光は、オールマイティーです。 光に出来ないことは、何もないのです。
光は、万能です。全能です。光が強ければ、全て、良い方向に展開するのです。
では、その光を利用するには、どうしたら、良いのでしょうか?
それは、想念を利用することです。光は、想念に、従順だからです。
想念には、次のような、性質があります。
1.想念は、創造の力です。
良いことを想えば、良いことが創られ、悪いことを想えば、悪いことが創られます。
良く受け取れば、良いものを創り、悪く受け取れば、悪いものを創るのです。
ですから、幸せになりたかったら、どんなことも、良く受け取り、悪想念を抱かないようにすることです。
2.想念は、同時に、二つのことを、思えません。
良いことを想っている時には、悪いことが思えません。
悪いことを想っている時には、良いことが思えません。
この性質を、利用することです。
3.想念は、 何も思わないでいられないように、出来ております。
常に、何かを思っています。
もし、何も思わなかったら、自分が消えてしまうからです。
4.想念は、自由性を持っています。
何んでも思えます。ゆえに、想像できるのです。
これは、良いことでありますが、恐ろしいことでもあるのです。
なぜなら、良い想像より、悪い想像をする方が、多いからです。
要するに、妄念を抱くのです。余計なことを考えるのです。
5.想念は、永遠性と無限性を持っています。
想念は、永遠に、無くなることがないのです。
また、想念は、無限に、拡大できるのです。
何も思わないでいられないことが、想念の永遠性を示し、何んでも思えることが、想念の無限性を示しているのです。
6.想念には、慣性の法則が働きます。
同じことを想っていると、思い癖がついてしまうのです。
これが、「業」と言われるものです。
一旦、癖がつくと、なかなか、取れないのです。
だから、業を取る、瞑想が、必要になってくるのです。
7.想念は、エネルギー(光)を操ることができます。
それは、集中力と放射力を、持っているからです。
瞑想できるのは、想念に、集中力と放射力が、あるからです。
このように、想念の性質を利用したら、人生は、好転するのです。
これは、自力です。他人が、どうこうできる問題ではないのです。
だから、他力信仰など、意味が無いのです。
2021.09.01
かごめ かごめ
籠の中の鳥は
いついつ 出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が 統べった
後ろの正面 だあれ
目隠しして、しゃがんでいる、カゴメ(人間の子供・ 幼い魂)の周りを、たくさんのカゴメ(人間の子供達・ 幼い魂)が、手を繋いで、くるくる、回っています。
これは、幼い人類が、輪廻転生を繰返しながら、学んでいる姿です。
くるくると、回っているうちに、目隠しして、しゃがんでいる、真ん中の子供が、後ろの正面に立った人が、誰なのか当てます。
当てると、その子供は、その輪(輪廻転生)から、抜け出すことができるのです。
それが、自覚の境界線を超えた、と言う意味です。
【外側で、手を繋いで回っていた魂が熟してゆくと、目隠しして、輪の真ん中に入るようになる。目隠しして、しゃがむとは、瞑想のことです。】
鶴とは、神のことです。亀とは、幼い人間(幼い魂 )のことです。
夜明けの晩とは、目覚める前の晩のことです。
夜が明けた時、鶴と亀が、一緒(統べる)になるのです。
つまり、神と人間が、一緒になるのです。一緒になった時、神人になるのです。
「後ろの正面だあれ!」とは、人間の正面・・ 陰の正面・・影の正面・・だあれ、と言う意味で、それは、神のことです。
「あー!自分は、神だったのか!」と、目覚めた時が、後ろの正面の神を当てた時です。
人間は、地を這っている、亀のようなものです。
亀は、一歩一歩、ノロノロと、目的地に向かって、歩いています。
一歩一歩、ノロノロ と、歩いている、と言う意味は、何万回も、輪廻転生を繰返している、と言う意味です。それは、歯痒いほど、遅い歩みです。
歩いている途中、
石や岩に、邪魔されることも、あるでしょう。
雨や風に、さらされることも、あるでしょう。
危険なことに出会う時も、あるかも知れません。
でも、歯を食いしばって、歩いています。実に、健気です。
確かに、この世の社会体験は、厳しいです。
一寸先 闇の世界を、手探り状態で、歩いて行くのですから、
転ぶこともあるでしょう!、間違いを犯すこともあるでしょう!
でも、決して、無駄には、なっていないのです。
どんな体験も、原子核を大きくすることに、役立っているのです。
やることは、簡単です。社会体験と瞑想をすることです。
この、二つのことを、やっていれば、間違いなく、神人になれます。
神は、決して、私たちを、見放しません。
神を信じ、今、やれることを、精いっぱいやって、待ちましょう !
神のメロディー 「神人の誕生」
2021.09.02
私たちは、五感を持っています。
この、見える、聴こえる、味わえる、臭える、触れる、と言う、五感は、 肉体に五つの感覚器官があるから、感じられるのです。(目・耳・舌・鼻・膚、と言う、器官)
これは、肉体に付属するもので、この世で、無事、生活するためには、必要不可欠な感覚器官です。
もし、五感がなかったら、私たちは、自分の身を守ることが、できないでしょう。
神様は、この世界で、生きてゆくために、必要な、最低限の感覚を与えてくださったのです。
しかし、神様は、この他に、もう一つの感覚を、与えてくださいました。
それは 、直感、と言う、感覚です。
シックスセンス、とも言われていますが、この感覚には、器官がありません。
直接、意識で感じるのです。
なぜか分からないけれども、先に、結果が分かってしまうのです。先に、結論が分かってしまうのです。
よく、霊能者が、霊視ができるとか、霊聴ができるとか、言いますが、これは、直感( シックスセンス)では、ありません。
これは、幽体に付属する感覚器官で、肉体業をした人たちが、持つ感覚です。
肉体業をすると、潜在していた幽体の感覚が、表面に出てきて、幽界が、見えたり、聴えたり、するようになるのです。
これは、悟りの障害になるので、求道者が、持ってはならない感覚です。
直感(シックスセンス)と、幽体感覚と、間違わないでください。
見える、聴こえる、感じる、臭える、味わえる、など、私たちの五官で感じるものは、全部、夢幻です。
今、私たちが住んでる、この物質世界も、夢幻です。
勿論、幽界も、夢幻です。
夢幻の世界を、どんなに知ったって、意味がないのです。
私たちは、本当の世界(絶対世界)のことを知り、そこに、帰らねばならないのです。
皆さんは、肉体を脱いで、幽界に帰りますが、そこでも、幽体と言う体を持つのです。
しかし、その幽体も、一時の乗り物です。
自分だと、勘違いしないでください。
あくまでも、私たちの本性は、魂です。意識です。
体を持っている世界は、全て、現象の世界だと思ってください。
「シックスセンス」と言う、映画があります。
この映画は、幽体感覚の恐ろしさを知るには、良い映画かもしれません。
機会があったら、見てください 。
【映画で使われている、シックスセンス、と言う言葉は、直感のことではありませんので、くれぐれも、誤解しないように・・・。】
2021.09.03
表現宇宙は、神の言葉によって、誕生したのです。
神は、表現宇宙を、創造しようと、思い立ちました。
でも、思いには、具体性がありませんので、思いだけでは、表現宇宙が創れません。
そこで、神は、思いを、具体性を持った言葉に替えて、表現宇宙を創られたのです。
確かに、言葉は、目には見えません。
でも、波動としては、見えるのです。 レコードの溝が、言葉です。
言葉は、波動なのです。その波動には、具体性があるのです。
地球には、鉱物や、植物や、動物や、人間など、様々な生き物が存在しておりますが、その、生き物の中には、具体性を持った言葉が、隠されているのです。
ですから、神を知ろうと思えば、 鉱物や、植物や、動物や、人間を、知れば良いわけです。
特に、人間は、神のミニチュアとして創られましたので、人間を深く知れば、神を知ることができるのです。
神の思いの中には、「真・善・美」しか、ありません。
神は、この宇宙を、「真・善・美」で、飾りたいのです。
ですから、神は、美しい思いと、美しい言葉を使って、表現宇宙を創られたのです 。
ごらんなさい! この表現宇宙を・・実に、美しく創られています。
人間は、神と同じ、思いと言葉を、持っていますので、美しい表現が、できるはずなのです。
しかし、どうでしょう!?
