人生ってこんなもので良いのか?。何かし忘れている事があるのではないか?。60歳も過ぎ人生の終幕が近付いてくると、人はこれまで歩んできた人生に疑問を持ちはじめるものです。でも、どうして良いか分からない?、分からないから自分をごまかして生きるしか無い、そこで旅行をし、多彩な趣味を持ち、グルメに興じる、そんな人が多いのではないでしょうか?。疑問を持ったら、その疑問を取り除きましょう。60歳からが人生の勝負なのですから・・・。
人生の荒波にもてあそばれ、心ならずもやりたくないことをやり、良心の呵責に耐えかねている人も少なくないと思いますが、肉体を持って生きている限り、悪いことをしない人など一人もいないのです。(心で犯す罪も同罪です)悪いことをするのが悪いのでは無く、悪いことを悪いまま放って置くことが悪いのです。過去の思いや行為を元に戻すことはできませんが、気付いた後の人生を正すことで過去の償いができ、更なる飛躍も可能なのです。その方法を私の体験からお伝えしたいと思います。
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20数年も前になりますが、私も人生の荒波にもてあそばれ堕落した時代がありました。しかしあるきっかけを境に、人生を変えようと決意したのです。それはそれは、断崖絶壁から飛び降りるような強い決意と勇気が要りました。
「今日ただ今から良心に恥じない生き方をする!。」
「これまでの人生の総懺悔をする!。」
「世のため、人のため、あらゆる生き物のために、残りの人生を捧げる!。」
この三つの誓いを胸に秘め、私は人生の再出発を図ったのです。それは一切の妥協を許さない一大決心でした。その日から私は、毎日、西の空に向かって祈りを捧げるようになりました。「神様・・どうか私を、世のため人のためにお使いください!」と・・・。これまで犯した罪を、返したいと思ったからです。数週間後のある晩、私は素晴らしい体験をさせてもらいました。それは生命(神様)からのご褒美だったと、今でも私はそう思っています。それから以後の私は、人が変わってしまいました。周りの環境に変化が起きはじめました。出会う人達にも変化が起きはじめました。仕事も順調に回転しはじめました。その時は意識していませんでしたが、今、考えてみると再出発を誓ったことで生命核が増え、それが環境の変化という形で現れたのだと思います。
私達の中には生命核(魂)が存在します。その生命核は、常に増殖を願って私達の心を叩いています。しかし自我が活発化していると、生命の思いが顕在意識に届かないため、正しい考えや行動に結びつかないのです。私が人生の再出発を誓ったことで生命との同調ができ、生命核が増えたと考えられるのです。
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生命核(魂)とは原子核のことです。原子核は生命エネルギーですから、原子核が増えればエネルギーが強まるため、これまでの考え方や生き方に変化が生まれるのです。また直感力や判断力が増すため、これまで不明だった問題点の解決の道筋が見付かるのです。さらに高い波動との同調(守護霊によって導かれる)が起こるため、必要な情報が入ったり、予期せぬ人との出会いが起こったりして、人生が良い方向へ転換してゆくのです。
大懺悔も、一大決心も、間違いなく生命核を増やします。特に、真に人のために尽くしたい!、社会のために尽くしたい!、と思って成す行為は、間違いなく生命核を増やします。これは仕事上でもいえることで、たとえば部下をかばう、人の嫌がる仕事を引き受ける、相手のためになることを考え仕事をする、これは自我を少なくすることにつながりますので、生命との絆が強まり、生命核を増やす要因になるのです。自我が生命との断絶をもたらしていたわけですから、自我が少なくなれば生命核が増えるのは当然なのです。ただしどんなに良いことでも、動機が不純であってはなりません。正しい動機に基づく正しい行いをすることが大切です。
