何を信じなくても、自分の想念だけは、信じてください。
なぜなら、自分の想念だけが、実在だからです。
他のモノは、どんなに、見えても、聞こえても、触れても、みな、消えてしまう、幻です。
しかし、想念だけは、永遠に無くならない、実在なのです。
でも、その想念は、誰でも持っている、ありふれたものですから、空気や水のように、どうしても、軽んじてしまうのです。
空気や水を軽んじては、生きられないように、想念を軽んじても、良い人生が作れないのです。
病気にしたのも、自分の想念です。
事故災難に遭わせたのも、自分の想念です。
盗難にあったのも、自分の想念です。
人に騙されたのも、自分の想念です。
結婚したのも、自分の想念です。
車を手に入れたのも、自分の想念です。
素晴らしい絵を描いたのも、自分の想念です。
悪いことを想えば、悪いことが実現し、良いことを想えば、良いことが実現するのです。
人生は、想念次第なのです。
どうか、想念を良く使ってください。
良い想念の一番は、神(マントラ)を想うことです。
私は、想念の凄さを、もう一段、心の深味で知りました。
その深味で知ったことを、今後、皆さんに、伝えて行きたいと思います。
2019.01.06
※ 想念は、両刃の剣のようなものです。
悪く使えば、人を傷つけ、自分を傷つけ、地球を傷つけます。
良く使えば、人を喜ばし、自分を喜ばし、地球を喜ばします。
※ 否定的な言葉は、闇の思いから生まれ、肯定的な言葉は、光の思いから生まれます。
ですから、否定的な言葉を語る人は、不幸せになり、肯定的な言葉を語る人は、幸せになるのです。
私の願いは、唯一、それは、神の自覚を得て欲しい、と言う願いです。
何を知らなくても、良いのです。何もできなくても、良いのです。
ただ、「自分は神である!」と、自覚することです。
皆さんは、正真正銘の神なのです。
どんなに、違うと言い張っても、神の意識核によって、「体」も、「魂」も、創られているのですから、皆さんは、間違いなく、神なのです。
なのに、そうは、思えない。
それは、まだ、原子核の量が少ないからです。
原子核が増えれば、自覚できるようになります。
原子核を増やす方法は、2つのことを、やることです。
やれば、必ず、原子核が増えます。
これは、「原因と結果の法則」が、保証してくれるので、間違いありません。
この世の何をやっても、何を得ても、みな、消えて無くなる、虚しいモノです。
でも、神の自覚だけは、永遠に無くならないのです。
永遠に無くならないモノを得るのか、消えて無くなるモノを得るのか、賢い、あなたなら、分かって頂けると思います。
2019.01.13
※「太く短い」、真理の求め方は、どこかに、無理が出て、挫折しかねません。
求道の旅は、永遠に続くのですから、「細く長い」、真理の求め方をしましょう。
私たちは、一生や、二生で、ここまで、成長してきたのではないのです。
何万転生もかけ、ここまで、成長してきたのです。
これからも、永遠の時をかけ、成長してゆかねばならないのです。
※「求めたいから、求める!」、ただ、黙々と・・・、
それが、純度、百%の真理の求め方です。
私たちは、想念を持っています。
と言うことは、私たちは、既に、幸せを持っている、と言うことです。
なぜなら、想念を良く使えば、幸せになれるからです。
でも、そのためには、次のことを、心の深いところで、知らねばなりません。
このことを、心の深いところで知った人は、幸せの秘訣を知った人です。
2019.01.20
※ あなたは、何なのですか?
重く、汚い、肉体なのですか? 消えて無くなってしまう、人間なのですか?
いいえ、あなたは、永遠不滅の意識なのです。
最も大切なことは、良い準備をしておくことです。
良い準備をしておくとは、良い原因を作っておく、と言う意味です。
今、苦しんでいる人は、良い準備をしていなかったからです。
良い準備さえしていれば、誰でも、幸せになれるのです。
では、良い準備(良い原因)には、何がいるのでしょうか?
物やお金が、いるのでしょうか? 地位や名誉や権力が、いるのでしょうか?
いいえ、何もいりません。いるのは、良い想念だけです。
世の人々は、良い準備もしないで、幸せを願っていますが、それは、予約しないタクシーを、待っているようなものです。
来ないタクシーを待つことほど、苦しいことは、ありません。
タクシーに乗りたかったら、予約しておくことです。
つまり、準備をしておくことです。原因を作っておくことです。
そうすれば、間違いなく、タクシーは来ます。これは、当たり前のことです。
原因を作っていたから、結果が来たのです。
「成せば成る! やれば成る!」、これは、科学です。
2019.01.27
それは、まだ、器(魂)が小さいからです。
今、地球で、争いが絶えないのは、小さな器の人が多いからです。
一リットルの器に、十リットルの水は入らないのです。
十リットルの水を入れたかったら、器を大きくするしかないのです。
器を大きくする方法が、社会体験と瞑想なのです。
この表現世界は、実際に無い世界です。
影の世界・幻の世界・現象の世界・見せかけの世界です。
でも、私たちは、五感を持っているため、どうしても、見せかけの世界が、有ると思ってしまいます。
だから、自分の身に何か起きると、心配し、その想いが、病気にしてしまうのです。
本来、この宇宙に、病気など、無いのです。
自分の悪想念が、肉体細胞を弱め、病気にしているだけです。
それは、悪想念が、光(エネルギー)を閉ざしてしまうからです。
病気とは、光(エネルギー)の無い状態なのです。
だから、光に満たされれば、病気は、そく、消えてしまうのです。
私が、「悪想念を持つな!」と言うのは、悪想念を持てば、光を閉ざしてしまうからです。
私たちは、五感に惑わされ、どうしても、悪いことを想ってしまいます。
一般人は、仕方ないとしても、学んでいる皆さんは、そうであってはなりません。
病気になりたくなかったら、悪いことを想わないことです。
想うなら、良いことを想いましょう。
良い想いの一番は、神を想う、瞑想です。
神を想えば、病気にならないし、原子核も増えるので、一挙両得なのです。
世の人々は、病気を恐れ、サプリメントや栄養剤などを飲んで、身を守ろうとしていますが、そんなことを、すれば、するほど、病気になるだけです。
身体のことは、法則と生命力に、任せたら良いのです。
そうすれば、法則と生命力が、守ってくれます。
法則が、守ってくれる、と言う意味は、良い原因を創ったら、良い結果がやってくる、と言う意味です。
生命力が、守ってくれる、と言う意味は、悪想念を持たなかったら、生命力が、守ってくれる、と言う意味です。
さあ、役割分担を決めましょう。
身体のことは、生命力に任せ、自分は、瞑想をしましょう。
そうすれば、一生、健康でいられるのですから・・・。
2019.02.03
※ 思い煩うことなかれ!
私が、声を大にして言いたいのは、自分の身のことで、自分の命のことで、アレコレ、心配しないことです。
野の鳥たちは、思い煩っていますか?
やることは、やって、後は、生かされるままに、生きているのではありませんか?
どんなに長生きしたいと思っても、死ぬ時は死ぬし、生きる時は生きるのです。
私たちも、野の鳥のように、「やることは、やって」、後は、生かされるままに、生きたら良いのです。
「やることは、やって」とは、私たちの場合は、「法則を守ること、2つのことをやること」です。
そうすれば、神は、必ず、良きように計らってくれます。
あなたが、どんなに、人間だと思っていようと、あなたは、間違いなく、神なのです。
なぜなら、あなたには、次のような、神の証があるからです。
あなたは、肉体ではないのですよ! 人間ではないのですよ! 個人ではないのですよ!
あなたは、紛れもなく、神なのです。
神は、一様です。この宇宙には、一しかないのです。
ならば、今、あなたが、存在していること自体が、あなたが、神である証ではありませんか?
一つしか無いと言うことは、今、存在している、すべてのものは、その一の現れである、と言うことですから、あなたは、間違いなく、神なのです。
ただ、形を見て、人間だと誤解しているだけです。
誤解が解けたら、あなたは、神として、自由に、宇宙に、飛び出して行けるのです。
あなたは、そのような、素晴らしい存在なのです。
2019.02.10
※ 外側のモノ(現象・幻)に、誘惑された時、こう想ってください。
「私は、何のために、生まれてきたのか?」、「人生の目的は、何か?」と・・・、
きっと、冷水を浴びせられたように、誘惑から、逃れることが、できるでしょう。
どうして、物質は、悪なのでしょうか?
いいえ、悪ではありません。善を学ぶための教材ですから、善です。
この宇宙に、悪など無いのです。
なぜなら、どんな物質も、神の素材で創られているからです。
もし、物質が悪ならば、神は悪になってしまいます。
神は、表現宇宙を創るにあたり、自分の意識の波動を下げ、物質の素である「核」を生み出したのです。
波動を下げ、核を生み出さなくては、物質が創造できないからです。
波動が低いと言うことは、エネルギーが低いということ、光が弱いと言うことです。
光が弱い状態は、気持ちの悪い状態、苦しい状態、痛い状態、なのです。
光が弱ければ、悪的なモノが、はびこるのです。今、地球で、多くの悪が、はびこっているのは、物質文明が旺盛すぎて、波動を低めているためです。
確かに、物質は、苦しみの要因になっていますが、幼い魂の多い、地球人類にとっては、必要不可欠な、物質でもあるのです。
なぜなら、物質に溺れることによって、真実を発見することができるからです。
でも、学びの友の皆さんは、もう、そのような学びは、卒業しているのですから、一日も早く、物質から離れることです。
幼い時代には、物質の学びは必要ですが、皆さんのような熟した魂には、もう、必要ないのです。
2019.02.17
※ 物質は、波動の低い、闇の状態ですから、物質文明には、悪しきモノが、はびこるのです。
物を、多く持てば、持つほど、波風が立つのは、闇が、悪しきモノを呼び寄せるからです。
今、地球人類は、物質文明に酔いしれていますが、いずれ、その虚しさに気づき、精神文明に舵を切り替えることでしょう。
※ 否定的な言葉は、闇から生まれ、肯定的な言葉は、光から生まれるのです。
ですから、否定的な言葉を使う人は、不幸せになり、肯定的な言葉を使う人は、幸せになるのです。
どうか、肯定的言葉を多く使ってください。
ここに、ある「モノ」が、あったとしましょう。
その「モノ」に、価値を与えるのは、誰でしょうか?
それは、受取人ではないでしょうか。
どんなに、有り難い「モノ」であっても、受取人が、有り難いと思って、受け取らなかったら、その「モノ」に、価値は、生まれないのです。
どんなに、良い品物を作っても、買い手(受取人)がいなかったら、価値は、生まれないのです。
よく、畑で、野菜を腐らせる、農家がありますが、あれは、受取人(買い手)がいないからです。
これは、真理も、同じなのです。
ただし、真理の場合は、受取人がいても、真理が理解できなかったら、価値は、生まれないのです。
だから、私たちは、原子核を大きくして、理解力を高めなくてはならないのです。
それまでは、目の前に真理があっても、無価値なのです。
今、人類の目の前に、厳然として、真理が存在していますが、理解力がないため、宙に浮いている状態なのです。
このように、モノの価値も、真理の価値も、受取人が、納得し、受け取って、はじめて、生まれるのです。
2019.02.24
※ 認めない価値は無いのです。
例えば、一億円、持っていても、持っていると認めなければ、使えないので、価値は、生まれないのです。
どんなに、有り難い真理も、理解力が乏しかったら、その真理は、無価値になってしまうのです。
真理に、価値が生まれるのは、受取人が、真理を理解し、受け取った時です。
この世は、仮相の世界です。
日々、世の移り変わりを見ている、あなたは、それを、実感しているはずです。
なのに、仮相と思えない。
それは、肉体が、あなたを、惑わせているからです。
今、あなたが、苦しんでいるのは、夢幻のモノを、追いかけ過ぎているからです。
苦しみたくなかったら、この世のモノとの関わり合いを、できるだけ、少なくすることです。
では、関わり合いを、少なくするには、どうすれば、良いでしょうか?
