悪は無い! 不完全も無い!
「真・善・美」で固められている宇宙に、不完全なものは、一つもありません。
不完全なものが、一つも無いと言うことは、悪なるものは、一つも無いと言うことです。
だから、そこには、恨む人も、憎む人も、怒る人も、あり得ないし、事件も、事故も、災害も、病気も、あり得ないのです。
あるように見えている悪は、すべて、人の迷いが生み出した幻です。
もし、実際にある悪なら、決して、無くなることはありません。
実際にない悪だから、人の迷いが解ければ、消えて無くなるのです。
だから、この宇宙に、悪人は、一人もいないのです。
いるのは、善人ばかりです。
世の悪を見て、憤慨したり、嘆いたり、嫌な気分になるのは、自分の中に、まだ、悪があるからです。
自分の中に、悪があるうちは、どうしても、悪が見えるのです。
世の悪は、そのことを気付かせてくれる、先生です。
だから、世の悪を恨んではなりません。悪に目を背けるのではなく、自分の中にある悪を見詰め、その悪を無くす努力をすべきです。
神が創られた完全なる宇宙に、本質的な悪があるわけがないのです。
今、人類が見ている悪は、善の尊さを知る方便の悪ですから、それは、善なのです。
善の中にいては、善の尊さは分からないのです。悪の苦味を知ればこそ、善の尊さが分かるのです。
ですから、悪の本質を理解できた人は、悪を見なくなるのです。
それは、自分の中に、もう、悪が無くなったからです。
神の目を備えた人とは、悪が見えなくなった人のことを言うのです。
(2015年10月25日 今週の真言より)
迷惑!?
世の人々は、「迷惑」を、悪と考えていますが、本当に、「迷惑」は、悪でしょうか?
迷惑と言う意味は、「迷わせ惑わせる」と言う意味ですから、字の意味だけ考えたら、悪かも知れません。
でも、迷惑をかけられたことで、色々と体験できるのですから、それは、悪いことではないのです。
だから、「人に迷惑をかけて良い!」と言っているわけではありません。
迷惑を、自分の成長に、つなげて欲しいと言っているのです。
あなたは、自分を成長させたくて、迷惑をかける人を連れてきたのです。
ならば、迷惑をかけてくれた人は、恩人ではありませんか?
実際に、あなたは、これまで、迷惑をかけられたことで、成長してきたのですから・・・。
このことは、主観宇宙の仕組みを知った人なら、分かって頂けるはずです。
何でも良く受け取ってください!
厭(嫌)なことは、自分を成長させてくれる、肥やしなのですから・・・。
※ 悪人を嫌っているうちは、未熟です。
悪人に、感謝できるようになったら、成熟です。
厭(嫌)なことを、嫌っているうちは、未熟です。
厭(嫌)ことに、感謝できるようになったら、成熟です。
実際に、あなたは、 嫌なことを乗り越えることによって、ここまで、成長してこれたのですから・・・ 。
※ 嫌なことをされたのは、あなたが、嫌なことをしていたからです。
あなたが、嫌なエネルギーを出していたから、嫌なエネルギーが入ってきたのです。そのことに気付いたら、成長です。
迷惑なことが、迷惑でないのは、成長できるからです。
嫌なことが、嫌なことでないのは、成長できるからです。
※ エネルギーは、出した分、入るようになっているのです。
出しもしないで、エネルギーを貰おうとするのは、欲です。
欲のエネルギーを貰ったら、いつか、必ず、返さなければならなくなります。
痛みとして・・・苦しみとして・・・。
ギャンブルほど、大損なことはないのです。気をつけたいものです。
(2018年4月8日 今週の真言より)
明るく、明るく、朗らかに・・
何事も良く受け取り・・
神を想い、光を想い・・
精いっぱい、生きましょう !!
2022.06.01
無限なる私たち!
無限とは、限界がないという意味です。 つまり、果てがないということです。
そのことを前提に、神のこと・・私たちのこと・・を考えてみましょう!
神は、無限なる存在です。
なぜ、神が無限の存在かと言いますと、意識そのものが、神であり、その意識が、無限だからです。
私たちは、その神の意識から別れた、意識の子供たちです。
ですから、私たちも、無限の存在なのです。
よく、考えてみてください!
私たちの持っている意識は、自由自在に使うことができます。
また、無限に拡大することができます。何一つ縛られることはありません。
ですから、意識の自分は、自由な存在なのです。
でも、地球人類は、不自由な生き方をしております。
それは、 肉体を自分だと思っているからです。
肉体は、意識の乗り物であり、本当の自分ではありません。
なぜなら、意識が抜ければ、肉体は、消えて無くなってしまうからです。
消えて無くなる肉体が、自分であるはずがありません。
本当の自分は、肉体の中に存在している意識です。
意識ゆえに、私たちは、無限の存在なのです。
どうか、意識の自分に目覚めてください!
目覚めたら、苦しみのない、自由自在な自分になれるのですから ・・・。
無限は絶対真理!
この宇宙が無限なのは、絶対真理です。
と言うことは、 この宇宙には、「一つのモノしか無い!」と言うことになるでしょう!
もし、二つも、三つも、何かがあるなら、宇宙は、有限になり、無限であるという、絶対真理は、崩れ去ってしまうからです。
宇宙が無限である、と言うことは、私たちは、無限である、と言うことになります。
なぜなら、今、現に、私たちは、存在しているからです。
今、現に、私たちが、存在していると言うことは、一である、という証拠です。
その一は、無限ですから、私たちは、間違いなく、無限なのです。
※ 無限が、どれほど凄いことか? 心の底で知ってください!
心の底で知ったら、あなたは、唖然とするでしょう!
もし、有限なら、この宇宙は、一瞬にして、消滅してしまうでしょう。
勿論、神も存在しません。私たちも存在しません。幸せも存在しません。何もかも存在しなくなるのです。
無限と言うのは、限定されない状態です。
有限と言うのは、限定された状態です。
限定されないものは、生きているのです。
限定されているものは、死んでいるのです。
死んでいる宇宙に、神がいるわけがありません。私たちがいるわけがありません。幸せがあるわけがありません。
生きているから、宇宙があり、神がおり、私たちがおり、幸せがあるのです。
この意味の深さを知ってください。
※ 有限のものは、無限から生まれるのです。
無いものは、無限から生まれるのです。
消えるものは、無限から生まれるのです。
だから、人間は、無限から生まれたのです。
と言っても、
宇宙は、生まれることがありません。もともと、存在していたのです。
神は、生まれることがありません。もともと、存在していたのです。
私たちは、生まれることがありません。もともと、存在していたのです。
宇宙も、神も、私たちも、無限の昔から、存在していたのです。
※ 有限のものは、有限のものから、生まれることはありません。
ですから、本来、この世に、病気などないのです。事故災難もないのです。
病気を作っているのも、事故災難を作っているのも、人の想いです。
人の想いは、無限だからです。
2022.06.02
純粋さが大切
やってあげたいから、やってあげるのです。してあげたいから、してあげるのです。
そこに、不純な思いが入ってはなりません。
純粋に、純粋に、清く、清く、「ただ、世のため、人のため!」と思い、やってあげることです。
その純度が、高ければ、高いほど、あなたは、神人としての素晴らしい働きができるでしょう。
私たちは、間違いなく、神人なのです。神の代弁代行者なのです。
それは、私たちの本性(意識)が、神だからです。
どうか、神人として、神の代弁代行役を果たしてください。
では、私たちは、どのような、代弁代行役が果たせるのでしょうか?
(一) 何をやるにも、神が思い、神が話し、神が行っていると思いやることです。
そう思いながらやれば、その思い、その言葉、その行為は、神の表現になります。
つまり、
その思いは、素晴らしい発明・発見を生み出し、
その言葉は、多くの人の心を揺さぶり、
その行いは、人の手本になるのです。
(二) 神を想い瞑想することです。
神を想う瞑想は、身体を浄化し、地球を浄化し、宇宙を浄化します。
神を想う瞑想は、心を穏やかにします。
神を想う瞑想は、あなたの欠点を無くします。
神を想う瞑想は、原子核を増やします。
このように、純粋に、清く、神の代弁代行役に徹すれば、素晴らしい神の表現ができるのです。
さあ、純粋に、清く、神を想い、話し、行動してください。
それは、どこへ行く必要もないし、お金もかかりません。
あなたの今の環境の中で、できるのです。
その貢献度は、この世のボランティアーの比ではないのです。
(2016年7月31日 今週の真言より)
心から悔改めたら全ての罪は許される!
今まで、どんな凶悪な罪を犯していた者であっても、心から悔い改めたら(良心に生きるようになったら)、全ての罪は、許されるのです。
「私は、もう、悪いことを一切やらない! 私は、今から、良心に生きる!」と、堅く心に誓った瞬間、今までの自分ではなくなるのです。
なぜなら、人間の自分から、神の自分に戻ったからです。
良心は、神の心です。実在する心です。
その心に生きるようになった瞬間、自我の自分は、存在しなくなるのです。
今まで、悪いことをしていたのは、実在しない自我の自分だったのです。
実在しない自我の自分に、罪があるわけありません。
ですから、決して、肉体を罰してはならないのです。
※ 真我人間とは、良心に生きるようになった人間のことです。
良心には、一点の汚れも無いのです。
よく、心が汚れていると言いますが、汚れた心など、一つもありません。
ただ、心の周りに、ゴミが付着しているだけです。
ですから、改心し、ゴミを落とせば、そく、真心に戻るのです。
ゴミとは、迷いのことなのです。
迷いは、実在するものではありませんから、迷いを消せば、そく、真我の自分に戻れるのです。
迷いを消す作業が、反省・懺悔なのです。
私が、死刑に反対するのは、改心したその瞬間に、罪人は、いなくなるからです。
いない罪人を殺すなど、大きな罪です。
迷いが、罪人を作っているのです。
憎むべき相手は、罪人ではなく、迷いなのです。
ですから、「迷いを憎んで、人を憎まず」です。
どうか、迷いを、取っ払ってください。
それは、真理を知ることによって、取っ払えるのです。
「無知こそ最大の罪である!」と、覚者が言うのは、真理を知らなければ、迷って、罪を犯してしまうからです。
本質的な罪人などいないのです。どうか、そのことを知ってください。
※ 昨日まで、体調が良かったのに、今日、急に体調が悪くなったと言う人は、間違いなく、ネガティブな波動にやられています。つまり、サタンにやられているのです。
その時は、真理を求める気持ちも、弱くなっているはずです。
ぜひ、そのことに気付いてください。
気付いたら、「サタンよ見破ったぞ! サタンよ退け! サタンよ出てゆけ! 出てゆけ! 出てゆけ!」と、何度も心の中で叫んでください。
もし、どこかに痛みがあったら、「想わない! 想わない! 想わない!」と、思ってください。きっと、痛みが和らぐでしょう。
(2016年8月28日 今週の真言より)
2022.06.03
私たちは、日々、成長している!