地球は、美しいでしょうか?、人間社会は、美しいでしょうか ?
いいえ、お世辞にも、美しいとは言えません。
なぜ、人間は、美しい表現が、出来ないのでしょうか?
それは、自分のことを、人間だと思っているからです。
人間だと思えば、どうしても、醜い表現をするのです。
人類は、一日も早く、本当の自分に、目覚め、地球に、理想社会を創らなければなりません。
私たちが、見ている、大自然は、その、お手本です。
これは、一人一人の人生においても、言えることです。
美しい思いを持てば、美しい人生が作られます。
醜い思いを持てば、醜い人生が作られます。
これは、自分の思い一つで、出来ることなのです。
学びの友の皆さんの最終目標は、想念のコントロールです。
どうか、想念のコントロールをしてください。
それは、瞑想によって、可能なのです。
神のメロディ「 神は言葉なりき!」
2021.09.04
神とは、何でしょうか? これは、永遠の謎です。
神を知ることは、絶対、できないのです。
なぜなら、神は、五感にかからない、存在だからです。
でも、その子を通してなら、薄々、知ることができるのです。
その子とは、見えるもの、全て、です。
特に、人類は、神のミニチュアですから、人類を探れば、神に迫ることが、できるのです。
この宇宙には、たった一様の神が存在しています。
でも、その一様の神が存在するためには、一様の神を認めてくれる、何者かが、必要です。
自分が、自分を認めても、意味がないからです。
そこで、やむなく、神は、自分を認めてくれる、人類を創ったのです。
ですから、神が、存在していた時には、人類が、既に、存在していたし、人類が、存在していた時には、神も、既に、存在していたのです。
どちらが無くても、どちらも無いからです。
このように、人類と神は、相身互いの関係にあるのです。
この関係は、自我意識と真我意識に、置き換えて見たら、より、分かりやすいかも、知れません。
つまり、自我意識がなかったら、真我意識を認めてやることができないので、真我意識は存在できないし、真我意識がなかったら、自我意識は生まれないので、自我意識は存在できない、と言う、相身互いの関係です。
人類が偉大なのは、神を存在させてやれるからです。
つまり、私の意識が、神を存在させてやれるからです。
あなたの意識が、神を存在させてやれるからです。
その、私は、あなた、なのです。
その、あなたは、私、なのです。
私の意識が無かったら、あなたは存在できないし、あなたの意識が無かったら、私も存在できないのです。
神のメロディー 「神の絵巻物」
2021.09.05
今、人類は、探査機を飛ばし、宇宙の謎を探ったり、地下に高エネルギー加速装置を作って、新しい素粒子を発見しようとしていますが、そんな研究より、もっと大切な研究があるのではないでしょうか?
それは、外側を探る研究ではなく、内側を探る研究です。
すなわち、心の研究、想念の研究です。
地球人類が、今、苦しみに喘いでいるのは、 想念の偉大さを知らないからです。
想念の偉大さを知ったら、今の地球は、いっぺんに、変わってしまうのです。
いつも言う事ですが、神は、一番大切なものを、一番近くに、置いてくれております。
空気・水・土・ 労働力が、そうです。
それよりも、もっと大切なものが、想念です。
さあ、気づきましょう !
人生は、想念(心)次第なのです。
人間社会は、想念(心)次第なのです。
地球は、想念(心)次第なのです。
宇宙は、想念(心)次第なのです。
どうか、想念(心)の偉大さを知ってください!
機械文明(物質文明)の生活が、幸せか? 原始文明の生活が、幸せか?
皆さんは、どちらが、幸せだと思いますか?
それには、幸せが、何なのか? 知らねばなりません。
では、幸せについて、考えてみましょう。
幸せって、何が感じるのでしょうか?
肉体でしょうか?、心でしょうか? 心が感じるのです。
なぜなら、肉体は、単なる情報の橋渡しにしか過ぎないからです。
肉体が感じた快感を、心が受け取って、初めて、幸せだと感じるのです。
と言うことは、幸せは、心の問題である、と言うことになります。
このことを知ったら、機械文明に、幸せを求めることはなくなるでしょう。
ここに、二組の家族がありました 。
一組の家族は、機械文明の中で生活しています。
もう一組の家族は、原始文明の中で生活しています。
機械文明の中で生活している家族は、物質的にも恵まれ、便利快適にも恵まれていますので、幸せは、外側の物が持ってくると思っています。
でも、物質的な幸せは、飽きがきますので、その人たちは、今の幸せでは、満足できなくなります。
そうなると、幸せは、ますます、濃いものに、エスカレートしてゆきます。
現代人の殆んどが、そうです。
一方、原始文明の中で生活している家族は、機械文明のような、刺激的で派手な、幸せは、得られません。
でも、家族や自然を相手に、穏やかで、地味な、幸せを味わっています。
この幸せは、永続するのです。
では、機械文明で味わっている、派手な幸せと、原始文明で味わってる、穏やかな幸せと、どちらが、幸せでしょうか?
どちらとも、言えないのです。
なぜなら、心の中の幸せを、比較することは、出来ないからです。
比較できない、と言うことは、幸せは、平等である、と言うことです。
自分と相手の幸せの付け合わせが、出来ないのですから、当然です。
その人が、幸せだと思ったら、それが、幸せなのです。
でも、本当は、穏やかな幸せの方が、良いのです。
なぜなら、 機械文明には、自然を破壊する、と言う、リスクがあるからです。
そんな、文明に酔い知れていたら、いつか、必ず、しっぺ返しが来ます。
でも、原始文明は、自然を破壊しませんので、そのような、リスクは無いのです。
私たちは、何が欲しいのでしょうか?
それは、幸せではないでしょうか?
