私達は、人間に上り詰めた後も数々の人生体験を積みながら、今日ここまで成長してきました。しかしその間にあっては、言うにいわれぬ数奇な人生を送ったことも少なからずあったでしょう。例えば、ある時は戦争で傷つき、ある時は病に倒れ、ある時は事故で負傷し、己の人生を呪ったこともあったでしょう。ある時は失恋に涙し、ある時は三角関係に悩み、ある時は夫に(妻に)裏切られ、もん絶の日々を送ったこともあったでしょう。また人に騙されたり、裏切られたり、陥れられるなど、散々な目にあわされたこともあったかも知れません。あるいは、富と名誉を掴み喜びに気炎したこともあれば、すべてを失い自ら命を絶ったこともあったかも知れません。その一つ一つの人生ドラマは、宇宙生命にとって一体どのような意味があったのでしょうか?。単なる映画の一コマにしか過ぎなかったのでしょうか?。
宇宙生命から見れば、それらの人生は分身が故郷に帰る便法的な体験にしか過ぎませんでした。どんなに苦しい人生を送ろうと、どんなに楽しい人生を送ろうと、ドラマそのものには何の意味もなかったのです。なぜなら、それらのドラマは、続編のない一回限りのドラマだからです。登場人物も、ドラマの内容も、一回一回違うのです。受け継がれるのは、人生体験で付けた心の傷痕です。意識の高揚と理解力の高まりです。どれほど自分を知ったか?、どれほど宇宙の仕組みを知ったか?、それだけが実績として残るのです。といっても人生劇場は、人格を磨く必要不可欠な体験の場であり、また宇宙生命が望む究極の幸せの拠り所でもありますから、疎かにして良いというものではありません。与えられた命が尽きるまで、一生懸命生きることが大切です。
人生航路というものは厄介なもので、前進しているか、後退しているか、停滞しているか、見えづらいところがあるのです。だからうっかりすると、道に迷ったり、堂々巡りしたり、脇道にそれるなど、無駄な時を費やすこともままあるのです。道に迷わないためには、人生を点として捕らえるのではなく、線として捕らえる必要があるでしょう。そうすれば全容が見え、欠点を修正することも容易になるからです。要するに私達の人生は、生命核(魂)が綴る歴史の一ページ 一ページであり、それは取りも直さず数万回の人生の総決算であると同時に生命核(魂)自身の総決算でもあるのです。だから言われるわけです。今の自分を見れば、これまで築いてきた魂の高さが推し量れると・・・。その意味では、数万回の人生は一つとして途切れていないということです。
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一回一回の人生において、名前も違い、性別も違い、環境も違い、演じるドラマの内容も違っておりますが、常に幸せでありたいとの願いは変わっていないと思います。でも生命核(魂)から見れば、登場人物の幸せなどどうでもいいのです。なぜなら、登場人物は、その人生における演技者にしか過ぎないからです。登場人物と人格は別モノなのです。登場人物は今生限りの存在ですが、人格は宇宙生命に帰るまで持ち続けられるものです。ですから正しくは、人格を「命格」と記すべきでしょう。
この度の人生は、
「幸せだったか?、不幸せだったか?」ではないのです。
「長命だったか?、短命だったか?」ではないのです。
「何を成し遂げたか?、成し遂げられなかったか?」ではないのです。
「世に名声をとどろかせたか?、とどろかせなかったか?」ではないのです。
「どれほど魂を揺さぶる人生を送ったか?!」
「どれほど本当の自分を知り得たか?!」なのです。
だからどんなにつまらない人生でも、それが魂に実りをもたらすものなら大成功です。勿論、どんな人生にも必ず実りはあるものです。ただ無自覚のまま人生を送るのと、自覚を持って送るのとは月とスッポンの差がありますので、できるだけ人生の意味を知る必要があるのです。
人生の意味を知った者は、決して無為な人生を送ることはしません。必ず充実した人生を送るはずです。この際ぜひ人生の意味を知って下さい。
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殆どの人は、何のためにある人生か知らないまま一生を終えています。これでは、生まれてきた意味がありません。
よろしいですか?。
「私達は、本当の自分を発見するために生まれてきたのです。」
それは、あなた自身も知っています。お父さんも、お母さんも、兄弟姉妹達も知っています。しかし肉体を持った途端、百人が百人ともそのことを忘れてしまうのです。これは仕方のないことかも知れませんが、仕方ないで済まされないのが人生なのです。
なぜ人間は、生・老・病・死に苦しまねばならないのでしょうか?。なぜ人生に、苦しみや悲しみが付いて回るのでしょうか?。それは苦しみや悲しみが、本当の自分を発見させるからです。宇宙の仕組みは良くできているもので、本当の自分を早く発見した者は早く苦しみから解放され、発見しない者は発見するまで苦しみから解放されないようにできているのです。だから私は、仕方ないでは済まされないというのです。苦しみから早く解放されたかったら、一日も早く本当の自分を発見することです。
人生に意味のない苦しみや悲しみはありません。どんな苦しみも悲しみも、みな本当の自分を発見するために必要な体験なのです。もし今あなたが苦しんでいるなら、なぜ苦しまねばならないのか疑問を持って下さい。そして、その疑問の矛先を人生の思索に向けて下さい。それが、一日も早く苦しみから抜け出せるコツです。
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良く人生を懐かしがる人がおります。特に老境に入ると、その傾向が強くなるようです。でも良く考えてみて下さい。この世の出来事は、束の間の絵空事にしか過ぎないのですよ!。私達の人生は、単なる映画の一コマ 一コマにしか過ぎないのです。どんなに懐かしがっても、どんなに悔やんでも、元に戻すことはできません。もし戻せたとしても、それは過ぎ去ったものとは別モノです。そんな儚い絵空事を追いかけ、一体、何になるというのでしょうか?。
この世は浮世といって、現れては消えてゆく幻の世界です。この世に何一つ真実なるものは無いのです。今 楽しかったことも、今 辛かったことも、次の瞬間には思い出にしか過ぎなくなるのです。思い出は捕らえておくことはできても、過ぎ去る絵空事は捕らえておくことはできません。どんなに泣き叫ぼうが、どんなにわめこうが、たちまち手の中からすり抜けてゆくのです。
でも、私達の「心」「意識」「生命」は絶対無くなりません。だから私達は、絵空事を大切にするのではなく、心を大切にすべきです。心こそ永遠不滅の私です。その心の中に永遠の幸せがあるのです。
どんなに栄耀栄華の人生を送ろうと、それは時の上に組み立てられた積み木のようなもので、必ず崩れ去ってしまいます。でも、心の上に組み立てられた積み木は絶対崩れません。私達は、崩れない積み木を組み立てるべきです。そのためには、本当の自分を発見することです。すなわち、「本当の自分は生命である!」、ということを心の底で知ることです。
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