よく、騒音をまき散らし、オートバイやスポーツカーを乗り回し ている暴走族がおりますが、なぜ、彼らは、あのようなことを、するのでしょうか?
それは、愛に飢えているからです。つまり、寂しいからです。
彼らだけでは、ありません。地球人類の殆んどが、愛に飢えているのです。寂しいのです。
それは、分離観念を持っているからです。
分離観念を持っている人は、寂しいのです。孤独なのです。
本当は、孤独など、あり得ないのです。
なぜなら、この宇宙には、一つのモノしかないからです。
あなたの周りに存在する、全てのものは、一つのモノの現れなのです。
一つのモノしかない、と言うことは、全ては、自分である、と言うことです。
だから、あなたは、孤独ではないのです。
あなたが着ている洋服も、ネクタイも、靴下も、空気も、水も、火も、動物も、植物も、鉱物も、あの人も、この人も、全て、あなた、なのです。
その、たくさんの相手に囲まれている、あなたは、幸せいっぱい、では、ありませんか? 分けるから・・分離観念を持つから・・孤独に感じるのです。
どうか、全てのものは、自分である、と思ってください。
そう思えたら、孤独感は、消えてしまいます。
今、多くの人たちが、携帯電話やインターネットを使って、情報のやり取りをしております。
どうして、人類は、情報のやり取りをしたがるのでしょうか?
それは、孤独だからです。 寂しいからです。
でも、これは、決して、悪いことではないのです。
なぜなら、情報のやり取りをして、人の付き合いが多くなれば、それだけ、体験が多くなりますから、成長できるのです。
彼らは、成長したくて、 たくさん情報のやり取りをしているのです。
地球には、幼い魂が、多いのです。 幼い魂には、外側の者との体験が、たくさん、必要なのです。
でも、皆さんのような、熟した魂は、あまり、外側の者との体験は、必要ないのです。
熟した魂の体験相手は、内側の者です。つまり、本当の自分です。真我です。魂です。意識です。すなわち、神です。
さあ、瞑想し、本当の自分( 魂・意識・神・あなたのマントラ)を意識してください。
2021.10.01
妻子がいる!友達がいる! 地球がある!宇宙がある!と、思えることが、私たちが、神である証しなのです。
何故なら、神と同じ意識を、私たちは、持っているからです。
この宇宙には、たった一つの神意識が、あるだけなのです。
と言うことは、その意識を持っている、私たちは、神では、ありませんか?
なのに、私たちは、人間だと思っています。何と、哀れなのでしょうか?
人間と誤解しているから、神の意識を悪用し、苦しみを作ってしまうのです。
神だと思ったら、神の意識を悪用するわけがないのです。
どうか、神の意識を善用し、素晴らしい人生にしてください !
この世は、刻々と姿を変える、無常の世界です。
それは、実際に無い世界だからです。
しかし、意識は、実在です。絶対、無くならない、真実です。
絶対、無くならない、意識を使い、絶対、無くならない、神を想う・・・。
絶対、無くならない、意識を使い、消えて無くなる、この世のことを思う・・・ 。
どちらが、得でしょうか?
どんなに、偉大な神の意識を持っていても、この世のことに使えば、無駄遣いになってしまうのです。
幻を思うか? 真実と想うか? で、天地の差が生まれる、と言うことです。
どうか・・本当にある、神を想ってください !
私たちは、自分が、神であることを、知るために、生まれてきたのです。
人生の目的は、あくまでも、本当の自分を、知るためです。
しかし、どうでしょう!? 殆んどの人が、お金や、物や、地位や、名誉や、権力を得ようと、躍起になっています。
どんなに、得ても、持って帰れない、と言うのに・・です。
持って帰れるのは、唯一、魂だけです。
是非、魂を大きくして帰りましょう!
2021.10.02
人間とは何か? Part2
人間とは、 何でしょうか?
肉体でしょうか?、それとも、意識でしょうか?
人間とは、意識なのです。
なぜなら、私たちは、想念を持っているからです。
なぜ、想念を持っていれば、意識なのか、と言いますと、
神の意識が、意識核を生み出し、
その意識核が、魂を生み出し、
その魂が、心を生み出し、
その心が、想念を生み出したからです。
では、その意識は、何なのでしょうか? 何処から来たのでしょうか? 何処から生まれたのでしょうか?
意識の正体は?
・・解らないのです・・
解らないから、私は、「X」と言う名をつけたのです。
「X」は、永遠に、解らないのです。
どんなに探っても、解らないのですから、無理に解かろうとする、必要はないのです。
ただ、「解らないものである!」と言うことだけ、知っておいてください。
なぜ、解らないものを、解らないものであると、知る、必要があるのかと言えば、無駄な労力を、つぎ込む、必要がなくなるからです。
例えば、ここに、ダイヤモンドが埋まっていないと、はっきり、分かれば、わざわざ、ダイヤモンドを、掘り起こすようなことは、しないでしょう。
必要なのは、真実の姿です。真実の姿が解ったら、それで、良いのです。
解って、いただけたでしょうか?
確かに、「X」は、探っても、永遠に、解らないのですから、わざわざ、労力を、つぎ込んで、ダイヤモンドを掘り起こす、必要はありません。
でも、自覚の境界線を超えることは、別なのです。
そこには、間違いなく、ダイヤモンドが埋まっているのです。
だから、掘り起こせば、必ず、手に入るのです。
私は、やれば、必ず、手に入ることを、皆さんに、お伝えしているのです。
どうか、社会体験と瞑想をして、ダイヤモンドを掘り起こしてください!(自覚の境界線を超えてください!)
人間を、知ることほど、大切なことは、ありません。
それも、頭で知るのではなく、心の奥底で知ることが、大切です。
心の奥底で知れば、判断力が増します。理解力も増します。
理解力が増せば、解らない事も、分かるようになるのです。
一つだけ、注意してもらいたいのは、知識と理解とは、違う、と言うことです。
知識は、 外形を納得しただけ・・理解は、意味( 中身)を納得したのです。
この差は、天と地の違いがあるのです。
焦ることは、ありません 。少しずつ、少しず つ、近づいて行ったら、良いのです。
焦らず、怠らず、二つの事をやって、原子核を増やしてください !
2021.10.03
少し難しい話
この宇宙は、「初め無き、終わり無き、宇宙!」と言われます。
しかし、本当に、この宇宙は、初めも、終わりも、無いのでしょうか?
もし、そうなら、今、どうして、表現宇宙は、存在しているのでしょうか?
今、表現宇宙が存在している、と言うことは、最初があったから、では、ないでしょうか?
つまり、最初にドミノを倒した、最初があったから、では、ないでしょうか?(今、表現宇宙は、ドミノが、どんどんと、倒れている状態です。宇宙は、膨張を続けている。)
では、最初にドミノを倒したのは、誰でしょうか?
それを、私は、(ドミノを、最初に倒した、初動者)神と、呼んでいるのです。
神が、最初に殴ったのです。だから、殴り合いの喧嘩が始まったのです。(パンドラの箱が開かれ、宇宙の創造が始まった。)
と言うことは、この宇宙に、最初があったことになります。
ただ、最初に殴った神(原因者)が、解らないから、宇宙の初まりが、分からないだけです。
最初に殴った神(原因者)が、解らない、と言うことは、やはり、宇宙に、最初が無かった、と言うことになるのです。
神を理解しようとしても、神は、永遠に、理解することができない!
つまり、宇宙を理解しようとしても、宇宙は、永遠に、理解することができないのです。
大宇宙の始まりは、分かりませんが、なぜ、表現宇宙が創られたかは、分かるのです。
それは、表現宇宙が創られなかったら、絶対宇宙の存在が、あり得ないからです。
では、どうして、表現宇宙が、必要だったのでしょうか?
