神の教え Part3
「原因と結果の法則」に、寄り添って生きなさい、と言う教え!
この宇宙は、「原因と結果の法則」によって支配されています。
良い原因を創れば、良い結果が・・、悪い原因を創れば、悪い結果が・・、
この法則は、寸分も狂わず働きます。
ですから、私たちは、「原因と結果の法則」に、寄り添って生きなければならないのです。
この「原因と結果の法則」は、宇宙のどこかにあるわけではありません。
私たちの想念の中に、組み込まれているのです。
だから、想念次第で、良い働きにも、悪い働きにも、出来るのです。
良いことを思えば、良い結果が、悪いことを思えば、悪い結果が、創られるのは、想念力が創るからです。
世の人々は、外側から、幸せや不幸が、やってくると思っていますが、外側から、やってくることはありません。
幸せも、不幸も、内側の想念が連れてくるのです。
人のせいにしてならないのは、全て、内側の想念が創るからです。
「原因と結果の法則」は、実に、想念に、従順に働きます。
それも、単純に、平等に、正確に、働きます。
ですから、想念を正しく使ったら、何も心配することがないのです。
心配するどころか、自分の思い次第で、いくらでも、人生を切り開くことができるのです。
こんな、嬉しいことないのではありませんか?
2023.02.01
「神は光なりき!」と言われているように、神は、光です。
私たちは、その光から放射された、光の子(光子)です。
光の子ですから、光の電球を持っているのです。
私たちは、神から遣わされた、光の天使なのです。
目的は、二つあります。
人類、一人一人は、電球ですから、光を降ろすことができるのです。
しかし、残念なことに、光を降ろすことのできる電球が、今の地球には、数少ないのです。その数少ない電球が、学びの友の皆さんたちなのです。
どうか、電球を、光らかしてください! 地球は、喜んでくれるでしょう!
やり方は、簡単です。コンセントを差し込めば、良いだけです。
コンセントを差し込むとは、神に、意識を向ける、と言う意味です。思いを向ける、と言う意味です。
思いを向けた途端、光が降りてきて、みなさん自身の電球が光るのです。
どうか、電球を、光らかして、地球に、光を降ろしてください。
電球を、光らかす方法は、神に思いを向ける他に、もう一つ、あります。
それは、 物の内(中)を見ることです。
全ての物質は、光で出来ているのです。
表面を見れば、物質ですが、中を見れば、光なのです。
ですから、物質の中を見れば、自分が光り出すのです。
全てのものは、神の光で出来ているわけですから、私たちは、いつも、光と共に、神と共に、生きているのです。
ただ、私たちは、表面を見ているから、そう思えないだけです。
どうか、物の内(中)を見てください!、肉体の内(中)を見てください!
そこには、光が存在し、神が存在しているのです。
この宇宙は、光と物質が、一対になっているのです。
光あっての物質であり、物質あっての光なのです。
内あっての外であり、外あっての内なのです。
光(内)だけでも、存在できないし、物質(外)だけでも、存在できないのです。
神だけでも、存在できないし、人間だけでも、存在できないのです。
それほど、私たちは、掛け替えのない存在なのです。
どうか、肉体の自分も、魂の自分も、大切にしてください!
自我の自分も、真我の自分も、大切にしてください!
2023.02.02
神の教え Part2
中庸に寄り添って生きなさいと言う教え!
よく、ひいきのチームを作る人がおりますが、これは、あまり、利口とは言えません。
なぜなら、ひいきのチームが勝った時は、嬉しいでしょうが、負けた時は、寝れなくなるぐらい、悔しくなるからです。
この宇宙は、バランスによって (中庸によって)、成り立っていますので、偏ると、苦しみが、やってくるのです。
なのに、人間は、中庸から、離れたがります。
それは、偏ると、濃い喜びが得られるからです。
これは、麻薬のようなもので、一旦、取り込まれると、抜け出すのが大変です。
この中庸は、魂の大きさによって、違ってきますので、自分の中庸を、人の中庸に、当てはめてはいけません。
ある人には、中庸であっても、ある人には、中庸でない場合があるからです。
では、どうしたら、自分の中庸を、見極めることができるのでしょうか?
それは、苦しみの程度で、判断するしかありません。
苦しみの多い人は、中庸から遠く離れており、少ない人は、中庸に近い、と言う判断です。
拘りや、囚われは、光を弱めてしまいます。
なぜ、光が弱まるかと言いますと、中庸にいる場所は、真ん中ですから、光が真上から当たりますが、中庸からずれると、光が斜めから当たるので、光が弱くなるのです。
こう、あらねばならない!、ああ、あらねばならない!、と言った、拘りや囚われは、偏りですから、光を弱めるのです。
よく、アスリートが、陥ることですが、勝たねばならない!、打たねばならない!、皆の期待に応えなければならない!、と意識しだした途端、成績が落ちるのは、拘ることによって、光を弱めるからです。
人生において、守らなければならない中庸が、たくさん、あります。
例えば、経済・教育・食べ物・睡眠・運動・買い物・娯楽・ 旅行・ 人付き合い・ 行事・掃除 ・清潔・身だしなみ、など、挙げれば、キリがありませんが、殆んどの人は、中庸を外しながら、生きているのです。
ですから、世の中には、苦しんでいる人たちが、たくさん、いるわけです。
穏やかに、生きたかったら、自分の中庸を見極め、自分の中庸を守って、生きてください。
2023.02.03
神は、人類に、どのように、生きるべきかを 、次の三つの道理を通して、教えてくれています。
神の教え Part1
「真・善・美」に寄り添って生きなさいと言う教え!
大宇宙を、ご覧ください!、大自然を、ご覧ください!
見事なまでに、調和が取れております。
どうして、調和が取れているのでしょうか?
それは、 「真・善・美」に寄り添って、宇宙も、自然も、創られているからです。
神は、「真」に、寄り添って生きれば、幸せになれますよ! と言っているのです。
神は、「善」に寄り添って生きれば、 安心して、生きられますよ! と言っているのです。
神は、「美」に寄り添って生きれば、 楽しく、生きられますよ!と言っているのです。
このように、神は、人類に、どのように、生きるべきか、指針を示してくれているのです。
幼い地球人類には、生きるべき、お手本が必要なのです。
そのお手本が、宇宙であり、自然なのです。
「真・善・美」に、寄り添って生きれば、私たちは、穏やかに、生きられるようになっているのです。
勿論、 「真・善・美」に、寄り添って生きれば、理想社会を造ることも、夢ではありません。
神のメロディ「真善美は神様の心」
2023.02.04
私たち求道者は、なぜ、思索する必要があるのでしょうか?
