2014年 5月11日 東京塾 (全再生時間 1時間58分48秒)
時間なったからはじめましょか。はい、それじゃあおはようございます。(ホワイトボードに瞑想についてと書く)私たちの、こうやってお集まりになった方っていうのはね、やはり自覚の境界線を超えたいという想いの人が多いんですね。で、自覚の境界線を超えるということは原子核を増やさんきゃなんない。原子核増やす方法は昨日いったように3つあるわけですね。う~ん、まず私たち普段の行い、仕事を持つ上でそれぞれ家庭を通じ、何かやること、この世のことで何かやることに於いては必ずそこに決意が伴っているから、その都度原子核は増えてるということは、前から伝えてますよね。要するに行動を起こすということは、肉体を動かすこと自体が何も意識なくて動かせないわけだからね。動かそうと思って動かすわけだからね。その時には必ずエネルギー使ってるわけでしょ。その時にはエネルギーを集めてるいうことになるわけね。でそれが嫌なことであるほど、よ~し、やらんきゃなんないって強い決意が必要になるでしょ。今日朝寒いと思ったらやはり勇気をもって起きようとする、そんときの原子核の集まり方と、ものすごく気候がよくて別にそんな決意もいらないで起きるのと違うよね。だから決意して何事もやるということに対しては善悪がないんですよ。例えば人を殺そうと思う時、相当決意してるはずよ、そん時は。泥棒しようと思ってる時もそれこそもう大変な決意向き合ったりするよ。そん時原子核増えてるんよ。これは善悪に関係ないわけだから。エネルギー集めるというのは。そうでしょ。ただ、悪いことをすれば原因と結果の法則が返ってくるということがあるからね。それはやってはいけないちゅうことは、それは自分が痛い目に会うわけだから覚えるわけだから、そしたらこれはもう善に使うべきだということになる。当然それは学んでいくうちに覚えちゃうよね。自分の魂の成長の過程においていろんな体験があってきたわけだから。その体験に於いていい悪いということの判別を。自分が痛い目に合うことはしたくないよね、当然しなくなるでしょ。うん、そうやって覚えて行って成長してきたよね。原子核増えるということは、その善悪にまったく関係なく強い決意を持った時に増えてるちゅうことだから、結構厳しい人生を歩んできてる人はその人生の中に於いて、まあ例えば御曹司の息子なんかよりはず~と原子核増やしてるわけよね。これはもう間違いないことよ。だいたい嫌なことやったあと、なんかやった~ってスカッと爽快、なんか達成感起きるでしょ。あれ原子核増えてるからよ。私もものすごい嫌な会議あったんよね。みんなから責められて要するに謝んなきゃなんない立場になったとき。ね。それはもう自分で受けてやらんきゃなんないんだけどね、なんとか乗り越える、よしやろう!ってものすごい強い決意いってね、でそれを乗り越えたあとにね、なんかふわっとものすごい気持ちいいんよ。あれ原子核増えた状態よ。それ多分体験してるはずでしょ?たとえば長沢さんのお母さん、便秘で苦しんでたんよね。まあ私は介護やってた時に母親の便を手で掻いてやったことある。何回もある。何回もちゅうても毎日だったからね、ほとんど。長沢さんもその体験をこの間したらしいんよね。やはり抵抗あるよね最初は誰でもね。でもやった後の達成感ちゅうかなんちゅうか言い表しようのない体験してね、その時原子核が増えたような気がしたって言うんよ。それがね、どういう気持ちになったか長沢さん話してくれたら一番いいけども。
長沢 いいいんですか?なんか、あの・・・かとうさんから聞いてたから絶対これ原子核増やすチャンスだって。頼まれたわけじゃないけど便秘で苦しんでてどうしようもないからやらせてくれっていう感じでもう言ったんですよ。で、やる時もだから、実はあまり抵抗なくて。すごく神経質だからそういことをやりたいっていうのがどっかにあって、乗り越えたいって。で乗り越えた後っていうのが汚物に対する考え方がまるで変わっちゃって。あとやっぱり、母のその摘便っていうんですけどそれをやってる時の感覚っていうのが、ああ肉体は生きてないっていうのを感じたんですよ、変な話、あ、これは器なんだなって作業しながらね、そういう感覚も与えてもらって、そのあと普通の人は憂鬱な気分なると思うんですよ、私ねすごい神経質なんです特に。だけどなんかこうキラキラキラキラしちゃってるっていうか周りが。こうクリアな感じで。こう家の中もキラキラしてるような。で目つぶってると、あれなんか私今違うところに今来ちゃたみたいな、自分が違う場所に移動しちゃったみたいな、なんかとってもいい気持ちで間違いなくこれが原子核増えたってことで。あと人生の中でいろいろ嫌なこと経験してその経験の意味が自分の中で変わりました。あ、人生ってこういう意味も持ってたんだっていうのがコロッと変わった時にほんとに嬉しかったです。
神はそういうふうに作られてんよ、この世界を。要するに魂ちゅうのはさ、愛ってのは峻厳でないといけないというのはそこなんよ。甘やかしの愛では成長できない、厳しければ厳しいほどその人は原子核増えるようになってんだもん。そういうふうに創られてるこの宇宙は。でないとこの宇宙壊れちゃうんよ。うん、そういう厳しさを通って成長することによってね、宇宙の進化ちゅうの成長出来るようになってるんよ。全部私たちも宇宙だからおんなじような仕組みになってるわけよ。私たちの原子の構造も私たちの構造も地球の構造も、太陽系の構造も銀河系の構造も大宇宙の構造もみんな同じに相似になってるから、私たちも結局そういう体験してるわけよ今、その小宇宙に於いて進化に於いて。それがわかるともうね、なんていうかなもうね今まで嫌だったことが結構平気でやれるようになるんよ。ちゅうことは自分の原子核増えると思えば少々のこと乗り越えられるんよ。何でもそうだけど世の中でこれはあなたの仕事ですよって言われたらね、なんか責任感持つでしょ。なんか自分が与えられたことに対して責任感持つということは結局は、あのどういってんかな、やることに対して責任負わされてるいうことがひとつの、なんちゅうかな、要するにやらなければならないという、そういう想いを持たせてくれるよね。たとえば警察官や消防士なんかったら大変な現場行ってやろうとするわけでしょ。一般の人にやろうったらどうしても尻込みするけど自分が与えられた仕事だと、責任与えられてると思ったらどうしてもやるでしょ。あれね、それがひとつの動機かもしれんけどそこで決意をするんよね、決心するんよ強い決心。すると成長出来るんよ。だからこの世の中のすべてのことがその成長のためにあるんよ。どんな仕事でも、どんな、そうだね、政治経済、ね、教育、いろんな医療関係で働いてる人もみんなそうだよね。介護なんかやってる人も。全部ね、成長のためにある仕事なんよ。だから、あのー私たちが一般の生活の中で逃げてはならない。どんなことに対しても勇敢に立ち向かっていく、それは神の愛の、この表現世界で表現しなさいっていうそういう場面を与えられている環境を与えられているってことなんよね。だからそれを理解出来たら逃げなくなるんよね。逃げなければ逃げないほど自分が成長出来るわけでしょ。だから私いつも言うんだけど、私の甥っこの50になってもね、まだ親のすねをかじってるってのもね、そりゃいいんよ、なんか楽で。でも大きな損をしてるわけよね。外へ出て働いたらいろんな体験するよね。嫌なことにも出会うよね。でも家にいて何もしなかったら生ぬるいお湯の中に浸かってるんでしょ。外に出たら熱いお湯も冷たいお湯もあるわけだから外へ出てやろうって決心しただけでも原子核増えるよね。その嫌なことはこの社会にはたくさんあるわけよ。その嫌なことを仕方がなくてやろうとしてる人がほとんどなんよね。意味がわからなくて。私たちはそれ知ったんよね。これねものすごい違うんよ知ったのと知らないのと自覚しながらやったのと。これ、またやれるようになるんよ自覚を持ってると嫌なことでも。わざわざ街に嫌なことないですかって拾いに行きなさいって言ってるわけじゃないよ。自分の環境の中で起こしたことね、その場合は逃げないでやんなさいという、ちゃんと神様はね越えられないことは与えないんよ。順序だててこの人はこういう時にはこういうもの与えましょう、して成長したらこの次はこういうもの与えましょう、また成長したら、そういうふうにその人の成長に見合った厳しいこと与えられるようになってる。いっぺんに小学生に大学の問題与えないよ越えられる問題から与えていくよ。これが神の愛だよね。それも生ぬるい愛ではなくてね厳しい愛を与えている、そのほうが成長出来るわけだからね。だからあのすべてこの社会に於いて魂の成長のためにあると言ったらいい。この表現の世界そのために創ってるんだから。そうでしょ?自分を発見するということはそういう過程を経て自分で成長していくわけだからね。なんもやらないで成長出来るんだったらこんな世界必要ないでしょ。この世界を創ったってことはちゃんと意味があるわけだからね。結局成長するために用意された舞台だからね。だからやはりその神の目的に合った生き方をしていくほうが自分の成長のためにいいよね。それは全体の成長にもなるわけだし。それでなかったらこんな世界創ると思う?神わざわざ。大変よこの社会いろんなことあるよ。でもそれが全部成長の糧になってるんだもん。ね、意味があるってことでしょ。それが自覚してやるのと一般人のように肉を維持するために家族を維持するために仕方なく嫌なことやってるのと全然違うよ。そういう意識を持ってこの社会のことに挑戦してるってのは全然違ってくるよ。やはりそういうふうに創られているんよ。だから出来たら与えられた環境の中に於いて出来る範囲でいいからやることよね。逃げないことだよね。これが原子核増やすまず今言ってた、何事にも決心して逃げないでやるということが原子核ふえる一つ目だよね。で二つ目は瞑想なんだけどもこの瞑想については後で説明しますね。で三つ目は昨日も言ったように思索だよね。この自然界神が創られた世界に於いては神はすべてにおられるわけだよね。その中に真理、自分がいるということをね、自分の存在を隠されてるんね。発見してくださいって意地悪みたいなもんかもしれないけど。