このように、人のために社会のために尽くす思いで生きれば、日々の生活に張りが生まれ、充実した一日を送ることができるようになります。人生で置き忘れていた何かを発見したような、爽やかな気分になれます。これは私の体験からいえることなので間違いありません。是非やってみて下さい。なぜ決心すると原子核が増えるかについては、別な機会を設け説明したいと思います。最後に元気の出る人生の応援歌をいくつか紹介し、この章を結びたいと思います。
・石に穴をあけ続ける雨滴を見て、心打たれるかも知れない!。
・木の葉の舞い落ちるのを見て、素晴らしい詩を思いつくかも知れない!。
・果敢に道路を横切る毛虫を見て、勇気づけられるかも知れない!。
こんな小さな存在でさえ、周りのものに影響を与えずにはおかないのです。ましてやあなたの存在が、どれほど周りの人達に影響を与えていることか・・・。たとえ一歳で閉じる人生でさえ、その両親に、その兄弟姉妹に、周囲の関係者に、大きな波紋を残して行くのです。それほどあなたは、掛け替えのない存在なのです。
思い出しましょう!。素晴らしかったあの頃のことを・・・ただ側にいるだけで幸せだったあの時代のことを・・・。
大切なのは、どれほど永く生きたかでは無く、どれほど充実した人生を送ったか?、どれほど納得のゆく人生を送ったか?、ではないでしょうか?。
人間はどうでしょうか・・・?。私達も与えられた環境で精いっぱい生きれば、彼らのように楽しく生きられるのです。
何が何だか分からない状態から、徐々に完成されて行くのです。今の私達も見かけは良くないが、いつか必ず芽を出し、花を咲かせ、実を結ぶのです。その果実がどんなにみすぼらしくても、そこに全能の生命が宿っていることは間違い無いのです。
学びの体験に善し悪しなどないのです。今、私達は、絶好の学びのチャンスが与えられているのです。
絵が勝手に描かれないように、ビルが勝手に建たないように、哲学の論文がアイウエオの偶然の集まりでないように、大宇宙を創造したのも、大自然を創造したのも、その背後にはそれを創作した何者かがいたのです。それを私達は、神(生命)と呼んでいるのです。
その一日をあなたは、どのように使っているでしょうか?。
かって自分も敵役を演じていたかもしれません。いや間違いなく演じていたでしょう。そして今後も役を取り換え演じ合うことでしょう。討つ役あれば、討たれる役あり、世の中は実にうまくできているものです。
明るい処には蝶や蜂が舞飛び、暗い処にはネズミやゴキブリが徘徊するのです。今どんな環境にあろうと、ジョークは飛ばせるはずです。おどけることもできるはずです。笑顔だってふりまけるはずです。そんなあなたを見れば、誰もがあなたを好きになるでしょう。
本当は別れなど無いのです。一から生まれ一に帰る別れがあるだけです。出てきた故郷に帰る別れがあるだけです。
さあ、飛躍できる時のやってくることを信じ、今を精いっばい生きましょう。
老人の茶飲み話のほとんどは昔話です。確かに人生を振り返れば、楽しかったこと、苦しかったこと、懐かしい思い出など、山ほどあるでしょう。でもその思い出に登場した人達は、今も健在でしょうか?。祖父母はどうでしょう?、父母はどうでしょう?、叔父や叔母はどうでしょう?、兄弟姉妹はどうでしょう?、隣人達はどうでしょう?、あの政治家は?、あの女優は?、あのアスリートは?、あなたの家は?、あなたの町は?、・・・。こうして見ると、人生は夢の如しです。
そう、人生は夢物語なのです。この世の出来事で、一つだって真実なるものは無いのです。そんな夢事を懐かしがったり、感傷に浸っていてどうなるというのでしょうか?。私達は一日も早く、浮世から卒業しなければならないのですよ・・・。
人生を懐かしがったり思い出にしがみついたりしていては、再び生まれてこなくてはなりません。生まれれば、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病む苦しみ、死ぬ苦しみがあります。もうこりごりですよね!。だからイエスは、「二度と生まれてはならない!」、と戒められたのです。
この世の幸せなんて一時です。でも、生命の世界の幸せは永遠なのです。あなたは、一時の幸せが欲しいのですか?。永遠の幸せが欲しいのですか?。イエスの戒めの言葉を、じっくりと噛み締めたいものです。
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