一番良いのは、瞑想です。
瞑想している時は、この世のことが、想えません。
この世のことを、想わなければ、この世のモノが、寄ってこないので、関わり合いが、少なくなるのです。
想念は、何でも実現させます。
私たちは、その想念を持っているのですから、有効に利用しなくては、損です。
有効に利用する方法は、本当に有るモノを、想うことです。
本当に有るモノとは、神のこと、本当の自分のこと、すなわち、あなたのマントラのことです。
ここまで、成長してきた、あなたは、もう、この世のモノは、何もいらないはずです。
幸せだけが、欲しいはずです。
それは、瞑想によって、得られるのです。
利口な人は、そのような、生き方をします。
ぜひ、瞑想し、幸せを得てください。
2019.03.03
※ あなたは、肉体人間では、ありません。
あなたは、光り輝く、神です。生命です。意識です。
常に、そう想いながら、生きてください。
多く、思えば、思うほど、あなたは、変わります。
なぜなら、本当に、あなたは、神だからです。生命だからです。意識だからです。
※ 世界に知れ渡ったアスリートが、コマーシャルに出ます。
出た途端、世界の顔が、一企業の顔になってしまいます。
これは、大損です。
なぜなら、大きな自分が、小さな自分に、成り下がってしまうからです。
偉大な魂も、人間と名乗れば、大きな自分が、小さな自分に、成り下がってしまうのです。
意識は、誰のものでもあり、誰のものでもありません。
意識は、一つであり、全体であり、無限だからです。
一つゆえに、何か一つでも消えたら、すべてのモノが消えるのです。
砂一粒、無くても、宇宙絵が完成されないのは、砂一粒が、全体だからです。
砂一粒にして、そうですから、あなたが消えたら、宇宙が消えるのは、当たり前なのです。
あなたは、全体であり、一つであり、無限なのです。
意識を持っている人類が存在するから、真理が存在し、神が存在し、光が存在し、物質が存在し、時空が存在し、幸せが存在するのです。
こう言えるのは、認める者(人類)がいなければ、認められるモノ(真理・神)が存在できないからです。
意識は、すべての大本です。本源です。
その意識を、人類は、持っているわけですから、人類が、すべてのモノを生み出しているのは、当然のことなのです。
意識 イコール 人類 なのです。人類 イコール 意識 なのです。
「人類が存在するから、宇宙が存在する」と言う真理を腹の底に落としてください。
2019.03.10
※ 意識の正体は、解らなくても、意識そのものには、成り切ることはできます。
なぜなら、あなたは、意識そのものだからです。
ただ、今のあなたは、肉体を自分だと思い違いしているから、意識に成り切れないだけです。
思い違いを解けば、そく、意識そのものに、成り切れるのです。
思い違いを解く道具が、瞑想なのです。
※ この世のことを意識している時は、幻の世界に生きていることになり、
瞑想し、神を意識している時は、真実に生きていることになります。
と言うことは、想念は実現の母ですから、
この世のことを意識している時は、無いものを作っていることになり、
瞑想している時は、有るものを創っていることになるのです。
※ 私の勉強会の動画を見て、波動を受け取れる(感じられる)ようになった人は、よほど、波動を落とさない限り、サタンにやられることは無いでしょう。
どうか、一日一回でも、勉強会の動画を見てください。
または、光の音声を聴いてください。
その人は、もう、真理から離れることは、ありません。
私たちは、よく、「偶然に起きた」とか、「必然に起きた」とか、言いますが、意味を理解して言っているでしょうか?
では、偶然と必然の意味を、文字から解き明かして見たいと思います。
偶然の「偶」という字の意味は、「無茶苦茶・思いがけず・当たりばったり・計らずも・たまたま・計画性が無い・無法則」と言う意味です。
必然の「必」は、「必ず・きっと・間違いなく・確かに・きっちりと・ぜひとも・揺るがず・有法則」と言う意味です。
「然」と言う字の意味は、「起きる・成る・流れ・道・方向・力・動き・働き」と言う意味ですから、
通して解釈すれば、「偶然」とは、「無茶苦茶に起きる・思いがけなく起きる・当たりばったりに起きる・計らずも起きる・たまたま起きる・計画性もなく起きる・無法則に起きる」という意味になります。
必然とは、「必ず起きる・きっと起きる・間違いなく起きる・確かに起きる・きっちりと起きる・揺るがず起きる・法則どおり起きる」と言う意味になります。
この宇宙は、きっちりとした「必然の法則」の下に管理されており、偶然など、あるわけがないのです。
もし、偶然があるなら、今、宇宙は、存在していません。
今、あなたは、存在していません。
今、宇宙が、存在し、今、あなたが、存在していること自体、「必然の法則」によって管理されている証拠なのです。
法則とは、秩序を意味しますから、どんなことも、必然で起きているのです。
つまり、成るべきにして起きているのです。
神は、「必然の法則」によって、私たちを、進化成長させようとしているのです。
だから、「悪いことを思ったから、悪いことを語ったから、悪いことをしたから」と言って、自分を責めてはなりません。
必然で思い、必然で語り、必然でした、良いことなのですから・・・。
この宇宙には、間違いも、失敗も、悪いことも、無いのです。
なぜなら、進化成長に結びついている、間違いであり、失敗であり、悪いことだからです。
と言うことは、あなたが、思った悪いことも、語った悪いことも、した悪いことも、良いことだと言うことです。
2019.03.17
※ なぜ、起きたことが、必然なのか?
それは、自分しかいないからです。
自分しかいないのですから、何かを起こそうと思ったら、自分で起こすしかありません。
自分が、起こそうと思って、起こしたのですから、必然なのは、当たり前です。
死ぬと分かっているのに、人は、どうして、生まれてくるのでしょうか?
それは、何か、学ぶべきこと・・やるべきこと・・が、あるからではないでしょうか?
では、学ぶべきこと、やるべきこと、とは、何でしょうか?
それは、自分の本性を知ること、そして、原子核を増やすことです。
これは、表現宇宙では、必然事項となっていますから、死ぬと分かりながら、生まれてくるのです。
必然には、意味があるのです。
それは、「どんなことも、進化成長のために起きている!」、と言う意味です。
進化成長のために起きている、必然ですから、どんなことも、良いことなのです。
例えば、
「事故に遭った、病気になった、人に騙された」ことも・・、
「頭に鳩の糞が落ちてきた、ズボンに泥水をかけられた、石につまずいた」ことも・・、
「悪いことを思った、悪いことを語った、悪いことをした」ことも・・、
「悩んだ、心配した、恐怖した」ことも・・、
みな、良いことなのです。
どんなに、無意味と思えることも、みな、進化成長に結びついているからです。
今は、解らなくても、自覚の境界線を超えれば、解ります。
2019.03.24
※「死ぬと分かっているのに、どうして、勉強しなければならないのか?
死ぬと分かっているのに、どうして、働かねばならないのか?
死ぬと分かっているのに、どうして、道徳や、倫理や、法律を、守らねばならないのか?」と、あなたは、思うかも知れませんが、それは、あなたを、成長させるために必要な必然だからです。
※「死ぬと分かっているのに、なぜ、生まれてくるのか?」、このことを深く考える人は、殆どいません。
でも、学びの友の皆さんは、深く考えてください。
きっと、気付かない深い意味が、発見できると思います。
※ サタンに、やられたくなかったら、一日一回、必ず、勉強会の動画を見てください。
学びの友の皆さんは、「人間は、魂であり、生命であり、意識であり、神である!」と言っても、信じてくれます。
また、「地球は、意識と意思を持った生き物である!」と言っても、信じてくれます。
でも、「鳥たちが、鳥向けの言葉と人間向けの言葉の使い分けをしている」と言ったら、信じてくれるでしょうか?
一般の人に言ったら、冷たく、あしらわれてしまうでしょうが、あなた達なら、少しは戸惑っても、信じてくれるでしょう。
なぜなら、皆さんは、神が、鳥たちを差配していることを、知っているからです。
でも、一般人は、そんなこと、信じませんから、聞き耳を持たないのです。
これは、魂の熟成度の差ですから、彼らを、蔑んではいけません。
彼らも、人生体験を積んでゆけば、いずれ、信じられるようになるのですから・・・。
幼い魂は、波動の高い話は、理解できないのです。
でも、それだから、生きていられるのです。
もし、彼らが、一瞬でも、下から上が見えたら、恐らく、惨めさのあまり、生きていられないでしょう。
彼らが、曲がりなりにも、安心して生きていられるのは、下から上が見えないからです。
魂の上の者は、下の者の愚かさが見えても、指摘するようなことはしません。
指摘しても、彼らには、解ってもらえないからです。
だから、彼らと私たちは、共存してゆけるのです。
私が、このようなことを、平気で書けるのは、読んでも、彼らには、理解できないからです。
「知らないことの有り難さ!・・・ 知らないことの罪深さ!・・・」、学びの友の皆さんは、このことを、知っておいてください。
2019.03.31
※「知らぬが仏」と言う諺がありますが、正に、知らぬことは、有り難いことです。
でも、恐ろしいことでもあるのです。
なぜなら、やってならないことを、知らぬがゆえに、平気で、やるからです。
現状に変化が起きた時、疑問に思ってください。
どれほど、成長したか?、神は、試しているのかも、知れません。
また、こうも、考えてください。
新たな変化は、「真剣に真理を求めていますか?」という、問いかけかも知れません。
ここまで、成長した、皆さんは、もう、片手間で真理を求める時代は終わったのです。
神は、「真剣に階段を上がりなさい!」と言っているのかも知れません。
とは言っても、魂の計画は、みな、それぞれ、違うわけですから、全員に、当てはまるとは限りません。
でも、神我の自分に聞けば、どのような意味のある変化か、分かると思います。
「この度の変化は、何を試しているのか? 私は、今の求め方でいいのか?」、一度、神我に問うてみてください。
私たちは、日々、惰性で過ごすことが多いため、現状で満足してしまうのです。
だから、神は、マンネリを打破させるために、刺激を与えるのです。
変化の刺激は、考える良い機会なのです。
魂が成長すると、学びの内容も、高度になることを、知ってください。
2019.04.07
※ 喜びの強さも、悲しみの強さも、感動の強さも、魂の熟成度に沿うように変わってきます。
あなたの魂が、さらに、成熟すれば、今の喜びも、悲しみも、感動も、まだまだ、高度なものになるでしょう。
これは、誇って良いことです。
このような仕組を創られた、神に感謝しましょう!
神は、能動的な存在です。
これが良いと思ったら、すぐに、行動に移すのが、神です。
私たちは、神の子ですから、神と同じように、能動的にならねばなりません。
ウジウジしていては、原子核を増やすチャンスを、逸してしまいます。
それどころか、一般人にも、遅れを取ってしまいます。
どうか、積極的な行動をする人になってください。
良いと思って、直ぐに、行動を起こせば、原子核が自乗的に増えるのです。
これは、神が創ってくれた、素晴らしい仕組みです。
学びの友の皆さんが、スピードアップして、原子核が増えるのは、そのためです。
たとえ、積極的にやって、失敗したように見えても、それは、成功のための失敗ですから、成功なのです。
すべて、必然で、良いことです。
だから、積極的にやれば、必ず、進化成長するのです。
どうか、行動的な人になってください。
行動的な人は、大きく成長します。
それは・・向こうへ帰ったら、はっきりと分かります。
とは言っても、やはり、中庸は、守ってください。
いくら、積極的が良いからと言って、人の家に土足で、ヅカヅカと入るようなことだけはしないでください。
求道者は、常識人でなくてはなりません。
どうか、自分の原子核の量に見合った、中庸を守ってください。
2019.04.14
※ 学びの友のやるべきことは、瞑想することです。
クヨクヨ考える暇があるなら、悩む暇があるなら、心配する暇があるなら、瞑想することです。
すべて、瞑想が、解決してくれます。
こんな、有り難いことが、有りましょうか?