その幸せは、文明に、関係ないのです。関係するのは、心です。
私は、機械文明(物質文明)を、否定しているのでは、ありません。
魂の成長には、機械文明の体験も、原始文明の体験も、必要だからです。
ただ、今の地球の現状を考えると、あまりにも、物質文明に傾き過ぎているので、注意してほしいと思っています。
幼い魂の段階は、 原始文明を体験し、
少し魂が進化していくと、物質文明を体験し、
魂が熟成していくと、精神文明を体験するようになるのです。
魂の進化の段階に比例して、文明体験の質も、変わってゆくのです。
2021.09.06
人間は、誰もが、心を持っています。
鉱物や、植物や、動物には、心がありません。
神の意識が、背後でコントロールしているので、彼らには、心が必要ないのです。
でも、人間は、自由意思が与えられた、高貴な存在ですから、心が付与されているのです。
しかし、物質文明が発達した、今日、人類の心は、歪んだ心になっています。
今、地球上で、争いごとが絶えないのは、人類の心が、ハート型になっているからです。
でも、神は、そのことを予測し、人類に、理性と知性を、与えてくださいました。
理性は、欲望を抑制します。
知性は、感情を抑制します。
神が望んでいる心は、理性と欲望・・知性と感情・・のバランスの取れた心です。
欲望と感情が、膨らみ過ぎると、理性と知性が、抑え切れず、ハート型の心になってしまうのです。
地球人類の殆んどは、今、ハート型の歪んだ心に、なっているのです。
私たちは、 「理性と欲望」、「知性と感情」のバランスの取れた、まん丸な心に、ならなければならないのです。
まん丸な心を持った人が、多くなれば、もう、法律は、要らなくなります。
なぜなら、良心が、法律の代わりをしてくれるからです。
今、地球では、国の秩序を守るために、法律を定めていますが、これは、幼い社会には、必要なのです。
私の提唱している奉仕社会は、「良心の法」が、支配している社会です。
そこには、もう、憲法も、法律も、条例も、規則も、必要ありません。
犯罪者がいないので、警察も、弁護士も、検事も、裁判官も、必要ありません。
あなたは、自分が、「神の子」だと知ったら、偽りが言えますか?、人を騙せますか?、悪いことができますか?、良心が痛んで、絶対、できないはずです。
一日も早く、そのような、社会になりたいものです。
「心の乱れは技の乱れ!」と言われるように、心が乱れれば、技が乱れるのです。
なぜ、そのようなことが、起きるか、と言いますと、私たちは、「身口意・・意口身」を持った生き物だからです。
「意」とは、「思い」です。
「口」とは、「言葉」です。
「身」とは、「行為」です。
この三つは、一体になっているのです。
ですから、行動するためには、まず、思いが先行します。
それが、言葉となり、行為になるのです。
言葉も、行為も、現象です。
でも、思いは、実在なのです。
ですから、身は、思いに、絶対服従なのです。
右に行きたいと思ったら、身は、右に行きます。
左に行きたいと思ったら、身は、左に行きます。
言葉も、思った通りの言葉を話します。
「意」に、絶対服従なのが、「口と身」なのです。
ですから、心が、乱れれば、当然、「言葉」も、「身・・技」も、乱れるわけです。
最近、スポーツ界で、メンタルトレーニングが、重視されるようになりましたが、心の働きが、少し分かってきたからだと思います。
アスリートは、技を磨くと同時に、心を磨かなければなりません。
技は、物理の法則によって、限界がありますが、心には、限界が無いので、いくらでも、磨くことができるのです。
私が、アスリートに望むのは、技と心を、同じくらい、磨いて欲しいということです。
心を磨けば、100%の技を、出すことができるでしょう。
魂の熟成したアスリートは、心を磨きます。幼い魂は、技だけを磨きます。
どんなに、体力的に恵まれていても、心を磨かなければ、真の一流選手にはなれないのです。
どうか、心を磨いてください。
ちなみに、真理の火は、スポーツ界から、広がってゆくのです。
心の乱れは、当然、言葉の乱れや、身の乱れとなって、現れます。
カッとなって、暴言を吐いたり、 顔の形相や態度が、醜くなるのは、心の乱れが、言葉と身に、現れたからです。
どんなに、隠しても、隠しきれないのが、「思い」と「言葉」と「身」の関係なのです。
思いのコントロールができなくて、人生を台無しにした人は、数知れないほど、おります。
良い人生にしたかったら、どうか、言葉を慎んでください!、行為を慎んでください!
そのためには、「意」を慎むことです。
「意」を慎むためには、理性と知性を強める、瞑想が必要です。
私が、くどいほど、このような話をするのは、「私たちは、肉体ではなく!・・意識である!」と言うことを、心の底で知って欲しいからです。
肉体は、意識の働く道具なのです。
主人は、意識で、肉体は、下僕なのです。
どうか、「意口身・・身口意」の三位一体の働きを知ってください。
神の意識核が集まって、魂となり、その魂が、心を創り、その心が、想念を生み出している。
肉体は、魂の乗り物である。
2021.09.07
人生で、一番大切なのは、時間の配分です。
何に時間を使うか?? これで、人生は、決まるのです。
私たちは、何の為に、肉体を持って、生まれてきたのでしょうか?
お金や、物や、財を、集めるためでしょうか? 肉体を、喜ばすためでしょうか?
いいえ、魂を成長させるために、生まれてきたのです。
ならば、そのために、時間を使うべき、ではないでしょうか?
あなたは、今、どんな比率で、何に時間を使っていますか?
この世のことに、多く時間を使っているので、ありませんか?
確かに、生きて行くためには、この世のことは、無視できません。
ですから、私は、使って悪い、とは言っていません。使い過ぎていませんか?、と言っているだけです。
1日、24時間あります。
8時間は、寝るために使います。
8時間は、この世のこと( 学んだり、働いたり、)に使います。
あと、8時間残ります。
その時間は、自由時間です。
私は、その自由時間の半分を、真理のために使って欲しいと思うのです。
どうしても、難しかったら、せめて、2時間だけでも、真理の為に使って欲しいと思うのです。
2時間、真理に使えば、往復、4時間、この世のことから、離れられるわけですから、人生は、大きく変わってくるのです。
魂の幼い時は、この世のものに、惑わされてしまうので、時間の無駄遣いも、仕方ありません。
でも、魂が成熟してくると、この世の虚しさを知るので、真理のために、時間を多く使うようになるのです。
これは、自然と、そうなるのですから、自然に任せてください!
想念は、何でも作ります。それは、幽界でも、同じなのです。
もし、この世で、悪い思い癖をつけていたら、幽界に帰って、大変な苦しい目にあうでしょう。
もし、良い思い癖をつけていたら、幽界に帰って、楽しく過ごせるでしょう。
想念の使い方次第で、 天国にもなり、地獄にもなるのが、物質界と幽界なのです。
ですから、私は、肉体を持っている間に、想念のコントロールを、学んでおきなさい!、と言うのです。
では、どうすれば、想念のコントロールが、できるようになるのでしょうか?
簡単です。神を想えば、良いのです。
私が、「神を想い続けなさい!」と、口うるさく言うのは、神を想うだけで、想念のコントロールになっているからです。
「吾神なり!」の瞑想を続ければ、知らない間に、良い思いグセができるのです。
その良い思い癖は、慣性の法則によって、幽界にまで、持ち帰ることができるのです。
それは、何の技術もいりません。お金もかかりません。
ただ、神を想い続けるだけで、良いのです。
つまり、あなたのマントラを、想い続けるだけで、良いのです。
2021.09.08
この表現宇宙は、全て人類の為に用意された、時空界です。
全ての人類、と言っても、この表現宇宙には、無限の人類がいるわけですから、無限の人類のために用意された、空間界、と言うことになります。
どんな物も、人類のために、存在しています。
空気も、水も、虫も、菌も、 鉱物も、植物も、動物も、全部、人類の為に用意されたのです。
あなたの嫌っている、あの人も、この物も、その仕事も、この環境も、 あなたに、必要で、用意されたのです。
ですから、感謝して使い、感謝して接しなければならないのです。
確かに、厭なものも、嫌な人もいるでしょう!
でも、その嫌な相手は、自分の欠点に気づくよう、相対的に用意された、人・物・仕事・環境なのです。
つまり、自分の中にある欠点を、外側の者(相対者)が、見せて、気づかせてくれているのです。
当然、あなたは、 それを見て、嫌悪感を抱くでしょう。
でも、それは、自分の中に、あるものなのです。
ですから、相手を、嫌ってはならないのです。それどころか、相手は、恩人なのです。
神は、決して、無駄なことをしないのです。
当然です、それは、自分の中に、神が、おられるからです。
神の国が、遠い所に、あるのではないのです。
それどころか、一番近い、私たちの中に、あるのです。
なぜ、私たちの中に、神の国があるか、と言いますと、自分の意識核が、神だからです。
このことは、学びの友の皆さんは、分かっておりますので、これ以上言いませんが、でも、その自覚は、いつも、持っていて欲しいのです。
そうすれば、心配することも、恐怖することも、悩むことも、なくなります。
いつも、穏やかな心で、過ごすことができます。
大切なのは、神の自覚の深さです。
皆さんは、頭では、分かっているのです。
でも、まだ、心の底に落ちていないのです。
ですから、私は、「神を想い続けてください!」と、「 瞑想してください!」と、言うのです。
神を想い続けていれば、少しずつ、神の自覚が深まります。
どうか、瞑想を続けてください!