疑問を持ってその疑問が解けたときに原子核増えるように神ちゃんと仕組んでるんよ。あの~あれだよね、ここに書いてあるけどね(悟りのピラミッド図という紙を取りだす)私たちはまず知るよね、この世の中でいろんな体験して知るよね。それ一番ベースになってるよね。そうすると智恵が生まれるよね体験によって。それによって理解力が増すようになってる。で理解力が増せば今度気付きがおきる。気付きが起きると自覚が生まれる、まあ最終的に悟り、自覚と悟りと言うのは別に分ける必要ないかもしれないけど、要するに一番下にあるのは最初は知ることなんよね。知らんかったら始まらないもんね何でも。だからこれは必要よ。私は知識は否定してないんだけどもね。否定してないけど知識に溺れすぎると今度気付きのとこで邪魔することが起きてくるんで、それは後で説明するけれどもね、あまり知識に溺れてはいけないちゅうことはあるわね。でも知識が無かったら体験できないんでしょ。知識を持って、あ、こういうことがあるんだと思って自分でそのことを体験するわけだからね。それが智恵に発展していくわけ。だからこういう三角形になってるわけよ。そういう積み重ね凝縮されたものが悟りになるわけよね。だからいろんな体験は土台に於いてあるわけだからこれを今地球上の人たちみんな体験してる段階。こっちに向かってるんよ。理解力増せば視野が広がっていくわけだからね。ますます気付きが起きてくる、要するにこういうピラミッドみたいにね。これが私の言ってる悟りのピラミッド、私たちがこの地球上に於いて体験して学んでそして理解力を深めて気づきを強めて、そして自覚に達するよね、そういうシステム段階っていうかね、そういうものを経て最終的には神ってなんなのかってことを心の底で知るようになる、それが心の底で知った状態が自覚した。自覚ということは自らに目覚めたって書くよね?だから覚者っていうでしょ、目覚めた者って書くよね。本当の自分をわかった者、目覚めたものを覚者っていうわけだからね。みんな自分を知らないでしょ、世の中の人。ほとんどの人がもう100人いたら100人とも自分が人間だと思ってるんだから。神なのに、そうでしょ?もともと神なのに人間と錯覚してるだけだものね。それを知らないで何を知ること出来るの?ほんとの自分を知ってこそ宇宙を知るんよね、すべてを知るんよ、そうですよね。自分の宇宙はひとつだからね。自分を知ることが出来れば宇宙を知ることが出来るのは私たちは宇宙そのものだからね。だからまず自分を知ることが一番大切でしょ。みんな自分を知らないで生きてるんでしょ。ああ、私は自分のこと知ってますって言うかもしれんけど肉体の自分のこと知ってるだけであってほんとの自分知ってる人は一人もいないよ。見える部分しかみんなし知ってないんですよ。ほんとは見えないものが自分でしょ。この宇宙ちゅうのはみんな逆なんよ。逆逆逆。見えないものがほんとにあるんよ。見えるもの全部偽物、それはもうわかるよね、消えちゃうんだから。消えるものが本物であるはずがないよね。永遠のものが本物だから。だから私たちは本物を知らなきゃなんないんよ。ところがみんなもう本物を知ろうとしないんよ。つまり原因を知ろうとしない結果だけ知ろうとしてる。だから一向に進まない成長しないわけ。最初に原因から出てくるよね何でもね。昨日も言ったように家を建てるときは必ず最初に理念があるよ。こういう家を建ててくださいという家主さんの要望に応じて建築屋さんが設計図を描いて建てるわけでしょ。最初に見えないものから始まってるんでしょ。ところが私たちこの人間社会は違うんだから。見えるものが先生まれる、全く逆だよね。だから結果からはじまるから。たとえば昨日も言ったように堤防を作ることからしか始めないんだもの。台風も地震も心が原因で起きてるわけだから。なんぼ結果を良くしたって心が治んない限りなんぼでも同じことが起きるよね。そういうことは病気もそうよね。結果対処ばかりでしょ今の医者は。現れたものを治そうとしてるんよ幻を治そうとしてるんよ、ないものを。ここを治せば元だから治ってしまうの当たり前。これね、だんだんだんだん自覚を進めていくといろんな体験させられるんよ。病気と自覚のね、私いろんな体験してきてるんよ。面白いことたくさんあるよ。おかしなこと与えられるよ、病気的なこと。ね、その段階ではまだ易しいもの与えられるんよ。で自覚を高めるともう一変よ、消えちゃうんよ。でもそのころまだ自覚とあれを行ったり来たりしてる状態だから勉強に必要だったんだろうね。だから痛いことさせられるんよ。胃が痛くなってくるとかね。なんかあったんよ、でもそれは自覚に入ったら即消えちゃう。つまり光が出たら闇って消えちゃうんよ。病気ってのはほんとはないんよ。人間が誤った迷った影を作ってるんだから。光が現れたら即消えちゃうんよ。だからあんなこと手術してなんだかんだってことないんよ。自覚出来たら即消えちゃうんだ、病気ってのは。これねえ体験しないとわかんない。病気ってあるようにみんな思ってる、そりゃそうよね、目には見えるから。ここの細胞にこんなものが出来てとかね、何かここが膿を持ってるとか現象としてはあるでしょ。それは影の部分よ。その裏側から見たら全部光と闇の関係。これがわかったらね病気する必要ないんよひとつも。面白いことが起こるよ。あのー私ね、沖縄に行く前の晩にね、高熱が出たんよ。自分は自覚してんのにね、何でこんな高熱が出るんだろうってね。もうその時ものすごい疑問に思った。それでももう40度くらいになっちゃってふらふらになっちゃってね、朝方まだ夜が明ける状態の前でね、これは明日沖縄に行けないなぁと思ったんよ。なんかあるはずだ意味が、神は完全だからね。意味のないことは絶対させないはずだからって私は考えてわかったん。ああそうか、これは体験これを克服しなさいということだなって、ね。私はもうその時にポーンと起きて布団あれして掃除機かけてもう普通と変わんない。要するに自分の心の中にまだ病気と言うものの根が残ってる、ちゅうことは肉体的な想いが残ってるいうことよ。そうじゃない自分は神なんだから、それは現象だから自分の想いが創ったものだからってやったら、やり出したらすーっと引いていくんよ。不思議だよ普通の状態に戻ったんよ。それで沖縄行ったんだもん。あんな状態で普通なると思う?急に熱下がると思う?それほどそういう現象見せてくれるんよ。体験、ちゅうことは私たちは全部意識が作ってるちゅうこと。気付けばね消えちゃうんよ、光が現れたら闇って消えるんよ。この真っ暗闇の中に電気ぽっと点けたら消えちゃうでしょ闇。もう一瞬に消えるんよ。これね体験してほしいんですよ、一回体験させられるかもしれないよこれから。その時に自覚をするの、自分は神なんだ、神なんだから実際。そうでしょ、人間と錯覚してるだけでしょ。その錯覚を少しでも取れば少々の現象は消えちゃうんよ光が灯るから。これねえこれから絶対体験させられるはずよ。勉強してく間にね、それが体験しないと確信が持てないし実感が持てないでしょ。この宇宙の仕組みというか神がどういうことを意図されているかね。そういう体験を通して初めてわかるからね、そういう体験させられるはずよ。だから世の中の人たちが病気で苦しんでるいうのはね、それははっきり言ってそういうことを知らしめるためなんだけどね。それは最初の段階ではそういうとこまで行けないよ悟りと言う段階じゃないとね。要するに原因は自分で作ってるちゅうことを知らしめるために病気ちゅうのはあるんよ。それが全部ね外から来たと思ってるんよ病気。みんな錯覚してんよ。自分が作っておきながらもう医者頼り薬頼り、一番それに気付きなさいっていって病気なってるんだから。まあそれはあれだよね、私たちそいうことを自覚して見てたらね案外乗り越えられるし次のステップに上がることが出来るよね。何でもそうだけどさっき言ったようにこの意識状態にこの現象が起きて、この意識状態にこの現象が来て成長すればする間の現象が起きてそこに問題が与えられる課題が与えられる。それを乗り越えればね、乗り越えたちゅうことは原子核が増えてるちゅうことだから自覚の境界線に近づいてるちゅうことよ。これが疑問に思うちゅうことだよね。何でも疑問を持って神が隠されてるなぞ解きをしたら謎をといた瞬間原子核が増えるよボーンとね。私は何回も気付きが起きてるんよ。何度も何度も何度も何度も気付きが起きてる。知花先生がおっしゃられたことが気付きが起きたらいっぺんに謎が解ける。あ、なんだあういうことだったんか。ね、そういうことが何回も何回も起きてる。そのたびに原子核増えてるから自覚の境界線に近づいてたよね。してある量増えたとたんにわかるんよ。自分が神だったって自覚の状態に入るんよね。その自覚という状態はもう言葉や文字に現せようがないからね。みなさんに知らせることできないんよその状態のことはね。もう私の本に書いてあるあの表現以上に表現できないんよ。自分で体験してほしい、みんなが自分で体験してほしい。はっきりした境界線あるよ。ほんとにこれだけははっきりした段があるの。熱い湯から冷たい湯に入ったくらいの意識の変換があるからね。だから境界線と私付けてるの。節目。でもその節目ちゅうのはずーっと続くわけよ。大きな節目にいく度にそういう節目があることは確か。とりあえずは私たちは自覚の境界線を超える一つの節目に達すること。そのために原石を探してるわけ私は。可能性のある原石探してるわけでしょ。それが一人でも原石が自覚の境界線超えたら地球にとってものすごい、地球の成長のためにもなる、宇宙の成長のためにもなる。だってそうだものね私たちは宇宙っ子だものね。全部宇宙っ子だからね。その宇宙っ子が迷ってるわけでしょ、自分が何なのかわからなくて迷ってるわけでしょ。これは頭で知ったってだめなんよ私は神であるって知った人たくさんいる。あのね、ある女性の方が風呂に入ったときね、あ私は神だったってこと気付いたっていうんよ。気付いたから私はもう瞑想はしないでいいんですって、もうそういうことしないよね。そうよ、気付いたのと自覚したのとは違うよ。気付いて知ってもさ長いこと人間やってきたんでしょ。その癖残ってるはずよね。それを取る必要はあるでしょ。何でもリハビリしなかったら元へ戻らないよ。