生まれてすぐ死ぬ嬰児がいます。小児マヒで苦しむ幼子がいます。病気で死ぬ少年がいます。戦争で傷付く青年がいます。世の中にはこのように、「神も仏もあるものか!?」と思いたくなる悲しい出来事が沢山あります。しかし殆どの人は、その不幸を不運と偶然の中で処理してしまいます。「運が悪かったのだ!」「仕方がなかったのだ!」と・・・。でも、決して不運でも偶然でもありません。なるべきにしてなった因果の現れなのです。
生命核(魂)の進化というものは、命の歴史の流れを通して、それも永遠の渡し場で見なければ見えてこないのです。つまり、命の位相を輪切りにして見るのでは無く、永遠の目で、それも一本のロープとして見なければ、その全容が見えてこないのです。
苦しみも、悲しみも、喜びも、感動も、みな進化の素材であり成長の糧です。その素材がなければ、生命という作品は完成されないのです。「無駄な人生など無い!」とは、そういうことなのです。
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