2021.09.09
この世は、現象の世界ですから、幻の世界です。実際に、人は、死んで行き、世の中は、刻々と変わって行きます。
地球だって、いつ、無くなるか分かりません。
神が、このような、現象の世界を創られたのには、何か理由があるはずです。
神が、遊びで、そんな、幻の世界を、創るわけがないからです。
そうです!
この現象界は、魂を大きくするために用意された、体験道場なのです。
体験道場ですから、苦しいこと、楽しいこと、悲しいこと、嬉しいことなど、様々な体験ドラマがあるのです。
私たちは、そこで、泣き笑いを体験しながら、魂を成長させてゆくのです。
神が完全なのは、どんな体験も、全て、進化成長に結びつくよう、計られているからです。
それは、自我では、分からないかも、知れません。
ですから、今、体験させられていることに、意味があるのか?、疑ってしまうのです。
でも、神を信じてください! 必ず、進化成長に結びついています。
これは、最近の私の体験からも、間違いありません。
「骨折り損のくたびれ儲け」など、無いと言うことです。
神は、できないことをしなさい、とは言っていないのです。
人事を尽くして、後は、天に任せたら良い!、と言っているのです。
私たちが、やるべきことは、今、やれることを、精いっぱい、やることです。
もし、あなたが、精いっぱい、やっているのに、何の変化も起きないなら、「自分のできることを、精いっぱい、やりました! これ以上、どうすれば、良いのですか?」と、神に、文句を言って、あげてください!
でも、神は、こう言うかもしれません。
本当に、あなたは、精いっぱいのことを、やったのですか? と・・、
そう言われないように、頑張りましょう!
・・コロナ禍で発見した人間の性 ・・
それは、
なぜ、外に出たがるのか? なぜ、たくさん情報を欲しがるのか?
それは、心の寂しさや、心の虚しさを、埋めたいからです。
しかし、対応力を持つ、強い生き物でも、あるのです。
2021.09.10
生きるとは、何でしょうか?
形で生きることが、生きる、と言うのでしょうか?
意識で生きることが、生きる、と言うのでしょうか?
私たちは、形が生きていると、思っていますが、形は、意識の表現媒体として作られた乗り物で、実際に生きているのは、形の中で生きている、意識です。
でも、意識には、姿形がありませんので、自分の存在を示すことができません。
ですから、意識は、やむなく、人間の形を取ったのです 。
このように、人間は、意識の乗り物なのです。
人間は、その乗り物を、自分だと、思い違いしているのです。
思い違いしているから、何よりも、肉体を、大切にしたがるのです。
人類の争いは、過剰に、肉体を守ろうとするところから、生まれているのです。
自分は、形ではない!、意識である!、と思ったら、争うどころか、みな、仲良くできるのです。
人類は、いつになったら、「自分は、肉体では無い!、意識である!」と、思えるようになるかです。
形が意識の乗り物であることは、次のようなことからも、分かって頂けると思います。
例えば、ここに、ー個の石が存在しているとします。
その石は、どうして、形が維持できているのでしょうか?
それは、石の中に、意識があるからです。
意識が抜けたら、 途端に、形は、崩れて、無くなってしまうのです。
私は、よく、原子崩壊の話しをしますが、原子崩壊の状態は、意識が抜けていっている状態なのです。
人間が死ぬのも、肉体から、意識が抜けてゆくからです。
形ある物の中には、必ず、意識が存在している、と言うことです。
ですから、形が生きているのでは無く、意識が生きている、と言うのです。
「目に見える生きている証明」
以上は、目に見える、生きている証明です。
でも、これらは、生きているのではありません。
見えないものによって、生かされているのです。
と言うことは、実在では無い、と言うことです。
「目に見えない生きている証明」
言葉は違いますが、これらは、みな、「一」の別名なのです。
「一」は、「神」の別名でもありますから、「神」であることが、生きている証明、と言うことになります。
神は、全てを生かしている、実在なのです。
私たちは、実際に生きているものは、何なのかを知り、神の自覚を得ることなのです。
2021.09.11
この世は、刻々と姿を変える、無常の世界です。
それは、実際に無い世界だからです。
しかし、意識は、実在です。絶対、無くならない、真実です。
どちらが、得でしょうか?
どんなに、偉大な意識を持っていても、この世のことに使えば、価値を下げてしまうのです。
幻を思うか?、真実と想うか? で、天地の差が生まれる、と言うことです。
それほど、あなたの意識は、偉大なのです。
どうか、神を創って、あげてください!
どうか、宇宙を創って、あげてください!
それは、神を想えば、良いだけです。宇宙を想えば、良いだけです。
あなたの意識は、神と同じ、偉大な意識なのですから・・・。
思えることが、いかに、凄いことなのか?
考えれることが、いかに、凄いことなのか?
人類は、深く考えようとしません。
それは、意識を持っているから、では、ありませんか?
意識がなかったら、思えないし、考えられないし、何も生まれないのです。
と言うことは、あなたは、存在しない、と言うことです。
勿論、私も、存在しません。 いや、何もかも、存在しないのです。
人類は、何をおいても、この意識の研究をすべきです。
今、膨大な、お金をかけて、宇宙に探査機を飛ばしたり、素粒子を発見するための地下実験場を作ったりしています。
でも、それは、幻を発見しようとしているのであって、真実を発見しようとしているのではないのです。
外側の物質の研究は、全部、幻の研究なのです。
でも、内側の意識研究は、実際にある研究なのです。
人類が、研究すべきことは、幻では、ありません。
実際にある、意識の研究です。思いの研究です。心の研究です。
ぜひ、そちらの研究に、方向転換してもらいたいものです。
2021.09.12
人間は、誰もが、心を持っています。
鉱物や、植物や、動物には、心がありません。
神の意識が、背後でコントロールしているので、彼らには、心が必要ないからです。
でも、人間は、自由意思が与えられた、高貴な存在ですから、心が付与されているのです。
しかし、物質文明が発達した、今日、人類の心は、歪んだ心になっています。
今、地球上で、争いごとが絶えないのは、人類の心が、ハート型になっているからです。
でも、神は、そのことを予測し、人類に、理性と知性を、与えてくださいました。
理性は、欲望を抑制します。
知性は、感情を抑制します。
神が望んでいる心は、理性と欲望・・知性と感情・・のバランスの取れた、まん丸な心です。
欲望と感情が、膨らみ過ぎると、理性と知性が、抑え切れず、ハート型の心になってしまうのです。
今の地球人類の殆んどが、ハート型の歪んだ心になっているのです。
私たちは、 「理性と欲望」、「知性と感情」のバランスの取れた、まん丸な心に、ならなければならないのです。
まん丸な心になった人を、神人と呼びます。
神人の心は、欲望が →「希望」に変わります。感情が →「愛情」に変わります。
この 「希望」は、永遠に尽きない!、永遠に色褪せない!、幸せに向かって突き進む、希望です。
「愛情」は、人生の荒波を乗り越える、叱咤激励の愛情です。
その、希望と愛情を、理性と知性が、コントロールするのです。
ですから、神人の心は、まん丸な心になっているのです 。
心は器です。その器は、四つに分かれています。
器ですから、小さくも大きくもなります。
でも、基本的な大きさは、魂の大きさに準じて決まります。
魂の幼い時期は、器が小さいため、対応力があまりありません。
ですから、何か困難に出会うと、すぐに、くじけたり、挫折したりします。
魂が熟してくると、対応力が大きくなり、少々の困難にも、負けなくなります。
器を大きくするためには、社会体験と、瞑想と、思索の、三つが必要ですが、
幼い魂の時期には、意識しないで、大きくなるようになっています。
学びの友の皆さんのように、魂が熟してくると、意識して、三つを、やらなければならなくなります。
でも、これも、自然と、そうなるので、気にすることはありません 。
こうして、器(心)が、少しずつ、大きくなってゆくのです。
2021.09.13
意識に、記憶が薄れることと、慣れることの、二つの性質がなかったら、心はダメージを受け、私たちは、生きてゆけないでしょう!
