光は神なりき!
「光は神なりき!」と、言われていますが、なぜ、光は、神なのでしょうか?
それは・・神と同じ能力を持っているからです。
このように、光は、神と同じ能力を持っているのです。
だから、「光は神なりき!」と、言われるのです。
光そのものが、神なのです。光は、神の別名なのです。
※ 光は、オールマイティーですから、光が強くなれば、人生は、間違いなく、好転します。
すべてにおいて、良い方向へ運ばれてゆくのです。何よりも、原子核が増えます。
では、光を強くするには、どうしたら、良いでしょうか?
簡単なことです。想念を良く使うことです。
つまり、どんなことも、良く受け取り、悪想念を抱かないことです。
悪想念を抱かないようにするためには、時間の許す限り、神を想うことです。
たった、これだけで、人生は、好転するのです。
(2017年8月20日 今週の真言より)
神のメロディ ・・神の連想曲 「神の光」
2022.03.01
笑う門には福来たる!
私たちは、常々、光の恩恵を受けています。
光がなければ、何も見えません。何も生まれません。何も育ちません。何も出来ません。
光がなくては、生きられないのです。命は、光から生まれるのです。
では、光って、何でしょうか? 光は、どこから、生まれるのでしょうか?
光は、意識なのです。光が感じられるのは、意識が光だからです。
意識がなくては、光は無いのです。意識=光 なのです。
その意識は、神ですから、光は、神なのです。
この宇宙は、その神の光(意識)で、満ち溢れているのです。
光の性質は、楽しいのです。嬉しいのです。喜びいっぱいなのです。
光に満たされると、幸福な気分になるのは、光の性質が楽しくできているからです。
「笑う門には福来たる!」と言う、諺がありますが、なぜ、笑えば、福がやってくるかと言いますと、笑いが、光を呼び寄せるからです。
その笑いは、苦しい心からは、生まれません。楽しい心から、生まれるのです。
では、心を楽しくするには、どうすれば、良いのでしょうか?
神を想うことです。
神を想えば、心が光に満たされますので、楽しくなるのです。
良いことを想うことです。
良いことを思えば、心が光に満たされますので、楽しくなるのです。
光を想う(イメージする)ことです。
光を想えば(イメージすれば)、心が楽しくなるのです。
これは、訓練すれば、誰でも出来るようになります。
この他にも、心を楽しくする方法はありますが、それは、皆さんが考えてください。
※ 心を楽しくする一番の方法は、神を想うことです。光を想うことです。
神を想えば、光を想えば、楽しくなるし、何よりも、原子核が増えます。
外側に、楽しいことがあるのではありません。
自分の思いが、楽しくするのです。
※ 心が曲がると、口も曲がるし、技も曲がるし、ボールも曲がるし、作った野菜も曲がるし、世話した花や木も曲がるし、飼っている犬も凶暴になるのです。
すべて、心次第です。 心次第と言うことは、想念次第と言うことです。
想念を上手に使ってください。
想念を上手に使えば、心が楽しくなります。
心が楽しくなれば、必ず、福がやってきます。
※ 楽しくする一番のコツは、何でも良く受け取ることです。
この宇宙に、悪いことは、一つも無いのです。
悪いように見えていることは、良くなるための悪いことですから、それは、良いことなのです。
神は、本質的な悪は、創っていません。
もし、神が本質的な悪を創るなら、不完全な神になってしまいます。
不完全な神は、存在しないのですから、この宇宙に、本質的な悪は、無いのです。
(2018年8月5日 今週の真言より)
神の賛歌 「神の顔」
2022.03.02
余計な情報を発信してはならない!
なぜ、余計な情報を発信してはならないかと言いますと、余計な情報を発信すれば、余計な情報が入ってくるからです。
余計な情報が入ってくれば、当然、余計なことを考えるでしょう。
余計なことを考えれば、余計な連想をします。
それも、一旦、連想が始まれば、止めどもなく連想するのです。
その連想の中身は、大方が悪いことばかりです。
想念は、実現させますから、当然、悪いことばかりが、起こるでしょう。
つまり、原因と結果の法則によって、悪い結果が、やってくるわけです。
人間は、全員が全員、妄想によって、自分を苦しめているのです。
でも、そのことに、誰も気付いていないのです。
「私は、なぜ、こんな苦しい目に遭わねばならないのだ!」と、人間は嘆きますが、それは、自分が妄想していたからです。
私たちは、肉体を持っていますので、肉体を維持するために必要なことは、やらねばなりません。
でも、今、必要なことを考え、今、必要なことを話し、今、必要なことだけすれば、良いのです。
余計なことを考えるから、余計なことが生まれ、余計なことをしなければならなくなるのです。
どうか、余計な情報を発信しないでください。
そうすれば、余計なことを考えないで済みます。
余計なことを考えなければ、苦しみは、やって来ません。
今、あなたが、やるべきことは、今、生きるに必要なことを、精いっぱいやること、そして、瞑想することです。
念を押します。
この二つをやっていれば、自覚の境界線に近づくことを、私は保証します。
※ 想わなければ、何も生まれないのが、宇宙の仕組みです。
当然、何の悩みも、何の苦しみも、何の不幸も、生まれません。
しかし、楽しみも、喜びも、幸せも、生まれません。
これでは、生きていると言えるでしょうか?
皆さんは、想わなければ、不幸せを体験せずに済むけれど、幸せも体験できないと言うことを、どう思いますか?
「想念を持っていたら、不幸を創るから、想念なんか要らない!」と言うのですか、それとも、「不幸も体験するけれど、幸せも体験できるから、持っていたい!」と言うのですか?
「生きている」とは、何でしょうか?
幸不幸を体験することが、「生きている!」ことではないでしょうか?
何も体験しないでは、「生きている」とは言えないと思います。
だから、悪想念を使って、不幸を体験しなさい! と、言ってるわけではありません。
不幸は、できるだけ、体験しない方が、良いに決まっています。
でも、私たちは、 何も想わないでいられないのです。
だから、想念のコントロールが、必要になってくるのです。
人生の目的の一つに、想念のコントロールがあるのは、そのためです。
このように言うのは、学びの友の皆さんだから言うのです。
一般の人たちは、悪い想いをもって、悪いことを引き寄せて、苦しい体験をしたら良いのです。
なぜなら、苦しい体験が、魂を成長させるからです。
でも、学びの友の皆さんは、そこを、卒業した魂なのです。
ですから、わざわざ、苦しい体験をする必要がないのです。
どうか、想念のコントロールをしてください!
(2017年7月23日 今週の真言より)
2022.03.03
忘れること・・ 想わないこと・・
真理を生半可でかじっている人の中に、現代医療を否定する人がおりますが、これは、大変危険です。
確かに、私たちの中には、偉大な生命力が宿っていますから、生命力に任せるのは、正しいのです。
しかし、それは、真理を心の底で知った人(自覚の境界線を超えた人)に言えることであって、一般人を含め、殆どの人は、知識段階ですから、この話は、当てはまらないのです。
私たちには、五感があるため、病気になると、どうしても、患部を意識してしまいます。
意識すれば、エネルギーを与えるわけですから、病気は、なかなか治らないのです。
本当は、病気になっても、意識しなかったら、自然治癒力によって、病気は、治ってしまうのです。
しかし、痛みや苦しみの症状が出ると、意識しないでいられませんから、痛みや苦しみを取る、薬や手術などが、必要になるのです。
これは、今の人類には、止む得ぬことですから、現代医療を使って良いのです。
ただし、正しい使い方をしなくてはなりません。
正しい使い方とは、
昔から、病気は、峠を越えたら、心配いらないと言われてきたのは、峠を越えたら、自然治癒力が働きだすからです。
この生命力は、 もの凄い力を持っているのです。
ですから、自然治癒力が働きだしたら、余計なことはしないことです。
もし、峠を越えた人に、薬を与え続けたら、細胞が薬に頼るようになり、生命力が働かなくなるのです。当然、副作用も起こります。
特に、現代医療で使われている薬は強力ですから、良い細胞まで、悪くしてしまうのです。
本当は、薬は、使わない方が良いのです。使うにしても、峠を越えるまでです。
病気は、私たちに、問いかけているのです。
あなたの生き方は、何処か間違っていませんか?
どんな、想念を持って、生きていますか? と・・・。
病気で苦しんでいる人は、これまで、どんな生き方をしてきたか、考えてみてください。 きっと、思い当たることがあるはずです。
原因を見つけ、生き方を正したら、病気は治ります。
それは、もう、危険信号を送る必要がなくなったからです。
病気で、一番大切なことは、良い想念を持つことです。
そして、病気を忘れることです。
忘れること、触らないこと、いじらないこと、意識しないこと、心配しないこと、これが、病気にならない最良の方法であり、病気を治す最良の方法なのです。
何も想わなければ、何も生まれないのです。想えば、何でも生まれるのです。
これは、病気に限らず、人生万端に言えることです。
どうか、想念の凄さを知ってください。
そして、想念を正しく使ってください。
正しい想念の使い方とは、憎まない! 恨まない! 怒らない! 心配しない!・・・要するに、悪いことを想わないことです。そうすれば、悪いことは起きません。
(2017年12月3日 今週の真言より)
魂の熟成した人は、忘れることが上手です。想わないことが上手です 。
魂の幼い人は、忘れることが下手です。想わないことが下手です。
この宇宙は、想えば、現れ、想わなかったら、現れない宇宙なのです。
2022.03.04
1を知れば10を知る!?
1を知れば、10を知ると言われますが、そんな半端なものではありません。
1を知れば、無限の数を知ることが出来るのです。
なぜなら、無限の数は、1の分化したものだからです。
この宇宙には、1から分かれた無限の原子番号があるのです。
つまり、元数1から分かれた無限の分数があるのです。
無限の分数は、元数1から分かれたものですから、分数の一つを知ったら、元数1を知ることができるのです。
今、この地球では、百十数個の元素が発見されていますが、宇宙には、無限に近い数の元素が存在するのです。
その一つ一つの元素は、元数1から出てきた仲間ですから、一つの元素を知れば、元数1の正体が解るのです。
鉱物・植物・動物・人間は、その元素の組み合わせによって作られましたから、鉱物を知っても、植物を知っても、動物を知っても、人間を知っても、元数1を知ることができるのです。
今、科学者は、見えないモノ(素粒子)に、様々な名前をつけておりますが、どんな名前をつけようと、出処は1ですから、みな、同じ元数1、つまり、神なのです。
どうか、名前に惑わされないでください。
どんなモノも、元数1から出てきた、同じ神の子なのですから・・・。
この宇宙に、神で無いものはないのです。
どうか、全てのものを愛してください。
あなたと同じ、神の子なのですから・・・。
すなわち、自分なのですから・・・。
※ 1が二つも三つもあっては、無限でなくなります。
一つしか無いから、無限なのです。
また、無限が二つも三つもあっても、無限でなくなります。
一つしか無いから、無限なのです。
だから、1は無限であり、無限は1なのです。
つまり、どんな数も1であり、無限なのです。
これが、私が、1であり、無限である、根拠です。
(2017年4月9日 今週の真言より)
この宇宙に軽んじて良いモノなど一つも無い!
