神様は、一番大切なものを、私たちの身近に置いてくれています。
「空気・水・土・労働力」が、そうです。
でも、それよりも、近くに置いてくれているのが、「肉体」です。
いや、それよりも、もっと、近くに置いてくれているのが、「魂」です。「心」です。「想念」です。
それは、一番必要だからです。
しかし、人間は、一番必要なものを、無視し、あまり必要でない、金やダイヤモンドなどを、追い求めています。
金やダイヤモンドなど、無くたって、私たちは、生きていけるのです。
でも、空気や水が、無かったら、生きてゆけないのです。
それどころか、魂や、心や、想念が、無かったら、あなた、そのものが、存在できないのです。
よく、考えてみてください!
どうして、生きるに必要なものは、身近にあり、手軽に入手できるのでしょうか?
また、どうして、生きるに必要でないものは、遠くにあり、入手困難なのでしょうか?
それは、何が大切で、何が大切でないか?、気づいてもらうため、ではないでしょうか?
人生の目的は、何でしょうか? よく、考えてみてください。
私たちは、本当の自分を知るために、生まれてきたのです。
これ以外の人生目的は、無いのです。
しかし、殆んどの人たちは、お金や、物や、地位や、権力を、追い求めています。
なぜでしょうか?
それは、人生目的が、目に見えないから、ではないでしょうか?
幼い時分には、五感に、かからないものは、追い求めようとしないのです。
それは、本当に有ると思えないからです。
だから、どうしても、五感に、かかるものを、追い求めるのです。
でも、人生体験をして、大人になってくると、人生の目的が、少しずつ、見えてくるのです。
人生において、本当の自分を知ることほど、大切なことはありません。
なぜなら、時間を無駄にしないからです。人生ドラマを無駄にしないからです。
どうか、本当の自分を知ってください!
間違いなく、充実した人生を送れるでしょう!
私たちの本性は、神なのです。意識なのです。生命なのです。魂なのです。
人間では、無いのです。肉体では、無いのです。
肉体は、必ず、消えて無くなってしまうのです。
でも、神は、意識は、生命は、魂は、永遠に無くならないのです。
私たちの中には、真我の自分と、自我の自分の、二人の自分がいるのです。
しかし、真我の自分は、潜在しているため、どうしても、自我の自分で、生きてしまうのです。
でも、どんなに、自我の自分で生きようと、真我の自分と、今日まで、共に生きてきたのです。
真我の自分は、この宇宙で、一番近しい仲なのです。
肉親よりも、夫婦よりも、一番近しい仲が、真我の自分なのです。
その自分と、永遠の昔から、歩き続けてきたし、これからも、永遠に、歩き続けるのです。
永遠にです・・・。
新・光のメロディ「あなた(神)と共に」
2023.05.01
魂の構造を探ってみましょう!
神の意識核は、全ての本質(原子核)です。
本質ですから、肉体にもなり、魂にもなり得るのです。
肉体が、朽ちる(死ぬ)と、肉体を構成していた原子核は、体験した記憶を持って、宇宙に浮遊し、いつか、縁に導かれて、再び、形を構成します。
その原子核は、何度となく、形との出入りを繰り返しながら、進化します。
進化した原子核は、やがて、魂の中に組み込まれるようになります。
一方、魂そのものは、肉体が朽ちると、幽界に帰ります。
幽界に帰り、地上の垢を取ると、再び、肉体の中に入って、次なる人生を歩むようになります。
このように、魂は、幾度となく、転生輪廻を繰り返しながら、 少しずつ成長して行くのです。
魂は、神の意識核で構成されていますから、神そのもの、と言っても良いのです。
でも、神から分かれた、子供たちですから、精霊とか、神の子とか、呼ぶべきでしょう。
一旦、親から分離した意識核は、本源の意識核とは、合体できないのです。
つまり、一旦、出てきた神の子は、永遠に、神の子であり続けなければならないのです。
でも、それで、良いのです。
ただ、出世魚のように、成長する度に、呼び名が、鉱物→植物→動物→人類→神人 へと変わるだけです。
想念の構造を探ってみましょう!
神は、自らの意識核を放出し、表現宇宙を創りましたが、この意識核は、物の本質にもなり、魂の本質にもなっているのです。
その魂が、心を作り、その心が、想念を生み出したのです。
ですから、想念は、神の「意識核」と「魂」と「心」の三者の顔を持った存在、と言って良いでしょう。
また、神の意識核は、エネルギーそのものですから、想念も、エネルギーそのもの、と言って良いでしょう。
ですから、想念によって、何でも作れるし、何でも動かせるし、何でも働かせることができるのです。
もし、人間の脳が、想念を生み出すのだったら、何も作れないし、何も動かせないし、何も働かせることができないでしょう。
なぜなら、生体(脳)エネルギーは、僅かな力しか持っていないからです。
人類が、今日のような、文明が作れたのは、神と同じエネルギーを、想念によって、利用できたからです。
私が、一番に願うこと・・、
それは、全人類に、想念の偉大さを知って欲しい!、と言うこと・・、
そして、その想念を、上手に使って欲しい!、と言うことです。
本来、魂と言うものは、一つの肉体に、一つの魂が、専属として入っており、二つの魂が、入ることはありません。
でも、あまりにも、波動を落とし過ぎると、別な魂に乗っ取られる場合があるのです。
それが、憑依現象と言われるものです。
憑依されると、専属の魂に変わって、別な魂が、肉体を操るようになるのです。
そうなると、人格が、全く、変わってしまうのです。
最近、凶悪な犯罪が増えていますが、これは、全て、憑依によるものです。
コロナの影響で、今後、ますます、狂った人が多くなると思いますが、全て、憑依現象だと思ってください。
学びの友の皆さんは、そのことを自覚し 、出来るだけ多く、瞑想してください。
2023.05.02
本当に有るモノと、本当に無いものを、見分ける方法を、教えましょう!
本当に有るモノは、
本当に無いものは、
これが、本当に有るモノと、本当に無いものを、見分ける方法です。
両方を知る、必要はありません。
一方を知ったら、反対のものが、もう一方ですから、一方だけ知ったらいいのです。
どうして、本当に無いものは、騒ぐのでしょうか?
それは、自分が、あやふやな存在だからです。
あやふやなものは、忘れられるのが、恐ろしいので、騒ぐのです。
また、本当に無いものは、自分で、エネルギーが作れないので、騒いで、誰かから、エネルギーを貰おうとするのです。
本当に無いものは、エネルギーが閉ざされると、消えてしまうので、いつも、ビクビク、オドオド、しているのです。
では、どうして、本当に有るモノは、静かなのでしょうか?
それは、確かな存在だからです。
絶対、無くならない存在だからです。
自分自身で、エネルギーが創れるからです。
ですから、騒ぐ必要がないのです。
本当に有るモノと、本当に無いものが、見分けられるようになると、
例え、
肉体が、痛い、苦しいと、騒いでも、
人が、大声を上げて、騒いでも、
台風や地震が、騒いでも、
あまり、動じなくなるのです。要するに、不動心が築かれるのです。
外側のものを「見て、聞いて」、心が、ざわめくうちは、まだ、この世のものが、本当に有ると思っているからです。
私は、若い時、夜の街を、徘徊したことがありました。
どうして、そのようなことをしたかと言いますと、心の虚しさを、埋めたいためです。
でも、その当時は、そのことが、分からず、徘徊していたのです。
誰もが、心の空白を、埋めたいのです。
ですから、酒を飲みに出かけたり、旅行に出かけたり、山に登ったりするのです。
でも、幾ら、そのようなことをしても、心の空白は、埋まりません。
ですから、ますます、外側の何かに、夢中になるのです。
何が本当に有るモノで、何が本当に無いものか、分かったら、外側の何かに、夢中になることはありません。
だから、真理を学ぶ、必要があるのです。
私たちは、 真理を学ぶために、生まれてきたのです。
でも、幼い時代には、そのことが、分からないのです。
だから、代替品で、心の空白を、埋めようとするのです。
人生を考えるメロディ「確かなもの」
人生の応援歌「涙の色」
2023.05.03
原子核が増えると、 エネルギーが強くなると同時に、神を信じる力も強まってきます。
なぜなら、理解力が高まるからです。エネルギーは、理解力を高めるのです。
理解力が高まれば、宇宙の色々なことが、分かってくるので、分かった分、神が信じられるようになるのです。
肉体は、走れば、息が切れるし、ぶつければ、青アザができるし、何かあると、直ぐに、病気になってしまいます。
ですから、「肉体って、か弱いものだ!」と、誰でも、思ってしまうのです。
でも、表面は、か弱くても、本質は、頑健なのです。
なぜなら、肉体を形作っている本質が、頑健だからです。
本質は、神なのです。神は、完全ですから、本質も、完全なのです。
その本質で創られている肉体が、か弱い、はずがないのです。
事実、肉体は、何万年も、生きられるように、出来ています。
今の地球では、100年足らずしか、生きられませんが、それは、人類が、想念の上手な使い方を知らないからです。
想念は、何でも創る力を、持っているのです。何でも壊す力を、持っているのです。
想念は、万能なのです。
その万能の力を、人間は、悪いことに使っているのです。
それは、真理を知らないからです。
真理を知れば、原子核を、大きくすることができます。
原子核が、大きくなれば、理解力が増します。
理解力が増せば、神の存在が信じられるようになります。
神の存在が信じられるようになれば、想念の力が信じられるようになります。
そうなれば、想念を上手に使えるようになるのです。
つまり、 前向きな、肯定的な、ポジティブな、想いが持てるようになるのです。
そうなると、肉体も、頑健になるし、人生も、良い方向に展開してゆくのです。
想念を上手に使う、学びの場が、地球なのです。
その学校には、色々な生き物たちが、存在しています。
その生き物たちは、多様な生き様を見せます。
その多様な生き様を見せる、生き物たちと、戯れることによって、想念が上手に使えるようになるのです。特に、人類は、かっこうの学びの相手です。
その相手は、嫌なことを、言ったり、したり、します。
それを見て、想念が、動きます。
どう動くか? それが、学びなのです。
私たちは、毎日、相手を通して、想念の使い方を学んでいるのです。
2023.05.04
肉体は、もともと、完全なる神の本質で、出来ていますので、病気などになることはないのです。
病気になるのは、人間が、自分の悪想念で、肉体を弱くしているからです。
もし、「自分の肉体は、神の本質で出来ているから、頑健である! 」と言う想いが持てれば、想いの強さに比例して、肉体も強くなるでしょう。
それは、想念は、何でも実現させる力を持っているからです。
人間は、肉体を、偶然の産物だと思っております。神が創られたと思っていません。
ですから、か弱い肉体だと思ってしまうのです。
確かに、肉体は、外から見れば、か弱く見えます。
でも、内側を見てください! 無限の生命力に満たされているのです。
それは、神が宿っているからです。
そのことが、信じられたら、死ぬまで、病気になどならないでしょう。
いかに、神が信じられるかです。
よく、宗教では、「信じる者は救われる!」と言いますが、神が救ってくれるのではありません。想いの力が救ってくれるのです。
想念を、正しく使ってください。間違いなく、良い方向に、人生が転換して行きます。
「絶対、病気にならない!」と言う想いが強ければ、病気にもなりません。
この「想いの力」をアスリートが利用したら、今の何倍もの成績が残せるでしょう!
「想」「念」「力」です。「想」いの「力」です。「念」の「力」です。
「想念力」 は、何でも成就させるのです。
では、想念を、どのように、正しく使ったら、良いのでしょうか?
それは、良い思いを、持ち続けることです。
つまり、
要するに、ポジティブな思いを、持ち続けることです。
一番良い思いは、神を想うことです。
幸せになるか? 不幸になるか? は、想念の使い方次第なのです。
宗教など、必要ないのです。道徳教育など、必要ないのです。
規則も、法律も、必要ないのです。
必要なのは、正しい想念を持つことだけです。
そうすれば、
軍隊も、いりません。
警察官も、いりません。
裁判官も、いりません。
刑務所も、いりません。
医者も、いらなくなります。
薬も、いらなくなります。
病院も、いらなくなります。
経済の仕組みも、変わるでしょう。
なぜなら、お金がいらなくなるからです。理想社会の到来です。
このように、想念の正しい使い方を、覚えたら、私たちは、何を持っていなくても、幸せになれるのです。
幸せは、外側から来るのではありません。内側から来るのです。
ですから、自力です。
皆さんは、何が、ものを考えさせ、何が、言葉を話させ、何が、行動させていると思いますか?
