私たちの住んでいる地球には、人間が住めるよう、素晴らしい環境が用意されています。
その環境の中に、たくさんの種類の、植物や、菌や、虫や、小動物や、中動物や、大動物たちが生きています。
勿論、海も、山も、湖も、川も、砂漠も、存在しています。
これらの環境は、全て、人類の進化成長のために用意されたものなのです。
彼らは、人類の進化成長のために、夜も、昼も、寒い時も、暑い時も、働いてくれているのです。
人類の目から見たら、一見、逆さまな働きをしているように見えることがありますが、よく、観察してみると、それさえも、全て、進化成長に結びついているのです。
例えば、人間は、バイ菌や害虫を嫌っていますが、 彼らがいなかったら、人間は、清潔感を保とうとするでしょうか?
また、自然界には、毒物が存在しますが、 毒物がなかったら、人間は、判別をつける知恵を持つことができるでしょうか?
地球に良いものばかりしかなかったら、人間は、何の疑問も持たない、バカ人間に、なってしまうのです。
このように、自然の猛威も、厳しい季節も、厳しい環境も、みな、人類を進化成長させるために用意された、自然界からの愛の贈り物なのです。
「逆も真なり!」とは、厳しいことは・・、辛いことは・・、苦しいことは・・、全て、進化成長に結びついている、良いことだ!、と言う意味なのです。
と言うことは、 「暖衣飽食・快適・ 快楽 」 の裏返しの意味は、何か?
考えてみてください!
本当は、宗教など必要ないのです。
どうして、宗教が必要になったかと言いますと、 科学者たちが、見えない世界の研究を、宗教家たちに任せてしまったからです。
もし、科学者たちが、真剣に見えない世界のことを研究し始めたら、宗教などいらなくなるのです。
そうしたら、宗教戦争もなくなるし、宗教で苦しむ人もいなくなるでしょう。
国が後押しをして、1日も早く、見えない世界のことを研究して欲しいと思います。
「秋の夜空」
2022.10.01
自分とは、何でしょうか? 肉体でしょうか?
肉体は、必ず、朽ち果ててしまいます。
朽ち果てる肉体が、自分でしょうか? そうではないのです。
私たちは、永遠に生き通す、生命なのです。意識なのです。神なのです。
名前は、どうでも良いのです。
その生命が、「自」らを「分」けたのです。
だから、私たちは、「自分」と言うようになったのです。
その自分は、どんな形に入ろうと、少しも変わらないのです。
石に入っても、自分です。
花に入っても、自分です。
犬に入っても、自分です。
地球に入っても、自分です。
私たちは、進化成長するに従って、大きな形の中に入ってゆくのです。
今の私たちは、人間と言う形に入っている、生命なのです。
人生は、一生限りです。
でも、命生は、永遠の生なのです。
永遠の生を刻みながら、進化成長してゆくのが、自分と言う生命なのです。
この表現宇宙は、一時たりとも、停滞することはありません。
一刻一刻、進化成長への道を歩んでいるのです。
それは、幸せの階段を、一歩一歩、上がっているようなものです。
なぜなら、一歩、成長すれば、一歩、幸せがついてくるからです。
私たちは、何のために、生まれてきたのでしょうか?
肉体を喜ばすために、生まれてきたのでしょうか?
いいえ、そうではないのです。
本当の自分を知るために、生まれてきたのです。
つまり、 自分が生命であることを知るために、生まれてきたのです。
それも、心の底で知るために・・・。
それには、次の二つのことをやることです。
社会体験は、誰でも、やっています。
瞑想は、難しいように思いますが、 自分のマントラを想うだけでいいのです。
難しいとすれば、続けることでしょうか?
どうか、二つのことをやって、本当の自分を、心の底で知ってください。
吾生命なり!
吾生命なり!
吾生命なり!
2022.10.02
真理は、いつの時代にも、どんな人種にも、 どこの国にも、平等に降されています。
ただ、その真理を、理解できる人が、いるかどうかです。
真理は、ありふれたものですから、何処にでもあるのです。
大宇宙の中にも、大自然の中にも、原子の中にも、人間の中にも、・・・。
ただ、それを、受け取る能力が、あるか、ないかです。
どんなに、目の前に真理があっても、受け取る能力がなかったら、その真理は、無いのです。
また、いくら受け取っても、その真理を使わなかったら、宝の持ち腐れで終わってしまうのです。
大切なのは、ただ、真理を知ることではなく、知った真理を実践し、自分を変えることです。
それには、努力が要ります。継続する忍耐力が要ります。 集中力も要ります。
今の自分は、どうなのか?、確かめてみてください!
これまで、私は、宇宙は、理解力によって、進展してゆく!、と言ってきました。
これは、言葉上ではなく、 本当に、そうなのです。
先に宇宙が有ったのではないのです。その人の理解力が、生み出した宇宙なのです。
“ 宇宙が有る! ” と、科学者は言いますが、その宇宙は、有ったのではなく、理解者が創ったのです。
もし、先に宇宙があったなら、結果が先にあることになり、「原因と結果の法則」が逆さまになってしまいます。
そうなったら、宇宙は、めちゃくちゃです。
「原因と結果の法則」が、間違いないから、宇宙は、今日まで、存続してこれたのです。
理解者は、原因者です。 理解された宇宙は、結果です。
ですから、理解者が、宇宙を創っていることになるのです。
2022.10.03
どうして、コロナが蔓延しているのか? 考えてみましょう。
現象的な原因は、経済です。
人類は、これまで、資本主義経済の下に豊かさを求めてきました。
でも、この経済は、成長し続けなければ、やってゆけない仕組みですから、人の欲望を刺激して、需要喚起しなければなりません。
しかし、どんどん、経済が膨らんでいったら、どうなるでしょうか?