それは、自分が、永遠の存在であることを、知っているからです。
永遠の存在である自分は、永遠の存在であるがゆえに、成長したいのです。
そのためには、死ぬと分かっている世界で、体験しなければ、成長できないので、死ぬと分かっていながら、生まれてくるのです。
もし、自分が永遠の存在でなければ、学ぶことも、仕事をすることも、良い家庭を築くことも、馬鹿らしくて、やっていられないはずです。
私たちは、肉体ではありません。
私たちは、永遠の存在である生命です。
その生命は、見える世界で、様々な体験をすることで、成長できるのです。
2019.04.21
※「そんなこと、当たり前ですよ!」と、人は、良く言います。
なぜ、当たり前だと、言えるのでしょうか?
それは、当たり前でないことを、知っているからです。
当たり前でないことを、知らなかったら、当たり前が、何か解るはずがありません。
だから、私たちは、当たり前の世界から、当たり前でない世界に出てきて、当たり前が何なのか、学んでいるのです。
初めから、当たり前を知っていたら、あなたは、当たり前でない世界に出てこなかったはずです。
モノには、表と裏が、必ず、あります。
表だけのモノもなければ、裏だけのモノもありません。
その証に、あなたの手を、真ん中から切ってみてください。
どんなに、切っても、切っても、表と裏は、離れません。
1センチの厚みのものを、1ミリに切り、1ミリの厚さのものを、更に、0.1ミリに切っても、表と裏は、あり続けます。
この表と裏は、永遠にあり続けるのです。
ですから、表だけの手もなければ、裏だけの手もありません。
表と裏があって、はじめて、手があるのです。
今、私たちは、肉体を持っています。
この肉体は、表なのです。
表の肉体が有ると言うことは、今、言ったように、必ず、裏があります。
その裏のことを、私は、神と言ったり、生命と言ったり、意識と言ったりしているのです。
その神は、見えません。
でも、間違いなく、神は、存在しているのです。
裏の手がなくては、表の手がないように、裏の神がなくては、表の人間はいないのです。
本当に有るものとは、何でしょうか?
表が有って、裏が有って、はじめて、「手」が有ると、心の底で思えた時に、本当に有るものが生まれるのです。
つまり、人間が有って、神が有ると、心の底で思えた時、はじめて、神人が、生まれるのです。
神人が、本当に有るモノなのです。
でも、本当に有る神人は、形がないので、観えません。
ですから、理解力で、神人を観るしかないのです。
このように、本当に有るものは、表と裏の関係を、心の底で理解した時に生み出されるのです。
この心の底で理解できた人のことを、「理解眼の開かれた人」と言うのです。
このことを、理解するのは、容易ではありませんが、ぜひ、理解してください。
それは・・自分の手が、教えてくれます。
2019.04.28
※ この宇宙に有る確かなものは、幸せだけです。
幸せだけが、実在だからです。
この宇宙に存在している生命体は、みな、幸せだけを、欲しがっているのです。
あの当時は、あのような、幼いことしか、考えられなかったのです。
あの当時は、あのような、幼いことしか、話せなかったのです。
あの当時は、あのような、幼い行いしか、できなかったのです。
それは、まだ、原子核が、少なかったからです。
原子核が、少なければ、幼い考え、幼い話し、幼い行為しかできないのです。
それは、自分の責任ではありません。
幼さゆえの過ちですから、自分を責めてはなりません。
その当時は、その当時で、やれることを、精いっぱいやって、生きてきたのです。
でも、今のあなたは、違っております。
なぜなら、当時より、原子核が、増えているからです。
「時は、原子核なり」です。「一日の長」です。
人を成長させようと思っても、できませんが、時間は、人を成長させてくれます。
それが、解った人は、人を責めないし、自分も責めません。
今、私たちが、やるべきことは、今、やれることを、精いっぱい、やることです。
今、やれること・・・それは、社会体験と瞑想です。
2019.05.05
※ 私の小学生時代、一年間、休まず学校に通ったら、皆勤賞がもらえました。
一日、休んでも、精勤賞がもらえました。
あの当時のことですから、大したご褒美はもらえませんでしたが、鉛筆やノートなどを頂きました。でも、嬉しかったものです。
真面目に学んでいる人に、ご褒美が与えられるのは、当然ではありませんか。
真理も、同じです。
真面目に学んでいれば、必ず、ご褒美がいただけます。
それは、原子核が増えると言う、ご褒美です。
このご褒美は、本人が、与えるのです。
それは、原因と結果の法則が与える、と言う意味です。
学びの友の一人から、次のような手記を頂きましたので、ご紹介します。
「あの当時の私は、親にも、妻にも、子供にも、ひどいことをしていました。
また、人を憎み、世を憎み、自分に都合の悪いことは、すべて、人のせいにしていました。
また、欲望に負け、人として恥ずかしいこともしていました。
そんな、私でしたから、当然、苦しみがやってきました。
それでも、私は、目覚めなかったのです。
そんな、ある日、キツイ苦しみがやってきました。
そこで、「バチが当たった!」と思い、やっと、目覚めたのです。
自分を弁護するようですが、あの当時の私は、あのような生き方しかできなかったのです。
それは、真理を知らなかったからです。
だからと言って、「原因と結果の法則」から逃れられるものではありません。
私は、その代償を、苦しみで償ったのです。
これは、後で分かったことですが、あの苦しみは、目覚めに必要な警告だったのです。
欲望のままに生きていた当時、何度も警告を受けていたのですが、それが警告だと気づかなかったのです。
いいえ、薄々気づいていたのですが、改心する勇気がなく、警告を無視していたのです。
悲しいことですが、人は、我が身で苦しみを体験し、はじめて、改心するものなのです。私が、その良い証です。
真理を学んでいる今の私は、心穏やかです。
心の中に、昔のような曇天はありません。晴れ晴れしています。もう、何のわだかまりもありません。
真理に導いてくれた守護霊様、本当にありがとうございました!」
人は、誰でも、悪を犯し、痛い目に遭っているものです。
大切なのは、その痛い目から、何を学ぶかです。
学んで成長したら、悪は善になるのです。
黒石が白石になる、と言うことです。
2019.05.12
※「バチが当たった!」という思いの中には、二つの思いが込められています。
一つは、神の存在を認める思い、もう一つは、反省の思いです。
ですから、「バチが当たった!」と思える人は、結構、魂の熟した人なのです。
※ 求道者の最終目標は、欲望のコントロール・感情のコントロール・想念のコントロールが、できるようになることです。
欲望のコントロールは、大分、できるようになったと思いますが、感情のコントロールは、なかなか、できないと思います。
特に、家族間の情のコントロールは、難しいと思います。
親しい情の交わしあいが、情を深めてしまうからです。
薄情と思うかもしれませんが、外側のモノと、あまり、情を交わさないことです。
外側のモノは、無いからです。
学びの友の間においても、必要以上のつながりを持って、情を深めてはいけません。
できるだけ、淡白な、お付き合いをしてください。
宇宙は、一であり、無限です。ゆえに、一の中には、一のモノしか無いのです。
ですから、一の中の何を探し出しても、同じ、一のモノです。
宇宙が、二つ有るなら(有限なら)、他の宇宙の中に、別のモノがあるかも知れませんが、一つの宇宙しかないわけですから、あるのは、同じ、一のモノなのです。
だから、わざわざ遠くに探査機を飛ばして、石を持ち帰ることはないのです。
足元に転がっている石も、何億キロ先の小惑星の石も、同じ石なのですから・・・。
何でも、二つで一つです。
手の中に、裏と表が同居しているように、
明るさの中に、光と闇が同居しているように、
人間の中にも、神が同居しているのです。
このことが、心の底で解ったら、自分が、「一である」、「神である」と、自覚できるようになるのです。
どうか、色々な角度から、一に光を当て、一の正体を知ってください。
一の裏には、必ず、神がおられるのですから・・・。
学びの友の最大の課題は、このことを、いかに、心の深いところで知るかです。
2019.05.19
※ あなたのいない、一秒って、ありますか?
あなたのいない、一日って、ありますか?
あなたのいない、一年って、ありますか?
誰が、一秒を作ったのでしょうか?
誰が、一日を作ったのでしょうか?
誰が、一年を作ったのでしょうか?
あなたでは、ありませんか?
あなたが、いなかったら、一秒は、無いのですよ!
あなたが、いなかったら、一日は、無いのですよ!
あなたが、いなかったら、一年は、無いのですよ!
ならば、あなたは、何なのですか?
主観者では、ありませんか?
宇宙の主では、ありませんか?
すなわち・・神では、ありませんか?
想念したものは、どんな想念であっても、宇宙空間に青写真として残ります。
その青写真は、いつか、必ず、想念した人の所に、お荷物として帰ってきます。
病気も、事件・事故・災難も、想念した人の苦しいお荷物です。
でも、その苦しいお荷物は、悪想念が消えてゆく姿でもあるのです。
不幸というものは、元来、この宇宙には、無いのです。
人類の迷いの想念が、一時、生み出した、幻の不幸にしか過ぎないのです。
一時の幻ですから、放っておいたら、必ず、消えてゆくのです。
本当に有ると思って、手放さないから、いつまでもあるのです。
病気・事件・事故・災難は、すべて、悪い在庫品が掃けてゆく姿です。
今、あなたが、すべきことは、悪想念を持たないようにすることです。
悪想念を持たなければ、悪い在庫品を増やさないので、悪い在庫品は、無くなってゆくのです。
どうか、悪想念を持たないようにしてください。
悪想念を持たないためには、瞑想をすることです。
瞑想すること・・それが、幸せになる秘訣です。
2019.05.26
※ 肉体のことは、生命力(真我)に任せ、あなたは、瞑想をしましょう。
そうすれば、生命力が、肉体を健康にしてくれます。
肉体のことを、クヨクヨ考え、心配するから、病気になるのです。
※ 雑念に悩まされている人は、何か雑念が湧きそうになったら、「想わない! 想わない! 想わない!」と思ってください。
肉体の現象(痛み・痒み・痺れ・クシャミ・咳・辛さ・シンドさ・胸悪さ・息苦しさ、など)に、悩まされている人は、そのような現象が生まれそうになったら、「想わない! 想わない! 想わない!」と思ってください。
雑念も、現象も、消えてゆくはずです。
雑念や現象が消えたら、自分のマントラ(光・神・生命)を想い続けてください。瞑想してください。
※ 私たちが纏っている肉体は、確かに、汚く、か弱く、不自由かも知れません。
でも、その肉体がなくては、何も学べないのです。だから、肉体は、大切です。
人生の目的は、その肉体を使って、何を学び、何を残すかです。
上面だけを、見ないでください。上面の奥を、見てください。
どんな、モノにも、面の奥があるのです。
面の奥が無ければ、上面は、無いのです。二つで、一つなのです。
見えるモノの背後には、必ず、見えないモノがあるのです。
唯物論者は、そのことが、理解できないため、「肉体有る限りの人生だ!」と言うのです。
肉体有る限りの人生なら、人は、何のために、生きねばならないのでしょうか?
肉体有る限りの人生なら、例え、何を作っても、何を得ても、何を残しても、何を学んでも、残らないのですから、無意味です。
あなたは、「生まれてきたからには、死ぬわけにゆかないから、生きる!」と言うのですか?
そんな、無目的な人生に、何の意味があるのでしょうか?
生まれてきたからには、生まれてきた目的があるのではありませんか?
生きることによって、「何かが残るから!」、生まれてきたのではありませんか?
唯物論者は、思考の停止した死人です。自分の存在を否定している人です。
そんな、死人にならないでください。
どうか、奥の奥が見られる人になってください。
奥の奥が見られる人は、自分を殺すようなことは言いません。
2019.06.02
あなたは、今生、肉体を持つことによって、どれほど、辛い、苦しい、悲しい、体験をしたことでしょう。
あなたは、もう、「こんな肉体を持つのは懲り懲りだ!」と、思っているのではありませんか?