そのリハビリが瞑想なんよ。瞑想であり吾神なりという思いを持つことはリハビリみたいなもんよね。今まで人間だ人間だ思って人間に傾いてたんでしょ、いっぺんにこっち傾くわけないじゃない。やはり人間と言ってた思いをなくして吾は神なり神なり神なりとリハビリするわけよ。そしたら当然神なんだから。神になる必要ないんだよねもともと神なんだから、周りに付いてる人間の思い癖の泥を取る、ね、必要はあるわけでしょ。それを私は言うわけよ、そのためには、ね、泥を取るいうことはそのたびに自分の原子核が増えてると考えたらいいわ。その原子核がある一定の境界線を超えるとね、自動的に自分は神だったちゅうことを思い出すんよね。忘れてただけだから。自分はもともと石だったら金にはならんよ。金だから金になるんよ泥を取ったら。だから金になる努力は一つもいらない、ただ泥を取る努力はいるよね。それだけのこと、原子核を増やすことが泥を取る作業のようなものだから、それはもう一般の毎日の行いの中でやってるわけよね決心がいるわけだから。で二つ目がいろんな疑問を持つことね。自分の中に疑問をもつことによって自分の中から回答が与えられるから。外から私がなんぼ私の体験したこと言ったって自分から得たもんでなければ原子核増えないんよ。自分が、あ、そうかこれはこういうことだったんだって思った時原子核増えるんだもの。知識で与えられたって増えないんだもの。それだったら知識人全部悟ってなきゃなんないよ。左脳の人たくさんいるよ左脳の得意な人世の中には。知識で悟れるんだったらその人たち一番に悟ってなきゃなんない。ところが逆なんよ。ここにいる人たち全部ね、頭の悪い人ばっかりだと思うよ、はっきり言って。左脳があまり発達してない人。左脳が発達した人はそういう真理を求めようと思わない。だって知識、そっちの方から行こうと思うから。知ろうと思うのはね、知識から知ろうと思うわけよ。神をもし知ろうとしたって知識から知ろうと思うよ、そういう人たちは。神というのは知識を超越してんだもん。それが出来るんだったらもうこんな宇宙なんか、またこんな世界作る必要ないんよね。そうでしょ。わざわざこんな世界作って遠回りすると思う?神は。そうなんよ、左脳の発達から始まるわけだからね。そして左脳というのは無い世界のことを知るためにあるんだな、ね、幻の世界を知るために左脳はあるんだなちゅうことがわかってくるんよ、だんだんだんだん。そして右脳を使うようになってくるんよ。右脳が発達してくるんよね。右脳が発達するいうのはどういうことかったら神から直接来るわけだから、だから童話がそうだね直接くるんよ右脳から。左脳があんまり知識あったんじゃね、左脳からは入ってこない。理屈っぽいものはね。だけどね面白いもんでみんな勘違いしてんよ。この地球上で大学の何何博士ちゅう人たちは知識を組み立ててるんよ。地球上に現れた知識化されたものを組み合わせて新しい発見をしようと思ってやってんの。そっからは絶対現れてこない。もう既に現れてるんだからそれは結果として。それからは絶対現れない。私たちは原因から直接受け取らんきゃなんない。それが右脳だよね。だから右脳を使うということは大切なこと。要するに直感力を付けることね。直感力を付けるちゅうことは出来たら、まあ何でもあれだけど最初にこう!と思ったことがだいたい直感だからね。それをね、直感力を付ける方法を何でもいいんよ。
例えばこれどっちが美味しいか、直感で、あ、これが美味しい、ね。そんなちっちゃなことでもいいんよ、何でもいいんよ。例えば買い物に行ってね、どっちがいいか悪いかぱっとこう瞬間に思ったものが直感だからね。そういうことからも直感力付けることできるよ、ちゅうことは右のパイプが右脳のパイプが太くなってくるちゅうことよ。だから昨日も言ったように祈ってね。私を世のため人のために使ってくださいと、常に神に向かって意識を向ける、まぁ神に語りかける。そしたらだんだんだんだんパイプが太くなって降りるようになってくるから。神は使いたくて使いたくて仕方がないわけだから。自分の分身でしょ?自分の分身なのに私たちはね、一向に神に顔を向けないから使えないんよ、神としては。使おうとしたって振り向かないんだから。でしょ。だから神に意識を向けたら必ず使ってくれる。そしてやり取りしてるうちに右脳のパイプが太くなってくるからね、だんだんだんだん降りてくるようになる。そうすると結局気付きに繋がるわけでしょ。原子核がどんどんどんどん増えてくるちゅうことよ。だから右脳をまず使うこと。あまり理屈っぽくならないこと、なんだかんだって頭で考えてわかると思う?物質がどうして返答くれるの?コンピューターが返答くれる?そうでしょコンピューターは与えたものしか返ってくないよ物質だから。脳も物質よ。その脳にがやがやがやがや考えたって仕方がないじゃない。そしたら直接神から降りてくるもの使って、そこは完全よ完璧よ。あのねぇ左脳の得意な人と直感の人と勝負してごらん。最終的に勝つのは直感の人よ。一時的に左脳の人が勝つように思うかもしらんけど絶対違いますよ。だって結果がわかっちゃうんだもん勝ち負けの。たとえばここにゴールがあったとしてよね。こっちの左脳の人はがらがらがらがら何百先って読んでいくよ、そりゃあいろんな先の道を通って行くんよ。こっちは違うんよ一直線だから。勝てるわけないじゃない直感に。そうでしょ、それは神の感よ、はっきり言って。だから直感力を増やすこと、優秀な人ちゅうのは最終的にはそうなるんよ。この宇宙の進化に於いて左脳を使うとこから始まるんよもちろん、初めはね。さっきも言ったように体験と知識が土台にあるわけだから。それから始まるわけだから。だから知識欲というか知識が豊富な人ちゅうのはまだ土台にいるいうことよ。気付きが起きるたびに理解力付いてきてる人ちゅうのは相当上に来てるわけね。だから私たちと一般の人とその知識人と一緒にしてはいけない。昨日も言ったように魂の高さちゅうのはそれなんよ。魂の高さを自覚して生きなさいというのはそこなんよ。そういう人たちと一緒に争ってはいけないよいうのはそういうことなんよ。だって相手は子供だもん、こっちは大人なんだから。
大人って言わないよ大人になった人は。子供の人は大人だって言いたがるよ。でしょ?政治家見てごらん、私は一番偉いんだって思って生きてるよ、ね、一番魂低い段階なのにね。わかんないんだから私は偉いんだって思ってる、あれは子供が大人だって思ってるだけ。大人は大人って言わないよ。謙虚、絶対もう幼い子供見たらその子供がどうしたら成長出来るかいうことだけ考えてね、接するようになるよ。それが熟した魂よ。自分の魂のレベルを自覚して生きてる人。だから絶対諍いは起こさんよ。私なんかね絶対喧嘩しないよ。喧嘩すると思う?子どもと大人が。子供同士だから喧嘩するんよ。そうでしょ。みんな今地球で喧嘩してるの、あれ子供同士だから喧嘩してるんでしょ。おんなじレベルだから、あのね、民主主義ってね、今の世の中の人は民主主義が最善の方法だと思ってんよ。考えてね民主主義って何だと思う?絶対多数でしょ?主義でしょ。そしたら地球上にいる魂はどっちが多いの?熟した魂と幼い魂。幼い魂が多いんでしょ、だから幼い魂が賛成した議員さん使ってるわけでしょ。そしたらいいもの出来るわけないじゃない、幼い子供たちが創った舞台だから。そうでしょ?でも必要なことは必要だからね。私たちはそれで助かってるわけよね、こういう学びしてる人たちは。そのおかげで助かってるね。だから必要なことは必要なんですけどね、でもそういう真理を広い目で見るためにはそういうことも気付いておかなきゃなんない。だから喧嘩しちゃいけないよ、そういう子供に対してはそういう対処をしてあげなきゃいけないよってことで、私たち成長した者がやはりね、だから真理を伝える場合もそうなんよ。相手の魂の状態を見て伝えなさいいうのはそこなんよ。そこでも勉強してるわけでしょ、それは自分が原子核増やすことによって視野が広がっていく。だからやはりまず自分だよね、自分が成長しなかったら幼い子供指導することも導くこともできないでしょ。自分が迷っててどうして人を諭すことができる?眠ってるものが眠ってるものを絶対起こせないんよ。あ~んって眠りながらおまえ起きろなんていう?目覚めたものだけが起こすんでしょ、起こせるんでしょ?今の世の中でいろんな宗教あるけど眠ってるものが眠ってるものを起こそうとするんよ。それも間違った。眠ってるものが正しいことわかるわけないじゃない。覚めてるもんだけが正しいことわかるんよ。それなのに間違ったことを、眠りながら眠ってるもの起こそうとしてんだもん。そんなもん出来るわけないじゃない。だからまず自分が目覚めること。そのためには原子核を増やしてまず視野を広めてね気づきを起こして、一歩一歩自覚の境界線を超えようということでね、そのために学んでるわけだからね。自覚の境界線超えたらわかるんよ、すべて自分の過ちだってこと。だって私がそうだもん、昔ね平気で当たり前だと思ってやってたんよ。その頃はいいことだと思って。でもだんだん視野が広がってくれば自分のやってきたことが、まあ何でこんな幼いことやってたんだろうって、もう笑っちゃうよ。視野が広がってくとね、だんだんだんだん見えてくるの、もういろんなこと、私の目から見たらね、口に出せないよ口に出せないけどもうわかるんよ。全部わかるんよ。どういっていいんかな、要するにその人のいろんな欠点が見えるんよ。それはみんなもおんなじ、私自身そうだったから。その欠点がわかんないでいたんだもの、その頃。当たり前だと思ってたもん視野を広めてないからその頃はね。まあそれで必要だったんよいつも言うけど、不必要なものないんだから。その中で体験してこなかったら喧嘩もしなかったわけでしょ。そうでしょ、喧嘩しなかった成長出来なかったわけでしょ、その段階で。だから喧嘩もその時は必要だったわけでしょ。それはそういうふうに理解力なくて視野が狭かったから喧嘩できたわけだよね。だからそれもいいことなんよ。だから全部この宇宙はいいことでなってんよ。全部いいことづくめ、悪いことなんかひとつもない。全部したから私が肯定しなさいというのはそこなんよ。肯定すること、すべてに意味があるよっていうこと。肯定すること、いつも言うことだよね。