私の生まれが、分からない? どうして、生まれたのか? いつ、生まれたのか? どこから、生まれたのか? どのようにして、生まれたのか? 全く分からない。
だから、私の素性が分からない。
素性が分からないから、私を知る手がかりが、全く無いのである。
正に、分からないずくめの私である。
その私は、いつか、消えてしまうのだろうか? いつか、無くなってしまうのだろうか? いや、そんなはずがない。
なぜなら、私は、見えないからだ。見えないものが、無くなるはずがない。
では、私って、一体、何モノなのだろうか?
私が私を知らないで生きている、何と不思議な私である。
不思議と言えば、なぜ、私が分かるのだろうか?
それは、私を認識できる意識があるからではないのか?
私の意識がなかったら、私を認識できるはずがない。
と言うことは、私は、意識ではないのか?
そうだ、やっと解った! 私は、意識なのだ!
でも、意識って、何なのか? 意識って・・意識って・・意識って・・意識って・・何なのか? 解らない?
では、その意識は、どこから、来たのだろうか? どこから、生まれたのだろうか?
「私・私・私・・・」と、いくら追いかけても、私の意識の源が、出処が、分からないのである。
私に意識がなかったら、こんなに悩むこともないのに・・・。
でも、これは、悩みなの・・・? いや、私に悩みなどない。むしろ、嬉しいのだ。楽しいのだ。
なぜなら、私の意識が未知だからである。
未知な意識なればこそ、追求のしがいがある、と言うものである。
未知とは、嬉しいことなのである。未知とは、楽しいことなのである。
未知とは、希望である。知ったら、絶望である。
とは言っても、やはり、私は、私の意識を知りたい!
未知なるものを知りたいのは、本能のようなものだからである。
でも、どんなに知りたいと思っても、永久に知ることができないのだ。知ったら、絶望だからである。
でも、それで、良いのである。
なぜなら、「意識は、永久に知ることができない!」と解ったことが、意識を知ったことになるのだから・・・。
では、永久に知ることのできない、私の意識に、名前を付けよう。
どんな、名前?・・・。
それは、神と言う名が、ふさわしいのではないだろうか?
神は、永遠に知ることのできない存在だからである。
2018.01.07
※ 私の意識を知る手がかりが、一つだけあります。
それは、自分の意識を意識することで、自分が光ってくることです。
意識とは、光なのです。私とは、光なのです。
しかし、その光が、どこから、生まれたのか? その光が、何なのか? は、依然として、解らないままなのです。
でも、永遠に解らないままで良いのです。
なぜなら、解れば、宇宙は、有限になってしまうからです。
それでは、宇宙の死です。
無限の宇宙を、永遠に知ることが出来ないと解ったら、宇宙を知ったことになるのです。
今、地球上には、70億人を越す人類が存在しますが、その全員が、神なのです。
なぜなら、神にしか無い思いを、人類は、持っているからです。
思える人類は、間違いなく、神なのです。
でも、今は、まだ、魂の量が少ないので、「神の子」の段階です。
でも、「神の子」は、いずれ、成長し、神になるのです。
その「神の子」が、幻をホンモノに見せかけるトリックに引っかかり、今、真剣に、泣き笑いしながら生きています。
神は、どうして、「神の子」たちを、このような、トリックの中に、放り込んだのでしょうか?
それは、ホンモノに見せかけるトリックの中に、放り込まなければ、真剣に生きようとしないからです。
どうでしょう!
夢と知りながら、夢の中で、真剣に生きられますか?
幻の世界だと知りながら、幻の世界の中で、真剣に生きられますか?
いい加減な生き方しか、できないはずです。
それでは、成長できません。進化成長するためには、真剣に生きられる環境が、どうしても、必要なのです。
その環境が、幻の現象界なのです。
神の子は、自我を持ち、自由意志を持っている、賢い魂ですから、少々のトリックでは騙されないのです。
だから、神は、トリックに引っかかるよう、肉体を持たせ、幻の現象界の中に、放り込んだのです。
これは、神にとって、苦肉の策なのです。
今、地球上で、このトリックを見破っているのは、覚者だけです。
でも、騙されている一般人も、いずれ、トリックを見破る時がくるでしょう。
その一番近くにいるのが、皆さんなのです。
2018.01.14
神とは、何なのでしょうか?
神は、見えません。神は、触れません。姿形がないので、知りようがないのです。
でも、神は、確かに存在するのです。
なぜなら、今、現に、宇宙が、万象万物が、私が、存在しているからです。
もし、神が存在しなかったら、今、私は存在していないでしょう。
なぜなら、今、私が存在できているのは、何かが、私を存在させているからです。
何かがなくては、何も存在できないのが、宇宙の道理なのです。
ただ、その何かが、何なのか分からないので、その分からない存在に、神と名付けただけです。
そうです。神は、分からないモノなのです。
神とは、分からないモノの代名詞なのです。
神と言う名の由来は、分からないモノ、と言う意味から、生まれたのです。
分からないモノは、みな、神なのです。
もし、皆さんに、分からないモノがあったら、神と名付けてください。
ただし、この分からないモノは、物質のことではありません。実際に有るモノのことです。
さて、神は、分からないモノであることを知りました。
では、あなたは、あなたを知っていますか? 自分を知っていますか?
私・私・私・私・・・と、自分の意識を追いかけて行ってみてください。いくら追いかけても、自分の意識の出処が分からないはずです。
自分の意識が、どこから来たのか、どこから生まれたのか、分からないはずです。
自分の意識の正体が分からない?・・・自分が分からない?・・・分からない?・・・分からない?・・・。
先程、分からないモノに、神の名を付けてください、と言いました。
では、分からない自分の意識に、神の名を付けましょう! 分からないのが、神なのですから・・・。
私が、「人間は神である」と断言するのは、分からないからです。
そうです。私たちは、分からない、神なのです。
2018.01.21
※ 自我にとって、都合の良いことは、真我(神我)にとって、都合の悪いことです。
真我(神我)にとって、都合の良いことは、自我にとって、都合の悪いことです。
でも、それは、見かけであって、本当は、全て、都合の良いことなのです。
自分って、どれほど、不可思議な存在なのだろうか? どれほど、神秘的な存在なのだろうか? 何せ、自分の正体が、全く、分からないのである。
自分の素性も、経歴も、能力も、可能性も、発展性も、何が出来るのか、出来ないのかも、全く、未知数なのである。
今の自分に、分かっていることと言えば、
これくらいのことしか、分からないのである。
それでは、心配ではないのか? 心細くはないのか? と思うかも知れないが、そんな思いは、一切ないのである。反対に、分からないことの方が、嬉しいのだ。
なぜなら、夢があるからである。
私・私・私・・・・と、どんなに探っていっても掴めない自分の意識・・・何と楽しいではないか? 何と嬉しいではないか?・・・この気持、分かって頂けるだろうか?
2018.01.28
※ 有限は、苦しみです。無限は、喜びです。
頭打ちのない、届かない、底のない、無限の自分を探る旅は、究極の幸せである。
生きているとは?・・・、
形の有る無しにかかわらず、存在しているモノは、すべて、生きているのです。
存在していること自体が、生きている証だからです。
では、具体的に、どのような状態を、生きていると言うのでしょうか?
生きている条件は、何でしょうか?
それは、
1.永遠であること・・
2.無限であること・・
3.完全であること・・
4.意識があること・・
(思えること・考えられること・・自分の存在も、他の存在も、認識できること)
この4つは、基本条件です。
5.力(エネルギー・光・想念) を持っていること・・
6.息していること・・
7.脈を打っていること・・
この3つは、副次的条件です。
この7つの条件がクリアーされていなければ、生きているとは言えません。
では、人間は、この条件をクリアーしているでしょうか?
人間は、意識を持っています。
その意識は、永遠に無くなりません。
その意識は、無限です。
その意識は、完全です。
人間は、想念と言う創造の力を持っています。
人間は、息をしています。
人間は、脈を打っています。
と言うことは、人間は、7つの条件を全部クリアーしていることになります。
だから、人間は、間違いなく、生きているのです。
でも、肉体のことを言っているのではありません。肉体の中で働いている意識のこと、魂のこと、生命のことを、言っているのです。
肉体は、無くなりますので、有限です。
意識も、持っていません。
想念も、持っていません。
息も、していません。
脈も、打っていません。
ですから、肉体は、生きていないのです。
冒頭に、形の有る無しにかかわらず、存在しているモノは、すべて、生きている、と言いましたが、それは、形を存在させている、意識、魂、生命が、生きている条件を満たしているからです。
どんな形の中にも、形のある内は、7つの条件が備わっている、と言う意味です。
2018.02.04
※ この宇宙には、生きているモノだけが、存在しているのです。
死んでいるモノは、存在できないのです。
宇宙は、一匹の生きモノなのです。
その一匹の宇宙の中に、私たちは、存在しており、私たちの中に、一匹の宇宙が、存在しているのです。
この宇宙に、生きモノは、たった一つしか、存在しません。
もし、生きモノが、二つも、三つも、存在するなら、宇宙は、有限になってしまうからです。
生きモノが、一つしか存在しない理由は、宇宙が無限だからです。
無限宇宙そのものが、一匹の生きモノなのです。
私たちは、今、その無限宇宙の中に存在し、私たちの中に、今、その無限宇宙が存在しているのです。
と言うことは、私たちは、同じ一匹の生きモノ(一匹の無限宇宙)である、と言うことです。
今、私たちは、間違いなく、生きています。
これは、何モノも、否定できないでしょう。
何せ、私たちは、今、実際に、存在しているのですから・・・。今、実際に、生きているのですから・・・。
存在していられるのは、生きているからです。
また、生きているから、存在していられるのです。
私が・・「私たちは、宇宙そのものですよ! 神そのものですよ!」と言うのは、今、私たちは、存在しているからです。今、生きているからです。
今、存在しているのは、今、生きているのは、宇宙しかないのです。
今、存在しているのは、今、生きているのは、神しかないのです。
ただし、真に生きていると言えるのは、想念を持つようになった以降です。
つまり、自我を持つようになった以降です。
自我を持たない、鉱物や、植物や、動物は、真に生きているとは言えないのです。
それは、宇宙を、神を、自分を、認識してやれるところまで、進化していないからです。
生きている時とは?
生きていない時とは?
本当に有るものを意識している時は、生きており、
本当に無いものを意識している時は、死んでいるのです。
どうか、死人にならないでください。
2018.02.11
※ 人間の尊厳は、自分を認識できる、宇宙を認識できる、神っているのかな? と思える想念を持った時に、生まれるのです。
“何の欲も持たず・・ひたむきに、神を求め続ける!” 、こんな、美しい姿は、ありません。
ひたむきに、神を求め続けるとは?・・・純な心を持って、神を想い続ける、と言う意味です。
そんな、純な気持ちで、神を求め続けたら、神は(本当の自分は)、きっと、あなたを、天に引き上げてくれるでしょう。
2018.02.18
※
褒めてあげた後は、更に、努力しましょう!
社会体験を・・・瞑想を・・・。
すべて、試されているのです。
特に、皆さんのような成熟した魂には、高度な試しが来ます。
その試しを乗り越えれば、魂は、更に、成熟するのです。
どうか、試しを、ポジティブに受け取ってください。
ポジティブに受け取れば、真理の確信が一段と深まります。
すべて、進化成長のための試しであり、それは、必然であり、良いことなのです。
2018.02.25
※ 今日まで、一生懸命、努力してきたから、今の自分があるのです。
努力なしに、何も成し遂げられないことを、再認識しましょう。
※ 今、実際に、痛み、苦しんでいる人、サタンにやられている人は、ぜひ、私の勉強会の動画を見てください。
痛み、苦しみが、半減し、サタンからも、逃れられます。試してみてください。
あなたは、子供の生活態度が悪いと怒りますが、あなたの生活態度は、どうでしょうか?
子供に尊敬されるような、生活態度をしていますか?
自分の態度が悪くて、どうして、子供を怒ることができましょうか?
"いや、私は良い親です!" と、あなたは、言うかも知れません。
では、あなたの心の中は、どうでしょうか? 良い思いを持っていますか?
どんなに表面上で繕っても、繕えるものではないのです。
思ったことは、必ず、顔や態度に表れるからです。
子供は、常に、親の姿を追いかけているのです。
私の子供の頃を思い出しても、そうでした。
それは、尊敬できる親の姿を、見たかったからです。
家の恥を晒すようですが、私の父と母は、毎日のように、夫婦喧嘩していました。
それを見ていた、私の小さな心は、どれほど、傷んだでしょうか?