理由は、「永遠に尽きない! 永遠に色褪せない!」幸せが欲しかったからです。
表現宇宙で、演じている、私たちのドラマが、「永遠に尽きない! 永遠に色褪せない!」幸せの味付け材料になっているのです。
もし、表現宇宙がなかったら、私たちは、ドラマが演じられないわけですから、幸せの味付け材料を、作ることができないのです。
それでは、この宇宙に、究極の幸せは、生まれないのです。
表現宇宙が創られた、背後には、このような、理由があったのです。
神は、自分を認めて欲しいのです。認めてもらわなかったら、自分の存在が無いからです。
自分(神)の存在が無ければ、この宇宙は、何も始まりません。
「無!無!無!・・・」です。
だから、神は、誰かを殴ったのです。
つまり、パンドラの箱を開け、表現宇宙を創ったのです。
こういう言い方をすると、宇宙に、最初があり、終わりがある、ことになってしまいますが、最初があるのは、小宇宙(表現宇宙)だけです。
でも、その小宇宙も、大宇宙の中で、循環(膨張収縮を繰り返している)して、永遠を保っていますから、やはり、宇宙には、最初も、終わりも、無いのです。
やさしい話
もし、肉体が死んで、その人の意識が、無くなってしまうなら、何を成し遂げても、何んの意味もありません。
「私は、生きている時に、こんな事をやった!」と、言ったところで、意識がなかったら、何も分からないからです。
と言うよりも、意識が無かったら、そんな事さえ、思えないのですから・・。
私たちの意識は、永遠に、無くなることはないのです。
意識の中で体験したことは、宇宙のアカシックレコードに刻まれ、永遠に、保存されるのです。
だから、一生一生の人生は、大切であり、意味があるのです。
旧・光のメロディ 「別れ」
2021.10.04
よく、運命は、決まっているとか、決まっていないとか、言われますが、運命は、決まっているのでしょうか? 決まっていないのでしょうか?
運命は、すでに、決まっているのです。
つまり、「自覚の境界線を超える!」と言う、運命は、すでに、決まっているのです。
ただ、その道筋が、自我では、分からないだけです。
私たちの魂は、神の意識核から生まれましたので、神の意識核に戻りたい、と言う、帰巣本能を持っているのです。
これは、魂の願望ですから、どんなに、自我が逆らっても、逆らえるものではないのです。逆らえば、逆らった分、苦しむだけです。
確かに、私たちは、自由意思を持っていますから、どのような道でも選べるのです。
でも、どんな道を選んでも、巡り巡って、最終的に、魂の望んだ道に、戻ってくるのです。
これが 、「運命には、逆らえない!」と言う、謂れなのです。
しかし、私たちは、想念を持っていますから、最終的に、自覚の境界線は、超えなければならないにしても、途中の脇道を、どう歩むかは、自分の自由意思で出来るのです。
と言うことは、命を運んでいるのは、やはり、自分だと言うことです。
だから、人のせいにしてはならないのです。
徳川家康は、「人の一生は、重荷を負うて、遠き道を行くが如し!」と言う、遺訓を残しておりますが、その通りで、人生には、苦しみが多いものです。
でも、その苦しみは、成長のための苦しみですから、決して、悪いことではないのです。
魂の進化は、楽な道を歩んでいては、望めないのです。
だから、真我は、人生の行く先々に、岩や石を置くのです。(実際は、原因と結果の法則が置いている)
もし、今、あなたが、苦しんでいるなら、それは、あなたの成長に、必要だから与えられた、苦しみだと思ってください。
どうか「神の眼」を備えてください。
「神の目」を備えれば、悪いことは、悪いことではない! 成長のための、悪いことである! と言うことが、分かるでしょう。
神は、我が子の成長を願っているのです。
その願いに、応えてください。
神のメロディー 「神の眼」
2021.10.05
生命とは、何でしょうか? これは、なかなか、難しい問題です。
でも、あえて、生命の定義付けをしてみましょう!
生命とは・・
人間は、形を持っています。意識も持っています。息もしているし、脈も打っています。勿論、動いています。
と言うことは、人間は、生命の条件を、全て、満たしていることになります。
では、鉱物や、植物や、動物は、どうでしょうか?
鉱物も、植物も、動物も、全て、生命の条件を満たしているのです。
と言うことは、この宇宙に、生命でないものは、一つもない、と言うことになります。
この宇宙は、生命そのものなのです。
なぜなら、宇宙そのものが、意識を持ち、形を持ち、息をしており、脈を打ち、動いているからです。
では、形だけで、意識がない場合は、生命と言えないのでしょうか?
また、意識があっても、形がない場合は、生命と言えないのでしょうか?
当然です。
なぜなら、形がなくては、意識が宿れないし、意識がなくては、形が存在できないからです。
形と意識が揃って、初めて、生命が存在できるのです。
意識と形は、相身互いの関係にある、と言うことです。
と言うことは、形と意識は、同等の価値がある、と言うことです。
「人間は、偉大な存在ですよ!」と、私が言うのは、人間と意識は、同等の価値があるからです。
「生命」と言うのは、言葉です。
言葉が、生命を現わしているのではないのです。
言葉の中身が、生命を現しているのです。
ですから、言葉の中身を、理解することが、大切なのです。
では、「生命」の中身を、探ってみましょう!
生命とは・・
生命の「生」とは、魂のことなのです。
生命の「命」とは、意識のことなのです。
意識と魂が、一つになったものが、生命なのです。
生命が、進化成長してゆかねばならないのは、「命」と一緒になっている、「生(魂)」が、進化成長してゆかねばならないからです。
私たちは、今日まで、色々な、人生体験を積んできましたが、それは、「生(魂)」を大きくする、人生体験だったのです。
私たちは、一歩一歩、進化の階段を、上ってゆかねばなりません。
つまり、「生(魂)」を大きくし、一歩一歩、神に、近づいてゆかねばなりません。
それは、難しいこと、では、ありません。
日々の生活を、精いっぱい、やることで、近づいてゆけるのです。
旧・光のメロディー「命」
2021.10.06
今、一生懸命、生きなければならない理由は、
過去には、生きられないのです。未来にも、生きられないのです。
なぜなら、今しか無いからです。
実現できるのは、今の今なのです。
その今を、一生懸命、生きることによって、幸せが得られるのです。
未来に生きている人や、過去に生きている人は、今、原因を作っていないわけですから、幸せが得られるわけがないのです。
では、具体的に、「今」を、どう生きれば、良いのでしょうか?
