘が、こんなことを、言っていました。
「病気を治してくれたら、神様を信じます。」と・・・。
これでは、真の信仰者とは言えないのです。
とは言え、やはり、何か目に見える形で、信じたいのが、人間でしょう。
毎日、瞑想していても、何の変化も起きないようでは、「本当に、原子核が増えているのか?」と、疑いたくなるのも、無理ないからです。
悲しいことですが、私たちは、目に見える変化がなくては、なかなか、信じられないのです。
でも、日々、社会体験をし、瞑想をし、思索をしていれば、間違いなく、原子核は、増えているのです。
このように、真理を実践している人は、目に見える形で変化が起きるのです。
もし、「最近、あなた変ったね!」と、人に言われたら、原子核が増えた証しですから、喜んでください!
どうか、何の変化が起きなくても、瞑想を続けてください!
あなたは、間違いなく、自覚の境界線に近づくべく、布石を打っているのですから・・・。
(2016年6月5日 今週の真言より)
真に賢い者とは?
この宇宙は、無限ゆえに、無限に知るべきことがあるのです。
その無限の、ほんの一部を知って、得意になっている人は、何も知らない人です。
覚者が謙虚なのは、永遠に知ることのできない、宇宙の無限性を知ったからです。
どうか、増長しないでください!
あなたが、知ったことなんか、ゴミにも当たらないものなのですから・・・。
(2016年7月24日 今週の真言より)
旧・光のメロディー 「賢い者」
2023.07.20
業とは想い癖(クセ!)のこと!
皆さんは、人間ではありません。肉体ではありません。
肉体の中で、生きて、働いている、生命(意識)です。
その生命(意識)が、肉体が「自分だ!」と思い違いし、想いグセを付けてしまったのです。
この想いグセのことを、「業」と言っているのです。
私たちは、何万転生も、人間をやっているうちに、「自分は人間だ!」と、誤解してしまったのです。
同じコマーシャルを、何度も見ていると、コマーシャル漬けになるように、何度も人間になっていると、「人間だ!」と、想いグセをつけてしまうのです。
一旦、想いグセがつくと、なかなか、取ることが出来ないのです。
想いグセを取るためには、何度も、何度も、反対の想いを持つしかありません。
反対の想いとは、「生命」の自分のことです。「神」の自分のことです。(マントラのことです。)
私たちは、人間と想い続けることで、人間になってしまったのですから、「生命である! 神である!」と、想い続ければ、元に戻れるのです。
※ 瞑想は、想いグセを取る、一番の方法です。
ただ、生命(皆さんのマントラ)を、想い続けるだけです。
さあ、瞑想して、人間グセを取ってください。
※ 神様は、私たちに、偉大な想念を与えてくださいました。
この想念を、どう使うかで、幸せにも、不幸せにも、なるのです。
何も、難しいことはありません。
ただ、どのような想念を持って生きるかだけです。
それは、自分の自由意志で出来るのです。
※ 何処かに、地獄や天国が、あるのではありません。
想念を悪く使えば、地獄になり、想念を良く使えば、天国になるだけです。
何処かに、不幸せの国や、幸せの国が、あるのではありません。
想念を良く使えば、幸せになり、想念を悪く使えば、不幸せになるだけです。
※ 学びの友の中に、悪想念を無くそうと、苦労している人がいるようですが、意識して、無くそうと思わなくても良いのです。
原子核が増えれば、自然と、悪想念が持てなくなるのですから・・・。
それは、神の性質に、近づいたからです。
(2018年10月7日 今週の真言より)
幻を掴まないこと!
