心は、大きくもなり、小さくもなります。軽くもなり、重くもなります。清くもなり、汚くもなります。正に心は、恐ろしくもあり、頼もしくもある生き物です。その心を、私たちは、持っているのです。持っているだけでなく、自由意思で自由に使えるのです。だから、使い方次第で、いくらでも幸せになれるのです。でも、今の地球人類は、使い方が下手なため、苦しい人生を送っているのです。
心は、人生の行くへを決めるのです。この節では、その心について追求してみたいと思います。
人間は、五感を持っています。五感がなければ、肉体を安全に保つことができないからです。でも、その五感が、人間独自の心を作ってしまうのです。人間独自の心は、「自我の心・肉我の心」そのものなのです。ですから、自分の肉体の都合の良い生き方をしたがるのです。
つまり、
自分の肉体に都合の良い事は、他人にとって都合の悪い事ですから、どうしても、トラブルが多くなるのです。今の地球人類は、全員が全員、自分の肉体に都合の良い生き方をしているのです。
でも、人間は、「真我の心(神の心)」も持っているのです。この心は、神の心ですから、真我の心で生きたら、トラブルの少ない社会になるのです。
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本来、この宇宙には、寛大な「神我の心」が唯一存在するだけです。でも、「肉体の自分」を自分だと誤解することによって、「人間心」を作ってしまうのです。これは、次のような例えで示せるでしょう。
ここに、沢山の蛇口の付いた酒樽があるとします。その酒樽の中には、同じ酒が入っているのですが、不思議なことに、一つひとつの蛇口から出てくる酒の味は、みな、違うのです。これは、一つひとつの蛇口が、「自分は酒樽でなく蛇口だ!」と思っているからです。蛇口が自分だと思えば、どうしても、蛇口に個性が生まれるのです。人間も、肉体を自分だと思えば、人間の個性を持った人間心を作ってしまうのです。
心は、昔から「器」に例えられますが、人間心には、次の四つの機能があるのです。
「器」の字の、
左上の「口」は、「欲望の機能」を示しています。
右上の「口」は、「感情の機能」を示しています。
左下の「口」は、「理性の機能」を示しています。
右下の「口」は、「知性の機能」を示しています。
欲望の機能と感情の機能は自我に属し、理性の機能と知性の機能は神我に属します。人間心は、上半分の自我と下半分の神我が牽制し合って存在しているのです。例えば、欲望が膨らみ過ぎると、理性の機能が欲望を制御します。感情が膨らみ過ぎると、知性の機能が感情を制御します。制御することによって、バランスの取れた真ん丸な心が維持できるわけです。しかし、余りにも欲望と感情が膨らみ過ぎると、理性と知性が制御し切れなくなり、ハート型の心になってしまうのです。ですから、ハート型の人間心は、調和の取れた心とは言えないのです。痴漢したり、喧嘩したりするのは、理性と知性が、欲望と感情に負けたためです。
このように、人間心は、自我の心と神我の心が牽制し合いながら存在しているのです。でも、人間心の大元になっているのは、神の意識です。神の意識が核を生み出し、その核の集まったものが、「魂」となり、その魂が、「人間心」を生み出し、その人間心が、更に、「想念」を生み出しているのです。でも、「魂」も、「人間心」も、「想念」も、出処は同じ神意識ですから、同じモノと考えて良いのです。
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人生は、心の使い方次第で、どうにでもなります。心を良く使えば、良い人生になります。悪く使えば、悪い人生になります。「私は不幸だ!」と嘆いている人は、心の使い方が下手だからです。と言うことは、自分の責任だと言うことです。
今日までの自分の人生は、すべて自分の心が作ってきたのです。あの苦しみも、あの悲しみも、あの喜びも、あの幸せも、すべて自分の心が作ってきたのです。だから、私は言うのです。
明るく、明るく、朗らかに・・・
何事も良く受け取り・・・
神を想い、光を想い、日々、生きましょう! と・・・
人生は、心、次第です。良い人生にしたかったら、どうか、心の使い方を学んでください。それは、何処へ行く必要もありません。お金もかかりません。あなたの家の中で、社会の中で、普段の生活をしながら学べるのです。