ここにアリさんが這って行ったらね、何でアリさんが私の目の前を這って行くのかね、まず疑問を持つこと。全部意味あるんだ、落ち葉一枚ヒラヒラと落ちてきた、落ち葉一枚も意味あるんよ。それを追求したら真理に結びつくんよ、気付きに結びつくんよ。何ひとつ無駄なことないよ、道路出てこけた、ね、それもちゃんと意味があるんよ。それを追及していってごらん必ず真理に結びつくから。神は完全だちゅうのはそういうことよ。蚊一匹刺された、前にも話したよね、私が蚊に刺された体験したあれでもものすごい意味があったでしょ。蚊一匹刺されることでさえ意味があるんよ。神はそこまで完璧性をこの表現宇宙にね。そりゃそうだよね、完全なんだから神が、意味がないことあるんだったらそれは神が不完全いうことよ。どんなことでも意味があるんよ。もし意味なかったら神は不完全よ。したからね何かあったら絶対疑問を持ってほしいんです。かならずそこには真理が隠されてる、意味があるちゅうことがわかるから。今日からねもうそういうふうにして生活してほしいんです。何か起きたいうたら必ず意味がある。私が北海道にいてね、それこそ時間がないから駅に何時何分の汽車に乗らんきゃなんないってもう急いで、でも結局間に合わなかったん。駅に着いたらねその列車が来てないの。途中でトンネル事故が起きて。あの大きなトンネル事故あったでしょ。あの時ちょうど北海道に。そん時私意味わかったんよ。私のために起きたんじゃないよ。そういうこと言ってるんじゃんないいよ。そっから私気付いたことがあるってこと言ってるんよ。前にもお話してるけどね、要するに意味のないことはないってこと、どんなことでも。だから台風が来た雷が鳴ってる、昨日もなんかヒョウ降ったんでしょ?全部意味があるんよ。竜巻地震全部意味あるんよ。それはね全部成長のために起きてることよ。人類の成長のために。最終的には神を知ることでしょう?神が一番望んでるのは自分を知ってほしいちゅうことよ。自分を知ってほしいちゅうことは、私たちは神だから自分を知ることでしょ。そのために全部用意してんだもん、この表現宇宙を用意したんだから。ね、だから全部意味があって当たり前。意味のないことだったらそんな神はいないよ。自分の成長のために知ってほしいんよ神は。なんか自分というのは自分と自分とこんがらがっちゃってるけどね。自分しかいないわけだから、私の想いは神の思いよじゃっきり言って。それはみんなわかるよ、自覚の境界線を超えたら自分の想いと神の想いとひとつになっちゃうんよ。だから意図がわかるんよ神の意図が。あ、そうか、あ、そうかって自分で自分の意図がわかるっていうか、要するに意識ってのはひとつでしょ?神の意識と人間の意識があるわけでないでしょ。ただみんなは今肉体が自分だと思って意識が肉体に引っ張られているだけよ。おんなじ意識しかないのにね、区分けある?境界線ってないんよ。したらどっから神の意識でどっから人間の意識ってある?どっから神の想いでどっから人間ってあると思う?全部ひとつよ。ただどっちに意識をね、状態を、人間に偏ってるか神に偏ってるかだけ。つまり人間に偏ってるちゅうのは人間だと思ってる錯覚してるだけよ。この肉体が自分だと思ってるわけよ神が。その誤解解けたら人間の意識が神に戻るんじゃない?神にある必要ないちゅうのはそういうことよ。ひとつの意識しかない神の意識しかないわけだから。どう錯覚してるかだけでしょ。それが何百万年も人間として生きてきたわけだから戻すのが大変なだけであって。ひとつの意識、即よ。私と思えてるんでしょみんな。私と思ってるじゃない。その私ってのは誰が思ってるのちゅうの。私いつも言うけど、この思えるの神しか思えないんよ。神の意識しかないんでしょ。私ったらわたしよ。神の私のこと言ってんよ。みんな違うの、肉体の私のこと。私ったらそういうイメージしか浮かばないの何百万年も人間やってるから。今の私ったら神のイメージが湧いてるわけよ。ね、だから私が神を分解して知ってほしいいうのはそこなんよ。吾神なりのマントラの一つが、吾神なりの中身が違うんよ。その知らない間。何でもそうよ、ひとつの言葉になんぼでも想いこめられるんよ。無限の想いが込められるんよ。ところが上っ面しか知らんかったら上っ面しか入ってこないんよ。だから薄い自覚しか持てないんよ。そこの中に無限の想いが込められるんよ、深い思い。ほんとの神そのものの想いが込められるのに神の中身わかんないわけだから。そうしたらそれを分解して、私いつも同じこと言ってる自動車の部品を分解していってるみたいなもん。上っ面なら自動車ってああこういう形だな、しかわかんないんよ。それでは自動車わかったって言えないよ。中身をいろいろ分析してわかってはじめて、だから赤ちゃんが舐めたり叩いたりするわけでしょ、知りたいために。この五感ていうのはそのために神が与えてくれたんよ。ものを知るということは見ただけではわかんないよ体験がないと。体験が知識が土台でしょ。これが積み重なって智恵がわいてきて上に進んでいけるわけだから。その体験はいろんな中身を体験して、犬も歩けば棒に当たるちゅうのはそのこと言ってんよ。歩かなかったら棒に当たんないんよ。棒に当たらんったら躓かんよ、躓かんかったら起き上れないんよ。躓いた人は必ず起き上るときに何か拾って起き上るよ。体験、その積み重ねが神を知ることに繋がってるんよ。だから犬も歩けば棒に当たるいうのはそういうこと言ってるんよ。私たちは体験して躓いて苦しまなかったらわかんないんよ。だからいいこと、躓いて転ぶことはいいこと。私たちが苦しむことはいいこと。それが全部自分を知ることに繋がってんだもん、したって。だからね、出来るだけ体験を多くすることよね若い時は。私のとこにいつも来る人がいるの、瞑想ばっかりやる若者。私はいつも言うんよ。そんなことしてね絶対悟れませんよ。あなたがやるべきことが、今若い時にやるべきことがあるんだから外に出て大いに体験しなさいってね。今の体験たら仕事をすることだね。まだ肉体維持するために必要なんでしょう?お金。親のすねをかじってね毎日瞑想ばっかしてて何になるの?その瞑想も意味のわからない瞑想よ、そういう人は。私の言ってることがわからないわけだから。そこまでしか理解できない魂ちゅうのは私の言ってる本源が、本当の意味が理解できないわけだからね、瞑想なんかできてないよ。ただ格好だけ、こんな格好してね、いい格好して座ってたら悟れると思ってんの。見てごらん瞑想会。いろんな瞑想会あるけど格好よ。私も前東京に来た時ある瞑想会行ったことあるけど、」
そりゃいい格好するよ、頭雑念だらけ。そんなんわかってるの。5分間雑念なしにやれる人いうのは世の中に一人もいないよ。昨日も言ったけども1秒でいいの一秒。1秒吾神なりと心の底で思えたらそれでいい。1秒思って次10秒雑念湧いて、また1秒思って、雑念また10秒湧いてそれでいいんよ。その1秒1秒をね、ほんとに思った1秒を積み重ねたらいいわけでしょ・雑念わかないで出来る人なんていないんだから。そのほんとに雑念わかない人というのは自覚の境界線超えてから。それからほんとの瞑想に入るんよ。それまではいいの雑念わいても、要するに神と親しくするようにしといたらいい。これはもう体験してそこに入ったらわかるから。そのときに初めて気付くんよ。だからとりあえず私たちはある一定量の原子核を、それはそういうことで出来るようになってんよ。入ってからよ自覚の境界線超えてからなんよ、ほんとの集中が必要なんは。そうすると霊太陽が見えてくる、そっから霊太陽が見えるんよ。そこまでは霊太陽見えないよ。あれはまだ違うんよ、あの状態は霊太陽じゃないんよ。それはそこ超えてから、そこ超えたらね集中せざるを得なくなるんよもう。それ自動的、入ったらわかるからね、それまでは仕方ないんよ。だからいいんよ雑念わいても、1秒1秒足していったらピックアップして足してったら5分間なればいいんでしょ。知花先生5分間霊性であるなさいというのはそういう意味よ。知花先生、私に向かって言ったんだもん、1秒でいいんだよって。私あの日ねものすごい嬉しかったの。雑念ばかりでしょ、5分間なんかやれるわけないのに先生あんなこと言ってって、みんなそう思ってるんよ、5分間霊性でありなさいと言う意味は誰もわからないで先生亡くなったんよ。知ったのは私だけよ。1秒1秒1秒でいいんよ。1秒だったら出来るでしょ集中。まぁ1秒出来たら2秒出来るはず。3秒くらいか5秒くらいか10秒か。そこらへんまで出来るはずよ雑念なしに。ね、それの積み重ねで5分間言う意味よあれは。だって1秒そこに入ったらそれだけの1秒の間にエネルギーが集まるんだからその間。で、10秒雑念わいたときにはエネルギー分散するの。ね、雑念ちゅうのは分散した状態よ。でまた1秒思えばいいんでしょ、また原子核が集まるんでしょエネルギーが集まるんでしょ。それは100集まったら100秒になるじゃない。それでいいっていうんよ先生言ってるのは。先生自体出来てないよ5分間あれは。あ、わかんないけど(笑)と思うよ私の感じではね。自覚の境界線超えてからでも5分間はできないよ、なかなか。近くはできても。だからさ、悟った人でも今も瞑想してんよ、向こう帰って。私たちね悟りちゅうのは永遠に続くんよ。悟りに限界あったらどうなんの?宇宙は有限になっちゃうよ。そんな有限の宇宙なんの意味あるの?あ、ここが終わりですよってことになったとしたら神は無能よ神は有限よ。その後どうなんの?したらその先。でしょう?そんな宇宙あるわけないじゃない。無限に続くんよ悟りも幸せも。それがね宇宙の神のすごいところ。無限だちゅうこと知花先生は無限無限てよく言ってたでしょ、無限の意味が誰もわかってないよ。もう表現しか考えてない、無限たら目つぶってあ、無限の宇宙があるって考え方しかしようとしない。無限のほんとの意味なんか誰も知ってないんよ。無限のほんとの意味ちゅうのはそういうことよ、永遠に悟れないちゅうことよ。だからいいわけよ。すべてを知ることなんか絶対出来ないんよ。無限なんだからしたって、この世の知識だってそうよ。たとえばよ、この地球には100何個の原子が発見されてるよね。で原子発見されたものによって色々な組み合わせによってモノが出来てるわけでしょ。