想念したものは、どんな想念であっても、宇宙空間に、青写真として残ります。
その青写真は、いつか、必ず、想念した人の所に帰ってきます。
例えば、
ネガティブな想念を放てば、苦しいことが・・ 、
ポジティブな想念を放てば、楽しいことが・・。
病気も、事件も、事故も、悪想念の結果です。
でも、その苦しい結果は、悪想念が消えてゆく姿ですから、気にしないことです。
不幸と言うものは、元来、この宇宙には、無いのです。
人類の迷いの想念が、一時、生み出した、幻の不幸にしか過ぎないのです。
一時の幻ですから、放っておいたら、必ず、消えてゆくのです。
本当に有ると思って、手放さないから、いつまでも、あるのです。
不幸は、悪い在庫品が掃けてゆく姿ですから、放っておくことです。
今、あなたが、すべきことは、悪想念を持たないようにすることです。
悪想念を持たなければ、悪い在庫品を増やさないので、悪い在庫品は無くなってゆくのです。
どうか、悪想念を持たないようにしてください。
悪想念を持たないためには、瞑想をすることです。
瞑想すること・・、それが、幸せになる秘訣です。
※ 肉体のことは、生命力(真我)に任せ、あなたは、瞑想をしましょう。
そうすれば、生命力が、肉体を健康にしてくれます。
肉体のことをクヨクヨ考え、心配するから、病気になるのです。
※ 雑念に悩まされている人は、雑念が湧きそうになったら、「想わない! 想わない! 想わない!」と、思ってください。
肉体の現象(痛み・痒み・痺れ・クシャミ・咳・辛さ・シンドさ・胸悪さ・息苦しさ・など)に、悩まされている人は、そのような現象が生まれそうになったら、「想わない! 想わない! 想わない!」と、思ってください。
雑念も、現象も、消えてゆくはずです。
雑念や現象が消えたら、自分のマントラ(光・神・生命)を想い続けてください。瞑想してください。
※ 私たちが纏っている肉体は、確かに、汚く、か弱く、不自由かも知れません。
でも、その肉体がなくては、何も学べないのです。
だから、肉体は、大切です。
人生の目的は、その肉体を使って、何を学び、何を残すかです。
(2019年5月26日 今週の真言より)
2023.07.21
誰も苦しみなど与えていない!
誰も苦しみなど与えていません。
自分のネガティブな想念が、自分を苦しめているだけです。
よく、
このような人は、決して、幸せにはなれません。
「不幸せだ!」と言う人の想念を見てください!
全員が全員、悪想念を放っております。
神が創られた宇宙に、不幸せなどないのです。
不幸せにしているのは、人類の想念です。
病気は勿論、事故も、事件も、自然災害も、すべて、人類の悪想念によって、引き起こされているのです。
それほど、私たちの想念は、すごい力を持っている、と言うことです。
それは、そうでしょう! 私たちは、神の分身なのですから・・・。
幸せになりたかったら、想念を良く使ってください。
一番良いのは、神を想うことです。
神を想えば、原子核が増えます。悪い業を作りません。家庭に、社会に、地球に、宇宙に、貢献できます。
それは、ただ、神を想えば良いだけです。
「社会を変えたい! 世界を変えたい!」と、デモって歩く必要はありません。家にいて出来るのです。
※ 本来、この宇宙に、「これが善だ! これが悪だ!」と言った、決まりきった善悪など無いのです。
なぜなら、善悪は、条件次第(場所・時代・人・環境など)で、変わるからです。
でも、それを知るには、体験が必要なのです。
なぜなら、体験なしに、善悪の真の意味を知ることができないからです。
このように、善悪の体験は、魂を成長させてくれると同時に、本質的な善悪のないことを教えてくれるのです。
※ 無意識に悪想念を持つのは、止めようもありません。
でも、できるだけ、少なくしましょう!
そのためには、手の甲にでも、赤印を付けておいてください。
そうすれば、悪想念を持った時、気づくでしょう!
気づいたら、即、神に思いを向けてください! つまり、神を想ってください。
(2018年12月9日 今週の真言より)
私の独り言パート7
「人生は、想念次第である!」と、気付いた人は、何と幸せなのでしょうか!
なぜなら、外側の出来事に、怯えることがなくなるからです。
もう、何の心配も、恐怖も、ありません。
なによりも、自分の自由意志で、原子核が増やせます。
こんな、幸せなことが、ありましょうか?
「神様!こんな、素敵な想念を与えてくれて、ありがとう!・・・」
※ 自分の想念だけが実在です。
それは、自分しか存在しないからです。
自分の想念が消えたら、すべてが消えてしまうのです。
と言うことは、宇宙は、絶対になくならないわけですから、自分の意識も、絶対になくならない、と言うことです。
この意味の深さを、知ってください!