それは、正しい、思いを持つこと・・、正しい、言葉を話すこと・・、正しい、行いをすることです。
すなわち、「意・口・身」を、正しく使うことです。
とりわけ、一番良い「意・口・身」は、 神を想い・・神を語り・・神の行為をすることです。
神の行為とは、純粋な動機で、行動することです。
そこに、欲を挟んではいけません。
私たちは、「一」の子です。
なぜなら、全ては、「一」から生まれたからです。
この「一」のことを、神とも呼び、生命とも呼び、意識とも呼び、光とも呼んでいるのです。
一は、無限ですから、私たちは、無限の子なのです。
でも、無限の中にいては、無限が分からないので、私たちは、自分が無限であることを知るために、個人となって、出てきたのです。
形を見れば、個人ですが、中を見れば、無限なのです。
個人と無限は、二つで一つなのです。
この事を、腹の底で知れば、私たちは、自由になれるのです。
「生・老・病・死」にも、怯えることがなくなります。
いかに、無限だと、心の底で思えるかです。
瞑想しなければならないのは、無限の自覚を、深めるためです。
意識は、神です。
↓
神は、一です。
↓
一は、無限です。
↓
無限は、生命です。
↓
生命は、光です。
↓
光は、魂です。
↓
魂は、私です。
↓
私は、意識です。
↓
意識は、神です。
常に、頭の中で、この尻とりをしてください。
いつか、思いの中に、定着すると思います。
2021.10.07
神は、自分の存在を認めて欲しくて、人間を創ろうと考えました。
これが、宇宙創成の第一歩です。
まず、神は、自らの意識核を、放射しました。
その意識核が・・
鉱物になり、
↓
植物になり、
↓
動物になり、
↓
人間になりました。
人間になったばかりの幼い魂は、肉体を維持するために、欲望のままに生きます。
当然、病気や事故などの、痛い目・苦しい目に、遭うでしょう。
そこで、なぜ、痛い目に合うのだろうか? と、疑問を持つようになります。
そして、気づきます。
物質に偏り過ぎていたから、苦しみが来たのだと言うことを・・・。
こうして、人間は、真理に、生きるようになるのです。
そして、人間は、自覚の境界線を超え、幸せの国に入るのです。
私たちの心は、神の心から来ています。
心自体が、神意識から、生まれたからです。
私たちの心の成り立ちは、
神意識が、核を放射し、
↓
その核が集まって、魂となり、
↓
その魂が、心を作り、
↓
その心が、想念を作ったのです。
ですから、私たちの心は、神の心と何も変わらないのです。
ただ、神の心は、すべてを包み込む、大きな心なのに対し、人間の心は、まだ、小さいのです。
ですから、私たちは、原子核を集めて、心を大きくしてゆかなければならないのです。
それも、まん丸な心にです。まん丸な心にするためには、知性と理性を大きくし、欲望と感情を包み込む、必要があります。
そうすると、ハート型の心が、まん丸な心になります。
今の人類の全員が、ハート型の心になっているのです。
それは、欲望と感情を、膨らませてしまったからです。
でも、悲観することはありません。瞑想して、原子核さえ、大きくすれば、自然と丸い心になってしまうからです。
誰でも、欠点は、持っているのです。
覚者でさえ、持ってるのですから、自分を卑下することはありません。
私たちが、やるべきことは、二つ ・・
この二つをやって、原子核を大きくすれば、欠点なんか、消えてしまうのです。
2021.10.08
自分の欠点を無くそうと、苦しんでいる人がおりますが、自分の欠点を無くそうと思っても、無くせるものではありません。
何せ、何万転生もの人生体験で積み上げた、業の累積なのですから ・・・、良いのです。放っておいても・・・。原子核を大きくしたら、自然と、業は、取れていくのですから・・・。
世の中には、人を良くしたいと思って、人の欠点を指摘する人がいますが、自分の欠点さえ、無くせないのですから、人の欠点を取ることなど、とても、できるものではありません。返って、反発を買うだけです。
人を成長させるのは、人の言葉ではありません。体験です。
体験だけが、人を成長させてくれるのです。
その体験も、他人が、させてくれるのではありません。
自分が用意して、体験させるのです。
あなたが、今日、嫌な人に出会ったのも、嫌な出来事に遭ったのも、全て、自分(真我)が用意したのです。
この世界に、必然しかない、と言うのは、真我が用意するからです。
そうです。どうしたら、成長できるかは、真我が良く知っているのです。
だから、あの嫌な人を、連れてきたのです。あの嫌な物を、連れてきたのです。あの嫌な事件事故を、連れてきたのです。
全て、自分の成長に必要だから、真我が用意したのです。
ですから、人のせいにしてはならないのです。
私たちは、主観の主です。どうして、そう言えるのか、と言いますと、何事も、自分の意識の前でしか、起きないからです。
あなたは、今まで、自分の意識の外で、何かが、起こったことがありますか? 無いはずです。
なぜなら、自分の意識の外で起きたことは、分からないからです。
分からない、と言うことが、主観の主である証拠なのです。
自分の意識の前でしか起きないのは、自分の意識が、全てのものを、創っているからです。
つまり、自分の進化成長に必要な現象を、自分が、自分の意識の前で起こしている、と言うことです。
これは、当たり前のことで、何の不思議も、ありません。
なぜなら、自分の意識しか無いからです。
この宇宙には、自分の意識しか無いのです。
自分の意識しか無いから、自分の意識の外で起きることがないのです。
今までも、そうであったように、今後も、たくさん、自分の意識の前で起こり続けるのでしょう。
それは、起ったことから、たくさん学び、たくさん成長する、必要があるからです。
その計画は、主観の主が、やっているのです。
と言うことは、自分の意識の前で起きていることは、全て、主観の主が、計画して、起こした、必然である、と言うことです。
旧・光のメロディ「体験」
2021.10.09
人類の歴史において、いつの時代にも、飢餓が、ありました。
どうして、地球には、飢餓が、あるのでしょうか?
本当は、飢餓など、あるわけがないのです。
なぜなら、神様は、人類が、生きるに必要なものを、全て、与えてくれているからです。
神様は、
地球には、空き地が、たくさん、あるのです。
そこに、芋でも、植えてみてください!
飢餓で苦しむ人など、一人も、出ないのです。
土地や、水や、労働力を縛るから、飢餓が生まれるのです。
あなたの労働力は、あなたの、ものですか?
あなたの時間は、あなたの、ものですか?
一企業に縛られ、自由に使えないのでは、ありませんか?
神様は、人類に、必要なものを、全て、平等に与えてくれているのです。
なのに、不自由な生活を強いられている・・おかしいと思いませんか?
これは、配分に、問題があるからでは、ありませんか?
つまり、経済に、問題があるからでは、ありませんか?
人間が、生きるに必要な、物的条件は、「衣・食・住」です。
これは、自然界から、いくらでも、得ることができます。
例えば、衣類は、藁や、草や、木などの、植物繊維・・、あるいは、ひつじや、繭などの、動物繊維から、得ることができます。
食べ物は、土から、海から、川や湖から、いくらでも、得られます。
住む家にしたって、草木から、いくらでも、得られます。
これ、全て、自然界からの贈り物です。
それも、全人類に、平等に、与えられております。
なのに、どうして、「衣・食・住」に、困窮する人が、出てくるのでしょうか?
これは、自然界側に、問題があるのでしょうか? 人間界側に、問題があるのでしょうか?
人間が、生きるに必要な、最低限度の物的条件は、「衣・食・住」でした。
しかし、これだけでは、人間は、生きられないのです。
もう一つ、精神的な条件が、必要なのです。
それは、楽しみです。娯楽です。
確かに、「衣・食・住」が整えば、とりあえず、人間は、生きられます。
でも、それだけでは、潤いのない生活になってしまうのです。
人間には、文化的生活環境が、必要なのです。
なぜ、文化的生活環境が、必要かと言いますと、人間は、常に、幸せを、求めているからです。
本来、幸せは、真理で、得るべきなのですが、今の地球人類は、そこまで、成長していないので、どうしても、代替え品の娯楽が、必要になるのです。
今、コロナウイルスの蔓延によって、自粛生活を強いられておりますが、このまま、長期間続けば、精神的に、おかしくなる人が、たくさん、出てくるでしょう。
事実、最近、凶悪な犯罪が、増えています。
娯楽で、心の空白を埋めている社会では、起こりうる事なのです。
2021.10.10
何事も、必然で起きている、と言うことは、 受け取り側が、必要なものを創っている、と言うことです。
何かが、あっても、受け取る人がいなかったら、その何かは、無いのです。
友達が、私の目の前で手を振って、私に合図を送っています。
でも、私は、隣の美人に見とれていて、友達が見えません。
その時、友達は、いなかったのです。
この例えのように、受け取り人が拒否したら、そのものは、無いのです。
どんな、高価な物も、受け取る人がいなかったら、その高価な物は、無価値になってしまうのです。
これは、需要と供給の関係から言って、当たり前のことです。
価値を作るのは、供給側ではなく、受け取り側だと言うことです。
つまり、価値を創るのは、与える側ではなく、受け取る側だと言うことです。
遠くの星から、光が、送られて来ております。
でも、受け取る人がいなかったら、その光は、無いのです。
郵便物が、送られてきても、受け取り人がいなかったら、その郵便物は、無いのです。
それは、主観者(受取人)しか、いないからです。自分しか、いないからです。
これは、何を意味するのか、と言いますと、「人を成長させる必要はない! 自分だけ成長したら良い!」と言う、意味なのです。
なぜなら、人(客観者)は、いないからです。
とは言っても、客観者を無視しては、主観者である、自分の成長は、ありません。
ですから、主観者は、存在しない、客観者と交わりながら、成長してゆかねばならないのです。
と言うことは、主観者と客観者は、同等の価値がある、と言うことです。
つまり、幻と本物は、同等の価値がある、と言うことです。
2021.10.11
意識とは何か? Part1
意識とは、何でしょうか? これは、誰も、解らないのです。多分、神も、解らないでしょう。
なぜなら、神自体が、自分の意識のことが、解らないからです。
意識には、姿形がありませんから、意識の自分を、知ってもらうことは、できません。
それでは、意識の存在がないので、意識は、形を創り、その形の中に、入ってきたのです。
この宇宙には、その形が、無限に存在しているのです。
ですから、どんな形も、意識の現れです。
空気も、水も、火も、菌も、虫も、鉱物も、植物も、動物も、人間も、全て、意識の現れです。意識は、全ての全て、有りて有るものなのです。
全ての存在物の背後で、意識が生き、意識が動き、意識が働いている のです。
ですから、人間が、生き、動き、働いている のでは無く、意識が生き、意識が動き、意識が働いている のです。
誤解しないようにしてください。
意識が何者なのか? 何処から生まれたのか? どんな存在か?、依然として解りません。
でも、意識の働き、意識の能力、意識の望みは、解るのです。
ですから、この宇宙に、不完全なものは、一つも無いのです。
しかし、地球には、不完全なものが、たくさん、あります。
なぜ、完全なる宇宙に、不完全なものが、あるのでしょうか?