それは 、「なぜ? なぜ?」の疑問が、魂を成長させてくれるからです。
本源の宇宙には、無限の知恵の宝庫があります。
その宝庫から知恵を引き出すには、能動的に働きかけないと、引き出せないのです。
能動的に働きかける作業が、思索なのです。
思索、そのものは、単純です。
疑問に思っていることを、自分に問いかければ、良いだけです。
ただ、その質問の中身が問題なのです。
その求道者にとって、本当に必要な質問であれば、即座に、答えが返ってきます。
でも、興味本位な質問とか、知識欲を満たすような質問の場合は、答えが返ってこないのです。
求道者の中には、答えが返ってこないからと言って、同じ質問を、何度もする人がおりますが、どんなに質問しても無駄です。
なぜなら、その質問の答えを受け取れる段階まで成長していないからです。
成長していないから、そのような質問をするのです。
求道者の中には、思索する題材が見つからない、と言う人がおりますが、見つからなかったら、無理に思索する必要はありません。
でも、不思議なもので、原子核が増えるに従い、見つかるものです。
質問するのは、自我です。回答するのは、真我です。
納得するのは、自我です。納得したら、魂が成長するのです。
真我からの回答は、直線的な回答もありますが、迂回して返ってくる場合が多いので、解答に時間がかかります。
その解答も、日常生活を通して帰ってくることが多いので、見逃さないよう、アンテナを張っておく必要があります。
思いがけない時に、「なるほど!」と思うような答えが返ってきます。
もう一つ、注意しなければならない点は、 返ってきた回答が、自我からの回答か、真我からの回答か、見極めねばならない点です。
難しいように思いますが、心配いりません。やっているうちに、見極められるようになります。
能動的に働きかける作業は、とても、大切です。
なぜなら、原因を作らなかったら、結果が返ってこないからです。
待っていては(原因を作らなければ)、何も得られないと言うことです。
家に閉じこもって、何もしないと言うことは、原因を作らないと言うことですから、結果が生まれるわけがないのです。
私たちは、今日まで、能動的に働きかけてきたからこそ、ここまで、成長することができたのです。
能動的に働きかける行為は、陽です。男性です。光です。
受動的に待ち受ける行為は、陰です。女性です。闇です。
受動的に待ち受けていては、何も得られないのです。
働きかけましょう!
行動的になりましょう!
積極的になりましょう!
自分から率先してやりましょう!
そうすれば、必ず、原子核が増え、成長します。
2023.02.05
ただ、意識の前を、現象が通り過ぎて行くだけ ・・・、その現象が、どんなにリアルでも、どんなに美しくても、どんなに醜くても、どんなに奇妙でも、どんなに恐ろしくても、全て、現象です。
現象ですから、必ず、消えて無くなってしまうのです。
でも、魂に刻まれた印象は、実在です。
と言うことは、夢幻であっても、夢幻で終わってない、と言うことです。
私たちは、今、夢を見ているのです。
肉体を脱いで、幽界に帰っても、まだ、夢を見ているのです。
更に、自覚の境界線を超えても、まだ、夢を見ているのです。
私たちは、永遠に、夢を見続けてゆくのです。
しかし、夢の中で体験したことは、貴重な財産となっているのです。
神様は、何と素晴らしい仕組みを、創られたことでしょう?
私たちは、夢幻の世界で体験したことを、魂に刻み込み、永遠に、進化成長してゆくのです。
意識と言うものは、面白いもので、形の中に入っている時は、その形が、自分だと思えるけれど、形から抜けた途端、誰の意識か、分からなくなってしまうのです。
つまり、形に入っている時は、自分と思えるけれども、形から抜けたら、自分が、何なのか?、分からなくなってしまうのです。
だから、私たちは、自分を保持するために、肉体を脱いだ後も、永遠に、形を持ち続けてゆくのです。
意識って、一体、
意識って、一体、
どんなに探っても、意識の正体は、分からないのです。
ただ、一つ言えることは、意識は、肉体(形)に属するものではなく、宇宙に属するものである、と言うことです。
ただし、意識が、形に入った時のみ、自分だと思えるのです。
形から抜けた途端、誰なのか? 何なのか?、迷子の意識になってしまうのです。
起点が失われるから、そうなるのです。
この宇宙は、 起点がなければ、何も分からなくなってしまうのです。
だから、意識は、起点を作って、自分の存在を示そうと、保持しようとしているのです。
どんなに、魂が大きくなって、理解力が増しても、また、どんなに、意識科学が発達しても、この意識の謎だけは、永遠に、解らないでしょう 。
意識は、謎・謎・謎・謎・・・永遠の謎なのです。
2023.02.06
なぜ、地球には、美しいものより、醜いものの方が、多いのでしょうか?
それは、地球人の心が、醜いからです。
地球人は、自分が何者か知らないで生きているのです。
自分を知らないで生きていては、醜い表現をするのも、仕方がないのです。
でも、それも、必要な一里塚で、決して、悪いことではないのです。
なぜなら、醜い表現をして、痛い目に遭っているうちに、疑問を持つようになるからです。
その疑問を持った時が、人生のターニングポイントなのです。
私のターニングポイントは、41年前です。
あのターニングポイントが、あったればこそ、今の私があるのです。
どんな幼い魂も、いつか、必ず、ターニングポイントが来るのです。
それは、痛い、苦しいが、極限に来た時です。
どんなに唯物的な人間も、痛い、苦しいが、極限に来ると、「神様助けて下さい!」と、神頼みするものです。
真我は、それを見計らって、手を差し伸べるのです。
神様は、人類、一人一人に、宇宙で一番の宝物を与えてくださいました。
それは、想念と言う宝物です。
この想念は、何でも実現させる、打ち出の小槌なのです。
しかし、地球人類は、まだ、そのことを、知らないのです。
知らないから、 誤った使い方をして、苦しい目に遭っているのです。
学びの友の皆さんは、それを知った魂です。
ですから、想念を上手に使ってください。一番良い想念の使い方は、瞑想です。
想念は、何でも実現させます。
と言っても、目に見える形で実現するのは、稀です。特に、瞑想は、そうです。
ですから、「私は、本当に、成長しているのだろうか? 」と、疑問に思うのも、無理ありません。
でも、信じてください。瞑想している限り、間違いなく、成長します。
その証拠に、皆さんは、昔より、判断力や理解力が、増したのではありませんか? 環境も、変わって来たのでありませんか? 私がそうだから言えるのです。
瞑想を続ければ、間違いなく、成長します。
これは、体験者が言うのですから、信じてください。
どうか、瞑想を続けてください!
いつの日か、「やっていて、良かった!」と、思う時が来ます。
2023.02.07
妻子がいる!、友達がいる!、地球がある!、宇宙がある!、と思えることが、私たちが、神である証しなのです。
何故なら、神と同じ意識を、私たちは、持っているからです。
この宇宙には、たった一つの神意識があるだけなのです。
と言うことは、その意識を持っている、私たちは、神ではありませんか?
なのに、私たちは、人間だと思っています。何と、哀れなのでしょうか?
人間と誤解しているから、神の意識を悪用し、苦しみを作ってしまうのです。
神だと思ったら、神の意識を悪用するわけがないのです。
どうか、神の意識を善用し、素晴らしい人生にしてください!
この世は、刻々と姿を変える無常の世界です。それは、 実際に無い世界だからです。
しかし、意識は、実在です。絶対無くならない、真実です。
絶対無くならない意識を使い、絶対無くならない、神を想う・・・。
絶対無くならない意識を使い、消えて無くなる、この世のことを思う・・・ 。
どちらが、得でしょうか?
どんなに偉大な神の意識を持っていても、この世のことに使えば、無駄遣いになってしまうのです。
幻を思うか?、真実を想うか?で、天地の差が生まれると言うことです。
どうか・・本当にある神を想ってください !
私たちは、自分が、神であることを知るために、生まれてきたのです。
人生の目的は、あくまでも、本当の自分を知るためです。
しかし、どうでしょう!? 殆んどの人が、お金や、物や、地位や、名誉や、権力を得ようと、躍起になっています。
どんなに得ても、持って帰れないと言うのに・・です。
持って帰れるのは、唯一、魂だけです。
是非、魂を大きくして帰りましょう!