でも、肉体を持ったお蔭で、ここまで、成長してこられたのですから、今生、肉体を持って生まれてきたことは、大成功だったのです。
せっかく、肉体を持って生まれてきたのですから、もう少し、厭な体験をして帰ってください。
このように言うのは、厭な体験を、すれば、するほど、原子核を増やして帰れるからです。
だからと言って、わざわざ、厭なことを貰いに行きなさい、とは言っていません。
やってきたら、逃げないで、乗り越えてください!、と言っているのです。
どうか、厭なことがやってきても、成長のための体験だと思って、乗り越えてください。
乗り越えたら、あなたは、また一段、大きくなっているでしょう。
2019.06.09
※ 厭なことの、少ない人と、多い人との、どちらが、成長するでしょうか?
厭なことの多い人ですね!
だから、幼い魂は、厭なことを想って、厭なことを多く引き寄せ、厭なことを多く体験するのです。
大人になった魂は、あまり、厭なことを想わなくなりますから、厭な体験も少なくなるのです。
と言うことは、それだけ、瞑想しやすい環境が整うと言うことです。
※ 体を、こまめに、動かす人は、サタンに、やられづらいのです。
なぜなら、体を動かせば、宇宙エネルギーが、入ってくるからです。
どうか、こまめに、体を動かしてください。
動かせば、サタンに、やられないばかりか、原子核も、大きくできるのですから・・・。
あなたが、今、嫌な人に出会っているのも、今、厭な環境にいるのも、過去の自分の悪想念が引き寄せた結果です。
でも、その結果は、時間が、消してくれているのですから、嫌な人だと思わず、厭な環境だと思わず、「過去の自分の悪想念が、今、消えているのだから、良いことだ!」と、思ってください。
「嫌な人だ! 厭な環境だ!」と、思っているから、いつまでも、嫌な人も、厭な環境も、無くならないのです。
過去のことは、忘れてください。今の今、何を想うかが、大切なのです。
「嫌な人の中に・・厭な環境の中に・・」、光をイメージしてください。
そうすれば、嫌な人も、嫌でなくなるし、厭な環境も、厭な環境でなくなります。
あなたの見方が変われば、人も、環境も、変わるのです。
嫌な人も、厭な環境も、みな、ゆめ幻です。
そんな、ゆめ幻のために、自分の心を汚すことほど、損なことはありません。
さあ、どんなことも、良く受け取ってください。
「自分の成長のために、必要な人だ! 自分の成長のために、必要な環境だ! 自分の成長のために、必要で起きたことだ!」と・・・。
あなたが、すべきことは、今、やるべきことを、真心を込めてやること、そして、瞑想をすることです。
この二つのことを、やっていれば、間違いなく、あなたは、成長します。
2019.06.16
※ 病気を作っているのは、自分の想念です。
過去に抱いた悪想念が、今の病気にしているのです。
病気から抜け出す方法は、病気に、エネルギーを与えないことです。
難しいかも知れませんが、痛みや苦しみが来たら、「今、病気が、消えている! 消えている! 消えている! 良いことだ! 良いことだ! 良いことだ!」と、思ってください。
そうすれば、ネガティブなエネルギーを与えないので、病気は、快方に向かうのです。
病気のことは、考えないことです。そのためには、瞑想することです。
※ 宇宙に書いた絵や文字は、相手にしなければ、刻々と消えて無くなるのです。
ですから、悪い事が起きても、あまり、動揺しないこと・・あまり、心配しないこと・・難しいかも知れませんが、相手にしないことです。
相手にしなければ、エネルギーを与えないので、悪いことは、起きなくなります。
人、それぞれ、世界観を持っています。
同じ世界観を持っている人は、一人もいません。
なぜなら、理解力によって、世界観が違ってしまうからです。
と言うことは、世界は、外側にあるのではなく、人、それぞれ、理解した思いの中にあることになるでしょう。
世界観には、見方によって、客観的世界観と主観的世界観があります。
客観的世界観で見た場合、その世界には、波動の違う世界が、無数に存在し、そこに、沢山の、人や、物が、存在することになります。
ですから、客観的な見方をしている人には、人や、物や、環境が、実際に存在することになるので、どうしても、争いごとが起きるのです。
しかし、主観的世界観で見た場合、その世界に存在するものは、すべて、自分の進化成長に、都合の良いものばかりになります。
なぜなら、自分の進化成長に、必要な、物・人・環境を、自分が用意するからです。
勿論、そこで、起きたことは、みな、自分が起こさせたことです。
外側に、世界があるように見えますが、それは、誤解なのです。
なぜなら、自分しか存在しないからです。
客観的世界があると思っている人は、自分の想念で、客観的世界を作ってしまうのです。
その客観的世界は、もともと、あったのではなく、今の自分の理解力が作った、自分独自の世界なのです。
客観的世界観を持っている人も、理解力が増せば、今、見て、感じている、世界は、消えて、新たな世界が、見えてくるようになります。
それも、理解力が増した分の、高度な世界が見えてくるようになります。
そうなると、昔の客観的世界観は、幼稚になってしまうのです。
このように、世界は、外側にあるのではなく、自分の理解力が、内側に、世界を創るのです。
このことは、自覚の境界線を超えなくては、解らないかも知れませんが、世界とは、そういうものである、と言うことだけ、知っておいてください。
2019.06.23
※ ある学びの友の気づきをご紹介しましょう。
『人間は、嫌な形をしているから、ゴキブリを殺します。
と言うことは、人間は、神を殺しているって言うこと・・・?
虫の知らせとは、神のお告げみたいな意味ですよね。
だから、ゴキブリの虫(真我)さんは、「この汚い所を掃除しなさい!」とお告げをしてくれているのですね・・・。
人間は、真我の思いが分からないから、代わりに、ゴキブリさんが、気づかせるしかない! てことですね。
形の、キレイなもの、キタナイもの、全て、真我の思いの現れだったのですね!・・・なんと凄い仕組みでしょう!!
地球上の表現物が、これほどまでに歪曲して表現されねばならない理由は、地球人類の魂が、未熟で、過ちに気づけないからなのですね!
見るからに嫌な形のゴキブリを見せることで、掃除させる・・・歪曲したやり方だけど、未熟な魂には、そう言う方法でしか、気づかせることができないのですね! 納得です!!』
「どうして、相手がいるのですか?」・・・。
それは、自分がいるからでは、ありませんか?
あなたは、どうして、自分がいると思えるのですか?
それは、自分がいるからでは、ありませんか?
自分がいなかったら、自分が認められないので、自分はいないのです。
自分が、自分を認め、自分を存在させている、と言うことです。
と言うことは、自分の中に、二人の自分がいることになるでしょう。
そうです。あなたの中には、二人の自分がいるのです。
では、二人の自分とは、どのような、自分なのでしょうか?
真我の自分がいなかったら、自我の自分はいません、
また、自我の自分がいなかったら、真我の自分もいません。
真我の自分が、自我の自分を創り、自我の自分が、真我の自分を認め、真我の自分を存在させているのです。
自我の自分と真我の自分は、相身互いの関係にある、と言うことです。
しかし、実際に存在しているのは、原因者である、真我の自分の方です。
真我は、実在しますが、自我は、真我が創った、幻の自分にしか過ぎないのです。
だからと言って、自我を軽んじてはなりません。
自我は、幻の自分ではありますが、自我が、真我を認めて、真我を存在させているのですから、自我と真我は、同等の価値があるのです。
どうか・・
自我を、大切にしてください。
肉体を、大切にしてください。
家族を、大切にしてください。
社会を、大切にしてください。
地球を、大切にしてください。
表現宇宙を、大切にしてください。
2019.06.30
※ 友達のAさんは、あなたが、認めているから、存在しているのです。
あなたが、いなかったら、Aさんは、認められないのですから、Aさんは、存在しないのです。
また、Aさんから見たら、Aさんが、あなたを認めているから、あなたは、存在しているのです。
もし、Aさんが、いなかったら、あなたは、認められないのですから、あなたは、存在しないのです。
この宇宙には、一様の自分(真我の自分)しか、存在しません。
でも、一様の自分では、自分が存在できないので、分身を創って、自分が、自分を認め合っているのです。
真の求道者とは、人生を賭して、「本当の自分に目覚めたい!」と、思っている人のことです。
そのような人は、外側のものを頼ろうとせず、自分の理解力を頼りにします。
真理の扉は、理解力によってのみ、開かれるのです。
理解力が高まれば、先見の明がつき、判断力が高まるため、視野が広がります。
視野が広がれば、色々な気付きが生まれます。
その気付きは、自分の意識の中から生まれるヒラメキで、これは、天から降りてくるのです。
外から教わるのは、外側の幻のことだけです。
内から教わるのは、内側の真実(真理)のことです。
どうか、理解力を高め、内側から真理を得てください。
その理解力を高めるのは、自力による、社会体験と瞑想です。
どうか、2つのことをやって、理解力を高めてください。
2019.07.07
※ 気付きや、ヒラメキは、原子核を増やしたら与えられる、ご褒美です。
原子核を増やすのは、自力です。
理解力を高めたかったら・・、 気付きが欲しかったら・・ 、
どうか、自力で、原子核を増やしてください。
神様は、時空の中に、素晴らしい絵(表現宇宙)を描かれましたが、その絵は、神様の満足心から生まれた絵でした。
私たちも、神様を見習い、自己満足心で、人生を描きたいものです。
神様が描かれた絵は、美術品です。
人間が描いた絵は、芸術品です。
神様は、自己満足度100% の絵を描かれたのです。
誰の目も気にしない! 何の囚われも拘りもない!、 ただ、自分が「納得する・・ 満足する・・」絵を描かれたのです。だから、美術品なのです。
人間が描いた絵には、色々な汚れが入っています。
例えば、
だから、人間が描いた絵は、波動の低い、芸術作品になるのです。
真の美術品は、自己満足度100% から生まれるのです。
職人バカと言う言葉がありますが、真の職人さんは、金儲けしたい、と言う思いも、名を上げたい、と言う思いも、ありません。
ただ、自分が満足する絵が出来上がるまで、作り続けるのです。
彼らは、自己満足度100% の絵を描きたいのです。
でも、最近は、そういう職人さんは、少なくなりました。
殆どの職人さんは、色々な汚れの入った絵を描いています。
特に、お金が絡む、資本主義社会においては、自己満足度の純度は、落ちる一方です。
私は、美芸に携わっている人にも、一般の人にも、言いたいのです。
本当に良い作品(人生)を作りたいなら、神様のような、自己満足度100% で作ってくださいと・・・。
このように言うのは、自分が、主観者だからです。
この宇宙には、自分しかいないのです。
だから、自分が満足する絵を描いたら良いのです。
雑音を出す、外側の人たちは、幻ですから、何を言われようと、気にしないことです。
ただし、どんなに、自己満足する絵(人生)を描いたら良い、と言っても、人が嫌がるような絵(人に迷惑をかける人生)を、描いてはなりません。
自己満足する絵(人生)を、描くにも、条件があるのです。
神様が描かれた、自己満足100%の絵は、この三つを満たしている絵ですから、素晴らしい、作品になっているのです。
私たちも、この三つを守って、絵(人生)を描いたら、素晴らしい絵(人生)が出来上がることでしょう。
2019.07.14
※ 神様と同じように、私たちも、自己満足度100%の生き方をしたら良いのです。
人の目を気にせず、明るく、楽しく、生きれば、人とのトラブルも、事故、災難、病気、なども 、一切、起きなくなります。
自己満足度100%の状態は、光100%の状態ですから、光のあるところに、不幸は、入ってこられないのです。
自己満足の絵では、自分は喜ばせられても、人を喜ばすことができない、と思うかも知れませんが、人の目を気にして作った絵より、返って、人を喜ばせることができるのです。
何一つ欲の入っていない、純度100%の絵は、自己満足度100%の神様の絵と同じですから、素晴らしい波動の絵になるのです。
つまり、自己満足度100%の楽しい生き方をしたら、周りの人たちも、喜ばせることができるのです。
※ どんなに、真理を学んでいる者同士でも、自覚の境界線を超えるまでは、時には、トラブルを、起こすことがあるのです。
でも、一般人と違う点は、そのトラブルを、成長につなげている点です。
ある学びの友が、言っていました。
「あのトラブルのおかげで、色々な気付きが得られ、成長することができました。だから、今は、相手に感謝していますと・・・。」
また、こうも、言っていました。
「私が成長するくらいだから、相手の学びの友も、成長しているはずだと・・・。」
神様は、何と素晴らしい仕組みを、お創りになられたことでしょう。
どんな、悪い事も、すべて、成長につなげてくれている、この有り難さ! 感謝あるのみです。
私たちは、波動の高い天におりました。
そこでは、波動の高いものは、体験できても、波動の低いものは、体験できません。
それでは、真の幸せが味わえないので、私たちは、波動の低い体験をするために、わざわざ、記憶を失い、地上界に降りてきたのです。
記憶を失った状態は、自我の無い状態です。
これでは、何も認められないので、地上界に降りてきた意味がありません。
ですから、自我を持つために、鉱物から植物へ、植物から動物へ、動物から人類へと、進化のプロセスを踏んだのです。
私たちの中に、鉱物・植物・動物の習性が残っているのは、そのような、進化のプロセスを踏んできたからです。
特に、動物時代の習性は、色濃く残っています。
未熟な魂が、物欲や性欲に溺れるのは、動物時代の習性が、強く残っているからです。
これを、私は、第1段階の動物人間の習性と言っています。
その魂も、人間社会で揉まれるうちに、第二段階の人間的習性を身に付けるようになります。
つまり、物欲・金欲・地位や名誉欲・権勢欲・自己顕示欲などの人間的欲望を持つのです。
今の地球人類の多くは、動物の習性と人間の習性を併せ持った、動物人間の状態なのです。
でも、この状態は、決して、悪いことではありません。
私たちの目的は、あくまでも、霊性の進化を遂げるためですから、波動の低い人間体験を、数多くすることは、必要なのです。
ですから、V字の左側の時代は、人間的欲望に溺れて、様々な苦しみを体験するのです。
苦しい体験をするうちに、人間的欲望の虚しさを知ります。
知った魂は、V字の右側に入ってきます。
V字の右側に入ってきた魂は、霊性の進化を遂げる方向へ、自然と舵を切るようになります。
つまり、人間的欲望から、自然と離れるようになるのです。
学びの友の皆さんが、あまり、欲望を持たなくなったのは、それだけ、霊性の進化が進んだからです。
欲望を強く持つか持たないかは、霊性の進化のバロメーターだと思ってください。
霊性の進化を目指している者に、地位や、名誉や、権力などは、不要です。
お金も、物も、必要最低限あれば良いのです。
2019.07.21
※ 物質の世界は、汚いです。醜いです。鈍重です。不自由です。
霊の世界は、綺麗です。美しいです。精妙です。自由です。
私たちは、物質人間ではないのです。霊です。
もう、そろそろ、霊の自分に戻りましょう。
※ 私たちは、すでに、肉体と言う、動物を飼っているのです。
その上、まだ、他の動物を飼うつもりですか?