この宇宙には、たった一つのモノしか有りません。
たった一つのモノしか無いと言うことは、すべては、一つのモノの現れだと言うことです。
ならば、砂一粒も、軽んじてはならないでしょう!
なぜなら、砂一粒が、無くなったら、宇宙は、無くなってしまうからです。
二つのモノが有るなら、一つのものが無くなっても、もう一つのものが有るわけですから、一つは残ります。
でも、一つのモノしか無いわけですから、一つのものが無くなったら、何もかも無くなるのは、当然なのです。
その一つのモノを、神と呼んでいるだけです。
神と言う名が嫌いなら、「原子」と呼んでも良いのです。「生命」と呼んでも良いのです。「光」と呼んでも良いのです。「意識」と呼んでも良いのです。
すべて、一つの現れだからです。
もし、あなたが、砂一粒を軽んじるなら、神を軽んじることになるのです。
つまり、自分を軽んじることになるのです。
私が、「すべてのモノを愛しなさい!」と言うのは、すべてのモノは、自分だからです。だから、自愛しか無いのです。
あなたが嫌う、あの人も、この人も、あの菌も、この虫も、この汚物も、みな、自分です。どうか、自分を嫌わないでください。
※ あなたが、どんなに、「私は肉体だ !」と言い張っても、
あなたの肉体細胞は、分子の集まりであり、
その分子は、原子からできており、
その原子は、神の意識によって創られていますから、
あなたは、間違いなく、神なのです。
もう、いい加減に、人間と言い張るのを止めてください。
(2017年12月10日 今週の真言より)
2022.03.05
何が幸せをくれるのか?
何が幸せをくれるのでしょうか?
物やお金でしょうか?、地位や名誉や権力でしょうか?
いいえ、意識です。意識が、幸せをくれるのです。
なぜなら、幸せを感じるのは、意識だからです。
意識は、実在です。
と言うことは、その意識を感じている幸せも、実在だと言うことです。
幸せは、どんな幸せであっても、実在なのです。
例えば、夢の中で味わっている幸せも、この世で味わっている幸せも、幽界で味わっている幸せも、みな、実在なのです。
だから、どんな幼い魂が感じている幸せも、どんな高度な魂が感じている幸せも、平等なのです。
なぜ、平等かと言いますと、幸せは、比べることができないからです。
このように、神の公平性は、幸せにおいても、保たれているのです。
(2017年1月22日 今週の真言より)
宇宙は単純に出来ている!
宇宙は、単純に、易しく、分かりやすく、創られています。
その証拠に、生きるに必要なものは、身近に置かれてあります。
例えば 、
その想念が、人生を作っているわけですから、想念が、最も近い存在と言えるでしょう。
その想念が、幸せをくれるのですから、幸せも、近いところに置かれていると言えるでしょう。
しかし、世の人々は、お金を稼ぎ、外から幸せを買おうとしています。
それは、幸せが近くにあることを、知らないからです。
生きるに必要なものが、近くに置かれているように、幸せも、近いところに置かれているのです。
それも、お金もいらない!、何処へ行く必要もない!
ただ、神を想うだけで得られる! 簡単な方法で・・・。
幸せを、難しく考えないでください!
社会体験と瞑想をすれば、原子核が増えるので、間違いなく、幸せになれるのです。
(2017年2月19日 今週の真言より)
幸せについて!
幸せって、言葉や文字で表わせますか? 幸せを、人に伝えられますか?
当人が、幸せだと思ったら、それが、幸せではありませんか?
と言うことは、幸せに、上下は無い、と言うことです。
それは、幸せは、平等だと言うことです。
ただし、原子核が増え、理解力が増せば、増した分の高度な幸せが味わえるのは、確かです。
なぜなら、神は、私たちを、進化成長へ運んでくれているからです。
進化成長した分、高度な幸せが味わえるのは、当然でしょう。
進化成長しても、同じ幸せで留まっているのなら、何のために原子核を増やしているのでしょうか?
あくまでも、幸せを得るための進化成長ではありませんか?
そうでなければ、神は、私たちに、無駄なことをさせていることになります。
全能の神が、そんな、無駄なことをさせるはずがありません。
進化成長した分、間違いなく、幸せは、高度になってゆくのです。
これだけは、断言しておきます。
ただし、幸せを、人と比べることが出来ない点は、同じです。
(2020年8月30日 今週の真言より)
幸せの正体を知ろう!
幸せの正体を知る前に、次のことを知らねばなりません。
絶対は、絶対だけでは存在できない、と言うこと・・、
絶対が存在するためには、相対が必要だと言うこと・・。
勿論、相対は、絶対から生まれるわけですから、絶対が無くては、相対もありません。
絶対と相対は、相身互いの関係にあるのです。幸せも、同じなのです。
絶対宇宙に存在する意識は、幸せ、そのもののはずです。
でも、それは、「はず!」であって、本当に幸せかどうかは、誰も分からないのです。
絶対の中にある幸せは、外からでは分からないからです。
と言うことは、幸せの中にいては、それが、幸せかどうか分からない、と言うことです。
一の中にいては、一が分からない、と言うのは、そう言う意味なのです。
分からないのでは、幸せが無いのと同じではありませんか?
そうです。
幸せの中にいては、幸せが分からないのです。
幸せを味わうためには、不幸の体験が必要なのです。
ですから、絶対意識は、相対の世界を創り、不幸せを味わえるようにしたのです。
幸せしか無い世界には、幸せは無いのです。
幸せは、不幸の世界が有って、初めて、生まれるのです。
白だけでは、白は無いのです。黒だけでも、黒は無いのです。
白と黒を相対させて、初めて、白と黒が生まれるのです。
反対なものを持ってこなければ、分からないのです。
だから、この世界には、不幸があるのです。
でも、その不幸は、幸せを得るための方便ですから、不幸ではないのです。
この宇宙には、本質的な不幸など、無いのです。
幸せの味付け材料になる不幸があるだけです。
神は、完全です。その神が、本質的な不幸を創るわけがないのです。
(2021年12月1日 更新集より)
2022.03.06
宇宙は理解力によって進展してゆく!
理解力によって、進展してゆく、宇宙を創られた神の、何と偉大なこと・・頭が下がるばかりです。
したがって・・・
このことが、心の底で解ったら、もう、現象の話も、現象の質問も、しなくなるでしょう。
(2016年1月10日 今週の真言より)
※ この表現宇宙に、「こういう宇宙だ! ああいう宇宙だ!」と言った、確定した宇宙は、ありません。
なぜなら、この表現宇宙は、不確定な宇宙だからです。
不確定な宇宙ゆえに、普遍性もあり得ないし、再現性もあり得ないし、客観性もあり得ないのです。
この宇宙で、唯一、確かなことは、今、自分と思えている意識が実在している、という事実です。
その意識が生み出した、想念と理解力が、宇宙を進展させてゆくのです。
宇宙に、どのような絵を描くかは、理解力が決めているのです。
事実、理解力の乏しい人は、 誤った想念を持ち、 誤った確信に基づいて、 醜い絵を描いています。
理解力の豊かな人は、正しい想念を持ち、正しい確信の基に、美しい絵を描いています。
その意味では、どこかに幸せがあるのでは無く、理解力が生み出した幸せがあるだけです。
その幸せも、理解力の成長と共に、進化して行くのです。
理解力を高めてゆく必要があるのは、理解力が、幸せを握っているからです。
さあ、 原子核を大きくし、理解力を高めましょう!
※ 幸せには、三つの形がある、と言いました。
確かに、 三つの形の幸せがあるわけですが、でも、この幸せは、刻々と変化していくのです。
なぜなら、私たちの原子核が、刻々と成長していくからです。
この宇宙に、普遍性も、客観性も、再現性も、無いのは、私たちの原子核が、刻々と成長してゆくからです。
2022.03.07
平和は内側のモノが創る
外側のものが、平和を創るのではありません。内側のモノが、平和を創るのです。
なぜなら、内側の想念(原因)が、外側の世界(結果)を創るからです。
内と外は、一つです。原因と結果は、一つです。
良い結果が欲しかったら、良い原因を創ることです。
それは、想念によって出来るのです。
想念=原因です。平和=結果です。
このように、内側の想念が、外側の平和を創るのです。
人間は、そのことを知らないから、 躍起になって、外側のモノで平和を創ろうとしているのです。
結果で結果を良くすることは、絶対できないのです。
結果を良くすることができるのは、唯一、原因です。
これは、当たり前のことであって、何の不思議もありません。
なぜなら、「原因と結果の法則」は、科学だからです。
どうか、内側の想念が、平和を創ることを知ってください。
(2015年8月16日 今週の真言より)
誰が、戦争を起こしていると思いますか?
それは、私たち一人ひとりが、起こしているのです。
なぜでしょうか?
あなたは、人を、恨んだり、憎んだり、誹ったり、怒ったり、したことはないでしょうか?
心配したり、恐怖したり、悩んだり、したことはないでしょうか?
お金や、物や、地位や、権力が欲しいと、想ったことはないでしょうか?
その想いが遠因となって、戦争は、引き起こされているのです。
と言うことは、私も含め、地球人類全員が、戦争に加担している、と言うことです。
平和とは、戦争の無い状態を言うのではないのです。
どんなに表面上、平和に見えていても、人々の心の中に、感情と欲望が渦巻いていれば、それは、戦争している事と同じなのです。
なぜなら、 思っていることは、必ず、実現化されるからです。
「身・口・意」です。
思い・・意
言葉・・口
行為・・身
最初に、思いが有るのです。
思い(想い)から、言葉へ、行為へと、発展して行くのです。
だから、思いのコントロールが、大切になるのです。
人類の心の中に、感情と欲望が渦巻いている限り、地球に真の平和は訪れないでしょう!
欲望と感情が膨れるのは、お金が使われているからです。
お金の使われている世界で、平和を望むのは、無理なのです。
だから、資本主義経済を採用している限り、その社会に、真の平和はないのです。
地球人類は、長いこと、お金を使っていたために、お金の無い社会のことが、考えられないのです。
考えてみてください!
お金が無くなったら、どれほど、簡素簡潔な社会になるでしょう!
第一に、お金を作る必要がありません。 つまり、造幣局がいりません。銀行がいりません。証券会社がいりません。保険会社がいりません。 お金にまつわる企業は、一切、必要なくなるのです。
また、お金がなければ、どれだけ、犯罪の無い社会になるでしょうか!
今日の事件のほとんどは、金にまつわるものばかりです。
奉仕社会には、お金がありませんから、簡素簡潔な社会です。
一切、犯罪が起きません。
ですから、平和なのです。
武器を持ち合って、威嚇し合わなければ、平和が保たれないなんて、何と悲しい地球人類でしょう!
人類は、万物の霊長と言われていますが、今の地球人類は、動物以下ではないでしょうか!
どうして、信頼し合えないのでしょうか?
信頼し合えたら、武器などいらないのです。
一体、世界で、1年間に、どれだけの軍事費が使われているでしょうか?
一度、調べてみてください! 膨大な金額になるはずです。
その軍事費を、平和維持に使ったら、どれほど、平和な世界になるでしょうか?