※ 今だけが実在です。その今を使えるのは、自分の想念だけです。
今の自分の想念だけが、時間をなぞることができ、魂を大きくすることが出来るのです。
そんな、素晴らしい想念を、私たちは、持っているのです。
(2018年12月23日 今週の真言より)
2023.07.22
○は万能!!
○が万能なのは、神と同じすべての要素が備わっているからです。
○は・・・
○は・・・
水が方円の器に添うように、空気圧が均衡を保つように、
隙間が生まれても、いつの間にか、埋まっているのが、○なのです。
収まりのつくのが、○なのです。
○は・・・
○は・・・
完全な○には、一つの欠陥もないのです。一つの無駄もないのです。一つの不都合もないのです。
ですから、○の世界に、不幸はありません。何が起きても、良いことです。
だから、○は肯定です。
○は・・・
○は・・・
それは、永遠に無くならないからです。
○は・・・
それは、循環しているからです。
循環しているから、無限のエネルギー(光)を生むのです。
○は・・・
摩擦がないから、熱が生まれません。だから、争いがないのです。
○は・・・
偏りがないから、苦しみが生まれません。痛みが生まれません。不幸が生まれません。
○は・・・
だから、平和なのです。
○は・・・
どんな○も、真(誠・実)の○なのです。
○は・・・
○を思うと、気持ちが良くなるのは、○には、歪みがないからです。
歪んでいるのは、悪です。不正義です。
だから、悪を見ると、気持ちが悪くなるのです。
○は・・・
○ほど、美しい形はありません。それは、歪みが無いからです。
美は、総合されたものです。美は、すべてを受け入れた状態なのです。
○は、すべてを受け入れた状態なのです。
すなわち、○は、あらゆる歪みを消化し、統合した姿なのです。
○は・・・
○は、無くしようのないものです。崩しようのないものです。
ですから、○に、逆らうことはできません。
逆らえば、苦しみが、やってくるだけです。
○は・・・
○は、永遠に生き通す命なのです。
○は・・・
○には、中心核(中芯核)があります。神にも、中心核があります。
中心核がある限り、永遠に存在し続けます。
中心核が、光(エネルギー)を補給するからです。
○は・・・
この宇宙には、○のみがあるのです。
私たちの住んでいる、相対宇宙にも、○はありますが、その○は、多面の○です。
しかし、絶対宇宙の○は、一面の○なのです。
これが、表現宇宙の○と、絶対宇宙の○の、大きな相違点です。
でも、多面の○だからこそ、表現宇宙に、無数の表現物が生まれてくるのです。
絶対宇宙に表現物がないのは、一面の○しかないからです。
しかし、一面の○だからこそ、万能なのです。
このように、○は万能なのです。万能ゆえに、○は神なのです。
※ 表現物の中で、一番調和の取れているのが、○と言う形です。
一番波動の良い形が、○なのです。
だから、○を思うだけで、○を語るだけで、○を見るだけで、幸せな気分になるのです。
その証に、○を描いてみてください。気持ちが良くなります。
手で空中に○を描いても、思いで描いても、結構です。
それも、できるだけ、ゆっくり、描いてください。
心が和むはずです。心が穏やかになるはずです。心が落ち着くはずです。
(2017年8月27日 今週の真言より)
2023.07.23
心配してはならない!
「私は、若い時、こんな、悪いことを思っていた! だから、今までも、悪いことが起き、これからも、起きるのではないか?」と、心配する人がおりますが、あまり、深刻に考えないでください。
なぜなら、今まで起きていた悪いことは、業の消えていっている姿だからです。
もし、悪いことが起きたら、「ああ、今、業が消えていっている! 消えていっている! 良いことだ!」と、思ってください。
心配して、業の上塗りをするから、また、悪いことが起きるのです。
さあ、今の今を、ポジティブな思いで生きてください。
それは、難しいことではありません。ただ、神を想ったら良いだけです。
想念は、実現の母です。あなたは、これまで、悪いことを思っていたから、悪いことがやって来たのです。
その悪い思いを、良い思いに変えたら、もう、悪いことは、やってこないのです。
良い思いの一番は、神を想うことです。
心配しても、何の益にもなりません。心配する時間があるのなら、神を想ってください。
その時間は、建設的な時間になります。すなわち、原子核を増やす時間になります。
どうか、心配しないでください。
あなたの宇宙を、良くするも、悪くするも、あなたの思い一つなのですから・・・。
※ 人類が、苦しんでいるのは、法則を正しく使っていないからです。
この宇宙には、「原因と結果の法則」と言う、素晴らしい法則があるのです。
その法則を、人類は、無視しているのです。
良い思いを持てば、良い原因を創っているのですから、良い結果が来るのです。
こんな、素晴らしい法則の下に生かされているのに、人類は、その法則を悪用し、苦しんでいるのです。
※「私は、心配性だ! 私は、人を愛せない! 私は、ダメな人間だ!」なんて、自分を責めないでください。
あなただけじゃない! 全人類が、そうなのですから・・・。
自分の欠点を無くす、必要はありません。
くよくよ思う時間があるなら、原子核を増やしてください!