2023.02.08
「想念のコントロールをしてください!」 これは、何度言っても、言い過ぎではありません。
求道者の最終目標は、想念のコントロールなのです。
全て、想念次第なのです。
良い人生を作るのも、理想の世を創るのも、自覚の境界線を超えるのも、想念次第です。
私が、どうして、こうも、くどくど、言うのかと言いますと、想念によって、人生を作り、想念によって、自覚の境界線を超えた、体験者だからです。
筆舌に尽くせないほど、想念は、偉大です。凄いです。
想念の凄さを、知れば、知るほど、唖然とします。
その想念が、人生を、 社会を、世界を、地球を、宇宙を、支配しているのです。
私たちは、その想念を、永遠の昔から、持っていたのです。
だから、私たちは、想念を操る名人であるはずなのです。
しかし、どうでしょう!?
私たちは、想念を正しく操っていますか?
正しく操っているなら、皆、幸せになっているはずです。
どうか、学びの友の皆さんだけでも、想念を操る名人になってください!
私たちは、不幸せを作る名人にもなれるけれども、幸せを作る名人にもなれるのです。
あなたは、どうして、生きていられるのですか?
想念(意識)が、あるからではありませんか?
想念(意識)抜きで、あなたは、存在しないのです。
あなたは、肉体ですか? 想念(意識)ですか?
何が自分なのか、再確認してください。
2023.02.09
日々、一刻一刻、私たちは、進化成長を続けています。
時間の中にいる限り、息をしている限り、脈を打っている限り、成長は、続くのです。
ですから、無駄な人生などないのです。
私たちは、今、物質世界で生活していますが、真理に関係の無い生き方をしていても、進化成長を続けているのです。
それは、意識が思わせ、意識が体を動かせているからです。
これが、神が創られた、この宇宙の素晴らしさなのです。
一般の人は、何も知らないで生きております。
でも、学びの友の皆さんは、意識しながら生きて欲しいのです。
床につく前、「あー!、今日も成長した!」と、思いながら寝てください。
あなたが、どんなに、「私は、神でない!」と、うそぶこうが、あなたが、神である事実は、曲げられないのです。
あなたは、
永遠の昔から、神だったのです。
今も、神なのです。
永遠の未来も、神なのです。
神から離れることは、絶対、できないのです。
もし、離れたら、あなたは、今、存在していないからです。
今、存在している、と言うことは、神である、と言う証なのです。
ならば、素直に、「私は、神である!」と認めることです。
魂が熟成していくと、判断力が増し、今まで気づかなかったことが、気づくようになります。
この動画の中で、そのことを言っていますので見てください。
【学びの友の学びの動画】
2023.02.10
意識である自分は、今、人間の中に入って、体験を深めている、真っ最中です。
しかし、あまりにも、長い間、人間の乗り物に乗っていたために、自分は、人間だと、誤解してしまったのです。
今、全人類が、自分が、人間だと、思って生きています。
でも、私たちは、人間では、無いのです。
名前は、どうでも、良いのです。
私たちは、物質的な存在ではないのです。自由奔放な、霊的な存在なのです。
このことは 、何度言っても、言い過ぎることはありません。
私は、これからも、同じことを、何度も言うでしょう。
今、地球人類は、醜い表現をしております。
それは、まだ、魂が幼いからです。
幼い魂は、表現の仕方が、下手なのです。
画家も、未熟な時代には、美しい絵を描くことができません。
でも、体験し、腕が上達してくると、素晴らしい絵が描けるようになるのです。
魂も、同じなのです。
表現が豊かになった社会を、理想社会と言いますが、それは、魂が大きくなった人達が集まった社会です。
魂が大きくなると、物質的なものから、精神的なものに、趣向が変わるのです。
どうして、そうなるかと言いますと、私たちの魂の根っこに、「真・善・美」を求める思いが、寝ているからです。寝ているから、起こせば、良いのです。
理想社会とは、「真・善・美」の表現が、豊かになった社会なのです。
人類が、目指さなければならない、理想の社会は、「真・善・美」の豊かな社会です。
それは、神が望んでいる社会です。
全宇宙が、「真・善・美」の方向へ、進んでいるのです。
人類は、1日も早く、神の望みを実現しなければなりません。
学びの友の皆さんは、その先駆者です。
世の中には、否定的な言葉を、好んで使う人がおりますが、その人は、その場の波動を極端に落しています。
言葉は、神なりきです。言葉ほど、大切なものはないのです。
その大切な言葉を、ネガティブに使っている人が、世の中には、多いのです。
この世に、不幸が絶えないのは、言葉を悪用して使っているためです。
神は、嬉しくなるような、楽しくなるような、明るい言葉が好きなのです。
明るい言葉には、高いエネルギーが含まれていますので、人を幸せにするのです。
反対に、暗い言葉は、エネルギーが低いため、人を不幸せにするのです。
それを、知らない人間は、愚痴や、不平不満など、暗い言葉を使って、エネルギーを落とし、苦しんでいるのです。
エネルギーは、光ですから、エネルギーが高ければ、良いことが寄ってくるのです。
実社会においても、成績の良い人は、明るい言葉や肯定的言葉を、多く使っています。
成績の悪い人は、暗い言葉や否定的な言葉を、多く使っています。
人に好かれる人は、エネルギーを高める言葉を、多く使い、人に嫌われる人は、エネルギーを低める言葉を、多く使っているのです。
成績を上げたかったら、人に好かれたかったら、幸せになりたかったら、エネルギーの高まる、明るい言葉や、肯定的な言葉を、多く使うようにしましょう。
具体的には、
といっても、歯の浮くような、褒め言葉や、明らかに、お世辞と分かるような言葉は、使ってはなりません。
純粋な動機に基づいた、肯定的な言葉、ポジティブな言葉を使いましょう。
「はい!、そうですね!、いいですね!、よろしいですね!、そうですとも!、
いいですとも!」という言葉は、肯定的言葉の代表です。
ぜひ、皆が笑顔になるような言葉を使ってください。
言葉だけでは、ありません。体全体で、肯定的な態度を示すことも、大切です。
例えば、首を横に振ってはなりません。
首を横に振れば、エネルギーを拡散させるため、エネルギーを落としてしまうのです。
笑顔を湛え、頷くことです。そうすれば、エネルギーが高まります。
根暗な人は、言葉の使い方が、下手なのです。
というより、想いの持ち方が、下手なのです。
言葉の前にあるのが、想いですから、明るい想いを持っていれば、明るい言葉しか出てこないのです。暗い想いを持っているから、暗い言葉が出てくるのです。
よく、人のいうことを、悪く取り、腹を立てる人がおりますが、これほど、エネルギーを低めることはありません。また、これほど、体内に毒を溜めることはありません。
これでは、病気になっても、仕方がありません。
何事も、良く受け取れば、自分を苦しめることはないのです。
これは、誰の責任でもありません。みな、自分の責任です。
また、自分を卑下してもなりません。
よく、自分を虐める人がいますが、その人は、自分に甘え、人に甘えているのです。
ようするに、誰かに、同情してもらいたいのです。
世の成功者といわれる人は、想いの使い方が、上手なのです。
想いの使い方が、上手だということは、言葉の使い方が、上手だということです。
言葉の使い方が、上手だということは、行為を表現するのも、上手だということです。
この宇宙には、均質なエネルギーが、満ち満ちており、そのエネルギーは、誰でも、平等に使えるようになっているのです。
どのように使うかは、その使う人に、任されているのです。
肯定的に使えば、幸せが、否定的に使えば、不幸せが、それは、エネルギーを良いことに使ったか、悪いことに使ったか、それだけのことなのです。
使い方が下手だから、人生を苦しくしているのです。
どうか、エネルギーを、上手に使ってください。
それは、想いと、言葉を、上手に使えば、誰でもできることなのです。
心温まるお話「言葉が宇宙を変えた」
2023.02.11
この世は、現象の世界であり、 幻の世界であることは、誰もが認めています。
実際に、人は、死んで行き、世の中は、変わって行きます。
地球だって、いつか、必ず、消えて無くなります。
刻々と変化変滅するのが、現象の世界です。
神が、このような、現象世界を創られたのには、何か理由があるはずです。
神が、遊びで、そんな世界を創るわけがないからです。
そうです!