地球環境の汚染が進むのは、目に見えています。
汚れたところに、ウジがわくように、汚れた地球に、様々な腐敗菌が発生するのです。
コロナウイルスは、その腐敗菌の一つです。
コロナウイルスは、偶然に発生したのではありません。
人類の欲望を抑えるために、必然的に生まれたウイルスです。
これまで、地球人類は、より豊かな生活を目指して、経済を成長させてきました。
そのお陰で、衣食住は、ある程度、満たされました。
しかし、人類は、それでは、満足できず、更に、経済を拡大しようとしています。
しかし、経済を拡大するには、人の欲望を刺激しなければなりません。
そこで、人類は、情報手段(IT企業)を使って、欲望を刺激し、娯楽産業や観光産業を拡大してきました。
確かに、経済は、活性化し、物質的には、豊かになったかもしれません。
多くの地球人類が、携帯電話を持てるようになったのですからね ・・・。
でも、娯楽産業や観光産業が拡大すれば、人の移動が多くなり、自動車が多く走るようになり、飛行機も多く飛ぶようになります。
当然、地球環境が悪化し、温暖化が進むでしょう。
異常気象や、動物たちの異常行動や、菌の暴走などは、地球環境の悪化によるものです。
このまま進めば、 地球は、人類が住めない星になってしまうかも知れません。
自然界は、それを怖れ、経済にストップをかけようとしているのです。
資本主義経済は、人心の荒廃を助長する仕組みです。また、地球環境保全と相容れない仕組みです。
ですから、いつまでも、資本主義経済に頼っていてはいけないのです。
そろそろ、ポスト資本主義を考える時期に来ているのではないでしょうか?
2022.10.04
私は、科学者に強く言いたいと思います。
神の存在は、信じなくても、 幽界があることは、信じてもらいたいと ・・・。
科学者は、物質の背後に、エネルギーがあることは、認めているわけですから、物質界の背後に、幽界があることも、信じてもらえるはずなのです。
神は、姿形がありませんから、神の存在を知らしめることは、容易ではありません。
知ってもらうためには、神の側面を話して、理解力で納得させるしかないのです。
神は、意識なのです。 力なのです。光なのです。理念なのです。創造能力を持っている、宇宙で唯一の存在者なのです。
でも、姿形がないので、神を信じなさいと言っても、なかなか、信じてもらえません。
そこで、お釈迦様は、神を知ってもらう方弁として、この世と幽界を輪廻する、お話しをしたのです。
しかし、方弁で説いたことが、今では、目的になってしまったのです。
イエス様は、そのことを恐れ、幽界の話は、あまりしませんでした。
イエス様は、神の側面を色々話し、直接、神の世界に連れ込もうとしたのです。
でも、その教えも形骸化し、今では、何が目的か分らなくなってしまったのです。
唯物主義者は、死後の世界(幽界)のあることを信じません。
それは、目に見えないからです。
でも、目に見えなくても、死後の世界は、間違いなく、あるのです。
そのことを、唯物主義者に、何としても知って欲しいのです。
なぜなら、幽界の存在を示すことで、唯物論者を、唯心論者に、変えることができるからです。
「ゴースト/ニューヨークの幻」と言う映画は、死後の世界があることを信じさせるきっかけになる、良い映画かもしれません。
死は、恐ろしいことでも、悲しいことでも、ありません。
むしろ、死は、喜ぶべきことなのです。
なぜなら、肉体の束縛から解かれ、自由になれるからです。
光のメロディ「別れ」
2022.10.05
現象は、自分の意識の前でしか起きません。
なぜなら、現象は、自分の意識が生み出したものだからです。
ですから、自分の意識の前でしか、起きようがないのです。
この表現宇宙は、先に有ったわけではないのです。
自分の意識が認めて、生まれた宇宙なのです。
意識が先で、現象は後なのです。
「結果が先で、原因が後」と、言うことはないからです。
それは、意識です。想念です。 つまり、原因です。
良い人生を・・良い社会を・・良い世界を創りたかったら、 原因である、意識・想念を正しく使うことなのです。
自分の意識の前でしか起きない、と言うことは、どう言うことなのでしょうか?
それは、本当に必要なものは、自分が気がつくように、一番、近くに、手軽に、安価に、置いてくれていると言う意味です。
私たちは、物を買う時、何だかんだと、物色します。
でも、物色すれば、するほど、カスを掴むのです。
本当に必要なものは、一番、近くに、手軽に、得られるようになっているのです。
それは、真我が、自我の意識の前に、必要なものを置くからです。
これは、宗教を選ぶ場合も、同じなのです。
その人に必要な宗教は、手軽に、近くに、置いてくれています。
例え、その宗教が、間違った宗教だとしても、それは、その時代に必要な宗教であり、将来、本物の宗教に出会うために必要な宗教でもあるのです。
神は、決して無駄なことはしないのです。
2022.10.06
私たちの意識は、 絶対なくなりません。
実際、死んだ人は、意識を持って幽界で生きています。
これが、意識が無くならない証明なのです。
意識が永遠に無くならないことは、真理を学んでいる皆さんは、理解できます。
でも、一般の人は、理解できないのです。
なぜ、理解できないかと言いますと、肉体が意識を作ると思っているからです。
意識は、宇宙に属するもので、肉体に属するものではないのです。
もし、肉体に属するものなら、肉体は無くなってしまうのですから、宇宙も無くなってしまうことになるでしょう。宇宙が無くなることは、絶対、無いのです。
生きるとは、どう言うことでしょうか?
形が生きるのが、生きると言うのでしょうか?
意識が生きるのが、生きると言うのでしょうか?
意識が生きることが、生きると言うのです。
と言うことは、意識は、永遠ですから、意識を持っている、私たちは、永遠に、生き通すと言うことです。
光のメロディー集 「永遠の意識」
どうして、相手がいるのでしょうか?
それは、自分がいるからでは、ありませんか?
なぜなら、自分がいなければ、相手がいないからです。
と言うことは、相手は、自分が創っていることになり、自分は、創造主であると言うことになります。
そうです! 自分は、創造主なのです。
創造主である、と言うことは、主観の主である、と言うことです。
主観の主である、と言うことは、自分は、唯我独存(尊)である、と言うことです。
神が、「自」らを「分」けたのが、自分ですから、自分が、唯我独存(尊)なのは、当たり前なのです。
2022.10.07
自分を愛するとは、神を愛することです。
なぜなら、自分は、神だからです。
神は、「自」らを「分」けたのです。
だから、私たちは、紛れもない、神なのです。
自分は、神である!
神は、自分である!
・・・ と、常に思うことです。
愛するとは、意識することなのです。
愛するとは、想うことなのです。
自分が可愛かったら、自分を想ってください!
自分が可愛かったら、自分を意識してください!