同じお金を使っても、使い方いかんによって、 死に金にもなるし、生き金にもなるのです。 つまり、戦争にもなるし、平和にもなる、と言うことです。
利口な人は、どのような、お金の使い方をするでしょうか?!
想いは見えません。でも、想ったことは 、必ず、見える形で実現されるのです。
ですから、想いは、誤魔化しがきかないのです。
あなたの心の平和は、あなたの「身と口」が、表現してくれるのです。
今の自分の「言葉と行為」を顧みてください!
自分の想いの状態を、知ることができるでしょう!
旧・光のメロディ「平和」
2022.03.08
神と言う名の由来
神とは、何でしょうか?
神は、見えません。神は、触れません。
神は、姿形がないので、知りようがないのです。
でも、神は、確かに存在するのです。
なぜなら、今、現に、宇宙が、万象万物が、私が、存在しているからです。
もし、神が存在しなかったら、今、 宇宙も、万象万物も、私も、存在していないのです。
なぜなら、今、私が存在しているのは、神がいるからです。
神がいなくては、何も存在できないのです。
なぜなら、神は、全てのものを存在させている力だからです。
そうです。神は、力なのです。
でも、その力が、何なのか分からないのです。
分からないでは、説明がつかないので、分からない力に、神と言う名前を付けたのです。
神と言う名の由来は、分からない、と言う、意味から来ているのです。
だから、分からないモノは、みな、神なのです。
もし、皆さんに分からないモノがあったら、神と名付けてください。
さて、神は、分からないモノであることを知りました。
では、あなたは、あなたを知っていますか? 自分を知っていますか?
私・私・私・私・・・と、自分の意識を追いかけて行ってみてください。
いくら追いかけても、自分の意識の正体が、分からないはずです。
自分の意識の正体が、分からない?・・・
自分が、分からない?・・・
分からない?・・・
先程、分からないモノに、神の名を付けてください、と言いました。
では、分からない自分の意識に、神の名を付けましょう!
私が、「人間は神である」と言うのは、自分の意識が、分からないからです。
そうです。私たちは、分からない神なのです。
※ 自我にとって都合の良いことは、真我にとって都合の悪いことです。
真我にとって都合の良いことは、自我にとって都合の悪いことです。
でも、それは、見かけであって、本当は、すべて都合の良いことなのです。
なぜなら、都合の良いことも、悪いことも、すべて、進化成長に結びついているからです。
(2018年1月21日 今週の真言より)
神は、手よりも、足よりも、近くにおられます。
それは、全てのすべてが、神だからです。
何かが存在する、と言うことは、その何かは、神である、と言うことです。
なぜなら、すべては、神によって創られているからです。
この表現宇宙には、神によって創られた表現物、以外、存在しないのです。
と言うことは、表現物全てが、神である、と言うことです。
だから、人間が、神でないわけはないのです。
空気も、水も、火も、土も、神です。菌も、微生物も、虫も、花も、木も、 猫も、犬も、みな、神です。汚物さえも、神なのです。
神は、すべての全て、有りて有るものなのです。
神のメロディー/神の絆奏曲「知ることのできない神」
2022.03.09
自分は変わらない!
私たちは、今、自分のことを肉体だと思っています。
その自分が成長し、地球を体として持つようになったら、地球を自分だと思って生きるようになるのです。
更に成長し、太陽系を自分の体として持つようになったら、太陽系を自分だと思って生きるようになるのです。
更に更に成長し、銀河系を自分の体として持つようになったら、銀河系を自分だと思って生きるようになるのです。
そして、更に成長し、大宇宙を自分の体として持つようになったら、大宇宙が自分だと思って生きるようになるのです。
しかし、どんなに大きな体を持っても、自分は、何も変わらないのです。
変わるとすれば、原子核が大きくなった分、理解力や、判断力や、創造力が、増すことだけでしょう。
だから、大きな体を持ったら、「今の自分が無くなるのではないか!」と、心配する必要はないのです。
どうか、安心してください 。自分は、永久に無くなることはないのですから・・・。
自分は・・神が「自」らを「分」け、生まれた自分なのです。
ですから、自分は、間違いなく、神なのです。
「神」と言う名が嫌いなら、「自分」と言っても良いのです。「生命」と言っても良いのです。「意識」と言っても良いのです。
名前が、自分を現わしているのではないのです。
名前の中に込められた意味が、自分を現わしているのです。
ですから、自分の意味を、深く知る必要があるのです。
自分は、意識を持っています。想念を持っています。考える力を持っています。創造能力を持っています。「真・善・美」の意識を持っています。愛を持っています。
このように、自分には、色々な側面があるのです。
しかし、あなたは、その自分のことを、知っておりますか? 知らないはずです。
なぜなら、誕生したことがないからです。
誕生したことが無い、と言うことは、死んだことが無い、と言うことです。
と言うことは、生暦が無い、と言うことです。
生暦が無ければ、自分の素性が、分からないのです。
素性の分からない自分を知ることは、絶対できないのです。
でも、分からなくて結構です。
「そう言う自分である!」と分かったら、分かったことになるからです。
自分とは、そう言う存在なのです。
(2016年1月15日 更新集より)
人頼りにできないのは、人はいないからです。
この宇宙には、自分しかいないのです。
自分しかいないのですから、人に自分の人生を作られることはないのです。
あなたは、今日まで、自分で、自分の人生を作ってきたのです。
それは、想念を持っていたからです。
自分の想念が、宇宙を創り、相手を創り、 全てのものを創ってきたのです。
人を良くしたいとか、人を成長させたいとか、言う人がおりますが、人を良くすることも、人を成長させることも、できません。
なぜなら、外側のもの(結果)を、変えることは、できないからです。
変えられるのは、内側(原因)のみです。
どうか、自分を大きくすることだけ考えてください!
2022.03.10
死ぬと分かっていながら?!
それは、自分が永遠の存在であることを、本能的に知っているからです。
永遠の存在である自分は、永遠の存在であるがゆえに、成長したいのです。
そのためには、死ぬと分かっている世界に出てきて、色々なことを体験して、学ぶ必要があるのです。
もし、自分が死んで、お終いならば、学ぶことも、仕事をすることも、良い家庭を築くことも、馬鹿らしくて、やっていられないはずです。
私たちは、肉体ではありません。私たちは、永遠の存在である生命です。
その生命は、表現世界で、様々な体験をすることで、成長できるのです。
成長すれば、成長した分の幸せが得られるので、私たちは、死ぬと分かっていながら、この厳しい表現世界に出てくるのです。
何と! 健気ではありませんか?
※「そんなこと、当たり前ですよ!」と、人は良く言います。
なぜ、当たり前だと言えるのでしょうか?
それは、当たり前でないことを、知っているからです。
当たり前でないことを、知らなかったら、当たり前が何か、分かるはずがありません。
だから、私たちは、当たり前の世界から、当たり前でない世界に出てきて、当たり前が何なのか、学んでいるのです。
初めから、当たり前を知っていたら、当たり前でない世界に出てこなかったはずです。
(2019年4月21日 今週の真言より)
イエス様は言われました。
「与えよさらば与えられん!」と・・・ この言葉は、真理を現しているのです。
私たちは、
お尻よりも、顔の方を大切にします。
トイレの方より、台所の方を綺麗にします。
人に与えるより、人から貰おうとします 。
これでは、エネルギー の循環が起きないので、死を招くのです。
「出入」と言う言葉はあっても、「入出」と言う言葉はありません。
「出発」と言う言葉はあっても、「発出」と言う言葉はありません。
先に凹を作らなくては、凸が入って来ないのです。
つまり、エネルギーを出さなくては、エネルギーが入ってこないのです。
このことは、原因を創らなければ、結果がやってこない、と言うことを、教えているのです。
どうか、 良い原因を創ってください 。必ず、良い結果が与えられます。
つまり、良い思いを出してください! 必ず、原子核が与えられます。
瞑想は、この原理を利用しているのです。
2022.03.11
一なるモノが一なるモノを知ることができない!
一なるモノが一なるモノを知ることができないのは、一なるモノの中に居ては、一なるモノが分からないからです。
すなわち、自分の中に居ては、自分が分からないからです。
一なるモノが一なるモノを知るには、一なるモノが別モノになって知るしかないのです。
だから、一なる神は、人間に化身して(別モノになって)、自分を知ろうとしているのです。
霊太陽の中に居ては、霊太陽が見られないのです。
つまり、自分の中に居ては、自分が見られないのです。
あなたは、自分を、直接、見たことありますか? 無いはずです。
外に出て、はじめて、自分が見られるのです。
だから、私たちは、この表現宇宙に出てきて、絶対宇宙を知ろうとしているのです。
つまり、人間になって、神を知ろうとしているのです。
(2015年9月13日 今週の真言より)
一は、絶対宇宙です。絶対宇宙にいては、絶対宇宙のことが分らないのです。
だから、私たちは 、たくさんのモノがある相対宇宙に出てきたのです。
つまり、私たちは、一が多になった、一の化身なのです。
例えて言えば、一本の糸が、たくさんの糸に別れた状態が、私たちなのです。
その私たちが、一に帰るには、「自分は一である!」と、心の底で思えるようにならなければならないのです。
そのためには、原子核を増やし、理解力を高めなくてはなりません。
だから、私たちは、今、社会体験と瞑想をして、原子核を増やそうとしているのです。
社会体験と瞑想は、たくさんの糸を、一つの糸に編み込む作業のことです。
なぜ、一つの糸に編み込まねばならないか、と言いますと、たくさんの糸に別れていては、「針の穴」を通ることが出来ないからです。
イエス様は、言われました。
神の世界に帰るのは、ラクダが針の穴を通るより難しいと・・・。
「針の穴」とは、真理の難しさを、言っているのです。
つまり、自覚を持つことの難しさを、言っているのです。
確かに、根気と努力が、必要です。
でも、やることは、簡単です。
単純に、社会体験と瞑想をすれば、良いのですから・・・。
そうです。難しく考えないでください。
想念を使って、社会体験と瞑想をすれば、必ず、自覚の境界線を超えることができます。
それは、原因を創っているからです。
原因を創って、成就しないことはないのです。
私が、一番望むこと・・ それは、諦めないことです。
どうか、真理を求め続けてください! 神を想い続けてください! 自分のマントラを想い続けてください!
例え、今生、自覚の境界線を超えられなくても、やっていれば、来世へ繋がるのです。
どうか、布石を打ってください。
あなたが、今日、真理を学ぶようになったのも、過去世において、布石を打っていたからです。
今生も同じように、布石を打っておきましょう! 必ず、成就します。
原因と結果の法則は、間違いないのですか ら・・。
原因と結果の法則を信じ、
瞑想を続けてください!
瞑想を続けてください!
瞑想を続けてください!
2022.03.12
どんな出来事も魂の進化成長のために起きている!
