「今日宗教といえば、抹香くさいものというのが一般常識になってしまいましたが、本来宗教は抹香くさいどころか、実に科学的なのです。つまり、優しさには優しさが、笑顔には笑顔が、暴力には暴力が、怒りには怒りが返る、この「因果の法則」そのものが科学的なものだからです。
人間はどうにもならなくなると、“神様お助け下さい!”と神頼みしますが、いくら神頼みしても助かるものではありません。なぜなら、『天は自ら助くる者を助く』『因果応報』が真理だからです。努力もせず、ただ神頼みするだけでどうして助かりましょうか?。努力と精進が伴って、はじめて人は助けられるのです。
奉仕社会では、「自らが自らを助ける!」という真理が理解されていますから、怠け者はおりません。みな一生懸命努力し、精進しています。果報はそれについてくるわけですが、それを当てにする人もまたおりません。
またこの世界の人々は、仏壇や神棚や祭壇を設け、祈るようなことはしません。祈りは己の心に向かってします。自分の心が、宇宙心(神)へ向けての発信所であり受信所であることを知っているからです。すなわち祈りとは、宇宙心(神)との対話なのです。その対話は次のように行われます。
1、感謝の祈り
今日の無事に対して、自分の周りの環境に対して、父母や先生などの恩人に対して、自分を導いてくれている意識の兄弟に対して、私たちを生かしてくれている神に対して、感謝の祈りを捧げます。
2、反省
今日一日の言動を振り返り、過ちがあったら二度と繰り返さないよう心に誓います。
3、宇宙の波動と一体になるべく瞑想を行う
今日一日の終わりに、神に対して敬虔な祈りを捧げ、新たなる誓いを立てます。この真摯な祈りを続けることによって心の曇りが除かれ、やがて宇宙の波動と一体になることができるのです。
真摯な祈りとは神に意識を向けることですが、これが瞑想の極意です。この瞑想を続けてゆく内に宇宙の波動に触れ、言葉で言い表せない喜びを体験することができるのです。この段階までくると、人生の意味とか、宇宙と自分との関係とか、幸せの正体といったものが分かり、自然と正しい生き方ができるようになるのです。もう難しい仏典や教典などは不要です。当然、仏殿・神殿・仏壇・神棚なども不要です。したがって宗教は、次のような変貌を遂げていくでしょう。
このように宗教は、人類の意識の高揚と共に姿を変えていくでしょうが、それは正に科学の進歩の足跡とも一致するでしょう。
宗教は強制されるべきではありませんが、徳育は強制して構わないと思います。なぜなら、奉仕社会が浸透し偽りの宗教が淘汰されれば、宗教に代わって徳育が先生となるからです。その時宗教=科学となり、その位置づけは、今日のように日常生活と掛け離れたものではなく、身近な生活法として実生活の中に縫い込まれるでしょう。
宗教を観念的なもの、生活から掛け離れたもの、と思っているうちは、私たちは決して真の自由者にはなれません。宗教を科学として捕え、今の一瞬一瞬の思いと行為が自分の運命に、人類の運命に、影響を与えると真剣に感ぜられるようになった時、私たちは真の自由者になれるのです。」
「本当に偽りの宗教は淘汰されるのでしょうか?。」
「はい、金儲けのできない社会システム(奉仕社会)ができ上がれば、偽宗教は必ず淘汰されます。したがって、もう宗教という名の宗教は無くなるでしょう。これは私が保証します。」
宇宙に二面性があるように、科学にも二面性があります。つまり物質法則の背後に心の法則があって、この二つの法則が互いに関係しあい、物質界と意識界の存在を可能にしているのです。要するにこの二つの法則は、表裏の関係にあるため、どちらが欠けても宇宙の存続は許されないということです。ところが人類は、快適さや便利さや合理性を重視するあまり物質科学の虜になり、肝心要の精神科学をおろそかにしてしまいました。今日地球環境が危機にさらされているのも、まさにこの過ちによるものです。本来科学は、照応進化を満すものでなくてはならないのです。
照応進化とは、"科学の発達と精神進化は肩を並べなければならない!"、という進化法則のことです。もしバランスを欠くなら、人類は自然淘汰の憂き目をみるでしょう。
1、科学の進歩>精神進化
科学の進歩より精神進化が劣勢すぎれば、人類は自らの手で滅亡に追い込むだろう。
子供に危険なオモチャは禁物です。危険なオモチャを与えれば、子供はおもしろ半分に使い、自らの首を締めてしまうからです。
2、精神進化>科学の進歩
科学の進歩より精神進化が優勢すぎれば、人類は負わされた使命をまっとうできないだろう。
人類の最終目標は、地球上に理想世界を建設することですが、それには精神進化と肩を並べる科学力を持たなくてはできないのです。
3、科学の進歩=精神進化
科学の進歩と精神進化が肩を並べるのが理想的姿です。
これであれば物心バランスのとれた文明が発達し、人類も地球も調和のとれた進化が望めましょう。
このように調和ある進化は、精神進化と科学の発達が照応してはじめて実現するのです。3番目の科学が花咲いている奉仕世界の文明は質実そのものです。本当に必要なところにだけ科学が使われ、遊びやふざけたところには一切使われないのです。特に”化学”の乱用は避けられています。それを具体的に見てみましょう。
○科学の利用が許される。
・公的場所や公的活動に利用される。
(大量輸送機関に、公的建造物に、公的情報に・通信に・インフラに)
・社会生活維持のために利用される。
(農業に、林業に、漁業に、酪農に、鉱工業生産に、物資生産工場に、公的サービス機関に、医療に、国民の福利に)
・人類の使命達成に利用される。
(宇宙法則の研究に、生命研究に、エネルギー研究に、元素転換研究に、異次元研究に、意識の研究に)
・人間性を高める教育に使用される。
(学校教育に、国民自由学校に、特殊教育の場に、芸術に、スポーツに、あらゆる文化活動に)
○科学の利用が許されない。
・人の欲望を刺激したり、興奮させるところには使われない。
(射幸心を煽る、物欲を煽る、色欲を煽る、自己顕示欲を煽る、単なる勝負の世界)
・興味本位なもの、好奇心をくすぐるようなところには使われない。
(個人情報、大衆向け情報)
・エゴを助長するようなところには使われない。
(マイカー、過激な装い、度を越した遊興)
・意味の無い破壊には使われない。
(戦争・自然のバランスを崩す破壊など)
このように細心の注意を払って科学が使われれば、決して地球環境を狂わすようなことは起きないのです。
照応進化が順調に進めば、予想だにしない法科学が花咲き、生命の謎・人間の謎・宇宙の謎が解明されるでしょう。たとえば、
これらは、理想世界建設後に控えている人類の大きな目標です。したがって人類は、いつまでもつまらない宗教戦争や経済覇権戦争や領土争いなどにエネルギーを費やしていてはならないのです。我々人類には、もっと大きくもっと崇高な目標があるのですから・・・。」