この現象界は、魂を大きくするために、神が用意された、体験道場なのです。
体験道場ですから、苦しいこと、楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、など、たくさんのドラマがあるのです。
私たちは、この表現世界で、色々な泣き笑いを体験して、魂を成長させてゆくのです。
神が完全なのは、どんな体験も、全て、進化成長に、つながっているからです。
それは、苦しい体験も、 楽しい体験も、悲しい体験も、嬉しい体験も、惨めな体験も、です。
「骨折り損のくたびれ儲け」など無いのです。やった分、必ず、成長しているのです。
神は、できないことをしなさい、とは言っていないのです。
人事を尽くして、後は、天に任せなさい!、と言っているのです。
私たちが、やるべきことは、今、やれることを、精いっぱい、やることです。
もし、あなたが、精いっぱい、やっているのに、何の変化も起きないなら、「今日も、自分のできることを、精いっぱい、やりました! これ以上、どうしろと言うのですか?」と、神に、文句を言ってください!
でも、神は、こう言うかもしれません。
本当に、あなたは、精いっぱい、やったのですか?、と・・、
そう言われないように、頑張りましょう!
2023.02.12
どうして、私たちは、神なのでしょうか ?
それは、意識を持っているからです。思いを持っているからです。
妻子がいる! 友達がいる! 地球がある! 宇宙がある! と思えることが、神である証しなのです。
何故なら、神と同じ意識を、私たちは、持っているからです。
この宇宙には、たった一つの神意識があるだけなのです。
と言うことは、その意識を持っている、私たちは、神ではありませんか?
なのに、私たちは、人間だと思っています。何と、哀れなのでしょうか?
人間だと思っているから、苦しみを作ってしまうのです。
神だと思ったら、苦しみを作るわけがないのです。
私たちは、自分が神であることを知るために、生まれてきたのです。
人生の目的は、あくまでも、本当の自分を知るためです。
しかし、殆んどの人が、自分を人間だと思っているのです。
人間だと思えば、人間の生き方をするのも、当然です。
ですから、この世には、苦しみや、悲しみが、多いのです。
人間は、神を隠しているのです。
人間と思うことが、神を隠していることになるからです。
また、人間は、嘘をついているのです。
人間と言うことが、嘘をついていることになるからです。
神を隠し、人間と嘘をついている者が、どうして、幸せになれるでしょうか?
神を隠し、人間と嘘をついている罪は、実に、重いのです。
その証拠に、今、人類は、苦しんでいるではありませんか?
この苦しみは、嘘つきに対する報い、「原因と結果の法則」なのです。
どうか、神を隠さないでください!
どうか、嘘をつかないでください!
そうすれば、幸せになれるのですから・・・。
神のメロディ 「神隠し」
2023.02.13
私が、地球人類に願うのは、正しい想念を使って欲しい、と言うことです。
もし、地球人類が、想念を正しく使うようになったら、事故・災難・ 病気・ 争い事など、一切なくなるでしょう。
今、人類は、国防費に、交通事故防止に、防災に、医療費に、膨大な予算を使っておりますが、もし、人類が、正しい想念を使うようになったら、このような予算など、一切いらなくなるのです。
ただ、想念を正しく使うだけで、世の中が変わってしまうのです。
そうは言っても、想念を正しく使うことが難しいのです。
簡単に使えたら、地球は、とっくに、理想社会になっているのです。
使えないから、今、人類は、逆治療法を使って、社会を良くしようとしているのです。
【逆治療法とは、
軍隊を増強して、国を守ること・・、
パトカーや交通信号などを増強して、交通事故を無くすこと・・、
防潮堤や耐震建築などをして、防災すること・・、
新薬や医療機器などを開発して、病気を無くすこと・・ 、です。】
政治家は、原因と結果の法則を知らないから、報復合戦をし合っているのです。
つまり、相手の国から、やられると、やり返します。そうすると、やり返されます。そうすると、また、やり返します。人類の歴史は、この繰り返しだったのです。
人類が、未だに、報復合戦をしている、と言うことは、歴史から、何も学んでいない、と言うことです。
これでは、報復合戦で死んだ人たちは、犬死です。
もう、そろそろ、人類は、原因と結果の法則を知るべきです。
この原因と結果の法則を知ったら、報復合戦などしなくなるでしょうに・・・。
地球人類は、1日も早く、この原因と結果の法則を知るべきです。
原因と結果の法則は、逆進するのです。
こういう言い方をすると、混乱するかも知れませんが、原因と結果の法則は、一直線上に働き、かつ、循環しているので、逆も真なり、と言うことが起きるのです。
つまり、結果をいじって、原因に影響を与えることができるのです。
本来、原因と結果の法則は、原因から結果に進むため、逆進することはありません。
でも、原因と結果の法則が、循環していることを考えると、結果から原因に逆進する場合も、考えられるのです。いや、考えられるのではなく、実際に、逆進するのです。
だから、結果をいじって、原因を直そうとしている、地球人類でも、進化成長することができるのです。
これは、神の完全性の現れであり、神の慈悲でもあるのです。
2023.02.14
魂の構造を探ってみましょう!
神の意識核は、全ての本質です。
本質ですから、神の意識核は、肉体にもなり、魂にもなるのです。
肉体が朽ちる(死ぬ)と、肉体を構成していた原子は、大気に還元されますが、その原子は、体験した記憶を持って、宇宙に、浮遊しております。
その浮遊している原子は、いつの日か、再び、縁ある物質の中に入ってくるのです。
魂も、同じです。
肉体が朽ちると、魂は、肉体から離れますが、その魂は、一休みすると、再び、肉体の中に入って、次なる人生を、歩み始めるのです。
こうして、魂は、幾度となく、転生輪廻を繰り返し、次第に大きくなってゆくのです。
想念の構造を探ってみましょう!
神の意識は、意識核を放出し、表現宇宙を創りました。
その意識核は、物の本質にもなり、魂の本質にもなっているのです。
更に、その魂は、心を作りました。
そして、その心が、想念を生み出したのです。
想念も、心も、魂も、その本質は、同じ、神の意識ですから、一つと考えて良いでしょう。
また、神の意識は、エネルギーそのものですから、魂も、心も、想念も、エネルギーと考えて良いでしょう。
私が、想念!想念!想念!と、口うるさく言うのは、偉大な神の意識の力が、私たちの想念にも、受け継がれているからです。
どうか、想念の偉大さを、知ってください。
私が、一番に願うこと、それは、全人類に、想念の偉大さを、知って欲しい、と言うことです。
2023.02.15
意識に、記憶が薄れることと、慣れることの、二つの性質がなかったら、心は、ダメージを受け、私たちは、生きてゆけないでしょう!