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涙を流しているからと言って、同じ涙だと思ってはなりません。涙にも種類があるのです。嬉しい涙は、波動が高いので目を腫らしません。悲しい涙は、波動が低いので目を腫らします。涙そのものには変わりはありませんが、「嬉しい涙には、嬉しい心色が、悲しい涙には、悲しい心色が、涙の中に溶け込んでいるのです。」
こんな実験結果があります。
怒り心を持って育てた植物は、すぐに枯れてしまい、愛情心を持って育てた植物は、長持ちしたと言います。この実験から分かるように、心色によって植物に与える影響がまるで違ってくるのです。私が教育者に、怒りのムチで打つのではなく、「叱りのムチ」で打ってほしいと願うのは、「叱りのムチ」の中には、「子供たちのため!」と言う「愛の想い」が籠もっているからです。叱りのムチは、「愛のムチ」なのです。怒りのムチは、「憎しみのムチ」なのです。ですから、叱りのムチと怒りのムチでは、子供たちに与える影響がまるで違ってくるのです。
本当に、生徒たちを愛するなら、「愛のムチ(叱りの心)で打ってください!」。
本当に、我が子を愛するのなら、「愛のムチ(叱りの心)で打ってください!」。
怒りのムチは、倉庫の奥深く(心の奥深く)に、仕舞っておいてください。
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心が関係しない、病気や、戦争や、事件や、事故や、自然災害など、ありません。すべて、心が関係して起きている災厄です。でも、人類は、まだ、その事に気づいていないのです。
これまで世界中で、医療や、軍備や、災害防止に、どれくらいの予算が注ぎ込まれてきたことでしょう? おそらく、天文学的数字に上るでしょう。人類は、その膨大な予算を、どうして、心の研究に注ぎ込もうとしないのでしょうか? 心を整えたら、そんな予算など、いらなくなると言うのに・・です。
どうでしょう。
薬や医療機器を開発したら、病気は、無くなるのでしょうか?
道路を整備したら、交通事故は、無くなるのでしょうか?
警察官を増やしたら、犯罪は、無くなるのでしょうか?
軍備を増強したら、戦争は、無くなるのでしょうか?
気象衛星を打ち上げたら、竜巻や台風は、無くなるのでしょうか?
そうではないはずです。どんなに結果対処しても、原因である心を放置していては、根本的解決にはならないのです。このように言うと、「人の心を簡単に変えられるなら、とっくにやっていますよ!」と言う政治家がおります。でも、これまで、やったことがあるでしょうか? やりもしないで、なぜ、できないと決めつけるのでしょうか? 未だかって、心の研究に国費が使われたことは無いのですよ!
結果対処に国費を使うのは、ドブに、お金を捨てるようなものです。お金も使うなら、生きたお金の使い方をしましょう! つまり、原因対処に、お金を使いましょう! 確かに、人の心を変えるのは難しいかも知れません。でも、政治家が心に目を向けるようになったら、間違いなく、社会は変わります。
どうか、原因に・・心に・・予算をつぎ込んでください。きっと、地球は変わるでしょう。
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心の強い人とは・・
心の強い人の特徴は、意志の強さと想念力の強さです。意志の強さや、想念力の強さは、魂の熟成度を示しており、それだけ、多く転生を重ねてきた証です。でも、それは、単に、魂が、早く生まれたか、遅く生まれたかの違いで、自慢することではありません。体験豊富な魂が、体験未熟な魂より、優秀なのは、当たり前だからです。
このように、心の強い人は、明るくエネルギッシュなのです。エネルギッシュなのは、それだけ、魂が大きいからです。誰も魂を大きくしてくれません。大きくするのは自分自身です。
どうか、原子核(魂)を大きくしてください。それは、常に、神を想うこと(瞑想すること)で、できるのです。
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どうか、厭なことから逃げないでください。どんなに逃げても、自分から逃げられないからです。自分の宇宙の中の事ですから、逃げようにも、逃げる場所がないのです。例え、今生、逃げおうせたとしても、来生、また、同じ課題が追いかけてきます。ならば、今生、克服しておいた方が、気楽ではないでしょうか?
