宇宙は理解力によって進展してゆく!
理解力によって、進展してゆく、宇宙を創られた神の、何と偉大なこと・・頭が下がるばかりです。
したがって・・・
このことが、心の底で解ったら、もう、現象の話も、現象の質問も、しなくなるでしょう。
(2016年1月10日 今週の真言より)
※ この表現宇宙に、「こういう宇宙だ! ああいう宇宙だ!」と言った、確定した宇宙は、ありません。
なぜなら、この表現宇宙は、不確定な宇宙だからです。
不確定な宇宙ゆえに、普遍性もあり得ないし、再現性もあり得ないし、客観性もあり得ないのです。
この宇宙で、唯一、確かなことは、今、自分と思えている意識が実在している、という事実です。
その意識が生み出した、想念と理解力が、宇宙を進展させてゆくのです。
宇宙に、どのような絵を描くかは、理解力が決めているのです。
事実、理解力の乏しい人は、 誤った想念を持ち、 誤った確信に基づいて、 醜い絵を描いています。
理解力の豊かな人は、正しい想念を持ち、正しい確信の基に、美しい絵を描いています。
その意味では、どこかに幸せがあるのでは無く、理解力が生み出した幸せがあるだけです。
その幸せも、理解力の成長と共に、進化して行くのです。
理解力を高めてゆく必要があるのは、理解力が、幸せを握っているからです。
さあ、 原子核を大きくし、理解力を高めましょう!
※ 幸せには、三つの形がある、と言いました。
確かに、 三つの形の幸せがあるわけですが、でも、この幸せは、刻々と変化していくのです。
なぜなら、私たちの原子核が、刻々と成長していくからです。
この宇宙に、普遍性も、客観性も、再現性も、無いのは、私たちの原子核が、刻々と成長してゆくからです。
2024.12.31
何が幸せをくれるのか?
何が幸せをくれるのでしょうか?
物やお金でしょうか?、地位や名誉や権力でしょうか?
いいえ、意識です。意識が、幸せをくれるのです。
なぜなら、幸せを感じるのは、意識だからです。
意識は、実在です。
と言うことは、その意識を感じている幸せも、実在だと言うことです。
幸せは、どんな幸せであっても、実在なのです。
例えば、夢の中で味わっている幸せも、この世で味わっている幸せも、幽界で味わっている幸せも、みな、実在なのです。
だから、どんな幼い魂が感じている幸せも、どんな高度な魂が感じている幸せも、平等なのです。
なぜ、平等かと言いますと、幸せは、比べることができないからです。
このように、神の公平性は、幸せにおいても、保たれているのです。
(2017年1月22日 今週の真言より)
宇宙は単純に出来ている!
宇宙は、単純に、易しく、分かりやすく、創られています。
その証拠に、生きるに必要なものは、身近に置かれてあります。
例えば 、
その想念が、人生を作っているわけですから、想念が、最も近い存在と言えるでしょう。
その想念が、幸せをくれるのですから、幸せも、近いところに置かれていると言えるでしょう。
しかし、世の人々は、お金を稼ぎ、外から幸せを買おうとしています。
それは、幸せが近くにあることを、知らないからです。
生きるに必要なものが、近くに置かれているように、幸せも、近いところに置かれているのです。
それも、お金もいらない!、何処へ行く必要もない!
ただ、神を想うだけで得られる! 簡単な方法で・・・。
幸せを、難しく考えないでください!
社会体験と瞑想をすれば、原子核が増えるので、間違いなく、幸せになれるのです。
(2017年2月19日 今週の真言より)
幸せについて!
幸せって、言葉や文字で表わせますか? 幸せを、人に伝えられますか?
当人が、幸せだと思ったら、それが、幸せではありませんか?
と言うことは、幸せに、上下は無い、と言うことです。
それは、幸せは、平等だと言うことです。
ただし、原子核が増え、理解力が増せば、増した分の高度な幸せが味わえるのは、確かです。
なぜなら、神は、私たちを、進化成長へ運んでくれているからです。
進化成長した分、高度な幸せが味わえるのは、当然でしょう。
進化成長しても、同じ幸せで留まっているのなら、何のために原子核を増やしているのでしょうか?
あくまでも、幸せを得るための進化成長ではありませんか?
そうでなければ、神は、私たちに、無駄なことをさせていることになります。
全能の神が、そんな、無駄なことをさせるはずがありません。
進化成長した分、間違いなく、幸せは、高度になってゆくのです。
これだけは、断言しておきます。
ただし、幸せを、人と比べることが出来ない点は、同じです。
(2020年8月30日 今週の真言より)
幸せの正体を知ろう!