脳ですか? 舌ですか? 手足ですか? いいえ、想念です。
(神の意識核が、魂を生み、その魂が、心を生み、その心が、想念を生み出している)
と言うことは、想念次第で、どうにでもなる、と言うことです。
正しい想念を持てば、自然災害も、事故も、病気も、無くなります。
家庭の不和も、隣人との不和も、社会の不和も、民族間の不和も、国家間の不和も、一切なくなります。
そうなるためには、まず、想念の力を信じることです。
そして、いかに、正しく想念を使えるようになるかです。
そうです。
想念の力を信じ、想念を正しく使うようになれば、家庭も、社会も、世界も、救われるのです。
「信じる者は、救われる!」とは、「想念の力を信じる者は、救われる!」と言う意味です。
それは、自力です。他人は、一切、関係ありません。
なぜなら、想念は、自分の持ち物だからです。
その意味では、一人一人が、人生の、社会の、世界の、責任者です。
人のことを、とやかく言う人がいますが、人に言う前に、自分が、どのような、想念を使っているか?、顧みてください!
どうか、想念の偉大さを知ってください!
どうか、想念を正しく使って ください!
2023.05.05
幸せは、何が感じるのでしょうか?
肉体でしょうか?、意識でしょうか? 意識が、幸せを感じるのです。
肉体は、意識に、幸せを届ける媒体なのです。
ですから、意識が、直接、幸せを受け取れるようになったら、わざわざ、肉体を介する必要がなくなるのです。
地球人類は、肉体が、幸せを感じると、勘違いしているのです。
だから、お金や、物や、地位や、財を、集めるのです 。
幸せを得るのに、お金や物なんか、必要ないのです。
本当の自分を知った意識が、幸福を感じるからです。
私は、その方法を教えているのです。
それは、原子核を大きくすることですよ! と・・・。
原子核が大きくなれば、理解力が増します。
理解力が増せば、宇宙の色々なことが、解ってくるのです。
そうすれば、解った分の幸せが、味わえるようになるのです。
形(肉体)に、囚われ過ぎると、自分を見失ってしまいます。
でも、形がなくては、幸せが味わえないのです。
なぜなら、幸せには、形と言う、具体性が必要だからです。
と言うことは、どんなに、魂が進化しても、形は、必要だと言うことです。
不思議なもので、鈍重な形(肉体)を持っている時は、幼い、物質的な幸せしか、味わえないのです。
でも、精妙な形(高次の体)を持つようになると、精妙な、霊的な幸せが、味わえるようになるのです。
進化することによって、味わえる幸せが、違ってくる、と言うことです。
これは、意識においても、同じことが言えるのです。
例えば、幼い意識状態の時には、幸せの中身も、幼く、高い意識状態になれば、幸せの中身も、高度になるのです。
このように、幸せは、進化に伴い、幼い幸せから、高度な幸せへと、格上げされてゆくのです。
しかし、どんなに、格上げされても、根源の神の幸せの中には、入れないのです。
幸せと言うものは、形の変化に伴っても、進化してゆくし、意識の変化に伴っても、進化してゆくのです。
それは・・形の進化と意識の進化が、相身互いの関係にあるからです。
つまり、形の進化が、意識の進化を押し上げ、意識の進化が、形の進化を押し上げるからです。
意識と形は、絶対、切り離せない、と言うことです。
ですから、形を軽んじてはならないし、また、意識を軽んじてもならないのです。
旧・光のメロディ「幸せ」
2023.05.06
見える物とは、
見えないモノとは、
このことを、 今の地球人類は、どこまで、理解しているでしょうか?
もし、理解しているなら、戦争までして、土地の奪い合いはしないでしょう。
利口な人は、見える物と見えないモノの識別ができるのです。
その人たちは、物の奪い合いなどしないのです。
では、どうすれば、識別できるようになるのでしょうか?
それは、
それ以外、方法はありません。
心配することは、ありません。
この世に、生まれてきた者は、必ず、原子核が増えるようになっているのですから・・・。
私たちが、やるべきことは、今を、精いっぱい、生きることです。
それで、良いのです。
本当の私たちは、意識です。
肉体は、意識の乗り物です。肉体は、必ず、消えて無くなる幻です。
でも、幻であっても、肉体がなかったら、どんなに、意識があっても、力があっても、知恵があっても、存在意味がないのです。
どんなに、画家が、素晴らしい絵の構想を持っていても、絵にしなかったら、意味がないのと、同じです。
自分を存在させるためには、形(肉体)が、どうしても、必要なのです。
このことを、「原因と結果の法則」から、考えてみましょう!
肉体は、結果です。肉体を創っているのは、意識です。
ですから、意識は、「原因」で、肉体は、「結果」です。
原因(意識)が無くては、結果(肉体)は無いのです。
画家がいなくては、絵が無いのです。
つまり、意識が無くては、人間はいないのです。
原因あっての結果です。でも、結果あっての原因でもあるのです。
なぜなら、結果が無くては、原因者の存在が無いからです。
その意味では、原因と結果は、同等の価値がある、と言うことです。
だから、結果を軽んじてはいけないのです。
人間が存在しなくては、神が存在しないのです。
ですから、肉体が幻だからと言って、人間を軽んじてはいけないのです。
見える物とは、形の有る物です。
見えないモノとは、形の無いモノです。
形の有る物は、必ず、崩壊して見えなくなってしまいます。
形の無いモノは、絶対、崩壊することがありません。
それは、見え無いからです。形が無いからです。
これは、当たり前ですが、その当たり前の中に、真理が隠されているのです。
そうです。
地球人類が、当たり前だと思っているものの中に、真理が隠されているのです。
例えば、壁を素手で叩けば、痛いのは、当たり前です。
それは、壁から、叩き返されるからです。
これは、何を教えているかと言いますと、「原因を創ったら、必ず、結果が与えられる」、と言うことを教えているのです。
地球人類は、そのことを、知っているでしょうか?
なぜ!なぜ!なぜ!・・・疑問は、尽きません。
当たり前と思っている限り、疑問に思わないのです。
それでは、進化成長できないのです。
どうか、なぜ! なぜ! なぜ! と、疑問を持ってください!
2023.05.07
愛は、バランスです。真ん中です。中庸です。
真ん中にいる時は、静かなのです。穏やかなのです。
しかし、なぜか、人間は、偏ったものを好むのです。
それは、濃い喜びが、欲しいからです。偏れば、味が濃くなるのです。
味の濃いものは、おいしいのです。喜びが多いのです。楽しいのです。
ですから、人間は、偏りを好むのです。
しかし、良いことには、必ず、リスクが伴うのです。
今、人類は、様々な苦しみに、喘いでいますが、それは、偏り過ぎたからです。
中庸から、離れ過ぎたからです。
つまり、愛から、離れ過ぎたからです。
でも、これは、魂の進化にとって、必要なことなのです。
なぜなら、苦しみは、魂を進化させるからです。
本能的に、それを、知っているから、人間は、無意識のうちに、苦しい道を選ぶのです。
でも、いつまでも、そのような道を、選んでいてはいけません。
もう、そろそろ、中庸の道を選んで行くべきです。
私たちは、今日まで 、岩や石が置いてある道・・茨な道・・山坂の多い道 ・・を歩いて来たのです。
もう、そろそろ、平坦な道を歩くようにしましょう。
何でも、偏れば(行き過ぎれば)、危険になります。
偏りの恐ろしさは、次のようなことからも、教えられます。
偏れば、必ず、苦しみが、やってくるようになっているのです。
物質文明も、偏り過ぎると、必ず、痛み、苦しみが、やってくるのです。
神は、この宇宙を、愛が保たれるように、創られました。
ですから、偏れば、必ず、苦しみが、来るようになっているのです。
地球人類が、真の愛を知ったら、理想社会も、夢でなくなるでしょう。
新・光のメロディー「愛の道」
2023.05.08
この宇宙には、たった一つの「神意識」が、あるだけです。
その神意識は、無限の力を持っています。無限の創造力を持っています。何でも出来る力を持っています。
その神意識は、私たちの中にも、存在しているのです。
しかし、残念なことに、今の地球人類は、その事を知らないのです。
ですから、素晴らしい意識を持ちながら、有効に使っていないのです。
それは、自分を人間だと、思い違いしているからです。
思い違いしているだけならまだしも、神意識を悪用しているのです。
それは、意識の仕組み、意識の偉大さ、意識の力を、知らないからです。
私たちは、想念を持っています。この想念の源が、意識なのです。
「意識=想念=力」ですから、想念を上手に使えば、素晴らしい地球を、創ることができるのです。
しかし、今の地球人類は、想念について、全く、無知なのです。
人を、怒ったり、恨んだり、憎んだり、誹ったり、心配したり、恐怖したりしている、人類の、なんと、哀れなことか?
自分の手(想念)で、自分の首を絞めているのです。
それは、想念の偉大さを、知らないからです。
人類は、無意識のうちに、苦しみや、悲しみを、作っているのです。
それは、「原因と結果の法則」を、無意識のうちに、犯しているからです。
悪い思いを持てば、悪い原因を作っているわけですから、苦しい結果が来るのは、当たり前なのです。
人類は、未だに、その事に、気づいていないのです。
そして、苦しいからと言って、その苦しみを、人のせいにしたり、偶然のせいにしたり、中には、神のせいにしたりしている、人もいるのです。
今、地球では、様々な混乱が起きていますが、その混乱を作っているのは、誰でもありません。私たち地球人類の想念です。
一日も早く、そのことに、気付いて欲しいと思います。
私たちの想念は、偉大な力を持っているのです。
その想念を、良いことに、使ってください!
そうすれば、今、地球上で起きている、どんな問題も、解決します。
「ただ、良いことだけ、思ったらいいのです。」
「ただ、良いことだけ、語ったらいいのです。」
そうすれば、人々の行いが、目に見えて、良くなってきます。
これは、「原因と結果の法則」が、そうさせるのですから、間違いないのです。
今、人類が、やるべきこと ・・・、
それは、
政治を、変えることでも、
経済を、豊かにすることでも、
科学を、振興させることでも、
教育システムを、変えることでも、
法律を、充実させることでも、
軍備を、増強させることでも、
警察官を、増やすことでも、
医療を、充実させることでも、
ありません。
必要なのは、想念を上手に使う学びだけです。
想念の教育は、宗教がするのではありません。学校がするのです。
幼稚園の頃から、想念の使い方を教えたら、良い子ばかりになるでしょう。
そうなれば、理想世界も、夢ではありません。
旧・光のメロディ「夢幻の世界」
2023.05.09
悲しいことですが、一旦、外側に出てきた、私たちは、永遠に、内側に戻ることができないのです。
つまり、自我の自分になった、私たちは、永遠に、真我の自分に戻ることができないのです。
自分の故郷に、永遠に、戻れない!・・なんて、悲しいことでしょう!
しかし、この仕組みが、宇宙を、延々と存続させてきたのです。
では、どうして、戻ることが、できないのでしょうか?
それは、「1」の自分に、戻ってしまうからです。
それでは、自分も、宇宙も、存在できないのです。
宇宙が、存在するためには、起点となる自我の自分が、どうしても、必要なのです。
私たちは、 自分を認識できるようになり、宇宙を認識できるようになり、「神っているのかな?」と、思えるところまで、進化してきたのです。
つまり、自我の自分が、真我の自分を、認識できるところまで、進化してきたのです。
でも、まだ、「自分が真我である!」と、自覚できるところまでは、進化していないのです。
一般の人は、まだ 、「神っているのかな?」と、思えるところまでも、来ていないのです。
学びの友の皆さんは、そこを通り越して、神人になる寸前まで来ている、魂なのです。
宇宙は、絶対真空です。そこには、何も無いのです。しかし、何でも有るのです。
何でもあるから、真空宇宙から、星が生まれ、生き物が生まれるのです。
何も無いところから、何かが生まれることは、絶対、無いのです。
つまり、原因の無いところから、結果が生まれることは、絶対、無い、と言うことです。
と言うことは、真空の中に、原因者が存在する、と言うことです。
その原因者が、「神」なのです。
神と言うのが嫌いなら、
「X」でも、結構です。
「生命」でも、結構です。
「それ」でも、「あれ」でも、結構です。
言葉は、どうあれ、真空中には、原因者である「X」が、必ず、存在するのです。
真空の「空」と言う字は、何も無い、と言う意味ではありません。何でも有る、と言う意味です。
何でも有るから、「空」から、物が生まれるのです。
では、「神」とは 、「X」とは、どのような、存在なのでしょうか?