原子核を増やせば、自然と、自分の欠点は、無くなるのですから・・・。
(2017年6月25日 今週の真言より)
死ぬも、生きるも、真我に任せたら良いのです。
死ぬ時は、死ぬのです。生きる時は、生きるのです。
それは、決まっているのですから、心配するだけ損です。
だからと言って、努力を怠ってはなりません。この話は、努力をしての話です。
くれぐれも、誤解のないように・・・。
私たちが、すべきことは、今、できることを、精いっぱい、やることです。
そうしたら、計画通り、目的を達成することができます。
2023.07.24
真に生きている時とは?
この宇宙に、生きモノは、たった一つしか存在しません。
もし、生きモノが、二つも三つも存在するなら、宇宙は、有限になってしまうからです。
生きモノが、一つしか存在しない理由は、無限宇宙そのものが、一匹の生きモノだからです。
私たちは、今、その無限宇宙の中に存在し、私たちの中に、今、その無限宇宙が存在しているのです。
と言うことは、私たちは、同じ一匹の生きモノ(一匹の無限宇宙)である、と言うことです。
今、私たちは、間違いなく、生きています。
これは、誰も、否定できないでしょう。
何せ、私たちは、今、実際に、存在しているのですから・・・。
今、実際に、生きているのですから・・・。
存在していられるのは、生きているからです。
また、生きているから、存在していられるのです。
私が・・「私たちは、宇宙そのものですよ! 神そのものですよ!」と言うのは、今、私たちは、存在しているからです。今、生きているからです。
今、存在しているのは、今、生きているのは、宇宙しかないのです。神しかないのです。私たちしかないのです。
ただし、真に生きていると言えるのは、想念を持つようになった以降です。
つまり、自我を持つようになった以降です。
自我を持たない、鉱物や、植物や、動物は、生きているとは言えないのです。
それは、宇宙を、神を、自分を、認識できないからです。
私たちは、宇宙を、神を、自分を、認識できるのです。
※ 生きている時とは?
神を意識している時です。
実際に有るモノを意識している時です。
※ 生きていない時とは?
人間を意識している時です。
実際に無い(この世の)モノを意識している時です。
本当に有るものを意識している時は、生きており、
本当に無いものを意識している時は、死んでいるのです。
どうか、死人にならないでください。
※ 人間の尊厳は、自分を認識できる、宇宙を認識できる、「神っているのかな?」 と思える想念を持った時に生まれたのです。
(2018年2月11日 今週の真言より)
2023.07.25
自分の想念が創るから有る
自分の想念が創らないものは、無いのです。
自分の想念が創るから、自分に返ってきて、有るようになるのです。
このことは、理解できないかも知れませんし、また、信じられないかも知れません。
でも、これは、間違いのない、真理なのです。
良く、自分の苦しみを、人のせいにする人がいますが、人から与えられた苦しみなど、ありません。 みな、自分の想念が創った、苦しみです。
ですから、すべて、自己責任です。
自分は原因者であり、他人は結果体です。
結果体が、どうして、原因者に、苦しみを与えることができるでしょうか?
