「地球が誕生して約四十数億年、これまで地球は大人になる道を歩んできました。つまり幼年期から少年期を経て、いま青年期の絶頂を迎えているのです。これは地球の総質量とエネルギーの関係、銀河系宇宙に占める太陽系の位置関係からいえることですが、青年の極に達した地球は、これから熟年期へ成長してゆかねばなりません。つまり安定の法則にしたがい、(安定の法則とは、きめられたスピードに沿って進化すること)一歩高度な目標へ向かって飛躍しなければならない時期が近づいたということです。したがって地球人類は、それ相応の飛躍が望まれるのであり、それがさまざまな変化という形で表れるのです。」
「どのような変化が訪れるのでしょうか?。」
「経済面では、資本主義の崩壊がはじまり世界経済が大混乱に陥ること。社会面では、犯罪と紛争が多発し社会不安が広がること。また奇病や自殺者が増え、人々の心に暗い影を落とすようになること。環境面では地球環境の激変により、地殻異変や気象異変が起こること。このようにいうと、人類の終末を暗示させるようで心が暗くなってしまいますが、どうしてどうして明るい出来事も多いのです。まず、
そして最大の出来事は、偉大な指導者が出現することでしょう。その偉大な指導者は、巧みな話術と奇跡を披露しながら、また多くの正法者と宇宙の兄弟の支援を戴きながら、人類を理想世界へと引っ張っていくのです。この間百数十年、人類は幾多の苦難を乗り越え理想世界へと突き進んでいくのです。」
「偉大な指導者とは一体誰なんでしょうか?。ご老人はなぜ、そんな予言めいたことを平然といえるのですか?。」
「歴史の節目には、必ず偉大な指導者と助力者が現れ人類を牽引していくものです。これは宇宙意志の要請であり、必然性の法則を満たすエネルギーの流れでもあります。人類の歴史を振り返って見れば、“なるほど!”と思える人物が時代の節目に必ず現れているはずです。だから私が平然と予言するのではなく、歴史が平然と予言しているのです。また人類が神意に逆らって進めば道が険しくなるのは当然で、これも予想のつくところです。間違えた道から正しい道に戻すには、肉を持った偉大な指導者と助力者が必要なのです。いつ、どこに、どのような人物が現れるかは分からないが、その指導者によって地球が、人類が、導かれるのは間違いないのです。これが、必然性の法則に導かれる人類の未来図です。」
老人は目を細めた。
「“ 1999年に人類は滅亡すると! ”いうような予言書が多く出回っておりますが、そんなことはないのですね?。」
「ありません。それは私が保証します。ただ、夜明け前に深い闇が訪れるのは避けられないでしょう。これは生みの苦しみといってよいでしょう。でも、その闇を経なければ日は昇らないのです。」
「・・・」
老人は意味深長な言葉で結んだ。
「さて、動物的な面と霊的な面をかね備えた不思議な生き物、それが人間という生き物でした。食べて、寝て、子孫を残すなどの行為はその動物的な面でしょうが、それが動物にとっては生まれもった目的と一致するので仕方がないとしても、人間はそのような生き方で満足していてはならないのです。動物と違って人間は、もう少し気高い目標をもって生きなければならないようできているからです。その気高い目標とは、素晴らしい芸術作品をつくるとか、スポーツで大記録を打ち立てるとか、偉大な発明や発見をして世のため人のために役立つとか、自己を啓発し真の人間像を発見するとか、負わされた目的と使命をまっとうするとか、まあこの外にも沢山あるでしょうが、要するに生本能とは違ったものに情熱を注ぎ込める素晴らしさです。ところがどうでしょう。これらの幸運を手にする人はほんの一握りで、殆どの人は動物と変わらない一生を送っているのが実情ではないでしょうか。要するに、食べて、寝て、子をつくり、老いて死んでいく、といった決まり切ったパターンを歩む人が殆どだということです。勿論これも人生でしょうが、はたして死ぬ間際に、“ああ、私の人生は有意義だった!”、と満足して逝くことができるでしょうか?。このような人生を歩む人が多いのは、経済的ゆとりのなさもあるでしょうが、やはりしっかりとした人生に対する目標が定まっていないからではないでしょうか?。
何度もいうように、人間には生きる目標が必要です。目標がなければ、ただ動物のように本能の赴くままに生きるしかないため、そこに、お金だとか、モノだとか、地位だとか、権力だとかいったものが必要になり、競い合う、争い合う、奪い合う、社会にならざるを得ないのです。もし貴い目標が見つかれば、人はどんな困難も厭わぬ気概をもち、素晴らしい人生を開発するに違いないのです。
奉仕世界では、国民に生きる目標を与えることを忘れません。また、その目標を適えるための時間と環境を与えてやれるのもこの世界の良さです。それによって人間は、動物的生き方から数段上位の生き方に転換することができるのです。」
厳しい顔つき、憂い、そして微かな希望の笑み、そのように変化する老人の顔を見ている内に、私はなぜかホッとしたものを感じた。それは最後に見せた老人の笑みの中に、人類の明るい未来を見たような気がしたからだ。
「トントン!」
耳元で音がして、私はハッと目を開けた。
車窓に額をつけるように覗き込んでいる人がいる。私は驚きながら窓を開けた。
「どうかなさいましたか?。」
男は眉をひそめながら問い掛けてきた。
「・・・?」
私は一瞬戸惑ってしまった。たしか今まで、あの老人と土手で話し合っていたはずだ。それがなぜ今車の中にいるのだろう?。
「いいえ何でもありません。ちょっと寝込んでいたようです。」
私はその場をそうつくろった。
「そうですか、あまり動かないものですから、何かあったかと思いまして・・・。」
「ご心配をおかけしました。」
「それでは。」
男は一礼すると土手に向かって走り出した。どうやら彼はジョギングの途中だったらしい。遠ざかる後ろ姿を見ながら、私は頭の中の混乱を整理できないでいた。私は夢を見ていたのだろうか?。あの老人との会話は、夢の中の出来事だったのだろうか?。それにしては余りにもリアルすぎた。
私はカーラジオを入れた。
ちょうど九時のニュースが入っていた。そのニュースを聞いているうちに私は、またまた驚きに身をすくめてしまった。何と、今日は五月十五日だというのだ。ということは、老人と出会ったこの二日間は幻の二日間だったことになる。つまり、数時間の内に二日間の夢を見ていたことになる。私はラジオから流れてくる音楽を聞きながら、呆然と西の空を見上げていた。