この世で起きている、どんな出来事も、すべて進化成長のために起きている必然です。
このことが腹の底で解ったら、不動心になります。
また、起きた、どんな事にも、感謝できます。
そのためには、下記の宇宙数式を、深く理解しなくてはなりません。
この数式は、この宇宙には、自分しか存在せず、しかも、その自分は、永遠に存在し続けると言う、数式です。
この数式が、腹の底で理解できたら、「どんな出来事も、すべて、自分の進化成長のために起きている!」と、思えるようになります。
もう、何が起きても、人の責任にすることはなくなります。
また、人を、憎んだり、恨んだり、することもなくなります。
今日、何か特別なことが起きたら、なぜ、このようなことが、起きたのか? 考えてみてください。必ず、意味があるはずです。
完全な神が、意味のない事を起こすわけがないからです。
人の成長と言うものは、実際に、自分の体で体験しなければ、身に付かないのです。
それも、片方の体験だけでは、根付かないのです。
だから、神は、裏表! 裏表! 裏表! の体験をさせるのです。
今、人を殺している人は、必ず、殺されます。
今、人を傷つけている人は、必ず、傷つけられます。
今、人を騙している人は、必ず、騙されます。
「私は、何ぜ、こんな苦しい体験をしなければならないのか!?」と、人は嘆きますが、過去、人に苦しみを与えていたから、今、苦しい体験をさせられているのです。
でも、その苦しい体験が、人を成長させるのですから、それは、良いことなのです。
神は、完全です。完全な神が、意味のない体験をさせるわけがないのです。
どうか、神を信じてください。
神は、何一つ、無駄な体験をさせないのですから・・・。
※ おもしろいですね・・・
地球人類70億人全員に、質問してみたいです・・・
「一瞬でも、自分じゃなかった時を体験したことありますか?って・・・。
自分じゃない状態って・・・どうしたら創れるでしょうか?????
いや~~すごい!!
自分しかいないですね・・・
自分・・・という状態以外に、何かあるでしょうか・・・ないですね!!
自分しかいない・・・って・・・こういうことだったんですね♪」
・・・これは、ある学びの友から頂いたメールです。
素晴らしい発見であるし、うまい表現の仕方をしているので、ご紹介します。
(2018年4月29日 今週の真言より)
神様の願い!?(目的)
神様の願いは、すべての存在物を、永遠に尽きない、永遠に色あせない、幸せの中に連れて行くことです。
では、どうすれば、連れて行ってくれるのでしょうか? それは、体験です。
体験すれば、原子核が増えます。
原子核が増えれば、進化成長します。
進化成長すれば、自然と、幸せの中に連れて行ってくれるのです。
だから、体験は、宝だと言うのです。
例えば、日々、やっている、
子育ても、
介護も、
家事も、
仕事も、
スポーツも、
芸術も、
音楽も、
学業も、
みな、進化成長させてくれます。
鳥の糞が頭に落ちてきたことも、
犬に吠えられたことも、
蚊に刺されたことも、
足をくじいたことも、
電車が遅れたことも、
みな、進化成長させてくれます。
痛いことも、
痒いことも、
寒いことも、
暑いことも、
みな、進化成長させてくれます。
地震も、
台風も、
雷も、
病気も、
事件も、
事故も、
みな、進化成長させてくれます。
一見、関係なさそうな、
カエルが鳴くことも、
セミが鳴くことも、
蜂が巣を作ることも、
蜘蛛が巣を作ることも、
「風が吹いたら桶屋が儲かる!」の譬えで、みな、進化成長させてくれるのです。
この地球で、この社会で、 起きている、どんな事も、すべて、原子核を増やしてくれるのです。体験は、幸せに近づく原理なのです。
この原理が信じられたら、どんな、苦しいことも、辛いことも、喜んで受け入れられるようになるでしょう。
これまで、体験したことを、一つひとつ紐解いてみてください。
良い体験も、悪い体験も、みな、進化成長に結びついているはずです。
私が、すべて良し、すべて善し、すべて好し、と言うのは、どんな体験も、進化成長させてくれるからです。
これは、一般人には、理解できなくても、学んでいる皆さんなら、理解できると思います。
どうか、体験は、宝であることを信じてください。
信じられたら、どんな体験も、ありがたくて、ありがたくて、仕方なくなります。
※ なぜ、必然には、意味があるのでしょうか?
それは、目的を持っているからです。
どんな、目的を持っているかと言いますと、進化成長させる、と言う目的です。
だから、必然で固められている、この宇宙では、鉱物も、植物も、動物も、どんな悪人も、進化成長して行けるのです。
神は、決して、えこひいきしません。なぜなら、すべては、自分だからです。
(2018年7月29日 今週の真言より)
2022.03.13
上面の奥を見てください!
上面だけを見ないでください。上面の奥を見てください。
どんなモノにも、面の奥があるのです。面の奥が無ければ、上面は無いのです。
二つで、一つなのです。
見えるモノの背後には、必ず、見えないモノがあるのです。
唯物論者は、そのことが、理解できないため、「肉体有る限りの人生だ!」と思っているのです。
肉体有る限りの人生なら、何を学んでも、何を作っても、何を得ても、何を残しても、意味が無いのではありませんか?
あなたは・・
「生まれたからには、死ぬわけにゆかないから生きる!」・・・と言うのですか?
そんな、無目的な人生に、何の意味があるのでしょうか?
生まれてきたからには、生まれてきた目的があるはずです。
唯物論者は、思考の停止した死人です。自分の存在を否定している人です。
そんな、死人にならないでください。
どうか、奥の奥が見られる人になってください。
奥の奥が見られる人は、自分を殺すようなことはしません。
どうか、 生まれてきた目的を探し、その目的を達成して帰ってください!
(2019年6月2日 今週の真言より)
外側は、偽物です。内側は、本物です。
例えば、風船の外側のゴムは、必ず、無くなってしまいますから、ニセモノです。
でも、風船の中の空気は、永遠に無くなりませんから、本モノです。
外側のゴムは、見えるのです。内側の空気は、見えないのです。
でも、見えない空気がなくては、風船は、形が取れないのです。
私たちが、知るべきものは、外側の風船ではなく、内側の空気です。
つまり、外側の肉体ではなく、肉体の中に存在する意識です。
お釈迦は、八正道を説いておりますが、その中に、「正しく生きる」と言う教えがあります。
この「正しく生きる」と言う意味は、「本当にあるものを知り、本当にあるものに生きなさい!」と言う意味なのです。
では、本当にあるモノとは、何でしょうか?
それは、見えないモノです。永遠不滅のモノです。
では、見えないモノとは、何でしょうか? 永遠不滅のモノとは、何でしょうか?
それは、本当の自分です。
では、本当の自分とは、何でしょうか?
それは、意識です。魂です。
お釈迦様は、本当にあるものに生きなさい!、つまり、意識に生きなさい! 魂に生きなさい! と言っていたのです。
見える肉体は、必ず、消えて無くなるのです。
でも、見えない意識は、魂は、永遠に無くならないのです。
私たちは、永遠に無くならない、意識のために、魂のために、生きるべきです。
それが、利口な人の生き方だと思います。
2022.03.14
一を心の底で知る
宇宙は、一であり、無限です。ゆえに、一の中には、一のモノしか無いのです。
ですから、一の中の何を探し出しても、同じ、一なのです。
宇宙が、二つ有るなら(有限なら)、他の宇宙の中に、別のモノがあるかも知れませんが、一つの宇宙しかないわけですから、有るのは、同じ、一のモノなのです。
だから、わざわざ遠くに探査機を飛ばして、石を持ち帰る必要がないのです。
足元に転がっている石も、何億キロ先の小惑星の石も、同じ石だからです。
何でも、二つで一つです。
手に裏と表が有るように、明るさの中に光と闇が有るように、人間の中にも、真我と自我が有るのです。
このことが、心の底で解ったら、自分が、「一である!」、「神である!」と、自覚が持てるようになるのです。
どうか、色々な角度から、一に光を当てて見てください。
一の背後に、神がおられることが、分かると思います。
ありません。
あなたでは、ありませんか?
だったら、あなたは、何ですか?
すなわち・・神では、ありませんか?
(2019年5月19日 今週の真言より)
一しかないと言うことは、存在しているもの全てが、一だと言うことです。
と言うことは、
と言うことは、全ては、自分だと言うことです。
何か嫌なことがあったら、全て、自分だと思ってください。
決して、害されることはないでしょう!
自分が、自分を害することがないからです。
2022.03.15
自分の能力に気付かずに生きている人間!
人間は、自分の能力に気付かず生きています。
それは、肉体を自分だと誤解しているからです。
肉体を自分だと思えば、自然法則内の能力しか出せませんから、小さな能力に甘んじるしかありません。
でも、生命だと思えたら、自然の法則の外に出てしまうので、大きな力が発揮できるのです。
今の地球人類は、自然の法則に縛られ、窮屈な生き方をしているのです。
人間の中には、二人の自分がいるのです。
自我の自分は、幻の自分ですから、必ず、無くなってしまいます。
でも、真我の自分は、無くしたくても無くせないのです。
それは、意識だからです。エネルギーだからです。魂だからです。生命だからです。つまり、神だからです。
その自分は、無限の能力を持っているのです。
ただし、持っていても、持っている事を知らなければ、使えないのです。
今の地球人類は、無限の能力を持っていながら、知らないため、使っていないのです。
それは、本当の自分が、何か知らないからです。
もし、本当の自分を心の底で知ったら、宇宙さえも創れる、偉大な存在者になれるのです。
当然です。自分は、
どうか、本当の自分を知ってください。
(2017年12月17日 今週の真言より)
神の媒体になろう!
神は、地球に、光を降ろしたくて、降ろしたくて、常に、媒体を探しています。
でも、地球人類は、一向に、神に顔を向けようとしません。
これでは、光を降ろしたくても、降ろせないのです。
どうか、学んでいる皆さんだけでも、媒体になってやってください。
そのためには、神に意識を向けることです。
神に意識を向けるとは、プラグをコンセントに差し込むこと(瞑想すること)です。
神は、電気ですから、プラグを差し込んだ途端に、電流が流れ、電球である私たちは、光りだすのです。
真理を手書きすることも、プラグをコンセントに差し込むことです。
真理を手書きしている時は、天の光を地に降ろしている状態なのです。
どうか、瞑想してください!
どうか、真理を手書きしてください!
神は、喜んで光を降ろしてくれるでしょう。
※ 神に逢いたかったら、「私を、世のため、人のために、お使いください!」と、祈ってください。
神は、喜んで使ってくれるでしょう。
使ってくれる、と言う意味は、神に逢える、と言う意味です。
皆さんが、神の媒体になっている時は、神に逢っている状態なのです。
その時、細胞が震えます。自分が光り出します。気持ちが良くなります。
(2018年7月22日 今週の真言より)
2022.03.16
何を求めるべきか?