サタンの話をする人がおりますが、サタンなど、どこにもおりません。あなたの弱い心(自我の自分)が、サタンなのです。サタンとは、「自分の心に巣食っている弱い自分のことです。」でも、あなたの中には、強い自分(真我・神我の自分)もいるのです。どちらの自分を支配させるかは、あなたが、どう思うかなのです。つまり、良く思えば、真我(天使)が支配し、悪く思えば、自我(サタン)が支配するのです。
あなたを苦しめた、隣人も、友達も、親兄弟も、あなたを成長させるために悪役を買ってくれた恩人です。そのように思えば、感謝こそすれ、憎むことはなくなるでしょう。苦しい人生にするか、楽しい人生にするかは、良く思うか、悪く思うかなのです。
人頼りでは、課題は克服できません。課題を克服するのは、あなた自身です。さあ、課題を一つでも多く克服して帰りましょう。そうすれば、明るい未来が待っています。どうか、弱い自分を強い自分に変えてください。
明るく、明るく、朗らかに・・・
どんなことも良く受け取り・・・
神を想い、光を想い、日々、生きてください。
どうしても気が沈んだ時は、次の言葉を口ずさんでください。
きっと、気持ちが明るくなるでしょう。
本当のあなたは、人間ではありません。肉体ではありません。誰の誰べえではありません。神なる、あなたです。光なる、あなたです。意識なる、あなたです。どうか、良いことを想ってください。良い想いの一番は、神を想うことです。光を想うことです。
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どんな困難な問題も、真心を込めてやれば、必ず、解決します。神は、そのように宇宙を創られたのです。真心は、誰もが持っている神の心です。ですから、真心を込めてやれば、相手に伝わらないはずがないのです。家庭内の問題も、隣人との問題も、仕事上での問題も、真心を込めて当たれば、必ず、解決します。勿論、真理の学びにおいても同じです。
必ず、真理の扉(天の岩戸)は開かれます。それには、強い意志がいります。強い決意がいります。努力と忍耐がいります。偉大なことを成し遂げるには、努力と忍耐と強い意志は、必須条件です。楽して得たものは、ホンモノではありません。苦難から得たものが、ホンモノなのです。
人生の目的は、魂(原子核)を大きくすることです。どうか、強い気持ちを持って原子核を集めてください。あなたは、間違いなく変わります。
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今のあなたの一番の敵は、あなたの心の中に巣食っているネガティブな想いです。それは、ニセモノの自分が作ったニセモノの想いで、本当の自分の想いではありません。そんな、ニセモノの想いに負けて、自分の心を汚してはなりません。ニセモノに負けないためには、自分の心を強くすることです。
長い苦難の人生において、挫けそうになった時もあったでしょう。心が折れそうになった時もあったでしょう。でも、その苦難は、心を強くするために必要だったのです。ですから、苦難は、神様から与えられた愛の贈り物だと思ってください。そのように思えれば、苦難な人生が輝いて見えるようになります。もう、鬱など、どこかに吹き飛んでしまいます。
必ず、原子核が増えます。原子核が増えれば、弱い自分は、去って行きます。弱い自分が去れば、気持ちが晴れやかになります。行動が積極的になります。憎んでいた相手を、許すことができるようになります。いいえ、感謝さえできるようになるでしょう。
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サタン(自我・肉我)の常套手段は、気持ちを萎えさせること、落ち込ませること、不安にさせること、心配させることです。これに打ち勝つには、心を強くする以外ありません。心を強くするには、原子核を増やすことです。原子核が増えれば、サタンに負けない強い心が築かれます。
原子核を増やすために、難行苦行はいりません。
小さなこと・・
簡単なこと・・
今、やれること・・
手短にやれること・・
今、思ったこと・・を、やれば良いだけです。
例えば・・
探せば、身近にいくらでもあります。
他にも・・
腰軽にやれば、原子核は、いくらでも増えます。「そんな小さな事!」と、思うかも知れませんが、総理大臣の仕事をするのと同じくらい原子核を増やすことができるのです。
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病気は、心の弱い人がなりやすいのです。心の弱い人は、神経質です。何でも気にします。クヨクヨ考えます。すぐに心配します。良いことでも悪く受け取ります。余計なことを考え妄念を作ります。このような人は、宇宙エネルギーを閉ざすので病気になりやすいのです。
心の強い人は、鷹揚です。余り気にしません。クヨクヨ考えません。余り心配しません。何でも良く受け取ります。このような人は、宇宙エネルギーが入るので病気になりづらいのです。病気になりたくなかったら、どうか、心を強くしてください。特に、精神を病んでる人は、心を強くしてもらいたいと思います。
心を強くする手短な方法は、社会体験です。
社会体験で強調したいのは・・
間違いなく、心を強くすることができます。