そのモノの組み合わせによってこの文化が生まれてるわけでしょ?でそのモノの組み合わせの文化の中に於いて私たちは文字や言葉が出来てるわけよ。でしょ。そしたらその限界があるわけよ。その100何個から生まれた言葉やいろんなもので私たち今の文化があるわけ。文化がね、そしたらこれが例えば1032になったとしよう。それを全部知ったとしようか地球人類。したらすごい数の言葉や文字がいるよ。要するに無限に近い元素があるちゅうことよ。その組み合わせだったら一体どうなるの?ね、だから知ることは永遠にできないんよ。無限だちゅうことよ。3というのは、あれよくこうしてパンパンパンとやるよね?(手を合わせて3回たたく)3は無限よ。みんなね万歳三唱なんでも気合いかけるときも3回、何でも3になってるでしょ?あれは無限を意味してるんよ。この宇宙は無限ですよ、あなたたちは無限に向かって進むんですよ、それで3という数字が出来てるんよ。この宇宙は無限だから完全なんよ。途中で壁があるんだったら不完全。ね、その壁の向うはどうなってんの?その向こうに壁があってまた壁の向こうはどうなってんの?無限でしょ?そんなことありえないでしょ?悟ったら悟った向こうはどうなんの?え、これで終わり?とんでもない話ですよね。だから私たちはこれからもう素晴らしい体験していくんよ、無限の体験、これは口ではもう言い表せようのない。私が最終的に究極の幸せだと言ってるでしょ?その究極の幸せが究極の幸せで終わっちゃったらだめよ。究極の幸せは究極の幸せに繋がって、つまりず~っと終わりのない幸福感に繋がってるから私たちはこの悟りというのは素晴らしいんよ。色褪せてしまう、この幸福が終わりだっていう幸福感だったら私だったらもうそんなもんたくさんだ。尽きない永遠に、幸せの中に私たちこれからず~といくから凄いんよ。これはなかなかね深い深い意味があるから。この世の中でねいろんな体験していろんなドラマを作ってることがね、これが結局それを作ってることだからね。わかるから、ちゃんとわかるからそこへ入ったらその意味が、そしたら無駄な人生ないってことがわかるから。どんな悲劇の人生であっても意味がみんなある。そこへ繋がってるんよ究極の幸せに。それはねそこへ入ればわかるんよ。ありありともう見せられるからね。見せられるったて目で見せられるわけじゃないよ、みんな勘違いしてもらったら困る。見たっていったら見えたったら、はっきり言ってもう有限を見てるわけだからその人は死人よ。この宇宙は見えないものを見てる人が生きてる人だから。見えてるものを見てる人は死んでる人よ。この宇宙ちゅうのは見えないのが実態だから。だから現象追っかけてる人は永久に悟れない。だって有限のもの見てるんだから。私たちは無限のもの探してるんでしょ。見えるもの全部有限よ、UFO乗ってどこの星に行こうがそんなものは幻でしょ消えちゃうんだから。本源の世界ちゅうのは見えない世界だから。意識の究極の幸せ感の、そこへ入ったって究極はつかめないわけよ意識は。そこを私たちは目指しているわけだからまったく違うんよ。誰かが言ってる悟りとは違うんよ。宇宙が見えてね私の意識の中に宇宙が回転しててね、色んなものが見えて悟ったって書いてる人いるけどね、見えてるちゅうのはそんなの有限でしょ見えてること自体。確かにきれいな世界たくさんあるよ、もうもう。あのね、これは体験しないとわかんないんよ、そういう世界みないと。そこへ行くとねもう上へ行けばいくほど素晴らしい、もう色合いから何から、だから波調精妙さが全然違うんよ。だからそれに酔っちゃうんよ、だからそこに留まる人が結構いるんよ。でもねそこにいつまでもいられないんよ、飽きちゃうから。私たちの一番のね、まあ欠点でありいいとこちゅうのはそこなんよ。飽きるんよ神ちゅうのは飽きるように作られてんよ。飽きるから成長出来るの。どんなに素晴らしいとこ行ったってね、いつかは飽きるんよ。だからまた成長出来るわけ次の素晴らしいもの求めて、飽きなもの求めて。それの積み重ねで私たち進化していくんよ、どんどんどんどん。飽きなかったら進化止まりよ。そうでしょ。この世の中でもそうじゃない、食べたって一時でしょ、面白いもの見たって一時よ。二十何回、エデンの?エデンの何だったかな?二十何回観たって映画館で、ものすごく素晴らしいんですよって二十何回観たって。そしたら50回観てごらん飽きちゃうよ。どんなのでも飽きちゃうよこの世のことは。飽きるようになってんだもの私たちの神の心は。飽きるから成長出来るんよ。満足してたら終わりそれで。向上心のない人ちゅうのは満足した人。ひとつの記録もならないで終わる人いるよ。人の名前言いたいけど抑えとくけど。それは向上心のない人満足してる人、今の自分で満足してる人はもうそこ止まり。だって永遠にあるわけだから行くべきところが。ずーっと永遠無限の階段があるわけよ。階段で留まっててごらん、私はここの階段でいいんだって満足しててごらん、まだまだ無限の階段があるのに。それが絶対いつかわかるよ、満足出来ないんよこの魂は。だからまた肉もって生まれてくるんじゃない。向こうへ帰ったらもう素晴らしいんよ。帰った当時はねまあ地獄もあるけどね。地獄ったってそりゃ変な世界もあるよ、でも素晴らしい世界が多いの。この肉を持ってるこの地上界とは全然波動が違うんよ。そりゃ色合いでもものすごい綺麗なんよ。でも、こっから肉もって帰るとしばらくはその世界に酔うんよみんな。結構楽しいんよ。でもそこにいられないよね、魂は。絶対満足できないんよ、あ、今の私この世界って一体何なんだろう?考え出すんよ、どうすればいいか考える。もうちょっと上に行こうと思うようになる。そしたらどうするかって考えるとね、いろいろアドバイスもしてくれる上からの人もいるから、やはり肉を持って生れて来た方が成長出来るって。生ぬるいお湯の中にいててはダメなんよ。向こうは生ぬるいお湯の中にいるみたいなもんだから。お腹もすかないし嫌なこともないんでしょう?痛みかゆみも、ね、その肉体的なことはないんよ。あのねぇ、この五感もねみんな勘違いしてんよ。私たちは七つの身体もってるんでしょ、まあ全部入れて八つ持ってるよね。その全部身体に合った感覚があるんよ。ちゃんと最後まで感覚あるよ。でも肉体のような感覚はない、だから成長してくるにつれて感覚も違ってくるということよ。それは感覚という言葉で言っていいかどうかわからないよ。地球ではもうね、言葉がないからね。だから私が言いたいことでも言えないことがたくさんあるんよ。表現のしようがないんだもん、したって、これ伝えたいこれみんなに伝えたいと思うんよ。どう伝えたらいいの?いつでもそうなんよ。だから要するに向こうへ帰ってもまた戻ってきたくなるんよ。そのほうが一番成長しやすいようにできてるから。そのために創ったんだもん神は、成長するために。もしそんな成長するために必要ないもんだったら創る必要ないじゃない。また生まれてくる必要もないじゃない。何で生まれてきたの?まだ未成長だからよ。成長する必要があるから肉を持ってきたんでしょ。だから少しでも成長して帰るほうがいいよね、階段一歩上がるようにね。それも一歩じゃないんだから、無限の階段があるのにね、そこに留まってってどうするの満足してて。そうでしょ。で私たちは原子核を増やすことがまず第一の目標。そのために瞑想も必要。これはね、宇宙人が瞑想してないと思ったら大間違いよ。また肉体を脱いで帰って高いところにいる例えば悟った人たちでも瞑想してんよ。だって自覚というのこれがわかんないんよ、自覚がどういうものかわかんないからね、これでいいと思っちゃうんよ。自覚というのはこれも無限に続くんよ。その自覚の程度によって神の、どういうんかな、もう表現できないよねこの言葉。神のその偉大さというか凄さというかね、う~ん奥の深さというか、ね、そうできてるんよ、無限なんだからなんせ。無限に歩いて行かんきゃなんないんだから、その途中で体験しないことは無限にあるわけよ。これはやはり仕方がないんだって。その、まあこんなお話あれだから要するに瞑想ね、瞑想するのは原子核増やすひとつの方法に瞑想があるということだけね、その瞑想というのはさっきも言ったように神というマントラよね。マントラというのは結局は本当の自分というものを知るためのひとつの、う~んどういってんかな、ほんとの自分を気付かせるためのひとつの方便といっていいんか方法と言っていいんか、そういうもんなんよね。つまり神というものをね、現しようがないでしょ。だから私は神のひとりごとの中にたくさん神のこと書いてあるでしょ。あれは神を知ってほしいんよ、神というのはどういうものかを知ってほしいんよ。まあ像でいったらね像の足だけだったら私はドラム缶ですと思っちゃうよその人は。それじゃあダメなんよ、耳も知り鼻も知りそれこそしっぽも知って全体を、神の全体を知るためにはね、分解して知る必要あるんよ。それによって吾神なりの一言が全然厚みが違ってくる。だから瞑想する時にそういう厚みを付けてほしいんですよ。ただ口先だけで吾神なりって言ったって何にもならないの。何妙法蓮華経、南無阿弥陀仏いいんよそれで。何でもいいんよ。私でもいい光でもいい、エネルギーでもいいし無限でもいいし愛でもいいしマントラはなんでもいい、その中にいかにこの宇宙の実態を込められて思えるか。だから私宇宙を分解してるでしょ、いろんなほうから、一から言ったり私から宇宙を分解したりいろいろやってるやん。生命核からとか霊からとか光からとかいろいろ言ってる、あれはそういうように中身を重さを知ってほしい。だからいいんよ、みなさんここでマントラを自分で作って、まぁもうみんな持ってるけどね。もし持ってなかったら自分でね。要するにどの言葉が一番宇宙の響きに合うか、宇宙の中身を知ることが出来るか、神の中身を知ることが出来るか選んでください。神でもいいんですよ、もちろん。それをマントラを選んで出来るだけ口先の吾神なりじゃなくてね、吾神なりと思った時にそういうこと知ってたらぶわ~と浮かんでくるんよ、イメージとして。今までは単なる神というのは概念的なもんでまったく外側しかわかんない。外側ちゅうよりまったくわかんないよね一般の人は神ったって。