その時、神を、自分を、愛していることになるのです。
神は、愛のエネルギーです。
神を想えば、愛のエネルギーが流れ込んできます。
愛のエネルギーが流れ込んでくれば、原子核が大きくなります。
難しいことはありません。ただ、神を想えば良いだけです。
何を思うかで、あなたの未来は、決まるのです。
どこへ行く必要もありません。 一円のお金も、かかりません。
それは、ただ、神を想うだけで良いのです。
想念は、愛のエネルギーを操れる武器なのです。
確かに、神の愛は、峻厳です。
でも、それは、私たちを愛するがゆえです。
神は、私たちを、強くしたいのです。神は、私たちを、 進化成長させたいのです。
だから、神は、涙ながらに、厳しい課題を与えているのです。
でも、神は、決して、乗り越えられない課題は、与えません。
やるべき事さえやれば、誰でも乗り越えられる課題です。
やるべき事とは、社会体験を精いっぱいやること・・ そして、瞑想をすることです。
神は、「難しいことをしなさい!」、とは言っていないのです。
どうか、神の愛を信じ、今、やれることを精いっぱいやって、神の愛に応えてください。必ずや、大きく成長できるでしょう 。
私たちは、この世の物に溺れるために、生まれてきたのではないのです。
魂を大きくするために、生まれてきたのです。
どうか、人生の目的を見失わないでください!
2022.10.08
想念は、何でも作り出します。 良いことも・・悪いことも・・その想念には、二つの使い方があるのです。
一つは、外側のものを作る使い方、もう一つは、内側のモノを創る使い方です。
この世のことを、想念すれば、この世のことが作られます。
意識の世界のことを、想念すれば、意識の世界のことが創られます。
実に、単純で、簡単です。
でも、その簡単で単純な仕組みが、凄いのです。
神を想っている時には、この世の事が思えません。
この世の事を思っている時には、神の事が想えません 。
この、同時に、二つの事が思えない仕組みが、凄いというのです。
なぜなら、良い事を想っている時は、悪い事が思えないので、悪い業を創らないからです。
ある本に、このようなことが書いてありました 。
「ありがとう!の言葉には、幸せにする不思議な力がある!」と・・・。
確かに、「ありがとう!」を、思い続けていたら、幸せになれます。
でも、 「ありがとう!」の言葉自体に、幸せにする不思議な力があるわけではないのです。
「ありがとう!」と、思っている時は、悪いことが思えないから、幸せになれるだけです。
良い想念を、持ち続けてください 。不幸災難は、一切、やって来ません。
「ありがとう!」の言葉でなくても、良い言葉だったら、どんな言葉でも良いです。
学びの友の皆さんなら、マントラを持っていると思いますので、そのマントラを想い続けてください。
何の神秘も、ありません。良い原因を創れば、良い結果がくるだけです。
これは、「原因と結果の法則」を、単に利用した、想念の科学なのです。
想念は、動くようにできているのです。
想念を動かすことは、体を動かすことにつながっているのです。
想念を動かさないで、体が動くことはないのです。
想念と体は、一体なのです。
体を動かしたら、必ず、原子核が増えるようになっているのです。
だから、想念は、常に、体を動かすように、動かすように、働くのです。
また、想念は、体を動かすと同時に、想いを一点に集中させる働きもします。
思いで、体を動かし、想いで、瞑想することによって、目的が果たせるようになっているのです。
2022.10.09
自我は、どのようにして、生まれるのでしょうか?
それは、人間になる資格を持った魂(一定量の原子核が集まった魂)が、人間の体の中に入ることで、芽生えるのです。
ただし、人間になる資格を持った魂でも、人間以外の体に入ったら、自我は、芽生えないのです。
なぜなら、人間以外の体は、自我を生み出すようには、作られていないからです。
自我を生むには、次の二つの条件が必要なのです。
そのためには、人生体験が必要なのです。
人間の舌は、言葉を巧みに話すことができます。
人間の顔は、豊かな表情ができます。
人間の手は、器用に動きます。
人間の皮膚は、微妙な感覚も、キャッチできます。
猫や犬は、
人間のような舌を持っていませんので、人間のように話すことができません。
顔も、豊かな表情ができません。
手も、人間のように器用に動かせません。
皮膚も、鈍感です。
これでは、繊細な情報交換ができないので、自我が生まれないのです。
狼に育てられた子供がいましたが、その子供は、情報交換の相手が動物たちでしたから、自我を持つことができませんでした。
でも、人間社会で生きるうちに、少しずつ、自我が芽生えてきたのです。
このように、自我は、人間の体に入って、人生体験することで、芽生えてくるのです。
私たちは、今、自我を持っています。
自我を持っているから、相手を認めることができるし、宇宙の存在を認めることができるし、神っているのかな? と、思えるのです。
しかし、この自我は、一生限りで、消えてしまうのです。
例えば、今のAさんの自我は、その生限りです。
次生、Bの肉体を持ったら、Bさんの自我になるのです。
でも、安心してください!
自我は、無くなっても、自分(魂)は、永遠に無くならないのですから・・。
一生一生の自我は、消えて無くなるけれど、その自我で体験したことは、魂に刻まれ、永遠に引き継がれてゆくのです。
だから、自我の一生は、とても、大切なのです。
2022.10.10
神は、完全です。 神が創られた、この宇宙は、完全です。
完全な宇宙に、否定的な言葉を使うのは、不謹慎です。神を冒涜することになります。
神が、完全である、と言うことは、全て、良いことである、と言うことです。全て、進化成長に結びついている、と言うことです。
ですから、何が起こっても、決して、ネガティブに思ってはなりません。
確かに、この世界には、痛い苦しいことが、たくさん、あります。
でも、その、痛み、苦しみは、進化成長のために必要なのです。
ですから、痛み、苦しみが、やってきても、 「あー!、この、痛み、苦しみは、良いことだ!」と、肯定的に受け取ってください。そう思えば、業を作ることがありません。
面白いもので、言葉一つで、状況が全く変わってしまうのです。
例えば 、「まだ、これだけしか、進んでないのか!」と思えば、疲れます。
「 もう、これだけ、進んだのか !」と思ったら、元気になります。
「まだ」と思うか、「もう」と思うかで、天地の差ができるのです。
今、痛み、苦しんでいる人は、「今、昔の悪い業が消えているんだ! 有難いことだ!」と、思ってください。
体の弱い人は、「神は、弱い体を持たせることで、真理に目覚めさせようとしているのだ! 有難いことだ !」と、 思ってください。痛み、苦しみは、半減します。
神は、完全です。完全な神が、病気を創るわけがありません。
また、弱い体を創るはずがありません。
病気にしているのは、弱い体にしているのは、あくまでも、当人の悪想念です。
もし、そのことに気づいて、想念を上手に使うようになったら、バラ色の人生になるでしょう!