子供が悪いのは、親のせいだと思ってください。
子供は、親の背中を見て、育ってゆくのです。
どうか、子供の手本となるような親になってください。
2018.03.04
※ 子供に、文句を言っても、反発をかうだけです。
それよりも、何も言わず、子供の手本になることを、黙々と、やることです。
それも、真心を込めて・・・。
そうすれば、子供は、きっと、親を見習ってくれるでしょう。
(2015年12月20日 大阪勉強会の動画より)
自分の意識を感じている、自分がいます。
その自分って、一体、何でしょうか?
それは、本当の自分、では、ありませんか?
つまり、神の自分、では、ありませんか?
その自分が無かったら、自分を意識できないのです。
と言うことは、自分は、存在できない、と言うことです。
自分の意識が、自分の意識を、存在させているのです。
つまり、自我の意識が、神我(真我)の意識を、存在させているのです。
それは、同じ一つの意識だからです。
神我(真我)意識があるから、自我意識があり、自我意識があるから、神我意識があるのです。
今、私たちは、一つしか無い意識を、二つの意識に別けているのです。
それは、肉体を、自分だと思っているからです。
繰り返します。
自我意識もあって、神我(真我)意識も有るわけではないのです。
有るのは、神我意識のみです。
この神我意識だけは、絶対、無くならない意識なのです。
自分の意識を消せないのは、自分の意識が、永遠に実在する、神我(真我)意識だからです。
どうか、自分と思える、自分の意識の不可思議さを、探ってください。
2018.03.11
※ この宇宙で確かなのは、自分しかいない、と言う、事実です。
だから、自分でやるしか無いのです。
他人(私)を当てにしてならないのは、他人(私)はいないからです。
他人は、外側の世界の無いモノです。自分は、内側の世界の有るモノです。
他人は、実在しないのです。自分は、実在するのです。
外側の電車を待っていても、来ないのは、外側の電車は、実在しないからです。
来ない電車を待つことほど、苦しいことはありません。
どうか、来ない電車を当てにせず、自分の足で歩いてください。
どうして、相手がいるのですか?・・・、
それは、自分がいるからではありませんか?
認識者である自分がいるから、認識される相手がいるのではありませんか?
認める自分がいなかったら、認められる相手はいないのですよ!
この話を、宇宙に置き換えて考えてみましょう。
どうして、宇宙があるのですか?
それは、自分がいるからではありませんか?
認識者である自分がいるから、認識される宇宙があるのではありませんか?
認める自分がいなかったら、認められる宇宙はないのですよ!
と言うことは、相手は、宇宙は、自分が創っている、と言うことです。
こんな、分かり切ったことを、人間は、気付いていないのです。
だから、相手を、憎んだり、恨んだりして、戦争までするのです。
憎んだり、恨んだりしている相手は、自分が創った、相手なのです。
と言うよりも、相手は、自分自身なのです。
なぜなら、認めている自分が、認められている相手の中にいるからです。
それは、認めている自分が、認められている相手を創っている素材だからです。
なぜ、素材かと言いますと、認識している意識そのものが、モノの素材だからです。
認めている自分の意識(素材)が、認められる相手になっているのです。
だから、相手の中に、自分がいることになるのです。
つまり、自分が、相手を創っていることになり、相手は、自分になるのです。
“いや、自分がいなくても、他に認識者がいるのだから、相手はいるはずだ!” と、あなたは、反論するかも知れません。
でも、自分がいなかったら、そのことを、どうして、知ることが、できるのですか?
どこまでも、主観的見方しか、できないのです。
なぜなら、この宇宙には、自分しかいないからです。
2018.03.18
※ ある学びの友から、次のようなメールをいただきました。
「理解力って、波動なんですね!! 3月11日の動画の52分30秒あたりなんですが・・・ 私に向って、『わかるよね!?』と、かとうさんが言っているところがあるのですが・・・ この時、私は、すごく、わかったと思っていたのです。
でも、今、動画を見ても、その時のわかった!という感覚がありません。
それ以外にも、いくつも、あれ? ここのところ、直に、かとうさんから聞いていた時は、すごく、わかって、感動していたのに、今は、何だかわからない・・・と感じる所があるんです・・・。
理解力って、本当に波動なんですね!! 波動が落ちると、わからなくなりますね・・・・」と・・・。
宇宙は、すべて、波動で創られています。
その波動は、エネルギーでもあり、知恵でもあるのです。
だから、波動が高くなり、エネルギーが高くなれば、分からないことが解るようになるのです。
この学びの友は、一歩、成長しましたね。嬉しいことです。
世の人々は、“あの時、こうしておけば良かった! ああしておけば良かった!” と、悔やみ事を言いますが、同時に、二つの人生を歩むことなど、できないのですから、悔やみ事は、言わないことです。
“人生は試すことができない! 一回限りである!” と言われるのは、今の人生を歩みながら、別な人生を歩むことが、できないからです。
私たちは、一つの人生しか、歩めないのです。
その意味では、確かに、一回限りの人生です。
仮に、歩めたとしても、同じ人生ではないのです。
なぜなら、時々刻々と、条件が変わっているからです。
今の人生の条件は、現下における条件です。
時が移れば、時代背景も変わり、登場人物も変わり、社会情勢も変わります。
そんな、条件の違う下で、同じ人生が、歩めるはずがありません。
よく、こんな事を言う、政治家がいます。
“私の言った事の正しさは、時代が、証明してくれるだろう!” と・・・、
とんでもありません。そんな事、あるはずがありません。
なぜなら、時々刻々と移り変わる無常の世界で、同じ条件が整うはずがないからです。
やったことが、正しかったか、正しくなかったかは、やって、はじめて、分かるのです。やらなかったら、分かるはずがないのです。
なぜなら、原因を作らなかったら、結果が生まれるわけがないからです。
同時に、二つのことは、やれない(原因を作れない)のですから、どちらが、正しかったか、正しくなかったか、比べることなど、できないのです。
だから、”あの時、ああしておけば良かった!”、などと、悔み事を言ってはならないのです。
二つの人生が、歩めないのは、一つの時間の中で、二つの人生は、試せないからです。
試せるのは、今の一つの時間の中の人生だけです。それ以外の人生はありません。
あの時、ああしておけば良かった、と思うのは、単なる望みです。
望みは、人生ではありません。歩んで、初めて、人生になるのです。
今、あなたが、歩んでいる人生は、一つしかない人生です。
その人生は、誰が作ったのでもありません。あなたの想いが作ったのです。
例え、今の人生が、不幸そうに見えていても、最善の人生だったのです。
なぜなら、あなたが、その時の原子核の量において、良いと思って、やったことだからです。
それは、必然であり、良いことだったのです。
その証に、今、こうして、真理を、学んでいるではありませんか。
もし、他の人生を歩んでいたら、今、真理を、学んでいなかったかも知れないのです。
いや、それどころか、悲惨な人生を、歩んでいたかも知れないのです。
二つの人生は、歩めないのですから、今の人生が、最善だと思って、一生懸命、生きることです。
どうか、自分を信じてください。
その時の自分の思いでやったことが、最善だったと、信じてください。
2018.03.25
※ やった事は、結果として、証明できますが、やっていない事は、結果が生まれないので、証明できないのです。
つまり、起きたことの証明は、できるけれど、起きなかったことの証明は、できないのです。
※ 瞑想は、今の条件下(理解力の下)で、行われています。
でも、今の条件(理解力)は、刻々と進化しているわけですから、常に進化した条件の下で、瞑想が行われているのです。
だから、私は、雪だるま式に、原子核が増え、進化する、と言うのです。
この物質の世界は、波動が粗いので、常時、心を安定させておくのは、容易ではありません。
真理を学んでいる人でも、苦労しているはずです。
そんな人のために、心を安定させる、一つの方法を教えましょう。
まず、B4の大きさの紙に、「神」と言う白抜きの字を、大きめにコピーします。
その白抜きの字の中に「ありがとう!」と、心を込めて書いてください。
多く書けば、書くほど、波動が上がります。
七色を使い、芸術的に書けたら最高です。
学びの友が書いた作品が、「光の画集」で紹介されていますので、参考にしてください。
書いていると、心が落ち着きます。サタンに、やられづらくなります。
知人や肉親の中に、心の病で苦しんでいる人がいたら、ぜひ、教えてあげてください。
良い変化が、起きると思います。
白抜きの字は、あなたの好きな字を使ってください。
お勧めの字は、「光」、「愛」、「命」、「心」、などです。
2018.03.25
私たちの肉体は、重く、扱いづらく、実に、不自由です。
だから、人類は、少しでも、自由性を高めようと、車や飛行機を、発明してきたわけです。
でも、そんな、乗り物を発明するより、自分が意識体であると、気付けば、そく、自由になれるのです。
神は、そのことを、気付かせるために、今日まで、人類に、三身(位)一体の進化の体験をさせてきたのです。
大昔の人類は、幼かったため、石炭すら、扱えませんでした。
でも、進化するにしたがい、石炭を扱うことを覚え、石油を扱うことを覚え、ついには、ガスまで扱えるようになったのです。これが、エネルギーの進化です。
石炭は個体で、石油は液体で、ガスは気体です。
でも、石炭の中に、油とガスが同居し、三身(位)一体になっているのです。
私たちの肉体も同じように、肉体の中に、幽体と意識体が同居し、三身(位)一体になっているのです。
幼い内は、肉体を自分だと思っていますので、肉体の生き方しかできません。
地球人類の殆どは、今、そのように生きています。
でも、進化成長するに従い、幽体に生きるようになり、意識体に生きるようになるのです。
学びの友は、最終段階に入っている魂です。
さあ、瞑想し、意識を、カゴ(肉体)から、開放しましょう。
瞑想して、自分の本性が自覚できたら、意識(魂)は、肉体から離脱して、自由になるのですから・・・。
2018.04.01
※ 幸せの基盤になっているのは、自由性です。
それゆえに、私たちは、身体を縛られても、思想を縛られても、苦しいのです。
人類が「自由!自由!」と、声高に自由を求めるのは、自分の本性が、自由な意識(魂・心・想念)であることを、本能的に知っているからです。
自由性 イコール 幸せです。
どうか、原子核を増やし、自由性を高めてください。
※ 一を知ったら、個人間の対立も、人種間の対立も、国家間の対立も、宗教間の対立も、無くなります。
一を知れば、自由を知るからです。
一は、無限なのです。
一つの中には、無限の中には、何の障壁もないのです。
それは、区切られていないからです。
不自由なのは、区切られているからです。
区切られた世界は、不自由なのです。
世の人々は、「迷惑」を、悪と考えています。
でも、本当に、「迷惑」は、悪でしょうか?
迷惑と言う意味は、「迷わせ惑わせる」と言う意味ですから、字の意味だけ考えたら、たしかに、悪いことかも知れません。
でも、迷惑をかけられた人は、迷惑から色々と学び、成長するのですから、悪いことではないのです。
だから、人に迷惑をかけて良いと、言っているわけではありません。
迷惑を、自分の成長に、つなげて欲しいと、言っているのです。
あなたは、自分を成長させたくて、迷惑をかける人を連れてきたのです。
ならば、迷惑をかけてくれた人は、恩人ではありませんか?
実際に、あなたは、これまで、迷惑をかけられたことで、成長してきたではありませんか?
これは、主観宇宙の仕組みを知った人なら、分かって頂けると思います。
どうか、迷惑を、良く受け取ってください。
迷惑は、自分を成長させてくれるのですから・・・。
2018.04.08
※ 嫌なことをしてくれた人を、嫌っているうちは、未熟です。
嫌なことをしてくれた人に、感謝できるようになったら、成熟です。
実際に、嫌なことを乗り越えたら、原子核が増えるのですから、嫌なことをしてくれた人は、恩人です。
※ 嫌なことをされたのは、あなたが、嫌なことをしていたからです。
あなたが、嫌なエネルギーを出していたから、嫌なエネルギーが入ってきたのです。
そのことに、気付いたら、成長です。
迷惑が、迷惑でないのは、成長できるからです。
※ エネルギーは、出した分、入るようになっているのです。
出しもしないで、余計なエネルギーを貰おうとするのは、欲です。
欲のエネルギーは、いつか、必ず、返さなければならなくなります。
痛みや、苦しみで・・・。
皆さん! この世で起きている、どんなことも、すべて、自分の魂の成長のために、起きていると、思ってください。
それは、自分しかいないからです。
自分しかいないのに、誰かのために、何かが起きますか?