それは・・不完全は、完全な働きの一つだからです。
相対させて、初めて、意識の望んでいるものが、生まれるのです。
このように、 意識の働き、意識が望んでいることは、解かるのです。
しかし、依然として、意識の正体は、解らないのです。
意識は、自分の正体を知ろうとして、永遠に、形の世界を彷徨い続けることでしょう!
表現が豊かになった社会を、理想社会と呼びます。
それは、物質的に豊かになった社会ではありません。精神的に豊かになった社会です。
つまり、「真・善・美」の表現が豊かになった社会です。
人類が、目指さなければならない、理想の社会は、「真・善・美」を、前面に打ち出した社会です。
なぜなら、前述したように、意識の望みは、「真・善・美」の輝く世界だからです。
人類は、1日も早く、意識の望みを叶えてあげなければなりません。
そのためには、まず、自分自身を成長させることです。
2021.10.12
意識とは何か? Part2
私たちは、偉大な宝物を、持っています。
それも、永遠に失わない宝物を、持っています。
その宝物とは、意識のことです。これだけは、確かなものです。
ダイヤモンドやお金を、持っていても、そんなものは、消えて無くなる、不確かなものですが、意識だけは、絶対に、無くならない、確かなものなのです。
では、その絶対無くならない意識とは、何なのでしょうか?
それが、解らないのです。
解っていること、と言えば、宇宙に、意識は、一つしか無い、と言うことだけです。
でも、一つの意識だけでは、自分を認識することができません。
そこで、意識は、仕方なく、もう一つの意識を、創ったのです。
創った、と言うよりも、「自」らの意識を「分」けた、と言った方が、良いでしょう。
それが、自我意識なのです。
ですから、私たちは、外側の自我意識から、内側の真我意識を、認識しようとしているのです。
私たちが、持っている、自我意識は、自前の意識です。
この意識は、絶対、奪われることがありません。
また、譲ることも、交換することも、できません。
永遠に、持ち続ける、自前の意識です。
でも、その自我意識は、同じ一本の糸の中にあるので、どこからが、自我意識で、どこからが、真我意識と言う、境目がないのです。
ただ、意識を、糸の下の方に持ってけば、自我意識になり、上の方に持っていけば、真我意識になるだけです。
確かに、今のあなたの意識は、自我意識です。
でも、同時に、真我意識でもあるのです。
それは、一本の糸だからです。
この自我意識は、永遠に、無くなることがないのです。
2021.10.13
意識とは何か? Part3
あなたは、自分のことを、気軽に 、「自分! 自分!」と、言っておりますが、どうして、自分のことを、「自分」と、言うようになったのでしょうか?
それは、あなたの意識が、自分だからです。
あなたは、意識なのです。意識が、「自」らを「分」けたのです。
だから、「自分」と、言うようになったのです。
では・・、
あなたが、意識ですから、自分に、訊いてみてください!
・・・どうでしょう?・・・解りますか?・・・、解らないと思います。
解らなくて、良いのです。
なぜなら、解った途端、宇宙は、消滅してしまうからです。
解るものは、有限なのです。
それでは、宇宙は、有限になってしまうのです。
有限の宇宙など、あり得ないのです。
なぜなら、誕生があり、死がある、ことになるからです。
この宇宙は、初め無き、終わり無き、宇宙なのです。
つまり、意識は、初め無き、終わり無き、意識なのです。
それで、良いのです。
自分は、意識です。 どうして、自分が、意識と言えるのか?
それは、「自分」を、認識できるからです。「あなた」を、認識できるからです。「宇宙」を、認識できるからです。
もし、自分が、意識でなかったら、「自分」も、「あなた」も、「宇宙」も、認識できないのです。
と言うことは、「自分」も、「あなた」も、「宇宙」も、存在出来ない、と言うことです。
これは、何を意味するのか、と言いますと、認識者が、相手(全てのもの)を創っていることを、意味するのです。
これは、凄いことなのです。
なぜなら、意識を持っている者が、創造主になるからです。
そうです!
意識を持っている、あなたは、創造主なのです。
その証拠に、あなたは、今日まで、自分の人生を、自分の意識で(認識して)、作ってきたでは、ありませんか?
あなたは、今日まで、周りのものを、自分の意識で(認識して)、作ってきたでは、ありませんか?
2021.10.14
意識とは何か? Part4
私たちは、意識を持っています。
この意識は、一体、どこから、来ているのでしょうか?
意識の源は、何なのでしょうか?
意識って、一体、何なのでしょうか?
どんなに探っても、意識の正体は、解りません。
でも、確かなことが、一つあります。
それは、
何かが、有る・・
何かが、起きている・・
何かが、生まれている・・
何かが、壊れている ・・
何かが、感じられる・・
或いは 、
喜びがある・・
悲しみがある・・
苦しみがある・・
楽しみがある・・
感動がある・・
そこには、必ず、意識が有る、と言う、事実です。
この意識は、何かが、無ければ、無いのです。
でも、その何かは、現象として、表示されなくては、無いのです。
でも、その何かも、受け取る意識が無かったら、無いのです。
と言うことは、 現象と意識が、同時に無くては、どちらも無い、と言うことです。
結論を言えば、現象の有るところに、のみ、意識が有る、と言うことです。
その現象の世界が、今、私たちが、存在している、この表現宇宙なのです。
と言うことは、私たちが、意識を生み出していることになります。
私たちが、存在しなかったら、意識は、存在しないのです。
私たちが、存在しなかったら、意識は、存在しないことが、解かりました。
と言うことは、意識を持っている、私たちは、何なのでしょうか?
神ではないでしょうか?
神と言うのが、怖れ多いなら、
「宇宙」でも、構いません。
「X」 でも、構いません。
「命」でも、構いません。
要するに、宇宙の創造主です。
これだけは、間違いない事なのです。
私と「思った状態」・・私と「言った 状態」・・これは、何かが生まれた状態です。
つまり、現象が生まれた状態です。
その時、あなたは、「創造主」になったのです。「宇宙」になったのです。「神」になったのです。「X」になったのです。「命」になったのです。
意識(想い)のあるところに、現象あり、現象のあるところに、意識(想い)あり、と言うわけです。
2021.10.15
真理とは、何でしょうか?
真理とは、下記の定規に合ったものです。
この定規に合わないものは、真理ではありません。
では、その定規とは?
この定規に合ったものが、真理なのです。
神様は、実に、簡素簡潔のお好きな方です。
この宇宙を、一つの真理で纏めているのです。
ですから、この宇宙に、真理で無いものは、一つも無いのです。
形が違っても、どんなモノも、真理です。
ただ、形によって、役割や能力が違うので、区別を付けるために、個別の名前を付けただけです。
ですから、何を語っても、真理です。
あれも、真理です。これも、真理です。それも、真理です。何もかも、真理です。
言葉にしたもの、全て、真理です。
それを、どう、理解するかです。
この地球には、たくさんの宗教がありますが、殆んどの宗教は、「自分」と「意識」と「真理」を、切り離しています。
それは、自分が意識であり、自分が真理であることを、知らないからです。
その自分の意識は、不変・不動・永遠・不滅なのです。
だから、自分の意識は、真理なのです。
どうか、自分が、意識であり、真理であることを、ご理解ください!