今、現実と真実の間で苦しんでいる人がおります。
つまり、真実を得たいが、この世のことも捨てきれない!と言う人が・・・。
このような人は、良く考えて欲しいと思います。
一体、自分は、何のために生まれてきたのか?、と・・・。
この世の、何を知っても、何を得ても、 何を作っても、何を残しても、みな、消えて無くなる幻です。
でも、真実は、永遠に無くならないのです。
消えて無くなるものを、追い求めるのか、永遠になくならないものを、追い求めるのかは、賢いあなたなら分かると思います。
さあ、人生の目的は、何なのか? 思い出してください。
(2015年4月12日 今週の真言より)
自分のための人生である
この宇宙は、一つです。一つは全体であり、全体は一つなのです。
その一つが、自分なのです。
だから、誰のための人生でもありません、すべて、自分のための人生です。
ですから、他人の成長を考える必要はありません。
自分が成長したら、それで、良いのです。
自分が成長したら、他人も、成長するからです。
今、起きている出来事は、すべて、自分の成長のために起きているのです。
ゆえに、人のせいにしてはならないのです。
自分のことは、自分が良く知っているのです。
自分に、どんな欠点があり、どんな課題を持っているかは、自分が良く知っているのです。
だから、自分の成長に必要な、人を、物を、環境を、自分が用意して、連れてきたのです。
この宇宙は、自分の成長のために、自分が用意した、学びの舞台です。
自分が用意した、舞台ですから、その舞台に登場する、人も、物も、環境も、全部、自分が用意したのです。
人のための人生ではなく、すべて、自分のための人生であることを、知ってください。
※ 私たちは、日々、間違いなく、成長しております。
ですから、眠る前に、こう思ってください。
「私は、今日も成長した! 私は、今日も成長した! 私は、今日も成長した!」と・・・。
翌朝、起きたら、こう思ってください。
「私は、今日も成長する! 私は、今日も成長する! 私は、今日も成長する!」と・・・。
思ったことは、必ず、実現します。
それは、時間の中に居るからです。
時間の中に居る限り、私たちは、間違いなく、成長するのです。
(2016年10月9日 今週の真言より)
何が大切なのでしょうか?
この世の何かを得ることでしょうか? 自分の原子核を大きくすることでしょうか?
よく、考えてみてください?!
この世の何を成し遂げても、消えて無くなるのです。
でも、原子核は、絶対、無くなることはないのです。
消えて無くなるものを、追い求めるのか? 永遠不滅の原子核を、追い求めるのか? は、言わずもがなですね!
世の人々を見てください! 無くなるものを、命を削ってまで追い求めています。
例え、大金を手に入れても、ダイヤモンドを手に入れても、権力を手に入れても、国を手に入れても、あの世に持って帰れないのです。
でも、魂の大きくしたものは、持って帰れるのです。
第一、この世は、幻なのですよ! 夢の世界なのですよ! 目覚めたら、全て、消えてしまうのです。
何が本物で、何が偽物なのか? どうか、識別してください!
2022.03.17
法則が守ってくれる
アメリカでは、銃撃事件が起きる度に、銃規制法の問題が取り沙汰されます。
しかし、一度も、法制化されたことがありません。
人間は、自分の身を守るために、武器を手放せないでいますが、本当は、自分で身を守る必要が無いのです。
なぜなら、法則(因果の法則)が、身を守ってくれるからです。
因果の法則を犯せば、必ず、痛い目に遭います。
因果の法則を守れば、穏やかに暮らせます。
これは、法則を犯せば、法則によって罰せられ、法則を守れば、法則によって守られるからです。
でも、人間は、そのことが信じられませんから、武器を持って身を守ろうとするのです。
確かに、銃を持てば、安心感が得られるように思います。
でも、本当は、銃を持てば、反対に不安が増すのです。
なぜなら、相手も、銃を持っているからです。
互いに銃を持ち合えば、間違って射たないとも限らないのです。
また、事故の起きる確率も高くなるのです。 当然、信頼関係も薄れるでしょう。
銃を持てば、試し射ちしたくなるのが人情です。
よく、護身術を身につける人がおりますが、身につければ、試したくなるのが人間なのです。辻斬りの心境です。
ですから、銃を持たない方が、護身術を身につけない方が、危険がないのです。
「北風と太陽」と言う童話があります。
この童話は、北風と太陽のどちらが先に、旅人の上着を脱がせることができるかを、勝負する話です。
まず、北風が旅人に風を吹きかけ、強引に上着を脱がせようとします。
でも、吹きかければ、吹きかけるほど、旅人は身を固くして脱ぎません。
北風は諦めます。
次に、太陽が挑戦します。太陽は旅人に光を優しく注ぎます。
暖かくなった旅人は、自ら上着を脱ぎます。
力づくで脱がせようとした北風の方が負け、優しく光を与えた太陽の方が勝ったのです。
この童話は、力づくでやるより、穏やかにやった方が、相手の心を開くことができることを、教えているのです。
抑止力として核兵器が必要だと言いますが、均衡を保つには、倍の核兵器が必要になるため、危険も、間違いも、倍になるのです。
人間は、感情の生き物ですから、間違って使わないとも限らないのです。
事実、感情の抑えられない人たちが、凶器を使って、人を殺してるではありませんか?
凶器がなければ、そんな惨事は起きないのです。
せいぜい、殴り合って、青あざが、できるぐらいです 。
確かに、因果の法則は、人の目に見えづらいので、信じられないかも知れません。
でも、信じられなくても、間違いなく、因果の法則は、身を守ってくれるのです。
いずれ、地球人類は、銃で身を守らなくても、法則が守ってくれることを、知るでしょう。人類は、それを知るために、今、痛い目に遭っているのです。
繰り返します。
身の安全を図りたいなら、法則(因果の法則)を守ることです。
そうすれば、法則が、身を守ってくれます。
それは、誰に頼むこともないし、お金もいりません。
こんな素晴らしい、セキュリティーシステムがあるのに、どうして、人類は、使おうとしないのでしょうか?
さあ、法則を守ってください。
法則を守っていれば、何もしなくても、身の安全が図られるのですから・・・。
(2017年10月15日 今週の真言より)
神様は、一番必要なものを、身近に置いてくれています。
例えば、空気、水、土、労働力が、そうです。
それよりも、近くに置いてくれているのが、肉体です。
それよりも、まだ、近くに置いてくれているのが、魂です。
それは、魂が、一番必要なものだからです。
神様は、この宇宙を、簡素簡潔に創られたのです。
なのに、人類は、複雑にしてしまったのです。
それは、お金を使うようになったからです。
理想社会に行って見てください。
お金がありませんから、実に、単純で簡素簡潔な社会です。
まず、造幣局がいりません。銀行もいりません。証券会社も、保険会社も、いりません。金にまつわる仕事は、一切、必要ないのです。
お金がなくなれば、犯罪が起きませんから、警察も、裁判官も、刑務所もいりません。複雑な法律もいりません。
法律があるとすれば、「良心に忠実に生きなさい!」という法律だけです。
どうして人間は、軍備を増強するのでしょうか?
どうして人間は、保険に入るのでしょうか?
どうして人間は、ガードマンを雇うのでしょうか?
どうして人間は、耐震建築をするのでしょうか?
どうして人間は、家に鍵をかけるのでしょうか?
それは、自分の「想い・言葉・行い」に、責任が持てないからです。
そういう人は、法則を頼ることができないのです。
だから、何かで、身を守ろうとするのです。
因果の法則を、守ってください! もう、身を守る必要がありません。
因果の法則が、間違いなく、身を守ってくれます。
因果の法則は、完全です。 絶対、間違いを犯すことはありません。
ですから、因果の法則を守っていたら、身の安全が図れるのです。
これを、今の地球人類に望むのは、無理かも知れませんが、少しでも、近づいて行きたいものです。
2022.03.18
背信(背神)を悪と決めつけてはならない!
この世には、「背信」と言う言葉がありますが、この「背信」の文字は、本当は、「背神」と書くべきなのです。
神を信じない人、あるいは、神に背いている人を、背神者と言うのです。
あなたは、過去に、神に背いて生きた時代が、あったかも知れません。
でも、自分を責めてはなりません。
なぜなら、背神行為によって、痛い目に遭い、ここまで、成長できたからです。
大切なのは、自分を責めることではなく、神を真剣に求めることです。
神を真剣に求めたら、背神の罪は、許されるのです。
過去を悔やむことほど、愚かなことはありません。
どうか、今、真剣に神を求める、賢い人になってください。
「背神」は、決して、悪いことではなかったのですから・・・。
※ 自業自得は、決して、悪いことではないのです。
なぜなら、自分が作った業で、苦しい目に遭い、そこで気づいて、修正できるからです。
たしかに、苦しい部分だけ見たら、悪く見えるかも知れません。
でも、その苦しい体験が、人を成長させるのですから、自業自得は、悪いことではないのです。
神は、完全です。
その完全な神が、自業自得を悪にしておくはずがありません。
信じてもらうために、自業自得の正しい意味を教えましょう。
自業自得を辞書では、自分で作った「業」で、自分が苦しむ、と言う解釈をしています。
でも、これは、誤りです。
本当は、自分で作った「業」で、自分が「得」をする、と言う意味なのです。
実際に、私たちは、苦しむことによって、得(成長)しているではありませんか。
だから、自業自得は、良いことなのです。
(2018年6月10日 今週の真言より)
病を消す! 業を消す!
病を消す、業を消す、簡単な方法を教えましょう!
【病を消す方法】
痒い・痛い・苦しい状態は、病気が消えている状態ですから、放っておいたら、病気は治るのです。掴むから、 意識するから、治らないのです。
神様は、この宇宙に、「原因と結果の法則」と言う、素晴らしい仕組みを創ってくださいました。
それは、宇宙(白板)に書いた字や絵は、放って置いたら、自然に消えて行く、と言う仕組みです。
つまり、創った悪い原因は、「痛み! 苦しみ!」の現象によって消えてしまう、と言う仕組みです。
ですから、放っておいたら、良いのです。
でも、私たちは、痛み・苦しみが、やってきたら、心配したり、恐れたり、悩んだりします。だから、なかなか、治らないのです。
例え、痛み・苦しみが、やってきても、「今、病気が消えていっている! 消えていっている! ありがたいことだ! ありがたいことだ!」と思ってください。
そうしたら、原因を創らないわけですから、病気は、治るのです。
【業を消す方法】
今、苦しいことが来ても、「ああ、今、過去生の業が消えている! 今、過去生の業が消えている! ありがとうございます! ありがとうございます!」と、思ってください。
そう思っている時は、悪い想いは持てませんから、業の上乗せをしないで済むのです。
同時に、二つ思いが持てないのが、想念の性質ですから、その性質を利用することです。
難しい技術は、いりません。いかに、悪い想念を持たないようにするか、だけです。
そのためには、常に、良い想念を持つよう、心がけることです。
一番良い思いは、神を想うことです。
※ 痛み・苦しみを半減させる、二つの方法があります。
一つは、痛み・苦しみが来たら、「想わない! 想わない! 想わない!」と思うことです。
もう一つは、痛み・苦しみが来たら、「今、病気が消えている! 消えている! 消えている! ありがとうございます! ありがとうございます! ありがとうございます!」と思うことです。
※ 一番大切なのは、自分の原子核(魂)を、大きくすることです。
病気も、業も、魂を大きくするための方弁ですから、魂が大きくなれば、病気も、業も、消えてゆくしかないのです。
業を消そうと思っても、意識して消せるものではないのです。
その時間を、確実なことに、使ってください。
どうするか?