私たちは、一日も早く、動物から卒業し、霊性の進化を遂げねばならないのです。
※ 鉱物や、植物や、動物たちは、何も悪いことをしていないのに、人間に、虐待され、苦しんでいます。
何も原因を作っていないのに、彼らは、どうして、痛い目や、苦しい目に、遭うのでしょうか?
原因と結果の法則は、彼らには、働かないのでしょうか?
※ 今の地球人類は、動物と同じ営みをしています。
食べて出す・・セックスする・・眠る・・すべて、動物的習性です。
私たちは、一日も早く、霊性の進化を遂げ、動物的習性から抜け出さねばならないのです。
※ 私の言ったことを、鵜呑してはなりません。
私は、その時の状況に応じて、反対のことを言うこともあるのですから・・・。
この宇宙には、ホンモノらしき顔をしているニセモノと、ニセモノらしき顔をしているホンモノが存在します。
つまり、見えるニセモノと、見えないホンモノが、存在するのです。
では、本当に実在するのは、見えるモノでしょうか? 見えないモノでしょうか?
この宇宙は、対になっております。二つで一つなのです。
二つで一つですが、どちらかが、ホンモノで、どちらかが、ニセモノなのです。
ニセモノは、実際に無い、現実です。
ホンモノは、実際に有る、真実です。
ニセモノの現実は、見えるのです。ホンモノの真実は、見えないのです。
つまり、「見える・聞こえる・触れる・味わえる・臭えるモノ」は、すべて、幻なのです。
なぜなら、肉体に付属する、五感そのものが、幻だからです。
幻の五感で、幻を見聞きしても、それは、幻にしか過ぎないのです。
もし、五感にかかるモノが、永遠に無くならないなら、私は、五感にかかるモノを追い求めなさいと言います。
でも、五感にかかるモノは、一時、存在しているだけで、いつか、必ず、無くなってしまうのです。
無くなるモノを追いかけ、心が満足するはずがありません。
真実(真理)とは、何でしょうか?
現実(非真理)とは、何でしょうか?
真実とは、永遠に無くならないモノ、現実とは、必ず、無くなってしまうモノです。
何千億年・何兆億年存在しようと、無くなるモノは、真実ではないのです。
宇宙の無限時間での一兆億年など、一瞬です。
ましてや、私たちの住んでいる地球は、どんなに長く存在しても、数百億年程度です。
その地球における、人類の文明も、せいぜい、数万年、維持できれば良い方です。
更に、今の地球人類の寿命は、どんなに維持できても、百数十年程度です。
その百数十年程度の命を守ろうとして、競い、闘い、奪い、戦争までしているのが、地球人類なのです。
それは、真実と現実の見分けが、できていないからです。
この表現宇宙は、幻です。
この世の現象は、すべて、幻なのです。
幻の世界で起きていることは、すべて、幻なのです。
私たちは、生まれて、死ぬまで、いや、死んだ後も、幻の中で生きて行くのです。
そして、また、幻の中に生まれ、幻の中で生き、幻の世界に帰って行くのです。
あなたは、こんな、幻の輪廻を、いつまで、繰り返すつもりですか?
幻の中で味わう幸せは、一時です。必ず、色褪せ無くなってしまいます。
あなたは、そんな、一時の幸せで、満足できますか?
永遠の私たちは、永遠の幸せを掴まなくては、満足できないはずです。
その永遠の幸せは、真実を知れば、得られるのです。
どうか、真実を知ってください。
そうすれば、幻の輪廻から抜け出し、「永遠に尽きない! 永遠に色褪せない!」幸せを、掴むことができるのですから・・・。
私たち、そのものが、永遠に無くならない「意識」なのです。
ただ、その自覚がないだけです。
どうか、真実と現実を見分ける目を持ってください。
2019.07.28
※ 二兎追うものは、一兎も得ず・・、虻蜂取らず・・、
この二つの諺を持ち出すまでもなく、二つのものを追いかけては、一つも得ることはできません。
ですから、まずは、形の世界の様子を、知りましょう。
その後、見えない世界の様子を、知れば良いのです。
「鉄は熱いうちに打て!」と言う諺がありますが、この諺には、2つの意味があります。
輪廻転生において、「男・女・男・女・男・女」と、交互に、性別を変えて生まれてくるのは、熱いうちに鉄を打った方が、効果が大きいからです。
私たちは、なぜ、こんな体験をさせられるのだろうか? と疑問に思うことがあるかも知れませんが、みな、前生の反対の体験をさせられているのです。
例えば・・、
勿論、良いことも、同じです。
この反対の体験は、記憶が薄れてからでは、効果が薄いので、記憶の濃い、次生でなされることが多いのです。
人を、責めたり、なじったり、してはなりません。
私たちは、国を変え、性別を変え、立場を変えながら、転生を繰り返してゆくのですから、今の立場が優位だからと言って、人を、責めたり、なじったりしたら、必ず、来生、逆の立場に立たされます。
どうか、立場が優位であればあるほど、自分を戒めてください。
2019.08.04
※ 人間は、過去に、こだわり過ぎます。
過去は、閉ざされたページです。
「過去を清算せよ!」という国がありますが、過去を、どう清算せよと言うのでしょうか?
お金で清算することを、清算と言うなら、ただ、お金が欲しいだけではありませんか?
戦争した人たちは、もう、とっくに、死んでいないのです。
どうして、戦争もしていない子孫が、責任を負う必要があるでしょうか?
精算できる過去など、あるわけがないのです。
もし、あるとすれば、今、仲良くすることです。
そうすれば、戦争で犠牲になった人達も、きっと、報われるでしょう。
いつまでも、いがみ合っていては、亡くなった人達は、浮かばれません。
事実・・彼らは、仲良くして欲しいと、口々に言っています。
向こうへ帰ったら、波動が高くなるので、寛容な心が持てるようになるのです。
彼らに報いるのは、靖国神社に、お参りすることでも、慰霊碑に、花束を捧げることでもありません。
お互い、仲良くすることが、彼らに報いることになるのです。
※ 国の威信?・面子?・プライド?・・それって、何ですか?
単なる自己満足では、ありませんか?
そのために、戦争までする。こんなことをしているのは、幼い地球人類だけです。
もう、そろそろ、大人になって良いころです。
※「辱めを受けた! 自尊心を傷つけられた!」
争わないですむなら・・、皆が幸せになるなら・・、
私は、「人の股をくぐります! 人の足をなめます!」。
この世は、幻なのですよ。
肉体は、幻なのですよ。
神の心は、あっても、人の心など、無いのです。
傷つけられる人も無ければ、傷つけられる心も無いのです。
外側のモノは、
どんなに、美しく見えても、
どんなに、醜く見えても、
どんなに、楽しく見えても、
どんなに、苦しく見えても、
どんなに、心地良く感じても、
どんなに、痛く感じても、
現象ですから、みな、幻です。
でも、その幻によって、心がダメージを受ければ、みな、真実になるのです。
柳の木を、幽霊と見間違えて、心臓がドキッとした時、柳の木は、真実になるのです。
木の切り株を、クマと見間違えて、心臓がドキッとした時、木の切り株は、真実になるのです。
このように、現象であっても、心がダメージを受けた時、現象は、真実になるのです。
私たちは、五感を持っているため、どうしても、外側の現象の影響を受けてしまうのです。
でも、これは、決して、悪いことではないのです。
なぜなら、外側の現象のお蔭で、進化成長できるからです。
現象を軽んじてはならない、と言うのは、外側の物が、内側のモノ(魂・心)を、進化成長させるからです。
現象だからと言って、病気を軽んじないでください!。
必要なら、病院に行き、薬も飲み、手術も受けることです。
特に、重い外傷は、外科的治療は、必要です。
私は、真理をやっているから、医者にかからないと言う人は、真理を、生半可に、かじった人です。
どうか、「現象と真実」は、同等の重みがあることを、知ってください。
2019.08.11
※ 確かに、現象を軽んじてはなりませんが、現象に惑わされ過ぎてもなりません。
特に、ここまで、魂の大きくなった皆さんは、現象など、笑い飛ばしてしまいなさい。
何せ、私たちは、外側の影響を受けない、神なのですから・・。
「自分は、神である!」と、心の深いところで想えたら、病気などは、もう、他人事です。
神の世界に、病気など、無いからです。
あなたは、無限の生命力を持った、神なのですよ!
ですから、病気になど、絶対ならないのです。
※ 悪い想いは、持たないことです。
想念は、実現の母ですから、悪い想いを持ったら、悪いことが実現するのです。
いつも、良い想いを持ってください。
良い想いの一番は、神(あなたのマントラ)です。
良い想いを持っている時は、悪い想いは持てません。
良い人生にする秘訣は、常に、神を想い続けることです。
「私は意識です!」・・と、堂々と言えるのは、今、私と思えている意識を持っているからです。
でも、意識は、見えませんから、私の意識の正体が解らないのです。
一体、私の意識は、何処から来ているのでしょうか?