よく、時が癒してくれるとか、時間が解決してくれるとか、言いますが、これは、意識が慣れるから、言えることなのです。
私たちの意識は、同じ体験をしていると、慣れてしまい、段々と、動じなくなるのです。
初体験は、ショックが大きいため、心が大きく揺れますが、同じ体験をすると、慣れてゆき、心があまり揺れなくなるのです。
これは、意識に、抗体が生まれたからです。
もし、意識に、抗体が生まれなかったら、恐怖や心配のあまり、心が押し潰されてしまうでしょう。
慣れると言うことは、恐ろしいことですが、素晴らしいことでもあるのです。
意識が慣れるのは、意識が飽きるからなのです。
意識が飽きるから、記憶が薄れて、慣れて行くのです。
今、人類の殆んどが、現象の世界で、幻と格闘しながら生きています。
それは、現象の世界が、本当にあると思っているからです。
魂が幼い時代には、現実の世界と真実の世界の見分けがつかないのです。
でも、魂が熟成してゆくと、理解力が増すため、見分けがつくようになるのです。
そうなると、もう、心を痛めなくなります。
魂が熟成すると、心が揺れなくなるのは、現実感が増すためですが、これも、意識の慣れの一つです。
意識が飽きるから、慣れると言うことが起きるのです。
これは、悪いように思いますが、良いことなのです。
なぜなら、飽きるから、飽きないものを求めて、努力するからです。
向上心を持たない者は、成長しません。 努力しない者は、成長しません。
学びの友の皆さんは、飽きないものが欲しいのではありませんか?
「 飽きないものが欲しい! 」、その欲求が、努力と向上心を生み、自覚の境界線を超えさせるのです。
2023.02.16
人間は、誰もが、心を持っています。
鉱物や、植物や、動物には、心がありません。
神の意識が、背後で、コントロールしているので、彼らには、心が必要ないからです。
でも、人間は、自由意思が与えられた、高貴な存在ですから、心が付与されているのです。
しかし、物質文明が発達した、今日、人類の心は、歪んだ心になっています。
今、地球上で争いごとが絶えないのは、人類の心が、ハート型になっているからです。
でも、神は、そのことを予測し、人類に、理性と知性を与えてくださいました。
理性は、欲望を抑制します。
知性は、感情を抑制します。
神が望んでいる心は、理性と欲望・・知性と感情・・のバランスの取れた、まん丸な心です。
欲望と感情が、膨らみ過ぎると、理性と知性が、抑え切れず、ハート型の心になってしまうのです。
今の地球人類の殆んどが、ハート型の歪んだ心になっているのです。
私たちは、 「理性と欲望」、「知性と感情」のバランスの取れた、まん丸な心にならなければならないのです。
まん丸な心になった人を、神人と呼びます。
神人の心は、欲望が →「希望」に変わります。感情が →「愛情」に変わります。
この 「希望」は、永遠に尽きない!、永遠に色褪せない!、幸せに向かって突き進む、希望です。
「愛情」は、人生の荒波を乗り越える、叱咤激励の愛情です。
その希望と愛情を、理性と知性が、コントロールするのです。
ですから、神人の心は、まん丸な心になっているのです 。
心は、器です。その器は、四つに分かれています。
器ですから、小さくも、大きくも、なります。
でも、基本的な大きさは、魂の大きさに準じて決まります。
魂の幼い時期は、器が小さいため、対応力があまりありません。
ですから、何か困難に出会うと、すぐに、くじけたり、挫折したりします。
魂が熟してくると、対応力が大きくなり、少々の困難にも負けなくなります。
器を大きくするためには、社会体験と瞑想と思索の三つが必要ですが、幼い魂の時期には、意識しないで、大きくなるようになっています。
学びの友の皆さんのように、魂が熟してくると、意識して、三つを、やらなければならなくなります。
でも、これも、自然とそうなるので、気にすることはありません 。
こうして、器(心)が、少しずつ、大きくなってゆくのです。
2023.02.17
生きるとは、何でしょうか?
形で生きることが、生きると言うのでしょうか?
意識で生きることが、生きると言うのでしょうか?
私たちは、形が生きていると思っていますが、形は、意識の表現媒体として作られた乗り物で、実際に生きているのは、形の中で生きている、意識です。
でも、意識には、姿形がありませんので、自分の存在を示すことができません。
ですから、意識は、やむなく、人間の形を取ったのです 。
このように、人間は、意識の乗り物なのです。
人間は、その乗り物を、自分だと思い違いしているのです。
思い違いしているから、何よりも、肉体を大切にしたがるのです。
人類の争いは、過剰に、肉体を守ろうとするところから、生まれているのです。
自分は、形ではない!、意識である!、と思ったら、争うどころか、みな、仲良くできるのです。
人類は、いつになったら、「自分は、肉体では無い!、意識である!」と思えるようになるかです。
形が意識の乗り物であることは、次のようなことからも、分かって頂けると思います。
例えば、ここに、一個の石が、存在しているとします。
その石は、どうして、形が維持できているのでしょうか?
それは、石の中に意識があるからです。
意識が抜けたら、 途端に、形は、崩れて無くなってしまうのです。
私は、よく、原子崩壊の話しをしますが、原子崩壊の状態は、意識が抜けていっている状態なのです。
人間が死ぬのも、肉体から、意識が抜けてゆくからです。
形ある物の中には、必ず、意識が存在している、と言うことです。
ですから、形が生きているのでは無く、意識が生きている、と言うのです。
「目に見える、生きている証明」
以上は、目に見える、生きている証明です。
でも、これらは、生きているのではありません。
見えないものによって、生かされているのです。
と言うことは、実在では無い、と言うことです。
「目に見えない、生きている証明」
言葉は違いますが、これらは、みな、「一」の別名なのです。
一は、「神」の別名でもありますから、「神」であることが、生きている証明と言うことになります。
神は、全てを生かしている、実在なのです。
私たちは、実際に生きているものは何なのかを知り、神の自覚を得ることなのです。
2023.02.18
この世は、現象の世界ですから、幻の世界です。
実際に、人は死んで行き、世の中は刻々と変わって行きます。
地球だって、いつ、無くなるか分かりません。
神が、このような、現象の世界を創られたのには、何か理由があるはずです。
神が、遊びで、そんな、幻の世界を創るわけがないからです。
そうです!
この現象界は、魂を大きくするために用意された、体験道場なのです。
体験道場ですから、苦しいこと、楽しいこと、悲しいこと、嬉しいことなど、様々な体験ドラマがあるのです。
私たちは、そこで、泣き笑いを体験しながら、魂を成長させてゆくのです。
神が、完全なのは、どんな体験も、全て、進化成長に結びつくよう、計られているからです。
それは、自我では、分からないかも知れません。
ですから、今、体験させられていることに、意味があるのか?、疑ってしまうのです。
でも、神を信じてください! 必ず、進化成長に結びついています。
これは、最近の私の体験からも、間違いありません。
「骨折り損のくたびれ儲け」など無い、と言うことです。
神は、できないことをしなさい、とは言っていないのです。
人事を尽くして、後は、天に任せたら良い! 、と言っているのです。
私たちが、やるべきことは、今、やれることを、精いっぱい、やることです。
もし、あなたが、精いっぱい、やっているのに、何の変化も起きないなら、「自分のできることを、精いっぱい、やりました!、これ以上、どうすれば、良いのですか?」と、神に文句を言ってあげてください!