それは、二つのことをやって、原子核を増やすことです。
これなら、確実に、業を消せます。
※ 肉体(現象)が、自分で悪くなることはありません。
肉体には、何の力もないからです。
肉体を悪くするのは、唯一、自分の悪想念です。
悪想念で、病気を作ったなら、良い想念で、治すこともできるはずです。
※ 肉体が病気を作ると思えば、心配します。
でも、想念が病気を作ると思えば、気が楽になります。
なぜなら、自分の力(想念)で、病気が治せると思うからです。
医者にかかれば、お金が必要です。薬を買うにも、お金が必要です。
でも、想念を使うのには、お金が必要ありません。
それも、どこに行く必要もありません。いつでも、自由に使えます。
どうか、想念を良く使って、病気を治してください。
想念の持ち主である、あなたが、あなたの主治医なのです。
※ ひどい外傷を負った場合は、やはり、病院には、行かねばなりません。
でも、少々の傷なら、気にせず、放って置いたら、生命力が治してくれます。
どこまで、生命力に任せるか? が、中庸の学びです。
※ 私は、頭も悪いし、背も小さいし、学歴もないし、お金もない・・・でも、たった一つだけ取り柄があります。
それは、明るいことです。いつも良いことを思う、ポジティブさです。
内なる神は、言ってくれました。「それが、何よりだよ!」と・・・。
私は、嬉しくてたまりませんでした。
私は、これからも、良いことだけ想い! 良いことだけ口にし! 明るいふるまいをします。
ある学びの友の独り言です。
(2018年8月26日 今週の真言より)
明るく、明るく、朗らかに ・・・
何事も良く受け取り・・・
神を想い・・・、光を想い・・・
日々、生きましょう!
2022.03.19
瞑想の二文字から瞑想の意味を探る
なぜ、聖者(覚者)は、瞑想をするのでしょうか?
その理由を、瞑想と言う二文字から、探ってみましょう。
「瞑想」の「瞑」とは、左辺に「目」、右辺に「冥」と書きますが、
左辺の「目」は、見ると言う意味です。
右辺の「冥」とは、見えないと言う意味です。
だから、「瞑」とは、見えないモノを観ると言う意味になります。
ここで、「観る」と言う字を使ったのは、見えないモノを見るには、想いで観るしかないからです。
瞑想の「想」の上辺の「相」とは、真相(実相)のことを意味し、
下辺の「心」は、人の心を意味しています。
だから、「想」とは、「心」の中に「真相」がある、と言う意味になります。
したがって、「瞑想」の二文字を通して解釈すれば、「心の中にある真相」を「想いで観る」と言う意味になります。
このように、心の中にある真相を想いで観るのが、瞑想なのです。
心の中にある「真相」とは、「神・生命・宇宙」のことですが、その真相を知るには、想いで実感するしかないのです。
だから、太古より、瞑想が行われてきたのです。
瞑想の極意は、真相を想いでなぞることです。
いつも言うことですが、今だけが実在です。
その実在の今を、真相である「わ・れ・か・み・な・り」の想いでなぞれば、想いは創造の力ですから、神を現すことができるのです。
つまり、想いで原因を創れば、必ず、結果が現れると言うことです。
この瞑想は、地球だけでなく、無限の波動圏の中で(宇宙のいたるところで)、行われているのです。
「神・生命・宇宙」を想って(瞑想して)いる時は、生きており、
この世の事を思って(瞑想して)いる時は、死んでいる、と言われるのは、
「神・生命・宇宙」を想っている時は、本当に有るモノに生きているが、
この世の事を思っている時は、本当に無い物に生きているからです。
この言葉には、深い、重い、意味が込められているのです。
※ この宇宙には、実際に有るモノ( 神・意識・生命・真実)のみが有るのです。
その実際に有るモノは、五官で感じられないのです。
反対に、実際に無いもの(人間・物質・ 現実)は、五官で感じられるのです。
このことを、心の深いところで知って欲しいと思います。
知れば、夢から目覚められるでしょう。
(2016年7月17日 今週の真言より)
人間だけが、瞑想できるのです。
それは、自我を持っているからです。
鉱物や、植物や、動物は、瞑想できません。
それは、自我を持っていないからです。
瞑想は、自我を持つ者だけに与えられた特権なのです。
つまり、人間にだけ与えられた特権なのです。
あなたは、その特権を持っているのです。
その特権を使って、瞑想してください!
私たちが、確実にできること ・・・ それは、瞑想です。
瞑想だけは、誰にも邪魔されません。どこへ行く必要もありません。お金もかかりません。それでいて、確実に実現できるのです。
自分は、何も出来ないと思わないでください!
それどころか、あなたは、大金持ちにも、政治家にも、科学者にも、いいえ、誰にも出来ないことを、瞑想によって、成すことが出来るのです。
今、地球は、病んでいます。
どうか、瞑想して、地球の痛みを和らげてあげてください!
瞑想してください!
瞑想してください!
瞑想してください!
明るく、明るく、朗らかに・・・
何事も良く受け取り・・・
神を想い・・・、光を想い・・・
日々、生きましょう!
2022.03.20
見えない力の存在を知る!
この宇宙は、見えない力が、牛耳っております。
例えば、
私たちの心臓は、この見えない力で、動かされています。
花が咲くのも、この見えない力の働きです。
鳥が羽ばたくのも、この見えない力の働きです。
地球が回転しているのも、この見えない力の働きです。
この力は、何でも作ります。何でも生み出します。何でも動かします。何でも壊します。何でも修復します。何でも永続させます。
しかも、この力には、意識があり、意思があり、知恵があり、考える力があるのです。
でも、残念なことに、この見えない力の正体が、全く分からないのです。
なぜ、分からないかと言いますと、五感にかからないからです。
分からないものは、分からないままにしておきましょう。
そう言う分からない存在が、宇宙を支配している、と言うことだけ、知ってください。
知ったら、分からない力に、歯向かうようなことをしなくなります。
どうして、人類は、今、苦しんでいるのでしょうか?
それは、見えない力の存在を知らないで、 歯向かっているからです。
だから、昔から言われてきたのです。「無知は最大の罪である!」と・・・・。
知りましょう! 知った者は、法則に逆らうような生き方をしません。
だから、その者は、幸せになれるのです。
どうか、見えない力の存在を知ってください!
この宇宙には、分からないものが、たくさん、あります。
前述した、見えない力が、その分からないモノの 一つです。
意識も、分かりません。
命も、分かりません。
光も、分かりません。
エネルギーも、分かりません。
その分からないモノに、神と言う名を付けたのです。
神は、分からないモノの総称なのです。
ですから、神を知ろうと思っても、時間の浪費なのです。
「そう言う存在である!」と言うことを、知ったら、それで良いのです。
知ることが、大切なのです。信じることが、大切なのです。
より大切なのは、分からないモノに、添うことです。沿うことです。想うことです。
人間は、五感にかからないモノは存在しない、と思っているのですが、五感にかからないモノが真実なのです。
五感にかかるものは、現実(幻)なのです。
現実(幻)に生きるから、苦しむのです。
世の人々は、お金や、物や、地位や、名誉や、権力を求めていますが、そんなものは、みな、消えて無くなる現実なのです。
でも、魂は、絶対、無くなることがない真実なのです。
消えて無くなる現実に、人生をかけるのか?
消えて無くならない真実に、人生をかけるのか?
賢い人なら、分かると思います。
人類は、思い違いしているのです。誤解しているのです。
2022.03.21
見えないモノの実体を知る
世の人々は、見えないモノを軽んじていますが、見えないモノの実体を知ることは、とても、大切なのです。
なぜなら、見えないモノの実体を知れば、幸せに近づくことができるからです。
では、見えないモノの実体を、探ってみましょう。
なぜ、見えないのでしょうか?
それは、波動が精妙なため、視覚で捕らえられないからです。
反対に見えるモノは、波動が荒いので、視覚で捕らえられるのです。
この表現宇宙は、波動の組み合わせによって出来ている、摩擦の多い世界なのです。
波動が、摩擦を生み出し、その摩擦が、見えるモノを生み出しているのです。
見えると言うことは、摩擦がある、と言う意味であり、
見えないと言うことは、摩擦がない、と言う意味なのです。
摩擦のある世界は、抵抗があるので、いつか、必ず、消えて無くなります。
だから、摩擦のある世界は、有限なのです。
しかし、摩擦のない世界は、永遠に無くなりませんから、無限なのです。
では、摩擦のある世界と摩擦のない世界のどちらが、幸せ多い世界でしょうか?
それは、当然、摩擦のない世界です。
なぜなら、摩擦のある世界では、次のような厄介事が起きるからです。
さらに、
このように、摩擦(凹凸・波動)のある世界は、色々な波風が生まれるので、苦しみが多くなるのです。
摩擦のない世界は、引っかかりも、衝突も、争いも起きませんので、苦しみがないのです。
では、神は、なぜ、このような摩擦の多い世界を創られたのでしょうか?
もう、お分りのことと思いますが、摩擦の多い世界では、 たくさんの体験ができるからです。それも、苦しみ多い体験が・・・。
幼い魂は、苦しい体験を通して育つのです。
ですから、摩擦の多い世界は、幼い魂にとって必要なのです。
でも、皆さんのような熟した魂は、もう、苦しい世界は、必要ありません。
さあ、一日も早く、摩擦の多い世界から卒業しましょう!
(2017年1月22日 今週の真言より)
幸せは、肉体が感じるのでしょうか? 心が感じるのでしょうか?
例えば、美味しい物を食べたとします。
肉体が、美味しいと感じているのでしょうか?
心が、美味しいと感じているのでしょうか?
心が、美味しいと感じているのです。
ですから、心がなかったら、幸せは、味わえないのです。
その心は、見えません。
その見えない心が、幸せを感じるのですから、見えないモノの実体を知ることは、大切なのです。
見えないモノが、見えるものを、生み出しています。
その見えるものは、必ず、見えないモノに帰るのです。
では、見えるものと、見えないモノの、どちらが、本当に有るものでしょうか?
見えるものは、消えてしまいます。見えないモノは、消えません。
と言うことは、見えないモノが本当に有るもの、と言うことになります。
肉体は消えます。でも、心は消えません。心は、本当にあるモノだからです。
では、消えるものを求めるべきでしょうか? 消えないモノを求めるべきでしょうか?
皆さんは、どちらのものを、求めていますか?