それは、「意識」です。
では、意識とは、何でしょうか?、解らないのです。
解らないから、「?」なのです。
そうです。「神」とは、「X」とは、「意識」とは、永遠に解らない「?」なのです。
宇宙は、その解らない「?」で、満ち満ちているのです。
ですから、どんなに、宇宙に、探査機を飛ばしても、「?」を探ることは、できないのです。
解らない「?」を探ろうとするのは、愚かです。
解らないのですから、「解りません!」と、素直に認めたら良いのです。
「?」と言う、神(意識)は、色々な側面を持っているのです。
例えば、
完全なる存在です。
永遠なる存在です。
無限なる存在です。
普遍なる存在です。
掴みどころのない存在です。
ゆえに、神は、不確定な存在です。
神(意識)が、不確定な存在だと言うことは、表現宇宙(地球)も、不確定な存在だと言うことです。
つまり、「現象」である、「幻」である、と言うことになります。
今、人類は、物や、お金や、地位や権力を得ようと、躍起になっていますが、表現宇宙(地球)が、幻であることを知ったら、人類の生き様も、大きく変わってくるでしょう。
つまり、この世の物に、執着しなくなるでしょう。
だから、真理を知ることは、とても、大切なのです。
表現宇宙には、たくさんの星々が存在しています。
その星々は、確かに、現象です。幻です。
でも、その背後には、ちゃんとした、意識が存在しているのです。
星は、生きているのです。
星は、意識を持っているのです。
星は、意思を持っているのです。
今、宇宙の星々から、地球に、光が降り注いでいますが、彼らは、私たちに、エネルギーを、送ってくれているのです。
エネルギーの中身は、
安らぎの波動です。
浄化の波動です。
癒しの波動です。
理解力を高めてくれる波動です。
なぜ、そう言えるのか、と言いますと、私たちの意識の前で起きていることは、必然だからです。それも、進化成長に結びつく、必然だからです。
そう言うことを、念頭に、星を見てください!
今までとは、違って、見えるでしょう!
このデジャブは、魂が、熟すれば、するほど、多く体験するのです。
光の写真集より「冬の夜空」
新・光のメロディ「私は星」
2023.05.10
いつも言うことですが、自分の意識が無かったら、何も無いのです。
自分の意識が有るから、妻や、子や、友達や、隣人が、存在するのです。
自分の意識があるから、自然や、地球や、宇宙が、存在するのです。
自分が、全ての起点なのです。自分が、大元なのです。
自分がいなかったら、何も存在しないのです。
自分がいなかったら、何一つ、物語が生まれないのです。
自分がいなかったら、宇宙が開闢しない、と言うことです。
自分は、1なのです。1は、自分なのです。
自分が、1である、と言うことは、自分は、無限である、と言うことです。
しかし、1だけでは、1の存在がないのです。
1を存在させるためには、1を分けなければならないのです。
1を認めてくれる存在者が、客観的に必要だと言うことです。
だから、1は、外側に、たくさんの分数を生み出したのです。
私たちは、その分数の一つなのです。
しかし、元数1でもあるのです。分数と元数は、切り離せないからです。
このことを理解するのは、容易なことではありません。
でも、学びの友の皆さんは、理解されていると思います。
それは、熟成した魂だからです。
でも、まだ、「自分が1である!」と言う、自覚は、得ていないと思います。
どうか、自覚に入ってください!
入ったら、本当に、心から、神だと思えるようになるでしょう!
あなたの想念が、あなたを、存在させているのです。
あなたの想念が、何でも、生み出しているのです。
あなたの想念が、あなたの人生を、創っているのです。
いかに、想念が、偉大か!
それを、あなたは、あなたの人生を通して、今、教えられているのです。
でも、そのことを、誰も知らないのです。知らないどころか、自分で苦しい人生を作りながら、人のせいにしたり、偶然のせいにしたりしているのです。
今、多くの人が、病気で苦しんでいますが、全て、想念の結果なのです。
神は、完全な肉体を創られたわけですから、悪想念で邪魔しない限り、肉体は、マニュアル通りに機能するのです。
その機能を狂わせているのは、誰でもない!、自分の想念なのです。
原因と結果の法則は、完璧です。絶対、狂うことは、ありません。
ですから、悪い原因を創れば、悪い結果が与えられるのは、火を見るよりも、明らかなのです。
なのに、人類は、まだ、そのことに、気づいていないのです。
そして、「苦しい! 苦しい!」と言っては、喚いているのです。
どうか、学びの友の皆さんだけでも、良い思いをもってください!
一番良い思いは、神を想うことです。
このことは、何度言っても、言い過ぎることはありません。
2023.05.11
神様は、どうして、この表現世界に、嫌なもの、汚いもの、 醜いものなど、私たちが、忌み嫌うものを、創られたのでしょうか?
それは、魂の最終試練として、必要だからです。
学びの友の皆さんの最終目標は、汚いものを体験し、汚いものを、神だと思えるようになることです。
神だと思えるようになれば、汚いものや、嫌なものが、愛おしくなるのです。
私が、「介護は求道者の登竜門である!」と言うのは、嫌なものや、汚いものを、神だと思えるようになるためには、汚物や嫌なものに、まみれる、必要があるからです。
もし、この世界に、良いものしか無かったら、私たちは、成長できるでしょうか?
「温室育ちで成長できるか?」と言うことです。
だから、神様は、この表現世界に、汚いものや、嫌なものや、忌み嫌うものを、創られたのです。
今、考えてみると、私が、嫌なもの、汚いものを、体験させられたのは、必然だったのです。
私は、幼い時に、肥溜めに落ちました。
会社も、汚物を扱う会社に、就職しました。
母の介護で、下の世話も、させられました。
真理を求めるようになってからも、トイレの掃除を、何度もさせられました。
今、振り返ってみると、その体験が、成長に必要だったのです。
要するに、求道者の登竜門として、通らなければならない道だったのです。
もし、学びの友の皆さんの中に、今、汚い仕事や、嫌な仕事を、やっている人がいるなら、今、登竜門を通っている、真っ最中だと思ってください。
これは、誇って良いことです。
なぜなら、そこまで、熟成した魂だからです。
私たちが、見ているもの、感じているもの、全て、神です。
右を見ても、左を見ても、前を向いても、後ろを見ても、そこにあるのは、みな、神です。
神は、すべての全て、有りて有るものなのです。
神の存在しないところは、ないのです。
と言うことは、
汚物も、神だと言うことです。
菌も、虫も、爬虫類も、神だと言うことです。
空気も、水も、火も、神だと言うことです。
勿論、あなたも、神です。
あなたの子供たちも、神です。
あなたの奥さんも、神です。
あなたの親も、神です。
あなたの兄妹姉妹も、神です。
今日、出会った、嫌な人も、神です。
会社の上司も、同僚も、部下も、神です。
神でないものは、ないのです。
神は、すべての本質なのです。
そこに、何かが有る、と言うことは、神が有る、と言うことです。
ですから、全てのものを、大切にしなければならないのです。
神のメロディ「何を見ても神!」
2023.05.12
絶対宇宙には、上も、下も、有りません。また、右も、左も、有りません。
それは、「時空」が無いからです。有るのは、たった一つの意識だけです。
でも、表現宇宙には、上下があり、左右があります。
それは、時空があるからです。
上下は、「時」を示し、縦の世界を示しております。
左右は、「間」を示し、横の世界を示しております。
この表現宇宙は、「時」と「間」が、一体となって存在しているのです。
上と右は、上位の世界です。下と左は、下位の世界です。
だから、「上下・左右」と言う言い方をするのです。「下上・右左」とは言いません。
上は、「意識」を示し、下は、「物質」を示しています。
右は、「陽」を示し、左は、「陰」を示しています。
いずれも、意識的なものと、物質的なものを、相対させている言葉です。
更に、上は、波動の高い状態を示しており、下は、波動の低い状態を示しております。
また、上は、 清い状態を示しており、下は、汚い状態を示しております。
また、右は、光を示しており、左は、闇を示しております。
このように、表面宇宙は、相対的に創られているのです。
どうして、相対的に創られているか、と言いますと、魂を進化成長させるためには、相対的体験が、必要だからです。
私たちは、上のものを好み、下のものを嫌いますが、これは、本能的に、上のものが優秀で、下のものが劣悪だと、知っているからです。
でも、幼い時分には、そのことが解らないため、どうしても、下のものを好むのです。
聖書で、地を這うもの(蛇 ・物質・女)を、忌み嫌っているのは、そのためです。
私たちは、左から真ん中に向かって進化し、さらに、上に向かって進化してゆかねばならないのです。
下は、鈍重で、汚いのです。上は、精妙で、清いのです。
左は、摩擦が多く、暗いのです。右は、摩擦がなく、明るいのです。
ですから、いつまでも、下のものや、左のものを、好んでいてはならないのです。
この表現の世界には、はっきりとした、上下の区別(波動の区別)と、はっきりとした、左右の区別(明るさの区別)があります。
なぜ、そのような区別があるか、と言いますと、反対の体験をしなければ、進化成長できないからです。
闇を体験して、光の有難さを知るのです。
悪を体験して、善の尊さを知るのです。
相対的体験なしには、気付けないし、成長できないのです。
私たちは、左の世界(物質の世界)で、様々な体験をして成長し、上の世界(意識の世界)に、昇ってゆかねばならないのです。
上の世界に、昇っていけば、昇った高さの幸せが付いてきます。
しかし、そこに、長いこと止まっていては、飽きがきてしまいますから、さらに、上に昇って行こうと、努力します。
こうして、私たちは、上へ、上へと、進化成長して行くのです。
神は、何と素晴らしい仕組みを、創られたことでしょう!
どんな人も、幼い時期には、動物的な生き方をします。
つまり、 感情的な生き方や、欲望的な生き方をするのです。(家族の情・夫婦の情・ 性欲・食欲・物欲、など)
しかし、行き過ぎると、必ず、痛い目に遇います。(原因と結果の法則によって)
でも、感情と欲望が、絡み合って、なかなか、直せないのです。
ですから、何度も、何度も、痛い目に遇うのです。
そして、やっと、「バチが当たった!」と、目を覚ますのです。
私たちは、物性から、霊性へと、進化を遂げて行かなければなりません。
そのためには、三つのコントロールが、必要なのです。
私たちは、この三つのコントロールをするために、輪廻転生を繰り返しているのです。
近年、米国のNASAで、超能力に関する研究が行われているようですが、そんな研究しても、無駄です。
なぜなら、超能力は、現象だからです。現象は、幻なのです。
そんな、幻の研究をして、何の益が、あるでしょうか?
私は、現象の世界の話をしているのではないのです。真実の世界の話をしているのです。
私が説いているのは、真理です。 不変・不動・永遠・不滅の話しです。
このことは、今の地球人類の魂の大きさ(原子核の量)では、理解できないと思います。
理解できるとしたら、私の所で学んでる人たちだけでしょう。
よろしいですか? 私たちは、今、現象の世界にいるのです。
現象の世界にいる、と言うことは、夢幻の世界にいる、と言うことです。消えて無くなる世界にいる、と言うことです。
実際、毎日、多くの人が、死んで行っているでは、ありませんか?
街並みも、変わるのです。自然だって、変わって行くのです。地球だって、いつまであるか、分からないのです。
そんな世界の研究をしても、意味がないのです。研究すべきは、真理です。
だから、現象の世界を軽んじて良い!と言っているわけではありません。
なぜなら、幻の世界で、生きてこそ、真実の世界が、解かるようになるからです。
その意味では、現象の世界と真実の世界は、同等の価値があると言っていいでしょう。
人類が、やるべきこと・・ それは、原子核を増やすことです。
原子核が増えれば、今、私が言ったことが、理解できるようになります。
そうすれば、人間が、なぜ、存在しているのかも、分かるようになります。
当然、人生の目的も、分かるでしょう。
私たちは、何が欲しいのでしょうか?