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肉体も、地球も、人の心を写し出す鏡です。人の心が美しければ、肉体にも、地球にも、美しい絵が写し出されます。人の心が醜ければ、肉体にも、地球にも、醜い絵が写し出されます。今、地球には、多くの病人や自然災害などが写し出されておりますが、これは、人の心の醜さが写し出された結果なのです。
病気の原因も、自然災害の原因も、目に見えません。それでは、原因を正す事ができないので、神は、目に見えるよう、肉体に病気として、環境に災害として、写すようにしたのです。目に見えない原因とは、心(想念)です。人の心の醜さが、病気や自然災害として写し出されているのです。神は、見えない、心(想念)を、見える、病気や災害として現し、人の心の醜さに気づいてもらおうとしているのです。これは、神の慈悲と言って良いでしょう。
環境の汚れも同じです。今、地球環境は、悪化の一途を辿っていますが、目に見えない人の心の汚れが、地球環境の汚れという形で写し出されているのです。人の心の汚れた社会では、病気も、ゴミも、争いも、沢山、生まれるのです。病気の多さ、ゴミの多さ、争いの多さは、その社会の幼さを示すバロメーターになっているのです。
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どんな凶悪な犯罪者も、「私はもう二度と悪いことをしません! 私は良心に生きます!」と、堅く心に誓った瞬間、罪は許されるのです。なぜなら、人間の心から神の心に戻ったからです。良心は神の心です。神の心に生きるようになった瞬間、罪人は存在しなくなるのです。今まで悪いことをしていたのは、実在しない自我の自分だったのです。実在しない自我の自分に罪はありませんから、罰してはならないのです。
よく、汚れた心と言いますが、汚れた心などありません。ただ、心にゴミが付着しているだけです。改心し、ゴミを落とせば、そく、真心に戻るのです。ゴミとは、迷いのことなのです。迷いは、実在するものではありませんから、迷いを取れば、そく、真心に戻るのです。迷いを取る作業が、反省・懺悔なのです。
私が死刑に反対するのは、改心した瞬間、罪人はいなくなるからです。いない罪人を殺すなど、大きな罪です。人が罪を作っているのではなく、迷いが罪を作っているのですから、憎むべき相手は、人ではなく、迷いです。だから、「罪を憎んで人を憎まず」と言う諺があるのです。どうか、迷いを取っ払ってください。それは、真理を知ることによって取っ払えるのです。「無知こそ最大の罪である!」と言われるのは、真理を知らなければ迷って罪を犯してしまうからです。
この宇宙に、一人の罪人もいないことを知ってください。ただ、真理を知らない幼い魂がいるだけです。幼い魂に罪はありませんから、許してあげることです。
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この宇宙には、寛大な心が一つあるだけです。私たちの心は、その寛大な心と一つですから、思った瞬間に、宇宙に伝播するのです。以心伝心が間違いないのは、宇宙に一つの心しか無いからです。
ただし、今の地球は、波動が粗いので、想いが相手に伝わるには、相当の時間がかかります。ですから、この地球では、言葉と行為が想いを伝える主な手段となっているのです。地球人の波動が精妙になれば、「想い」が主となり、「言葉や行為」は、段々と少なくなってゆくでしょう。ただし、言葉や行為が少なくなっても、想いに込められる真心だけは変わりません。真心を込めて言い、真心を込めてやれば、確実に相手に伝わります。いくら「言っても 、やっても」相手に伝わらないのは、真心が込められていないか、不純な動機でやっているからです。例え、伝わっても、「何か下心があるのではないか?」と、疑惑を持たれてしまうでしょう。どうか、純粋な動機を持ち、真心を込めて「言い、やって」ください。
真理も同じです。
恩師である、知花先生は、「心を尽くし、魂を尽くし、精神を尽くし、神を求めなさい!」と、おっしゃっておられましたが、神は、純なお方ですから、純な心で真剣に神を求めれば、神は、必ず、応えてくれるのです。
子供が真剣に親を思っているのに、無視する親がいると思いますか? どうか、純な心で真剣に真理を求めてください。神は、決して悪いようにはいたしません。
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あなたが、どんなに誤魔化そうと思っても誤魔化せるものではありません。なぜなら、本当のあなた(真我・良心・神)が、知らないはずがないからです。誤魔化した分、良心が苦しむだけです。
誤魔化して自我が喜ぶのと、誤魔化して良心が苦しむのと、相殺したら、どちらが残ると思いますか? 一般人は、喜びの方が残るかも知れませんが、あなたのような熟した魂は、苦しみの方が残るはずです。苦しみたくなかったら、良心に忠実に生きましょう。それが、学んでいる人の賢い生き方です。
私たちは、一時は、自分を誤魔化せても、永遠に誤魔化すことはできないのです。なぜなら、自我の心と良心は、永遠に離れられないからです。自我の心は良心なしに存在できないし、良心は自我の心なしに存在できないのです。
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