旧・光のメロディー「私たちは真理である」
2021.10.16
「原因と結果の法則とは何か?」 Part1
これが、「原因と結果の法則」です。
この法則は、絶対、間違えることは、ありません。
自分が創った原因が、他人の所に、結果として返ることはないのです。
また、この「原因と結果の法則」は、「時」を越え、「空」を越え、「次元」を越え、働きます。
ですから、どんなに、逃げようとしても、逃げられるものでは、ありません。
なぜなら、自分から、逃げられないからです。
原因と結果は、一つなのです 。自分は、一つなのです。一つ以外、無いのです。
お釈迦様の掌の中の出来事なのです。
一つの中の出来事ですから、一つの中で収まるしかないのです。
2021.10.17
「原因と結果の法則とは何か?」 Part2
原因あっての結果です。先に、原因があり、後で、結果がついてくるのです。
でも、この「原因と結果の法則」は、一直線上に、それも、循環して働くので、結果が原因に影響を与えると言う、逆転現象が生まれるのです。
なぜ、そうなるかと言いますと、想念が、結果の影響を受け、原因を創ってしまうからです。
それも、良い原因を創るのでしたら、良いのですが、悪い原因を創ることの方が、多いのです。
悪い原因を創れば、当然、悪い結果が、やってきます。
そうなると、悪い結果が、さらに、悪い原因を創り、その悪い原因が、さらに、悪い結果を創り、さらに、その悪い結果が、さらに、悪い原因を創ると言う、「業」の循環が始まるのです。
これが、「業」の輪廻と言われるもので、魂の幼い時には、この「業」の輪廻の中に、はまり込んで、苦しみを、たくさん、作ってしまうのです。
この「業」の輪廻を創っているのが、私たちの想念なのです。
想念が、「原因と結果の法則」に関与し、私たちの人生を、良くも、悪くも、しているのです。
それほど、私たちの想念は、偉大な力を持っている、と言うことです。
私の父は、「気が緩んでいるから、風邪を引くんだ!」と、良く言ったものです。
正に、その通りで、気は、エネルギーですから、エネルギーを緩めると、風邪を引いてしまうのです。
気を緩める、と言う言葉には、
心に隙がある・・
心が緩んでいる・・
心が怠けている・・
緊張感がない・・
心が堕落している・・
心が落ち込んでいる・・
楽ばかり望んでいる・・
と言う意味の他に、
恐怖する・・
心配する・・
動揺する・・
イライラする・・
と言う意味も、含んでいるのです。
そう言う思いを持っていると、気(エネルギー)を、低下させてしまうので、病気にな りやすいのです。
病気は、気(エネルギー)の低下から、生まれるのです。
病気に、なりたくなかったら、気(エネルギー)を、落とさないようにしてください!
ここでも、「原因と結果の法則」が、働いているのです。
つまり、 悪い原因(悪い想念を持つ)を、創るから、悪い結果(病気)が、やってきたのです。
「原因と結果の法則」の逆転現象を活かせば、自分の成長に、繋げることができます。
よく、コーチが、選手に、アドバイスすることがありますが、これは、選手の成長に、繋がるだけでなく、コーチの成長にも、繋がるのです。
なぜなら、「原因と結果の法則の逆転現象」を、生むからです。
エネルギーは、一方通行がないのです。
出したエネルギーは、必ず、出した人のところに、返ってくるのです。
それも、良いエネルギーを出せば、良いエネルギーが・・・、悪いエネルギーを出せば、悪いエネルギーが・・・。
ですから、良いエネルギーを、返してもらいたかったら、良いエネルギーを、出すことです。
つまり、良いアドバイスを、することです。
そしたら、良いアドバイスが、返ってくるでしょう。
この逆転現象を活かし、自分の成長に、つなげてください 。
2021.10.18
「原因と結果の法則とは何か?」 Part3
私たちは、想念を持っております。
この想念だけが、「原因と結果の法則」を、操ることができるのです。
求道者の最終目標は、想念のコントロールです。
私が知って欲しいのは、「原因と結果の法則」は、完璧に働くと言うこと ・・、
そして、それを操れるのは、唯一、想念である、と言うことです。
もし、人類が、そのことを知り、想念を正しく使うようになったら、地球に争いごとは、一切、起きなくなるでしょう。
世界の国々は、自国を守るために、軍隊を持っておりますが、もし、「原因と結果の法則」の偉大さを知ったら、軍隊など、持たなくなるでしょう。
なぜなら、「原因と結果の法則」が、国を守ってくれるからです。
しかし、残念なことに、今の地球人類は、そのことが、理解できないのです。
このように言うのは、学びの友の皆さんだけでも、「原因と結果の法則」の偉大さを知って欲しいからです。
この法則を利用したら、間違いなく、自覚の境界線に、近づくことができるのです。
ただし、そのためには、想念の偉大さも、同時に、知らなければなりません。
前述したように、想念だけが、「原因と結果の法則」を、操ることができるのです。
その想念を、私たちは、持っているのです。
持っていても、宝の持ち腐れにしているのです。
どうか、学びの友の皆さんだけでも、「原因と結果の法則」の偉大さと、想念の偉大さを・・知り、信じ、使ってください !。
「火の無いところに、煙は立たぬ!」の諺のように、原因無しに、結果が現れることはありません。「原因と結果の法則」は、絶対、間違いないのです。
どうか、この法則の偉大さを・・、
知ってください !
信じてください!
利用してください !
それは、想念を利用すれば、良いのです。
これは、あくまでも、自力です。
2021.10.19
自覚のメカニズムについて、お話ししてみたいと思います。
面白いもので、付き合いの多い人ほど、 親しくなり、情が深くなり、 愛おしさが増します。
反対に、付き合いの少ない人ほど、疎くなり、情が薄くなり、愛おしさが少なくなります。
よく、自分の子供や孫を、「目に入れても痛くない!」とか、「 一心同体である」とか、言いますが、これは、近しい者や親しい者に湧く感情で、身近な者ほど、自分のように思えてくるのです。
自分の肉体を、何よりも大切にするのは、一番 近くにあり、一番 親しいからです。
人間が、肉体を自分だと「自覚」しているのは、五感が身近に感じさせるからです。
でも、これは、思いによっても、できるのです。
瞑想で大切なのは、「マントラを繰り返し意識することである」、「 マントラを繰り返し想うことである」と言われるのは、マントラを繰り返し想っていれば、マントラが自分のように思えてくるからです。
不思議なもので、多く 意識すれば、するほど、多く 想えば、想うほど、「情」が湧き、「愛」深くなるのです。
「愛」と「情」が、強ければ、強いほど、そのものと、一体になれるのです。
その「愛」と「情」の深みが、自覚に運んでくれるのです。
これが、自覚のメカニズムです。
どうか・・
神を、想い続けてください!
あなたのマントラを、想い続けてください!
神と一心同体になれます。
目の中に入れても、痛くないほど、神が愛おしくなります。
それが、自覚に近い状態なのです。
旧・光のメロディー「自覚」
2021.10.20
地球が進化し、学校で、真理を学ぶようになった場合、どうやって、学年を決めるのでしょうか?
誕生日で、決めるのでしょうか? 魂の熟成度で、決めるのでしょうか?
もし、魂の熟成度で決めるなら、その判断は、何でするのでしょうか?
また、誰が、どのようにしてするのでしょうか? 試験か、何かでするのでしょうか?
ある宗教団体では、知的な試験を行って、地位を決めているようですが、知的な試験で、魂の熟成度が、分かるものでしょうか?
イエス様も、お釈迦様も、試験は受けていませんし、宗教学校も出ておりません。
真理は、言葉や文字で(学問で)、受け取れるものではないのです。
例えば、私が、真理を論文で発表したとしても、受け取る人がいなかったら、私の論文は、空論になってしまうのです。
例え、受け取る人がいたとしても、理解してもらえなかったら、やはり、空論になってしまうのです。
意識は、一つです。私は、皆さんであり、皆さんは、私です。
私が成長したら、皆さんが成長し、皆さんが成長したら、私が成長するのです。
同じ、一(神)の子ですから、当然のことなのです。
不思議なもので、真理に接していること自体が、学びになり、成長になっているのです。
ただ、接しているだけで、成長しているのです。
ただ、思っているだけで、成長しているのです。
さあ! できるだけ多く、真理に接しましょう!