過去の苦しい体験を、悔やんではなりません。
なぜなら、その苦しい体験が、真理に顔を向けさせたからです。
過去のことを悔やんで、自分の宇宙を汚すことほど、大損なことはありません。
どうか、そんな愚かなことはしないでください。
私だって、幼い時には、くだらない思いを持ち、くだらないことをしたのですから・・・。
でも、それで、今の自分に成長できたのですから、くだらないことをやったことは、無駄ではなかったのです。
神は、完全です。その完全な神が、私たちに、無駄なことをさせるわけがないのです。
※ あなたが、過去に置いた黒石は、今、真理を学んでいることで、すべて、白石に変わったのです。
今、正しく生きたら、過去の黒石は、全て、白石に変わるのです。
過去の黒石は、今、白石を置くための学びだったからです。
学びの黒石は、白石なのです。
大切なのは、過去を悔やむことではなく、今の今を正しく生きることです。
今、正しく生きたら、 人生は、逆転するのです。
※ 過去を悔やんでいる人たちは、不幸を作っています。
また、未来を憂いている人たちも、不幸を作っています。
今の今、正しく生きている人たちだけが、幸せを創っているのです。
ですから、今の今、正しく生きている人は、生き人です。
過去や未来に生きている人は、死に人です。
(2018年7月8日 今週の真言より)
2022.06.04
幸せについて!
幸せって、言葉や文字で現せますか? 幸せを、人に伝えられますか?
当人が、幸せだと思ったら、それが、幸せではありませんか?
と言うことは、幸せに、上下は付けられない、と言うことです。
と言うことは、幸せは、平等だと言うことです。
ただし、原子核が増え、理解力が増せば、増した分の高度な幸せが味わえるのは、確かです。
なぜなら、神は、私たちを、進化成長へ、運んでくれているからです。
進化成長した分、高度な幸せが味わえるのは、当然でしょう!
進化成長しても、同じ幸せしか味わえないなら、何のために原子核を増やしているのか分かりません。
あくまでも、幸せのための進化成長ではありませんか?
そうでなければ、神は、私たちに、無駄なことをさせていることになります。
全能の神が、そんな、無駄なことをさせるはずがありません。
進化成長した分、間違いなく、幸せは、高度になってゆくのです。
だから、みな、意欲を持って、進化の旅が続けられるのです。
これだけは、断言しておきます。
ただし、幸せを、人と比べることが出来ない点は、同じです。
(2020年8月30日 今週の真言より)
※ 幸せとは、意識状態です!
意識状態ですから、体験した本人にしか分かりません。
特に、第三の幸せは、文字や言葉で、伝えようのない幸せです。
どんな幸せかと言いますと、条件なしの幸せです。
私は、これまで、二つの幸せについて、お話してきました。
この二つの幸せを味わうためには、条件が必要でした。
しかし、第三の幸せには、条件が必要ないのです。
「ただただ、嬉しいのです!」
「ただただ、楽しいのです!」
「ただただ、幸せなのです!」
この条件なしの幸せこそが、究極の幸せなのです。
ただし、この幸せを味わうためには、心の底で「自分は神である!」と言う、自覚が必要です。
そのためには、原子核を増やし、自覚の境界線を超えなくてはなりません。
どうか、原子核を増やし、自覚の境界線を超えてください!
そうすれば、究極の幸せが味わえるのですから・・・。
※ この表現世界は、次から次へと変化変滅する、無常の世界です。
確かなものは、何一つないのです。
あるとすれば、それは、幸せだけです。
夢の中で味わっている幸せも、幽界で味わっている幸せも、この世で味わっている幸せも、「幸せだな!」と思っている意識は、実在なのです。
幸せの意識は、実在ゆえに、この宇宙に存在している、全ての生命体は、幸せだけを欲しているのです。
旧・光のメロディー「幸せ」
2022.06.05
意識は一つ!
意識は、誰のものでもありません。
誰のものでもないのは、意識は、一つしかないからです。
意識は、一であり、全体であり、無限なのです。
一つゆえに、何か一つでも消えたら、すべてのモノが消えるのです。
砂一粒無くても、宇宙絵が完成されないのは、砂一粒が、全体だからです。
砂一粒にして、そうですから、あなたが消えたら、宇宙が消えるのは、当たり前なのです。
あなたは、一つであり、全体であり、無限なのです。
意識を持っている人類が存在するから、真理が存在し、神が存在し、光が存在し、物質が存在し、時空が存在し、幸せが存在するのです。
なぜなら、認める者(人類)がいなければ、認められるモノ(真理・神)が存在できないからです。
意識は、すべての大本です。本源です。
その意識を人類は、持っているわけですから、人類が、すべてのモノを生み出しているのは、当たり前のことなのです。
「人類が存在するから、宇宙が存在する!」と言う、真理を、腹の底に落としてください。
※ 意識の正体は解りません。
意識の正体は解らなくても、意識そのものには、成り切ることはできます。
なぜなら、あなたは、意識そのものだからです。
ただ、今のあなたは、肉体を自分だと思い違いしているから、意識そのものに成り切れないだけです。
思い違いを解けば、そく、意識そのものに成り切れるのです。
思い違いを解く道具が、瞑想なのです。
※ この世のことを意識している時は、幻の世界に生きていることになり、神を意識している時は、真実に生きていることになります。
なぜ、そう言えるのかと言いますと、 意識(想念)は、実現の母だからです。
と言うことは、この世のことを意識している時は、無いものを作っていることになり、神を意識している時は、有るものを創っていることになるでしょう。
※ 私の勉強会の動画を見て、波動を受け取れる(感じられる)ようになった人は、よほど波動を落とさない限り、サタンにやられることはありません。
それほど、動画から出ている波動は良いのです。
どうか、一日一度、勉強会の動画を見てください!
その人は、もう、真理から離れることはないでしょう!
(2019年3月10日 今週の真言より)
2022.06.06
意識の自分を知る!
本当の自分とは、何でしょうか? それは、意識です。
でも、意識は、五官で感じられませんから、知りようがありません。
では、どうすれば、意識の自分を知ることができるのでしょうか?
それには、まず、意識が、どのようなモノか知らねばなりません。
では、知りましょう!
意識は、エネルギーであり、光であり、物の素材です。
また、意識は、意思を持ち、意図を持ち、計画性を持っています。
更に、意識は、無限の可能性と発展性と創造性を持っています。
つまり、意識は、万能なのです。
その意識を、人類は、持っているのです。
万能の意識を持っている、と言うことは、 何でも作れる、と言うことです。
事実、私たちは、その意識で、人生を作ってきたではありませんか?
苦しい人生を・・・楽しい人生を・・・。
今、人類は、どのようなものを作っているでしょうか?
※ 今の地球人類は、自分の想念で、人生を作っているとは思っていません。
だから、意識が自分だと思えないのです。
自分が意識だと思えるようになるためには、自分の想念で人生を作っていることに、気付かねばならないのです。
あなたは・・
このように、はっきり見せられていると言うのに、人類は、自分の想念で人生を作っていると思っていないのです。
どうか、 自分の想念で人生を作っていることを ・・宇宙を創っていることを・・ 神を創っていることを・・ 全てのものを創っていることを ・・知ってください!
※ 想念は、意識から生まれたのです。
と言うことは、「想念を持っている、私たちは、意識そのものである!」と言うことになります。
その証拠に、あなたの意識が無くなれば、何もかも消えてしまうのです。
でも、地球人類は、誰一人として、自分を意識だと思っていないのです。
これでは、自分を見失ったまま、一生を終えてしまうでしょう。
どうか、自分が意識(想念)であることを知ってください。
どのような人生を作り上げて行くかは、意識(想念)の使い方次第なのですから・・・。
※ 学校で教えねばならないのは、高等数学でも、経済学でもありません。
次の三つです。
この三つを教えたら、 地球は一変するでしょう!
まずは、経済の仕組みが、変わります。政治の仕組みも、変わります。
文明も、物質文明から精神文明へと、変わるでしょう!
(2017年11月5日 今週の真言より)
2022.06.07
相対の必要性!
殆んどの人が、厭(嫌)なものを見たくないと言います。
でも、厭(嫌)なものを嫌っていてはならないのです。
闇が深くなればなるほど、光が強くなるのです。
刃物も、叩けば、叩くほど、強くなるのです。
同じように、悪も、見せられれば、見せられるほど、善の尊さが分かってくるのです。
つまり、厭(嫌)なものを、見せられれば、見せられるほど、正しい生き方の大切さが分かってくるのです。
だから、私たちは、厭(嫌)なものが、たくさんある、この世に出てきて、厭(嫌)なもの、苦しいもの、醜いものを、たくさん、見せられているのです。
厭(嫌)なものを、見せられれば、見せられるほど、 魂の中に、反対のものが築かれるのですから、厭(嫌)なものを見ることは、良いことなのです。
すなわち、人間がいなければ、神は存在しないのです。
この宇宙は、全て、相対的になっているのです。
※ 私たちの身体は、左右対称になっております。
目も、耳も、鼻も、舌も、感覚も、二つあるのです。
心臓も、肺も、腎臓も、肝臓も、二つあるのです。
一つしかない臓器も、機能的には二つあるし、働きも二つあるのです。
片目でも、片耳でも、片鼻でも、片舌でも、片感覚でも、正しく生きられません。
片腕で、ボタンが止められるでしょうか?
片足で、いつまでも、立っていられるでしょうか?
このように、一つでも欠けたら、正しい生活ができなくなるのです。
ですから、安易に臓器を取ってはならないのです。
この相対世界は、二つで成り立っていることを、知ってください!
※ 相対的に出来ていると言えば、私たちの中にも、相反する二人の自分がいるのです。
この二人の自分は、光と闇の関係にあるのです。
自我の自分は、欲望と感情いっぱいに、生きようとします。
真我の自分は、それを、抑えようとします。
自分の中で、サタンと天使が戦っている、と言うわけです。
でも、自我が、悪いわけではないのです。
自我が、悪い思いを持ち、悪い言葉を吐き、悪い行為をするから、痛い体験ができて、成長できるのですから、自我が存在するのは、良いことなのです。
そうです!