もし、起きるなら、無意味なことが、起きていることになり、宇宙を創造した神が、無能になってしまいます。
神が創られた、完全な宇宙で、そんな、無意味なことが、起こるはずがありません。
では、どうして、自分のために、起きるのでしょうか?
それは、自分が計画して、自分が起こしているからです。
いつも、言うことですが、どうして、相手がいるのですか?
自分がいるから、では、ありませんか?
自分がいなかったら、相手はいないのですよ!
相手がいないどころか、 何も無いし、何も起きないのですよ!
今日までのあなたの人生において、自分抜きの人生ドラマが、一つだって、ありましたか?
自分の人生ドラマの中には、必ず、自分が、入っていたはずです。
それは、自分が、自分の人生ドラマの主役だからです。
もし、主役の自分が、抜けたら(いなくなったら)、途端に、脇役も、舞台も、すべて、消えてしまうのです。
今、あなたは、前方を見ています。
前方が見えるのは、あなたの目がカメラとなり、自分の前を写しているからです。
ですから、今日まで、カメラアングルの外れた日は、一日も、ありません。
あなたは、今日まで、一度だって、カメラを回さない日は、なかったのです。
あなたは、主役であると同時に、ドラマの原作者であり、演出者であり、監督であり、撮影技師であり、時代考証係であり、小道具係であり、照明係であり、衣装係であり、メイキャップ係だったのです。
自分がドラマの筋書きを考え、自分がドラマの舞台を設営し、自分がその舞台の上で演技してきたのです。
それは、すべて、自分の魂の成長のためです。
自分が計画して、自分がやることですから、何一つ、間違いはありません。
だから、私は、この世で起きている、どんな出来事も、自分の魂の成長のために起きている、と言うのです。
人生の目的は、あくまでも、自分の魂を大きくすることです。
神の自分の目的は、それしかないのです。
2018.04.15
祟りなど、ありません。
祟りと言うのは、死んで迷っている人たちが、この世で生きている人たちの悪想念に乗じて憑く現象のことです。
私は、妻と娘の骨を砕いて、山や川に散骨しました。
妻の親がいましたし、私の母親も生きておりましたから、手前上、墓も作りましたし、仏壇も買いました。
でも、親たちが死んだ時点で、墓も仏壇も取り壊しました。
その後、一度も、お参りしていません。それで、祟られましたでしょうか?
いいえ、祟られたことなど、一度もありません。
それは、悪想念を持たないからです。
また、死んだ人と関わりを持たないからです。
人生を、良くするも、悪くするも、想念次第なのです。
神事や仏事の問題ではないのです。
よく、死んだ人を懐かしがり、仏壇の前で、ブツブツお話ししたり、お経を上げたりする人がおります。
また、仏壇やお墓に、大金をかけたり、月参りとか、何回忌の法要とか、お盆などの法要に、お金をかけたりする人がおります。
世の人々は、これを、美徳と考えているようですが、そんな事をすればするほど、迷っている死人は、この世から離れません。
それは、この世に、執着を持たせるからです。
死人は、悟っているわけではないのです。
殆どが、真理を知らない迷った人たちです。
そんな、死人たちは、生きていた時のことが懐かしくて、なかなか、この世から、離れようとしないのです。
だから、法要などの祭り事をすれば、彼らは、喜ぶのです。
それは、良いことのように思いますが、逆なのです。
死んだ人は、向こうで、やるべきことが、沢山、あるのです。
いつまでも、地上に縛り付けておいては、征くところにも、往けません。
これは、魂にとって、大損です。
“祖先の霊が守ってくれるから、お墓や仏壇を大切にしなさい!”と、お坊さんや霊能者が言いますが、とんでもありません。
もし、本当に、祖先の霊が守ってくれるなら、どうして、仏壇のロウソクの火で、火事になるのですか? お墓参りの行き帰りに、交通事故に遭うのですか?
おかしいでは、ありませんか?
例えば、100歩譲って、祖先の霊が、子孫を守ってくれたとしましょう。
でも、それで、子孫は、成長しますか?
子孫の苦しみを安易に取れば、成長の妨げになるのですよ。
それは、子孫にとって、良いことですか? 悪いことですか?
神事や仏事などの祭事は、放っておいて、自分の魂(原子核・生命核)を大きくすることに、時間を使いましょう。
真理を知った賢い人なら、そうすると思います。
2018.04.22
※ 仏教では、人が死んだら、”仏様になりましたよ!”、と言いますが、仏と神とは、同じですから、”神様になりましたよ!”、と言っても良いはずですね。
と言うことは、ことわざの「触らぬ神に祟りなし!」の本当の意味は、仏と関わらなければ、災いを受けることはない、つまり、死んだ人と関わらなければ、災いを受けることはない、と言う意味になるのです。
迷った死人は、この世に執着を持っていますので、関わると、これ幸いとばかりに、人に憑いて悪さをするのです。
神社仏閣に、お参りに行った人や、カルト宗教に、入った人が、精神的におかしくなるのは、迷った死人と関わりを持ったからです。
どうか、死んだ人と関わりを持たないでください。と言うより、忘れてください。
忘れた方が、彼らのためになるのですから・・・。
※ よく、「ついているとか、 ついていないとか」、「運が、良かったとか 、悪かったとか」言いますが、「つきって・運って」、何でしょうか?
つきとか、運とか、言うのは、光が、強いか、弱いかのことなのです。
光が強ければ、人生は良い方へ傾き、光が弱ければ、悪い方へ傾くのです。
その光の強弱は、すべて、想念がしているのです。
想念が明るければ、光が強くなるので、つきや運が良くなり、
想念が暗ければ、光が弱くなるので、つきや運が悪くなるのです。
※ よく、リズムが、良いとか、悪いとか、流れが、良いとか、悪いとか、言いますが、これは、エネルギーの流れが、良いか、悪いかのことなのです。
悩みや、心配や、恐れなどの、ネガティブな想念を持つと、エネルギーの流れが悪くなるため、ギクシャクした人生になるのです。
人生を、良くしたかったら、エネルギーの流れを、良くしてください。
それは、常に、明るい想念を持つことです。
この世で起きている、どんな事も、すべて、自分の進化成長のために起きている、必然です。
このことが、腹の底で解ったら、何の心配もなくなります。
また、起きた、どんな事にも、感謝できます。
そのためには、下記の宇宙数式を、深く理解しなくてはなりません。
この数式は、この宇宙には、自分しか存在せず、しかも、その自分は、永遠に存在し続ける、と言う、数式です。
この数式が、腹の底で理解できたら、「どんな事も、すべて、自分の進化成長のために起きている!」と、思えるようになります。
もう、人の責任にすることは、なくなります。
また、人を、憎んだり、恨んだり、することも、なくなります。
今日、何か特別なことが起きたら、なぜ、そのようなことが起きたのか、よく、考えてみてください。
理由が分かったら、自分が成長できます。
例え、理由が分からなくても、必ず、意味があるはずです。
完全な神が、意味のない体験を、させるはずがないからです。
私たちは、相対的体験を通して成長して行くのです。
どうか、神を信じてください。
神は、何一つ、無駄な体験を、させないのですから・・・。
2018.04.29
※ おもしろいですね・・・。
地球人類70億人に、質問してみたいです・・・。
「一瞬でも、自分じゃなかった時を体験したことありますか?」って・・・。
自分じゃない状態って・・・どうしたら、創れるでしょうか?????
いや~~すごい!!
自分しかいないですね・・・。
自分・・・という状態以外に、何かあるでしょうか・・・ないですね!!
自分しかいない・・・って・・・こういうことだったんですね♪
これは、ある学びの友から頂いたメールです。
素晴らしい発見であるし、うまい表現の仕方ですので、ご紹介します。
人間は、どうして、「ひいきのチーム」を、作りたがるのでしょうか?
それは、自分の鬱憤を晴らしたいからです。
この社会は、「力の強い者が勝ち、力の弱い者が負ける」と言った、動物まがいの弱肉強食の社会です。
力の強い者は、良いでしょうが、力の弱い者は、力が弱いからと言って、黙って指を加えているわけにはゆきません。
そこで、ひいきのチーム(自分の代理人・身代わりの戦士)を作って、相手と戦い、鬱憤を晴らそうとしているわけです。
しかし、勝った者は、良いでしょうが、負けた者は、どうなるでしょう。
鬱憤が、積もるだけです。
これでは、互いに、心(宇宙)を、汚してしまいます。
ひいきのチームを作る、と言うことは、偏りを作る、と言うことですから、宇宙(中庸)の法則によって、しっぺ返しを受けるのは、当然なのです。
今、地球人類は、武器をボールに持ち替え、戦争しているようなものです。
どちらが勝っても、鬱憤は晴れません。
こちらが負ければ、こちらの鬱憤が増し、相手が負ければ、相手の鬱憤が増し、トータル的には、変わらないからです。
要するに、喧嘩両成敗のようなものです。
一日も早く、そのことに、気付いてもらいたいものです。
今、地球に、たくさんの醜い絵(戦争・事故災難・病気など)が描かれていますが、これは、何事も、偏っているせいです。
偏れば、苦しみが来るのが、法則ですから、苦しい絵が描かれるのは、当然なのです。
神様は、人類が、地球と言う表現世界に、どのような絵を描くのか、見ておられるのです。
そろそろ、人類も、偏りの過ちに気付き、地球に、美しい絵を描きたいものです。
2018.05.06
※ 地球人類は、実に、好戦的です。
それは、動物時代のクセが、まだ、残っているからです。
でも、それは、真理を深く知れば、取り除けるクセなのです。
つまり、自分の本性が、意識であり、生命であり、神であり、一つのモノであることを、心の底で知れば、自他の溝が埋まるため、好戦的な人から、平和的な人に変わるのです。
さあ、原子核を増やし、動物時代のクセを取りましょう!
私は、今まで、必要以上に、現象を嫌ってきたように思います。
それは、現象に惑わされ、人生の目的を見失っている人たちが、あまりにも、多いからです。
でも、私は、それで良いことに、気付かされたのです。
V字の左側にいる幼い魂は、全く、神に顔を向けません。
彼らは、肉体維持のために、毎日、物やお金集めに、躍起になっています。
でも、彼らも、必ず、V字の右側に進化して来るのです。
なぜ、神に顔を向けない魂が進化するのか?
それは、物質的な生き方をしても(現象に生きても)、原子核が増える仕組になっているからです。
私は、良く言います。
“原因を良くしなければ、結果は良くなりませんよ!” と・・・。
つまり、“どんなに、川下でゴミ拾いしても、川は綺麗になりませんよ!” と・・・。
確かに、人の心(魂)を成長させなくては、根本的解決にはなりません。
でも、よく、考えてみてください。
原因と結果は、離れていないのです。
離れていない、と言うことは、互いに影響しあっている、と言うことです。
と言うことは、結果をいじって、原因に影響を与えることができる、と言うことです。
それは、結果の中に、原因があるからです。
つまり、描かれた絵の中に、画家の思いがあるからです。
だから、絵を見て、画家の思いを汲み取れた人は、感動するのです。
これは、汗水流して、ゴミ拾いしている人たちの姿を見たら、ゴミを捨てている人の心に、影響を与えられるのと同じです。
真剣に平和を叫んで、デモをしている人たちの姿を見たら、好戦的な人たちの心に、影響を与えられるのと同じです。
私が、「人類の夜明3」の書を、手書きして欲しいと、願っているのも、同じ可能性を信じてのことです。
結果は、結果だけで、終わっていないのです。
文字は、文字だけで、終わっていないのです。
文字(結果)の中に、原因者の思いがあるのです。
その思いは、文字を書くことで、汲み取ることが、できるのです。
言葉は、神の思いが、響き(音)として、形に現れたものです。
同様に、文字も、神の思いが、形として現れたものです。
つまり、「身・・・行為」と「口・・・言葉」と「意・・・思い」は、一つなのです。
一つゆえに、文字から、思いを汲み取ることが、できるのです。
この物質世界も、幽界も、神の思いが、形として現れた、夢幻の世界です。
でも、今、私たちは、その夢幻の世界で、学んで、目覚めようとしているではありませんか?