できるだけ多く、真理に接する、と言う意味は、「できるだけ、神を想い続けなさい!」と言う意味です。「できるだけ、瞑想を多くしなさい!」と言う意味です。
それは、
歩いていても、できます。
風呂に入っていても、できます。
電車に乗っていても、できます。
神と多く接すると、波動が上がります。光が強くなります。
そうなると、どんな、病気も、出て行きます。
それは、光が、闇を、追い払ったからです。
病気になるのは、自分で、闇を連れてきたからです。
すなわち、ネガティブな思いを、持っていたからです。
自分の暗い想いと、外の暗い想いが、同調すると、病気になるのです。
これは、誰が悪いのでもない! 闇を連れてきた、自分が悪いのです。
この宇宙は、神が創られた、完全な宇宙ですから、病など、あるはずがないのです。
病を作っているのは、あくまでも、自分のネガティブな思いです。
自分の暗い思いに、負けてはなりません。
「サタンよ退け!」と、一喝してください!
サタンは、逃げていくでしょう!
無理解と理解は、同じ土俵の上にあるのです。薄皮一枚と言っても良い でしょう。
なぜなら、無理解と理解は、一つの中にあるからです。
理解できていないと思っても、理解できているのです。
真理に接していること自体が、理解の壁を叩き、無理解の壁を崩しているからです。
大切なのは、真理を求める熱意です。真剣さです。続ける強い意思です。
その強い意思が持てるようになったのは、理解力が高まったからです。
と言うことは、私たちは、知らない間に、成長している、と言うことです。
あなたは、意識していないでしょうが、今日まで、真理を求め続けられたのは、 知らない間に、理解力が進んだからなのです。
どうか、真理を求め続けてください!
真理の壁を、叩いて、叩いて、叩き続けてください!
今まで成長したように、これからも、間違いなく、成長するでしょう!
2021.10.21
「原因と結果の法則とは何か?」 Part4
この宇宙は、「原因と結果の法則」によって、秩序が保たれております。
それは、良い原因を創れば、良い結果が生まれ、悪い原因を創れば、悪い結果が生まれるようになっているからです。
この法則は、寸分も狂わず、働きます。
ですから、幸せになりたかったら、 「原因と結果の法則」に、寄り添って生きることです。
この「原因と結果の法則」は、宇宙のどこかに、あるわけではありません。
私たちの想念の中に、組み込まれているのです。
ですから、想念の使い方次第で、良い人生にも、悪い人生にも、できるのです。
世の人々は、外側から、幸せや、不幸が、やってくると思っていますが、外側から、やってくることはありません。幸せも、不幸も、全て、自分の想念が創るのです。
「原因と結果の法則」は、実に、想念に、従順に働きます。
それも、単純に、平等に、正確に、働きます。
ですから、想念を正しく使ったら、何も心配することがないのです。
心配するどころか、 安心して、生きられるのです。
世の人々は、日々、不安の中で生きておりますが、それは、想念を正しく使っていないからです。
自分で、不安の原因を作りながら、安心して生きようなど、虫が良すぎる、と言うものです。
どうか、想念を正しく使ってください!
そうすれば、防弾チョッキを着るよりも、 耐震建築の家に住むよりも、セキュリティを万全にするよりも、安心して、生きられます。
それは、法則が、守ってくれるからです。
こんな、安心なこと、ないのではありませんか?
少し難しいですが、思索してみてください。
この宇宙には、たくさんの自分がいるのです。
その、たくさんの自分が、宇宙の主なのです。
でも、主観者の自分は、一人だけしかいないのです。
その主観者の自分には、想念が与えられているのです。
誰かが、自分の想念を使って、何かを創っているのではないのです。
主観者の自分が、自分の想念を使って、何かを創っているのです。
ですから、原因者は、自分です。
外側に現れている現象は、全て、自分の想念の結果です。
ですから、その現象を見て、原因が、良かったか、悪かったか、確かめられるのです。
自分の進化成長のために、自分が、自分の想念を利用している、と言うわけです。
誰かが、自分に危害を与えているのではないのです。
全て、自分の想念が、与えているのです。
と言うことは、全て、自分の想念で、解決できる、と言うことです。
つまり、「身口意」を、正しく使うことです。
それは、難しいことではありません。
ただ、神を想えば良いだけです。
神を想っている時は、悪いことが思えませんので、悪い原因を創らないのです。
悪い原因を創らなかったら、悪いことは、絶対、やってきません。
だから、私は、「瞑想してください!」と言うのです。
今、苦しんでいる人は、是非、神を想い続けてください。
それで、全て、問題解決できます。
すぐには、結果は、現れませんが、やり続けていれば、必ず、現れます。
これは、自力です。自分の想念を使って、やるのですから、当然です。
いかに、自分の想念の力を信じるかです。
これは、神を、信じるか、信じないかに、つながっているのです。
どうか、信じて、やってください !
2021.10.22
私が嬉しいのは、 この宇宙が、完全に創られている点です。
どうして、完全に創られているかと言いますと、それは、この宇宙を創った、意識(神)が、完全だからです 。
意識(神)は、完全なものしか創れないのです。
なぜなら、意識(神)そのものが、完全だからです。
今日まで、宇宙が、延々と存続してこれたのは、意識(神)が、完全だったからです。
しかし、どうしたことか、地球には、たくさんの不完全があります。
なぜ、完全な宇宙に、地球のような、不完全な星があるのでしょうか?
それは・・ 地球人類の意識が、完全だからです。
完全な意識を持っているから、不完全なものが作れるのです。
もし、地球人類の意識が、不完全だったら、不完全なものが作れないので、進化成長できないのです。
完全の中にいては、進化成長できないことを、知ってください。
さらに、不完全が無かったら、完全が無いことも、知ってください。
何事も、受け取り側次第なのです。
それは、受け取り側しか存在しないからです。
その受け取り側も、完全だから、受け取れるのです。
もし、受け取り側が、不完全だったら、何も受け取れないでしょう。
例え、受け取っても 、不完全なものにして、受け取ってしまうでしょう。
私たちが、曲がりなりにも、進化成長してゆけるのは、私たちの意識が、完全なものを受け取れるからです。
どんな、美しいものも、悪く受け取れば、醜いものになるのです。
また、どんな、醜いものも、良く受け取れば、美しいものになるのです。
なぜなら、美しいものは、醜いものの一側面であり、醜いものは、美しいものの一側面だからです。
ですから、 どちらに転んでも、良いことなのです。
完全しか無い! この仕組みの凄さを、知ってください。
また、このような仕組みを創られた、神を、信じてください!
神の存在を認めない人、神の存在を信じない人は、神を隠しているのです。
それどころか、自分を認めず、自分を信じず、自分を隠しているのです。
あなたは、自分なのです。その自分は、神なのです。
自分とは、神が、「自」らを、「分」けたのです。
ですから、自分である、あなたは、間違いなく、神なのです。
いつも言う事ですが、あなたは、意識を持っています。自分と思えます。
自分と思えること自体が、神である証しなのです。
こんな、はっきりした、神の証拠はないのです。
「自分は、神である!」
「自分は、神である!」
「自分は、神である!」
と、何度言っても、言い過ぎることはありません。
いつも、そう想いながら、生きてください!
そう想って生きたら、病気になることはありません。
神が、病気になるわけがないからです。
神のメロディー「神隠し」
2021.10.23
生かされるままに、生きましょう! その方が、楽です。
人間は・・
野の鳥を見てください! 彼らは、生かされるままに、生きています。
生かされるままに、生きたら、本当に必要なものは、必ず、与えられるようになっているのです。
どうして、人間は、自分で生きようとするのでしょうか?