もし、できるなら、先に結果があることになり、この宇宙は、無茶苦茶になってしまいます。
そんな宇宙を創るなら、神は、全能でも、完全でも、なくなってしまいます。
原因が結果を生むのです。つまり、想念が現象を生むのです。
ですから、常に、良い想念を持たなければならないのです。
繰り返します。
「自分の想念が創るから有る」のです。
それは、あなたの内宇宙の出来ごとであると同時に、外宇宙の出来ごとでもあるのです。
なぜなら、内宇宙が動き、外宇宙が創られるからです。
つまり、想念が動き、外宇宙が創られるからです。
それほど、あなたの想念力は、凄い、と言うことです。
あなたが、良い想念を使っている時は、白い息を吐いているのです。
悪い想念を使っている時は、黒い息を吐いているのです。
内宇宙を愛しいと思うなら、外宇宙を愛しいと思うなら、そして、地球を愛しいと思うなら、ぜひ、良い想念を使ってください。
※ 本来、外宇宙は、ありません。
客観的見方をしている人にだけある宇宙です。
誤解なきように・・・。
(2016年4月3日 今週の真言より)
人は、本来、誰でも、幸せに生きられるようになっている!
人は、本来、誰でも、幸せに生きられるように創られているのです。
想念さえ、正しく使えば・・・。
神は、私たちに、「想念」と言う、素晴らしい宝物を与えてくれました。
この想念を、正しく使えば、誰でも、幸せになれるのです。
でも、今の地球人類は、そのことを、知らないのです。
「無知こそ最大の罪」と言われるのは、知らなければ、正しく使うことができないからです。
想念は、誰でも、何時でも、自由に使えるのです。
何処に行く必要もありません。誰にも邪魔されません。
国の違い・人種の違い・大人子供・男女・貧富の差、一切、関係ありません。
ただ、どう、使うかだけです。
「想念を正しく使いましょう!」
「想念を正しく使いましょう!」
「想念を正しく使いましょう!」
これは、何度言っても、言い過ぎることはありません。
なぜなら、私たちは、すぐに、サタンに、やられてしまうからです。
サタンに、やられると、良い想念が持てなくなるのです。
さあ、良い想念を持ちましょう!
良い想念を持てば、私たちに、苦しみは、無いのです。
良い想念の一番は、神の想いです。
「吾神なり!」
「吾神なり!」
「吾神なり!」
これ以上の良い想念はありません。
※ 地球人類は、みな、自殺している。
今日、日本国内だけでも、3万人近い、自殺者を出していますが、本当は、死人全員が、自殺しているのです。
なぜなら、想念を悪用し、死を招いているからです。
病気の死も、事件や事故の死も、戦争の死も、自然災害の死も、みな、悪想念によって招いているのです。
だから、私は、地球人類は、みな、自殺していると言うのです。
(2016年12月11日 今週の真言より)
2023.07.26
理解力が創っている宇宙(人生)
この表現宇宙に、元々、宇宙があったのではないのです。
人類の理解力が生み出した、宇宙があったのです。
もし、この表現宇宙に、元々、宇宙があったなら、結果が先にあったことになり、宇宙は、無茶苦茶になってしまいます。
創られたから、宇宙があったのではなく、創ったから、宇宙があったのです。
この表現宇宙には、人類の理解力に比例して、高度になって行く宇宙があるだけです。
人類の理解力は、時々刻々と進化成長して行くわけですから、表現宇宙も、時々刻々と進化成長して行くのです。
人類の理解力の成長に、限りがありませんから、表現宇宙も、限りなく、進化成長して行けるわけです。
この地球に、元々、醜いものや、美しいものが、あったわけではないのです。
人類の理解力が、醜いものや、美しいものを、作っただけです。
確かに、今の地球人類は、美しいものより、醜いものを作っています。
でも、どんなに、醜いものを作ろうと、それは、間違いではないのです。
何故なら、進化の途中には、醜いものを作ることも、必要だからです。
地球人類は、今の理解力によって、精いっぱいのものを作っているだけです。
この地球に、間違いも、失敗も、悪も、ありません。
理解力の乏しい、幼い魂が、 間違いや、失敗や、悪を、作っているだけです。
それは、間違いでも、失敗でも、悪でも、ないのです。
魂が成長して行けば、自然と、美しい地球を創るようになるのですから・・・。
どんな、優秀な画家も、未熟な時代には、醜い絵を描くものです。
でも、勉強して、技を身につければ、美しい絵を描くようになるのです。
地球人類も、同じです。
地球人類が描いている途中の絵を見て、間違いだ!、失敗だ!、悪だ!と、言わないでください。
なぜ、このようなことを、クドクド言うのかと言いますと、元々、何かがあったのではなく、人類の理解力が、何かを創っていることを、知って欲しいからです。
※ 人生も、同じです。
元々、苦しい人生が、あったわけではないのです。
理解力の幼さが、苦しいことに想念を使い、苦しい人生を作っただけです。
学んで、理解力を高めれば、良い人生を作るようになるのです。
※ 良い宇宙を創るのも、良い人生を作るのも、すべて、私たちの理解力です。
※ 宇宙が無限なのは、人類の理解力が無限だからです。
(2018年8月19日 今週の真言より)
相手を変える必要はないのです。
自分が成長したら、自分の成長に比例して、相手が変わるからです。
私たちが、やるべきことは、社会体験と瞑想をして、自分の原子核を増やすことです。
原子核が増えれば、神の性質に近づいて行くのですから、自分が変わるのです。
心温まるお話「言葉が宇宙を変えた!!」
2023.07.27
知る!