実際に、目覚めた先輩たちが、沢山いるのです。
それは、結果で原因を変えられた、と言う証拠です。
もし、夢幻の世界から、何も学べないなら、私たちは、永久に、目覚めることは、できないでしょう。
と言うことは、V字の左側にいる幼い魂は、永遠に、V字の右側に来られない、と言うことです。
そんな、無慈悲な宇宙を、神が創られるわけありません。
ですから、文字も、言葉も、単なる、文字や言葉ではないのです。
つまり、現象は、単なる、現象ではないのです。
神は、現象の世界(結果の世界)からでも、成長できるようにしてくれているのです。
だから、私は、現象を軽んじてはならない、と言うのです。
だからと言って、皆さんに、ゴミを拾いに行きなさい!、デモをしに行きなさい!、とは言いません。
そんな、時間があるなら、原因を良くすることに、時間を使ってください。
つまり、瞑想して、原子核を増やすことに、時間を使ってください。
客観的見方しかできない、一般人は、外側に生きても(川下でゴミを拾ったり、デモをしたりしても)、仕方ありませんが、主観的見方ができるようになった、皆さんは、内側に生きるべきです。
つまり、瞑想して、原子核を増やすべきです。
それが、熟した魂の生き方です。
2018.05.13
※ 現象の世界(結果の世界)は、意識の世界(原因の世界)を、知るための教室ですから、学び終えたら、直ちに、上の学年に進むべきです。
懐かしがっていては、留年してしまいます。
※ 夢から目覚めたと思っても・・それは、夢です。
その夢から目覚めたと思っても・・それも、また、夢です。
また、その夢から目覚めたと思っても、それも、また、また、夢です。
私たちは、永遠に、夢を見続けてゆくのです。
でも、これは、喜ぶべきことなのです。
なぜなら、その夢は、苦しみ多い夢から、楽しみ多い夢に、変わってゆく夢だからです。
それが、進化です。
世の人々は、悩み多い人生を送っていますが、この世は、夢幻の世界なのですよ!
あなたに、起きている、どんな出来事も、時間がくれば、事情が変わってしまうのです。
もし、今、あなたに、死にたいほどの悩み事があるなら、そんな、悩み事など、笑い飛ばしてしまいなさい! どうせ、夢幻なのですから・・・。
そうです。この世は、あなたが、悩むほど、価値のある世界では無いのです。
それよりも、せっかく、夢幻の世界に出てきたのですから、楽しんでください。
あなたは、”今夜は、楽しい夢を見よう!”と思って、床についたことは、ありませんか?
日々の人生も、そうしたら、良いのです。
ただし、夢を、真剣に楽しんではなりません。
真剣に楽しんでは、ミイラ取りが、ミイラになってしまいます。
夢幻だと自覚した上で、楽しんでください。
考えてみると、神は、実に、うまい方法で、私たちを目覚めさそうとしています。
夢の中で真理の勉強をさせ、目覚めさそうとしているのですからね。
これは、神ならでの見事な覚醒法です。実に、ありがたいことです。
2018.05.20
※ 例え、あなたに、罪深い過去があったとしても、それは、真理に目覚めるために必要な過去だったのです。
罪を犯さない人など、一人もいないのです。自分を責めないでください。
どんな、苦しい過去も、みな、自分の成長に必要だったのですから・・・。
※ 自分の思い通りに生きてください。
それが、必然であり、良いことなのですから・・・。
その証拠に、今日まで、自分の思い通りに生きてきて、真理に、つながったではありませんか?
これからも、そのように生きたら良いのです。
ただし、社会体験と瞑想だけは、やってください。
それを、やらなくては、本末転倒になってしまいます。
神には、姿形がありません。
それでは、どんなに偉大な神でも、存在していないのと同じです。
そこで、神は、人間を、自分の分身として、この世に送り、自分の存在を明かそうと考えたのです。
ですから、人間は、神の代弁代行役を果たす使命があるのです。
でも、多くの人間は、神に顔を向けようとしません。
ですから、神は、使いたくても、使えないのです。
でも、皆さんは、違います。いつも、神に顔を向けています。
ですから、“私を、世のため、人のために、お使いください!” と、真剣に祈れば、神は、喜んで、使ってくれるのです。
神の意図は、人類に、理想の世を創ってもらうことです。
そのためには、地球に、真理を根付かせねばなりません。
皆さんは、その先駆けとして、地球に送られた魂です。
でも、使命を果たすには、まず、皆さんが、成長しなくてはなりません。
それには、瞑想が必要なわけですが、瞑想は、なかなか、難しく、時間もかかります。
そこで、神は、「身・口・意」を利用して、魂を大きくしようと考えたのです。
この方法なら、即効性があり、具体性もありますから、真理を知った者なら、誰でも、できます。
「身」とは、行為です。「口」とは、言葉です。「意」とは、想いです。
想いは、見えませんが、口と行為によって、見える状態にできるのです。
つまり、神(天)の意を、言葉と手書きを通して、地に降ろせるのです。
実際に、私は、勉強会で、お話することで、降ろしています。
また、今週の真言や、更新集や、本で、降ろしています。
それを、皆さんにも、やって頂きたいのです。
どうか、私の本を手書きしてください。
間違いなく、神(天)の意を降ろすことができます。
それは、書いて、気持ちが良くなることで証明できます。
気持ちの良い状態・・・それが、神(天)に使われている状態なのです。
2018.05.27
※ 真理を手書きしている時、あなたは、罪滅ぼしをしているのです。
瞑想している時、あなたは、罪滅ぼしをしているのです。
この二つを、やっている時、あなたは、日本に、地球に、「光」を降ろしているのです。
神は、言葉なりき・・・
言葉は、神なりき・・・
あなたは、今朝・・
家で、妻や子と、お話しました
本当に、妻や子と、お話したのでしょうか?
あなたは、先ほど・・
お店で、お客様と、お話しました
本当に、お客様と、お話したのでしょうか?
言葉は、神にしかありません
ならば・・
お話した相手は、みな、神ではありませんか?
そうです
あなたは、今朝・・
家で、神様と、お話したのです
あなたは、先ほど・・
お店で、神様と、お話したのです
この宇宙で、最も確かなことは
神のみが語れる、という事実です
ならば・・
言葉を話す人は
みな、神ではありませんか ?
私たちは・・
神が語っているのに
人が語っていると、誤解しているのです
これでは、神様から・・
「あなたは、言葉を盗んでいますよ!」
といわれても、仕方がありません
どうか・・
言葉を盗まないでください
あなたは・・
間違いなく、神なのですから・・・
※ 尊ぶべきことは・・
純粋さです。
誠実さです。
ひたむきさです。
一生懸命さです。
どんなことも肯定的に受け取る・・
ポジティブさです。
そして、何よりも、大切なのは・・
夢を持ち・・希望を持ち・・
神を想うことです。
2018.06.03
この世には、「背信」という言葉がありますが、この「背信」の文字は、本当は、「背神」と、書くべきなのです。
神を信じない人、あるいは、神に背いている人を、背神というのです。
あなたは、過去に、神に背いて生きた時代が、あったかも知れません。
でも、自分を責めてはなりません。
なぜなら、背神によって、痛い目に遭い、成長できたからです。
大切なのは、自分を責めることではなく、神を真剣に求め、自分を成長させることです。
今、神を真剣に求めたら、昔の背神の罪は、すべて、許されるのです。
過去を悔やむことほど、愚かなことは、ありません。
どうか、今、真剣に神を求める賢い人になってください。
背神は、決して、悪いことではないのですから・・・。
2018.06.10
※ 世の人々は、自業自得を、悪と決めつけていますが、自業自得は、決して、悪いことではないのです。
なぜなら、自分が作った業で、苦しい目に遭い、気づいて、自分が成長できるからです。
たしかに、苦しい部分だけ見たら、悪のように見えるかも知れません。
でも、この宇宙は、表裏を体験して、成長するよう、できているのです。
神は、完全です。その完全な神が、自業自得を、悪にしておくはずがありません。
信じてもらうために、自業自得の正しい意味を教えましょう。
漢字辞典では、自業自得とは、自分で作った「業」で、自分が苦しむ、と言う解釈をしています。でも、これは、誤りです。
本当は、自分で作った「業」で、自分が得をする、と言う意味なのです。
実際に、私たちは、苦しむことによって、得(成長)している、では、ありませんか。
だから、自業自得は、良いことなのです。
老いることを、憂いている人に、死ぬことを、恐れている人に、私は、言いたいと思います。
老いることは、良いことだ、死ぬことは、良いことだと・・・。
どうでしょう? カゴの中の鳥は、幸せですか?
苦しいのでは、ありませんか?
私たちは、カゴの中の鳥のように、不自由な肉体の中に、何十年間も、閉じ込められ、生きてきたのです。
老いる、と言うことは、死ぬ、と言うことは、その肉体から開放され、自由になる、と言うことです。
どうか、老いることを、死ぬことを、恐れないでください。むしろ、喜んでください。
だからと言って、自殺は、しないでください。
なぜなら、計画を途中放棄して、帰ることになるからです。
それでは、生まれてきた意味がありません。
どうか、計画を全うして、帰ってください。
計画を全うして帰るとは、寿命が来る日まで、自分の思い通りに生きなさい、と言う意味です。
ただし、真理を学んでいる皆さんは、二つのことは、やってください。
年のはじめに、「おめでとうございます!」と言うのは、帰る日が近づいて、「おめでたい!」と言う意味です。
どうか、老いることを、死ぬことを、悪いことだと思わないでください。
2018.06.17
なぜ、人に言葉があるのでしょうか?