なんか怖ろしいものとか思う人いるかもしらんけど、そうじゃなくて神の能力の素晴らしさ、この宇宙の、宇宙そのものが神だから宇宙を知ればいいわけよ、したから。宇宙の深みをうんと知るんよ。そして吾神なり、吾神なり、と一秒でいいんよさっき言ったように、その時に原子核がボンボンボンと増えるから。それが瞑想。あのー私もいろんな瞑想やったことあるんよ昔。我流でもやったしね。いちばんあれなのはねTM瞑想いうの、私あれやってたんだけど、そんとき聞いたのはね、要するにある言葉を与えられるんよ。、ま、アオームもそうだよね。チャームとかね、何だかな~みたいなの与えられるんよ。その意味のわかんないこと。それを繰り返すんよ、繰り返せばだんだん眠くなってくるんよ。それが気持ち良くなるよね当然。それが瞑想だと思ってるんよみんな。気持ち良くなって身体が浮いたりすることがいいと思ってるんよ。とんでもない話よ。それならメトロノーム見てたらいいよ、カチカチカチカチあれ眠くなるよ。あれと同じことなんよ、催眠術にかけてるみたいなもの、自己催眠。眠くなるのそれはいいことよ、眠くなるのはいいことよ。ちゅうことは自分の波動が精妙になってくる。眠くなるいうことはどういうことかわかります?心が落ち着いてくるちゅうことでしょ。目覚めて興奮してるちゅう時はものすごい波動が粗いよ。眠くなるとα波からθ波になるんよ、それはいいこと。でもそこまで、それだったら音楽聞いて寝てるのと同じ。そうでしょう、メトロノームやってんのと同じことよ。それでものすごいお金取られてんよ瞑想して。私は瞑想教わってきましたってね、確かTM瞑想、あれ9万円かなんか払ったって。ちょっと教わるとね、そんなことでお金取って、感激してんよみんな。世の中にはそういう偽物の瞑想で、私は瞑想出来てる瞑想教えてますなんて絶対。この地球上で瞑想出来てる人なんてわずかよ本当の瞑想。瞑想ってのは自覚を持たせるためにやるんだから。そうでしょ?あ、神なんだな自分は神なんだなって自覚に入るためにあるんでしょ?それは人間だったっていう思いを変えるためにやるんだから。みんな今私は人間だって思えてるのは人間の中身知っちゃってるから。人間の中身の分析を何百万年もしてきてるから、もうそっから取るの大変。そうでしょ、ただ人間って上面だけやってるんならこんな深みにはまってないよ。もう知りつくすほど知り尽くしてる何百万年の間、人間やってるから、ね。だから抜けられない。だから神を相当分析していかんきゃなんない。だから時間がかかるんよ、瞑想なんかねお釈迦さまでも6年かかったんでしょ。イエス様だって10年以上かかってんよほんとに。イエス様の若い時のあれないでしょ、物語が。そういう時期あったんよ、知花先生だってものすごい時間かけてんよ。そりゃそうだよ、今まで人間と誤解してきたんだから。それを取るのにどれだけ必要だと思います?泥を落とすのに。だからあれよね神というものがどういうものか深く深く深く知るために私は神のひとりごと書いたんよ。で宇宙のいろんな側面から宇宙を分解してるでしょ。3の中にね。で今度4はまだまだ深いものを出そうと思ってるけどね。長沢さんね、6月くらいから4の準備始めてほしいんですよ。
長沢 はい
大体出来あがっているからね。
長沢 はい。
だからそれはね、あくまでも一般向けじゃないんよねもう。いらないわけだから一般の人にそんなことは。だってさ、そんな魂いないよわかるような魂なんて。ここにいる人たちは究極、一番先頭切ってるんよ。進化の道の一番先頭を歩いてるのが私たち。これ以上の真理ないんよ何処探したって。現象をなんだかんだじゃないんでしょう、幻の世界の話ししてるんじゃないんだから。真実の話ししてんだから、だから現象の話してるんはね、はっきり言って、ま、必要なんよ目覚めるためには途中には。それはそれで必要な人がやってればいいけどここにいる人はもうそれを超えちゃったわけだからね。その一番先頭を切って、その境界線を超えるほうに行ってほしいんよね。そこの先頭切ってんだもん。これはねその体験をした時に初めてわかるんよ私の言ってることが。知花先生はね。ま、いずれまた私が死んでからになるかもしれないけどね、まぁその頃に地球あるかどうかもわかんないしあれだけど。あの魂同士の付き合いちゅうのはね、肉親同士の付き合いと違うんよ。私から見たら肉親同士も他人同士もないの。私の息子、兄弟も全然おんなじでしょ。私おんなじに見てるんよ、誰も彼も、だって同じに見えるんだもん。みんなの中身で見てるんだから本質を。本質を見たらみんな光って見えるんよ。だって一つだもの。親兄弟ある?そこに。だから感情を克服してくださいっていうのはそこなんよ。ね、出来たら感情を出来るだけ克服してね、感情をね。親兄弟なんかこの世の肉を持ってる間に結んだ縁でしょ。それはとんでもない人と結んでるかもしれないよ、言っちゃああれだけど。仇同士が結んだ時もあるわけよ。だから親子だからって情に流されてはダメなんよ。学びのためには必要なんよ。ね。要するにまず第一番目に欲望の克服が必要だよね。この悟りの境界線を超えるにはこの3つを超えないとダメなんよ。ひとつは欲望の克服、いろんな欲望持ってるよね、もう食欲から始まって、物欲もあれば権勢欲もあればいろんなものあるよね自己顕示欲もあれば、そのいろんな欲望自体を超えることが第一番目のハードルだよね。それはだいたいここに来てる人は超えてるんよ。一番超えづらいのはやはり食欲っていうのが超えづらいんよその中においても。覚者の中においてもまだ食べてる人いるんだもの。ヒマラヤの聖者でも晩さん会ちゅうかそういう催しあるんよ。やはり食べるということは最後に離さなきゃなんない欲かもしれないよ。でも彼らはそんなグルメ狂じゃないよね。飛行機に乗ってまで食べに行くちゅうのはね。そんなのは一番下の下だね、食欲の中でも。だから私たちはそこは超えてる、次に感情の克服はね、これも結構克服はしてきてるんよ。いろんな、今親兄弟と一緒に住んで子供と住んで体験してる真っ最中でしょ。その中においても情というのはなかなかね、親子の情とかね兄弟の愛情とか抜け出れなくて情で苦しんでる人結構いるんよ。ここの学んでる人でもやはり情の部分では残ってるんよね。それを克服しなきゃならない、それは並行して出来るからね。最後があれだよね要するに想念のコントロール、この想念のコントロールちゅうのはねこの宇宙の仕組みを知ったらね、そう難しいことでもないんよ。要するにいいことしか思わなかったらいいんだもの。想念をどうコントロールするかでしょ。感情のコントロールなんかでやってきたんだもん。人と人とのいろんな喧嘩の中でもやってきてるはずよ。それも越えてきたんでしょ、で、自分はそんなレベルの魂じゃないからだんだんだんだん上から見られるようになってきて、もう人と感情のぶつかり合いはなくなってきてる。ね。でも想念のコントロールいうのは思いのコントロールだからね。それは目に見えないからそれだけに扱いづらいんよね。すべて想念が基本になってるんでしょこの宇宙はね。想念があって青写真があって見える世界があるんだから。一番奥にあるのが、始まりが、原因が想念。で青写真があって、この世みんなそうでしょ。空気から氷があって、いや空気から水があって氷になるんでしょ。この物質もそうよ、鉄でもなんでも液体になるよ溶かしたら。で、気体になって消えちゃうよ。全部三身一体でできてんよこの宇宙。その三身一体の宇宙の中に私たちいるわけよね。それは何の意味があるか言うたらそういうこと知るためにあるんよ。三身一体を教えることによってこの宇宙の仕組みわかるわけだから。私たちは見てる、この裏には必ず水があるんよ。その裏には気体があるんよこの物質。それを見ながら理解力でもってそれを見えるようにならなきゃなんない。理解眼ちゅうのがそれなんよ。理解眼が出来るとね見えてくるんよモノの本質が。だからあなたは生命そのもの、光そのものだよね?元は。その理解力が進むとね、あなたの中に光が見えるんよ。光が見えてくるんよ。元が原因が見えてくるようになるんよ。これ誰でも見えるようになるんよ、理解力が見させるようになるんよ。このこと。それは幽界見てるんとちゃうよ。幽界ちゅうのは物質界だから、そうでしょ。波動が粗い世界だから。それじゃないんよ、もう完全なる意識の世界だから越えた世界、だから幽界の話をする人とあまり話をしないこと。ま、面白いんよね幽界は目に見えるから。でもそれはない世界の話してるわけだからそこにはあまり首突っ込まないこと。でも今言った三身一体の中身を知ることによってね、だんだんだんだんとそのモノの実態がわかってくるんよ。ガラスとコップの意味がわかってくるんよ。あ、あそうかこういう本質によってこの形は創られてんだったらこれは本質だなって、心の底で思えるようになってくる。心の底で思えるようになった時にその原因の世界が見える、光が見えてくるからね。現象で光が見えてるのとそれ違うよ。現象で見えるんよ。霊能者いわれる人たちはそういうもん見てるんよそういう光をね。光の質が違うんよ、中身が違うんよ、先生はこういうこと言っておられるんよピカリと光る光は光じゃないんよ。って言ってるわね。光が見えたって喜んでる人いるけどそれは違うよってそのこと言ってるん。そのほうの光というのは全然違う。どういっていいかな表現のしようがない、これ体験者じゃないとわからないけどね。でも現象の部分としてはそういう光が見えるんよね。でもその光の奥にはまだ体験してない透き通った光があるんよね。それはね理解眼でしか見えないよ。ほんとに理解した時にそれが見えるよ。だから意識を置ける、そこに、そこに神がおられるわけだから。長沢さんの言ってたね、確かにあれなんよ、私たち神というのは至る所におられるわけでしょ。だから私が言ってた意識の奥の奥の奥に意識を持っていってそこに神を求めて、そこに神がおられるわけでしょ。そこで吾神なりと言いなさいって瞑想してるよね、あの本にも書いてあるしね。あれはああいう書き方しないとわかってもらえないからああいう書き方してるんよ、でも、神は至るとこにおるんでしょ?もう目つぶったら神よ、至るとこにいるんだから。だからそこに意識を置けたらそれでいいんよ。ただ私たち五感に意識引っ張られているから前のほうに引っ張られてるから前方にくるんよどうしても。