それは、欲を持つからです。
「たくさん、お金が欲しい! たくさん、財産が欲しい!」と、過酷に働くから、体を壊すのです。
また、「長生きしたい! 病気になりたくない!」と、 必要以上に、健康に気遣うから、弱い体にしてしまうのです。
欲を持たず、生かされるままに、生きてみてください。 健康に、生きられるのです。
いつも、体のことを気遣い、サプリメントを買いあさり、 健康診断をし、何かと言うと、医者にかかり、薬を飲むから、病気になるのです。
健康に気遣うのは、病気になるのではないか? と、心配するからです。
心配すれば、病気を作ってしまうのです。「想念は実現の母」だからです。
生活費のことは、自然の収入に任せ、体のことは、生命力に任せたらいいのです。
あなたの中には、無限の生命力が働いているのですから・・・。
この宇宙は、エネルギー均衡の法則が、働いていますから、高いところから、低いところに、エネルギーが流れるようになっているのです。
ですから、収入の心配をしないことです。
欲をかかず、 日々、やるべきことを、精いっぱい、やって、生きたら、 エネルギー均衡の法則によって、必要な収入は、必ず、与えられるのです。
どんなに、たくさんの、お金(エネルギー)を集めても、あの世に、持って帰れないのですから・・・。
人を成長させようとしても、無駄です。
どんなに、人を諭しても、 聞き入れてくれるものではありません。
どんなに、良い真理を伝えても、求める気持ちの無い人には、届かないのです。
例え、聞く耳を持ったとしても、 理解力が無かったら、受け取れないのです。
言えば言うだけ、犬の遠吠えになるだけです。
そんな、時間があるのなら、自分を成長させることです。
そうです!
人を成長させることは、できないけれど、自分を成長させることは、確実にできるのです。
それは、この宇宙には、自分しか いないからです。
でも、そのためには、何事も、自力で成さねばなりません。
これだけは、肝に銘じておいてください!
繰り返します。
この宇宙には、自分しか いないのです。
だから、自分が成長したら良いのです。
自分が成長したら、地球が成長し、地球が成長したら、宇宙が成長し、宇宙が成長したら、全人類が成長するからです。
どうか、自分を成長させることを、一番に考え、生きてください!
それが、賢い求道者の生き方です。
新・光のメロディー「生かされるままに生きる!」
2021.10.24
人生を、どのように、歩むべきか? 悩んでいる人が、多いと思いますが、でも、悩まないでください!
なぜなら、自分の思い通りに生きて、良いからです。
確かに、自分の思い通りに生きて、痛い目や、苦しい目に、遭ったかも知れません。
でも、そのお陰で、ここまで、成長して来れたではありませんか?
と言うことは、 自分の思い通りに生きて、良かった、と言うことです。
ですから、これからも、同じように、自分の思い通りに生きてください!
皆さんは、気付いていないと思いますが、自分の思いは、時々刻々、高度になっているのです。
なぜなら、生きていること自体が・・息をしていること自体が・・原子核を増やしているからです。
時々刻々、進化成長している、と言うことです。
それは、「時・間」の中に、いるからです。
確かに、どうして、このような思いを、持つのか?
自我では、解らないかも知れません。
でも、真我は、ちゃんと解っていて、そのような思いを、持たせるのです。
このことは、魂が成長してゆくと、分かるようになるのです。
神は、完全です。完全な神が、意味の無い思いを、持たせるわけがないのです。
どんな思いも、 必ず、進化成長に結びついているのです。
だから、私は、「自分の思い通りに生きて、良いのですよ!」と、言うのです。
さあ‼、これからも、思い通りに生きましょう!
新・光のメロディー「仕方がないじゃない!」
2021.10.25
私たちは、意識を持っています。
意識を持っている、と言うことは、思いが持てる、と言うことです。
思いが持てれば、言葉も、行為も、持てるのです。
なぜなら、「思い」と「言葉」と「行為」が、三位一体になって、時空が創られているからです。
もし、切り離したら、思いは、勿論、言葉も、行為も、生まれないのです。
それは、空間が生まれないからです。
そうなのです!
思い(意識)だけでは、空間が生まれないのです。
空間が生まれなければ、言葉も、行為も、何も、生まれないのです。
私たちが、存在できるのは、空間が、存在するからです。
昔から 、「身・口・意」の大切さが、説かれてきた理由に、時空を生み出す原理が、「身・口・意」の中に、隠されていたからです。
勿論、「思い」と「言葉」と「行為」が、人生を決定づける、と言う、理由もありました。
少し難しいかもしれませんが、思い(意識)だけでは、表現宇宙は、存在しない! 私たちは、存在しない! と言うことを、思索してみてください 。
神は、「意」なのです。
でも、「意」には、姿形がありませんので、自分を誇示することができません。
そこで、「意」は、自分を誇示するために、地球と言う、舞台を用意し、さらに、人間と言う、役者を用意したのです。
今、私たちは、その舞台で、芝居を演じている、真っ最中と言うわけです。
神(意)には、具体性がないのです。
でも、言葉や行為を持った人間には、具体性があるのです。
だから、神は、具体性を持った人間を創り、「その人間が、代弁代行を果たすこと」で、自分の存在を誇示しているのです。
と言うことは、人間は、神と同等の価値がある、と言うことです。
神様は、私たちに、二つの表現道具を、与えてくださいました。
言葉の表現としては・・・
大人しい話し方
抑揚をつける話し方
優しい話し方
威厳を示すような話し方
威圧するような話し方
言葉を強めて話す話し方
など、色々な話し方があります。
身の表現としては・・・
着る物で自分を飾る
肌に刺青を彫って威厳を示す
化粧をするのも、その一つです。
髪を赤く染めたり、爪を赤く染めたり、
香水をつけたり、宝石を身につけたりするのも、その一つです。
身を飾りたがるのは、自己顕示欲が、旺盛だからです。
ですから、その人の言葉と行為を見たら、魂の熟成度が、分かるのです。
神様は、言葉と行為で、魂の成熟度が、分かるようにしてくれているのです。
2021.10.26
真理を、生半可で学んでいる人は、私の言ったことを、逆に受け取ってしまうことがあるのです。
そうなると、安らぎを求めて、学んでいた真理が、返って、自分を苦しめることになるのです。
もし、学びの友の皆さんの中に、そのような人がいたら、原点に戻ってください。
でも、言っておきますが、あなたが、今、学んでいる真理は、絶対、間違いないのです。
なぜ、そう言えるのか?
それは、今日の動画を見たら、納得できると思います。
理解力は、原子核の量によって違うのです。
同じことを、学んでいても、
3の理解力しか、持っていない人は、3の内容の真理しか、受け取れないのです。
8の理解力を、持っている人は、8の内容の真理が、受け取れるのです。
でも、これは、自分でも、分からないのです。
ましてや、人との付け合わせも、できないのです。
でも、それで、良いのです。
私も、同じ道を通りながら、ここまで、来たのですから・・・。
何せ、やり続けることです! やり続けていたら、必ず、「なるほど!」と、納得できる時が来ます。
2021.10.27
私たちは、魂を大きくし、霊性の進化を遂げてゆかねばなりません。
そのために、私たちは、肉体を持って生まれてきたのです。
世の人々は、「人間って、素晴らしい ですね!」と、人間を称賛しておりますが、本当に、人間って、素晴らしいのでしょうか?
素晴らしいなら、どうして、戦争をするのでしょうか?
どうして、病気になるのでしょうか?
どうして、事件や事故を起こすのでしょうか?
それは、素晴らしくないからではないでしょうか?
その星が、どれほど成熟しているかは、平和度で推し測れる、と言います。
では、今の地球は、平和でしょうか? お世辞にも、平和とは、言えません。
なぜなら、目を覆うほどの、苦しみや、悲しみが、あるからです。
と言うことは、地球は、まだ、未熟な星だと言うことです。
でも、地球も、少しずつ、成長しております。
その証拠に、学びの友の皆さんのような、熟した魂が、多くなっているからです。
そうです!
学びの友の皆さんは、地球で、一番先頭を走っている、優秀な魂なのです。
さあ! 1日も早く、動物的生き方から、卒業しましょう!
そのためには、二つのことを、やり続けることです。
神が望んでいる霊性の進化の一つに、「真・善・美」があります。
神は、地球を、美しい星にしたくて、人類を送ったのです。
でも、今の地球には、醜いものが、たくさん、あります。
なぜでしょうか?
それは、絵を描いている途中だからです。
どんな絵も、描いている途中は、醜いのです。
でも、完成された暁には、美しい絵になるのです。
今、人類は、美しい絵を描いている、真っ最中と言うわけです。
何でもそうですが、
醜いものから、美しいものが、生まれるのです。
闇から、光が、生まれるのです。
不完全から、完全が、生まれるのです。
辛抱強く待ちましょう!