「知る」には、二通りの「知る」があります。
頭で知った「知る」は、知恵になっていませんから、原子核があまり増えません。
でも、体験して、知恵に変えた「知る」は、原子核を増やすのです。
「体験」と言う字の意味を考えてみましょう。
この字の意味は、「体」で「経験する」と言う意味です。
体を動かし、経験すれば、知恵に変わるので、より、原子核を増やすことが出来るのです。
年寄りが知恵者だと言われるのは、身体で、たくさん体験し、知恵に変えたからです。
若者は、体験が少ないので、知恵者になっていないのです。
今、多くの人が、人生の荒波に揉まれ苦しんでいますが、それは、知識を知恵に変えている姿なのです。
※ 「一度、知ったことは、二度と知ることができません!」
なぜなら、知れば、原子核が増え、理解力が高まるため、同じような知り方が出来なくなるからです。
このことの例えは、
知る前のあなたの背丈と、知った後のあなたの背丈は、違うため、二度と同じ景色が見られなくなる!と言うことで、解ってもらえると思います。
その時の背丈で知ったことは、その背丈限りの知ったことなのです。
※ 知ることは、とても大切です。
なぜなら、知れば、過ちを犯さなくなるからです。
でも、知っても、過ちを犯す幼い魂がおります。
それは、知ったことを、疑っているからです。
その者は、過ちを犯して、痛い目にあって、疑いを晴らすしかないのです。
殆んどの人が、そう言うことをしているのです。
私も同じことをして、ここまで、成長してきたのです。
ですから、過ちを犯すことは、悪いことではないのです。
人に諭され、過ちを犯さなくなる人などいない、と言うことです。
失敗は、成功の基です。
失敗した者ほど、多く、原子核を増やすことができるのです。
(2019年11月10日 今週の真言より)
自己満足で良い!
需要と供給は、常に、一致していなければなりません。
でも、それを主導するのは、需要者の方です。
なぜなら、この宇宙には、需要者しか存在しないからです。
よく、考えてみてください。
供給は、需要が決めるのです。需要者側が望んで、供給されるのです。
それは、需要者が、供給物を創るからです。
つまり、認識者(需要)が、認識されるもの(供給)を創るからです。
何でも受け取る側が、主体者なのです。
ですから、受け取り方次第で、価値が変わるのです。
例えば、郵便物が配達されても、受け取る人がいなかったら、その郵便物は、無かったことになります。
たとえ、受け取っても、受け取る人が満足しない郵便物は、すぐに、ゴミ箱ゆきになってしまいます。
受け取る人が満足して、はじめて、その郵便物に、価値が生まれるのです。
満足しなかったらと言う意味は、その郵便物が、何なのか理解出来なかったら?と言う意味です。
何でもそうですが 、理解されないモノは、無価値になってしまうのです。
だから、私は、「受け取り側が作るのですよ!」と言うのです。
郵便物を、良くするも、悪くするも、つまり、活かすも、殺すも、受け取り側 次第だと言うことです。
私が、「何でも良く受け取りなさい!」と言うのは、良く(理解して)受け取らなければ、悪い郵便物になってしまうからです。
つまり、受け取る側に理解力がなければ、その郵便物は、意味のない郵便物になってしまうからです。
ですから、需要者側の能力(理解力)、あるいは、対応力が、とても、大切になってくるのです。
今の社会は、供給者の方が主導権を握り、需要者側が踊らされている、不思議な社会なのです。
だから、畑で作物を腐らすようなことが起きるのです。
この宇宙には、主観者しかいないのです。
主観者しかいないのですから、配達される郵便物の中身は、主観者の都合の良いモノばかりのはずです。
でも、自我は、そのことが解りませんので、折角、価値のある郵便物を、無価値にしてしまうのです。
つまり、成長のために与えられた郵便物(痛み、苦しみ)を、無駄にしてしまうのです。
無駄にするならまだしも、悪く受け取り、悪業さえ作ってしまうのです。
何と、悲しいことでしょう!
