真理は流れ星のように、時々、天(神)から降ろされております。この流れ星のことを私は、聖音といっております。聖音とは、天の言葉のことで、この書は、その聖音を私が受け取り文字にしたものです。本当に聖音なのかは、あなたが判断してください。もし、あなたの理性が納得しないなら、受け入れないでください。
どうでしょう? 聖音(真理)は、お釈迦様やイエス様の口を通してしか降ろされないのでしょうか? いいえ、そんなことはありません。この地球に聖音の閉ざされた時代は、ただの一度もないのです。現在も、聖音は、国を問わず、人種を問わず、性別を問わず、年齢を問わず、降ろされております。心の準備の整った人を見つけると、天は喜んで聖音を降ろしてくれるのです。心の準備が整った人とは、心の貧しい人のことです。
だから、イエス様はいわれたのです。“心の貧しき者は幸いなり、その者は神を観るであろう” と・・・。この、心の貧しき者という意味は、素直な心を持った者、疑いを知らない心を持った者、汚れのない心を持った者という意味です。その純真な心を持った者だけが、天の言葉を受け取ることができるのです。どうかこの書を、子供のような純真な心で受け入れてください。そうすれば、聖音を心の底で感じ取ることができるでしょう。この書が「神の思想化」に少しでも役立てば、これ以上の喜びはありません。
2014年12月
かとう はかる
※ このメッセージは、宗教とは一切かかわりの無いものです。むしろ、宗教を否定しているメッセージといった方が良いかも知れません。そのことを冒頭にお断りしておきます。