成長には、痛みが必要なのです。闇が必要なのです。 サタンが必要なのです。
2022.06.08
私の独り言 パート1
私の生まれが、分からない?
どうして、生まれたのか? いつ、生まれたのか? どこから、生まれたのか? どのようにして、生まれたのか? 全く、分からない。
だから、私の素性が分からない。
素性が分からないから、私を知る手がかりが、全く無いのである。
正に、分からないずくめの私である。
その私は、いつか、消えてしまうのだろうか? いつか、無くなってしまうのだろうか?
いや、そんなはずがない。
なぜなら、私は、見えないからだ。
見えないものが、無くなるはずがない。
では、私って、一体、何モノなのだろうか?
私が私を知らないで生きている、何と不思議な私である。
不思議と言えば、なぜ、私が分かるのだろうか?
それは、私を認識できる意識があるからではないのか?
私の意識がなかったら、私を認識できるはずがない!
と言うことは、私は、意識ではないのか?
そうだ、やっと分かった! 私は、意識なのだ!
でも、意識って、何なのか?
意識って・・意識って・・意識って・・何なのか? 分からない?
※ 意識は、どこから、来たのだろうか? どこから、生まれたのだろうか?
「私・私・私・・・」と、いくら追いかけても、私の意識の源が、出処が、分からないのである。
私に意識がなかったら、こんなに悩むこともないのに・・・。
でも、これは、悩みなのか・・・? いや、私に悩みなどない。
むしろ、嬉しいのだ。楽しいのだ。
なぜなら、私の意識が解らないからである。
解らない意識なればこそ、追求のしがいがあると言うものである。
解らないとは、嬉しいことなのである。
解らないとは、楽しいことなのである。
解らないのは、希望である。解ったら、絶望である。
とは言っても、やはり、私は、私の意識を知りたい!
解らないものを知りたいのは、本能のようなものだからである。
でも、どんなに知りたいと思っても、永久に、知ることができないのだ。
知ったら、絶望だからである。でも、それで、良いのである。
なぜなら、「意識は、永久に知ることができない!」と解ったことが、意識を知ったことになるのだから・・・。
では、永久に知ることのできない、私の意識に名前を付けよう。
どんな名前?・・・それは、「神!」と言う名が、ふさわしいのではないだろうか?
神は、永遠に知ることのできない存在だからである。
※ 私の意識を知る手がかりが、一つだけあります。
それは、自分の意識を意識することで、自分が光ってくることです。
意識とは、光なのです。 私とは、光なのです。
しかし、その光が、どこから、生まれたのか?
その光が、何なのかは、依然として解らないままなのです。
でも、永遠に、解らないままで良いのです。
なぜなら、解れば、宇宙は、有限になってしまうからです。
それでは、宇宙の死です。
無限の宇宙を、永遠に、知ることが出来ないと解ったら、宇宙を知ったことになるのですから、それで、良いのです。
(2018年1月7日 今週の真言より)
旧・光のメロディー「永遠の意識」
2022.06.09
単純な処(モノの中)に深みが隠されている
この宇宙は、単純に出来ています。
それは、神が、「簡素・完結・単純」な思考の持ち主だからです。
食べ物でも、栄養価が高く、一番美味しいのは、表面の皮の部分です。
真理も同じで、表面の浅みに、美味しい味(謎)があるのです。
科学者が複雑に考えるのは、奥深いところに、宇宙の謎があると、誤解しているからです。
チルチルミチルは、幸せの青い鳥を探しに旅に出ましたが、探しても、探しても、見つかりませんでした。
疲れ果てて、家に帰ってきた、チルチルミチルは、フトしたことから、自分の中に幸せの青い鳥を発見します。
このチルチルミチルのお話は、「真理は一番身近な処にあるのですよ!」と言うことを教えてくれているのです。
ですから、真理を探る(思索する)場合、単純に考えることです。
もし、真理が難しいなら、神は、無能な神になってしまいます。
全能の神は、日時計を創るのです。無能な人間は、機械時計を作るのです。
無能者は、難しい作り方をし、全能者は、簡単な創り方をするのです。
それが、神と人間の大きな違いです。
どうか、単純に、考えてください。
つまり、単純に、神を「探して、求めて、叩いて」ください。
その単純な作業が、瞑想なのです。
瞑想には、何の理論も、何の技術も、何の修行も、要りません。
ただ、単純に、神を想い続けるだけで良いのです。
やれば、間違いなく、扉は開かれます。
難しいことがあるとすれば、続けることだけでしょう。
※ この宇宙は、「私」の海です。
「私! 私! 私!」だけがいる、大海原です。
その大海原に生み出された、無数の波頭は、個性化された「私」です。
個性化された、私ゆえに、自分を見失ってしまうのです。
でも、どんなに、自分を見失っても、私は、間違いなく、大海原なのです。大宇宙なのです。
(2016年10月16日 今週の真言より)
単純な学び!
「何だ! ただ、神を想い続けていれば、いいだけじゃない!」と、あなたが気付いたら、学びは、終わりに近いです。
実に、単純な学びです。
神は、私たちに、こんな、単純な学びをさせているのです。
私たちが、今日まで、何万転生もしてきた、この世の学びは、この単純な学びを修業するためだったのです。
何万転生してきた学びが、想念のコントロールであったと、分った途端、笑ってしまいます。唖然としてしまいます。正に、目からウロコが落ちる思いです。
すべて、想念次第です。
ですから、良い想念を使っている限り、不幸はないのです。神を想い続けている限り、不幸はないのです。
神を想い続けていれば、自分の欠点が無くなります。原子核も増えます。当然、自覚の境界線も超えられます。神を想い続ければ、良いこと尽くめなのです。
だから、私の恩師である、知花敏彦氏は、「私たちの最後の学びは、想念のコントロールなのですよ!」 と言われたわけです。
どうか、想念の学びの重要さを、知ってください!
何も難しいことを考える必要はないのです。また、余計なことを考える必要もないのです。ただ、神を想い続けていれば、人生の学びは、終わるのです。
さあ! 子供心で、「単純に! 単純に! 単純に!、素直に! 素直に! 素直に!」神を想い続けてください。
※ 神を想い続けていれば、病気にもなりません。家族関係も良くなります。心配も、恐怖もなくなります。勿論、サタンにも、やられません。
神を想ったら、良いこと尽くめなのです。
なぜなら、「原因と結果の法則」が良くしてくれるからです。
良い原因を創ったら、良い結果が来るのは、間違いのない、科学なのです。
さあ、子供のように素直な気持で、良い原因を創り続けましょう!
神を想い続けましょう!
(2016年12月18日 今週の真言より)
2022.06.10
一様の存在者
自己完結型の宇宙には、一様の存在者しかおりません。
一様の存在者しかいないなら、今、現に存在している人間は、その一様の存在者ではないでしょうか?
その一様の存在者を神と呼ぶなら、人間は、神ではないでしょうか?
一様の存在者が、何かを生み出すには、その一様の存在者が、そのモノになるしかないのです。
なぜなら、自分の他に、そのモノになってもらえる者がいないからです。
また、自分しかいないなら、自分が産みだしたモノを成長させるには、自分で成長させるしかないでしょう。
また、自分しかいないなら、自分で生み出した物(現象)を終わらせるのも、自分でやるしかないでしょう。
人間は、一様の神が産み出した自分自身です。
つまり、「1」が「1」を産みだした自分自身です。
この事実は、否定できません。
自己完結型宇宙は、元数1を肯定し、一様の神を肯定し、さらに、人間が、神であることを肯定しているのです。
一様の存在者しかいないとは、そう言うことなのです。
(2015年11月22日 今週の真言より)
表と裏の関係
モノには、表と裏が、必ずあります。
表だけのモノもなければ、裏だけのモノもありません。
その証に、あなたの手を真ん中から切ってみてください。
どんなに、切っても、切っても、表と裏は離れません。
1センチの厚みのものを1ミリに切り、1ミリの厚さのものを、更に、0.1ミリに切っても、表と裏はあり続けます。
この表と裏は、永遠にあり続けるのです。
ですから、表だけの手もなければ、裏だけの手もありません。
表と裏があって、はじめて、手があるのです。
今、私たちは、肉体を持っています。この肉体は、表なのです。
表の肉体が有ると言うことは、今、言ったように、必ず、裏があります。
その裏のことを、私は、神と言ったり、生命と言ったり、意識と言ったりしているのです。
その神は、見えません。でも、間違いなく、神は、存在しているのです。
裏の手がなくては、表の手がないように、裏の神がなくては、表の人間はいないのです。
本当に有るものとは、何でしょうか?
表と裏が有って、はじめて、「手」が有ると、心の底で思えた時に、本当に有るものが生まれるのです。
つまり、人間が有って、神が有ると、心の底で思えた時、はじめて、「神人」が生まれるのです。
神人が、本当に有るモノなのです。
でも、本当に有る神人は、形がないので観えません。
ですから、理解力で神人を観るしかないのです。
このように、本当に有るものは、表と裏の関係を、心の底で理解した時に生み出されるのです。
この心の底で理解できた人のことを、「理解眼の開かれた人」と言うのです。
このことを理解するのは、容易ではありませんが、ぜひ、理解してください。
それは・・自分の手が教えてくれます。
(2019年4月28日 今週の真言より)
2022.06.11
一本の意識の糸
この宇宙には、たった一つの一本の意識の糸があるだけです。
その意識の糸は、下は物質界から、上は波動の高い神の世界まで、連綿とつながっており、そこには、無限の意識の階層が存在しております。
私たちが、今、住んでいる、この物質世界も、その階層の一つです。
私たちは、今、鈍重な波動の意識を持っているため、地球と言う、物質世界に棲んでおりますが、進化するにしたがい、波動の高い世界に棲むようになります。
要するに、進化した波動に見合った階層に上がって行くと言うわけです。
同じ一本の糸
ここに、一本の糸があったとしましょう。
その糸は、本源の宇宙(真実の宇宙・絶対宇宙)においては、見えないため、存在しているように思えないのです。
でも、見えなくても、思えなくても、その糸は、間違いなく、存在しているのです。
なぜなら、見えないのが真実の証だからです。
真実は、見えないのです。
でも、それでは、存在意味が無いので、神は、波動を下げて、見える無数の糸にし、表現宇宙に放出したのです。
だから、この表現宇宙には、波動の違う無数の糸が存在しているのです。
例えば、クオークも、中性子も、陽子も、電子も、分子も、細胞も、名前は違うが、同じ一本の糸です。
今後、新しい素粒子が発見され、色々な名前がつけられるでしょうが、どんな名前がつけられようと、みな、同じ一本の糸の現れにしか過ぎません。
だから、形や名前が違うからと言って、差別したり、敵対したりしてはならないのです。
わざわざ、探査機を飛ばして、宇宙の塵を拾ってくる必要がないのも、地球の塵も、宇宙の塵も、みな、同じ一本の糸の現れに過ぎないからです。
真理について論議してならないのも、どんな論議の対象物も、みな、同じ一本の糸の現れに過ぎないからです。
人類は、名前に囚われ、何が大切なのか見失っているのです。
大切なのは、名前を知ることではなく、真実の中身を知ることです。
その真実は、一つしか無いのです。
すなわち、一本の糸しか無いのです。神しか無いのです。
だから、私は、沢山のモノを知る必要はない、たった一つの神を知れば良いと言うのです。
(2016年7月3日 今週の真言より)
2022.06.12
人の涙と神の涙
人の涙は、情から生まれた、汚れた涙です。
神の涙は、愛から生まれた、清い涙です。
同じ涙ですが、涙に込められているモノが、全く、違うのです。
では、その違いは、一体、何でしょうか?