旧・光のメロディ「ありがとう!」
2022.10.11
私って、何なのか? 「私! 私! 私! 私!」と、私の意識を追いかけてみてください。どんなに、追いかけても、 捕まえることができません。
その、捕まえることのできない、私の意識を探る旅・・それが、求道の旅なのです。
私たちは、 自分を意識できる、意識を持っています。
持っているのに、この意識の不可思議さが、解らないのです。
ただ、言えることは、私たちの意識は、永遠に無くならない、と言うこと・・・そして、この意識だけが、真実である、と言うこと ・・です。
それ以外、全く、解らないのです。
意識 = 真 = 解らない
でも、それで、良いのです。
なぜなら、自分の意識を探っていけば、幸せに到達できるからです。
私が、私と思える、この不思議さ!
私が、何かを認められる、この不思議さ!
私が、いなかったら、何も存在しない!、この不思議さ!
一体、私は、何者なんでしょうか?
しかし、どんなに、私を探っても、私は解らないのです。
でも、それで、良いのです。
私が解らないから、私が存在できるのですから ・・・。
この宇宙の仕組みの不可思議さ! 実に、面白いではありませんか!?
2022.10.12
神は、自分の存在を認めて欲しくて、人間を創ろうと考えました。
これが、宇宙創成の第一歩です。
まず、神は、自らの意識核を放射しました。
その意識核が集まって、魂となり、その魂が・・
鉱物になり、
↓
植物になり、
↓
動物になり、
↓
人間になったのです。
人間になったばかりの幼い魂は、肉体を維持するために、欲望のままに生きます。
当然、病気・事故・災難などの、痛い目や、苦しい目に、遭うでしょう。
そこで、なぜ、痛い目に合うのだろうか? と疑問を持つようになります。
そして、気づきます。「人間に生きるから、苦しいのだ!」と言うことを・・・。
目覚めた人間は、真理に生きるようになります。
学びの友の皆さんは、真理に目覚めた、優秀な魂です。
どうか、神の期待に応えてください。
神は、自覚の境界線を超えるのを、今か今かと待っているのですから ・・・。
光のメロディー集「人類創成物語」
この宇宙には、寛大な神の心が、一つあるだけです。
その寛大な心から、私たちの心が、分かれたのです。
私たちの心の成り立ちは、まず、神の意識核が放射されるところから始まりました。
その意識核が、魂を創り、その魂が、心を創りました。
ですから、私たちの心は、神の心と、何も違わないのです。
ただ、神の心は、全てを包み込む、大きな心になっているのに対し、人間の心は、自分だけに固執する、欠点の多い心なのです。
でも、意識して、欠点を直す必要はありません。
社会体験と瞑想をやっていれば、自然と直ってゆくのですから・・。
どうか、瞑想してください! 瞑想してください! 瞑想してください!
2022.10.13
私たちが、得るべきものは、 この世の知識ではありません。
どんなに、知識を得ても、自分を変えることができないからです。
自分を変えるには、知識を基に実践しなければならないのです。
一番大切なのは、実践です。
実践し、魂が大きくなれば、心身ともに変性変容が起きるのです。
それは、原因を作ったからです。
原因を作れば、結果がついてくる、これは、科学なのです。
私たちは、人間ではありません。神から生まれた、神の子です。
人間は、神の代弁代行役として創られた、意識の乗り物なのです。
神は、完全な人類を創られました。
完全な人類を創られたということは、自我を持ったということ・・ 自由意思を持ったということ・・です。
これは、人類が、神と肩を並べた、喜ぶべき出来事です。
私たちは・・・、
鉱物 → 植物 → 動物 → 人間 へと、進化を遂げ、
最終的に、神の自覚を持つ段階まで、進化してゆかねばならないのです。
私たちは、今、「人間」と言っていますが、この「人間」という名前は、出世魚のような、途中の名前なのです。
初めは、鉱物と言われ、
次には、植物と言われ、
さらに進化して、動物と言われ、
自我を持った段階で、人間と言われ、
最終的には、神と呼ばれるようになるのです。
人類は、自分の自由意思で、何でも作れるようになりました。
これは、喜ばしいことでありますが、恐ろしいことでもあるのです。
なぜなら、良いことも作れるけれど、悪いことも作れるからです。
今、人類が、苦しみに喘いでいるのは、想念を悪用しているからです。
でも、人類は、そのことに、気づいていないのです。
しかし、苦しみに喘いでいるうちに、 いずれ、人類は、気づくでしょう。
苦しみの原因が、想念にあることを・・・。
気づいた人類は、正しい想念の使い方を覚えます。
正しい想念の使い方を覚えた人類は、進化の度合いを深め、いずれ、地球に、理想の世界を建設するようになるのです。
2022.10.14
本当の自分を知ることほど、大切なことはありません。
なぜなら、本当の自分を知ったら、モノやお金など、欲しがらなくなるからです。
今の社会で、争いごとが絶えないのは、肉体を自分だと思っているからです。
肉体を自分だと思えば、どうしても、お金や物が、たくさん、いるのです。
どうか、 本当の自分を知ってください。
本当の自分を知ったら、争いごとを起こさない人になります。
どんなに得ても、そんなものは、みな、幻なのですから・・・。
本当の自分を知ったら、そういう、おおらかな、気持ちになるのです。
どうか、本当の自分を知ってください。
知ったら、「今のままで十分幸せです」と、言える人になるでしょう!