よく、時が癒してくれるとか、時間が解決してくれるとか、言いますが、これは、意識が慣れるから、言えることなのです。
私たちの意識は、同じ体験をしていると、慣れてしまい、段々と、動じなくなるのです。
初体験は、ショックが大きいため、心が大きく揺れますが、同じ体験をすると、慣れてゆき、心があまり揺れなくなるのです。
これは、意識に、抗体が生まれたからです。
もし、意識に、抗体が生まれなかったら、恐怖や心配のあまり、心が押し潰されてしまうでしょう。
慣れると、言うことは、恐ろしいことですが、素晴らしいことでも、あるのです。
意識が慣れるのは、意識が飽きるからなのです。
意識が飽きるから、記憶が薄れて、慣れて行くのです。
今、人類の殆んどが、現象の世界で、幻と格闘しながら生きています。
それは、現象の世界が、本当にある、と思っているからです。
魂が幼い時代には、現実の世界と、真実の世界の、見分けがつかないのです。
でも、魂が熟成してゆくと、理解力が増すため、見分けがつくようになるのです。
そうなると、もう、心を痛めなくなります。
魂が熟成すると、心が揺れなくなるのは、現実感が増すためですが、これも、意識の慣れの一つです。
意識が飽きるから、慣れる、と言うことが起きるのです。
これは、悪いように思いますが、良いことなのです。
なぜなら、飽きるから、飽きないものを求めて、努力するからです。
向上心を持たない者は、成長しません。
努力しない者は、成長しません。
学びの友の皆さんは、飽きないものが、欲しいのでは、ありませんか?
「 飽きないものが欲しい! 」、その欲求が、努力と向上心を生み、自覚の境界線を超えさせるのです。
今、コロナが蔓延していますが、もし、意識が、コロナに慣れてしまったら、今後、コロナの蔓延は、どうなるでしょうか? ・・・、
想念が何でも創る、という観点から考えたら、実に、興味深い話です。
2021.09.14
魂の構造を探ってみましょう!
神の意識核は、全ての本質です。
本質ですから、神の意識核は、肉体にもなり、魂にもなるのです。
肉体が朽ちる(死ぬ)と、肉体を構成していた原子は、大気に還元されますが、その原子は、体験した記憶を持って、宇宙に浮遊しております。
その浮遊している原子は、いつの日か、再び、縁ある物質の中に入ってくるのです。
魂も、同じです。
肉体が朽ちると、魂は、肉体から離れますが、その魂は、一休みすると、再び、肉体の中に入って、次なる人生を歩み始めるのです。
こうして、魂は、幾度となく、転生輪廻を繰り返し、次第に大きくなってゆくのです。
想念の構造を探ってみましょう!
神の意識は、意識核を放出し、表現宇宙を創りました。
その意識核は、物の本質にもなり、魂の本質にもなっているのです。
更に、その魂は、心を作りました。
そして、その心が、想念を生み出したのです。
想念も、心も、魂も、その本質は、同じ、神の意識ですから、一つと考えて良いでしょう。
また、神の意識は、エネルギーそのものですから、魂も、心も、想念も、エネルギーと考えて良いでしょう。
私が、想念!想念!想念!と、口うるさく言うのは、偉大な神の意識の力が、私たちの想念にも、受け継がれているからです。
どうか、想念の偉大さを、知ってください。
私が、一番に願うこと、それは、全人類に、想念の偉大さを、知って欲しい、と言うことです。
2021.09.15
私が、地球人類に願うのは、正しい想念を使って欲しい、と言うことです。
もし、地球人類が、想念を正しく使うようになったら、事故・災難・ 病気・ 争い事など、一切なくなるでしょう。
今、人類は、国防費に、交通事故防止に、防災に、医療費に、膨大な予算を使っておりますが、もし、人類が、正しい想念を使うようになったら、このような、予算など、一切いらなくなるのです。
ただ、想念を正しく使うだけで、世の中が変わってしまうのです。
そうは言っても、想念を正しく使うことが、難しいのです。
簡単に使えたら、地球は、とっくに、理想社会になっているのです。
使えないから、今、人類は、逆治療法を使って、社会を良くしようとしているのです。
【逆治療法とは、
軍隊を増強して国を守ること・・、
パトカーや交通信号などを増強して、交通事故を無くすこと・・、
防潮堤や耐震建築などをして、防災すること・・、
新薬や医療機器などを開発して、病気を無くすこと・・、 です。】
政治家は、原因と結果の法則を知らないから、報復合戦をし合っているのです。
つまり、相手の国から、やられると、やり返します。
そうすると、やり返されます。
そうすると、また、やり返します。
人類の歴史は、この繰り返しだったのです。
人類が、未だに、報復合戦をしている、と言うことは、歴史から、何も学んでいない、と言うことです。
これでは、報復合戦で、死んだ人たちは、犬死です。
もう、そろそろ、人類は、原因と結果の法則を、知るべきです。
「人に危害を加えたら、必ず、危害を加えられるのです。」
「やったら、やり返されるのです。」
この原因と結果の法則を知ったら、報復合戦など、しなくなるでしょうに・・・。
地球人類は、1日も早く、この、原因と結果の法則を、知るべきです。
原因と結果の法則は、逆進するのです。
こういう言い方すると、混乱するかも知れませんが、原因と結果の法則は、一直線上に働き、かつ、循環しているので、逆も真なり、と言うことが起きるのです。
つまり、結果をいじって、原因に影響を与えることができるのです。
本来、原因と結果の法則は、原因から結果に進むため、逆進することはありません。
でも、原因と結果の法則が、循環していることを考えると、結果から原因に、逆進する場合も考えられるのです。
いや、考えられるのではなく、実際に、逆進するのです。
だから、結果をいじって、原因を直そうとしている、地球人類でも、進化成長することができるのです。
これは、神の完全性の現れであり、神の慈悲でもあるのです。
2021.09.16
自分を知ることの難しさは、原子核が、増えれば、増えるほど、身にしみて分かるようになります。
皆さんは、今、自分が存在していることが、認められますね。
どうして、認められるのでしょうか?
それは、何か起点があるから、ではありませんか?
その起点が、自我の自分なのです。
自分一人では、自分の存在が無いのです。
自分が、二人に別れ、自我と真我が、互いに相手を認めることで、自分が、存在できるのです。
しかし、その自分が、分からないのです。
「私!私!私!・・・」と、自分の意識を追いかけて行ってみてください。
いくら、追いかけて行っても、自分の意識を掴むことができないはずです。
この「私」は、永久に捕まえることの出来ない、私なのです。
なぜ、掴めないのか?
それは、私は、無限だからです。無限を掴めるはずがありません。
でも、掴む努力は、しなければならないのです。
宇宙で、一番不可思議な事は、自分の意識を、いくら探っていっても、掴めない、と言う謎です。
でも、それで、良いのです。
捕まえたら、自分が、消えてしまうからです。
でも、掴む努力は、しなければならないのです。
なぜなら、掴む努力をすることが、自覚の境界線に、近づけてくれるからです。
自分を存在させるためには、起点が必要です。つまり、相手が必要です。
その相手が、起点なのです。
相手を作って、相手から自分を見る、だから、自分の存在ができたのです。
自分だけでは、自分が存在できないのは、「一」 だけでは、「一」が存在できないからです。
相対的に分けて、はじめて、自分が存在するのです。
自分を知るためには、どうしても、起点となる相手が必要なのです。
形の世界でさえ、起点がなくては、自分が存在できないのですから、
意識の世界に、起点がなくては、お話にならないのです。
2021.09.17
どうして、私たちは、神なのでしょうか?
