この宇宙には、無いものを有るように見せかけるカラクリと、一つのものしか無いのに沢山の物があるように見せかける、二つのカラクリがあります。私達はこの二つのカラクリに騙され、様々な苦しみや悲しみを作ってきました。この二つのカラクリを見破らない限り、私達に真の幸せは無いのです。では、その見破るコツを教えましょう。
一つ目のカラクリを見破るコツは、本当にあるものは私達の感覚にかからないものである。すなわち、すべての物は一つの見えない本質(生命・理念)によって創造され、一つの見えない本質によって生かされ、働かされているという真実を知ることです。
もし物質が本当にあるなら、物質から原子を差し引いても物質は残らなくてはなりませんが、物質から原子を差し引いたら物質は無くなってしまうのです。もし人間が本当にいるなら、人間から生命を差し引いても人間は残らなくてはなりませんが、人間から生命を差し引いたら人間は無くなってしまうのです。無くなるということは、物質も、人間も、本当に存在していないからです。私達は外形に惑わされ、本当にある本質を見失っているのです。
二つ目のカラクリを見破るコツは、この宇宙には一なる理念の主(生命)しか存在しないという真実を知ることです。その一なる理念の主が万象万物を創造し、万象万物の中で生きて働いているのです。なぜ理念の主が万象万物を創造し、万象万物の中で生きて働けるのかといいますと、理念の主イコール本質(素材)だからです。ならば理念の主は、私そのものではありませんか?。私は、理念の主そのものではありませんか?。なぜなら、一つしか無い本質(生命・理念の主)が私の生みの親だからです。このことを前提に考えれば、次のような論理が成り立つはずです。
「理念の主である私が認めることによって、物が、世界が、宇宙が、創造される」という論理です。
理由はこうです。
私が認めることによって物が創造されるという意味は、私は宇宙を創造している本質(素材)そのものですから、私がその物を認めれば、素材である私が即その物となり、その物の中に居ることになるのです。私が認めた物の中には必ず私が居るということ、つまり素材である私が居るということです。認めた私は素材そのものですから、認めた途端に素材である私が即その物になるわけです。私が物を認識するには、私がその物となってその物の中に居なくてはその物は有り得ないわけですから、認識できるわけがないということです。これが「神が物を創造する場合、神自らがその物になるしかない!」、といわれる理由です。
私が宇宙を認めたから、宇宙は存在するのです。私が宇宙を認識する限りにおいて、素材である私が宇宙そのものとなっていなくては、宇宙を認識することができないのです。要するに、そこに物が、世界が、宇宙が、存在するということは、私がその物を、その世界を、その宇宙を認めたということです。認めたということは、素材である私が、その物となって、その世界となって、その宇宙となって、そこに居るという意味です。だから物は、世界は、宇宙は、私の意識が創造しているといえるのです。意識そのものが、生命そのものであり、素材そのものであり、私そのものだからです。意識そのものが、物質そのものであり、世界そのものであり、宇宙そのものだからです。
認めている私と、認められている私は同じ私なのです。見ている私と、見られている私は同じ私なのです。私が人間を認めているということは、人間は私であるということです。認めている私は、認められている人間そのものだからです。認められている人間は、認めている私そのものだからです。私が生命を認めているということは、生命は私であるということです。認めている私は、認められている生命そのものだからです。認められている生命は、認めている私そのものだからです。
一なるものが、二にも三にもなることはないのです。一なるものは、どこまでも一なるものです。宇宙に一なる素材(生命)しか無いという絶対真理は、私しかいない、私の世界しか無い、私の宇宙しか無い、つまり「天上天下唯我独存(尊)」を意味しているのです。すべてを一なる目で見ることができたら、天上天下唯我独存の意味が理解でき、二つのカラクリを見破ることができるでしょう。
宇宙のカラクリで一番惑わされやすいのは、一を多に見せかける巧妙なトリックですが、物の本質を一つとして見ることができれば、このトリックを見破ることができるのです。本当は一つのものしか無いのに、沢山の物があるように見せかける巧妙なトリックが、本当の自分を見失わせてきたのです。騙されてはなりません。どんなに沢山の物があるように見えても、それはみな一つのもの(本質・生命)から生まれたのです。その一つのものが私ですから、私の外に何も無いということです。
存在とは、存在の心です。存在させている意識です。私という意識です。その意識は、本質であり、生命です。その私という意識は宇宙に一つしかないわけですから、すべての物は私の意識によって存在させられているといえるのです。何を見ても、何を感じても、みな私の意識の現れであると心から思えたら、もうこのカラクリに騙されることは無いでしょう。
物が、世界が、宇宙が有って自分が有るのではありません。自分が有って、物が、世界が、宇宙が有るのです。なぜなら、物は、世界は、宇宙は、自分の意識が創っているからです。
自分が消えて無くなってしまうなら、どうして悟る必要があるでしょう?。
永遠に無くならない自分だからこそ、悟る必要があるのです。
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