2022.10.15
この宇宙は、丸です。 その証拠に、全ての星は、丸い姿をしています。
自転も、丸を描いています。 公転も、丸を描いています。
星の軌道も、楕円、あるいは、円軌道を描いています。
なぜ、この宇宙は、丸く創られたかと言いますと、神そのものが、丸だからです。
丸は、穏やかです。引っかかりがありません。どうにでも、転がります。摩擦が無いのです。
ですから、この宇宙は、今日まで、丸く収ってきたのです。
私たちは、宇宙と同じような、丸い心を持たなくてはなりません。
丸い心とは、欲望と感情・知性と理性のバランスがとれた心です。
その心からは、肯定的な、思い、言葉、行為、が生まれます。
この宇宙には、 否定するものが無いのです。どんなことも、良いことです。
どんなに、悪く見えていても、最終的には、丸く収まるようにできているのです。
ですから、否定語を使ってはなりません。 また、怒ってもなりません。
よく、怒る人がいますが、これほど、宇宙を汚すことはないのです。
一般人は、仕方ないにしても、学んでいる皆さんは、そんな愚かなことをしてはなりません。
皆さんは、いつも、笑顔を見せてください。笑顔ほど、美しいものはないのです。
私たちは、神の表現媒体ですから、美しい表現をしなければならないのです。
何も難しいことはありません。生かされるままに・・有るがままに・・ 生きたら良いのです。
ですから、整形して顔を変えるとか、性別を変えるとか、してはならないのです。
この宇宙は、意識の海です。光の海です。エネルギーの海です。
その意識は、その光は、そのエネルギーは、全て、良きよう、計らってくれます。
それは、意識が、完全だからです。光が、完全だからです。エネルギーが、完全だからです。 つまり、神が、完全だからです。
私が、「どんなに、足手まといになっていても、生きていることが、尊いのですよ!」と言うのは、生きてさえいれば、神のエネルギーが、完全に、運んでくれるからです。
しかし、残念なことに、多くの人類が、神の完全なエネルギーを自我意識で落とし、苦しみを呼び込んでいるのです。
それは、自分の力で生きようとするからです。
どうか、生かされるままに、有るがままに、生きてください!
それは、神を信じればできるのです。
ただし、「自分が、やれることは、精いっぱいやる!」と言うことは、忘れないでください。
新・光のメロディ「生かされるままに生きる」
2022.10.16
良い準備をするとは、どう言うことでしょうか?
それは、良い原因を作ると言うことです。
よく、アスリートが、「良い準備をしておきます!」と言いますが、アスリートの良い準備をするとは、たくさん練習をすることでしょうが、人生において、良い準備をするとは、何をすることなのでしょうか?・・それは、良い原因を作ることです。
私たちは、毎日、いや、一秒一秒、人生の準備をしているのです。
思いにおいて・・言葉において・・行為において・・です。
しかし、殆んどの人は、 一秒一秒、悪い準備をしているのです。
悪い準備をすれば、悪い原因を作るわけですから、悪い結果がやってくるのは、当然なのです。
世の人々は、自分で悪い原因を作りながら、「苦しい! 助けてほしい!」と言っていますが、それは、自業自得なのです。
幸せになりたかったら、良い準備をすることです。
つまり、良い原因を作ることです。
一にも、二にも、三にも、良い準備をすることです。
一にも、二にも、三にも、良い原因を作ることです。
それは、ただ、神(マントラ)を想い続けたら良いだけです。
個々人の苦しみは、個人の意識が生み出した凶事です。
人類の苦しみは、人類の集合意識が生み出した凶事です。
どちらも、人の欲望と感情がもたらした、苦しみです。
それは、悪い準備をしてきたからです。
つまり、悪い原因を作ってきたからです。
現象を生み出しているのは、あくまでも、私たちの意識です。
このことに気づかない限り、地球人類は、苦しみ続けるでしょう!
2022.10.17
自分を認められる人は、外側にある全てのものを存在させることができます。
なぜなら、自分を認めている意識が、外側の全てのものを創っているからです。
自分を認められる、と言うことは、外側のものも認められる、と言うことです。
自分を認められない、と言うことは、外側のものも認められない、と言うことです。
ですから、自分が認めて、初めて、全てのものが存在できるのです。
自分を認める意識が、全てのものを創っているからです。
では、その「自分」って、一体、何なのでしょうか?
それが、分からないのです。分からないのが、自分なのです。
ただ、確かなことは、「自分が意識である!」と言うことだけです。
その自分の意識が、全てのものを創っているのです。
と言うことは、
自分がいなかったら、相手がいない!
自分がいなかったら、妻子もいない!
自分がいなかったら、宇宙も無い!、と言うことです。
いかに、自分の意識が偉大な存在か?、と言うことです。
神の意識は、完全です。その完全な神の意識で、全てのモノが創られているわけですから、全てのモノが完全なのは、当たり前です。
と言うことは、私たちの想念も、完全である、と言うことです。(神の意識が、核を生み出し、魂を生み出し、心を生み出し、想念を生み出した。)
私たちの想念の大元は、神の完全な意識ですから、どんなに、悪想念を抱いて迷っても、完全であるはずです。
実際、学びの友の皆さんは、今日まで、自我想念で生きてきたのです。
そして、今、この真理に出会い、今、この真理を学んでいるのです。
と言うことは、 自我想念で生きてきたことは、正しかった、と言うことです。
一般の人たちも、今、自我想念で右往左往しながら生きていますが、いずれ、この真理を学ぶようになるのです。
自我想念の中に、神の意識が働いているから、そうなるのです。
2022.10.18
どのような人を、利口な人と言うのでしょうか?
処世術に長けた人でしょうか?
お金儲けの上手な人でしょうか?
博識者でしょうか?
処世術も、お金儲けも、知識も、この世限りのものです。
この世限りのものを、大切にする人を、利口な人とは言いません。
なぜ 、〔利口〕と書くのでしょうか?
それは、口(言葉)を賢く使いなさい、と言う意味ですが、口(言葉)は、意から生まれますから、意を賢く使いなさい!
つまり、賢い生き方をしなさい! と言う意味になるのです。
「キリストを汚してならないから、私は踏み絵を踏みません! 」 と言って、磔にされたキリスト教信者がいましたが、これは、利口な人とは言えません。
また、仏像や十字架を拝んでいる人も、賢い人とは言えません。
私は、仏壇を壊しました。塔婆を壊しました。娘や妻の骨を山にバラマキました。
真理を知り、賢くなった者は、形に囚われません。意識を大切にします。心を大切にします。想念を大切にします。何よりも、永久に無くならないモノの為に生きます。
生半可に真理を知った人は、外側の形を大切にします。格式や形式や品位を重んじます。
また、一般人は、無くなるものの為に生きます。
何が大切なのでしょうか? 形でしょうか? この世のものでしょうか?