体験の多い者は、消えないモノを追い求めます。
体験の少ない者は、消えるものを追い求めます。
だから、体験が大切なのです。
2022.03.22
大宇宙
宇宙には、二つの宇宙があります。
見える宇宙は、望遠鏡で見ることができますが、見えない宇宙は、見ることができません。何で見るのかと言いますと、意識で観るのです。
意識で見ると言う意味は、理解力で観ると言う意味です。
見えない宇宙は、姿形が無いので、意識で観るしかないのです。
意識が「あーそうか!」と納得した時、観たと言うのです。
これが、理解眼と言われるものです。
見えない内宇宙は、意識の世界です。生命の世界とも、神の世界とも、言います。
言葉は違っても、同じ世界です。
この世界には、何もありません。何一つ表現されない世界なのです。
それでは、存在意味がありませんので、内宇宙は、自分の存在を誇示するために、見える外宇宙を創ることにしたのです。
内宇宙は、自分の意識核を放射し、見える外宇宙を創りました。
そこには、たくさんの波動の違う世界が存在します。
その世界は、内宇宙の想いが具体化された世界ですから、目的があり、意味があります。
ですから、その世界を探れば、内宇宙を知ることができるのです。
しかし、見える世界は、必ず、消えてしまう無常の世界です。
無常の世界ですから、そこには、真実なるものは、一つもありません。
まるで蜃気楼のような、ふわふわとした幻の世界です。
しかし、その蜃気楼のような、ふわふわした幻の世界の中に、内宇宙の謎が隠されているのです。
ですから、私たちが住んでいる幻の世界(物質界・幽界)は、内宇宙を知るためには、どうしても必要な世界なのです。
今、地球の科学者たちは、物質の謎を探っていますが、それは、内宇宙を知るためなのです。
でも、そのことに気づいている科学者は、一人もいないのです。
(2021年8月29日 今週の真言より)
私たちは、宇宙なのです。
なぜなら、私たちの中には、「宇」と「宙」があるからです。
「宇」とは、「時」のことです。意識のことです。
「宙」とは、空間のことです。 物質(肉体)のことです。
私たちだけではありません。
全てのものの中に、宇宙があるのです。
全てのものの中に、時と間があるからです。
私たちは、宇宙であり、時間なのです。
私たちは、そのことを、腹の底で知らねばなりません。
私たちは、肉体ではないのです。人間ではないのです。物質ではないのです。宇宙なのです。時間なのです。意識と肉体なのです。
私たちは、そのことを、腹の底で知らねばなりません。
腹の底で知ったら、もう、この世の、物や、金や、地位や、権力に、執着することはなくなるでしょう。
光のメロディ「私は星」
2022.03.23
真ん丸な心
心が曲がると、口も曲がるし、技も曲がるし、ボールも曲がるし、手塩にかけて作った野菜も曲がるし、世話をした花や木も曲がるし、飼っている犬も凶暴になるのです。
すべて、心の表現です。
今のスポーツ選手は、自分の心が勝敗を決めていると思っていません。
だから、技を磨く鍛錬だけしているのです。
本当は、心の鍛錬と技の鍛錬を、半々にしなければならないのです。
勝敗(結果)は、すべて、心の動きの反映です。
体がやっているのでは有りません。心がやっているのです。
その事を知る時代が、刻々と近づいています。
※ 今の地球人類の心は、欲望と感情が勝ち、知性と理性が負けている状態です。
だから、痴漢や、泥棒や、喧嘩をする人が、後を絶たないのです。
人間は、感情の動物と、よく言われますが、まさに、自我人間は、その通りで、戦争の殆んどが、欲望と感情のぶつかり合いから起きているのです。
地球人類は、できるだけ早く、欲望と感情の克服をしたいものです。
それまでは、銃声は鳴り止まないでしょう!
※ 近年、人類は、欲望を刺激して、資本主義経済を拡大してきました。
その結果、病気や自然災害が、増えたのです。
病気や自然災害は、人類の欲望に対する警告なのです。
でも、人類は、そのことに、気づいていないのです。
このままの勢いで経済が拡大したら、地球は、汚染され、人の棲めない惑星になってしまうでしょう。
コロナウイルスの蔓延は、地球人類に経済の見直しを迫っているのです。
果たして、人類は、欲望を抑え、経済を縮小させるでしょうか?
それとも、欲望を膨らませ、経済を拡大させるでしょうか?
今、人類は、試されているのです。
※ 今の地球人類の心は、 ハート型の心になっているのです。
それは、欲望と感情を膨らませ、知性と理性を萎ませてしまったからです。
世間を見てください! 痴漢する人や、泥棒する人や、人殺しする人が、多くなっているではありませんか。
ハート型の心になれば、 知性と理性の制御が効かなくなるため、幽界人の低い波動の影響を、もろに受けてしまうのです。
※ どうして、花粉病や、アレルギー病や、コロナウイルスが、蔓延したのでしょうか?
どうして、鳥インフルエンザや、トンコレラや、狂牛病などが、発生したのでしょうか?
昔、そんな病気は、あったでしょうか?
これは、人類の欲望が、地球を汚し、そのような病気を生み出したのです。
環境が汚れれば、波動が下がるのです。
波動が下がれば、色々な病気が発生するのです。
もし、人類が、欲を捨て、足ることを知った生き方をしたら、地球環境は、回復し、病気は、少なくなるでしょう。
※ 皆さんも体験していると思いますが、機械が握った、おにぎりより、お母さんが握った、おにぎりの方が、美味しかったはずです。
お母さんが握った、おにぎりには、真心が、こもっているからです。
でも、機械には、心がないので、あまり、美味しくないのです。
心は見えません。でも、おにぎりの美味さが、心を見えるようにしてくれているのです。
物を大切に使ってください!
長持ちすると言う形で、心を見えるようにしてくれるでしょう!
新・光のメロディー「心」
2022.03.24
神の愛の心
どんな困難な問題も、真心を込めてやれば、必ず、解決できます。
神は、そのように、宇宙を創られたのです。
真心とは、「神の愛の心」のことです。
その同じ心を、人間は、持っているのですから、真心を込めてやれば、相手に伝わらないはずはないのです。
家庭の問題も、友人や隣人との問題も、仕事での問題も、どんな問題も、真心を込めて当たれば、解決できないことはありません。
これは、真理の学びにおいても同じです。
今、やるべきことを、真心を持ってやること・・、
瞑想も、真心を込めてやること・・、
思索も、真心を持ってやること・・、
そうすれば、真理の扉は、必ず、開かれます。真心は、岩をも砕くのです。
すなわち、愛の心は、天の岩戸も開くのです。
そのためには、強い意思がいります。強い決意がいります。努力と忍耐がいります。
何でもそうですが、何かを成し遂げるには、努力が必要なのです。
楽して得たものは、ホンモノではありません。
苦難の中から得たものが、ホンモノなのです。
人生の目的は、魂(原子核)を大きくすることです。
困難は、魂(原子核)を大きくする、肥やしですから、成し遂げれば、間違いなく、原子核は、増えます。原因あれば、結果ありです。
どうか、強い気持ちを持って、困難な問題に挑戦してください。
あなたは、間違いなく、変わります。
あなたが、変わったら、変わった分、周りの環境も、変わります。
※ 治療が難しいと言われている、精神病患者(憑依霊)でも、真心を持って、お世話すれば、快方に向かうと、私は信じています。
みな、神と同じ心を持っているのですから、真心を持って接すれば、通じないはずはないのです。
神の愛の心に、不可能なことはありません。
どうか、真心を持って、接してください!
宇宙には、たった一つの意識があるだけです。
その意識が、魂を生み、心を生み出したのですから、真心をもって接したら、相手に伝わらないはずがないのです。
花や木や猫にさえ、伝わるのですから、人間に、伝わらないはずがないのです。
伝わらないのは、真心をもって接していないからです。
この宇宙には、一つの意識しかないのです。
形は、たくさん、ありますが、その中に宿っている意識は、同じ一つの意識なのです。
その証拠に、相手を嫌だと思ったら、相手も、自分を嫌だと思います。
自分が右に行ったら、相手も右に行こうとします。
左に行ったら、相手も左に行こうとします。
思いは、伝わるのです。
それは、一つの意識しかないからです。
愛と言う字を良く見てください!
愛と言う字の中には、「心」と言う字が入っています。
「愛するとは、真心を込めて・・・」 と言う意味なのです。
真心を込めれば、愛していることになるのです。
そして、真心を込めて、自分を愛しましょう!
新・光のメロディー「愛の手ほどき」
2022.03.25
あなたが神である証
あなたが、どんなに、人間だと思っていようと、あなたが、神であることは、間違いないのです。
なぜなら、あなたには、次のような、神の証があるからです。
あなたは、肉体ではないのですよ! 人間ではないのですよ! 個人ではないのですよ!
あなたは、一なる神なのです。
この宇宙には、一様の神しか存在しないのです。
ならば、今、あなたが、存在していること自体が、神である証ではありませんか?
神しか存在しない、と言うことは、今、存在している、あなたは、間違いなく、神である、と言うことです。
ただ、形を見て、人間だと誤解しているだけです。
誤解が解け、神の自覚が持てたら、あなたは、神として、自由に、宇宙に飛び出して行けるのです。
あなたは、そのような、素晴らしい存在なのです。
※ 外側のモノ(現象・幻)に誘惑された時、こう思ってください。
「私は、何のために生まれてきたのか?」、「人生の目的は、何か?」と・・・。
きっと、冷水を浴びせられたように、誘惑から逃れられるでしょう。
(2019年2月10日 今週の真言より)
神と言う名に騙されないでください!
神は、恐れ多い存在でもなければ、神秘的な存在でもありません。
どこにでも転がっている、ありふれた存在です。
ならば、人間が、神でないはずがありません。
全てのすべてが、神なのです。神、以外、存在しないのです。
神とは、そのような、存在なのです。
旧・光のメロディー 「神」
2022.03.26
神を観るとは?
こんな覚者の話があります。
象が、どのような形をした生き物か、四人の盲人に質問したところ、
足を触った盲人は、「ドラム缶のようなものである」と言いました。
尻尾を触った盲人は、「ムチのようなものである」と言いました。
鼻を触った盲人は、「ホースのようなものである」と言いました。
耳を触った盲人は、「ウチワのようなものである」と言いました。
これは、象の一部分を触り、全体を触っていないために起きた過ちです。
神も、一部分を知ったのでは、過ちを犯してしまうのです。
ここに登場した盲人とは、人間のことです。人間は、盲人なのです。
なぜなら、肉眼でものを見ているからです。
人間は、色眼鏡を使って(物「色」を見る目を使って)、神(宇宙・本質)を見ようとしているのです。
これでは、どんなに目が良くても、神の正しい姿を観ることはできません。
神の正しい姿を観るためには、心眼(神眼)を使って観なくてはならないのです。
でも、最初から、心眼は使えませんので、まずは、肉眼を使って、この世の物を見ることから始まるわけです。
神の化身である、この世の物を通して、薄々、神を知ることができるからです。
神とは、
更に言うなら、
しかし、これで、神を知ったわけではありません。
なぜなら、頭で知っただけで、心の底で知ったわけではないからです。
本当に神を知った状態とは、「神そのもの」を体感した時です。
すなわち、「神そのもの」になった時です。この状態を、神を自覚したと言うのです。
神の自覚を得るには、様々な切り口から、神を探る必要があります。
神の側面を、探れば、探るほど、「吾神なり!」のマントラの深みが増すからです。
深みが、増せば、増した分、原子核が増えます。
原子核が増えれば、理解力が増し、色々な、気付きが起きます。
その気付きが、神の自覚に近づけてくれるのです。
※ 心眼(神眼)を開くコツ
私たちは、物を見るとき、物の表面にピントを合わせて見ます。
これでは、外側の色や形しか見えません。
物の本質(神)を観るためには、内側にピントを合わせなければならないのです。
内側にピントを合わせるとは、ピントを無限大にして観ると言う意味です。
そのようにして見れば、物の本質(神)が観えるようになります。
物の本質(神)は、光ですから、光として観ることが、できるようになるのです。
ぜひ、コツを掴んでください。
(2014年10月15日 更新集より)
神のメロディー「神の絵巻物」
2022.03.27
進化の決め手は幸福度である
この宇宙には、様々な進化の度合いを持った星が存在しますが、その星が、どれだけ進化した星か、判定する基準があるのでしょうか?