人の涙には、何らかの成算が入っています。
たとえば、自分を哀れんで流す自己憐憫の涙、人の目を気にして流す自己顕示の涙、感情を掻き立てて流す作り涙、人の気を引くお芝居の涙など、不純な涙が多いのです。
この宇宙には、悲しみの涙とか、苦しみの涙とか、怒りの涙とか、悔しみの涙とか言った、汚れた涙など無いのです。
あるのは、独りでに出てくる、魂の喜びの涙だけです。
その涙の中には、何一つ不純な思いが入っていないのです。
だから、清いのです。美しいのです。
その涙に触れた途端、どんな汚れも流れ落ちる、清純な涙です。
私たちは、そんな、涙を流したいものです。
(2017年6月4日 今週の真言より)
私には嬉しいことが8つある!
私には、嬉しいことが8つあります。
私たちは、きっちりとした法則(秩序)の中に生かされています。
ですから、法則を守って生きていれば、誰でも、幸せになれるのです。
こんな素敵な宇宙に、生かされている、私たち、何と幸せでしょうか!?
私たちが、やるべきことは、今できることを、心を込めて精いっぱいやることです。
つまり、
すなわち、真心を込めて、瞑想することです。
(2017年6月11日 今週の真言より)
2022.06.13
全て意識(想念)の問題である!
世の人々は、外側に問題があると思っていますが、外側に問題など、何一つありません。全て、内側に問題があるのです。
なぜなら、 内側あってこその、外側だからです。外側のものは、内側の反映なのです。
人類は、思い違いしているのです。
内側のモノとは、意識(想念)のことです。
意識(想念)が、外側の全てのものを創っているのです。
しかし、人間は、そうは思っていません。
外側の何かが、創っていると思っているのです。
だから、自分に都合の悪い何かが起きると、腹を立てたり、悩んだり、怒ったりするのです。
自分の意識(想念)が、外側のものを創っているわけですから、自分が自分を害することはないのです。
つまり、自分の意識(想念)を、きっちりと管理していたら、外側から害されることはないと言うことです。
今、人類は、病を始め、事件・事故・自然災害などで苦しんでおりますが、全て、自分の責任です。
自分の意識(想念)を、しっかり管理していたら、そんな苦しみが起きるわけがないからです。
よろしいですか!?
認めるものがいなかったら、認められるものはないのですよ!
つまり、認める意識が無かったら、認められる現象は無いのですよ!
自分の意識(想念)が、いかに、偉大な力を持っているか、再認識してください!
※ 病気を含め、この世のどんな出来事も、「全て内側次第である!」と、心の底で思えた時のあの嬉さ! あの感動! これは、言葉で表しようがありません。
いいですか、皆さん!
全て内側次第なのですよ! つまり、自分の想い次第なのですよ!
このことを、心の中ほどまでで良いから、知って欲しいと思います。
※ 外側は、幻なのです。外側は、影なのです。外側は、実在しないものなのです。
幻に・・影に・・実在しないものに、力があるわけがありません。
だから、肉体が病気になることはないのです。
問題の発祥地(原因)は、全て内側にあるのです。
つまり、自分の想念が原因を起こし、外側の結果を生みだしているのです。
「想念は実現の母である!」と言う、真理を、噛み締めてください!
※ あなたの真我は、何でも知っているのです。
克服すべきことも、何が足りないかも、何が必要かも・・・、
だから、真我は、あなたの成長に必要な問題を持ってくるのです。
その問題を解けば、あなたは、成長します。
そうすると、次の問題が与えられます。
その問題を解けば、また、新しい問題が与えられます。
こうして、少しずつ成長してゆくのです。
※ 真我は、進化の道筋を、全て、ご存知です。
ですから、何が起こっても、 これは、自分の成長に必要な問題だ! と、良く受け取ってください。
誤解してならないのは、問題は、神が与えているのではありません。
自分の思いが、つまり、「原因と結果の法則」が与えているのです。
でも、その法則を創ったのは、神ですから、神が与えていると言っても、間違いではないのです。
※ あなたが、良い思いしか持たなくなったら、良いことしか起きないのです。
でも、 どうしても、悪いことを思ってしまうのです。
それは、永い転生において、痛い・苦しい体験を、たくさん してきたからです。
でも、これは、決して、悪いことではないのです。
なぜなら、痛い・苦しい体験が、魂を成長させるからです。
※ 想念のコントロールは、難しいと言われます。
一般人は、確かに、そうかも知れません。
でも、学びの友の皆さんは、簡単です。
なぜなら、瞑想している時は、想念のコントロールをしている時だからです。
神を想っている時は、悪いことは思えないのです。
だから、瞑想している時は、想念のコントロールをしていることになるのです。
こんな簡単な想念のコントロールの方法を、神は用意してくれているのです。
利用しない手はありません。
どうか、瞑想してください!
2022.06.14
変化の体験
本当の自分(神の自分)を自覚すれば、変性変容が起きることは、これまで、何度も述べてきたところですが、この変性変容の程度は、自覚の深さによって違ってくるため、気づかないことが多いのです。
でも、間違いなく、変化は起きているのです。
ただ、変化の程度が少ないため、実感できていないだけです。
ある学びの友から、次のようなメールを頂きました。
これは、私の言っていることの正しさを証明する貴重な体験ですので、ご披露することにしましょう。
きっと、学びの友の皆さんの励みになると思います。
メールを頂いた「Aさん」の体験談(本人の了解済み)
【日々の生活において、「社会体験」、「瞑想」、「思索」を続けていますが、ずっと、親指の腱鞘炎と右腕の痛みが取れずにおりました。仕事が縫製業で指・腕を酷使する作業が延々と続く為、職業病と半ば諦めていた所もあり、これを「病気」だと思わずにいたのです。しかし、1週間くらい前から、鉄線で体をぐるぐるに巻かれ締め付けられるような、ひどい激痛が起こり、おかしくなりそうな状態になりました。こんなにも神に意識を向けているのに、なぜ、こんなことが起こるのだろうと思索をした所、「真剣に瞑想しなさい!」という答えが返ってきました。そこで、「吾神なり!」のマントラを唱え(想い)ながら、真剣に8時間ほど瞑想した所、痛みが少し和らぐと伴に、自分の足りなかった部分にも気づくことが出来ました。
瞑想をして痛みが減るということは、この痛みは元々無いものだと改めて気づき、かとうさんの書かれた「病で苦しんでいる人の為の小冊子・最新のオーディオブック版」を何回も聴きました。寝ている時も、ずっと流していました。特に、第三章が心に響きました。おかげで、病気に対して間違った認識をしていたことに気づきました。 たとえば、神が作られたこの身体は、使えば、使うほど、強靱・健全になる、使えば、使うほどに、進化・成長していく、肉体細胞を支配している生命に全託しておけば、自然と蘇生・修復してくれる等々・・・本当に目から鱗が落ちる思いでした。
毎日の仕事で指や腕を使っているから痛くなっても仕方ない、と諦めていたこと自体が間違いだったのですね。また、痛みがあるので、ストレッチをしたり、運動をしたり、痛みを無くそうと自我の自分が躍起になっていたのも間違いだったのですね。この肉体細胞一つ一つが神の意識核で作られているのだと、ストンと腑に落ちた瞬間、「私のこの意識も神の意識であり、この肉体も神の意識で作られている。あーー私は全て神から出来ているんだーー!!」という想いが込み上げ、感動・感動・感動の波が押し寄せてきたのでした。そして 「なーんだ。私って神以外の何者でもないんだ!」と可笑しくなって、一人でクスクス笑ってしまったのですが、次の瞬間、ボロボロと涙がこぼれて止まらなくなってしまいました。
「私は神だった!」、「私は神の意志と意識で出来ている!」この想いが胸の中を熱く・優しく包み込んで涙が止まらないのです。仕事中でしたので、涙を拭うのが大変でした。
この身体を神に全託し、迷いや不安を全て捨て、神の力を心から信じるように切り替えたら、あんなに痛みがあったのにピタッと治まってしまいました。もう、指も腕も痛くないのです。時々、電気が走るような感覚もありますが、「幻が騒いでいるねー」と受け流していたら、それも、すぐに無くなりました。今は本当に楽なのです。
自分が問題を提起し、自分の想念が痛みを作って、自分の過ちに気付かせ解決した、貴重な体験をさせてもらいました。全て、自己完結型の宇宙なのですね。
今回の体験で、魂が大きく成長出来たと実感しております。日々の原子核を増やす小さな努力は、必ず、変性変容をもたらすということも実感できました。かとうさんの教えの通りでした!