よく考えて欲しいものです。
2022.10.19
想いの凄さは、こう言うことでも、知ることができます。
悪業は、消えて行く時に、痛みや苦しみを残します。
この痛みや苦しみは、「今、悪業が消えていっている!」と言う、合図なのです。
その時、本人が、どう「想う」かで、業を消すか、上乗せするか、決まるのです。
例えば、痛みや苦しみを「悪いと想ったら」、業の上乗りをするので、病気は悪化します。この痛みは、業が消えているのだから、有難いことだと「良く想ったら」、病気は快方に向かうのです。
肯定的に受け取るか、否定的に受け取るかで、天地の差が生まれるのです。
思いが、もろに現れるのが、現象の世界なのです。
このように「想い」は、恐ろしくもあり、素晴らしくもあるのです。
スポーツで、良く、こんなことを言われます。
良い時間帯とか、悪い時間帯とか、流れが良くなったとか、流れが悪くなったとか、リズムが良くなったとか、リズムが悪くなったとか・・・。
これは、光が、強くなったか、弱くなったか、のことを言っているのです。
良い時間帯とは、光が強くなった時です。
悪い時間帯とは、光が弱くなった時です。
流れが良くなった時とは、光が強くなった時です。
流れが悪くなった時とは、光が弱くなった時です。
リズムが良くなった時とは、光が強くなった時です。
リズムが悪くなった時とは、光が弱くなった時です。
良い時間帯にするも、悪い時間帯にするも 、良い流れにするも、悪い流れにするも、良いリズムにするも、悪いリズムにするも、どんな想いを持つかで決まるのです。
全て、想念です。
気持ちが、明るくなれば(良い想念を持てば)、光が強くなるのです。
気持ちが、暗くなれば(悪い想念を持てば)、光が弱くなるのです。
どうか、明るい想念を持ってください!
最近、より深く気づいたことがあります。
それは 、「人生って、想念の学びである!」と言う、気づきです。
学びの友の皆さんは、 日々、いかに、想念を上手に使えるようになるか? 勉強させられているのです。
しかし、日々の生活に追われていると、その事を忘れてしまうのです。
一番大切で、一番やらなければならない、学びなのに・・・です。
この現象の世界は、波動が粗いので、思ったことが、すぐ現れません。
だから、想念を軽んじてしまうわけですが、でも、皆さんの人生は、全て想念が作ってきたのです。
あの苦しかったことも・・・
あの悲しかったことも・・・
あの辛かったことも・・・
あの楽しかったことも・・・
あの嬉しかったことも・・・
どうか、気づいてください!、想念の学びが、いかに大切か!、と言うことを・・・。
私は、やっと、そのことに気づいたのです。
そのことに気づくまで、何万転生もかかったのです。
2022.10.20
人間って、何でしょうか?
人間とは、単なる形です。
形に「人間」と言う名前を付けただけで、実体のあるものではないのです。
恐ろしいのは、その実体のない人間を、「人間! 人間!」と呼んでるうちに、本当に「人間」がいると錯覚してしまったことです。
確かに、形はあります。でも、その形は、必ず、消えて無くなってしまうのです。
消えて無くなるのは、実際に無いからです。
しかし、実際に無いからと言って、人間を軽んじてはなりません。
なぜなら、人間の背後には、「真実」、つまり、神が存在するからです。
人間の肉体を切り刻んでいくと、細胞 ・分子・原子・ クォークに至り、さらに遡れば、意識に至ります。その意識は、 実在(真実)なのです。つまり、神なのです。
このように、人間の形は、幻ですが、その背後には、意識と言う、真実(神)が存在するのです。人間とは、そう言う存在なのです。
神のメロディ「あなたは神」
2022.10.21
想念が、どれほど、凄い力を持つものなのか? 面白い話があるので、ご紹介しましょう!
ある人が、末期のがん患者に、このような話しを持ちかけました。
「この薬は、奇跡の薬です。この薬を、100日間、飲み続けたら、どんな病気も治ってしまうのです。 しかし、この薬は、1日1袋100万円もするのです。 全部で1億円になりますが、飲んでみますか?」 と・・、
それを信じ、薬を買って飲んだ人は、本当に治ってしまったのです。
それは、薬が効かしたのではなく、信じた人の想念が効かしたのです。
いかに、想念の力が凄いか!、驚かされます。
ちなみに、その薬は、タダのでんぷん粉だったのです。
私たちの想念は、何んでも作るのです。 何でも生み出すのです。
と言うことは、何も想わなかったら、何も作らないし、何も生み出さない、と言うことです。
今、コロナが蔓延していますが、これは、 地球環境の悪化(空気・水・土)が、もたらした感染症で、大元の原因は、人の心にあります。
この感染症は、恐れれば、恐れるほど、広がります。意識すれば、するほど、広がります。想念が、病気に力を与えるからです。
ですから、恐れないことです。意識しないことです。
一番良いのは、神を想うことです。
神を想ったら、光のバリアで包まれるので、例え、側にコロナ患者がいても、平気です。何せ! 神を想えば、1兆8000億ヘルツの精妙な波動を出すのですから・・・ 。
どうか、神を想い続けてください!
病気にもならない!、原子核も増える!、こんな良いことはないのですから・・・。
2022.10.22
私が、「毎日、毎日が、新鮮なのですよ!」と言うのは、私自身が、一秒一秒、進化成長しているからです。
勿論、 皆さんも、一秒一秒、進化成長しています。
いいえ、どんなものも、一秒一秒、進化成長しているのです。
この宇宙で、進化成長していないものなど、一つも無いのです。
それは、動いているからです。
でも、私たちの目には、進化してるように見えないのです。
それは、中の動きが見えないからです。
空気も、水も、土も、いいえ、 原子一つ、石一個、花一輪、虫一匹、刻々と動いています。
この宇宙に、動いていないものなど、一つも無いのです。
なぜなら、動けば、進化成長することを、本能的に知っているからです。
進化している背後には、必ず、動きがあるのです。
停滞しているものは、進化しないのです。動いてるものだけが、進化するようになっているのです。この仕組みを使わなくては、もったいないです。
どうか、動いてください! 間違いなく、進化成長します。
これは、私が保証し、宇宙が保証します。
この現象界は、全て、動いていますから、どんな存在物も、進化成長するのです。
このような宇宙を創ってくれた、神に感謝しましょう!