あるのです。
それは、その星に住む人たちが、どれだけ高い理解力を持っているかが判定基準です。
では、その理解力の高低は、どうして、知ることができるのでしょうか?
それは、幸福度です。
低い理解力によって創られた世界の幸福度は低く、高い理解力によって創られた世界の幸福度は高いのです。
しかし、その幸福度は、通常、比べることはできません。
それは、当人だけが知る、幸福の高さだからです。
でも、その幸福度は、現象の世界においては、平和と言う形で見ることはできるのです。
なぜなら、心の幸福度は、必ず、形として現れるようになっているからです。
幸福度の高い星は、平和なのです。幸福度の低い星は、争い事が多いのです。
地球惑星に、戦争が絶えないのは、地球人類の幸福度が低いからです。
つまり、理解力が低いからです。
私たちは、これまで、何万転生も輪廻を繰り返してきましたが、その輪廻において、どれほど成長したか知る決め手は、理解力の高さなのです。
輪廻の回数が多い人の理解力は高く、輪廻の回数が少ない人の理解力は低いのです。
当然、理解力の高い人の幸福度は高く、理解力の低い人の幸福度は低いでしょう。
でも、それは、早く生まれたか? 遅く生まれたか? の差で、その人のせいではないのです。
もし、あなたが、自分の進化度を知りたかったら、理解力の高低で推測してください。
それは、あなただけが知る幸福度でもあるのです。誰とも比べることはできません。
しかし、それで、良いのです。
このように、幸福の平等性は、どこまでも貫かれており、これが、宇宙の素晴らしいところであり、神の愛深いところでもあるのです。
幼い魂も、熟した魂も、神の目から見たら同じなのです。
でも、宇宙は、複雑な体験を通して、進化してゆくのです。
それは、意識に飽きがくるからです。
飽きる意識を持っている宇宙は、進化し続けるしか無いのです。
幸福を得ても飽きがくる意識は、その上の幸福を求めてゆかなくては、満足できないからです。
この満足できない幸福の欲求が、私たちの魂を進化させてゆくのです。
※ 神とは幸せのこと・・生命とは幸せのこと・・
チルチルミチルは、幸せの青い鳥を探しに旅に出かけました。
でも、いくら探しても、見つかりませんでした。
ガッカリして、家に帰ってきた、チルチルミチルは、ふとしたことから、幸せの青い鳥を、自分の中に見付けます。
つまり、チルチルミチルは、幸せは、外の世界にあるのではなく、自分の心の中にあることを知ったのです。
幸せは、心の平安が、もたらすのです。
その心の平安は、自分が、「神であり、生命である!」と、心の底で思えた時に訪れるのです。
人間を自分だと思っている限り、真の平安は、やってきません。
自分が、永遠に傷つかない、永遠に死なない、永遠に老いない、神である!、生命である!、と思えた時に、不動の平安が得られるのです。
「人生の目的は、本当の自分を知ることである!」と言うのは、
「人生の目的は、真の幸せの中に入ること」だからです。
(2016年9月4日 今週の真言より)
旧・光のメロディ「幸せ」
2022.03.28
自分があって宇宙がある!
宇宙が有って、自分が有るのではありません! 自分が有って、宇宙が有るのです。
なぜなら、自分が、宇宙を創造しているからです。
つまり、自分が、宇宙そのものになっているからです。
それは、自分しかいないからです。
私たちは、人間ではないのです。肉体ではないのです。宇宙から産まれた、宇宙っ子なのです。
宇宙を表現する一つの道具として、人間は創られたのです。
ですから、進化成長した暁には、私たちは、宇宙に帰るのです。
宇宙の中心は、自分・・ドラマの主人公は、自分・・原因の発芽は、自分・・全て、自分中心です。
お釈迦様が言われた「天上天下唯我独存(尊)」の本当の意味は、
天上天下(宇宙)において、唯一、自分が「尊」い存在者であると言う意味ではなく、
天上天下(宇宙)において、唯一、自分しか「存」在しないと言う意味なのです。
今の仏教は、誤った文字を使い、誤った解釈をしているのです。
私たちは、唯一不二の中心点なのです。
なぜなら、私たちは、無限だからです。
有限宇宙に、中心点は一つしかありませんが、無限宇宙においては、中心点は無限に存在するのです。
ですから、私たちは、誰でも、宇宙の中心点に立てるのです。
私たちは、意識そのものなのです。その意識は、どのような形の中にでも入れるのです。
初めは、小さな役割を果たすために、小さな形の中に入ります。
しかし、進化成長するに従い、段々と役割が拡大し、大きな形の中に入って行くのです。
順序としては、鉱物に入り、植物に入り、動物に入り、人間に入り、衛星に入り、惑星に入り、恒星に入り、最終的に、大宇宙の中心に入って、宇宙をコントロールするようになるのです。
なぜ、私たちは、 月を見ると懐かしくなるのでしょうか?
あるいは、星を見ると懐かしくなるのでしょうか?
それは、デジャブのせいです。
私たちは、過去生で、同じ月や星を見ていたのです。
かぐや姫が、月を見て懐かしく思ったように、私たちの魂の奥には、郷愁の思いがあるのです。
学びの友の皆さんのように進化した魂は、輪廻転生の数が多いため、時々、デジャブの思いが湧いてくるのです。
光の写真集「春の夜空」
真実を求めている人へ捧げるメロディ「満天の星」
2022.03.29
変化を嫌ってはならない!
一般人の多くは、変化を嫌いますが、変化は成長の証なのです。
魂が成長すると、意識においても、環境においても、自然と変化が起きてくるのです。
優秀な大学を出て、大会社に就職して、一生、同じ会社で終わる人がおりますが、私は、あまり、感心しないのです。
魂の熟成度にもよりますし、今生の学びの目的にもよりますから、一概には言えませんが、私は、学歴もなく、小さな会社を転々として、苦労する人の方に、拍手を送りたいと思います。
変化を たくさん体験すると言うことは、 体も たくさん動かしますし、想念も たくさん動かすわけですから、より、魂を大きくすることができるのです。
頭で知ったものは、身につきません。体験で知ったものは、身に付きます。
年寄りが知恵者と言われるのは、たくさん、人生体験をしてきたからです。
私たちが肉体を持って生まれてくるのは、体験をするためです。
肉体は、体験をするための、乗り物なのです。
あなたは、今日、悲しい体験や、苦しい体験や、楽しい体験や、つまらない体験など、 様々な体験をするかも知れません。
でも、その一つ一つの体験が、魂を大きくしてくれるのです。
ですから、どんな体験も、嫌ってはいけません。
言っておきますが、無駄な体験など、一つも無いのです。
完全な神が、無駄な体験をさせるわけがないからです。
「体験は宝です」、是非、たくさん体験して、原子核を増やしてください。
とは言っても、学びの友の皆さんのような熟した魂は、この世の体験から、そろそろ、卒業しなければなりません。
なぜなら、この世の体験に時間が取られれば、瞑想する時間が少なくなるからです。
瞑想・・ それは、原因を創っている状態です。
原因を創れば、必ず、結果がついてきます。
どうか、瞑想を多くしてください!
原因と結果の法則は、間違いなく、あなたを高みに上げてくれます。
2022.03.30
原因無き原因者の存在
「宇宙は有限である!」と言う人がおりますが、宇宙の奥に、何か壁でもあるのでしょうか?
もし、あったとしても、その壁の向こうは、どうなっているのでしょうか?
また、壁があるのでしょうか?
もし、あったとしても、その壁の向こうは、どうなっているのでしょうか?
また、壁があるのでしょうか?
どんなに壁を作っても、この話は、永遠に続くのです。
だから、宇宙は、無限なのです。
それでは、宇宙は、無限であると言う前提のもとに、話を進めましょう。
あなたは、Aさんを殴りました。
それは、殴らなければならない原因があったからです。
では、その原因は、何でしょうか?
Aさんに、殴られたから? 嫌なことをされたから? 嫌なことを言われたから?
理由は、どうあれ、殴る原因があったから、あなたは、Aさんを殴ったはずです。
さて、Aさんを殴った原因は、Aさんを殴ったことで消えています。
殴られたAさんの原因も、あなたに殴られたことで消えています。
ですから、お互い、殴り殴られたことで、原因と結果の法則は、終息しています。
では、Aさんは、どうして、あなたに殴られるようなことをしたのでしょうか?
何の理由もなくするはずがありません。
あなたが、Aさんに何か嫌なことをしたから(原因を作ったから)
Aさんは、あなたに嫌なことをしたはずです。
でも、その嫌なことをした、Aさんは、その前に、あなたから嫌なことをされたから、嫌なことをしたはずです。
でも、その嫌なことは、その前の前に、あなたから嫌なことをされたからしたはずです。
こうなると、嫌なこと(原因と結果)が、永遠にめぐることになり、終息点はありません。
では、どうして、最初に、嫌なことが生まれたのでしょうか?
つまり、最初の原因は、どうして、生まれたのでしょうか?
それは、原因なしに生まれたのです。
なぜなら、宇宙は、無限だからです。
無限宇宙に、最初が無いわけですから、原因が無いのです。
これが、原因無き原因の謂われなのです。
と言うことは、あなたは、原因なしに、Aさんを殴ったことになります。
この原因なしに殴った例え話が、原因無き原因の存在する理由なのです。
もし、事の起こりに原因が必要なら、この宇宙に、何も生まれなかったでしょう。
何も生まれなかったら、どうして、私たちは、 体験できるでしょうか?
体験できない宇宙に、何の意味があるでしょうか?
私たちは、成長してゆかねばなりません。そのためには、体験が必要なのです。
だから、宇宙を創る、原因無き原因者が必要なのです。
その原因無き原因者は、神であろうが、誰であろうが、良いのです。
つまり、誰が最初に殴ったかなど、どうでも良いのです。
ただ、私たちは、体験し、学び、成長できれば、良いのですから・・・。
(2017年10月1日 今週の真言より)
最初が無かったら、何も始まらないし、 何も生まれないのです。
だから、最初を創る必要があるのです。
でも、その最初を創るには、何かが動かなければなりません。
その動かす力は、どこから来ているのでしょうか?
また、その力は、何なのでしょうか?
解からないのです。
この宇宙が始まったのは、その解らない力が動いて始まったのです。
それが、原因無き原因者と言われるものです。
その原因無き原因者は、どんなに探っても、解からないのです。
解かったら、終わりがあることになり、有限になってしまうからです。
その解からない原因者が、私たちの中に存在するのです。
存在しなかったら、私たちは、今、いないからです。
2022.03.31