これからも、コツコツと努力を続けていきます。これから先、仕事で体を酷使しても、もう、怖いことはありません。使えば、使う程に、私の身体は、進化・成長して強靱になっていくのですから・・・完全なる神が作った完全な身体ですから100%全託します。】
このAさんの体験は、「自分が神である!」と気付くことによって、身に変化の起きた貴重な実例です。
気付きと、自覚とは、紙一重なのです。
これは、当人の心の微妙な変化なので、自覚と気付きの違いを判断することは出来ませんが、一つの節目を超えたことだけは、確かでしょう。
「自分が神である!」と、自覚した深さの程度は、本人にも分らないのです。
でも、Aさんが体験した身の変化は、普通の意識状態で起きる変化でないことだけは、確かです。
このように、日々、原子核を増やしていれば、間違いなく、変化が起きてくるのです。
※ 神は、完全です。偉大な力を持っているのです。
私たちは、その神によって創られた分身ですから、本当は、病気になるわけがないのです。
私たちの身体は、ものすごい生命力 (許容量と能力)を持っているのです。
だから、使えば、使うほど、頑健になるし、使えば、使うほど、働くようになるのです。
こう思ってください!
「完全な神によって創られ、完全な神によって運営されている身体は、完全な働きしかできないのだと・・・、だから、肉体は、健全・健康・完全なのだと・・・」
「自分の体の中で完全なる神が働いているのだ! その神に全託しますと・・」
(2016年6月12日 今週の真言より)
「自分は神である!」と思える自覚の程度は、この世の物に意識が向いている時は低くなり、神に意識が向いている時は高くなります。
従って、 この世の物に意識が向いている時は、痛みが、ぶり返すことがあります。
高い意識状態をずっと保つことができたら良いのですが、そうはいかないのが自覚の難しさなのです。
ですから、安定した意識状態を保つには、どうしても、自覚の境界線を超える必要があるのです。
2022.06.15
最悪なのは何もしないことである!
人生で最悪なのは、何もしないことです。
人生で最良なのは、何にでも挑戦することです。
「動く」ことによる利点は、たくさん、あります。
例えば・・
だから、動けば、進化成長できるのです。
どうか、動いてください。
動く者と動かない者の差は、魂の大きさとして、いずれ、はっきり分かる時がくるでしょう。
どんな生き物も、動いています。
動いていないものなど、一つも存在していません。
動くのが嫌だからと言って、何もしない人は、いずれ、大泣きすることでしょう。
積極的な人になろう!
神の本性は陽ですから、明るくて積極的な人は、神に近い人なのです。
反対に、暗くて消極的な人は、神に遠い人なのです。
神に近い人は、積極的に原子核を増やそうとしますので、成長が早いです。
しかし、神に遠い人は、あまり増やそうとしないので、成長が遅いのです。
私が、行動的な人になって欲しいと願うのは、動けば、必ず、原子核が増えるからです。
大自然を見てください!
水も、空気も、鉱物も、植物も、動物も、微生物も、原子も、動いています。
動いていないものなど、一つも無いのです。
それは、みな、成長したいからです。
どうか、あなたも、動いてください。
人生の目的は、本当の自分を知ることです。
つまり、自分が神であることを知ることです。
私たちは、そのために、わざわざ、生まれてきたのです。
なのに、目的を果たさないで帰っては、無駄な人生になってしまいます。
ぜひ、動いてください。積極的な人になってください。
行動的な人になって、神を求めてください。
(2015年9月27日 今週の真言より)
2022.06.16
病気になりたくなかったら、あるいは、病気を治したかったら、意識して体を動かしてください。それも、こまめに、意識して体を動かしてください。こまめに、意識して体を動かせば、動かすほど、原子核が増えるので、体調が良くなります。では、具体的に、やり方を説明しましょう。
まず、動かす前に・・
「体を動かせば、原子核が増える! エネルギーが高まる! 魂が大きくなる!」と、三度、強く意識して(思って)ください。
動かした後に・・
「私は、今、体を動かしたから、エネルギーが高まった! 原子核が増えた! 魂が大きくなった!」と、三度、強く思ってください。
体調不良な人に、そんな酷なことを言っても! と、思うかも知れませんが、私は、それを承知で言うのです。
医者や薬に、おんぶに、だっこで、病気が治りますか? 何事もそうですが 、何かを成し遂げるには、それなりの努力がいるのです。それも、辛いこと、苦しいこと、厳しいことを、やってこそ、得られるのです。甘えていては、駄目です。神は、楽して得られる宇宙など創っていません。
体を動かす例えとしては、お風呂の掃除をするとか、トイレの掃除をするとか、窓ガラスを拭くとか、庭の掃除をするとか、部屋の整理をするとか、冷蔵庫やタンスの中を整理するとか、要らない物を整理するとか、散歩するとか・・・何でも結構ですから、やってください。
体調が良くなったら、少しずつ厳しいことに挑戦してください。
例えば、散歩を多くするとか、ジョギングをするとか、スポーツジムに通うとか、山登りをするとか、・・・。
体を動かせば、間違いなく、体調が良くなります。と、同時に、気持ちが(心が)強くなります。 スポーツマンが練習して、自信を付けるように・・・ 体を動かして、自信を付けてください 。やっているうちに、自信が付きます。もう、病気する気がしなくなります。何よりも、サタンにやられなくなりますから、真理を求める気持ちが強くなります。
甘えていては、駄目です。弱気になっては、駄目です。「自分の体は、 完全なる神の素材で出来ているのだから、病気になるわけがない!」と、強く自分に言い聞かせてください。
自分の想念で病気を作ったのですから、自分の想念で治せるのです。学びの友だからこそ、厳しく言うのです。
最後に、肝心な点を述べましょう。
帳簿付けすれば、励みになります。
張り合いが出てきます。
毎日が楽しくなります。
最後に・・・悪想念を持ちながら体を動かしたのでは、意味がありません。一番大切なのは、悪いことを想わないことです。良いことを想い、体を動かしてください!
気持ちが明るくなる思い、楽しくなる思いだったら、何でも結構です。一番良いのは、神を想うことです。
※ 体を動かせない人は、想い(イメージ)で体を動かしてください。同じ効果があります。
想い(イメージ)で、
苦しんでいる人の背中を擦ってやるのも良いでしょう。
肩をもんでやるのも良いでしょう。
車椅子を押してやるのも良いでしょう。
ゴミを捨てに行くのも良いでしょう。
人の為になることでしたら、何でも結構ですから、やってあげてください !
やれば、楽しくなるはずです。
体を動かせないから、何もできない、と思ってはいけません。寝ていても、人の為に尽くせるのです。想い(イメージ)で、何でも実現できるのですから・・・。
※ 原子核を増やす最高の方法は、真理を手書きすること・・瞑想すること・・です。日々の生活の中に組み込んでください。
※ 社会体験と瞑想は、原子核を増やすために必要な両輪です。どちらが欠けても、コケてしまいます。二つをバランス良くやってください!
何も難しいことはありません。 時間あるごとに、神を想えばいいのですから・・・。
※ どんな良いことでも、続けなくては、駄目です。
どうか、毎日、やり続けてください。
(2018年8月12日 今週の真言より)
2022.06.17
なぜ、見えないのでしょうか? それは、波動が精妙で、私たちの視覚で捕らえられないからです。反対に、見えるモノは、波動が荒いので、視覚で捕らえられるのです。
私たちが住んでいる、この表現宇宙は、波動の組み合わせによって出来ている、摩擦の世界です。波動が摩擦を生み出し、その摩擦が見える物を生み出しているのです。見えると言うことは、摩擦があると言う意味であり、見えないと言うことは、摩擦がないと言う意味なのです。と言うことは、見える物のある世界は、摩擦の多い世界だと言うことです。
では、摩擦のある世界と摩擦のない世界の、どちらが、幸せ多い世界でしょうか? それは、当然、摩擦のない世界です。
なぜなら、摩擦のある世界では、次のような厄介事が起きるからです。
さらに、
このように、摩擦(凹凸・波動)のある世界では、様々な波風が生まれますので、苦しみが多くなるのです。摩擦のない世界は、抵抗も、引っかかりも、躓きも起きないので、苦しみが少ないのです。と言うことは 、摩擦のある世界は、悩み、苦しみが生まれる、不完全な世界であり、摩擦のない世界は、悩み、苦しみが生まれない、完全な世界であると言うことです。でも、苦しみ多い世界だから成長できるのですから、摩擦の多い世界は、どうしても、必要なのです。
※ 見えるモノや、一時のモノや、有限のモノは、不完全なのです。
見えないモノや、永遠のモノや、無限のモノは、完全なのです。
見えないものは、実在するモノだからです。だから、私たちは、見えないモノを大切にしなければならないのです。
では、神は、なぜ、不完全な世界を、わざわざ、創られたのでしょうか? それは、苦しい体験ができるからです。
魂は、苦しい体験を通して育つのです。ゆえに、不完全な世界は、魂の成長のためには、どうしても、必要な世界なのです。でも、皆さんのような、熟した魂には、もう、苦しい世界は、必要ありません。
さあ! 一日も早く、不完全な世界から、卒業しましょう!
幸せは見えない!
何が幸せをくれるのでしょうか? 物やお金でしょうか? 地位や名誉でしょうか? いいえ、意識です。意識が幸せをくれるのです。なぜなら、意識が幸せを感じるからです。その意識は、実在です。と言うことは、その意識が感じている幸せも、実在だと言うことです。
そうです!
幸せは、どんな幸せであっても、実在なのです。
例えば、
夢の中で味わっている幸せも、
この世で味わっている幸せも、
幽界で味わっている幸せも、
自覚の境界線を超えた節目で味わう幸せも、
みな、実在なのです。
その幸せは、幼い魂が感じている幸せも、熟した魂が感じている幸せも、平等なのです。なぜなら、幸せは、「付け合わせ(比較)」ができないからです。
神の公平性は、保たれていると言うわけです。
(2017年1月22日 今週の真言より)
威厳など必要ない!
世の中には、威厳を見せ、話をする指導者や、威厳を頼りに、話を聞く求道者がおりますが、内容で勝負できない指導者は、威厳を見せて、人を引きつけるしかありません。また、聞く方も、理解力がなければ、威厳や名声や現象などを頼りに、話を聞くしかありません。でも、偉く(威厳を)見せなくては、話を聞いてくれないし、また、理解力がなければ、威厳を頼りに、聞くしかないので仕方がないのです。
幼い魂は、偉く見せかける人(先生・肩書・名声、など)の話は、聞くけれど、そうでない人の話は、聞かないのです。それは、この社会で、「名声のある人は偉い!」と言う、概念が独り歩きしているからです。名声が大切なのではなく、話しの内容が大切なのではありませんか?