これも表現のしようないんよね。前方とか奥とかいうのもこれも言葉のおかしなとこなんよね。表現の出来ないとこなんよね。でもやはりそういうような言い方しかできないんよね、前のほうに置くか後ろの方、奥におくかしか言い方できないじゃない。でもそれがわかってくると目つぶって意識置いたらそこに神がいるわけだから神を意識してると同じことなんよ、で、その私が吾神なりという瞑想したらいいわけよ。これがなかなかわからない、意識の置き場所って私いつも言うやん、わからないって。だから本にも書いたよね、補色について書いてあるでしょ、あれもそういうことをどういってんかな、そこに結び付けてほしいからああいう書き方してんよ。補色ったってあれ前よ。あのやり方も。でもわかってほしいんよね、私の言ってる意味をわかってほしいからああいう書き方してんよね。なんも必要ないもんね、至る所に神があるわけだから。そこに意識を持って行って、そこにいる自分に意識を置けたら、そのそこにいる自分が神だから、そこにいる自分が吾神なりと思ったらそれで瞑想になるわけだよね。でまた瞑想もね、さっき言ったように最終的には自覚の境界線を超えてからなんよ、超えるまではね神と親しくしてればいいの。神、神普段歩いてても何してても思えるんでしょ?思えることが瞑想してるわけだから。だから洗濯してても何してても思えたらそれで神と対面してることになるんよ。要するに親しくすることだよね。親しくするにはさっき言ったように私を使ってくださいということもね、あれも神と対面してることだよ。私を世のため人のために使ってくださいって、もう神に思いを向けた時には神と対話してるんだからね。親しくすることが瞑想なんだよ。ね、こんな座って神よ~ってやることが瞑想じゃないんよ。だから知花先生言ったでしょ、もう寝てても起きてても横になったりどうでもいいと。意識状態だからって言ってるでしょ。ところが世の瞑想家見てごらん。もう形ばっかり、特に座禅なんかみてごらん、もうこんな足組んでね後ろからポーンと叩かれたりね。一体なんなの?自分が雑念だらけなのにね、でやってる人も一人もいないんよ、雑念ばっかりよみんな。まともな瞑想なんかできないんだから。外側から形だけの世界で生きてるんよ、みんな。本質の世界で生きてないの誰も、学校の教育もそう。みんな結果の教育しか教えてないよ、内側の教育してる教育者いる?外側の無限にある知識教えようとしてるんよ。そんな知識教えたって無限にあるんよ。でまた覚えたって肉体脱いだら終わりよその知識。ところが本源の教育は永遠に持ち帰るんでしょう?でまたそれを知ったらそんなこと知る必要ないんだもの、知識。そこの本源の世界、自覚の境界線超えたらね、何にも知る必要ないし何も見る必要もないし何もいらなくなる。これねぇ、これはもうそこに入った人しかわからない。私の言ってる意味が。わかるんよ、何も知る必要も何も求める必要もなくなるのがわかるんよ。もういっぺんにわかっちゃうんよ。もう、そのわかるということをわからすことが私出来ないの。この宇宙に今言ってる無限の組み合わせがあるから無限のモノがあるんでしょ?したら無限のモノには名前が付いてるでしょ。ね、その名前を覚えるということじゃないんよ、私の言ってることは。おもしろいよね、あの大学の試験でもね、たとえば何何の法則ちゅうの何何の法則を覚えさすんでしょ。まぁもちろん中身は物質的な法則、その字さ、その書かれてる字を、そこに書かれてる回答なんでしょ。確かに数学みたいに組み立てていけるよ。それもあの数学という現れたものの組み合わせよ、はっきり言って。本源の組み合わせじゃないんでしょ。全部知識よ。で、その知識得られたって何か役に立つ?私たちの真理は自分を変えるんよ。アメリカの大統領の名前覚えてなんか変わるの?自分が。ね、自分が変わることを覚えるんでしょ。それが原因を覚えるちゅうことよ。原因の世界を覚えるちゅうことよ。原因の世界は一つのことを知ったらいいんだもん。したら誰でも100点取れるよ落第生一人もいないよ。ひとつのことを覚えればいいんだもん。したら無限のことがわかっちゃう。無限のモノのことが分かるって言ってんじゃないよ。これがねわかりづらいとこだよね、わかってくれるといいんだけどね。わかるからね、そこに入れば全てがね。だからね楽なんよ、ほんとは一番楽なんよ。自覚の境界線を超えれば楽なんよ。これが一番近道。あのね、遠道していく、山道がこうあったとしてね、(ホワイトボードに山の絵を描く)あのね、悟りにもいろいろあるんよ方向が。ここが神のいる場所なの。ここはもう下界だよね。みんな右往左往してね、まあここに道がある、本源の道があるとしようか。ね、ここで右往左往してんよ、みんなこの道を求めてるんよ。科学者も宇宙人もみんな探してんよ。知的なことからこの神に行こうとしてんよ。哲学者もそうだよね、知的なものからここに到達しようと考えてる、それもいいんよ、それはどういうことかと言うたらこういうことなんよ。知的に悟るのはこういう道をたどってるんよ、グルグルグルグルと少しずつ登ってるんよ。ところがあるところまでくると、そっから以降はこの道に入らんきゃならんとこまで来る。これがここら辺の人にはわかんないんよ。誰でも、だから覚者でも瞑想してるちゅうのはそこなんよ。宇宙人でも瞑想してるちゅうのはそこなんよ、誰でもここ行かんきゃならない、最後はここなんよ。いいんよ、いろんな知識に基づいた文明を作って、科学的に外側からこの神を知ることはいいんよ。私たちはどうかったら、こっから来てるんよ。一直線に来てるんよ近道、でも近道じゃないんよ、ほんとはこう通るべきに作られてんよ。そういう道があるということはそうでしょう?ないんだったら、私たちが作るんだったら別よ。神が作ってくれてるんだから。神が完全であるということはそういう道も用意してくれてるいうことよ。この道を行けばお前たちはそう苦しまなくても悟れるんだよってちゃんと用意してくれてるんよ。ところが人間はね知識に固まって、でまたここの人たちもこっちに入って行く人は多いんだけどもね、ここに来るまでは大変な時間が、あなたたちも。今知花先生が教えてくれた真理にたどり着くまではそれこそ長い年月かかってるんよ。でもこの人たちはね、幸いなことにここに来てるんよこの道に入ってるんよ、この道に入ってるから一直線に行ける。ところがね、まだまだ哲学的に行ってる人はグルグルグルグルこっから行こうとしてんよ。相当時間がかかる。でも、これがまた面白いすごいことなんよ、神の完全性。あのねえ、ここの人たちは時間かかってるでしょ。だからこの人たちより遅く着くと思うでしょ。ところが違う。これでも同じに着くんよ。ウサギとカメ。ウサギとカメはね、最終的にはカメに負けたってことになってるけどあの童話違うんよ。一緒に着いてんよ。あのね童話というのは歪んでね。そうだよね、地球上には言葉がなかなかないわけだからね、現す言葉がね。だから歪んで伝えられることが多いよね。で、また受け取る人もその人の素直さとか純粋さとか、ま、いろんな自我もあるよね。で、曲げられてしまって完全に現わされるちゅうことはなかなかないのね。だから童話でもね、私は童話見たら真理わかるんよ。あ、こういうことを言ってる真理がここに入ってるゆうことわかるよ。それをね分析した童話集を作れないか思ってるんよ。分解しちゃうんよ、それでこれはこういう意味があるんですよっていうそういう童話を作りたいんよ。ま、そんなことはあれだけどね。神の完全性ちゅうのは、私いつも言うよね神の平等性。神は平等なんよ。一緒に出た魂のこと言ってるんよ、同じ時期に出た魂のこと言ってるんよ。遅く出た魂だったらやはり遅く着くのが当たり前じゃん。同じに出た魂は最終的にはここに到達しますよってこと言ってるんよ。でも何が違うかって言ったら苦しみが違う。苦しさが、ここの途中の。これだけが違うんよ、そしたらやはり神様はね自分の子供の苦しい姿見たくないよね。だから私たちは、神はお前たちはここをこう行ったほうが一番苦しまなくていいんだからって道用意してくれてるんだから。でしょ。だからそれを知ったらこの道をいくべきだよね。ところがみんなひねくれてるんか知らんけどいろんな道、辿りたがるんよ。知花先生のもとに集まった人でもいまでもどっかインド行ったりどっか行ったりしてるんよ、あれだけのこと教わっているのに。それだけ理解力がないちゅうことだよね。先生が完全にこの道に乗せてくれたのにもう違う道走ってるんよ。それはまぁ体験する必要も、それも意味あるんよそれさえも。その人たちはその体験する必要があるからまた出て行ってやってるわけだから、それはそれでいいんだけどね。でも私たち知ったものはもう一直線の道行くべきだよね。そのほうが苦しまないで済むじゃないの。なんせ神の公平性ちゅうのは、これはあの、エネルギーの公平性だから。絶対曲げられないんよ。どんなことしたってちゃんと公平に終わるようになってるんよ。自分のわが子をそんな不平等に扱うと思う?どんな悪い子であってもね最終的にはもう同じ、優秀なわが子と同じに到達させるようになってるんよ、なるようにできてるんよこの宇宙って。それが我が子に対する愛よね。神の公平性ね、だから完全なんよ。でなかったら神は不完全よ、そうでしょう?同じ時期に出た魂がね、おまえは先だおまえは後だって、そんなんだったら神は不完全よはっきり言って。神の完璧性いうのはそういうこともあるよ。だから私たちは素直になってほしい。素直ちゅうのは率直でしょ率直ちゅうのは神に繋がってることよ。率直だから繋がってるのまっすぐに。だから素直な人ほど早く自覚の境界線を超えるられるんよ。歪んだ人たちちゅうのはどうしても、なんていうんかな。だから子供のようになんなさいって言うやん昔から。子供のような人のほうが素直な人のほうが悟りやすいですよって昔から言ってるでしょ、それはそういうことなんよ。いろんな理屈をなんだかんだ並べる必要はない、こうしなさいって言ったら、まぁほんとの道に入ってからの話よ。まだ迷ってる段階でこうしなさいってその通り進んではいけないわけよ。それさえも見分けられる目を養っているからいいことなんよ。だから私はどこの宗教も否定しないしその人も否定しないよ。