でも、神は、こう言うかもしれません。
本当に、あなたは、精いっぱいのことを、やったのですか? と・・、そう言われないように、頑張りましょう!
・・コロナ禍で発見した人間の性・・
それは、
なぜ、外に出たがるのか? なぜ、たくさん、情報を欲しがるのか?
それは、心の寂しさや、心の虚しさを、埋めたいからです。
しかし、対応力を持つ、強い生き物でもあるのです。
2023.02.19
この表現宇宙は、全て、人類の為に用意された、時空界です。
全ての人類と言っても、この表現宇宙には、無限の人類がいるわけですから、無限の人類のために用意された、空間界、と言うことになります。
どんな物も、人類のために存在しています。
空気も、水も、虫も、菌も、 鉱物も、植物も、動物も、全部、人類の為に用意されたのです。
あなたの嫌っている、あの人も、この物も、その仕事も、この環境も、 あなたに必要で用意されたのです。
ですから、感謝して使い、感謝して接しなければならないのです。
確かに、厭なものも、嫌な人もいるでしょう!
でも、その嫌な相手は、自分の欠点に、気づくよう、相対的に用意された、人・物・仕事・環境なのです。
つまり、自分の中にある欠点を、外側の者(相対者)が、見せて、気づかせてくれているのです。
当然、あなたは、 それを、見て、嫌悪感を抱くでしょう。
でも、それは、自分の中にあるものなのです。
ですから、相手を嫌ってはならないのです。それどころか、相手は、恩人なのです。
神は、決して、無駄なことをしないのです。
当然です、それは、自分の中に、神が、おられるからです。
神の国が、遠い所にあるのではないのです。
それどころか、一番近い、私たちの中にあるのです。
なぜ、私たちの中に、神の国があるかと言いますと、自分の意識核が、神だからです。
このことは、学びの友の皆さんは、分かっておりますので、これ以上言いませんが、でも、その自覚は、いつも、持っていて欲しいのです。
そうすれば、心配することも、恐怖することも、悩むこともなくなります。
いつも、穏やかな心で、過ごすことができます。
大切なのは、神の自覚の深さです。
皆さんは、頭では、分かっているのです。
でも、まだ、心の底に落ちていないのです。
ですから、私は、「神を想い続けてください!」と、「 瞑想してください!」と、言うのです。
神を想い続けていれば、少しずつ、神の自覚が深まります。
どうか、瞑想を続けてください!
2023.02.20
人間は、誰もが、心を持っています。
鉱物や、植物や、動物には、心がありません。
神の意識が、背後で、コントロールしているので、彼らには、心が必要ないのです。
でも、人間は、自由意思が与えられた、高貴な存在ですから、心が付与されているのです。
しかし、物質文明が発達した、今日、人類の心は、歪んだ心になっています。
今、地球上で争いごとが絶えないのは、人類の心が、ハート型になっているからです。
でも、神は、そのことを予測し、人類に、理性と知性を与えてくださいました。
理性は、欲望を抑制します。知性は、感情を抑制します。
神が望んでいる心は、理性と欲望・・知性と感情・・のバランスの取れた心です。
欲望と感情が、膨らみ過ぎると、理性と知性が、抑え切れず、ハート型の心になってしまうのです。
地球人類の殆んどは、今、ハート型の歪んだ心になっているのです。
私たちは、 「理性と欲望」、「知性と感情」のバランスの取れた、まん丸な心にならなければならないのです。
まん丸な心を持った人が多くなれば、もう、法律は、要らなくなります。
なぜなら、良心が、法律の代わりをしてくれるからです。
今、地球では、国の秩序を守るために、法律を定めていますが、これは、幼い社会には、必要なのです。
私の提唱している奉仕社会は、「良心の法」が、支配している社会です。
そこには、もう、憲法も、法律も、条例も、規則も、必要ありません。
犯罪者がいないので、警察も、弁護士も、検事も、裁判官も、必要ありません。
あなたは、自分が、「神の子」だと知ったら、偽りが言えますか?、人を騙せますか?、悪いことができますか?、良心が痛んで、絶対できないはずです。
一日も早く、そのような社会になりたいものです。
「心の乱れは技の乱れ!」と言われるように、心が乱れれば、技が乱れるのです。
なぜ、そのようなことが起きるかと言いますと、私たちは、「身口意・・意口身」を持った生き物だからです。
「意」とは、「思い」です。
「口」とは、「言葉」です。
「身」とは、「行為」です。
この三つは、一体になっているのです。
ですから、行動するためには、まず、思いが先行します。それが、言葉となり、行為になるのです。
言葉も、行為も、現象です。でも、思いは、実在なのです。
ですから、身は、思いに絶対服従なのです。
右に行きたいと思ったら、身は、右に行きます。
左に行きたいと思ったら、身は、左に行きます。
言葉も、思った通りの言葉を話します。
「意」に、絶対服従なのが、「口と身」なのです。
ですから、心が乱れれば、当然、「言葉」も、「身・・技」も、乱れるわけです。
最近、スポーツ界で、メンタルトレーニングが重視されるようになりましたが、心の働きが、少し分かってきたからだと思います。
アスリートは、技を磨くと同時に、心を磨かなければなりません。
技は、物理の法則に よって限界がありますが、心には、限界が無いので、いくらでも、磨くことができるのです。
私が、アスリートに望むのは、技と心を同じくらい、磨いて欲しいということです。
心を磨けば、100%の技を出すことができるでしょう。
魂の熟成したアスリートは、心を磨きます。幼い魂は、技だけを磨きます。
どんなに、体力的に恵まれていても、心を磨かなければ、真の一流選手にはなれないのです。
どうか、心を磨いてください。
ちなみに、真理の火は、スポーツ界から広がってゆくのです。
心の乱れは、当然、言葉の乱れや、身の乱れとなって現れます。
カッとなって、暴言を吐いたり、 顔の形相や態度が、醜くなるのは、心の乱れが、言葉と身に現れたからです。
どんなに、隠しても、隠しきれないのが、「思い」と「言葉」と「身」の関係なのです。
思いのコントロールができなくて、人生を台無しにした人は、数知れないほどおります。
良い人生にしたかったら、どうか、言葉を慎んでください!、行為を慎んでください!
そのためには、「意」を慎むことです。
「意」を慎むためには、理性と知性を強める、瞑想が必要です。
私が、くどいほど、このような話をするのは、「私たちは、肉体ではなく!・・意識である!」と言うことを、心の底で知って欲しいからです。
肉体は、意識の働く道具なのです。主人は、意識で、肉体は、下僕なのです。
どうか、「意口身・・身口意」の三位一体の働きを知ってください。
神の意識核が集まって魂となり、その魂が心を創り、その心が想念を生み出している。肉体は、魂の乗り物である。
新・光のメロディ 「心」
2023.02.21
今、人類は、探査機を飛ばし、宇宙の謎を探ったり、地下に高エネルギー加速装置を作って、新しい素粒子を発見しようとしていますが、そんな研究より、もっと大切な研究があるのではないでしょうか?
それは、外側を探る研究ではなく、内側を探る研究です。
すなわち、心の研究、想念の研究です。
地球人類が、今、苦しみに喘いでいるのは、 想念の偉大さを知らないからです。
想念の偉大さを知ったら、今の地球は、いっぺんに、変わってしまうのです。
いつも言う事ですが、神は、一番大切なものを、一番近くに置いてくれております。
空気・水・土・ 労働力が、そうです。
それよりも、もっと大切なものが、想念です。
さあ、気づきましょう !