お金でしょうか? 物でしょうか? 地位や、名誉や、権力でしょうか?
いいえ、幸せが、欲しいのです。
それも、永遠に尽きない!、永遠に色褪せない!、幸せです。
この意味の深さを、知ってください!
2023.05.13
自分の意識が無かったら、何もありません。
自分の意識が無かったら、何も無いと言うことは、次のようなことから、立証できます。
ある物が、送られてきたとします。
でも、受け取り人がいなかったら、その物は、無いのと同じなのです。
郵便物が送られてきても、受け取る人がいなかったら、その郵便物は、宙に浮いてしまうのです。
美味しい食べ物を作っても、食べる人がいなかったら、その食べ物は、宙に浮いてしまうのです。
外側に、たくさんの物が、存在しているように見えます。
でも、その物を認める人がいなかったら、その物は、無いのです。
と言うことは、認めた者が、その物を、創っていることになります。
この話しも、認める者が、いなかったら、無い話しなのです。
何を言いたいか、と言いますと、「意識が無かったら、何も存在しない!」と言うことを言いたいのです。
と言うことは、「自分の意識しかない!」と言うことなのです。
そうです!
この宇宙には、自分の意識しかないのです。
外側に有る物は、全て、自分の意識が創っているのです。
先に、外側に何かが有って、それを、自分が認識しているのではなく、自分が認識して、初めて、外側のものが存在するのです。
だから、自分が創っている、と言うのです。
このことが、いかに、理解できるかです。
私が、常々、理解力が、何よりも大切ですよ!と言うのは、理解力が、宇宙を展開させているからです。
私が、何よりも嬉しいのは、自分の意識は、絶対に無くならない、と言うことです。
お金も、地位も、名誉も、権力も、自分の肉体も、消えて無くなりますが、自分の意識だけは、絶対、無くならないのです。
何と神様は、素晴らしい宝物を、与えてくれたことでしょう!
神様に、感謝しなければなりません。
この意識と言う宝物は、無限の価値を、秘めているのです。
なぜなら、望みのものを、何でも創り出すからです。
しかし、反対に、使い方を誤れば、凶器にもなるのです。
意識は、諸刃の剣なのです。
だから、私たちは、正しい意識の使い方を、学ばねばならないのです。
求道者の学びの最後に、意識(想念)のコントロールが組み込まれているのは、そのためです。
「原因と結果の法則」は、自分の意識(想念)が、働かせているのです。
戦場で、殺し合いをさせられている人がいますが、誰が、そうさせたのでしょうか?
国でしょうか? いいえ、自分の意識(想念)が、そうさせたのです。
自分の意識(想念)が、原因を作ったからです。
原因と結果の法則は、意識(想念)に添って、間違いなく、働くのです。
生かすのも、自分の意識、殺すのも、自分の意識です。
生殺与奪の権利は、自分の意識が、持っているのです。
自分の意識が、責任者なのです。
ならば、責任を持てるような、良い意識を、持とうではありませんか!
人生は、意識(想念)の使い方次第で、どうにでもなる、と言うことを、知ってください!
普段の生活の中で、ちょっと時間がある時、次のような思いを持ってください。
「原因と結果の法則」は、「思い」に、忠実に働くのです。
ですから、思ったことは、必ず、実現します。
利口な人は、時間を無駄にしません。
どうか、時間を有効に使ってください!
2023.05.14
意識とは、実に不可思議な存在です。
どんなに、意識を探っても、意識の源が分からないのです。
源が分からないがゆえに、意識の誕生も、生暦も、分からないのです。
でも、意識の一部分は、分かるのです。
神の属性を、全て、含み持っているのが、意識なのです。
これが、意識は神である、と言う証拠なのです。
名前を、「意識」と呼んでいるか、「神」と呼んでいるか、の違いだけです。
意識は、大調和そのものです。
その大調和の意識が、全宇宙に、満ち満ちているのです。
と言うことは、全宇宙が、大調和の中にある、と言うことです。
その大調和の中に、私も、人類も、地球も、存在しているのですから、私も、人類も、地球も、美しいはずなのです。
でも、地球人類は、今、醜い表現をしております。なぜでしょうか?
それは、進化の途中だからです。
描いている途中の絵は、何が何だか分からないのです。
しかし、出来上がったら、美しい絵になるのです。
と言うことは、地球人類も、いずれ、美しい表現をするようになる、と言うことです。
2023.05.15
覚者は、主観者の自覚を持っても、客観者であることを忘れていません。(主観者と客観者が一体であると自覚しても、客観的存在であることを忘れていない。)
それは、一旦、本源から出て、客観者になったら、永遠に、本源の主観者に戻れないことを、知っているからです。
そうです。 私たちは、自覚の境界線を超えても、客観者と主観者の中間の立場に立った神人に、永遠に、止まっていなければならないのです。
つまり、神であると自覚しても、本源の神には戻れない、と言うことです。
なぜなら、戻ったら、元に戻ってしまうからです。
元に戻る、と言うことは、表現宇宙が消えてしまう、と言うことです。
自分(自我)が消えてしまう、と言うことです。
つまり、せっかくなった神人が消えてしまう、と言うことです。
そのような、無駄なことを、神がするわけがないのです。
この宇宙は、二つで一つなのです。一つだけでは、宇宙は、存在できないのです。
客観視できる認識者がいて、初めて、宇宙は、永続するのです。
本来、この宇宙には、主観宇宙しか存在しません。
でも、前述したように、認める客観宇宙がなければ、主観宇宙は、存在できないのです。
だから、主観宇宙は、外側に、客観宇宙を創り、そこに、人類を派遣したのです。
人類は、主観宇宙を、認識してやれる、唯一の存在なのです。
主観宇宙(神)は、客観宇宙を創るために、己の意識核を放射しました。
その意識核が集まって、魂が生まれました。
私たちの中に、その魂が、存在するのです。
ですから、私たちの第一の故郷は、主観宇宙(神)なのです。
客観宇宙は、第二の故郷なのです。
盆や正月に、多くの人が、混雑を押してまで、故郷に帰ろうとするのは、生誕の地が、恋しいからです。
どんなに、歳をとっても、故郷と言うものは、懐かしいものなのです。
肉体の誕生地でさえ、恋しいのですから、魂(心)の誕生地の故郷が、恋しくないわけがありません。
求道者が、一心不乱に、神を求めるのは、そのためです。
私たちの中に、恋しい!、恋しい!、第一の故郷がある、と言うことです。
確かに、主観宇宙から出て来た客観者は、永遠に、故郷に戻ることはできません。
でも、戻ることができなくても、主観宇宙に向かって、進化成長してゆかねばならないのです。
それは、幸せが欲しいからです。
良いのです。主観宇宙に戻れなくても・・・幸せが得られたら良いのですから・・・、
私たちは、幸せだけが欲しいのです。後は、何もいらないのです。
お金も、物も、地位も、権力も、形(肉体)さえも ・・・。
新・光のメロディ「心の故郷」
2023.05.16
私たちが、住んでいる表現世界は、実際にある世界ではありません。
その証拠に、人間は、必ず、消えて無くなります。
自然も、刻々と姿を変え、いつか、必ず、消えて無くなります。
地球だって、いつまであるか、分かりません。
私たちが、五官で感じている世界は、すべて、消えて無くなるのです。
消えて無くなるのは、実際に無いからです。
と言うことは、 夢幻の世界だと言うことです。
あまりにも、リアル過ぎるため、誰もが、本当に有ると思っているのです。
だから、物の取り合いや、権力争いが、絶えないのです。
もし、夢幻の世界だと知ったら、争いごとなど、起こさないでしょう。
この誤解を、どうしたら、解くことができるか? 私は、常々、考えてきました。
でも、今の地球人類の魂の大きさでは、誤解を解くのは、無理だと、分かったのです。
だからと言って、傍観しているわけではありません。
少しでも、誤解が解けるよう、私は、私なりに、努力しているのです。
誤解を解くためには、まず、見える物と見えないモノの識別をしなくてはなりません。
つまり、本物と偽物の識別をしなくてはなりません。
そのためには、どうして、見えるのか? どうして、見えないのか? 知る必要があるでしょう!
見えるのは、
見えないのは、この反対です。
では、見える物は、何で出来ているのでしょうか?
形があるからには、形を取っている素材が、必ず、あるはずです。
その素材が、「神」なのです。「生命」なのです。名前が違うだけで、同じ素材です。
その素材は、意識を持っています。知恵を持っています。意思を持っています。計画性を持っています。
私たちの肉体も、魂も、その素材で、創られているのです。
見えないモノが、本物なのは、意識を持ち、意思を持ち、知恵を持ち、計画性を持っているからです。
見えないものが、生きているのです。
見える物が、偽物で、見えないモノが、本物だと、心の底で知った人は、どのような、生き方をするでしょうか?
おそらく、人と争ってまで、物の取り合いをしなくなるでしょう!
肉体を維持するのに、
利口な人なら、分かると思います。
神様は、生きるに必要なものを、私たちの身近に置いてくれております。
それも、何の苦労もなく、手に入れられるようにしてくれています。
それを、難しくしているのが、人間の欲望なのです。
それは、本当に有るモノと、本当に無い物の、識別が出来ていないからです。
どうか、本物と偽物の識別をしてください!
識別の出来た人は、もう、欲張らないでしょう!
2023.05.17
意識って、何でしょうか? 意識を、川の流れに例えてみましょう!
意識の川が、途切れなく、流れています。
途切れなく、流れるのは、源が有るからです。
では、源は、何処なのでしょうか?
自分の意識を、「私!私!私!私!・・・」と、探って行ってみてください!
どんなに探っても、意識の源が解らないと思います。
それは、意識は、無限だからです。
この世の川は、有限ですから、源がありますが、意識の川は、無限ですから、源がないのです。
初め無き!、終わり無き!、意識なのです。
「自分の意識の源が無い!」、何と! 不可思議なのでしょう!
でも、その、不可思議な意識を、私たちは、持っているのです。
私は、思うのです。この意識がなかったら、どんなに、幸せかと・・・。
意識があるから、痛むのです。苦しむのです。悩むのです。心配するのです。
もし、意識が無かったら、何一つ、苦しむことはないでしょう。
しかし、残念なことに、この意識は、絶対に、無くなることがないのです。
無くしたいと思っても、絶対、無くせないのが、意識なのです。
無くせないなら、この意識を、どうすべきでしょうか?
苦しい処に、置くべきでしょうか? 楽しい処に、置くべきでしょうか?
楽しい処に、置くべきですね・・・。
今、多くの人が、お金や、物や、地位や、権力を追い求めていますが!
それは、幸せが、欲しいためなのです。
でも、彼らは、真の幸せが、どのようなものか、解かっていないのです。
解っていないから、この世のものを集めて、満足しようとしているのです。
どんなに、この世のものを集めても、真の幸せは、得られないのです。
なぜなら、幸せは、意識状態だからです。
では、どうしたら、 真の幸せを、得ることが、できるのでしょうか?
それは、自分の本性を知ることです。
自分の本性が「意識である!」と、心の底で思えたら、幸せな意識状態になれるのです。
そのためには、原子核を大きくし、理解力を高める、必要があるのです。
学びの友の皆さんは、今、それを、やっているのです。
人生は、「意識次第だ! 想念次第だ!」と、心の底で解った人は、どのような、意識の使い方をするでしょうか!?
決して、自分を苦しめるような、意識(想念)の使い方はしないでしょう!