それは・・
神の代弁代行者だからです
もし、人に言葉が無かったら・・
神は、自分の思いを・・
永久に、呑み込んだままでなくてはならないでしょう
それでは・・
宇宙は、何も進展しません
「初めに言葉ありき、その言葉によって、宇宙は成れり!」です
言葉は、創造の力です
その力によって・・
宇宙が創られたのです
その言葉は・・
私も、持っています
あなたも、持っています
ということは・・・
私も、あなたも、神の代弁代行者である、ということです
さあ!・・
大いに言葉を使い・・
神の代弁代行役を果たしましょう
※ 神には、姿形がありませんので、自分の存在を明かすことができません。
存在を明かすためには、何らかの方法で、明かさねばならないわけですが、手っ取り早い明かし方が、思いです。
でも、思いも、見えませんから、明かすことはできません。
そこで、神は、存在を明かす手段として、言葉を編み出したのです。
これが、「言葉は神なりき!」と言われる由縁です。
言葉は、神を明かす、一番端的な表現道具なのです。
今の地球は、情報真っ盛りの時代ですが、それは、情報が多くなれば、言葉の使い方が勉強できるからです。
でも、魂が成熟してゆくと、あまり、情報は、必要なくなります。
だから、熟成した星では、言葉が、少なくなってゆくのです。
その証に、学びの友は、大分、言葉が少なくなっているはずです。
では、ここで、正しい言葉の使い方を、真理に照らして、考えて見ることにしましょう。
1. 今、必要なことだけ、話すことです。
余計なことを話せば、余計な言葉が返ってきます。
そうなれば、トラブルも多くなります。
また、言葉が多くなれば、連想が多くなるので、雑念も多くなります。
これは、瞑想する者にとって、大敵です。
心が満たされないから、言葉が多くなるのです。
つまり、心が寂しいから、言葉が多くなるのです。
どうか、心の寂しさを、神で満たしてください。
心が満たされれば、余計なことを、話さなくなります。
2. できるだけ、飾り言葉は、使わないことです。
飾り言葉は、今のギクシャクした社会では、必要かもしれません。
でも、真理を学んでいる皆さんは、できるだけ、飾り言葉は、使わないことです。
飾り言葉とは、例えば、「良い天気ですね!」とか、「今日は、少し寒いですね!」といった言葉、「それでは、お元気で!」とか、「ご苦労様でした!」と言った言葉です。
つまり、要件を話す前に使う言葉と、終わった後に使う言葉です。
使い過ぎても、少な過ぎても、間が保てません。
丁度良い、使い方をしてください。
3. おべんちゃら、おべっか、へりくだった言葉などを、あまり、使わないことです。
余り使うと、人をバカにしているように取られます。
特に、歯の浮くような褒め言葉は、厳禁です。
4. 押し付け語や制約語を、使わないでください。
「こうしなければならない! ああしなければならない!」といった、押し付け語や制約語を、使わないでください。苦しくなってしまいます。また、和やかな場を壊してしまいます。
5. 相手の弱みを突くような言葉を、使ってはなりません。
人には、触れてもらいたくない、弱みがあるものです。
その弱みを突いては、怒りを買ってしまいます。
どうしても、分かってもらいたいなら、譬え話とか、遠回しの言葉を使って、分かってもらってください。
このテクニックを身に付けるのも、学びの一つです。
6. 相手をやっつけるような言葉の使い方をしてはなりません。
相手の間違いを正したい気持ちは分かりますが、あからさまに、指摘したら、怒りを買ってしまいます。
言いたいことがあれば、会議の場で、一般的な意見として言いましょう。
自分の体験を話せば、説得力があって、良いでしょう。
作り話を交えて話すのも、効果があるでしょう。
お釈迦様が、嘘も方便、と言われたのは、本当に、人の成長を願って使う嘘は、良いことだからです。
7. 否定語やネガティブな言葉を使ってはなりません。
否定語やネガティブな言葉は、波動を下げます。
前向きな、建設的な、ポジティブな言葉を、多く使うようにしましょう。
次のような言葉の使い方も、良くありません。
例えば、「平和でありますように、元気でありますように、成就しますように、神でありますように」と言った、言葉です。これらの言葉は、否定語です。
使うなら、「平和です。元気です。成就しました。神です。」と言った、肯定語・確定語を使ってください。
8. 「ありがとう!」という言葉を、臨機応変に使いましょう。
「ありがとう!」という言葉ほど、波動の良い言葉はありません。
皆の心を和ませます。皆の心を嬉しがらせます。皆の心を喜ばせます。
できるだけ、「あ・い・う・え・お」と言った、響きの良い言葉を使い、
「ば・び・ぶ・べ・ぼ」と言った、響きの良くない言葉は使わないでください。
9. 褒め言葉を使いましょう。
褒め言葉を上手に使えば、人を成長させることができます。
褒め言葉は、幼い子を成長させる、最大の良薬です。
怒って成長させるのではなく、褒めて成長させましょう。
2018.06.24
見える結果体は、幻です。
でも、私たちにとっては、見える幻は、とても、大切なのです。
もし、幻(結果)が見えなければ、原因追求しようと、思いませんから、反省もしないし、悪いところも直そうとしないでしょう。
それでは、また、同じ悪いこと(悪い結果を招く)をしてしまいます。
交通事故を起こしても、結果が見えなくては、原因追求しようと、思わないでしょうから、また、同じ交通事故を起こしてしまうと言うことです。
写真がありがたいのは、起きたこと(結果)の良し悪しが、目で見られるからです。
この表現世界は、 写真のようなものなのです。(実際に無い、結果の世界は、写真で撮れるが、実際に有る、原因の世界は、写真で撮れない。)
見えない、原因の良し悪しは、見える、結果になって、初めて、分かるのです。
だから、見える結果は、成長するためには、とても、大切なのです。
原因と結果の関係は、自我と真我との関係に、当てはめてみると、良く解ります。
自我の自分は、結果の自分です。
真我の自分は、原因の自分です。
真我(原因)の自分だけでは、「自分」の存在は、無いのです。
勿論、結果の自分だけでも、「自分」の存在は、ありません。
それでは、「自分」が存在していないのと同じです。
自我(結果)の自分が、真我(原因)の自分を認め、はじめて、「自分」を存在させることが、できるのです。
そう考えると、自我(結果)の自分の存在が、何と有難いことか・・・・それが、どんなに嫌な自我(結果)の自分だろうが、感謝しなくてはなりません。
自我(結果)の自分を愛している人は、真我(原因)の自分を愛しているのです。
真我(原因)の自分を愛している人は、自我(結果)の自分を愛しているのです。
愛するとは、意識することなのです。
愛するとは、想うことなのです。
自我(結果)が、真我(原因)を意識し、真我(原因)が、自我(結果)を意識することが、「自分」を愛することになるのです。
これが、「自分が自分を愛するよう仕向けた」、自己完結型宇宙の素晴らしい仕組みなのです。
ここで言っている「自分」とは、本当の自分のこと・・・つまり、神人の「自分」のことです。
2018.07.01
学んでいる皆さんの中に、昔の幼い自我の思いでやったことを、悔やんでいる人がいるようですが、そんな、過去のことで、悔やまないでください。
私たちは、時間の中にいるのですから、刻々と成長しているのです。
ましてや、真理を学んでいる皆さんは、瞑想をしているわけですから、今の自我の思いは、昔の自我の思いに比べたら、格段の差で高度になっているのです。
確かに、過去、幼い思いによって、苦しい体験をしたかも知れません。
でも、その苦しい体験が、真理に顔を向けさせたのですから、それは、良かったのです。
過去のことを悔やんで、自分の宇宙を汚すことほど、大損なことはありません。
どうか、そんな、愚かなことはしないでください。
私だって、幼い時には、くだらない思いを持ち、くだらないことをしたのです。
でも、それで、今の自分に、成長できたのですから、くだらないことをやったことは、無駄ではなかったのです。
神は、完全です。その完全な神が、私たちに、無駄なことをさせるわけがないのです。
あなたが、過去に置いた黒石は、今、真理を学んでいることで、すべて、白石に変わったのです。
大切なのは、過去を悔やむことではなく、今の今を真実に生きることです。
2018.07.08
※ 過去を悔やんでいる人たちは、苦しみを作っています。
また、未来を憂いている人たちも、苦しみを作っています。
今の今、真実に生きている人たちだけが、幸せを創っているのです。
ですから、今の今に生きている人は、生き人です。過去や未来に生きている人は、死に人です。
世の中には、不幸災難に見舞われ、苦しんでいる人たちが、大勢おります。
確かに、見た目には、可愛そうに見えるでしょう。
でも、不幸災難は、決して、悪いことではないのです。
このことは、真理を学んでいる人の前で言えることで、一般人の前で言ったら、怒られますので、気を付けてください。
では、なぜ、不幸災難が、悪いことではないのか?
少し難しいかも知れませんが、理由を述べたいと思います。
私たちの本性は、肉体ではありません。形ではありません。人間ではありません。
永遠に生き通す、意識です。生命です。魂です。
このことを前提に読んでください。
なぜ、何か(不幸災難)が、起きたのでしょうか?
それは、意識させる必要があったから、起きたのです。
と言うことは、意識されないところで、何かが起きることは、絶対あり得ない、と言うことです。
この点に、注目してください。
仮に、意識しないところで、何か(不幸災難)が、起きたとしましょう。
では、それは、誰のために、何のために、起きたのでしょうか?
意識しないところで起きたことに、意味があるでしょうか?
また、意識しないところで起きたことは、起きたことになるでしょうか?
それは、例え、起きていても、起きていないのと同じではありませんか?
認める意識者がいなければ、認められる何かが、起きようがないのですよ!、と言うことは、人のいないところ(意識しない所)で、何か(不幸災難)が、起きることは、絶対あり得ない、と言うことです。
と言うことは、意識の前で起きたことは、すべて意味のある必然だと言うことになります。
これは、起きたことの意味を受け取ってもらいたくて、意識の前で起きたのですから、当然です。
では、起きたことに、どんな意味が、あるのでしょうか?
それは、意識に疑問を持ってもらいたくて起きた、と言う意味です。
では、意識に、どんな疑問を持ってもらいたいのでしょうか?
今、私たちの前で、刻々と何かが起きています。
その起きたことを、私たちは、今、意識しています。
その意識は、なぜ、こんな事が起きたのかと、疑問を持ちます。
疑問を持てば、疑問の謎を解こうと追求するでしょうから、疑問の謎が解けます。
謎が解ければ、進化成長できます。
このように、私たちは、進化成長するために、意識させられているのです。
と言うことは、起きたことは、すべて、必然だと言うことになります。
起きたことに、意味(目的)がなかったら、偶然ですが、意味(目的)があって起きたのですから、必然なのは、当然でしょう。
起きた、苦しいこと、悲しいこと、辛いこと、すべて、進化成長に必要な必然です。
だから、不幸災難は、悪いことではない! と、私は、言うのです。
今まで、私たちは、沢山の不幸災難に遭って、進化成長してきたのです。
2018.07.15
※ どうして、意識の前でしか起きないのでしょうか?
それは、意識されて、はじめて、起きたことになるからです。
意識されなくては、起きていても、起きていないのです。
起きたのは、意識が存在していたからです。
その起きたことは、意識に、何らかの影響(疑念・不審・疑惑・疑問・訝しさ)を与えるのです。
影響を与える、と言うことは、意味があった、と言うことです。
では、どんな意味が、あったのでしょうか?
それは、影響を受けた意識は、すべて、進化成長して行く、と言う意味です。
疑問や疑念を持った意識は、疑問の謎解きをするので、必ず、進化成長するのです。
神は、地球に、光を、降ろしたくて、降ろしたくて、常に、媒体を探しています。
でも、地球人類は、一向に、神に顔を向けようとしません。
これでは、光を、降ろしたくても、降ろせないのです。
どうか、学んでいる皆さんだけでも、媒体になってやってください。
そのためには、神に意識を向けることです。
神に意識を向けるとは、プラグをコンセントに差し込むこと、つまり、瞑想することです。
神は、電気ですから、プラグを差し込んだ途端に、電流が流れ、電球である、私たちは、光りだすのです。
真理を手書きすることも、プラグをコンセントに差し込むことの一つです。
真理を手書きしている時は、天の光を、地に降ろしている状態なのです。
どうか、瞑想してください。どうか、真理を手書きしてください。
神は、喜んで、光を降ろしてくれるでしょう。
2018.07.22
※ 神に会いたかったら、「私を、世のため、人のために、お使いください!」と、祈ってください。神は、喜んで、使ってくれるでしょう。
使ってくれる、と言う意味は、神に会える、という意味です。
皆さんが、神の媒体になっている時は、神に会えている状態なのです。
その時、細胞が震えます。自分が光り出します。気持ちが良くなります。
神様の願いは、すべての存在物を、永遠に尽きない、永遠に色あせない、幸せの中に連れて行くことです。
では、どのような方法で、連れて行ってくれるのでしょうか?
それは、体験です。
体験すれば、原子核が増えます。
原子核が増えれば、進化成長します。
進化成長すれば、自然と、真の幸せの中に連れて行ってくれるのです。
体験は、宝なのです。
例えば、日々やっている、
子育ても、
介護も、
家事も、
仕事も、
スポーツも、
芸術も、
音楽も、
学業も、
みな、進化成長させてくれます。
鳥の糞が頭に落ちてきたことも、
犬に吠えられたことも、
蚊に刺されたことも、
足をくじいたことも、
電車が遅れたことも、
みな、進化成長させてくれます。
痛いことも、
痒いことも、
寒いことも、
暑いことも、
みな、進化成長させてくれます。
当然、
地震も、
台風も、
雷も、
病気も、
事件事故も、
みな、進化成長させてくれます。
一見、関係なさそうな、
カエルが鳴くことや、
セミが鳴くことや、
蜂の巣を作ることや、
蜘蛛の巣を作ることも、
「風が吹いたら桶屋が儲かる!」の譬えで、みな、進化成長させてくれます。
この地球で、この社会で、体験したことのすべてが、原子核を増やしてくれるのです。
体験は、幸せに近づく原理なのです。
この原理が信じられたら、どんな、苦しいことも、辛いことも、喜んで受け入れられるようになるでしょう。
これまで、体験したことを、一つひとつ紐解いてみてください。
良い体験も、悪い体験も、みな、進化成長に結びついているはずです。
私が、すべて良し、すべて善し、すべて好し、と言うのは、どんな体験も、進化成長させてくれるからです。
これは、一般人には、理解できなくても、学んでいる皆さんなら、理解できると思います。
どうか、体験は、宝であることを信じてください。
信じられたら、どんな体験も、ありがたくて、ありがたくて、仕方なくなります。
2018.07.29
※ なぜ、必然には、意味があるのでしょうか?
それは、目的を持っているからです。
どんな目的を持っているのか?