主観者(需要者・認識者)しか存在しないのですから、人を満足させようと考えなくても良いのです。
自分が成長すれば良いのですから、自己満足で良いのです。(いない人を成長させようとするのは、矛盾である。)
私は、自分の成長のために、勉強会で、お話ししているのです。
また、光のメロディーも、自分が満足したくて作っているのです。
作ってくれている人は、私だからです。
※ どんなことにも「意味」があるのは、そのことの中に、神の思いの意味が込められているからです。
神の思いの意味とは・・
神は、私たちに、進化成長してもらいたいのですから、そのことの中に、進化してもらいたい神の思いが込められている、と言うことです。
意味の「意」とは、神が望んでいること・・ 「味」とは、望んでいる味のこと・・ つまり、具体性のことです。
(2019年11月17日 今週の真言より)
2023.07.28
魂の熟成度の差
学びの友の皆さんは、「人間は、魂であり、生命であり、意識であり、神である!」と言っても、信じてくれます。
また、「地球は、意識と意思を持った生き物である!」と言っても、信じてくれます。
でも、「鳥たちが、鳥向けの言葉と、人間向けの言葉の、使い分けをしている」と言ったら、信じてくれるでしょうか?
一般の人に言ったら、冷たく、あしらわれてしまうでしょうが、あなた達なら、少しは戸惑っても、信じてくれるでしょう。
なぜなら、皆さんは、神が、鳥たちを差配していることを、知っているからです。
でも、一般人は、そんなこと、信じませんから、聞く耳を持たないのです。
これは、魂の熟成度の差ですから、彼らを蔑んではいけません。
彼らも人生体験を積んでゆけば、いずれ、信じるようになるのですから・・・。
幼い魂は、波動の高い話は、理解できないのです。
でも、それだから、生きていられるのです。
もし、彼らが、一瞬でも、下から上が見えたら、恐らく、惨めさのあまり、生きていられないでしょう。
彼らが、曲がりなりにも、生きていられるのは、下から上が見えないからです。
※ 魂の上の者は、下の者の愚かさが見えても、指摘するようなことはしません。
指摘しても、彼らには、解ってもらえないからです。
だから、彼らと、私たちは、共存してゆけるのです。
私が、このようなことを、平気で書けるのは、読んでも、彼らには、理解できないからです。
「知らないことの有り難さ!・・・ 知らないことの罪深さ!・・・」、
学びの友の皆さんは、このことを、知っておいてください。
※「知らぬが仏」と言う諺がありますが、正に、知らぬことは、有り難いことです。
でも、恐ろしいことでもあるのです。
なぜなら、 知らぬがゆえに、やってはならないことを、平気で、やってしまうからです。
(2019年3月31日 今週の真言より)
理解力の大切さ!
真の求道者とは、人生を賭して「本当の自分に目覚めたい!」と思っている人のことです。
そのような人は、外側のものを頼ろうとせず、自分の理解力を頼りにします。
真理の扉は、理解力でのみ、開かれるのです。
理解力が高まれば、判断力が深まるため、視野が広がります。
視野が広がれば、色々な気付きが生まれます。
その気付きが、自分を目覚めさせるのです。
気づきは、ヒラメキです。
この、ヒラメキは、真我の自分の中から、生まれてくるのです。
つまり、天から、降りてくるのです。
どうか、理解力を高め、内側から、真理を得てください。
その理解力を高めるのは、自力による、社会体験と瞑想です。
※ 外から教わるのは、外側の幻です。
内から教わるのは、内側の真実(真理)です。
でも、外側の幻が、内側の真実を発見させるのですから、外側の幻は、とても、大切なのです。
私が、「この世の幻を軽んじてはならない!」と言うのは、そのためです。
どうか、社会体験(外側の幻)を、真心を込めて、やってください!