なぜなら、想念の偉大さを、知った者は、「原因と結果の法則」も、知っているからです。
手を、火の中に入れて、火傷をしない人はいないのです。
でも、一般の人は、それを、平気で、やっているのです。
そして、なぜ、火傷をするのだろう? と、首を傾げているのです。
それは、「想念の偉大さ」と「原因と結果の法則」を、知らないからです。
彼らは、火の中に手を入れて、今、それを、知ろうとしているのです。
学びの友の皆さんは、それを、知った、魂なのです。
2023.05.18
この世界には、たくさんの宗教があります。
その宗教の多くは、この世と、あの世を、ぐるぐる回る、輪廻転生のお話しをします。
お釈迦様も、輪廻転生のお話しをしました。
輪廻転生の話しは、形の世界の話ですから、一般人には、分かりやすいのです。
でも、皆さんのように、魂が熟してくると、そのような、お話では、満足できなくなるのです。
なぜなら、苦界を、ぐるぐる回る話しに、何の意味も無いことが、分かるからです。
私たちは、「本当の自分が何なのか?」知りたいのです。
でも、知るためには、形の世界で、色々な体験をする必要があるのです。
だから、魂は、競って、形の中に入ってくるのです。
しかし、形の中に入れば、自由な自分から、不自由な自分になるわけですから、魂にとっては、屈辱です。
でも、屈辱を越える、成長の喜びがあるので、魂は、競って、生まれてくるのです。
形の世界は、魂を進化成長させる、大切な学びの道場なのです。
自分が、「形である! 人間である! 肉体である!」と、思っている内は、何度も、形の世界に、生まれて来なくてはなりません。
でも、自分が、「意識である! 神である! 生命である !」と、心の底で思えるようになったら、もう、形の世界に、生まれて来る必要がなくなるのです。
皮肉な話ですが、私たちは、生まれて来なくなるために、生まれて来たのです。
あなたは、また、人間として、生まれて来たいですか?
もう、こりごり、では、ありませんか?
「もう、こりごりだ!」と、思うぐらい、人間嫌いになってください!
人間を懐かしく思う人は、また、生まれて来なくては、ならないでしょう!
魂が、形の中に入っている時は、形につけられた名前を、自分だと思ってしまいます。
つまり、人間の形の中に入っている時は、「誰の誰べい!」だと思ってしまうのです。
魂、そのものには、名前がないのです。
だから、形から抜けた途端、迷子の魂になってしまうのです。
つまり、誰の持ち物でもない、魂になってしまうのです。
しかし、神様は、迷子の魂を創らないよう、形を持たせたのです。
それも、永遠に無くならない形を ・・・。(肉体の下に、無限の形を持っている)
しかし、その形に、囚われ、苦しんでいるのが、今の私たちなのです。
今、人類が、四苦八苦して、生きているのは、肉体を、自分として、生きているからです。
もし、「自分は、魂である!」と、自覚できたら、苦しみから、解放されるでしょう!
だから、一日も早く、本当の自分に、目覚めなければならないのです。
2023.05.19
この宇宙は、体験を通して、進化成長するよう、仕組まれています。
ただ、頭で知っただけでは、進化成長できないのです。
いつも、言うことですが、頭で泳ぎ方を学んでも、実際に、泳いでみなければ、泳げるようにならないのです。
特に、真理は、相対的な体験が必要なのです。
つまり・・
何事も、反対の体験がなければ、分からないのです。
今、人類が、醜い表現をしているのは、相対的な体験が足りないからです。
相対的な体験を重ねるうちに、善の尊さを知り、完全の有難さを知り、愛の素晴らしさを知ってゆくのです。
焦らないでください!
私たちは、
1刻1刻、進化しているのですから・・
毎日毎日、進化しているのですから・・
毎週毎週、進化しているのですから・・
1月1月、進化しているのですから・・
1年1年、進化しているのですから・・
一生一生、進化しているのですから・・
私たちは、永遠の命ですから、急ぐ必要はないのです。
今、やるべき事を、着実に、やれば、良いのです。
今、やるべき事とは、社会体験と瞑想です。
今、私たちは、この表現世界で、色々な事を学んでおります。
例えば・・
他にも、たくさん、ありますが、中でも、大切な学びが、愛の学びです。
まず、私たちは、家族愛を、学びます。
その愛を、隣人愛に、広げてゆきます。
さらに、村民愛へ、県民愛へ、国家愛へ、人類愛へと、拡大してゆき、
最終的には、宇宙愛にまで、拡大してゆくのです。
人間世界には、様々な愛の形があります。
例えば、
でも、この愛は、歪んだ形の愛なのです。
なぜなら、人間は、自分の都合の良い愛を、欲するからです。
この宇宙には、普遍的な愛の形があるのです。
それは、素朴な愛の形です。
その愛を、私たちは、体験を通して、学んでゆくのです。
新・光のメロディー「愛の手ほどき」
2023.05.20
私が、「自分の意識の前でしか起きない!」と言うのは、自分の意識が無かったら、何が起きても、分からないからです。
分からない、と言うことは、何も起きていない、と言うことです。
これは、当たり前の事で、何の不思議もないのです。
この宇宙には、たった一つの主観意識が、有るだけなのです。
その主観意識のことを、神と呼んでいるのです。
私たちは、その神から生まれた、子どもたちなのです。
と言うことは、神と同じ主観者である、と言うことです。
そうです!
私たちは、唯我独存(尊)の主観者なのです。
唯我独尊の主観者ゆえに、自分の意識の前でしか、起きないのです。
完全なる神が、意味なく何かを、起こすはずがありません。
必要だから、起こすのです。
では、どんな意味があって、起こすのでしょうか?
それは、進化成長に、必要だから、起こすのです。
ですから、どんなことが起きても、有難いと思ってください!
とは言っても、今、苦しい状況にある人は、信じられないかもしれません。
しかし、それでも、信じてください!
なぜなら、信じても、損しないし、信じなくても、損しないからです。
ならば、信じた方が、得では、ありませんか?
なぜなら、信じたら、現況が変わるからです。
「信じる者は救われる!」と言われるのは、信じた自分の想念が、現況を変えるからです。
なぜ、想念は、現況を変えるか、と言いますと、想念は、創造力を持っているからです。
それも、良い思いには、良い創造力が働き、悪い思いには、悪い創造力が働くのです。
それも、想いの力に比例して・・です。
何もせず、傍観していたのでは、何も変わらないのです。
良い原因を、想念で創ることです。
良い原因を創れば、必ず、良い結果が生まれます。
良い想念の一番は、神を想うことです。
神を想っている時は、悪いことが、想えません。
だから、神を想えば、二重の功徳があるのです。
是非、神を想って、苦しい現状を変えてください!
自分の意識は、何処から、生まれたのでしょうか?、分からないのです。
分からないから、「神」と呼ぶしかありません。
何故なら、神は、分からないモノの総称だからです。
「神」と言う、言葉が嫌いなら、「生命」と言っても、「宇宙」と言っても、「X」と言っても、結構です。
要するに、自分の意識は、不可解なモノ、解らないモノから、生まれたのです。
それも、必然で生まれたのです。
もし、偶然で生まれたなら、自分の意識は、とっくに、無くなっているからです。
あなたの意識が、今日まで、無くならなかったのは、完全だからです。
完全なるがゆえに、意識は、永遠に、無くならないのです。
ちなみに、不完全なものは、途中で、無くなるのです。
と言うことは、見えている物は、すべて、不完全だと言うことです。
そんな、不完全なものを追いかけて、心が安らぐはずがありません。
神の存在を、信じない人がおりますが、それは、自分を産んだ、親の存在を、信じないようなものです。
自分の親を信じないで、一体、何を信じる、と言うのでしょうか?
確かに、 世の中には、苦しいことが、多々あります。
ですから、「神などいるものか?」と、思いたくなる、気持ちは分かります。
でも、神は、間違いなく、存在するのです。
自分が、存在していること自体が、神が存在している、証しだからです。
自分とは、神が、「自」らを、「分」けたのです 。
どうか、神の存在を、信じてください!
自分の親の存在を、信じてください!
何が起きても、神を信じ、神に従順に生きてください!
神に従順に生きるとは、「法則に」・・「良心に」・・従順に生きる、と言う意味です。
これほど、安全で、安心な、生き方は、ありません。
なぜなら、法則が、自分を守ってくれるからです。
どんなに、銃で、身を守っても、
どんなに、ボディーガードを雇って、身を守っても、
どんなに、頑丈な家を建て、身を守っても、
いつ、雷に打たれて、死ぬか分かりません。
いつ、病気になって、死ぬか分かりません。
でも、法則は、どんな脅威からも、守ってくれるのです。
法則は、完璧なのです。法則は、完全なのです。
しかし、その法則を、働かせるのは、想念です。
だから、想念の使い方を、学ばなければなりません。
では、学びましょう! 簡単です! 誰でも、今すぐ、できます。
それは、「神を想う」だけです。
お金もかかりません。何処へ行く必要もありません。
自分の想い一つで、出来るのです。
どうか、神が創られた法則を信じ、想念を有効に使ってください!
神のメロディ「神の想い!」
2023.05.21
今、地球人類は、全員が全員、 幻のトリックに、引っかかっているのです。
私たちが、見ている世界、感じている世界は、幻なのです。現象なのです。三次元の世界(物質の世界・この世と言われている世界)なのです。
私たちは、四次元の世界(幽界・あの世と言われている世界)から、三次元の世界に出て来たのです。
肉体が誕生したと言いますが、この三次元の世界に出てくるためには、肉体と言われる、次元変換装置に乗って、出て来なければならないのです。
この肉体は、三次元の世界で、活動するために必要な乗り物なのです。
人間は、肉体の死を、終わりだと思っていますが、肉体の死は、三次元の世界から、四次元の世界に、戻ることなのです。
この宇宙に、死は無いのです。
なぜなら、私たちは、肉体では無く、意識だからです。
意識に、死は無いのです。意識は、永遠に生き通すのです。
肉体は、仮想空間を演出する、道具なのです。
その道具は、あまりにも、リアルに出来ているために、全員が全員、本当にある世界だと、思い違いさせられているのです。
でも、本当にある世界だと思うから、真剣に生きるし、真剣に生きるから、成長できるのですから、神様は、実に、うまい仕組みを、創られたものと思います。
今、述べていることは、今の地球においては、非常識なことかもしれません。
なぜなら、理解できる人より、理解できない人の方が、多いからです。
どんなに、私の言っていることが、正しくても(常識でも)、理解できる人が少ない世界では、非常識になるのです。
今、1の理解力を持った人が、1000人、いたとしましょう。
そして、10の理解力を持った人が 、10人、いたとしましょう。
そこでは、1の理解力を持った人の言うことが、常識になり、10の理解力を持った人の言うことは、非常識になるのです。
常識と言うものは、理解している人の数によって、変わってくるのです。
ですから、今、地球で、常識だと言われていることを、鵜呑みにしてはなりません。
今の地球には、常識と言われていることの中に、非常識なことが、たくさん、あるのです。
この表現世界は、実に、うまくできているもので、同じ理解力を持った人たちの多い社会を造り上げるのです。
どんなに、理想の社会システムを掲げても、理解できる人が少なければ、取り入れられないのです。
例え、取り入れられたとしても、理解力のない人たちにとって、その社会は、苦しいのです。
濁った水の中で生きている魚は、清い水の中に入れば、苦しくなるのです。
それでは、良い環境(社会)とは、言えないのです。
今の地球では、多くの人が納得する社会(民主主義社会)が、常識の社会であり、それが、良い社会なのです。これは、仕方のないことなのです。
でも、民主主義社会は、幼い魂が、上に立つ仕組みですから、いつまでも続くと、思ってはなりません。
いつか、必ず、破綻します。
破綻しなければ、正常な精神が、破壊されてしまうからです。
第一、地球環境が、保たれないからです。
精神の破壊と地球環境の破壊は、民主主義社会においては、あるいは、物質文明社会においては、比例して進むのです。
いつの文明も、今の地球と同じ轍を踏んで、滅亡していったのです。
物質文明は、学びに、一時、必要な文明であって、学び終えた暁には、不要な文明なのです。
地球において、これまで、何度も、物質文明の崩壊は、起きています。
でも、それも、進化の道程の一つなので、決して、悪いことでは、なかったのです。
必要なのは、物質文明から、何を学ぶか?です。
学んで、魂が、進化成長することです。
勿論、地球に、理想世界を建設することは、目的の一つではありますが、それは、物質文明とは、無関係なのです 。
人類の歴史を、顧みてください!
人力・畜力の時代が、何千年も、続きました。
物質文明(機械文明)が、発達し始めたのは、わずか、数百年前からです。
それも、近年、右肩上がりで、発達しています。
果たして、いつまでも、右肩上がりで、発達し続けられるでしょうか?