本来なら、威厳など見せる必要はないのです。反対に、親しく接するべきです。覚者が、「私とあなた達とは、何も変わらないのですよ!」と言うのは、「私でも悟れる!」 と思ってもらえるからです。
皆さんのように、理解力の高い魂には、もう、威厳も、名声も、現象も、必要ありません。
(2017年10月29日 今週の真言より)
2022.06.18
自分を愛するとは?
自分を愛するとは、肉体(自我)の自分を愛するのでしょうか?
それとも、真我の自分を愛するのでしょうか?
どちらも、愛さなければなりません。自我と真我は、一つだからです。
真我が存在しなければ、自我は存在しません。
自我が存在しなければ、真我も存在しないのです。
例え、真我が存在していても、自我が存在しなければ、真我の存在を認めてやることが出来ないので、真我は存在しないのです。
ですから、自分を愛するとは、自我が真我を認めることです。
つまり、自我が真我を意識することです。
これは、瞑想のことを言っているのです。
瞑想している時は、真我(本当の自分)を愛していることになり、
この世のことを意識している時は、真我を愛していないことになるのです。
愛するとは、「意識すること」なのです。
愛するとは、「想うこと」なのです。
※ 愛は、相手がいて、初めて、育むことができるのです。
自分だけでは、愛は育めないのです。
ゆえに、相手が存在する、相対の世界にのみ、愛と言う言葉があるのです。
と言うことは、自分しか存在しない、絶対世界には、愛と言う言葉は無い! と言うことになります。
そうです!
愛は、何かを産み出す、相対の世界にのみあるのです。
一つでは、物は産まれないのです。 二つが結合して、物が産まれるのです。
つまり、陰と陽が結合して・・女と男が結合して・・物が産まれるのです。
※「愛」と言う字には、心と言う字が使われていますが、なぜ、心と言う字が使われているかと言いますと、心が相手を惹(ひ)きつけるからです。
心の無いところに、愛が生まれないのは、惹(ひ)きつけることができないからです。
【惹(ひ)きつけると言う字には、「心」と言う字が使われているが、心が惹(ひ)きつけられると言う意味で使用した。】
2022.06.19
光は全能!!
「光は神なりき!」と、言われていますが、なぜ、光は、神なのでしょうか?
それは・・神と同じ能力を持っているからです。
このように、光は、神と同じ能力を持っているのです。
だから、光は、神そのものなのです。光は、神の別名なのです。
※ 光が強くなれば、間違いなく、人生は、好転します。
全てにおいて、良い方向へ運ばれてゆきます。何よりも、原子核が増えます。
では、光を強くするには、どうしたら良いでしょうか?
簡単です。 想念を良く使うことです。
つまり、どんなことも、良く受け取り、悪想念を抱かないことです。
悪想念を抱かないようにするためには、時間の許す限り、神を想うことです。
たった、これだけで、人生は、好転するのです。
(2017年8月20日 今週の真言より)
リズムの良し悪し!、テンポの良し悪し!
リズムが悪ければ、テンポが悪ければ、なぜ、悪いことが起きるかと言いますと、光(エネルギー)を弱くしてしまうからです。
光(エネルギー)が弱くなれば、悪いことが起きるのです。
反対に、リズムが良ければ、 テンポが良ければ、光(エネルギー)が強くなるので、良いことが起きるのです。
このように、光の強弱によって、良し悪しが決まるのです。
光(エネルギー)を強くするには、「身・口・意」を正すことです。
つまり、
要するに、明るい事を思い、明るい事を語り、明るい行為をする事です。
※ 出来るだけ、明るい所に居るようにしましょう!
また、出来るだけ、明るい想いを持つようにしましょう!
昼間の怪我より、夜の怪我の方が治りづらいのも、
秋から冬にかけて、うつ病になりやすいのも、
春から夏にかけて、躁病になりやすいのも、
光の強弱が関係しているのです。
光は、私たちの人生に、多大な影響を与えているのです。
どうか、光を強くしてください。
光を強くする一番の方法は、神(マントラ)を想うことです。
つまり、瞑想することです。
(2020年7月19日 今週の真言より)
2022.06.20
何が生きているのか?
何が生きているのでしょうか?
形でしょうか・・・? 意識(生命)でしょうか・・・?
形が生きることはありません。意識(生命)が生きているのです。
なぜなら、形は、消えて無くなりますが、意識は、永遠に無くなることがないからです。
あなたは、消えて無くなる、カゲロウや蜃気楼を、生きていると言うのですか?
あなたの肉体が無くなっても、意識は、永遠に無くなることはないのです。
どうか、誤解しないでください。
※ 後戻りできない私たち
もし、サタンに惑わされ、心が折れそうになったら、光のメロディー集「私は負けない!」を見てください。私たちは、もう、後戻りできないのですから・・・。
私たちは、肉体ではありません。魂なのです。
その魂は、常に、進化の道を歩んで行くのです。
だから、私たちは、後戻りできないのです。
(2015年5月3日 今週の真言より)
真に存在しているのは自分の意識のみ!
今、あなたが、苦しんでいるのは、自分の意識の中に、様々な悪しき情報を入れるからです。
自分の意識の中に、悪しき情報を入れなければ、あなたに、苦しみは無いのです。
それは、あなたが、天上天下唯我独存(尊)の主であり、主観宇宙の主だからです。
この宇宙に、真に存在するのは、
それ以外、真に存在しているものはありません。
(2015年8月9日 今週の真言より)
意識が生きている
私たちは、形(肉体)が生きていると思っていますが、形(肉体)が生きることはありません。
なぜなら、形(肉体)は、影だからです。
生きているのは、光( エネルギー)です。意識です。
形(肉体)は、単なる意識の乗り物なのです。
冷蔵庫が動くことはありません。冷蔵庫は、電気によって動かされているのです。
そのことが分かれば、私の言っていることが、理解できると思います。
形は、あくまでも、見えない意識の表現媒体です。
どんなものも、見えない意識によって、生かされ、動かされ、働かされているのです。
そのことが、心の底で理解できたら、もう、形に(肉体に) 拘ることはなくなるでしょう。
(2015年8月30日 今週の真言より)
内側に意識を向けることの大切さ!
私は、常々、「外側に意識を向けるのではなく、内側に意識を向けて欲しい 」と言っていますが、その重要さを、知る者は少ないのです。
外側の世界(物質界・幽界)は、幻の世界です。
そんな、幻の世界に意識を向けても、そこからは、何も得られないのです。
得られるとしたら、闇だけ、虚しさだけ、迷いだけ、苦しみだけです。
それに比べ、内側の世界(光の世界・意識の世界)は、真実の世界です。
すなわち、エネルギーに満ち溢れた世界、光に満ち溢れた世界、幸せに満ち溢れた世界です。
そこに、意識を向ければ、エネルギーが、光が、知恵が、喜びが、入ってくるのです。
だから、私は、内側に意識を向けて欲しいと願うのです。
内側に意識を向けている時は、目的に意識を向けているのです。
外側に意識を向けている時は、手段に意識を向けているのです。
この世の、どんな物も、どんなことも、手段なのです。
どうか、本当にある真実の世界に、意識を向けてください。
内側に意識を向けると言う意味は、瞑想をすると言うことです。
(2015年11月8日 今週の真言より)
意識を意識している自分こそ本当の自分である!
意識を意識している、もう一つの意識があります。
その意識は、一体、誰なのでしょうか?
その意識は、未だかつて、一度も、自分から離れたことのない意識です。
その意識こそ、神であり、本当の自分ではないでしょうか?
そう・・意識を意識している意識、その意識が、本当の自分なのです。
つまり、神なる自分なのです。
だから、
意識を意識している時は、本当に生きていることになるのです。
それは、実在している、確かなものを意識しているからです。
つまり、神を意識しているからです。
さあ、神を意識してください。神を瞑想してください。
(2015年12月27日 今週の真言より)
光のメロディ 「私は負けない・・・」
2022.06.21
人と意識と光の関係!
神は、私たちに、意識(想念)を与えてくださいました。
この意識が与えられた時点で、私たちは、神と同等の存在になったのです。
なぜなら、神を認めてあげられる立場になったからです。
私たちは、形を見て、人間だと誤解していますが、私たちの本性は、意識(想念)なのです。
その意識(想念)は、光でもあるのです。
なぜなら、意識の大元が、光だからです。
意識を集中すれば、光ってくるのは、そのためです。
このように、
意識(想念) = 光 なのです。
その光は、全て良き方向に導いてくれます。
光は、万能なのです。
その光は、私たちの意識(想念)によって、強めたり、弱めたりできます。
良い事を想っている時は、光は、強くなります。
悪い事を想っている時は、光は、弱くなります。
光を想えば、悪しきものは、一切、寄って来ないのです。
それが、光の性質であり、光の効果なのです。
もし、今、あなたに、災いが降りかかっているとしたら、ネガティブな想念を持って、光を閉ざしているからです。
どうか、良い意識(想念)を持ってください!
そうすれば、あなたは、幸せになれます。
(2021年6月6日 今週の真言より)
※ 光は、どこから、来るのでしょうか?
外側から来るのでしょうか? 内側から来るのでしょうか?
光は、内側から来るのです。
つまり、自分の思いから来るのです。
ですから、光を強めたかったら、良い想いを持つことです。
良い想いの一番は、神を想うことです。
どうか、神を想い、光を強めてください。
そうしたら、あなたの人生は、万々歳です。
※ 光は、万能です。
光が強ければ、良い方向に転がります。
光が弱ければ、悪い方向に転がります。
光には、知恵があるのです。意思があるのです。意図があるのです。計画性があるのです。
その光を呼び寄せられるのは、唯一 、私たちの意識(想念)です。
光を上手に使いこなしましょう!
それは、想念で出来るのです。
※ 目を瞑って、自分の意識に、意識を集中しましょう!
「意識! 意識! 意識! 意識!・・・・・」
自分が光っています。 それが、本当の自分です!
あなたは、意識なのです。人間ではありません。肉体ではありません。個人ではありません。無限なる意識なのです。
「吾意識なり!」と、強く想ってください!
2022.06.22
騙されたと思って神を想い続けよう!
騙されたと思って、神を想い続けてください!