同様に、瞑想(内側の真実)も、真心を込めて、やってください!
真実の扉を開くのは、この二つの実践です。
※ 気付きやヒラメキは、原子核が、増えれば、増えるほど、多くなります。
それは、努力に対する、神様からの、ご褒美だと思ったらいいでしょう。
努力は、自力です。原子核を増やすのは、自力でしかできないのです。
どうか、自力で、原子核を増やしてください。
(2019年7月7日 今週の真言より)
2023.07.29
光は神なりき!
「光は神なりき!」と、言われていますが、なぜ、光は、神なのでしょうか?
それは・・神と同じ能力を持っているからです。
このように、光は、神と同じ能力を持っているのです。
だから、「光は神なりき!」と、言われるのです。
光そのものが、神なのです。光は、神の別名なのです。
※ 光は、オールマイティーですから、光が強くなれば、人生は、間違いなく、好転します。
すべてにおいて、良い方向へ運ばれてゆくのです。何よりも、原子核が増えます。
では、光を強くするには、どうしたら、良いでしょうか?
簡単なことです。想念を良く使うことです。
つまり、どんなことも、良く受け取り、悪想念を抱かないことです。
悪想念を抱かないようにするためには、時間の許す限り、神を想うことです。
たった、これだけで、人生は、好転するのです。
(2017年8月20日 今週の真言より)
神のメロディ ・・神の連想曲 「神の光」
2023.07.30
笑う門には福来たる!
私たちは、常々、光の恩恵を受けています。
光がなければ、何も見えません。何も生まれません。何も育ちません。何も出来ません。
光がなくては、生きられないのです。命は、光から生まれるのです。
では、光って、何でしょうか? 光は、どこから、生まれるのでしょうか?
光は、意識なのです。光が感じられるのは、意識が光だからです。
意識がなくては、光は無いのです。意識=光 なのです。
その意識は、神ですから、光は、神なのです。
この宇宙は、その神の光(意識)で、満ち溢れているのです。
光の性質は、楽しいのです。嬉しいのです。喜びいっぱいなのです。
光に満たされると、幸福な気分になるのは、光の性質が楽しくできているからです。
「笑う門には福来たる!」と言う、諺がありますが、なぜ、笑えば、福がやってくるかと言いますと、笑いが、光を呼び寄せるからです。
その笑いは、苦しい心からは、生まれません。楽しい心から、生まれるのです。
では、心を楽しくするには、どうすれば、良いのでしょうか?
神を想うことです。
神を想えば、心が光に満たされますので、楽しくなるのです。
良いことを想うことです。
良いことを思えば、心が光に満たされますので、楽しくなるのです。
光を想う(イメージする)ことです。
光を想えば(イメージすれば)、心が楽しくなるのです。
これは、訓練すれば、誰でも出来るようになります。
この他にも、心を楽しくする方法はありますが、それは、皆さんが考えてください。
※ 心を楽しくする一番の方法は、神を想うことです。光を想うことです。
神を想えば、光を想えば、楽しくなるし、何よりも、原子核が増えます。
外側に、楽しいことがあるのではありません。
自分の思いが、楽しくするのです。
※ 心が曲がると、口も曲がるし、技も曲がるし、ボールも曲がるし、作った野菜も曲がるし、世話した花や木も曲がるし、飼っている犬も凶暴になるのです。
すべて、心次第です。 心次第と言うことは、想念次第と言うことです。
想念を上手に使ってください。
想念を上手に使えば、心が楽しくなります。
心が楽しくなれば、必ず、福がやってきます。
※ 楽しくする一番のコツは、何でも良く受け取ることです。
この宇宙に、悪いことは、一つも無いのです。
悪いように見えていることは、良くなるための悪いことですから、それは、良いことなのです。
神は、本質的な悪は、創っていません。
もし、神が本質的な悪を創るなら、不完全な神になってしまいます。
不完全な神は、存在しないのですから、この宇宙に、本質的な悪は、無いのです。
(2018年8月5日 今週の真言より)
神の賛歌 「神の顔」
2023.07.31