もし、続いているなら、今も、過去の文明が続いているはずです。
過去の文明は、ご破算になったのです。
そして、一から、新しい文明が始まったのです。
今日の文明は、たかだか、6・7000年前から始まった文明なのです。
と言うことは、今日の文明も、原始時代に、逆戻りする時が来る!と言うことです。
2023.05.22
復習しましょう!
神は、全能です。全能ですから、出来ないことはありません。
しかし、神には、姿形がありませんので、どんなに偉大な能力を持っていても、自分の存在を誇示することができないのです。
それでは、存在意味がないので、神は、表現宇宙を創り、そこに、自分の分身を送り出して、客観的に、自分の存在を、認めてもらおうと、考えたのです。
人類は、その神の分身なのです。
しかし、長い間、形の中に入っているうちに、「自分は人間である!」と、思い違いしてしまったのです。
人間が、思い違いしたのではありません。神が、思い違いしたのです。
私たちは、神から生まれた、分身ですから、当然、自由な生き方が、出来るはずです。
しかし、今は、人間だと、思い違いをしているために、不自由な生き方しか出来ないのです。
この思い違いを解くためには、原子核を増やして、神の自分に目覚めなくてはならないのです。
私たちは、今日まで、魂を大きくし、鉱物・植物・動物・人間へと、進化して来ました。
でも、まだ、自分が神だと、自覚するまでに、至っていないのです。
今の地球人類は、その段階に、いるのです。
どんな幼い魂でも、不自由で、苦しい、肉体の中に、長期間いれば、「自分は、人間では無く、意識である!」と、気づくでしょう!
さらに、「この世界は、結果の世界ではないか? 幻の世界ではないか?」と、気づくでしょう!
気づいた魂は、客観的な見方から出て、主観的な見方が出来るようになるのです。
つまり・・
と言う、見方が出来るようになります。
そう言う、見方ができるようになると、外側の幻に、心が惑わされなくなるのです。
さらに・・・
そう言う、考えも、無意味であることが、解るようになるのです。
思うのは、ただ一つ・・それは、自分だけの成長です。
だからと言って、「客観的見方を捨てなさい!」と、言っているわけではありません。
客観的見方も、大切です。
なぜなら、魂の幼い時分には、客観的相手と戯れながら、進化せねばならないからです。
でも、学びの友の皆さんのように、成長してくると、もう、戯れる必要はありません。
主観的世界には、自分しかいないのです。
自分は、唯我独存(尊)なのです。
自分は、宇宙の主なのです。
そのような、見方が出来るようになると、悩まなくなります。心配しなくなります。心を痛めなくなります。人に、気を使わなくなります。
要するに、楽な生き方が、出来るようになるのです。
真理は、何度、繰り返しても、繰り返し過ぎる、と言うことはありません。
「なぜ、同じことを、何回も、繰り返すのだ!」と言う人は、まだ、真理を知らない人です。
神様は、私たちに、進化成長して貰いたいのです。
ですから、神様は、私たちに・・
学びに必要な、全てのものを、与えてくれたのです。
何と! 思いやりのある、神なのでしょうか!
神様に、感謝しましょう!
この宇宙には、神しかおられません。これは、曲げようのない事実です。
ならば、今、存在している、あなたは、神ではありませんか?
あなた だけ、では、ありません。
今、存在している、鉱物・ 植物 ・動物 ・人類の全てが、神なのです。
なぜなら、今、言ったように、この宇宙には、神しか、おられないからです。
神のメロディー「神様からの贈り物」
2023.05.23
幽界には、 波動の低い世界から、波動の高い世界まで、限りなくあるのです。
一般的に、低い波動の影響を受けることを、憑依現象と言いますが、高い波動の影響を受けることも、憑依現象と言うのです。
どちらも、同じ、憑依現象ですが、波動の低い憑依現象は、サタンが起こし、波動の高い憑依現象は、天使が起こすのです。
良く、作曲家や、作詞家や、小説家 など、芸術家タイプの人たちが、自殺しますが、それは、一般の人たちより、霊道が太いからです。
霊道が太いと、天使の波動も、受けやすいけれど、サタンの波動も、受けやすいのです。
ですから、霊道の太い人は、よくよく、注意せねばならないのです。
霊道の太い人たちばかり、では、ありません。
最近は、一般の人たちも、憑依を受けることが、多くなっているのです。
原因は、不安を抱えている人が、多くなっているからです。
では、どうしたら、避けられるでしょうか?
それは、常に、心を安定させておくことです。
一番良いのは、神を想うことです。
サタンは、常に、心の隙を伺っているのです。
少しでも、心に隙を見せると、ここぞとばかり、つけ込んでくるのです。
どうか、隙を見せないよう、しっかりと、心の管理をしてください!
私たちの住んでいる表現世界は、一時、現象として現れている世界で、本当にある世界ではないのです。
しかし、サタンは、本当にある世界のように、惑わしてくるのです。
その惑わしに乗り、サタンの餌食になってしまうのが、私たちなのです。
特に、心に不安を抱えている人は、餌食になりやすいのです。
サタンの餌食にならないためには、この世界が、幻の世界であることを、見抜かなければなりません。
見抜けば、サタンは、逃げ出してしまいます。
そのためには、原子核を大きくすることです。
原子核が大きくなれば、波動が上がるので、心が安定します。
心が安定すれば、サタンの波動に、やられなくなるのです。
外側の世界が、幻だと、心の底で解れば、解るほど、内側の世界に、熱中できるようになるのです。
つまり、深く、瞑想できるようになるのです。
サタンは、それが、恐ろしいのです。
だから、何かと、心に不安を与えることを、してくるのです。
体調が悪くなるのも、そうです・・
事件や、事故に、遭うのも、そうです・・
周りの人とトラブルを起こすのも、そうです・・
これは、つけ入れられる波動を持っているから、起きるのですから、自分の責任です。
前述したように、憑依現象には、サタンの憑依と、天使の憑依の二種類があるのです。
サタンの憑依は、災いを、もたらし、天使の憑依は、幸いを、もたらすのです。
地球には、有名な童話が、数多くありますが、完全な形で降ろされた童話は、少ないのです。
理由は、受け取った人の自我によって、天の思いが、歪められているからです。
音楽も同じで、まともな曲が、少ないのです。
学びの友である、藤島さんが降ろしてくれた、光のメロディーは、天の思いを、完全に近い形で降ろしてくれております。
ですから、聴いていて、心地が良いのです。
心が落ち着かない時は、是非、聴いてください。
名曲の中に、あまり、歪められていない曲が、ありますので、その一つを、ご紹介します。
この曲を聴いた者は、心が洗われる、と言います。
是非、聴いてみてください!
2023.05.24
どんなに、良いものが、目の前にあっても、理解できなかったら、無いのと同じなのです。
どんなに、素晴らしい真理を、聴いても、理解できなかったら、聴いていないのと同じなのです。
曲解されれば、危険物にさえなってしまうのが、真理なのです。
全て、理解力です。
キリスト教の創始者である、イエスも、素晴らしい真理を降ろされました。
また、イスラム教の創始者である、ムハンマドも、素晴らしい真理を降ろされました。
でも、その真理が、曲解された為に、今、宗教戦争が起こっているのです。
良いものが、危険物になった事例です。
イエスも、ムハンマドも、きっと、嘆いていることでしょう。
でも、彼らの降ろした真理は、それなりの役割を果たしていたのです。
数は少ないけれど、彼らが降ろした真理を、正しく理解し、生活に活かしている人たちがいるからです。
真理は、諸刃の剣なのです。
私が述べた真理も、曲解されて、受け取られたら、危険物になってしまうのです。
ですから、私は、理解力が大切ですよ!と言うのです。
私の人生が苦しかったのは、理解力が乏しかったからです。
もう少し、理解力が高かったら、あのような、苦しい人生を送らないで済んだでしょう。
どうか、理解力を高めてください!
高まったら、高まった分、人生の見通しが利くようになります。
そのためには、瞑想をして、理解力を高めてください!
いつも言うことですが、1階から見ている景色と、5階から見ている景色と、10階から見ている景色は、違うのです。
1の理解力しか持ってない人は、1の宇宙(景色)を見ているし、
5の理解力を持っている人は、5の宇宙(景色)を見ているし、
10の理解力を持っている人は、10の宇宙(景色)を見ているのです。
私が、真理のお話をし合ってはならない、と言うのは、見ている景色が、みな、違うからです。
見ている景色が、違うのですから、意見が合うわけがないのです。
全て、理解力です。理解力が、真理を牽引していくのです。
ですから、理解力が真理を創る、と言っても、過言ではないのです。
そうです。
真理は、受け取り人が創るのです。
外側に、真理があるのではないのです。内側に、真理があるのです。
今、述べたことを、理解するのも、理解力です。
あなたは、どのような、理解力を持って、この言葉を受け取っているでしょうか?
2023.05.25
この宇宙には、一つのものしか、存在しません。
その一つのものを、私たちは、神と呼んだり、生命と呼んだり、意識と呼んだり、あるいは、素材と呼んだりしているのです。
神が何かを創る場合、神、自らが、そのものになるしかない、と言うのは、この宇宙には、たった一つの素材、つまり、神しか、存在しないからです。
一様の神(素材)しか、いないなら、その神(素材)が、形になるしかないでしょう。
一様の神(素材)で、創られている、と言うことは、全ては、一つである、と言うことです。
私たち人間も、そのたった一様の神(素材)で、創られているのです。
表面は、人間の形をしていますが、その中には、神なる素材がある、と言うことです。
これは、意識についても、言えることなのです。
私たちは、今、自我意識で、私と思っていますが、その私と思っている意識の背後には、もう一つの意識があるのです。
それが、真我意識なのです。二つで、一つになっているのです。
形をみれば、人間ですが、その背後には、神の意識(素材)がある、と言うことです。
ですから、人類は、間違いなく、神の子なのです。
よろしいですか?!
神の国は、どこか遠くにあるのではないのです。私たちの中に、神の国があるのです。
なぜなら、今、述べたように、神の意識(素材)によって、私たちは、創られているからです。
意識の正体は、何でしょうか?
解かっている事・・意識は・・、
このように、意識の、おおよその側面は、分かるのです。
でも、肝心なことが、解らないのです。
つまり、意識の誕生歴が、分からないのです。
誕生歴が、分からないから、生暦が、分からないのです。
だから、意識は、不明なのです。
私たちは、その意識を持っているのです。
と言うことは、私たちも、解らない、と言うことです。
絶対、解りようのないモノ、それが、意識であり、私たちなのです。
私たちは、解らない意識なのです。
でも、解らなくて、良いのです。
ただ、「自分は、意識である!」と、心の底で思えるようになることが、必要なのです。心の底で思えるようになったら、幸せになれるからです。
私たちは、幸せだけ欲しいのです。
幸せが得られたら、自分の意識の正体など、知らなくていいのです。
私たちの目的・・・それは、「自分は、意識である!」と言う、自覚です。
それが 、「究極の真理を知った!」と言うことなのです。
これは、学びの友の皆さん 以外、誰も、理解できないでしょう!
2023.05.26
時間の流れが、あります。時間の流れは、過去から現在へ、現在から未来へと、流れて行き、逆流することは、ありません。
では、この時間の流れは、どのような意味が、あるのでしょうか?
何の意味も無く、ただ、未来に向かって、流れているのでしょうか?
いいえ、きっちりとした意味を持って、流れているのです。
表現宇宙は、常に、進化成長へ向かっています。
それは、時間が、進化成長の方へ、流れているからです。
時間は、未熟なものを 成熟なものへ、子供を 大人へ、未完成を 完成へと、進化成長させてくれるのです。
では、どうして、時間には、そのような力が、あるのでしょうか?