間違いなく、神に近づくことを、私は保証します。
なぜなら、神を想っている時は、悪いことを想えないからです。
悪いことを想わなければ、良い環境が与えられますから、なおいっそう、神を想うことができるでしょう。
そうなれば、雪だるま式に、原子核が増えますので、急ピッチで、神に近づくことができるのです。
偉大なことを成し遂げるには、それ相応の努力が伴うものです。
楽して宝物を得た人など、一人もいないのです。
何事も、努力と辛抱が必要です。特に、真理の探求には、根気が必要なのです。
どうか、騙されたと思って、神を想い続けてください。
きっと、感謝できる時が、やって来るでしょう!
(2015年5月24日 今週の真言より)
原子核は意識して大きくすることができる!
理解力は、意識して高められるものではありません。
でも、原子核(魂)は、意識して大きくすることができます。
社会体験によって・・・、
瞑想によって・・・、
思索によって・・・。
原子核が大きくなれば、自然と理解力が高められますから、ますます、原子核が大きくなるのです。
意識して原子核を大きくすることが先か? 理解力を高めるのが先か?
もう、お解りでしょう。まずは、原子核を大きくすることです。
原子核を大きくすれば、理解力が高められるし、自分の欠点も無くなるのですから、これは、一挙両得なのです。
神は、理解力をつける方法を用意してくれているのです。
それは、原子核を増やせば良いだけです。このことを、知ってください!
(2015年5月31日 今週の真言より)
意識している時は、原子核を増やしている時である!
何をしなくても、今の時を、今の自分を、今の世界を、今の宇宙を、意識している時は、原子核を増やしているのです。
なぜなら、意識すれば、原子核が増えるのが、宇宙の仕組みだからです。
何を意識しても、原子核が増えるのですから、日々、神を意識している私たちの原子核が増えないはずがありません。
ですから、「私は、瞑想がうまくできないから、原子核が増えない!」と思わないでください。
どうか、自分の人生に、自信を持ってください!
(2017年7月2日 今週の真言より)
光のメロディ「神」
2022.06.23
言葉(名前)や文字や絵が必要な理由!?
どうして、言葉が、必要なのでしょうか?
どうして、名前が、必要なのでしょうか?
どうして、文字や絵が、必要なのでしょうか?
それは、「何か」が有ると認識しただけでは、有ることにならないからです。
なぜなら、認識した「何か」に、何の具体性もないからです。
認識した「何か」に、具体性を持たせて、はじめて、「何か」が有ることになるのです。
具体性を持たせるためには、言葉や、名前や、文字や絵が、必要なのです。
例えば、「何か」を認識したとしましょう。
この状態では、具体性がないので、その「何か」は、存在していません。
その認識した「何か」を、「丸い星」だと、「思った」としましょう。
しかし、思っただけでは、具体性がないので、その「丸い星」は、まだ、存在していません。
「丸い星」と言葉にしたら、具体性ができたので、その「丸い星」は、存在することになります。
更に、「丸い星」と名を付けたら、なお、具体性ができたので、存在感が増します。
更に、「丸い星」を文字や絵にしたら、更に、更に、具体性ができたので、益々、存在感が増すのです。
この表現世界は、波動が荒い世界なので、「思い」だけでは、相手に伝わらないのです。
「思い」を相手に伝えるためには、具体性の有る「言葉(名前)や、文字や絵」にする必要があるのです。
※ 言葉と名前は、同じです。
例えば、「丸い星」と言葉にしたとしましょう。
その「丸い星」と言う言葉は、すでに、名前なのです。
名前は、具体性を持った言葉であり、言葉は、具体性を持った名前なのです。
その意味では、名前を付けた途端に、言葉が生まれたと言ってもいいし、言葉が生まれた途端に、名前が生まれたと言ってもいいのです。
※ この表現宇宙には、「音」が存在しますが、「音」は、「響き」であり、「波動」なのです。
その音(響き・波動)は、言葉であり、名前なのです。
「ア・イ・ウ・エ・オ」の音(響き・波動)そのものが、言葉であり、名前になっているのです。
「認識・思い」は、音になっていませんので、言葉にも、名前にも、なっていません。
それでは、その「認識・思い」は、存在していないことになるのです。
認識(思い)を、言葉(音・響き・波動)にして、はじめて、認識(思い)が存在したことになるのです。
※ 意識の世界で使われている、テレパシーは、想いの籠もった言葉です。
ですから、寸分も狂わず、自分の想いが相手に伝わるのです。
意識の世界に、言葉が要らない理由は、テレパシー(想い)そのものが、「言葉(音・響き・波動・名前)」になっているからです。
※「ここに、何かが有る! あそこに、何かが有る!」と言う認識だけでは、その何かは、存在していないのです。
その何かに、名前をつけ(言葉や文字に表現して)、はじめて、何かが存在することになるのです。
名のない何かは、存在していないのと同じなのです。
だから、どうしても、名前が必要なのです。
※ 名前が持つ使命は、他のモノと区別するためと、そのモノの役割や目的を表現するためです。
例えば、鉱物の名だけでは、漠然としていて分かりませんが、「石」とか、「銅」とか、「鉄」とか、名前を付ければ分かります。
更に、「鉄」を加工したモノに、ナイフだとか、鍋だとか、スプーンだとか、名前を付ければ、そのモノの役割や使命が、はっきりと分かります。
※ 神が人類になったのですから、「神の名」を「人類の名」に、置き換えたら良いのです。
「神の名」 イコール 「人類の名」なのです。
人類と言う名前(言葉)は、人類が、神であることを教えてくれる、名前なのです。
(2019年9月22日 今週の真言より)
2022.06.24
神とは?
神とは、解らないモノの総称です。
この大宇宙には、解らないモノが、たくさん、あるのです。
例えば・・
解らないモノだらけが、この宇宙なのです。
その解らないモノに、神と言う名を付けたのです。
ですから、
今、地球には、たくさんの宗教団体が存在しますが、その宗教団体は、それぞれ、独自の神を信仰しております。
しかし、神って、たくさんいるのでしょうか?
彼らは、神が何なのか、解らないのです。
解らないがゆえに、独自の神を信仰し、宗教戦争までしているのです。
もし、真の神を知ったなら、宗教戦争などしないでしょう。
神は、「1」なのです。
神が、「1」であると言うことは、 見えるもの、見えないモノ、全てが、神である、と言うことです。
つまり、菌一つ、砂一粒、鉱物、植物、動物、人類、みな、神である、と言うことです。
神が、「1」である、と言うことは、神の他に何も存在しない、と言うことです。
だから、神が何かを創る場合、自分が、そのものになるしかないのです。
だから、全てが、神なのです。
このことを知ったら、みな、仲良く生きられるのです。
形が違おうが、肌の色が違おうが、目の色が違おうが、みな、同じ神の子です。
つまり、全て、自分なのです。
神が、「自」らを、「分」けた、自分なのです。
神と人間との関係
神は、姿形がありませんから、神を知ることができません。
何の表現も取っていないモノは、認識できないからです。
例え、神が存在していても、認識されなければ、存在しないのです。
神が存在するためには、認識してもらえる、何かを創り、その何かから、認識してもらうしかないのです。
人間は、その、認識者なのです。
神は、自分を認識してもらうために、人間を創ったのです。
認識者の存在しない宇宙は、存在できないのです。
認識者の存在しない神は、存在できないのです。
だから、宇宙が存在していた時には、人間は存在していたし、神が存在していた時には、人間は存在していた、と言うのです。
※ 見える物は、見えないモノの存在を教えてくれます。
見える物がなかったら、見えないモノが解からないのです。
見える物があるから、見えないモノが解り、見えないモノがあるから、見える物が分かるのです。
言い方を換えれば、影があるから、光が解り、光があるから、影が分かるのです。
人間は、神の存在を教えてくれる、大切な影なのです。
人間がいなかったら、神の存在はないのです。
人間がいるから、神が解り、神がいるから、人間が分かるのです。
と言うことは、人間は、神であり、神は、人間である、と言うことです。
だから、堂々と、「私は、神である!」と、宣言したら良いのです。
(2020年5月10日 今週の真言より)
神のメロディー「神を探す旅人」
2022.06.25
瞑想は科学である!
なぜ、瞑想が科学かと言いますと、「原因と結果の法則」を利用しているからです。
「原因と結果の法則」は、想念に従うのです。
ですから、神を想えば、原因が創られ、原子核が増えると言う、結果を生むのです。
人生を創っているのも、想念です。
運命を創っているのも、想念です。
悪いことも、良いことも、全て、想念の作品です。
そう言う実績があるのですから、想念を利用して、瞑想を行えば、間違いなく、原子核が増えるのです。
人類の最大の特権は、瞑想ができる点です。
それは、想念を持っているからです。
鉱物や、植物や、動物は、想念を持っていないので、瞑想ができないのです。
瞑想は、「原因と結果の法則」を利用した科学である!、と言うことを、知ってください !
※ いかに、自分が、「神そのものである!」と、心の底で思えるようになるかが、勝負です。
口先では、駄目なのです。知識だけでは、駄目なのです。実感が必要なのです。
実感を得るためには、どうしても、瞑想が必要なのです。
瞑想は、神の自覚に入る特効薬のようなものなのです。
ですから、この宇宙で、瞑想の行われていない処はないのです。
UFO に乗っている宇宙人も、瞑想しております。
幽界の高いところでも、瞑想しております。
悟って、天上界に帰った覚者も、瞑想しております。
私たちは、永遠に、瞑想をし続けるのです。
いかに、瞑想が大切か、知ってください!
※ 瞑想は、神を想い続けることですが、神と言う言葉に囚われないでください。
神でなくても、良いのです。
神の側面を含み持った言葉なら、どんな言葉でも、結構です。
例えば、
名前が大切なのではなく、名前の中身が、言葉の中身が、大切なのです。
※ 心の底で「そのものである!」と、想えることが、大切なのです。
そのためには、「そのもの」の中身を、深く理解していなくてはなりません。
つまり、神の側面を、深く理解していなくてはなりません。
神の側面を、深く理解したなら、
と言うふうに、言葉を置き換えても良いのです。
なお、「そのもの」の中身が定着したなら、私は、「そのものである!」だけで良くなるのです。
自覚と言うものは、移ろいやすいものなのです。
先ほどまでに、あれほど、強い自覚を持っていたと言うのに、電話一本やり取りするだけで、忘れてしまう、と言うことが、起きるのです。
でも、安心してください!
一旦、自覚の境界線を超えた者は、自覚の門から、閉め出されることはないのですから・・・。
旧 ・光のメロディ「自覚」
2022.06.26
我々は何を知るべきか?