2022.10.23
私たちは、宇宙と言う言葉を使いますが、宇宙には、二通りの宇宙があるのです。
一つは、表現宇宙です。物質宇宙と言っても、いいかもしれません。私たちが、夜空を仰いで見ている宇宙がそうです。
もう一つは、目で見ることができない、意識の宇宙です。
この宇宙は、見える宇宙と見えない宇宙が、一対となって存在しているのです。
見える宇宙を、言葉を変えて言えば、「間の宇宙」です。
見えない宇宙を、言葉を変えて言えば、「時の宇宙」です。
このように、宇宙は、(時)と(間)の二つが、一つとなって存在しているのです。
見えるものは、下僕です。見えないものは、主人です。
この表現宇宙は、見えない意識が、仕切っているのです。
と言うことは、全ては、見えない意識で、操られていると言うことです。
確かに、私たちには、自由意思がありますから、自分で生きてきたように思えます。
でも、見えない意識によって、操られてきたのです。
操られてきた、と言うのが嫌なら、見えない意識によって、運ばれてきた、と言っても結構です。
どちらにせよ、 人間が生きられるわけがないのです。
なぜなら、人間は、生きているのではなく、生かされているからです。
生きているのは、意識です。私たちは、見えない意識によって、生かされてきたのです。
あなたが、心臓を動かしているのでしょうか?
あなたが、食物を消化しているのでしょうか?
あなたが、心臓を動かし、あなたが、食物を消化しているなら、自分で生きてきた、と言ってもいいでしょう。
でも、見えない意識によって、生かされてきたのです。
ですから、口が曲がっても、自分で生きてきた、と言ってはならないのです。
宇宙は、特別な存在ではないのです。
(間)と(時)を持ったものは、全部、宇宙なのです。
原子一つ、 砂一粒、虫一匹、植物も、動物も、人間も、みな、宇宙なのです。
なぜなら、どんな物の中にも、(間)と(時)があるからです。
私たちは、宇宙そのものなのです。その宇宙は、絶対、死なないのです。
なぜなら、意識が、死なないからです。
どうか、死なない、意識に生きてください! 死なない、宇宙に生きてください!
2022.10.24
世の人々は、運命は、決まっているとか、決まってないとか、言い合っていますが、大きな目で見たら、運命は、決まっているのです。
なぜなら、私たちは、最終的に、神人になるようにできているからです。
でも、神人に通じる道は、無数にあり、その無数の道を、どう選ぶかは、自我では分からないのです。
ですから、運命は、決まっていない、とも言えるのです。
私たちは、自由意思を持っていますから、自由奔放に生きられるのです。
でも、この宇宙には、秩序(法則)がありますから、秩序の中で生きなければ、苦しみが来るのです。この秩序(法則)が、お釈迦様の掌と言われるものです。
ですから、私たちは、自由に生きているようで、実際には、法則に操られているのです。その法則が、自覚の境界線に導いてくれるのですから、誰でも、いつか、神人になるのです。
だから、私は、運命は、決まっている、と言うのです。
この宇宙には、運も、ツキも、無いのです。
想念を良く使ったら、良いことが起こり、悪く使ったら、悪いことが起こるだけです。
迷信を信じてはなりません。 科学を信じてください!
この宇宙は、科学的に創られているのですから・・・・。
どうか、科学的な生き方をしてください。
つまり、良い原因を作ったら、良い結果が生まれ、悪い原因を作ったら、悪い結果が生まれると言う、「原因と結果の法則」に生きてください!
想念は、何でも作るのです。その想念を、あなたは、持っているのですから、あなたは、すでに、幸せを得たようなものなのです。
でも、その想念が、なかなか、正しく使えない!・・・。
幸せを持っているのに、幸せが得られない! 何と、もどかしいのでしょうか?
想念次第です!
想念次第です!
想念次第です!
想念を正しく使いましょう!
それは、神を想えば良いだけです。
2022.10.25
学びの友の皆さんほど、幸せな人は、おりません。
なぜなら、ホンモノのために生きているからです。
一般の人たちは、ニセモノのために生きているのです。
この差は、実に、大きいのです。
では、ホンモノとは、何でしょうか? ニセモノ とは、何でしょうか?
ホンモノとは、 意識のこと・・命のこと・・ 魂のこと・・神のことです。
これは、見えません。触れません。それを知りなさいと言うのですから、 大変です。
でも、皆さんは、それを知れる魂なのです。
だから、私は、言うのです。「皆さんほど、貴重な存在はないのですよ!」と・・・。
どうか、ここまで成長した自分の魂を、褒めてあげてください!
では、どうすれば、 ホンモノを知ることができるのでしょうか?
それは、私が、いつも、言っているように、二つのことを、やれば良いのです。
この二つのことを、やっていれば、原子核が増えるので、自分の中から教えられるのです。難しいことは、ありません。ただ、二つのことを、やり続けていたら良いだけです。
世の人々は、外側の人に認められたいと思い、必死に学び、必死に働いています。
しかし、外側の人に認められる必要はないのです。
なぜなら、外側の人は、ニセモノ(幻)だからです。
ニセモノに認められたって、何の意味もないのです。
認められたかったら、ホンモノに認められてください。
そのホンモノは、内側にあるのです。意識として・・魂として・・心として・・想念として・・ と言うことは、自分に認められたら良いと言うことです。
「想念を良く使うこと!」・・これは、何度言っても、言い過ぎる、と言うことはありません。このことは、これからも、何度も言います。
「想念を良く使う! 」、それは、神を想えば良いだけです。
瞑想してください!
瞑想してください!
瞑想してください!
2022.10.26
「神は光なりき! 」と、聖書で唱われているように、神は、光そのものなのです。
その光なる神が、宇宙を創られたわけですから、この宇宙は、光で満ち満ちているはずなのです。
なのに、どうして、地球には、闇が多くあるのでしょうか?
それは、多くの地球人類が、悪想念を放っているからです。
そうです。地球人類が悪想念を放ち、地球を闇で覆っているのです。
もし、地球人類が、良想念を放ったら、この地球は、即、光一元の星になるでしょう。
それは、ただ、良想念を持てば良いだけです。悪想念を持つか? 良想念を持つか? で、地球は、闇の星になるか? 光の星になるか? 決まるのです。
それほど、私たちの想念は、偉大な力を持っている、と言うことです。
では、良想念とは、どのような思いでしょうか?
それは、
どうか、良い思いを持つよう、心がけてください。
この宇宙に、本質的な闇など無いのです。
その無い闇を作っているのは、人類の悪想念なのです。
人類の想念だけが、闇も作れるし、光も作れるのです。
しかし、人類は、そのことに、気づいていないのです。
だから、人類は、想いたい放題のことを思っては、苦しんでいるのです。
私の役割は、地球人類に想念の偉大さを知ってもらい、悪想念を持たないようにしてもらうことです。
想念を上手に使ったら、地球は、即、光り輝く星になるのです。
それは、物も、お金も、要りません。地位も、名誉も、要りません。武力も、権力も、要りません。学歴も、いりません。
ただ、想念の正しい使い方を、覚えたら良いだけです。
2022.10.27
私って、何でしょうか? どうして、私と思えるのでしょうか?