それは、時間の「時」は、エネルギーだからです。
それも、意思を持った、計画性を持った、エネルギーだからです。
もう一つ、時間が成長させてくれる理由は、時間の「間」は、体験させてくれる場所だからです。
「間」とは、物質のこと・・この世のこと・・ 肉体のことなのです。
私たちは、肉体を使い、「この世と言う場所」で、様々な体験をして、進化成長して行くのです。
私たちは、「時間」なのです。
なぜなら、私たちの中に、「時」と「間」が、あるからです。
「時」は、意識なのです。
「間」は、肉体なのです。
私たちは、常に、「時間」を使っているのです。
時間を使ってる、と言うことは、エネルギーを使っている、と言うことです。
だから、生きているだけで、成長するのです。
この意味を、もう少し、詳しく説明しますと、肉体を持って生きるには、お金や物がいりますから、一生懸命、働かなければなりません。
また、肉体を持っていると、肉体のケアもしなければなりません。
それを、行う時には、必ず、時間を使っているのです。エネルギーを使っているのです。
つまり、体験をしているのです。
だから、進化成長できるのです。
この仕組みは、絶妙です。
私たちは、嫌でも、進化成長して行かなければならないように、出来ているのです。
「時」は、常に、進化成長を望んでいます。
ですから、時は、一生懸命、生きようとするのです。
でも、「間 」は、怠けたがるのです。
ですから、「時」と「間」は、いつも、戦っているのです。
聖戦とは、「時」と「間」の戦いなのです。
つまり、真我と自我の戦いなのです。
生きているだけで、進化成長できるけれど、その生きることが、厳しいのです。
しかし、その厳しさが、進化成長させるのです。
確かに、肉体を持って生きることは、厳しいです。
でも、自分の思い通りに、生きたら、良いのです。
例え、自分の思い通りに、生きて、失敗しても、それは、成功だからです。
なぜなら、時間を使っているからです。
過去に、生きてはいけません!
未来に、生きてもいけません!
今に、生きてください!
今だけが、実在だからです。
今だけが、成長させてくれるからです。
私たちは、 過去にも、生きられないし、未来にも、生きられないのです。
なぜなら、今しか無いからです。
過去を振り返って、悔やんだり、まだ来ぬ、未来を、憂いている人は、死んでいる人なのです。
なぜなら、無い時間に、生きているからです。
一番、愚かな生き方は、今の時間を、妄想に使うことです。
妄想は、無いものを、作ってしまうのです。
これほど、恐ろしいことは、ありません。
特に、学びの友の皆さんは、エネルギーが強くなっていますから、注意しなくてはなりません。
どうか、今の一時を、本当にあるものに、使ってください!
本当にあるものとは、神です。
神を想ってください! その人は、生きているのです。
旧・光のメロディ「今という時」
2023.05.27
この宇宙には、「完全のみがあるのです」。
なぜ、そう言えるのか、と言いますと、宇宙を創造した、神が、完全だからです。
確かに、この宇宙には、不完全に見えるものがあります。
でも、それは、完全の一部であって、不完全ではないのです。
不完全を、不完全で終わらす神なら、不完全な神です。
悪を、悪で終わらす神なら、不完全な神です。
ニセモノを、ニセモノで終わらす神なら、不完全な神です。
でも、
不完全は、完全に、繋がっているし、
悪は、善に、繋がっているし、
ニセモノは、ホンモノに、繋がっているのですから、
神は、完全なのです。
どちらもなければ、どちらもないのです。
表だけの手は、無いのです。裏だけの手も、無いのです。
表と裏が揃って、手は有るのです。
分数が有って、元数1が有るのです。
左が有って、右が有るのです。
人間が有って、神が有るのです。
完全なるものは、 陰に隠れていて、見えないのです。
だから、見える物を通して、完全を現しているのです。
見える物の背後には、必ず、見えない完全がある、と言うことです。
つまり、現象の背後には、必ず、真実が有る、と言うことです。
だから、私は、見える物を軽んじてはならない!、現象を軽んじてはならない!、この世を軽んじてはならない!、と言うのです。
私は、神の自覚を持つことを、第一の目標に置いています。
皆さんを、神の自覚に導きたいのです。
「自分が神である!」と言う、自覚を持つと、宇宙観や、世界観や、人生観が、全く、変わってしまうのです。
また、変性・変容も、起きるのです。
これは、体験した者でなくては、解からないでしょう。
それが、私の歯がゆいところです。
ただ、一つ言えることは、「自分が神である!」と言う、自覚と、「この世は、幻である!」と言う、自覚は、同じ、自覚なのです。
ですから、どちらか一つ、自覚ができたら、二つとも、自覚できるのです。
つまり、「神の自覚」ができれば、「この世が幻である!」と言う、自覚ができるし、
「この世が幻である!」と言う、自覚ができれば、「神の自覚」も、できるのです。
神が、幻の世界を創ったのですから、 当然と言えば、当然の話です。
私は、これまで、神の自覚を深めてもらいたいと思って、瞑想を勧めてきました。
その方が、早く、自覚できるからです。
でも、「この世が幻である!」と言う、思いを持ち続けることも、瞑想と同じぐらい、大切なのです。
どうか、瞑想と並行して、「この世は、幻である!」と言う、思いも持ち続けてください!
この表現世界は、次から次と消えて行く、幻の世界なのです。
現れては消え、現れては消えて行く、現象の世界なのです。
実際に有る世界ではないのです。そのことを、心の底で知ってください!
心の底で知ると、この世の物に、囚われなくなります。
そうなれば、生き方が、楽になるのです。
どうか、「神の自覚」を深めると、同時に、「この世が幻である、と言う自覚」も、深めてください!
旧・光のメロディ「自覚」
2023.05.28
見える物は、何から、生まれたのでしょうか?
見える物から、生まれたのでしょうか? 見えないモノから、生まれたのでしょうか?
見えないモノ(原因)から、生まれたのです。
もし、見える物から、生まれたなら、見える物は、結果(幻)ですから、結果(幻)から、見える物が生まれたことになり、この宇宙は、めちゃくちゃになってしまいます。
結果(幻)から、結果が生まれることは、絶対、無いのです。
見える物は、見えないモノから、生まれてくるのです。
見えないモノは、無くなりようのない、真実だからです。
これは、当たり前のことです。
でも、あまりにも、当たり前すぎて、誰も、深く考えようとしないのです。
見える物と見えないモノは、同居しているのです。
見える物と見えないモノは、離れたことがないのです。
見える物と見えないモノは、二つで一つなのです。
と言うことは、人間の中に、見えないモノが有る、と言うことです。
そうです!
人間は、見えないモノから、生まれたのです。
その見えないモノを、神と呼んでいるのです。
ですから、人間は、神なのです。
人間と神は、一緒なのです。
人間と神は、二つで一つなのです。
人間は、神から離れたことがないし、神は、人間から離れたことがないのです。
私の中には、二人の自分がいるのです。
一人は、自我の自分、もう一人は、真我(神)の自分です。
この真我の自分は、私たちを、行くべき処へ、導いてくれているのです。
私の人生には・・
いつも、あなたが、おりました
あの苦しかった時にも・・
あの楽しかった時にも・・
あの悔しかった時にも・・
あなたが、おりました
あなたは・・
時には、諌め・・
時には、慰め・・
私を励ましてくれました
どんな窮地に立たされた時も・・
あなたは・・
決して、私を見放しませんでした
私の人生には・・
いつも、あなたが、おりました
あの辛かった時にも
あの嬉しかった時にも
あの惨めだった時にも
あなたが、おりました
時には、厳しい課題を与え
時には、優しい課題を与え
私を成長させようとしてくれました
どんなに絶望に陥った時も・・
あなたは・・
決して、私を見放しませんでした
私の人生には・・
いつも、あなたが、おりました
楽しい夢を見ている時も・・
あなたと一緒でした
悲しい夢を見ている時も・・
あなたと一緒でした
今日も・・
あなたと一緒に瞑ります
明日も・・
あなたと一緒に目覚めます
(神のメロディ「あなたと共に」より)
ですから、悲しみも、苦しみも、失敗も、恐れてはなりません。
私たちは、厳しい体験を通して、成長して行くのです。
では、真我と自我は、一体、どこに、向かって行くのでしょうか?・・・。
それは、幸せの国に、向かって行くのです。
私たちが、欲しいのは、唯一、幸せです。
それも、永遠に尽きない! 永遠に色褪せない! 幸せです。
真我と自我は、タッグを組んで、その幸せに向かって、歩んで行くのです。
いつも、言うことですが、神は、難しいことをしなさい!とは、言っていません。
簡単に、できることをしなさい!と、言っているだけです。
簡単に、できること・・
それは、
旧・光のメロディ「悲しみの向こうに」
新・光のメロディ「二人の自分」
2023.05.29
提言1(私の独り言)
(1)
今、地球では、全人類の英知を集めて、温暖化問題に取り組んでおりますが、資本主義経済を採用している限り、徒労に終わるでしょう。
なぜなら、資本主義経済は、成長を続けなければ、成り立たない仕組みだからです。
地球環境も、良くしたい! 経済も、良くしたい! そんな、虫の良い話しが、通るわけがないのです。
本当は、経済さえ変えれば、温暖化問題などは、簡単に解決できるのです。
しかし、それを許さない、大金持ちや、資本家や、政治家がおります。
彼らは、決して、資本主義経済を手放さないでしょう。
と言うことは、行き着くところまで、行くしかない、と言うことです。
行き着くところまで、行くしかない、と言う意味は、文明崩壊するしかない!と言うことです。
では、どうすれば、文明崩壊から免れることが、出来るのでしょうか?
それは、私が提唱している、「奉仕経済」を採用することです。
奉仕経済については、「奉仕社会を知ろう!」で、詳しく述べておりますので、是非、読んでください。
ここでは、奉仕経済の概要を説明したいと思います。
奉仕経済は・・
資本主義経済には、良いところより、悪いところの方が、多くありますが、奉仕経済は、良いところばかりなのです。
ただし、少し、欲望を抑えなければなりません。少し、我慢をしなければなりません。
それができたら、これ以上の経済はないのです。
では、奉仕経済の良いところを、ご紹介しましょう!
「この他にも、奉仕社会の良いところは、多々ありますが、知りたい方は、(奉仕社会を知ろう!)を読んでください。」
奉仕社会とは、このように、大金持ちもいないけれど、貧乏人もいない、平均的生活者が、笑顔で生きられる社会なのです。
(2)
地球環境を良くする一つの方法は、有用微生物群(EM菌・発酵菌など)を利用した農業を推進することです。
これだけで、ほぼ、環境問題は、解決します。
例えば、有用微生物農法では、化学肥料を使いません。農薬も使いません。
有用微生物菌自体が、善玉菌・浄化菌ですから、土、そのものが、健康になるのです。
ですから、採れた農産物は、身体に良いものばかりです。
これは、労働力が豊富で、時間も、手間も、たっぷり、かけられる、奉仕経済だからできるのです。
では、それほど、良い農法なのに、なぜ、今の社会では、使われないのでしょうか?
それは、手間がかかり、人件費が嵩むので、資本主義経済では、採算が合わないからです。
これは、農業だけでは、ありません。全ての産業において、言えることなのです。
資本主義経済が、地球環境に害を及ぼすことは、誰でも、知っているのです。
でも、それが、止められないのです。
なぜなら、資本主義経済は、前述したように、儲けなければ、やってゆけない経済だからです。
儲けるためには、消費回転を、速めなければなりませんから、数年置きに買い換えるよう、仕向けられます。
スマートフォン、一つとっても、 新製品を、どんどんと発表し、買い換えるよう仕向けられます。
今、世界では、100億台以上のスマートフォンが、使われているわけですから、その買い換えによる、ゴミの量は、一体、いかほどでしょうか?
これは、車は、当然、家電製品の全てが、そうですから、そのゴミの量を考えたら、そら恐ろしくなります。
どんなに、「温暖化を止めよう!」と叫んでも、このような経済を使っている限り、温暖化は、絶対、止まりません。
人の欲望を刺激して成長させる、資本主義経済の下では、地球環境の保全など、夢のまた夢です。
確かに、最近、「温暖化を止めねばならない!」と、政治家や経済学者が、言うようになりましたが、本気で、そう思っているのでしょうか?
私は、口先だけで言っているように、思えてならないのです。
本気で、そう思っているなら、地球環境に配慮した私生活をしているはずだからです。
一般の人たちも、地球環境に対して、細かい配慮が足りないように思います。
例えば、エレベーターを乗る場合、 乗り合わせながら、乗っているでしょうか?