いずれ、地球も、美しい星になるのですから・・・。
神が望んでいる霊性の進化の、もう一つに、鈍重なものから、精妙なものに、進化することがあります。
波動を、どんどん、上げてゆくと、軽く、大きくなって行きます。
そうすると、自由が拡大して行くのです。
魂は、自由を求めて、進化して行くのです。
最初は、不自由な、肉体を纏うところから、始まります。
少し、進化すると、ちょっと、自由な、エーテル体を纏います。
さらに、進化すると、もう少し、自由な、アストラル体を纏います。
さらに、進化すると、もう一段、自由な、メンタル体を纏います。
さらに、進化すると ・・・・。
こうして、私たちは、進化する度に、自由で、大きな体を、持つようになるのです。
この進化の旅は、延々と、続くのです。
私たちは、不自由で、重く、小さい、物的な存在ではないのです。
私たちは、 自由で、軽く、大きな、霊的な存在なのです。
2021.10.28
「無限とは何か?」 Part1
無限とは、「限」界が、「無」い、と書きます。
限界が無い、と言うことは、果てが無い! 制限が無い! 終わりが無い! と言うことです。
そんな、無限を、理解できるでしょうか? 絶対、理解できません。
無限とは、「理解できないもの!」と、考えてください。
では、意識は、どうでしょうか? 意識も、理解できません。
それは、無限だからです。
では、この宇宙に、無限は、幾つ、あるのでしょうか?
無限は、一つしか無いのです。
たくさん有ったら、無限で無くなるからです。
しかし、無限を現す言葉は、無限に有るのです。
例えば、
全て、言葉や文字で、説明の出来ないものばかりです。
それは、どれも、無限だからです。
無限は、説明することが、できないのです。
だから、理解することも、できないのです。
と言うことは、意識を持っている、私たちも、理解することが、できない、と言うことです。
でも、それで、良いのです。
「無限は、絶対に、理解できない!」、「私たちの意識は、絶対に、理解できない!」と知ったら、理解したことになるからです。
私たちは、「無限なる意識!」です。
ゆえに、私たちを、理解することは、永遠に、できないのです。
この表現宇宙には、たくさんの物が存在します。
その、たくさんの物は、形が有るので、有限です。
でも、形は、有限でも、形作っている素材は、無限の意識ですから、その、たくさんの物は、無限なのです。
と言うことは、この宇宙には、無限しか無いことになります。
そうです! この宇宙には、一様の無限が、有るだけなのです。
その一様の無限は、素材でも ありますから、何か物を作る場合、その一様の素材が、その物になることが、出来るのです。
と言うよりも、一様の素材である無限しか無いのですから、一様の素材である無限が、その物になるしかないのです。
と言うことは、その素材で創られている、私たちも、無限だと言うことです。
私たちが、進化成長してゆくと、どんどんと、精妙な体を持つようになるのは、私たちの本性(素材と意識)が、無限だからです。
2021.10.29
本当に有るモノとは、何でしょうか? 本当に無いものとは、何でしょうか?
それを知るには、二つの側面から、探る必要があります。
こう言うことです。
本当に有るモノを、知るには、本当に無いものを、探らなければなりません。
また、本当に無いものを、知るには、本当に有るモノを、探らなければなりません。
一方が解れば、もう一方が解るようになっているのが、相対の宇宙だからです。
では、本当に無いものから、探ってみましょう!
本当に無いものとは、姿形の有る物です。
なぜ、姿形の有る物が、本当に無いものかと言いますと、それは、有限の物だからです。
有限の物は、必ず、消えて無くなるのです。
消えて無くなるのは、本当に無いからです。
お金も、消えて無くなります。
ダイヤモンドも、消えて無くなります。
私たちの肉体も、消えて無くなります。
病気も、消えて無くなります。
痛み、苦しみも、消えて無くなります。
それは、本当に無いからです。
表現宇宙に、現れた物は、どんなものも、必ず、消えて無くなるようになっているのです。
もし、無くならなかったら、この表現宇宙は、物で埋まってしまうでしょう。
現れた物は、消えて無くなるから、この表現宇宙は、永遠の存続が可能なのです。
本当に無いものとは何か? ご理解できたでしょうか?・・。
では、次に、本当に有るモノを、探ってみることにしましょう!
本当に有るモノとは、姿形の無いモノです。
姿形の無いモノは、永遠に無くならないのです。
永遠に無くならないのは、本当に有るモノだからです。
このように、永遠に無くならないモノが、本当に有るモノなのです。
本当に有るモノが何か? 解っていただけましたでしょうか?
実に、単純で、解りやすいと思います。
表現宇宙に存在する物は、有限のように見えますが、本当は、無限なのです。
なぜかと言いますと、物を細かく切っていってみてください。
切っても、切っても、切り切れないはずです。
切り切れないのは、無限の素材で、出来ているからです。
形を取っている物も、形を取っていないモノも、全て、無限の素材で、創られているのです。
なぜなら、この宇宙には、たった一つの無限の素材しか無いからです。
と言うことは、全てのモノは、無限だと言うことです。
と言うことは、私たちも、無限である、と言うことです。
私たちは、無限の子なのです。
お釈迦様は、「色即是空・空即是色」と言われました。
これは、私の表現と同じなのです。
・・お釈迦様の表現・・
「色」(物質)は、即、見えない「空」(意識)なのですよ!
見えない「空」(意識)は、即、見える「色」(物質)なのですよ!。
・・私の表現・・
「物質」は、即、見えない「無限の素材」なのですよ!
「無限の素材」は、即、見える「物質」なのですよ!。(無限の素材は、意識)
このように、言葉は違っても、同じことを言っているのです。
2021.10.30
私たちが解るのは、目に見える、有限のものだけです。
有限のものは、形が有る(実体がある・ 具体性がある)ので、解りますが、 目に見えない、無限のものは、形が無いので、解らないのです。
これが、絶対宇宙が、永遠に解らない理由です。
私たちの意識も、目に見えない、無限のモノですから、解らないのです。
その解らない無限のモノは、たくさん有るように見えますが、一つしか無いのです。
たくさん有るように見えるのは、言葉として、たくさん有るからです。
例えば、
しかし、これらのモノは、言葉が違うだけで、同じ無限なのです。
このように、無限のモノは、一つしかありません。
でも、有限のものは、たくさん有るのです。
でも、その有限のものも、本当は、無限なのです。
なぜなら、無限によって、創られているからです。
有限は、無限から生まれたのです。
と言うことは、この宇宙には、無限しか無いことになります。
そうです。この宇宙には、たった一つの無限が、有るだけなのです。
だから、無限は一であり、一は無限である、と言われるのです。
この宇宙には、無限しかありません。
無限しか無い、と言うことは、絶対しか無い、と言うことです。
つまり、一しか無い、と言うことです。
一しか無い、と言うことは、一が解らない、と言うことです。
無限の中にいては、無限が解らないのです。
それでは、存在意味がないので、無限は、有限を創り、有限から無限を、解ろうとしているのです。
私たちの意識も、同じです。絶対意識の中にいては、絶対意識が解らないのです。
だから、 絶対意識は、相対意識を創り、そこから、絶対意識を、解ろうとしているのです。
このことを、神と人間に、置き換えてみましょう!
神は、絶対者です。絶対者は、絶対者のままでは、絶対者が、解らないのです。
そこで、神は、人間を創り、人間を通して、自分(神)を、解ろうとしているのです。
ですから、私たちの意識は、絶対意識(無限意識)であり、神意識なのです。
意識は、具体性のある有限の中に入らなければ、無限の意識を、理解してやれないのです。
だから、無限は、内にいる自分を外に出して、外から無限を、理解しようとしているのです。
何と、神は、まどろっこしいことを、しているのでしょうか?
でも、この方法しか、無限(自分)を、知る方法が、なかったのです。
とは言っても、無限の実体(神の実体・意識の実体)は、依然として解らないのです。
解った事と言えば、何も解らないと言うことが、解っただけです。
でも、それで、良いのです。
解ったら、 神は、意識は、宇宙は、消えてしまうからです。
知花敏彦講話集「無限は天国、個人は地獄、なぜ?(2)」
2021.10.31