私の意識は、何なのでしょうか?
一体、私は、誰なのでしょうか?
解りません?
私が、解らない?
私が、解らない?
私が、解らない?
解らない尽くめの私です。でも、それで良いのです。
もし、私が解ったら、私(自分)が消えてしまうからです。
私たちは、永遠に解らない、私(自分)と一緒に、永遠に生きてゆくのです。
2019.08.18
※ 続けることの大切さを知らない人は、真理を知らない人です。
※ 神の別名は、「不明」です。 神は、不明なのです。
不明なモノに、「神」と、名付けただけです。
ならば、不明な私の意識は、神ではないでしょうか?
そうです。不明な私の意識は、「不明な神」なのです。
※ 神を深く知ると、もう・・神に降参するしかありません。
なぜなら、神に逆らっても、勝てないことが分かるからです。
まさに、「バンザイです!」、 「お手上げです!」、 白旗を揚げるしかありません。
神を知らない人は、痛い、苦しい、と言いながら、神に、手向っています。
手向かえば、手向かうほど、苦しくなると言うのに、・・・です。
でも、魂(原子核)が成熟するまでは、仕方のないことかも知れません。
サタンは、まだ、幼いから、悪さをしていることが、自分たちの居場所を少なくしていることに、気づかないのです。
闇が、濃くなれば、なるほど、光は、強くなるのです。
つまり、サタンが、悪さをすれば、するほど、私たちは、強くなるのです。
だから、サタンは、味方だと言うのです。
神が創られた完全な宇宙に、悪が悪で終わることは、無いのです。
もし、悪が悪で終わるなら、神は、完全でなくなってしまいます。
悪いことの背後には、必ず、良いことが連なっているのです。
サタンが、このことを知ったら、サタンは、悪さをしなくなるでしょう。
でも、幼いサタンは、このことを知りませんので、悪さをして、自分たちの居場所を増やそうとしているのです。
悪さをすれば、するほど、自分たちの居場所が、少なくなると言うのに・・・です。
サタンが、生き残りたいなら、大人しくしていることです。
そうすれば、居場所は、少なくなっても、生き残れるでしょう。
でも、このことは、サタンに内緒にしておいてください。
サタンが、このことを知って、悪さをしなくなったら、私たちは、強くなれないのですから・・・。
悪を恐れないでください! サタンを恐れないでください!
どんな、悪いことも、成長につながっている、と思ってください!
私たちが、今日、ここまで、成長してこられたのは、サタンの悪さのお陰なのですから・・・。
2019.08.25
※ 求道者の玄人と素人の見分け方
世の中には、無名な時は、良い成績を残しますが、名前が知れるにしたがい、段々と成績を落とす、アスリートがおります。
これは、エネルギーロスが、多くなったからです。
エネルギーロスは、意識を外側に向けた時に起きるのです。
例えば、
このように、意識を外側に向けると、エネルギーロスを起こすため、良い成績が残せなくなるのです。
意識は、「エネルギーであり、光なのです。」
この表現世界は、エネルギー(光)が、強ければ、良いことが起き、弱ければ、悪いことが起きるようになっているのです。
先が見え、勝ったと思った瞬間、逆転されるのは、未来に(外側に)意識を向け、エネルギーロスを起こしたからです。
これは、学びについても、言えることです。
未来のことを、クヨクヨ考える人がおりますが、明日があるか、どうか、分からないのですよ!
あるか、どうか、分からない、明日のために、エネルギーを使う、こんな、大損ありません。
「明日」あるか、どうかの保証は、誰にもないのです。
でも、「今」の保証は、確実にあるのです。
確実に保証されている、「今」のために、エネルギーを使いましょう。
今だけが、実在です。今だけが、あるのです。今だけに、生きられるのです。
と言うことは、今だけしか、学べないと言うことです。
明日、学べる保証はないのです。
なぜなら、明日、地球が無くなるかも知れないからです。
明日、肉体が無くなるかも知れないからです。
どうか、確実に保証されている、今に生きてください。
2019.09.01
※「求めよさらば与えられん!」・・これは、真理です。
※ この世のことを色々と、考えることも、境界線を超えたいと、考えることも、外側に意識を向けることになるので、エネルギーロスを起こします。
瞑想する時は、何も考えず、ただ、ただ、神(マントラ)に、想い (エネルギー) を集中させることです。
皆さんの今日までの人生ドラマは、自分が筋書を書き、自分が演出をし、自分が監督をし、自分自身が演じてきたのです。
この学びの場に来る筋書きを書いたのも、皆さん自身です。
だから、皆さんは、名作家であり、名演出家であり、名監督であり、名演技者であると言うのです。
自作自演の人生ドラマです。
そのドラマの内容は、みな、進化成長に結びついているのです。
だから、苦しい人生だったからと言って、失敗だと思わないでください。
失敗どころか、大成功です。
なぜなら、苦しい人生が、今のあなたにしたからです。
2019.09.08
※ 人生は、夢幻です。
あなたは、今、 夢幻の中で、「泣き笑いしながら・・それも、必死になって・・」生きているのです。
でも、その夢幻の人生が、あなたを、成長させてくれるのです。
※ あなたが、生まれてきたのは、結婚するためでも!、子供を設けるためでも!、金持ちになるためでも!、名を挙げるためでも!、ありません。
本当の自分を知るために、生まれてきたのです。
どんなに、この世の宝物を得ても、この世限りです。
でも、自分を知った宝物は、永遠なのです。
究極の学びは、想念を正しく使えるようになることです。
想念を正しく使えば、「究極の幸せ」の中に、入ることができるからです。
世界が、何かが、誰かが、「究極の幸せ」の中に、連れて行ってくれるのではないのです。
自分の想念が、「究極の幸せ」の中に、連れて行ってくれるのです。
表現されたモノは、みな、幻なのです。
そんな、幻が、究極の幸せの中に、連れて行ってくれるわけがありません。
究極の幸せの中に、連れて行ってくれるのは、自分の想念だけです。
やることは、単純です。ただ、ポジティブな想いを持てば良いだけです。
つまり、
明るい想いを持つこと・・、
前向きな想いを持つこと・・、
建設的な想いを持つこと・・、
肯定的な想いを持つこと・・、です。
一番、良い想いは、神を想うことです。
宇宙のどんな生命体も、究極の幸せを、欲しているのです。
だから、彼らは、常に、良い想いを持つよう、心掛けているのです。
2019.09.15
※ 私たちが、やるべきことは、簡単です。単純です。
難しいことは、何一つ、ありません。
ただ、動くだけです。ただ、想う(瞑想)だけです。
やれば、間違いなく、自覚の境界線に、近づくことができます。
どうして、言葉が、必要なのでしょうか?
どうして、名前が、必要なのでしょうか?
どうして、文字や絵が、必要なのでしょうか?
それは、「何か」が有ると、認識しただけでは、有ることにならないからです。
なぜなら、認識した「何か」に、何の具体性もないからです。
認識した「何か」に、具体性を持たせて、はじめて、「何か」が有ることになるのです。
具体性を持たせるためには、言葉や、名前や、文字や絵が、必要なのです。
例えば、「何か」を認識したとしましょう。
この状態では、具体性がないので、その「何か」は、存在していません。
その認識した「何か」を「丸い星」だと「思った」としましょう。
しかし、思っただけでは、具体性がないので、その「丸い星」は、まだ、存在していません。
「丸い星」と言葉にしたら、具体性ができたので、その「丸い星」は、存在することになります。
更に、「丸い星」と、名を付けたら、なお、具体性ができたので、存在感が増します。
更に、「丸い星」を、文字や絵にしたら、更に、更に、具体性ができたので、益々、存在感が増すのです。
この表現世界は、波動が荒い世界なので、「思い」だけでは、相手に伝わらないのです。
「思い」を、相手に伝えるためには、具体性の有る「言葉(名前)や、文字や絵」にする必要があるのです。
2019.09.22
※ 言葉と名前は、同じです。
例えば、「丸い星」と言葉にしたとしましょう。
その「丸い星」と言う言葉は、すでに、名前なのです。
名前は、具体性を持った言葉であり、言葉は、具体性を持った名前なのです。
その意味では、名前を付けた途端に、言葉が生まれたと言ってもいいし、言葉が生まれた途端に、名前が生まれたと言ってもいいのです。
※ この表現宇宙には、「音」が存在しますが、「音」は、「響き」であり、「波動」なのです。
その音(響き・波動)は、言葉であり、名前なのです。
「ア・イ・ウ・エ・オ」の音(響き・波動)そのものが、言葉であり、名前になっているのです。
「認識・思い」は、音になっていませんので、言葉にも、名前にも、なっていません。
それでは、その「認識・思い」は、存在していないことになるのです。
認識(思い)を、言葉(音・響き・波動)にして、はじめて、認識(思い)が存在したことになるのです。
※ 意識の世界で使われている、テレパシーは、想いの籠もった言葉です。
ですから、寸分も狂わず、自分の想いが相手に伝わるのです。
意識の世界に、言葉が要らない理由は、テレパシー(想い)そのものが、「言葉(音・響き・波動・名前)」になっているからです。
※「ここに、何かが有る! あそこに、何かが有る!」と言う認識だけでは、その何かは、存在していないのです。
その何かに、名前をつけ(言葉や文字に表現して)、はじめて、何かが存在していることになるのです。
名のない何かは、存在していないのと同じなのです。だから、どうしても、名前が必要なのです。
※ 名前が持つ使命は、他のモノと区別するためと、そのモノの役割や目的を知るためです。
例えば、鉱物の名だけでは、漠然としていて分かりませんが、「石」とか、「銅」とか、「鉄」とか、名前を付ければ、分かります。
更に、「鉄」を加工したモノに、ナイフだとか、鍋だとか、スプーンだとか、名前を付ければ、そのモノの役割や使命が、はっきりと分かります。
※ 神が人類になったのですから、「神の名」を「人類の名」に置き換えたら良いのです。
「神の名」 イコール 「人類の名」なのです。
人類と言う、名前(言葉)は、人類が、神であることを教えてくれる、名前なのです。
この物質世界は、片方は、満足させられても、もう片方は、満足させられない、世界なのです。
なぜなら、同一空間に、2つの物が同居できない、世界だからです。
ここに、一軒の家があったとしましょう。
その家に、二人の人がやってきて、住もうとしました。
でも、小さな家なので、二人は住めません。
そこで、家の奪い合いになりました。
力のない者は、負けて、寒空に追い出され、力のある者は、勝って、家でぬくぬく過ごすことができました。
それが、この物質の世界なのです。
でも、そのような世界だから、成長できるのですから、有り難い世界なのです。
良いものばかりある世界なら、私たちは、ひ弱に育ってしまうでしょう。
神の完全性は・・悪が善に結びついており、不完全が完全に結びついており、不幸が幸せに結びついており、苦しみが進化成長に結びついているからです。
2019.09.29
※ ある政治家は、万民に良いと思って、ある政策を実施しました。
でも、その政策を実施したために、都合の悪い人たちが出てきました。
しかし、反対に、旧来の政策で苦しんでいた人たちは、都合が良くなったと、喜んでいます。
万民に良い政策など、この世にはないのです。
でも、それで良いのです。
なぜなら、万民に良い政策なら、進化成長できないからです。
この世界で、うかつに、良し悪しを口にできないのは、都合の良い人と都合の悪い人がいるからです。
※ この世に、完全な人などいないのです。
誰でも、心で、悪を犯し、罪を作っているのです。
ですから、悪を犯しているからと言って、人を責めてはなりません。
誰も、人を責める資格など、無いのです。
私たちは、毎日、人の死を、見せられています。
また、状況が、刻々、変わってゆくのも、見せられています。
にもかかわらず、全員が全員、四苦八苦して生きています。
それは、この世が、本当に有ると思っているからです。
「人が死んだり、状況が変わったりするのは、この世が、幻である、証拠なのです。」
本当に有る世界なら、人が死ぬことも無いし、状況が変わることも無いからです。
でも、殆どの人が、そのことに、気付いていないのです。
この世が、幻の世界なら、五十歩百歩の生き方をしたら、良いのではありませんか?