少し待てば、乗り合わせできるのに、一緒に乗るのが嫌だからと言って、次のエレベーターを待って、一人で乗る人さえいるのです。
あの重いエレベーターを、一人乗せて上るのに、どれだけの電気が使われているでしょうか? 二人で乗れば、2分の1の電気で済むのです。
今、世界中で、 膨大な数のエレベーターが、使われているわけですから、もし、世界中の人たちが、細かい配慮でエレベーターを使ったら、どれだけ、電気が節約できるでしょうか?
あなたは、
世の中には、毎週のように、遊園地や観光地に、車で行く人がいます。
中には、美味しい物を食べに、あるいは、物を買いに、外国まで行く人がいるのです。
地球環境のことを考えたら、安易に、車や飛行機は、使えないはずです。
「そんなことを言っていたのでは、経済が成り立たない!、私は、経済成長のために、お金を、たくさん、使っているのだ!」と言う人がおります。
そうです! 今の資本主義経済では、成り立たないのです。
しかし、儲ける必要の無い、奉仕経済なら、成り立つのです。
こう言うと・・・
「人間は、文化的生活を営む権利がある!」、あるいは、「人間は、楽しみがなくては、生きていけない!」と言う人がいます。
確かに、私たちには、文化的生活を営む権利があります。
また、楽しむ権利もあるでしょう。
でも、行き過ぎていないでしょうか?
人の欲望を刺激して、消費を煽る、資本主義経済の下では、地球環境を良くすることは、絶対、できません。
これは、断言しておきます。
地球環境が大切なのか?(命が大切なのか?)、欲望を満たすことが大切なのか?、考える時期に、来ているのではないでしょうか?
(3)
地球環境を憂える若者たちが、今、世界のリーダーたちに向かって、声を上げています。
これは、とても、良いことですが、どうでしょうか? 声を上げている彼らは、何か地球環境を良くする代案を持って、言っているのでしょうか?
声を上げるだけなら、誰にでも、できるのです。
私は、その若者たちに、言いたい・・ いや、全人類に、言いたいのです。
今、自分ができることを、やったらどうですか? と・・・ それは、自分の生活を、見直すことです。
どうでしょう!? 皆さんは、地球環境を汚すような、欲望的な生活をしていないでしょうか?
例えば、
挙げれば、キリがありませんが、日常生活の中で、地球環境に優しくできることは、たくさん、あるのです。
もう少し、言いましょう!
今、殆んどの人たちが、早く、楽に、綺麗に、汚れを落としたい為に、化学洗剤を使っているのです。
その汚水は、下水管を通り、川や、池や、湖や、海に、流れて行きます。
例え、汚水処理場を通ったにしても、最終的には、川や、海に、流れて行くのです。
今、川や、海を、汚しているのは、各家庭から出された、生活排水と、工場から出された、産業排水なのです。
今、世界中には、網の目のように、舗装道路が敷かれています。
その舗装道路の脇には、排水溝が用意されており、そこに、木々の枯葉が落ちて、川へ海へと、流れて行きます。それが、海の汚染にも、つながっているのです。
本来、土に返って栄養になるべき枯葉が、舗装道路を作った為に、海まで流れて行って、海を汚しているのです。
そんなことを、少しも考えないで、多くの人が、マイカーを乗り回しているのです。
その人たちは、海の汚染に、加担しているのです。
無駄な買物をしている人も、同じです。
なぜなら、買った物を運ぶのに、トラックが高速道路を走っているからです。
地球環境を憂いるなら、まず、あなたの私生活から変えてください。
(4)
地球環境を良くする方法を、教えましょう!
もし、各家庭で、有用微生物菌(EM菌・類似の菌)を使えば、台所も、風呂場も、トイレも、ピカピカになるでしょう。それだけではありません。
台所や風呂場やトイレを浄化した水は、下水管を通って、川や池や湖を通って、最終的に、海に流れて行きますが、流れてゆく途中、下水管を浄化し、川を浄化し、池を浄化し、湖を浄化し、海に入っても、浄化し続けるのです。
全世界の家庭から、有用微生物菌の水が流されたら、おそらく、地球全体が、ピカピカに浄化されるでしょう。当然、空気も、雨も、浄化されるでしょう。
と言うことは、温暖化が止まり、気象異変も収まる、と言うことです。
今、魚が、段々捕れなくなっていますが、 有用微生物菌が使われるようになったら、たくさん、魚が捕れるようになるでしょう。それだけでは、ありません。
地球上の腐敗菌が、少なくなってゆくので、鳥インフルエンザも、豚コレラも、狂牛病も、無くなるでしょう。
また、人間においても、コロナや、喘息や、アレルギーや、ガンなど、あらゆる病気が無くなってゆくでしょう。
資本主義経済下で、有用微生物菌を使うのは、無理かも知れませんが、儲ける必要のない奉仕経済なら、それが、できるのです。
資本主義経済を続けて、人類を滅亡させるのか?
奉仕経済に切り替えて、人類を永続させるのか?
それは、一重に、人類の決断に、かかっているのです。
「自分一人だけ、そんな事したって!」と言わないでください!
あなたが、やれば、それを見習って、やる人が出てくるのです。
そう言う人が、一人でも多くなれば、その波は、大きな、うねりとなって、地球を助けるのです。
ですから、「自分一人だけ、そんな事したって!」と、言わないでください。
まずは、自分の足元から、固めましょう!
それは、あなたの私生活を、見直すことです。
2023.05.30
提言2(私の独り言)
(1)
奇病の蔓延によって、経済が動きの取れない状態になったら、次のような方法で、一時しのぎしたら、どうでしょうか?
しかし、そのためには、次のような政策を、実施しなければなりません。
専制国家のようで、恐ろしいように思うかもしれませんが、これは、あくまでも、経済が、ニッチも、サッチも、いかなくなった場合です。
大混乱を抑える為には、一時、国権によって、国民を導くのは、仕方がないと思います。
上記の3策を実施すると、お金が不要になりますが、どうしても、お金が手放せないなら、全労働者の給料を同じくしたら良いのです。
当然、貧富の差がなくなりますから、全国民に、平等な生活が約束されるでしょう。
もう、今のような、回りくどい福祉政策は、不要になります。
贅沢は望めませんが、全国民が、中流の家庭生活が営めるようになるのです。
大金持ちも、いなくなりますが、路上生活者も、いなくなるのです。
何も難しいことはありません。今まで通り、職場に出かけ、今まで通り、働いたら良いのです。
ただし、仕事は、エッセンシャルワーカーとエッセンシャルワーカーを補助する仕事のみとなります。
そうなると、必要のない職業が生まれるため、余剰労働者が、たくさん出るでしょう。
資本主義社会では、余剰労働者(失業者)が出ることは、悪ですが、国が労働力を管理する社会では、余剰労働者が出れば、出るほど、国は、豊かになるのです。
何か困ることがあるでしょうか?
ただ、看板を、企業名から国名に、変えたら良いだけです。
会社員を、国家公務員に、変えたら良いだけです。
と言う、問題が起きるかもしれません。
問題1・・
今でも、社会主義的政策を、実施しているではありませんか?
福祉政策が、そうです。
つまり、生活保護制度・国民皆保険制度・コロナの蔓延で、困った人に、一律、お金を配るのもそうです。
問題2・・
これは、心の問題ですから、理解してもらうのは、難しいかもしれませんが、このように、考えてください。
一生懸命 働いている人と、怠けている人と、どちらが得で、どちらが損でしょうか?
表面だけ見たら、一生懸命 働いている人は、損しているように見え、怠けている人は、得してるように見えます。でも、本当は、逆なのです。
温室育ちの花と、野に咲く花と、どちらが、強くなるでしょうか?
この問題は、この一言で、解決できると思います。
問題3・・
お金のない世界では、どんなに、たくさん物を持ち帰っても、管理が大変なだけです。何せ、売れないのですから・・・。
いつでも、自由に、タダで持ち帰れる環境が整っている社会で、そんな、愚かなことをする人がいるでしょうか?
上記以外にも、様々な問題点が、出てくるかもしれませんが、国が主導していけば、どんな問題も、解決できると思います。
個人の感情や欲望、あるいは、利害や損得を持ち出して、問題にしていたのでは、現状は、打破できません。
つまり、贅沢な生活もしたい! 地球環境も良くしたい! そんなことを言っていたのでは、今の地球の現状を、変えることはできない、と言うことです。
ほんの少しだけ、我慢をしたら良いのです!
ほんの少しだけ、欲を捨てたら良いのです!
そうすれば、明日の心配ない社会になるのです。
すなわち、貧困で苦しむ人も、餓死する人も、一人もいない社会になるのです。
(2)
同じ給料を貰うのでしたら、お金は不要である、と言いましたが、これは、当たり前のことです。
タダで生活必需品が手に入れば、お金など、いらないからです。
お金を使えば、何かと混乱が起きるのです。第一、お金を印刷するのが大変です。
また、お金の管理も大変です。大蔵省が必要です。日銀が必要です。銀行が必要です。お金に付随する、様々な職業が必要です。そうなると、社会が複雑になるのです。
では、お金なしに、どうして、物の配分をするのか? と言うことですが、簡単です。
それは、スーパーやコンビニに行って、必要な物を、タダで持ち帰れば良いのです。
勿論、家賃も、電気も、ガスも、水道も、電話も、教育費も、タダです。
労働力が、タダですから、全て、タダになるのは、当然です。
お金を無くせば、国も赤字国債で悩まなくても良くなるのです。
ただし、大金持ちの人達は、不満かもしれません。
でも、経済が大混乱したら、そうは言っていられないと思います。
これは、一時しのぎの策ですが、続けているうちに、良さが分かってくると思います。
もし、問題点が見つかったら、少しずつ、改善していったら良いのです。
もしかしたら、コロナ禍を過ぎても、ずっと続けてゆけるかも知れません。
そうなれば、「瓢箪から駒」で、奉仕社会も、夢でなくなるかも知れません。
野生の生き物たちは、自然界から、タダで恵を頂き、生きております。
人間も、自然界から、タダで恵みを頂いているのです。
空気が、そうです。水が、そうです。土(資源を含め)が、そうです。労働力も、そうなのです。
お金を使っているのは、人間界だけです。
それは、人より豊かな生活がしたいと欲を持つから、お金が必要になるのです。
お金が必要になる、もう一つの理由に、人の能力や努力の違いがあります。
能力の高い人や、努力を多くする人は、能力のない人や、努力をしない人より、給料が高いのは、当然です。
でも、前述したように、努力や能力に対する対価は、心の成長と言う形で、すでに、得ているのですから、人より給料が高くては、二重取りになってしまいます。
一般の人に、この考えを理解してもらうのは、容易でないかも知れませんが、納得させる理由の一つにはなると思います。
(3)
アメリカンドリームを、夢見る人たちにとってみれば、ここで、述べていることは、決して、容認できるものではないでしょう。
なぜなら、彼らにとってみたら、舌を切られるようなものだからです。
彼らは、この世の楽しみを味わいたいのです。ステータスを味わいたいのです。
でも、それは、人生の目的を、知らないからです。
この世が、無常の世界であることを、知らないからです。
私たちは、必ず、死ぬのです。
どんなに、お金を、たくさん稼いでも、死ねば、置いて帰らねばならないのです。
確かに、努力は、必要です。
でも、その努力を、無くなるものに使うのではなく、無くならないモノに使って欲しいのです。無くならないモノとは・・「X」 です。
ここでは、「X」について触れませんが、「X」を知りたい人は、(人類の夜明2)を見てください。
もうすぐ、西暦2022年を迎えます。西暦2022年を迎える、と言うことは、イエス様が生まれてから、2022年経つ、と言うことです。
果たして、その間、人類は、どれだけ、成長したのでしょうか?
未だに、殺し合っている、人たちがいるのです。
未だに、飢えで苦しんでいる、人たちがいるのです。
未だに、虐げられている、人たちがいるのです。
なぜでしょうか?
これは、物の問題でしょうか? 心の問題でしょうか?
全て、私の独り言です。
※ 今日の地球においては、グローバル化が進んでおりますので、 一国で、これを、やることは、不可能です。
やるなら、全世界の国々が、‘’一斉のドン‘’で、やらなければなりません。
その事を付け加えておきます。
2023.05.31