それは、意識を持っているからです。思いを持っているからです。
妻子がいる! 友達がいる! 地球がある! 宇宙がある! と思えることが、神である証しなのです。
何故なら、神と同じ意識を、私たちは、持っているからです。
この宇宙には、たった一つの神意識が、あるだけなのです。
と言うことは、その意識を持っている、私たちは、神ではありませんか?
なのに、私たちは、人間だと思っています。何と、哀れなのでしょうか?
人間だと思っているから、苦しみを、作ってしまうのです。
神だと思ったら、 苦しみを、作るわけがないのです。
私たちは、自分が、神であることを知るために、生まれてきたのです。
人生の目的は、あくまでも、本当の自分を知るためです。
しかし、殆んどの人が、自分を、人間だと思っているのです。
人間だと思えば、人間の生き方をするのも、当然です。
ですから、この世には、苦しみや、悲しみが、多いのです。
人間は、神を隠しているのです。
人間と思うことが、神を隠していることになるからです。
また、人間は、嘘をついているのです。
人間と言うことが、嘘をついていることになるからです。
神を隠し、人間と嘘をついている者が、どうして、幸せになれるでしょうか?
神を隠し、人間と嘘をついている罪は、実に、重いのです。
その証拠に、今、人類は、苦しんでいるではありませんか?
この苦しみは、嘘つきに対する報い、「原因と結果の法則」なのです。
どうか、神を隠さないでください!
どうか、嘘をつかないでください!
そうすれば、幸せになれるのですから・・・。
神のメロディ 「神隠し」
2021.09.18
この世は、現象の世界であり、 幻の世界であることは、誰もが認めています。
実際に、人は死んで行き、世の中は変わって行きます。
地球だって、いつか、必ず、消えて無くなります。
刻々と、変化変滅するのが、現象の世界です。
神が、このような、現象世界を創られたのには、何か理由があるはずです。
神が、遊びで、そんな、世界を創るわけがないからです。
そうです!
この現象界は、魂を大きくするために、神が用意された、体験道場なのです。
体験道場ですから、苦しいこと、楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、など、たくさんのドラマがあるのです。
私たちは、この表現世界で、色々な、泣き笑いを体験して、魂を成長させてゆくのです。
神が完全なのは、どんな体験も、全て、進化成長に、つながっているからです。
それは、苦しい体験も、 楽しい体験も、悲しい体験も、嬉しい体験も、惨めな体験も、です。
「骨折り損のくたびれ儲け」など、無いのです。
やった分、必ず、成長しているのです。
神は、できないことを、しなさい、とは、言っていないのです。
人事を尽くして、後は、天に任せなさい!と、言っているのです。
私たちが、やるべきことは、今、やれることを、精いっぱい、やることです。
もし、あなたが、精いっぱい、やっているのに、何の変化も起きないなら、「今日も、自分のできることを、精いっぱい、やりました! これ以上、どうしろと言うのですか?」と、神に、文句を言ってください!
でも、神は、こう言うかもしれません。
本当に、あなたは、精いっぱい、やったのですか?と・・、
そう言われないように、頑張りましょう!
2021.09.19
意識である自分は、今、人間の中に入って、体験を深めている、真っ最中です。
しかし、あまりにも、長い間、人間の乗り物に乗っていたために、自分は、人間だと、誤解してしまったのです。
今、全人類が、自分が、人間だと思って、生きています。
でも、私たちは、人間では、無いのです。
名前は、どうでも、良いのです。
私たちは、物質的な存在ではないのです。自由奔放な、霊的な存在なのです。
このことは 、何度言っても、言い過ぎることはありません。
私は、これからも、同じことを、何度も言うでしょう。
今、地球人類は、醜い表現をしております。
それは、まだ、魂が幼いからです。幼い魂は、表現の仕方が、下手なのです。
画家も、未熟な時代には、美しい絵を描くことができません。
でも、体験し、腕が上達してくると、素晴らしい絵が描けるようになるのです。
魂も、同じなのです。
表現が豊かになった社会を、理想社会と言いますが、それは、魂が大きくなった人達が集まった社会です。
魂が大きくなると、物質的なものから、精神的なものに、趣向が変わるのです。
どうして、そうなるかと言いますと、私たちの魂の根っこに、「真・善・美」を求める思いが、寝ているからです。寝ているから、起こせば、良いのです。
理想社会とは、「真・善・美」の表現が、豊かになった社会なのです。
人類が、目指さなければならない理想の社会は、「真・善・美」の豊かな社会です。
それは、神が望んでいる社会です。
全宇宙が、「真・善・美」の方向へ、進んでいるのです。
人類は、1日も早く、神の望みを、実現しなければなりません。
学びの友の皆さんは、その先駆者です。
2021.09.20
日々、一刻一刻、私たちは、進化成長を続けています。
時間の中にいる限り、息をしている限り、脈を打っている限り、成長は続くのです。
ですから、無駄な人生など、ないのです。
私たちは、今、物質世界で生活していますが、真理に関係の無い生き方をしていても、進化成長を続けているのです。
それは、意識が思わせ、意識が体を動かせているからです。
これが、神が創られた、この宇宙の素晴らしさなのです。
一般の人は、何も知らないで、生きております。
でも、学びの友の皆さんは、意識しながら、生きて欲しいのです。
床につく前、「あー!今日も、成長した!」と、思いながら寝てください。
あなたが、どんなに、「私は、神でない!」と、うそぶこうが、あなたが、神である事実は、曲げられないのです。
あなたは、永遠の昔から、神だったのです。今も、神なのです。永遠の未来も、神なのです。
神から離れることは、絶対できないのです。
もし、離れたら、あなたは、今、存在していないからです。
今、存在している、と言うことは、神である、と言う、証なのです。
ならば、素直に、「私は、神である!」と、認めることです。
魂が熟成していくと、判断力が増し、今まで、気づかなかったことが、気づくようになります。この動画の中で、そのことを言っていますので、見てください。
【学びの友の学びの動画】
2021.09.21
「想念のコントロールをしてください!」
これは、何度言っても、言い過ぎではありません。
求道者の最終目標は、想念のコントロールなのです。
全て、想念次第なのです。良い人生を作るのも、理想の世を創るのも、自覚の境界線を超えるのも、想念次第です。
私が、どうして、こうも、くどくど、言うのかと言いますと、想念によって、人生を作り、想念によって、自覚の境界線を超えた体験者だからです。
筆舌に尽くせないほど、想念は、偉大です。凄いです。
想念の凄さを、知れば、知るほど、唖然とします。
その想念が、人生を、 社会を、世界を、地球を、宇宙を、支配しているのです。
私たちは、その想念を、永遠の昔から、持っていたのです。
だから、私たちは、想念を操る名人であるはずなのです。
しかし、どうでしょう!? 私たちは、想念を、正しく操っていますか?
正しく操っているなら、皆、幸せになっているはずです。
どうか、学びの友の皆さんだけでも、想念を操る名人になってください!
私たちは、不幸せを作る名人にもなれるけれども、幸せを作る名人にもなれるのです。
あなたは、どうして、生きていられるのですか?
想念(意識)が、あるからでは、ありませんか?
想念(意識)抜きで、あなたは、存在しないのです。
あなたは、肉体ですか?、想念(意識)ですか?