どんなに、苦労して、お金を集めても、みな、置いて帰らねばならないのですからね。
このように、言うのは、皆さんが、熟した魂だからです。
幼い魂は、四苦八苦して、魂を大きくすることが必要ですが、皆さんのような、熟した魂は、そこを、卒業したのですから、もう、四苦八苦して生きる必要はないのです。
だから、いい加減に生きなさい! と言っているわけではありません。
何事も、真心を込めて、やってください。
真心を込めてやれば、原子核を増やすことができるのですから・・・。
2019.10.06
※ 皆さんは、「名作家であり、名演出者であり、名監督であり、名演技者です。」
名ぜですか?(なぜですか?)と言う、問題を出しました。
答えを教えましょう!
皆さんは、「自分の魂を大きくする」筋書きを、自分で書き、自分で演出をし、自分で監督をし、自分で演技して、ここまで、成長してきた、求道者です。
だから、頭に「名」と付けたのです。
※ 神は、人類に、すべてのモノに、「名」を付けさせました。
なぜ、「名」を付けさせたかと言いますと、「名」付けられたモノが、すべて、神であることを、知ってもらいたいためです。
しかし、人類は、「名」付けた「名」に惑わされ、神が、不明になってしまったのです。
私たちは、「名」を遡って、神を知らなければならないのです。
人を裁き罰する権利は、国が持っているのでしょうか?、裁判官が持っているのでしょうか? いいえ、自分が持っているのです。
なぜなら、自分の中に、自分を裁き、自分を罰する法則が存在するからです。
人が人を裁くことは、できません。
なぜなら、人は、間違いを犯すからです。
でも、自分の中にある法則は、絶対、間違いを犯すことはありません。
寸分も狂わぬ、裁きと罰を与えます。それも、公平な裁きと公平な罰です。
確かに、寸分の狂いもない法則ではありますが、国の法律に、恩赦があるように、法則にも、恩赦はあるのです。
それは、心から反省した者に与えられる恩赦です。
「二度と罪を犯さない!」と、固く心に誓った途端、自分が、自分に、恩赦を与えるのです。
でも、罪が許されるわけではありません。
苦しみや、悲しみを、何回かに分けて緩和する、恩情の恩赦であり、
苦しみや、悲しみを、別な形に変えて与える、恩情の恩赦です。
でも、恩赦を当てにしなくても、痛みや苦しみと言う形で、刻々と、罪は消されているのです。
痛みや苦しみは、業が消えている姿なのです。
ですから、痛みや苦しみが、やってきたら、「ああ! 今、業が消えているのだ! 有り難いことだ!」と思ってください。
そこで、心配や、悩みや、怒りなどを持つから、また、新たな業を作ってしまうのです。
過去世で作った業の記憶がありませんから、どうして、自分は、こんなに、苦しまねばならないのだと、思うかも知れませんが、「原因と結果の法則」は、絶対、間違いを犯すことはありません。
あなたは、過去、白板に、悪い文字を書いたのです。
その書いた文字は、苦しみとして、降りてくるのです。
ですから、甘んじて、苦しみを受け取るしかないのです。
でも、良く受け取ってください。
この苦しみを乗り越えることで、自分は、大きく成長できるのだと・・・。
実際に、あなたは、成長しているのですから・・・。
苦しんだ者は、必ず、成長します。
今、解らなくても、いつか、分かる時が来ます。
2019.10.13
※ 真心を持って当たる!
※ 今、自分がやれることを、精一杯やる!
※ どこまでも、神を信じる!
※ この世は、学びの場である!
※ この世は、消えてなくなる、無常の世である!
だから・・命をかけるほど、価値のある世界ではない!
※ 山より、大きな、クマは出てこない!
「身・口・意を正しく使いなさい!」と、覚者が、クドいほど言うのは、見える表現世界で、学んでおかなくては、意識の世界へ帰って、苦労するからです。
「意」は、見えませんが、「身と口」は、見えるのです。
つまり、「思・想」いは、見えませんが、「言葉や文字」は、見えるのです。
見えない「想」いが、見える「身と口」によって、表現されるのが、この表現世界なのです。
私たちは、生まれた時から、両親から、言葉の使い方を教わります。
また、学校で、文字や絵の書き方を教わります。
でも、思いは、誰に教わらなくても使えます。
思いは、万国共通なのです。いや、宇宙共通なのです。
言葉や文字は、「星によって」、「国によって」、「人種によって」、違うので、いちいち、覚えねばなりませんが、思いは、宇宙共通ですから、学ぶ必要がないのです。
意識の世界では、テレパシーを使っているため、想いを、何か(言葉や文字)に表わす必要がありません。
想ったら、そく、相手に伝わるのです。
それも、寸分、狂わず、相手に伝わるのです。
だから、意識の世界では、うかつなことは、想えないのです。
今、私たちは、言葉や文字を使って、コミュニケーションを取っていますが、たとえ、悪い言葉や文字を使っても、相手に伝える前に、訂正できます。
でも、意識の世界は、思った瞬間、相手に伝わるので、訂正できないのです。
ですから、表現世界にいる間に、悪い想いを持たないよう、訓練する必要があるのです。
それは、「身・口・意」を正しく使えるようにすることで、可能なのです。
2019.10.20
煩わしさを、多く体験した人は、どうしたら、煩わしさから、抜け出せるか、考えるようになります。
これは、真理を学ぶ、きっかけになるのです。
真理を学ぶようになると、この世が、幻だと言うことを知りますので、五十歩の生き方をするようになります。
五十歩の生き方をするようになると、煩わしさが、少なくなるのです。
私の体験を、お話しましょう。
五十歩の生き方をするようになった、私は、今、車を持っていません。
車を乗らなくなると、
また、自動車に乗らなくなると、雑念も、少なくなります。
例えば、道路状況のこと、通行料のこと、天候のことなど、車に関することは、一切、考えなくて良くなります。
車を乗らなくなっただけでも、これだけ、煩わしさや、雑念から、開放されるのですから、他の面でも、五十歩の生き方をしたら、どれほど、煩わしさから、開放されることでしょう。
例えば、
このような、五十歩の生き方をしたら、煩わしさが、少なくなるので、時間が余るようになります。
そうなると、瞑想の時間が、多く持てるようになるのです。
一般の人は、煩わしさを、多く体験して、成長する必要がありますが、
学びの友の皆さんは、そんな時代は、終わったのですから、できるだけ、煩わしさから、開放されるべきなのです。
2019.10.27
※ この世のことは、五十歩で、やってください。
でも、原子核を増やすことは、百歩で、やってください。
※ この世は、夢幻の世界ですから、何が起きても、不思議ではありません。
何が起きても、不思議でない、と言う意味は、
「何でも想念で作れる世界だから!」、と言う意味です。
※ ヒラメキは、「純な想いの人」のところに、降りてきます。
「自分を良く見せたいと思う人」のところには、降りてきません。
神も、「純に神を求める人」のところに、降りてきます。
「この世のご利益を得たい!」、「神秘力を身に付けたい!」、と言う人のところには、降りてきません。
罪を犯した人を、責めてはなりません。
また、罪を犯した自分も、責めてはなりません。
なぜなら、カツオ節を見せられ、食べない猫がいないように、肉体を持った人間が、罪を犯すのは、仕方のないことだからです。
人は、罪を犯し、苦しい体験をし、成長してゆくのです。
悲しいことですが、この身で、苦しい体験をしなくては、人は、成長できないのです。
「肉体は、苦しんでいるけど、魂は、喜んでいる!」と言われるのは、肉が、苦しめば、苦しむほど、魂は、成長できるからです。
私たちが、この厳しい荒野に、肉体を持って出てきたのは、魂を大きくするためです。
相対の世界は、それができる、世界なのです。
なぜなら、人の欠点を見て、自分の欠点に気づける、世界だからです。
この相対の世界は、鏡のような、世界なのです。相手は、鏡なのです。
相手が、自分の欠点を写してくれているのです。
人の欠点が、気になるのは、自分の中に、同じ欠点があるからです。
自分の中に無いものは、気にならないし、見せられないのです。
もし、人の欠点が気になったら、自分の中に、その欠点があるからだと思ってください。
そのように、受け取れば、相手を責めることはありません。
いや、責めるどころか、感謝できるでしょう。
その人は、自分の欠点を教えてくれた、恩人なのですから・・・。
自分一人では、自分の欠点に、気づけないことを知ってください。
2019.11.03
※ 不幸せな人とは、全く、神を信じられない人のことです。
幸せな人とは、心から、神を信じられる人のことです。
心穏やかで有りたかったら、心から、神を信じましょう!
※ 学びの友の皆さんは、今、大変な、学びをしているのです。
皆さんは、人生の一生や二生のことを、学んでいるのではないのです。
永遠の生のことを、学んでいるのです。
こんな凄い学びが、他にありましょうか?
※ この世のことを、色々想う人は、想念の使い方の下手な人です。
神を想う人は、想念の使い方の上手な人です。
※ 成就したければ、決定語を使おう!
誰々は、神の子である!
あなたは、神の子である!
私は、神の子である!
「吾神なり!」は、決定語です。
「知る」には、二通りの「知る」があります。
一つは、頭で知った知るです。
この頭で知った知るは、単なる「知識」です。
もう一つは、頭で知ったことを身体で体験し、「体験知」に変えた「知る」です。
頭で知った知るは、体験の無い知るですから、知恵になっていません。
ですから、頭で知った「知る」は、原子核を、あまり、増やさないのです。
でも、「体験知」に変えた知るは、知恵になっているので、原子核を、大きく、増やすのです。
「体験」と言う字の意味を考えてみましょう。
この字の意味は、「体」で「経験する」と言う意味です。
体を動かして、経験すれば、より、原子核を増やすのです。
年寄りが知恵者だと言われるのは、年の数ほど、身体で体験し、知恵に変えてきたからです。
若者は知識を得ても、まだ、体験が少ないので、知恵者になっていないのです。
今、多くの人が、人生の荒波に揉まれ、苦しんでいますが、それは、知識を知恵に変えている、真っ最中の姿なのです。
つまり、原子核を増やしている、真っ最中だと言うことです。
2019.11.10
※ 「一度、知ったことは、二度と、知ることができません!」
なぜなら、知れば、原子核が増え、理解力が高まるため、同じような知り方ができなくなるからです。
このことは、知る前のあなたの背丈と、知った後のあなたの背丈は、違うため、二度と、同じ景色が見られないと言う、例えで、解ってもらえると思います。
その時の背丈で知ったことは、その背丈限りの知ったことなのです。
※ 知ることは、とても、大切です。
なぜなら、知れば、過ちを犯さなくなるからです。
でも、知っても、過ちを犯す、幼い魂がおります。
それは、知ったことを、疑っているからです。
その者は、過ちを犯して、痛い目にあって、疑いを晴らすしかないのです。
でも、それで、良いのです。
なぜなら、過ちを犯すことによって、原子核を増やすことができるからです。
需要と供給は、常に、一致していなければなりません。
でも、それを、主導するのは、需要者の方です。
なぜなら、この宇宙には、需要者しかいないからです。
よく、考えてみてください。
供給は、需要が決めるのです。需要者側が望み、供給されるのです。
それは、需要者が、供給物を創るからです。
つまり、認識者(需要)が、認識されるもの(供給)を創るからです。
受け取る側が、主体者なのです。
ですから、受け取り方 次第で、価値が変わるのです。
例えば、郵便物が配達されても、受け取る人がいなかったら、その郵便物は、無かったことになります。
たとえ、受け取っても、受け取る人が、満足しない、郵便物は、すぐに、ゴミ箱ゆきになってしまいます。
受け取る人が、満足して、はじめて、その郵便物に、価値が生まれるのです。
満足しなかったら、と言う意味は、その郵便物が、何なのか、理解されない郵便物は? と言う意味で、理解されない郵便物は、無価値になってしまうのです。
だから、私は、「受け取る側が、大切ですよ!」と言うのです。
郵便物を、良くも、悪くも、するのは、つまり、活かすも、殺すも、するのは、受け取り側 次第だと言うことです。
私が「何でも良く受け取りなさい!」と言うのは、良く(理解して)受け取らなければ、悪い郵便物になってしまうからです。
つまり、受け取る側に、理解力がなければ、その郵便物は、意味のない郵便物になってしまうからです。
ですから、需要者側の能力(理解力)、あるいは、対応力が、とても、大切になってくるのです。
今の社会は、供給者の方が、主導権を握り、需要者側が、踊らされている、不思議な社会なのです。
だから、畑で作物を腐らす、無駄なことが起きるのです。
この宇宙には、主観者しかいないのです。
主観者しかいないのですから、配達される郵便物の中身は、主観者の都合の良いモノばかりのはずです。
でも、自我は、そのことが、解りませんので、折角、価値のある郵便物を、無価値にしてしまうのです。
つまり、成長のために与えられた、郵便物(痛み、苦しみ)を、無駄にしてしまうのです。
無駄にするならまだしも、悪く受け取り、悪業さえ、作ってしまうのです。
何と、悲しいことでしょう!