私たちは、宇宙が、どうなっているか? 幽界って、どんなところか? 高級霊って、何なのか? 宇宙人って、何なのか? そんなことを、知る必要はないのです。
なぜなら、そんなモノは、みな、幻だからです。
幻を知って、一体、何の益があるのでしょうか?
私たちは、本当に有るモノだけを、知れば良いのです。
では、本当に有るモノとは、何でしょうか?
それは、永遠に無くならない意識です。
その意識は、自分が持っているわけですから、自分を知れば良いのです。
では、「意識の何を知れば良いか?」と言うことですが、それは、「意識は、何を求めているか?、何を欲しているか?」と言うことを知ることです。
私たちの意識は、何を欲しているのでしょうか?
それは、幸せではないでしょうか?
それも、永遠に尽きない、永遠に色褪せない、幸せを・・・?
では、その幸せを得るには、何が必要でしょうか?
いいえ、必要なのは、原子核(魂)を大きくすることだけです。
原子核(魂)を大きくすれば、自動的に幸せが得られるのです。
原子核(魂)を大きくするためには、
※ この宇宙で、最も確かなことは、本当に有るモノだけが有る、と言う真理です。
本当に有るモノとは、永遠に無くならない意識であり、その意識が感じる幸せです。
この意識と幸せは、永遠に無くならないのです。
永遠に無くならないがゆえに、実際に有るのです。
永遠に無くならない幸せは、永遠に無くならない意識に、受け取ってもらいたいのです。
永遠に無くならない意識は、永遠に無くならない幸せだけが欲しいのです。
私が、外側の現象(幻)を嫌うのは、外側の現象(幻)からは、決して、幸せは、得られないからです。
幸せは、意識が感じるのですから、直接、意識が幸せを受け取ったら良いのです。
だから、肉体も、必要ないし、お金も、必要ないし、地位や名誉や財産も、必要ないと言うのです。
意識と幸せの間に、何も挟む必要はないと言うことです。
このことが解った人は、もう、肉体に囚われることがなくなるし、外側の何ものも欲しがらなくなるでしょう。
※ この世の、どんな物も、どんなことも、幸せを得るための方便です。
実際、幸せを受け取るのは、意識です。
意識が幸せを感じられたら、それで良いのです。
ですから、意識の間に、この世の何も挟まなくても良いのです。
直接、意識が幸せを受け取ったら良いのですから・・・ それが解った人は、この世の物を、たくさん集めるようなことはしなくなるでしょう。
私たちの意識は、幸せだけが欲しいのです。
それを知った人は、この世のことは、あまり考えず、幸せのことだけ考えて生きるでしょう!
※ 外側のどんな華やかなものも、みな、幻です。
外側のどんな美しいものも、みな、幻です。
外側のどんな感動的なものも、みな、幻です。
外側に、真実なるものは、何一つないのです。
真実は、唯一、自分の意識だけです。 その意識が感じる、幸せだけです。
どうか、幻に惑わされないでください!
2022.06.27
神を信じてください!
神は、理由なしに苦しみを与えることは、絶対ないのですから・・・ 。
神は、法則なのです。その法則(原因と結果の法則)は、完全なのです。
完全と言うことは、どんな、痛みも、苦しみも、意味あって、起きていると言うことです。
どんな意味かと言いますと、全て、進化成長に結びついている、と言う意味です。
神は、無駄なことを、何一つなされないのです。
でも、わざわざ、痛み、苦しみを、もらいに行く必要はありません。
法則に従順に生きたら、穏やかに生きられるのですから ・・・。
法則に逆らって生きるから、痛み、苦しみがやってくるのです。
悪い原因を作らなかったら、悪い結果がやってくるわけがないのです。
なぜなら、原因と結果は、一直線上に現れるからです。
他人が創った原因が、自分の所に帰ってくることはないし、自分が創った原因が、他人の所に帰ってくることはないのです。
この完全な法則が、宇宙を差配しているから、宇宙は、これまで、延々と存続してこれたし、これからも、延々と存続して行けるのです。
世の人々は、悪い思いを持ちながら、幸せを願っていますが、悪い原因を創りながら、良い結果を望むのは、矛盾と言うものです。
幸せが欲しかったら、良い原因を創る(良い思いを持つ)ことです。
原因である、想念は、見えませんが、結果は、見えるのです。
私たちが成長できるのは、結果が見えるからです。
この、素晴らしい法則を創ってくれた神様に、感謝しましょう!
トコトン神を信じる!?
神の心憎いところは、神の存在に疑問を持たせるところです。
例えば、
動物たちの醜い弱肉強食の姿を見せるとか、
助けに行った人が、電車に轢かれるのを見せるとか、
幼い子が、津波に呑み込まれるのを見せるとか、
実に、残酷です。
ですから、それを見た人は、「神も仏もいるものか!」と、思ってしまうのです。
しかし、どんな悲惨なことを見せられても、神を信じなければなりません。
真の神信者とは、「どんなことが起こっても、これには、何か理由があるはずだ! 神は、決して、間違ったことはなされない!」と、どこまでも、神を信じる人です。
弱肉強食も、電車に轢かれた人も、津波で呑み込まれた幼い子も、原因と結果の法則に基づいて起きたのです。
しかし、一般人には、それが解らないので、神を、憎んだり、恨んだりするのです。
でも、学びの友の皆さんは、トコトン、神を信じてください!
神は、意味のないことを、絶対なさらないのですから・・・。
※ 神を讃えようにも、讃える言葉が見つかりません。
それほど、神は、凄い存在なのです。
神を、知れば、知るほど、その凄さに頭が下がります。
それほど、神は、凄い存在なのです。
どうか、神に従順に生きてください!
決して、神は、悪いようにしないのですから・・・。
それは、そうでしょう! 神は、私たちの親なのですから・・・。
どうか、神を信じてください! 何が起きても、トコトン、神を信じてください!
※ トコトン、神を信じられるようになった人は、心が揺れ動きません。穏やかです。
それは、「何が起きても良い事だ!」と、思えるからです。
「全て自分の成長に繋がっている!」と、思えるからです。
その人は、神に感謝できます。
早く、そうなりたいものです。
神の伴奏曲 5番「神を信じる」
2022.06.28
幸せの殿堂
こうして、少しずつ、幸せの殿堂が築かれて行くのです。
幸せは、誰かが与えてくれるのではありません。自分が自分に与えるのです。
(2015年6月14日 今週の真言より)
チルチルミチルの話
自分が、真理(神)そのものであると、知った者は、もう、外側に真理(神)を探し歩くことはないでしょう。
しかし、知らない者は、知るまで、外側に真理(神)を探し歩くことでしょう。
チルチルミチルは、幸せの青い鳥を探しに旅に出ましたが、どんなに探しても、幸せの青い鳥は、見つかりませんでした。
ガッカリして、家に帰ってきたチルチルミチルは、ふとしたことから、自分の中に、幸せの青い鳥を見つけます。
この童話は、「外側から真理は得られない! 自分の中から得られる!」と言うことを教えてくれているのです。
つまり、幸せの青い鳥は、外側に居るのではなく、自分の家の中にいると言うことです。
外側に真理を探している人は、チルチルミチルの話を思い起こして欲しいものです。
(2015年6月28日 今週の真言より)
私たちは井の中の蛙である
井の中の蛙は、目覚めて外に飛び出しても、井の中の蛙です。
また、目覚めて外に飛び出しても、井の中の蛙です。
私たちは、永遠に、井の中の蛙なのです。
なぜなら、無限宇宙の外には、出られないからです。
だからと言って、ガッカリしないでください!
井の中で体験したことは、全て、究極の幸せの泉に引き継がれているのですから・・・。
私たちが、宇宙の外に出られないのは、宇宙は、無限だからです。
だから、どんなに無限を知ろうと思っても、無駄骨です。
でも、知ることはできなくても、実感することは出来るのです。
実感が大切なのです。実感すれば、もう、何も知る必要がなくなるのです。
それは、究極の幸せを、掴んだからです。
(2015年9月6日 今週の真言より)
2022.06.29
五感の誘惑は必要悪!?
神は、私たちを、五感(目・耳・舌・鼻・肌)の誘惑によって、進化成長させようとしています。
中でも厄介な誘惑は、舌と肌です。
舌と肌は、欲望を掻き立て、私たちを真理から離れさそうとします。
この欲望に勝つのは、容易なことではありません。
多くの求道者が真理から離れて行くのは、この五感の惑わしに負けたからです。
でも、この惑わしに勝ったら、大きく成長できるのですから、五感の誘惑は、必要悪なのです。
学びの友の皆さんは、その誘惑に打ち勝ち、成長してきた勇者です。
その自分を褒めてあげましょう!
これからも、誘惑は続くでしょう。
でも、今まで通り、自分の思い通りに生きてください!
それで、今日、ここまで、成長してこれたのですから・・・。
ただし、次の二つのことだけは、やってください。
この二つをやり続ければ、思い通りの生き方が、神に近い高度な生き方になります。
それが、真の求道者の賢い生き方なのです。
※ 学びの友の皆さんは、ここまで成長をするのに、どれほど厳しい道を歩いてきたことでしょう!
でも、全て、必然の道を歩いてきたのです。
それも、先輩達が開拓してくれた道を、ひたすらに・・です。
そうです! 私たちは、先輩たちが開拓してくれた道を歩んできたのです。
だから、案外と早く、ここまで、これたのです。
先輩達に感謝しましょう!
※ 本当は、一般人も、神の道を探しているのです。
ただ、どうしたら、神の道に入れるか分からないので、物や金や地位や権力を集めては、お茶を濁しているのです。
でも、そう言う人たちも、必ず、真理に目覚める時がやってきます。
その時のために、私は、真理の明かりを灯し続けたいと思います。
※ どんな唯物論者も、いつか、必ず、真理に目覚める時がやってきます。
それは、同じ神の子だからです。
でも、今は、肉体の誘惑に負け、神に顔を向けられない状態なのです。
私たちも、そうだったのです。
ですから、その人を批判してはいけません。
人生は、厳しいものです。
一般人が肉体維持に躍起になるのも、仕方のないことなのです。
でも、人生の荒波に揉まれるうちに、 疑問を持つようになります。
疑問が疑問を生み、遂に、神に顔を向けるようになるのです。
ですから、今、神に顔を向けないからと言って、その人を見下げてはいけません。
祈ってあげましょう!、「 1日も早く、真理に目覚めますように」と・・・。
2022.06.30