人生は、想念(心)次第なのです。
人間社会は、想念(心)次第なのです。
地球は、想念(心)次第なのです。
宇宙は、想念(心)次第なのです。
どうか、想念(心)の偉大さを知ってください!
機械文明(物質文明)の生活が幸せか?、原始文明の生活が幸せか?
皆さんは、どちらが、幸せだと思いますか?
それには、幸せが、何なのか?、知らねばなりません。
では、幸せについて、考えてみましょう。
幸せって、何が感じるのでしょうか?
肉体でしょうか?、心でしょうか?、心が感じるのです。
なぜなら、肉体は、単なる情報の橋渡しにしか過ぎないからです。
肉体が感じた快感を、心が受け取って、初めて、幸せだと感じるのです。
と言うことは、幸せは、心の問題である、と言うことになります。
このことを知ったら、機械文明に、幸せを求めることはなくなるでしょう。
ここに、二組の家族がありました 。
一組の家族は、機械文明の中で生活しています。
もう一組の家族は、原始文明の中で生活しています。
機械文明の中で生活している家族は、物質的にも恵まれ、便利快適にも恵まれていますので、幸せは、外側の物が持ってくると思っています。
でも、物質的な幸せは、飽きがきますので、その人たちは、今の幸せでは、満足できなくなります。
そうなると、幸せは、ますます、濃いものに、エスカレートしてゆきます。
現代人の殆んどが、そうです。
一方、原始文明の中で生活している家族は、機械文明のような、刺激的で、派手な、幸せは、得られません。
でも、家族や自然を相手に、穏やかで、地味な、幸せを味わっています。
この幸せは、永続するのです。
では、機械文明で味わっている、派手な幸せと、原始文明で味わってる、穏やかな幸せと、どちらが、幸せでしょうか?
どちらとも、言えないのです。
なぜなら、心の中の幸せを、比較することは、出来ないからです。
比較できない、と言うことは、幸せは、平等である、と言うことです。
自分と相手の幸せの付け合わせが出来ないのですから、当然です。
その人が、幸せだと思ったら、それが、幸せなのです。
でも、本当は、穏やかな幸せの方が良いのです。
なぜなら、 機械文明には、自然を破壊すると言う、リスクがあるからです。
そんな、文明に、酔い知れていたら、いつか、必ず、しっぺ返しが来ます。
でも、原始文明は、自然を破壊しませんので、そのような、リスクは無いのです。
私たちは、何が欲しいのでしょうか?
それは、幸せではないでしょうか?
その幸せは、文明に関係ないのです。関係するのは、心です。
私は、機械文明(物質文明)を、否定しているのではありません。
魂の成長には、機械文明の体験も、原始文明の体験も、必要だからです。
ただ、今の地球の現状を考えると、あまりにも、物質文明に傾き過ぎているので、注意してほしいと思っています。
幼い魂の段階は、 原始文明を体験し、少し魂が進化していくと、物質文明を体験し、魂が熟成していくと、精神文明を体験するようになるのです。
魂の進化の段階に比例して、文明体験の質も、変わってゆくのです。
旧・光のメロディ 「幸せ」
2023.02.22
神とは、何でしょうか? これは、永遠の謎です。
神を知ることは、絶対できないのです。
なぜなら、神は、五感にかからない存在だからです。
でも、その子を通してなら、薄々、知ることができるのです。
その子とは、見えるもの、全て、です。
特に、人類は、神のミニチュアですから、人類を探れば、神に迫ることができるのです。
この宇宙には、たった一様の神が存在しています。
でも、その一様の神が存在するためには、一様の神を認めてくれる、何者かが、必要です。自分が、自分を認めても、意味がないからです。
そこで、やむなく、神は、自分を認めてくれる、人類を創ったのです。
ですから、神が存在していた時には、人類が、既に、存在していたし、人類が存在していた時には、神も、既に、存在していたのです。
どちらが無くても、どちらも無いからです。
このように、人類と神は、相身互いの関係にあるのです。
この関係は、自我意識と真我意識に置き換えて見たら、より分かりやすいかも知れません。
つまり、自我意識がなかったら、真我意識を認めてやることができないので、真我意識は存在できないし、真我意識がなかったら、自我意識は生まれないので、自我意識は存在できない、と言う相身互いの関係です。
人類が偉大なのは、神を存在させてやれるからです。
つまり、私の意識が、神を存在させてやれるからです。
あなたの意識が、神を存在させてやれるからです。
その、私は、あなたなのです。その、あなたは、私なのです。
私の意識が無かったら、あなたは、存在できないし、あなたの意識が無かったら、私も、存在できないのです。
神のメロディー 「神の絵巻物」
2023.02.23
表現宇宙は、神の言葉によって、誕生したのです。
神は、表現宇宙を創造しようと思い立ちました。
でも、思いには、具体性がありませんので、思いだけでは、表現宇宙が創れません。
そこで、神は、思いを、具体性を持った言葉に替えて、表現宇宙を創られたのです。
確かに、言葉は、目には、見えません。
でも、波動としては、見えるのです。 レコードの溝が、言葉です。
言葉は、波動なのです。その波動には、具体性があるのです。
地球には、鉱物や、植物や、動物や、人間など、様々な生き物が存在しておりますが、その生き物の中には、具体性を持った言葉が、隠されているのです。
ですから、神を、知ろうと思えば、 鉱物や、植物や、動物や、人間を、知れば良いわけです。
特に、人間は、神のミニチュアとして創られましたので、人間を深く知れば、神を知ることができるのです。
神の思いの中には、「真・善・美」しかありません。
神は、この宇宙を、「真・善・美」で飾りたいのです。
ですから、神は、美しい思いと、美しい言葉を使って、表現宇宙を創られたのです。
ごらんなさい! この表現宇宙を・・実に、美しく創られています。
人間は、神と同じ、思いと言葉を持っていますので、美しい表現が、できるはずなのです。
しかし、どうでしょう!?
地球は、美しいでしょうか?
人間社会は、美しいでしょうか ?
いいえ、お世辞にも、美しいとは、言えません。
なぜ、人間は、美しい表現が、出来ないのでしょうか?