何が自分なのか、再確認してください。
2021.09.22
秋は、一年中で、一番、夜の長い季節です。
ですから、星を見る機会も、多くなります。
私が、一番、嬉しいのは、星が見れることです。
星を見ているだけで、楽しいのです。
これは、私だけでしょうか? いいえ、皆さんも、同じだと思います。
なぜなら、過去世で、今の月を見、今の星空を見ていたからです。
それは、嬉しい時に、見ていたかも知れません。悲しい時に、見ていたかも知れません。
どちらにしても、私たちは、月下で、星下で、 泣き笑いの人生を過ごしてきたのです。
ですから、夜空を見ていると、言いようのない、懐かしさが込み上げてきて、胸をキュッとさせるのです。
かぐや姫が、月を見て、物思いに耽っていたのは、過去世の自分を、思い出していたからでしょうか? それとも、故郷の月を、思い出していたからでしょうか?
竹取物語では、天人が、かぐや姫を、さらう、ストーリーになっていますが、かぐや姫は、UFOに乗って、月の世界へ、帰ったのかも知れません。
太陽と、月と、地球は、三身(位)一体になっています。
どの一つが欠けても、存在できないのです。
潮の満ち引き ・・波動の調整 ・・太陽光の恩恵・・ 、
地球は、月や太陽によって、守られているのです。
どうして、星空を見ていると、楽しいのでしょうか?
それは、私たちの故郷が、宇宙だからです。
私たちは、宇宙から、地球に、降りてきたのです。
私たちは、初めは、神の意識核として、表現宇宙に誕生しました。
その意識核が、集まって、集まって、鉱物となりました。
さらに、集まって、集まって、植物となりました。
さらに、集まって、集まって、動物となりました。
さらに、集まって、集まって、人間になったのです。
ですから、私たちの本性は、「神」なのです。
その証拠に、私たちの意識は、永遠に不滅です。
意識 = 神 = 自分 です。
このことが、人類の1/3でも、理解してもらえたら、地球は、素晴らしい星になるでしょう!
光の写真集・動画「秋の夜空」
2021.09.23
なぜ、地球には、美しいものより、醜いものの方が、多いのでしょうか?
それは、地球人の心が醜いからです。
地球人は、自分が何者か知らないで、生きているのです。
自分を知らないで、生きていては、醜い表現をするのも、仕方がないのです。
でも、それも、必要な一里塚で、決して、悪いことではないのです。
なぜなら、醜い表現をして、痛い目に遭っているうちに、疑問を持つようになるからです。
その疑問を持った時が、人生のターニングポイントなのです。
私のターニングポイントは、41年前です。
あのターニングポイントが、あったればこそ、今の私があるのです。
どんな幼い魂も、いつか、必ず、ターニングポイントが来るのです。
それは、痛い苦しいが、極限に来た時です。
どんなに、唯物的な人間も、痛い苦しいが、極限に来ると、「神様、助けて下さい!」と、神頼みするものです。
真我は、それを見計らって、手を差し伸べるのです。
神様は、人類、一人一人に、宇宙で一番の宝物を与えてくださいました。
それは、想念、と言う、宝物です。
この、想念は、何でも実現させる、打ち出の小槌なのです。
しかし、地球人類は、まだ、そのことを、知らないのです。
知らないから、 誤った使い方をして、苦しい目に遭っているのです。
学びの友の皆さんは、それを、知った、魂です。
ですから、想念を、上手に使ってください。
一番良い、想念の使い方は、瞑想です。
想念は、何でも実現させます。
と言っても、目に見える形で、実現するのは、稀です。
特に、瞑想は、そうです。
ですから、「私は、本当に、成長しているのだろうか? 」と、疑問に思うのも、無理ありません。
でも、信じてください。瞑想している限り、間違いなく、成長します。
その証拠に、皆さんは、昔より、判断力や理解力が、増したのではありませんか?
環境も、変わって来たのでありませんか? 私が、そうだから、言えるのです。
瞑想を続ければ、間違いなく、成長します。
これは、体験者が言うのですから、信じてください。
どうか、瞑想を続けてください!
いつの日か、「やっていて、良かった!」と、思う時が来ます。
2021.09.24
ただ、意識の前を、現象が通り過ぎて行くだけ ・・・、
その現象が、
どんなに、リアルでも、
どんなに、美しくても、
どんなに、醜くても、
どんなに、奇妙でも、
どんなに、恐ろしくても、
全て、現象です。
現象ですから、必ず、消えて無くなってしまうのです。
でも、魂に刻まれた印象は、実在です。
と言うことは、夢幻であっても、夢幻で終わってない、と言うことです。
私たちは、今、夢を見ているのです。
肉体を脱いで、幽界に帰っても、まだ、夢を見ているのです。
更に、自覚の境界線を超えても、まだ、夢を見ているのです。
私たちは、永遠に、夢を見続けてゆくのです。
しかし、夢の中で体験したことは、貴重な財産となっているのです。
神様は、何と素晴らしい仕組みを、創られたことでしょう?
私たちは、夢幻の世界で体験したことを、魂に刻み込み、永遠に、進化成長してゆくのです。
意識と言うものは、面白いもので、形の中に入っている時は、その形が、自分だと思えるけれど、形から抜けた途端、誰の意識か、分からなくなってしまうのです。
つまり、形に入っている時は、自分と思えるけれども、形から抜けたら、自分が、何なのか?、分からなくなってしまうのです。
だから、私たちは、自分を保持するために、肉体を脱いだ後も、永遠に、形を持ち続けてゆくのです。
意識って一体、
どんなに、探っても、意識の正体は、分からないのです。
ただ、一つ言えることは、意識は、肉体(形)に、属するものではなく、宇宙に、属するものである、と言うことです。
ただし、意識が、形に入った時のみ、自分だと思えるのです。
形から抜けた途端、誰なのか? 何なのか?、迷子の意識になってしまうのです。
起点が失われるから、そうなるのです。
この宇宙は、 起点がなければ、何も分からなくなってしまうのです。
だから、意識は、起点を作って、自分の存在を示そう、保持しよう、としているのです。
どんなに、魂が大きくなって、理解力が増しても、また、どんなに、意識科学が発達しても、この意識の謎だけは、永遠に、解らないでしょう 。
意識は、謎・謎・謎・謎・・・永遠の謎なのです。
2021.09.25
私たち求道者は、なぜ、思索する、必要があるのでしょうか?
それは 、「なぜ? なぜ?」の疑問が、魂を成長させてくれるからです。
本源の宇宙には、無限の知恵の宝庫があります。
その宝庫から、知恵を引き出すには、能動的に働きかけないと、引き出せないのです。
能動的に働きかける作業が、思索なのです。
思索そのものは、単純です。
疑問に思っていることを、自分に、問いかければ、良いだけです。
ただ、その質問の中身が、問題なのです。
その求道者にとって、本当に、必要な質問であれば、即座に、答えが返ってきます。
でも、興味本位な質問とか、知識欲を満たすような質問の場合は、答えが返ってこないのです。
求道者の中には、答えが返ってこないからと言って、同じ質問を、何度もする人がおりますが、どんなに、質問しても、無駄です。
なぜなら、その質問の答えを、受け取れる段階まで、成長していないからです。
成長していないから、そのような、質問をするのです。
求道者の中には、思索する題材が見つからない、と言う、人がおりますが、見つからなかったら、無理に、思索する、必要はありません。
でも、不思議なもので、原子核が増えるに従い、見つかるものです。
質問するのは、自我です。
回答するのは、真我です。
納得するのは、自我です。
納得したら、魂が成長するのです。
真我からの回答は、直線的な回答もありますが、迂回して、返ってくる場合が、多いので、解答に、時間がかかります。
その解答も、日常生活を通して、帰ってくることが、多いので、見逃さないよう、アンテナを張っておく、必要があります。
思いがけない時に、「なるほど!」と、思うような答えが返ってきます。
もう一つ、注意しなければならない点は、 返ってきた回答が、自我からの回答か、真我からの回答か、見極めねばならない点です。
難しいように思いますが、心配いりません。
やっているうちに、見極められるようになります。
能動的に働きかける作業は、とても、大切です。
なぜなら、原因を作らなかったら、結果が返ってこないからです。
待っていては( 原因を作らなければ)、何も得られない、と言うことです。
思索も、能動的です。
瞑想も、能動的です。
社会体験も、能動的です。
日常生活そのものが、能動的なのです。
家に閉じこもって、何もしない、と言うことは、原因を作らない、と言うことですから、結果が生まれるわけがないのです。
私たちは、今日まで、能動的に働きかけてきたからこそ、ここまで、成長することが、できたのです。
能動的に働きかける行為は、陽です。男性です。光です。
受動的に待ち受ける行為は、陰です。女性です。闇です。
受動的に待ち受けていては、何も得られないのです。
働きかけましょう!