それは、進化成長させる、と言う目的です。
だから、必然で固められている、この宇宙では、どんなモノも、進化成長して行けるのです。
私たちは、常々、光の恩恵を受けています。
光がなければ、何も見えません。何も育ちません。何も行動できません。
それよりも、何よりも、心が楽しくないのです。
光ほど、有り難いものはないのです。
では、光って、何でしょうか? 光は、どこから、生まれてくるのでしょうか?
光は、意識なのです。光が感じられるのは、意識が光だからです。
意識がなくては、光は無いのです。意識 = 光 なのです。
その意識は、神ですから、光は、神なのです。
この宇宙は、その神の光(意識)で満ち溢れているのです。
その光の性質は、楽しいのです。嬉しいのです。喜びいっぱいなのです。
光に満たされると、幸福な気分になるのは、光の性質が、楽しくできているからです。
「笑う門には福来たる!」と言う諺がありますが、これは、光の性質から言って、当然のことなのです。
笑い声の絶えない家(門)には、福がやってくるのです。
なぜ、笑えば、福がやってくるかと言いますと、笑いが、光を呼び寄せるからです。
その笑いは、苦しい心からは、生まれません。楽しい心から、生まれるのです。
では、心を楽しくするには、どうすれば、良いのでしょうか?
この他にも、心を楽しくする方法はありますが、それは、皆さんが考えてください。
どうか、神を想ってください。良いことを想ってください。光をイメージして(想って)ください。原子核が増え、同時に、福もやって来ます。
2018.08.05
※ 心が曲がると、口も曲がるし、技も曲がるし、ボールも曲がるし、作った野菜も曲がるし、世話した花や木も曲がるし、飼っている犬も凶暴になるのです。
すべて、心次第です。
心を上手に使ってください。上手に使えば、必ず、福がやってきます。
病気になりたくなかったら、あるいは、病気を治したかったら、意識して体を動かしてください。
それも、こまめに、意識し、こまめに、体を動かしてください。
こまめに、意識し、こまめに、体を動かせば、動かすほど、原子核が増えるので、体調が良くなります。
では、具体的に説明しましょう。
“体調不良な人に、そんな、酷なことを言っても! ” と、思うかも知れませんが、私は、それを承知で言うのです。
何もしないで、何か成し遂げられますか? 何か得られますか?
何かを成し遂げるには、何かを得るには、それなりの努力がいるのです。
それも、辛いこと、苦しいこと、厳しいことを、やってこそ、得られるのです。
甘えていては、駄目です。神は、楽して得られる宇宙など、創っていません。
体を動かす、例えとしては、
何でも結構です。
体調が良くなったら、少しずつ、厳しいことに、挑戦してください。
例えば、
間違いなく、体調が良くなります。と、同時に、気持ちが、心が、強くなります。
スポーツマンが、沢山、練習して、自信を付けるように・・・体を、沢山、動かせば、自信が付きます。もう、病気する気がしなくなります。何よりも、サタンにやられなくなります。
ですから、真理を求める気持ちが、強くなります。
甘えていては、駄目です。弱気になっていては、駄目です。強い気持ちを持ってください。
自分の想念で、病気を作ったのですから、自分の想念で、病気を治してください。
学びの友だからこそ、厳しく言うのです。
最後に、肝心な点を述べましょう。
最後に・・・悪想念を持ちながら、体を動かしても、意味ありません。
一番大切なのは、悪いことを、想わないことです。
悪想念を持たなければ、病気になることは、絶対ありません。
2018.08.12
※ 体を動かせない人は、想い(イメージ)で、体を動かしてください。同じ効果が、あります。
想い(イメージ)で、
想い(イメージ)で、何でもできます。
※ 原子核を増やす最高の方法は、真理を手書きする事と、瞑想する事です。
日々の生活の中に、組み込んでください。
※ 社会体験と瞑想は、原子核を増やすために必要な両輪です。
どちらが欠けても、コケてしまいます。
※ どんな良いことでも、続けなくては、駄目です。
どうか、毎日、やり続けてください。
この表現宇宙に、「元々、このような姿の宇宙がある!」と言った、宇宙が存在するわけではないのです。
人類の理解力に比例して生み出された、宇宙があるだけです。
もし、この表現宇宙に、元々、このような姿の宇宙があったなら、結果が先にあったことになり、宇宙は、無茶苦茶になってしまいます。
あったから、創られたのではなく、創ったから、あったのです。
この表現宇宙には、人類の理解力に比例して、美しくなって行く(高度になって行く)、宇宙があるだけです。
人類の理解力は、時々刻々と進化成長して行くわけですから、表現宇宙も、時々刻々と進化成長して、美しくなって行くのです。
人類の理解力の成長に、限りがありませんから、表現宇宙も、限りなく、美しくなって行けるわけです。
この地球に、元々、醜いモノや、美しいモノが、あったわけではないのです。
人類の理解力が、醜いモノや、美しいモノを、作っただけです。
確かに、今の地球人類は、美しいモノより、醜いモノを多く作っています。
でも、どんなに、醜いモノを多く作ろうと、それは、間違いではないのです。
ただ、地球人類は、今の理解力によって、精いっぱいのモノを、作っているだけです。
この地球に、間違いも、失敗も、悪も、ありません。
理解力の乏しい幼い魂が、存在するだけです。
それは、間違いでも、失敗でも、悪でも、ないのです。
魂が成長して行けば、自然と美しい地球を創るようになるのです。
どんな、優秀な画家も、未熟な時代には、醜い絵を描くものです。
でも、勉強して、技を身につければ、美しい絵を描くようになるのです。
地球人類も、同じです。
途中の醜い絵を見て、間違いだ! 失敗だ! 悪だ! と、言わないでください。
なぜ、クドクド言うのかと言いますと、元々、何かがあったのではなく、人類の理解力が、何かを創っていることを、知って欲しいからです。
2018.08.19
※ あなたの人生も、同じです。
元々、苦しい人生が、あったわけではないのです。
理解力の幼さが、想念を苦しいことに使い、苦しい人生を作っただけです。
学んで、理解力を高めれば、良い人生を作ることができるのです。
※ 良い宇宙を創るのも、良い人生を作るのも、すべて、私たちの理解力です。
※ 宇宙が無限なのは、人類の理解力が無限だからです。
病を消す、業を消す、こんな簡単な方法があったのです。
【病を消す】
今、出ている症状(痒い・痛い・苦しい状態)は、病気が消えて行っている状態ですから、放っておいたら、病気は、治るのです。ただ、また、掴むから、治らないだけです。
神様は、この宇宙に、「原因と結果の法則」と言う、素晴らしい仕組みを作ってくださいました。
その仕組は、宇宙(白板)に書いた字や絵は、放って置いたら、自然に消えて行く、と言う仕組みです。
つまり、作った原因は、結果として、現象化(痛い・苦しい)されますが、放って置いたら、現象(痛い・苦しい)は、消えてしまうのです。
この法則があるから、私たちは、救われるのです。
でも、私たちは、痛い・苦しいが、やってきたら、心配したり、恐れたり、悩んだりします。だから、治らないのです。
例え、痛い・苦しいが、やってきても、「今、病気が、消えていっている! 消えていっている! ありがたいことだ! ありがたいことだ!」と思えば、原因を作らないわけですから、病気は、治るのです。
【業を消す】
過去世の業を消すのも、同じです。
例え、今、苦しいことが起きていても、「ああ、今、過去生の業が消えて行っている! 今、過去生の業が消えて行っている! ありがとうございます! ありがとうございます!」と思ってください。
それも、苦しいことが来るたびに、「今、過去生の業が消えて行っている! 今、過去生の業が消えて行っている! ありがとうございます! ありがとうございます!」と思ってください。
そう思っている時は、悪い想いは持てませんから、業の上乗せをしないで済むのです。
同時に、二つ思えないのが、想念の性質ですから、その性質を利用することです。
さあ、いつも、「ありがとう」とか、「嬉しい」とか、「楽しい」とか、良い思いを持ってください。
その時、悪い思いは持てないのですから、段々と、悪いことは起きなくなるのです。
一番良い思いは、神を想うことです。
難しい技術は、要りません。いかに、悪い想念を持たないようにするか、だけです。
そのためには、常に、良い想念を持つよう、心がけることです。
2018.08.26
※ 痛み苦しみを半減させる、二つの方法があります。
※ 一番大切なのは、自分の原子核(魂)を大きくすることです。
病気も、業も、魂を大きくするために必要な方弁ですから、魂が大きくなれば、病気も、業も、消えてゆくしかないのです。
どうか、二つのことを、やってください。
※ 肉体(この世の現象)が、自分で悪くなることは、ありません。
肉体には、何の力もないからです。
肉体が、病気を作ると思えば、心配しますが、想念が、病気を作ると思えば、嬉しくなります。
なぜなら、自分の想念で、病気が治せる、と思うからです。
想念は、自由に使えます。
どうか、想念を良く使って、病気を治してください。
想念の持ち主である、あなたが、あなたの主治医なのです。
※ ひどい外傷を負ったときには、やはり、病院には、行かねばなりません。
でも、少々の傷なら、気にせず、放って置いたら、生命力が治してくれます。
どこまで、生命力に任せるかは、中庸の学びです。
○ 私の独り言パート3・・私の取り柄
私には、何の取り柄もありません。
頭も悪いし、背も小さいし、学歴もないし、お金もないし・・・・でも、たった一つだけ取り柄があります。
それは、明るいことです。いつも良いことを思っている、ポジティブさです。
内なる神は、言ってくれました。「それが、何よりだよ!」と・・・・。
私は、嬉しくてたまりませんでした。
私は、これからも、良いことだけ思い! 良いことだけ口にし! 明るいふるまいをします。
・・良い思いの一番は、神を想うことです・・
ある、青ヤドカリが、大きな家に住む、赤ヤドカリを羨んでいました。
“自分も、あんな大きな家に住みたいなあ!と・・・”
ある日、赤ヤドカリが留守をしたのを幸いに、その大きな家に引っ越した(乗っ取った)のです。
”やっと、望みが叶った!、嬉しいなあ!” 、青ヤドカリは、大喜びしました。
でも、住んでみると、あまり、居心地が良くありません。
台所には、ゴキブリがウヨウヨしているし、ネズミも、時々、顔を見せます。
小さな家に住んでいた時には、ゴキブリも、ネズミも、いなかったのに、この大きな家には、ゴキブリやネズミが、沢山いるのです。
青ヤドカリは、一生懸命、掃除しましたが、あまりにも家が大きいため、掃除し切れません。
そこで、青ヤドカリは、仕方なく、掃除夫を雇いました。
環境は、良くなったのですが、掃除夫に支払うお金が大変です。
そこで、仕事を増やしました。そうなると、ゆっくりとした生活ができません。
青ヤドカリは、仕事に追われ、ついには、ノイローゼーになってしまいました。
青ヤドカリは、前の小さな家が恋しくなり、戻って行きました。
でも、どうでしょう。すでに、誰かが住んでいるのです。
覗いてみると、何と、あの大きな家に住んでいた、赤ヤドカリだったのです。
ネズミやゴキブリは、自分で掃除できる大きさの家に住みなさい!、欲張って大きな家に住めば、リスクを背負いますよ! と言うことを、教えてくれているのです。
これは、求道にも通じる話です。
2018.09.02
※ ある学びの友から、このような面白いメールを頂きましたので、ご紹介します。
「ゴキブリやネズミが、見た目、良くない理由が、論理的に、しっかりと、解りました。
もし、ゴキブリやネズミが、美しかったり、可愛かったら、人間は、ゴキブリやネズミを飼って、汚い台所を掃除させ、自分で掃除しないでしょう。
それでは、人間は、怠け者になってしまいます。
ゴキブリやネズミは、掃除しきれないゴミを食べてくれる存在であり、人間を怠け者にするために存在しているのではない。
だから、神様は、彼らを醜く創られたわけですね。・・・納得です。
先日、ガムテープで塞いだ排気口に糞をしていったのは、「折角、掃除してあげているのに、我々の出入口を塞ぐなんて何事だ!」、という意味だったのでしょうね!!
ということで、ガムテープを剥がしました。
ゴキブリさんやネズミさんの行動の裏には、神の思惑が働いているのですね。
神様って、とても、人間的ですね、・・・(笑)
あなたの前で、何かが起きた!
それは、誰のために、起きたのですか? 何のために、起きたのですか?
それは、自分の進化成長のために、起きたのではありませんか?