それは、自分のことを、人間だと思っているからです。
人間だと思えば、どうしても、醜い表現をするのです。
人類は、一日も早く、本当の自分に目覚め、地球に、理想社会を、創らなければなりません。私たちが見ている大自然は、そのお手本です 。
これは、一人一人の人生においても、言えることです。
美しい思いを持てば、美しい人生が作られます。
醜い思いを持てば、醜い人生が作られます。
これは、自分の思い一つで、出来ることなのです。
学びの友の皆さんの最終目標は、想念のコントロールです。
どうか、想念のコントロールをしてください。
それは、瞑想によって、可能なのです。
神のメロディ「 神は言葉なりき!」
2023.02.24
かごめ かごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が統べった
後ろの正面だあれ
目隠しして、しゃがんでいる、カゴメ(人間の子供・ 幼い魂)の周りを、たくさんのカゴメ(人間の子供達・ 幼い魂)が、手を繋いで、くるくる、回っています。
これは、幼い人類が、輪廻転生を繰返しながら、学んでいる姿です。
くるくると、回っているうちに、目隠しして、しゃがんでいる真ん中の子供が、後ろの正面に立った人が、誰なのか当てます。
当てると、その子供は、その輪(輪廻転生)から、抜け出すことができるのです。
それが、自覚の境界線を超えた、と言う意味です。
【外側で、手を繋いで回っていた魂が、熟してゆくと、目隠しして、輪の真ん中に入るようになる。目隠しして、しゃがむとは、瞑想のことです。】
鶴とは、神のことです。
亀とは、幼い人間(幼い魂 )のことです。
夜明けの晩とは、目覚める前の晩のことです。
夜が明けた時、鶴と亀が、一緒になる(統べる)のです。
つまり、神と人間が、一緒になるのです。一緒になった時、神人になるのです。
「後ろの正面だあれ!」とは、人間の正面・・ 陰の正面・・影の正面・・だあれ、と言う意味で、それは、神のことです。
「あー!自分は神だったのか!」と、目覚めた時が、後ろの正面の神を当てた時です。
人間は、地を這っている、亀のようなものです。
亀は、一歩一歩、ノロノロと、目的地に向かって、歩いています。
一歩一歩、ノロノロ と、歩いている、と言う意味は、何万回も、輪廻転生を繰返している、と言う意味です。それは、歯痒いほど遅い歩みです。
歩いている途中、石や岩に、邪魔されることも、あるでしょう。
雨や風にさらされることも、あるでしょう。
危険なことに出会う時も、あるかも知れません。
でも、歯を食いしばって、歩いています。実に、健気です。
確かに、この世の社会体験は、厳しいです。
一寸先 闇の世界を、手探り状態で、歩いて行くのですから、
転ぶことも、あるでしょう!、間違いを犯すことも、あるでしょう!
でも、決して、無駄には、なっていないのです。
どんな、体験も、原子核を大きくすることに、役立っているのです。
やることは、簡単です。社会体験と瞑想をすることです。
この二つのことを、やっていれば、間違いなく、神人になれます。
神は、決して、私たちを、見放しません。
神を信じ、今、やれることを、精いっぱい、やって、待ちましょう!
神のメロディー「神人の誕生」
2023.02.25
光は、オールマイティーです。
光に、出来ないことは、何もないのです。
光は、万能です。全能です。
光が、強ければ、全て、良い方向に展開するのです。
では、その光を、利用するには、どうしたら、良いのでしょうか?
それは、想念を、利用することです。光は、想念に従順だからです。
想念には、次のような性質があります。
1.想念は、創造の力です。
良いことを想えば、良いことが創られ、悪いことを想えば、悪いことが創られます。
良く受け取れば、良いものを創り、悪く受け取れば、悪いものを創るのです。
ですから、幸せになりたかったら、どんなことも、良く受け取り、悪想念を抱かないようにすることです。
2.想念は、同時に、二つのことを思えません。
良いことを想っている時には、悪いことが思えません。
悪いことを想っている時には、良いことが思えません。
この性質を、利用することです。
3.想念は、 何も思わないでいられないように出来ております。
常に、何かを思っています。
もし、何も思わなかったら、自分が消えてしまうからです。
4.想念は、自由性を持っています。
何んでも、思えます。ゆえに、想像できるのです。
これは、良いことでありますが、恐ろしいことでもあるのです。
なぜなら、良い想像より、悪い想像をする方が多いからです。
要するに、妄念を抱くのです。余計なことを考えるのです。
5.想念は、永遠性と無限性を持っています。
想念は、永遠に、無くなることがないのです。
また、想念は、無限に、拡大できるのです。
何も思わないでいられないことが、想念の永遠性を示し、
何んでも思えることが、想念の無限性を示しているのです。
6.想念には、慣性の法則が働きます。
同じことを、想っていると、思い癖がついてしまうのです。
これが、「業」と言われるものです。
一旦、癖がつくと、なかなか、取れないのです。
だから、業を取る、瞑想が、必要になってくるのです。
7.想念は、エネルギー(光)を、操ることができます。
それは、集中力と放射力を持っているからです。
瞑想できるのは、想念に、集中力と放射力があるからです。
このように、想念の性質を利用したら、人生は、好転するのです。
これは、自力です。他人が、どうこうできる問題ではないのです。
だから、他力信仰など、意味が無いのです。
新・光のメロディ「想念瞑想」
2023.02.26
自分を知ることの難しさは、原子核が、増えれば、増えるほど、身にしみて分かるようになります。
皆さんは、今、自分が存在していることが、認められますね。
どうして、認められるのでしょうか?
それは、何か、起点があるからでは、ありませんか?
その起点が、自我の自分なのです。
自分一人では、自分の存在が無いのです。
自分が、二人に別れ、自我と真我が、互いに、相手を認めることで、自分が存在できるのです。
しかし、その自分が、分からないのです。
「私!私!私!・・・」と、自分の意識を、追いかけて行ってみてください。
いくら、追いかけて行っても、自分の意識を、掴むことができないはずです。
この「私」は、永久に、捕まえることの出来ない、私なのです。
なぜ、掴めないのか?
それは、私は、無限だからです。
無限を、掴めるはずがありません。
でも、掴む努力は、しなければならないのです。
宇宙で、一番、不可思議な事は、自分の意識を、いくら探っていっても、掴めない、と言う謎です。
でも、それで、良いのです。捕まえたら、自分が消えてしまうからです。
でも、掴む努力は、しなければならないのです。
なぜなら、掴む努力をすることが、自覚の境界線に、近づけてくれるからです。
自分を存在させるためには、起点が必要です。つまり、相手が、必要です。
その相手が、起点なのです。
相手を作って、相手から自分を見る、だから、自分の存在ができたのです。
自分だけでは、自分が存在できないのは、「一」 だけでは、「一」が存在できないからです。 相対的に分けて、はじめて、自分が存在するのです。
自分を知るためには、どうしても、起点となる、相手が必要なのです。
形の世界でさえ、起点がなくては、自分が存在できないのですから、意識の世界に、起点がなくては、お話にならないのです。
2023.02.27
この世は、刻々と姿を変える、無常の世界です。
それは、実際に無い世界だからです。
しかし、意識は、実在です。絶対無くならない、真実です。
どちらが、得でしょうか?
どんなに、偉大な意識を持っていても、この世のことに使えば、価値を下げてしまうのです。
幻を思うか? 真実と想うか? で、天地の差が生まれる、と言うことです。
それほど、あなたの意識は、偉大なのです。
どうか、神を創ってあげてください!
どうか、宇宙を創ってあげてください!
それは、神を想えば、良いだけです。宇宙を想えば、良いだけです。
あなたの意識は、神と同じ、偉大な意識なのですから・・・。
思えることが、いかに、凄いことなのか?
考えれることが、いかに、凄いことなのか?
人類は、深く考えようとしません。
それは、意識を持っているからでは、ありませんか?
意識がなかったら、思えないし、考えられないし、何も生まれないのです。
と言うことは、あなたは、存在しない、と言うことです。
勿論、私も、存在しません。 いや、何もかも、存在しないのです。
人類は、何をおいても、この意識の研究をすべきです。
今、膨大なお金をかけて、宇宙に探査機を飛ばしたり、素粒子を発見するための地下実験場を作ったりしています。
でも、それは、幻を発見しようとしているのであって、真実を発見しようとしているのではないのです。
外側の物質の研究は、全部、幻の研究なのです。
でも、内側の意識研究は、実際にある、研究なのです。
人類が、研究すべきことは、幻ではありません。実際にある、意識の研究です。思いの研究です。心の研究です。
ぜひ、そちらの研究に、方向転換してもらいたいものです。
2023.02.28