行動的になりましょう!
積極的になりましょう!
自分から、率先して、やりましょう!
そうすれば、必ず、原子核が増え、成長します。
2021.09.26
神は、人類に、どのように、生きるべきかを 、次の三つの道理を通して、教えてくれています。
神の教え Part1
1.「真・善・美」に、寄り添って生きなさい!、と言う教え。
大宇宙を、ご覧ください! 大自然を、ご覧ください!
見事なまでに、調和が取れております。
どうして、調和が取れているのでしょうか?
それは、 「真・善・美」に、寄り添って、宇宙も、自然も、創られているからです。
神は 、「真」に、寄り添って生きれば、幸せになれますよ!、と言っているのです。
神は、「善」に、寄り添って生きれば、 安心して、生きられますよ!、と言っているのです。
神は、「美」に、寄り添って生きれば、 楽しく、生きられますよ!、と言っているのです。
このように、神は、人類に、どのように、生きるべきか、指針を示してくれているのです。
幼い地球人類には、生きるべき、お手本が、必要なのです。
そのお手本が、宇宙であり、自然なのです。
「真・善・美」に、寄り添って生きれば、私たちは、穏やかに、生きられるようになっているのです。
勿論、 「真・善・美」に、寄り添って生きれば、理想社会を造ることも、夢ではありません。
神のメロディ「真善美は神様の心」
2021.09.27
神の教え Part2
2.中庸に、寄り添って生きなさい!、と言う教え。
よく、ひいきのチームを作る人がおりますが、これは、あまり、利口とは言えません。
なぜなら、ひいきのチームが勝った時は、嬉しいでしょうが、負けた時は、寝れなくなるぐらい、悔しくなるからです。
この宇宙は、バランスによって (中庸によって)、成り立っていますので、偏ると、苦しみが、やってくるのです。
なのに、人間は、中庸から離れたがります。
それは、偏ると、濃い喜びが得られるからです。
これは、麻薬のようなもので、一旦、取り込まれると、抜け出すのが大変です。
この中庸は、魂の大きさによって、違ってきますので、自分の中庸を、人の中庸に、当てはめては、いけません。
ある人には、中庸であっても、ある人には、中庸でない場合があるからです。
では、どうしたら、自分の中庸を、見極めることが、できるのでしょうか?
それは、苦しみの程度で、判断するしかありません。
苦しみの多い人は、中庸から遠く離れており、少ない人は、中庸に近い、と言う、判断です。
拘りや、囚われは、光を弱めてしまいます。
なぜ、光が弱まるか、と言いますと、中庸にいる場所は、真ん中ですから、光が真上から当たりますが、中庸からずれると、光が斜めから当たるので、光が弱くなるのです。
こう あらねばならない! ああ あらねばならない!と言った、拘りや、囚われは、偏りですから、光を弱めるのです。
よく、アスリートが、陥ることですが、勝たねばならない!、打たねばならない!、皆の期待に応えなければならない!と、意識しだした途端、成績が落ちるのは、拘ることによって、光を弱めるからです。
人生において、守らなければならない、中庸が、たくさんあります。
例えば、経済・教育・食べ物・睡眠・運動・買い物・娯楽・ 旅行・ 人付き合い・ 行事・掃除 ・清潔・身だしなみ、など、挙げれば、キリがありませんが、殆んどの人は、中庸を外しながら、生きているのです。
ですから、世の中には、苦しんでいる人たちが、たくさん、いるわけです。
穏やかに、生きたかったら、自分の中庸を見極め、自分の中庸を守って、生きてください。
2021.09.28
神の教え Part3
3.「原因と結果の法則」に、寄り添って生きなさい!、と言う教え。
この宇宙は、「原因と結果の法則」によって、支配されています。
良い原因を創れば、良い結果が・・、
悪い原因を創れば、悪い結果が・・、
この法則は、寸分も狂わず、働きます。
ですから、私たちは、「原因と結果の法則」に、寄り添って、生きなければならないのです。
この「原因と結果の法則」は、宇宙のどこかに、あるわけではありません。
私たちの想念の中に、組み込まれているのです。
だから、想念次第で、良い働きにも、悪い働きにも、出来るのです。
良いことを思えば、良い結果が、悪いことを思えば、悪い結果が、創られるのは、想念力が、創るからです。
世の人々は、外側から、幸せや、不幸が、やってくると、思っていますが、外側から、やってくることは、ありません。
幸せも、不幸も、内側の想念が、連れてくるのです。
人のせいにしてならないのは、全て、内側の想念が、創るからです。
「原因と結果の法則」は、実に、想念に、従順に働きます。
それも、単純に、平等に、正確に、働きます。
ですから、想念を正しく使ったら、何も、心配することがないのです。
心配するどころか、自分の思い次第で、いくらでも、人生を切り開くことが、できるのです。
こんな、嬉しいこと、ないのでは、ありませんか?
2021.09.29
「神は光なりき!」と言われているように、神は、光です。
私たちは、その光から放射された、光の子(光子)です。
光の子ですから、光の電球を持っているのです。
私たちは、神から遣わされた、光の天使なのです。
目的は、二つあります。
人類、一人一人は、電球ですから、光を降ろすことが、できるのです。
しかし、残念なことに、光を降ろすことのできる電球が、今の地球には、数少ないのです。
その、数少ない電球が、学びの友の皆さんたちなのです。
どうか、電球を、光らかしてください! 地球は、喜んでくれるでしょう!
やり方は、簡単です。コンセントを差し込めば、良いだけです。
コンセントを差し込むとは、神に意識を向ける、と言う意味です。思いを向ける、と言う意味です。
思いを向けた途端、光が降りてきて、みなさん自身の電球が、光るのです。
どうか、電球を、光らかして、地球に、光を降ろしてください。
電球を、光らかす方法は、神に思いを向ける、他に、もう一つあります。
それは、 物の内(中)を、見ることです。
全ての物質は、光で出来ているのです。
表面を見れば、物質ですが、中を見れば、光なのです。
ですから、物質の中を見れば、自分が、光り出すのです。
全てのものは、神の光で、出来ているわけですから、私たちは、いつも、光と共に、神と共に、生きているのです。
ただ、私たちは、表面を見ているから、そう思えないだけです。
どうか、物の内(中)を、見てください! 肉体の内(中)を、見てください!
そこには、光が存在し、神が存在しているのです。
この宇宙は、光と物質が、一対になっているのです。
光あっての物質であり、物質あっての光なのです。
内あっての外であり、外あっての内なのです。
光(内)だけでも、存在できないし、物質(外)だけでも、存在できないのです。
神だけでも、存在できないし、人間だけでも、存在できないのです。
それほど、私たちは、掛け替えのない存在なのです。
どうか、肉体の自分も、魂の自分も、大切にしてください!
自我の自分も、真我の自分も、大切にしてください!
2021.09.30