自分の意識の前で起きたことは、すべて、自分の進化成長のために起きた必然なのです。
未だかって、自分の意識以外の前で、何かが起きたことはないのです。
自分の意識の前でしか起きようがないのは、自分が認識して、はじめて、起きるからです。
それは、自分が、主観の主(創造主)だからです。
だから、起こっているのじゃない!、自分が起こしているのです。見せられているのじゃない!、自分が見せているのです。
私が、嬉しいのは、どんなことも、私(自分)の進化成長のために、起きていると言う、必然です。
2018.09.09
※ 宇宙も、地球も、社会も、家族も、恋人も、私(自分)の進化成長のために、存在し、私(自分)の進化成長のために、生まれてきたのです。
こんな、嬉しいことが、ありましょうか・・・。
神は、全能です。その神が、私たちの中におられるのですから、絶対、ごまかしが効かないのです。
神は、あなたが、何を思っているのか、何をやりたいのか、すべて、ご存知なのです。
私たちは、何のために、生まれてきたのでしょうか?
お金や、物や、権力を、得るためですか?
あるいは、この世の楽しみを、謳歌するためですか?
魂を、大きくするため、では、ありませんか?
今、あなたは、日々、何のために、生きていますか?
真理を学んでいるのに、なぜ、苦しいことが来るのか?
苦しんでいる人は、考えてみてください。
神に、真剣に、顔を向けていないから、では、ありませんか?
つまり、片手間で、真理を求めているから、では、ありませんか?
今のあなたの苦しみは、”真剣に真理を求めなさい!” と言う、警告なのです。
神は、成熟した魂のあなたに、それほど厳しい真理の求め方を望んでいるのです。
今、幸せな人生を歩んでいるからと言って、怠けていたら、必ず、しっぺ返しが来ます。
その時、泣きを見ないためにも、真剣に真理を求めましょう!
どうか、神が望んでいる「真剣さ」に、気づいてください。
真剣に、真理を求めているかどうかは、神なる、あなたが、一番良く知っているのですから・・・。
さあ、”私は、今日、只今から、真剣に真理を求めます!” と、一大決心してください。
もう、あなたの行く先に、石や岩は、置かれないでしょう。
2018.09.16
※「真理も、やりたいが、この世の楽しみも、謳歌したい!」と思っている人は、リスクを覚悟で、やってください。
「楽あれば苦あり」です。
必ず、リスクを背負うようになっているのが、宇宙の仕組みです。
だからと言って、「楽しんでならない!」と言っているわけではありません。
中庸を守りながら、楽しんでください、と言っているのです。
最近、家に閉じこもっている人が、多くなっているようですが、彼らの想っている事と言えば、心配、恐怖、憂い、取越苦労、怒り、恨み、憎み、など、殆ど、悪い想いばかりです。
何もしないで、家にいれば、想う事と言えば、そんな、悪い事ばかりなのです。
悪いことを想えば、周りの悪い波動が同調してきますので、悪い波動に憑依され、精神的にも、肉体的にも、不健康になるのです。
ですから、家に閉じこもっている人で、健康的な人は、一人もおりません。
外で働いている人は、家に閉じこもっている人より、ネガティブな思いを持ちませんので、精神的にも、肉体的にも、健康なのです。
ただし、外で働いている人も、いつも、暗い思いを持っていたら、家に閉じこもっている人と同じになります。
健全な精神と肉体を保つには、明るい思いを持つことです。
想念は、何でも実現させる、偉大な力を持っているのです。
賢い人は、その想念を、良いことに使って、幸せになり、愚かな人は、その想念を、悪いことに使って、不幸せになっているのです。
それは、すべて、想念の持ち方次第なのです。
念仏行を勧めている宗教がありますが、これには、一理あるのです。
例えば、普段は、悪いことばかり想っている人も、「南無阿弥陀仏!」とか、「南無妙法蓮華経!」の題目を唱えている時は、悪いことは、想えません。
悪いことを想わなければ、悪い原因(悪い業)を作らないわけですから、良い人生になるのです。
これは、題目の文言に、神秘力があるのではなく、唱えている時は、悪いことを想えない(業を作らない)からです。
その意味では、「ありがとう!」でも、「嬉しいな!」でも、「楽しいな!」でも、良い想いなら、何でも良いのです。
私が、神を想いなさいと言うのも、神を思っている時は、悪い想いが持てないからです。
特に、学びの友は、神の概念が、深く、厚く、大きくなっていますから、神を想えば、原子核が増え、かつ、業を作らないと言う、二重の功徳が得られるのです。
人生を、良くするも、悪くするも、想念次第です。
もし、地球人類が、良い想念ばかり、出すようになったら、そく、地球は、理想社会になるでしょう。私は、このことを、全人類に訴えたいのです。
これは、宗教でも、何でもありません。
良いことを想えば、良いことが返ってくる。
悪いことを想えば、悪いことが返ってくる。
これは、「原因と結果の法則」ですから、科学です。
それは、想念が、やっているのです。
だから、私は、想念の偉大さを、教育の場で教えて欲しいと願うのです。
そうすれば、もう、犯罪防止に、お金をかける必要も、防衛費に、お金をかける必要も、医療費に、お金をかける必要も、ありません。
嘘だと思うなら、まずは、やってみることです。
やって、ダメでも、元々ではありませんか?
これは、誰にも、迷惑はかからないのですから・・。何も損することがないのですから・・・。
2018.09.23
※ 地球環境の悪化は、人類の心(想念)の反映です。
社会環境の悪化は、人の心(想念)の反映です。
家庭環境の悪化は、家族の心(想念)の反映です。
競技成績の悪化は、アスリートの心(想念)の反映です。
事故・災難・病気の増加は、人の心(想念)の反映です。
気をつけたいものです。
※ 世の乱れを嘆く必要はありません。
自分が成長したら、そんな、厭なものは、見なくなるのですから・・・。
厭なものを、見なくなると言う意味には、2つの意味があります。
神は、私たちを、五感(目・耳・舌・鼻・肌)の誘惑によって、進化成長させようとしています。
中でも、厄介な誘惑は、舌と肌です。
舌と肌は、欲望を掻き立て、私たちを、真理から離れさそうとします。
この欲望に勝つのは、容易なことではありません。
多くの求道者が、真理から離れて行くのは、五感の惑わしに負けたからです。
神様は、意地悪なお方で、カツオブシを目の前において、私たちを惑わそうとしているのです。
でも、この惑わしに勝ったら、大きく成長できるのですから、神様を意地悪な方だと思わないでください。
反対に、私たちを、成長させるためにしてくれている、と思って、感謝してください。
五感の誘惑によって、欲望が湧いてくる、悪意が湧いてくる、この悪しき想いを、好敵手だと思ってください。
また、誘惑する肉体(五感)も、好敵手だと思ってください。
好敵手が、強ければ、強いほど、私たちは、大きく成長できます。
ぜひ、好敵手に勝って、原子核を増やしてください。
2018.09.30
※ 耳を貸さない人に、真理を伝えることは、できません。
また、嫌がる人を、真理に誘うことも、できません。
でも、そんな、人たちも、いつか、必ず、真理に目覚める時が、やってきます。
その時のために、私は、真理の明かりを、灯し続けたいと思います。
皆さんは、人間ではありません。形の中で、生きて、働いている、生命(意識)です。
その生命(意識)が、肉体を自分と思い違いすることで、人間と言う、想いグセを付けてしまったのです。
この思いグセのことを、業と言っているのです。
私たちは、何万転生も、人間をやってきたために、人間の業をつけてしまったのです。
コマーシャル漬けになっていると、コマーシャルの言葉が、自然と浮かんでくるように、人間漬けになっていると、人間グセがついてしまうのです。
このクセを取るには、想念を利用することです。
つまり、何度も、何度も、反対の想念を持つことです。
反対の想念とは、生命の自分の想いのことです。(マントラの想いのこと)
神様は、私たちに、偉大な想念を与えてくださいました。
この想念を、どう使うかで、幸せにも、不幸せにも、なるのです。
何も、難しいことはありません。
ただ、どのような想念を持って、日々、生きるかだけです。
それは、自分の自由意志で、できることなのです。
2018.10.07
※ 瞑想は、悪い思いグセを取る、一番の方法です。
それは、ただ、生命(皆さんのマントラ)を、想い続けるだけです。
さあ、瞑想して、人間グセを取ってください。
※ 想念を悪用すれば、地獄、想念を善用すれば、天国、それは、自分次第です。
※ 学びの友の中に、悪想念を無くそうと、苦労している人がおりますが、意識して無くそうと、思わなくても良いのです。
原子核が増えれば、自然と悪想念が持てなくなるのですから・・・。
それは、神の性質に近づいたからです。
人生は、すべて、自分の想いの作品です。
今日までの人生は、みな、自分の想いで作ってきたのです。
学校に入ったのも、会社に就職したのも、自動車を買ったのも、結婚したのも、みな、自分の想念で、やってきたのです。
と言うことは、想わなければ、何も起きない、何も生まれない、つまり、何の作品も作られない、と言うことです。
では、本当にそうなのか、実検してみましょう。
クシャミや、アクビや、オナラが、出そうになった時、
あるいは、痒みや、痛み、などが、起きた時、
あるいは、嫌な思いが、湧いてきた時、
”想わない! 想わない! 想わない!”と、思ってください。消えて行きます。
“消えてゆく! 消えてゆく! 消えてゆく!“と、思っても、消えて行きます。
初めは、効果が分からないかも知れませんが、コツが掴めたら、ハッキリと分かります。
あなたの思いは、どんなことにも、効果があるのです。
それも、想いの力が、強ければ、強いほど、効果が大きくなります。
それは、神と同じ想念を持っているからです。
想念は、実現の力です。
もし、身体に何か起きたら、あるいは、嫌な思いが湧いてきたら、
”想わない! 想わない! 想わない! ”、あるいは、“消えてゆく! 消えてゆく! 消えてゆく! ”と、思ってください。消えてゆきます。
どうか、試してみてください。
「何も想わなければ、何も生まれない!、想ったら、何でも生まれる!」、この想念力の凄さを、身近で感じてもらいたくて、このようなことを書いたのです。
どうか、想念力を信じ、瞑想してください。必ず、神の自覚が得られます。
2018.10.14
※ 人生とは、思い(想い)である!