幸せの正体を知る前に、次のことを知らねばなりません。
絶対は、絶対だけでは存在できない、と言うこと・・、
絶対が存在するためには、相対が必要だと言うこと・・。
勿論、相対は、絶対から生まれるわけですから、絶対が無くては、相対もありません。
絶対と相対は、相身互いの関係にあるのです。幸せも、同じなのです。
絶対宇宙に存在する意識は、幸せ、そのもののはずです。
でも、それは、「はず!」であって、本当に幸せかどうかは、誰も分からないのです。
絶対の中にある幸せは、外からでは分からないからです。
と言うことは、幸せの中にいては、それが、幸せかどうか分からない、と言うことです。
一の中にいては、一が分からない、と言うのは、そう言う意味なのです。
分からないのでは、幸せが無いのと同じではありませんか?
そうです。
幸せの中にいては、幸せが分からないのです。
幸せを味わうためには、不幸の体験が必要なのです。
ですから、絶対意識は、相対の世界を創り、不幸せを味わえるようにしたのです。
幸せしか無い世界には、幸せは無いのです。
幸せは、不幸の世界が有って、初めて、生まれるのです。
白だけでは、白は無いのです。黒だけでも、黒は無いのです。
白と黒を相対させて、初めて、白と黒が生まれるのです。
反対なものを持ってこなければ、分からないのです。
だから、この世界には、不幸があるのです。
でも、その不幸は、幸せを得るための方便ですから、不幸ではないのです。
この宇宙には、本質的な不幸など、無いのです。
幸せの味付け材料になる不幸があるだけです。
神は、完全です。その神が、本質的な不幸を創るわけがないのです。
(2021年12月1日 更新集より)
2024.12.30
1を知れば10を知る!?
1を知れば、10を知ると言われますが、そんな半端なものではありません。
1を知れば、無限の数を知ることが出来るのです。
なぜなら、無限の数は、1の分化したものだからです。
この宇宙には、1から分かれた無限の原子番号があるのです。
つまり、元数1から分かれた無限の分数があるのです。
無限の分数は、元数1から分かれたものですから、分数の一つを知ったら、元数1を知ることができるのです。
今、この地球では、百十数個の元素が発見されていますが、宇宙には、無限に近い数の元素が存在するのです。
その一つ一つの元素は、元数1から出てきた仲間ですから、一つの元素を知れば、元数1の正体が解るのです。
鉱物・植物・動物・人間は、その元素の組み合わせによって作られましたから、鉱物を知っても、植物を知っても、動物を知っても、人間を知っても、元数1を知ることができるのです。
今、科学者は、見えないモノ(素粒子)に、様々な名前をつけておりますが、どんな名前をつけようと、出処は1ですから、みな、同じ元数1、つまり、神なのです。
どうか、名前に惑わされないでください。
どんなモノも、元数1から出てきた、同じ神の子なのですから・・・。
この宇宙に、神で無いものはないのです。
どうか、全てのものを愛してください。
あなたと同じ、神の子なのですから・・・。
すなわち、自分なのですから・・・。
※ 1が、二つも三つもあっては、無限でなくなります。
一つしか無いから、無限なのです。
また、無限が、二つも三つもあっても、無限でなくなります。
一つしか無いから、無限なのです。
だから、1は無限であり、無限は1なのです。
つまり、どんな数も、1であり、無限なのです。
これが、私が、1であり、無限である、根拠です。
(2017年4月9日 今週の真言より)
この宇宙に軽んじて良いモノなど一つも無い!
この宇宙には、たった一つのモノしか有りません。
たった一つのモノしか無いと言うことは、すべては、一つのモノの現れだと言うことです。
ならば、砂一粒も、軽んじてはならないでしょう!
なぜなら、砂一粒が、無くなったら、宇宙は、無くなってしまうからです。
二つのモノが有るなら、一つのものが無くなっても、もう一つのものが有るわけですから、一つは残ります。
でも、一つのモノしか無いわけですから、一つのものが無くなったら、何もかも無くなるのは、当然なのです。
その一つのモノを、神と呼んでいるだけです。
神と言う名が嫌いなら、
「原子」と呼んでも良いのです。
「生命」と呼んでも良いのです。
「光」と呼んでも良いのです。
「意識」と呼んでも良いのです。
すべて、一つの現れだからです。
もし、あなたが、砂一粒を軽んじるなら、神を軽んじることになるのです。
つまり、自分を軽んじることになるのです。
私が、「すべてのモノを愛しなさい!」と言うのは、すべてのモノは、自分だからです。だから、自愛しか無いのです。
あなたが嫌う、あの人も、この人も、あの菌も、この虫も、この汚物も、みな、自分です。どうか、自分を嫌わないでください。
※ あなたが、どんなに、「私は肉体だ !」と言い張っても、
あなたの肉体細胞は、分子の集まりであり、
その分子は、原子からできており、
その原子は、神の意識によって創られていますから、
あなたは、間違いなく、神なのです。
もう、いい加減に、人間と言い張るのを止めてください。
(2017年12月10日 今週の真言より)
2024.12.29