だって創価学会ね、そういう人だってわかる時期くるんだもん。それまでは必要だったんだもの、必要だったから私の本を見ていっぺんに目覚めたんよ。そうだ!ってものすごいもうわかったって言うの。あれのね驚きっていったらその人のメール見せてあげたいくらい。で、その人わざわざ来たのよ九州からね。話したいと言ってね。目から鱗が落ちたって言ってね、でもその人がそういうとこまで成長してた魂だからよ、南無妙法蓮華経の中に神を想ってたっていうんだもの。ね、南無妙法蓮華経だけでは意味がないんよ。南無阿弥陀仏でもいいんよ瞑想に。南無阿弥陀仏の意味がわかったら。南無阿弥陀仏ちゅうのはね、南はないですよ、肉体はないですよ、神ですよ、私は神ですよちゅうこと南無阿弥陀仏は言ってるんよ。あの意味ちゅうのは私は人間では無い神ですよ、仏ですよ、仏と神とは同じだからね、もう世の中にはいろんな神の名前あるけど、それももうあまりとらわれてはなんないんよ。神と言う名前たまたま使っているだけであって、私でも一でも一点でもいいんよ。無限でもいいんよ。表現の仕方は関係ないんよ神は。だから南無阿弥陀仏、私は人間でなく仏である仏仏仏、仏という意味も深く知って仏であると言ったら、人間取れてくる、だんだんだんだん人間取れてくるよ。それは意味を知らないとね、口先だけのものではなんにもならないちゅうこと。あのねこれ私一番知ってほしいことなんよ、私たち物事がそこにある、わかるということはね、理解力のあった人だけがそれをわかるんよ、見られるんよ。同じ景色見てても1階の人と10階の人と違うよ。私はみんなと同じ人間の形してるからみんなと同じ理解力持ってると思ったらとんでもない話よ。その人の理解力に応じたものしかわからないようになってる、この宇宙。だから目の前にあってもわからないんよ。この理解力を付けるちゅうことがね、まぁ私たちの体験からわかるわけだけど、理解できないものはこの宇宙にはないの。だから理解出来ない人は存在しないの。この言葉はものすごい深い意味あるんよ。理解出来てあるようになるんよ。理解出来なかったら、例えばよ、あるものをポーンと持って来て目の前に出されて、これは何でしょう?見た時にわかる?たとえば今まで見たことのないおもちゃ、機械を出されたとしよう。見てこれがわかると思う?見ただけで。それは体験からでしょ、理解できて中身がわかって、あ、これはこういうもんだなってわかるんでしょ。ないうちは、その上っ面の世界しかその人にはないの。ね、中身を知った人には中身を知った分の世界があるわけ。そうでしょ?この宇宙も理解した分だけの宇宙があるんよ。みんな宇宙はこうこうこうってわかってつもりにしてるけど、その人の理解力持った宇宙しかないんよ、誰も。だって主観宇宙だもん。そうでしょ、長沢さん、これものすごくあれだったよね、理解してないものはないんだもんね。その人さえも存在してないんよね、それがわかるんよ。そうじゃないだって、理解できなかったらないんよ。なんでかってたら想念は実現の母だから。わからないものは想念で作りようがないちゅうことよ。この理解についてね知ってほしいんよ。だからいかに理解することが大事か。宇宙ちゅうのはね、もう理解して理解してその理解力に合った宇宙が出てくるんだもの。ここに上がったらこの理解力に合った宇宙が出てくるんよ。それが永遠に続くからこの宇宙ちゅうのはもうすごいんよ。だから私たちが想像してるような宇宙じゃないんよ。私たちは形の宇宙しか想像できないでしょ。違うんよ、ほんとの宇宙ちゅうのはその理解力に合った宇宙が出てくるんよ。その出てくるいうのは形で出てくるちゅう意味じゃないよ。わかんないよね、まあそこまで今日は言う必要ないと思うけどね。要するに私たちは理解力が増してはやく自覚の境界線を超えたらそういうこともわかってくるから。そん時にはすべてわかっちゃうんよ。自分の未熟な部分もわかってくるからね。早く超えてほしいんよ。そのための瞑想がまず必要。その瞑想も出来るだけ中身を知りましょうって、知花先生がくどくどくどくどと同じことをどうして言うと思う?同じことくどくどくどくと、どうしてあんなこと言います?ある人は、あの先生はおんなじことしか言わない、そんなこともうとっくにわかってますよ、小学生でもわかりますよって涙声で言ったよ。だから私はね、でも言わなきゃなんないんだねって。わからないんだものそういう幼い人には。私も最初そうだった、私がね、北海道帰って釧路で講演会行った時にね、先生のテープをラジカセ聞きながらね運転してた、まだ始まったばかりの頃だけどね。あの先生おんなじことばっか言ってんなぁ、何でおんなじことばっか言うんだろう、その当時そう思ったよ。そりゃ仕方ない、でも違うんだよね。ひとつの言葉の中に無限の想いがこめられるんよ。ていうことはどういうことか言うたら、その人の成長に応じてその思いが受け取れるようになってるちゅうことよ。未熟な人は未熟なものしか受け取れない、先生は初歩の段階の人からそれこそもう上の段階の人まで全部意味含めてるんだもん。だから初歩の人には初歩の意味合いしか受け取れないって、その人の成長に合わせて受け取れるようになってるんよ。だから素晴らしいんよ、それがわかんないんよその人には。私の本もそうよ、今自分の理解力に合ったものしか受け取ってないんよ、みんな。自分が成長したらね、まだまだ気付き起きてくるんよ。今でも私、自分で読んで気付き起きるくらいだから。それほどね、この宇宙ちゅうのは深い深い深い単純だけど深いの。そして表現の仕方がね、その理解力に合った表現の仕方でいいんよということになってるんよ。私が本の中ですみれの花の色のこと話したけど、あれもものすごい深い意味があるんよ。すべて許してる神は、その人の理解力に合った、その人の今の能力に合った生き方をしなさいって言ってるんよ。表現の仕方をしなさいって言ってるんよ。これも神の愛の現し方なんだけどね。それほどこの宇宙は愛に満ちてるんよ。単純なんよ、単純だけど奥が深いんよ。素直に素直になって知ろうと思えばね。もう時間だからね、
長沢 あ、ここ時間うるさくないんで12時に終われば・・・
そう、まぁあの瞑想も今日途中までになっちゃったけどね、またね。これは徐々に徐々に、先生が言ってる知花先生、薄皮をはがすように進んで行けばいいんだよ。だって今までにもう何百万年も転生してきたんでしょう。今から一生のことに拘る必要はないんよ。ね、じっくり行きましょう。じっくりじっくり。そのほうがいい、苦しくなくやったほうが。たのしくやること。あのね、悟りちゅうのは楽しく悟れるようになってるんよ、ほんとは。苦しくしてるのは既成概念。山野を駆け巡ってる人もいるよ、断食してる人もいるよ、寒い冬にね滝に打たれてる人もいるよ。そんなこと御釈迦さまはひとことも言ってないんよ。楽しく悟れるようになってる、神が自分の子供をそんなとこに放りこむ?本当はもう簡単に楽しく悟れるようになってんのに、人間がわざわざ自分で苦しめてるだけなんよ。まぁそれさえも一つのあれだと言ったらあれだけどね。でもほんとは悟りちゅうのは楽しく出来るようになってんよ。もう楽しくて楽しくて仕方ないんよ、もう知れば知るほど楽しくなってくるようになってんよ。でまた自分の理解力があがって波動があがると、その波動のエネルギーが入ってくるようになってるでしょ。皆ねエネルギーを食べてほしいんよ、この脾臓からエネルギーが入るようになってるからね。これを吸い込めるようになったらね、もうほんと美味しいんよ。もうほんとに美味しいんだから、こっから食べるエネルギーちゅうのは。是非体験してほしい。誰でも、だって昔そっから取れるように創ってるんでしょ神は。無駄なもの創ると思う?で面白いことにね、あの動物にもあるんよ脾臓、それは脾臓とは言わないんだけどね。今の医学なんかは脾臓っていってるのもあるんだけど、人間だけに特殊に与えられてんよ脾臓、そっから吸ったらほんとに気持ちいい、もう食べる必要もなくなるんよほんとは。気持ちのいい、美味しいということを体験してほしいよね。それは自覚の境界線に近づくだんだんだんだんと、まぁ超えたら誰でも体験できるから体験してほしいよね。私が言いたいのはなんせそこに寸前にいる人だっていいたいの。だから今が一番宙ぶらりんで苦しい時ではあるよね、どっち付かずだから。人間も捨てきれない、神も、そっちにも向かえないジレンマに陥ってるはずよ。一番そういう状態が苦しい時、それを超えたらもう幸せしかないんだから。でもそこまで来てることに対して自分をほめてあげなきゃだめなんよ。一般の人たちは何が何だかわからない手探り状態で生きてんでしょ。私たちはもうわかっちゃたんだから、それだけでも幸せだよね。そこの道あるいたらもう自動的だから、そういうふうに創ってるんだから神は。その道に乗って、もちろん黙って座ってたらだめよ。歩く歩道じゃないんだから。自分の足で歩かなきゃならないけどその道に乗ったから。もう他の道には行かなくなる、まぁ他の道に行ってる人もいるけどね。一回乗ったんだけど、他の道行ってインド行ったりいろいろいるけどね、他の本読んでる人もいるよ、たくさん。あのね、本からは得られないんだからこれだけは、自分の中からしか、でまた自分の中から得たもので原子核増えるようになってる。神がねそんな外側から得たもので原子核増えるようにしたんだったら全員悟っちゃうよ。特に大金持ちとか本たくさん書いてる人は頭のいい人は。そんなこと神は、小学生でも貧乏人でも誰でも公平に悟れるように神は、自分のわが子だもの。外からは絶対得られないことし知ってほしい、その時間があるんだったら常に自分から得なさいって言いたいの。外からいうのは知識化されたものでしょう?それは死んだものよ全部、これがね意味がわかったらもう絶対外からは得ようと思わんよ。私の言ってることも外よこれ。こっからは得られないんよ、ただ刺激だよね。あくまでも刺激、ひとつは方向性を教えている、やるのは自分だから、そうでしょう?方向性とか刺激とかは与えられるよ。もちろん波動も与えられることは確かだけどね、でも最終的には自分よ、だって自分が神なんだから、自分が得なくてどうすんの。ということでね、そういうことで今日はここまでにしましょうか、どうもありがとうございました。