※ この宇宙に、恐ろしいものなど、何一つ、ありません。
もし、怖ろしいものがあるとすれば、あなたの(自分の)想念だけです。
※ 人の言う事を気にしたら、有ることになり、気にしなかったら、無いことになります。
それは、気にした自分の思いが、作ってしまうからです。
人間は、悪いことを、思いがちです。
ですから、この世には、沢山の苦しみがあるのです。
でも、この苦しみは、悪いことではないのです。
理由は、こうです。
人間は、過去世の業を背負って生きていますから、何かと言うと、すぐ、悪いことを思ってしまいます。
悪いことを思うと、当然、苦しみが、やってきます。
でも、苦しみがくれば、原因を追求し、悪い所を直しますので、成長します。
でも、また、悪いことを思うので、また、苦しみが、やってきます。
苦しければ、原因を追求し、悪い所を直しますので、また、成長します。
(悪いことを思った時は、黒石を起き、原因を追求し、悪い所を直した時は、白石を置いている。)
このように、私たちは、黒石-白石-黒石-白石と、交互に置きながら、成長してゆくのです。
だから、悪いことは、悪いことではないのです。
ただし、一般人は、原因を追求しないので、黒石が、置かれたままになっているのです。
だから、また、同じ苦しみが、やってくるのです。
本当は、白石を置こうが、黒石を置こうが、魂は、成長しているのです。
なぜなら、体験したことは、すべて、魂の成長の糧になっているからです。
これが、黒石を起きながら、原子核が大きくなる、進化の仕組みの素晴らしさです。
この宇宙に、無意味なことは、一つも、ありません。
無意味に見える悪も、進化成長の糧になっているのです。
だから、悪は、悪ではなく、善なのです。
このことを知れば、気持ちが明るくなります。
気持ちが明るくなれば、光が入ってきます。
どうか、どんなことも、良く受け取って、光を頂いてください。
2018.10.21
※ アスリートが、勝とうと、必死に戦っている時は、成績が伸びず、楽しもうと、戦っている時は、成績が上がります。
これは、欲を持つと、光を閉ざし、楽しもうと思うと、光が入ってくるからです。
何事も、楽しむことです。社会体験も、瞑想も、楽しみながらやることです。
あなたを傷つけるモノは、この宇宙に、一つも、ありません。
ですから、何も、恐れることは、無いのです。
恐れるモノがあるとすれば、あなたの想念だけです。
この宇宙に、実在しているのは、唯一、自分の想念だけです。
その想念は、何でも作ることができ、何でも壊すことができる、偉大な力を持っているのです。
しかも、その想念は、自分の自由意思で、自由に、いつでも、どこでも、どうにでも、使える、とても便利なものです。
とても便利で、偉大な力を持っているがゆえに、慎重に使わなくてはならないのです。
今、あなたが、体験している、苦しいことは、昔、自分が使っていた、悪想念の結果です。
悪想念の結果として、現れているのですから、掴まなければ(放っておけば)、苦しいことは、消えてゆくのです。
掴んで、離さないから、いつまでも、苦しみが無くならないのです。
一般人が、悪想念を使って、苦しむのは、学びのためですから、仕方がないとしても、皆さんは、学び終わったのですから、もう、苦しむ必要はないのです。
皆さんは、人生を、いかようにも、良くできる、素晴らしい想念を持っているのです。
それは、何処へ行く必要もありません。誰の力を借りる必要もありません。お金も必要ありません。
どうか、自分の想念を使って、良い人生にしてください。
2018.10.28
※ 良い人生にするには、神を想うことです。良い想念を使うことです。
※ 悪想念を使ってならない、と言われても、長年のクセで、どうしても、悪いことを想ってしまいます。
でも、瞑想すれば、同時に、2つのことが想えないのですから、悪い想念を使わないですむのです。
※ あなたは、愚痴って、自分を責めていますが、愚痴っている時は、悪い原因を作っているのですから、いつまでも、苦しみは、無くならないのです。
自分を責めないでください。自分を許してやってください。
苦しい人生が、あったればこそ、今、真理を学ぶようになったのですから、苦しい人生は、良かったのです。
愚痴をこぼす、時間があるなら、
自分を責める、時間があるなら、
どうぞ、瞑想してください。
学びの友の中で、このようなことを言う人がおりました。
「真理を知らない時は、そこそこ、楽しく生きられたけど、真理を知ってからは、楽しく生きられなくなった!」と・・・。
その気持、私にも、良く分かります。
私にも、そういう時代が、あったのですから・・・。
悩むほど、苦しかったら、止めても、良いのですよ!
でも、止められますか?
ここまで成熟した魂は、止めたら、かえって、苦しくなるはずです。
この真理の道だけは、絶対、避けて通れない道なのです。
なぜなら、我が家に帰る道は、この道しかないからです。
ならば、せっかく、道(真理)に、出会ったのですから、前に進んでおいた方が利口ではないでしょうか?
世の中には、ホンモノの道を探して、ウロウロしている魂が、沢山いるのです。
それに比べたら、ホンモノの道に出会った、あなたは、幸せではありませんか?
それは、過去生において、布石を打っていたからです。
今生も、布石を打っておきましょう。
どんな魂も、自覚の境界線を、超えねばならないのが、定めです。
逃げて、避けて、通れる問題でないことを知ってください。
2018.11.04
私は、思うのです。
「肉体って、か弱いなあ!」
「肉体って、汚いなあ!」
だから、せめて、心だけでも、強くなりたい! 心だけでも、美しくなりたい! と・・・。
「法則に任せる」とは、「人事を尽くして天命を待つ」と言う意味です。
「人事を尽くす」とは、今、やるべきことを、真心を込めて、やることです。
やった後は、何も考えず、法則に任せること・・・つまり、天命を待つことです。
良い原因を作れば、良い結果が得られます。
この原因と結果の法則は、完璧な科学ですから、間違いなく、働いてくれます。
でも、結果を望んではいけません。徳を積むことです。
つまり、原因を積み重ねることです。
自我で、「ああだ! こうだ!」と考えても、何もなりません。
私たちが、やるべきことは、人事を尽くすことです。
人事を尽くせば、法則が、必ず、自覚の境界線を超えさせてくれます。
どうか、法則を信じて、2つのことを、やってください。
2018.11.11
※ 瞑想している時は、同時に、2つのことを思えません。
つまり、余計なことを考えないし、余計なことを話さないし、余計なことをしませんから、人事を尽くしていることになるのです。
私は、時々、思うのです。
「あの人の魂が、私の魂でなくて良かったなあ! もし、あの人の魂が、私の魂だったら、こんな惨めなことはない」と・・・。
私の魂は、人に奪われることは、ありません。
誰かと交換することも、できません。
勿論、売り買いすることも、できません。
私の魂は、永遠に、私の魂であり続けるのです。
こんな嬉しいことないのではありませんか?
ここまで、魂を大きくしてくれた、過去生の自分よ、ありがとう!
2018.11.18
知って欲しいこと!
やって欲しいこと!
以上、やってください。そうすれば、あなたの人生は、万々歳です。
2018.11.25
※ 神様は、真理に、顔を向けるようになった人に、導き手として、光の兄弟を派遣します。
皆さんは、今日まで、光の兄弟によって、導かれてきたのです。
※ 神を信じられる人は、幸せな人です。
神を信じられない人は、気の毒な人です。
なぜなら、神を認める人だけが、神に認められるからです。
と言うことは、神を認めない人は、宇宙に存在していないことになります。
何と、悲しいことでしょう・・・。
この宇宙には、本当に有るモノだけが有るのです。
その本当に有るモノには、何の色も着いていないのです。
良く使えば、白になり、悪く使えば、黒になるだけです。
つまり、良く使えば、幸せになり、悪く使えば、不幸せになるだけです。
どう使うかで、白(良く)にも、黒(悪く)にも、変化する、と言うわけです。
では、本当に有るモノとは、何でしょうか?
本当に有るモノとは、「力・エネルギー」のことです。
つまり、宇宙の力・神の力です。
その「力・エネルギー」には、善悪のレッテルが、貼ってないのです。
使い方次第で、善にもなり、悪にもなる、「力・エネルギー」です。
人類には、その「力」が、想念と言う形で、与えられているのです。
ですから、人類は、その想念力を使って、何でも作れるのです。
良いモノも・・・悪いモノも・・・それも、自由意思で・・・。
それだけ、宇宙(神)は、人類の自由意志を尊重している、と言うわけです。
だから、想念の使い方が、重要になってくるのです。
今、人類が苦しみに喘いでいるのは、想念を悪用しているからです。
つまり、想念の使い方が、下手だからです。
あなたが持っている想念は、料理に使えば、善になり、人殺しに使えば、悪になる、包丁のようなものです。
どうか、正しく使ってください。
使い方次第で、幸せにもなり、不幸せにもなるのですから・・・。
2018.12.02
※「人事を尽くして、天命を待つとは」・・・、今、自分がやれることを、精一杯やって、後は、法則に委ねて待つ、と言う意味です。
賞罰は、人が与えるのではありません。間違いのない、法則が与えるのです。
「真剣に・純粋に」真理を求めている者を、神は、決して、悪いようにはしません。
私は、このことを、解ってもらえるまで、何度も言い続けます。
誰も、苦しみなど、与えていません。
自分のネガティブな想念が、自分を苦しめているだけです。
よく、
このような人は、決して、幸せにはなれません。
私は不幸せだと言う人の想念を見てみると、全員が全員、悪想念を持っている人たちです。
神が創られた宇宙に、不幸せなどないのです。
不幸せにしているのは、人類の想念です。
病気は、勿論、事故、災難、自然災害も、すべて、人類の悪想念によって、引き起こされているのです。
それほど、私たちの想念は、すごい力を持っている、と言うことです。
それは、そうでしょう! 私たちは、神の分身なのですから・・・。
幸せになりたかったら、想念を良いことに使ってください。
一番良いのは、神を想うことです。
神を想えば、原子核が増えます。悪い業を作りません。家庭に、社会に、地球に、宇宙に、貢献できます。
それは、ただ、神を想えば良いだけです。
「家庭を変えたい! 社会を変えたい! 世界を変えたい!」と、デモって歩く、必要は、ありません。家にいて、できるのです。
2018.12.09
※ 本来、この宇宙に、「これが善だ! これが悪だ!」と言った、決まり切った善悪や、「これが苦しい! これが楽しい!」と言った、決まり切った苦楽もないのです。
なぜなら、善悪は、条件次第 (場所・時代・人・環境など)で変わり、苦楽も、受け取り方次第で変わるからです。
でも、それを知るには、体験が必要なのです。
なぜなら、体験しなければ、ただ、善悪の表面や、苦楽の表面だけを見て、自分を、苦しくしたり、甘えたりしてしまうからです。
確かに、今、苦しい体験をしているかも知れません。
でも、その体験の背後に、必ず、魂の成長があるのです。
善悪も、苦楽も、魂を大きくするためにあることを信じ、今の苦境を乗り越えてください。
※ 無意識に悪想念を持つのは、止めようも、ありません。
でも、できるだけ、少なくしてください。
そのためには、手の甲にでも、赤印を付けておいてください。
そうすれば、気づき、神に思いを向けることが、できるでしょう。
私が、皆さんを変えるのではありません。
私の言ったことを、皆さんが実践し、皆さんが、皆さんを変えるのです。
では、何を実践したら、良いのでしょうか?
それは、次の二つのことをすることです。
この二つは、誰もやってくれません。自分でやるのです。だから、自力です。
1の社会体験は、すでに、皆さん、やっていますから、何も言うことはありませんが、あえて、付け加えるとすれば、今、やるべきことを、真心を込めてすること、それも、厭なことが来ても、逃げないですることです。
2の瞑想は、雑念が湧いて、なかなか、集中できないかも知れませんが、普段から、正しい「身・口・意」のクセをつければ、集中できるようになります。
正しい「身・口・意」のクセとは、
① 余計なことを、思わないこと・・、
② 余計なことを、話さないこと・・、
③ 余計なことを、しないこと・・です。
①の思いを正しく管理していたら、瞑想のしやすい環境が与えられます。
どうか、1.社会体験、2.瞑想、を実践し、原子核を大きくしてください。
原子核が大きくなれば、自分の意識が変わりますので、外側の環境も変わってきます。
「自分を変えるのは、自分である!」と言うことを信じ、ぜひ、二つのことを、やってください。
2018.12.16
※ 人を誘ってはなりません。
人に誘われてくるようでは、真剣に、真理を求めている、とは言えないからです。
真剣に、真理を求めている者を、神は、決して、悪いようにはしません。
「人生も、命生も、想念次第である!」と知った、私は、何と幸せなのでしょうか!
なぜなら、もう、外側の出来事に、怯えることがないからです。
もう、他人の言葉に、心を痛めることがないからです。
だから、何の心配も、恐怖も、ありません。
何よりも、自分の自由意思で、原子核を増やすことができる、と言う嬉しさです。
こんな、幸せなことが、ありましょうか?
神様ありがとう!
こんな、素敵な、想念を与えてくれて・・・。
2018.12.23
※ 自分の想念だけが、実在です。
それは、自分しか存在しない、と言う意味です。
他のモノは、すべて、幻です。
※ 今だけが、実在です。
その今を使えるのは、自分の想念です。
今の自分の想念だけが、魂を大きくできるのです。
成功者の伝記を読むと、偉大なことを成し遂げた人ほど、努力しているようです。
これは、この世の成功者だけでなく、真理の成功者にも、言えることだと思います。
私が、努力を好むのは、努力すれば、原子核を増やすことが、できるからです。
一生懸命、努力してこそ、何事も成し得るのです。
神だって、一生懸命、努力して、宇宙を創造されたのです。
鉄も、打てば、打つほど、強くなるのです。
あんも、練れば、練るほど、艶を増すのです。
玉も、磨けば、磨くほど、輝きを増すのです。
努力すれば成るのは、原因と結果の法則が、実現させてくれるからです。
神は、努力する者のために、原因と結果の法則を、一番の宝物として与えてくれたのです。
努力は、宝です。努力は、進化の柱です。
努力が、いかに、大切かは、努力している人ほど、実感しているものです。
どうか、努力を惜しまないでください。
2018.12.30
※ 努力すれば成るのは、「動」けば成る法則(原因と結果の法則)が、実現させてくれるからです。
つまり、「心」が努力して、想念を「動」かし、「想念」が努力して、体を「動」かし、実現させてくれるのです。