主観者 (需要者・認識者)しか存在しないのですから、人を満足させようと、考えなくても良いのです。
自分が成長すれば、良いのですから、自己満足で良いのです。(いない人を成長させようとするのは、矛盾である)
私は、自分の成長のために、勉強会で、お話ししているのです。
また、光のメロディーも、自分が満足したくて、作っているのです。
作ってくれている人は、みな、私だからです。
2019.11.17
※ どんなことにも、「意味」がある。
それは、その中に、神の思いの味が、含まれているからです。
神は、私たちに、進化成長してもらいたいのですから、何が起きても、その中に、進化してもらいたい、神の思いの味が入っているのです。
「意」とは、神の想いです。
「味」とは、神が、何を、どう望んでいるかの味です。
言うことは、自由だからと言って、何でも言って良いわけではないのです。
この宇宙には、守らねばならない、言葉のルールがあるのです。
どんなルールかと言いますと、「相手の気持を考え語りなさい!」と言うルールです。
例えば、医者が、患者に、良かれと思って語ったことが、かえって、病気を重くする場合があります。
これは、医者の言うことを、悪く受け取った、患者の責任ですが、悪く受け取られるような言い方をした、医者の責任でもあるのです。
もし、患者さんにとって、良い言葉なら、原因が良いわけですから、悪い結果が起きるはずがないのです。
それほど、言葉は、受け取る人に影響を与えるのです。
特に、医者の言葉は、威厳がありますから、よくよく、注意して語らねばならないのです。
では、どのように、語れば良いのでしょうか?
それは、相手の望む言葉を選んで語ることです。
ただし、語る側が未熟であれば、相手の望む言葉が分かりませんから、相手を傷つける言葉を使うかも知れません。
前述した、医者の言葉が患者の病を重くしたのは、相手の望む言葉で語れなかったからです。
良かれと思って、語ったわけですから、医者に責任がないように思いますが、医者の言葉で、患者が心配し、病気を重くしたわけですから、大いに、医者に責任があるのです。
この責任のお咎めは、いつか、何らかの形でやってきます。
お咎めがなかったら、自分の言葉で、患者を傷つけたことが、分からないからです。
こう言ったことは、私たちの日々の生活で、到るところで、見られるのです。
おべんちゃらを言いなさいとは言いませんが、できるだけ、気分の良くなる言葉を使うことです。その方が、お互いのためです。
人の言葉は、神の言葉と同じ威力があるのですから、よくよく、注意して語らねばならないのです。
どうか、相手の気持を考え、語ってください。
相手の気持を察する学びも、学びの一つです。
2019.11.24
※ 人を言葉で諭したい気持ちは分かりますが、人を言葉で諭すことはできません。
人を諭すことができるのは、唯一、体験による「原因と結果」の法則です。
体験だけが、人を諭すことができるのです。
※ 言葉は、恐ろしくもあり、素晴らしくもあります。
良い言葉を使えば、良いことが・・、悪い言葉を使えば、悪いことが・・・、
言葉の使い方一つで、人生を、良くも、悪くも、できるのです。
どうか、言葉の偉大さを知ってください。
※「沈黙は金」と言う、格言がありますが、ここで、学びを深めている皆さんは、できるだけ、沈黙を守ってください。
喋りすぎると、見透かされますよ!
幸せとは、意識状態です!
意識状態ですから、体験した本人にしか分かりません。
特に、これから説明する、第三の幸せは、文字や言葉で伝えようのない幸せです。
どんな幸せかと言いますと、「意識が意識で味わう幸せです。」
私は、これまで、二つの幸せについて、お話してきました。
でも、この二つの幸せを味わうためには、条件が必要でした。
しかし、「意識が意識で味わう幸せ」には、条件がないのです。
なぜか解らないけれど、
「ただただ、嬉しいのです!」
「ただただ、楽しいのです!」
「ただただ、幸せなのです!」
この条件なしの幸せこそが、究極の幸せなのです。
ただし、この幸せを味わうためには、心の底で「自分は神である!」と言う自覚が必要です。
なぜなら、神意識そのものが、究極の幸せを備えているからです。
自我意識も、神意識ではありますが、今の私たちは、神意識の糸の下の方に意識を落としているため、心の底で神だと思えない状態なのです。
ですから、今の私たちは、幸せに満ちた神意識を味わえないのです。
味わうためには、どうしても、神の自覚が必要なのです。
どうか、原子核を増やし、自覚の境界線を超えてください。
超えたら、幸せに満ちた神意識を味わえるでしょう。
2019.12.01
※ 学びの友の一人が、こんな素敵なメールを送ってくれました。
感動したので、皆さんにも、ご披露したいと思います。
母が、私が葛粉で作った羊羹を食べながら・・・
「幸せ~~」「幸せ~~」と何度も言ってくれました。
「ありがとう」は、最近頻繁に言ってくれていましたが・・・
「幸せ~~」は、初めてでした。
体は動かなくて不自由でも、心は幸せを本当に感じてくれているのが、表情でわかりました。
そこで、「幸せ」は、「ありがとう」の数十倍嬉しいのだと感じました。
そして、気づいたのです。
「ありがとう」は相手に言う言葉ですが、「幸せ」は自分に言う言葉だと言うことを・・・。
この宇宙には、自分しかいないから・・・母が自分に「幸せ~~」と言っているのを聞いて、その自分である私もすごく「幸せ^^」を感じたのです。
不思議・・・この感覚!!
「幸せ」という言葉は、主観的言葉なのですね・・・
※ この表現世界は、次から次へと変化する、無常の世界です。
その世界に、確かなモノが有るとすれば、それは、幸せだけです。
なぜなら、幸せは、実在だからです。
この宇宙に存在している、全ての生命体は、幸せだけを欲しているのです。
「かとう塾」は、私一代限りの塾です。
誰かに引き継がせるつもりはありません。また、引き継がせることもできません。
なぜなら、その人の器量(波動)で塾を持ち、その人の器量(波動)で塾生を呼ぶからです。
私は、自分の器量(波動)で塾を持ち、自分の器量(波動)で塾生を呼んだのです。
もし、塾を持ちたいなら、自分の器量(波動)で塾を持ち、自分の器量(波動)で塾生を集めてください。
知花先生に、引き継ぐ弟子がいなかったように、私にも、引き継ぐ弟子はおりません。
いるのは、学びの友の皆さんたちだけです。
人の成長のことなど、考えなくても良いのです。
自分の成長のことだけ考え、真理を学び続けてください。
それは、続けることです。
私の願いは、続けてもらうことです。
何の変化が起きなくても、続けることです。必ず、光が訪れます。
これは、私が保証します。
2019.12.08
今の地球では、情け深い人や、面倒見の良い人を、善人と言っていますが、本当に、善人でしょうか?
言っておきますが、自我人間で、純に善人な人は、一人もいません。
自分を良く見せたい顕示欲が、必ず、入っています。
善人ぶる人の心を見透かしてください。偽善が見え隠れしているはずです。
例え、本心から、人助けしたとしても、本当に、人のためになっているでしょうか?
なぜなら、安易な人助けは、人を堕落させてしまうからです。
「情けは人の為ならず!」で、殆どは、人の為になっていないことが多いのです。
ここで学んでいる皆さんは、何百万年もの間、厳しい人生体験をし、成長してきた、魂です。
皆さんは、温室育ちの花ではないのです。嵐の中で育った雑草なのです。
だから、今のような、強い、あなたに、なれたのです。
人も助けるなら、魂の成長の為になるかどうか考えた上で、人助けしてください。
2019.12.15
※ 幼い人が、ブランド品・・宝石・・・高額の絵画などを、他人に、ひけらかすのは、他人を認めているからです。
外側に世界があると思っている人は、自分を、他人に、ひけらかしたがるのです。
真理を、人に話したがる人も、同じです。
「自分は、これだけ、真理を知っている!」と、自負する人だけが、自分を、ひけらかすのです。
それは、他人を認めているからです。
※ 外側のものは、ひけらかせても、理解力は、ひけらかすことができません。
それは、自分だけにしか解らないからです。
人に、ひけらかせるのは、外側の現象のみです。
客観宇宙のことは、現象だから、話せるけれど、主観宇宙のことは、真実ですから、お話しできないのです。
私たちは、苦しみを望んで作っておきながら、その苦しみを嫌っている・・・、
これは、矛盾です。
矛盾は、何故、起きるのか・・・、
それは、自分が矛盾した存在であることを、知らないからです。
自分が矛盾した存在だと知ったら、矛盾を起こさないので、矛盾は、起きないのです。
でも、それでは、矛盾の世界で、学ぶことができませんので、仕方なく、自分の存在そのものを、矛盾させることによって、沢山の矛盾を作って、学んでいるのです。
2019.12.22
※ 自分の身を飾る人は、自分の醜さを飾り物で隠したいからです。
本当に美人なら、身を飾らないのです。
自分の中に、醜さを感じているから、身を飾ろうとするのです。
これは、矛盾なのです。
※ 自分が解らないのに、「自分!」と思えている!
これぞ、正に、究極の矛盾です。
※ 相手に、嫌なものが見えるのは、自分の中に、同じ、嫌なものがあるからです。
その嫌なものを、相手は、自分に、見せてくれているのです。
それを嫌うのは、矛盾なのです。
私たちは、まず、「知り」ます。
そして、知ったことを、実践します。
実践する道具は、肉体です。
実践すると、「体験知」が生まれます。
肉体を使って体験すれば、「知恵」が生まれるのです。
そうすると、理解力が高まるのです。
「知る」の上に位置するのが、「理解する」なのです。
理解力が高まると、意識の中に、受け皿である凹点が生まれます。
そうすると、魂の中の凸点が、目を覚まし、受け皿である凹点に合体するのです。
この現象を、気づいた、と言うのです。
ですから、理解するの上に位置するのが、「気づき」なのです。
自分の中に、疑問を投げかけておけば、ある日、突然、気づきがやってきますが、これは、意識の中の凹点と凸点が、合わさった状態なのです。
つまり、合点がいった状態、腑に落ちた状態、なのです。
合点がいった状態は、自我が理解したものと、魂の中にあったものが、合体した状態なのです。
2019.12.29
※ 自覚の境界線を超えた時の意識状態は、自我の自分が、真我の自分を、心の底から自分だと思えるようになった状態です。
そうなると、自我の自分と、真我の自分が、一つになり、見分けがつかなくなるのです。