それは、私と思える意識が、あるからではないですか?
と言うことは、私は、「意識そのもの」と言うことになりませんか?
そうです!
「私は、意識そのもの」なのです。
私は、肉体では無いのです。人間では無いのです。
でも、その意識が、何処から、来ているのか? どこから、生まれたのか? 全く分らないのです。と言うことは、「私は、分らない!」と言うことです。
そうです!
私は、永久に分りようがないのです。
分ったら、その瞬間、自分が消えてしまうからです。
よく、考えてみてください!
分かる、と言うことは、有限である、と言うことです。
有限である、と言うことは、死が有る、と言うことです。
死が有る、と言うことは、終わりが有る、と言うことです。
あなたは、終わりの有る自分が、考えられますか?
学びの友の皆さんは、考えられないと思います。
終わりの有るドラマは、つまらないです。続きのあるドラマは、楽しいです。
それも、永遠に続くドラマは、夢があって楽しいです。
この宇宙は、無限なのです。 無限だから、楽しいのです。無限だから、幸せなのです。
この無限の不可思議さは、人間の思考では、理解できないでしょう。
私たちは、分りようのない自分を、永遠に探っていくのです。
そんな無駄なことを! と思うかもしれませんが、探っていく途中の体験が、楽しいのです。
2022.10.28
知花先生は、言っておられました。「どんなことも、瞑想によって解決できるのですよ!」と・・・この一言の中に、先生の深い思いが込められているのです。
瞑想している時は、この世の事が思えません。この世の事を思わなければ、悪い原因を作らない訳ですから、悪い結果は、生まれないのです。
この宇宙は、完全なる神意識で満ち満ちているのですから、人間が、悪想念を持たなかったら、幸せになれるようにできているのです。
でも、そのことを知らない人間は、悪想念を放っては、自ら苦しみを招いているのです。
幸せは、誰かが与えてくれるのではないのです。自分の想念が与えてくれるのです。
幸せを得る、こんな簡単な方法が有ったのです。
さあ! 良い想念を持ちましょう!
2022.10.29
私たちは、すでに、幸せを持って産まれてきたのです。
なぜなら、想念を持って産まれてきたからです。
「想念は実現の母!」と言って、何んでも実現させる力を持っているのです。
私たちは、その想念を持っているわけですから、想念を上手に使えば、間違いなく、幸せになれるのです。
でも、私たちは、何かと言えば、すぐに、悪いことを想ってしまいます。
それは、転生輪廻において、ネガティブな想い癖をつけてしまったからです。
私たちは、その癖を取るために、この地球に生まれてきたのです。
はっきり言って、人生は、想念次第です。 いいえ、魂の進化成長は、想念次第です。
それほど、想念は、偉大な力を持っているのです。
人生の目的は、ただ一つ、想念を上手にコントロールできるようになることです。
瞑想は、その手段です。
地球人類に、知って欲しいことは、ただ一つ・・・
想念が、全てを操っていると言うこと・・・
想念が、全てを牛耳っていると言うこと・・・
幸せの鍵は、想念が握っていると言うこと・・・です。
一に想念!、二に想念!、三に想念!、です。
他に言うことは、何もありません。
2022.10.30
私たちは、必然の下に生まれ、必然の下に生かされ、必然の下に動かされ、必然の下に働かされているのです。
この宇宙に、偶然と言うものは、一つも無いのです。
もし、偶然があるなら、今、宇宙は、存在していないからです。
よく、考えてみてください! あなたは、偶然に生まれ、偶然に死ぬのでしょうか?
また、偶然に病気になり、偶然に老いるのでしょうか?
もし、偶然になるなら、あなたは、身を守る必要はありません。どんなに身を守っても、偶然に老い、偶然に病気になり、偶然に死ぬのですから・・・。
世の人々は、偶然を信じながら、栄養剤を飲んだり、健康体操などして、身を守っていますが、これは、矛盾と言うものです。
なぜ、偶然を信じている人が、暴飲暴食を謹んだり、深酒に注意したり、睡眠時間に気を使ったりするのでしょうか?
それは、乱暴に体を使ったら、体の秩序が乱れ、病気になると思っているからではありませんか? と言うことは、必然を認めている(秩序を認めている・法則を認めている)と言うことでは、ありませんか?
そうです。世の人々は、偶然を信じながら、必然に生きているのです。
病気になるのも、老いるのも、背後に、そうさせる「力」があるからです。
その「力」は、偶然からは、生まれないのです。
もし、偶然から、「力」が生まれるなら、宇宙は、今、存在していないでしょう。
今日まで、宇宙が延々と存続してこれたのは、「力」は、必然から生まれたからです。
「力」は、必然そのもの、法則そのもの、秩序そのものなのです。
これは、当たり前のことなのです。 当たり前は、偶然なのでしょうか? 必然なのでしょうか? よく、考えてみてください!
私たちの身体には、抗体が生まれたり、自然治癒力が働いたりする、不思議な「力」が存在します。この「力」は、偶然から生まれた「力」なのでしょうか? 必然から生まれた「力」なのでしょうか ?
必然から生まれた「力」なのです。
なぜなら、この「力」を生み出した知恵者が、背後に存在するからです。
その存在者を、私は、神と呼んだり、生命と呼んだり、意識と呼んだり、X と呼んだり、しているのです。
その知恵者は、計画を持ち、目的を持っているのです。
と言うことは、「力」は、必然によって生まれたと言うことです。
偶然には、計画も、目的も、無いからです。
地球の科学者たちは、必然の「力」を認めませんが、進化した星の科学者たちは、必然の「力」を認めています。
彼らは、法則 (秩序) が、宇宙を支配していることを、知っているからです。
しかし、彼らも、必然の「力」が、何なのか?、どこから来ているのか?、解っていません。
でも、そのような「力」が有ることは、認めているのです。それで、良いのです。
なぜなら、宇宙は、解らないことだらけだからです。
進化した星の科学者たちは、そのことを理解しているのです。
地球の科学者たちは、そのことが、まだ、理解できない段階なのです。
2022.10.31